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紛れもない宇宙の真実★阿弥陀如来の誓願★

1 :仏法者:2006/10/28(土) 23:25:02 ID:AJMn7w4a
知らされてる人は少ないですが、阿弥陀如来の誓願によって、生きている現在、絶対に変わらない本当の幸せに救われることこそが、万人共通唯一の生きる目的なのです。


2 :名無しさん@3周年:2006/10/28(土) 23:29:34 ID:GYK/eem7
カッケェー

3 :お大師様かまってチョ♪:2006/10/28(土) 23:37:30 ID:64ApxmQ4
ヽ(´∇`)ノ南無大師遍照金剛♪

4 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 00:04:44 ID:V/Uo+mXH
私達の内部の仏性の根本は、『唯信抄文意』
にある真如法性ですよね?

となると、信心すなわち仏性、仏性すなわち
如来なり、とも和讃にありますから、
真如法性=阿弥陀=仏性=信心
と現す事が出来ると思います。

要するに、阿弥陀の誓願とは、
いずれ発現せずにはおかない
仏性の働きそのものかと私には思えます。

内部の仏を発現させる南無妙法蓮華経も
本願が信心を開発する南無阿弥陀仏の働きも
私には表現の違いに過ぎぬように思えて
なりません。

5 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 00:13:52 ID:Fa1/NIOA
>>4
自分なりに解釈されているようですが、大誤解です。
机上の空論ではなく、阿弥陀仏の本願の救いをこの世で体験できるという真実があるのです。


6 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 00:19:15 ID:V/Uo+mXH
>>5
その事実を知るために親鸞会に入れと
言いたいのですか?

7 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 00:24:51 ID:j39LEkpD
>>4
阿弥陀仏は「慈悲というはたらき」ですが、
そのはたらきはというと、私たちの心のはたらきなのです。
前提として、仏教とは「私が」(not 「私だけが」)仏になる教え、ですので、
そのはたらきは私たちの中にあるとしかいえません。
仏や、死後の世界を思い浮かべることはまったくの論外。
極楽・地獄なんて人間の描いた妄想世界に過ぎません。
心の不安定さを表す言葉が「地獄・極楽」と言うだけで、
絵に描いたような世界は実態的に存在はしない。
「浄土に生まれたい」「仏になりたい」というのは、
人間のわがままに過ぎないのです。
最近は、絵像や木像であらわしたために、
自分の精神世界を見つめることができなくなり、なおさら仏教がわからなくなりました。

8 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 00:32:08 ID:Fa1/NIOA
親鸞聖人という方は、二十九歳の時、阿弥陀如来に救いとられ、その無条件の救済に値われた驚き、喜びは、心も言葉も絶え果てたとおっしゃっています。
とにかく、まぁ、人智を超越した阿弥陀如来の誓願不思議であります。

参考までにですが、親鸞聖人は、九十歳でお亡くなりになるまで、全人類の救われるただ一本の道、弥陀の本願を、
『如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 骨を砕きても謝すべし』
と、叫び続けていかれたのです。


9 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 00:37:39 ID:Fa1/NIOA
>>7
人間は、万物の霊長といわれますが、決してうぬぼれてはなりません。
私たちの目には見えませんが、地獄・極楽はないと否定するのは軽率ではないでしょうか。

10 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 18:49:12 ID:j39LEkpD
>>9
しかし、地獄・極楽を肯定も出来まい。
それに、誰が言い出したかわからない「万物の霊長」などと
わけのわからない言葉を持ち出してくるなんて・・・


11 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 20:18:43 ID:j39LEkpD
>>8
だから、その「阿弥陀如来」が何なのよ。
「阿弥陀如来」は実体できるもの?
それとも「阿弥陀如来=誓願不思議」なの?

12 :お大師様かまってチョ♪:2006/10/29(日) 20:27:19 ID:gJ9Do69K
ヽ(´∇`)ノ大日如来様はいるのぉ?

13 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 20:28:20 ID:Xl+oz15J
>>1乙 アーメン

14 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 20:38:16 ID:/ir+ba+X
誓願不思議か、名号不思議か! と言ってみるテスト

15 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 20:39:48 ID:/ir+ba+X
>>1
なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。

16 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 00:25:48 ID:i3lnsXR8
ん〜、要するに阿弥陀如来は精神的な働きなんでしょ?
その出所がわからないから、「不思議」なんでしょ?

17 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 00:31:17 ID:/928FKjT
>>14
歎異抄11章嫁
と言ってみるテストw

18 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 00:35:49 ID:/928FKjT
>>16
精神的な働きではない。
我々の精神的な働きは悉く煩悩。
その煩悩止まざる者を、
そういうものと見て取ってなお仏道に誘って下さるのが阿弥陀如来の誓願。
精神的でもないから「不思議」なんどす。


19 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 00:51:36 ID:C4Uh0YJA
阿弥陀如来の誓願を知らない人に、その厳存を伝えましょう。
全国の仏法者の皆様、力を貸してください。

20 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 00:56:31 ID:/928FKjT
>>19
阿弥陀如来の誓願をネタにして
「出しだ分だけ救いが聞ける」とか言って信者から金を巻き上げる団体に
加担するのはまっぴらですけどネ

21 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 17:43:13 ID:i3lnsXR8
>>18
では、自分の意識・意図にかかわらず、ふつと起こる感情、
それも精神的な働きではないのですね?
人間の精神的なはたらきはすべて自分の意識・意図したままに
起こるというものですか?無意識に働く感情はないと言うのですか?

22 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 23:24:30 ID:/928FKjT
>>21
なぜそのような論旨が出てくるの?

23 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 03:53:54 ID:IxpwDRol
>>4 阿弥陀仏は仏です。仏性ではありません。
お釈迦様は仏性ですか?ちがいますよね。
お釈迦様はお釈迦様というお方であり、
阿弥陀仏は阿弥陀仏というお方です。
阿弥陀仏という言葉をあれこれ勝手に解釈せずに、
お経に説かれているままに理解しましょう。
理解した上で、お経を信じられないなら信じられないでかまいません。
お経を信じられないからといって、
お経に書かれている言葉を自分の信じ易いように勝手に解釈して、
信じた気になっていても意味がありません。
阿弥陀仏とは、極楽浄土にいらっしゃる仏の名前です。
阿弥陀仏がどういう仏かは、お経に書かれているとおりです。
それ以上でもそれ以下でもありません。

24 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 04:05:00 ID:IxpwDRol
>>16
「不思議」とは「不可思議」のことです。
「考えることができない」ということです。
阿弥陀仏は、私達があれこれ考えても理解できません。
お経にないことを勝手に考えて解釈せず、
お経に書かれているとおりにただちに仰ぎ信じるしかないのです。
西方に極楽浄土があると言われれば、素直にそう信じておけばいい。
歴史の教科書を信じるようにです。


25 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 16:49:11 ID:k1Y2HYsC
>>24
ゾロアスター教の影響を受けたと言われる浄土経典を信じろと?

26 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 17:26:52 ID:3aeZdP91
>>25
そんな怪しげな俗説を信じろと?

27 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 17:39:18 ID:IxpwDRol
>>25 信じられないなら他の宗派へ行けばいいだけの話。
問題なのは、信じていないくせに浄土系の坊主やってる奴。

28 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 18:44:44 ID:k1Y2HYsC
>>26 >>27
へー、じゃぁ、お釈迦様はとても多くの「仏」様を説いたのですね。

29 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 18:53:40 ID:oQQZxC/n
阿弥陀浄土には美しか天女がおるばい!
やっほいほい。

30 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 19:21:45 ID:+2x28Zgz
>>29
天女がいるってお経に書いてあったっけ?

>>24
ゾロアスター教の影響を受けていてもいいんじゃない。
ゾロアスター教の佛教化(換骨奪胎)なら。

釈尊の説いた真理は一つだろうけど、
説明の仕方はバリエーションがあってもいいでしょう。
浄土経を形成した人たちはかなり頭のいい人たち(智慧を体験した人たち
だったと私は思います。

31 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 19:32:37 ID:oQQZxC/n
>>30
かれらは思うままに現れ出た諸宮殿のなかで、それぞれ七千の天女に
かしずかれ、敬われて、住み、戯れ、喜び、逍遥するのだ。

岩波文庫・浄土三部経(上)72ページ

32 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 19:52:44 ID:+2x28Zgz
>>31
おお、ソース有難うございます。


33 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 21:55:53 ID:iimXj+Uc
皆さん、「どう生きるか」ということは大切ですが、「なぜ生きるか」ということは、もっと大事だとは、思われませんか。
「どう歩くか」よりも、「なぜ歩くか」が、もっと大事ではありませんか?
首相からホームレスに至るまで、朝から晩まで、「どう生きるか」には一生懸命だが、「なぜ生きるか」、を知りません 。
それだけ皆、一生懸命生きるのはなぜでしょうか。
それこそ、最も大切なことではないでしょうか
人は何のために生まれてきたのか、なぜ生きているのか、どんなに苦しくても生きねばならないのは何をするためなのか。
ただ生きるだけならば、苦しみの連続で終わってしまいます。
「なぜ歩くか」が分からねば、歩く苦労は、無駄です。
同様に、「なぜ生きるか」が、分からねば、生きる苦労も、また無駄です。
多くの人は一生懸命生きることが、一番いいことだと思っていますが、「なぜ生きるか」の一大事を、忘れています。
「なぜ生きるか」、それをハッキリ教えられたのが、仏教を説かれたお釈迦さまなのです。
お釈迦さまは仰せです。大宇宙には、数多くの仏さまがおられる。それらの仏が、本師本仏と仰がれるのが、阿弥陀如来です。
阿弥陀如来は、「無明の闇」といわれる、すべての人々の苦しみのもとである、後生暗い心を一念で破ってくだされ、絶対の幸福に救うと、誓われています。
これを、「阿弥陀如来の本願」と申します。
その阿弥陀如来のお約束通り、絶対の幸福になることこそが、「なぜ生きるか」の答えなのです。
そして、阿弥陀仏の本願は死後ではなくこの世で救われる教えなのです。
この世で絶対の幸福の身になることこそ仏教の目的であり、人生の目的なのです。
死んでから救われるのではない。この世で助かるのが浄土真宗なのです。
多くの人が、死んでから救われるものとばかり思い込んでいますが、その先入観が間違っているのです。
ここが盲点なのです。
この世で救われるのが仏教なのです。これこそが仏教を聞く唯一の目的なのです。

34 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 22:08:51 ID:iimXj+Uc
全人類の苦悩の根源、「無明の闇」とは何なのでしょうか。
後生暗い心、死んだらどうなるかハッキリしない心です。
死後は有るのか、無いのだろうか?という心。
有るなら、どんな世界か、一切分からない??
この後生真っ暗がりの心のことです。

未来が暗いと現在も暗くなるのです。
百パーセント確実な未来後生が真っ暗がりだから、現在も常に不安で、何をやっても心から喜べないのです。
この無明の闇がある限り、生命の歓喜などあろうはずがないのです。
人間に生まれてよかった!という生命の大歓喜が体験させられるのは、阿弥陀如来の本願によって無明の闇をぶち破っていただき、絶対の幸福に摂取せられた時です。
この世界に出るために私たち人間は仏法を聞かねばならないのです。


35 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 22:21:46 ID:+2x28Zgz
「無明の闇」とは仏説における「転倒妄想」のことはないのですか?


36 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 22:38:58 ID:iimXj+Uc
阿弥陀如来の大悲は平等ですが、苦しんでいる者に、余計に強くかかって下さるのです。
大千世界一の極悪人、苦悩の私が阿弥陀如来の独り子だったと知らされるときが必ずあります。
共に泣き、共に歓ぶ方があることを忘れず、求めぬきましょう。
人生は、苦なりです。
「世の中のこと、みなもってそらごと、たわごと、まことあることなし」のご金言まことを、これでもか、これでもかとのご催促があります。
弥陀の本願のみまこと、のお勧めに間違いはないのです。
生命をかけて、猛進せずにおれないのです。
しかし、昿劫より、自力かなわで流転してきた奴は、簡単に聞くものではないのも事実です。
寄せかけ、寄せかけの阿弥陀如来のご苦労で、ようやく聞かせて頂けるのです。
親鸞聖人も「大菩提心(奮発心)おこせども、自力かなわで流転せり」と、仰せになっています。
聞法は、イバラの道であることを、覚悟せねばなりません。
しかし、やまない雨はないように、朝の来ない夜がないように、必ず開ける、光明の天地があるのです。
寒風に花は散り、葉は落ち、枝が折れる冬が来るでしょうが、弘誓の仏地に樹てた信念だけは、待つ春の慈光に、末代を照らし続けるのです。
お聖教に溢れている、弥陀仏の真実一杯と、心の奥底にうろたえている、不実一杯の自己とが、触れた時でなければ、仏凡一体と燃えあがらないのです。
体当たり聞法こそ肝要です。深い河は、静かに流れます。
無常甚深の妙法は、確実に十方衆生に浸透するにちがいありません。
どうか早く聞き開いていただきたいのです。


37 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 22:45:41 ID:iimXj+Uc
人生は、楽しみもありますが、苦しみのほうがもっと多いのです。
これからも皆さん、そうなのです。
仏教では、人間は海に浮いているようなものだとたとえられています。
近くに漂う丸太や板切れは、健康や妻、子供、お金、地位や名誉です。
丸太にすがった時は、やれやれと思う。しかしそれらは浮いたものですから、やがてクリーッと回って、私たちを裏切ります。
潮水のんで苦しまねばなりません。
「どうしても欲しい」と望んでいたものを手に入れても、その喜びは一時的です。受験生は大学に合格した時は、「やったぁ」と思うでしょう。胴上げされている時は夢見心地ですが、その感動が一ヵ月と続いたでしょうか。
こんなもののために、一生懸命ねじり鉢巻きで勉強していたのか。
バカバカしい。そんな心さえ出てきます。
 そこで今度はまた別の丸太を求めて、苦しむのです。どこまでいっても苦しみ続けて、死んでゆく。
そんな姿は、愚かです。
一つの波を乗り越え、やれやれと思う間もなく次の波がやってくる。
 受験地獄、就職難、突然の解雇、借金の重荷、隣近所とのいざこざ、家庭や職場での人間関係、病苦、肉親との死別、老後の不安…
 人生は苦しみの波が絶えません。
 苦しみの波にほんろうされる私たちは、何かにすがらずにおれません。近くの丸太ん棒や板切れ求めて、必死に泳いでいます。
 不況の波に負けまいと、会社という丸太ん棒にすがりつきますが、リストラされて潮水のんで苦しむ。健康に突如見放され、病気の波にのみ込まれて嘆く。恋人という板きれに裏切られ、肉親との死別という大波にもまれて泣く。
 だれもが苦しみにあえぎつつ生き、最後すべてに捨てられ、独りこの世を去っていく。
「独生独死 独去独来」と、お釈迦さまが説かれている通りであります。
 これでは私たちは、何のために生まれてきたのか、生きているのか、なぜ生きねばならないのか分かりません。
私たちは決して、苦しむために生まれてきたのでもなければ、生きているのでもないはず。
“人間に生まれてよかった”という本当の幸福になるために生きているのです。

38 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 22:46:44 ID:iimXj+Uc
果たして、遠い過去から苦海をさまよい続けてきた私たちに、真の救いはあるのでしょうか。
 ただ一つある、と親鸞聖人は明言されています。それは、“弥陀弘誓の船”であると。
 弥陀の弘誓とは、
“苦悩の元を断ち切り、永遠の幸福に救う”
と誓われた、弥陀の本願のことです。それは、すべての人を救うという、とてつもなく広い約束ですから、弘誓といわれています。
 ほかに救われる道があるなら、「のみ」とは言われません。苦海を渡す大船は、唯一なのです。
 ただ弥陀弘誓の船だけが、苦海の人生を明るく楽しく浄土まで渡してくださるのです。
“よくぞ人間に生まれたものぞ”という、安楽無上の人生は、ここに開かれるのです。
「なぜ生きるか」を、まず考えてみてください。そして浄土真宗を学んでください。
テレビや新聞で誰も教えてくれないから、皆さん知らないかもしれませんが、仏教では、陸地をハッキリと教えています。
頑張ってる人、苦しんでる人にこそ聞いてもらいたいのです。本当の幸福とは? 本当の人生の勝利者とは? どうか、ご縁がありましたら耳を傾けてくださいね。
阿弥陀如来は、朝から晩まで五欲にまみれ、まことの心の全くない私たち、仏教を聞こうという気のさらさらない私たちを強い強いお力で引っ張っておられます。
「何とか何とかわかってくれよ、真実を聞き求めてくれよ」と。
「必ず本当の幸福にしてみせる」と全力をあげておられます。
大慈大悲の阿弥陀如来に思いを馳せていただきたいのです。


39 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 23:23:59 ID:VcYjURtV
西本願寺に出入りしている浄土原理主義者みたいな親族が
いるんだが、死にかけている他の信仰している親(俺のバアちゃん)
に「阿弥陀様以外を信じていると地獄行き」と脅し続けてた。

言ってる本人は悪気は無いんだろうけど、バアちゃんは死ぬ直前は
生き地獄だったんだよね。

バアちゃんの死後、阿弥陀信仰を周囲に押し付け始めたから
「弥勒菩薩に救済してもらうから心配しなくても良い」と言ってやった
んだが、菩薩は如来より下だからダメだとさ。アホクサ。

40 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 21:55:47 ID:XEKSLp7V
まあ押し付けはよくないよね 

41 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 23:02:20 ID:ORsMt/C5
全ての人間は苦しみ悩みを嫌って幸福になろうと生きています。
これは何十億の人がおりましても例外はありません。
不幸になりたい、私は苦しみたい、悩むために生きているんだ、という人はいません。全ての人間は幸福になりたいと思って生きているのです。
政治、経済、科学、医学、芸術、スポーツ…は、そのためにあります。
私たちを幸福にするために科学の進歩、医学の発達があるのです。
苦しみ悩みを解決して幸福になるためにあるのです。
全人類の生きている目的、それは幸福になるためなんです。
幸福になるには苦しみの元を知らねばならない。
その苦しみの元を除いて、解決して、幸福になれるのですから。
全ての人間にとって苦悩の根元ほど大切な問題はないのです。
いったい私が幸福になれない原因はどこにあるのか。
苦しみ悩みの原因はどこにあるのか。
それが分からないから、色々なものを求めても幸福にはなれないのです。
科学が進歩したら幸せになれるだろう。
しかし実際は少しも幸せになれなかった。
20世紀はそれを証明した時代でした。
自殺する人は年々増えて交通事故死の3倍以上にもなっています。
私は幸福でならないから首をつるという人はない。
そんな苦しいのならば、生きているより死んだ方がマシだ、
と思って自ら命を絶つのです。


42 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 23:03:09 ID:ORsMt/C5
政治、経済、科学、医学、芸術、スポーツ…
これらのものが進歩しても人類は幸せにはなれない。
そういう類では私たちは幸せにはなれないのです。
20世紀がそれを証明しているではありませんか。
全人類は苦しみ悩みの原因を知らない。
取り除くこともできない。
最も大切な、最も知らなければならない、苦しみ悩みの根元はいったい何なのか。
全人類が知らなければならないんです。
なぜなら60億全ての人は幸福を求めて生きているのですから。
不幸を求めて生きている人など一人もいないのですから。
地球上全ての人が知らねばならないこと、聞かねばならないこと。
私たちの苦しみの原因は何なのか。
苦悩の根元は何なのか。
人類発祥から、古今東西どれだけの人が生まれ、死んで逝ったのか分かりませんが、それらの人、全ての問題だったんです。
私たちは幸いにも生きておるときこれを知ることができ、
そして断ち切ることが出来るのならば、これは大変な幸せであり、
喜びであると思います。
この全人類の一番大事な、一番知りたいこと、
何とか、あなたに分かってもらいたい。


43 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 23:03:49 ID:ORsMt/C5
「 ガンやSARSが恐ろしい、
  病気やケガはいやだ、
  交通事故がこわい、
  戦争やテロが怖い、
  景気が回復するか心配だ、
  雇用が不安だ、
  年金がもらえるだろうか、
  老後が不安だ、
  環境問題が深刻だ、
  食の安全性が心配だ、
  地震・台風が怖い 」

と、世間で大きな問題とされていることは、
よ〜く考えてみますと、その不安・恐怖の根底に、
そもそも「死」に対する不安・恐怖があるからではないでしょうか。

私たちは、数日後に楽しい予定がある、たとえば「旅行に行く」ということが決まっていれば、旅行に行く前から、明るく楽しい気分になっています。
逆に、数日後に、たいへんな難手術をされると決まっていれば、その手術前からでも、暗く不安になってしまいます。

これを大きなスパンで考えると、
私たち人間は、「死んで、どうなるかハッキリしない」、
つまり「死後」が真っ暗がりだから、
「今」現在も真っ暗がりとなり、
どんなに楽しく生きようとしても、ぼやっとした不安から常に離れきれない、
心の底からの安心、満足、喜びがないのです。



44 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 23:05:47 ID:ORsMt/C5
「本当の幸せ」って何かを、ハッキリ言い切れる人はなかなかいないですよね。
確かに皆さん、ひとりひとり、さまざまな人生観、価値観、生きがい、考え方をもっておられますから、何が幸せと感じるかは一人ひとり違うでしょう。
でも、自分を心から理解してくれる家族や友人にめぐまれるということが、やはり幸せの大きな要因のひとつであることは、多くの人が認めるところだと思います。
しかし、現実は、すべての人は、寂しいのです。
果てしのない荒野を一人旅しているようなものなのです。


45 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 23:06:38 ID:ORsMt/C5
本当の「連れ」がいない。
親、夫、妻、子供、兄弟といった家族、あるいは友達という「肉体の連れ」はあっても「心の連れ」がないのです。
その「心の連れ」を求めているのです。
「ああ、誰も私のことを理解してくれない」と言っている人がいます。
「夫は、わかってくれない」
「子供も、わかってくれない」
「両親も理解してくれない」
「友達もいくら言っても、わかってくれない」
「この私の心。私の苦しみ、悲しみ。
 誰もわかってくれない」
と。
その「心」をかかえて、毎日、すすり泣いている。
私たちは、「誰も理解してくれないひとりぼっちの心」を持っているのです。
それを、何かで、ごまかそうとしている。
この「人生の寂しさ」「孤独ジゴク」というのは、経済がいくら繁栄しても、どんな娯楽施設があっても、この「心の寂しさ」は、ごまかしようがないのです。
これは、戦争直後と今を比較しても変わらないのです。
確かに、パチンコやゴルフなど、遊ぶものは、いっぱいある。
だけども、みんな孤独であると。
東京や大阪といった、いくら人がたくさんいるところでも「孤独ジゴク」になっています。
世の中には、たくさんの人がいます。
すなわち、たくさんの「肉体」がありますが、本当の「心」の交流、本当の「心」の理解は全くないのです。
だから、一人一人、自分のこの「心」にふるえているのです。
その「心」をかかえて、毎日、すすり泣いている。
私たちは、「誰も理解してくれないひとりぼっちの心」を持っているのです。
それを、何かで、ごまかそうとしている。
だけども、「心の連れ」はいない、求まらないのです。
どこに行っても「ひとりぼっち」が続くのです。
それを紛らわそうとして、いろいろな努力がなされているのです。
だけど、どうにもならない。
それは、努力すれば努力するだけ、「歓楽つきて、さみしい感情多し」
「寂しさ」がやってくる。


46 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 23:07:17 ID:ORsMt/C5
実は、阿弥陀仏という仏さまに救いとられないと絶対にだめなのです。
親鸞という人は求め抜かれて「自分をすべて理解してくださる阿弥陀仏」に面会されたのです。
そして、救われたのです。
親鸞聖人、29才のときでした。
これこそが、本当の幸せです。
しかも、家族ともども阿弥陀仏に救われたならば、未来永遠の家族であることができるのです。
こういう素晴らしい真実があるということを知っていただきたいと思います。


47 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 23:32:27 ID:8PilBwCH
>>46
で、あんたは救われたんかい?

48 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 23:36:47 ID:AygEdv79
釈迦は阿弥陀信仰してたんですか?

>>しかも、家族ともども阿弥陀仏に救われたならば、未来永遠の家族であることができるのです。

こういう足枷を信者にはめると、家族揃って極楽浄土に行くために、家族の
意思決定まで自分で行おうと、し始める信者が出てきます。
親に意思決定され続けて成人した子がどうなるのか、想像してみてください。
養殖してでも阿弥陀信仰させれば良いんですか?

49 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 00:05:11 ID:YTvHz5ls
自立が前提に無い仏教なんて・・・

50 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/11/02(木) 00:25:07 ID:dOP3vSgZ
>46 なんか抽象的でわかりにくいです。
結局、何を信じて何を実践すればいいんですか?


51 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 00:28:50 ID:fCQ85jS4
>>50
阿弥陀仏を信じて正しい仏教の説法を聞いていけば良いのです

52 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/11/02(木) 01:48:10 ID:dOP3vSgZ
>>51 説法の内容はどんなですか?
「真実だ」とか「正しい」とかいう宣伝文句だけではよくわかりません。
できれば具体例を挙げていただけないでしょうか?


53 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 06:44:50 ID:G8LBkNUg
>>46
のようなやつに限って、家族が救われていない(事が多々ある)

54 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 08:10:06 ID:cbRPsTj5
>>52
親鸞聖人の教え
浄土真宗

55 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 08:35:43 ID:QVTdSJHU
で、南無阿弥陀仏と唱えれば救われる訳ですか?

56 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 15:58:14 ID:/cHPBxqX
>52
どんな人でも、仏教を真剣に聞き求めていきますと、「自分の本当の姿」を阿弥陀如来のお力によってハッキリと知らされます。
「まことの心が微塵もない己の姿」がハッキリ照らしだされるのです。
「堕ちるに間違いない自分である」とツユチリほどの疑いもなくハッキリいたします。
と同時に「そんな者をお目当ての弥陀の本願、本当じゃったぁ!」と「助かるに間違いなし」とハッキリいたします。
弥陀のジカの呼び声を腹底に聞いた一念で大安心・大満足の永久に変わらない、壊れない、崩れない、死が来ても微動だにもしない「絶対の幸福」に救いとられます。
「阿弥陀さま、申し訳ありませなんだ、このような者をよくぞこの身にしてくだされた」と泣くよりほかにないのです。



57 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 17:32:27 ID:G8LBkNUg
問答形式で誘引するように上手く作られたスレだな、まったく・・・

58 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 19:57:53 ID:Y6eN9SNn
まあ、言ってることはそんなに間違ってないと思うけど、
マニュアルを読んでるみたいで滋味に欠ける。

気になるのは「絶対の幸福」という言い方。
幸福ではなくて「安心」とか「楽」とかのほうが適切じゃないかね

59 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 08:42:28 ID:BbBmQi+L
>>58
>気になるのは「絶対の幸福」という言い方。

おそらく>>1が、属していると可能性が高い「親鸞会」の言い方。
教義内容は、その分派である「一の会」もよく似ているので、>>56
までは、どっちかはわからなかったが、「一の会」では、同様のこ
とを「金剛の幸福」といっているので、おそらく「親鸞会」と思わ
れる。

マニュアル通りなのは、そう、信者の「カラー」かと。

60 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 11:41:10 ID:srvi+lVz
とにかく親鸞会と思われるものには敏感に反発してくるのがアンチのカラーかと

61 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 12:38:24 ID:9wTU9z6Y
阿弥陀如来は、朝から晩まで五欲にまみれ、まことの心の全くない私たち、仏教を聞こうという気のさらさらない私たちを強い強いお力で引っ張っておられます。
「何とか何とかわかってくれよ、真実を聞き求めてくれよ」と。
「必ず本当の幸福にしてみせる」と全力をあげておられます。
大慈大悲の阿弥陀如来に思いを馳せていただきたいのです。

若不生者のちかいゆえ
 信楽まことにときいたり
 一念慶喜するひとは
 往生かならずさだまりぬ (親鸞聖人)

私たちは、信楽という絶対の幸福にしてみせると誓われた本願を、素直に聞けません。
「私のような者が助かるのだろうか」「絶対の幸福なんてあるか」と疑っています。

 そんな私たちだから、「必ず信楽にしてみせる。できなければ、命を捨てる」
と約束なされたのです。それで親鸞聖人は、弥陀の本願を、
「若不生者のちかい」と言わずにおれなかったのでしょう。

「命をかけて約束する。それでもお前たちは疑うのか」と、阿弥陀如来はお叫びです。

 弥陀の本願に、ウソがあろうはずがありません。必ず絶対の幸福になれます。
「本願まことだったー」と知らされるのは、無明の闇が破れ、信楽の身になった時。それが、
「信楽まことに時至り」です。

62 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 12:41:06 ID:9wTU9z6Y
私は、40代ですが、今まで人生、つらいことや苦しみを深く感じさせられることが多かったです。
10年ぐらい前から、真の幸福、本当の幸せを求め、禅宗の門をたたきました。
廃悪修善を実行し、自己の言動を正していけば、いずれ心が安らかになり、幸せになれると信じてました。
それで出家し戒律を守るよう実践しようと努めてまいりました。
しかし、善に向かおうとすればするほど、できない自分が知らされるばかりで、少しも光が見えず、このまま求道した努力も報われず死んでいかなければならないのかと苦しんでいました。
そんななか、有縁の人から『世界の光・親鸞聖人』を見せていただき、今まで自分が歩んできた道では、助からないことが知らされました。
阿弥陀如来は、在家、出家の区別なくありのままに救ってくださる仏さまと知らされ、身震いいたしました。
本当の仏教、弥陀の誓願に出遭わなければ、完成なき道を走り続け、一生むなしく終えるところでした。
「全人類の苦悩の根元は、無明の闇である」と明らかになされた親鸞聖人のみ教えは、本当に遇い難い唯一の真実です。

63 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 12:42:14 ID:9wTU9z6Y
ほとんどの人は、金や名誉、健康な体がないのが苦しみの根元だと思い一生懸命それらを求めています。
苦悩の根元である「無明の闇」を破る力があるのは、大宇宙広いといっても阿弥陀如来しかおられません。
阿弥陀さまは、仏の命をかけて「若不生者 不取正覚」と誓われております。
「生」は一念で無明の闇を破り、真の幸福(信楽)の身に生まれさせてくださるということです。
私たちが人間に生まれた唯一の目的は、超世の悲願である阿弥陀如来の本願を聞き、「無明の闇」を破っていただくことです。
人身は受け難く、人の命はもろい、はかないものです。
時間はありません。
一切の苦難を乗り越え、仏法を聞き求め後生の一大事の解決をしたいと思います。

苦悩の根元は、「無明の闇」です。
「今、死んだらどうなる」と、魂にわらじを履かせて後生へ踏み込んだ時、真っ暗になる心です。
私たちの腹底に「無明の闇」があるために、何をやっても満足できず、むなしい、不安な気持ちが消えないのです。
その無明の闇をブチ破り、無碍の一道へ出る、絶対の幸福の身になることこそ、万人共通、人生究極の目的なのです。

64 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 12:43:30 ID:9wTU9z6Y
約2600年前に釈尊が説かれた本来の仏教は、生きている人間に対して説かれたものです。
お経の冒頭部分には必ず「我聞如是」あるいは「如是我聞」とあります。
釈尊の説法を聞かれたお弟子が、釈尊の教えをお経に書き残すにあたって、
「我是くの如く聞く」つまり、「私はお釈迦様からこんなお話をお聞かせいただいた」
と、明らかに生きている間に仏法を聞かせていただいているのです。
お弟子が存命のうちにお釈迦様からお聞かせいただいた仏法がお経に書き残されていると言うことは、そのお経もまた生きている人間が読むためのものだと言うことです。
仏法を聞かねばならないのは死んだ人間でなく生きている人間であり、
その教えがいかに大事であるかが分かると思います。
誤解の無いように言っておきますと、ここで言う「仏法」とは
お釈迦様や親鸞聖人が説かれた「真実の仏法」であり、
我々の運命は因果の道理によって我々自身が作り出している、と
教えるものです。我々の運命を決めるのは先祖の霊でも、狐や狸の例でも、
ましてや神などでもないのです。全て自分の行いが原因なのです。


65 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 13:22:12 ID:eGPEJGG9
神は皆さんが自由意志で決めたことを単に承認して暖かく見守るだけです

66 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 14:02:14 ID:9wTU9z6Y
真実の仏教では、65氏の言う神を完全に否定します。


67 :名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 16:52:21 ID:xQ7Ftnbp
あら、帝釈天も梵天もいないのか。

68 :名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 16:54:30 ID:lrRO+HJW
前世の因果とか輪廻とかは、カースト制度下でなければ
出てこなかった発想だよね。
身分制度の無い現代にはマッチしないんじゃないか?

69 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 21:03:21 ID:5Ybi6nHY
真実の仏法は、聞きがたいのです。
 その難しさをお釈迦さまは、こう説かれました。
「ヒマラヤの頂上から糸をたらし、ふもとの針の穴に通すことができるだろうか。それよりも難しいことなのだ」


70 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 21:04:29 ID:5Ybi6nHY
仏教には、何が説かれているのでしょうか。お釈迦さま一代の教えは、七千余巻の膨大なお経(一切経)となって今日に伝えられています。一切経を何度も読破して聖人は、こう断言されました。

「如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅつせ)
 唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)」   (正信偈(しょうしんげ))

 釈迦如来が、この世に生まれ出た目的は、阿弥陀仏の本願一つを説くためだったのだ、との明言です。
 仏教は弥陀の本願一つと、言い切られるお言葉には一点の曇りもありません。親鸞聖人の大自信です。



71 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 22:31:57 ID:1Evlv4Sp
親鸞聖人の著書である『教行信証』には、
阿弥陀如来に救いとられた体験を告白されています。

「噫、弘誓の強縁は、多生にももう、あいがたく、
    真実の浄信は、億劫にも獲がたし。
     たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。

 もしまた、このたび疑網に覆蔽せられなば、
   かえりてまた、曠劫を逕歴せん。
 誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、
   聞思して遅慮することなかれ」(『教行信証』総序)

「ああ……なんたる不思議か、親鸞は今、多生億劫の永い間、求めつづけてきた歓喜の生命を得ることができた。
これはまったく、阿弥陀如来の強いお力によってであった。
深く感謝せずにおれない。もし今生も、無明の闇の晴れぬままで終わっていたら、未来永遠、浮かぶ瀬はなかったであろう。
なんとか早くこの真実、みんなに伝えねばならぬ、知らせねばならぬ。こんな広大無辺な世界のあることを」





72 :オーム浄土真宗:2006/11/07(火) 06:13:52 ID:pqDezcUU
オーム。十方の、果てなく、限りない世界に安住される、過去・未来・現在
の、一切の覚った人たち、求道者たち、教えを聞く修行者たち、独り修行する修行者たちに礼したてまつる。無量の光あるものに礼したてまつる。無量のいのちあるものに礼したてまつる。
不可思議な幾多のすぐれた徳性をそなえたものに礼したてまつる。
・ 無量の光ある者、勝てる者、聖者であるおんみに礼したてまつる。
 おんみのなさけによって、わたしは、《幸あるところ》に往く。
・ 《幸あるところ》には、金色に輝くうるわしの林がある。
 めでたき人(仏)の子らに飾られて心たのしい。
・ 名声あまねく、智慧を具えたおんみのましますところ、いろいろの珠宝の積み集められたかの《幸あるところ》に、わたしは往く。

 無量寿経梵文には、最初にオーム《om=a・u・m》にはじまるこの帰敬偈が記されている

73 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 13:55:06 ID:63f+Sxt4
正直現代に伝わってる仏教の内容も、当時釈迦や仏陀が説いた内容とはまた随分と違っていると思うのだけど

最早現代に残ってる宗教はその真実を失っていると思われるし
また、当時と現代はまた全く異質なものでもあって現代には現代の新しい本当の意味での神の意識を復活させなくてはいけないのだと思います

それは宇宙の神々(創造主等)に通じる本当の意味での信仰の意識です
現代にはその本当の意味での信仰の意識を伝える存在は無いと言っても過言では無いと思います

仏教は良い方だけど、キリストやイスラムや仏教に代表される実に多くの宗教の真実は最早廃れていると思います
そして、今の時代には合わない

もう新時代の到来は時間の問題であって全てが新時代を迎える方向で動いてるからです

74 :某僧侶:2006/11/07(火) 15:23:08 ID:5YuM6yRQ
無量「義」経には、「四十余年には未だ真実を
顕さず」、とありますが…

無量寿経では有りません。念のため。

75 :お大師様かまってチョ♪:2006/11/07(火) 17:02:33 ID:pgUFoQB7
ヽ(´∇`)ノ大日如来♪

76 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 17:57:30 ID:aU07WHtx
日本テーラワーダ仏教協会

77 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 18:00:49 ID:aU07WHtx
>>73 ブッダの説いた真理は、時代が変わってもやはり真理。
無常・無我は、いつの時代も真理。

78 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 19:48:42 ID:Xz/y6ty/
>>73
イスラムも廃れていると思う理由は?

79 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2006/11/07(火) 19:52:56 ID:QLCVNp0O
>>1 へ。
みだ仏は、自然のようをしらせんりょうなり。(親鸞)
 阿弥陀仏というのは、自然のあり方を知らせるための料、つまり手段、道具である。架空の存在
だということを忘れなさんなよ。

80 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 20:16:51 ID:AL+VGH8c
>>77
結論だけでは自称真理以上にはなりませんな。オウムと大差が無い。

仏教成立時に、釈迦はカースト制度をどう捉えていたのか。
現実として捉え、制度を否定し、破壊しようとしたのか。
あるいは制度の中で、民衆の気持ちを和らげるだけの方便を説いたのか。
後者であるならば、身分制度の無い現代には、適合しない思想であるかも。

81 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 20:42:00 ID:63f+Sxt4
>>77

真理といっても本当の真理のうちの一部分の側面でしかないと思うのですけど
本当の真理は更に奥深いものであって仏陀さんが説いたのは宇宙の真理の入り口に過ぎないような気もします
というよりも、当時全てを語っていたとしても現代には残されてはいないでしょう。。。

>>78

イスラムも廃れているという以前に正しく人々に伝わっていないかと思われます
キリスト経も仏教もそうだと思うけど、当時は現代のように記録に残す手段は少なく
キリストや仏陀やアラーの話を聞いた人やその話を聞いた人が紙に記録した程度であるし
またその多くが時の権力者によって改ざんもされ利己的な使われ方をされてしまっているものであると思います

その中でも仏教は汚染度が低いようにも感じますけど
やはり現代の仏教を信仰されてる方々の多くをみるにつれ好ましくない側面も多々あるかと思います

>>80さんの言うように何千年も以前の宗教は例えそのまま残っていても現代とそしてこの先に訪れる新時代には合わないものだと思います
この先の新時代は現存する全てを壊してから新しく創造されるものになるからです

そして、本当の意味での神の意識が広まり宇宙や天空からエネルギーが降りてくるようになり、宇宙文明が到来することになるからです

それは現代の物質文明とは違った自然や宇宙エネルギーを元にした全く新しい文明であって宇宙共通の文明でもあります
その文明は神話の時代や遥か昔に地球上に存在した文明と同質のものでもあってこの地球上に神の意識を取り戻すことに繋がります

82 :弥陀一仏:2006/11/07(火) 21:09:18 ID:Kl4g1Nhi
では、「阿弥陀仏」と「お釈迦さま」とは、どういう関係にあるのか。
地球上で、ただ、おひとり「仏」となられたお釈迦さまといえども、阿弥陀仏の弟子なのです。

大宇宙には、数え切れないくらいのたくさんの仏さまがおられるのです。
それらの数え切れないくらいの仏さま方の先生、すべての仏さまの先生、これが、「阿弥陀仏」という仏さまなのです。
「阿弥陀如来」ともいわれます。

お釈迦さまと同じような仏は、宇宙には、たくさんおられますが、「阿弥陀仏」しか、私たちの「後生の一大事」の「解決」をする力を持っておられないのです。
ですから、「阿弥陀仏ひとつに向かえ。阿弥陀仏だけを信じよ。」と、お釈迦さまは、教えておられます。

阿弥陀仏は、「本願」を建てておられます。
これを「阿弥陀仏の本願」といいます。
「本願」というのは、「約束」、「誓い」ということです。
阿弥陀仏が約束しておられることは、
「すべての人が持っている後生の一大事(死後、地獄に堕ちるという一大事)を一念で解決してみせる。そして、この世から未来永遠に変わらない大安心・大満足の最高無上の幸福の身にしてみせる。できなければ、私は命を捨てる。」
という、お約束です。


83 :弥陀一仏:2006/11/07(火) 21:09:52 ID:Kl4g1Nhi
本当の仏教(=阿弥陀仏の本願)を真剣に聞き求めていきますと、このお約束の通り、「後生の一大事をハッキリと解決していただく」体験、すなわち、「阿弥陀仏にハッキリと救いとられる」体験をさせていただくことができます。
そして、その体験は、「一念」で体験させていただくことができます。
「一念」とは、あっと言う間もない極めて短い時間をいいます。
1秒の何億分の一よりも、もっともっと短い時間です。

親鸞聖人は、真剣に阿弥陀仏の本願を聞き求められ、29才の時に、阿弥陀仏に一念でハッキリと救いとられておられます。
そして、90才でお亡くなりになるまでの61年間、全人類の救われるただ一本の道、「阿弥陀仏の本願」が真実であることを叫び続けていかれたのです。

阿弥陀仏の本願を真剣に聞き求め、阿弥陀仏に一念で救いとられ、後生の一大事を解決したいただく。
そして、生きてよし死んでよし、死が来ても微動だにもしない、絶対に崩れない、壊れない、この世から未来永遠に変わらない本当の幸福、大安心・大満足の絶対の幸福になること、これが、万人共通唯一の人生の目的です。



84 :弥陀一仏:2006/11/07(火) 21:10:27 ID:Kl4g1Nhi
そして、人生の目的を達成するということは、飛行機のたとえでいうならば、いつ燃料が切れても安全に着陸できる空港を確保したということになるのです。
いつでも、どこでも満足いっぱい、喜びいっぱい、安心しきって明るい生活ができるようになります。
人生の目的を達成しますと、
「人間に生まれて、本当によかった!」
という生命の歓喜が起きるのです。
「よくぞ、人間に生まれたものぞ」
と喜ばずにおれないのです。
「人間に生まれてきたのは、これ一つのためだったんだな!」
「これ一つのために、生きねばならなかったのだな!」
と、ハッキリ知らされ大安心、大満足になる。
「人生の目的を教えている聞きがたい本当の仏教を聞けて、本当によかった!」
と喜ばずにおれないのです。

阿弥陀仏に救いとられ、後生の一大事を解決していただいたと同時に、「いつ死んでも極楽ゆき間違いない身」になる、させていただくことになるのです。
そして、この世の命が尽きた暁(あかつき)には、阿弥陀仏の極楽浄土に生まれさせていただき、仏となります。

阿弥陀仏は、限りなき大慈悲を持っていらっしゃる仏さまです。
今、この文章を読んでおられるあなたを救いとろうと、一秒もお休みになることなく、全力を尽くしておられます。


85 :弥陀 一仏:2006/11/07(火) 21:14:46 ID:Kl4g1Nhi
お釈迦さまの説かれた「仏教」は、「真実」なのです。
「いつでも」、「どこでも」変わらない大宇宙の真実なのです。
この地球上だけではなく、ほかの天体でも、お釈迦さまのような仏さまが、そのすべての仏さま方の先生の仏である「阿弥陀仏」の「本願」(約束)を私たち人間のような生き物に説いておられるのです。
現在、仏教以外に、世界中に多くの「宗教」がありますが、それらは、みんな人間の頭でつくりあげたもので、全くの「迷信」です。
そのようなものを信じていても当然、本当の幸せにはなれません。
「いつでも、どこでも」通用する教えではなく、矛盾したところばかりが多く、幼稚なものばかりです。
それに対して、「仏教」は、大宇宙の真実です。
愚かな我々人間の頭で勝手に作り出したものではありません。
ところが、残念なことに、「仏教」といっても現在、一般的に知られている「仏教」というのは、「聞き誤って伝えられたもの」や「間違って解釈されているもの」が、ほとんどです。
また、親鸞聖人や蓮如上人は、「仏教」を誤りなく正確に伝えられた方々ですが、現在、その親鸞聖人や蓮如上人の教え(=本当の仏教)を解説した書物も書店に、多数、出ています。
しかし、それらの解説書も、「間違った解釈をしているもの」、「大事な核心の抜けているもの」が、ほとんどです。
皆さんの中には、お釈迦さまが、「自分の頭」で考え、つくり出して、人々に教えたものが「仏教」だと思っている人がいらっしゃると思います。
よく知っていただきたいのですが、「仏教」というのは、お釈迦さまが、勝手に考えられたものではありません。
お釈迦さまが、おられても、おられなくても、それに関係なく、大宇宙に常に、存在している教えが、「仏教」なのです。
また、親鸞聖人の教えていかれたことは、今日、浄土真宗といわれていますが、親鸞聖人が勝手に考え出されたものではありません。
親鸞聖人が教えられたことは、お釈迦さまの説かれた「仏教」そのものであって、全く「自分の考え」はいれられておりません。
お釈迦さまや親鸞聖人、蓮如上人は「阿弥陀仏の本願を建てておられる御心(みこころ)」を誤りなく正確に伝えてくだされた先生です。

86 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 21:18:01 ID:eACcm8nT
泣けます
http://pksp.jp/sinich0813/?o=0&ps=&ss=&km=

87 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 21:46:45 ID:63f+Sxt4
阿弥陀仏ではなくて創造主=神の意識とエネルギーをこの地球上に降ろし根付かせなくてはならないのです

無限に上に繋がる天空の頂上にいるのが創造主であって真の神であるからです

当然のごとく阿弥陀仏さんよりも上の方でもあります
阿弥陀仏さんと創造主が同一の存在なら話は別ですけど

そしてそんな世界をこの地球上に実現させる為に既に創造主やその側近やその他実に多くの神々から宇宙のマスターやら高次元な存在が降りてきてます

2012年の地球のアセンション以降の新時代へ向けて天界も含めて皆が協力をしていかなくてはならないのです
そして、古い教えは壊れ新しいものが創造されます
そこには最早宗教と言う言葉や教え自体が存在せず全ての生命から物質までが神の意識を手にし神と一つになるのです

そんな時代がこの先に到来します

88 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 21:58:21 ID:63f+Sxt4
それからキリストさんも仏というか宇宙の神々と地球上での活動の後になってますよ

釈迦や仏陀さんとか仏教関係者だけではなくてイスラム教のアッラーさんや実に多くの方々が宇宙の神々の仲間入りを果たしてます

他の宗教がおかしいと言うのはどうかと。。。
皆それぞれが大宇宙に常に存在している教えを説いたものであることに違いはありません

単に説き方などの言い回しや時代背景やら伝え聞いた方々の違いやら様々な違いや現代に伝わるまでのいきさつ等があるから
似て異なるものに現代ではなってるもので本質は同じものでもあるのです

ただ、宇宙の真理は言葉で説いて伝わるものでもないので一部の側面が伝わったに過ぎないのです

なので仏教の教えは真実でキリストの教えは真実では無いとかはありません
皆、紛れも無く真実を説いてくれた素敵な方々なのです

私はそんな方々全てを大事にしたいと思います
そして彼らが成しえなかったことも含めてこの先の新時代を皆で創造して行きたいと思ってます

89 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 22:01:37 ID:AL+VGH8c
仏教が目指すのは自立であり、個がどう生きるかという思想。

神や仏を揺り動かしたり、他人の人生に介入する思想は、似て
異なるものであり、オウム化、パナ化に向かう恐れがある。

90 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 23:46:00 ID:aU07WHtx
>>81 ブッダが説いたのは、苦悩を滅するために役立つ真理です。
より深い真理とやらを知るのが目的ではありません。
哲学が目的ではありませんから。
苦悩からの解脱、全き平安が目的です。
幸せになるために役立つ真理でなければ、求める意味はありません。
知的好奇心を満たす快楽を求める欲に基づくのではありません。

91 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 09:21:25 ID:9U6Nb+dw
87から90は、自分勝手な誤った解釈ですので参考にしないようにしてください

92 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 10:27:38 ID:HEA1y1Lk
日本の阿弥陀信仰自体が解釈そのもの。

93 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 10:30:28 ID:9U6Nb+dw
92の考えそのものも凡夫の解釈そのもの
決してうぬぼれてはなりません

94 :阿弥陀如来の誓願:2006/11/08(水) 10:38:03 ID:9U6Nb+dw
「難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」
(教行信証総序)

金や財産、地位、名誉、健康などは、「難度海」の人生に浮かぶ丸太や板切れのようなもの。難度海に溺れ、水面に浮遊する丸太にしがみついて、やれやれと思ったのも束の間、クルリと丸太に裏切られ、潮水飲んで悶え苦しむ。
まさしくそれは、「火宅無常の世界は、萬のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無し」 (歎異鈔)
「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一も相添うことあるべからず」 (蓮如上人・御文章一帖)
の実証である。
だが、それでは苦しむために生きていることになる。
この難度海の人生を明るく楽しく渡す大船が厳存し、それが難思の弘誓(阿弥陀仏の本願)だと、
親鸞聖人は喝破なされた。
無眼人の私たちは、難度海に浮かぶ金や健康の丸太、板切れは認識できても、弥陀の願船を見る力がない。
想像も及ばぬから、弥陀の本願は、「難思」といわれ、大宇宙のあらゆる衆生が対象だから、「弘誓」と讃えられるのである。



95 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 12:42:08 ID:0AtXNL0V
浄土に往生してブッダの説いた真理を学ぶために、念仏する。
ブッダの教えを否定して阿弥陀信仰はありえない。


96 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 13:44:50 ID:Yh47zD59
神の教えや意識ってそんな念仏だとか難しいものじゃなくて最終的には心根の問題になりますよ
意識の持ち方や意識のあり方が一番の問題であって地球の人々の課題かと

もうこの先の新時代には仏教もキリスト経もイスラム教もその他の宗教も必要ではないし、存在しない世界になります

今までとは全く全てが異なった新しい時代が幕を開けるからです
こんな話は仏教の文献にも予言として出てきませんか?

数千年も昔の概念は最早この先の地球上には必要としなくなるだけですのでそんなに仏教とか過去の教えにこだわらないで下さいと言いたいです

97 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 14:05:58 ID:JpMEDTdu
神仏と合一してラリってしまいたいの?

98 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 17:38:43 ID:0AtXNL0V
>>96 時代が変わっても諸行無常は真理。
無常を説く仏教が真理であることも変わらない。
一神教みたいなカルト宗教と仏教を一緒にしないでくれ

99 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 20:16:00 ID:Yh47zD59
>>98のようなことを各宗教に所属する人々やそれを利用して争いを起こさせようとする方々の思惑が一致して何度も世界で宗教戦争が起こりました
同じことを繰り返したいのでしょうか?

最早時代遅れも甚だしい

仏教もキリスト経もイスラム経も真理は同じ、単に真理を説いた側面が多少異なっただけ

そして時代背景が違った為に人々の理解の仕方や後世への記録の中身が変わったまで
更に時の権力者達によって大きく改ざんもされ人々を支配する為に捻じ曲げられたものでもあります

キリストさんも仏陀さんも釈迦さんもアッラーさんも皆素敵な方々であって現在は宇宙の神々として宇宙全土から天空にかけてまで活躍されています

もっとも、現代の地球上は彼らでは手に負えない状態でもあって
彼らより更に高次元な神々は大挙として今現在の地球上(主に日本)に転生を果たし人として生活を送りながら
自らが神々として目覚めの時が来るまで普通に暮らしてますけど

それから諸行無常が常に真理ではないのです
当時の地球では真理であってもこの先のアセンションにより高次元へと変容を果たす地球や現在の宇宙文明ではそんな諸行無常と言えるような次元で生活はしてません
もっと真の意味で豊かな暮らしを送ってます

あしからず

100 :お大師様かまってチョ♪:2006/11/08(水) 20:23:27 ID:/PmZv8kr
>>99
途中までは禿げしく移動
(-_-;途中から…どこの新興宗教でつか?

101 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 21:06:05 ID:Yh47zD59
>>100

スレ違いなないようだったかもしれないし申し訳ないかもだけど、全部本当のことですよ
>>100 さんもそんな高次元な世界から降りて来た方々の一人かと

神々から天使から宇宙生命まで幅広く高次元な世界から沢山降りてきてますよ

それだけ、地球の現状はこの先の未来を手にするのには今が正念場ってことでもあるのだけど
もう多くの方々の目覚めが始まってきていてその結果日本は世界に先駆けてスピリチュアルな部分が浸透しつつあり
この先その流れは更に加速を始めるそうです


私は純粋に阿弥陀如来の誓願ってのにも興味あるのですけど、主観がふんだんに含まれていたとしたら少し寂しい気もします
阿弥陀如来さんとチャネリング等で意思の疎通ができてる方が書かれているのかと期待していたもので

もし、単に本や何かで外部的に得た知識を書かれているだけでしたら寂しい気持ちもします

102 :真実の道は一本きり 阿弥陀如来の誓願:2006/11/08(水) 21:45:19 ID:f7ZWkISZ
私たちの「苦しみ悩みの根元」は「死んだらどうなるかわからない、真っ暗な心」です。
「無明の闇」といわれます。
この「苦悩の根元」を断ち切らない限り、どうもがいても、次から次へと苦悩が生じてきます。
そして、人生は、はかなく、むなしく終わってしまいます。
また、死後には、たいへんな一大事があります。
これは、作り話でもなければ、おとぎ話でもありません。
他人事でもなければ、ひとごとでもありません。
ほかならぬ自分自身のこと、我が身の問題なのです。
苦しまなければならないのが他人であるのなら、自分は遠くから眺めて笑っておれるかもしれません。
しかし、自分が苦しまなければならないと知らされれば楽にはなっておれないはずです。
いやでもその解決に必死になるはずです。


103 :真実の道は一本きり 阿弥陀如来の誓願:2006/11/08(水) 21:46:21 ID:f7ZWkISZ
どんな人でも、仏教を真剣に聞き求めていきますと、「自分の本当の姿」を阿弥陀如来のお力によってハッキリと知らされます。
「まことの心が微塵もない己の姿」がハッキリ照らしだされるのです。
「堕ちるに間違いない自分である」とツユチリほどの疑いもなくハッキリいたします。
と同時に「そんな者をお目当ての弥陀の本願、本当じゃったぁ!」と「助かるに間違いなし」とハッキリいたします。
弥陀のジカの呼び声を腹底に聞いた一念で大安心・大満足の永久に変わらない、壊れない、崩れない、死が来ても微動だにもしない「絶対の幸福」に救いとられます。
「阿弥陀さま、申し訳ありませなんだ、このような者をよくぞこの身にしてくだされた」と泣くよりほかにないのです。
阿弥陀如来は、まことの心の全くない私たち、仏教を聞こうという気のさらさらない私たちを強い強いお力で引っ張っておられます。
「何とか何とかわかってくれよ、真実を聞き求めてくれよ」と。
「必ず本当の幸福にしてみせる」と全力をあげておられます。
この文章を読まれている皆さんが、このようなうな形でご縁のあったのも阿弥陀如来のおはからいによるものと思わずにおれません。
愚かでうぬぼれ強い私たちは、毎日、無常のものばかりを追い求めておりますが、無常の世の中で変わらぬものは、阿弥陀如来の本願だけなのです。
この真実をわかっていただける仏縁深い方が、なかなか、いらっしゃらないのが悲しく残念なのですが・・・
お釈迦さま、親鸞聖人、歴代の善知識方は、
「阿弥陀如来、一つに向け、
 阿弥陀如来のみを信じよ。」
と、口をそろえて常におっしゃっておられます。
皆様の仏縁を念じあげます。


104 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 22:58:12 ID:KULRHWl9
スレ違いの新興宗教より原理主義のほうがまだマシだな。

105 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/11/08(水) 23:39:55 ID:0AtXNL0V
念仏していれば、臨終には阿弥陀仏の来迎があります。
来迎によって死の苦痛は消え、
速やかに極楽浄土へ往生できるわけです。
ですから、普段念仏していれば臨終を怖がる必要はありません。
自力往生の場合は、臨終にも心を統一して乱れないことによって往生します。
しかしそれは一部の聖者にしかできません。
他力往生の場合は、本願のとおり、
念仏者の臨終には阿弥陀仏の方から来迎してくれるので、
心が散乱している凡夫でも仏の力で心が定まり往生できるのです。
臨終正念によって来迎があるのが自力、
臨終来迎によって正念になるのが他力。

106 :お大師様かまってチョ♪:2006/11/09(木) 16:42:21 ID:ZYb6NbRJ
ヽ(´∇`)ノナミョホレゲッキョ♪

107 :お大師様かまってチョ♪:2006/11/10(金) 10:15:34 ID:E9SCa55Z
あみだにょらいこんぽんだらに
のうぼうあらたんのうたらやーやー
のうまくありやみたばーやー
たたぎゃたやーあらかていさんみゃくさんぼだや
たにゃたおんあみりていあみりとうどはんべいあみりた
さんばべいあみりたぎゃらべいあみりた
しっでいあみりたていぜいあみりた
びきらんていあみりたびきらんたぎゃみねいあみりた
ぎゃぎゃのうきちきゃれいあみりた
どんどびそばれいさらばあらださだねい
さらばきゃらまきれいしゃきしゃようきゃれいそわか♪
ヽ(´∇`)ノ
南無大師遍照金剛♪

108 :名無しさん@3周年:2006/11/10(金) 17:34:22 ID:qKbQPdzO
106,107
荒らしはやめてください

109 :金有財:2006/11/11(土) 05:27:33 ID:KBOJnLEd
浄土三部経なんて、素性の知れないインド人が書いたんでしょ?
おっと、観無量寿経は、メイドインチャイナでしたね。




110 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 06:47:39 ID:DwgV3lpo
>>109 素性がわからないインド人といっても、
我々からみて仏教教団の先輩にあたる人でしょう。
仏教が生んだお経であるのはまちがいない。
無量寿経を読むと、浄土の住人のりっぱな聖者ぶりの説明なんかは、
理想の仏弟子像を示して、
お前たちもこのように精進しなさいと教えているように思えます。


111 :金有財:2006/11/11(土) 07:16:32 ID:KBOJnLEd
>>110
先輩といっても、信用できるのとできないのがあるよ。
極楽浄土とか阿弥陀とかそのまま信じていいの?
弥陀の本願といってもくだらんものも含まれているよ。
よく考えて書いたのかどうか疑問に思っていますよ。


112 :金有財:2006/11/11(土) 07:21:01 ID:KBOJnLEd
というのはね、
私でもあなたでもあの程度のお経はすぐに書けるということですよ。
けばけばしい言葉を羅列すればいいんですからね。

原始仏典は、釈尊の本当の言葉が含まれているであろうという点において価値がありますけど。

113 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 09:59:59 ID:RpfW6wpr
阿弥陀さんは、一体誰に対して誓願したのかな?
誓願は果たされてないこともあるんじゃない?


114 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 11:15:23 ID:jLt38YI+
地獄とか浄土とか、死んだ事ないのにどうして作り話じゃないと?

115 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 12:19:21 ID:RpfW6wpr
親鸞ってのも浄土の教えが真実でないかもしれないが、自分にはそれしか
信じるものが無いから例えそうであっても後悔はしないってなことを書いてるし

親鸞さえも疑っていたという事実

116 :金有財:2006/11/11(土) 12:25:29 ID:KBOJnLEd
「嘘かもしれない」なら一か八かもありえる。
「嘘」と分かっていて、それでも信じるか?

はずれ馬券と分かっているのを100万円だして買うようなもの。

117 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 13:26:18 ID:RpfW6wpr
当たるかもしれないと期待して宝くじを買って、はずれ続けているという事実
浄土の教えもまたこれに似たるものなり…ってことね

118 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 14:50:31 ID:+yMBTINp
信じられない方は別に信じなくてもいいんです。

119 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 16:10:19 ID:DwgV3lpo
他に救いの道がなかった人には、浄土が人生の光だった

120 :断言:2006/11/11(土) 16:40:15 ID:BgTh3hg7
109さん、どの本で読んだのか、学んだのか知らないけど、そういうことは素直に信じるのね。
一方で、阿弥陀如来を信じないのだから矛盾してると思わない?

阿弥陀如来の誓願は厳存いたします。


121 :金有財:2006/11/11(土) 18:34:39 ID:KBOJnLEd
>>120
それでは、あなたは、光明真言を信じますか?
光明真言の威力で極楽往生できます。
光明真言は、自分だけでなく他人も往生させます。
念仏より優れています。

大乗仏典が釈迦無二が説いたものでないことは誰でも知っていること。
では、誰が書いたの。
無名の人でしょ。
それを批判なしに信じていいの?

なんでも無批判に信じる人は、だまされやすい。

法然や親鸞の時代ならいざ知らず、今日、大乗仏典が釈尊のとかれたものでないと分かったからには、信仰も見直すべきでしょうね。
つまり、どこの馬の骨か分からないインド人が書いたものだという前提でもって,
経を読むべきだということ。

122 :金有財:2006/11/11(土) 18:40:05 ID:KBOJnLEd
だれだって、1時間ぐらいあれば、阿弥陀経程度の経典は書ける。
昔のインド人が書いたお経がよくて、現代の私が書いたお経がだめということがなぜできるのか?
古ければよいという骨董趣味か?

般若経のように哲学的な経典は書きにくいが、浄土三部経のようなものは書きやすい。
私が書いたら信じられない。
昔の誰か分からないインド人が書いたものなら何でも信じられる?

123 :金有財:2006/11/11(土) 18:46:06 ID:KBOJnLEd
>>118
はずれ宝くじでも当たっていると信じて、
それで幸せに生きていければ、それもいいとは思いますよ。
人の勝手ですからね。
でも、なんだか寂しいね。

124 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 19:54:50 ID:+yMBTINp
宝くじ に例えるのが理解できないな。

宝くじ は買う前から当たりがチョー少なくて
ハズレがほとんど、と知っていて買うわけでしょ?

それと念仏は全然違うものじゃないの?

では逆に伺いたいが、
般若経が当たりクジだ、というのは根拠があるんですか?
書きにくい経典なら信じるに値する、ということなんでしょうか。


125 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 20:04:44 ID:+yMBTINp
と思ったけど、やっぱいいです。レス不要でおねがいします

126 :金有財:2006/11/11(土) 20:19:55 ID:KBOJnLEd
>>125
喩えで書くと分かりにくいのね。

じゃ、はっきりいいましょう。
どこの馬の骨か分からないインド人の書いた浄土経典は信用できません。

般若経は哲学ですから、哲学として判断できます。

阿弥陀如来も空想の産物だし、極楽浄土もそう。
十劫の昔に法蔵菩薩が云々なんて・・・。

自分に都合のよいことなら、何でも信じるわけ?


127 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 20:27:54 ID:AovJU7ka
出自を偽ったのが最も痛いところ

128 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 20:34:21 ID:uRIkqLgs
>>115
そのソースを教えてもらえませんか?
近々、浄土原理主義者と対決するので、理論武装しておきたいのです。

129 :阿弥陀如来の本願は厳存します:2006/11/11(土) 21:49:10 ID:nGazEa8T
>121
大乗仏典が釈迦無二が説いたものでないことは誰でも知っていること。

↑このことを素直に信じてるのが、おめでたいって言ってるの。

阿弥陀仏の本願によって、ハッキリと救われた人が死後、仏になります。
救われなかった人は、死ねば地獄です。
迷いの六道をへめぐります。
これが宇宙の真実です。

130 :名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 01:40:38 ID:6B4cJ4OH
超可愛い美少女の乳揉んでビショビショにさせたマンコに吸いついて心ゆくまで舐めるのって
最高だよ、勿論肛門も思いのまま賞味してさ。こういう経験を一度でもするとくだらメスには
心が動かなくなるよ。やっぱりオンナは若くて綺麗で可愛くってセクシーでチャーミングなのが最高。

131 :オーム浄土真宗:2006/11/12(日) 05:10:18 ID:nn4Mg/l0
念仏はまことに浄土に生るゝたね(種)にてやはんべるらん、また地獄に堕(お)つる業(ごう)にてやはんべるらん
総じてもて存知せざるなり。たとひ法然聖人に賺(すか)されまゐ(い)らせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、
さらに後悔すべからず」でしたね? 
たぶん阿弥陀様に現生で救われても凡夫の身では死後の状態の事までわかりません
ということでしょうか?(笑)
浄土三部経は「仏説」というお題がついてないと単なる(それも当時の)理想を述べた空想だと思います 
奇跡や神の子であるという事を除くと内容の意味がなくなるキリスト教と同じく外道だと思いますが
先に挙げた梵文帰敬偈に「限りない世界に安住される、過去・未来・現在
の、一切の覚った人たち、求道者たち、教えを聞く修行者たち、独り修行する修行者たちに礼したてまつる」
とありますね
ですからすくなくとも当時この経を信奉していた人たちには「自力雑行を捨てよ」というような思想はないように
思いますが・・ 修行とは〇森先生の話を聞く事なんていわないでくださいね(笑)

132 :金有財:2006/11/12(日) 05:45:05 ID:3RRjbpXs
>>129
そんなくだらんことを信じているのがおめでたくない?

どっからそんなこと学んだの?

133 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/12(日) 08:34:02 ID:77HIE4Ny
阿弥陀如来に救われたならば2つのことがハッキリいたします。
「二種深信」と言われます。
「深信」とは阿弥陀仏のお力によってハッキリ知らされるということで、その一つは「自分は絶対に地獄に落ちる、救われる手立ては何もないのだ」(機の深信)、
もう一つは「お前を地獄に落としてなるものか、必ず救いとる弥陀がここにいるぞ」とハッキリするということです(法の深信)。
そして、この二つは別のことを言っているのではなく、同時に知らされるのです。「二種」というのは「機」(私の側)と「法」(阿弥陀様の側)の二つ。「深信」というのは深く信じること。
「機の深信」は「私」というもの知る(知らされる)事。「罪悪」を背負っており、「無常」の風の中を迷いつづけていると知らされる事。
自分の力では往生する事が出来ないと知らされること。「信じること」というより、自分をよくよく照らされれば、「そのようでしかない」と思い知らされますね。
「法の深信」はそういう「私」に向かって「かならず往生させるぞ」と誓いを立ててくださった「阿弥陀仏」がいるということを知らされる事。
この二つは別々に働いているのではなく、「今・ここで・私のために」同時に働いている。
二つに分けると相対しているようだがそうではない。
また、「よくわからんが信じておこう」という軽くすむ事ではなく、「頭では分かる」ということでもなく、我が身にかかる大問題を腹底に響かせられることなのです。
まさに、人智を超越した不思議な世界です。



134 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/12(日) 08:35:40 ID:77HIE4Ny
仏教を真剣に聞き求めていきますと「本当の自分の姿」が知らされてきます。
私たち人間の本当の姿は、「心」は、常に悪を思い、「口」は、常に悪を言い、「体」は、常に悪を行って、
いまだかつて、「善のかけら」もない者なのです。
これが、すべての人間の「本当の姿」です。
(これは、仏教を真剣に聞き求めていきますと知らされてきます。)
そういう私たちですから、「因果の道理」によって、必ず地獄におちなければならないということになるのです。
「因果の道理」は、仏教を一貫する「根幹」です。
・善因善果(ぜんいんぜんか)
・悪因悪果(あくいんあっか)
・自因自果(じいんじか)
善いタネをまけば、よい結果があらわれ、悪いタネをまけば悪い結果があらわれます。
「自分のまいたもの」は、「自分が、かりとらねばならない。」ということです。
「心」の中で、悪いことを思えば、必ず、「悪い結果」として、あらわれます。
「人が見ていないときなら、悪いことをしてもよいだろう。見つからなければよいだろう。」
と、思っている人が、たくさんいますが、それは間違いです。
遅かれ早かれいずれ、「悪い結果」が、必ず自分に返ってくるのです。
「心」で「あいつ、死んでくれたらいいのに」と思えば、それは、「体」で直接、殺さなくとも、たいへんな「悪」です。
「心」で思わないことは、「口」で言ったり、「体」の行いとして、あらわれませんから、「心」が「もと」なのです。
ですから、仏教では、「心」でいろいろ思ってつくる悪、罪が、最も重いと教えられます。
「体」や「口」よりも、「心」を重く見るのが仏教なのです。
私たち人間が、朝から晩まで考えていることは、ろくなことがありません。
「心」で悪いことばかり思っています。
自分のこと、自分の心をよく見つめてみられれば、皆さん明らかでしょう。
そういう「善のかけらもない、悪のつくりどうしの私たち極悪人」を命をかけて「必ず絶対の幸福に救ってみせる」と誓われているのが、「限りなき大慈悲・まことの心をもっておられる阿弥陀仏」です。



135 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/12(日) 08:41:09 ID:77HIE4Ny
阿弥陀仏の本願を真剣に聞き求め、「後生の一大事」を阿弥陀仏のお力によってハッキリと「解決」していただき、大安心・大満足の絶対の幸福の身になることが、すべての人の生きる目的なのです。
阿弥陀仏に救いとられると、
「堕ちるに間違いなし」(本当の自分の姿がハッキリと知らされる)
「助かるに間違いなし」(「どんな人をも必ず絶対の幸福に救いとる」という阿弥陀仏の誓いが本当だったとハッキリと知らされる)
この二つのことが同時に微塵の疑いもなくなるのです。
阿弥陀仏に救いとられた幸せは、1兆円もらったというようなことなどよりも、比べものにならない、はるかにすばらしい、言葉で表現できない、説きつくせない、ものすごい幸せです。
阿弥陀仏の御声(みこえ)が心のドン底へ、ジカに聞こえた一念で、大安心・大満足の境地におどり出させていただけます。
阿弥陀仏に救いとられれば、誰でも、同じくこのような世界に出させていただけるのです。
阿弥陀仏に救いとられた一念で、阿弥陀仏の存在も、極楽・地獄の存在も、因果の道理に間違いないことも、人間の世界は迷いの世界であることも、仏教が真実であることも、ハッキリと知らされるのです。


136 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/12(日) 08:43:45 ID:77HIE4Ny
人間の生きている「80年」といっても、悠々たる大宇宙の時の流れからみれば、これは、「一瞬」にすぎません。
たとえ、「100才」まで生きたとしても、「大宇宙の流れ」と比較したら、まさに「まぼろし」の出来事だなと、しみじみ感じます。
「夢」、「まぼろし」のはかない、短い出来事が「私たちの一生」です。
そんな「短い一生」のなかで、
「あのやろう。こんちくしょう。あんちくしょう。」
「あの人、好きになった」「結婚した」
「失恋した」「裏切られた」
「うれしい」「かなしい」
と怒ったり、喜んだり、泣いたりしているのです。
小さなアリたちが、一生懸命、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしているようなものです。
食べ物をくわえて、喜んであっちへ行ったり、こっちへ行ったりと、そして人間に踏みつぶされていくと。
「なぜ生きるのか」ということを知らずに「どう生きるか」しか知らないで、ただ生きている人は、このアリたちと何の違いもありません。
朝から晩まで「どう生きるか、どう生きるか」、これ一つ。
浮いている「丸太」に必死になって、しがみつこうとしている。
より大きな、しっかりした頼りがいのある「丸太」を求めて。
そして、
医学が進歩した。こういう技術が開発された。地球から宇宙へ飛び出した。
ということを言っていますが、宇宙の流れを考えてみますと、「夢の中で夢をみている」ようなものです。
ところが、「まぼろし」とも「夢」とも、「はかないもの」とも思えず、
「これに間違いない
 これこそ。これこそ。これこそ!」
「これは、オレのものだぞ!」
と丸太にしがみついている。
まるで、永遠に自分から離れないもののようにしがみついている。
そして、しばらくの間すがって、やがて力つきて死んでいく。
まことに、「はかないもの」は、この世の「生まれてから死ぬまで」の「まぼろし」の「短い私たちの一生」ではないですか。

ですから、皆さん、阿弥陀如来の本願を、どうか聞き求めてくださいね。

137 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/12(日) 08:44:34 ID:77HIE4Ny
私たちは、吸ったり吐いたり、呼吸していますが、その一回一回が「死」と触れあっています。
吐いた息が、吸えなかったときが、この世の終わり。
吸った息が、吐き出せなかったときが、この世の最期です。

生まれてから今まで、数え切れないほどの丸太にしがみついてきた。
一生懸命、泳いで「ようやくつかんだもの」だけど、最期は、必ず別れていかなければならない。
すべて崩れたとき、夢と散ったとき、初めて
「今までやってきたことは、生きがいであったのだな。
 この世に生まれてきた人生の目的ではなかった。
 人生の目的は、この明かりの全くない、真っ暗なところに死んでいかなければならないという、この一大事の解決だったのだな。」
と、ようやく気がつく。
ほとんどすべての人が臨終に知るのです。
臨終になって知っても、もう遅いから、生きている達者なときに、知らされなければなりません。
ですから、皆さん、阿弥陀如来の本願を、どうか聞き求めてくださいね。

138 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/12(日) 08:54:24 ID:77HIE4Ny
阿弥陀仏は、「本願」を建てておられます。これを「阿弥陀仏の本願」といいます。
「本願」というのは、「約束」、「誓い」ということです。
阿弥陀仏が約束しておられることは、
「すべての人が持っている後生の一大事(死後、地獄に堕ちるという一大事)を一念で解決してみせる。そして、この世から未来永遠に変わらない大安心・大満足の最高無上の幸福の身にしてみせる。できなければ、私は命を捨てる。」
という、お約束です。
本当の仏教(=阿弥陀仏の本願)を真剣に聞き求めていきますと、このお約束の通り、「後生の一大事をハッキリと解決していただく」体験、すなわち、「阿弥陀仏にハッキリと救いとられる」体験をさせていただくことができます。
そして、その体験は、「一念」で体験させていただくことができます。
「一念」とは、あっと言う間もない極めて短い時間をいいます。
1秒の何億分の一よりも、もっともっと短い時間です。
親鸞聖人は、真剣に阿弥陀仏の本願を聞き求められ、29才の時に、阿弥陀仏に一念でハッキリと救いとられておられます。
そして、90才でお亡くなりになるまでの61年間、全人類の救われるただ一本の道、「阿弥陀仏の本願」が真実であることを叫び続けていかれたのです。


139 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/12(日) 08:57:04 ID:77HIE4Ny
阿弥陀仏の本願を真剣に聞き求め、阿弥陀仏に一念で救いとられ、後生の一大事を解決したいただく。
そして、生きてよし死んでよし、死が来ても微動だにもしない、絶対に崩れない、壊れない、この世から未来永遠に変わらない本当の幸福、大安心・大満足の絶対の幸福になること、これが、万人共通唯一の人生の目的です。

そして、人生の目的を達成するということは、飛行機のたとえでいうならば、いつ燃料が切れても安全に着陸できる空港を確保したということになるのです。
いつでも、どこでも満足いっぱい、喜びいっぱい、安心しきって明るい生活ができるようになります。
人生の目的を達成しますと、
「人間に生まれて、本当によかった!」
という生命の歓喜が起きるのです。
「よくぞ、人間に生まれたものぞ」
と喜ばずにおれないのです。
「人間に生まれてきたのは、これ一つのためだったんだな!」
「これ一つのために、生きねばならなかったのだな!」
と、ハッキリ知らされ大安心、大満足になる。
「人生の目的を教えている聞きがたい本当の仏教を聞けて、本当によかった!」
と喜ばずにおれないのです。



140 :名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 09:00:43 ID:77HIE4Ny
阿弥陀仏に救いとられ、後生の一大事を解決していただいたと同時に、「いつ死んでも極楽ゆき間違いない身」になる、させていただくことになるのです。
そして、この世の命が尽きた暁(あかつき)には、阿弥陀仏の極楽浄土に生まれさせていただき、仏となります。

阿弥陀仏は、限りなき大慈悲を持っていらっしゃる仏さまです。
今、この文章を読んでおられるあなたを救いとろうと、一秒もお休みになることなく、全力を尽くしておられます。

私たちが、本当の仏教を知らされ、真剣に仏教を求め進ませていただけるのも、さらに、人生の目的を達成させていただけるのも、皆、阿弥陀仏のお力によるものです。

皆さんが、本当の仏教について、この文章を読んでおられるのも、阿弥陀仏のお力によるものです。
長い長い間、阿弥陀仏がご苦労なされています。
「金儲け」や「遊び」になら、私たちは喜んで出かけていきますが、最も大切な人生の目的を教えている「仏教」となると実は少しも聞こうという気持ちがないのが、私たち人間です。
そういう私たちであるにもかかわらず、今、仏教を知らさせていただいているというのは、まさに阿弥陀仏のお力によるのです。
皆さん、阿弥陀如来の本願を、どうか聞き求めてくださいね。

141 :お大師様かまってチョ♪:2006/11/12(日) 09:16:14 ID:IecuiKT3
ヽ(´∇`)ノ阿弥陀様は現世で救ってくれるぉ♪

142 :名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 09:57:42 ID:tNacH13B
>>134
性悪説と、如来蔵と、その中道
釈迦はどれを推奨したのでしょうか?

143 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/11/13(月) 12:25:27 ID:w9lTmKqb
お経を真実だと「みなして」生きる、そういう人生もありだと思います。
お経に説かれた仏教の慈悲に共感することもすばらさい。
しかし、お経はあくまでお経にすぎないというけとも、
わかっておいたほうがいいですね。
脳死を人の死と「みなして」、臓器移植をする選択も法的にはありです。
移植で救われる人がいるのも事実。
しかし、脳死を人の死だと思わない人もいるのだと、
わかっておいたほうがいいですね。

144 :名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 12:37:05 ID:nCCBH4Za
143さん、うぬぼれてはなりませんよ。

人口知能の開発には、当然、人間の心の構造の研究が大切になる。
ところが、現在の心理学は、十分に教えていない。
そこで、心を専門とする宗教の中に、人間の心の構造を解明した宗教はないかと調べてみた。
結果、キリスト教もマホメット教も、ほとんど心の仕組みを教えていない。
ところ が、仏典には詳しく説かれていた。
釈尊は実に優れた心理学者だ。
コンピューター開発に、仏典が比類なきテキストになる。
(マービン・ミンスキー,MIT教授)



145 :「迷信」について :2006/11/13(月) 12:38:27 ID:nCCBH4Za
「仏教」は、すべての「迷信」を打破しています。
占い、おみくじ、手相、姓名判断、家相、墓相、お守り、大安や仏滅などの日の善悪、運勢、方角、七福神、霊界、陰陽師、加持祈祷、水子供養、・・・
これらは、すべて「迷信」です。

以下のことも、よく知っていただきたいと思います。
・死んだ人が、生きている私たちを幸せにしたり、不幸や災難にあわせたりする力は全く持っていませんし、また、そのようなことはできません。
・霊が、私たちにとりつくということは、絶対にありません。
・初詣をしても、御利益などありません。(神社にまつってある神など、存在しないからです。)
・「これ」を信ずれば、商売繁盛、病気が治る、家庭円満になる、大学に合格できる・・・などと、言っている宗教や広告は、全くの迷信です。



146 :「仏教」は「真実」です。:2006/11/13(月) 12:39:26 ID:nCCBH4Za
世界には、多数の宗教があります。
「宗教」と聞くと、皆さんの中には、良いイメージをもたれない方がいらっしゃると思います。
現在の日本の新興宗教は、迷信の氾濫ですので、そうなって当然です。
新興宗教に限らず、キリスト教やイスラム教といった古くからあるものも、人々がつくりあげたものであり、「因果の道理」に反することばかり言っており、迷信です。
それに対して、「仏教」(=阿弥陀仏の本願)は「いつでも」「どこでも」変わらない真実です。
何人といえども否定することはできない真実です。
お釈迦さまは、「本当の仏教」以外の宗教すべてを「邪教であるから、信じてはならない」「地獄へおとすものであるから、捨てなさい。」とおっしゃっています。


147 :「仏教」は「真実」です。:2006/11/13(月) 12:46:55 ID:nCCBH4Za
皆さんの中に、何かの宗教を信じている人がありましたら、その宗教を捨てて、「本当の仏教」(=浄土真宗)を聞き求めていただきたいと思います。
「生きる」ということは、苦しいことですから、「本当の幸せになれる教えはないか」と探し求めるのはいいのですが、「間違っているもの」を信じていても「本当の幸福」にはなれないからです。
ひとりぼっちの寂しい心をかかえて生きているのが、私たちです。
その心を完全に理解してくだされている方が、阿弥陀仏という限りなき大慈悲をお持ちの仏さまです。
阿弥陀仏は、なんとしても「永遠に変わらない本当の幸せの身」にしてみせると全力をあげておられます。

地球上、何億の人がいましても、「本当の仏教」にめぐりあえる人は、わずかです。
ほとんどの人が、「本当の仏教」を知ることなく、「ふるさと」ともいうべき「苦しみの迷いの世界」に戻っていくのです。
「本当の仏教」にめぐりあう、「本当の仏教を伝えてくだされる方」にめぐりあうということは、遠い過去からの「仏縁」がないと絶対にありえないことなのです。
「大地」の砂の数ほどの生命が、「地獄」「畜生」といった「迷いの苦しみの世界」で苦しんでいる中で、「爪の上」の砂の数ほどしかいない、生まれがたい「人間」の命を、今、持たせていただいている。
さらに、ほとんどすべての人が「本当の仏教」にめぐりあうことなく、「どう生きるか」しか知らず、死んでいく中で聞きがたい「本当の仏教」とは、どういう教えなのかということを、今、知らされているのは、よほどの仏縁がないとありえないことなのです。

148 :「仏教」は「真実」です。:2006/11/13(月) 12:47:45 ID:nCCBH4Za
どうか「本当の仏教」(=浄土真宗)を聞き求めていただきたいと思います。

「人生の目的」は「後生の一大事」の「解決」です。
私たちにとって、「後生の一大事」というのは、命がけで解決しなければならない「一大事」です。
すべての人が、最も力をいれなければならないことは、「本当の仏教を真剣に聞き求める」ということです。
仏教を真剣に聞き求めていきますと、必ず、「阿弥陀仏の呼び声」を腹底に聞かせていただくことができます。

どんなに、「苦しみのどん底」におちている人であっても、また、生きる希望を失っている人であっても、「本当の仏教」を真剣に聞き求め、「阿弥陀仏」に救いとられた「一念」で、たちまち、「世界一の幸せ者、宇宙一の幸せ者」になれます。
「人生の大勝利者、本当の大成功者」ということになります。

それに対して、一見、あらゆるものを手にいれて、幸せいっぱいの生活を送ったように見える人であっても、死ねば「無間地獄」に堕ちなければなりませんので、仏教を真剣に聞き求めない人は、生まれてすぐに死んだ赤ちゃんと、実は、なんら変わらないのです。

世間で、どんな「大人格者」といわれている人でも、「仏教」を聞かなかったなら、地獄に堕ちます。
反対に、人から「あんな殺人犯が、地獄に行かなかったら、誰が地獄に行くんだ。」と批判されている人でも、心を入れかえて、真剣に仏教を聞き求めていけば、「阿弥陀仏」に救いとられるときが必ずあります。
阿弥陀仏にハッキリと救いとられた一念で「極楽行き間違いない身」となります。

私たちが、「地獄におちるか、極楽に生まれるか」は、阿弥陀仏に生きているときに、「救いとられているか、どうか」で決まるのです。


149 :名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 12:50:46 ID:RhtwbPYI
>>144
仏典にある「心の仕組み」の記述はどういうのがあるの?
>>745
密教はその経典も含めて全滅。唱えるだけで災いが離れ、
いい事が起こると説く観音経、これを含んでいる法華経も
仏教ではなくなるのね。ああそういや、日蓮も下痢で死んでたか。
>>146
>「因果の道理」に反することばかり

例えば?

150 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/11/13(月) 12:55:43 ID:w9lTmKqb
ブッダの教えは真実です。
しかし、阿弥陀仏が実在するかどうかは我々にはわかりませんので、
信じるしかありません。
他宗派の人に信仰を押し付けるのはよくありません。


151 :名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 12:58:25 ID:w9lTmKqb
>>149 五蘊、十八界

152 :「真実の仏教」は「浄土真宗」です。:2006/11/13(月) 12:59:16 ID:nCCBH4Za
「仏教」と聞くと、ほとんどの人は、寺、坊さん、葬式、法事、墓、座禅、修行などを思い浮かべられるかもしれません。
また、「仏教」といったら、倫理や道徳、あるいは、教訓めいたことを教えているのだと思っている人も多いでしょう。
インドや中国を思い浮かべる人も多いかと思います。
あるいは、年寄りくさいもの、古くさいもののように思う人も多いでしょう。
ここまで、この文章をお読みになられた方は、「本当の仏教(=阿弥陀仏の本願)」というのは、今まで思い描いていたものとは、だいぶん違うな、と感じられたと思います。
お釈迦さまの説かれた「仏教」は、「真実」なのです。
「いつでも」、「どこでも」変わらない大宇宙の真実なのです。
この地球上だけではなく、ほかの天体でも、お釈迦さまのような仏さまが、そのすべての仏さま方の先生の仏である「阿弥陀仏」の「本願」(約束)を私たち人間のような生き物に説いておられるのです。
現在、仏教以外に、世界中に多くの「宗教」がありますが、それらは、みんな人間の頭でつくりあげたもので、全くの「迷信」です。
そのようなものを信じていても当然、本当の幸せにはなれません。
「いつでも、どこでも」通用する教えではなく、矛盾したところばかりが多く、幼稚なものばかりです。
それに対して、「仏教」は、大宇宙の真実です。
愚かな我々人間の頭で勝手に作り出したものではありません。
ところが、残念なことに、「仏教」といっても現在、一般的に知られている「仏教」というのは、「聞き誤って伝えられたもの」や「間違って解釈されているもの」が、ほとんどです。
また、親鸞聖人や蓮如上人は、「仏教」を誤りなく正確に伝えられた方々ですが、現在、その親鸞聖人や蓮如上人の教え(=本当の仏教)を解説した書物も書店に、多数、出ています。
しかし、それらの解説書も、「間違った解釈をしているもの」、「大事な核心の抜けているもの」が、ほとんどです。

153 :「真実の仏教」は「浄土真宗」です。:2006/11/13(月) 12:59:54 ID:nCCBH4Za
皆さんの中には、お釈迦さまが、「自分の頭」で考え、つくり出して、人々に教えたものが「仏教」だと思っている人がいらっしゃると思います。
よく知っていただきたいのですが、「仏教」というのは、お釈迦さまが、勝手に考えられたものではありません。
お釈迦さまが、おられても、おられなくても、それに関係なく、大宇宙に常に、存在している教えが、「仏教」なのです。
また、親鸞聖人の教えていかれたことは、今日、浄土真宗といわれていますが、親鸞聖人が勝手に考え出されたものではありません。
親鸞聖人が教えられたことは、お釈迦さまの説かれた「仏教」そのものであって、全く「自分の考え」はいれられておりません。
お釈迦さまや親鸞聖人、蓮如上人は「阿弥陀仏の本願を建てておられる御心(みこころ)」を誤りなく正確に伝えてくだされた「善知識」です。
「阿弥陀仏の本願」を正しく伝えてくだされる方が、おられなかったならば、私たちは、「なぜ生きるのか」「人生の目的」もわからず、「どう生きるか」だけで、一生をはかなく、終えなければなりませんでした。
そして、また、「ふるさと」ともいうべき「苦しみの世界」に戻ってゆかなければならなかったのです。
生まれがたい人間の「生」を受けながら、「なぜ生きるか」を知らないで生きることほど、あわれなことはありません。
「生きる目的」、「人間とは何か」ということが、わからないのですから、当然、「不安、苦しみ」から離れることができません。
ぜひ「本当の仏教」を聞いていただきたいと思います。

154 :名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 13:52:09 ID:nCCBH4Za
私たちの生命は、大きく分けると六つの世界をグルグル、へめぐっているといわれます。
「六つの迷いの世界」 、これを仏教では「六道」といいます。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の「六つの世界」の中を「私たちの生命」は、生まれては死に、生まれては死にを繰り返しているのです。
これを、六道輪廻(ろくどうりんね)といいます。
「畜生」というのは、犬や猫、昆虫、魚、微生物などをいいます。
数え切れないくらいの生き物が、この地球上だけでも、たくさんいます。
ご承知の通り、珍しい変わった生き物もいます。

「地獄」というのは、「苦しみの非常に激しい世界」をいいます。

私たちは、人間以外の世界に生まれることはあっても、人間に生まれることは、たいへん有難いことなのです。
お釈迦さまは、
「地獄に堕ちる者は、地球上の大地の砂の数だとすれば、人間に生まれる者は、手の爪の上にのるほどの砂の数しかいないのだ。」
と、おっしゃっています。

そして、すべての人間は、死んだら必ず、「地獄」(苦しみの絶え間のない、たいへん苦しい世界)に堕ちると、お釈迦さまは、教えておられます。
ですから、「後生の一大事」の「解決」が「人生の目的」なのです。
「後生の一大事」が「解決」できれば、この世から最高無上の幸せの身になりますし、この世の命つきれば、阿弥陀仏の極楽浄土に「仏」として生まれさせていただくことができます。
「仏」の世界は、苦悩が一切ない「絶対の世界」です。
「後生の一大事」が「解決」できたということは、阿弥陀仏のお力によって、「迷いの打ち止め」がなされたということです。
「苦しみ、不安、悩みの世界」から出離することになります。
苦しみ不安の絶えない迷いの「相対の世界」(六道)に戻ることは、二度とありません。

155 :「本当の仏教」は、たいへん聞きがたい :2006/11/13(月) 13:53:17 ID:nCCBH4Za
私たちが「後生の一大事」を「解決」して、死が来ても微動だにもしない「絶対の幸福」の身になるには、「阿弥陀仏の本願」を説かれる善知識のご説法を、真剣に「聴聞」(ちょうもん)させていただかねばなりません。
「聴聞」というのは、仏教(=阿弥陀仏の本願)を聞くことです。
しかし、善知識にめぐりあい、「本当の仏教」を聞かせていただくということは、非常に難しいのです。
お釈迦さまは、たとえで教えられています。
ヒマラヤ山の頂上から、ある人が糸をたらします。
さて、山のふもとにある「一本の針の穴」に糸を通せることができるでしょうか。
「とても、そんなことは、ありえない。」と思われるでしょう。
私たちは、すぐ目の前にある「針の穴」に糸を通すのさえ、やっとなのですから。
ところが、私たちが「本当の仏教」を聞かせていただく御縁にあうということは、それよりも難しいことなのだと、お釈迦さまは、おっしゃっています。
「人生の目的」は、仏教を聞かなければ、絶対に達成できません。
今、皆さんが、本当の仏教を知らされる御縁にあっていらっしゃるのも、ひとえに遠い過去からの仏縁あってのことです。
どうか、真実(=阿弥陀仏の本願)に耳を傾けていただきたいと念じあげます。



156 :「本当の仏教」は、たいへん聞きがたい :2006/11/13(月) 13:54:33 ID:nCCBH4Za
「善知識」というのは、「仏教を正しく伝え教えてくだされる先生」のことです。

157 :名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 17:38:33 ID:w9lTmKqb
>>155 日蓮信者みたいな宣伝しかたをなさりますねぇ。
うだうだ宣伝文句を書くぐらいなら、
教え自体をここで説いてくれればいいのに。

158 :名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 17:47:18 ID:uKaZVRug
全ては一なるもの中での事象である。
という言葉の解釈により同じ仏法でも教えが変わると理解してよろしいか。

159 :名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 22:54:11 ID:w9lTmKqb
>>158 あなたのおっしゃりたいことがよくわかりませんが…。
ブッダの弟子である尼さん達の言葉を集めた
『テーリー・ガーター 尼僧の告白』を読むと、
ブッダに弟子入りして七日で悟った人とかもいます。
彼女達の語るブッダの教えは、そんな複雑な教義じゃないように思います。
五蘊・十八界を聞き、四諦・八正道を実践し、三明を体得するだけ。

160 :名無しさん@3周年:2006/11/17(金) 00:48:57 ID:pl7RXPyr
政治、経済、科学、医学などがいかに進歩しても、不安や不満が解決されません。なぜでしょうか。
 人間関係や病の苦しみ、経済苦なども深刻ですが、それらの根底にある苦しみの根本を知らないからだ、と教えられ、その苦悩の根元が解決されないかぎり、何をやっても、何を得ても、人生は苦しみになるのだと、親鸞聖人は「難度海」とおっしゃっています。
 難度海とは「苦海」ともいわれ、わたり難い海、苦悩の波の絶えない人生のことです。
 苦しみの海に沈む私たちに、親鸞聖人は、
「難度海を明るく楽しくわたす大船がある。その船に乗ることが人生の目的である」
とおっしゃり、その大船が「難思の弘誓」である、と仰せられています。
 難思の弘誓とは阿弥陀仏の本願のことです。
 阿弥陀仏は、地球上で最も偉大なお釈迦さまが、師と仰がれる仏さまです。
 この大宇宙最高の仏・阿弥陀仏が、すべての人を救わんと本願を建てられた。誓願ともいわれ、約束のことです。
 生きる目的がわからず苦しんでいるすべての人を、大安心の絶対の幸福に救い摂り、未来永劫変わらぬ幸せにせずにはおかぬ、との壮大無比な誓いです。
 我々が想像できない、無上殊勝のお約束ですから「難思」といわれ、一切の人が相手の弘い誓約ですから、「弘誓」といわれます。
「難思の弘誓は難度海を度する大船」
 弥陀弘誓の大船のみが、難度の海に沈む我々を、明るく楽しく、乗せて必ずわたしてくださるのです。親鸞聖人は、この大船に乗られた自らの体験を、『教行信証』に、
「大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静に、衆禍の波転ず」
とおっしゃっています。
「弥陀の大慈悲によって建てられた本願の船に乗ったところが、光明輝く広海に浮かんだ」

161 :名無しさん@3周年:2006/11/17(金) 08:29:52 ID:AibnckNO
難しい理屈よりも、念仏すれば死後に極楽へ往けるとはっきり説けば?

162 :名無しさん@3周年:2006/11/17(金) 11:16:03 ID:5SQuzs1k
「弥陀の大慈悲によって建てられた本願の船に乗ったところが、光明輝く広海に浮かんだ」
「大悲」とは大慈悲のこと。慈悲とは、苦を抜き、楽を与えてやりたいとの心です。「抜苦与楽」といい、慈悲の「慈」が「抜苦」を、「悲」が「与楽」を表します。
 子どもが病気のとき、寝ないで看病したり、病院に連れてゆくのは親の「慈」の心です。
子どもの喜ぶものを与えたり、おいしいものを食べさせるのは親の「悲」の心です。
 しかし人間の慈悲はつづかず、不平等です。弥陀の慈悲は、絶対不変で平等の慈悲ですから、大慈悲といわれます。
 弥陀の大慈悲心によって建てられた本願を、船にたとえて「大悲の願船」とおっしゃり、その本願の船に乗ったところが、沈んでいた難度海の人生が、無限に明るい、広い海に浮かんだ、と仰せられます。
 光明の広海とは、いかなる人生であったのか。「人間に生まれてよかった」という最高無上の幸せは、常に変わりませんから「至徳の風静に」と仰せられ、不幸や災難の苦しみの波が、喜びに転じるから「衆禍の波転ず」とおっしゃっています。

163 :名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 11:40:41 ID:O5W+ndjz
阿弥陀なんていない、真実から目をそむけるな
この現実を受け止めろ
すべては想像の産物だった

164 :名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 12:23:33 ID:+QrUuze9
>>163 想像の産物でも、
信じることで気持ちが安定するならいいじゃありませんか。
想像さえうまくできない人でも、
口で南無阿弥陀仏をとなえて気持ちが安定するならいいじゃありませんか。
念仏という行の実践には、修行としての効果があります。
難しい仏教理論を知らない人でも、
阿弥陀仏の教えに釣られて念仏すれば
知らないうちに修行になり、精神が安定し成長してくるのです。


165 :名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 12:58:47 ID:R97qOeDV
信じている本人だけなら、信じて安定で良いんだけどね。
他人に阿弥陀信仰しないと極楽に行けない=地獄行きと
言ってはばからない迷惑な輩もいるんだよね。

166 :名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 17:10:34 ID:O5W+ndjz
「進めば極楽、退けば無間地獄」
…そう、一向一揆のときのように迷惑千万にならないようにね

167 :「御親(みおや)」とは、阿弥陀仏のことです:2006/11/18(土) 23:31:57 ID:Vw5CceZM
1 阿弥陀仏に救われて
  心にかかる雲もなし
  御親の徳に いだかれて     
  寝てもさめても お念仏
2 思えば悲しき きのうまで
  親の願いに背を向けて      
  そしり疑い 日を送り
  逃げてくらすや 我が身なり
3 むなしさだけが 残りえて
   我が身せめられ 暗くなる
   死んだら どこへ行くのやら
   一寸先が まっくらよ
4 暗い暗いで苦しんで
   おつる我が身が知らされた
   聞かにゃならぬが一大事
   我こそ堕つる 逆さまに
5 くらい地獄に堕ちたとき
   弥陀の大声とどろきて      
   光かがやく光明に                   
   つつみ上げられ お念仏  
阿弥陀仏に救いとられた幸せは、1兆円もらったというようなことなどよりも、比べものにならない、はるかにすばらしい、言葉で表現できない、説きつくせない、ものすごい幸せです。
阿弥陀仏の御声(みこえ)が心のドン底へ、ジカに聞こえた一念で、大安心・大満足の境地におどり出させていただけます。
阿弥陀仏に救いとられれば、誰でも、同じくこのような世界に出させていただけるのです。
阿弥陀仏に救いとられた一念で、阿弥陀仏の存在も、極楽・地獄の存在も、因果の道理に間違いないことも、人間の世界は迷いの世界であることも、仏教が真実であることも、ハッキリと知らされるのです。

168 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 00:10:30 ID:v7J7LyIz
根拠も無く見たことも無いのに、すばらしいだの真実だの言う人間は大抵信用できないものである。
根拠を示せ、根拠を

169 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 00:26:15 ID:aZFbNj65
必殺「聖書に書いてある!」
一応、根拠の在るキリスト教の方がマシだね。


170 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 00:31:15 ID:cPXHnmtF
それを言うなら「経典に書いてある」と言うんでないの?どうせ。

171 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 00:32:50 ID:FEEwfejS
>阿弥陀仏に救いとられた幸せは、1兆円もらったというようなことなどよりも、比べものにならない、
>はるかにすばらしい、言葉で表現できない、説きつくせない、ものすごい幸せです。
「だからもっと金を教団に貢ぎたいって思うだろ?
一兆円もらったなんてことも比べ物にならんのだから、
『自分は貧乏暮らししてでも財施させてください』って態度になって当然だろ?」
なんて言いがかりつけてくる奴が出てきそうだね。

172 :オーム浄土真宗:2006/11/19(日) 01:34:03 ID:9KRDdmYE
第四願 たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、形色不同にして、好醜あらば、正覚を取らじ。
わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々の姿かたちがまちまちで、美醜があるようなら、
わたしは決してさとりを開きません
阿弥陀様にお聞きしたいのですが・・あなたの美的感覚で皆同じにされては
困ります
こんなくだらない事をホントにお釈迦様が説いたのでしょうか?

173 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 01:41:48 ID:v7J7LyIz
「阿弥陀は存在しない」
        この真実に気付いたとき、道は開けよう

174 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 16:28:35 ID:X+aAupz4
>>173
方便ですからね。最終的には釈尊の仏法の根本に帰るんです。
阿弥陀はそこに到達するための一つのメソッド。

175 :阿弥陀仏の本願:2006/11/19(日) 17:00:18 ID:/h2WkltL
平成に入って、タレントのAさんが、ガンで亡くなりました。
闘病中、Aさんは
「私は、本当の幸福とは何か、を知るまでは死ぬわけにはいかない。」
と言っておられました。
Aさんといえば、「感じの良い人だ」ということで、たいへん人気のあった人です。
世間的には、成功した人といわれていました。
「立派な家、車、お金、名誉、仲のよい家族」など、多くの人が欲しいと思っているであろうものは、おおよそ、手に入れていた人です。
ところが、絶対に治らないガンになって、死を迎えたとき、今までの「幸せ」すべてが、あっけなく、ガラッガラッと崩れてしまいました。
Aさんは、ガンの宣告をされて、真っ暗な気持ちになったといっています。
Aさんの例でわかるように、いくらがんばっても、いわゆる「相対の幸福」というべきものは、あっけなく崩れるのです。
そして、暗い心をかかえて、暗い世界に、また戻っていかなければならないのです。

それに対して、阿弥陀仏に救いとられ永遠に変わらない、崩れない、壊れない「絶対の幸福」の身になった人は、いざ死んでゆかなければならない時にでも、ニコッと笑っておれるのです。
そして、死ねば「仏」という「絶対の世界」に生まれるのです。

Aさんは知りませんでした。
ここに「本当の幸福」があることを。
ほとんどの人は、Aさんのように、はかなく死んでゆきます。
皆様に、阿弥陀如来の誓願によってハッキリ救われる世界のあることを知っていただきたいと思います。


176 :阿弥陀仏の本願:2006/11/19(日) 17:02:40 ID:/h2WkltL
「なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか」
「どうして自殺を止めるのか」
 この人類最大の問題に、ズバリ答えられているのは、親鸞聖人のみです。
「難思の弘誓は、難度海を度する大船、
 無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり」
“弥陀の光明により無明の闇を、一念で破っていただくこと以外に人類出世の本懐はないのだ”との仰せです。
「無明の闇」とはなんでしょうか。
 これぞ万人共通して百パーセント確実な未来、後生暗い心のことです。老後のない人はあっても、後生のない人はありません。やがて死にゆく先はどうなるか、ハッキリしない心をすべて無明の闇といいます。
 暗い未来に生きるのは、真っ暗がりを突っ走るようなものだから、火宅のごとき不安のみである。それは、迫っている試験、一週間後の手術でさえ、学生や病人の、現在の幸せを奪うのに十分なのと同じです。安心も満足もないのは当然です。
 この不安苦悩の根元である「無明の闇」を一念で破り、難度海を明るく楽しくわたす、大船に乗せていただき、往生一定の身にならないかぎり、絶対に「人身受け難し、いま已に受く」の生命の歓喜はあり得ないのです。
「無明の闇を破するゆえ
 智慧光仏となづけたり
 一切諸仏三乗衆
 ともに嘆誉したまえり」
 人類共通の苦悩の根元である、この「無明の闇」を破れるお方は、一切の諸仏三乗衆の嘆誉する阿弥陀仏の外にはありませんから、『一向専念無量寿仏』に親鸞聖人は、生涯生命を燃焼しつくされたのです。
 聖人は弥陀のお力を、「無碍の光明」といわれ、「慧日」と教えられています。「慧」は阿弥陀仏の智慧、「日」は太陽ですから、「智慧の太陽」ということです。智慧とは、無明長夜の闇を一念でぶち破るお力です。
 そんなお力を持たれた阿弥陀仏の本願ひとつを聖人は、自らが間違いなかったと信知なされ、生涯、説きつづけられました。それが、全人類の人生の目的であるからです。
「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」
と仰せられる通りです。


177 :オーム浄土真宗:2006/11/20(月) 00:11:59 ID:bSgwoLKW
>>176
それではどうすればいいのか?
〇森先生の話を聞くこと・・というところでつっ込もうと思って
待ってるのですが(笑)

178 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 02:32:12 ID:+KmTcAtw
>>172
極楽の修行者たちは空・無相・無願の三解脱門を悟ると、
無量寿経に出てきます。
ですから、姿形に対する差別や執着もなくなるのです。
第四願は、そういう境地を具現するためでは?
目に見える姿形は五蘊の仮和合が創りだす実体のない幻にすぎません(空)。
真実あるがままの真如には、姿形や特徴がありません(無相)。
それに気付いている者は、姿形についての欲や執着がありません(無願)。

179 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 02:50:53 ID:ETQz0swM
残念ながら人間は、物事をあるがままに見るということはゼッタイにできません。
これこそが、仏教が幻想であっていつまでも到達できない所以でもあり、浄土宗の
ようなワープ的な裏業のような紛い物が登場する理由でもある。

180 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 02:53:45 ID:+KmTcAtw
それと忘れがちな点は、
本願を誓ったのは阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩であるということ。
もと国王の法蔵菩薩が世自在王仏に弟子入りして、
修行の意気込みを表明するために誓いを立てた。
誓いの項目を考えた時点では、まだ悟っていなかったわけです。
だから、本願の項目の中には俗世の価値観の混入が見受けられますね。
阿弥陀仏になって悟ったら、もう物質的な執着もなくなっているはず。
しかし、約束は約束、誓いは誓いなので、
昔本願に誓ったとおりの浄土を、そのまま実現されている。

181 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 03:06:08 ID:ETQz0swM
この世で最も愚かな者のひとつは、自分も知らない未知のことを、さもよく知っているかのように他人にもっともらしく話し、しかも頑なな心を持つこと

182 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 06:20:34 ID:eaREYOgP
>>1の言ってる事は意味不明。
知識を自慢したいだけの基地外。

183 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 08:30:22 ID:+KmTcAtw
>>179 ブッタの弟子の僧や尼さんは、何百人単位で悟ってたんです。
岩波文庫の「テーラ・ガーター(仏弟子の告白)」とか読んでみてください。


184 :真実の仏法:2006/11/20(月) 09:07:01 ID:TjT3l7MY
なぜ死が怖ろしいのか。
それは「死んだらどうなるのか」という未知の後生に入って行く不安があるから怖ろしいのです。
これを仏教では、「暗い後生」といい、「一大事の後生」といいます。
親鸞聖人は、「一たび人身を失えば万劫にかえらず、いたずらに後悔を残すことなかれ」(教行信証)
と教え、それ故に蓮如上人は、
「あわれあわれ存命のうちに、みなみな信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」
と、この一大事の後生の解決(信心決定)を急げと叫び続けておられます。
この魂の解決をして、死んでよし生きてよしの無碍の大安心へ雄飛しない以上、苦しみ悩みから逃れることはできません.
一切の人生苦の根源である死の解決こそ一生参学の大事であり、全人類究極の目的なのです。
しかもそれは、真実の仏法、阿弥陀仏の本願力によらなければ絶対に果たし得ない難中之難の大事です。
この一大事の後生の解決のでき得る唯一の道を教える真実の仏法を求めてください。


185 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 10:11:55 ID:ETQz0swM
>>183
当時の悟ったという観念と、現代の悟りの観念とは違う。
現代は完璧な宗教と化している。
根本的に違いがある。

186 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 12:32:46 ID:+KmTcAtw
>>185 たしかに、大乗仏教では仏や阿羅漢をあまりにも超人的なものにしてしまいましたね。
そのせいで、仏や阿羅漢が歴史上実在したということまで、
まるでおとぎ話のように誤解しやすくなる。
正しく修行すれば人間が仏や阿羅漢に成れるということを、
逆に信じにくくしてしまいましたね。

187 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 12:38:23 ID:+KmTcAtw
>>181 あくまでお経の内容について語っているだけであり、
お経の内容が事実かどうかは別問題です。


188 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 12:41:03 ID:+KmTcAtw
>>184 死後の楽園を説く他の宗教と、どう違うのですか?
念仏往生だけでなく、仏教の基礎を説かないと、
一神教との区別がわかりにくいですよ。

189 :真実の仏法:2006/11/20(月) 21:29:19 ID:F4YVCv04
◆「本当の仏教」を伝えられた方々◆
何とか、「人生の目的」は、「後生の一大事の解決」だぞ、と私たちに知らせようとされて
「お釈迦さま」(インド、約2600年前の方)から、はじまり、

龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ) インドの方  約1800年前の方
天親菩薩(てんじんぼさつ)  インドの方  約1600年前の方
曇鸞大師(どんらんだいし)  中国の方  約1500年前の方
道綽禅師(どうしゃくぜんじ)  中国の方  約1400年前の方
善導大師(ぜんどうだいし)  中国の方   約1300年前の方
源信僧都(げんしんそうず)  日本の方   約1000年前の方
法然上人(ほうねんしょうにん) 日本の方  約800年前の方
という7人の方々(七高僧といわれています)、
そして、

親鸞聖人(しんらんしょうにん) 日本の方 約750年前の方
覚如上人(かくにょしょうにん) 日本の方 約650年前の方
蓮如上人(れんにょしょうにん) 日本の方 約500年前の方
が、命を懸けて叫んでいかれました。
(これらの方以外にも、おられます)






190 :真実の仏法:2006/11/20(月) 21:30:08 ID:F4YVCv04
七高僧、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人は、10人とも、阿弥陀仏に救いとられ「人生の目的」をハッキリと達成されています。
すなわち、「後生の一大事」を阿弥陀仏のお力によってハッキリと解決していただいた方々ばかりです。
大安心、大満足の「絶対の幸福」の身になられた方々ばかりです。

これらの方々は、生きているときに、阿弥陀仏にハッキリと救いとられた方々ですので、現在は、「仏」になっておられます。
これらの方々の阿弥陀仏にハッキリと救いとられる体験は、全く一緒です。

阿弥陀仏の呼び声を腹底に聞いた一念で絶対の幸福に救いとられます。
その体験は、とうてい言葉で表現できるものではないので、
「不可称・不可説・不可思議の信楽」と親鸞聖人は、おっしゃっています。

「堕ちるに間違いなし」「助かるに間違いなし」を一念同時に体験し、念々に相続します。

「堕ちるに間違いない自分」とハッキリと知らされるというのは、
「どなた様が助かっても、私一人は地獄行きでございました」
と、ツユリチほどの疑いもなく、ハッキリと「本当の自分の姿」が知らされるということです。
と同時に
『「どんな者も、必ず救いとる」と誓われた阿弥陀仏の本願ほんとうだったぁ』
と、「助かるに間違いなし」とハッキリと知らされ、おどりあがるのです。

これらの方が、お釈迦さまの説かれた大宇宙の真実、本当の仏教(=阿弥陀仏の本願)を誤りなく正確に伝えてくだされたなればこそ、私たちは、今、聞きがたい本当の仏教を聞かせていただくことができるのです。
阿弥陀仏の本願を説いてくださる先生方のご説法を真剣に聞き求め、阿弥陀仏に救いとられている人、すなわち、「後生の一大事」を解決して「絶対の幸福」の身になっておられる人は何人もおられます。



191 :真実の仏法:2006/11/20(月) 21:31:12 ID:F4YVCv04
本当の仏教を誤りなく説いてくだされる方を、仏教では「善知識」(ぜんぢしき)といいます。

古今東西の一般の人達のなかでも、仏縁あって、親鸞聖人や蓮如上人といった「善知識」にお会いでき、そして、
本当の仏教=阿弥陀仏の本願を真剣に聞き抜いて、「人生の目的」を達成して、
現在は、阿弥陀仏の極楽浄土で、もう「仏」になっておられる方々が、たくさん、いらっしゃいます。

阿弥陀仏は、「どんな人をも、必ず、絶対の幸福にしてみせる」と誓っておられます。
特別な人だけではありません。
男も女も、賢い人も、字の読めない人も、どんな極悪人でも、すべての人をありのままの姿で、救いとってくださいます。


192 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 22:31:19 ID:ETQz0swM
浄土宗は仏教の立場では、あくまで新興宗教です。
一緒にして混同してしまわないように。



193 :蓮如上人のご金言:2006/11/20(月) 22:57:20 ID:F4YVCv04
「人間はただ電光朝露の夢幻の間の楽ぞかし。たとひまた栄華栄耀に耽りて思
うさまの事なりというとも、それはただ五十年乃至百年のうちの事なり。
(中略)これによりて、ただ深く願うべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如
来なり、信心決定して参るべきは安養の浄土なりと思うべきなり」(蓮如上人)



194 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 23:09:53 ID:ETQz0swM
>どんな極悪人でも、すべての人をありのままの姿で、救いとってくださいます。

金正日が罰せられず、ありのままの姿で浄土に行けたなら、そこから荷物をまとめて出て行く人はさぞ多かろう


195 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 23:41:59 ID:+KmTcAtw
>>194 どんな悪人も浄土に往けばぴっかぴっかの善人に生まれかわると説かれています。
また、浄土では自分と他人の差別さえなくなるそうですよ。

196 :阿弥陀仏の本願:2006/11/20(月) 23:53:00 ID:F4YVCv04
「人生の目的」は「後生の一大事」の「解決」です。
私たちにとって、「後生の一大事」というのは、命がけで解決しなければならない「一大事」です。
すべての人が、最も力をいれなければならないことは、「本当の仏教を真剣に聞き求める」ということです。
仏教を真剣に聞き求めていきますと、必ず、「阿弥陀仏の呼び声」を腹底に聞かせていただくことができます。

どんなに、「苦しみのどん底」におちている人であっても、また、生きる希望を失っている人であっても、「本当の仏教」を真剣に聞き求め、「阿弥陀仏」に救いとられた「一念」で、たちまち、「世界一の幸せ者、宇宙一の幸せ者」になれます。
「人生の大勝利者、本当の大成功者」ということになります。

それに対して、一見、あらゆるものを手にいれて、幸せいっぱいの生活を送ったように見える人であっても、死ねば「無間地獄」に堕ちなければなりませんので、仏教を真剣に聞き求めない人は、生まれてすぐに死んだ赤ちゃんと、実は、なんら変わらないのです。

世間で、どんな「大人格者」といわれている人でも、「仏教」を聞かなかったなら、地獄に堕ちます。
反対に、人から「あんな殺人犯が、地獄に行かなかったら、誰が地獄に行くんだ。」と批判されている人でも、心を入れかえて、真剣に仏教を聞き求めていけば、「阿弥陀仏」に救いとられるときが必ずあります。
阿弥陀仏にハッキリと救いとられた一念で「極楽行き間違いない身」となります。

私たちが、「地獄におちるか、極楽に生まれるか」は、阿弥陀仏に生きているときに、「救いとられているか、どうか」で決まるのです。


197 :阿弥陀仏の本願:2006/11/20(月) 23:54:45 ID:F4YVCv04
仏教を真剣に聞き求めていきますと「本当の自分の姿」が知らされてきます。
私たち人間の本当の姿は、
「心」は、常に悪を思い、「口」は、常に悪を言い、「体」は、常に悪を行って、いまだかつて、「善のかけら」もない者なのです。
これが、すべての人間の「本当の姿」です。
(これは、仏教を真剣に聞き求めていきますと知らされてきます。)
そういう私たちですから、「因果の道理」によって、必ず地獄におちなければならないということになるのです。
「因果の道理」は、仏教を一貫する「根幹」です。
・善因善果(ぜんいんぜんか)・悪因悪果(あくいんあっか)・自因自果(じいんじか)
善いタネをまけば、よい結果があらわれ、悪いタネをまけば悪い結果があらわれます。
「自分のまいたもの」は、「自分が、かりとらねばならない。」ということです。
「心」の中で、悪いことを思えば、必ず、「悪い結果」として、あらわれます。
「人が見ていないときなら、悪いことをしてもよいだろう。見つからなければよいだろう。」
と、思っている人が、たくさんいますが、それは間違いです。
遅かれ早かれいずれ、「悪い結果」が、必ず自分に返ってくるのです。
「心」で「あいつ、死んでくれたらいいのに」と思えば、それは、「体」で直接、殺さなくとも、たいへんな「悪」です。
「心」で思わないことは、「口」で言ったり、「体」の行いとして、あらわれませんから、「心」が「もと」なのです。
ですから、仏教では、「心」でいろいろ思ってつくる悪、罪が、最も重いと教えられます。
「体」や「口」よりも、「心」を重く見るのが仏教なのです。
私たち人間が、朝から晩まで考えていることは、ろくなことがありません。
「心」で悪いことばかり思っています。
自分のこと、自分の心をよく見つめてみられれば、皆さん明らかでしょう。
そういう「善のかけらもない、悪のつくりどうしの私たち極悪人」を命をかけて「必ず絶対の幸福に救ってみせる」と誓われているのが、「限りなき大慈悲・まことの心をもっておられる阿弥陀仏」です。


198 :阿弥陀仏の本願:2006/11/20(月) 23:55:45 ID:F4YVCv04
阿弥陀仏に救いとられた人は、どんな人でも平等に、すばらしい絶対の幸福の身になることができます。
逆に、阿弥陀仏に救いとられていない人は、暗い苦しみの世界におちます。

では、いったい、どうしたら「人生の目的」「多生の目的」である「後生の一大事」を「解決」して「絶対の幸福」にならせていただけるのかといいますと、お釈迦さま、親鸞聖人はじめ歴代の善知識方は、口をそろえて、
「仏教は聴聞に極まる」
と、おっしゃっています。
「聴」も「きく」、「聞」も「きく」ということです。
「本当の仏教」を「聞いて聞いて聞き抜け!」
ということです。
「極まる」とは、これ以外に道はない、ということです。

阿弥陀仏は生きてまします。
あなたを救うために、常に全力をあげておられます。






199 :阿弥陀仏の本願:2006/11/20(月) 23:58:23 ID:F4YVCv04
私たちの「苦しみ悩みの根元」は「死んだらどうなるかわからない、真っ暗な心」です。
「無明の闇」といわれます。
この「苦悩の根元」を断ち切らない限り、どうもがいても、次から次へと苦悩が生じてきます。
そして、人生は、はかなく、むなしく終わってしまいます。
また、死後には、たいへんな一大事があります。
これは、作り話でもなければ、おとぎ話でもありません。
他人事でもなければ、ひとごとでもありません。
ほかならぬ自分自身のこと、我が身の問題なのです。
苦しまなければならないのが他人であるのなら、自分は遠くから眺めて笑っておれるかもしれません。
しかし、自分が苦しまなければならないと知らされれば楽にはなっておれないはずです。
いやでもその解決に必死になるはずです。


200 :阿弥陀仏の本願:2006/11/20(月) 23:59:20 ID:F4YVCv04
どんな人でも、仏教を真剣に聞き求めていきますと、「自分の本当の姿」を阿弥陀如来のお力によってハッキリと知らされます。
「まことの心が微塵もない己の姿」がハッキリ照らしだされるのです。
「堕ちるに間違いない自分である」とツユチリほどの疑いもなくハッキリいたします。
と同時に「そんな者をお目当ての弥陀の本願、本当じゃったぁ!」と「助かるに間違いなし」とハッキリいたします。
弥陀のジカの呼び声を腹底に聞いた一念で大安心・大満足の永久に変わらない、壊れない、崩れない、死が来ても微動だにもしない「絶対の幸福」に救いとられます。
「阿弥陀さま、申し訳ありませなんだ、このような者をよくぞこの身にしてくだされた」と泣くよりほかにないのです。
阿弥陀如来は、まことの心の全くない私たち、仏教を聞こうという気のさらさらない私たちを強い強いお力で引っ張っておられます。
「何とか何とかわかってくれよ、真実を聞き求めてくれよ」と。
「必ず本当の幸福にしてみせる」と全力をあげておられます。
この文章を読まれている皆さんが、このようなうな形でご縁のあったのも阿弥陀如来のおはからいによるものと思わずにおれません。
愚かでうぬぼれ強い私たちは、毎日、無常のものばかりを追い求めておりますが、無常の世の中で変わらぬものは、阿弥陀如来の本願だけなのです。
この真実をわかっていただける仏縁深い方が、なかなか、いらっしゃらないのが悲しく残念なのですが・・・
お釈迦さま、親鸞聖人、歴代の善知識方は、
「阿弥陀如来、一つに向け、
 阿弥陀如来のみを信じよ。」
と、口をそろえて常におっしゃっておられます。
皆様の仏縁を念じあげます。


201 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 00:05:25 ID:bat7lMvW
たしかに、聞法は大切です。
しかし、浄土教ならば、ちゃんと念仏を説いて欲しいものです。
また、お釈迦様の教えを言うなら、戒・定・慧の三学を説いて欲しい。


202 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 00:19:50 ID:xeBgscXH
>>198
大変残念だが、阿弥陀に救えぬ者など居ない。
従って、
>阿弥陀仏に救いとられていない人は、暗い苦しみの世界におちます。
こんな者など一人も居ない。

俺の知るところに寄れば、あの悪魔の子・ダミアンすらもが、南無阿弥陀仏の名号6文字でいともた易く救われ切って、
無量寿の光に満たされたと聞くぞ。合掌、そして南無阿弥陀仏。

203 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 00:28:45 ID:YxoNOk5F
そして人類は死後、阿弥陀などどこにも居なかったことに気付き、
そして臍を噛みながらこう言うだろう。
   「我々は間違った選択をした!」


204 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 00:53:18 ID:Xdk6xFF4
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所

十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪



205 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 05:13:03 ID:t55QBj3x
どうして「本当の」とか「真実」とかを説明する立場の宗教が
無根拠に本当だとか真実だとか言えるのだろうか。
布教する相手を馬鹿にしているとしか思えない。

206 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 12:50:19 ID:g+7O5uTC
>>205
根拠はお釈迦様の説かれた一切経

207 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/21(火) 13:39:55 ID:WsDie80U
お釈迦さまの説かれた「仏教」は、「真実」なのです。
「いつでも」、「どこでも」変わらない大宇宙の真実なのです。
この地球上だけではなく、ほかの天体でも、お釈迦さまのような仏さまが、そのすべての仏さま方の先生の仏である「阿弥陀仏」の「本願」(約束)を私たち人間のような生き物に説いておられるのです。
現在、仏教以外に、世界中に多くの「宗教」がありますが、それらは、みんな人間の頭でつくりあげたもので、全くの「迷信」です。
そのようなものを信じていても当然、本当の幸せにはなれません。
「いつでも、どこでも」通用する教えではなく、矛盾したところばかりが多く、幼稚なものばかりです。
それに対して、「仏教」は、大宇宙の真実です。
愚かな我々人間の頭で勝手に作り出したものではありません。
ところが、残念なことに、「仏教」といっても現在、一般的に知られている「仏教」というのは、「聞き誤って伝えられたもの」や「間違って解釈されているもの」が、ほとんどです。
また、親鸞聖人や蓮如上人は、「仏教」を誤りなく正確に伝えられた方々ですが、現在、その親鸞聖人や蓮如上人の教え(=本当の仏教)を解説した書物も書店に、多数、出ています。
しかし、それらの解説書も、「間違った解釈をしているもの」、「大事な核心の抜けているもの」が、ほとんどです。
皆さんの中には、お釈迦さまが、「自分の頭」で考え、つくり出して、人々に教えたものが「仏教」だと思っている人がいらっしゃると思います。
よく知っていただきたいのですが、「仏教」というのは、お釈迦さまが、勝手に考えられたものではありません。
お釈迦さまが、おられても、おられなくても、それに関係なく、大宇宙に常に、存在している教えが、「仏教」なのです。
また、親鸞聖人の教えていかれたことは、今日、浄土真宗といわれていますが、親鸞聖人が勝手に考え出されたものではありません。
親鸞聖人が教えられたことは、お釈迦さまの説かれた「仏教」そのものであって、全く「自分の考え」はいれられておりません。
お釈迦さまや親鸞聖人、蓮如上人は「阿弥陀仏の本願を建てておられる御心(みこころ)」を誤りなく正確に伝えてくだされた先生です。

208 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/21(火) 13:41:27 ID:WsDie80U
真実の仏法は、聞きがたいのです。
 その難しさをお釈迦さまは、こう説かれました。
「ヒマラヤの頂上から糸をたらし、ふもとの針の穴に通すことができるだろうか。それよりも難しいことなのだ」

仏教には、何が説かれているのでしょうか。
お釈迦さま一代の教えは、七千余巻の膨大なお経(一切経)となって今日に伝えられています。一切経を何度も読破して聖人は、こう断言されました。

「如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅつせ)
 唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)」   (正信偈(しょうしんげ))

 釈迦如来が、この世に生まれ出た目的は、阿弥陀仏の本願一つを説くためだったのだ、との明言です。
 仏教は弥陀の本願一つと、言い切られるお言葉には一点の曇りもありません。親鸞聖人の大自信です。




209 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/21(火) 13:42:26 ID:WsDie80U
親鸞聖人の著書である『教行信証』には、
阿弥陀如来に救いとられた体験を告白されています。

「噫、弘誓の強縁は、多生にももう、あいがたく、
    真実の浄信は、億劫にも獲がたし。
     たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。

 もしまた、このたび疑網に覆蔽せられなば、
   かえりてまた、曠劫を逕歴せん。
 誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、
   聞思して遅慮することなかれ」(『教行信証』総序)

「ああ……なんたる不思議か、親鸞は今、多生億劫の永い間、求めつづけてきた歓喜の生命を得ることができた。
これはまったく、阿弥陀如来の強いお力によってであった。
深く感謝せずにおれない。もし今生も、無明の闇の晴れぬままで終わっていたら、未来永遠、浮かぶ瀬はなかったであろう。
なんとか早くこの真実、みんなに伝えねばならぬ、知らせねばならぬ。こんな広大無辺な世界のあることを」

210 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 13:52:21 ID:ZD+yShn4
>幼稚なものばかりです。

他の宗教の幼稚なところをあげていってください。

211 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 14:50:51 ID:YxoNOk5F
釈迦は、阿弥陀のことなど唱えていない



212 :阿弥陀如来の誓い:2006/11/21(火) 15:24:19 ID:WsDie80U
仏説は、大宇宙の真理そのものなのです。
そして、それがまったく疑いなくハッキリ知らされるのが、阿弥陀如来のお力によって救いとられるという体験なのです。
救いとられたならば、三世を貫く厳然たる因果律、阿頼耶識こそが私の永遠の命であったということ、そして阿弥陀仏の実在、これらすべてが、まったくの真実そのものであったということがハッキリ分かります。
そしてそのとき、人生の根本的な意味、人間として生まれてきた目的がハッキリ知らされ、生命の大歓喜を味わうことができるのです。
この体験は、親鸞聖人でさえ、「不可称不可説不可思議の信楽」とおっしゃっていますように、体験した本人にすら、不思議としか言いようのないことです。
言葉にならない、しかし、それでいて実にハッキリした体験なのです。
おそらく、千万の言葉を費やして説明したとしても、完全に納得できるものではありません。
また、たとえ、納得したとしても、それは合点ですから、本当の体験ではありません。
火は熱いものだと、いくら説明しても、火の熱さを本当には分かりません。
スイカの味をどんなに説明しても、そのおいしさは納得できません。
親を亡くした悲しみは、どんなに聞いても分かるものではありません。
体験とは、そういうものでしょう。
ただ、これらの場合は、過去同じような体験をしていれば、そこから想像して、なんとなく分かった気になることはあるでしょうが、
阿弥陀如来に救いとられるという体験は、今までまったく味わったことのない体験ですから、想像もできないものなのです。
世の中には、言葉で説明しきれないことはいくらでもありますし、どんな論理的な説明も、相手によっては、納得してもらえないことも、よくあることです。
その人の智恵や学問、経験などによっても、違うでしょう。
そういえば、「バカの壁」などという本もありましたね。
しかし、だからといって「俺の納得できないことは、嘘だ」というのでは、あまりにも子供じみた、幼稚な考えというしかありません。


213 :阿弥陀如来の誓い:2006/11/21(火) 15:25:05 ID:WsDie80U
有名な『歎異鈔』の冒頭に、
「弥陀の誓願不思議にたすけられ参らせて」(第1章)
とあるのは、この阿弥陀如来に救いとられた体験のことです。
「念仏者は無碍の一道なり」(第7章)
とおっしゃたのも、この体験のことです。
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり」(後序)
と言われたのも、この体験です。
「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無きに、
ただ念仏(弥陀の本願)のみぞまことにて在します。」(後序)
という断言も、この体験からおっしゃったのです。
弥陀の本願以外に、この世に確かなものは何もない。
誰がなんと言おうと、何がどうあろうと、弥陀の本願(誓願)は真実なのだ、という不動の信念を親鸞聖人は表明されています。


214 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 16:15:05 ID:YxoNOk5F
釈迦の生涯に、阿弥陀など語ったことは一度も無い
「仏説〜」というのは、ひとつの文章表現であって、派閥の坊さんが自説を自分の名で書いたのでは誰も信用しないので、釈迦が語ったことにして「仏説」と冒頭につけて、論文そのものに信用を持たせようとしたものである。


215 :オーム浄土真宗:2006/11/21(火) 17:48:52 ID:3ks9ffQQ
>>189
・・・という7人の方々(七高僧といわれています)、
そして、

親鸞聖人(しんらんしょうにん) 日本の方 約750年前の方
覚如上人(かくにょしょうにん) 日本の方 約650年前の方
蓮如上人(れんにょしょうにん) 日本の方 約500年前の方
が、命を懸けて叫んでいかれました。
(これらの方以外にも、おられます)

それは→○森先生です!(笑)

216 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 18:21:53 ID:3ks9ffQQ
経典はすべてお釈迦様の直説(じきじきの教え)かと思われていたのですが、実はそうとは言い切れないのです。経典の成立についても適当な機会に詳しく述べますが、覆面の作者が釈尊の名を借りてお経を生み出してきたと主張している仏教学者が結構います。
全面的には賛同しかねる点もありますが、特に浄土経典の場合は確かにいろいろな証拠があり、その通りだと言わざるを得ません。少なくとも釈尊からの本流を伝えた経典であるとは言えないのです。

なぜ、浄土信仰は亜流なのかと言うことですが、それは阿弥陀仏の浄土の教えは思想史の上からいっても、また、宗教学的な見方からいっても、
釈尊の本来の教えとは言えない色々な状況証拠があるのです。
 思想史的にいうと、阿弥陀仏信仰がインド本土では流行したことは立証できません。法顕、玄奘、義浄という中国僧で法を求めてインドまで旅行した人々は、
阿弥陀信仰については、なんら報告をしていないのは奇異なことで、もし、インド、釈尊以来の教えであるなら、その筋道をたどることがある程度できるはずです。

217 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 18:25:58 ID:Ye4NrSsJ
>>214の理論だと信用できる文献などこの世にひとつも無くなるな

218 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 20:01:46 ID:YxoNOk5F
普通に考えて、千年以上もの間、記録も残さずに口頭だけで、あれだけの膨大な情報を残すことができたなら、
それこそ最大の奇跡といえるだろう。つまり口頭で正確に千年も伝えるのは、人間ではできないということ。
歴史学的にみても、後世の人々が、釈迦の伝えたとされる(←ここ重要)言葉を、部分的に拾い集めて
自分たちの派閥宗教団体が独自の解釈とアレンジで編纂したものが、今日の経典というべきだろう。


219 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 20:17:01 ID:xeBgscXH
釈迦がなんと言ったかなど、極論すればどうでも良いことなのである。
お前は釈迦か?違うだろ。無論、おれも釈迦ではない。
ならばなぜ、他人である釈迦の言ったことが、そのまま自分の真実なるのか?
なるはずは無いのだ。
真実がただ経典に書かれたテキストとして自分と関係ないところに存在し、
もし自分がその真実を生きる事が出来なければ、それは他や他所にいかに真実があっても、
それは自分にとっては何の意味も無いものだ。
自らが真実となり、真実を活きなければならん。

自灯明。

220 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 20:40:09 ID:ddqUuFUQ
>>218
経典はお釈迦様の説法の膨大な情報を記録したものなんだけど?
文字データとして残っていれば何千年も伝えることは可能

221 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 20:47:57 ID:YxoNOk5F
>>220 
君は経典が、釈迦が死んで何年後に書かれたと思ってんの?
その文字データというものが無かったのだが?

    

222 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 20:52:21 ID:ddqUuFUQ
>>221
亡くなられた後すぐに弟子たちが結集して書かれたものと聞いてます
原典のサンスクリット語は立派な文字データですが?

223 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 21:27:53 ID:dBzVz4TW
梵語から漢語に訳される時に、訳者の思想・意図が入ったのは明らか。
梵語から日本語に直訳してみると面白いかもしれない。
しかし、仏教界が壊滅するので誰もそんなことをしない。
ま、舎利佛や阿難が認知症になって伝えていたら面白いんだけどね。

224 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 21:28:19 ID:YxoNOk5F
それは間違った情報と思われ

結集したのもすぐじゃないしね


225 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 21:29:03 ID:YxoNOk5F
>>224
>>222

226 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 21:41:53 ID:pT4DoJwr
結集は一度ではなく歴史上、何度にもかけて行われてきました。

227 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 21:44:08 ID:YxoNOk5F
摩訶迦葉が、釈迦の教説(法と律)を正しく記録することの大切さを仲間の比丘たちに訴え、聖典を編纂した。
この編纂会議を結集(けつじゅう、saMgiiti (sanskrit))と呼ぶ。しかし、ここでは現在我々が目にする仏典の成立ではなく、核とも言うべきものが作られた。この編纂会議は、第一結集と呼ばれている。
その後も、仏典はおよそ二百年間は暗記によって保持され、文字に写されなかった。

↑これが一般に言われている経典の形成の仕方だが、最も早く文字化された経典でも200年は暗記によって保持されたとある。経典によっては、千年以上も後にできたのもあるし、とても正確であるとはいえない。

228 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 21:48:47 ID:ddqUuFUQ
>>227
というのも間違った情報

229 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 21:59:00 ID:LThc/pNw
ソースを出さずに言い合いしてるだけじゃあだめだね。

>>227はたしかwikipediaからの引用だな。

230 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 22:16:08 ID:YxoNOk5F
229ノシ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%85%B8
wikipedia

>>228 ソース求む

231 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 23:35:20 ID:3ks9ffQQ
『観世音菩薩授記経』 (空殻訳)
要約: かつて、無量徳聚安樂と名づく世界が示現し、そこに金光師子遊戯如来という仏があった。
この仏国土は阿弥陀仏の安楽浄土に比して毛先の水と大海の違いほども勝れた国土である。
[大正新脩大藏經 0371_,12,0355c01(04) 〜 0371_,12,0355c17(03)]
要約: 阿弥陀仏の滅後、更にその正法が滅した後、夜が明けようとする時に、観世音菩薩は七宝の菩提樹の下において結跏趺坐し等正覚を成就するだろう。
(仏となった観世音菩薩は)普光功徳山王如来と号して、その仏国土は七宝がうまく融け合って荘厳するだろう。
諸仏がガンガー河の沙の数だけの劫をかけてもその様子を説き尽すことはできないが、敢えて譬えて言えば、かの金光師子遊戯如来の国土の荘厳に比して、普光功徳山王如来の国土の素晴らしさは百万千倍、億倍、億兆戴倍、乃至、数量でははかることすらできないほどである。
その仏国土には声聞も縁覚も皆無であり、ただ菩薩のみが充満する。
この国土を衆寶普集莊嚴という。[大正新脩大藏經 0371_,12,0357a07(03) 〜 0371_,12,0357a28(08)]

232 :阿弥陀仏の本願:2006/11/22(水) 12:08:20 ID:q9vwFVXf
「本願」とは、
「すべての人を
 必ず助ける
 絶対の幸福に」
と誓われた阿弥陀如来のお約束のこと。その誓いを果たすために、弥陀がつくられたものが、南無阿弥陀仏の六字の「名号」です。
 例えるならば、本願は「船の設計図」、名号は、その設計図に基づいて造られた「船」にあたります。
「業」とは働きのことですから、
「弥陀の本願によって成就した名号には、私たちを『正定聚』の身にする働きがある」
ということです。
「正定聚」とは「さとり」の位につけられた、名前であります。
 仏教で一口にさとりといっても、全部で52の位があり、「さとりの52位」といわれます。最も高いさとりを仏覚とも、無上覚ともいわれます。
「正定聚」とは、下から数えて51段目、あと一段で仏という位をいいます。
 この位に到達した人は、間違いなく仏のさとりを開くことができるから、
「正しく仏になることに定まった(正定)」
といわれるのです。
「正定聚の身にする働き(正定業)」
とは、すべての人を、何があっても崩れない絶対の幸福に救い摂る、「南無阿弥陀仏」の絶大なお力をいわれるのです。
 阿弥陀仏から、その名号六字の大功徳を頂いたならば、この世は正定聚、絶対の幸福に生かされ、娑婆の縁尽きた暁には、報土往生して阿弥陀仏と同体の仏になることができます。


233 :阿弥陀仏の本願:2006/11/22(水) 12:09:34 ID:q9vwFVXf
報土往生とは、弥陀の浄土へ生まれること。弥陀同体とは、阿弥陀仏と同じく、無量寿・無量光の仏になるということです。
 このように、この世から、未来永遠の幸福に救われるのは、すべて名号六字の独り働きなのです。
 これを聖人は『正信偈』に、
「本願の名号は正定の業なり」
と仰有ったのです。
 蓮如上人は『御文章』に、その大功徳をこう絶賛されています。
「『南無阿弥陀仏』と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり」
   (5帖13通)
〈「南無阿弥陀仏」は、たった六つの文字だから、そんなに力があるとは思えないだろう。しかし、この六字の中には、私たちを最高無上の幸せにする働きがある。その功徳は、まさに広大無辺、極まりがないのだよ〉
 全人類が本当の幸せになるのかどうか、ひとえにこの「南無阿弥陀仏」の六字の名号を頂くか否かにかかっていることが、知らされます。


234 :阿弥陀仏の本願:2006/11/22(水) 12:10:24 ID:q9vwFVXf
では、どうすれば、「その名号」を頂くことができるのか。その解答が、釈迦の「本願成就文」なのです。
「本願成就文」とは、釈迦の説かれた一切経七千余巻の経文の中で、最も重要で、大切なお言葉です。そのことを聖人は、
「『横超』とは、すなわち願成就一実円満の真教・真宗これなり」 (教行信証信巻)
と道破なされています。
 覚如上人も、
「かの心行を獲得せんこと、念仏往生の願成就の『信心歓喜乃至一念』等の文をもって依憑とす、このほか未だ聞かず」      (改邪鈔)
と言われ、「この覚如は、願成就文に示されている教え以外、聞いたことがない」とまでおっしゃっています。
 だから、願成就文以外に、浄土真宗の教えはありません。
 その「本願成就文」に、
「名号を聞信する一念で、絶対の幸福に救われる」
と説破なされているのです。


235 :名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 12:35:02 ID:rTbEpJJ2
>>227 僧侶が声をそろえてお経を唱えるのは、みんなで暗記していたなごり?

236 :阿弥陀仏の本願:2006/11/22(水) 12:35:12 ID:q9vwFVXf
「 真心徹到するひとは
 金剛心なりければ
 三品の懺悔するひとと
 ひとしと宗師はのたまえり」(親鸞聖人)


 人は、何かを信じなければ生きてはいけませんが、金さえあればの金信心、名誉や地位の信心、恋人、結婚、いい会社に就職すればきっと幸せになれる、というような信心は、
死ぬまでキリがなく、これで本当に満足できたということがない。
 いわゆる、死ぬまで求道、死ぬまで不平不満がなくなりません。
 しかし、真実の信心(真心)には、徹到ということがある。徹底して到った、行くところまで行き着いた、完成した、卒業した、
ゴールに入った、人生の本当の幸福(金剛心)を獲得した、ということがあるのだ、この信心決定こそが本当の人生の目的なのだ、ということを教えられているのです。


237 :阿弥陀仏の本願:2006/11/22(水) 12:36:28 ID:q9vwFVXf
超世の悲願聞きしより
 われらは生死の凡夫かは
 有漏の穢身はかわらねど
 こころは浄土に遊ぶなり」(親鸞聖人)

 弥陀の誓願聞きぬいて(信心決定)、まことだったと疑い晴れてからは、もう迷い苦しみの人間ではなくなった。欲や怒りの煩悩は、ちっとも変わらないけれども、心は浄土で遊んでいるように楽しく、愉快なのだ。

 こんな素晴らしい世界があるのですよ。


238 :名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 03:13:54 ID:nJag6kbO
けっきょく、>>228は逃げたのか‥


239 :名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 04:26:01 ID:e9+shNAV
このように後の世の影響を考えず安易に仏説経典を創作した人物が悪いと思う
本当に親〇会の人たちが哀れです

240 :名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 08:44:32 ID:fxC7dizH
親鸞聖人90年のご一生の願いは、
「三朝浄土の大師等
 哀愍摂受したまいて
 真実信心すすめしめ
 定聚の位に入れしめよ」(正像末和讃)
に明らかなように、「真実信心すすめしめ、定聚の位に入れしめよ」
ただ一つでした。
 親鸞聖人が、三朝浄土の大師等と呼びかけておられるのは、インド、中国、日本の三国の高僧知識方のこと。インドでは釈尊を始め龍樹菩薩、天親菩薩、中国では曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、日本では聖徳太子や源信僧都、法然上人のことです。
 これらの方々に親鸞聖人は、どうか
「真実信心すすめしめ、定聚の位に入れしめよ」
と哀願しておられます。
「真実信心すすめしめ、定聚の位に入れしめよ」
ということは、一切の人々に真実信心をすすめて1日も早く信心決定(定聚の位)に導いて頂きたい。
 親鸞も全力あげてはおりますが、無碍の一道(信心決定)へ出て下さる方が少ないので困っております。どうか親鸞に力を借して下さい、とお願いになっているのです。
 1人でも多く1日も早く、人生の目的である真実信心決定して貰いたいと、唯それのみを願い続けられた親鸞聖人の御心がよく分かります。


241 :名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 08:46:41 ID:fxC7dizH
蓮如上人85年の願いもまた同じく、1日も早く1人でも多く信心決定して、絶対の幸福になって貰いたいの熱望一つでありました。
「あわれあわれ存命のうちに、みなみな信心決定あれかしと朝夕思いはんべり。まことに宿善まかせとはいいながら述懐の心しばらくも止むことなし」(御文章4帖15通)
のご遺言で明白です。
 存命のうちに、みんなの人が信心決定して人生の目的を果たして貰いたい、このこと一つを朝夕思い続け、願い続けてゆかれたのが、蓮如上人でありました。
「この信心を獲得せずば極楽には往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり」(御文章2帖2通)
と警告し、
「一日も片時も急ぎて信心決定すべし」(御文章4帖13通)
と願い続けてゆかれたのは親鸞聖人と全く同じでありました。
 私が一日安逸を貪れば、それだけ多くの人々を地獄へ堕としているのだ。この一大事の後生を思うとジッとはしておれない。
 この世のことは夢幻の楽しみではないか。
「たといまた栄華栄耀に耽りて思うさまの事なりとも、それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。
もし只今も無常の風きたりて誘いなば、如何なる病苦にあいてか空しくなりなんや。
まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず」(御文章1帖11通)
 しかしこの信心を決定さえすれば、生きてよし死んでよし、有ってよし無くてよし、善もほしからず悪もおそれず、
あるがままで光明の広海を慈航させて頂き、この世も未来も変わらぬ幸福を体得させて頂けるのだから、早く信心決定して、この不可称、不可説、不可思議の妙境に出なさいよ、の願い一つに生きぬかれました。


242 :名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 00:48:50 ID:e1MilBi1
『観無量寿経』も古代インドではなく西域で書かれたことが分かっている。
更に、安世高の『無量寿経』漢訳というのもアヤシイ。インドからの経典をなぜパルティア人が
翻訳しなければならないのか? 当時、パルティアはミトラ教を国教としていた筈。
『無量寿経』はサンスクリット底本があるとしても、本当にインド仏教の下で書かれた物か? 経典その物を怪しんでいるのではなく、インド仏教かどうかを怪しんでいるのである。無量寿 = 永遠の命 〜 ズルワーン 〜 クロノス という関係や、
無量光 = 神格化された太陽 〜 ミトラ という関係を見てしまうわけである。
ミトラの密儀は、一つにミトラ神との出会いを求めるものであった。
曇鸞は、浄土教という仏教教義を見事に体系づけたのであるが、乱暴な面もないではなかった。
帰依すべき経典を『阿弥陀経』、『無量寿経』及び『観無量寿経』とした。いわゆる浄土三部経である 曇鸞は、
龍樹が『十住毘婆沙論』の「易行品」で念仏往生を勧めていると書いた。
しかし一部を引いただけであり、『十住毘婆沙論』では勧めているのではなく「方便」として書かれてあった 更に、
もう一人の仏教理論家である世親の『浄土論』も世親の書ではなく、西域の誰か又は曇鸞自身が書いたようである。

243 :名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 02:53:53 ID:vhPJJK0J
>>242 そういう説があるのは事実ですよね。
仮に、浄土教が仏教ではないと確定したとします。
浄土教信者には二つの道があります。
仏教ではなくなった新宗教である浄土教にとどまるか、
仏教徒であるからブッダの仏教を求めて他宗派に転向するか、です。
教団まるごと宗旨変えするというのは現実的に無理でしょうから、
各個人が教団を選びなおすしかない。


244 :名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 10:25:09 ID:D8ydNMj4
つまり、いくら念仏を唱えたところで、浄土にいけないことに気付くのである

245 :名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 10:32:42 ID:8jWJhvDC
ブッダの仏教ってどこにあるの?

246 :名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 17:22:25 ID:vhPJJK0J
>>日本テーラワーダ仏教協会

247 :名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 19:11:56 ID:RqZ3uBIy
242自身も誤りだし、242が正しいとよりどころとした解説書も誤りなのに気づきなさい。
阿弥陀仏の本願は厳存いたします。

248 :名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 19:49:37 ID:sadeJiA+
それを証明しないと相手に「気付かせる」なんて無理。
自分が信仰するだけなら、そのままで十分だろうが。

249 :名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 19:50:50 ID:D8ydNMj4
阿弥陀存在の根拠も曖昧なら、解説書が誤りだって指摘も曖昧ってことになるね。
それを示せない限りは、どれだけ信じろっていっても無駄だろ?

よーするに、思いこみってことだよ

250 :名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 19:52:41 ID:D8ydNMj4
阿弥陀が存在しているのは事実ではないが、
阿弥陀が存在していて欲しいという期待を持つ者がこのスレを立てたのは事実。

つまり、これが真実

251 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 00:26:05 ID:sOrYv1o+
結局誰も本当のことは解らないってことでFA?

252 :阿弥陀仏の本願:2006/11/26(日) 00:51:43 ID:FPG//KOL
阿弥陀仏の本願は、大宇宙の真理そのものなのです。
そして、それがまったく疑いなくハッキリ知らされるのが、阿弥陀如来のお力によって救いとられるという体験なのです。
救いとられたならば、三世を貫く厳然たる因果律、阿弥陀仏の実在、これらすべてが、まったくの真実そのものであったということがハッキリ分かります。
そしてそのとき、人生の根本的な意味、人間として生まれてきた目的がハッキリ知らされ、生命の大歓喜を味わうことができるのです。
この体験は、親鸞聖人でさえ、「不可称不可説不可思議の信楽」とおっしゃっていますように、体験した本人にすら、不思議としか言いようのないことです。
言葉にならない、しかし、それでいて実にハッキリした体験なのです。
おそらく、千万の言葉を費やして説明したとしても、完全に納得できるものではありません。
また、たとえ、納得したとしても、それは合点ですから、本当の体験ではありません。
火は熱いものだと、いくら説明しても、火の熱さを本当には分かりません。
スイカの味をどんなに説明しても、そのおいしさは納得できません。
親を亡くした悲しみは、どんなに聞いても分かるものではありません。
体験とは、そういうものでしょう。
ただ、これらの場合は、過去同じような体験をしていれば、そこから想像して、なんとなく分かった気になることはあるでしょうが、
阿弥陀如来に救いとられるという体験は、今までまったく味わったことのない体験ですから、想像もできないものなのです。
世の中には、言葉で説明しきれないことはいくらでもありますし、どんな論理的な説明も、相手によっては、納得してもらえないことも、よくあることです。
その人の智恵や学問、経験などによっても、違うでしょう。
そういえば、「バカの壁」などという本もありましたね。
しかし、だからといって「俺の納得できないことは、嘘だ」というのでは、あまりにも子供じみた、幼稚な考えというしかありません。
つまり、阿弥陀如来の存在を完璧に否定できるほど賢い人などいないのです。
とにかく、まず、我が身の愚かさを自覚していただきたいのです。
決して、うぬぼれてはならないのです。



253 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 01:18:49 ID:DXzUiDNZ
あなたが引き合いに出した親鸞でさえ、心底信じてはいない。
ひょっとしたら間違いかもしれないという告白をしている。
彼は、仏教で私が救われることはあり得ないと知っていたから、浄土の教えを
信じるより他に道をしらないので法然がデタラメをいっていたとしても
私は後悔しないと断言している。
故に、阿弥陀の存在は親鸞も確信はしていない。他に信じるものが無かっただけ。

バカの壁も、人によってご都合主義に解釈されてしまう。物は言いよう。
自己マイコンのかかった詭弁家には何をいっても無駄

254 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 01:28:43 ID:sOrYv1o+
>>253
自己マイコンのかかった詭弁家ってあなたのこと?
もうちょっと親鸞聖人のこと勉強してから来なさい

255 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 01:34:19 ID:DXzUiDNZ
親鸞は聖人ではありませんから
あなたこそ、勉強しなさい。
親鸞は、自分の宗教を信じていないかもしれないと正直に告白した唯一の宗教家として、世界的に知られている。

256 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 01:44:59 ID:sOrYv1o+
>>255
なんだ、ただの池沼だったのか
無知すぎて話にならん

257 :阿弥陀仏の本願:2006/11/26(日) 01:55:27 ID:FPG//KOL
253は誤った解釈そのものですね。

お釈迦さまの説かれた「仏教」は、「真実」なのです。
「いつでも」、「どこでも」変わらない大宇宙の真実なのです。
この地球上だけではなく、ほかの天体でも、お釈迦さまのような仏さまが、そのすべての仏さま方の先生の仏である「阿弥陀仏」の「本願」(約束)を私たち人間のような生き物に説いておられるのです。
現在、仏教以外に、世界中に多くの「宗教」がありますが、それらは、みんな人間の頭でつくりあげたもので、全くの「迷信」です。
そのようなものを信じていても当然、本当の幸せにはなれません。
「いつでも、どこでも」通用する教えではなく、矛盾したところばかりが多く、幼稚なものばかりです。
それに対して、「仏教」は、大宇宙の真実です。
愚かな我々人間の頭で勝手に作り出したものではありません。
ところが、残念なことに、「仏教」といっても現在、一般的に知られている「仏教」というのは、「聞き誤って伝えられたもの」や「間違って解釈されているもの」が、ほとんどです。
また、親鸞聖人や蓮如上人は、「仏教」を誤りなく正確に伝えられた方々ですが、現在、その親鸞聖人や蓮如上人の教え(=本当の仏教)を解説した書物も書店に、多数、出ています。
しかし、それらの解説書も、「間違った解釈をしているもの」、「大事な核心の抜けているもの」が、ほとんどです。
皆さんの中には、お釈迦さまが、「自分の頭」で考え、つくり出して、人々に教えたものが「仏教」だと思っている人がいらっしゃると思います。
よく知っていただきたいのですが、「仏教」というのは、お釈迦さまが、勝手に考えられたものではありません。
お釈迦さまが、おられても、おられなくても、それに関係なく、大宇宙に常に、存在している教えが、「仏教」なのです。
また、親鸞聖人の教えていかれたことは、今日、浄土真宗といわれていますが、親鸞聖人が勝手に考え出されたものではありません。
親鸞聖人が教えられたことは、お釈迦さまの説かれた「仏教」そのものであって、全く「自分の考え」はいれられておりません。
お釈迦さまや親鸞聖人、蓮如上人は「阿弥陀仏の本願を建てておられる御心(みこころ)」を誤りなく正確に伝えてくだされた先生です。




258 :阿弥陀仏の本願:2006/11/26(日) 01:56:55 ID:FPG//KOL
253は、自信たっぷり間違った解釈しています。

259 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 01:57:50 ID:DXzUiDNZ
信じるのは自由さ
だけど事実だよ?
親鸞は凡人さ。オナニーもしてたし、女みるとムラムラしてたし、気が短くすぐかんしゃく
起こしてたしね。
今の親鸞像は、死後、浄土真宗の坊さんたちによって美化されてきたのさ。
蓮如も親鸞の真意を理解できずにいた。後の真宗は権力争いがメイン。
西本願寺と東本願寺の内部争いをみても、その滑稽さが分かる。
本願寺の坊さんが、夜には女遊びに出歩いているのは街の者なら皆知っていること。
だからこそ、親鸞には聖人であってくれなきゃ困るのさ。
>>256を見ても、宗教にどっぷり浸ってる奴は冷静に物もみれない。
宗教って恐いネ☆

260 :阿弥陀仏の本願:2006/11/26(日) 02:02:08 ID:FPG//KOL
259の書き込みこそレベルの低い無知そのものなのです。
全く気づいてないところがお粗末です。愚かです。

阿弥陀如来に救いとられた二種深信の世界は、うかがい知ることが出来ないのは無理もないが。


261 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 02:02:48 ID:DXzUiDNZ
>>257 浄土の教えは釈迦は全く感知してない。これは法華経にもいえる。
浄土の教えは、後に創作され、日本でアレンジされたもの。
いわば、新興宗教。


262 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 02:05:09 ID:DXzUiDNZ
>>260
窺い知ることのできないものを、あると自信たっぷりにいえることこそが、
正気の沙汰ではないことに気付くべし。
願望と事実とは全く違う。

263 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/26(日) 02:05:30 ID:FPG//KOL
261は、どこで聞きかじったか、誤った解釈を盲信していますね。
重症ですね

264 :阿弥陀仏の本願の厳存:2006/11/26(日) 02:08:17 ID:FPG//KOL
262さんは、「自分の知っている世界こそがすべてなのだ」とうぬぼれていますね。
あなたの知らないところに、たいへんな真実があるのです。
謙虚な姿勢を持ちましょう。
真実は聞きがたいのです


265 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 02:09:25 ID:DXzUiDNZ
>>263は、経典の贋作をすっかり信じ込んで、誤った信心を持って妄信しながら猛進してますね。
死後にそれに気付くことでしょう。
○○は死ななきゃ治らないというのは、本当だったのか。

266 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 02:11:24 ID:DXzUiDNZ
>>264
へ?浄土真宗を信じてない人は普通に抱く意見ですが?
あなた真理って言葉何かしってるの?
経典ばかり読んでいるから、脳内が線香臭くなってんじゃないの

267 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 02:13:24 ID:DXzUiDNZ
>>265
あなたが人に耳を傾けず、自説をなだれのように書き込む姿が謙虚ですか?

268 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 03:17:29 ID:vvBK0JjG
>>265
極論すれば、経典には真実など全く一行も書かれていないのです。
またもし真実などと言う物が仮にあったとしても、それが経典の中にだけあったならば、
あなたや私にとっては何の意味も無い、他所の世界の出来事と何ら変らないものです。
火星の砂嵐が貴方の人生に何の影響も無いのと同じです。
経典に書かれた真実を自分が生きること、それが大事。
鏡を見なさい、仏が映ってるでしょう。あなた自身が仏です。

自灯明

269 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 03:23:28 ID:vvBK0JjG
>>261
釈迦の教えなど、極論すればどうでもいいのです。貴方は釈迦ですか?
違うでしょう。ならば釈迦と同じ真実を生きることは出来ない。
自分の真実でもあり、釈迦の真実でもある何かしら真実があれば、
それが大事かもしれないと言う、それだけのことです。
各時代にそれぞれのエライさんが自分の真実を書き込んだだけです、それが経典。

自分は釈迦ではない、だが遠い向こうに釈迦の何かしらから伝わってきたに相違ない何かしら
宝がある。それでいいじゃないですか。大事なのは、あなたにとってはあなただし、私にとっては私。
経や書物に書かれた何かが正しいとか間違ってるなんて、どうでもいいのです。
あなたや私が、その人間が正しければ、それでいいじゃないですか。

自灯明

270 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 03:51:16 ID:WBHTbNDH
>大事なのは、あなたにとってはあなただし、私にとっては私

本当にそうですね 私は時間と金がムダなので親〇会には絶対入会しないです

271 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 08:54:20 ID:wGSBnlfQ
嘘でもいいじゃん
詐称でもいいじゃん

にんげんだもの

272 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 10:38:32 ID:DXzUiDNZ
つまりそれが仏教クオリティ

273 :金有財:2006/11/26(日) 12:58:34 ID:exNSGvoq
>>271
さすがの覚悟。
でも、嘘やサギでいいなんていう考えは、?
まあ、仏教なんてどうでもいいということなんですね。

宗教を選ぶの自分であるわけですが、嘘でもいいわけなんですね。

274 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 21:03:18 ID:DXzUiDNZ
つまりそれが仏教クオリティ

275 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 22:15:22 ID:UBkgy47W
仏陀自身が仏説を文字に残すことを否定したらしいからね。
当時の印度ではすでに文字が使われていたのに、記録の機会をみすみすドブに捨てた。

結果が大乗のような惨状。原始仏典すらも釈迦の言葉そのままではない。

276 :阿弥陀仏の本願:2006/11/27(月) 20:22:31 ID:fXDe2utB
「人生の目的」を教えられたのが、仏教を説かれたお釈迦さまです。
では、万人共通唯一の「人生の目的」は何であるのか。

それは、「後生の一大事の解決」です。
「後生の一大事」(ごしょうのいちだいじ)、これは、「すべての人」がもっている問題です。
そして、その「解決」をしなければならない、ということなのです。

では、「後生の一大事」とは、どういうことなのか。
まず、「後生」とは、死後のことです。
私たち、今、生きていますが、死ねば「後生」なのです。

飛行機にたとえますと、私たちが、「生まれたとき」が空港から「飛び立ったとき」です。
そして、「生きている」ということは、「飛んでいる」ということです。
この飛行機の「飛び方」には、「いろいろ」あります。
それが、「どう生きるか」ということです。
「低いところを飛ぶ」とか、あるいは「高い成層圏を飛ぶ」とか、「速く飛ぶ」とか「遅く飛ぶ」とかです。
けれども、飛び立った飛行機に共通していることは、何かと言いますと、「必ず降りなければならない」ということです。

「さて、降りなければならない」と、下を見たところ、太平洋のど真ん中であると。
見渡す限り水ばかり。島かげ一つない。
この飛行機は墜落あるのみ。
そうなったときが、この「飛行機の一大事」
飛行機は、必ず堕ちる。
飛行機の中で、どんな「どんちゃん騒ぎ」をしていても、必ず堕ちなければならないのです。

これが「後生の一大事」です。
お釈迦さまの、お言葉で言うと「必堕無間地獄」(ひつだむけんじごく)
「無間地獄に必ず堕ちる」ということです。
私たちは、日々、罪、悪をつくりどおしなので、その結果として、死ねば地獄(苦しみの激しい世界)に堕ちるのです。



277 :阿弥陀仏の本願:2006/11/27(月) 20:23:48 ID:fXDe2utB
私たちは、上記の飛行機と同じで、生まれたからには、必ず死ななければならない。
「後生の一大事」とは、死んで必ず地獄に堕ちなければならないということです。
「古今東西のすべての人」がもっているのは、この「後生の一大事」です。
やがて墜落しなければならない。
そこは、底の知れない深い海。
これは、100%のことです。

機内で、どんな機内食を出されても満足できない。
機内で、どんなに楽しく過ごそうとしても不安、苦しみ、悩みが常にあり、絶えることがない。
ひとりぼっちの寂しい心がある。
心からの満足・安心が、毛頭ありません。

それは、この一大事をもっているからです。

「景気が回復するか心配だ、
 雇用が不安だ、
 年金がもらえるだろうか、
 老後が不安だ、
 環境問題が深刻だ、
 食の安全性が心配だ、
 地震・台風が怖い、
 交通事故がこわい、
 戦争やテロが怖い、
 病気やケガはいやだ、
 ガンやSARSが恐ろしい」
と、世間で大きな問題とされておりますことは、そもそも、その不安・恐怖の根底に、「死」に対する不安・恐怖があるからです。

言いかえれば、後生の一大事があるからなのです。



278 :阿弥陀仏の本願:2006/11/27(月) 20:24:30 ID:fXDe2utB
私たちは、数日後に楽しい予定がある、たとえば「旅行に行く」ということが決まっていれば、旅行に行く前から、明るく楽しい気分になっています。
逆に、数日後に、たいへんな難手術をされると決まっていれば、その手術前からでも、暗く不安になってしまいます。

同様に、「死んで、どうなるかハッキリしない」、「未来」が真っ暗がりですと、「今」現在も真っ暗がりとなり、生きていても喜びがないのです。

この後生の一大事の解決をしない限り、何をしても、どうなっても、心からの安心も満足も絶対に得られないのです。
ですから、これを「解決」するために、生きねばならないのです。
この「解決」を教えられたのが仏教です。

仏教は、「人生の目的」は「後生の一大事の解決」であると、その目的を教え、また、それを「解決する方法」を教えているのです。

そして、その「お釈迦さまの説かれた仏教」を正確に伝えていかれた方が、今から約800年前、日本の京都にお生まれになった親鸞聖人(しんらんしょうにん)です。
鎌倉時代の人で、90才まで生きられました。
「親鸞聖人の教えられたこと」は、「お釈迦さまの教え」以外にはなかったのです。
まず、このことをよく知っていただきたいと思います。
「それまで誰も説いたことのない教え」や「自分の考え」を教えられたのではありません。

平生、生きているときに「後生の一大事」は明らかに「解決」できると教えていかれました。
死んでからではなく、生きている現在、ハッキリと「人生の目的」を「達成」することができると教えていかれました。



279 :阿弥陀仏の誓願:2006/11/27(月) 20:27:14 ID:fXDe2utB
飛行機のたとえでいうならば、「人生の目的」である「後生の一大事」が「解決」できたということは、いつ燃料が切れても安全に着陸できる飛行場を確保したということになるのです。
成田空港の何億倍、何兆倍といった大きさの空港を確保したということになるのです。
降りるところが、完璧に確保されていますから、空の旅を思う存分に満喫できるというわけです。
未来がハッキリ明るいわけですから、現在から、雲ひとつない明るい心に晴れわたっています。
私たちの苦しみ悩み、不安の根元である「後生の一大事」が「解決」されたのですから、大安心・大満足の最高無上の幸福の身になるのです。

「なぜ生きるか」「人生の目的」とは、何であるかということをハッキリと教え、その「人生の目的」を「達成」するには、どうすればよいのかということも、ハッキリと教えているのが「仏教」です。
「どう生きるか」ということだけを問題にしている政治、経済、科学、医学、法律、倫理、道徳、教育、福祉、芸術・・・に力を入れている以上に、すべての人間にとって根本に大切な「なぜ生きるか」ということを教えている「仏教」を聞かなければならないのです。
知らなければならない、求めなければならないのです。


280 :名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 20:44:20 ID:Iuiv3AZL
キリスト教質問箱でのダニエルみたいw

281 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/11/27(月) 23:31:32 ID:ud9WcSvE
>>279 この人生の目的は、死後に極楽浄土に往生することですね。
極楽浄土に往ったあとの目的は、戒・定・慧の三学を修めて修行完成者となり、
他者を導くために迷いの世界に還ってくることです。

282 :名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 23:32:53 ID:fanw/Pat
地獄も無ければ極楽も無い。
地獄があると思うものには地獄があり、
極楽があると思うものに極楽がある。
すべては伝説とあなたの頭がつくりだした幻想

283 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/11/27(月) 23:35:21 ID:ud9WcSvE
>>282 そのとおり。人生の目的の達成も頭が創りだします。
人生が完成したと信じられた人にとっては、人生は完成されているのです。
幸せも頭が創りだします。
自分が幸せだと信じられた人は、幸せです。

284 :誓願不思議:2006/11/28(火) 14:28:07 ID:nyjYgm6Y
阿弥陀如来は、朝から晩まで五欲にまみれ、まことの心の全くない私たち、仏教を聞こうという気のさらさらない私たちを強い強いお力で引っ張っておられます。
「何とか何とかわかってくれよ、真実を聞き求めてくれよ」と。
「必ず本当の幸福にしてみせる」と全力をあげておられます。
大慈大悲の阿弥陀如来に思いを馳せていただきたいのです。


285 :誓願不思議:2006/11/28(火) 14:31:00 ID:nyjYgm6Y
ほとんどの人は、金や名誉、健康な体がないのが苦しみの根元だと思い一生懸命それらを求めています。
苦悩の根元は、「無明の闇」です。
「今、死んだらどうなる」と、魂にわらじを履かせて後生へ踏み込んだ時、真っ暗になる心です。
私たちの腹底に「無明の闇」があるために、何をやっても満足できず、むなしい、不安な気持ちが消えないのです。
その無明の闇をブチ破り、無碍の一道へ出る、絶対の幸福の身になることこそ、万人共通、人生究極の目的なのです。
苦悩の根元である「無明の闇」を破る力があるのは、大宇宙広いといっても阿弥陀如来しかおられません。
阿弥陀さまは、仏の命をかけて「若不生者 不取正覚」と誓われております。
「生」は一念で無明の闇を破り、真の幸福(信楽)の身に生まれさせてくださるということです。
私たちが人間に生まれた唯一の目的は、超世の悲願である阿弥陀如来の本願を聞き、「無明の闇」を破っていただくことです。
人身は受け難く、人の命はもろい、はかないものです。
時間はありません。
一切の苦難を乗り越え、仏法を聞き求め後生の一大事の解決をしていただきたいと思います。


286 :名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 08:27:18 ID:ZW/jopiz
つ偶像礼拝

287 :阿弥陀如来の誓願の船:2006/11/30(木) 08:49:11 ID:6As6+Fqh
人生は、楽しみもありますが、苦しみのほうがもっと多いのです。
これからも皆さん、そうなのです。
仏教では、人間は海に浮いているようなものだとたとえられています。
近くに漂う丸太や板切れは、健康や妻、子供、お金、地位や名誉です。
丸太にすがった時は、やれやれと思う。しかしそれらは浮いたものですから、やがてクリーッと回って、私たちを裏切ります。
潮水のんで苦しまねばなりません。
「どうしても欲しい」と望んでいたものを手に入れても、その喜びは一時的です。受験生は大学に合格した時は、「やったぁ」と思うでしょう。胴上げされている時は夢見心地ですが、その感動が一ヵ月と続いたでしょうか。
こんなもののために、一生懸命ねじり鉢巻きで勉強していたのか。
バカバカしい。そんな心さえ出てきます。
 そこで今度はまた別の丸太を求めて、苦しむのです。どこまでいっても苦しみ続けて、死んでゆく。
そんな姿は、愚かです。
一つの波を乗り越え、やれやれと思う間もなく次の波がやってくる。
 受験地獄、就職難、突然の解雇、借金の重荷、隣近所とのいざこざ、家庭や職場での人間関係、病苦、肉親との死別、老後の不安…
 人生は苦しみの波が絶えません。
 苦しみの波にほんろうされる私たちは、何かにすがらずにおれません。近くの丸太ん棒や板切れ求めて、必死に泳いでいます。
 不況の波に負けまいと、会社という丸太ん棒にすがりつきますが、リストラされて潮水のんで苦しむ。健康に突如見放され、病気の波にのみ込まれて嘆く。恋人という板きれに裏切られ、肉親との死別という大波にもまれて泣く。
 だれもが苦しみにあえぎつつ生き、最後すべてに捨てられ、独りこの世を去っていく。
「独生独死 独去独来」と、お釈迦さまが説かれている通りであります。
 これでは私たちは、何のために生まれてきたのか、生きているのか、なぜ生きねばならないのか分かりません。
私たちは決して、苦しむために生まれてきたのでもなければ、生きているのでもないはず。
“人間に生まれてよかった”という本当の幸福になるために生きているのです。
 果たして、遠い過去から苦海をさまよい続けてきた私たちに、真の救いはあるのでしょうか。
 ただ一つある、と親鸞聖人は明言されています。それは、“弥陀弘誓の船”であると。

288 :阿弥陀如来の誓願の船:2006/11/30(木) 08:52:12 ID:6As6+Fqh
弥陀の弘誓とは、
“苦悩の元を断ち切り、永遠の幸福に救う”
と誓われた、弥陀の本願のことです。それは、すべての人を救うという、とてつもなく広い約束ですから、弘誓といわれています。
 ほかに救われる道があるなら、「のみ」とは言われません。苦海を渡す大船は、唯一なのです。
 ただ弥陀弘誓の船だけが、苦海の人生を明るく楽しく浄土まで渡してくださるのです。
“よくぞ人間に生まれたものぞ”という、安楽無上の人生は、ここに開かれるのです。

「なぜ生きるか」を、まず考えてみてください。そして浄土真宗を学んでください。テレビや新聞で誰も教えてくれないから、
皆さん知らないかもしれませんが、仏教では、陸地をハッキリと教えています。頑張ってる人、苦しんでる人にこそ聞いてもらいたいのです。本当の幸福とは? 本当の人生の勝利者とは? どうか、ご縁がありましたら耳を傾けてくださいね。


289 :名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 09:15:39 ID:ZW/jopiz
つ偶像礼拝

290 :オーム浄土真宗:2006/11/30(木) 15:07:00 ID:Im9s6Cwy
>>1
あなた自身は信心決定されているのですか?
どうも消去法と集団心理の元で単なる仮説を粉飾していったり
疑問を自分の中に押し込めているような気がしますが
あなたが信心決定しているならここで説いて私を信心決定させなさい
見事信心決定した場合は謝礼をさし上げます(笑)


291 :名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 15:29:32 ID:KXsZaQm/
>>290
そのよおな気持ちでは100万年聞いても
もうとう信心決定できんぞ!

292 :オーム浄土真宗:2006/11/30(木) 15:44:12 ID:Im9s6Cwy
「そのよおな気持ち」ってどんな気持ちでしょうか?
では前の反対で元の仮説に沿って限りなく「信心決定」に近い状態にまで粉飾し
周りの人間を考慮して疑問は封印することにします
「信心決定」するまでは自分の中では仮説でしょう?
阿弥陀様から頂いた信心ですからここで説くのはなんら差し支えないはずです
それでは信心決定させてください

293 :名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 16:33:44 ID:KXsZaQm/
>>292
雑行を捨てよ

294 :名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 16:44:24 ID:4mPY97U4
全人類にとって最も大事な「苦悩の根元」と「その解決法」を教えられた親鸞聖人に、心のこうべを垂れてぬかずき、心よりご恩を感じさせていただいております。
 阿弥陀如来の本願は、まさに、超世希有であり、世界中どこにもない弘誓です。
 「若不生者不取正覚」の大願が、私の心に響き渡っています。
 私は、アカだらけ、泥まみれの汚れ切った自分を、少しもそう思わずに生きてきました。
 親鸞聖人、蓮如上人は阿弥陀如来の誓願を正確に伝えられ、私の心に信心の花が咲き、往生の実を結ぶ身になるまで、育ててくださいました。
 多生億劫からの暗い心が晴れました。本当に不思議なことです。
 私一人がための阿弥陀仏の誓願、まことでありました。本当でした。この上なく楽しく、幸せです。うれしさのあまり、ただ涙が流れて、懺悔せずにおれません。
 今まで犯してきたいちばん重い罪とともに、どんどん落ちていく自分を見せつけられました。
 地獄の火坑にほうり込まれ、かま底をたたいたと同時に浮かび上がり、大安心、大満足の境地に至らせていただけた幸せは、どう考えても不思議の中の不思議です。
 いつでもどこでも地獄必定の極悪人が、極善無上の幸せ者とは、過去どんなご縁があったのでしょうか。
 うぬぼれ強い自分が随犯随懺照らし出され、真実の自己をハッキリ分からせていただき、苦悩の根元は「無明の闇」一つと知らされました。
 弥陀のおっしゃる「唯除五逆誹謗正法」は、真の中の真、本当に本当でありました。止めどもなくあふれる喜びを抑え切れません。
 ここまでお導きくださった方のご恩にどうしたら報いられましょう。
 身を粉に骨を砕いても、阿弥陀仏のご洪恩には報い切れません。
 正信の方は少なく邪信の方が多い今日です。
 しかも正信の方々は、邪信の人々に必ず刃をむけられている今日です。
 ですから真に法を求め真に正法を聞かんとする方々は、煙の立ち上がるところに火があるが如く、誹謗の煙のあるところに正法の火のあることを知っていただきたいと切に念じあげます。
 よくよく後生の一大事を心がけ、火の中、水の中をかき分けても聞かんとの決心が肝要です。
 謗る人も疑う人もやがて阿弥陀如来の慈悲に摂取せられる時の一日も片時も速からんことを念じあげます。


295 :オーム浄土真宗:2006/11/30(木) 16:52:19 ID:Im9s6Cwy
>>294
はい わかりました
では前置きはさておいて核心となる部分を説いてください
誹謗しようというつもりはありません中立です

296 :名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 17:27:18 ID:KXsZaQm/
>>295
そのコテハンがすでに誹謗している

297 :オーム浄土真宗:2006/11/30(木) 17:47:50 ID:Im9s6Cwy
オーム。十方の、果てなく、限りない世界に安住される、過去・未来・現在
の、一切の覚った人たち、求道者たち、教えを聞く修行者たち、独り修行する修行者たちに礼したてまつる。無量の光あるものに礼したてまつる。無量のいのちあるものに礼したてまつる。

無量寿経梵文には、最初にオーム《om=a・u・m》にはじまるこの帰敬偈が記されている

>>296
という訳で誹謗しておりません

298 :名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 20:38:43 ID:MULa+FGv
a・u・mの三音にトリムールティ(三神一体)を構成する三大神である
創造神ブラフマー・維持神ヴィシュヌ・破壊神シヴァを対応させる考えがあるらしい。

岩波文庫版の註にも載っとりました。

299 :オーム浄土真宗:2006/12/01(金) 21:07:27 ID:mL0FmwBC
うーん 目から鱗のお話を聞かせてもらえると思って待ってるんですが・・
まさか会に入ってもこんな話ばっかりじゃないですよね?



300 :名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 22:38:24 ID:VK5wqCVn
むずかしいことばり書いてあるわ。死んだ先のことなどわかんないし、なにやっても続かないし、南無阿弥陀仏と唱えれば極楽へいけるというので、とりあえず
信じるは。どっちみちこのままだと地獄へまっしぐらだもん。だめもとでしょ。

301 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 02:40:19 ID:5MSXpgWB
だから、阿弥陀はいないってっっ

そんなこといえば、イザナミノミコトやイザナギノミコトも因幡の白兎もみ〜んないることになっちゃうよ。
それぐらいの根拠しかない。つまり、阿弥陀は仏を神格化し絶対化したおとぎ話だってこと

302 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 05:12:45 ID:Qdxlj6V8
>>301 南無阿弥陀仏を称えることが心の支えになるなら、
実在しなくてもいいじゃありませんか。


303 :金有財:2006/12/02(土) 07:52:21 ID:0qdTjZZb
>>302
実在しなくても、心の慰めになるならそれもいいですね。

でも、私の場合、実在しないと分かっているものを心の支えにしようとは思わないね。
なんか、自分がアホに思えるからね。

304 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 09:48:11 ID:5MSXpgWB
なんで実在しないものを信じるという愚かな幻想を他人に共有させようとするんだ?
個人が自分で勝手に信じている分には、自由がある。しかし、それを他人におしつけようとした時点でふざけんなって話だろ?事実でないのだから詐欺と変わらん。



305 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 10:38:28 ID:eU52kMaC
阿弥陀仏は実在します

306 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 10:43:53 ID:5MSXpgWB
つ根拠は?




307 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 10:54:13 ID:eU52kMaC
阿弥陀経

308 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 11:02:50 ID:Qdxlj6V8
>>304 阿弥陀仏は究極の慈悲の表現

309 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 11:27:43 ID:5MSXpgWB
>>307
ふーん
それじゃ、古事記があっから、因幡の白兎も実在するよな?
日本も棒をかき混ぜてできたのか?
阿弥陀経があるのは誰でもしってる。それが何故、真実だとわめくことができるか
の根拠を説明しろよ

>>308
大言壮語の妄想表現だろ


310 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 11:51:34 ID:eU52kMaC
>>309
「説明してください」だろ
そんな態度の人に教えても無駄

311 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 12:00:08 ID:5MSXpgWB
>>310
出来ないならくんなよ

312 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 15:26:55 ID:Z1joFDXL
阿弥陀経があるので阿弥陀如来は実在します。
太陽の法があるのでエル・カンターレは実在します。
クトゥルー神話があるのでアザトースは実在します。
シルマリルの物語があるのでイルーヴァタールは実在します。
ペガーナの神々があるのでマーナ=ユード=スーシャーイは実在します。
ロマンシング・サガがあるのでマルディアスの神々は実在します。
エルリック・サーガがあるのでメルニボネの守護魔神アリオッチは実在します。

313 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 15:39:45 ID:5MSXpgWB
じゃあ、てんとう虫コミックスがあるから、ドラえモンも実在するんだね?

ワーイw 

314 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 17:02:54 ID:Qdxlj6V8
なぜ実在するのかではなく、
実在してもらわなきゃ困るから実在すると信じるのです。
阿弥陀仏が実在しないなら人生やってられないから、
実在してもらわなきゃ困るのです。
他に救いを見い出せない人の、切なる願いです。
「救ってくれてありがとう」という念仏をとなえる人もいますが、
やはり「どうか助けてください」「阿弥陀仏よどうぞ実在してください」
という悲鳴のような念仏なのです。

315 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 00:33:30 ID:PUvC0r09
中道路線ならば、阿弥陀仏が居ても居なくてもどちらでも良いのです。
阿弥陀信仰がどういうものか説くのも何の問題もありません。
ただし、信仰をすること、その信仰を説明すること、そこまでです。

極楽浄土と地獄の二者択一を迫り、阿弥陀信仰をしないと地獄に
落ちるという理由で、入信の強要を行ってはいけません。

316 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 00:57:17 ID:mzH4zPal
いてほしいから、いると信じるだけでしょ?
それは、真実とは言わないんだよ。

信仰は、真実ではない。精神的安定を与えるかも
知れんが。

しかし、阿弥陀さんは、信じないと駄目だと
言うような、頼り無いもんじゃないぞ。(笑)

317 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 01:01:45 ID:mzH4zPal
阿弥陀なんて見向きもしない人達ほど、
実は阿弥陀のお目当てなんだよ。
信じるとか信じないとか、人間側の想いなんて
阿弥陀さんは最初から期待してない。

地獄落ちがそのまま阿弥陀の手の中なんだよ。
信じない、見向きもしない、そのままが阿弥陀の救いの中なんだよ。

318 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 01:03:28 ID:iz8ziIJ2
>>314
その考え方、究極の自分勝手だね
好きな子がいて、その子と結ばれなきゃ困るから、結ばれると信じるのです。
…ってのと何が違うんだ?
危険な思考回路
ストーカー資質120%

319 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 01:04:44 ID:mzH4zPal
自分は地獄に落ちる訳無い、自分は地獄落ちだ、
地獄なんてあるもんか、自分は極楽行きだ、
みんな阿弥陀の手の中だよ。


どんな想いも、阿弥陀の救いの邪魔にはならないよ。

320 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 01:08:24 ID:iz8ziIJ2
>>319
つ妄想

信頼できるに足る根拠が無いのに自信満面に言う者の脳内

321 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 01:14:15 ID:mzH4zPal
>>320
いや、私には、自信も阿弥陀さんの存在を証明する
能力も何も無いです。根拠も無い。

しかし、その根拠も能力も自信も何も無い私
が、そのまま生かして下さる力、それを私は
阿弥陀(無量寿・無量光)と呼んでます。
そして讃えております。
あなた様に信じて頂こうなんてこれっぽっちも思ってません。

322 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 01:22:44 ID:iz8ziIJ2
>>321
立派な信仰だね。
ちなみに通訳をしてあげたよ^▽^

鰯の頭を信じています。
鰯は私を幸せにしてくれます。
しかし鰯が何故私を生かしてくれるかは能力がないから分かりません。
ただ、蒙昧的に鰯を信じているだけです。
狂人と思われてもいいです。
他人にどう思われようと気にしません。



…鰯信仰となんら違いが無い
その心は?
作り話、乙!

323 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/12/03(日) 01:24:53 ID:wDE0lY8d
>>322
アンタ
なぜオナニーは快感があるのか

自 分 の 言 葉 だ け で 

証明してみな

324 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 01:38:56 ID:mzH4zPal
>>322
いや、322さん、私は本願寺派の僧侶ですが、阿弥陀さんを
信じるとか、そういう立派なもんなど、私の
中には無い、と聞かされた、知らされただけです。

有るのは、阿弥陀さんで飯を食おうとする、いやしい自分の姿です。

そんな私が、そのままで阿弥陀さんの光の中にいるんだと
言う事らしいですわ。(笑)
それは信じ込む事でも思い込む事でも無いんですよ。
そんなもんは壊れます。自分の都合に合わなかったら、
簡単に崩れるんですよ。

だから、思い込みも信じ込む必要も無いんですよ。
逆に、いくら信じ込んでも思い込んでも、
念仏何万回唱えても、阿弥陀さんの救いを増やす事も出来なきゃ、
減らす事も出来ない。
とらえどころもつかみどころも無い。
それじゃ話にならんから、阿弥陀と言ったり、
神と言ったりしてるだけ違いますかの。
私はそう思ってます。

325 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 01:45:22 ID:mzH4zPal
無理に信じるとか、私は言われた事無いですよ。
私は、疑いの想いがあるなら、疑い疲れるまで疑え!って、
先輩の僧侶の方に言われましたがね。

だからいいんです。いくら否定しようが、疑おうが、
阿弥陀さんの救いには関係ありゃしません。
信じないと救われ無い、それは人間の言葉であって、
阿弥陀さんの言葉じゃ無いと私は聞いております(笑)

326 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 02:03:04 ID:iz8ziIJ2
>>323

変態ですか?

327 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 02:54:16 ID:VSTr0Z/u
実在とは何か?
触れることか見れることか?
お前の脳神経にちょいと刺激すれば、そんな幻影など幾らでも作れる。
それに、目の見えない人にはそもそも見えん。

阿弥陀が実在しないという連中、お前らもそうだ。
心の目が開いていない、その目に映らんのはおまえらの目が悪いからだ。
鏡を見ろ、そこに阿弥陀がいるだろう。

328 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 03:06:56 ID:PUvC0r09
居るんだ、居るんだと狼少年みたいに他人に押しつけてはいけないよ。

329 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 07:22:57 ID:tstUblLP
「阿弥陀仏」も「鰯」も「人」もただの名称だという前提で、
阿弥陀仏を信じています。
色・声・香・味・触をどう分別・判断・解釈するかが名称です。
私が感じる色・声・香・味・触は、すべて南無阿弥陀仏だと名づけられます。
「私」は、瞬間瞬間に生じては滅している。
その瞬間瞬間の「私」がすべて南無阿弥陀仏であり、
往生してくのであり救われているのである。
すべての物質とエネルギーが南無阿弥陀仏なのです。
すべての刺激が南無阿弥陀仏なのです。
すべての刺激が、救うものと救われるものとの出会いなのです。
五蘊も南無阿弥陀仏なのです。

330 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/12/03(日) 07:27:36 ID:wDE0lY8d
>>326
ほら
証明できんだろ?

大切なことは 人間の浅知恵じゃ現しきれないんだよw

門徒さん頑張ってね!

331 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 09:15:33 ID:lfyq3Nad
阿弥陀経があることは阿弥陀如来が実在する証拠だという話はどこに行った?

332 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 09:47:49 ID:1Aivgl8c
阿弥陀実在側はコピペさんと僧侶さんと阿弥陀経は実在の根拠さんの三人なのか?
二人のような気もする。阿弥陀不在側は2,3人くらいか。

333 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 10:24:41 ID:6Z89jT9T
>>324
>有るのは、阿弥陀さんで飯を食おうとする、いやしい自分の姿です。

 面汚し?  坊さんなんて辞めたらどう? 外に職業はたくさんあるだろう。
 恥曝して、なんで坊さんなんてやってるの。

>あなた様に信じて頂こうなんてこれっぽっちも思ってません。
 カエルの面?


334 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 10:26:58 ID:iz8ziIJ2
>>327哲学もよく知らんのやな
  
  
>>329
阿弥陀と釈迦の教えを混同しないようにしようね

>>330
サロメは変態だから誰も相手にしないよ
narumiと変態プレイしときなよ

335 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/12/03(日) 11:03:19 ID:wDE0lY8d
>>334
あの変態ハルカのしっぽかよw
哲板にかえれw

336 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 14:29:26 ID:mzH4zPal
>>333さんへ
そうですね。でも、やめる意気地も無いんですよ。
僧侶をやっていれば、いつか仏様に会えるんじゃないか、いつか
この心のドロドロとしたものから解放されて、
今までの歩みが報われる日が来るんじゃないかと
思って僧侶をやらせて頂いております。

だから、虚しいから阿弥陀さんを信じるしか無いと
言う人の気持ちは良く解ります。
解りますけども、それを絶対の真実だとか言って
人に強制する必要は無いと思います。

337 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 14:37:13 ID:mzH4zPal
阿弥陀さんは、私を必ず救うと、おっしゃって
ますが、私の心は、暗くよどんだままです。
暗くよどんだままで、阿弥陀さんに包み捕られて
いるそうです。

助けて下さいでも、ありがとうでも、
阿弥陀がどうした馬鹿野郎でも、
虚しくてやってられるか、でも何でもいい。
阿弥陀さんは私達を包んで離さんそうです。
私はただ聞くばかり。

338 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 15:33:54 ID:tstUblLP
>>336 ところで、「強制」っていうのはどうすることなの?
この教えはすばらしいとか宣伝するだけで「強制」になるとは思えない

339 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 15:34:14 ID:mzH4zPal
ちなみに、僧侶になる前は、6年ほどサラリーマンでしたが(笑)

340 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 16:08:03 ID:mzH4zPal
>>338さん
この教えはいいと宣伝するだけなら、強制でも
何でも無いですよ。
ただ、信じてるものが良いからと言って、
絶対の真実と言い切って勧めようとするのは、
やりすぎな気がします。

341 :阿弥陀如来の誓い:2006/12/03(日) 18:37:43 ID:7maWG2Gg
仏教を説かれたお釈迦様は、三十五歳で仏のさとりをひらかれ、八十歳でお亡くなりになるまでの四十五年間、弥陀の本願一つを教えてゆかれました。
 親鸞聖人は『正信偈』に、
「如来所以興出世 
 唯説弥陀本願海」
(如来世に興出したもう所以は 
 唯、弥陀の本願海を説かんがためなり)
と仰有っています。 
「如来」とは、お釈迦様を表しますから、 
「釈尊が仏教を説かれたのは」と仰有ったのが、 
「如来所以興出世」 
です。 
 それは、「唯説弥陀本願海」でした。「唯」とは、二つも三つもない、「たった一つ」を表します。「弥陀の本願海」ただ一つを説いてゆかれた、という意味になります。
 世間にはよく、阿弥陀如来といっても、釈迦如来や大日如来と同じ仏さまだろう、という人がありますが、大変な誤解です。
 大宇宙には地球のようなものが数限りなくあることは、今日の天文学でも明らかです。地球に釈尊がお生まれになったように、それらの世界にも、ガンジス川の砂の数ほどの仏さまが現れておられます。
 その仏方を、十方諸仏(十方とは大宇宙)といいます。お釈迦様も、十方諸仏の一仏です。
 阿弥陀如来とは、十方諸仏が、「本師本仏」と仰がれる仏です。「本師」も「本仏」も先生を表すので、阿弥陀仏は先生であり、お釈迦様や十方諸仏は生徒や弟子に当たります。
 先生の願い一つを明らかにするのが弟子の使命ですから、お釈迦様が、阿弥陀如来の本願を一生涯説き続けられたのも、肯けます。 「本願」とは、「誓願」ともいわれ、お約束の意味です。


342 :阿弥陀如来の誓い:2006/12/03(日) 18:38:59 ID:7maWG2Gg
弥陀の本願を、分かりやすく表すと、次のようになります。
「どんな人をも 
  必ず助ける
   一念で
    絶対の幸福に」
 阿弥陀如来は、「どんな人をも」と仰有いました。男女、貴賎、貧富、美醜、智愚、国籍など、一切差別なく、約束しておられます。
 肉を食べ、結婚している人も、例外ではありません。すべての人を等しく、ありのままで「絶対の幸福」に救う、と断言なさっているのです。
 万川は、最後は海にたどり着きます。海に流れ込めば一味平等の海水になるように、阿弥陀如来の本願に救われたら、どんな人も一味平等の幸せになれるのです。阿弥陀如来の本願が海にたとえられるのは、そのためです。
「絶対の幸福」とは、今死なねばならぬ、となっても崩れぬ幸せです。
 二十九歳の御時、聖人は、阿弥陀如来に救い摂られました。以来、
「この大恩、お返しするには、身を粉にしても、骨砕きてもまだ足りぬ」 
との「恩徳讃」の御心に生きられた聖人は、いかなる非難攻撃を受けようとも、真実開顕に突き進まれました。肉食妻帯も、かかる信念のもと、敢行されたのです。 
 聖人の、身命を賭されてのご布教あったなればこそ、今日、幸せにも、真実の仏法を聞かせていただける私たちです。聖人と同じ世界に出られるまで、真剣に仏法を聞いてください。


343 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 18:43:10 ID:PUvC0r09
信じると極楽浄土に入れ、信じないと地獄行き。
そんな二者択一を迫るなら、それは立派な強要。

344 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 19:03:13 ID:iz8ziIJ2
実際に、一向一揆はその二者択一をスローガンとし、信長と戦い多くの屍を築いてきた。
阿弥陀が不存在と分かっていたら、その人々は死ぬことは無かった

345 :僧侶:2006/12/03(日) 19:22:04 ID:mzH4zPal
心に一瞬でも「阿弥陀仏」
と思ったら、それは心で阿弥陀と唱えた事です。
その時点で、既に地獄とは縁切れです。

阿弥陀仏の像を見たり、法事に参拝して、読経を聞き、
訳わからずも念仏する事、みな尊いご縁です。

346 :キララ☆:2006/12/03(日) 19:27:56 ID:HN+zsGhl
>>344
そうだったらそうだったで別の神輿をかついでた、というだけじゃろう。

347 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 19:30:38 ID:mzH4zPal
ちなみに、私は昔の祖師ほどの知識も能力も
無いので、阿弥陀様はいると思います、とは
言えるが、存在する、とか、存在しない、とは
断言出来ません。

織田信長と戦ったご門徒さんもいれば、逃げた
ご門徒さんもいたでしょう。みんな阿弥陀さんは
救うでしょう。地獄極楽で脅したのは、所詮
この世の人間の集団である限界を示しており、
凡夫の姿を教えてくれています。どんなに法を
聞いても、所詮凡夫は凡夫なのでしょうな。

348 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 19:30:55 ID:iz8ziIJ2
ただ単に宗教弾圧の巻き添えだと思われ

349 :オーム浄土真宗:2006/12/03(日) 19:31:40 ID:hOaMImrz
:名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 23:53:04 ID:hkXyygf2
>>835
>豊田商事と親鸞会について誰か教えて下さい

殺された豊田商事のなんとか会長と、高森会長は知り合いだったんじゃないの?
たしか、豊田商事の会長は親鸞会の会員だったんでしょ。

豊田商事のことを書いた小説にも、高森会長は出てきたと記憶している。
たしか、名前が「高原顕徹」だったような・・・



これホントですかね?
僕は部外者なので真偽のほどはわからないですが(どうでもいいというか・・)
会員の方は是非真実が「決定」するまで調べたり本人に「聴聞」されてはいかがでしょうか?(

350 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 19:33:17 ID:iz8ziIJ2
>織田信長と戦ったご門徒さんもいれば、逃げた
>ご門徒さんもいたでしょう。

逃げれてたら苦労は無かったろう。
この点、普通の雑兵よりたちが悪い。

「進者往生極楽 退者無間地獄」



351 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 20:43:48 ID:czSBXfF+
「阿弥陀仏」という宗教的言説と「宇宙」という科学的言説を
一緒くたにするあたりに、>>1の痛さがあると思う。

352 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 21:02:20 ID:XNSRKEIz
仏教は科学的

353 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 21:42:08 ID:iz8ziIJ2

釈迦以後の仏教は哲学とファンタジーを織り込んだ寓話

354 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 22:00:16 ID:XNSRKEIz
釈迦以前の仏教など無い

355 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 22:02:42 ID:iz8ziIJ2
>>354




釈迦の後にいろいろ肉付けされてきて今日があるわけだが

356 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 22:13:07 ID:XNSRKEIz
「釈迦以後の仏教」という言い方がおかしい
仏教は釈迦が説いたものだから釈迦以後で当たり前

357 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 22:22:34 ID:iz8ziIJ2
仏教は、釈迦が伝えたものだけでなく、その後に多くの学者や僧が、それぞれの考えを釈迦が説いたと
釈迦の名前を拝借して書いたもの。
そこには、さまざまなアレンジングが施されている。
仏は超人的なスーパーマンに仕立て上げられるなど。
阿弥陀はその顕著な例。


358 :蓮短:2006/12/03(日) 22:39:52 ID:P9g/Mgqi
大体仏教ってのは、どういう風に生きてくかだろ!仏様とかが実際にいたかとか、宇宙だ真理だとかは語るに値しない。そんなことに重点を置いてる僧侶どもは時代遅れ。時代に合った視点、考えを持って喋んないから誰も耳を傾けない。特に浄土真宗!しっかりしろっ

359 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 00:25:48 ID:9zJDzzTG
正直、357とか358みたいなこと書いてる人に対しては、センスないなぁ、勘が悪いなぁって思うよ。
やれやれって感じだな。
いつになったら知らされるのかね。
時間かかりそうだね。

360 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 00:42:14 ID:MxD4DhP9
>>359
ヤレヤレw
いつまで寝呆けてるんだろうか


361 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 01:07:10 ID:9zJDzzTG
360は、お粗末なやつだな。自分の愚かさに全く気づいてないようだ
笑われてるのは自分なんだけどね
やれやれ、いつになったら知らされるのかね。

362 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 09:24:37 ID:MxD4DhP9
さて、これで阿弥陀を真実だと主張している者の程度がこれではっきりと分かりました。
阿弥陀が存在しない歴史的検証や核心を揺さぶる反証に対して、証拠や根拠によって応じることが出来なくなれば、
上記にあるように理性を失って、論で応じることを放棄して相手のことを愚かだからと理由付けをしてしまう。
これは議論で優位になれない者によく見られる自己防衛の姿である。人間のレベルがこれで測れるともいえる。
つまりこれが、阿弥陀は真実です−−と主張している者の実態。
361が書けば書くほど、悪あがきにしか見られない。
真実を知っているほどの叡智があり、それを世に伝えようとしているのであれば、
少しはそれらしい姿勢ぐらい持って欲しいものだ。しょせんそれだけの真実なのだな。
…情けない


363 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 10:08:20 ID:TDSXrqT3
阿弥陀信者が馬鹿=阿弥陀は存在しない、という
ロジックは成り立たないので注意しましょう。

そもそも宗教論争において、阿弥陀如来、GODなど、
立証不能な存在を論議し、それを基に結論を導き出す
ことは全くのナンセンスですから、阿弥陀信仰を否定す
る場合は別の切り口に変更した方が良ござんす。

364 :僧侶:2006/12/04(月) 10:12:30 ID:177PP8s3
阿弥陀さんを知ってるからと言って、知らない人を
かわいそうなどと、どうして言えるのか。
私達は既に、この場を通して、阿弥陀さんの
名前を聞いている。
阿弥陀さんから見れば、みな仲間だ。信じようが
否定しようが、みな仲間だ。みんな仏様の
仲間なんです。

しかし、私達は、ともすれば、念仏する人しない人、
阿弥陀さんを知る人知らない人、区別して差別して、
かわいそうだとか、あの人は立派だとか、思いたがる。

阿弥陀さんから見れば、みな仏様の子供であり、
凡夫であります。

365 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 10:17:45 ID:MxD4DhP9
>>363
表面だけ見るのではなく、過去レスを嫁

366 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 11:23:31 ID:tm/BA64L
もし、足元に本が有ったとします。
真っ暗な全く明かりが無かったら、いくら足元に本が有っても、
有ることさえ分かりません。
そのまったく明かりの無い部屋に光がさすと、あー、ここに本が有ったと
分かります。
即ち、無明の私の心に、阿弥陀様の光が差し込んだ瞬間に、阿弥陀様の存在
、地獄必定の私をそのまま救う弥蛇の働きがハッキリ分からせて頂けます。
其れと共に、心の底から今まで味わったことが無い位の喜びが、溢れ出てきます。

有るか無いか分からない物を信じ込む事を、真宗では自力の信心と言い。
疑いの塊の私の心に、阿弥陀様の光が差し込み、疑いをぶち破って頂くのが
他力(阿弥陀様)の信心と言うのです。
ちなみに、私は親○会では有りません。

367 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 11:41:34 ID:MxD4DhP9
光があって、真実もあるのなら、本尊の証明はできずとも外堀を埋める説明は出来る。
仏教逸話の話ぶりばかりで、自分の言葉で語っていないことに気づいて欲しい。
要点は、阿弥陀の存在を証明しなければ真実がないのではなく、
阿弥陀の存在を証明しなくても、浄土の教えは信じるに足る確かなものがあると信じることの
核心・根拠は何なのかを説明して欲しい。
それができるか否か、あるかないかによって、蒙昧的信仰かどうかが分かる。
蒙昧的であるなら、たまたま信じたものが浄土真宗であるだけで、出会いと縁によって
カルトを信じていたかもしれない。そしてそれが真実だと主張して疑わない輩と何ら変わらない。


368 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/04(月) 12:27:31 ID:o0HG9VL1
>>367 ブッダの教えを学べば、結局は戒・定・慧の三学を修める以外に解脱の道はないとわかります。
戒めを守って心身を整え、サマタ瞑想で集中力を養い、ヴィパッサナー瞑想で智慧を完成するしかないのです。
その難しさにぶち当たって、
己の愚かさにうちのめされて、
それでも仏教は信じている人々います。
仏教を学んで善悪を知っているにもかかわらず、
善を修められず悪を犯してしまい、苦悩する人々です。
そういう人々の苦悩を速やかに消すには、
他力浄土門を信じるのがうってつけなのです。
苦しくて苦しくて、阿弥陀仏にでもすがらないと人生やってられないのです。

369 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/04(月) 12:33:26 ID:o0HG9VL1
浄土門が宇宙の真理だとか、そんな偉そうなことを言えるものじゃないのです。
むしろ、阿弥陀仏なんて嘘っぱちかもしれない。
それでも、嘘っぱちかもしれない阿弥陀仏にすがる以外に、
心の平安を保つ方法を知らないのです。
また、臨終間際に初めて仏教に出会った人などのように、
ちゃんと修行したり学問する時間さえない仏教徒もいます。
そんな人でも、浄土を信じれば速やかに心の平安を得られます。


370 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 12:33:34 ID:2z/ebWqw
362程度の頭では、阿弥陀如来の本願が存在しないことは証明できないのです。
それなのに、いきがってるところが、滑稽で間抜け至極です。
阿弥陀仏が存在しない歴史的検証とやらはありません。362同様、低レベルな主張です。
核心を揺さぶる反証とやらも、全く反証になっておりません。



371 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 12:36:59 ID:ayj/tW1G
如来所以興出世
唯説弥陀本願海

372 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 12:49:52 ID:MxD4DhP9
>>370
どうでもいいから、歴史的検証が無い理由と反証が反証になっていない理由を
具体的に書いてくれ。
それと浄土真宗は、頭が良くないと分からない宗教だったとは君のレスで初めて聞いたのだが?
さらに君の文章をいくら読んでみても知的なものは感じられないのだが…

まあ、内容が無いから反論もその程度なんだろう。
議論で対応できなくなると個人攻撃にはしる手合いは大勢いるから、まあ恥じることは無い
君もその一人だったってことだ。

373 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/04(月) 12:52:02 ID:o0HG9VL1
ちなみに、世親菩薩の「往生論」によると、
ひたすら往生浄土を願う「作願門」の修行には
サマタ瞑想の要素があり、
阿弥陀仏や浄土のビジョンを観想する「観察門」の修行には
ヴィパッサナー瞑想の要素があると言われます。
しかし、そのような自力の修行によっても極楽浄土に往生できるのですが、
それは難しい修行なので、
浄土門では、
阿弥陀仏の本願力にすがって往生させてもらえる他力の修行である
口称念仏での往生をめざすのです。

374 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 13:21:34 ID:2z/ebWqw
我々凡夫がえらいのでは決してないのです。
全人類が一人残らず同じく逆誹の屍です。
しかし、全人類の救われるただ一本の道「弥陀の本願」を誹謗する者に対しては
断固とした厳しい態度でのぞましていただいているのです。



375 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 13:23:44 ID:2z/ebWqw
「弥陀の本願」を誹謗することは
自分だけならば、まだしも
多くの人を地獄へ叩き落すことになるからです。

376 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 13:57:24 ID:TDSXrqT3
弥陀の本願が真実であるならば、阿弥陀如来は誰に何を
言われても動じることはないだろうね。

弥陀の本願を主張する者が、誹謗を許さないと宣言するのは、
批判や反論をされると都合が悪いからに他ならない。
弥陀の本願を主張するもの自身が、安っぽい本願にしている
事に気付くべきだ。

377 :僧侶:2006/12/04(月) 14:20:37 ID:177PP8s3
そうですね。
阿弥陀阿弥陀と言うだけで、私達のどこが偉く
なった訳じゃない。

阿弥陀さんは、五逆十悪障りにならん、と
おっしゃっている。

無条件で救うと阿弥陀様はおっしゃっている。
条件をつけたがるのは、いつも、いつの時代も人間である。

それが私達人間の拭い切れない愚かさじゃないだろうか。
その愚かさに気付かせて下さるのが、阿弥陀さんの
教えであり、すなわち光なんじゃないだろうか。
お念仏という阿弥陀さんのお働き、お導きでは
ないだろうか。
私はそのように受け取らせて頂いてます。

378 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 15:11:17 ID:MxD4DhP9
>>374
君のその姿勢こそが、宗教対立の構図をつくり、
ひいては一向一揆で何の関係も無い民衆を戦乱に巻き込んだ原因にもなり得たのだ。
それが君の信じている、真実とやらが結んできた実なのだ。
君にこの言葉をおくろう。


三千年の歴史の中から
学ぶことを知らぬものは、
知ることもなく、やみの中にいよ、
その日その日を生きるとも。
(ゲーテ 西東詩編「不満の書」より)

379 :僧侶:2006/12/04(月) 15:14:19 ID:177PP8s3
「安心(あんじん)」は安き心と書きますが、
なんで安いかと言うと、阿弥陀さんの与える
信心に私達は包まれてると、聞くだけで済むからです。

私達の作る信心は、阿弥陀さんから見たらどうでも良いもの。

阿弥陀さんは、ただ無条件で、私達を包んでくれとります。

私はそれを伝えるだけです。

私はちっとも偉くない。親鸞さんも法然さんも
そうおっしゃる。

皆さんと同じですよ、愚痴だらけ、罪悪深い
親鸞ですよ法然ですよとおっしゃる。

念仏となえて救われようとする前に、既に
阿弥陀さんが誓いを果たして下さっている、
私がどうするこうする前に、阿弥陀さんは自分を
目に見えない光となって、常に声を呼び掛けて下さっている。

その事にもし、少しでも有難いと思ったら、
なんまんだぶでも南無阿弥陀仏でもいいから、
となえて下さい。

380 :弥陀の本願のみまこと:2006/12/04(月) 20:53:38 ID:EyKKv+qS
阿弥陀如来の大悲は平等ですが、苦しんでいる者に、余計に強くかかって下さるのです。
大千世界一の極悪人、苦悩の私が阿弥陀如来の独り子だったと知らされるときが必ずあります。
共に泣き、共に歓ぶ方があることを忘れず、求めぬきましょう。
人生は、苦なりです。
「世の中のこと、みなもってそらごと、たわごと、まことあることなし」のご金言まことを、これでもか、これでもかとのご催促があります。
弥陀の本願のみまこと、のお勧めに間違いはないのです。
生命をかけて、猛進せずにおれないのです。
しかし、昿劫より、自力かなわで流転してきた奴は、簡単に聞くものではないのも事実です。
寄せかけ、寄せかけの阿弥陀如来のご苦労で、ようやく聞かせて頂けるのです。
親鸞聖人も「大菩提心(奮発心)おこせども、自力かなわで流転せり」と、仰せになっています。
聞法は、イバラの道であることを、覚悟せねばなりません。
しかし、やまない雨はないように、朝の来ない夜がないように、必ず開ける、光明の天地があるのです。
寒風に花は散り、葉は落ち、枝が折れる冬が来るでしょうが、弘誓の仏地に樹てた信念だけは、待つ春の慈光に、末代を照らし続けるのです。
お聖教に溢れている、弥陀仏の真実一杯と、心の奥底にうろたえている、不実一杯の自己とが、触れた時でなければ、仏凡一体と燃えあがらないのです。
体当たり聞法こそ肝要です。深い河は、静かに流れます。
無常甚深の妙法は、確実に十方衆生に浸透するにちがいありません。
どうか早く聞き開いていただきたいのです。


381 :僧侶:2006/12/04(月) 21:48:27 ID:177PP8s3
私達が法を聞こうと思ったんじゃない。
阿弥陀さんが、法を聞こうとする想いさえも
既に成し遂げ、成就して、与えて下さっているんです。

私達は、今、その事を聞かせて頂いております。

念仏となえる想い、聴聞しようとする想い、仏法を
求める想い、みんな阿弥陀さんが起こして、
私達に与えて下さっているんです。

私達が素晴らしいから、仏法聞こうとするんじゃない。

聴聞しよう、念仏しよう、いいと想いますが、
一体誰のおかげですか。みんな阿弥陀さんのおかげであります。

382 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 21:51:09 ID:EyKKv+qS
果たして、遠い過去から苦海をさまよい続けてきた私たちに、真の救いはあるのでしょうか。
 ただ一つある、と親鸞聖人は明言されています。それは、“弥陀弘誓の船”であると。
 弥陀の弘誓とは、
“苦悩の元を断ち切り、永遠の幸福に救う”
と誓われた、弥陀の本願のことです。それは、すべての人を救うという、とてつもなく広い約束ですから、弘誓といわれています。
 ほかに救われる道があるなら、「のみ」とは言われません。苦海を渡す大船は、唯一なのです。
 ただ弥陀弘誓の船だけが、苦海の人生を明るく楽しく浄土まで渡してくださるのです。
“よくぞ人間に生まれたものぞ”という、安楽無上の人生は、ここに開かれるのです。
「なぜ生きるか」を、まず考えてみてください。そして浄土真宗を学んでください。
テレビや新聞で誰も教えてくれないから、皆さん知らないかもしれませんが、仏教では、陸地をハッキリと教えています。
頑張ってる人、苦しんでる人にこそ聞いてもらいたいのです。本当の幸福とは? 本当の人生の勝利者とは? どうか、ご縁がありましたら耳を傾けてくださいね。
阿弥陀如来は、朝から晩まで五欲にまみれ、まことの心の全くない私たち、仏教を聞こうという気のさらさらない私たちを強い強いお力で引っ張っておられます。
「何とか何とかわかってくれよ、真実を聞き求めてくれよ」と。
「必ず本当の幸福にしてみせる」と全力をあげておられます。
大慈大悲の阿弥陀如来に思いを馳せていただきたいのです。



383 :僧侶:2006/12/04(月) 22:01:32 ID:177PP8s3
聴聞する自分は自分であって自分じゃない。
聞法は、別にイバラの道でもなんでもございません。簡単です。

今、ここに書き込みされてる方々、ここを読まれてる
方々、みな聞法されてるではありませんか。
独り言でも聞法出来ます。「ああ、阿弥陀さんは
私を包んで下さっている。」そう思うだけでも
聞法です。阿弥陀さんの事を思うだけで立派な
聞法になります。そこに阿弥陀さんがいるんです。

もちろんどこかに法話を聴聞しに行かれるのも
聞法ですが、それだけが聞法じゃ無いんです。
今、ここを読んでる皆さんは、聞法されているんです。

阿弥陀さんは、私達を南無阿弥陀仏という目に
見えない無量の光と、無量のいのちで、包んで下さってます。

384 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 22:04:11 ID:EyKKv+qS
「阿弥陀仏」と「お釈迦さま」とは、どういう関係にあるのか。
地球上で、ただ、おひとり「仏」となられたお釈迦さまといえども、阿弥陀仏の弟子なのです。
大宇宙には、数え切れないくらいのたくさんの仏さまがおられるのです。
それらの数え切れないくらいの仏さま方の先生、すべての仏さまの先生、これが、「阿弥陀仏」という仏さまなのです。
「阿弥陀如来」ともいわれます。
お釈迦さまと同じような仏は、宇宙には、たくさんおられますが、「阿弥陀仏」しか、私たちの「後生の一大事」の「解決」をする力を持っておられないのです。
ですから、「阿弥陀仏ひとつに向かえ。阿弥陀仏だけを信じよ。」と、お釈迦さまは、教えておられます。
阿弥陀仏は、「本願」を建てておられます。
これを「阿弥陀仏の本願」といいます。「本願」というのは、「約束」、「誓い」ということです。
阿弥陀仏が約束しておられることは、
「すべての人が持っている後生の一大事(死後、地獄に堕ちるという一大事)を一念で解決してみせる。そして、この世から未来永遠に変わらない大安心・大満足の最高無上の幸福の身にしてみせる。
できなければ、私は命を捨てる。」
という、お約束です。
本当の仏教(=阿弥陀仏の本願)を真剣に聞き求めていきますと、このお約束の通り、「後生の一大事をハッキリと解決していただく」体験、
すなわち、「阿弥陀仏にハッキリと救いとられる」体験をさせていただくことができます。
そして、その体験は、「一念」で体験させていただくことができます。
「一念」とは、あっと言う間もない極めて短い時間をいいます。
1秒の何億分の一よりも、もっともっと短い時間です。
親鸞聖人は、真剣に阿弥陀仏の本願を聞き求められ、29才の時に、阿弥陀仏に一念でハッキリと救いとられておられます。
そして、90才でお亡くなりになるまでの61年間、全人類の救われるただ一本の道、「阿弥陀仏の本願」が真実であることを叫び続けていかれたのです。
阿弥陀仏の本願を真剣に聞き求め、阿弥陀仏に一念で救いとられ、後生の一大事を解決したいただく。
そして、生きてよし死んでよし、死が来ても微動だにもしない、絶対に崩れない、壊れない、この世から未来永遠に変わらない本当の幸福、大安心・大満足の絶対の幸福になること、これが、万人共通唯一の人生の目的です。


385 :僧侶:2006/12/04(月) 22:39:32 ID:177PP8s3
いくら聞法され、心に安心を頂く事が出来た
としても、全く不幸の無い人生を歩める訳では
ありません。不幸と思う事柄、幸福と思える
事柄、人生にはいろいろと出て来ます。それに
対する処し方も、人それぞれです。それが私達凡夫の真実です。

あまりにもひどい不幸に出会われたら、私は念仏を捨てる
かもしれません、僧侶をやめるかもしれない。
阿弥陀なんか浄土真宗などクソだと、言いふらすかも
しれません。しかし、私やみなさんが阿弥陀さんを捨てても、
捨てたと思っても、阿弥陀さんは決して私達を捨てません。私は、そのように聞きました。
阿弥陀さんは、私達の死に様生き様に関係無く、
私達を包んで下さっています。
怠惰だろうが勤勉だろうが、善人悪人だろうが、
唯物論者だろうが他宗教の信仰者だろうが、
阿弥陀さんの救いには、一切関係ありません。
阿弥陀さんの救いの前には、私達の振る舞いの一切が
無効無力でございます。
しかしながら私は信じています。阿弥陀さんの力が、
私達を通して、この世に働いてゆく事を。

386 :僧侶:2006/12/04(月) 22:49:24 ID:177PP8s3
私の信じる阿弥陀さんは、信じる心の本体で
あり、全てに働く無限の智慧と慈悲と力の本体であります。

387 :唯俺:2006/12/04(月) 23:07:28 ID:y/RUnzXE
>>僧侶さん。
いい味、出してますね!
僧侶さんの晴眼に映じた世界は、やっぱり穢土ですか?

388 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 23:14:35 ID:EyKKv+qS
どんな人でも、仏教を真剣に聞き求めていきますと、「自分の本当の姿」を阿弥陀如来のお力によってハッキリと知らされます。
「まことの心が微塵もない己の姿」がハッキリ照らしだされるのです。
「堕ちるに間違いない自分である」とツユチリほどの疑いもなくハッキリいたします。
と同時に「そんな者をお目当ての弥陀の本願、本当じゃったぁ!」と「助かるに間違いなし」とハッキリいたします。
弥陀のジカの呼び声を腹底に聞いた一念で大安心・大満足の永久に変わらない、壊れない、崩れない、死が来ても微動だにもしない「絶対の幸福」に救いとられます。
「阿弥陀さま、申し訳ありませなんだ、このような者をよくぞこの身にしてくだされた」と泣くよりほかにないのです。



389 :僧侶:2006/12/04(月) 23:24:28 ID:177PP8s3
>>唯俺さんへ
ありがとうございます。
はい、この世は穢土のように映っております。
しかし、穢土を嫌がってもどうしようも無いです。
穢土も、僕達の努力で、楽しく生きれる「ええ土」
に出来るかも知れません。ダジャレですが。
みんな仏様の光に包まれた兄弟だ、仲間だと、
それを、今後は一僧侶としてお伝えしたいと、
思っております。

390 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 23:25:27 ID:EyKKv+qS
親鸞聖人の著書である『教行信証』には、
阿弥陀如来に救いとられた体験を告白されています。

「噫、弘誓の強縁は、多生にももう、あいがたく、
    真実の浄信は、億劫にも獲がたし。
     たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。

 もしまた、このたび疑網に覆蔽せられなば、
   かえりてまた、曠劫を逕歴せん。
 誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、
   聞思して遅慮することなかれ」(『教行信証』総序)

「ああ……なんたる不思議か、親鸞は今、多生億劫の永い間、求めつづけてきた歓喜の生命を得ることができた。
これはまったく、阿弥陀如来の強いお力によってであった。
深く感謝せずにおれない。もし今生も、無明の闇の晴れぬままで終わっていたら、未来永遠、浮かぶ瀬はなかったであろう。
なんとか早くこの真実、みんなに伝えねばならぬ、知らせねばならぬ。こんな広大無辺な世界のあることを」



391 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 23:56:10 ID:o0HG9VL1
>>384 阿弥陀仏が釈尊の先生?すべての仏の先生?
それは何かのお経に書いてあるんですか?

392 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:02:15 ID:kRqoWvaW
>>391
「阿弥陀仏の威神光明は最尊第一にして、諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり」(大無量寿経)
「十方無辺不可思議の諸仏如来、阿弥陀仏を称讃せざるはなし」
「諸仏の中の王なり、光明の中の極尊なり」(大阿弥陀経)

393 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:05:31 ID:5vDp3+4K
>>392 諸仏の中で秀でているという説明であり、「先生」とは書いてないでしょう。
だいたい、法蔵菩薩は世自在王仏の弟子だったわけですし。

394 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:13:41 ID:kRqoWvaW
「三世の諸仏は、弥陀三昧を念じて、等正覚(仏)に成る」(般舟経)

395 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:13:48 ID:Gj2Fh3PE
>>392のような解釈する者が出るから、新興宗教と呼ばれるのだ
教えに感銘して賞賛するのはいい。だが、正しく伝え理解しなければ意義を失ってしまうだろう


396 :唯俺:2006/12/05(火) 00:16:25 ID:LT3BiAVp
>>389
さっそくのレスありがとうございます。
さっき、ふっと浮かんだ思いがあったものでカキコしました。
それは、「厭離穢土 欣求浄土」と、「欣求浄土 厭離穢土」では少し違うのではという思いです。
他愛のない思いつきで大した意味など無いのですが、
法然・親鸞・教信・一遍など、それぞれの違いが出てくる、
それは穢土に対する比重の違いがあるのかなという思いでした。

私も念仏の借衣を身にまとい、本願ぼこりの毎日ですが、
僧侶さんの今後のご活躍に期待しております。

397 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:18:06 ID:kRqoWvaW
>>395
あなたの正しい理解とやらを教えて頂きたい

398 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:26:03 ID:Gj2Fh3PE
>>397
例えば、弟子だと書いてないのに弟子だと思い込む
ようにならない等

399 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:31:19 ID:5vDp3+4K
「諸仏」イコール「すべての仏」じゃないでしょう。
釈尊が阿弥陀を念じて成道したなんて聞いたことないけど

400 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:34:03 ID:kRqoWvaW
>>398
阿弥陀仏と釈尊の関係について正しい理解は何ですか?

401 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:38:47 ID:Gj2Fh3PE
>>400
釈尊は、阿弥陀の弟子ではない

402 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:42:37 ID:kRqoWvaW
>>399
「諸仏」イコール「すべての仏」です
釈尊も阿弥陀仏のお力で救われたから
一切経では阿弥陀仏のことばかり褒め称えておられます

403 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:43:07 ID:kRqoWvaW
>>401
根拠は?

404 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:43:48 ID:Gj2Fh3PE
浄土真宗から、また一つ、異端が誕生致しました。
おめでとうございます。

405 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:45:41 ID:Gj2Fh3PE
>>403
経典に書かれていない

ところで君の宗派は何なの?

406 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:48:29 ID:20nbFKvQ
>>404
>浄土真宗から、また一つ、異端が誕生致しました。

お前のことか?

407 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:49:26 ID:Gj2Fh3PE
つ粘着

408 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:51:37 ID:20nbFKvQ
>>407
>つ粘着

お前のことか?

409 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:52:37 ID:Gj2Fh3PE
つID:20nbFKvQ

410 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:55:57 ID:20nbFKvQ
>>409
おいおい
俺が粘着と言われるほど書き込んだか?w

411 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 00:58:41 ID:Gj2Fh3PE
      ∩∧_∧
      l⌒) (´・ω・`)∩   知らんがな!!
      \l⌒)   , ノ
        \__ ノ   知らんがな!   知らんがな!
  ∩∧__∧∩   ∩∧∧∩   ∧∧
   (´・ω・`)/   | (´・ω・`) / (´・ω・`)
  ヽ( ・ω)ノ∩/■\∩.∧___∧∩
   (´・ω・`)l (    ) l( ω・  `)/

412 :オーム浄土真宗:2006/12/05(火) 04:57:35 ID:Ht/O1T1d
皆さん あまり知られてはいませんが
アミターバ(阿弥陀仏)の師匠である世自在王の梵文名は「ローケーシヴァラ・ラージャ」

いわゆる「シヴァ神」です



413 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 08:13:18 ID:5vDp3+4K
>>412 世自在王仏が観音菩薩の前身だとも、どこかで聞いたんですが。

414 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 11:11:37 ID:AVdNcniw
観音菩薩はオリエントの女神信仰が取り込まれたものだという説を本で見た覚えがある。
国によっては男性ともされるみたいだけど。

415 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 11:20:13 ID:Gj2Fh3PE
基本的に、各種仏像は釈迦の姿を表したもの。
悟りを開くために修行していた姿が、観音菩薩と成り
医学知識により病気の人を手当てしていた姿が、薬師如来と成り、
といったように。


416 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 12:10:17 ID:5vDp3+4K
>>415 そうだとすると、阿弥陀仏は釈尊の慈悲を現してるのかな?
密教では五智如来が説かれますね。
大日如来を中心に、如来の五つの智慧に五つの如来を配置している。
阿弥陀仏は妙観察智だったかな。

417 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 19:03:40 ID:ajoXx/lc
ヴィローシャナ(大日如来)ももとはアスラの王の一人だよね。
岩波文庫のサンユッタ・ニカーヤにも登場してたよ。

418 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 21:26:55 ID:mWDHlzyg
「仏教」は、すべての「迷信」を打破しています。
占い、おみくじ、手相、姓名判断、家相、墓相、お守り、大安や仏滅などの日の善悪、運勢、方角、七福神、霊界、陰陽師、加持祈祷、水子供養、・・・
これらは、すべて「迷信」です。

以下のことも、よく知っていただきたいと思います。
・死んだ人が、生きている私たちを幸せにしたり、不幸や災難にあわせたりする力は全く持っていませんし、また、そのようなことはできません。
・霊が、私たちにとりつくということは、絶対にありません。
・初詣をしても、御利益などありません。(神社にまつってある神など、存在しないからです。)
・「これ」を信ずれば、商売繁盛、病気が治る、家庭円満になる、大学に合格できる・・・などと、言っている宗教や広告は、全くの迷信です。
世界には、多数の宗教があります。
「宗教」と聞くと、皆さんの中には、良いイメージをもたれない方がいらっしゃると思います。
現在の日本の新興宗教は、迷信の氾濫ですので、そうなって当然です。
新興宗教に限らず、キリスト教やイスラム教といった古くからあるものも、人々がつくりあげたものであり、「因果の道理」に反することばかり言っており、迷信です。
それに対して、「仏教」(=阿弥陀仏の本願)は「いつでも」「どこでも」変わらない真実です。
何人といえども否定することはできない真実です。
お釈迦さまは、「本当の仏教」以外の宗教すべてを「邪教であるから、信じてはならない」「地獄へおとすものであるから、捨てなさい。」とおっしゃっています。



419 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 21:28:07 ID:mWDHlzyg
皆さんの中に、何かの宗教を信じている人がありましたら、その宗教を捨てて、「本当の仏教」(=浄土真宗)を聞き求めていただきたいと思います。
「生きる」ということは、苦しいことですから、「本当の幸せになれる教えはないか」と探し求めるのはいいのですが、「間違っているもの」を信じていても「本当の幸福」にはなれないからです。
ひとりぼっちの寂しい心をかかえて生きているのが、私たちです。
その心を完全に理解してくだされている方が、阿弥陀仏という限りなき大慈悲をお持ちの仏さまです。
阿弥陀仏は、なんとしても「永遠に変わらない本当の幸せの身」にしてみせると全力をあげておられます。

地球上、何億の人がいましても、「本当の仏教」にめぐりあえる人は、わずかです。
ほとんどの人が、「本当の仏教」を知ることなく、「ふるさと」ともいうべき「苦しみの迷いの世界」に戻っていくのです。
「本当の仏教」にめぐりあう、「本当の仏教を伝えてくだされる方」にめぐりあうということは、遠い過去からの「仏縁」がないと絶対にありえないことなのです。
「大地」の砂の数ほどの生命が、「地獄」「畜生」といった「迷いの苦しみの世界」で苦しんでいる中で、「爪の上」の砂の数ほどしかいない、生まれがたい「人間」の命を、今、持たせていただいている。
さらに、ほとんどすべての人が「本当の仏教」にめぐりあうことなく、「どう生きるか」しか知らず、死んでいく中で聞きがたい「本当の仏教」とは、どういう教えなのかということを、今、知らされているのは、よほどの仏縁がないとありえないことなのです。


420 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 21:31:22 ID:ST1jAuir
>>419
中近東には釈迦を唯一神の預言者とするバハイ教という宗教がありますが、
どう思いますか?むかつきませんか?

421 :僧侶:2006/12/05(火) 22:17:55 ID:HjLX/cwj
>>唯俺さんへ
もったいないお言葉ありがとうございます。
私は、近頃は念仏して、本願にたすけまいらされて往生とぐる、
というよりも、本願にたすけもよおされて、念仏申させて頂いておる
と思わせて頂いております。

仏説無量寿経も南無阿弥陀仏もご信心も往生も、
全て阿弥陀さんから与えて頂いたものであります。
それを聞くだけで事足りる。

阿弥陀さんからは、私達に対しては、何の用事もご注文も無し。

なんとも訳のわからない話でございますなぁ。
お互い、ご法体に気を付けて行きましょう。
それではまたどこかで。。

422 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 22:21:11 ID:mWDHlzyg
どうか「本当の仏教」(=浄土真宗)を聞き求めていただきたいと思います。

「人生の目的」は「後生の一大事」の「解決」です。
私たちにとって、「後生の一大事」というのは、命がけで解決しなければならない「一大事」です。
すべての人が、最も力をいれなければならないことは、「本当の仏教を真剣に聞き求める」ということです。
仏教を真剣に聞き求めていきますと、必ず、「阿弥陀仏の呼び声」を腹底に聞かせていただくことができます。

どんなに、「苦しみのどん底」におちている人であっても、また、生きる希望を失っている人であっても、「本当の仏教」を真剣に聞き求め、「阿弥陀仏」に救いとられた「一念」で、たちまち、「世界一の幸せ者、宇宙一の幸せ者」になれます。
「人生の大勝利者、本当の大成功者」ということになります。

それに対して、一見、あらゆるものを手にいれて、幸せいっぱいの生活を送ったように見える人であっても、死ねば「無間地獄」に堕ちなければなりませんので、仏教を真剣に聞き求めない人は、生まれてすぐに死んだ赤ちゃんと、実は、なんら変わらないのです。

世間で、どんな「大人格者」といわれている人でも、「仏教」を聞かなかったなら、地獄に堕ちます。
反対に、人から「あんな殺人犯が、地獄に行かなかったら、誰が地獄に行くんだ。」と批判されている人でも、心を入れかえて、真剣に仏教を聞き求めていけば、「阿弥陀仏」に救いとられるときが必ずあります。
阿弥陀仏にハッキリと救いとられた一念で「極楽行き間違いない身」となります。

私たちが、「地獄におちるか、極楽に生まれるか」は、阿弥陀仏に生きているときに、「救いとられているか、どうか」で決まるのです。



423 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 22:50:24 ID:XfnZXXiP
>「本当の仏教」(=浄土真宗)

本当の阿弥陀信仰=浄土真宗であれば、理解出来るのですが
釈迦の仏教=浄土真宗のような表現をされるのは理解できません。

なぜゆえ、新興宗教が好む「オラが正統」を主張したがるのか?
教えていただけませんか?

424 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 22:55:17 ID:npFjEiU0
>>423
釈迦の仏教=本当の阿弥陀信仰=浄土真宗

425 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/05(火) 23:02:00 ID:5vDp3+4K
ブッダが説かれた教えは、戒・定・慧の三学であり、四諦八正道です。
ブッダの教えを実践できない愚かな凡夫だから、
阿弥陀仏の慈悲にすがるしかないのです。


426 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 23:07:42 ID:ST1jAuir
>>424
>>423は「理由」を聞いてるんですよ。
文章でちゃんと答えましょうよ。

427 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/05(火) 23:08:20 ID:5vDp3+4K
>>422 阿弥陀仏に救われなければ地獄往きなどというのは極論です。
仏や仏弟子や独覚や大王の遺骨をまつったストゥーパ(仏塔)を拝んだだけでも、
人々は天に生まれることができます。
また、三宝に帰依するだけで、
いつか必ず悟れることは保証されます。

428 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 23:16:25 ID:ST1jAuir
まぁ、結局は「そう信じてるから」でFAだろうと思います。

できないならできないなりに出来る様になろうと努力するのをやめて、それよりも
簡単に救いをくれる別の崇拝対象の元に飛んでいく気持ちは人間的で共感できます。

僧になるなりして日常生活で得られる楽しみや喜びの多くを捨てて何かを求める
なんてことができる人は確かに珍しい存在でしょう。

仏教での救いがキリスト教やイスラム教みたいに死後の楽園やらではなく
苦の除去というのもポイントですね。
「悟りて何の得がある」と考える人がでるのはこのためでしょう。

429 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 23:27:34 ID:OtPDy+KW
浄土の教えの通りに、死後浄土に行ったとしても、そこでまた仏の弟子と成り、
気が遠くなる程の劫年を経て修行をするのは、楽といえるのだろうか?

430 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/05(火) 23:27:44 ID:5vDp3+4K
>>428
法然さんは、周囲からは「智慧第一の法然房」と呼ばれるほどに学問をつみ、
浄土宗を開く前から円頓菩薩戒の戒師として有名でした。
しかし、そのように修行しすればするほど、
「自分は戒定慧の三学を修められる器ではない」と気付き、苦悩したのです。
そんな中で唯一出会った望み・救いが、
口称念仏だけで往生させてくれる阿弥陀仏の本願だったのです。

431 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 23:27:54 ID:npFjEiU0
>>426
お釈迦様は阿弥陀仏の本願のみを説いていかれました
その阿弥陀仏の本願を正しく伝えているのが浄土真宗です

432 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 23:29:09 ID:ST1jAuir
私とかいい加減な人間にとっては死後の楽園型の浄土教のほうが求心力はありますよ。
私の場合、根性にも持久力にも欠けるから、もとの仏教を実践するなんてできないです。

433 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 23:30:52 ID:OtPDy+KW
法然や親鸞が、読めた書物が仏典だけだったのなら確かに結論はそうなるのは必然だったかもしれない。
しかし、もし仮に、法然や親鸞が聖書を読むことが当時出来たなら、どうなっていたのか大変興味深い

434 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/05(火) 23:33:47 ID:5vDp3+4K
>>429 ブッダのことば等を読むと、
修行僧達が瞑想を「楽しんでいる」という表現がみられます。
おそらく、修行が進んで悟りを体験すること、それに伴う心の平安は、
この世のどんな快楽よりも「楽しい」のではないでしょうか。
僕も瞑想に挑戦したことありますが、
よし、これからたっぷり瞑想するぞというときには、
すごくわくわくするんですよね。
それは念仏でもそうです。
今日はこれからけっこう長めに念仏する時間があるぞというときには、
なんか、お菓子とジュースを準備して超大作の映画を見る前のようにわくわくします。

435 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 23:35:16 ID:ST1jAuir
>>429
経典によれば浄土はすこぶる快適な環境です。

436 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 23:40:03 ID:npFjEiU0
>>429
浄土に往生できれば修行などする必要は無い

437 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/05(火) 23:45:47 ID:5vDp3+4K
>>436 浄土では自然に修行できてしまうのでは?
だからこそ、この世での修行は浄土での修行よりずっと尊いといわれます。

438 :名無しさん@3周年:2006/12/05(火) 23:46:23 ID:ST1jAuir
>>431
凄く興味深い答えですね。バハイ教ではその文での「阿弥陀仏の本願」が「神の単一性」になります。

439 :オーム浄土真宗:2006/12/05(火) 23:54:09 ID:Ht/O1T1d
一言で言おう 極楽浄土はシヴァ神(世自在王)が見せたマーヤ(幻影)である

440 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 01:49:33 ID:HKKHjgB9
>>436-437
我が心の中に澎湃として湧き上がる、卑しく淫らで下劣なる煩悩。
我を「悪」として赤々と照らし出す紛れも無き証左であります。
そんな我らが幾ら修行などしても、その修行と称する行為が既に
汚れ穢れ墜ちており、ますます一層の煩悩を募らせる悪逆非道の行いに他なりません。

だが、それこそ阿弥陀の救わんとする者。
この墜ちたる煩悩まみれの姿こそ、阿弥陀の救わんとする者。
そうでしたでしょう?

悪人正機

441 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/06(水) 08:24:46 ID:QmHfZOp2
>>440 五濁悪世ではそうですが、
その悪世の悪人でも往生すれば善人になれるのです。
善人になれば、自然に修行できてしまう。
仏教の目的は四諦八正道の実践です。
その実践を今するのか、往生してからするのかの違いはありますが、
修行を否定したら仏教じゃなくなります。

442 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/06(水) 08:30:31 ID:QmHfZOp2
仏教の旗印のひとつが、涅槃寂静です。
四諦八正道によるニルウ゛ァーナこそが、究極の幸せ、最高の平安です。
涅槃を信じるならば修行を否定してはいけない。


443 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 11:23:51 ID:Dsx+KM8O
浄土は男だけでホモの世界と聞いたが。

444 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 11:50:19 ID:jzBrEzU5
無気力人間は、失恋、失望、執着などによる苦しみが無く、人生をあるがままに受け入れて
生きている。だが、そいつの様には、なりたくは無い。
しかし、涅槃寂静の境地に一番近いのは、彼ではないかと思うこがよくある。
自分自身に希望を抱かない(執着しない)点で、共通点は多い。

445 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/06(水) 12:19:43 ID:QmHfZOp2
>>444 自分の欲がなくなったら、他人のために奉仕するようになるのでしょう。
ブッダはある時悪魔から、
「修行を完成したあなたは、さっさと涅槃に入ったらいいではないか。
なぜ他人に教えを説くのですか。」
と、遠回しに自殺を勧められました。
それに対してブッダの答えは、
「教えについて尋ねてくる者がいるから説いているだけだ」
という内容でした。
自分の欲がなくなれば、他人からのお願いを断る理由もないから、
求められるままに教えているということです。
他者を救うために無量寿をいきる阿弥陀仏の本願にも通じる気がしますね。


446 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/06(水) 12:26:54 ID:QmHfZOp2
>>443 男だけといえば男だけですが、
異性がいないし生殖の必要もないのだから、
性別がなくなるということでは?
あと、極楽浄土では自分と他人という区別もなくなるそうです。
極楽の衆生は全員で一つの生命体であり、
個々の菩薩達はその一つの生命体の体の一部みたいなもんなのかも。


447 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/06(水) 12:33:38 ID:QmHfZOp2
…と、書きながら以下のような妄想が。
極楽浄土の衆生の集合体である巨大な一つの生命は寿命が無量である。
なぜそんなに長生きできるかというと、
食べものに困らないから。
食べものとは、次々と往生してくる凡夫たちだったのです!
凡夫たちを食いつくすまで、極楽浄土の巨大生命体は死なないのだ!
さあ今日も、臨終来迎という触手をのばし、
念仏往生する悪人どもをもれなく「救済」するのである。

448 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/06(水) 12:41:51 ID:QmHfZOp2
>>444 無欲と無気力は違うのでしょう。
無気力の人には、「めんどくさいから何もしたくない」
という欲があると思います。


449 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 12:46:37 ID:jzBrEzU5
では、石ころと涅槃寂静の違いはありますか?


450 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/06(水) 12:54:30 ID:QmHfZOp2
>>449 質問の意味がよくわからない…です。
石ころは物質ですよね。
仏の肉体を構成していた物質が石ころに変化することはありえますが、
その石ころが仏でもないし、石ころが涅槃でもない。
仏は涅槃に入られた。

451 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 12:58:21 ID:jzBrEzU5
つまり、生きながらにして涅槃にはいると、石ころと何の違いがあるのだろうかと。
石ころは何も考えず、何も欲せず、何も苦しまず、ただただ自然のままにそこに存在している。



452 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 13:38:08 ID:Dsx+KM8O
>>447
浄土って食料なさそうだものね。
悪道の衆生(動物)はいないし、
樹木も宝石で出来ていそうだし、
畑を耕す人もいない。

453 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 14:37:15 ID:4o329hNo
>>452
阿弥陀経を読め

454 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/06(水) 17:46:17 ID:QmHfZOp2
>>451 2500年前におられたブッダと石ころとの違いを比較してみると、
ブッダは教えを説いたけれど石ころは教えを説きません。
ブッダは多くの人々を苦悩から救ったけれど石ころは救いません。


455 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 17:49:22 ID:zrdXo0g0
仏は導くが仏像は導かない。

456 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/06(水) 17:54:07 ID:QmHfZOp2
>>455 そのとおり!
ただ、仏がこの世にいないから、代わりに仏像拝んでるだけ。
笠地蔵じゃあるまいし、仏像自体に不思議な力とかがあると信じてるわけではない。

457 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 17:57:23 ID:zrdXo0g0
大仏作るくらいなら識字率高めて仏典広めろよとか昔の人に対して思った。
資源の無駄かつ意味も無い金属塊で生活を圧迫するなんて悪鬼の仕業だな。

458 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 18:10:08 ID:Dsx+KM8O
浄土と関係ないけど
大仏とかピラミッドは当時の公共事業なんじゃないの?

459 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 22:54:17 ID:EUkqxXU5
阿弥陀如来は、朝から晩まで五欲にまみれ、まことの心の全くない私たち、仏教を聞こうという気のさらさらない私たちを強い強いお力で引っ張っておられます。
「何とか何とかわかってくれよ、真実を聞き求めてくれよ」と。
「必ず本当の幸福にしてみせる」と全力をあげておられます。
大慈大悲の阿弥陀如来に思いを馳せていただきたいのです。

若不生者のちかいゆえ
 信楽まことにときいたり
 一念慶喜するひとは
 往生かならずさだまりぬ (親鸞聖人)

私たちは、信楽という絶対の幸福にしてみせると誓われた本願を、素直に聞けません。
「私のような者が助かるのだろうか」「絶対の幸福なんてあるか」と疑っています。

 そんな私たちだから、「必ず信楽にしてみせる。できなければ、命を捨てる」
と約束なされたのです。それで親鸞聖人は、弥陀の本願を、
「若不生者のちかい」と言わずにおれなかったのでしょう。

「命をかけて約束する。それでもお前たちは疑うのか」と、阿弥陀如来はお叫びです。

 弥陀の本願に、ウソがあろうはずがありません。必ず絶対の幸福になれます。
「本願まことだったー」と知らされるのは、無明の闇が破れ、信楽の身になった時。それが、
「信楽まことに時至り」です。


460 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 23:05:19 ID:jzBrEzU5
自己陶酔に付き合ってられんな

461 :名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 20:42:24 ID:V67vu0ZB
仏教を真剣に聞き求めていきますと「本当の自分の姿」が知らされてきます。
私たち人間の本当の姿は、「心」は、常に悪を思い、「口」は、常に悪を言い、「体」は、常に悪を行って、
いまだかつて、「善のかけら」もない者なのです。
これが、すべての人間の「本当の姿」です。
(これは、仏教を真剣に聞き求めていきますと知らされてきます。)
そういう私たちですから、「因果の道理」によって、必ず地獄におちなければならないということになるのです。
「因果の道理」は、仏教を一貫する「根幹」です。
・善因善果(ぜんいんぜんか)
・悪因悪果(あくいんあっか)
・自因自果(じいんじか)
善いタネをまけば、よい結果があらわれ、悪いタネをまけば悪い結果があらわれます。
「自分のまいたもの」は、「自分が、かりとらねばならない。」ということです。
「心」の中で、悪いことを思えば、必ず、「悪い結果」として、あらわれます。
「人が見ていないときなら、悪いことをしてもよいだろう。見つからなければよいだろう。」
と、思っている人が、たくさんいますが、それは間違いです。
遅かれ早かれいずれ、「悪い結果」が、必ず自分に返ってくるのです。
「心」で「あいつ、死んでくれたらいいのに」と思えば、それは、「体」で直接、殺さなくとも、たいへんな「悪」です。
「心」で思わないことは、「口」で言ったり、「体」の行いとして、あらわれませんから、「心」が「もと」なのです。
ですから、仏教では、「心」でいろいろ思ってつくる悪、罪が、最も重いと教えられます。
「体」や「口」よりも、「心」を重く見るのが仏教なのです。
私たち人間が、朝から晩まで考えていることは、ろくなことがありません。
「心」で悪いことばかり思っています。
自分のこと、自分の心をよく見つめてみられれば、皆さん明らかでしょう。
そういう「善のかけらもない、悪のつくりどうしの私たち極悪人」を命をかけて「必ず絶対の幸福に救ってみせる」と誓われているのが、「限りなき大慈悲・まことの心をもっておられる阿弥陀仏」です。


462 :名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 23:56:13 ID:aKjKzxIN
>>461
その文章まるごと聞いたことがあるけど何かを写してるの?
いつもそこで思う。悪はあるけれど悪ではない部分もあるのに、すべてを悪とするのはなぜですか?

463 :名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 23:58:15 ID:TRpMP36e
ある人にとっては悪でも、別の人にとっては善であることもあるのでは?

464 :名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 00:03:15 ID:dFLmiFNN
お地蔵さんているじゃないですか、蜂がお地蔵さん呼んでるんですよ。
でもって、はちに導かれるままに、どこかにいくんですわ、

465 :名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 00:05:06 ID:dFLmiFNN
春になるとお地蔵さん大満足なんですよ。

466 :名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 01:48:02 ID:3JzGPDKT
お坊さんいますか?
悩みも苦しみも無いという西方浄土に行きたいんですけど
浄土まで行くのに大変ですか?時間はどのくらいですか?幽霊とかに襲われませんか?
浄土ではペットとも会えますか?
痛いの苦しいの嫌だから自殺は無理です、なんとかなりませんか?
念仏してたら生きてても来迎してくれますか?

467 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/10(日) 14:07:28 ID:hDGeADwn
修行を走ることにたとえるなら、
本物の仏弟子はジョギング自体を楽しんでるのであり、
鍛えるためなど別の目的のためにとに嫌々走っているわけじゃない

468 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/10(日) 14:14:11 ID:hDGeADwn
>>467 誤爆でした
ごめんチャイ

469 :名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 20:48:18 ID:su2c7G3l
竹村牧男著「インド仏教の歴史」より)

釈尊の説法は、『阿含経』にまとめられて、各部派に伝持されたのであった。
しかし、釈尊入滅後300〜400年ぐらい経って、新たな「仏説」が、
まことしやかに広められていく。
『般若経』『華厳経』『法華経』『無量寿経』といった経典が、釈尊の説法として
宣布されていくのである。
それは新しい仏教の出現であった。正統的な部派仏教がしたとは、考えられない、
仏教の“新興宗教”の出現であった。
仏滅後400年近くも経ってのちにはじめて現れた経典が、そっくり釈尊の
説いたものでは当然有り得ない。そこに釈尊の直説が核として含まれていたり、
釈尊の精神が横溢にしていたとしても、これを編み、制作した者は、当時の
何者かであったことは否めない。
ただし、これらの経典(経典ごとに、制作者グループが別々にあったであろう)
を人々に説いて聞かさせた者たちについては、見当がついている。
それは「法師」とよばれる者たちであった。
法師の言語は、ダルマ・パーナカである。パーナカというのは、音楽や手品や
語りなどの芸に生きつつ民衆の間をさまよう、いわば旅芸人のことである。
かれらはけっして、正規の出家僧ではあり得なかった。インド社会の宗教に関
する制度のなかでいえば、いわば落ちこぼれであり、卑しめられて、体よく利用
される周縁に属していた。

470 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 02:35:02 ID:2g1fGHaY
330 名前:名無しさん@1周年 :02/09/22 03:04
しかし、減益がわざと荒らしたとなると、
親鸞会も堕ちるところまで堕ちたもんだ…。ふぅ…。

ここでひとつ話題を提供しましょう。
教義面の話なんだけど、難しいことは言わないので聞いてほしい。
漏れが在籍時、先輩に対して実際に行った質問(台詞は変更してます)、

漏れ「先輩、阿弥陀仏の本願って十劫も昔に建てられたものなんですね」
先輩「そうだよ。十劫っていってもそれよりもはるか昔に建てられたものなんだ」
漏れ「そこで先輩、質問があるんですが」
先輩「何? 何でも言ってちょうだい」
漏れ「阿弥陀仏の本願って、私たち人間のために建てられたものなんですよね?」
先輩「そうだよ」
漏れ「その(建てられた)当時、人類って誕生していたんですか?」

先輩はその質問に答えられませんでした。
そりゃあ、地球は60億年前に生まれたって学校で習ったんですもんね。
そのとき人類が誕生していたと考えても、十劫に全然満たないし。
さあ、ベテラン仔牛さんよ、どう答える? くれぐれも、、、
「(十劫も昔に建てられたというのは)方便」って答えはやめてね☆


331 名前:名無しさん@1周年 :02/09/22 05:35
>>330
それくらいなら別に減益じゃない俺でも答えられるぞ・・・
宇宙には地球と似たような世界(他の惑星)がたくさんあるんだよ。
そこには人類と無数の仏様がいる・・・ってわけで
十劫の昔にもどっかの星に人類がいたんだろーよ。



471 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 02:54:02 ID:HSaPhM63
他の星で本願建てても良いんだけど、極楽浄土に土人とか
ラテン系とかアラブ人とかバテレンは居るのだろうか。

銀河は網羅してるのに、地球は一部しか仏の瑞光が照らない
ってことはないよね?

472 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 07:16:43 ID:3V2rH4ad
月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ

月光の届かない場所はないが、月を眺めた人だけが月に気付く

473 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 23:41:06 ID:iRwTE2Sk
気付かぬ人も、意識せぬ人も、太陽と月が照らし、
空気と水によって生きている。

474 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 00:39:58 ID:AljpZsG0
月の光、太陽の光に気付いたとしても、それをそのまま月・太陽と認識しているとは限らない。
人間というものは、智慧があると自惚れて、好きな名前をつけ、それぞれの理論と物語を
持ち、それが真理だ真実だとわめいている。
「阿弥陀如来」もそのなかのひとつに過ぎない。
本当の光があるとすれば、人間の智慧ごときで、その経綸も、名すらも、どうして知ることができようか。


475 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 00:43:37 ID:9UJrre0a
>>474 人間を救うための教えだから、人間に理解できるレベルじゃないと意味ない。

476 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 00:46:14 ID:AljpZsG0
人間が理解できないからこそ宗教戦争がなくならないのではないのかね?
君、それは詭弁だよ?

477 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 05:23:42 ID:voQfsbb4
結論:高森顕徹先生に無条件服従こそが救われる近道!
浄土真宗親鸞会とは後生の一大事の解決を教えられた親鸞聖人のみ教えを全世
界の人々に顕らかに弘めようとする団体である。
そして私たち親鸞会会員は、高森会長先生を最高無二の善知識と仰ぎ、先生の
御指導のもとに、一日も片時も急いで信心決定、後生の一大事を解決するため
に結集している。
その誇りある親鸞会会員として私たちは、善知識に対してどのような心念を持
てばよいのか。それはすでに蓮如上人の弟子、赤尾の道宗が身を持って教えて
いる。
「善知識の仰せなら成らぬことあるべきか」である。
善知識に対しては無条件服従せよと教えられているのである。


478 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 08:30:34 ID:9UJrre0a
>>476 なんでいきなり宗教戦争の話になるの?
戦争してるのは一神教の人々でしょう。
阿弥陀仏信仰は仏教ですよ。
人は創造神にはなれないが、
誰でも仏に成る可能性を秘めている。
阿弥陀仏は、理想の仏の姿

479 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 14:32:46 ID:SGquyn6N
想像力の欠如

480 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 15:04:30 ID:BsgCeQRC
信長に闘いを挑んで負けたのは阿弥陀信仰の法主だったね。

阿弥陀信仰は仏教の亜流の一派であって、仏教そのものでは
ないのだから、あまり生意気な主張をしないように。


481 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 15:35:32 ID:36ESfYNF
如来所以興出世
唯説弥陀本願海

482 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 15:46:50 ID:SGquyn6N
スレタイは間違いだ

「紛れも無い宇宙の真実」では無く、阿弥陀信者の「脳内では真実」と書き換えるがよかろう

483 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 22:01:55 ID:iyA6h1HV
仏教の運動で、一番の問題点がお経、つまり、よりどころとなる聖典の問題でした。伝統的教団には、釈迦から伝わる教えをまとめた経典や、釈迦から受け継がれてきた戒律をまとめたものなどがありました。
ところが、一般民衆から起こった大乗仏教には、それがありません。聖典がなければ、教団形成はできません。
 そこで、大乗仏教の人々が取った方法は、経典を創作するという、現代人にはとても理解のできない方法でした。
自分たちの理念、理想を述べたものを自分たちのよりどころの聖典とし、それも、「私はこのように釈迦から聞きました」という書き出しをもって、経典を創作していきました。
 このように、好き勝手に誰でも経典を作り始めたのですから、その経典の量たるや、ものすごいものとなりました。
 また、釈迦以来の伝統的仏教教団は、比較的、当時インド一般社会に浸透していたヒンズー教とは一線を画していたのですが、大乗仏教は、ヒンズー教の社会に生きる一般民衆から起こったのですから、
初めからヒンズー教の影響を強く受けることになります。
 このことは、次回以降に述べますが、このときに、仏教の中に、阿弥陀仏とか観音(観世音菩薩)とか地蔵菩薩などの超自然的、神格的存在が説かれるようになり、大乗経典に多く記されていったのです。もちろん、このようなことは、釈迦は説かなかったことです。

484 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 00:07:49 ID:b99Xr6Yq
http://www.gospeljapan.com/bibleland/bu_shuu3.html
引用元のurlもちゃんと貼ってくれ。

485 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/16(土) 08:44:21 ID:GSbZ6dyf
>>483 今の坊さん達は、そういう歴史を承知の上で、
経典の世界観の中に生きているんでしょう。
お経の物語が空想だとしても、
仏を拝む人間の活動は物質的な事実になる。


486 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 12:42:39 ID:z1jyrsYs
483,484はおめでたいね。
http://www.gospeljapan.com/bibleland/bu_shuu3.html
を疑いなく素直に信じてることが

487 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 12:44:01 ID:M6F8DuMi
>>485
そういうのって、鰯の頭も信心からと言うよね

488 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/16(土) 13:21:04 ID:GSbZ6dyf
>>487 そうですね。
信じる人にとっては、阿弥陀仏は実在します。


489 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 13:31:27 ID:M6F8DuMi
まあ、それが宗教ですからね。
子供たちにはドラえもんやポケモンが実在するように。


490 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/16(土) 14:21:02 ID:GSbZ6dyf
釈尊が本当に悟った人(ブッダ)であったかどうかも、
結局は信じるしかないわけですから、
やはり仏教も宗教なんですね。
仏の悟りを信じ、
その仏の教え(お経)を信じ、
お経を伝承している教団を信じる以外には、
仏教を学ぶ方法はない。
阿弥陀仏の教えだって、長い歴史の中で教団が伝えてきた教えのひとつです。
それを否定しちゃうのは、2500年前の仏と現代の私達を繋ぐ手掛りを切ることになりかねない。

491 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/16(土) 14:24:50 ID:GSbZ6dyf
簡単に言うなら、先輩の先輩の先輩の…先輩であるブッダの教えを知る手掛りは、
自分の目の前にいる先輩の教えを信じる以外にない。
とはいうものの、先輩に言われたとおり忠実にやってたなら、
大乗仏教は生まれなかったでしょうけど。

492 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/16(土) 14:27:26 ID:GSbZ6dyf
私にとっての先輩、師匠は、
私の所属する教団の僧侶です。
先輩僧侶が念仏往生を教えてくれたので、
後輩であり弟子である私は、
ただただそれを信じて次の世代に伝えるだけです。

493 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 14:59:34 ID:kOMtL2go
>>486
お前は反証もできずに煽るだけだもんね。

494 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 22:45:14 ID:C23pj2xB
>>483
よくまぁー、こんな出たら目な事を誠しやかに、書けたものである。
全く仏教史に無知なクリスチャンの松岡広和と言う人物が、好き勝手に
かいているだけじゃないか。

495 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 23:57:27 ID:ObhU7dAr
じゃあ反論メールを送ってみたら?

496 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 00:49:42 ID:J00adYd+
世に出てる宗教書にいちいち反論してたらキリが無いよ

497 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 01:01:07 ID:HPBCEfpl
それらの宗教書はそれぞれ「我こそは真実なり」と謳っている。
その数は限りない。
いとも簡単に真実が誕生し、売られ布教されている。真実の安売りだ。
まったく真実もなめられたものだ。

498 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 01:07:18 ID:GdQWFqaU
念のために書いとくけど、>>495
宗教書にではなく、「松岡広和」という人に反論メールを出したら?
という意味。>>494が彼を「全く仏教史に無知」だと言うのならね。

499 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 01:12:11 ID:J00adYd+
念のために書いとくけど、>>496
宗教書を書いてる人でも仏教に無知な人ばかりだから
無知な人みんなに反論してたらキリが無いということ

500 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 01:21:23 ID:GdQWFqaU
間違いだというなら、その証拠を示さなければ口先だけだ。
ここにでも書けばいい。どこかにその説への反論を書くことは
同様な全ての説への反論となる。>>494なのはスレの前あたりから
いたが(同一人物か?)どれも「まちがいだー」というだけで
その中身を示さないから心配になるわけ。正直逃げにしか見えん。あるいは煽り。

501 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 01:31:50 ID:HPBCEfpl
真実だという事実と、
真実だと思いたいという期待とは、
1万光年も開きがある。

悲しいかな宗教というものは、ほとんどが後者

502 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 01:34:59 ID:GdQWFqaU
>>500
>>494なのは」→「>>494みたいなのは」に訂正

同じようなことしてたのがキリスト教徒にもいたからな〜。
口で「〜〜〜だ。」というのを延々と言ってたのが。そいつは
コーランに「コーランか剣か」が書いてあるとか言ってた奴なんだけどね。
そいつはどこに書いてあるかと聞かれても、出そうとしないから
他の岩波のコーランを持ってる人が何時間もかけてすみずみまで探したけどもちろんなくて
解説の部分に「コーランか剣かは西洋でつくられた幻想」とか書いてあるだけだったというオチ。
俺も訳を持ってるけど、もちろん「コーランか剣か」と書いてある章句なんて見た事が無いw

503 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 01:40:27 ID:VnZVi8Fn
>>501
ほとんど?全部だろ。
真実は一つであり、その真実を示せる宗教がないから、
いつまでたっても言い争いが無くならない。

>まったく真実もなめられたものだ。

こんなこと言っても笑われるだけだよ。


504 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 01:51:00 ID:HPBCEfpl
真実というものは証明ができない
それは神の存在も同様
結局は不可知論におちつくのさ
故に、ヒステリックにどちらかに偏らない姿勢を保つのが
よき哲学者であり、よき科学者なのさ
白いカラスがいないという証明がなされない限り、白カラスの存在の可能性を探求する。
生まれてこのかた黒カラスしかみたことが無かったとしても、それは白カラスが存在しない
という証明にはならない。
科学というものは人間が目にしたり経験したりしたものしか認めない不完全な学問であることを
科学者は常に認知している必要がある。
それと、世の物質は絶えず移り変わるのに、世の中が常に存在し続けるのには何か変わらないものが
あるはずだという探求は古代からされてきた。真実はどこかに存在する。

505 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 02:29:28 ID:VnZVi8Fn
不存在の証明が不可能=存在の可能性=存在。
キリスト教徒が好みそうな屁理屈だね。

存在の可能性=存在するとは言えない。

真実はどこかに存在する。と言うためには
別のアプローチが必要だな。

506 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 02:35:57 ID:HPBCEfpl
>>505
君は哲学を知らないようですな
まずソクラテスからはじめたら?ニーチェやサルトルまで相当かかるだろうけど
そういったこと何も知らなさそうだから


507 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 02:52:19 ID:cQoInTKw
>>506
お前は、自分を知らねばならん。
他人の書物には、お前自身のことは一行も書いていない。
お前にとって真理は、単なる他人のうわ言に過ぎん。
「誰か偉い人」がそう言ってるからと、是認しているに過ぎん。
そして是認する当の本人は、自分自身が「真実」を生きているかすら分かってない。
大変、詰まらないことだ。

太陽を指差すその指は、太陽ではないのだ。
太陽の輝きを知り、自らそれを放つが重要。

自灯明

508 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 05:52:46 ID:iA+IlIiW
一切皆苦・諸行無常・諸法無我・涅槃寂静。
少なくとも、これは真実だと思います。

509 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 12:22:45 ID:HPBCEfpl
>>507
>「誰か偉い人」がそう言ってるからと、是認しているに過ぎん
これは私ではなく、あなたが言っていること。一緒にしないで、おらいたい。
あなたは自分をしらない。知っているつもりではいるだろうが。
哲学をあなたも知らないようだ。
哲学は、「誰か偉い人」の発言をありがたがるものではないのだよ。
哲学は、考えるということ。疑問を持つということ。探求するということ。
その姿勢を持つものは哲学者である。
あたなが発言した言葉は、自分の中から出たもので、自分自身を表している。

510 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 13:03:49 ID:/jyGCGxX
地球上のすべての生まれてきた目的、生きる意味は共通してただ一つのものです。
それは、阿弥陀仏の絶対の救いにあずかるということです。
すなわち阿弥陀仏の絶対の願力によって助かることをいいます。
阿弥陀仏は、その本願(約束)に「一生造悪のすべての人を、必ず絶対の幸福に助ける」と誓っておられます。
これは、死後のことではなく、生きている現在ただ今、苦しみ悩みの絶えない人生を光明輝く生活のできるようにしてやろう、というお約束です。
こんな素晴らしい誓願は、どこにもありませんから、親鸞聖人は『正信偈』に、「無上殊勝の願を建立せられた、希有の大弘誓を超発せり」とおっしゃっています。
その約束どおりに、私たちが絶対の幸福に助かった時を、他力の信心を獲たというのです。
これはひとえに阿弥陀仏(他力)のお力によって、このようにさせていただけた、ということがハッキリしますから、他力の信心、他力の信仰というのです。
しかも、阿弥陀仏の救いは一念でなされます。阿弥陀仏は「ひとおもい」で絶対の幸福にしてみせると誓っておられるからです。
これを親鸞聖人は「一念往生」とか「一念の信心」ともおっしゃっています。アッという間もない時尅の極促に私たちの苦悩を抜きとり、無上の幸福を与えてくださいます。
これを抜苦与楽といわれています。
阿弥陀仏の救いは、極めてハッキリしていますから、「これで助かったのだろうか」「これが他力信心というのだろうか」と自分で思案したり、他人に尋ねたりする必要のさらさらないものなのです。
他力の信心を獲ると、火にさわったようにハッキリするものであるということをよく知っていただきたいのです。
法然上人は承安5年、黒谷という所の報恩蔵の中で、善導大師の書かれた『観無量寿経疏』という書物の中の「一心専念弥陀名号」という一文を読まれた一念に、
一切の苦悩の疑雲が晴れ渡って、他力信心を獲得したと告白なされています。そしてこのような十悪の法然でも、このような愚痴の法然でも、阿弥陀仏は救ってくだされたと涙ながらに叫んでおられます。


511 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 13:04:16 ID:YZUxVDUQ
自分の長い衣を洗って,命の木に[行く]権限を自分のものとし,その門から
都市の中に入れるようになる者たちは幸いである。 15 その外にいるのは,
犬,心霊術を行なう者,淫行の者,殺人をする者,偶像を礼拝する者,
また,すべて偽りを好んでそれを行ないつづける者である』。


512 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 13:04:20 ID:/jyGCGxX
親鸞聖人は、建仁元年、29歳の時に、他力の信心を獲得したとおっしゃっておられます。
そのことは『教行信証』にも『御伝鈔』にも明記されています。
『御伝鈔』には
「建仁第一の暦春の頃、隠遁のこころざしにひかれて源空聖人(法然)の吉水の禅坊に尋ね参りたまいき。これすなわち、世くだり人つたなくして、難行の小路迷い易きによりて、易行の大道に赴かんとなり。
真宗紹隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし教の理致をきわめてこれを述べたまうに、
たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定しましましけり」
と記されています。
法然上人の法話を聞いていられた時、たちどころに(一念)他力の信心を獲得なされたのです。そして聖人は、「ああ……このような絶対の幸福を、この世で体験させていただけたとは、ひとえに阿弥陀仏のおかげであった。
多生にもあわれぬ幸福であり、億劫にも恵まれぬ楽しみである。何の間違いで親鸞は救われたのであろうか。
このうえは阿弥陀仏のご恩に対して身を粉にしても、骨を砕いても報いずにはおれないぞ」と決意の程を述べておられます。
覚如上人も『執持鈔』に
「われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに成弁することをよろこぶ」
とおっしゃっています。
これは「覚如は阿弥陀仏のお力によって、絶対の幸福に救われたことを慶んでいるのだ」ということです。
蓮如上人も『御文章』に
「他力の信心ということをば今既に獲たり、――乃至――今こそ明らかに知られたり」
とおっしゃっていられることは周知のとおりです。
また、真宗宗歌の中でも
「ふかきみ法にあいまつる、身の幸何にたとうべき」とか、
「永久のやみよりすくわれし、身の幸何にくらぶべき」
と声高々と、うたっていますように、他力信心を獲たということは、
極めてハッキリと救われた鮮明な体験であるということなのです。



513 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 13:11:59 ID:s6QAGjiv
自分の長い衣を洗って,命の木に[行く]権限を自分のものとし,その門から
都市の中に入れるようになる者たちは幸いである。 15 その外にいるのは,
犬,心霊術を行なう者,淫行の者,殺人をする者,偶像を礼拝する者,
また,すべて偽りを好んでそれを行ないつづける者である』。


514 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 15:02:14 ID:/smKTdcd
>495
>>「私はこのように釈迦から聞きました」という書き出しをもって、
経典を創作していきました。

釈尊の死後仏弟子達は、釈尊の教えを間違い無く後世に残す為、
毎年集まって、「私はこのような説法を釈尊から聞きました。」
と、他の仏弟子達の前で発表し、もし一字一句間違いが無ければ、他の仏弟子
が承認していくということを、其れを書き留める物が出来る迄続けたのである。
だから経典の始めに、「如是我聞」即ち私はこの様に聞きました、と有るので
ある。
大乗仏教が興ったから、新たな経典を作ったとあるが、あれだけ仏教の盛んな時に
その様な事をしても、第一だれも相手しないだろうし、ちょっと常識に欠けて
いるのでは?。

515 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 15:12:22 ID:HPBCEfpl
>>514
君は仏教経典がすべて釈迦が説いたものだと信じているようだね。
残念ながら、そうではないことは仏教徒でも知っていることだよ。
まだ、釈迦の死後百年くらいまではいちいち弟子が結集して、経典を作れたろうが、
千年後にも経典は作られている。そして同じように、如是我聞とある。
これは、実際に聞いたというのではなく、文章の内容に信憑性を持たせるために用いた
一種の形式である。
現実を受け止めることも、仏教の教えに従うことになるのでは?
そもそも無いものを有ると妄信・執着するところに苦しみが生まれるのだから

516 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 18:50:51 ID:Ah2QOz1j
文字に直すにしても同時期にではなく、なぜか数百年単位の時間差で出現するんだよねw

>あれだけ仏教の盛んな時に
>その様な事をしても、第一だれも相手しないだろうし、

つ「ダ・ヴィンチ・コード」

517 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 20:41:28 ID:2OnL7SpJ
>515
其れは当然知ってますよ。
だからと言って、大乗仏典が全てでたらめと言うことも言えないのでは。
仏教も無常であるから、日々進化発展するのが釈尊の教え。
小乗(部派)仏教で悟りを得た覚者が、阿弥陀如来を感得し大乗に発展させさ
のである。
ナーガジュンナは、16歳でバラモンの教えを習得すると言う程の天才であったが、
友人の死により無常を感じ、小乗仏教へ移り修行するが其れに飽き足らず、大乗に移り悟り
を得て、竜樹菩薩と成った。
竜樹は、十住比波舎論に二河白道を説き阿弥陀如来の救いを説いている。

518 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 23:29:55 ID:mN4XFsCN
>>517
十住毘婆沙論の実際の著者としては、龍樹には疑問符もつけられてるけどね。
そもそもあの著作は、華厳経十地品の注釈書だけど、
テキストの構成としては、
阿弥陀仏(これを含む十方諸仏)への帰依が説かれるのは初地の覚りを得た後の段階だね。
そのあとも修道論は続けられるし。
易行品だけを抜き出してそこだけ特別視するのも、文献読解として違和感を覚える今日このごろ。

519 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 23:52:08 ID:mN4XFsCN
>>514
あとね、
>「私はこのような説法を釈尊から聞きました。」
>と、他の仏弟子達の前で発表し、もし一字一句間違いが無ければ、他の仏弟子
>が承認していくということを、其れを書き留める物が出来る迄続けたのである。
この方式で経典編纂が為されたであろうと確実視されてるのは
第一仏典結集(阿含経典群の元祖となる)のときだね。
それから、「仏教が盛んな時代」だったからこそ、
仏教以外のバラモン教徒や土着宗教者が保身のために仏教教団の中に潜り込み、
自らの信仰する宗教の教義を仏教経典内に持ち込んで編纂したなんていう過程も
見逃すべきではないだろう。
まあ個人的には、阿弥陀浄土信仰と原始仏教との間での、
教義構成としての一致点を模索しているところではあるけど。

520 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 01:31:36 ID:JqxoB12N
仏教の消滅(小川一乗)

 私が学生時代にインド仏教史を習いましたときには、インドから仏教が消滅したのは、イスラム教徒の侵入によって、仏教寺院が徹底的に破壊され、仏教の出家僧が虐殺された、そういう歴史的状況の中で仏教が滅亡したというように教えられました。
けれども私は、学生時代にそういう説明を聞いて納得できないものがあったのです。
それならばなぜ、そのときのインドの民俗宗教であるヒンズー教が滅びなかったのか。なぜ仏教だけが滅んでしまったのかという疑問が残ったのです

大乗仏教がもっとも盛んになったのは四、五世紀ごろです。
しかし仏教の教えの中に、インド民族のタントリズムの教えが入る度合いが深まるにつれて、次第に仏教は密教化していき、仏教それ自体は衰微の一途をたどっていくのです。
そして百年たった六世紀ぐらいになりますと、ナーランダー大学の学生数は減少して、六、七千人に減ってしまっています。
ともかくも、最終的には十二世紀に仏教はインドから消えるのです。
仏教教団の中に在家信者が入ってきたとき、その人は同時にインドの民族信仰を背負って入り込んできたのです。
それによって仏教と民族信仰が混合されていくことになるのです。
“ひさしを貸して母屋を取られる”ということわざがありますが、最初のうちは民族信仰は仏教のひさしにいて、仏教はまだ母屋にいたわけです。
ところが次第に、ひさしにいたものが母屋の中へ入り込んでいき、仏教とインドの民族宗教が完全に逆転するのが、だいたい七、八世紀です。
ヒンズー教(インドのタントリズム)を取り込んでいった仏教が、ついにヒンズー教にのみ込まれてしまうわけです。七、八世紀になりますと、インドの民族宗教の総体であるヒンズー教、
それらの基本となっているインドのヴェーダー時代以来の、釈尊以前からのインドの正統派宗教を代表するバラモン教、そこにおける「梵我一如」というウパニシャッド哲学による宗教観が仏教の教義の中に取り入れられて仏教は密教となっていくわけです。
「梵我一如」については後に説明いたしますが、ともかくも、仏教の用語は使っているけれども、中身は変わってくるわけです。すなわち、「梵我一如」という宗教観に仏教は符合していくわけです。

521 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/18(月) 12:45:39 ID:t8lQxHOf
>>519 大パリニッバーナ経で、ブッダが死を決意するあたりの内容って、
阿弥陀仏の本願に通じる気もします。
ブッダは本人が望むならばいつまででも生きていられると、書かれてある。
ブッダはかつて悪魔に死を勧められたとき、
弟子や信者達が教えを理解できるまでは
生きていると答えた。
そして、ついに弟子や信者達はみんな教えを理解するに至った。
そこで、そろそろ死んでいいかなと思った。
そのことをアーナンダにほのめかしたら、
アーナンダは「死なないでください」などと頼まなかったので、
もう死んでもいいなと決意して、悪魔に死を予告した。


522 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/18(月) 12:48:15 ID:t8lQxHOf
ゴータマ・ブッダの誓願だと解釈するなら、
自分の弟子や信者が一人前になるまでは生きているぞ
という誓願になる。


523 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 12:49:12 ID:EJSuI3lR
釈迦は自分の病と下痢すらも治すことはできない、ただの人間


524 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/18(月) 12:56:07 ID:t8lQxHOf
また『サンユッタ・ニカーヤ』の中で、
ブッダが悪魔から自殺を勧められたことがあった。
その内容は、
「修行を完成したあなたが、これ以上生きている必要ないでしょう。
なぜ生き長らえて教えを説いたするんですか。」
といったかんじ。
これに対するブッダの答えは、
「教えについて尋ねてくる人がいるから答えてるだけだ」
というもの。
成道後のブッダの余生は、
教えを求める者へ慈悲の心で応えるためだけの生活であり、
生への執着など全くなかったのです。
これは、阿弥陀仏が衆生救済のために無量寿を生きていることに通じると思います。

525 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 12:56:51 ID:Kcs5wWnD
>>523
釈迦は医者じゃないんですけど
ましてや病気治しを強調するインチキ宗教でもない

526 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/18(月) 12:58:23 ID:t8lQxHOf
>>523 原始仏典の中でも、ブッダや目蓮さんは
梵天の世界にテレポーテーションしたりしてます。
普通の人間ではない。

527 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 12:59:38 ID:EJSuI3lR
>>525
釈迦が病気治しする姿から、薬師如来が生まれたがこれも何の利益もないインチキってことでFA

528 :南無大師遍照金剛:2006/12/18(月) 13:01:47 ID:ssVkQ8VA
>>523 お釈迦様は
そう普通の人間ですが(笑)
それが行けないの?

529 :南無大師遍照金剛:2006/12/18(月) 13:02:58 ID:ssVkQ8VA
>>527
どんな名医でも死にますが
何か(笑)

530 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 13:08:11 ID:EJSuI3lR
おめえ談話室じゃ、クリじゃなかったのかよw

531 :南無大師遍照金剛:2006/12/18(月) 13:13:25 ID:ssVkQ8VA
(*^m^*) え"

532 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 14:59:27 ID:DRKUuxnr
薬師如来はどんな名医でも殺してしまうのか・・・

533 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 18:29:42 ID:Kcs5wWnD
薬師如来が殺すわけじゃあない

534 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 18:49:11 ID:xJIac9n/
>>532
商売敵ですから。

535 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 22:15:24 ID:HO3xAvI3
>>529
ヒノーンだけは、既に数万年行き続けてきたぞ。

536 :オーム浄土真宗:2006/12/19(火) 00:56:35 ID:hu8gIUEm
「神」を否定するならば「悪魔」という立場をとらざるをえないが
阿弥陀様と親〇会を否定するとすごくやさしい気持ちになれる
浄土宗坊主と親〇会は本当に可哀相だ
今までの莫大な財施 時間の無駄 矛盾の山 しかしもう後戻りはできない
もしかすると「解脱」とは「不信心決定」ではなかろうか

自灯明 


537 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 01:03:17 ID:QSePsHRH
日本語でおk

自灯明

538 :オーム浄土真宗:2006/12/19(火) 01:23:15 ID:hu8gIUEm
どうせくだらんところにしか使わない金だ。
それらの金銭を真実の仏法を弘める為に布施をさせるのが仏法の重さを知らされた者の責任ではないか。
酔生夢死の人生を過ごそうとしている人々に尊い仏縁を与える為に金の使い方を教えてあげる、
これが真の仏法者の務めである。何不自由もない釈尊が一生涯托鉢乞食行をなされた精神は、
くだらんところへ散在する金品を吸い上げ、召し上げて彼らに仏縁を結ばせる為ではなかったか。
(中略)親鸞会に布施せられた財施のみが十方衆生を生かし末代の宝として生きかえるであろう。


顕正新聞 昭和53年10月

完全なアホですね(笑)

539 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 01:25:06 ID:QSePsHRH
ほんとだな、それじゃ萬田彰晃と変らんw

540 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 01:25:33 ID:oaHyLv7i
アホというより、オウムの集金と同じ理屈なのが怖い。

541 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 02:01:27 ID:3DR1Robe
一部を抜粋して誤解しているのは賢明とはいえません。

542 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 07:29:21 ID:RELTFozi
この内容だけでも、充分にアホといえます

543 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 08:06:17 ID:rIDGskY1
抜粋どころか完全な捏造ですよ

544 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 22:45:53 ID:9W36xH7y
>519
釈尊の説法に、盲人と像と言う説法が有りますが・・・・。
マスクメロンは美味しいですが、、水分がいくら、糖分がいくらと分析
しても其の美味しさは分かりません、其れを食べて初めて本当の美味しさ
が分かります。
又、お母さんを「お・か・あ・さ・ん」と研究しても、其の愛情は分かりません
しかし、「お母さん」と思っただけでも、お母さんの愛情が心の中にふつふつ
と味わえます。
阿弥陀様の光(お他力)にぶち当たると、其のお慈悲がふつふつと味わえ、
心の中に喜びが満ち溢れます。
お母さん=南無阿弥陀仏

545 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 23:25:12 ID:RELTFozi
男だろ?

546 :519:2006/12/20(水) 00:38:09 ID:pc6e2tDf
>けちゃっぷさん
色々とご提示ありがとうございます。今後の参考にしますね。

>>544
示唆に富む意見だと思います。
現代と平安・鎌倉時代とでは、渉猟できる文献もその解釈方法も異なりが大きいので
法然や親鸞などによる論拠では通じなくなっている面もあることは否めないだろうと思う反面、
個人的には、仏教で最も大事なところというのは
「これを聞いた人が、どのような心境に導かれるか」という内的な実践にあるのだとも思う。
「阿弥陀仏という仏様が、あらゆる衆生を浄土に導き成仏させる」という
浄土門の物語自体が原始経典群には見られないものであるとしても、
「移ろいゆく無常の世・無常の身にありながら、いかにして衆生に内的な安寧をもたらすか」という観点においては
浄土門の教義もまた、有効に働き得るものと思う。
その辺についてはまた改めて書き込んでみたいと思います。

547 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/20(水) 08:30:42 ID:P8u0zbUI
>>546 探していた救いが、たまたまお経の中にあっただけなのかもしれませんが。

548 :名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 18:23:23 ID:NiSmRB5k
7高僧、法然、親鸞、覚如、蓮如、これらの方々が伝えて下された弥陀の本願だもの、たいへん心強いです。
それなのに信じない人は、かわいそうです。

549 :名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 18:54:37 ID:pA79vqF/
>それなのに信じない人は、かわいそうです

そのかわいそうと思う、その心が、人を見下す醜き姿なり




550 :名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 22:20:17 ID:8ZHDF5n8
>そのかわいそうと思う、その心が、人を見下す醜き姿なり

人を見下す醜き姿の、地獄行きの私こそを救ってくださる
のが阿弥陀様。



551 :名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 22:28:38 ID:pA79vqF/
その阿弥陀様の信憑性について、また仏教での位置づけについて模索しているわけだが?

552 :名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 22:41:50 ID:FrunPAIr
阿弥陀仏の本願、二種深信、これらは、とても人間の頭で創作できる代物ではありません。


553 :名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 22:44:15 ID:FrunPAIr
阿弥陀様の信憑性を疑うのは、どうかしてます。
貴方を救うと誓われている本願、ほんとに本当だったらどうするのですか?
勿体無い限りです。

弥陀の本願、聞き求めましょう

554 :名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 23:00:35 ID:PDhrsYin
麻原尊師は死刑判決が出ましたけど、ほんとの本当に
仏陀だったらどうするのですか?

というお茶目な人達が、いまだにオウム真理教(アレフ)
を続けているんですね。

555 :名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 23:11:31 ID:FrunPAIr
凡夫は無眼人、無耳人と言われるゆえんですね。
http://www.tulip-k.co.jp/todotoku/0302akarui_2.html
を読んでみるといいですね。

556 :名無しさん@3周年:2006/12/20(水) 23:12:19 ID:FrunPAIr
大悲の願船は、久遠の昔から我々の眼前にいかりを下ろしています。
 ところが私たちには、情けないかな、大悲の願船を見る目がありません。周りの丸太や板切ればかりに心を奪われています。この愚かな姿を、親鸞聖人は「無眼人」とおっしゃいました。
 また、船長は勇んで船のへさきに立ち、「ここに大きな船があるぞ早く乗れよ」と、力を尽くして叫んでおられます。
 しかし、呼び声を聞く耳も、私たちは持ち合わせていないから、「無耳人」と、聖人は仰せなのです。
 これでは、船に乗る人が少ないのも、無理はありません。

 それはちょうど、どうすれば儲かるか、楽しく生きていけるか、健康に過ごせるか、
老後安心できるかといった「どう生きるか」で頭はいっぱい、確実にやってくる死後の問題はまるで見えない、近視眼的な私たちの姿であり、「後生こそ一大事」の仏説にも、「そんな馬鹿な」「死後などない」「死ねば仏」と、耳を貸そうとしない姿であります。


557 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 00:06:31 ID:pA79vqF/
>>553
これだから妄信者は疲れるんだよな

>阿弥陀様の信憑性を疑うのは、どうかしてます。
>貴方を救うと誓われている本願、ほんとに本当だったらどうするのですか?

本当じゃなかったらどうするんだ?
本当じゃなかったら信じないのか?

おたくにとって例えば聖書の位置づけはどうなんだよ?
聖書を信じている人たちから見れば、阿弥陀仏よりも神を信じろってこと
になるだろ。でもおたくは聖書を信じてないじゃないか?おたくの言い草だと、信じないと勿体無い限りですだろ?
自分の主体性を持って生きているのなら、自分の言葉で話してみろよ。
キリスト教徒は世界各地に伝道しているが、浄土真宗はせいぜい仏事や講談会のときにお茶飲みながら軽く話すくらいだろ。
阿弥陀様〜ってありがたがっている割には、しょぼくねえか?
その辺はどうなんだよ?
…という点も含めて、阿弥陀の信憑性と、仏教での阿弥陀の位置づけを答えてくれ




558 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 00:41:38 ID:HoJyk3be
>>557
キリスト教と仏教の違いをよく勉強してください
薄っぺらな知識で判断すると、どっちも同じのように感じるかもしれないが全く違う
どっちが信じるに値するか、じっくり勉強されれば良い

559 :519:2006/12/21(木) 00:51:47 ID:OKzTmWcL
>>552
二種深信は、浄土門の教義において、まさに核心的な部分だと思います。
特に、善導・法然・親鸞の系譜で顕著ですね。
松本史朗さんとかの著作では、
「死後、浄土において仏の悟りを得るという教義の文脈のみにおいて、
浄土門の教義は、仏教の教義とリンクし得る」みたいな位置づけがされますが、
私としてはむしろ、この二種深信こそが、浄土門の仏教たる所以のように思います。

>>548
まあ、原典絶対主義もありなんでしょうが・・・。
各人の思想的背景とか、それぞれの相違性とかは無視するべきでないと思いますよ。
たとえば真宗でいう七高僧の一人、源信を例に出してみよう。
彼が主催していた二十五三昧会では
同門の行者が亡くなった時に、追善供養の目的で念仏をあげる作法があった。
反して、親鸞においては追善供養の概念自体が否定される。
また、源信の天台本学思想的傾向と、法然・親鸞の他力志向とでもその相違性は認められると思います。

560 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 00:58:52 ID:wtcuRNCs
>>558
おめえバッカじゃねえの?

561 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 01:17:01 ID:SnQekrZd
アッラーの信憑性を疑うのは、どうかしてます。
最後の預言書であるクルアーン、ほんとに本当だったらどうするのですか?

今からでも改宗しますかw

562 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 01:41:16 ID:mDHowkig
685 名前:卵の名無しさん[] 投稿日:2006/12/21(木) 01:09:00 ID:5wNLDg1M0
大体多発外傷でコレこそ救急医が統括して診るべきものでも平気で押し付ける
例えば腸破裂、腹膜炎&骨盤&大腿骨骨折でショックになってる奴でも
循環管理さえせずに一介の消化器外科医に「丸投げ」しようとする
ワシらは「魔のキラーパス」といって恐れてるんだが・・・

686 名前:卵の名無しさん[] 投稿日:2006/12/21(木) 01:14:49 ID:Th1GqaEO0
救急医療専門病院ではそんなことはない。
一見さんは基本的にお断り。外来も基本的になし。
病院と救急隊からしか受けない。
そういう病院では丸投げなど無い。すべてチーム医療。
でも大赤字で存亡の危機wwww

687 名前:卵の名無しさん[] 投稿日:2006/12/21(木) 01:19:41 ID:C8lyWnrq0
救急は、国家資格救急救命士にまかせたらいいんだよ。
独立採算にしてね。まっとうな医者のすることじゃないよ。
なにかあればERコールと救急処置所で対応。
救命士に24時間だけ、救急処方権をあげたらいいよ。
よらば大樹の大病院依存症の患者は激減するよ。
医師会も大賛成。


688 名前:卵の名無しさん[] 投稿日:2006/12/21(木) 01:25:30 ID:gBgxCvEK0
不採算の救急なんて経営的につぶれて当り前
何をしても国民から文句が出る日本の医療は
すでに聖域ではありませんから。

689 名前:卵の名無しさん[sage] 投稿日:2006/12/21(木) 01:39:32 ID:0WSU6Ndg0
大丈夫だ、全て阿弥陀が救ってくれる。

563 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 14:17:03 ID:pzcOiZJ2
>>560
まともな反論もできないおまえがバカ

564 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 14:26:45 ID:wtcuRNCs
答えてないのはおまえ
バッカじゃないの?
まず先にお前が、ちゃんと答えろよな
できてないからバカなのよ
分かる?

565 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 15:25:43 ID:IibEEpIR
バカしか言えんのか
ちゃんと答えてるのに

566 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 16:19:32 ID:WuwghcOB
ちゃんと答えてないと思うぞ?

567 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 16:23:51 ID:Rum82LPc
>>558は浄土教とキリスト教の、
具体的にどこがまったく違うのかには答えていない。

568 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 16:54:12 ID:fmGGjvMg
だから2chばかりやってないで勉強しろと
勉強する気も無いのなら偉そうなこと言うなと

569 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 16:57:24 ID:wtcuRNCs
>>558
まあ、おたくは浄土教のことしか仏教知らなさそうだし、ましてやキリスト教のことなど
ろくに知ってもいなさそうだしさ、おたくからは、まともな答えは得られないだろうなと思う。
そんな人が真理はこうだと語ろうとしてるし、自分と考えの違う人間をかわいそうと見下す姿は
やはりどうかしてますな。
>>557にもちゃんと答えてよね


570 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 16:58:27 ID:YFLl3NES
age

571 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 16:59:52 ID:wtcuRNCs
>>568
窮したら回答をはぐらかして他に話題をそらすのは確かに2ねらーらしい答え方ですな
あなたもしっかり勉強してきてください。
おたくが知らないことが山ほどあることを知るためにもね

572 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 17:02:18 ID:fmGGjvMg
>>569
あなたは浄土仏教もキリスト教も知らないんでしょ
そんな人が偉そうに反論するなと
あなたこそ人を見下してる

573 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 17:17:01 ID:flX9J/HF
浄土仏教とキリスト教を知っていれば、どこが全く違うのかを具体的に述べられる。
突き放して「勉強しろよ、ばいばい。」はない。

574 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 17:23:36 ID:fmGGjvMg
>>573
具体的に述べたらそのまま信じるのか?
2ch情報をまともに信じないで自分で調べるようにアドバイスしてあげてるのだが

575 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 17:25:59 ID:flX9J/HF
>>574
ソースを示しながら述べれば後でそれに目に通して確認し、勉強もできてお得。
ぜひお願いしたいところ。

576 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 17:32:29 ID:flX9J/HF
>>502で紹介されたステキなクリスチャンのように主張の根拠も出さずに
ダラダラやってると、時間の浪費になってしまう。

それにしても、コーラン全文確かめるだけでも時間かかったろうなー。
読む人のスピードしだいでは一日じゃ終わらないかもね。

577 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 18:00:10 ID:wtcuRNCs
>>572
おたくは仏教とキリスト教の違いは分からないのだね?
了解した。

答えられませんと答えるのも、一つの勇気
恥ではないよ


578 :オーム浄土真宗:2006/12/21(木) 18:04:01 ID:0dQzjccY
一言で言えば浄土教は変型梵我一如思想
この場合 梵=阿弥陀 我=アーラヤ識
キリスト教イスラム教は中東の奴隷精神異常者の妄想 それ以上でもそれ以下でもない



579 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 21:47:22 ID:mDHowkig
知らねばならんのは、阿弥陀の救いのみであって、それ以外は知るも知らぬも無いのです。

580 :初めまして:2006/12/21(木) 22:08:02 ID:+4r+CWre
今日、初めて、親鸞会の聴聞会にいってきましたが、この教えはもう、古いと思いました。

まず、死後ですが、そんなものはありません。死ねば、遺伝子コードが残るだけです。
21世紀はクローン科学で人間は不死になります。(それには資格が必要ですので、全員では
ありませんが…。) 不死でない人も老化が遅らせるようになりますので、700才〜900才、生
きられるようになります。旧約聖書の時代の人たちと同じように。そして、ナノテクノロジーによって
労働と貨幣制度がなくなります。

つまり、なぜ生きるに書いてあることは時代錯誤になる時代がもうすぐ来るのです。

581 :初めまして:2006/12/21(木) 22:12:13 ID:+4r+CWre
業そのものはありますが、過去世などといったものはありません。
科学はそのような生まれ変わりといった迷信を否定するのです。

業そのものはあります。例えば、カトリック教会は過去、あれほどの悪事を
働いてきました。しかし、それは現在の法王がやったことではないのです。

因果応報の道理の解釈がかなり迷信が入ってるなと思いました。

582 :初めまして:2006/12/21(木) 22:16:26 ID:+4r+CWre
仏陀も親鸞も科学のない時代の人だといわざるをえません。

科学のない時代だから、輪廻転生や阿弥陀仏といった迷信、偶像の考えが
入ったのだと思います。

でも、バーチャル極楽浄土を信じるのも、洗脳的には救いといえるかもしれないね。

もう行かないと思います。

583 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 22:18:56 ID:goQDTQqz
キリスト教は我(とらわれ)の宗教。即ち神は絶対的なもの。

仏教は無我、即ちとらわれを離れた世界。

ですから囚われの心では、阿弥陀様は分からない。

真宗で徹底的に自己を否定し、死を凝視するのは我を徹底的に見つめ

追求する事により、無我(阿弥陀様の世界)に転化される。



584 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 22:27:24 ID:dK1AHszv
>>581
科学は神や来世などの超自然的な事柄に関しては、沈黙を守ります。
肯定する根拠、否定する根拠が確認・検証できるようにならない
かぎり、この先、科学が神や来世を云々することはないでしょう。

あと、信仰を持っている科学者もいること、現代科学の前段階はイスラム教圏や
キリスト教圏で築かれたことを付け加えておきます。

585 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 22:30:33 ID:mDHowkig
>>584
お前も沈黙を守れ。
未来に対する無用の不安が、お前を饒舌にする、「神」などの無用な補助自我を必要とさせるのだ。

不安に耐えて沈黙を守れ。神など必要ない。

586 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 22:35:28 ID:dK1AHszv
「無我」でいう「我」はアートマンの訳です。
「真実の自己」という美しい設定をしています。

587 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 22:36:15 ID:V/SSbebZ
【紛れもなく】にするためには、やっぱりオカルトパワーを
全開にして貰わなければダメだよね。

588 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 22:39:57 ID:dK1AHszv
579 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 21:47:22 ID:mDHowkig
585 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 22:30:33 ID:mDHowkig

589 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 22:42:56 ID:dK1AHszv
>>584の二行目
「科学は神や来世などの超自然的な事柄」と「に関しては、沈黙を守ります。」
の間に「が実在するかしないのか、」を加筆します。

590 :初めまして:2006/12/21(木) 22:58:42 ID:+4r+CWre
それらの科学者(一神教付き)も時代遅れですよ。

クローン人間誕生から、不死の人間が実現されたら、宗教の時代は終わりますよ。

私は今日、阿頼耶識という言葉を初めて聞いたけど、これは科学でいずれ説明され
るでしょうね。親鸞会がひたすら聴聞を勧めるのも、瞑想団体がそれを繰り返し
勧めるのも、この意識改革にあるんでしょうな。阿頼耶識を鍛える。

1000遍くらい聞いたら、本当にバーチャル極楽浄土がインプットされるんだと思います。



591 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 23:06:35 ID:6ciuQP6k
>>590
科学万能主義者か

592 :初めまして:2006/12/21(木) 23:18:39 ID:+4r+CWre
アダムとイブは神の御業ではなく、異星人によって科学的に創造された。

私はこの説を支持しますね。

593 :初めまして:2006/12/21(木) 23:19:58 ID:+4r+CWre
唯識の本、買ってみますわ。

親鸞会の聴聞ではなく、瞑想に励もうと思います。

594 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 23:20:31 ID:wtcuRNCs
トンデモ雑誌「ムー」みたいだな

595 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 23:23:06 ID:YsJmh6JU
聴聞も阿弥陀の救いの条件ではない。
聞法すれば救われる、なんて事が人間の立場で言える訳が無い。

596 :初めまして:2006/12/21(木) 23:30:03 ID:+4r+CWre
キリスト教会の毎週の礼拝も同じことですよ。

聖書の話を繰り返し、意識に染み込ませる。

で、阿頼耶識、いっちょあがり!

597 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 23:32:29 ID:mDHowkig
>>595
その通りだ。
すでにどうしようもなく救われ切っていて、もはや感謝以外に何もすることが無い。
それが阿弥陀。

598 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 23:34:21 ID:wtcuRNCs
それって、ただのお勉強でしょ
別に詳しくなったからレベルが上がるとかという話にはならないでしょ

599 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 23:35:28 ID:wtcuRNCs
>>598
>>596

600 :519:2006/12/21(木) 23:46:08 ID:OKzTmWcL
>>583
大筋で同意です。

>>593
>>592はどうかと思うが・・・とりあえず
唯識に関しては以下をお勧めします。
『世親』(三枝充悳:講談社学術文庫)
『『唯識三十頌』を読む』(廣澤隆之:大正大学出版)
唯識は、単なる唯心論で終始するものではなく、「唯識」を提示して
そこから初期大乗仏教の提唱する「空」へと抜け出す修道法です。
龍樹の中観などとの比較される際、種々の面(多くは表現上の問題)で
批判される学派ではありますが、
個人的には、浄土仏教の教義構造を見ていく上で大変参考にはなりました。

>>599
バーチャル極楽浄土を個人の意識に植えつけて「救い」と称するのであれば、
それは無我へと導く「仏教」とは言えなくなるかもしれません。
(かつて平安時代の天台宗などでも、本学思想に則って
「唯心の弥陀・己心の浄土」といって「心そのものが阿弥陀である」という位置づけがなされますが、
発想としてはちょっとそれに似てるかも。
法然・親鸞の系譜だとこの説は否定されるかと思われます。

601 :初めまして:2006/12/21(木) 23:51:35 ID:+4r+CWre
いや、俺は「やさしい唯識」(横山鉱一著)をまず買おうと思う。

生命科学者の柳沢おばちゃんの本も読んだけど、21世紀は悟り(脳)が科学で説明できる時代になりますよ。

602 :初めまして:2006/12/21(木) 23:55:01 ID:+4r+CWre
阿頼耶識にしても、別に、本人は関係ないんだよね。

そいつは、初めの人間、すなわちアダムとイブの時代から、受け継がれて
きたのさ。

もちろん、本人には全く関係ない。


603 :初めまして:2006/12/21(木) 23:57:54 ID:+4r+CWre
その全く本人に罪がないもの、受け継がれたものを、過去世で、”自分が作った業”だとすることが
迷信なのさ。

当然、生まれ変わりなんてない。

604 :519:2006/12/22(金) 00:03:29 ID:fbbsmqW8
>>601
横山紘一さん、いいですよ。
ただ、「覚り」は「脳(知覚器官)」ではないですね。
むしろ、「脳で捉えられないこと」です。
科学は、知覚された事象の分析には大変有用ですけどね。

因みに柳沢さんの「空=物質粒子」という読解法は
古代インドにもあったものなのですが、いわゆる「唯物論」として
『唯識二十論』(世親)の中で論駁されます。
詳しくは三枝さんの『世親』に解説がありますので、
そのあたりのことは焦らずゆっくり学んで行くことをお勧めします。
(因みに横山さんが文庫版後書きを寄せてます)

605 :519:2006/12/22(金) 00:04:57 ID:fbbsmqW8
ゴメン、なんか阿弥陀如来と関係ない流れになって来た。
今夜は落ちノシ

606 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/22(金) 01:46:44 ID:HeUlp3Qd
お経を読むかぎり、阿弥陀仏がアーラヤ識だなんて説かれていません。
阿弥陀仏をアーラヤ識だと思わないと阿弥陀仏を信じることができない人は、
阿弥陀仏をアーラヤ識だと解釈して、
信じた気になりたいのでしょう。
阿弥陀仏は、アーラヤ識でもなければ宇宙仏や法身仏でもありません。
お経に書かれてあるとおり、
修行を完成して本願を成就した人格的な如来なのです。

607 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/22(金) 01:53:07 ID:HeUlp3Qd
>>590 浄土教の前に、仏教の基礎を学んでいただきたいです。
たとえ不老長寿の技術が開発されても、
四苦八苦の人生は変わりません。
ブッダの教えは、人生の苦悩の原因を消して人生の苦悩を消す方法論です。
仏教は、真実や真理の究明を目的としたものでもなければ、
科学的知識の探求をめざすものでもありません。
苦悩を消して平安な境地をめざすための教えです。


608 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 01:55:01 ID:0ozhjbyW
age


609 :けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2006/12/22(金) 02:27:32 ID:HeUlp3Qd
>>581 過去世とかいうのも、識がつくりだす妄想です。
過去と未来も妄想だし、私と他人の区別、物質と心の区別も妄想です。
仏教では、そもそも「わたし」や「わたしのもの」の存在も否定します。
ただし、日常の会話の中では「わたし」や「過去」という言葉も用いられますが。


610 :オーム浄土真宗:2006/12/22(金) 07:05:42 ID:mDZ5wxME
神はマーヤ(幻影)を展開している

ですから囚われの心では、神は分からない。

ヒンズー教で徹底的に自己を否定し、死を凝視するのは我を徹底的に見つめ

追求する事により、真我(梵)に転化される。

と言い換えれば同じではないですか?
親鸞本人が五会念仏というヨガもどきを薦めてるのがいい証拠です


611 :オーム浄土真宗:2006/12/22(金) 07:17:58 ID:mDZ5wxME
610は583に対するレスです
そもそも宇宙一の男根の持ち主であるシヴァ神(世自在王 ローケーシヴァラ)
が主宰神なので〇森の息子が女漁りするのは無理もないかと(笑)


612 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 15:57:37 ID:vZq/Lfoh
>たとえ不老長寿の技術が開発されても、
四苦八苦の人生は変わりません。

アホじゃないか? 人間が不死になったら、生老病死の概念が壊れるだろ?

死ななくなるんだから。

あと10〜15年くらいで、意識さえも物質で出来ていると証明される日が来るよ。

仏教から、偶像とか輪廻転生とかの迷信を除けば、非常に科学的になるんだ。
愛欲の航海なんて、いいこといってるなぁ…と思うよ。俺も女、追いかけて、
そうなった経験があるから。

613 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 16:06:18 ID:vZq/Lfoh
訂正

科学的⇒哲学的

仏教は哲学として学ぶべきです。


614 :583:2006/12/22(金) 16:45:42 ID:M1gV0U7L
>610
ですから神は絶対的な有、阿弥陀如来は法性法身であるから絶対無
全く真反対。
尚、私は親○会とは関係有りません。残念!・・・・

615 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 17:13:33 ID:eLu5kEOj
>>614
わざわざ自分から言わなくても
その文章読めばすぐわかるよ

616 :真宗ってすごい!:2006/12/23(土) 12:32:56 ID:v3Bi+fes
浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて
清浄の心もさらになし

外儀のすがたはひとごとに
賢善精進現ぜしむ
貪瞋邪偽おおきゆえ
奸詐ももはし身にみてり

悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎のごとくなり
修善も雑毒なるゆえに
虚仮の行とぞなづけたる

無慚無愧のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまう。


617 :真宗ってすごい!:2006/12/23(土) 12:34:08 ID:v3Bi+fes
親鸞聖人の「機の深信」から仰ったお言葉の深さに涙が出ます。

618 :John:2006/12/23(土) 13:38:28 ID:rkFUO1OQ
想像してごらん
阿弥陀なんて無いんだと
すべては人間の創りだした幻想にすぎないと


619 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 20:59:02 ID:ebS7mlkh
原始時代には、空気が存在するとかしないとか、そう言う事を
考える概念も無かった。
しかし酸素は厳然として存在する。
阿弥陀様は、阿弥陀様を感知する事の出来る人には、厳然として存在する。
貴方も最初から無いと思わないで、有るか無いか真剣に検証して見てください。
きっと、貴方の人生にとって、最高の体験を得る事が出来るでしょう。

620 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 21:05:11 ID:rkFUO1OQ
原始時代には、空気が存在するとかしないとか、そう言う事を
考える概念も無かった。
しかし酸素は厳然として存在する。
UFOは、UFOを感知する事の出来る人には、厳然として存在する。
貴方も最初から無いと思わないで、有るか無いか真剣に検証して見てください。
きっと、貴方の人生にとって、最高の体験を得る事が出来るでしょう。





621 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 21:29:37 ID:ZbZDUqj6
「目に見えないもの」が存在する事例がある。

俺が信じてる「目に見えないもの」も存在する。

凄まじい飛躍だな・・・

622 :名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 01:00:14 ID:4H0/VmbA
阿弥陀様〜!!といいながら、クリスマスを祝うここの住人



……そして、来年の花祭りも、知らない間に過ぎてゆくと思われ





いやあ、信心ってほんっとうにいいかげんですよね!
水野晴朗でした

623 :名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 02:32:42 ID:WlGYqwX2
それこそが信心だな。

624 :名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 06:35:55 ID:XZzSaaHe
会員時代には、宗教的詐欺が存在するとかしないとか、そう言う事を
考える概念も無かった。
しかし詐欺は厳然として存在する。
UFOは、UFOを感知する事の出来る人には、厳然として存在する。
貴方も最初から無いと思わないで、有るか無いか真剣に検証して見てください。
きっと、貴方の人生にとって、最高の体験を得る事が出来るでしょう。


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