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神・霊 シルバーバーチ 神対 ラムサ等 3

1 :名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 20:56:33 ID:24QDFThr
なんか書けなくなったので適当に立てた。



438 :慈風:2006/12/21(木) 16:47:07 ID:/QaKc0+e
同じだということが、何か問題がありますか?
私は私が特別だとは微塵も思ってはいません。

あなたと違うところは、自分が何をしているかを知っているというだけ。
たったそれだけのことです。

439 :慈風:2006/12/21(木) 16:49:14 ID:/QaKc0+e
それから、私は私自身の気付きにより、以前とはまるで違う考え方になっています。


440 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 07:59:31 ID:az1jVNMV
>>405
>つい最近まで、私は「思考、自我、心」は滅すべきものと認識していました。

滅するべきものは「執着」でしょう。
「偽我」を除き、「思考」は制御し、「心」は整え、「自己」を磨く。
佛教では、「心を滅する」とは説かれていませんね。

「心を耕す」とされています。



441 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 10:09:20 ID:NuMyqiMS
>>440
>「心を耕す」

至言だと思います。

442 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 12:33:57 ID:SKlltzfG
>>438
>あなたと違うところは、自分が何をしているかを知っているというだけ。
なぜ違うと判断されたのでしょう?私も自分が何をしているかを知って
いますのであなたと同じです。あなたがあなた自身のきづきにより、
以前とはまるで違う考え方になっても、同じことなのです。
その「まるで違う考え方」が特別であるはずもない、ごく平凡な考え方
ですし、よくある理想論なのですね。

443 :慈風:2006/12/22(金) 17:55:20 ID:yI0Vj0kQ
はいはい

444 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 23:26:51 ID:SKlltzfG
あいかわらず質問には華麗にスルーでかわすのですね。
お気持ちはわかります。まともに対話と試みればたちまち
自分の打ちたてた建前が崩れ本音が露呈してしまうのですから
「はいはい」と言うのが関の山でしょう。

445 :慈風:2006/12/23(土) 05:44:34 ID:aGfAKbJ6
では、しっかりとこたえてみますか。
視点という言葉があります。
そのものの意味は、「見方=自分を主体として、ある物事をどうとらえるか」ということです。
それは個人により違うものであって、一致することはありません。

人により違いますが、視覚を主体とする場合、往々にしてありがちな間違いが「見えるものだけを判断してしまう」ということ。
前出の「法」を束縛とするのは、体を主体とした場合です。
ところが、人の主体が体にないことを知るものにとっては、現在の概念など全く意味をなさなくなります。

446 :慈風:2006/12/23(土) 05:51:48 ID:aGfAKbJ6
なぜかというと、「人を束縛するものは、自己の思考以外に何もない」ことが次第にわかるからです。

壁や限界、さまざまな苦しみ、悲しみ、困難、あらゆる苦痛などは、全て「誰かのせいではない」し、「神のせいでもありません」
それを何かのせいにしたりするのは、「被害者意識」という甘えであり、自立できていないという証明でもあります。

あらゆるものは人の手により作られます。しかし、その奥には「神が在るから可能なのだ」ということを忘れてはいけないと思います。
わかりましたか?

447 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 08:01:55 ID:HNqZ8+3y
>>381
>神や法と自分や物質を区別しているとすると、その区別対象が神や法の外に
で在るとなってしまうのでそれは無いとおもいます。

当時の人々に説く場合においては、「神と自分は一体」を説くことは大きな危険がありました。

イエスは「自分は神と一体である」と宣言することによって、「不敬」だとされ、死刑を科されました。

釈迦の時代には、「自分は不変であり、アートマンと一体である」ということから、「どんなことをしても自分はアートマンであるから変化しない」、
「肉体を失えばそのままアートマンであり続ける。奴隷や非バラモンにどのような仕打ちをしても関係ない」という思想が蔓延していました。

ですから、バラモンの説く「神」や民衆の信じる「神」と本当の「神」とを区別する必要がありました。

釈迦は「永遠不変の法」と「輪廻の中にある「神々」」とを識別しました。

この世での「永遠に変わらない「常」としての「我」」と「変化し続ける「無常」の「自己」」とを識別しました。

当時の「アートマン観」と「神観」とを否定して、本来のものに近づける必要があったからです。

ですから、努力の道標として、現在で言う「意識」や「心」を幾つにも分け、識別をして、説いています。

「神」、「法」、「自分」、「物質」だけでなく、「識」や「意」も識別しています。

佛教は「平等観」だけではなく、「差別観」も包含しています。



448 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 08:54:26 ID:CJGc6U3A
カルマを「原因と結果の法則」とするなら、
446はそのままカルマなんだけど。

どどのつまり、彼はようやくカルマについての一般的解釈に
辿り着けただけなんだけど。

449 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 11:13:27 ID:JrxVU9qo

カルマを消す・・・。

ttp://www.fushigikenkyujo.com/archives/Syuzaiki/ishii.html

450 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 11:37:45 ID:mHDOZEbv
>「被害者意識」という甘えであり
ものすごい他罰的な判断ですね
その自分の内だけで認識(現実)を創造する
これが真の「生き方を選択する」ということか
あまり魅力を感じないのはなぜだろう
相対的な世界はもういいやという気がしている


451 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 14:37:08 ID:CJGc6U3A
>>449
読みました。

>外気にふれたとたんに気で出来た霊体が入り

これに反する意見は幾らでも世界に流布しているけど、これは本当。
霊体を「内なる神」(イコール魂)とするなら、それは出生と同時に肉体に入ってくる。
故に出生前の胎児の記憶は、胎児という物質生命体が持つ記憶を指す。

しかし、胎児と魂に全く関係が無いということは殆ど無い。
というか、無い。
関係があるからこそ、内なる神はその肉体を選んでやってくる。だから

>「両親というのは誰であるかは知らない霊体と霊魂を迎え入れる
>赤ちゃんという器(うつわ)を生むのだ」と言う。

はちょっと違う。両親は自分達の魂のレベルでは自分達の関係を理解しているから。

結論を書くと、自分のカルマを消せるのは自分のみ。この人はカルマを消しているのではなく、
「その人自身がカルマを消すきっかけを与えている」ということでしょう。

452 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 15:09:13 ID:g1o422Wq
>>451
レスありがとうございます。

>結論を書くと、自分のカルマを消せるのは自分のみ。この人はカルマを消しているのではなく、
>「その人自身がカルマを消すきっかけを与えている」ということでしょう。

同意です。自己のみがカルマを消せるのですね。

どの様にすれば、カルマを消せるのでしょうか?




453 :慈風:2006/12/23(土) 17:16:50 ID:aGfAKbJ6
カルマねぇ。

454 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 18:24:39 ID:mHDOZEbv
>>447
381です
>イエスは「自分は神と一体である」と宣言することによって、「不敬」だとされ、死刑を科されました。
キリストは神を「全て」と認識していたみたいですね

>釈迦の時代には、「自分は不変であり、アートマンと一体である」
>ということから、「どんなことをしても自分はアートマンであるから変化しない」、
>「肉体を失えばそのままアートマンであり続ける。
>奴隷や非バラモンにどのような仕打ちをしても関係ない」という思想が蔓延していました。
バラモン教ではそういう事になっていたのでしょうね
ただ、「我々は絶対的に在る」という究極の認識はあっているのですが、
彼らは「我々はお互い分離している」という幻想を繋いで認識してしまったので、
俗に言う「間違い」が発生する土壌を生んだのでしょう
神・法と区別するといった真理から遠ざかる方法よりも、もう一つの真理を
継ぎ足すという修正の方がよかったと思います
ただ、古代の宗教の中に「我々は一体である」という事が強調されている物は無かったように
思われるので当時としては止むを得なかったのでしょう
ただ、それによる間違いも相対性を埋めるために必要といえる程の必然性をもった
人類の経験なのでしょう

仏教はいまいち詳しくは無いのですが、いわゆるより高い教えを理解するための
方便の教えから究極の教えへと説いていったみたいですね
一般的に一番最後に説いたとされる涅槃経を調べてみてはいかがでしょうか

455 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 19:58:36 ID:ieFhIezY
>>453 慈風殿

>?カルマねぇ。

慈風さんには、カルマがないの、又はカルマ自体、其の様なモノは
存在しないという事ですか

456 :163:2006/12/23(土) 21:55:45 ID:ZndR0WaN
慈風はエゴ、自我と真我をはっきり区別している。
そして真我―至高の繋がりしか興味ない。
至高以外の波動は少なくとも2元性を帯びておりカルマや因果関係
が存在する。一体性の中での個性を楽しんでいる。
高位の神々の上にいる慈風の観察ポイントでは
カルマは存在しない。直線時間などを
否定しているしね。実際は高位もそれを超えた状態とも
言えるが。
慈風自体はまだ直線時間内の段階の体験をしているが、
心は至高の存在気分だから言葉上では至高波動の表現になる。
まあ、人の内部には源と同じ波動があるから間違いはないが。
まあ、カルマに関連する意義としてはこうなるのかな。
「あえて満点を取らずに無限の螺旋的な
多次元的成長をしている」。
批判を受けるのは源が円的なのに
霊的成長が早いとか遅いとか言うからかな。
円においては最後尾は最先端より一歩先に行っているとも
言えるし。変化する宇宙の中でのカルマの定義は難しい。


457 :451:2006/12/23(土) 22:52:01 ID:CJGc6U3A
う〜ん、カルマですか・・・

カルマの話題で一番大切なことだと私が考えているのは、【カルマの提議】です。
カルマには実に様々な解釈があります。そのため、人によってカルマの提議が
異なってしまうという事態が頻繁に生じてきます。「カルマは有る」「いや、無い」
と言い争いをしている両者にとってのカルマが、違う現象を指しているとしたら、
両者の意見が一致するはずありませんから。

それゆえに、455さんの慈風さんへの問いかけは極めて理性的かつ理知的な行為といえます。
相手の考えを聞こうとする行為は、一方的な決めつけを回避する最良の手段だからです。

455さんへ、私は敬意を表します。

458 :451:2006/12/23(土) 23:00:13 ID:CJGc6U3A
次に、カルマの話を私がなかなかできない理由を書きます。理由は幾つもありますが、
それらのうちの二大巨頭は、「とても複雑だから」と「とても厳しいから」です。

前の書き込みで私は「カルマには実に様々な解釈がある」と書きましたが、これは、
カルマがとても複雑だからこそ生じてしまったんです。つまり、

  とても複雑な法則であるカルマは全体を包括した説明が極めて困難なため、
  どうしても部分的な説明になってしまう。

  そしてその部分部分から、独立したカルマの解釈が構築されてしまった。

というわけですね。複数のカルマの解釈から共通項をくくり出せる人はそうそういないので、
カルマ論が現在のようになっても仕方なかったのでしょう。

459 :451:2006/12/23(土) 23:07:23 ID:CJGc6U3A
もう一つの理由「とても厳しいから」は、慈風さんも446で触れています。

>「被害者意識」という甘えであり、自立できていないという
>証明でもあります(>>446

これはその通りです。いえ正直いえば、カルマの法則の厳しさはこんなものではありません。
カルマの法則は、神と直結した比較にならないほど強大な意識にとっては、ただの原因と結果の法則です。
しかし、神から大いに離れてしまった微弱な意識にとってのそれは、「ただの原因と結果の法則」
と呼ぶには強力すぎるんです。これは、地上に存在する様々な不幸を見れば、
納得していただけるのではないでしょうか・・・・・。

と、なんだか脅しのようなことを沢山書いてしまいましたが、カルマの法則はある意味、
実に簡潔明瞭で適用が容易な法則でもあるんです。なぜなら、

  人には絶えず内なる神の力が流れ込んでいるからです。

460 :451:2006/12/23(土) 23:13:51 ID:CJGc6U3A
日頃から内なる神とやりとりをしていればしているほど、
カルマの法則は容易で簡単な法則になります。

カルマについて書くかどうかは、もう少し考えさせてください。
すみませんです。


今日はもう落ちます。

461 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 23:54:41 ID:mHDOZEbv
カルマについてはこう考えてます
先ずは一体観と個別観で考えられますね
一体観とは、「我々は本来は一つである」というもの
ゆえに「与えた事のは即時的にカルマが実行されている」
もしくは死後に一生での出来事を自分と相手を一体として振り返るときに
相手の受けた感覚を直に受けカルマが清算されるというものです
この「死後の一体化レビュー」には議論の余地がありますが

個別観は「我々は個別に学び神へと向かう」というもの
ゆえに「自分が行ったことはいつか自分へその体験が向かってくる」
殺したら、今度は殺される
与えたら、今度は与えられる
いつかは分からないが、法なのでそれは絶対に実行されるというものです
ただ、殺したら命を助ける、奪ったら与えるというようにバランスをとればOK
というような、カルマは「心のバランスの法」としているものもあります

ただ、最初は善と悪どちらから始まったのか、
そもそも善悪の絶対的な判断などあるのか、
相手と自分の認識のギャップがあった場合はどうなのか、
世界は単純にそういう風には見えないのはなぜか等、
色々不思議な点はありますね

462 :名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 00:15:36 ID:eBPJAFpQ
>>445-446

>しかし、その奥には「神が在るから可能なのだ」ということを忘れてはいけないと思います。
神が在るから、ねぇ。

「神」の一点を除いてあなたのおっしゃってることはごく当たり前のことです。
当たり前のことを繰り返し言って自分に刷り込んでいるに過ぎません。なぜ当たり前の
ことを繰り返し言うのでしょう。何か素晴らしい内的活動でもなさっているおつもりですか?

そして、神の話につなげている以上それは立派な宗教となります。脱宗教という
新興宗教というのは数多くあります。

あなたは神を「忘れてはいけないと思」っていることからも明らかなように宗教に
束縛されているのですね。

>あらゆるものは人の手により作られます。しかし、その奥には「神が在るから可能なのだ」ということを忘れてはいけないと思います。
わかりましたか?
あらゆるものは人の手により作られます。神も人の手により作られ継承されてきました。

わかりましたか?

463 :名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 01:48:41 ID:nYUrwn3n


人間は実に複雑怪奇な生き物、顕在意識、潜在意識、深層心理
善にも悪にも中庸にもなれる。

其の究極的な「善」なる意識が「神」で在り、究極的な「悪」なる意識が
「悪魔」であるのかもね。


464 :慈風:2006/12/24(日) 04:52:53 ID:zdcdacGF
説明するきにもならん。


465 :名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 07:58:25 ID:IBXTggQc
>>462
>あらゆるものは人の手により作られます。神も人の手により作られ継承されてきました。
わかりましたか?

人の手によって作られるものなど何一つありません。

多くのものは自然より模倣したものであり、
その元にしたものは、いかなる原理であろうとも、人間によって創り出されたものは何一つありません。

病気にならない肉体、年をとらない肉体さえも創り出せていません。

地球を人間はどのようにして創造しましたか?
この宇宙をどのようにして創造しましたか?

「生」、「老」、「病」、「死」があることが、「人間は何も創り出せていない」ということを示しています。

生命を預けられているだけで、自分で創り出すことが出来ていません。

人間が創りだせているのでしたら、そのものを壊し、復元し、そのものを殺し、生かすことが出来るでしょう。


466 :無所属な旅人 ◆TripFe2LDA :2006/12/24(日) 09:31:57 ID:Bk6A9BhH
説明でも解呪でも(←言葉の上だけじゃないよ)自分から出来なくなった事はシコリ(←なんと呼んでもよいけど)だよ。

あえてしない(/する)は、自分がそこで支える(←これもあやのある行動表現だけど)としていることと同義。

わかっているなら、そのように表現(=体現)してといわれているだけ。

467 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 07:38:56 ID:aOh4C0G9
>>463

究極的な「悪」というものは存在しない。

「究極」に向けて行く間に映し出される歪みが「悪」というもの。

やがては「悪」と見えたものは消え失せていく。

「本来、悪なし」

468 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 15:24:43 ID:YtYqme3V
>>464
しょうがないな、書くか。
率直に言うと、あなたは人と意見を交換するのが下手なんです。なぜなら、

  人と意見を交換させる努力をしてこなかったからです。

あなたは「私は自分のことしかはなさない」「判断するな」と主張してきました。
この考えに、相手との意志の疎通はありません。
相手を理解しようとする努力もありません。ですから、

  皆があなたの考えを誤解しても仕方なかったのです。

なぜならもう一度繰り返しますが、

  あなたは人の考えを理解し自分の考えを理解してもらえる努力を
  してこなかったからです。

469 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 15:37:44 ID:YtYqme3V
ここにAさんがいます。

Aさんはあるとき決心しました。「一方的な決めつけをしない人間になろう」と。
ですからAさんは、人を理解する訓練をしました。
どのようにしたら相手を理解できるかと、いろいろ試してみました。
どのような会話を心がければ相手と意志の疎通がしやすくなるかを
学び続けました。
どのような心構えで生き、どのような心構えで人と接すれば、
偏見や先入観のない人間になれるかを根気強く探し続けました。

その甲斐あって、Aさんは人の考えを理解することが上手になりました。
と同時に、自分の考えを表現する方法も上手になりました。
Aさんは自分だけの一方的な価値観で人の意見を判断するのではなく、
もっと広い視野で総合的に判断できるようになりました。

Aさんは、一方的な決めつけをしない人になれたのです。

470 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 15:50:08 ID:YtYqme3V
一方的な決めつけは、正しい行為ではありません。
ですから、それをしない人間になろうと決心することは
正しいことだと思います。

しかし、です。
一方的な決めつけをしない人になるためには、何をすべきなのでしょうか?
「決めつけをするな」「私は自分のことしか話さない」と人へ言い続けるだけで、
果たしてその人は決めつけない人になれるのでしょうか?

一万人のうち9999人は、失敗するでしょう。なぜなら、

  こうありたいと思う自分になるためには、
  人は相応の努力をせねばならないからです。

決めつけをしたくないならば、相手を理解する努力をせねばなりません。
その先にのみ、「決めつけをしない自分」はいるのです。

と、こういうワケですよ、慈風さん。

471 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 20:45:40 ID:tX3gU+sW
原初の世界は絶対性であったので何の感慨も無く、また体験が不可能であった
原初の本質の素晴らしさを体験するため本質から離れる事を創造することとなった
それが相対性の世界であり、本質に近いほうを心地よく感じ、離れるほど心地悪く感じる
相対性の世界を展開した目的にあるように、我々は心地よい方向(本質)を目的地としている
しかし、本質に近いところにずっといると心地よさが無くなってしまう為、本質から離れなければならない
と私は言ってきたが、「必ずしも我々自身がまた本質から離れなければならない」
という訳ではないという事を言うのを忘れてました、、、
では現状の素晴らしさを味わうにはどうすればいいのか
2つの方法があります
「本質から離れていた過去の記憶を味わう」
「本質から離れている他の存在を観察する」
高度に精神性を高めた存在はこの方法をやっているみたいです
なので上がりっぱなしでも大ジョブだからどんどん上がっちゃいましょうという事です
「あの時に比べりゃ・・まぁ良い方だな・・」
「ぁぁ・・アイツよりかはマシかぁ・・・・」
我々も何気にやっていますねw

472 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 22:08:53 ID:s/S2L4mp

絶対性をつかめてないレスだなw

473 :163:2006/12/25(月) 23:12:12 ID:RMA9gLlH
>>471
ユニークな表現ですね。
結局、高度に進化して「悟りを得たり」、「昇華」、「アセンション」、
「エンティティ」等になれば、もう好きな次元に降り立って、
思うような光のボディをまとい1から経験しなくてもすべての
経験をシェアできるのでワンネスでの個別性を楽しめるという
ことか。


474 :名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 08:13:28 ID:5lKvBibs
>>473

あらゆる段階における「グループセルフ」を通じて、全ての経験を体験できるのです。

「同じ自分」の別の「時代」、「個性」などの別の側面を通じて。

「全能」なので、「自らを忘却すること」も「自らの力を制限すること」も可能なのです。

無限の側面に意識を投射しているがゆえに、いかなる次元にも存在し得るのです。

475 :名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 10:00:37 ID:pEXYzzjU
>>472
正真正銘の絶対性をつかむためには絶対性との完全一体化が必要だから、
そこまで至れないうちは絶対性をつかめてなくて普通だよ。

それに471さんは、面白い所を突いていると思う。
私なりの表現を使うなら、

>「本質から離れていた過去の記憶を味わう」
>「本質から離れている他の存在を観察する」(>>471

を真に可能にするのは、「絶対存在に直結している意識」ということになる。
そして、絶対存在に直結した意識に近づいた意識であればあるほど、
絶対存在に【似た観察】ができるようになるということ。
知識や常識に囚われない客観的な観察を、自分なりの視点からできるようになる
とも言えるかな。

163さんや474さんの話も、絶対存在に直結した意識にとっては
至極普通の事柄といえるでしょう。

476 :163:2006/12/26(火) 11:56:20 ID:p5MVHZRg
人間でも多次元に同時存在するといわれる。
しかし、経験を積むためにはこの人生によくフォーカス
する必要がある。地球次元の意識は真実にフィルターをかけたり、
ほこりがついたりしやすい。
まあ、人間にはこの人生しかない、死後の人生はない
というほどの覚悟も必要かと言われる。
人間でさえ幻想だと冷めた感覚ではそれが真実であっても
進化と喜びはない。
進化、カルマさえ高い視点からみればないと言うが
そこまでの高くて大きな視点に在るという状態が必要かと。
言葉で目標としてとらえて日々進化と成長、それに喜び
によって体験、卒業、そして在るという状態となる。
高次の存在になっても一体性という
真実の中でも個別的存在という現象を楽しむという。


477 :名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 12:01:32 ID:pEXYzzjU
>>476
>人間でも多次元に同時存在するといわれる

これは本当にそう。
でも私が書くと、またまた本には載ってないことだらけだから
433に似た対応なんだろな。
そうじゃなければとても嬉しいんだけど。

用事があるので今日はもう落ち。

478 :名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 12:04:12 ID:pEXYzzjU
>高次の存在になっても一体性という
>真実の中でも個別的存在という現象を楽しむという

書き忘れたけどこれも本当。

479 :163:2006/12/26(火) 18:17:09 ID:p5MVHZRg
>>477
えーと。自分の知識と感性で書くということは霊感を磨く
上で大切なことと思います。
ただ、レスをみる相手は真意を汲みきれないまま推測で
判断することもあるのであしからず。
(時間的制約もあるしですね)


480 :163:2006/12/26(火) 21:42:09 ID:p5MVHZRg
この多次元性というのは高次の光の無限の側面のこと。
よくステンドグラスのたとえで表現される。
「行き着く先は同じ」とはそれぞれの道は違えど皆と源とは
一体性の希求を有する。
それはある意味で始まりの聖なる瞬間でもある。
すべては一瞬で生まれた。源が自らを知るために。
人生の目的、宇宙の目的、魂の目的。すべての問題の解決。
もしいろんな変動が起きたとき一番大事なこと
はこのことだろうと思いますね。

>を真に可能にするのは、「絶対存在に直結している意識」ということになる。

我々は無意識に絶対存在と直結しているが、
関係度は絶対存在への意識的な度合いによる。


481 :名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 22:33:38 ID:pEXYzzjU
>>480
ちょっとだけ

>我々は無意識に絶対存在と直結しているが、
>関係度は絶対存在への意識的な度合いによる。

うん、全ての人は無意識に絶対存在と直結している。
そして中には、完全自覚のもとに絶対存在と常時直結している人もいる。
もちろん私はまだまだだけど。

482 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 07:34:27 ID:GtmdEXGB
>>481
>そして中には、完全自覚のもとに絶対存在と常時直結している人もいる。

残念ながら現在の地球の霊的発達の段階では、そのような人はごく少数です。

「絶対存在と常時直結」まではいきません。

だいたい、ガイドやガーディアン、マスターを通じて、それ以上でも、ハイヤーセルフ、ゴッドセルフを介して通じているので、
「直結」はしていないのが、現状です。

それどころか、エゴ(ネガティブ)や幻想、媒体の未浄化のために、ガイドやガーディアンとの連結さえ遮断されている状態にある人がいます。

絶対存在と直結しているのは霊界における本源のセルフであって、地上の「私」が直結していることは極めて稀なことです。









483 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 08:25:50 ID:L2TNNgsD
>>476
>まあ、人間にはこの人生しかない、死後の人生はない
というほどの覚悟も必要かと言われる。

「人間にはこの人生しかない」、「死後の人生はない」と考えることは、実際には何の役にも立たないことが多いです。

多くは、自分中心の生き方にもなり、また、無自覚のうちに他の人の想念の集積や未浄化の霊的存在の操り人形となってしまうことにもなります。
迷いの中で、幻想の中を歩んでいるのにも等しくなってしまうのです。

大多数の人にとっては、「死後の世界はない」と考えるよりも、「死後の世界はある」と考えて生きた方がより良い人生を選択できるでしょう。
同様に、「カルマはある」と考えるほうが、「カルマはない」と考えるほうが、多くの人にとってはより良い人生を選択できるでしょう。
「自分がよい種を蒔けば、よい果実を実らせ、よい果実を味わう」
「自分が悪い種を蒔けば、悪い果実を実らせ、悪い果実を味わう」
そのように考えて生きた方が、「よい種を蒔いても、悪い種を蒔いても、何の果実も実らない」とか「よい種を蒔いても、悪い種を蒔いても同じ果実を食べるだけで、果実に何の変化もない」と考えるよりも、よりよい人生を選択することになるでしょう。



484 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 08:28:11 ID:L2TNNgsD
しかし、さらに向上した人は、「ただひたすらによい種を蒔く。自分がそれを味わうことがなくても、ただひたすらによく育てよう、実らせようとする」のです。

「人間にはこの人生しかない」とか「死後の人生はない」と考えることも迷妄にとらわれることになります。

「人間にはこの人生しかないとしても、死後の人生があったとしても、それには関わりなく、ただひたすらに人生を生き抜く」ということです。

「この世しかない」ととらわれることも、「死後の人生」があるととらわれることも、誤りとなる。
「どちらであろうと関わりなく、努力して、そして、やがてにはありのままに生きること」、
「よい種の結果も悪い種の結果もありのままに受けとめ、悪い種は蒔かずに、よい種をまこうとする生き方」をすることで、死後の世界があろうと、あるまいとどちらでも問題がないように生きることになるのです。


485 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 08:29:35 ID:L2TNNgsD
自己が確立した者が「自己犠牲」を学び、「悪カルマに束縛されることがなくなった者」が「カルマにとらわれない生き方」を学ぶのです。

「自己が確立しない者」が「自己犠牲」を学んでも、「主体性のない生き方」、「奴隷としての生き方」をすることになります。
「悪カルマに束縛されている者」が「カルマにとらわれない生き方」を学んでも、「「カルマはない」と言いながら、悪カルマを無自覚のままに積み重ねていく生き方」になります。

「カルマを知るかどうか」ということは、「自分がどのように借金をし、どのように返済するか、財産を得るか」を知るか、
無自覚のままに借金を積み重ねていくかということです。

「カルマにとらわれない」ということは、「世のためにと努力して、それで失敗したら、その借金は甘んじて受けるが、そのようなことにこだわらずに自分の出来る限りの努力をする」ということです。
「それで財産を得たとしても、それは結果に過ぎず、財産を得るために努力するのではない」という生き方です。

「死後の世界」があるということにこだわって、「死後によい世界に帰るために努力する」という人には、
「死後によい世界に帰れなかったとしても、死後の世界がなかったとしても関係なく、後悔することがないように、自分に出来る限りの人生を生き抜くこと」が薦められるのです。
それもとらわれとなって、ある段階から先に進めなくなるからです。

486 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 13:21:09 ID:NCucxIyp
>>482
>残念ながら現在の地球の霊的発達の段階では、そのような人はごく少数です

たしかに少数だけど、ちゃんといるよ。
絶対存在と常時直結してる人もいるし。

ただ、イエスが「この世で小さい者ほど天国では大きい」と言ったよに、
いわゆる霊の世界での有名人にはいない。

それと、470で「一万人のうち9999人は、失敗するでしょう」(>>470
としたのは、数万人に一人の割合でかなりの段階まで成長した人がいるから。
だけどその人達も、一般的に認知されている霊的な行為とは別なことを
していることが多い。
一般的な霊と真の霊には、大きな隔たりがあるからね。

だからこそ、常時直結している人達はいないと世間では
思われているワケでした。

487 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 13:43:49 ID:nbF8+gfV
死後の世界やカルマについては、「そんなものがあってもらっては困る」
という人が多いんだ。

あってもらっては困ると思っている人達は、何が何でも否定しようとする。
話せば話すほど、否定しようとする。
実例を挙げれば挙げるほど、否定しようとする。
だからそういう人達用のアプローチが現代では幾つもされているので、
そこら辺を調べてみることを勧めるよ。

私の経験では、別のアプローチをしてみたら、死後の世界やカルマを
信じていない人もとても素直に受け入れてくれたな。これは412さんの

>本当に必要としている人ほど拒否する(オカルト宗教と勘違いする)傾向はあります。
>それはメンタル掲示板(心の病の人が集まる掲示板)へ行けばわかります。

に通じる。正直言うと上記の傾向は、体の話より心の話の方が強く、
そして心の話より霊の話の方がより強い。

486が、その理由です。

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