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よもや、そこまで親鸞会

1 :名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 16:52:28 ID:nRBRDvbv
このスレは、だいたい親鸞会の反社会的行為・内部問題について語りあうスレです。
会員の人もそうじゃない人も、 一般常識を守って、みんなが見て気持ちの良いレスを心がけましょう(^^)/

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
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     |        |  ∧ ∧ モウイラナイ!         けんかしないでね、厨房のみなさま
     |        | (*゚ー゚)つ ミ |  
     |        | / ⊃ ノ |   | ●シンランカイ●
        ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄    |   
                        |
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■ルール
・荒らしは原則「禁止」&「放置」です。
・一般会員の個人名を出さないようにね。伏せ字でも。
・人を罵ったりする人は来ないで下さい。
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■親鸞会スレッド暫定まとめページ
http://ime.st/light.kakiko.com/skaimatome/
●なぜ私は親鸞会をやめたのか| ホーム
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●宗教法人浄土真宗親鸞会 被害家族の会
http://ime.st/homepage2.nifty.com/nonsect/

793 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:10:43 ID:jhE0izx4
「でも一番は、お父さんとお母さんに親鸞聖人の教えを聞いて幸せになって
もらいたいから。」
だそうだ。だから宗教は嫌なんだ。俺の幸せなんてお前にわかるもんか。
「どうしてもっと遊ばないんだ。若いんだからコンパしたり旅行に行ったりとか
したいだろう。」
「したけれどアホくさい。コンパしたって旅行に行ったって、終わってみれば虚
しいだけじゃないか。一回行って満足できないから何回も行くんでしょう?、だ
ったら一回でも百回でも同じ事じゃないか。」
どうしてこういう生意気な事を言うようになったのだ。しかし息子の言うこと
は真実である。空しい心を抱えて深夜まで飲み屋をはしごした経験、サラリー
マンだったら誰だってあるはずだ。
「結局若いって行ったって、十年二十年すぐに経ってしまって若くなくなる。
そのうち老いて病になって死んでゆかなければならない。そうなったときに変
わらない幸せってある?そういうものを求めてゆかなければならないんじゃな
いの?」
息子にこんなこと言われるとは思わなかった。しかしなんで生んで育てた子供
に説教されなければならないのだろうか。
「じゃあお前が求めているのは、死んでも変わらない幸せって事なのか?」
「そうだよ。それを教えているものが仏教なんだよ。ちょうど良いものがある
から、よかったらこれを見て。」
そういって息子が渡してくれたのは、親鸞会の発行している仏教の冊子であっ
た。それには釈迦の求道物語が載っていた。息子の前で読むのは嫌だったので、
会社に持って行って休憩時間に読んだ。
釈迦が地位や才能、妻子に恵まれながら、老いと病と死の現実を見て、出家する話
であった。そういえば仏教ではこんなことが教えられていたのだ。先代の住職から
同じような話を聞いたことがある。小さい頃だったが。
問題は寺がこういったことを説かなくなったからじゃないのか。親鸞会で教え
られているのは、昔は盛んに説かれていた仏教の教義なのではないか。
そう思いながら読んでいると、部下のN君が話しかけてきた。

794 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:14:22 ID:aMYV7mQo
縁なき衆生は度し難し。
縁なき衆生は度し難し。
縁なき衆生は度し難し。
縁なき衆生は度し難し。
縁なき衆生は度し難し。
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795 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:16:21 ID:jhE0izx4
12.親鸞会はカルトか、伝統仏教か?
それから3年の月日が経った。卒業まで1単位も落とさないから、親鸞会を
続けさせてくれ、という息子の約束は、4年生の時に1度だけ破られた。
しかし私は許した。4年間で1単位だけだ。立派ではないか。そして地元に
工場のある中堅家電メーカーに就職した。
あのあと私は家内と一緒に、富山にある親鸞会の本部に2度行った。高速道路
のインターチェンジを降り山の中を進むと、突如として大きな会館が現れた。
白いタイル張りの、シンプルな建物であった。ずいぶんと人が多いのには驚い
た。
地元の法話には年に数回は参加している。家内は月に2〜3回は行っている
ようだ。息子から入会を勧められたこともあったが、それは断った。実のと
ころ入会しても良いとは思っていたのだが、もうしばらく、親鸞会を離れた
ところから見たいという気持ちもあった。
息子が2年生の時に、同級生である例の住職が「救いの正体」という、宝島社の
本を持ってきた。親鸞会のことが載っているという。「親鸞会は伝統仏教か?
カルトか?」これについては私の中では結論はついている。親鸞会がカルトな
ら親鸞の教えがカルトと言うことになる。そんな本を見せに来る暇があったら、
一言でも親鸞さんの教えを話したらどうだと言いたくなった。


796 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:18:07 ID:6tjuEYKr
ID:jhE0izx4はコピペ荒らしか

>>118-121
>>123-124
「M晴をあまりいじめないでくれ事件」

こんなただの親バカの俗物T森に死ぬまで無条件服従して
初志を貫徹して人生をかけてみるのもまた、ひとつの人生なんだなあ。
あわれというもおろかなり。


797 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:19:11 ID:B/evcQXw
今日は休みだからネット対策員による荒らしが激しいな

798 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:21:04 ID:jhE0izx4
ただ、意見がすれ違うこともある。そんなときは頭ごなしに反対するので
なしに、子供の言うことに真摯に耳を傾けてはどうだろうか。何と言って
もわが子だ。大学生といっても親の責任は大きい。そして出来れば親鸞会
の行事に出て、自分の目と耳で確かめてみればいい。
その上で、やっぱり反対だ、と言うのならば仕方がない。しかし自分で見聞
きもしないのに、宗教は危険だからやめろと言うのはどうかと思う。宗教ア
レルギーは、団塊の世代の特徴かもしれない。

親子が人生について、あれこれ言い合うのもなかなかいいものだ。
親鸞さんの教えは、確かに深い。多くの作家や、哲学者が魅了されているのも
事実だ。そして親鸞会がそれを忠実に伝えようとしていることは、認めざるを
得ない。だからこそ現実に、多くの若者もまた、ひきつけられているのだろう
まだ若いから正常な判断力がないと言うのならば、自分が見て聞いて判断すれば
良いだけのことである。少なくとも親鸞会は、布施を積めば病気が治るとか、
信仰を妨げるものはたとえ家族であってもサタンだとか、そういうものと違う
事はすぐにわかるはずである。反対するのは自分がまずよく知ってからでも、
遅くはないのではなかろうか。
 人生、この年になると、だいたい先は見えてくる。仕事は、どれだけやって
もキリがない。体力は衰えてくる。若いころは私も唯物論だったが、どうもそ
れだけでは人生割り切れない。生きることの本質を知りたいという気になって
いる。
やはり、人間には、信仰が必要なのだろう。
やがて死んでいく己を支える何かが欲しいと、私も思うようになった。
若いころには、なかった思いである。
考えてみれば、仏教は、私自身の問題を教えている。
いいときに息子は、親鸞会を教えてくれた、と言っていいかもしれない。
今は、感謝したい気持ちである。

親鸞さんの教えを学ぶ人のことを、親鸞会では親鸞学徒というらしい。
なにか、古風なようにも聞えるが、新興宗教とは違う粋な言い方にも感じる。
なかなか、悪くない。

799 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:23:22 ID:jhE0izx4
13.生きる意味
平成16年にサイトで私の体験と考えを公開した。
その後、私自身の心境の変化もあり、追記として文章を書き足したいと思う。
あれから息子は社会人として元気にやっているようだ。大卒でも離職率が3割
を越える時代に、真面目に会社で働いている姿は、父親としてもなかなか頼も
しい。
 一方、私はといえば、定年に近づき、そろそろ第2の人生を考える機会が増
えてきた。息子からもよく言われることだが、この年になって思うことは、仕
事は人生のすべてではないということだ。いつ死ぬかは分からないが、突然の
病気でもなければ、リタイヤ後の20年近い時間は決して短くはない。
いわゆる団塊の世代にとって、これはとても深刻な問題らしい。私も含めて、
仕事一辺倒で働き続けてきたため、明日から会社に行かなくていいですよと言
われたら、確かに何をしていいか分からない。
実際にリタイヤした後も、別の就職先を探してまた働いている先輩の姿や、何
もすることがなくなった人の話を見聞きすると、自分はどうだろうかと考える。
 先日『60歳からの「生きる意味」』(森村誠一、堀田力著 PHP研究所)
という本を読んでみた。いろいろと自分も思い当たるところがあったので、
一部抜粋しながら紹介したい。
「日本人が年を取ると寂しくなるのは、「自己の存在証明」が認められないこ
とと関係しているのではないかと思います。」 (60歳からの「生きる意味」)

800 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:25:59 ID:q1IS7u6/
「親鸞会に向かって1000の花束」
http://life.2ch.net/psy/kako/1025/10252/1025274119.html

526 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24 22:08

しかし、ここまでM晴の増長を黙認してきたバカ幹部にも責任はあるよね。

M晴の立場にビビってまともなこと言えなくなっていたからなぁ。組織的 に腐っていく典型を見事に示しているよね。

一番驚いたのが、M晴事件の 第一報を知った講師長が、告発講師の返信メールに
「勇気ある行動に敬意を表します」
なんて一緒になって喜んでいたくせに、数日後には手のひらを返したように、
「最近上司に対して直接批判メールを送っている者がいるが、 和合僧を破る大罪である
 (出た、てめえに都合のいいだけの解釈!)よく よく慎むこと」

なんて通達をしゃあしゃあと流していて笑い転げたことがありました。講師のオサからして、
自己撞着バカであることが明らかになって、この組織の暗い未来を憂えたものです。

それにしてもM晴はどのツラ下げて8月から公に姿を現すのか、今後もヤツの恥ずかしい振る舞いを見守りたいですね。

801 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:26:35 ID:jhE0izx4
ここでいう「自己の存在証明」とは、「自分は何のために生きてきたのか」とい
うことになる。世のため人のため、家族のためにと働いてきた。それらが私自身
の存在証明だったと考えている。家庭の中では、父として夫として自分の存在す
る理由があり、会社ではそれなりのポジションがあり、自分の存在する理由、生
きている理由について悩むこともなかった。しかし、子どもも自立し、会社を去
ることになればそれらは、存在証明とは言えなくなってしまう。


年をとると寂しいと、死んだ父がよく口にしていた。

何がそんなにさびしいのかと、当時は分からなかったが、今はなんとなく分か
る気がする。

電車で会社から帰宅するとき、この電車に乗るのもあと少しだなと思うと、
ふと寂しさを感じることがあるからだ。


寂しさを通り越して、うつになる人も多いようだ。


802 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:28:01 ID:jhE0izx4
13.生きる意味−2
「人間は年を取ると、朝起きたときに何の理由もないのにブルーな気持ちになる
ことがあります。
私にも少しあるのですが、これは「モーニング・デプレッション(うつ)」と
いって老人性うつ症の一種で、やがて死に至ることもあるそうです。」(同上)

おいおい、やめてくれよ、と言いたくもなるが、これを読むと、父は老人性うつ症
だったのかも知れない。いつも朝から、憂鬱そうにしていた。
仕事が忙しくあまり話をする時間もなかったことを、後悔したものだ。

父の寂しさは、自己の存在証明に対する不安から来たものだったのか。
年をとってからそれが問題になるのはなぜだろう。
一言で言えば、現役時代は忙しいからだ。

「たとえば、団塊の世代の人たちは、会社に勤めている間は「エコノミック
アニマル」などと外国から馬鹿にされながらも、存在証明を考える暇もない
ぐらいに働きづめに働いてきたのが実状でしょう。そして、60歳を迎えると
会社を定年退職し、突然に自由な時間が有り余るほど出来る「余生」を手に
して、そこで初めて「自己の存在証明」について考えるようになります。
「自分は何のために生きてきたのか」と。」(同上)



803 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:30:56 ID:jhE0izx4
私自身のことを言われているようで、耳が痛い。言われるまでもなく、
自分は何のために生きているのか、本当は最も大事な問題である。それは
分かっているつもりである。だが、やはり忙しかったのだ。仕事に夢中だ
ったし、それなりに充実感もあった。だから、人生の根本の疑問は心の奥
底に封印して、日々、かけずりまわってきたともいえる。
 つきつめて深く考える余裕などなかった。いや、正直に言ってしまえば、
やはり、まったく考えていなかったと言ったほうがいいのかもしれない。

 だから、そのことを息子に指摘されたとき、内心ギクリとしたものだ。
しかし、お前のような小僧に何が分かる、という悔しさとも開き直りとも
つかぬ思いもあって、素直になれなかったのだ。

 今、自分の心とまともに向き合ってみれば、やはり考えざるをえない。

遅きに失しているのかもしれないが、それでも定年前にこのことに気づく
ことができたのは、ある意味、大きな幸せであろう。



804 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:31:00 ID:q1IS7u6/
530 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24 23:17
真相を明らかにするための行動を考えましょう。
8月、M氏が公式に現れるその時間。 有志で質問を投げます。
または、公開質問状を作成し、他の会員さんの目に触れるようにし、
同じ物をM氏に公開の上渡します。
ただし、この問題が、真宗の教義とは別次元であることは、はっきりしておきたい。
M氏が崩れても、会の教義は全く変わらないから。


531 名前: 名無しさん@一周年 投稿日: 02/07/24 23:22
>>530
今が、教団改革の唯一のチャンスかもしれません。


532 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/24 23:52
つるしあげられたM貼は醜態をさらして逃亡するだろうけど、 追求した会員さんは
仏語を都合のいいように利用する会によって除名されるだろう。 会の腐敗は根深い。


結局、これらの親鸞会改革の芽も、不倫男M晴を溺愛するダメ親T森会長によって、
以下のように摘まれてしまった訳ですね。

>>118-121
>>123-124
「M晴をあまりいじめないでくれ事件」

805 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:34:01 ID:jhE0izx4
その存在証明について、この本では2つに分けて解説がしてあった。
「一つは、「自分は生きてきてよかったのか」という過去からの自分の存在証
明、もう一つは「自分が死んだら将来どこへ行くのか」死と向かい合っている
人と話をしていると、必ずといってよいほど、この二つのことが出てきます。」

過去のことを言えば、人間の役割は、子どもを育て、子孫を残すことだろうと
思う。自分自身もそのためにがんばってきた。また社会的にも、会社で働き、
税金を納め、社会の一員として社会に貢献をしてきたと思っている。
 息子も就職し親としての責任は一応果たしたつもりだが、今後のこととなると、
体力的にも経済的にも貢献するというよりは、年金や介護のことなど、社会的
に見ればお荷物のようになっていくのだろう。そうなったとき自分が生きてい
る意味はなんだろうかと考えざるを得なくなってくる。
 もう一つは、「死んだらどうなるのか」という問題だ。父の葬儀の喪主を務め、
そのうち自分もかと思ったとき、漠然と考えたことだ。葬儀の後は、しばらく
忘れていたが、今考えてもやはり分からないことである。
「死んだらどうなるか」ということについて、この本では以下の文章があった。
「私の父がそうでした。決して神仏を信じている人ではなかったけれども、
最期には私の手を握って「エマーソン」と小さく呟いたのです。私の耳には
確かにそう聞こえました。さらに父は「エマーソンは、日本の言葉で言えば
輪廻転生、死んでからの魂の再生のことを言っているけれども、どう思う?」
と私に聞いてきたのです。私は信じてはいなかったのですが、もちろん
「信じる」と言いました。すると、「そうか」と父は安心したような顔
になり、その数日後に穏やかに旅立っていきました。人間、最期にはそ
うした会話がどうしても必要なのです。」

806 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:35:21 ID:jhE0izx4
死んだ後がないとすれば、自分はまったくの無になるのか。
学生時代はそれでいいと思っていたが、この年になると、そうは考え
たくもない。
自分のやってきたことがすべて無になってしまうように感じる。
父の葬儀をし、火葬場で骨を拾って、毎年墓に行くようになると、
父が全く無になったとは思えない。どこかにいるような気がする。

 だが、どこかにいるとしても一体どこに行ったのだろうか。
やがて自分も、死なねばならないが、死ねばやはり、輪廻転生ということに
なるのか。
 息子にそんな話をしたところ、浄土真宗を開いた親鸞聖人も両親をなくし
て仏道に入ったという。
 私も、遅まきながら、自分の人生を本当に自分の人生とするために、使って
いきたいと思い始めている。『60歳からの「生きる意味」』には、視野を広
げて人生を楽しもうと書いてあった。第2の人生を、旅行や勉強、ボランティ
ア活動に使う団塊の世代は多いだろう。
 それも、一つの生き方である。
 しかし同時に、自己の存在証明として、自分がなぜ生きるのか、死ねば一
体どこへいくのか、この2つのことについても、考えておかなければならな
いのではないか。
 息子は、だから仏教をと、すぐいうが、私には私の考えがある。定年まで
の時間は、自分でいろいろと勉強もし、思考を深めていきたいと考えている。


807 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:37:33 ID:Z4flOPBb
>>797
>今日は休みだからネット対策員による荒らしが激しいな

上司から与えられた仕事とはいうものの仕事熱心な人だ。

808 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:37:47 ID:jhE0izx4
14.「死ぬ瞬間」
自分がなぜ生きるのか、死ねば一体どこへいくのか。この2つのことについて
しばらく考察してみたいと思う。
「死ぬ瞬間―死とその過程について」
(エリザベス キューブラー・ロス著 中央公論新社)を読んだ。
1969年に発行されたものだが、現在の終末医療において教科書になっている本
である。
著者は、スイス生まれの精神科医で、1万人以上の患者の死に接し、死にゆく
人たちを支え続けた。2004年8月4日に亡くなっている。
「死は人生でもっともすばらしい経験になりうる。それはその人がどう生きた
かによる。
 本来の私たちに立ち返らせてくれる」(死ぬ瞬間)と書いてある。
 死ということについて、これほど前向きな考えがあったのかと驚いた。
 キューブラー・ロスについて、調べてみたところ、NHK教育で放送された
「最後のレッスン キューブラー・ロス・死のまぎわの真実 ETV特集」の
ビデオを見ることができた。
死を迎えた人は、どんな心境になるのだろうか。多くの患者の死に立ち会った
キューブラー・ロスは、こう語っている。


809 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:39:25 ID:jhE0izx4
「大人で、50歳、60歳、70歳の人びとはやり残したことが沢山あるんです。
 そのために死が近づくにつれ、憤り、怒り、畏れ、罪悪感が強くなる。
 自分の人生を生きてこなかった。
 こんな人は他人を満足させるためにだけ生きてしまったのです。そして死ぬ
ときは悲しみで一杯です、全人生を売り渡して愛を求めてきたのです、愛を買
ってしまったのです。
こういう人たちは、無償の愛、無条件の愛を知らない本当に不幸せな人、かわい
そうな人。
死ぬまで愛をお金で買おうとするのです
でも、愛はお金で買えません。愛は無償であるべき」
(1985年 NHKこころの時代出演の時)
地位やお金で人間幸せになれるものではない、死を前にした人間を支えるのは

愛であると、話をしている。

欧米人のいう無償の愛とは、キリスト教で言うところの神の愛のことだろうか。
多くの人から聖女と生前いわれていたというのも頷ける。
その後1995年にキューブラー・ロスは、脳梗塞で倒れ、左半身麻痺状態になる。

1人で室内の移動もできない、簡易トイレで用を足すのがやっと。朝ベットから
起きて、窓の外を1日15時間眺める以外にない日々となった。
2001年にテレビ番組の取材を受けている。そのインタビューを見て私は、
少なからず驚いた。


810 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:42:01 ID:jhE0izx4
「私は、神にあなたはヒトラーだといった。
まるでヒトラーだと言ったのに神はせせら笑った。
40年間も仕えてきて、やっと引退しようとすると何もできなくなった。
本当にいまいましい。」
死にゆく人に無償の愛を説き続けてきた人間の言葉とは、これはとても思えない。
さらに次のようなやりとりが続く。
「あなたは自分を愛するべきと、本に書いていますが。」
「愛の話なんてしたくないわ。気分がわるくなる。
 自分自身を愛せって?よく言ったもんだ。大嫌い。私の趣味じゃない。
誰が言ったの?殺してやる」
愛によって死を受け入れよといった、同じ人物の言葉である。無論これは、
狂気でもなく、ジョークでもない。彼女の意識は鮮明で、明らかに本心を吐露
していると私には思えた。とすれば、これはどういうことなのか。人間これほ
ど変わるものなのか。
これほどに彼女を変えたものはなんだろうか。
番組中に、彼女が、沢山の患者の死に接しているうちに、人間死んだらどうなる
のかということに強い関心を示すようになったことが取り上げられていた。


811 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:43:19 ID:jhE0izx4
来る日も来る日も死にゆく人と接していると得体の知れない感情がでてくる。
なんともいえないものが心にたまってくる。それを吐き出したい気持ちになる。
何かがあって然るべき。
語りかけ、手を触れることのできた患者たちには翌朝にはいなくなっていた。
私に多くを教え、かき消すようにいなくなったあの素晴らしい患者たちはどこ
に行ったのか。
死んだらどうなるのか、その関心は抑えようのないものだったという。
胡散臭い霊媒師と付き合い、霊との交信に夢中になり、結果、夫と対立し離婚を
している。
確かに医学は発達してきたが、死と死んだ後については何も答えていない。
だが、治療の見込みのない患者にとって、知りたいことはそれ以外にないは
ずだ。
キューブラー・ロスのいった「得体の知れない感情」とは、多くの死に接す
ることで、自分はどこに行くのかという感情が抑えられなくなったのだろうか。

それも無償の愛で、克服できると思ったものの、現実の死を前にするとその
愛もない。

元気なときに書いた著作の内容と、脳梗塞のあとは、まったく正反対のこと
を彼女は言っている。どちらが本当の気持ちなのか、彼女はこう断言している。

「ぶっきらぼうだったが正直な人間だったと覚えて欲しい。
私は自分を偽ったことは一度もなかった。」



812 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:45:43 ID:jhE0izx4
どちらもウソではないということだろう。
つまり、番組中の、吐き捨てるような暴言は、やはり偽らざる彼女の本音なのだ。

となると、いよいよ分からない。現役時代の彼女のような信念もない私は、
いざ死を迎えたらどんな気持ちになるのだろう。
インタビューの最後に、キューブラー・ロスはこう語っている。
「旅立ちの準備はできた?」
「まだよ」
「どうやって準備ができたとわかるの?」
「そのときが来たら、頭の先からつま先まで準備ができたとわかるわ」
言いたいことは、実によく分かる。
一方私は、むろんまだ何の準備もできていない。キューブラー・ロス自身が
語った、死に行く人に接しているうちに感じた、「得体の知れない感情」と
はなんなのか。死を見つめ、自分のこととして考えてみると、何とも言えな
い心になる。
正直言って、こんなこと考えたくもない。何かに没頭して忘れ去りたい。
酒でも飲んで寝てしまおうか、とも思う。しかし、まぎれもなく、これは
遠からずやってくる私自身の問題だ。
私の人生の残り時間は、そんなに多くないのかもしれない。だが、あせりは禁物
だろう。この問題を別の分野からも調査し、納得できる答えを見つけたいと思っ
ている。


813 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:47:36 ID:jhE0izx4
前項で述べた、キューブラロスのことが、心にひっかかっている。
1万人の患者の死に立ち会った人間が、なぜあれほど変わったのか。
どうも釈然としない。
息子に、この疑問をぶつけてみると、
「お父さん、それは、人間にとって他人の死と自分の死は全く別物だからだよ」
と答えた。
自分の死と他人の死、確かに感じ方は違うだろうが。
「それほど違うものなのか」
「譬えて言うと、動物園にいるトラを檻の外から眺めるのと、ジャングルで
突然、目の前にトラと出会ったくらい違うんだよ。
他人の死と言うのは、自分が死ぬわけではないから、どれだけ悲しんでも、
怖いなぁと思っても、すぐ忘れてしまうでしょ?
それは、動物園の襲いかかってこない虎を見るように、結局は観念的な死と
いうものなんだよ。
それに対して、自分の死というのは、ジャングルであったトラのように、実際
に自分に襲い掛かってくる。現実問題なんだ。だから、他人の死を見て感じる
恐怖とは桁が違う。全く別物なんだよ」
こういう話になると、息子は饒舌である。
とはいえ、いっていることは確かに一理ある。1万人の死に立ち会ったとは
いえ、自分自身の肉体は元気なのだから、確かに自分のこととは思えないだ
ろう。患者の死に立ち会う医者にしても同じ事だろう。息子から聞いた話だ
が、ある外科医が、不治の病にかかったときにこう言ったそうだ。
「今までは 人が死ぬぞと思うたに 俺が死ぬとはこいつたまらん」
私自身も、思い当たる。


814 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:50:50 ID:q1IS7u6/
「親鸞会に向かって1000の花束」
http://life.2ch.net/psy/kako/1025/10252/1025274119.html


550 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/25 19:19
M晴は自分のした行為について
・なぜ、どうしてそういう事をしてしまったのか
・会員の浄財をどう考えていたのか
・不倫相手の夫(部下)をどう認識していたのか
きちんと説明しなければ、会員の方々は納得しないでしょう。

もはや「女を口説くのと法を説くのは違う」などという単純な問題ではないのではないでしょうか
指導者として会員の方々をどのように認識していたか
どの様に真実に導こうとしていたのか、という会の根幹に関わる問題が問われていると思います。
ごまかさないで真実を顕かにするべきだと思います。


554 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/07/25 20:37
>>550
あはは。お前なぁM晴がそんな殊勝なタマだったら、こんな大騒ぎになってないよ。
ヤツにとっては浄財は自分の小遣い、部下は自分の玩具、会員はメシの種以外の何物
でもないよ。滋賀の堕胎女、今でも藁人形五寸釘打ってるらしいね。あ〜こわ^^;

815 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:50:54 ID:jhE0izx4
肉身や、知人、仕事の付き合いなどで、葬式には何度も出ているものの、しば
らくすれば、悲しみも薄れ、毎日仕事に追われているうちに死そのものを忘れ
てしまっている。あのとき涙を流して火葬場に棺桶を入れた事も、そろそろ自
分の番だと思った事も、思い出すことがない。
キューブラ・ロスはあまりに多くの人の死に接することが日常となったために、
忘れる間もなく、やがて死んだ人がどこへいったのかということを考えるよう
になっていった。
死ねばどこへいくのか。洋の東西を問わず、誰もが一度は考える問題であろう。
かのゴーギャンは、「われわれは何処から来たのか、われわれは何者か、われ
われは何処にいくのか」という、作品を描いている。
日本では鴨長明が「方丈記」のなかで、「知らず、生まれ死ぬる人、いづか
たより来たりて、いづかたへか去る」
生まれて死んでゆく人が、どこから来て、どこへ去ってゆくのか分からない、
と書いている。
だが、ゴーギャンの絵を見ても、方丈記を読んでも、答えはどこにもない。
キューブラ・ロスは、霊媒師にその答えを求め、霊との交信に熱中したという。
死んだ人の霊というものが存在し、どこか別のところいくのだろうか。
あるいは、この世のどこかにいるのだろうか。
今年(平成18年)は、首相の参拝をめぐり、靖国問題が大きく報道されていた。
戦前は、日本の兵隊は死ねば靖国の英霊として祀られるといわれていた。
だが、素朴な疑問として、インドネシアで死んだ日本兵も、中国で死んだ
日本兵も、沖縄で死んだ人も、全員あの九段下の靖国神社に、霊としてい
るんだといわれても、どうも腑に落ちない。
8月15日、日本武道館では、戦没者慰霊祭が行われる。このときは、こち
らに英霊が集ってくるのかな。
沖縄や、長崎、広島でも慰霊祭があるが、その場所にそれぞれ、死者の霊とい
うものが集ってきているのか。もちろん、それを前提として、それらの霊をな
ぐさめ、不戦を誓うであろう。
どの新聞や、ニュース番組でも、そんなことには触れられていないし、問題に
もされない。だが考えてみれば、日本人の死生観は、どうも根本があいまいな
のだ。

816 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:52:33 ID:jhE0izx4
輪廻とか転生といっても、変わらない霊魂というものがあるのではないそうだ。

「待てよ。じゃあ、死後はどうなるんだ。ないのか」
「そうじゃあ、ダンケン外道になってしまうじゃないか」
「なんだ、そりゃあ」
「う〜ん、説明にはちょっと時間がかかるなあ。今日は無理だ」

おいおい、つれないぞ。くそ、気をもたせおって。

どうもこういう話題では、息子のほうがはるかに上手である。


だが、死んだ後がないということでは、どうやらないらしい。


まあ、年齢的にも、体調の面からいっても、私にとっての死というのものは、
まだ遠い存在にしか感じられないのも正直な気持ちである。


もうちょっと自分自身で、調べてみることにするか。


817 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:54:47 ID:2c0iqhb3
■ぼらへの公開質問状!!!■
「体験の有無が分からないということ」と「体験が無いこと」は同じか別物か?

現段階では、先の批判がぼらに妥当している。
「どうせなにも言い返せないでしょうが・・・」 ←実際言い返せない模様。


818 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:55:19 ID:jhE0izx4
ガンやSARSで騒ぐことはない。そもそも人間の死亡率は100%なのだから――。
誰もが必ず通る道でありながら、目をそむけてしまう「死」の問題。死の恐怖
といかに向きあうべきか。(養老孟司『死の壁』前書き)
とあったので、「死の壁」(新潮社新書)を手に取ってみた。
ただし、人生でただ一つ確実なことがあります。
人生の最終回答は「死ぬこと」だということです。
これだけは間違いない。過去に死なかった人はいません。
人間の致死率は100%なのです。(序章『バカの壁』の向こう側)
実際どれくらいの人間が死んでいるのだろうか。日本で年間101万4951人(
平成15年人口動態統計)、世界では、約5960万6000人
(データブック オブ ザ ワールド)だそうだ。
換算すると、日本で1分間に約2人、世界では1分間に約108人死んでい
る事になる。
かくもおびただしい死者の数である。
にもかかわらず、この年令まで死を考えることがなかったのはなぜなのか。
私だけでなく、現代人にとって、死というのはある意味最も遠い存在だから
であろう。
日常において死を意識することは少ない。
葬式にでも行かなければ、死体を見ることはない。さらに、誰かが死ぬ瞬間に
立ち会うという機会はもっと少ない。人間に限らず、動物が死ぬ場面に出会う
こともめったにない。
魚や肉も、切り身にされてパック詰めにして売られている。それを見て、死を
想像するのは難しいことだ。
死の壁にもその点が書かれている。

819 :通行人 ◆02GH.fBfT6 :2006/09/18(月) 15:57:09 ID:aMYV7mQo
死後はあるよ。
ただ、丹波哲郎の大霊界みたいな世界はないよ。

820 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:57:31 ID:jhE0izx4
実感がない
ビルの屋上で「飛び降りるぞ」と騒いでいる奴を突き飛ばそうとしたら、
慌てて「危ないじゃないか」と言うようなものです。いずれも、「死にたい」
「死ぬぞ」という言葉の出てくる死は、自分の思いこみの中だけの死です。
実際の死とは異なる。その人自身、死がどういうものか分かっていない。
最近になって死について、よく考える。しかし、死は、どんなものか?
と言われても実感がないのが正直なところだ。「自分の思い込みの中だけの死」
というものだろう。
この本の中では、著者が解剖学をしている関係からか、死体についてや、
脳死問題をめぐる法律的な問題、医者の立場からの死についてのもろもろが
書いてある。
私が知りたいのは、人間死んだらどうなるかということなのだが、それについ
ての話は、出てくるようで出てこない。
一つ一つの話は、コラムのようで、まあ納得できるのだが、最も知りたい
核心部分には結びつかないような印象を受ける。
読み進めていくと、最後にこう書いてあった。
「死について考えることは大切だとさんざん述べてきました。
しかし、だからといって死んだらどうなるかというようなことで悩んでも仕方
ないのも確かです。死について考えるといっても、自分の死について延々と
悩んでも仕方がないのです。そんなのは考えても答えがあるものではない。
したがって「死の恐怖をいかに克服するか」などといったところで、どうし
ようもない。
それについてあえて答えるならば、「寝ている間に死んだらどうするんだ」と
言うしかありません。寝ている間に死んでしまったら、克服も何もあったもん
じゃありません。意識がないんですから。



821 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 15:59:21 ID:6tjuEYKr
おかしいと 常々思うこの組織
されど上司の 指示だ荒らしだ

>>118-121
>>123-124
「M晴をあまりいじめないでくれ事件」


822 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:00:22 ID:jhE0izx4
著者が、死んだらどうなるかについて、余り触れてこなかった理由がこれ
なのだろう。
そう言われると、そうかな、という気もしてくる。今まで気にしてきたが、
考えるだけ無駄だったのだろうか。
どうせ一度は死ぬのだから、死ぬことをあれこれ考えても仕方がないではな
いか。寝ている間に死んでしまったら、意識もないのだから、怖いという感
覚さえもないはずだ。
理屈の上では、「死のことは考えても答えはない」。そういうことにするより
他はなさそうだ。
所詮は、考えても分からないのである。自分は確実に死にゆくものだ、そう
自覚しただけで、死に対する心構えはできたのではないか。残された家族に
迷惑をかけないように、墓や、借金の整理をする方が、死に備えていること
になるような気がしてきた。
そのことを妻に話をしてみた。妻は息子の勧めで、すでに親鸞会に入会して
いる。最近は、仏教の勉強をよくしているようである。
これらの私の意見に対し、妻はこういった
「それでは死の問題を解決したことにはならないでしょ。」
「考えても仕方のないことなら、いっそのこと考えないというのも一つの解決
だと思うが」
「それで、あなたは納得できるの?」
グッと言葉につまる。いやなことを言うじゃないか。
「すっきりはしないけれど、人間がそんなにハッキリと解決できるものでも
ないだろう。所詮は、人間にとって死とはどれだけ考えても分からないもの
だし、まして死んだらどうなるなんて分からないものじゃないかな」
「その死んだらどうなるか分からない心を、仏教では無明の闇≠ニいうのよ」
 うーん、それは確か以前も聞いた。
「しかし、それをどうしろというんだ」
「その無明の闇を破っていただくのよ。そして後生明るい心になることが、
生死の一大事の解決なのよ」


823 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:00:59 ID:2c0iqhb3
対策員のみなさまへ提案

いちいち手動で書き込みするのはめんどくさいでしょう。

何か定期的に書き込めるように、パソコンをプログラミングするのはいかがですか。

ポイントは
@字数制限を考慮して、適度な長さに切り取る
A連続投稿規定を考慮して、パソコンを二台使用する
B時間間隔規定を考慮して、2分おきにはりつける

です。一度検討してみてください。ぷ

824 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:02:39 ID:jhE0izx4
その日は、時間もなくそこで話は終わった。確かに、考えないでおくことが、
私の知りたかった、死んだらどうなるのかという問題の解決にはなっていない。
死ぬ瞬間に意識があるとかないと言うことは、問題の本質ではない。そんな
ことを言っていたら解答が出ないのも当然だ。不安の原因は、死というもの
そのものと、死んだ後が分からないからだ。
 どうしようもないことだから、考えても無駄だと思っていたが、浄土真宗で
はその解決があると教えているようだ。しかし、本当なのか。
養老孟司さんは、自分の父親の死を受け入れるのに30年かかったと書いて
いる。肉親の死でも、到底受け入れられないのが人間なのだ。まして、自分
の死となれば、それこそ死ぬまで認めることはできないのではないだろうか。
いまでは多くの人が、死を考えたくないと思っているようです。もちろんそ
んなことを考えても考えなくても、さして人生に変わりはないはずです。結
論はわかっているからです。
でもたまにそういうことを考えておくと、あんがい安心して生きられるかもし
れません。
確かに、これでは解決とはいえない。「あんがい安心して生きられるかも知れ
ません」と言われても、実際に私が不安をかかえていることに変わりはない。
学問では、これが限界ということか。
ふーむ。どうやら仏教は、私が考えている以上に深いのかもしれない。


825 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:05:22 ID:jhE0izx4
自殺サイト はじめに
「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きる
に値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである」
不条理の哲学で知られる20世紀フランスの作家、アルベール・カミュは、
『シジフォスの神話』の冒頭に、こう書いています。
シジフォスは岩を山の頂まで運びあげますが、岩はその重みですぐに転がり落
ちてしまいます。運び上げては転がり落ち、また運び上げては転がり落ちる。
無意味で、希望の無い労働を永遠に繰り返すシジフォスの努力に、人生の実相
を見る人も少なくありません。
ドイツの哲学者ニーチェは、キリスト教をはじめとする一切の既成の価値を
徹底的に破壊し尽くした果てに、人生の新たな価値を創造しようとしました。
それは意味なき生の繰り返しを肯定することで、生の頂点が得られるという
ものでしたが、ニーチェ自身は発狂し、死んでいます。



826 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:05:31 ID:6tjuEYKr
>>819
通行人さんに聞きたいのだが、教えてください。

○あなたは死ぬことに対する不安は皆無ですか?
 信心決定すれば死の不安は消滅しますか?

○あなたは「信心決定したのだが、身も心も喜ぶ心がどうもおきてこない」
という人は信心決定していないと思いますか?

○あなたは無間地獄に堕ちますか?堕ちませんか?

○高森先生以外の善知識は全世界のどこにもいない、というようなことを以前
おっしゃってましたが、どういう根拠からでしょうか?

○あなたは普段どのような報謝の活動をしておられますか?

では、よろしくお願いします。

827 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:06:46 ID:jhE0izx4
相次ぐ少年犯罪をどうするか、激論が交わされたテレビ番組のさなか、

「なぜ人を殺してはいけないのか」の一高校生の問いに、識者たちの回答
はありませんでした。以来、この問いはさまざまな視点から論じられまし
たが、未だ正面から答え切った人を知りません。


一見、平凡な日常は、実は最も根本的な問題から目を背け続けています。
そして人々は、心の空虚を抱えたまま、それに驚きもせず、ただ漠然と生
きています。

果たして、人生は生きるに値するものなのでしょうか。




なぜ、どんなに苦しくても、自殺してはいけないのでしょうか……



828 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:08:53 ID:A0Y2f2bf
>>827の続き

そして私はカルト宗教に洗脳され、ネット対策員として今に至る。
終了。

829 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:10:54 ID:jhE0izx4
NHK「にんげん広場21いのち」より
どうして自殺をやめないのか 11人の若者の証言
「若い世代から、『生きている実感がない』という声を多く聞きます。
子供に対する虐待、1年間で3万件を超える自殺、後を絶たない少年
犯罪など、命の実感を持つことが難しい社会で、生きているのかもしれません」
平成13年3月24日、NHKで放送された「にんげん広場21いのち」の
冒頭で、番組の司会者は、こう切り出しました。スタジオには、様々な立場
の人が集まり、「いのちの重さを実感できますか」をテーマに、討論を展開
しました。
しかし、一時間余りの放送の中に、納得できる解答は示されず、苦悩する若者
の実態だけが浮き彫りにされたように思います。番組出演者の発言と、NHK
がインターネットで募集した中から赤裸々な証言の数々を紹介します。
■T氏 28(テレビにて)
僕の場合、激しいいじめとかではなく、小学校から高校にかけて、じわじわと
精神的にダメージを受けていきました。クラスメートの中にいても違和感があ
り、溶け込めず、孤独を感じていたんです。大勢の中で感じる孤独は、独りぼ
っちでいる孤独よりもつらくて、高校2年の時、ひきこもりを選択しました。
日本にいる、80万人のひきこもりの若者は、「生きる意味が見つからない」
とか、「自分の存在価値が分からない」と言っています。ハッキリ言って命の
実感はないし、生きる意味とか、教えてほしいですよ。オレ、このままなら死
にますよ。放っておけば、本当に。

830 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:14:27 ID:jhE0izx4
■Sさん 18(テレビにて)
「生きている実感」とか「生きている意味」とか言っていますけど、ずっと考
えてしまうことだと思います。
私は、2年前に自殺しようとしました。「死んじゃダメだよ」って、ハッキリ
言う人があるけど、私は、「死んじゃダメだよ」って、人には、まだ言えない。
自分が渦中にいる時は分からないですよね。
「生きていることって、いいことだよ」とか、「いつか、いいことあるよ」
って言われても、そんなことあるわけないっていう気持ちになりますよね。
「生きていなきゃだめだよ」と言われても、何を根拠に?って思ってしまい
ます。「生きていることって楽しいはず」とか、「生きているだけでいいん
だ」って言われても、何を言ってるの?って思うでしょう。
全然分からない。
そんなきれいごとを言われても、全然、心に届かなかった。

■Aさん(インターネット)
社会に入って労働し、自立することなく、親の援助で家にいるのをひきこも
りだとすれば、僕はそうなります。最近、援助が途絶えたらどうなんだろう
?って考えます。自分の体で労働し、養ってゆくことに意味が見いだせませ
ん。ひきこもりは甘えかもしれません。だけど、それ以上に、生きる意味が
分からないのです。
よく思うのは、高齢者の方に、「生きてきて、よかった?」って聞きたいなと。
でも聞けません。「よかったことなどない」、と言われるかもしれないから
です。「何とか生きてゆく」ことの必要性が分からないのです。

ただ生きてゆくことのみ、なのでしょうか。

■Bさん(インターネット)

「生きる」が分からない。自分で自分を生かしていくことに、意味が見い
だせない。心臓が動く、生きるだけでなくて、それ以上を求めてしまいま
す。考えられる限り、考えようと思います。でも、きっと分かんないだろ
うなあ。僕の何倍も生きている人も分かってなさそうなんだもの。

831 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:16:47 ID:jhE0izx4
■Cさん(インターネット)
時には喜んだり、笑ったり、苦難を乗り越えたりといった波もあるけれど、
その記憶を反芻しなければ、自分の過ごした時間も失われる気がする。
生きるってことが分からないから、死んでもいいと思っています。
■Dさん(インターネット)
あきらめたんです。自分が生きているということは、「仕方がない」ことだと。
どんなにつらくても、どんなにむなしくても、生きていかなければならないん
です。そのむなしさの上に、人生を構築してゆくのだと。この「むなしさ」に
耐えて、自分がどれだけ何ができるか。そのための言わば、「修行」が、
私の人生だと思ってます。
■Eさん(インターネット)
生きる権利があるのならば、死ぬ権利が欲しい。自分から脳死状態になれる
のなら、今でもそれを望みます。生きたい人に臓器を提供して、生きたい人
には生きてほしい。
■Fさん(インターネット)
たまに、「何でも打ち明けて」とか言われることがある。
「がんばって」とか、「死なないで」とか。その度に、簡単に言わないでよ、
とも思ってしまう。
■Gさん(インターネット)
僕も今、自殺志願者だと思う。死に場所を求めてさまよっていると思う。
今までに死にたいと思った人たちは、本当に、もう自殺というものを克服し
たんでしょうか。
何かつまらないきっかけで、また自殺したいと思うかもしれない。その時は
死ぬかもしれないと考えたことはありませんか?

832 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:18:09 ID:jhE0izx4
■Hさん(インターネット)

惰性で生きている感じがする。街行く人や、公園のおじいさんや、
おばあさんを見ても、幸せに生きているように見えない。
僕もこうして年を重ねてゆくのかなと思うと、心に違和感がある。
だったら生きていても、ムダな気がする。


■I さん(インターネット)

生きる意味、本当にみんな分かっているのでしょうか?
きっと見いだしたつもりになっていても本当は分からない。
一生、いや永遠の課題なのかもしれません。


なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか。どうして自殺を止めるのか。




苦悩する若者は、真実を求めています。



833 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 16:54:05 ID:Zj3jFJui
光晴いぢめないでくれ事件の首謀者が稲B、K口兄弟講師だったというのは新しい事実ですね。
I場氏が首謀者のように書かれていたが違っていたんですね。
しかしあの「光晴いぢめないでくれ事件」の文章は秀逸だと思う。何回読んでもおもしろい。

834 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 17:00:03 ID:Z4flOPBb
>>821
「おかしい」と 思う心が 謗法罪
親鸞会に 絶対服従!?

835 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 17:03:54 ID:wW0V43mv
おかしいのは 親鸞会であり
決して親鸞聖人がおかしいのではありません 
わかりやすくいいますと 親鸞会の存在が謗法罪


836 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 17:08:08 ID:Bp/H1mrU
>>821
結局、顕徹は何がしたかったんだろうな

837 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 17:17:59 ID:IY0iwwKX

顕徹の一生ってなんだったんだろうな

838 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 17:19:39 ID:IY0iwwKX

顕徹は、最後に何を手に入れたんだろうな

839 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 17:22:14 ID:IY0iwwKX

あれで、よかったんだよな?親鸞会は…

840 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 17:23:10 ID:Vsj/nF04
>>834

ムクムクと 会を疑う 心隠さん
謗法罪と 戒めらるゆえ

おかしいと思う気持ちを騙すなり
今日も隠蔽 明日も隠蔽

工作員 今日も隠蔽に励むなり
「善の勧め」が きいてあきれる



841 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 18:10:13 ID:IY0iwwKX
 麻原彰晃被告(51)=本名・松本智津夫=の初公判から十年余り。事件の記憶は薄れ、
オウムには新たな信者が集まり、活動を続けている。「被害者が一番怒っているのは今も
松本被告を信じる人がいること。時間がたち『悪い人はみんな捕まった』と錯覚した若者
もいる。いい人が、良いことをするつもりでサリンをまいたという宗教殺人の恐ろしさを
知らない人が増えている」と憂う。

 一九八九年十一月、同じ横浜弁護士会所属の坂本堤弁護士の一家三人が自宅からこつぜ
んと姿を消したとき、「オウムの犯行だ」と確信し、被害対策弁護団のメンバーになった。
教団を監視し、麻原被告の“超能力”のうそを暴き、脱会信者のカウンセリングに取り組ん
だ。これが原因で九四年五月、自家用車にサリンを散布されるなど教団から命を狙われた。

 十七年にわたりオウムを糾弾してきた。教祖の死刑が確定したことには「ほとんどの
信者にとって、すでに過去の人になっているので大きな影響はない」とみる。一方で、
将来の死刑執行時には「少数だが後追い自殺する信者もいるだろうし、一部が危険な行動
に出てもおかしくない」と警告する。

 裁判では、自ら殺人未遂事件の被害者として証言台に立った。裁判について「結局、松本
被告の心の内は分からなかったが、事件の概要はほとんど解明された」と評価する半面、
不満もある。

 なぜ学歴もある弟子たちが妄信し、暴走したのか、薬物などを使ったマインドコントロール
のメカニズムの解明が不十分だったことだ。「破壊的カルトの心理操作手法を解明してこそ、
類似事件の予防策が立てられるのに、検察側はその努力を怠った」

842 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 18:11:29 ID:IY0iwwKX
 ライフスペースや法の華三法行、摂理など、カルト集団にまつわる事件は後を絶たない。
滝本さんは、オウム事件以降、破壊願望を抱き、理由なき殺人を志向する人が増えている
と言う。それが第二、第三のオウムの出現につながりかねないとも感じている。

 「世紀末は過ぎ去ったが、閉塞(へいそく)的な社会状況は変わらない。豊かな社会の中、
生きている現実感覚がなく、漠然とした不安を抱く若者は多い。その心理につけこみ、
偽りの“救い”を与えるカルトはゼロにならない」

 カルト集団には、サークル活動を隠れみのに若者を勧誘するケースもある。滝本さんは、
一人でもカルト集団にはまらないよう、大学などに予防パンフレットやビデオを配り注意を
呼びかけている。対策に本腰を入れる大学も出てきたが、多くは危機感が薄いという。

 「基本的には悪徳商法の予防と同じで、勧誘方法を知っておくことが一番。手法は、
親しげに話しかけてくるとか、恐怖心をあおるとか。そうした“悪”がいることを知り、
誘いを断る勇気を持ってほしい」

 オウム脱会信者を支援する「カナリヤの会」の窓口でもある事務所には、現在も信者から
相談が寄せられることがある。「十年前と会のメンバーはずいぶん代わったが、社会復帰の
ための止まり木のような役割になればと思って続けている」。

オウムとの闘いは、まだ終わっていない。 

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