5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

神・霊 シルバーバーチ 神対 ラムサ等 3

1 :名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 20:56:33 ID:24QDFThr
なんか書けなくなったので適当に立てた。



2 :名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 21:24:34 ID:0si6mV0k
2ゲット フォーおまんこしたい!!

3 :風の主:2006/03/32(土) 21:33:04 ID:259D6rZb
三とり!

4 :名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 21:59:35 ID:ayZuCWwx
前スレ>>858です。
質問に答えて下さった皆様有難うございます。

重ね重ねすいませんが、地球の別次元とはどんな所なのですか?

5 :名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 22:03:45 ID:24QDFThr
あまりに適当だったのでちょっと追加。

前スレ
 【1を】神・霊 シルバーバーチ 神対 ラムサ等2【読んでね】
 http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1113231027/

前々スレ
 【1を】神・霊 シルバーバーチ 神対 ラムサ等【読んでね】
 http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1110981013/

関連スレ?
 ★シルバーバーチ・スピリチュアリズム★8
 http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1143043592/


6 :名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 22:09:50 ID:24QDFThr
>>4
書こうと思って前スレに書けなかった文章をあげときます。

-------------
具体的にバシャールの何巻の何ページの話か教えてもらえれば何か書けるかもしれません。
今思いつくところを書くと、例えば宇宙密度という話があります。
我々が体験しているこの物質世界が第三密度で、鉱物や動植物のための世界が第一、第二密度
そしてより高い精神レベルの第四密度、もっと上もあります。キリストは第六密度だとか。
第四密度は物質界と非物質界の中間のような世界で、我々からは見えませんが、
肉体は維持されている世界ということらしいです。
プレアデスやシリウスなどに肉眼で見えない生命体がいるというあれです。

我々の精神レベルが上がると、この肉体を維持したまま(死なないで)非物質界のように
思考が即座に現実化したり、テレパシーで意志を伝えたりする世界に行けるという話があり、
もしかしたらそのことでしょうか? アセッションっていうのかな?
バシャールがいるところも確か第四密度だったかな。。

あと、江原さんの天職と適職の話はまた全然違うレベルの話になりますが、
食べるため、家族を養うためにする仕事が適職で、
仕事をしながら、自分が楽しくてさらに人のためになるようなことをする
例えば少年野球のコーチをしたり、ボランティア活動をしたり、そういうのが天職だ
と言ってましたね。もちろん天職であり適職である人は沢山いるでしょう。
江原さんも美輪さんもそうでしょうね。普通は天職では稼げないと言ってましたけどね。

関係ないけど、江原さんはオーラの泉で「我々には見えない宇宙人が住んでる星がある」
という話をしてましたね。ベッキーの時だったかな。

7 :名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 22:33:43 ID:ayZuCWwx
>>6
有難うございます。
前スレでの質問は『バシャール2006』のP43です。

ということは私達が居る次元は第四を目指しているということでしょうか?

江原氏は『課題を与えてるだけ。つらい試練を与えてるんじゃない。そんな思いは自分がつらいだけなのに』
とバシャールっぽくもありますよね

8 :名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 22:53:52 ID:24QDFThr
>>7
>前スレでの質問は『バシャール2006』のP43です。

そこで言っている次元の意味でしたら、単純に死後の世界と解釈していいのではないでしょうか?

>ということは私達が居る次元は第四を目指しているということでしょうか?

そういうことらしいです。2012年だとかなんとか。
電波っぽくなりますけどね。

9 :名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 10:57:44 ID:6Ry9CgOp
神との対話は偏狭な宗教を乗り越えることも
テーマとしている。ちょっと批判的すぎると感じる
人もいるかも。考えは大きい。

バシャールははじめから既成宗教は相手にせず、
カウンセリングスタイルだから、余裕を感じる。

壮大果敢の神対、愛実践生活むきのバシャールという
ところか。

10 :名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 14:39:40 ID:wjefok2m
シルバーバーチは、批判的ではないが命令的なものを感じる。
神との対話は、命令的ではないが批判的なものを感じる。
バシャール、エクトン、セス、ラザリス等は、批判的なものも命令的なものも感じない。

私の印象としてはこんな感じかな?

11 :名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 18:49:34 ID:Mj971Kqf
ーすみません業務連絡をさせてくださいー
ヒロリン様へ
PCの故障によりすべてのデータを一瞬にして失ってしまいました・・。
メールも写真も、いつかお送りできたらと楽しみにしたためていました
「宿題」についての長編レポートもなにもかもすべてです・・。
○っちゃんとの話をあんなにも喜んでくれた人は、ヒロリンさんが初めてでした。 
読む度に元気をくれた大切な大切な交換記録を、一瞬にしてすべて失ってしまいました・・。
これもみんな必然のもとに起こっているのでしょうか???
なんとかここまで復帰できたけれど、なんか寂しいっす・・・。   
連絡をお待ちしています(ご迷惑でないことを祈りつつ・・)。   
☆ヒカリン☆
ーみなさん失礼いたしました m(_ _ )m ー

12 :名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 19:41:44 ID:aBzgih6G
批判的や命令的に感じるものの中に、
自分とは何者なのかを決める何かがあるのだろう。

13 :名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 20:19:35 ID:TOJudL9+
>>10
批判的という意味なら、バーチもその傾向があるように思えます。
とくに利己主義に対する批判はスゴイ印象があります。

この世で生きてる人間が利己的なものを批判するのはよくわかるのですが、
(私もあまりに利己的な人間を見るとムカツキますからね)、
霊的存在が利己的なものを批判するのはどうなのか?とも思いますね。
この世を去ったばかりの霊が利己的なものを批判するのはわかりますが、
人間を卒業して3000年も経つ霊が利己的なものを批判するのは不思議な気がします。

14 :風の主:2006/04/02(日) 20:46:34 ID:FPaxsgHk
そうでしょうか?私は利己的でいいと思いますが。

15 :名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 22:46:39 ID:aBzgih6G
霊的存在になると、批判的である自分なら、あるがまま批判的なのではないだろうか。

16 :名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 22:49:59 ID:iGNjUb/N
「火星が自然災害によって破壊されてしまった、地球にも自然災害が訪れて恐竜の時代も終わりました。」

とありますが…"破壊されてしまった"ってなんか変じゃありませんか?

17 :名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 22:58:35 ID:w/ztCY9m
それどこからの引用?

18 :名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 23:32:36 ID:iGNjUb/N
バシャール2006のP127です。

19 :名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 00:03:00 ID:w/ztCY9m
そうか。マイヤースにも火星の説明で同じようなこと書いてあったから。

20 :名無しさん@3周年:2006/04/04(火) 18:58:12 ID:Jpetwnd4
「セスは語る」の続編が刊行されるみたいですね。
刊行というか、日本語化されるという意味でしょうけど。

『個人的現実の本質 −セスは語る2−』 ジェーン・ロバーツ著、松岡敬子訳

http://www.naturalspirit.co.jp/ 内の、
http://www.naturalspirit.co.jp/nextbooks.html より。

従来のセス本の内容と、新刊のタイトルからして、
もしかしたらバシャールを超えるようなものかも知れない予感がして、
今から楽しみです。

21 :名無しさん@3周年:2006/04/04(火) 20:52:12 ID:4RIaEuLF
>>20
1974年刊の"The Nature of Personal Reality : A Seth Book"でしょうね。
ジェーン・ロバーツは1984年に亡くなってます。
セスの内容は素晴らしく、英語の本は20冊以上出ているのに和訳が1冊しかないのは寂しいですね。。
今から30年以上前に語られたってのがちょっと早すぎたのかな。
私はバシャールを超えてると思ってます。

22 :名無しさん@3周年:2006/04/04(火) 21:05:59 ID:DOoaw+M+
原書で読めば無問題

23 :名無しさん@3周年:2006/04/05(水) 15:29:58 ID:K9crKH9L
私は家族のことが心配で「家族になにかあったらどうしよう」と常に不安にさいなまれています。もうほとんど恐怖です。

これは私の概念がそうさせているのでしょうか?

自分にとっても家族にとってもよくない思いだと思うので直したいのです。

24 :名無しさん@3周年:2006/04/05(水) 16:05:09 ID:Faya334G
>>23
「教科書どおりの」回答をするなら、その恐怖と思念が恐れる対象(家族が怪我するなど)を
引き寄せてしまうので、心配するのは止めるに越したことはないと思われます。
あと、そのような心配を「してしまう」原因は、精神科医のワイス博士によると、
前生や過去生で家族を失って悲しむような経験をした記憶の残骸が、
現生にまで影響を及ぼしている、ということになるのかも知れませんね。
または今生でのとある経験が原因の可能性もあるらしいです。

25 :風の主:2006/04/05(水) 16:15:40 ID:NfCiWCvM
とらわれない方がいいかも

26 :名無しさん@3周年:2006/04/05(水) 16:36:16 ID:aLXgXiDO
>>23
>>24さんに同意です。不安からは何も生まれません。むしろ本当に恐れる現実を引き寄せて
しまいます。

エクトンのチャネラーのリチャード・ラビン氏は、運転中に「このまま事故を起こして死んでしまったら
どうしよう」と思ってしまったときには、「いやそんな現実は必要ない。私にはふさわしくない」と言って
忘れるそうです。

感情を抑えるのは良くないので、不安を感じたらそれを否定しないで「正しい感情なんだ」と言って
まずは受け止める方が良いと思います。
抑えつけて逃げようとするとどこまでも追ってきます。
限度を超えるとパニックになってしまいます。

不安を感じたら、まずは受け止めて、落ち着いたらとりあえず横に置く。
冷静になって考えて、その不安をポジティブな方向に変換するにはどうしたら良いか考える。
思い切って家族でオープンに話し合うのもいいかもしれません。

自分の信念がこの現実世界を作り出していると分かっていれば、必要ない現実は選ばなければいい
と単純に思えるはずです。ま、なかなか難しいですけどね。

27 :名無しさん@3周年:2006/04/05(水) 22:01:31 ID:K9crKH9L
>>24>>25>>26
ご助言ありがとう御座います。
そうなんですよね。気にしすぎはよくないと分かってはいるんですが…でもこれだけは言えます。私は家族に災いが及ぶことを選択していません。

家族、友人の幸せを毎朝簡単にですが祈っています。この思いは神に伝わっているのでしょうか?

28 ::2006/04/05(水) 22:31:52 ID:NfCiWCvM
そのことに心をとめてはいけない。
不安や心配を思えば、その状況を体験するようになる。
不安の波動が、不安を呼び寄せます。

29 :名無しさん@3周年:2006/04/05(水) 22:33:09 ID:csY5aMOx
>>27
思いが神に伝わっているかが不安なのであれば、まだ幸せの選択をしたとは言えないかもしれません。

幸せの選択をするとは「自分がいま幸せであると知る」ことです。
幸せでないのにどうやれば幸せだと思えるのかいうと、色々方法はありますが、
例えば、

 ・人を幸せにする
 ・幸せになろうとしている人を助ける
 ・幸せになった自分を具体的にイメージしてその通りに振る舞う
 ・視点を変える。自分より辛い思いをしている人になりきって自分を見る

などです。このようなことをすると自分の観念が変わって欲しかった現実を引きつけます。
「求める」のではなく「持っていると知る」ことです。さらに「感謝」までできれば完璧です。
祈るより実際に行動することのほうが大事です。

30 :名無しさん@3周年:2006/04/06(木) 00:28:29 ID:XIyvCrQy
>>28>>29
ありがとう御座います。
なんか単純そうで難しそうで………

自分が幸せであることを知っているなら家族も幸せになるのですか?

31 :名無しさん@3周年:2006/04/06(木) 02:12:23 ID:ku23s60C
>>30
より厳密に言うなら、家族(の一人一人)が本当に幸せかどうかは、本人以外はどうすることもできませんが、
自分から見て家族円満な家族を創るという意味ならイエスですね。
家族の円満が自分にとっての幸せで、自分が幸せで「在る」なら、家族は円満となるでしょう・・・。

ここから先は、どの本に書いてあったわけでもなく、私の個人的体験からわかった傾向ですが、
人生で「起こしたい現象を起こす」ことよりも「起きてほしくないことを起こさない」ことの方が
ずっと難しいというか、難易度が上でした(少なくとも私の場合は)。

車がほしいとか、○○の資格に合格したいとかいう試みは、教科書どおりにやればだいたいうまくいきますが、
会社で○○部にだけは転属したくないとか、子供が学校で問題起こしてほしくないとか、
この手の創造活動はなかなか難しいですね。どうしても望まない方向に心の焦点を合わせてしまうからだと
思っています。

ですから「家族が破壊せませんように」とか「家族が事故を起こしませんように」という方法だと失敗する危険が
あるので、「家族が平和で安泰」という状況にのみ焦点を合わせた方がいいかも知れませんね。
うっかり否定的な方向に焦点を合わせてしまったときの対処法は、神対とエクトンに書いてあったと思います。

32 :名無しさん@3周年:2006/04/06(木) 02:17:29 ID:ku23s60C
>>30
それから「不安」と「恐れ」ですが、百害あって一利なしとみんなが口を揃えて言っています。
シルバーバーチも、神対も、エクトンも、バシャールも、etc・・・
みんなが「不安と恐れは実際問題として物理的に好ましくない現実を引き寄せる」と口を揃えているので、
また、私の体験からも間違いなく言えることなので、この二つには気をつけた方がいいです。

33 :風の主:2006/04/06(木) 07:51:57 ID:0fILgvpR
32さんに同意です。

我々がもつ「波動」が現象を引き寄せ、体験することになります。
私は離婚していますが、再婚の際、二度と同じ過ちは繰り返さないことを誓いました。これは離婚自体を過ちととらえているのではなく、過ちとは「私自身が、そこに至るまでに、どう考え、どう行動したか」ということです。離婚はその結果にすぎません。




34 :風の主:2006/04/06(木) 07:55:13 ID:0fILgvpR
そして、不安や恐怖の正体を知らなければ、同じ事が繰り返されます。

正体とは、「それがどこからきているのか」を知ることです。

35 :名無しさん@3周年:2006/04/06(木) 12:02:46 ID:lRZ8vOUv
>>30
自分が輝く太陽になって家族みんなを引っ張ればいいと思います。
自分が変わると間違いなく周りが変わります。

36 :名無しさん@3周年:2006/04/06(木) 13:18:07 ID:1tThhIgI
>>35
>>自分が変わると間違いなく周りが変わります。
激しく同意!!
本に書いてあるから言ってるのではなく、
私自身の体験から言っています。

37 :名無しさん@3周年:2006/04/06(木) 13:18:39 ID:1tThhIgI
とくに人間関係ではこれが顕著に出ますね↑

38 :名無しさん@3周年:2006/04/06(木) 19:55:18 ID:XIyvCrQy
皆様ありがとうございます(*^ω^*)感謝感謝
長年?で蓄積された概念を変えるのは意外と簡単にはいきませんね…… 。
でももう大丈夫!
愛する家族に幸せビーム!!ビビビィ(*´・ω・`)つ√・・**∵・・**☆

39 :名無しさん@3周年:2006/04/07(金) 00:56:27 ID:bqCZJQJk
>>38
よかったね。頑張るんだよ!
あと、概念(観念)の変え方はバシャール2006とかにも書いてあるけど、
紙(PC上のファイルでもいい)に思いつく限りの観念(ネガティブなもの)を書き尽くしてみて、
それを、どのような新しい観念に置き換えたいかを一覧リストにまとめて
毎日眺めるようにするといいかもよ。私はそうやってる。
たとえば、こんな感じで。

   <いまある観念>               <新しい観念>

   私は怒りっぽい →→→→→→→→→→ 私は温厚だ
   うちの会社は社員に冷たい →→→→→ うちの会社は社員のことをよく面倒みる
   上司のXは性格が悪い →→→→→→→ 上司のXはいい人だ

観念を変えない限り現実は変わらないからね。
会社や上司を無理やり変えることはできないよ。仮にできたとしてもやらない方がいい。
人をコントロールすると自分がコントロールされることになる。与えたものが返ってくるから。
しかし、自分が変われば会社も上司も変わるから。
自分が変わることによって結果的に相手を変える(コントロールする)のなら問題なし!

40 :名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 18:49:19 ID:IGUixayM
私、60すぎのおじいさん社員にたまにセクハラ受けるんです。変なこと言ったり、お尻触ったり…。いつもは軽くあしらうんですが今日は無視しました。
汚れた作業服着てるし、私から話かけたこと一回もないし、親しくない(っていうか挨拶ぐらい)のになんでですかね?
自分が引き寄せてるとは思えない

41 :風の主:2006/04/08(土) 21:37:06 ID:XowklCXo
波動は意識とは関係ありません。
思考はありますが

42 :名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 22:35:42 ID:cKEtTLDf
>>40

警察へ通告するんです。

そうしないとすれば、やはり自分が「許容し」
同じ状況を続けさせていることになります。

自由を侵害する者に対して情は無用です。

43 :風の主:2006/04/08(土) 23:09:24 ID:XowklCXo
行為を止めるだけではなくなりません。
あなたがかわるしかない。

44 :名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 16:28:22 ID:Szd5mTgb
昨日の無視がきいたのか今日はなにもなかったです。今まで愛想よくしてたから付け込まれてたのかな。これからは毅然と対応します!

45 :名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 21:30:49 ID:GVIMR8Yt
>>44
いくらなんでもセクハラする相手に愛想よくしちゃダメですよ〜
無視するか睨んでやるくらいしなきゃ

46 :名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 17:10:36 ID:Q9vDndh1
ラムサの本あんまりないね

47 :名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 22:24:55 ID:vCPVUFvb
>>46
在庫が?話題が?

48 :名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 20:31:04 ID:3jEfkxRy
船井幸雄って精神世界大好きな社長で有名だけど、
ちょっと恥しいミスをしてしまったようだね。

彼の本に、食べなくても何年も生きている山田さん
と感心して書いて自説を展開。でも山田さんってテレビで、実は
家でもりもり食べている所をスクープされちゃったんだよね。

船井幸雄はビジネスの大成功者で、その権威ずけで
精神世界にもデビューしちゃった人。でも、ど素人って
ことは隠せない。権威ずけは無駄だよ、いつかばれる。

49 :名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 00:27:04 ID:UdP4yQXP
ラムサの本、一般書店で見ないし。話題もなくない?
ラムサ好きなんだけど

50 :名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 02:07:07 ID:NqMvDVCe
船井はコンサルタントの業務拡大の為に多少の興味があった精神世界に
目をつけて利用しただけ。
飯田史彦を紹介したのも船井だが、人を紹介することで自分の名を上げ
ているような世渡り上手な男。
こいつの影響で国家資格の中小企業診断士でもいろいろな宗教やニュー
エイジの言葉を借用してさも自説のように講演して歩いている奴がやた
らと目に付く。

51 :名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 12:47:13 ID:Y/vdKucD
>>49
そっかー。ラムサも読んでみようかな。
バシャール、セス、神対あたりが好きなんだけど。
最初に読むならホワイトブック?

52 :名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 13:45:48 ID:rEZZztZB
ラムサいいよ。知り合いあれ読んで金粉出しちゃったもん。
ま、金粉出すひと私のまわり多いけどさ。


53 :名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 20:38:21 ID:Yu8J0Mno
「ホワイトブック」だと「神対」的な内容でかぶっているから
「ラムサの教え」にしといた方がいいかもね

内容的には
・ラムサの人生
・現実について
・神?(空間、意識、次元、物質、進化..他)の構造
・非3次元物質的肉体の概要
・クンダリーニ上がりにおける脳覚醒のプロセス
・おなじみのラムサ用語一覧

この2冊以外はぱらぱらと見て興味沸かなかった・・・

ラザリス評判いいらしいけどどこら辺がスゲイの?
本屋いっても在庫無し
表紙と目次からして癒しワーク系だろうとは思うんだが・・

54 :51:2006/04/16(日) 21:33:13 ID:M3HY7wDb
>>53
ありがとー。んじゃ、「ラムサの教え」から読んでみようかな。

ラザリスは読んだけど、神対を理解してるなら新しい情報はないかも。
魂、ハイヤーセルフ、潜在意識、無意識あたりの関係図が載ってるのがちょっと面白い程度かな。
尼で中古がいっぱい出てるよ。

55 :53:2006/04/17(月) 12:18:06 ID:xTKLsSmj
>>51
ラザリス検索してくれたんだね、ありがとう
その内容だったらだいじょぶかな

この道ってある程度本読んだら瞑想・タオ・ヨガ・ワーク..等で
実感・発見していくしかないかもね
もうその時期に来ているのかな

56 :名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 17:55:19 ID:4hKecOV0
セスもいいですよ。これも今じゃかなり古典の部類だけど
バーチよりも真理の説明に重点がおかれてるかな。

57 :名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 21:19:13 ID:SCBPibaO
>>32
>>「不安と恐れは実際問題として物理的に好ましくない現実を引き寄せる」

自分にはこれを確証する決定的なことがおこったよ。
ある事故のシーンを劇的に放映していたドラマがあって、
自分の心は強烈にうごかされた。

何ヶ月かたって、ほとんど似たような事故に実際にまきこまれた。
怖かったが、原因はすぐわかった、これはあのドラマででた
事故そっくりだったと。

58 :にーとん:2006/04/23(日) 17:06:01 ID:/CPECrao
不安や恐れは、心のそこに過去の因縁やチリになったものがあるから、
反応するんだと思います。

だから、そういう根底にあるものなどを瞑想などで、深くただ感じ、味わう。
そうすることにより、表出し、取り除かれると思います。

59 :にーとん:2006/04/23(日) 17:16:46 ID:/CPECrao
 このごろ、ハトホルの書を読んでいたんですが、難しくてラムサ本を
次に読もうと、セブンで取り寄せようかななんて考えてました。

 そんな時、本屋へ行こうとドライブがてら違う道でいこうとしたら、
迷ってしまいまったく、来る気のなかった町につきました。
 これも必然なんだろうと思い、いい本ないかなとぶっくおふ
に入ったら、なんとラムサの聖なる予言が100円で売ってました。
 

60 :にーとん:2006/04/23(日) 17:24:07 ID:/CPECrao
 最近、仕事をやめ、何年か1度くらいの大掃除をし、菜食に変わり、
瞑想や、気づき、洞察、智慧が深くなり、ちょうど、らせんでいう
上昇を強く感じたんですが、今回みたいな思考の現実化の
スピードアップをもろに感じ正直びびりました。

 それと、ぼくのとこは田舎なんでラムサみたいのが100円で買えるのは
ものすごいまれです。

61 :doga:2006/04/23(日) 19:30:35 ID:kuHWYaTg
自分も最近、ついでに入ったぶっくおふでセス
を見つけられましたよ
求めよされば与えられんってな感じなんでしょうかね
縁があれば手元に来るだろう、とか
すべてのタイミング・事象は完璧なんだろう、
みたいな顕在意識以外に任せっぱなしな心持ちでしたが。。

62 :にーとん:2006/04/23(日) 19:49:09 ID:/CPECrao
oh グレートですね

63 :名無しさん@3周年:2006/05/04(木) 14:59:14 ID:h6AV4V2l
自分が何をしたいのか分からない
考えても考えても一体何がしたいのか分からないこのままフリーターではいられない
でもどうしたらいいのか分からない

64 :名無しさん@3周年:2006/05/08(月) 07:22:26 ID:76lFLmqJ
>48
遅レスでスマソだが
ソースを教えてくれまいか<山田ご飯モリモリ

65 :名無しさん@3周年:2006/05/17(水) 23:33:21 ID:m9S7CPym
バシャールあげあげ

66 :名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 16:57:20 ID:fQMQJBRF
こんな良スレがあった…神との対話日本版
http://book.2ch.net/books/kako/1030/10309/1030963996.html

67 :名無しさん@3周年:2006/06/07(水) 18:10:20 ID:8NA7Gjj4
質問。
ラムサ―真・聖なる予言以外のラムサって同一のもの?
訳者が変わっているし、出版元も変わっているみたいだけど。
情報キボン。

68 :名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 02:56:13 ID:kkOm+U0s
訳者と出版社が変わっただけで他は変わってない。
ちなみにこの本の改訂訳版が「ホワイトブック」
訳者はRSEの生徒出身の人に変わったみたいだね。

>>57
それ衝撃的だね。
ってことはフィクションじゃなくても実際起こった事件が忘れられなかったら
そのことが現実化してしまうのか?




69 :名無しさん@3周年:2006/06/18(日) 21:10:17 ID:HSL5mkRV
ttp://members.jcom.home.ne.jp/dawn-watcher/Healing/Yates.html

 2007年7月17日 11:11グリニッジ時間(日本時間20:11)神の愛とパワーを
私たち自身にもたらすための祈りに参加して下さい。この祈りに参加する事によりあなたは
貴方の意志を宇宙に示し、そしてあなたはまた、宇宙によってこの惑星にポジティブな変化を
望む人間として認識されるでしょう。認識されてください。そして、貴方の魂の光を燃え立たせて下さい。
それによって、私たちは世界に、宇宙に、お互いに本当のことを思い出すことになるのでしょう。

70 :名無しさん@3周年:2006/06/29(木) 11:52:26 ID:OV9jjc+A
誰もいない…

71 :名無しさん@3周年:2006/06/30(金) 14:53:22 ID:3HIfnuQM
『瞑想』の正しいやり方を教えてください。

72 :名無しさん@3周年:2006/06/30(金) 17:59:11 ID:86XEg3Jx
>>71
http://www.fruits.ne.jp/%7Ek-style/teresa1.html

欲望達成の祈りは、結局は身の破滅になるぞ!気をつけるべし。

73 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 02:30:24 ID:o81wIN+B
>>72
何を祈るかではなく、どう祈るかを知りたかったのですが・・・。
(言葉が足りませんでした)
とりあえずは、ありがとうございました。

74 :オオタク ◆NAeHiciHdE :2006/07/01(土) 02:56:31 ID:kFQlX7HJ
NewAgeの危険
http://www.hi-ho.ne.jp/luke852/bible/newage.html

75 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 13:51:48 ID:4G756bWd
>>71>>73
このスレに色々載ってます
http://2ch.pop.tc/log/06/03/04/2241/1120178718.html

76 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 14:10:45 ID:SGIUsnD1
>>74

全然、危険が説明されていないが、、。

また合理主義への失望というが、そのソースも
なにもあげていないね。ニューエイジはもっと
巨大であって、合理的なものをその一部として
位置ずけられるもの。

さらに聖書をあげて批判することには、聖書原理主義者
にしかうったえないし、そもそも聖書は矛盾を含む破綻
した書だよ。

77 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 14:17:40 ID:V1au6Fba
危険といえば伝統的キリスト教の暗い人間観が危険だね。

人がうまれながらにして悪であり、悪魔に支配されているなら、教えをうけいれない人間を
虐殺して当然となる。それが魔女狩り。

歴史の暗い犯罪のような部分、それを伝統的キリスト教自体がつくりあげてきた。

78 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 19:22:36 ID:mWYkHMVI
そのキリスト教について、マザーテレサが言及しているのが、興味深いよ。

---------------

ガンジーは、キリストのことを知った時、興味をいだきました。しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。

キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。言葉だけきれいなことを言って、自分は実行していないことがあるからです。人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。

マザー・テレサ愛と祈りのことば  より



79 :名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 23:31:28 ID:0tEezymq
>>75
おもしろそうなスレを紹介していただき感謝しています。
参考になりそうです。ありがとうございました。

80 :名無しさん@3周年:2006/07/06(木) 09:53:54 ID:Lx5lCvnR
>>75

瞑想をするようになってからほとんど(全くといっていいほど)
夢を見なくなりました、というか、朝起きるとまったく記憶にありません。

瞑想と何か関係があるのでしょうか?

寝つきもいいし、寝起きもいいので,気にすることではないのかもしれませんが..。


81 :名無しさん@3周年:2006/07/20(木) 20:35:22 ID:FBeeUvgp
人ineeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee

82 :名無しさん@3周年:2006/07/23(日) 15:44:16 ID:zhmrMIXB
実際にイニシエーションを受けて魂の力をつけてきた方はいますか?


83 :名無しさん@3周年:2006/07/27(木) 20:27:18 ID:9FVSxdc/
hosixyu

84 :名無しさん@3周年:2006/08/07(月) 18:53:20 ID:TtB7+HVE
>>75さんへ
ご紹介にあずかった

★トランス・大周天・変性意識・第三の眼★

大変興味深く読み終えました。ありがとうございました。
これの続きか、他におもしろいサイトなどありましたら、
お教えください。よろしく!

85 :名無しさん@3周年:2006/08/16(水) 20:37:30 ID:x176o2Cb
これも結構面白かった
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~macht/OMAJINAI/sparee.htm

86 :名無しさん@3周年:2006/08/17(木) 17:00:28 ID:973CnoiN
>>85
見つかりませんでした・・・。

87 :全宇宙全生命永久永遠の大天国:2006/08/19(土) 12:23:22 ID:zCyjNGys ?2BP(1)

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1137375209/

神との対話やラムさやバシャールなどについて

想像を絶するほど詳しく書いてあります

皆様 どうぞよろしくお願い致します

88 :名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 18:48:38 ID:GQgRGN5v
ダスカロスのエソテリックプラクティスが復刊されたようだ
今日本屋にならんでた
並んでたのだが一読してみて、
マルキデスのメッセンジャーシリーズの方が面白いし、
初めての人には良いかもとおもた

89 :名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 21:12:49 ID:bo1qn0DM
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~moritetu/
ラムサの内容がまとめてある。

90 :名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 16:38:47 ID:5u3bpulx
アマゾンの神対のレビューに、「著者が勧めている脳呼吸を教えるというヨガ団体に注意しる」
って書いてあるけど、そんな記述あったっけ?

91 :名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 11:21:54 ID:sOdIGr5H
心○学研究所ース○リチ○アリスト日記より

>ご案内の通り、親王殿下が無事お誕生あそばしました。

>昨年の皇室典範改悪論議の頃には、日本の皇室は一体
>どうなってしまうのかと暗澹たる気持ちを抱いたりも
>しましたが、そんな中での秋篠宮妃殿下のご懐妊の報に
>「これは皇室の意思だ!」と思ったものでした。
>そして今日、41年ぶりに親王殿下がお生まれになりました。
>本当に目出度く、嬉しいことです。

未だにY染色体に拘り続けるエセ皇室賛美のほうが
ずっとお目出度いことにござります。

もし、かの親王殿下に何事かおありあそばしたら
またもや、ご側室制度をご復活するされるおつもりで
あられるのであられましょうかwww???


92 :名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 21:43:03 ID:d1/JI39w
>91
男系男子論者でもY染色体に拘っている奴なんて一部のトンデモだけ。

93 :名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 21:28:16 ID:ZxrhyT0Z
世継ぎを産んで一人前といった女性にのみ押しつけられる「旧態依然とした制度」。
不妊治療を強要してでも世継ぎを産ませようとするグロテスクさは、“万世一系”
“伝統”を継承することでのみ成立する特権階級・天皇家そのもののグロテスクさを表す。
 
男か女か、直系か傍系かといった序列を明確に規定する皇室において、女性の「人格」
など尊重されてきたためしはない。求められるのはつねに「笑顔」。健やかさ、美しさ、
聡明さ、子への愛情、順調な夫婦関係を演出するための「笑顔」のみ。

雅子さま、愛子さまの心中をお察し申し上げます。


94 :名無しさん@3周年:2006/09/10(日) 20:49:49 ID:YBzyUa6A
>93 半島にカエレ!

95 :名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 08:27:20 ID:NrzK0riI
>>94
わたくしにとって半島は訪れるところではあっても、帰る所ではありません。
さらに、在日の池田氏率いるカルト集団の、一日も早い終焉を願う一スピリ
チュアリストとしてひとこと。

テレビ朝日のアンケートに頼るまでもなく、
一夫一婦制、男女同権で何不自由なく暮らしている現代人が
皇室に関してのみ「男系維持」を希望するのは無理がある。

男系だろうが女系だろうが、
良い家族を作る上では、全く関係無いことを誰もが知っており、
皇室というモノを「品位ある良い家庭の象徴」として観ている現代人が
皇室の女系を容認するのは当たり前の話である。

大量の情報の中で生活している現代人にとって、
男系で続く125代なとどいう話は、
「インチキ臭い」と思うのがごく普通の感覚である。
その「インチキ臭いモノ(=男系)」を守りたいと思う人など
当然のことながら少数派である。

国民に安らぎを与えてくれる皇室という存在は
とても大切なモノであるが、その血統が「男系」であるということは
ほとんどの国民にとって、どうでも良いことなのである。



96 :名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 23:19:31 ID:nhmWcazP
男女同権などという近代合理主義的価値観に立脚して女系を容認する人間が
「皇室」などという差別の体系を容認していることこそ「インチキ臭い」
と思うのがごく普通の感覚でありますね。

スピリチュアリスト=バカサヨク。

97 :SB:2006/09/20(水) 00:54:24 ID:VE47mHND
その仕事の前途に立ちはだかるのは、誤った宗教的教義によって築かれた巨大な組織です。
何世紀にもわたって続いてきたものを元に戻さなくてはなりません。
誤った教義を土台として築かれた上部構造を取り壊さなくてはならないのです。

98 :390:2006/10/01(日) 01:51:12 ID:Jh9HyPMV
神対では既存の宗教教義が我々の本当に向かいたい平和を実現するのに有効だったか、
勇気を持って取捨選択し拡張をしていきなさいと書いてあった
俺は神対のソースが全なる者なのかは疑わしいと思っているが、
これは宗教問題の解決には現実的で的を得ていると思った
これを実行するのに立ちはだかる壁は各宗教の根本世界観だと思う
大抵は「絶対的存在・法による人生・輪廻転生の目的・あるべき状態があり、それを達成するためには教祖の
教義を実践しなければならない」というものだ
また、己の意を通すためにそれを利用するという精神も大きな壁だろう
まず、「我々の本当に向かいたい平和」を制定するためにはこの各宗教の
「人生・輪廻転生の目的・あるべき状態」や「己の意」をまず手放してもらって
「裸の人間」となってもらわなければならない
だが、それらを手放すことは半ば信仰を無くす、精神を強制するということになり
とても不可能に思える
よって神対の提案は結局現実的な提案では無いと思うのだがどうだろう
(本当の信仰のあり方は宗教を自分の中心に置くのではなく、自分の観が第一で信仰は
そのためのツールとする事だと思う)
また、壊す・消すなどの方法はそれ自体が問題なので論外でしょう



99 :名無しさん@3周年:2006/10/02(月) 16:40:50 ID:aiyXkmzK
現実的な提案でなくても
長期的に見ればそういう方向で進めていくしかないのでは。
核廃絶とかもそう。

100 :390:2006/10/05(木) 02:41:58 ID:0akDN452
問題は具体的な方法がわからないという所なんですよね
ある意味人間は集合意識に巻き込まれている状態にあるから
新しい集合意識で食い込むしかないのかな
神対のアドバイスは根本的な所だからそれをすると世界がひっくり返る
ゆえに抵抗やシラケを起こすのでむずかしい

今現在、環境にしても思想にしても社会システムにしても相当な危機に陥っていると思う
具体的には、精神基盤が平和に向かわないものに基づいていて、
その「間違った」ともいえる活動の結果に「自滅」を予想できるところまできている、
という感じだろう
神対では他の精神世界の本とひとつ違っていて、世界全体における諸問題に対するアドバイス
が書かれている
もちろんそのアドバイスの根本理論には霊的な世界観があるのだが、
環境や社会システムに関するものの中には霊的要素が前面に出ていない客観的な理論があり、
おれはそれがとても重要だと思っている
なぜこんなことを書くのかというと、いろいろな精神世界の本やヒーラーの活動や認識をみると、
この世の悪さから貴方の魂は学び、常に良くなっていく過程にあると言っていて、
ある意味「この世は霊魂一抜けゲームであって世界全体なんざどうでもいい」といっているように聞こえるからだ
この世は絶対的な善悪が無いし、魂が本体だからから別に問題が加速ていってもいいとスピリチュアリストの
方々は思っているのだろうか
それともヒーリングやニューエイジ思想、お金の潜在意識で環境問題、思想問題、社会システム問題
を解決できると思っているのだろうか

俺は神対に書かれているような、社会構造における精神的な客観的間違いの情報を世界に発信していくことも、
スピリチュアリストのもうひとつの使命としていってもいいのではないかと思う

101 :名無しさん@3周年:2006/10/05(木) 20:55:29 ID:dhvB5vwe
その通りだと思います

ただスピリチュアリストもバカではないので 言われなくてもその構図だと思いますよ

智恵の伝播は 力の伝播であり活力です 人間が貯めた問題を置き去りにしたわけではなくて

さぁ これから がんばろうぜ!って ことでしょう

102 :名無しさん@3周年:2006/10/05(木) 21:14:05 ID:VpQDh01y
俺がこないだ読んだある覚者との問答集では、覚者が
「正しい思考と愛に基づいて、物質界のことについてはあまりこだわらずに
 謙虚に生きなさい」てな感じのアドバイスをしていた
それを聞いた社会科学者が
「そういう態度を取ることで、現在の悪性の社会システムを
結果的に、容認してしまっているんじゃないか」と突っ込んでた
それに大して覚者は
皆が本当に愛に基づき行動するなら、それに伴う変化が必ず起こる
と断言していた。
具体例がないので、読んでいた俺はよくわからなかったが、
そういうものかもしれないと思った。
しかし自己愛の反映ではない「本当の愛」に近づくのは難しそうで
それに基づく行動を日常的にとるのはなお難しそうで
現時点ではあまり現実的な態度ではないかもとかも思った


103 :名無しさん@3周年:2006/10/05(木) 21:18:15 ID:VpQDh01y
>この世は絶対的な善悪が無いし、魂が本体だからから別に問題が
>加速ていってもいいとスピリチュアリストの 方々は思っているのだろうか

一応スピリチュアリズムには「地球神化」という思想が含まれてるし
そういうことはないと思う
ところで、久々に心に響く文章を読ませていただきました。ありがとう

104 :名無しさん@3周年:2006/10/05(木) 21:24:31 ID:VpQDh01y
―――ホームレスの増加問題についてはどう解決すればいいでしょうか

「もしキリストや仏陀が、裸足で外を歩いていたら
 あなたがたは
 『こんな所で何をなさっているのですか。どうぞ家にお入りください』
 と言い、彼らを家に誘うでしょう。
 あなたがたが、ホームレスの人々に対して
 彼らに対するものと同じ神性を見たならば、問題は解決しますね―――」、

105 :名無しさん@3周年:2006/10/05(木) 21:44:49 ID:VpQDh01y
ここなども社会問題の解決重視

ガイア・アセンションシリーズ
ttp://www21.0038.net/%7Egaia-as1/

106 :名無しさん@←ブラックホール:2006/10/14(土) 08:30:12 ID:ZJtIjA8z
http://www12.ocn.ne.jp/~kobai/sinsyudendo.htm
いい

107 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 07:33:08 ID:Brhif4wm
>>13
>霊的存在が利己的なものを批判するのはどうなのか?とも思いますね。

霊的存在だからこそ、地上界での数億年以上に及ぶ「利己主義」の結果、暗黒階層の状態や、
そこで苦しむ魂や惨状が見えている。

「利己主義」がそのまま続き、蔓延したときの地上界の破滅も。

だから指摘せずにいられないだろう。

>この世を去ったばかりの霊が利己的なものを批判するのはわかりますが、

この世を去ったばかりなら、自分の蒔いた「利己主義」の結果を受けて、刈り取るのが、
精一杯で、他の人や地上界に関わっている余裕がないものが多いだろう。

108 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 07:35:34 ID:Brhif4wm
>>13
>この世で生きてる人間が利己的なものを批判するのはよくわかるのですが、
(私もあまりに利己的な人間を見るとムカツキますからね)、
>人間を卒業して3000年も経つ霊が利己的なものを批判するのは不思議な気がします。

「利己主義」は「自分さえよければいい」と思うもの
この世で生きている人間は自分が「利己主義」に囚われ、
「利己主義」の世界を創造しながら、「自分の他の人間は「利己主義」だ」と批判する。
そんな人が多い。

自分が「利己主義」だと気付かずに、他の人の「利己主義」を批判するので、
本来は批判する資格がない。

シルバーバーチは「地上の人間」を卒業しても、「人霊」を卒業していない。

「利己主義」の対極の世界で人霊として「慈善」と「奉仕」を行っているからこそ、
霊的真理を知り、体現しているからこそ、「利己主義」を批判できるのだろう。


109 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 07:46:14 ID:Brhif4wm
>>20

二年ぐらい前から刊行予定に入っているんですけれどね。
いったいいつになったら刊行されるのでしょう。

どうも翻訳者が前作と違うようなので、読んだ感じが変わるのでしょうか。

一日も早い発行を希望します。

110 :名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 15:18:06 ID:WhTZ86t4
>>20
>>109
興味がわきました
ただ続刊の前に、前作を復刊して欲しいのですが…

111 :名無しさん@3周年:2006/10/26(木) 00:01:13 ID:OZT1E6QC
>>108
>「利己主義」は「自分さえよければいい」と思うもの
これでもまだ大雑把かもしれません
「自己利益主義」といった方がよりわかりやすいかも
利益は少なくとも相手から搾取しなければいけない
搾取対象は時間や動作も含まれる
だから、Aという集団からαという人間が勝手な行動をした場合、
集団Aが己が利益のためαを「集団行動規範」にしばろうとしているので、
普通使っている意味とは逆にAがαに対して利己主義を発動させているといえる
それでは社会が成り立たないだろ、と私も思うけどやっぱり社会
が「利己主義(自己利益主義)」で動いているからそう感じるのだろう

より上位の霊的な在り方になれば「自己喜び主義」となり、
全ての行動理由が喜び(適者生存、優越に関する事意外)となるため、
自分の喜びと他人の喜びが完全に整合性・調和が取れることになるらしい
それに途中でαがAから抜けても、それはA全員が霊的に合意されていること
だということを知るのでAはαを縛る事をしなくなる
そうなると集団と個の利己主義は集団に適用されることが普通の感覚となる

話が変なとこにいってすみません

112 :名無しさん@3周年:2006/10/26(木) 07:16:28 ID:3FuTMfL1
>>110

現在は品切れ中なのですね。
絶版にはなっていにようですから、やがて重版されるでしょう。
それ以前に品切れになったものが最近、重版されているようですから、
順番でしょうね。

113 :名無しさん@3周年:2006/10/26(木) 07:30:15 ID:3FuTMfL1
>>111

「自己」という意味が異なるのですね。
普通に使われている「自己」は「本当の自己」を指すのではなく、
「偽りの自分」、「エゴ」、「ネガティブ・エゴ」のこと。
佛教で否定される「自我」、「偽我」の「我欲」を追求している。

だから、「自分の利益」を追求しているつもりで、実は「本当の自分」が「偽りの我」に侵食されていっている。
「自分の利益」を求めて、実際には存在していないものを追及しているから、
決して満たされることはない。

「セルフ」が要求するもの、必要とするものではなく、
「エゴ」が要求するものを求めている。

「エゴ」の要求は「他のエゴ」の要求とぶつかるために、衝突、争いが生じる。



114 :名無しさん@3周年:2006/10/26(木) 07:50:17 ID:3FuTMfL1
>>111

より上位の霊的な在り方になれば、「エゴ」の求めるものが実は「幻想」であることを知り、
「エゴ」の要求ではなく、魂の本来の要求、「セルフ」の要求に応えるようになる。

「セルフ」の要求が満たされれば、それは「ソウル」の喜びとなって広がる。

「自己」の拡大が起こり、ついには「ハイヤーセルフ」を含み、
「グループセルフ」全体の要求と喜びと一致するようになる。

さらに進めば、「自己」は「グループ」と一致し、ある「グループセルフ」の要求が他の「グループセルフ」の要求とぶつかるということがなくなる。

「自分」は「他」と一つにつながっているので、「他から奪う」ことが「自分から奪う」ことになる。

>利益は少なくとも相手から搾取しなければいけない

これが間違いということに気付く、
「搾取したもの」は「利益」ではなく、「損失」であり、
「利益」は「搾取」ではなく、最初は互いに「譲り合い」、
それから互いに「分け合い」、やがては互いに「与え合う」ことによって得られることになる。



115 :◆DmBzJffhoY :2006/10/26(木) 10:25:17 ID:8Zw1HVMt
創価 のお方ですね1さん 私なら創価から出ます。貴方にいいこと
教えてあげる創価にね! 在る集団があります そしてこう言います?
貴方しか 居ないじゃないですか!   それから 言いました?
池田様こんなことでは、貴方の魂の成長は ありませんね?わが師のため頂いた
お金は、活動資金としていかされる、しかし 何の見返りも差仕上げられない 
集団は世界的な仏教徒!そして別の宗教団体には、お金でも得られない物を
得ようとするんじゃなくて 世のため人のために働いて欲しいそうです。 
シルバーバーチの霊媒のためにご寄付をって言えば 貰えないでしょう? 
ノーベル賞のために 御寄付をでお金集まるの???
創価団体 ノーベル賞のためと 在る1部のお方達のために 何する団体ぞ!
セブンイレブンやローソンの募金箱の方が、信用あるのが現実!の宗教団体
其れが 創価なら、キリちゃん教より 酷いわ!ここは、と我が背後のお方も
申しております。  
であるからに ここは、シルバーバーチに関係無しであると 結論つけました
      我が愛人へ バーチの霊媒アトスより

           

116 :◆DmBzJffhoY :2006/10/26(木) 10:25:56 ID:8Zw1HVMt

            ゆー曰く
   古川才子よ! お前が大霊の御心を知らないから 教えてやる!
   あんたに 合わせていたら 殺されるわ?? みゅーって
   聞こえたよ。何故なら シルバーバーチって何処から お金はいるの?
   創価の方が 楽よ。 貴方もね。  って聞いたのは、1ヶ月前だよ。

   しかし お前達のせいで 大切な霊界のお宝を、隠してしまった。
   元に戻せよ? 荒し等していたら 無くなる一方だぞ! アホ女 彩
更に悪いのわな! 貴方が選ばれたと思ったことです。あれは、1部の力だよ
私たちの持ってるものを 継承したいなら仕事など 考えるな! アトスより
 シルバーバーチのために生きれるのか?彩よ!本名も同じ ゆーこへ
 ならば サイコと同じ御力与えよう だが、活きられないやもな?アトス

 古川才子分かってやれ 哀れな女なんだから 愛してないかね みゅーを?
Fです。 貴方は、2ちゃんねるの住人のためにシルバーバーチや霊医殿が
 与えてくれた 言葉の数々を下らない荒しで台無しにしたんだから
 よれなりの力しかないんだよ?? これ以上バカしないで 迷惑よ!
 聖人のようになれば 日本1じゃ勿体無いくらいになれるのに?残念ね
 
 ゆーへ                       バカFより


117 :名無しさん@3周年:2006/10/26(木) 10:35:17 ID:mWrrFGoV
Fがいた!
ガンバレー!


118 :名無しさん@3周年:2006/10/26(木) 10:56:01 ID:OaesR9vf
>>113>>114

3FuTMfL1さん 「エゴ」と「セルフ」の違いとても分かり易いです。 
もっともっと聞きたいです!

119 :名無しさん@3周年:2006/10/26(木) 23:08:02 ID:6w0HC6ku
エゴが追求するものは適者生存と優越快楽
セルフが追求するものは何なのでしょうか
愛すること(したいと思っていることをさせてあげること)?
しかし先ずは自己愛が成立してからでないと人を純粋に愛することは
無理だと思う
人に依存しない愛を確立させるのか
物理的には全員がまず他者愛を行うことが簡単な近道なのだが・・・
この適者生存・利己主義社会でセルフを生きるとは具体的にどうなるのでしょう
私はエゴ99.999パーセント
貴方は私であり、貴方を愛しみますとはなかなか出来ないのが現状です


120 :名無しさん@3周年:2006/10/28(土) 07:42:57 ID:NlalmPRB
>>119
>全員がまず他者愛を行うことが簡単な近道なのだが・・・

全員が利他愛を行うというところまでいかなくても、現在の社会よりはよい社会になります。
あなたは「利己主義社会」と述べられますが、実は「利己主義社会」にさえなっていないのです。

>先ずは自己愛が成立してからでないと人を純粋に愛することは無理だと思う

「自分を愛する」が出発点、自己愛が始まりであることは間違いありません。
しかし、ここでの「自己愛」とは何のことでしょうか?
「我欲心」を満足させることでしょうか?
それとも「利己心」を満足させることでしょうか?

ネガティブ・エゴは「我欲心」です。
「利益のためには手段を選ばない」、「乗っ取り、盗み、相手を出し抜く」
「浪費をすすめ」、「相手の欲望をかきたて、拡大する」
「武力によって未獲得のものを獲得する」、「搾取し、奪う」
全てを喰らい尽くし、飲み干して、奪い尽くしても満たされないものが「我欲心」です。

「何でもおまえの欲するがままになせ。快楽にゆだねよ。自分こそ世界の中心である」
これが「悪魔の教え」と呼ばれるものです。
「自分が求めるものがあるならば、他人の迷惑、苦しみ、悲しみなど関係ない。
騙し取り、奪い取ればよい。他人のことなど考えるな」
これが「エゴ」、「我欲心」が求めるものです。

これが暴走すれば、世界は荒廃し、何一つ残らなくなるでしょう。
「世界全てを焼く尽くす」とまで言われるのが、この「我欲心」です。

この追求をすれば、他を滅ぼし、自分を滅ぼすことになります。
「利己主義社会」ではなく、「我欲主義社会」です。
破滅に向かって進んでいく社会のあり方です。

121 :名無しさん@3周年:2006/10/28(土) 08:10:07 ID:NlalmPRB
「魔女の教え」と呼ばれるものがあります。
「誰も害さない限り、あなたの望むことをなせ」

これに全ての人が沿うだけでも、現在よりもよい社会になるでしょう。
これが「利己心」を中心とした社会です。

「自分を愛するものであると知るならば、他の人も同じように思っていることを知って、
他の人が自分を愛することを妨げるな」
「自分を愛するならば、他のものも同じであるから、他のものを害するな」
「自分のして欲しくないことを他の人にするな」

このような教えへとつながっていきます。

「自分を愛する」ことから「他を害しない」ということにつながっていく教えです。

「利己心」を中心とした社会ではこのようになります。

「自分の利益を得る」ためには、「他の人の利己心を刺激」し、「他の人の利己心を満たす」
そうすれば、「自分の利己心」も「相手の利己心」も満たされる。

「あなたの欲するものを与えます、ですから、私の欲するものを与えてください」
これが「利己心」の社会の原理です。

「私はあなたのして欲しいことを提供します。ですから、あなたは私のして欲しいことをしてください。
そうすれば、二人とも満足できますよ」というものです。

ここには、「もし私が騙したり、奪ったりすれば、相手は私の欲しいものを提供してくれない」
という考えがありますから、「他の人を害すること、ずるいことはできない」ということになります。
「誠実」、「信用」が大切になるからです。

「自分の提供するものと相手の提供するものは等価でなくてはならない」のです。

122 :名無しさん@3周年:2006/10/28(土) 08:21:15 ID:NlalmPRB
さらに、惨めな姿をしている人、悲しんでいる人、苦しんでいる人を見たり、聞いたりすると、
何か後ろめたさを感じます。

「同感の原理」が働き、そのような人が苦しんでいると、自分も何か苦しみを感じるのです。

それによって、そのままに放置しておけば、自分は何か満足できないものを感じるのです。

ですから、「利己心」は満たされることがありません。

この「利己心」を満たすために、自分よりも酷い状態にある人に手を差し伸べ、援助することが必要になるのです。

こうして、「自分の利益の中から困っている人に分け与え、自分の利己心を満たす」ということになります。

これが本当の「利己主義社会」です。


123 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 07:29:14 ID:C15paVgJ
「自分を愛する」がまず第一です。
本当に自分を愛せない人は「本当の自分」と隔離された状態になります。
「本当の自分」から隔離されると、「自分が本当に望むもの」が分からなくなります。
大いなる源泉からも遮断された状態になるので、自分の中が空虚に感じられます。
「自分の中に何も見出せず、得られない」ので、いつも飢えています。渇いています。
だから、自分が満たされないものを他から得ようとします。
「他から奪い取ろう、吸収しよう」とします。
「自分の飢え、渇きを埋めるもの、欲するものがあれば奪い取れ」というエゴの要求に支配されます。
「それを得ることを邪魔するものは消せ」というエゴの要求に応じるようになります。

源泉からの供給を遮断し、「本当の自分」との間に壁を築き、分離した状態になります。
「自分の求めるもの」と思って、「エゴの求めるもの」を追い求めています。

黄金律 「自分のして欲しいことを他の人にしてあげなさい」
これでさえも、「自分のして欲しいこと」を他の人にすれば、「他の人の嫌がること、して欲しくないこと」をする結果になります。
「自分を愛すること」、「自分の本当に望むもの」を知らないからです。



124 :119:2006/10/30(月) 21:06:50 ID:yZAQer0t
>全員が利他愛を行うというところまでいかなくても、現在の社会よりはよい社会になります。
>あなたは「利己主義社会」と述べられますが、実は「利己主義社会」にさえなっていないのです。
そうですね
今の社会は奴隷の役割を担う人間が居ないと成立しない世界ですからね
実力主義社会ではなく有史以来ずっと階級社会です

>しかし、ここでの「自己愛」とは何のことでしょうか?
難しいところです
基本的生存の要求を満たすことはなさなければならないでしょう
そして自分にあったの生活の質は欲しい
自分に好みにあう異性も欲しい、、ets
つまり自分というパーソナリティを十分に実現化するということでしょうか
肉の意識には近いが、程度の低い社会意識(優越等)とは違う意識でしょうか

エゴとは何なのでしょうか
我々は分離である、この世は満たされていない、善悪の2元性、プラスはマイナスでもって補われる
これらの間違った基本的概念を元に構築された行動様式といえばいいのでしょうか

>「自分を愛する」ことから「他を害しない」ということにつながっていく教えです。
「他を害さない」ということは自分からは判断できないのでは無いのでしょうか
被害者の主観が決めることですから
だからキリストを害することは誰も出来ませんし、何かされれば常に害されたと
認識する人、また何もされなくとも害されているなんて思っている人もいますから
利己主義社会も他人の満足を押し付けられる訳ですら、まだ各々の幸せからはほど遠い
社会なんですね

昨日神との友情上下買って来ました
なかなか面白そうです




125 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 21:16:10 ID:+W/WR/tx
何で同じ世界平和を求めてる
おまえらは、他宗教を
認めないんだ?
そこに名誉と権力が
見え隠れしてるからだろ?
馬鹿じゃねーの?

126 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 21:49:57 ID:PqrP3dPx
>>125
最後の一行が余計だな

127 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 07:36:24 ID:iR4UfhYT
>>124

>「他を害さない」ということは自分からは判断できないのでは無いのでしょうか
被害者の主観が決めることですから

表層的な「自分」では判断できないことですが、「内なる自分の中にあるモニター」でははっきりとした判定が出ているようです。

「自分」と「他」が一つにつながっているために、本当に「他」を害したときには、「自分」を害したことになり、
そのダメージが「自分」に蓄積され、「自分」が傷を受けていくことになるからです。

「他」を切りつければ、「自分」を切っていることになる。
「他」を縛れば、「自分」が束縛されることになる。
「他」から奪えば、「自分」から奪われていることになる。

表層的な「自分」には認識できなくても、「内なるモニター」では記録、評価がなされている。
そのため、他界後に「審 
判者である自分」より「他にどれだけの害を与えたか」ということを示され、苦しむことになるようですね。

128 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 07:40:07 ID:iR4UfhYT
>>125

「他の宗教」といっても様々なものがありますが、
あなたが「認めていない」と指摘している「他の宗教」とはどんな宗教ですか?

129 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 18:45:53 ID:VcTw85O1
質問の返事がおかしいよ

>>125の言う
世界平和を求めてるくせに他宗教を認めない「お前ら」
ってのは、いったい誰のことですか?
と聞けばいい


130 :119:2006/10/31(火) 21:50:51 ID:t+FC3oc+
>「自分」と「他」が一つにつながっているために、本当に「他」を害したときには、「自分」を害したことになり、
>そのダメージが「自分」に蓄積され、「自分」が傷を受けていくことになるからです。
害するとはいったい何なのでしょうか
たとえ害されたと感じても後々になってそこから学びが発生する場合もあると思います
そうなると被害者が害を昇華させた時に自己モニターも反転するのでしょうか
物事には本来中立の意味を持つといわれています
もしくは意味すら無く、観察者がその意味付けを行うともいわれています

>「他」を切りつければ、「自分」を切っていることになる。
>「他」を縛れば、「自分」が束縛されることになる。
>「他」から奪えば、「自分」から奪われていることになる。
切られる、束縛される、奪われる、これらを好きか嫌いかどうでもいいかを
決めるのは「他」
ここでは、我々は1つであるが、あえて個別化・独自化されている方の有意義も半分
与えて考えた方がシックリくるかもしれません
よく、自分が与えるものが与えられるもの
と言われていますが、我々が行っている概念的認知においては
必ずしもその通りにはならないと自分は思っています
もちろん他界等をしてより精妙な認知能力を得られれば、その法則によって
表される複雑で多次元的な事象を感知して、その正しさを認めることが
出来るのだろうと思いますが

やっぱり「害」という言葉は2元性を前提にした概念なので議論すると
ややこしくなりますね
気分を概してしまったかもしれませんね
申し訳ありません
置き換えるなら「非愛」となるのかな
そうすれば>>127さんの論理も自分の論理も両方筋が通る気がします


131 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 07:25:04 ID:uDxpv7sH
>>130

>害するとはいったい何なのでしょうか
たとえ害されたと感じても後々になってそこから学びが発生する場合もあると思います
そうなると被害者が害を昇華させた時に自己モニターも反転するのでしょうか

「自己モニター」は反転することはありません。

「自分という主観」が決めるのではなく、「絶対不変の摂理」に合しているか、反しているかだからです。

ここで第一になるのは「動機」ということのようで、「相手のため」を思って行ったことは、魂にまで到達する深い過ちとはされないようです。
逆に「自分のこと」を思って行ったことは、結果として「それが相手の学び、向上につながった」としても、
相手は「向上」しても、自分は悔い改め、償いを行わない限りは「過ち」として残り続けるようです。

「自愛」、「不害」は佛教の教えを日本語に翻訳したものですから本来の意味が伝わりにくいかもしれませんね。

「おのれに増して 愛すべきものには出で合わざりき このおのれはまたそれぞれ 他人もかくのごとくにしてあるなり されば おのれを愛するものは人を害うべからず」 
「苦しみというもの、汝らに快からずば 公にも私にも 悪しき業をなすことなかれ」
「おのれをよきためしとして 人を害い はた 害わしむるなかれ」
「大小なる 生き物にむかい われはあたかも彼らのごとく 彼らはあたかもわれのごとし おのれにくらべてみずから殺さざれ 他をして殺さしむるなかれ」

一番分かりやすいものとして、「不殺生」を「不害」としていると考えてもよいのかもしれません。 





132 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 07:47:03 ID:uDxpv7sH
「自愛不害」から次には、同じく「利己心」ですが、「向上」、「帰天」、「生天界」へ導く教えにつながります。

「おのれを愛すべきものと知らば 慎みておのれを護るべし きびしくおのれを省みるべし よくおのれを整えるべし」
「悪しきをなさんとし またすでにこれをなさば たとえ逃るるとも 汝らは苦しみより逃るることなかるべし」
「おのれの安楽を求めつつ 安楽を求むる生類を害うものは 未来において安楽を売ることなし」
「おのれの安楽を求めつつ 安楽を求むる生類を害わざるものは 未来において安楽を得ん」
「戒めを保つことにより 心安らかにして混迷あることなし 
死にのぞみて心乱れることなく 身やぶれて後 善処に生まれん」

「自分を愛する」ならば、「自分を省み」、「自分の心を整え」、「悪をなさず」、「善を行え」

ここにスピリチュアリズムで「心の浄化と利他こそが自分の魂の向上につながる鍵である」と示されることと同じものへとつながります。

ここは「幽界の上段階」へと到達するための方法が示されているところです。



133 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 07:50:16 ID:uDxpv7sH
>>132

訂正です。
「安楽を売る」→「安楽を得る」

134 :119:2006/11/01(水) 21:08:16 ID:+AvwKAZt
私は「神との対話」「バシャール」「セス」「エクトン」「ラムサ」の
いわゆるニューエイジのチャネリング本に書いてある概念・哲学を基にして
書き込んでいます
ですから元となる観念がおおよその宗教教義の解釈とは異なる場合が多々ありますので
意見が平行線を辿るかもしれません
人それぞれが各々自分の信じる事感じる事を持つのは自由なので、そうなっても押し付け
になって不快感や屈辱感を抱かないように、あくまで考えの提示し合いと捕らえて下さい

>「絶対不変の摂理」に合しているか、反しているかだからです。
私は善悪等に関するの「絶対不変の摂理」は無いと思っています
善と悪(2元性)はそれぞれの時代や対象物によって変わるので実際は
個々の独自性の一面だと考え、統一的な観点からはまったく無くなると思います
「殺害」もこの世はなんとも思わないと思います
ただし、私は生物の観点から「殺害」はしないほうがいいと思っていますよ

>ここは「幽界の上段階」へと到達するための方法が示されているところです。
上記のニューエイジ系にも霊的な階層が示唆されていますが、私自身は
なんとなく胡散臭く感じてしまいます
たとえあったとしても我々が関係するのは「今ここ」で、
自分が今することが上か下かがわかっていればいいかなという感じです



135 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 22:58:30 ID:i3PSZeRm
まだインチキチャネラーが適当にでっちあげた話を信じてるのか。
そろそろ自分は騙されてるとういうことに気づいてもいいころじゃないか?

136 :119:2006/11/02(木) 20:58:30 ID:pgKgzaCy
基本的に情報は波動の感じで選んでるからね
チャネリングのソースそのものを拝んでるわけじゃないから
胡散臭い情報や、もしくはこの世は真実などというものがマトリックス的に
ありえないのかもしれないという考えも抱いているし
つまり空想も真実といえるかもしれない

旧約聖書とか般若心経や法華経などのお経は波動が悪く感じる
「セス」もちょっと微妙なんだよな
「osho」はかなり嫌な感じがする
だけど波動の感じ方も人それぞれだからね



137 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 08:02:26 ID:rY1NPxL1
>>134
>善と悪(2元性)はそれぞれの時代や対象物によって変わるので実際は
個々の独自性の一面だと考え、統一的な観点からはまったく無くなると思います

本源的存在である「霊」となれば、「善」も「悪」もなくなるかもしれません。
しかし、少なくとも多重の殻に包まれ、多重の媒体に覆われて「霊」を発現することが出来なくなっている
地上界に生まれてくる必要がある状態の人間 及び霊人に関しての「善悪の基準」は
何千年も変化していません。

この地上界に生きていくうえでの「善悪の基準」は変化していないといえると思います。
「絶対不変の摂理に合うものが善」、「絶対不変の摂理に反するものが悪」です。


138 :119:2006/11/03(金) 21:59:54 ID:QeSvtwu/
>地上界に生まれてくる必要がある状態の人間 及び霊人に関しての「善悪の基準」は
>何千年も変化していません。
そうですね
生物の肉体という、存在するのに物理的保護を必要とする身を纏っている我々には
生きるうえで指針は必要ですね

>「絶対不変の摂理に合うものが善」、「絶対不変の摂理に反するものが悪」です。
私も生きるうえで・魂の要求のうえで行動や思いに「上」と「下」があると思っています
ただ、善と悪という表現は個人的にはなんとなく好きにはなれないんです
それは善と悪の概念は長い間使われているにもかかわらず、それほど効果を
上げていないように見えるからです
善や悪は一般的に行為に対して意味付けされるので、心から表現されずに建前として
文化として行われることがあり、「独善的」という言葉があるように「個々の独自性の一面」
というレベルで未熟的な使い方をされ衝突を引き起こしたり、本来重要な自分のハートで
良し悪しを感じるということが養われない事があるように見えます
それにより第3者からの判定を受け入れる土壌を作ってしまうので、
神の裁きや天罰等の概念の温床になってしまってい、宗教問題を引き起こして
人間の霊性向上を妨げる事になっているように思います
あと「絶対普遍」という言葉も権威付け的な意味を持たせられるので
もっと無機質な言葉のほうが私の好みかな

ただ概念的には>>137さんと同じ感じだと思うのでここは「心に対して意味づけされる新しい言葉」を
割り当てて一からこういった倫理?が世の中に普及されればいいかなと思います
すでに言葉としてはあると思いますが私は言葉のボキャブラリィが足りないので悪しからず


139 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 08:38:09 ID:wX2wPZon
119さん
>>138
>本来重要な自分のハートで良し悪しを感じるということが養われない事があるように見えます
>神の裁きや天罰等の概念の温床になってしまってい、宗教問題を引き起こして
人間の霊性向上を妨げる事になっているように思います

自己が十分に発達していない段階では自分のハートで良し悪しを感じるということは出来ません。

霊界から「最低限に守る必要があるもの」を「律」や「戒」、「法典」の形で啓示されました。
それらは地域と時代に応じたものとして示されています。

放置しておけば、残虐な行為を行い、集団生活が成立しないような人々には「神の裁き」や「神の罰」というような脅しの形のものが必要なこともあったのです。

それはやがて「自ら戒を設け、それを守るように努力する」ようになったときに
参考となるようなものをも含んでいました。

「不義なる者には必ず破滅あらん」(ヤスナ 二,五)
「この教えは我らの行為を整うるための第一の規則なり」(ヤスナ 四,十一)
「なんじの善の心と、なんじの神聖なる王国とを以って、彼らはその言語と行為との二つに於いて、正しき秩序に従うなり」(ヤスナ 四,二十二)
「たとい悪しき者の霊魂が、掛け渡されしチンワット橋の上に暴れ狂い、
その行為とその舌の詛の言語とを以って、かの信者の霊魂の来るべきアシャの途に至り、
またそれを汚さんともがくといえども、正しき者の良心は真に良く悪しき者の心を打ち砕く」(ヤスナ 十六,十三)

あまりに酷い悪い行為が満ちていた時代だったからこそ、このような厳しいもの、概念も必要とされたのでしょう。

「神の裁き」、「天罰」とは「原因と結果の法則」、「縁による起こりの生じる法則」を指すものであったのですが、
人々には理解できなかったということもあります。

霊性の向上が進めば、「戒も不要」となり、「惑わず」、「天命を知る」、「耳順がう」、
「心の欲する所に従って、矩をこえず」(論語)となるのでしょう。

140 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 11:52:36 ID:lAJ1nbQ6


♪♪  http://www.youtube.com/watch?v=vr3x_RRJdd4  ♪♪

     心ん中があったかぁ〜〜〜くなるよ(*^^*)
  


141 :名無しさん@3周年:2006/11/06(月) 08:12:23 ID:yAtSlyI0
119さん、
>>138
>第3者からの判定を受け入れる土壌を作ってしまうので、
神の裁きや天罰等の概念の温床になってしまってい、宗教問題を引き起こして
人間の霊性向上を妨げる事になっているように思います

過去の多くの宗教では「悪」、「罪」ということを「教義に反すること」、「神学に対する背信」としたのです。
自分たちで勝手にこしらえたものを「神の掟」であると強要し、それに一つでも反した者は、
宗教団体に献品したり、宗教の指導者や仲介者に懺悔し、もてなし、高額の謝礼を支払い、
祈祷したり、呪文を唱えたり、「罪は許される」という札や「天国へ行ける」というお守りを手に入れたりしなければ、
「地獄で永遠の責め苦にあう」、「永遠の炎に焼かれる」、「絶対に救われない」としたのです。

スピリチュアリズムでは「罪」とは「摂理の侵犯」のことです。

各人の霊的成長の程度という条件に応じて、「原因と結果の法則」の元で「摂理に反する」という原因による
「不幸」、「苦」、「挫折」、「霊的向上の不十分」という「結果」を引き受けることになります。

人間が勝手にこしらえた「神の掟」と「神の摂理」、「大宇宙の法則」とは異なるということです。

「この民は口先で近付き、くちびるで私を崇めるが、その心は私から遠く離れている。
彼らが私を恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。」
(イザヤ.第二十句章,十三)

「この民は、口先では私を敬うが、その心は私から遠く離れている。
彼らが、私を拝んでも、無駄なことである。
人間の教えを、教えとして教えるだけだから。」
(マタイ.第十五章,八、九)



142 :119:2006/11/06(月) 20:43:23 ID:R9ICFebd
>>139
>自己が十分に発達していない段階では自分のハートで良し悪しを感じるということは出来ません。
この言い方は多少語弊を招くと思います
「自分のハートで良し悪しを感じる」行為は誰でも出来ます
体の基本設計で腸が有るから栄養を吸収できるのと同じく、
霊的な基本設計でハートが有りますから良し悪しは誰でも感じれます
>「なんじの善の心と、なんじの神聖なる王国とを以って、彼らはその言語と行為との二つに於いて、正しき秩序に従うなり」(ヤスナ 四,二十二)
この文の「なんじの」がそれを象徴していると思います
良し悪しが全ての人たちに内包されていなければ「神の」と置き換えられていたことでしょう
ただ問題なのは変質したエゴの肥大によってその行為を行えることを知らない、または
そうしようと思わないことでしょう
その意味では>>139さんの言っている意味と同意です
言葉じりを捕まえるようで申し訳ないのですが、かなり大切な事なのであえて言わせてもらいました
そして社会意識の中で生きている私たちは当然大なり小なり変質したエゴを持っているので、
「自分のハートで良し悪しを感じる」ということをすぐに100パーセント純粋に行うことは難しく
修練が必要だろうとも考えています

>霊界から「最低限に守る必要があるもの」を「律」や「戒」、「法典」の形で啓示されました。
>それらは地域と時代に応じたものとして示されています。
本当に高等な霊は高等な在り方を自身の人生の中で顕現させていて、
人を導くのならやはりその在り方を行動で示すやり方をすると思います
言語で解らせるのは人生の中でまだその在り方を体験していない頭でっかちの霊だと私は考えています
言語はとてつもなく低次な伝達方法なので後に災いを起こすのは賢明な存在なら簡単に解ると思うのですが・・
ですので、霊界というものが有るとしても聞く耳を持たなくていいのではと思います


143 :119:2006/11/06(月) 20:44:02 ID:R9ICFebd
>>139
>放置しておけば、残虐な行為を行い、集団生活が成立しないような人々には「神の裁き」や「神の罰」
>というような脅しの形のものが必要なこともあったのです。
残虐な行為を行う人は先天的にそうなる因子を持っているのかも知れませんが、
やはり我々の基本的観念を受け入れた形でそれを行っていると思います
つまり残虐な行為などは我々の基本的観念に基づいて派生した行為であるということです
それを罰という、傷口に絆創膏を貼る様な対処療法では問題解決にはならないということを、
なぜ何千年も解らないのだろうと不思議に思います
そして、善というものも対処療法にすぎないと私は思っています
今も続くこの基本的観念にメスを入れない限り、残虐・不義・悪の行為は基本的観念の
ケースA.B.Cでしかなくこれの出現を抑えることは不可能です
この基本的観念に触れていない法典・教典は逆に真の問題解決から人類を遠ざける役割を果たし、
善と悪という幻想のドラマをより一層煌びやかに燃えさせるものでしかなかったと思います

144 :119:2006/11/06(月) 20:44:35 ID:R9ICFebd
>>141
>スピリチュアリズムでは「罪」とは「摂理の侵犯」のことです。
>各人の霊的成長の程度という条件に応じて、「原因と結果の法則」の元で「摂理に反する」という原因による
>「不幸」、「苦」、「挫折」、「霊的向上の不十分」という「結果」を引き受けることになります。
「我々は神が思い巡らせるあらゆる事を体験するために分裂した神」という見方からすると、
その「罪」から「真に望まないあり方」を体験できるし、「原因と結果の法則」や「真に望むあり方」を学ぶことが出来るという
「落ちれば良し、落ちずに上がれば尚良し」の2段構造になっているため、
真に「罪」というものは無いのでしょうね

145 :名無しさん@3周年:2006/11/06(月) 21:53:16 ID:71yjRjFZ
罪というのは意識の問題かも知れません。
今の地上の現状をみれば対立するものを滅するのは互い
に神の御心という状態もあります。
これを相手のせいにするのか自分の内面の問題と見るかという
ところか。神の懐へ入るととてつもない苦が押し寄せるという
言葉もあります。これは自分の内面の壁でもあります。
これと対峙せずして高次の意識に上るのはバランスを欠く
というのは「ハトホルの書」や「愛への帰還」それに
「クリシュナムルティ」にも書かれているような気がします


146 :119:2006/11/07(火) 07:46:29 ID:QtSPnOKv
>>144の訂正です
>「落ちれば良し、落ちずに上がれば尚良し」
→「上がれば良し、落ちれば尚良し」

悪魔や魔神は天使や精霊が堕ちて神に戦いを挑むという神話がありますが、
あれは途中までの話だったのだと昨日の夜にハッと思いつきました
結局最後には悪魔や魔神は神の元に帰るのだろうと思います
天地創造の一翼をになった最高位天使ルシフェルが、堕ちて悪の創造の棟梁と
なったのも頷けるものだと思います


147 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 08:50:34 ID:QtNot7Qf
119さん
>>142
>「自分のハートで良し悪しを感じる」行為は誰でも出来ます

誰でも成長すれば、出来るようになります。

自己が確立していない段階では出来ません。

「善悪を分別する理性」は「霊体」にあるからです。

「霊体」との回路が封鎖されていると、「善悪を判断」できなくなります。

ハートに障壁、ブロックが形成され、「良心」の声というものが届きません。

この段階の人類は「幽体」が主体となっているので、
「感情」によって、「自分に快い」か「自分に快くない」かによって反応します。
「理性」によってではありません。

低級自然霊は「自分が活動している領域において、感情を害するか、害しないか
自分の活動を妨げるか、妨げないか」によって、その人を援助もし、攻撃もします。

進歩の段階が低い状態での人類は低級自然霊と同じ程度にしか内部神性を顕すことができなかったのです。

>本当に高等な霊は高等な在り方を自身の人生の中で顕現させていて、
人を導くのならやはりその在り方を行動で示すやり方をすると思います

それを行った結果が、オシリスは殺害され、ケツアルコアトルは流され、
ゾロアスターは殺害され、ソクラテスは毒杯をあおぎ、イエスは十字架にかけられ、マニは殺害され、
ジャンヌ・ダルクは火刑になったのです。

当時の「時代に先駆けた思想を説き、実践した」ためにです。

148 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 12:12:00 ID:l+YlxePZ
話ぶった切ってすみませんが
覚者ダスカロスについてのスレを立てもうした
超1級のヒーラーでもあったこの人について語りましょう

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1162464412/l50


149 :119:2006/11/07(火) 23:06:37 ID:xYy5QS5H
>>145
>神の懐へ入るととてつもない苦が押し寄せるという言葉もあります。
極めて誤解を招きやすい言葉ですねw
確かに背伸びを実行するのは他人の人生を生きようとするのですから
無意味でしょうね
<「今ここ」に自分のハートで生きろ>
この一言でいいものを、悟りだとかクンダリーニやグラウンディングとか
2次的な発現物について言及している経典や教えが多すぎると思います

>>147
>自己が確立していない段階では出来ません。
私はこれには懐疑的です
うる覚え申し訳ないのですが、狼に育てられた少女アマラとカマラは血のつながりの無い他人
だったと思います
まだ自分も養える状態でない幼い少女が、排斥すれば自分の生存率が上がるにも
かかわらず、自分より幼い足手まといの他人を受け入れ共生する道を選んだのです
また、コロンブスが嵐に遭遇しアメリカ大陸に漂着したときにそこの原住民は彼らを救出し手当てを行い、
探検隊員が金に異常な興味を抱いているのを知ると自分たちにも貴重な金を惜しげもなく分け与えました
「貴方と私は絶対平等」「貴方にすることは私にすること」という我々の基本的観念には無い基本的観念が
当たり前に実行されています
私はどちらかというと文明の基本的観念に毒されない幼い存在こそ、もっとも
純粋にハートに直結している存在なのでは考えています
「理性」はエゴに属し、「感情」はハートに属する生命そのものですから
「理性」の中にはハートから得た知恵が含まれて居ますので社会的にはいいように思われていますが、
所詮は誤った基本的観念から派生した情念や行動に対処する論理回路、つまり対処療法に過ぎないものです
理性で生きるのは右を向いて左に走っていて鏡で前を確認しているに等しい事です


150 :119:2006/11/08(水) 21:46:51 ID:AB9+SoDH
昨日の夜ふと思ったことを書かせていただきたいと思います
ここはお前のチラシの裏じゃないと思う方もそう悪いことではないと
思うので勘弁して下さい

まず、私の話に答えてくれた人たちに感謝します
このやり取りで私は随分成長させてもらっている気がします
もとは神対などの本の内容を自分なりに整理・定着させたいと思って
書き込みを始めました
そして返答があるたびに思いもよらない事柄に触れ、自分なりに考えまたは
インスピレーションを与えられました
議論の基本方針は「相手の理論の間違えを諭し、自分の理論を納得させる」のではなく
「相手と自分の理論を統合する」です
なぜなら本当に平和に向かうにはそれしかないと思っているからです
それはどんな議論でも可能だと思っています
ここの議論ではイメージを創造できるのですが、
まだ相手に説く語調や言葉の意味を受け間違ってチグハグな
返答になっているので自分はまだまだだなと思います
そして私の言っていることはほとんど「神との対話」の内容ですので
然も自分が考えたように言ってらぁと苦笑いしている人も居るかも知れません
議論の基本方針が足らずに不快な思いをされていた方が居たら申し訳ありません
これからもよろしくお願いします

151 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 22:06:51 ID:XMRGiAhz
立て看板 設置させてください、<(_"_)>ペコリ

『  ☆彡 目も見えず、耳も聞こえぬお人が、桜の木に抱きついている。
桜を、見たい、聞きたい、と言う。
さて、どうやって?

☆彡 坐禅と見性 四十六章 公案見性
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1161444933/

二ではない(不二、ふに)、一の如し(一如、いちにょ)、それは、ほとけさま(さとり)のことです、どうですか、参禅していきませんか?
問う。
『 この場に坐したままで、30メートル先のローソクの炎を吹き消せ。 』
答える。     ・・・と。

☆彡沢木興道老師のなぞなぞ?

アメリカに 「我が妻は我が父の母なり、我が父は我が子なり、我が妹は我が孫なり」 という言葉があったそうな。

☆彡碧巌録(へきがんろく)第45則 趙州布衫(じょうしゅうふさん)

【本則】
禅僧「万法は一に帰す。では、一はどこに帰しますか」

趙州「私は若い頃、青州に住み、一領の布衫(実務着、サラリーマンなら背広と言うことかと)を作った。    その重さは7斤(4.2kg)もあった」

また、あるひと(ジャック、ラカン) 曰く(いわく)
「世界をキリストは支えている。キリストを聖クリストファーが支えている。では、その聖クリストファーを支えているのは何?」という謎々と同じかと。

‥‥……━★ 友好スレ

精神世界で癒される第15章  仙界の癒し大混浴場(バトルなし)
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/healing/1156683671/

152 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 07:01:19 ID:eAYCzEBT
119さん
>>142
>この文の「なんじの」がそれを象徴していると思います
良し悪しが全ての人たちに内包されていなければ「神の」と置き換えられていたことでしょう

現代では「あなたの」と訳されているところでしょう。

「なんじ」は「なむち」、「己貴」

「ああ、アフラ=マズダよ、なんじの」というように用いられていました。
ところが、アフラ=マズダも「なんじ、ザラツシュトラ=スピタマよ」というように語りかけています。

このままだとアフラ=マズダとザラツシュトラとが同格ということになるでしょうか。

153 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 08:04:07 ID:eAYCzEBT
119さん
>>149

ここでいう「自己の確立」とは「霊的自己の確立」のことです。
ネイティブアメリカンは霊的には先進民族でした。

ネイティブアメリカンに与えられていた啓示は
四つの教訓
「(1)唯一絶対の大霊が存在する。万物の創造者であり支配者である。われわれはその分霊としての存在を有する。
 (2)地上に誕生した人間が第一に心がけねばならないことは、人間として円満な資質を身につけることである。
 (3)成人としての高度な資質を身につけたら、その資質を部族のために捧げないといけない。
 (4)人間の魂は永遠に不滅である。」
十二の戒律
「(1)神はただ一つ、“大霊”がおわすのみと心得よ。
 (2)大霊を形あるもの、つまり目に見える存在として描いてはならない。
 (3)言葉の信義を神聖に保つこと。
 (4)祭日を大切にし、インディアンダンスをきちんと習い、タブーには敬意を払い、部族の習慣を守ること。
 (5)父と母、およびその父母を尊敬し、その言に従うこと。
 (6)殺人を犯すべからず。
 (7)思考と行為において常に純潔であれ。結婚時の互いの誓いを忘れず、人に同じ誓いを破らせることがあってはならない。
 (8)盗むべからず。
 (9)必要以上の富を蓄えてはならない。
 (10)健康に有害な火酒類に手を出すべからず。
  (11)つねに清潔を心がけるべし。
  (12)自分の生活を大切にし、それを完全なものとし、その中で生じるものをすべて美化し、自分の力と美を誇りとせよ。」
(『レッドマンのこころ』 アーネスト・シートン 著 近藤千雄 訳 北沢図書出版 P31―P34 参照)に示されています。

「文明」と「霊的発達」とは必ずしも一致しないということです。


154 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 08:08:57 ID:pWVebXQE


【ずぶぬれて犬ころ】

「きっこの日記」はいつも読み応えがあっておもしろいけど、
11月8日発信の【ずぶぬれて犬ころ】はとくに素晴らしかった!!!




155 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 08:10:13 ID:eAYCzEBT
119さん
>>150

こちらこそありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。


156 :119:2006/11/09(木) 21:51:19 ID:baYpnMWX
>>152
>「ああ、アフラ=マズダよ、なんじの」というように用いられていました。
>ところが、アフラ=マズダも「なんじ、ザラツシュトラ=スピタマよ」というように語りかけています。
>このままだとアフラ=マズダとザラツシュトラとが同格ということになるでしょうか。
ここはあまりよくわかりません
書きこみしてから、その文書の原文言語の特性とか内容の背景とかを知らないまま
適当に解釈して返答したのは間違いだったかなと思っています
それにしてもかなり霊的に深い事を説いているのではと思うものほど、
母音が表記されない言語だったり一文字で一つの意を表す言語のように
誤解を招きやすい言語に書かれたり翻訳されたりしていて、残念だなぁと思います

>>153
>ネイティブアメリカンは霊的には先進民族でした。
言い換えれば我々が霊的に後進民族といった所でしょうか
私の>>149の事例で精神的な高度さを表せば
狼少女 > ネイティブアメリカン > 我々?
となるかもしれません
まぁ世の中沢山の素晴らしい人がいますから一概にいうのは便宜上ということで

>「文明」と「霊的発達」とは必ずしも一致しないということです。
むしろ文明が進めば進むほど霊的後退されてきたのではないかと思います

あるとき昔よく通っていた、歩道が狭くてバスやトラックで空気が汚い道を
半年振りに通ったとき、私はこの道を実は愛していた・・と感じたことがあります
(ここでの愛という言葉は誤用なのですが、あえて感傷的な文にしたかったので使わせてもらいました)
私は一時期この分離と優越と搾取にまみれた社会を毛嫌いしていましたが、
この出来事でもしかしたら好きでここに生まれてきたのかもしれないと思うようになりました
神対などでは「自分に起こる出来事の全てを自分が創造している」とありますので
その意味でもなんだか納得した気になりました


157 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 08:05:10 ID:soD3LU0j
119さん
>149
>「理性」はエゴに属し、「感情」はハートに属する生命そのものですから
「理性」の中にはハートから得た知恵が含まれて居ますので社会的にはいいように思われていますが、(中略)つまり対処療法に過ぎないものです

この部分がスピリチュアリズムと大きく異なる部分ですね。

「肉体」は「欲望」の、「幽体」は「感情」の、「霊体」は「理性」の、
「光体」は「叡智」の媒体とされています。

地上的な「理性」は「感情を制御するもの」、「概念や命題を区別し、推論し、論理的関連を見出し、合理的に判断、行動させるもの」ですが、
霊的な「理性」は「善悪を直感的に判断するもの」、「神、魂、世界などの理念を得るもの」です。
「真理を直観的にとらえる」ものである「叡智」ともつながっています。

>理性で生きるのは右を向いて左に走っていて鏡で前を確認しているに等しい事です

「理性」とは「摂理に適っているか反しているかを教えるもの」ですから、「理性」を無視することは、
暗闇の中をさ迷うのと同じことです。

あなたが述べられた「誤った基本的観念から派生した情念や行動に対処する論理回路」とは、間違った教育や自惚れや私利私欲などの「エゴ」、「我欲心」によって、
「理性」による判断が歪められて形成されたものです。
それは「理性」そのものではありません。

あなたは
>私はどちらかというと文明の基本的観念に毒されない幼い存在こそ、もっとも
純粋にハートに直結している存在なのでは考えています
>「感情」はハートに属する生命そのものですから
と述べられましたが、その「幼い存在」が有する「感情」とは「本能」のことではないでしょうか?

ここでいう「本能」とは「論理を超えて直覚的に正しい方向への判断を下す論理的思考力を持たない知性」のことです。


158 :それはラムサからはじまった:2006/11/11(土) 20:14:22 ID:vaqGn0KQ
朝のまどろみの中で自分が何者であるかを宣言する儀式を始めてから、シンクロニシティが次々と起こる様になりました。
ある日など、偶然を超越した「起こりえるハズの無い事態」が起こり、何なのかを考えた所、私が潜在意識下で望んでいた事で有ることに思い至り、愕然としたものです。
ラムサ.....ありがとうございます。私は今、幸せに満ち溢れています。

159 :119:2006/11/12(日) 00:03:36 ID:7X/VX/4t
>>157
なんとなく思うのですが、この手の会話に完璧に事象を切り取った共通言語
というものは存在しないのかもしれません
私の言っている「理性」一つとっても>>157さんの「地上的な理性」と「霊的な理性」
を含んだ意味で使っていますし・・
もともとこの世の事象を2元性の特性を持たせて言葉・概念として切り出すと、
松崎しげるじゃありませんけれど「言葉にすれば嘘に染まる」のような事に
なるのではないかと感じます
そうなると低級な情報伝達形式である「言語そのもの」が信用出来ないものであると前提としてこなかった事が、
霊的な発達を妨げる要因なのではなかったのではないかと思います
ただ、本当に深いレベルでは我々の霊的成長に合わせて必然的に行われてきた
過ちとも思えますが

>>理性で生きるのは右を向いて左に走っていて鏡で前を確認しているに等しい事です
>「理性」とは「摂理に適っているか反しているかを教えるもの」ですから、「理性」を無視することは、
>暗闇の中をさ迷うのと同じことです。
たしかに理性という鏡を失えば危なっかしいことこの上ない事だと思います
ただ、ここで言いたかったのは「鏡を使わずとも首の向きを直せばいい」
ということです
首の向きを直すとは「基本的観念」を「我々は一つ」「優劣など無い」・・等の
本来のものに直すということです
これを行えば人為的「悪」「残酷」は起こりえません
右手で左手を殴ったり、利き手がもう一方の手に優越を感じてうれしいとは思わないでしょう
ましてや足の薬指が何の役にも立たないからといって切り落とさないでしょう
この体の各部分が個人に相当するわけですから
そしてよりよい行為としての「善」が普通になって「善」という概念も知覚されなくなる
つまりこれを出来れば「善」と「悪」が消滅する訳です
これは新たに概念を積み足すのではなく、おおもとの認識を変えるという作業です
それに「善」という言葉を当てはめるのか「叡智」という言葉を当てはめるのかは決めかねます
なんとなく「回帰」という言葉がいいと今浮かびましたが・・


160 :119:2006/11/12(日) 00:04:32 ID:7X/VX/4t
>>157
>その「幼い存在」が有する「感情」とは「本能」のことではないでしょうか?
>ここでいう「本能」とは「論理を超えて直覚的に正しい方向への判断を下す論理的思考力を持たない知性」のことです。
私はあえてそこに「霊的な」という意味も含めています
霊的とは何かといわれれば↓のようなものでしょうか
「DNAにプログラミングされていない判断・動作で、かつ経験や知識から得られたものに基づかないもの」
よく心霊現象でも子供は霊能力を保持している場合が多く、大人になると消えるといいますし
知性というと頭で判断するイメージがありますが、霊的な本能は恐らく胸から沸くものだと思います
ですが、おそらく本人にしてみれば当たり前すぎて判断すら知覚されていないのかも知れないと思っています

161 :119:2006/11/13(月) 18:44:25 ID:W5yVf8nJ
>>157
私の書いた文章がかなり波動が悪いことがわかりましたので
一方的で申し訳ありませんが私は書き込みを終了させていただきます
ここをご覧になられていた皆様、スレを汚してすみませんでした

162 :名無しさん@3周年:2006/11/14(火) 07:51:11 ID:tP+I2ncv
119さん

いままでありがとうございました。

書いた文章の波動が悪いと感じたのでしたら、
ご自分の思いを調べてみられてください。

ニューエイジの教えに入られると、「自分を反省する」ということを忘れられる人も多く見られるようです。

「ネガティブエゴ、にせものとセルフと真実とを見分けてください」

「「神との対話」というものの多くは「自分にとっての「神」との対話であって、全ての人にとっての「神」とは限らないということを忘れないでください」

「ステップをきちんと踏むことを忘れないでください。ステップを踏み忘れて、ネガティブエゴの誘う迷い道に落ち込まないように注意してください」

ありがとうございます。

163 :名無しさん@3周年:2006/11/14(火) 18:30:33 ID:+I+MHsUT
>>162
自分にとっての神とすべての人にとっての神はどちらが本物ですか?
正しいステップとは何ですか、教えてください?

164 :119:2006/11/14(火) 21:44:30 ID:XFT6QR3v
>>162
こちらこそ今までありがとうございました
最後のアドバイスは議論をせずにそのままありがたく受け取らせていただきます

私はノートパソコンから書き込んでいるのですが、電磁波を直にビンビン当てられていて
それを悪い波動と受け取ったかもしれません
議論を続けていきたいのですが、それが生活に少し支障をきたして来たので
やはり今回で最後とさせていただきます



165 :名無しさん@3周年:2006/11/15(水) 08:02:44 ID:OGSV3L++
>>163

その人それぞれの向上の段階に応じて異なります。

ニューエイジのものとしてはラザリスやオリンが順序に従がったステップの指導を行っています。

どうやら「奇跡によるコース」もステップの指導を行っているようですが、
翻訳されていないので、よくは分かりません。





166 :名無しさん@3周年:2006/11/15(水) 08:07:31 ID:OGSV3L++
>>163

スピリチュアリズムの情報ではホワイト・イーグルが最もステップ順の教えを示しています。

シルバーバーチはテーマごとに編集されたために、ステップはばらばらになっています。

霊界通信によって示された階層構造の存在がおおまかなステップを示しています。




167 :163:2006/11/16(木) 19:26:25 ID:CkdClxMH
「奇跡のコース」は翻訳されてませんが「愛への帰還」が少し関連している
ように思われます。
ホワイト・イーグルは読んでいません。


168 :163:2006/11/18(土) 00:09:59 ID:rcxyIdgO
霊的エゴは霊的知識の優越感からも来るとかいう。
知識があるからエゴというわけではなく、
霊性の言葉を定義し始めるとエゴになるのかな?
解釈や表現そのものがステップかもしれない。

169 :名無しさん@3周年:2006/11/21(火) 07:51:57 ID:nKSWDNDr
ステップは向上のために必要とされる条件。

「自分の想念と行いの過ちを償わないと向上できない」
「自分を癒し、愛さない限り、次へは進めない」
「自分の想念を浄化しない限り、ガイドや高位自己とつなにがれない」
「愛と奉仕の実践が出来ない限り、ハートは開かない」
「ハイヤーセルフと一体化しない限りは「神なる自己」との対話はできない」
「真理と非真理とを識別し、ありのままにみつめるようにならないと、「神」との対話はできない」

こうしたものがあるようです。



170 :163:2006/11/21(火) 19:04:48 ID:gQP2Qjug
>「自分の想念と行いの過ちを償わないと向上できない」
心に浮かんだのはバーソロミューのどこかにあったような気が
するが、「因果のように直線的ではなく何かパーンと弾けるようなもの」
、2極を超えたものが人にもあるようです。
>「自分を癒し、愛さない限り、次へは進めない」
「他人を非難する心があってもそういう自分を愛しなさい」という
のもあったようです。
愛の反極は罪悪感とも。
>「自分の想念を浄化しない限り、ガイドや高位自己とつなにがれない」
 神の手足となって他者を助けていくのがてっとり早いかもしれませんね。
>「愛と奉仕の実践が出来ない限り、ハートは開かない」
逆もまた真なりか。
>「真理と非真理とを識別し、ありのままにみつめるようにならないと、
>「神」との対話はできない」
真理と非真理は結局のところ神から指導があるのでは?
もし他者のためにそれを使えば。


171 :名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 07:30:40 ID:TAbh/D/X
>>170
>愛の反極は罪悪感とも。

「愛の反極は「無関心」」と言われますね。

「憎しみ」も「罪悪感」も相手に対する関心があってのものだから。


>真理と非真理は結局のところ神から指導があるのでは?
もし他者のためにそれを使えば。

ハイヤーセルフやゴッドセルフからは指導は来るでしょう。
しかし、「神との直接対話」は「自分」と「他者」の区別がある間は無理で、
「自他一体」、「大宇宙即我」のセルフグループやグループ存在との一体融合の状態にならない限り、
無理なようです。

「他者のために」という「利他」以前に、「エゴとガイド、高次自己との識別」があり、
「利他」から「自他一体」、「自利即他利」に移り変わる以前に「真理と非真理の識別」があるようです。

> 神の手足となって他者を助けていくのがてっとり早いかもしれませんね。

ところが、「神の手足」、「マスターの使者」として他者を助ける前に、
「あなたはその仕事に耐えられるだけ、相応しいだけの自己を磨き、確立しているか」という審査があるようです。

「使われるだけの力のある道具でなければ、大きな仕事には用いられない」ということのようです。







172 :163:2006/11/22(水) 20:24:03 ID:CyjJXfa3
>「愛の反極は「無関心」」と言われますね。
意識的に無視されると温もりは感じないし高慢な感じがしますね。
共感が理解(逆でもよいが)、理解が受容を生み愛になるのかな?
ニューエイジ用語ではワンネスとか。
しかし、分離や2極化は経験を生むし多次元の要素とも言われる。

>しかし、「神との直接対話」は「自分」と「他者」の区別がある間
>は無理で、
これは進化を伴う物質的形体と違い、魂、もしくは至高の存在は
進化を伴わない完璧な存在ということを言っているのですか?
「神との直接対話」とは人間の言葉を伴うという意味ですか?
私には小鳥のさえずりや心地よい風、ハプニング、予感等も神との対話
ではないかと思ったりします。
>「他者のために」という「利他」以前に、
>「エゴとガイド、高次自己との識別」があり、〜
これは体験済みですか?
それとも高次の情報と同化したのですか?
神との対話を実現した人はこういう難しい定理のステップを無意識に
実現した人もいるのかな?
私はこういう高尚なステップ(修行僧みたいに)は今のところ
無縁というか地べたにはって生きていくほうがまだ良いようです。

>「あなたはその仕事に耐えられるだけ、相応しいだけの自己を磨き、
>確立しているか」という審査があるようです。
審査という言葉は擬人的ですね。
それはそれとして、確かに自己を磨くためのヒントは与え続ける気がします。


173 :名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 07:16:45 ID:d9HEkNmW
>>172

「神との直接対話」とは「全体との対話」、「神との一体化」という意味です。
ゴータマ・ブッダが体験され、ヒマラヤ聖者が体験したと伝えられます。
「一切の障壁が消え去り、融け込みながら、自己が拡大する」とされています。
スピリチュアリズムの情報では「超越界」で達成されるとされていて、
ダスカロスは「肉体を有している限り、一時的にはその状態になれても、そこに止まることができない」と伝えています。

この体験を果たすと例外なく、変容が生じているようです。

「エゴ」と「ガイド」の識別は常に実践する必要があることです。
「悪魔の囁き」と「良心の導き」というように言われます。

「高次自己との識別」はヒマラヤ聖者やトランス・ヒマラヤ密教などに詳しいです。

>審査という言葉は擬人的ですね。

「審査がある」ということです。

「援護の道には労働と謙虚、協力者を得ること、辛抱することが必要なのです。
あなたにはまだその準備が出来ていません」
これは、ある「自分のリハビリ」から「他者への奉仕」へと移行する以前の境涯で、
その界の管理者からある住人に伝えられた言葉です。

ホワイト・イーグルも「長老が「人々の中にあって建設的な仕事に携われるかどうか」のテストが行われ、
それを通過したときに、信頼を得ることになる」と伝えています。

「マスターの仕事に関係すること」でもこのような「審査」が行われるのですから、
「神の仕事を行い、神との直接対話を果たす」ためにはどれだけの「試練」と「審査」を
通過しなければならないかが分かると思います。



174 :163:2006/11/23(木) 15:30:57 ID:aqWaJ0mi
>「神との直接対話」とは「全体との対話」、「神との一体化」
>という意味です。

釈尊みたいに高名な人もいれば、名も知れず人生を終えた人も
数知れずともいう。ニューエイジではエンティティと言って
アセンションを達成した人は地上の人間にも啓示を与えるとか。
しかし、ネットの世界で全く実社会では平凡以下の人でも
一時的にではあるがとてつもない光に包まれて宇宙にいた
という状態という話はよく聞きます。

>この体験を果たすと例外なく、変容が生じているようです。
一時的に光の体になったりするのだろうか。
光の身体(各種のオーラボディ)になると生まれ変わるのに
産道を通らずとも良いとか

>「エゴ」と「ガイド」の識別は常に実践する必要があることです。
「悪魔の囁き」と「良心の導き」というように言われます。
エゴが使う手に「霊的成長を歩むために何が正しく、どういう行いをすべきか」
とかいうような一見もっともらしいことも言うことあるらしい。
その目的のひとつに理性を活発にし論争とか唯一の教義しかないという
状況をつくるため。


175 :163:2006/11/25(土) 23:45:01 ID:QFHj7PrY
どうも抽象的な話となって申し訳ないが。
テーマが霊的ステップというところなので場違いがも
しれませんが新たに進めるのも面倒くさいので別の
レスでも紹介します。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1150524500/l50
「宗教はいらない。自分の内に神は存在する3」
NO281でHN194という名で出しています。
尚、「神体」は「神対」の誤りです。

176 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 08:45:09 ID:SXUxMSSb
>>175

163さん おもしろいスレ紹介してくれてありがとう。

  http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1150524500/l50
  「宗教はいらない。自分の内に神は存在する3」


177 :名無しさん@3周年:2006/12/06(水) 01:27:03 ID:VYm6p1NI
ほいコピペ


偏見があるように受け取られたくありませんが、私は教会やキリスト教に固執している人々のために時間は割きたくありません。
なぜなら彼らの心はあまりにも狭すぎて、あるところ以上に出ることはできないからです。
ごくつまらない小さな知識を知っているだけで、全ての知識を手にしているように思っているのです。
聖書に書かれていることだけが、人類の知るべき知識であると考えて、それ以外のことを受け付けようとしません。
彼らは聖書に書かれていることは全て受け入れていると言いますが、聖書を忠実に実行している人間はほとんどいないはずです。

178 :慈風:2006/12/07(木) 10:27:08 ID:Z/bide7q
同意。私は、その彼らと散々はなしていた人物です

179 :慈風:2006/12/07(木) 10:34:42 ID:Z/bide7q
その宗教はいらないスレで、袋叩きにあっているのが、私です。
観ていて楽しいですが。

180 :163:2006/12/07(木) 18:34:54 ID:uzPyVShK
楽しいというより何でここまでという感がありますね。
慈風さんの言わんとする気持ちはわかりますが、
よってたかって、ただ、みんな大体同じ意見という
ところの意味は何なのかを考えています。

181 :慈風:2006/12/07(木) 18:53:43 ID:Z/bide7q
私は影。私は鏡。それを追い掛けても無駄だときづけないから、同じことをするんです。

182 :慈風:2006/12/07(木) 19:00:27 ID:Z/bide7q
視点というのは、価値観同様、人の数だけあるんです。
真ん丸の球体をみて、「玉」と言おうが、「丸」と言おうが「形」と言おうが、「在る」と言おうが、間違いなどはない。
表現の自由も、選択の自由もある。だからたいしてかわらないと思うのですよ。
私を非難する人も、非難される私も同じ。
なんにもない。これが本当のところです。

183 :163:2006/12/07(木) 19:08:14 ID:uzPyVShK
>私は影。私は鏡
何の影ですか? 何の鏡ですか?
言わんとしていることは何でしょう?

184 :慈風:2006/12/07(木) 19:21:19 ID:Z/bide7q
人は自分のことしか語れないのです。
他人のことを批判するとき、対象を「相手」においてますよね?相手に言葉を発しているように見える。

ところが、人の内面を観てみると、「思考や感情、自我(エゴ)が動いている」事実があるのですよ。
なぜ、それが動くかと言えば、「自分」がそうだからなんです。
波動ってのがあってね、自覚に必要なものを引き寄せている。
言葉も、同じ。
放たれた言葉に思考がうごくなら、まだまだということです。

185 :163:2006/12/07(木) 19:52:38 ID:uzPyVShK
ちょっと、帰って来てこれだけにかかわるのもと思って
仕事をしながら返事します。


>なぜ、それが動くかと言えば、「自分」がそうだからなんです
自分にエゴがあり他人もエゴがある。生活があり仕事がある。
これが人間ですよね。いろんな想念波が地球を覆っている。
もちろん似たような波長のものをひきつけるというのは誰でも
知っていることと思います。
しかし、同調のエネルギー法則だけでなくもっと複雑で見えにくい
因果関係もあると思います。
あなたがバッシングを受けているということは、もしかしたら
あなたの無意識で自分を卑下して昇華しきれない部分があり、
それがそういう形で現れて(引き付けている)実現していくのかも
しれません。これはたとえばの話です。
もっともそういう過程で浄化(宗教ではないのですが)されている
のかもしれません。


186 :慈風:2006/12/07(木) 21:38:22 ID:Z/bide7q
同じです。あなたも彼らと同じ。
やっていることはね。

187 :慈風:2006/12/07(木) 21:53:57 ID:Z/bide7q
解釈なしで、ものごとをそのまま観ることはできませんか?
それをする限りは、幸せにはなれるかどうか。。

188 :163:2006/12/07(木) 22:02:07 ID:uzPyVShK
私は自分の闇の部分で解決できてない部分がまだまだ
あります。そして、望まない現実をよく生み出すのがわかって
います。まあ、エゴもまんざらではないとは思っていますが。


189 :163:2006/12/07(木) 22:06:13 ID:uzPyVShK
>それをする限りは、幸せにはなれるかどうか。。
なれるのですか、なれないのですか。


190 :163:2006/12/07(木) 22:15:28 ID:uzPyVShK
>解釈なしで、ものごとをそのまま観ることはできませんか?
ものごとを最初見るときは解釈は生まれませんが、それを
ずっと持ち続けるという事ですか?
後に頭で文字や言葉に置き換えて組み合わせて思考すること
はないのですか?



191 :慈風:2006/12/07(木) 23:07:54 ID:Z/bide7q
>>189 それをすれば判断になります。


192 :慈風:2006/12/07(木) 23:13:31 ID:Z/bide7q
>>190 163 さん、
>後に頭で文字や言葉に置き換えて組み合わせて思考すること
はないのですか?

それをしないことがあるがままです。
置き換えをすれば、主観や解釈、意味付けといったものが入りやすい。
わからないなら、わからないでそのままでいい。

193 :名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 08:15:35 ID:ISnpDoML
>>181

「立ち向かう人の心は鏡なり」(黒住宗忠)です。

「あなたが攻撃される」とすれば、あなたの中に同じものがあるか、あなたが気付かないうちに、誰かに同じようなことをしたか、しているということです。

「自分から出たものが自分に返る」。自省と調和を生み出すように努力することです。

「あなたが鏡」なのではなく、「あなたの周囲のもの、あなたに返してくるものが鏡」なのです。

以上は、「日本神霊主義」です。

「あなたが変わればあなたにとっての世界が変わる。あなたの現実はあなたが創造しているか、あなたが容認している」
ニューエイジではそう言いますね。




194 :慈風:2006/12/08(金) 09:11:43 ID:jvkzLLFp
それは以前受け入れていた考え方ですね。
今は違う。
攻撃とは、人の選択。現象にすぎない。

自己を見つめるとき、攻撃されたことにより、心が乱れるかどうか。淡々としている場合、単に現象として捉えるだけ。
なぜ攻撃されるかを考えたりしません。

195 :慈風:2006/12/08(金) 09:56:07 ID:jvkzLLFp
それに相手が放つ言葉の正体を知れば、まぁ、乱れなくなりますね。

196 :163:2006/12/08(金) 21:20:30 ID:zWflCQfW
ちょっと待ってくだなさいな。
「在るがまま」とか何とか、高いことはちょっと脇において
初歩的なスタートラインで疑問点がたくさん生まれます。
ひとつの疑問を掘り下げないで次に移らないで下さい。
「判断するな」とか「解釈しない」
とかいわれますが182みたいに立派に解釈されている
ようですが。
184ではとくとくと説明まであります。
それに対して私が185を返せば、それについての
見解があっても思います。
しかし、ボールを返せば
>同じです。あなたも彼らと同じ
とか、これではコミュニケーションがとれません。
あげくのはてには、彼らと同じで解釈しているとか言われる。
解釈して納得させようとしたのは誰でしょう。
自分の解釈は聖なる知性から来るもので相手の解釈はエゴの思考
から来るものだと思っているのであればそれをはっきり言われたら
どうでしょうか。


197 :名無しさん@3周年:2006/12/08(金) 21:53:19 ID:c9ZaREq6
「りんごが落ちる」
これをみて我々は「りんごが落ちた」と単に現象として捉えるだけ

だがニューエイジ的りんごからしてみれば
「イテッ。なんで母なる木は私を切り捨てたのだろう。いや、潜在意識ではこれを願っていたのか。」
「風に攻撃された。私が一体何をしたのだろう。私は知らないうちに攻撃的な波動を放っていたのか?」
とか主観や解釈、意味付けといったものが入るということでしょ?

コミュニケーションは主観や解釈、意味付けの相互やり取りだから
慈風さんとコミュニケーションを取ろうとしても難しいのでは?
プチ心理学的な話題になりますが、自分のコンプレックスを他人に投射する
という事がありますね。
例えば鼻にコンプレックスを持っている人が鼻を見られると、自分の鼻を馬鹿に
していると勝手に思い込むとか。
その意味では、慈風さんのような「暖簾に袖押し」的な人は鏡の役割を果たしやすいの
かもしれませんね。

>>自分の解釈は聖なる知性から来るもので相手の解釈はエゴの思考
だからこんなことは思っていないと思いますよ

198 :慈風:2006/12/09(土) 02:17:39 ID:AD0IFAIU
解釈などしてはいません。事実をいっただけです。


199 :慈風:2006/12/09(土) 02:24:15 ID:AD0IFAIU
>>197 そのとおりですね。
>>196 それを口にしたとたん、驕りに入ります。
思ってもいないことですが。
ただ、私も油断していると、判断してしまい、あとで気付くことがあるのです。
だから、まだまだなんですよ。

200 :慈風:2006/12/09(土) 02:39:05 ID:AD0IFAIU
判断とは思考のことですよ。
思考は目の前のことに対処すること以外は必要ではありません。



201 :163:2006/12/09(土) 11:24:40 ID:t77lLE1O
列子の「未始出吾宗の相」クラスであればすばらしいですね。
注釈 5月13日のところに書いてあります。
http://www.h7.dion.ne.jp/~konton/0605.html
私は中国思想の書から学びました。
核心はここからで、私も一応自分がイヤになりかけやめようかとも
思いました。しかし「未始出吾宗の相」とは何か微妙に違うような
気もしますね。


202 :163:2006/12/09(土) 12:12:38 ID:t77lLE1O
>解釈などしてはいません。事実をいっただけです。
こういういいかたは「私はそのものの真実のありのままを言っているに
すぎない」というような傲慢的完結の印象をもたれます。
しかし、あなたが真実と観る範囲はあなたの器の範囲であって、そのものの
真実の範囲とは違いがあるかもしれません。
思考を加えようが、必要なことを見落としていようがそれは
過不足の違いだけであり自分の思う範囲の事実でしょう。
いや、これは私にもあります。故に学んでいるのです。
見識、意識を拡大し感情の起伏を収縮させるのです。
そのために将来捨て去るかもしれない言葉というエゴ的要素も学びの過程では
必要もあると思うわけです。


203 :慈風:2006/12/09(土) 15:56:00 ID:AD0IFAIU
聡明さが感じられるレスありがとうございます。

最もなご意見なのですが、私とは認識が違うようですね。
意識と思考、感情がそれです。
私は思考とは、今、在る状態において、使用されるべきものであって、未来や過去には必要ではないと考えております。
そして、感情とは、思考が具現化された状態であり、自我による影響を思考同様に受けやすいものととらえております。



204 :慈風:2006/12/09(土) 16:04:07 ID:AD0IFAIU
意識とは、人本来の姿であり、意識なくしては思考も、感情も、心さえも存在しえないと考えます。
ただ、それらがなくても、意識は存在できる。それが在るという存在だと考えているわけです。

205 :163:2006/12/09(土) 17:43:14 ID:t77lLE1O
>私は思考とは、今、在る状態において、使用されるべきものであって、
そうです。確かに高い視点から言えば現在、未来、過去はなく
「永遠なる現在の瞬間」があるだけです。
そういうものを否定しているわけではありません。
それならなおさら言葉に準備がなくとも言葉自体が生命をもって
あふれて来てもよいでしょう。
準備しなければ恐いという状態そのものがエゴのキャラだとも言う。
バシャールでも何かを言うときはとにかくそのことについて考えない。
ただ、その時の瞬間に合わせ信頼を持つとか。おきかえれば愛でも
よいでしょう。それにもろもろの意識がどのように情報を集めるか
なんていうのはいろんな本に詳しく書いてありますしね。
判断、分別のいましめなんてとくに言わなくても皆、了解の上で
話していると思います。


206 :163:2006/12/09(土) 17:44:49 ID:t77lLE1O
>、感情とは、思考が具現化された状態であり、自我による影響を思考同様に受けやすいも
感情をうまく調整し、癒すことができる言葉を載せた本があればなんぼでも
売れるでしょう。それほど、感情は人間にとってやっかいで実社会に密に結びついて
います。思考、分別、感情をコントロールすることはこの次元では努力が必要かもしれない。
努力も精神世界ではタブー視されますが地上で社会生活を送っていて、努力なしでは
難しい面もあります。期待もそうです。タブー視されることもあるし普通に使われる
こともある。余り言葉を定義でがんじがらめにすると本末転倒になるので
柔軟性をもってよいと思います。
さて感情です。
よく物事は中立とか、その事象が本来もつ感覚に思考というフィルター
(これは過去の経験などからくる)が加わると感情という状態になる
といいます。つまり同じ事象であっても見方によって感性、感情が変わるという
ことです。これを逆手に使えばある程度のコントロールは出来るかと思います。
つまりある種の感情の波に包まれたとしても、実際起こっていることとはそう
関係ないのかもしれないからです。つまり良くも悪くもない中立の状態のものに
正しいとか悪いとか色づけして、地獄の世界を作り上げたりするのです。


207 :名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 18:00:17 ID:9qrFGPIX
慈風さんへ。

  あなたは意識を人本来の姿と書いてますが、ならばあなたの意識は
  内なる神ですか、それともエゴですか。

  内なる神が意識だというなら、あなたの意識が存在しているかぎり
  あなたは神と同化した存在として在ることになります。
 
  あなたは、常にそう在るのでしょうか?


“宗教はいらない”の方でもお待ちしてます。

208 :163:2006/12/09(土) 18:24:25 ID:t77lLE1O
>>204
なかなか本題へ入れないので無理してちょっくら入ってみますね。
「意識はただ在ったのです」という言葉に集約されるかもしれません。
それがよく言われるところの「大いなる源」「動かざる動かし手」「空」
「虚空」でしょう。すばらしいことです。
しかしながら、それもすでに本に書きつくされています。
現在もそうですが昔の本の「般若心経」なども核心に触れていると思います。
では何故2元性、分離の意識を伴う宇宙の創造がされたのでしょう。
「神在らず」の世界を神は何故創ったのでしょう。
意識がただ「在った」ように悟った魂がおのおの在ったのです。
皆体験しています、どころかそのものであったのではないのですか。
視点とは多次元性とは何でしょう。何の目的があるのでしょう。
どうして体験を忘れたのでしょう。その悲しい副産物は「虚空」にとって
どう関連するでしょう。示唆を与えるのは「虚空」だろうか
「その下の高次元の意識生命体」だろうか。エゴの目的は何。
いろいろと大変ですね。しかし「虚空」の体験をすれば見渡せます
よね。もしくはいずれ出来るようになるでしょう。
なんだか、口調が似てきてないか?


209 :名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 18:31:23 ID:9qrFGPIX
>>208
>「虚空」の体験をすれば見渡せますよね

どのような体験を経てどのように見渡せるのでしょうか。
教えてください。

210 :163:2006/12/09(土) 19:34:49 ID:t77lLE1O
ふ〜む、208からそのような質問が出るということは?
>「虚空」の体験をすれば見渡せますよね
  
→ 慈風さんが「至高の体験」したとすれば大局的観点から
すべてがみまわせますよね。(潜在的可能性の顕在化)
>もしくはいずれ出来るようになるでしょう
いろいろシンクロがおこるでしょう。
これは慈風さん自身も言われていることです。
この段階の話ということでどうでしょう、私が悪いのかも
しれませんがその質問は私の明晰性には触れません。


211 :名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 19:44:39 ID:9qrFGPIX
209は漠然としすぎてたので少し書き加えます。

“始めに虚空があった”
同意です。

“2元性、分離の意識を伴う宇宙の創造がされたのでしょう”
「一見分離状態に見えるが本質的には同化が可能な」2元性、分離意識・・・
とするなら同意です。

“意識がただ「在った」ように悟った魂がおのおの在ったのです。皆体験しています”
同意です。

“何の目的があるのでしょう。どうして体験を忘れたのでしょう”
それらを思い出すために知識としてならその理由を私は教わりましたが、
いまだ思い出せてないのが現状です。

“しかし「虚空」の体験をすれば見渡せますよね”
確かにその通りです。なので私の質問は、どのような根拠の基づいて
そう思うのですかということだったのです。

 実体験からそう理解したのか。
 そう知識として教えられたのか。
 それとも他に理由があるのか。

いかがでしょうか。

212 :163:2006/12/09(土) 20:13:47 ID:t77lLE1O
実際、批判のための仕掛けかと危惧した面もあったので。
レスのスピードであなたのすこしは分かりました。
まず前半から。
>“何の目的があるのでしょう。どうして体験を忘れたのでしょう
これ以前に書かれた話には同意します。
>、どのような根拠の基づいて
>そう思うのですかということだったのです。
霊的な話を持ち出さなくても分かりやすく言えば語弊が
あるかもしれませんがこうなります。
コンピューターを考えてください。
ウェブでは世界中にあふれている情報と繋がることが
できます。しかし、コンピュータがなければ知ることは
できない。PCによって世界中の情報が変容したのです。
シェアできます。「虚空」をパソコンと考えれば、パソコンと
繋がれば、操る能力があれば自我の自分をはるかに超える
情報(体験性も含む)につながることができる。
これは地球上でもその縮図があり、人体の細胞レベルでもそうだと
おもいます。各種の情報が一瞬のうちに組み合わされてバランス
よく動いていきます。「在る」という状態でなければ瞬間的動き
に対応できないでしょう。
情報が電気化され電気信号が信じられないスピードで目的に
向かって動き結果を出して再びそれを言葉に置き換えて
情報化していく。これは時間、空間の概念を変容させます。
そして超意識へ移行するでしょう。
   しかし、パソコンでも偉大なるバカと言われる。
   ならば「至上の状態」に繋がれば、・・・ということです。


213 :名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 20:31:41 ID:9qrFGPIX
読みました。
では私なりの見解を書きます。

208の言葉「その下の高次元の意識生命体」を借りて説明すれば、
その意識生命体と完全同化した後でないと原初の虚空は体験できない、
ということになります。

そのために必要なことは207の言葉を使うと、
先ずは何より内なる神と完全一体化を果たすこと、
となります。

そのためには基本の基本として、
内なる神の意識と慈風さんの言うエゴには大いなる開きがあるのだと
日常的に常に感じ取れるようになることが挙げられます。

これは意識を人本来の姿とした慈風さんへのメッセージになるため、
私はあのような質問をしたのです。
彼は今、神意識とエゴの違いを把握できる機会にいますから。

用事があるので落ちます。

214 :慈風:2006/12/09(土) 20:41:26 ID:AD0IFAIU
私が体験したことを「空」とするならば、「在る=空」となります。
それは表現ですから、どちらでもかまわないでしょう。

あまりにも強烈すぎて、それまでの常識が飛んでしまったのですから。

他からみれば、錯覚であったり、妄想にみえるのでしょう。
そのような評価は事実としてあるし、言いたいならば言わせてあげればいいと思います。



215 :慈風:2006/12/09(土) 20:46:22 ID:AD0IFAIU
>>207 その通りです。
ただ、完全ではないために不安定になることがあるのです。
それをなくしてゆくことが、私自身の務めであると思っています。

216 :慈風:2006/12/09(土) 20:57:05 ID:AD0IFAIU
私の体験は、前触れもなく起きました。
神を否定し、思うようにならないあらゆることに怒り、その悪循環の輪から逃れられなかったのです。

逮捕を期に、強制的に自己を見つめる機会を得、そこからが自己探求がはじまったと思っています。

217 :163:2006/12/09(土) 21:04:13 ID:t77lLE1O
 >実体験からそう理解したのか。
 >そう知識として教えられたのか。
 >それとも他に理由があるのか。
これはある意味では最も即座に答えられる内容の質問ですね。
しかし、エゴが動きますね。(笑)
別の場であればなんぼでも喜んで話すでしょうが。
2ちゃんねるで話す内容に個人的なことはある程度
線引きしていますので。

プライベート・・・うん、そうだね。どうしようか。
まあ、コテハンではないしいざとなれば消えればよいし。
これは言いましょう。私には今まで100通位(本当かよ?)
霊的なことについて質問メールがきました。
一つのレスに1000〜2000文字位書きますね。
内容はどうしたら「霊的体験が出来て実生活で活かすためには」
というまじめな内容や「人を救いたいけど神との対話が出来ない」
という内容、それから単に「宇宙、神のことを徹底的に知りたい」
という内容があります。メールが来るということは私の体験を話している
何かがあるということです。(書籍を出している訳ではありません)
しかし、最後は自分で極めねばならないのです。(私も極めている
わけではないが)


218 :163:2006/12/09(土) 21:06:52 ID:t77lLE1O
「神の声が聞こえるか」という質問。
これは向こうのスレで誰かが「そういう人はたくさんいます」
と誰かが言ったのでまあいいでしょう。
実際「声は聞こえます」。いつもではありません。いろんな
声がありますのでどちらかと言えば自分からは話かけません。
ただ、高い波長の言葉はその感じでわかります。
そして、なんどが実際救われたこともあります。それは実生活でです。
しかし、別にそういう存在を必要としない(依存しない)状態が
最高だとも思います。
確かに本もよく読んできましたが(今は余り読んでない)
頭で読むことはまずありません。頭(思考)を使って読むと
それを使う能力がほとんど育てられません。 
あるテーマがくると一瞬でそれに関する情報が直感で浮かんだり、
いろんな本から適正な言葉が組み合わされて一瞬でとんできます。


219 :163:2006/12/09(土) 21:07:51 ID:t77lLE1O
じっさい、2ちゃんねるの文章は短いほうがいいようです。
わたしの膨大な情報はそぐわないようですね。
しかし、この頃は長い文章は自我意識が強くなることを発見しました。
独善的になるのです。できるだけ短くわかりやすくというところでしょうか。
だから、哲学的な表現は何を言っているのかの焦点が絞れないのです。
それでわからないときははっきり聞き返すようにしています。
科学的要素と霊的要素を組み合わせるようにしています。
今は、実際はそういう能力は使ってませんが(そこまでのめりこんでない)
、誰かと霊的なことについて話がはじまりそうになると、相手から
ボールが返ってくる前に返答を書いていることはよくありました。
むしろそのやり方のほうがうまく書けるともいえます。
ある意味で慈風さんとも似ているところがあります。
昔はわたしの感性のまま書いていました。
バッシングを受けている人がいると多勢に無勢でもそっちに
ついてきました。それでもわたしが巻き込まれることはありませんでした。
しかし、一回だけ巻き込まれて一人が刃を向けてきたのです。
いかに自分が無防備かがわかります。自分がやられないとわかりません。
それで、自分を検証しなおして視野を広げる運動、努力をしたというわけ
です。他にもおもしろいことがたくさんありますが余り書くと
オカルトと思われてもいけないのでこの辺で終わりにしましょう。


220 :慈風:2006/12/09(土) 21:23:06 ID:AD0IFAIU
私が掲示板に書き込みをするようになったのは、自己の至高体験から、人生がかわったことから、他の人にも味わってほしい。と単純に思ったからでした。

はじめは、人生相談板にいました。
しかし、思いは伝わらない。随分葛藤もありました。
精神世界板で初めて非難を浴び、ライブドアでも同じことを体験しました。
理解されぬ悔しさもありました。
反発もありました。

そして、一旦掲示板をはなれたのです。

221 :名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 22:07:44 ID:ITDHuwg9
結局、神との一体化をしても普段の生活を
まっとうしなければならないのでしょう?
普段のエゴを基調とした生活様式をしないと
もともとの一体化が意味を成さなくなるから
そしてありとあらゆるネガティブな事にも神性を見い出して
結局創造する事象そのものは変わらないから

222 :慈風:2006/12/09(土) 22:12:21 ID:AD0IFAIU
すべては「愛を知り、愛となるため」
「自己を知り、在るになるため」

これは、同じことです。

どのような道でも、道はそこにつながっている。
砂利道あり、山道あり、獣道あり、道なき道あり。
それを論ずることの無意味さ。

私は我が道をゆくしかない。

223 :慈風:2006/12/09(土) 22:37:52 ID:AD0IFAIU
>>221 それはあなたの解釈ですね。
そうではないと考えます。
ネガティブもポジティブも同じ概念でしかない。

その概念をこえた存在が在るです。
それが人の中にある。
私はそう思っています。

224 :163:2006/12/09(土) 23:00:59 ID:t77lLE1O
別に慈風さんに反駁している訳ではないのですが。
221はまさに今の私の実生活のテーマでもあります。


225 :慈風:2006/12/10(日) 06:55:27 ID:9Y07NKU6
いや、かまいませんよ。さまざまな捉え方があっていい。
しかし、私がいったのは違いますよということです。教祖じゃありませんから。
想念としての相対は消えてしまうのです。真の姿を知ってしまった瞬間に。

目の前で起きている現象に意味付けをしているのは、他ならぬ、「私」であり「あなた」なのだと思います。
実はこれが「判断、決め付け」と言われるものです。
しかし、現象の意味付けは、我々だけができるわけではありません。すべての人ができるのです。

226 :慈風:2006/12/10(日) 06:59:37 ID:9Y07NKU6
意識する、しないにかかわらずそれをしているのです。
しかしね、ほとんどの場合、その基準となっているのが「自我(エゴ)」なんですよ。
要は、本来の姿である「存在」の判断か、自我の判断かを見極める必要があるということだと思っています。

227 :名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 07:31:40 ID:PXnK42kP
>>221
>結局、神との一体化をしても普段の生活を
まっとうしなければならないのでしょう?
普段のエゴを基調とした生活様式をしないと
もともとの一体化が意味を成さなくなるから

神との一体化を果たしたのであるならば、「エゴ」を基調とした生活様式とは異なります。
それは「セルフ」を基調としたものになるからです。

「エゴ」との戦いは続くとしても、もはや「エゴ」はその中心ではありません。

「エゴ」の正体をつかみとるから、もはや、自分の主とはしません。

「普段の生活」とは何でしょう。

主が変わったとき、それまで「平凡」に見えていたものも、神を表現していることに目覚めるのです。






228 :名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 07:43:19 ID:RjSxFmd6
>>226

「セルフ」、神我の判断と「エゴ」の判断だけではありません。
「意識」しない場合には、「規範」など、外より与えられたものによって形成されたものによって、
機械的に反応しているにすぎない場合もあります。

その反射的回路による「操り」の状態とも見分ける必要があります。

229 :慈風:2006/12/10(日) 08:01:05 ID:9Y07NKU6
しれはエゴと同一です。

230 :213:2006/12/10(日) 10:57:01 ID:dCxQTsgV
慈風さんへ

あなたの体験は至高体験でもなんでもありません。
早くそこに戻ってもう一度歩み始めることが、
今のあなたに一番大切なことです。

231 :213:2006/12/10(日) 10:58:38 ID:dCxQTsgV
>>218
>これは向こうのスレで誰かが「そういう人はたくさんいます」
>と誰かが言ったのでまあいいでしょう

それを言ったのは私です。
IDが同じでしょう。

232 :213:2006/12/10(日) 11:12:10 ID:dCxQTsgV
あなた達の対応を暫く静観しましょう。

233 :名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 13:39:07 ID:qaJ40QVR
エゴとの戦いなどありません
エゴも神性の一つの側面にすぎないから
瞑想やレイキやクンダリーニ覚醒をしなくとも、より元に近い神性を
顕現している人たちが沢山います
むしろ神性を意識している人達のほうが遠回りしているように
見えますがね
が、貴方達と私は「一つ」で、今も過去も未来もこの瞬間に起こっている
のですから、神に近い遠いとか無く全てOKなんですよ
だから各々いいと感じた事をやればいいんですよ

234 :163:2006/12/10(日) 15:50:37 ID:m1haunm5
自我
the [one's] self; 〔心理学〕 (the) ego
自我の強い 《フォーマル》 egotistic;
エゴ 
1 〈自我〉 ego; self
2 〈利己主義〉 selfishness; egoism.

自我・エゴ・セルフはいろんな使われ方をします。
このスレではエゴは偽アイデンティティ・利己主義的自己みたいな
使われ方をします。精神世界ではエゴは愛と対極の使われ方をする
ケースが多いがその限りではありません。宗教もそうです。
宗教はダメだというのは、宗教の悪い側面のことを言っていると
思います。
>むしろ神性を意識している人達のほうが遠回りしているように
現代イニシエートは儀式的要素は少なくなり、日常生活でよい
と思います。振り子のように陰陽を行ったり来たりするほうが
交感、副交感神経神経にとってもバランスがよいかも。
神性を意識するというのは「祈り」の場合もそうですが、
どちらかというとおおざっぱであっても正統なる道へ戻る
役目を果たすようです。
例えとして用いられるのは、いかにプロ級の運転でも無謀に
走るのは自我・エゴレベルのことであり、適正にバランスよく
回り道しても最短をいくのが霊性を基にしたということですか。
エゴでも神的でも、運転そのものは神的な要素がないと出来ない
でしょう。
故によく言われるのが、殺人でさえ神のサポートがなければ出来ない
ということです。


235 :名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 23:55:32 ID:qaJ40QVR
私にとって「エゴ」の定義とは
他とは区別される自身、またはその観念体系・嗜好
ですね
良い悪いなどの味付けはされていません

正統なる道などまやかしです。幻想です
残念ながらそれはエゴです
全ての道が等しい進歩速度で神聖に向かっています
そして「全て」と言いましたが、
個々に見える道は実は大きな幹の繊維一本一本なのです
最後に朗報ですが貴方の道「も」最も正しいのです


236 :慈風:2006/12/11(月) 18:42:15 ID:M3PA8gke
他人の判断など、必要ではないし、私の判断も必要ではありません。
事実だけがそこにある。

至高体験かどうかは誰かが決めることではない。
決めるということは、対象が存在するから決められるし、判断できるのだ。

至高なる存在は、判断などしたりはしない。


237 :名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 22:33:00 ID:FTODn7Tu
「全てOK」も無判断となりますよ
判断は選択肢が2以上無いと出来ませんからね
だからエゴもOKです
(「残念ながら」と付けたのは相手のエゴの意味でそれを指摘しただけです)

私はバシバシ判断しますが、自他全部至高体験としてます
論理的に考えると全てそれに帰結するんですからね

神との一体化、全てを一つとして自分として感じる、
そんなのは、始まりの状態であって至高でも何でも無いですよ
至高なる存在も、至高のあり方もそう
神(私達etc)はそれでは何も感慨が無かった訳ですから
でも、今その体験をしたら最高でしょうけどね
なぜなら始まりの状態からかなり離れた所(幻想ですが)を体験出来たから
いわゆる比較が出来るようになったから
で今の我々は人というRPGゲームで、
始まりの状態から下を作って高めているだけなんですよね
だから低劣とされるあり方も重要なんですよ
「至高なるものを至高たらしめるには、堕落しなければならい」

他にもゲーム自体を楽しむ・拡張するという目的もありますが。
慈風さんの判断しないというのはそのゲーム内部(アルゴリズム、テーブル等)を
解析する行為に等しいですね
良い悪いは別にしていってますよ
ただ、ゲームやってる内にそういうことは嫌でも分かってきてしまうので
私は必要ではないと思ってます

238 :慈風:2006/12/12(火) 02:55:08 ID:894cEaMv
よく勉強さやれてますね。

239 :名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 10:31:33 ID:Hxds44ED
>>236
>至高体験かどうかは誰かが決めることではない

では慈風さん本人が至高体験だと決めているということですか?

少し冷静になって考えて下さい。
至高とは、最上最高でこれ以上はないという意味です。
ですから本当の至高体験をしたら、その瞬間に人は完全な存在となります。
未熟さを全て克服した存在となります。
しかしあなた自身が認めているように、あなたには未熟な面が多く残っています。
それなのに、それを至高体験と呼ぶのでしょうか。

あなたの体験は、“かけがえのない貴重な体験”とした方が
適切でしょう。

240 :慈風:2006/12/12(火) 12:01:43 ID:894cEaMv
それは私が決めるべきことでもない。
私がそう判断した根拠は、私が救われたからに他ならない。
それをなぜ他人のあなたが判断できるのか?

至高だろうがなんだろうが、事実は事実。
それがあったというだけ。

241 :名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 17:43:08 ID:Hxds44ED
慢心、奢りの底なし沼ですね。

242 :名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 18:04:02 ID:KOU1oGd/
>>ですから本当の至高体験をしたら、その瞬間に人は完全な存在となります。
>>未熟さを全て克服した存在となります。
その瞬間はそうなりますね
より核心を突いた言い方をすれば、
「未熟さというものを考える前提が吹っ飛んでいる次元へと意識を拡大した」
というような人間の延長ではない在り方でしょうね
わたしは慈風さんが体験したものは至高体験だと思いますよ
でもその至高に「居続けたら」至高では無くなってしまうんですよ
だから肉を纏った状態ではある程度の至高以外を保たざるをえない
我々は至高と反至高を行ったり来たりするダンスを踊っているんですよ
今はそのダンスエリアを少しづつ至高側へと移動しているところなのかな?



243 :名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 18:31:18 ID:Hxds44ED
>>242
う〜ん、「至高」という言葉の定義が個人により異なるのはしょうがないけど、
もし「至高体験をした」という思いが慢心や奢りを呼び起こし、
そのせいでかえってその人が変になってしまったとしたらどうする?

私は以前から慈風さんを見てるけど、とてもじゃないが順調に成長しているとは
思えない。
そしてそんな人達を、私は今まで嫌というほど見てきたんです。

素晴らしい体験ののち慢心したが故に、転がり落ちていった人を。

244 :163:2006/12/12(火) 19:02:31 ID:d57PEiVx
2ちゃんねるは今年からだけど年末の
忙しい時に限って掲示板も活発になってきます。
なんともあわただしいですね。
他にエゴの活動がたくさん控えている中、高尚な気分とは程遠い感じでしか
書けませんが。
>>235 >正統なる道などまやかしです
これは>「今その体験をしたら最高でしょうけどね」の意味のつもりです。
始まりのビジョン(神対ではビッグバン)、もしくはそれ以前の「虚空の愛」、
ニルヴァーナでもよいです。それに向かう道程という感じです。
始まりの聖なる瞬間から現在までは同じ瞬間でもひとつのプロセスがあるという。
174でも述べましたが
エゴが使う手に「霊的成長を歩むために何が正しく、どういう行いをすべきか」
というのがあっても、霊的なそのものに罪があるわけではないと思います。
その行き着くところ
>>237 >なぜなら始まりの状態からかなり離れた所(幻想ですが)
からの意識的帰還における意識の持ち方というか微妙な表現になります。


245 :163:2006/12/12(火) 19:04:22 ID:d57PEiVx
>>237 >神との一体化、全てを一つとして自分として感じる
から
>「至高なるものを至高たらしめるには、堕落しなければならい」
に関してはいろんな本(名著といわれる)の最高の部分ですが、
ここの書き方は「神対」の影響が濃いと思います。P39〜
とくにその後のゲームを引き合いに出しているところなどそうです。

さて、ひとつわからないので教えてください。
>他にもゲーム自体を楽しむ・拡張するという目的もありますが。
ここから先の文章ですが、
幻想宇宙(物質宇宙)の目的は真実みたいな感覚で経験することで
あるから、もしくは至高存在の偉大さを客観的に認識するためでも
いいですが、いきなり本質へ還ってしまうと聖なる目的である
プロセスというものがなくなってしまう、という意味ですか?


246 :名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 19:17:45 ID:Hxds44ED
>>245
>「至高なるものを至高たらしめるには、堕落しなければならい」

横スレ御免。
この言葉に救われる人は二種類います。

一方は、あまりに強い正義感を持つため自分を責め続け、
後悔の念に押し潰されそうになっている人。
そんな人へはその言葉は、新たなる一歩を踏み出させる福音になるでしょう。

もう一方は、堕落を楽しんでいる人。
そんな人は、神のお墨付きだとばかりに行動を改めず、
自分をふり返ることなど決してしないでしょう。

要は、自分に都合の良い解釈は危険ということです。

247 :名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 20:10:43 ID:KOU1oGd/
>>243
>私は以前から慈風さんを見てるけど、とてもじゃないが順調に成長しているとは
>思えない。
慈風さんは貴方の思う通りには生きません。そして他の誰もがです
貴方の定義する「成長」とはなんでしょうか?
私の定義する「成長」は今の所「どれだけ愛せるか」です
そう、人は、ありとあらゆる者は「独自」であり、それを許されているんですよ
あとこういう考え方も出来ます
時間・機会は永遠にありますし、死んだら皆さんと一体化の機会がありますので、
慈風さんは皆さんの感情・考えを100パーセント感じてから
来世のキャラクターを決めてまた舞い戻ってきます
まぁスピリチュアルを肯定しているならば人生一回の時間ではなくて
久遠の時間で見つめてみるのもいかがでしょうということです

248 :名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 20:49:04 ID:KOU1oGd/
163さん >>245
>ここの書き方は「神対」の影響が濃いと思います。P39〜
>とくにその後のゲームを引き合いに出しているところなどそうです。
そうですね。ただ信者では無いんですよ
神対でも現実の創造の部分や色々な所でかなり納得出来ない所がありますし、
まぁシックリ感じる所とか実体験で合致している部分とかを自分の真実として
いるだけです
それっぽく書いた方が神対スレっぽくていいかもという含みもあります

>もしくは至高存在の偉大さを客観的に認識するためでもいいですが、
>いきなり本質へ還ってしまうと聖なる目的であるプロセスというものが
>なくなってしまう、という意味ですか?
エゴ丸出しでの経験からこの世の本質を得るプロセスもあるし、
本質に焦点を合わせて得ようとするプロセスもあります
どっちかといえば前者の方がお得だと思うので私はそっちでいいやといった
内容です
ゲームの例えは、何回かやれば大体わかるから自由自在にプレイできる様にできるが、
ゲームをやらずにネットとかで情報収集して自在にプレイできる様にもなる
慈風さんは後者ですねということです
そのことに関して良い悪いの意味は込めてません


249 :名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 21:11:43 ID:KOU1oGd/
>>247
>もう一方は、堕落を楽しんでいる人。
>そんな人は、神のお墨付きだとばかりに行動を改めず、
>自分をふり返ることなど決してしないでしょう。
>要は、自分に都合の良い解釈は危険ということです。
死んだ時には相手との合一の機会があり、必ず振り返ります
ここは久遠の時間で考えて見ましょうよ
先天的に拷問や殺戮を好む人間が居るように思えるのですが、
魂のレベルでは一体を前提とした愛を好む性質を与えられているようですから、
最終的にはその方向にたどり着かないことはありえないのでしょう
ですのでこうした方がいいのかな
「堕落を手段として目的の至高を味わう旅をしている」


250 :163:2006/12/12(火) 22:27:10 ID:d57PEiVx
釈迦は悟りを開いたときその偉大な波動は
宇宙さえ揺るがしたとか。
しかし、最初その悟りを味わうため自分のものとして
瞑想の中で浸っていた。
そして梵天やらおおくの使者がそれを世のために使って
くれと頼む。ためらっていた釈迦もついに腰を上げる。
ところが最初の説法は散々だったという。
相手にとってただ自分のすごさを威張っているしか
見えなかった。ここで釈迦は悟りを得たものとしての
立場を捨て反省を行う。
そして対機説法という相手が霊的成長をなすような
実践的そして自己のためでない全体拡張的活動に
変容する。
これは至高の次元からわざわざ実を落とすような
行為に見えても至高という完璧が故に変容がない
状態からの拡張の可能性を生むことになる。

http://www6.plala.or.jp/swansong/2/essey0048.html
から引用
「自分の中に執着していては相手に理解されません。
自らの執着を捨て、「あの人」との接点を見出して初め
て悟りが示されるのです。同じ方法は通用しません。
いつもいつも相手にあった独自の示し方をしなくて
はならないからです。
ここに執着を離れた真の自在が生まれてきます。
悟りを示すとは対機説法なのです。
ブッダが尊崇されるのは悟った人だからではありません。
多くの人を悟りに導いたからなのです。」


251 :慈風:2006/12/13(水) 01:25:56 ID:VFgaUmM6
他人に定義づけされる成長って?
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、わらってしまいました。
所詮掲示板で、人を定義付けなどできますかね?
それこそ驕りだと思いますよ。

怒らなくなっただけでも、ずいぶん成長してますよ。ご心配なく。

252 :慈風:2006/12/13(水) 01:31:35 ID:VFgaUmM6
大体、至高体験って、誰の定義ですか?
私の体験は、私が救われたから至高といっただけです。
他の人から観れば、カスみたいな体験だとしても、私にとっては、すべての始まりだったのです。
その事実は、誰にも否定などできるはずがありません。
定義づけできるすべてが怪しく見えます。
判断すること自体が、自我の虜になっている事実をみもしないで、いったい何を語ろうというのでしょうか?

253 :慈風:2006/12/13(水) 01:37:12 ID:VFgaUmM6
神は一切判断なんてしません。
在るだけです。
そして、我々も同じ。

だからこそ、さまざまなことを創造できるのですよ。
体験は体験、事実でしかない。それが真理かどうかなんて、それぞれできめりゃあいいことだと思いますよ。
そんなもの、誰でもしてるんですから。
気付くかどうかは本人次第ですがね。

254 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 06:04:37 ID:i6utfjcA
あなたは無人島で、一人で暮らさなければならないとしたら
寂しいですか、孤独は、たった一人になってしまう事ですか?

あなたを理解してくれる人がいれば2人でも孤独感はないでしょう。
1億人があなたの周りにいても誰も理解してくれななければ
孤独感に苛まれるでしょう。

あなたなら神と一緒、だから孤独ではないでしょうか?








255 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 06:19:41 ID:i6utfjcA
あなたの体験は、例えば1000年前の時代の人がタイムスリップして、行き成り
現代のジェットコースースターに乗ったみたいなものです。

あなた流に謂えば、ジェットコースーターも現代に「在る」訳で、
ただ、時代が、異なるだけです。科学という「存在」がただ「在る」だけです。

全ての時代を超越すればただ「在る」だけです。

だからあえて「在る」は語る必要はないのです。
在って当たり前です。



256 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 06:38:21 ID:i6utfjcA

あなたの仰る事は如何にも気宇壮大に見得るが酔眼朦朧としている、
無為自然に還りなさいね。

257 :慈風:2006/12/13(水) 07:40:56 ID:VFgaUmM6
噛み付きたければどうぞ。
デタラメだといいたいなら、言いなさい。

非難、罵倒、すればいい。
すればするほど、神は私を確信に導く。

なぜか?
教えません(爆)

258 :慈風:2006/12/13(水) 07:46:42 ID:VFgaUmM6
孤独?なんですか、それは?


259 :246:2006/12/13(水) 09:24:37 ID:ajw/OwTY
>>247
>>250
これから書くことを冷静に考えてください。

あなた達の対応が251以降の慈風さんへ影響を及ぼしたとしたら、
いったいどのような影響を及ぼしたでしょうか。

特に163さん。
251以降の慈風さんは、あなたの説明した釈迦が歩いた道に沿いますか?
その道に近づく言動になっていますか?

260 :慈風:2006/12/13(水) 09:40:59 ID:VFgaUmM6
あのですね、私に来世があると?
ないですよ。ない。

誰かの影響があるとするならば、「体や精神が私」という認識に立っている。

私はそれではない。



261 :慈風:2006/12/13(水) 09:50:02 ID:VFgaUmM6
釈迦がそんなに偉いですか?
私は皆同じだと思っています。
人であること。
ゆえに在るということ。

過去の偉大な人物は過去の人です。今ではない。

262 :慈風:2006/12/13(水) 09:57:38 ID:VFgaUmM6
人は人に影響されているようで、その実は「自ら選択」しているにすぎない。

誰かのせいにできることなど皆無に等しい。

私の選択は私の選択。それがいい悪いではない。
誰かを理解させれば善いになり、理解されなければ悪になるのか?
善悪、正邪の判断そのものが間違いであると私はおもう。
起きる現象を判断すべきではない。意味を持たせてはいけない。
それにより自分が苦しむだけ。


263 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 10:32:05 ID:i6utfjcA

>過去の偉大な人物は過去の人です。今ではない。

「在る」に現在、過去、未来はないはず。夫々の時代に存在したものは
今に、歴史的痕跡を残し、現在の私達の教訓として記憶にも残る。

其れが繋がりであり「在る」のである。無視は出来ない。
喩え過去の人でも、今でなくとも、記憶に「在る」。

>善悪、正邪の判断そのものが間違いであると私はおもう。

時代にあった善悪、正邪は「在る」、でなければ、法律も良識も道徳も
生まれない、そして、人は一人では生きるのが困難だから、組織を形成するのだろう。
家族や各種法人、会社等、など。だから「決まり」が「在る」其れを
無視は出来ない、人類の経験則や知恵の積み重ね其れも歴史で「在る」。

随処為主で「在る」あなたは認めるよ。


264 :慈風:2006/12/13(水) 10:48:14 ID:VFgaUmM6
そうですか。


265 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 10:58:46 ID:i6utfjcA

過去の苦しみや、過ちにから自己を解放するのは良いが、
全ての過去を否定し、脳内削除を試みても、其れは、逆に自己の過去への
強い執着となる、甘受し整理できる器を構築することだ。

過去、現在、未来すべて「在る」のだから。

過去の過ちは二度と起こさない其れのみで良いではないか。

誰もあなたの過去など興味は無い、其れも年月を経れば、自己形成の一環と
なるのだろうと思い、もっと楽になる事を考えた方が良い。
熱願冷諦でいって貰いたい。


266 :慈風:2006/12/13(水) 12:26:20 ID:VFgaUmM6
それはあなたの論理だ。

過去、未来があるならば、みせてもらいたい。

267 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 13:27:34 ID:i6utfjcA
>過去、未来があるならば、みせてもらいたい。

人夫々の論理があっても良いと仰ったのは、あなたでしょう。
「みせてもらいたい」など、あなたは何時から唯物論者になったのですか?

だったら、あなたが何時も謂う所の、「在る」を見せてください。

過去は歴史的事実として「在る」し、未来も、この全宇宙が、崩壊しない
限り確実に「在る」、そうこの書き込みをしている間にも、1秒1秒
未来へと、時は流れている。

情緒不安定になっていませんでしょうか。
気持ちを落ち着かせ、もっとリラックスしてね。


268 :慈風:2006/12/13(水) 13:38:16 ID:VFgaUmM6
あなたが在るです。それ以外ではない。

あなたのいう過去とは、「今という瞬間の連続性」の中の「過ぎ去った記憶」という脳の働きのこと。

あなたのいう未来とは、「思考という脳の働きのうちの、「未知へ対する準備、不安、心配、期待、希望」といった、根拠のない妄想にすぎない。

もし、未来があるならば、説明してみよ。


269 :慈風:2006/12/13(水) 13:45:20 ID:VFgaUmM6
いくら言葉を尽くして説明したところで、おそらくあなたは納得などしない。

なぜかわかりますか?

あなたが求めているものと、私が違うからです。
言葉の前に否定があり、拒否がある。
だから、受け入れられたり、理解できたりはしないのです。
それが、概念であり、価値観という、「個人が受け入れたエゴ」なのですよ。

それすら認めないでしょうが。
それはそれ。あなたの選択に関与などできないし、ご自分の価値観を信じるしかないのですから、それはかまわない。
ただね、誰かを判断しつづけるかぎり、真理とは程遠いということを覚えておいてください。
いつか、わかるひもくるかもしれません。

270 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 14:18:39 ID:i6utfjcA

あなたの謂う所の神には、過去、現在、未来があるのですか、
ないでしょう、神に時間という概念はない、だったら「在る」にも
時間と謂う概念は当て嵌まらない。

全て包含して「在る」のです、だから未来も「在る」、過去も「在る」
これは、人から見た「在る」ですよ。
神と人は分けましょう。
神はトイレには行かない。




271 :慈風:2006/12/13(水) 14:39:32 ID:VFgaUmM6
言葉の解釈などどうでもいいが。
過去未来はない。今という瞬間があるだけ。

言葉がないから使っているだけ。

272 :慈風:2006/12/13(水) 14:43:42 ID:VFgaUmM6
本来、時間などはない。
「瞬間の連続性」を概念としてとらえたものが、時間と呼ばれているものだ。

概念、相対、価値観等、そのすべてが存在しない。
それは束縛という。


273 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 17:30:40 ID:i6utfjcA
私もあなたの仰る、今「在る」というのは解っています。
十分伝わっていますよ。真っ向から反対している訳ではありません。
違った観方もある事を言ったまでです。

大丈夫束縛をしようとは思っていません。
出来るなら楽しく語り合いたいですね。

慈愛、慈悲の慈しむ心は素晴らしい、慈風もいい名前ですね。


274 :名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 19:11:32 ID:37w7fqA9
>>247ですが
>あなた達の対応が251以降の慈風さんへ影響を及ぼしたとしたら、
>いったいどのような影響を及ぼしたでしょうか。
影響を及ぼそうとは思ってません
私がなりたい在り方は「愛」ですので全てOKとしています
ただ独自性だけがあり、そこに善悪は無いとしてます
そして人が行ったことは全てその人にとって最善で完璧なんですよ
人から受けたことも同じです
私という存在や貴方方は全てと物理的に繋がっているので
「損失」「害」「消滅」なども無いんですよ
物理的にとは言ったものの、まだ科学では確認は取れないですけどw
でも脳の重要な所が解明され始めてきて、思考は脳内で発電されるのではなくて
受信したエネルギーが増幅されて発生している可能性がある、という所まで
きてますし
そのエネルギーはどこからといわれれば、各々のスピリチュアルボディや
神の一なる思考からということになります
ですから「神との対話」は誰でも出来るし、知らずに行われているんですよ
ニールさんはそれを言語形式で筆記というやり方でやっただけ
我々も歌とか映画とか色々な出来事で結構語りかけられているんですよ


275 :163:2006/12/13(水) 21:52:24 ID:zS3RNFaH
宇宙的なことばを語るときは平和的に語るのが法則にかなうかもしれない。
時にはきっぱり言うことも必要な場合もあるが。
でないと、もともと制限されたことばの色合いが低い効果だけにだけしか
発揮できないかもしれない。
たとえば、「時間の連続性については幻想」とか。
慈風の言っていることも精神世界の基準で言えばかなっているし、
間違っていない。
ただ、挑発されるとたとえば「私の昔はそうだった」とかいう言葉が
発せられる。もともと、霊的成長は早い、遅いによって優劣がつく
というようなものではないと思うし、我を失って連続的な用い方をしている。
至高の体験こそそれが時間を超越したものであればみんなを包み込む
ような立体的時間になるのでは。
これを平和的に語れば、すべては今の瞬間であり、今がすべてを
包括しつつも一連の流れはあるのです、とか、一見矛盾するのも
また宇宙なのかもしれない。
いきつくところは同じ、とか意識の旅をしているとか時間の連続によって
表現されるが聖なる幻想宇宙に関連する、無の時間の中にも一連の経緯が
あると思う。
慈風さんの書いている内容自体は割と問題ないのですが、一連の批判合戦の
なかで作為的エゴかもしれないが真の慈風さんが発してないという感じです。
その中で矛盾が生じてしまうのかもしれない。
>>273 >出来るなら楽しく語り合いたいですね
こういうことによって慈風さんの作為的エゴで応対しない真の
部分を見ることもできるでしょう。楽しみではあります。


276 :慈風:2006/12/14(木) 01:06:37 ID:2191bZqb
わかりました。そうしましょう。

277 :慈風:2006/12/14(木) 01:18:32 ID:2191bZqb
在るを意識しながら、瞑想したり、今日のように「内なる父よ、我を導きたまえ」などと念じていると、必ず体験できる波動があります。
心臓の鼓動とは違う波。
そして、体が包まれるように暖かくなります。

かつて、初めて神の言葉をきき、同時に体験した現象が、常に私の中にある。

個人的には同じだと思うのですが、言葉に表せないほどの至福感を体験しています。


278 :慈風:2006/12/14(木) 01:21:52 ID:2191bZqb
少し実験してみたのですが、暖かさは他人には伝わります。
しかし、波動は伝わりません。
伝わるかなと思ったのですが、無理なようです。

279 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 01:22:38 ID:v3meAuGn
>>269
>ただね、誰かを判断しつづけるかぎり、真理とは程遠いということを覚えておいてください。
>いつか、わかるひもくるかもしれません。

この人まだこんなこと言ってるの。それはあなたの一価値観に過ぎないんでは?

真理とは程遠いとまで他人を評価し断定することは無意味です。
あなた自身がよくおっしゃってることでしょう。あなたが得たと言う真理に
他人が到達することはありません。その根拠はあなたが言うとおり

>あなたが求めているものと、私が違うからです。
ただ、これに補足するなら、それらが「同じ」になることはありません。

このことがわかる日はあなたに来るんでしょうかね。




280 :慈風:2006/12/14(木) 01:31:01 ID:2191bZqb
スレの流れをみてください。

281 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 01:38:32 ID:v3meAuGn
見てますよ。在るのは人の数だけの価値観であって
真理ではないのです。真理だと思ってしまうから他人を
見下すような発言をしてしまうのですよ。おわかりですか。

282 :慈風:2006/12/14(木) 01:41:44 ID:2191bZqb
そうですか。
言いたいことはそれだけですか?
私は議論は二度としません。
先程、有効的に話をすると決めたばかり。
あらゆる挑発、あらゆる判断を拒否します。


283 :慈風:2006/12/14(木) 01:43:38 ID:2191bZqb
友好的でしたね。


284 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 01:48:41 ID:v3meAuGn
言いたいことは言いたい時に言いたいだけ言いますよ。

自分のエゴを言葉で飾り隠すのもいいですが、あまり熱くなら
ないようにお願いしますね。ちなみにこちらは友好的に接して
ますよ。

285 :慈風:2006/12/14(木) 01:53:14 ID:2191bZqb
そうですか。これがあなたの友好と。
覚えておきますよ。

私とは違うということは。

286 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 01:56:35 ID:v3meAuGn
もちろん違いますよ。>>279に書いてあるとおりです。
同じにはなりえません。

あなたは同じになりたいのですか?違うことを強調するということは。




287 :慈風:2006/12/14(木) 01:59:15 ID:2191bZqb
言ったはずですが、お忘れでしょうか?
私は議論はいたしません。

288 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 02:01:34 ID:v3meAuGn
議論ではありませんよ。ただの質問です。

どうかそんなに斜に構えないようにお願いします。

289 :慈風:2006/12/14(木) 02:16:12 ID:2191bZqb
私は在るだけです。
他はしりません。

290 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 02:18:29 ID:v3meAuGn
他は知らないのに、「私とは違う」ということを表明する
意味はあるとお考えなのですね?

291 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 02:20:16 ID:1RxRdrVk

273ですが、私も議論というより、人の語りから、色々
学びたいですね。友好的にです。
皆さんの体験を、詳細にお伺いしたいです。



292 :慈風:2006/12/14(木) 02:20:31 ID:2191bZqb
私とは違う考え方の人が存在していることを観ているだけです。

293 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 02:22:42 ID:v3meAuGn
観ているだけなら言葉は不要だと思いますが、いかがでしょう。

294 :慈風:2006/12/14(木) 02:25:36 ID:2191bZqb
>>273 さん、あなたに感謝します。
おかげで目が覚めました。
私がしたいことは、自己を見つめること。
在るを常に体験できるようにしていくこと。

議論ではなく、争いではない。そういう話がしたい。そう思いました。

295 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 02:30:38 ID:v3meAuGn
馴れ合いたいということでしょうか?
言葉に縛られたいのですね。

296 :慈風:2006/12/14(木) 02:31:36 ID:2191bZqb
学びや気付きのために、様々な方法を駆使することが、私には必要だと考えます。
対話すること、体験を聞くことはその中の方法でしょう。
必要ないと考えれば、沈黙するし、観たいと思えばそうします。
それは私の意志です。

297 :慈風:2006/12/14(木) 02:33:05 ID:2191bZqb
273さん、何か体験されてますか?

298 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 02:38:36 ID:v3meAuGn
言うまでもなくあなたの意思ですよ。ただ自分が発する
言葉選びには注意が必要ですね。学びや気づきのために
様々な方法を駆使することは結構ですが、誤解を扇動する
ようなことばかりおっしゃるのはいただけません。
言葉には責任を持たなければいけません。

299 :慈風:2006/12/14(木) 02:40:02 ID:2191bZqb
そうですか。

300 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 02:40:49 ID:v3meAuGn
そうです。

301 :慈風:2006/12/14(木) 02:44:42 ID:2191bZqb
私が語るところの神は「一切の判断はしない」という存在です。



302 :慈風:2006/12/14(木) 02:46:55 ID:2191bZqb
あなたも体験を話されたらいかがですか?



303 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 02:49:41 ID:v3meAuGn
すいませんが、あなたから体験を聞いたことはないのですが。
いつも「判断しない」と「在る」話ばかりで。それは体験なのでしょうか。

304 :慈風:2006/12/14(木) 02:53:24 ID:2191bZqb
前レスを御覧ください。

あれ??みてるのではなかったですか???



305 :慈風:2006/12/14(木) 02:55:18 ID:2191bZqb
興味がないなら観なくてもいいですよ。

また質問でしょうし。

落ちますね。

306 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 03:09:32 ID:v3meAuGn
見ましたが「気づき」を強調しているだけですね。
評価や判断に対する嫌悪感はひしひしと感じました。

307 :慈風:2006/12/14(木) 07:53:48 ID:2191bZqb
やはり、あなたとは違うようですね。
あなたは判断の材料を探しているだけに見える。
事実、そうしていますしね。
判断がそれがどれだけの争いを生み、どれだけの怒りを生みんできたことか。

これ以降、あなたへのレスは一切控えることにします。

308 :慈風:2006/12/14(木) 08:01:05 ID:2191bZqb
掲示板にきて、かなりの時間がたちます。
しかし、あまり他の体験を聞いた記憶がない。

恐れでしょうか?
たたかれることが、否定されることがいやだと思うならば、発言せず、ロム専になるか、観なければ心は乱れないし、余計な火の粉も降ってこない。

しかし、逆に自らの修練の場と捉えるならば、積極的に参加しつつ、乱れない、乱さないことが可能になるのではないかと思います。


309 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 08:08:45 ID:Q4rkZ0aW
>>252

「至高体験」は人間性心理学のマズローの定義です。

「平均人の個人としての一時的な「自己実現」とでも言うべき体験で、個人として経験し得る「最高」、「絶頂」の瞬間の体験」のことです。

「一人の人間の「人生の最高の瞬間」であると同時に「その魂のもっとも深い部分を震撼させ、その人間を一変させるような大きな影響力を秘めた体験」のことです。

ごく少数の「自己実現を果たした人々」が達成した「永続的な『至高体験』」である「覚醒体験」とは異なります。
「覚醒体験」においてつかんだ「宝」は「なにものにも揺らぐことがなく」、「増えも減りもしない」、「永続的なものである」というのが特徴とされています。

日本では石井 登さんが『「覚醒・至高体験」事例集』を作成し、研究をされています。


310 :慈風:2006/12/14(木) 08:16:14 ID:2191bZqb
そうすると、私の体験は至高ではなく、覚醒であったのか。

なるほど。納得です。

311 :慈風:2006/12/14(木) 09:15:11 ID:2191bZqb
しかし、継続しているのですがね。
今もある場合はどうなるのでしょう?

312 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 09:27:53 ID:v3meAuGn
やはりこの方は言葉の理解が足りないように思われます。

313 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 09:46:58 ID:v3meAuGn
>あなたは判断の材料を探しているだけに見える。
>事実、そうしていますしね。
もちろんそうです。

>判断がそれがどれだけの争いを生み、どれだけの怒りを生みんできたことか。
判断が争いや怒りを生んできたというのはあなたの見方ですね。
それが正しいということではありません。

314 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 09:50:04 ID:FCjDUZdA
慈風さんへ

312さんは真実の一端を突いているよ。
人は「こうありたい」と思った瞬間から完璧に「そうあれる」
ものではない。
そこには、相応の努力が必要なんだよ。

276の自分、282の自分、そして308の自分を経て310の自分。
どんどんもとに戻ってきているのがわかる?

315 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 10:00:12 ID:FCjDUZdA
人には、正しい道を歩く者を引き止めようとする面がある。
だからその道を行く者は、様々な妨害を受けることがあるんだ。

更に、人は正しい道を歩き始めると、過去の自分がした間違った行いの
悪果をまとめて受けることがある。
その道を歩くことは、困難を伴う本当に難しいことなんだ。
しかし、ただ単に

 自分が間違っているのをだれかが一生懸命
 教えてくれているだけ

なんて状況もある。いや正直言うと、そっちの方が遙かに多いんだ。
だからこそ尚のこと難しいんだけどね。

慈風さんにはそれを見極めてもらいたい。

316 :慈風:2006/12/14(木) 10:06:17 ID:2191bZqb
そうですか。
間違いとはなんでしょうか?
誰かにとっての間違いが、すべての人や私にとっての間違いでしょうか?

それに、間違いは単に修正すればいい話。
それにね、人は他人の行為はよく見えるもの。
自分のことを棚に上げて、指摘するつもりはありません。

317 :慈風:2006/12/14(木) 10:08:50 ID:2191bZqb
自分の選択は自分の選択。それに殉ずる覚悟くらい、とうにあります。

人のことを語ることは、これからしません。
ただ在るだけです。

318 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 10:12:54 ID:1RxRdrVk

先ず謝罪し、反省、そして感謝、これが大切、見極めても謝罪、反省、感謝が
なければ、ひとり善がりになる。

自分一人で生きている訳ないのだから、我儘になってはいけない。
他人(ひと)あっての、自分であって、自分あっての他人ではない。

慈風さんだけじゃなく、私も315さんも含めて、そう思う。


319 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 10:15:00 ID:v3meAuGn
慈風さんの対応はいつもマニュアルのように型通りですね。
そこまで頑なに一つの価値観に固執する原動力はいったいどこから来るのでしょうか。

争いや怒りを生むのは判断そのものではなく判断の中身、すなわちそれは「誤解」
です。判断をしないと思い込んでる方や、言葉では表現しきれないと最初から
投げやりな方、相手の発する言葉を理解することを軽く見る方には
とうてい理解できない現実だと思いますが。理解などない判断もないとまで
おっしゃるのですから無理もありません。あなたがお互い通じていると思っていら
れるのは表面上あなたの意見に肯定的な方と対話している時だけです。
事実、慈風さんは私と馴れ合ったこともあります。私の言葉にあなたが同意し
あなたの言葉に私が同意し。言葉のさじ加減ひとつなのです。

自分は判断や評価を他人に投げないから自分もそれをされたくないということを
必死に(言葉に出さず)訴えているように見えます。

320 :慈風:2006/12/14(木) 10:21:04 ID:2191bZqb
在る以外はありません。

321 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 10:27:01 ID:v3meAuGn
それが意味はどうあれあなたの理想ですよね。
2ちゃんねるで理想と現実の隙間を埋めようとしているのですね。

322 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 10:51:50 ID:FCjDUZdA
>>316
間違いは、自分で気付くもの。
だからすぐに気づける人もいれば、
その思いから必死になって逃げ回る人もいる。

間違いに気づくも逃げ回るも
慈風さん次第というワケ。

323 :慈風:2006/12/14(木) 11:20:45 ID:2191bZqb
間違いなどない。

324 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 11:27:51 ID:v3meAuGn
>>323
おや、間違いなどないのですか?

>>316
間違いは単に修正すればいいとおっしゃってますが。
ないものをどう修正するのでしょう。どうしてこうちぐはぐな
世迷言が止まらないのでしょうか。それも判断しないという
ポリシーから出た自分自身への再確認ということでしょうか。

煽り上手な方ですね。

325 :慈風:2006/12/14(木) 11:31:53 ID:2191bZqb
前にいった間違いとは、過ちのこと。
それすら体験をうみ、学びを得る機会となる。

みずからの過ちは、それ自体を認め、反省すればよいこと。
すべてが機会。

326 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 11:36:37 ID:v3meAuGn
なら>>322さんのおっしゃる「間違い」も「過ち」という
意味です。あえて同じ言葉を重ねて誤解を煽っている
自覚は持っておられますか?


322 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2006/12/14(木) 10:51:50 ID:FCjDUZdA
>>316
過ちは、自分で気付くもの。
だからすぐに気づける人もいれば、
その思いから必死になって逃げ回る人もいる。

過ちに気づくも逃げ回るも
慈風さん次第というワケ。

327 :慈風:2006/12/14(木) 11:45:02 ID:2191bZqb
で?あなたは何をしたいのですか?
自らの正義や価値観を押しつけたいのですか?


328 :慈風:2006/12/14(木) 12:00:04 ID:2191bZqb
自覚とは、自ら気付くもの。そのために、時に痛みを伴い、苦痛を伴い、深い悲しみを味わったとしても、私はそれらを享受したいと思う。
それ以外の方法を私は知らないし、今も、これからもそうしていく。

それによって、神から見捨てられることなどないことを私は知っている。

329 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 13:35:11 ID:v3meAuGn
>>327
いいえ、私にはあなたが自らのいいかげんな言葉
を他人に誤解させて遊んでいるように見えるものですから。

>>316>>322>>323の流れをよくご覧になって
お考えください。あなたは自ら肯定したものを自ら否定していますよ。

330 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 13:47:52 ID:v3meAuGn
自己矛盾に対する最大の武器は考えない・議論しないという
「逃げ」だと思います。慈風さんは>>323のようにどうしてすぐ
反論するのですか?どうして余裕を誇示しようとするのですか?

331 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 14:08:42 ID:1RxRdrVk

皆さん、考えてください、そして教えて下さい。

行法や瞑想で、神に遭遇する前に、『神に好まれる人格・性格』に

ついて、話し合って頂けませんか。

神の立場になって考えてみては如何でしょう。

332 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 14:15:35 ID:1RxRdrVk

他人を誹謗、中傷、揶揄、嘲弄、玩弄する人に神は、本当に
語りかけるでしょうか。

人を慈しむ心、謙虚さ、優しさ、我慢強さ等を備えた人にのみ
許される、それが本当の至高・覚醒ではないでしょうか。


333 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 18:01:12 ID:FCjDUZdA
>>325
>みずからの過ちは、それ自体を認め、反省すればよいこと。

努力が抜けてるよ、その状態になるまでの継続的努力が。
人は「こうありたい」と思った直後から完璧に「そうなる」
わけではないんだ。

334 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 18:02:57 ID:FCjDUZdA
>>331〜332
賛成。

「神に似た自分の獲得」が私の持論だし。

335 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 18:12:23 ID:FCjDUZdA
>>328
しつこくて御免。

>自覚とは、自ら気付くもの。そのために、時に痛みを伴い、
>苦痛を伴い、深い悲しみを味わったとしても

私の経験では、自覚のために味わう苦痛より
自覚後にそれを改善しようと努力し続ける苦痛の方が大きかったよ。
習慣化した心のクセを捨てさり、目標とする心を新たに造り直すことは、
半端な気持ちじゃできないからね。

まあ、そんなことをし続けていけば、心の再構築は比較的簡単に
なっていくんだけど。
慣れてくるというか。

336 :名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 19:23:56 ID:EX5GqmPL
>>331
>行法や瞑想で、神に遭遇する前に、『神に好まれる人格・性格』に
>ついて、話し合って頂けませんか。
ひょっとして釣りなのかな?と思う位ベタでいい話題ですねw
まず神について説明します。神が分かれば答えが出ますので。
先ず動物は言うに及ばず肝臓や髪の毛などのパーツ、石や水や光と
いった物ものまで各々の在り方で意識を持っています。
で、意識は合体して一つの意識としても存在できます。
たとえばありとあらゆる物質の意識の集合、地球単体としての意識も存在します。
で最終的な全意識の集合が神という存在です。
ですから、「他人を誹謗、中傷、揶揄、嘲弄、玩弄」ということも
「右手が左手を攻撃している」程度に感じ、両方感情的に理解出来るので
「片方だけ」をとやかく言いません。
神はただ「愛」という、ただ暖かく見守る事しかしようが無いのです。

337 :163:2006/12/14(木) 23:01:35 ID:+PMedAK2
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~moritetu/
ラムサ 「真・聖なる予言」
に慈風の原点らしきものが。そしてこの
話題との接点があるような。
3.神はただ在るのみ             
神は、それ自体では善も悪もまったく持ち合わせていない。
ポジティブもネガティブもない。ただ在るだけなのだ。
神は在りて在るものすべてなのだから、正しいことだけなく間違ったことでもあり、
美しいものだけでなく醜悪なものでもある。聖なるものだけでなく卑俗なものでもある。
11.ただひとつの真実            
ただ一つの真実は、そんなものは無いということだ。
ただひとつの真実が無いということは、すべてが真実であるということである。
9.姿ある神                   
皆は様々な理由のためにこの次元にいる、しかし最大の理由は、自己を理解するためである。
神はただ在る、始まりは無い、つねにただ在ったのだ。思考、宇宙、空(くう)、テルスターを維持し、それに生命をあたえる。
13.人生の目的とは             
この地上界にやってくるときには、まだ誰も目的はもっていない。ひとつの例外は、幸せになること、よろこびあふれることである
15.生まれ変わり               
あなたがここに戻ってきたのは神を体験し、自己について理解し、「在りて在るもの」の本質を生きるためだ
16.知るということ                
覚醒するただひとつの道とは、想念が自分の思考過程に入るのを許し、それを感情の中に抱いて、その体験を通してそれを智慧に昇華させることだ。
知識はあなたの一番の宝だ。知識はすでに知っている以上のことを推論し、思索するのを可能にしてくれる。知識はあなたがさらに成長し続け、最高のものになることをあなたに強く求めるものである。なぜなら、知るということは、あなたがなっていくことであるからだ。
集合知覚;全ての星座から塵の一粒まで、すべて存在しているものは、独自の思考を発しているだけでなく、まわりにあるものをすべて意識する「気づき」を発している。そしてその気づきを神の精神へと送っている。


338 :163:2006/12/14(木) 23:30:35 ID:+PMedAK2
1 わが名はラムサ              
私は風になることを望んでいたが、そんなあるとき風に思いを馳せていると
自分が自分の身体から遠く離れていた。その「自由」を再び手にすること以外、
私は何も望むことはなかった。そして2年後に自分の身体を離れる術をマスターした。
解できるものからわたしは全てを学んだ。人間はまさにその本質の部分であり神なのだ。
4.神を見よ                   
あなたの人となり、あなたが体験したこと、すべてはあなた自身にその責任がある。
あなたは自分の人生のあらゆる瞬間、すべての状況を創造してきた。
どんな人間であるかは自分で選んできた。この世界に事故や偶然はない。
ほかの人間の意志や策略の犠牲者などという人間もいない。
あなたに起きてることはすべて、あなたが考え、感じることによっておきている。
18.心を開くということ            
、「わが存在の主=神から、いま私はこの瞬間に知るべきことすべてを知っている
、そうなるように」そして、答えを待つのである。その時点では、
まだそれが実感されないかもしれないが、体験を通してそれが実感されそこから叡智が得られる。

もし、「私はもう知っている、私は絶対だ、私は完全だ、私は神なのだ、
私は在る」このほかに何も言葉がなかったら、あなたはもはやこの地上界に
限定された存在ではなくなる。
誰かを責めるとき、それはその人の内に見える「自分のある側面」を責めているにすぎない。
あいてのその面があなたに見えるのは、あなたの意識がそういう側面に向いているからである。
その誰かは、あなた自身の内なる価値判断を映す鏡として機能したにすぎず、
自分の価値判断を見直すための道具としてそこにあるのだ。


339 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 00:09:58 ID:6NdO42Bk
>>332
素晴らしい方ですね!賛同します。

いつまでも、模索しちゃうのは、解かるけど、
誰もが、過渡期、道なかばの道中で、今、こうある訳だ。
俺自身も、模索しながら生きてる。

せめて、自分の生き方に、重力をかけてくれる人間が現れた時は、
それが解かる様にしておかないとね!

(意味不のチラ裏すまそ・・・。)


340 :慈風:2006/12/15(金) 01:21:13 ID:6eaS3g4G
私の原点?原点は「自己に対しての語りかけ」でした。
そのあと、在るを知り、マハラジの本と、ラムサに出会いました。
はじめは全く意味不明でした。
本をそばに置いているだけ。読んでもわからないので、放っておきました。

ところが、自己探求が進むにつれ、ある日突然、本の内容が理解できるようになり、私に語りかけてきた存在は、「自己の本質」であることに気付きました。
そのとき、私の迷いはなくなったのです。



341 :慈風:2006/12/15(金) 01:30:02 ID:6eaS3g4G
他の人からみて、私が頑なに見えたりするのは、自分自身の体験を信じていて、揺るがないからでしょう。
ある人には、執着と言われ、それこそあなたの概念と言われ続けてなお、私は私自身の本質を信じています。
いい悪いではない。そうするしかないのです。別の選択肢は、私にとってはありませんでした。

「もう自分を責めるのはやめなさい。十分だ。私は今も、これからもおまえを見捨てはしない」
これが、私の原点です。


342 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 07:46:29 ID:wSfOR9HA
>>267
>過去は歴史的事実として「在る」し、未来も、この全宇宙が、崩壊しない
限り確実に「在る」、そうこの書き込みをしている間にも、1秒1秒
未来へと、時は流れている。

あなたが述べられているのは、「地上的視点」であって、ニューエイジなどでの「霊的視点」ではありません。

「霊的視点」となると、「全てが今」であって、「過去」、「未来」というものはありません。

「ある存在がそのある時点に焦点」を合わせるという原因があって、「その時点での現実」という結果が出現するというような世界です。

「過去」に焦点を向ければ、「過去」を体験し、「過去」を生き、「未来」に焦点を向ければ、「未来」を体験し、「未来」に生きる。

「ある存在」が「流れとして捉えるようなもの」に意識を投影している間は、「時間の流れとして『過去』、『現在』、『未来』」を捉えるのであって、「別の時間軸」に焦点を合わせれば、別の時間に生きることになります。

アカシャーの記録、神の意識の中に、「過去」、「現在」、「未来」と呼ばれるものの全てが包含されているようなものです。

この世に焦点を合わせている限りは、その全てに焦点を合わせることはできないのです。

「この世に焦点を合わせた結果である自分」が「本当の自分」、「全ての自分」に合一しない限りは。





343 :慈風:2006/12/15(金) 08:44:21 ID:6eaS3g4G
すばらしい解説ですね。
言葉を知っているということは。

お見事です。

344 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 08:59:02 ID:XJv9lTKI
>>310

残念ながら、あなたのは「至高体験」でしょうね。

「至高体験」はあなたにとって「人生における最高の瞬間」と思われる体験を経験することですから。

他人がどう感じようと、どう言おうと関係ありませんから。

しかし、「覚醒体験」は、全人類に対して影響を及ぼします。

暗闇の中に一つの光明が輝き出したようなものです。

ゴータマ=ブッダも「覚醒体験」をしましたが、その体験をこの世で体現するまでには時間を要しました。

そして、「虚偽と害とをもたらす愛欲なし」、「真理をくらます無明なし」、「我、我見に執することなし」、「悪に善にて報いる」、「無害心と慈悲心あり」、「柔和」、「不動の心」
などの「覚醒体験」を得た者の持つ特徴について語っています。

「正信」、「正見」、「正思」、「正語」、「正業」、「正命」、「正精進」、「正念」、「正定」、「正智」、「正解脱」

あなたが「覚醒体験」を得ているならば、こうしたものの多くを体現しているでしょう。

「貪」、「瞋」、「痴」、「慢」、「疑」、「邪・悪見」の煩悩をどこまで乗り除かれたでしょうか?

キリスト教においても「自惚れ」、「貪欲」、「色欲」、「怒り」、「大食」、「妬み」、「怠惰」

特に「自惚れ」、「慢」が要注意で、大天使が堕落した原因ともされていますね。




345 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 09:18:24 ID:e5r9Q47u
>>332
>人を慈しむ心、謙虚さ、優しさ、我慢強さ等を備えた人にのみ
許される、それが本当の至高・覚醒ではないでしょうか。

「覚醒体験」についてはそうですが、「至高体験」については逆のことが多いです。

極限状態においての体験であり、もの凄い大罪を犯した人であっても「至高体験」を経験することがあります。

「至高体験」の結果、それまでの考え方、概念、生き方がくるりと引っ繰り返ることがあるのです。

「至高体験」は結果ではなく、始まりとなって、それまで得られなかった―と言うよりは、発現されていなかった―善性が身に付き、謙虚さや他を慈しむ心、忍耐が備えられます。

「至高体験」を活かすか無駄にするかは各人にかかっているのです。

「至高体験」を活かした者は「人生における真の奇蹟」を起こしたことになります。

「至高体験」はどのような条件下の人でも、誰でも起こり得る可能性があります。







346 :慈風:2006/12/15(金) 09:18:42 ID:6eaS3g4G
言葉の解釈のような気がしますね。

仏陀も、イエスも偉大でした。しかし、その真意が伝わっているかというと、疑問です。

その言葉を本当に「当人が言ったのか」
今となっては知る吉もないと思いますし、それを知ったとしても、在るだけですから、こだわる必要もないと思うのです。



347 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 09:19:28 ID:TxCnnqYN
>>336
全ての物が各々の在り方で意識を持っているのは、この物質宇宙は
「神にとっての肉体」だからです。しかしこれは決して、

 物質意識の集合体が神であるという根拠にはなりません。

宗教を物質的な富や権力を得るための手段にしてしまう人。
肉体的性欲こそ最高の愛であると勘違いしてしまう教祖。
死後、肉体の意識と生命力がどのような変遷をたどるかを見て、
それを「内なる神はこうやって次の肉体に入るんだ」と勘違いし、
その結果「カルマは無い」と主張するようになってしまう人。

この人達に共通するのは、物質意識と内なる神の意識の区別かつかない、です。
この世界には、そんな人達が書いた本が山ほどあります。
区別して読んでください。

348 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 09:23:26 ID:TxCnnqYN
>>346
何度でも言いましょう。

仏陀やイエスが説いた本当の言葉をちゃんと保管している人達はいます。
あなたがそれを知らないだけです。

349 :慈風:2006/12/15(金) 09:27:25 ID:6eaS3g4G
それをあなたは知っているわけだ。

それならばそれでいいし、私には関係ないことですね。

350 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 09:27:54 ID:TxCnnqYN
163さんへ

今はもう、霊的なことを本から学ぶ時代ではありません。
あまりに本へ注意を向けていると、本以外からの働きかけを
見逃してしまうおそれがあります。

351 :慈風:2006/12/15(金) 09:31:18 ID:6eaS3g4G
それにね、言葉を保管しても意味などないと思いますよ。
人の数だけ解釈がありますから。
だからこそ、宗教があふれているのでしょうし。

あなたにはあなたの価値感がある。私には私の価値観がある。
しかし、それら概念をこえた存在として在るのが、私にとって最も大切なことなのです。

352 :慈風:2006/12/15(金) 09:35:23 ID:6eaS3g4G
そりゃまたかわった論理ですね。
あなたはこうして言葉を使っている。
本から学ぼうが、体験して学ぼうが、どこに違いがあるのでしょう?

言葉を保管するのは、伝えるためでしょう?偉人賢人の言葉から学ぶのは、本も一つの方法であって、決め付けるべきではないと思いますが。

353 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 09:37:39 ID:TxCnnqYN
>>349
>>351
>>352
もし全く関係ないなら、あなたにこんなことはしません。
私があなたに話しかける理由の一つは、
あなたが人の成長を妨害する言葉を発しているからです。

あなたは今まで数えきれないほど言ってきました。
「判断するな」「人はそんなに偉くない」「そんなことはできない」などなどです。
しかしそれは、あなたがそれを知らないだけ。
人は、それを可能とする力を内にしっかり持っているんです。

それを無意識に感じ取り、試行錯誤しながらそれをつかもうと努力している人へ
「それは不可能だ」と言い続けたとしたら、どうなるでしょうか。

354 :慈風:2006/12/15(金) 09:44:05 ID:6eaS3g4G
私が悪で、あなたが善であると?
私は、「人の成長をコントロールできる」など微塵も思ってはいません。

私がしているのは「私」に帰るための作業であって、他の人の成長を妨害する意図などあろうはずがありません。

そのように受けとめるのは自由ですが、一応いっておきます。

決め付けを無意識にしていますよ。

355 :慈風:2006/12/15(金) 09:46:24 ID:6eaS3g4G
すでに感情が動いていますね。
これ以上話すことは、スレにも迷惑でしょうから、一旦落ちます。
あとはご自由に。

356 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 09:48:06 ID:TxCnnqYN
「判断するな」「人はそんなに偉くない」「そんなことはできない」等々を
あなたが言い続けてきたことは【紛れもない事実】です。

そこに、解釈や決めつけ云々の余地はありません。


357 :慈風:2006/12/15(金) 09:51:38 ID:6eaS3g4G
あなたも、同じですよ。

358 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 09:58:50 ID:TxCnnqYN
以下は別スレで12月8日にあなたへ宛てた書き込みです。

 あなたを判断や比較の材料にしたいということが私の動機であると思う
 あなたの心の未熟さに気付きなさい。私の憂いはこれです。

  人は理解しあえないと主張すればするほど、あなたは本当に
  「人と理解しあえる自分から遠ざかっている」からです。

 それが、内なる神への接近を強力に拒んでいる。
 と同時に、内なる神へと導き助けようとする存在をも拒んでいる。

 それが見える私に、あなたは今まで何を言ってきましたか?


私は当初から353の気持ちであなたに話しかけてきました。
ですから、357にある「なたも、同じですよ」が何を指すのか
明確に判断できません。

心底357のように思うなら、それを根拠とする私の投稿を抜粋してください。
お待ちしてます。

359 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 10:00:52 ID:8u6CndDe
>>333

「反省」は「過ちに気付き、努力し、修正、改善すること」
「努力」が含まれています。

単に過ちに気付くだけなら、それは「後悔」に過ぎず、「赦し」のための第一歩でしかありません。
「改悟」まで到ることは出来ません。


360 :慈風:2006/12/15(金) 10:01:16 ID:6eaS3g4G
私は誰かの僕ではない。



361 :無所属な旅人 ◆TripFe2LDA :2006/12/15(金) 10:06:26 ID:n6UsBA+Q
おじゃまします。
慈風さんがこの結果をだすまで観てました。
(予定行動です。それが帰結するのは未来への視点あわせが成立したものです。)

>>357
同じというまえにあるところで姿勢が違うよ。
(フィルタリングして特定方向への指向性を推し量った場合。)

という話をしても同じだけどね。
(慈風さん視点にあわせると。あくまで限定的世界。)

ラムサ本当に読んだの?
(読みきれてるとは思えないというのはその中の概念の働きを無視しているから。
 ちなみに私が読んだのは、163さん紹介部分のみの概念。)

362 :◆DmBzJffhoY :2006/12/15(金) 10:06:44 ID:IlZ+MeEC
こんにちわ シルバーバーチの霊媒よ バーチ先生は、こんな怪獣 アニメ?
みたいなスレ好みでは、 有り得ないよ!
せめて シルバーバーチを 3冊以上読んでご覧  罰が当たるから!!?
そして 負わせられる・*カルマですよ! 因果応報とは それその者でしょう
人生は、いわゆる悲しくも有り 辛いことの方が多う御座います。
どうか勇気を持って立ち向かいくださいませ!*    しかし罰!ショ?

363 :慈風:2006/12/15(金) 10:07:10 ID:6eaS3g4G
指摘されなければ、ご自分がみえないわけですか?

甘えるのも大概にしたらいかがですか?

私に対して言った言葉のなかに、あなたの価値観があり、押しつけがあり、判断がある。

私が理解しあえないといったのは、個別が存在するかぎりはという前提があるのです。
すべてを言葉にしなければ、伝わらないならば、霊的なことを語る前にご自分を見つめなおすことですね。
言葉が理解を生むのではない。それをこえた存在が理解を促すのだと確信しています。

364 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 10:07:42 ID:TxCnnqYN
>>360
あなたはまだ
内なる神そのものに至ってはいない
今のあなたは
未熟なる心の奴隷にすぎない

365 :◆DmBzJffhoY :2006/12/15(金) 10:08:21 ID:IlZ+MeEC

頂き物だけど あげる!
      、        i!
      i,`ヽ、     i |
      i   丶、  ,i :|
       i;::_,、-、`1_ | .:|
      -'‐'"1i !、'i゛ヽ:;、__
       ヽ:::|| | /' _,、‐'" '`‐、
        ヽ|i!r'/       \
         W'" ̄''‐-、_.     \
                `''‐-―一
                   ガキにあげるよ  さくらちゃんエ。




366 :慈風:2006/12/15(金) 10:09:22 ID:6eaS3g4G
はいはい

367 :慈風:2006/12/15(金) 10:10:26 ID:6eaS3g4G
旅人さんがきたようなので、撤収します。

368 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 10:12:36 ID:TxCnnqYN
>>362
ああFさん、そんなに反面教師しなくていいよ。
このままだと、違う道に行っちゃうかもよ??

369 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 10:13:43 ID:m6aiV9Wi
>>346

「真理」は一つしかありません。

ゴータマが悟った「真理」は過去も現在も変わらぬ「真理」であり、未来にも「真理」であるということです。

イエスが一体化した「真理」も、過去も現在も変わらぬ「真理」であり、未来にも「真理」であるということです。

そして、時代を超え、様々な「覚醒体験」を果たした人には共通の特徴があります。

現在において「覚醒体験」を果たした人も同じ特徴の幾つかを体現している筈だということです。

「柔和で、自分のために怒ることなく、慈悲心を持ち、慈善を行い、真理を語る、他の人を差別することなく、その人の神性の発現の仕方の違いのみを見る」

370 :無所属な旅人 ◆TripFe2LDA :2006/12/15(金) 10:14:42 ID:n6UsBA+Q
>>363
誰宛?

価値観そのまえに、ピントあわせ。

押し付けしかり。人の発言のうちピントあわせを無視したら全てが押し付け。

判断しかり。判断をしないとなったら、実体の世の上でピントあわせは出来なくなる。

ピントあわせは前提あわせ。

前提は判断の上に表現できるようになる。

超表現の話はまた別の話。

>>367
抑止力になるなら何処でも顔出してみるよw

ばいばい〜ノシ

371 :◆DmBzJffhoY :2006/12/15(金) 10:31:28 ID:IlZ+MeEC
368へ シルバーバーチが 貴方のこと知らないって!
     私が シルバーバーチ そのものですよ 貴方は 何か 誤解を
     しているようですね、我が名を 名乗るならそれ相応の御覚悟を
     貴方は、まだまだ我々を理解するに及んでいらっしゃらないようですよ。
     私に言わせないで下さい 貴方が、悲しいので 我が霊媒よりも
     それその者 そして霊 それが私なのですから  バーチ霊なり
                       代打Fでお送りしました
     しかし日本には、私しかいないんだよね霊媒 泣かされっぱなし
     もし 貴方が2ちゃんねるのボランティア要員 in 霊界になれば
     私のお仕事の半分を お渡しします。 名誉でしょ! 霊媒F

         1様 そして 住人? 自作自演さまへ  そういうことね!??

372 :◆DmBzJffhoY :2006/12/15(金) 10:33:29 ID:IlZ+MeEC
携帯2つ パソコン1つ  何度 聞こえたか?

373 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 10:43:33 ID:TGWugq3U
>>326

これはニューエイジだとよく出てくるような話です。
ニューソートでも同じようですが。

「間違いなどない」
「本来、神は絶対なのでこの世に「間違い」というものは存在しない。
「間違い」のように見える幻想が創造されているのに過ぎないのだ。
絶対の実相の中では「間違い」と見えたものも、瞬時に消え失せるものに過ぎない。
だから、「間違い」というものは本来、実相世界では存在しないのだ。
それは、「劇」の一場面を演じているようなものに過ぎないのだから」

これが一つ目の「間違いなどない」の意味です。

もう一つは、
「全ては意味があって、あるべきことがそうなるように起こっている。
その時に、その状態において「間違い」と思われるものであっても、そこから得るべきものがあり、学ぶべきものがある。
だから、結果として、「間違い」と思われるものであっても、自分の向上や他の人の向上に役立っている。
訂正できず、永遠に残り続けるような「間違い」というものは存在しない。
「間違い」と見えるものは目的達成のための機会を提供するもの、体験と学びを得て、「神との一体化」という結果をもたらすものなのだから。
一つの過程に過ぎず、本当の意味での「間違い」など存在しない」
というものです。

これらは、自分の償い、自分の向上、確立の努力を終えた人が、「他への赦し」、「全てとの一体化」を目指しての段階での話です。

自分の悪カルマの刈り取り、修正、自分の確立も目指す人にとってはかえって「間違い」を多く増やす危険性があります。

「本来、間違いはない」と知ることで、「間違いを増やす」という本末転倒が生じます。

「自分にとって「間違い」と思えたことでも、実は意味があったのだ」と知ること。
それぐらいで止めておいたほうが無難です。

374 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 10:43:46 ID:TxCnnqYN
>>371
遅かった、完全に行っちゃってるよ。
シルバーバーチが霊媒しか見れないわけないじゃん。

あっ、シルバーバーチをねじ曲げた人達にはもう関わらないんだった・・・
ごめん、今度は無視るから(汗)。

375 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 10:46:47 ID:TxCnnqYN
>>373
え〜っと簡単に言うと、「間違いなどない」に喜び勇んで飛びつく人は、

  自分の間違いをどうしても認められない人

っつうことでしょうか?

376 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 10:55:56 ID:TxCnnqYN
時間切れだ。
月曜まで来れないかな。

377 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 18:22:19 ID:dlN0LIjy
>>347
336です。レスありがとうございます。
>全ての物が各々の在り方で意識を持っているのは、この物質宇宙は
>「神にとっての肉体」だからです。しかしこれは決して、
> 物質意識の集合体が神であるという根拠にはなりません。
私が説明した物質意識は石とか机とか水とか光が持っている意識です。
物欲ではありません。
そして石等は神の表現です。体といってもいいのですが、
神は我々の意識と物質の意識に優劣はつけていません。

>物質意識と内なる神の意識の区別かつかない
神は全てを内包しています。
「内なる」などと区別できる事自体矛盾でしょう。
内でも外でも幾らでも私たちは神とコンタクトを取れます。
そして物欲も神の表現の一つに過ぎませんよ。
でもそれは「神から離れる事を手段として目的の神を味わう」
の「手段」に過ぎないということを頭に入れておいた方がいいでしょう。
しかし、手段を飛ばすと目的が色あせますが・・

378 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 18:42:09 ID:dlN0LIjy
>今はもう、霊的なことを本から学ぶ時代ではありません。
>あまりに本へ注意を向けていると、本以外からの働きかけを
>見逃してしまうおそれがあります。
神や法則について知るのに特定の手段のみが有効だという時代は終わりに
しなければならないでしょう。
しかし、だからこそ本から学ぶこと「も」有効です。
私の感覚では本が一番有効な手段だと思っています。
ただ、ラムサも言っているように比喩はともかくとして
自分の言葉で言うことが自分の更なる理解に繋がるので、
コピペは私はしない様にしています。
もちろん受けての誤解が無いようとの配慮も素晴らしい事だと思います。

379 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 18:44:23 ID:TxCnnqYN
>>377
ちょいとだけ。

>物欲ではありません

私達が普通に意識している心とは別に、物質肉体は物質肉体独自の意識を
持っています。
これについて言及している本を私はあまり知りません。

>「内なる」などと区別できる事自体矛盾でしょう

いわゆる霊能力者やスピリチュアリストで明確な区別をしている人は、
区別してない人より少数です。
釈迦やイエスはもちろん区別してます。
意識という言葉は使ってませんが、イエスや仏陀は独自の言葉でそれを説明
してるので、興味があったら調べてみてください。

以上、忙しいので失礼。

380 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 19:14:58 ID:dlN0LIjy
>一つの過程に過ぎず、本当の意味での「間違い」など存在しない」
>これらは、自分の償い、自分の向上、確立の努力を終えた人が、「他への赦し」、「全てとの一体化」を目指しての段階での話です。
>自分の悪カルマの刈り取り、修正、自分の確立も目指す人にとってはかえって「間違い」を多く増やす危険性があります。
>「本来、間違いはない」と知ることで、「間違いを増やす」という本末転倒が生じます。
>「自分にとって「間違い」と思えたことでも、実は意味があったのだ」と知ること。
>それぐらいで止めておいたほうが無難です。
一体である事を前提とすれば「絶対的な間違いは無い」です。
これは「自分の悪カルマの刈り取り、修正、自分の確立も目指す人」にも有効です。
「絶対的な罪悪感」という幻想から解放無くしてこれらは難しいでしょう。
まずは自分を許す。そうすれば他を許す。
もし自分が他を許せなかったとしたら、それは過去に「他からの否定・拒絶」
という事で傷つき、その他の判断を自分の判断としているから。
「他」は世の中の良識や、宗教的人生観も含まれます。
全ての善悪の判断から解放して自分の判断を解放・許し、他を許す。
そして「生きていく」ことは「分離」であることあり、判断は自然と発生しますが
一体化を前提とした判断をしていくことで心地よい生を皆でまっとう出来ます。

381 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 19:44:24 ID:dlN0LIjy
>これについて言及している本を私はあまり知りません。
直接言及している「セスは語る」が有名でしょう。
あと波動を感じられる風水師やスペースクリアリングなども
家や家具・雑貨、土地の意識を認めていますね。
霊能的な肉体治療を行う人も体のパーツが意識を持っている
事を否定する人は少ないと思います。

>いわゆる霊能力者やスピリチュアリストで明確な区別をしている人は、
>区別してない人より少数です。
神とコミュニケーションを取れるということは自己と神で
区別化しても無理は無いのですが、実際の所はという意味です。
>意識という言葉は使ってませんが、イエスや仏陀は独自の言葉でそれを説明
>してるので、興味があったら調べてみてください。
イエスは神に語りかけているフシがあるので神を主に意識として認識していたのかも
知れません。
仏陀は経典から見ると「法」として認識していたのでしょう。

>釈迦やイエスはもちろん区別してます。
神や法と自分や物質を区別しているとすると、その区別対象が神や法の外に
で在るとなってしまうのでそれは無いとおもいます。
古い書物は翻訳がされているので厳密に調べることは無理でしょうね。

382 :慈風:2006/12/16(土) 07:32:58 ID:hMlyWYcK
カルマとはなんでしょうか?
因果同様に、宗教的価値観の上にたったもの。つまり、「自由である人を制限するもの」です。
本来はそんなもの、存在しません。

それを自らがつくり、受け入れてしまったために、そう見えるだけです。



383 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 07:37:39 ID:IP2YigOQ

そう、カルマは、人間が勝手につくった言い訳、
単なる遺伝子の記憶に過ぎない。

384 :163:2006/12/16(土) 09:40:03 ID:L2/QlUlD
>今はもう、霊的なことを本から学ぶ時代ではありません。
>あまりに本へ注意を向けていると、本以外からの働きかけを
>見逃してしまうおそれがあります

前にも書いていますが今はほとんど読んでません。
時間がなくて、霊的なものは1日に10〜15分位です。
あなた様はどれくらい読まれてますか?
むしろ、エクセルの本とかが仕事に関連しているし
おもしろくてこれでいいのかと思っています。
ここで使った「神との対話」、「ラムサ」などは自分から
本を開くことはここ4〜5年はありません。
ただ、前にも書いたようにほとんど思考を使って
読んでないので、何年も前に読んだ本の関連ポイントに
直感的アクセス、シンクロし自分に飛び込んでくるので
ここは自分の言葉より引用の方が的を得ているし、
時間の節約になると思えばその方法も使うということです。
有効性、効率性、これ宇宙の法則の一面でもあるのでは。
それはこれを使ったらこうだとか、でなくその使う
タイミングがシンクロと関係すると思います。


385 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 10:35:26 ID:FhYcxDaH
>>346

「神の使者たち」の著作や記録は時代の進展と共により詳しく残されるようになりました。

ゴータマ=ブッダやイエス=キリストの言葉が本物かどうか分からないの述べられるのでしたら、
バブやババオラを見てみればいいでしょう。
1800年代ですから、まだ著作や記録に本人によるものが残されています。

そこにも「覚醒体験」をした者の共通した特徴が示されています。


386 :163:2006/12/16(土) 10:37:14 ID:L2/QlUlD
前に書いていますが、それを言うなら、
「あまり論理的な思考を使いすぎたり、トラウマ(偏見等)
があるととそのものの本来の感性―情報を見逃してしまう」
というようなことですか。
もちろんこの社会では論理的思考を使うこともあり
ます。どちらでも片寄りすぎると問題が顕現するかもしれない
ということです。今は日常生活がイニシエーション
、日常生活の中に霊的なものを活かしやすくなっていると
思いますね。日常生活そのものは3次元の時間に縛られて
いますから仕事の実現には時間の連続性の影響を受けること
がしばしばです。しかし無意識で過ごすのと意識して
時間を感じているのでは差がでてくると思います。
仕事でも時間の変容を意識していれば結構シンクロ
(奇跡的なことを含む)が見受けられます。
人間という目的を考えれば、霊的なものを外れた人間
そのものの成長(特に産業革命以降は知的進化によるサバイバル)
も大切でしょうし(大きな視点からいえばそういう時期も必要)、
又霊的なものに浸る時期(行き過ぎの調整―現代)も大切だと思います。
わたしが論理的思考ばかり使ってレスしていたら、
今の瞬間の真の情報から外れて、多分それは流れに余り良い影響は
与えないと思います。
まあ、ラムサを使って慈風の内容性に触れたつもりですが、
本を読みすぎているという現象的なことに意識を
向けさせたことは反省すべきかもしれません。


387 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 10:38:37 ID:FhYcxDaH
>>341

あなたは自分の持っているもの全て、財産も失って、それでもなお、自分の得た真理、真実を語り続けることができますか?

あなたが真に「覚醒体験」を得ているのでしたら、準備の整った人にとって、あなたの言葉は威厳のあるものとなり、柔和な態度を身に付けていて、その人に判断を必要としない平安と喜びをもたらすでしょう。
あなたを殺害しに来る者をもてなし、殺害される時が来たとしても、「この人たちの罪を赦したまえ。慈悲を与えたまえ。彼らはまだ知らないのですから」と祈るでしょう。

ババオラは語っています。
「私の眼からは苦悩の涙があふれ、私の心には苦痛の大波が押し寄せる。それにもかかわらず、私の魂は喜悦に包まれ、言いようのないよろこびを示す。ただ一人自分の霊魂と交わった」と。

あなたはそれだけの体験をされ、それでも揺らぐことがなかったのでしょうか?
肉体と心は苦しみの中にあって、それでも、魂はよろこびと不動の平安に包まれていたのでしょうか?
そうであるならば、あなたは間違いなく、「覚醒体験」を果たされています。

「私は、ただ世界の利益と諸国民の幸福を願うばかりである。
誇りは自国を愛する人にあるのではなく、人類同胞を愛する人にある。」
バハオラの言葉です。

真に「神との対話」を果たした者は、その行いによって示されます。
そして、「覚醒体験」を果たした者の感化によって「至高体験」を得た者もその行いが変わります。

「あなたがたの一人一人が神の美徳をあらわし、その正義と威力と栄光のしるしを自らの行動と言葉で示さなければならない。
あなたがたの身体でさえ、その目的の崇高さ、生き方の高潔さ、信念の堅さ、献身の高尚さを証明するものでなければならない。
あなたがたの行動で神のことばの真実性を証明できるように努力せよ」
バブの言葉です。

バブもババオラも「神の使者」であって、「神」とは宣言しませんでした。

「覚醒体験」をしたというのはこのような人たちです。
あなたがご自分の「至高体験」を活かすか無駄にするかはあなたにかかっています。

388 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 10:42:30 ID:FhYcxDaH
>>310

「至高体験」は各人それぞれが認めるかどうかです。「救済体験」があったのであれば、「至高体験」の一種といって間違いないでしょう。

しかし、自分が変革され、他の人にも何かをもたらさない限りは「覚醒体験」とは言えません。

「至高体験」について語るにも、自らの向上した姿、模範となるような姿を見せるより他にはないのです。

389 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 11:12:42 ID:0uaWqkZ5
>>382

「カルマの法則」は霊的向上の途上の人間に作用する法則です。

ある段階に到達するまでは常に作用し続けます。

「自分の蒔いた種はその向上進歩の度合いに応じて自らが刈り取る」
これが「カルマの法則」です。

いくら「カルマの法則はない」と言っても、カルマの法則が作用している世界に意識を合わせている限りは、その法則の作用から逃れることは出来ません。

いくら「本来はない」と言っても、「本来の自分」ではない「本来の自分の一部分を投射」しているに過ぎないのですから、「本来の世界での法則」が完全に作用することはないのです。

悪カルマが結実する前に、その縁を努力によって変えてしまえば、蒔いた善カルマによって、悪カルマは結実しなくなる。
悪カルマの結実が善カルマの結実によって相殺されてしまうので、悪カルマが消えたように見える。
また悪カルマが結実しきり、その報いも受け終わり、もう悪カルマの種を蒔くことがなくなったので、悪カルマがなくなっている。
こうした状態が「カルマはない」と言っているに過ぎません。

いくら「カルマはない」と言っても、相応の土壌に悪カルマの種を蒔き、発芽、結実の縁を整えるならば、悪カルマの実はなるのです。

種を蒔くのを止めるか、土壌を変化させるか、養分をなくすかをしない限りは。

390 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 12:41:29 ID:GaqYYNdz
次のような神観がある

「神は、よりごのみをして、嫌う対象には罰をあたえ、好む存在
にはほうびをあたえる。そして人間は、そのために神にこびへつらう」

これは伝統的な宗教のいだいてきた神観だが、
とてつもなく不健康な関係ではないかな。

この神観こそが、人類の悲惨をうみだしてきた。

391 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 15:03:02 ID:ozw0+fa5
神は偉大なのに罰もアメも鞭も使う必要などないよね。

392 :慈風:2006/12/16(土) 15:22:20 ID:hMlyWYcK
>>387 思考が顕在化する事実をみるならば、私に対して起こりうる現象のすべては「私に原因がある」ことになります。

では、私は何を選択するか?
私はあらゆることを受け入れようと努力します。
その結果、自分自身が死することになっても、それはそれ。
私の選択は「在る」だけです。

393 :163:2006/12/16(土) 15:36:52 ID:L2/QlUlD
>>390
話が被って申し訳ないが。

イスラム過激派とキリスト教圏諸国の対立なんで本当に神
の意思を汲んでいるのかと思うし、中国の一党一極独裁政治における
幹部の神格化、日本における政治家、官僚の拝金主義なんて何を
拝んでいるやら。
実際かどうかは知らんが、宇宙にはフリーメーソンの親分といわれる
悪玉神もいるとか。低位の悪霊も生きていかねばならんし、大変だね。
だけど、大衆信仰の御利益神等もニューエイジではいろいろ言われて
いるが、それなりの役割を果たしたし、今も果たしていると思う。


394 :163:2006/12/16(土) 15:46:51 ID:L2/QlUlD
>神は偉大なのに罰もアメも鞭も使う必要などないよね
神側から見れば「自分はいつも至宝の蔵を開いている。それに
アクセスしたり繋がりを切ったりするのは人間の方だ」という
風になりますか。自己の知性が邪魔して神の導きを
理解できず、我慢できないので自我の道をいく。


395 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 21:19:17 ID:V7of4WoF
>「自分の蒔いた種はその向上進歩の度合いに応じて自らが刈り取る」
>これが「カルマの法則」です。
>いくら「カルマの法則はない」と言っても、カルマの法則が作用している世界に意識を合わせている限りは、その法則の作用から逃れることは出来ません。
究極的には「物事に意味は無い」です。
物事を「カルマの法則」に当てはめれば必ずそう見えます。
しかし「カルマなど無い」という風に見れば必ずそう見えます。
神が全ての意味を内包しているというよりは、神の中でしか
意味を創造する対象がないので必然的にそうなるということです。
ただ、法則を作ればそれで自己をより良くする人もいるし、縛られて萎縮する人間もいます。
二元性で物事を意味づけして見れば必ず両極の人が居るので、
その法則を信じて発展したい人は信じればいいし、
その他に自分が心地よく発展できる法則があれば、前記の法則を信じずに
それを信じればいいということです。

396 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 21:46:11 ID:V7of4WoF
>神側から見れば「自分はいつも至宝の蔵を開いている。それに
>アクセスしたり繋がりを切ったりするのは人間の方だ」という
>風になりますか。
我々は分離や必要性などの数々の幻想を現実として創造しつつ
「心地悪いことを手段として目的の心地よいことを味わう」ということを
忘れていたのですから、そこが至宝の蔵だと思えないのは
仕方が無いといえば仕方が無いですね。
いやぁしかし、世界のどこかで創造を絶する残虐なことが行われている今、
もし自分がその体験をしたらそれを堅持できるかは自身が有りませんねぇ。
神対ではむしろその時の方がそれを見出しやすいと言っていますが。

397 :163:2006/12/16(土) 23:10:15 ID:L2/QlUlD
>>396
いや〜。私自身もよく書いた後で誤字、変換の間違いに気づきますが
>それを堅持できるかは自身が有りませんねぇ
自身→自信としたら分かりやすくなるようですね。
このスレでも話題に上ったような気がするが、人間不幸と感じる
ことが起こると「何故という反省」がありそこから成長、進化が
始まるようです。結果的には神とのスイッチをオンにすれば
よくなり、オフにすれば問題が起きるようです。
最終的にはオフでも問題が起きなくなるようです。
自身の経験からすると若い時は頭脳と才能があれば何でもできる
と考えていたが、この世の成功は次々と副産物も起きるし、必ず
壁も起きてきました。成功感が長いか短いかで人生の成功が
決まるかもしれませんが、つまり死ぬまで成功感が続けば
人生をやり遂げたと思いつつ人生を終えることが出来るかも
しれない。しかし、大きな枠組から言えばいつか新たな壁が
生まれると思います。
そしてどうしようもない状況つまり絶体絶命と思える状況になると
どうしても頭脳と才能だけではクリアーできないのです。
そこで仮説的ではありますが宇宙的法則とか神とかいう問題に
突き当たります。仮定的でも仮説であってもその感性、あらたな知性(直感、シンクロ)
を磨いていけば何故かタイミングよく奇跡が起きて人生を慈風のように
質素でも信頼感を持って生きていけるようになったのです。


398 :163:2006/12/16(土) 23:11:01 ID:L2/QlUlD
ある団体の副責任者のときは論理だけですべて完璧にやって
いた。しかし長になるととても論理的頭脳では時間が足りない。
実際的案件も次々起こり、思い切って(その頃は「神との対話」を
読んでいたが)「神との対話」をヒントに直感で決断していったのです。
論理的に不合理であっても、理解できなくとも直感とフィーリング
で処理しましたが、結果的には運営的ミスは生じませんでした。
それでも何故か物足りない。経済関係の団体では組織そのものに
なじめないところがあるのです。そこから新たなステップの模索
が始まったということです。
世界中の悲惨な状況のなかで神の憩いや、信頼感を実感するのは
難しいと思います。自分の家の経済が破綻しかけても同じことです。
一番、神が必要なときに神がいないような気がします。
しかし、それでも何とか生き延びています。シンクロが続いていくと
だんだん不安感そのものがなくなるようです。最初は不安でも
その感情がなくなっていくという感覚です


399 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 07:42:22 ID:wi/uDPs5
バハラオは『七つの谷』という著作で、神にまで到る七つの段階について述べています。

この七つの段階、それぞれにおいて旅人たちは異なった段階を進んでおり、各人の理解力も用いる言葉も違う、と。

「探求の谷」、「愛の谷」、「知識の谷」、「融合の谷」、「満足の谷」、「驚嘆の谷」、「真の貧困と全くの無の谷」

それぞれの谷を旅している者には、他の谷のことについては理解できないのです。

そして、この七つの谷の奥に心の都の四つの段階があると述べています。
しかし、それらについては同じ段階、気質の者があらわれたときに詳しく述べる、と。



400 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 09:40:03 ID:m/qVGmnD
「探求の谷」の節では、「神の都」である精神の領域に入るためには、探求者はそれまでに見たこと、耳にしたこと、そして理解したことの全てを無視しなければならない、と述べられています。

「愛の谷」の節では、愛の狂気に値するために、人は全く正気でなければならない。
活気ある精神にあふれ、それでいて、愛の炎によって、自我のベールを燃やし尽くし、精神を洗い清め、純化しなければならない、と述べられています。

「知識の谷」の節では、一見乱暴そうに見える者に正義を見、戦争の中に平和を見、怒りの中に友情を見る。
先を見通し、始めに終わりを見ることからそれが可能になると述べられています。
この段階はいわば、「カルマの法則」を理解した段階です。

しかし、これより上の谷では、「最初」も「最期」も見ることなく、「全ての属性を除く」とされています。
「知識の谷」は限界ある世界の最後の段階、と述べられています。

この次が「融合の谷」。この段階における存在の世界で見る変化の全ては自身の視点の変化によって起こる、と述べられています。
「カルマ」の法則を超え、「現実を創造する」というニューエイジの教えはこの段階でしょう。

病んだ魂を持つ人は自我と欲望の壁に閉じ込め、無知と盲目でくもらし、神とベールで隔てられている、と述べられています。
この無知の者は様々な説を主張する。
またある者は限界の領域に居住し、自我の段階に留まっている。
ある者は一体性の段階に住み、その世界について語る。

この一体性の段階、「融合の谷」で、心を包んでいる幻想の覆いを取り除くことになる。
しかし、この段階から、相対性を燃やし、一滴の露で全ての言葉を消し去るとされています。
「あらゆる思考と全ての言葉を完全に焼き尽くせ」とされるのはこの段階、と述べられています。

もはや言葉では説明できない段階であるために、この谷について他の谷の人に説明しようとすれば、それは誤解をまねき、空しいものとなるのです。

「語りだせば多くの心は砕け、書くならば多くのペンは折れる」

一体性を学び、自分の内にある実体のない世界を捨てなければならない、と述べられます。

401 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 10:22:46 ID:G6llVdwV
「満足の谷」 欲望のベールは燃やし尽くされ、内なる眼と外なる眼をもって、万物の内部と外部に「神の豊かさ」と「聖なる満足」を感じる。
悲しみに背を向けて幸福に向かい、苦しみから喜びへと移行する。
悲嘆と苦悩は感激と歓喜へと変わる。

ニューエイジで説かれる「苦しみが必要とされない新世界」の段階です。
外見上は塵の世界に住んでいても、内面は至福の世界に住む。

「心から心へと伝えられるのみ」
「舌は無力となり、雄弁な言葉も及ばない。この領域について書こうとすれば、紙面にしみを残すだけ」

あらゆるものの中に「神」を見る段階です。
神の美を見、幻想の中にも実在の秘密を見、属性の中に「神秘」を解読し、鋭い洞察力で創造界を見つめ、澄んだ心で深遠な真理を把握する、と述べられています。

ニューエイジはこの段階について無理に語ろうとする結果、理解不能な夢物語のようなものが多くなるのでしょう。

そして、「驚嘆の谷」 創造されたものの一つ一つに無数の完全な叡智と、無数の真理を学ぶ。

この谷に住む者以外には、多くの叡智の本当の価値は理解できない。
理性による理解を超えた世界であるから。
だから、「理性による理解を捨てよ」とされる。

ここまで導いてきた「理性」はここで完全に用無しとなる。
ここで示される神秘、神の確かな証拠、聖なる発見を理解できるのは「崇高で神聖なる知性を持った者のみ」、と述べられます。

402 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 10:54:32 ID:qYe1WmvY
そして、「真の貧困と全くの無の谷」
自我を捨て、神の中に生き、個人的な見解は全て消滅する。
地上的なものの全ては滅し去り、残るは「神」のみ。
「自然の全てのものは神である」の段階を後にし、光のベールさえ消滅する。
神の啓示の強烈さに、忘我し、それは「無」としか言えない。
言葉も論証も不可能。ただ「神の本質」のみがそこへ導く。


以上が、バハラオが述べる「七つの谷」です。

地上の人間はどの谷を歩んでいるのかは様々。
そして、「他の谷」の人に伝えることは理解されないし、誤解を招きやすい。

それでも、これらの谷は順番に通過しなければならないのです。
しかし、神の意志に添えば、相対性と限界の世界を一歩で通り越すことが可能なのです。
七つの段階を七歩で通過することも、七呼吸で通過することも、たった一息で通過することも出来るのです。


「本来、人間は自由」とよく言われます。
しかし、ババラオは「この旅路の全過程において、旅人は「法」からわずかでも逸れてはならない。
旅の全ての段階で、旅人は法に服従し、禁じられているもの全てを避けるという綱をしっかりと握り締めねばならない」と述べています。

法、神の意志に添わなければ、迷い道にはまり込み、道を見失う。
自分は「自由」のつもりで実際は「不自由」な状態になるのです。

そして、「自由」を説き、他の者を導くつもりの者が、多くの人を迷い道へと導くことになるのです。

403 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 11:04:57 ID:6pPg95hp
バハラオじゃなくてバハオラ。
バハイ教徒はイランではたいへんな目に遭ってるとか。

404 :慈風:2006/12/17(日) 11:05:17 ID:Cx63X/5e
果たして、道を失うことなどあるのだろうか?
果たして、道を迷うことなどあるのだろうか?

道はあなたであり、私だと思います。
迷うことも、失うことも実際にはない。なぜならば、あなたが道であり、私が道なのだから。

人を導く必要があるだろうか?
私はないと思います。導かずとも、神は在り、そこから離れて生命が存在することはできません。

道を失うとは、「自らが道であることを気付き、他に道が無いことを自覚すること」だと思います。

405 :慈風:2006/12/17(日) 11:13:48 ID:Cx63X/5e
つい最近まで、私は「思考、自我、心」は滅すべきものと認識していました。

ところが、そうではなかった。
知らず知らずのうちに仏教にはまり込んでいたのですね。
因果を否定し、カルマを否定した。
しかし、それすらどう受けとめるかという、選択にすぎなかった。

「神はすべてが正しい」と仰られる。
それならば、間違いも、正解も、正義も悪もないことになる。
要は「在る」だけ。


406 :379:2006/12/17(日) 11:54:13 ID:/nODQn25
>>377
スレの空気を読まなくて悪いけど、仏陀やイエスが神意識と物質肉体意識を分けていた
事柄について書きます。

 仏陀の弟子に少し頭の回転が遅い人がいました。そのためその人は、
 兄弟弟子から幾分軽んじられていました。仏陀の教えの理解等が遅かったからです。
 しかしその人は、法の理解などは苦手でしたが、掃除は大好きでした。
 ですからいつも掃除を一生懸命していました。
 
 そんなある日、一心不乱に掃除をしているその人のところへ仏陀がやって来て、
 こう言いました。「掃除をし続けなさい」と。
 嬉しくて嬉しくて仕方なかったその人は、喜び勇んで掃除に打ち込んでいきました。
 
 それから長い年月が経ったある日のことです。熱心に掃除をしていた最中、
 ふとその人は気づきました。

   悟りの道とは心を掃き清め続けるようなものである、と。

 その人はその後それを行い続け、悟りへと到達することができました。

407 :379:2006/12/17(日) 11:58:30 ID:/nODQn25
心の掃除が成り立つには、次の三つの意識が必要となります。

 自分の心というスペースを認識している意識。
 そこに、塵や埃や汚れに相当する意識があると認識する意識。
 そして、それらを掃き清めようとする意志を持った意識。

これらを自分の意識の中に明確に区別し、かつ掃除をしようとする意識を独立させ、
心を掃き清めていく。

仏教では、悟りへ到達する方法の一つとして、意識の区別が説かれているのです。
心を清めようとする意識の先に悟りの意識、つまり神の意識が存在するとして。

408 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 12:01:44 ID:QaFEgz5H
>果たして、道を失うことなどあるのだろうか?
>果たして、道を迷うことなどあるのだろうか?
私もそう思います。
神が新しい道を創るとしたら、それは我々の誰かがその道を創ることになる
のでしょう。
しかし、我々が個別化されたまったく自由な創造者とすれば、我々が神の
道を創っていることになります。
鶏が先か卵が先かということになりそうですが、
恐らく卵を孕んでいる鶏なのでしょう。

>人を導く必要があるだろうか?
>私はないと思います。導かずとも、神は在り、そこから離れて生命が存在することはできません。
我々は無の空間にただ一人居て道を創造するわけでは無いのですから、
人から感化され、そして人を感化していっています。
ただ、創造は個人個人の嗜好で行われているみたいですから、
導けたとしたらそれが必要な人だけが関係し、それ以外は関係しないのでしょう。
故に実現しえた事は全て必然になるわけです。
自分もただ在り、他もただ在りだとそれは生命が展開されているとは言えず、
その時事こそが生命の展開そのものだと言えるでしょう。

409 :379:2006/12/17(日) 12:04:33 ID:/nODQn25
イエスは説きました。人の本体は霊であり、肉体ではないのだと。ですからその教えに
接していた直弟子達は、イエスの言葉を物質的に解釈するのではなく、霊的にとらえる訓練を
日頃からしていました。そうすることによって初めてイエスから霊について学べるのだと、
ちゃんと知っていたからです。

しかし、イエスの教えを聞きに来る聴衆の多くは、それに気づいていませんでした。その人達は
イエスに望んでいました。肉体の病気を消してもらいたい。パンと魚をもらい肉体の飢えを無くして
もらいたい。ユダヤの王になって強大な国家を造り、ローマの支配から解放してもらいたい。等々です。

ある日、そんな人達に向かってイエスはいいました。私の血を飲み肉を食べた者でなければ
天国には入れない、と。
それを聞いた聴衆は叫びました。そんなこと出来るはずない。あなたは私達に、あなたを喰えと
言うのかと。

 その人達は物質を基準として物事を判断するのが当たり前だったので、
 イエスの言った「私の血と肉」という言葉を、物質的な肉体として
 考えてしまったのです。

聴衆の大部分は、イエスから去っていきました。
霊的な解釈ができる人達を除いて。

410 :379:2006/12/17(日) 12:07:42 ID:/nODQn25
人の心の中には、霊意識からの影響を主体として造られた意識と、
物質意識からの影響を主体として造られた意識が存在します。
そして、それらは大抵の場合、混ざり合ってしまっています。ですから

 自分で意図的にそれらをふるい分けようとしない限り、
 両者の明確な区別はできないのです。

霊を主体とするイエスの教えを理解できなかった
物質を主体とする聴衆のように。


以上です。
377さん、いかがでしょうか。

411 :379:2006/12/17(日) 12:20:01 ID:/nODQn25
>>384
>ここは自分の言葉より引用の方が的を得ているし、
>時間の節約になると思えばその方法も使うということです

なるほど、そうでしたか。
ちょっとまどろっこしいですが話させてください。

2ちゃんのこのスペースは、本でしょうか。特に、ここに書き込み、他の人と
コミュニケーションをとっている人達にとって、ここは読書と変わらない
スペースでしょうか。
本とは異なるスペースだと私は思います。

ここは、各自が自分の意見を書き、人の意見に反応し、意志を疎通させる場です。
これは有効に活用すえば、成長の多大な助けとなります。
ここに参加している人達にとって、ここは読書とは異なる学びを得られる
場となりうるのです。

本からの引用も資料の提示としては重要ですが、私個人としては、
163さんが実体験から得た生きた言葉をもっと聴きたい。
その方が皆にとって、血と肉になりやすいでしょう。

今日はもう落ちます。

412 :163:2006/12/17(日) 13:12:13 ID:McTeCvM9
>>408 さん。
私が言いたいことをおおよそ表現してくれてありがとう。
それに文章表現もきれいでわかりやすかった。


>>411さん
>>397 >>398
で書いた後、ちょっと体験談は個人的すぎてこの場に合わないとも
思いました。しかし、引用文をそのまま載せるのはやめましょう。
「在るがまま」というのは私も一年間試してみたことがある。
結果をいうとうまく物事が流れていきます。
それから至高とは何かについてぼんやりと、そして
なんとなく感じるようになります。
しかし、「在るがまま」から意識を外した原因は言葉のレトリック
が使えないという状態になったからでした。
プライベート会話は問題ないが人が集まる場には向いてない。
光を見たとき(視覚的でない)、一気に源まで行きたくなる気持ちになります。
私もそうでした。一体化という宇宙的衝動があるのでやむえないでしょう。
しかし、危ない時でもあります。
地上的波動から完全に外れて変に見えてしまいます。
源は確かに最強です。しかし、源は何故わざわざ分離的、二元的幻想を
作ったのか。源は源で在り続けることに満足しなかったのか。
地球上ではまだ言葉を使っています。言葉であまり
高次元を表現しょうとするとそれ自体無理があるようです。
言葉は地上で生きるものとしてその範囲で他者を助けるものと
すればそれはどちらかというと病んでいるものに指針を与える
のに効果があるかもしれません。ただし、本当に必要としている
人ほど拒否する(オカルト宗教と勘違いする)傾向はあります。
それはメンタル掲示板(心の病の人が集まる掲示板)へ行けば
わかります。


413 :慈風:2006/12/17(日) 13:15:43 ID:Cx63X/5e
他の様々なものを学ぶことを望むか望まないかも選択であると思います。
こうしなければならないといった「義務的なもの」はどこにも存在しません。

もし、それがあると思うならば、「思う人にとってだけ」そうだというだけ。

それを唯一の価値観としてしまえば、押しつけや強制といった「自由でないもの」が実態化することになると思うのです。

特定の思考や意見、価値観をどう捉えるか、それは選択。
違うものなどないと思います。


414 :163:2006/12/17(日) 13:43:43 ID:McTeCvM9
>>413
>他の様々なものを学ぶことを望むか望まないかも選択であると思います。
>こうしなければならないといった「義務的なもの」はどこにも存在しません。
そうです。
>もし、それがあると思うならば、「思う人にとってだけ」そうだというだけ。
そうです。
>それを唯一の価値観としてしまえば、押しつけや強制といった「自由でないもの」
>が実態化することになると思うのです。
みな同じ道でないからそうです。
>特定の思考や意見、価値観をどう捉えるか、それは選択。
そうです。


415 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 15:14:07 ID:QaFEgz5H
>>379さん
377です
私の言っている物質の意識は、神の物理的な構成要素としての意識です。
掃除で悟る話のように小さい物が散らばっている様子をゴミや塵と認識する
意識ではなくて小さい物そのものが持っている意識です。
精神的な気付きを目的とした神や法といった場合、397さんの書いている事の
ように、物理的肉体意識を幻想として認識した方がいいのでしょう。
これは方便ではなく真実です。
イエスも仏陀もそういう指導をしたと思います。
ただ、そこに行き着いたら、また物質も神性の表現だと思うようになると思います。
我々が科学として認められないものを「霊的」としているだけで、
本当は霊的・現実的の区分けが無く、言ってみればただ一つの神的・法的な世界として
捉えられるのではないかと私は思っています。
イエスも仏陀もそういう認識を持っていたのではないかという話です。


416 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 07:34:17 ID:r7Vjl7y6
>>403

修正の指摘をありがとうございます。

バハラオ → バハオラ
ババラオ → バハオラ
ですね。

申し訳ありませんでした。

ムスリムによってバハイはたいへんな目にあっているようですね。

イエス 及び 初期の伝道者がユダヤ教徒に酷い目に合わされ、
マニがザラスシュトラの信徒に酷い目に合わされ、
同じようなことが繰り返されています。

ただ、ある地域では迫害されても、他の地域では、また世界的には穏やかに迎えられるということも出てきました。


日本でも、戦争中は、心霊研究者、霊媒が官憲による酷い拷問を受けていたようです。



417 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 07:58:44 ID:DJoIPGZF
>>409

イエスは民衆が理解できないことは認識していましたね。

「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません」
「私が彼らに喩えで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また悟ることもないからです」
(マタイ 第十三章 十一、十三)

しかし、霊的の奥義ではない、道徳的実践事項については喩えではなく、はっきりと示しています。

解明されないままに残された「霊的な教え」は「真実の御霊」によって示されるとされています。


無明の中にさ迷う人々には、自力だけで正しい道に復帰することは困難でした。

ですから、過去には「預言者」が、そして、「神の使者」が、時期が至り、「霊」が指導を人類に伝えるのです。

奥義も示されるべき時は来ましたが、それは準備が出来た人には ということで、無条件に誰にでも というわけではないでしょう。

特に、言葉にては表現できないものについては、直接に、心から心へと伝えられる以外にはないでしょう。

418 :慈風:2006/12/18(月) 08:29:14 ID:Y4ltMdFP
イエス、仏陀ですか。

過去の偉人ですな。

419 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 10:52:14 ID:CBKzLAyC

現在の偉人は?

420 :慈風:2006/12/18(月) 12:56:43 ID:Y4ltMdFP
あなたですよ。

421 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 13:30:07 ID:w5jVVacS
私は変人でつw

422 :163:2006/12/18(月) 18:04:13 ID:TLEoT+2C
イエスが中世に生まれていたら異端児として
キリスト教会に火あぶりにされたかもしれんな。

423 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 21:01:48 ID:2YTHLk6n
>「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません」
奥義とやらを許す許されるのではなく、彼らはまだ幻想を体験する段階だったということ
>「私が彼らに喩えで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また悟ることもないからです」
「対象がきっちりと感知出来ていない」のではなく、「対象をどう認識するかという技術なのだ」ということが
>(マタイ 第十三章 十一、十三)
マタイさん自身が理解していないという事が伺いしれますね
翻訳者が悪いのかもしれませんがw

>無明の中にさ迷う人々には、自力だけで正しい道に復帰することは困難でした。
>ですから、過去には「預言者」が、そして、「神の使者」が、時期が至り、「霊」が指導を人類に伝えるのです。
ほんとの所はずぅ〜っと神はありとあらゆる方法でその奥義に相当するものを
与えてきていたんですよ
ただ、我々は「神聖」な存在の言葉・書物からでしかそれとは認めなかった
出来事や、普通・それ以下の人間、ましてや動物などからも来るとは考える余地も無かった
本当はそれこそ我々一人一人にぴったりの個別指導だったのに
それも我々一人一人に完璧な理解を示している「神」からのですよ
私も詳しくは言えないが、下らない喧嘩の中で「神聖」から程遠い人の口から
究極の神性に近い言葉が出るのを聞いてビックリし、喧嘩から白けた事がありますよw


424 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 21:49:24 ID:2YTHLk6n
半分冗談ですが、神からの語りかけとしてみれば味わい深い歌詞を紹介ます。
クリスタルキング 「愛をとりもどせ!」
さびの部分と2番がそれっぽいです
直接書くと著作権がどうなのか心配なのでヤフーミュージックでどうぞ
ttp://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/62252/Y005973


425 :379:2006/12/19(火) 14:29:54 ID:PTv28O0d
>>412
>>417
>言葉であまり高次元を表現しょうとするとそれ自体無理があるようです(>>412
>特に、言葉にては表現できないものについては(>>417

この三次元世界を超えた世界を三次元界の言葉で正しく表現するのは、確かに不可能です。
しかし、「人々へより伝わりやすく言語化する技術」を磨くことはできます。
そのためには、超意識を言語化する大脳の訓練に加えて、超意識を実体験に照らし合わせて
理解する小脳の訓練も必要になってきます。
それについて少し書かせていただきます。

426 :379:2006/12/19(火) 14:36:33 ID:PTv28O0d
では大脳から。
超意識の言語化のためには、先ずは何より「自分の心の把握」が必要不可欠になります。
なぜなら心には心以外からの意識が頻繁に訪れているので、その区別がつかないと
様々な不都合が生じてくるからです。

その方法の一つが、406の「心の掃除」です(>>406)。335で書いた「心の再構築」も有効な
手段の一つですね(>>335)。習慣化した心のクセを捨てさり目標とする心を新たに造り直すという
行為をしていれば、自分の心にどんどん詳しくなっていきますから。

そうやって心を把握していくと、いつしか「自分の心を客観的に見つめている自分」を
はっきり感じられるようになっていきます。そしてその意識こそ、超意識の言語化に
リーダーシップをとってくれる意識なのです。

ですから言語化のためには、この「自己客観化」の意識をどんどん伸ばしていってください。

というか、この意識無くしては人は成長することができないので、成長のための
一番の土台として磨き続けることが推奨されます。

427 :379:2006/12/19(火) 14:42:41 ID:PTv28O0d
次に小脳を。
小脳は、物事を当たり前にしてくれる脳です。人はだれでも、何をしても、最初は下手です。
しかしそれをやり続けていると、人は次第にそれが上手になっていきます。そしてしまいには、
全く意識することなくそれができるようになります。それを可能にしてくれるのが、小脳です。

小脳は人の動作をたえずモニターし、筋肉や骨や神経の動きを記憶していきます。
ですから同じ動作を繰り返すと、体は小脳に蓄えられた過去の動作と今の動作を比較できる
ようになっていきます。その経験をある程度積むと、小脳は「これが上手な動作だ」と理解して、
それを体に自動的に伝えてくれるようになります。それゆえに、人は意識せずとも
それを当たり前にできるようになるのです。

いえそれどころか、人はそれが当たり前になって初めて、「その上」を目指せる生き物です。
当たり前という強固な土台の上に立って初めて人は、その上へのジャンプを試めます。
人が自分を成長させるためには、実は小脳のバックアップがとても重要だったのです。

428 :379:2006/12/19(火) 14:48:40 ID:PTv28O0d
これは別の言い方をすれば、小脳にはその人の成長の記録が刻印されている
という事になります。つまり小脳は、

  その人の生き様が刻印されている脳、と言えるのです。

さて本題に入ります。小脳は上記以外にも、極めて重要な役割を担っています。それは、

  超意識からの信号を最初に受信する脳、としての役割です。

しかし多くの人は、このことに疑問を感じるでしょう。超意識などという桁外れの意識を
最初に受信するのは、地球上の生物の中で最高に発達した人の大脳こそ適切で
あるはずだと考える人は大勢いるでしょう。それについて、私はこうこたえます。

  その人の生き様が刻印されている小脳だからこそ、
  言語化の不可能な超意識を実体験を通して理解できるのだ、と。

429 :379:2006/12/19(火) 14:54:03 ID:PTv28O0d
霊の世界では、とにかく実践が尊ばれます。しっかりした教えでは、霊的な想いを
心と体を使って世の中に表現することの重要性が繰り返し説かれています。
その理由の一つは、霊的実践は小脳を霊的に鍛える最高の手段だからです。
つまりそれをすればするほど、

  人は霊的実践が上手になり、そしていつしかそれが
  当たり前になっていくのです。

  そしてだからこそ、その経験を通して
  人は超意識を理解できるようになるのです。

406の人は長年掃除をし続けました。その結果その人は、人として最高度に洗練された
「掃除の体験」を獲得することができました。だからこそそれが刻印されている小脳を
超意識が通過した時、

  その人は掃除を通して悟りへの道を理解することができたのです。

430 :379:2006/12/19(火) 14:59:17 ID:PTv28O0d
人は「こうありたい」と思った瞬間から完璧に「こうある」ことはできません。
そこには、それ相応の努力が必要です。

超意識の言語化も、言語化できるようになる努力をし続ければ、
上達の道はちゃんと用意されています。

暫く消えます。

431 :379:2006/12/19(火) 15:05:52 ID:PTv28O0d
>>423
といいつつちょっとだけ

あんた楽しいね^^

432 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 18:47:45 ID:tb9US6dY
423です
いや、神への道にもユーモアがあってもいいかなぁと思って
ユーモアと言えるほど大人びている内容とは言えませんが


433 :163:2006/12/19(火) 19:33:34 ID:B9G3w+qQ
>>379さん。
え〜と。前にもすこし言いましたが!。
379さんの方法が一般的な霊的向上の方法としては良いかどうかは
分かりません。なにせ初めて聞いたことですので。
ただ、勉強されていることはわかりました。
他の人が試す価値はあるかもしれません。
私に関しては霊的な文章をそれなり別なところで表現していますが、
客観的評価は自分で言うのもなんですがかなり高いようです。
世界的に名著といわれる精神世界の本の核心のキーワードを検索しても
それより高いランクにあるのがいくつかあります。
他のテーマもキーワード検索はほとんど1位になった経験があります。
自分では情報の導管としてのミッションは感じてますし、
その使命を意識する限りいろんな方法で自分を磨いてくれる
(情報と表現法)ものをシンクロさせて与えてくれるようです。
それは見事としか言いようがない方法です。
それから、ここではまじめに話していますが別のスレでは
最高におもしろいと評価を得るようなユーモア表現も
出来るんですよ。


434 :名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 23:24:20 ID:bEpBII7c
>>356-357
ここに耐性のない慈風さんの本音が出てますね。
「あなたも」

結局は自分が他人に対して決めつけや解釈を連ねながら
それを否定する主張を重ねるという自己矛盾をここで露呈
してきたことは明らかですね。

よく慈風さんは言葉で伝わらないことを強調しておられますが
それは言葉の問題、つまり表現の問題ではありません。
あなたの本質の問題だと思います。
単に決め付けや解釈を捨てるべきものとする美的価値観
について述べているにすぎないのです。理想となってしまって
いる点で(現実と違ってしまっているため)真理とはほど遠い
と思います。

>>373
>自分の悪カルマの刈り取り、修正、自分の確立も目指す人にとってはかえって「間違い」を多く増やす危険性があります。
なるほど、慈風さんにぴったり当てはまることですね。

435 :慈風:2006/12/20(水) 20:57:41 ID:VvM1ZfJI
で?

436 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 13:48:23 ID:oOysCHU6
単に決め付けや解釈を捨てるべきものとする美的価値観
について述べているにすぎないのです。理想となってしまって
いる点で(現実と違ってしまっているため)真理とはほど遠い
と思います。

ということです。現実を見る目が曇ってると「真理」は見えません。

437 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 13:50:51 ID:oOysCHU6
見てごらんなさい。この即レス。
いかに執着に囚われているか明らかですね。
「で?」などと言うのは、相手より上に
立ちたいという俗物的感情の表れです。
あなたも私も何も変わらないのです。

438 :慈風:2006/12/21(木) 16:47:07 ID:/QaKc0+e
同じだということが、何か問題がありますか?
私は私が特別だとは微塵も思ってはいません。

あなたと違うところは、自分が何をしているかを知っているというだけ。
たったそれだけのことです。

439 :慈風:2006/12/21(木) 16:49:14 ID:/QaKc0+e
それから、私は私自身の気付きにより、以前とはまるで違う考え方になっています。


440 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 07:59:31 ID:az1jVNMV
>>405
>つい最近まで、私は「思考、自我、心」は滅すべきものと認識していました。

滅するべきものは「執着」でしょう。
「偽我」を除き、「思考」は制御し、「心」は整え、「自己」を磨く。
佛教では、「心を滅する」とは説かれていませんね。

「心を耕す」とされています。



441 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 10:09:20 ID:NuMyqiMS
>>440
>「心を耕す」

至言だと思います。

442 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 12:33:57 ID:SKlltzfG
>>438
>あなたと違うところは、自分が何をしているかを知っているというだけ。
なぜ違うと判断されたのでしょう?私も自分が何をしているかを知って
いますのであなたと同じです。あなたがあなた自身のきづきにより、
以前とはまるで違う考え方になっても、同じことなのです。
その「まるで違う考え方」が特別であるはずもない、ごく平凡な考え方
ですし、よくある理想論なのですね。

443 :慈風:2006/12/22(金) 17:55:20 ID:yI0Vj0kQ
はいはい

444 :名無しさん@3周年:2006/12/22(金) 23:26:51 ID:SKlltzfG
あいかわらず質問には華麗にスルーでかわすのですね。
お気持ちはわかります。まともに対話と試みればたちまち
自分の打ちたてた建前が崩れ本音が露呈してしまうのですから
「はいはい」と言うのが関の山でしょう。

445 :慈風:2006/12/23(土) 05:44:34 ID:aGfAKbJ6
では、しっかりとこたえてみますか。
視点という言葉があります。
そのものの意味は、「見方=自分を主体として、ある物事をどうとらえるか」ということです。
それは個人により違うものであって、一致することはありません。

人により違いますが、視覚を主体とする場合、往々にしてありがちな間違いが「見えるものだけを判断してしまう」ということ。
前出の「法」を束縛とするのは、体を主体とした場合です。
ところが、人の主体が体にないことを知るものにとっては、現在の概念など全く意味をなさなくなります。

446 :慈風:2006/12/23(土) 05:51:48 ID:aGfAKbJ6
なぜかというと、「人を束縛するものは、自己の思考以外に何もない」ことが次第にわかるからです。

壁や限界、さまざまな苦しみ、悲しみ、困難、あらゆる苦痛などは、全て「誰かのせいではない」し、「神のせいでもありません」
それを何かのせいにしたりするのは、「被害者意識」という甘えであり、自立できていないという証明でもあります。

あらゆるものは人の手により作られます。しかし、その奥には「神が在るから可能なのだ」ということを忘れてはいけないと思います。
わかりましたか?

447 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 08:01:55 ID:HNqZ8+3y
>>381
>神や法と自分や物質を区別しているとすると、その区別対象が神や法の外に
で在るとなってしまうのでそれは無いとおもいます。

当時の人々に説く場合においては、「神と自分は一体」を説くことは大きな危険がありました。

イエスは「自分は神と一体である」と宣言することによって、「不敬」だとされ、死刑を科されました。

釈迦の時代には、「自分は不変であり、アートマンと一体である」ということから、「どんなことをしても自分はアートマンであるから変化しない」、
「肉体を失えばそのままアートマンであり続ける。奴隷や非バラモンにどのような仕打ちをしても関係ない」という思想が蔓延していました。

ですから、バラモンの説く「神」や民衆の信じる「神」と本当の「神」とを区別する必要がありました。

釈迦は「永遠不変の法」と「輪廻の中にある「神々」」とを識別しました。

この世での「永遠に変わらない「常」としての「我」」と「変化し続ける「無常」の「自己」」とを識別しました。

当時の「アートマン観」と「神観」とを否定して、本来のものに近づける必要があったからです。

ですから、努力の道標として、現在で言う「意識」や「心」を幾つにも分け、識別をして、説いています。

「神」、「法」、「自分」、「物質」だけでなく、「識」や「意」も識別しています。

佛教は「平等観」だけではなく、「差別観」も包含しています。



448 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 08:54:26 ID:CJGc6U3A
カルマを「原因と結果の法則」とするなら、
446はそのままカルマなんだけど。

どどのつまり、彼はようやくカルマについての一般的解釈に
辿り着けただけなんだけど。

449 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 11:13:27 ID:JrxVU9qo

カルマを消す・・・。

ttp://www.fushigikenkyujo.com/archives/Syuzaiki/ishii.html

450 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 11:37:45 ID:mHDOZEbv
>「被害者意識」という甘えであり
ものすごい他罰的な判断ですね
その自分の内だけで認識(現実)を創造する
これが真の「生き方を選択する」ということか
あまり魅力を感じないのはなぜだろう
相対的な世界はもういいやという気がしている


451 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 14:37:08 ID:CJGc6U3A
>>449
読みました。

>外気にふれたとたんに気で出来た霊体が入り

これに反する意見は幾らでも世界に流布しているけど、これは本当。
霊体を「内なる神」(イコール魂)とするなら、それは出生と同時に肉体に入ってくる。
故に出生前の胎児の記憶は、胎児という物質生命体が持つ記憶を指す。

しかし、胎児と魂に全く関係が無いということは殆ど無い。
というか、無い。
関係があるからこそ、内なる神はその肉体を選んでやってくる。だから

>「両親というのは誰であるかは知らない霊体と霊魂を迎え入れる
>赤ちゃんという器(うつわ)を生むのだ」と言う。

はちょっと違う。両親は自分達の魂のレベルでは自分達の関係を理解しているから。

結論を書くと、自分のカルマを消せるのは自分のみ。この人はカルマを消しているのではなく、
「その人自身がカルマを消すきっかけを与えている」ということでしょう。

452 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 15:09:13 ID:g1o422Wq
>>451
レスありがとうございます。

>結論を書くと、自分のカルマを消せるのは自分のみ。この人はカルマを消しているのではなく、
>「その人自身がカルマを消すきっかけを与えている」ということでしょう。

同意です。自己のみがカルマを消せるのですね。

どの様にすれば、カルマを消せるのでしょうか?




453 :慈風:2006/12/23(土) 17:16:50 ID:aGfAKbJ6
カルマねぇ。

454 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 18:24:39 ID:mHDOZEbv
>>447
381です
>イエスは「自分は神と一体である」と宣言することによって、「不敬」だとされ、死刑を科されました。
キリストは神を「全て」と認識していたみたいですね

>釈迦の時代には、「自分は不変であり、アートマンと一体である」
>ということから、「どんなことをしても自分はアートマンであるから変化しない」、
>「肉体を失えばそのままアートマンであり続ける。
>奴隷や非バラモンにどのような仕打ちをしても関係ない」という思想が蔓延していました。
バラモン教ではそういう事になっていたのでしょうね
ただ、「我々は絶対的に在る」という究極の認識はあっているのですが、
彼らは「我々はお互い分離している」という幻想を繋いで認識してしまったので、
俗に言う「間違い」が発生する土壌を生んだのでしょう
神・法と区別するといった真理から遠ざかる方法よりも、もう一つの真理を
継ぎ足すという修正の方がよかったと思います
ただ、古代の宗教の中に「我々は一体である」という事が強調されている物は無かったように
思われるので当時としては止むを得なかったのでしょう
ただ、それによる間違いも相対性を埋めるために必要といえる程の必然性をもった
人類の経験なのでしょう

仏教はいまいち詳しくは無いのですが、いわゆるより高い教えを理解するための
方便の教えから究極の教えへと説いていったみたいですね
一般的に一番最後に説いたとされる涅槃経を調べてみてはいかがでしょうか

455 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 19:58:36 ID:ieFhIezY
>>453 慈風殿

>?カルマねぇ。

慈風さんには、カルマがないの、又はカルマ自体、其の様なモノは
存在しないという事ですか

456 :163:2006/12/23(土) 21:55:45 ID:ZndR0WaN
慈風はエゴ、自我と真我をはっきり区別している。
そして真我―至高の繋がりしか興味ない。
至高以外の波動は少なくとも2元性を帯びておりカルマや因果関係
が存在する。一体性の中での個性を楽しんでいる。
高位の神々の上にいる慈風の観察ポイントでは
カルマは存在しない。直線時間などを
否定しているしね。実際は高位もそれを超えた状態とも
言えるが。
慈風自体はまだ直線時間内の段階の体験をしているが、
心は至高の存在気分だから言葉上では至高波動の表現になる。
まあ、人の内部には源と同じ波動があるから間違いはないが。
まあ、カルマに関連する意義としてはこうなるのかな。
「あえて満点を取らずに無限の螺旋的な
多次元的成長をしている」。
批判を受けるのは源が円的なのに
霊的成長が早いとか遅いとか言うからかな。
円においては最後尾は最先端より一歩先に行っているとも
言えるし。変化する宇宙の中でのカルマの定義は難しい。


457 :451:2006/12/23(土) 22:52:01 ID:CJGc6U3A
う〜ん、カルマですか・・・

カルマの話題で一番大切なことだと私が考えているのは、【カルマの提議】です。
カルマには実に様々な解釈があります。そのため、人によってカルマの提議が
異なってしまうという事態が頻繁に生じてきます。「カルマは有る」「いや、無い」
と言い争いをしている両者にとってのカルマが、違う現象を指しているとしたら、
両者の意見が一致するはずありませんから。

それゆえに、455さんの慈風さんへの問いかけは極めて理性的かつ理知的な行為といえます。
相手の考えを聞こうとする行為は、一方的な決めつけを回避する最良の手段だからです。

455さんへ、私は敬意を表します。

458 :451:2006/12/23(土) 23:00:13 ID:CJGc6U3A
次に、カルマの話を私がなかなかできない理由を書きます。理由は幾つもありますが、
それらのうちの二大巨頭は、「とても複雑だから」と「とても厳しいから」です。

前の書き込みで私は「カルマには実に様々な解釈がある」と書きましたが、これは、
カルマがとても複雑だからこそ生じてしまったんです。つまり、

  とても複雑な法則であるカルマは全体を包括した説明が極めて困難なため、
  どうしても部分的な説明になってしまう。

  そしてその部分部分から、独立したカルマの解釈が構築されてしまった。

というわけですね。複数のカルマの解釈から共通項をくくり出せる人はそうそういないので、
カルマ論が現在のようになっても仕方なかったのでしょう。

459 :451:2006/12/23(土) 23:07:23 ID:CJGc6U3A
もう一つの理由「とても厳しいから」は、慈風さんも446で触れています。

>「被害者意識」という甘えであり、自立できていないという
>証明でもあります(>>446

これはその通りです。いえ正直いえば、カルマの法則の厳しさはこんなものではありません。
カルマの法則は、神と直結した比較にならないほど強大な意識にとっては、ただの原因と結果の法則です。
しかし、神から大いに離れてしまった微弱な意識にとってのそれは、「ただの原因と結果の法則」
と呼ぶには強力すぎるんです。これは、地上に存在する様々な不幸を見れば、
納得していただけるのではないでしょうか・・・・・。

と、なんだか脅しのようなことを沢山書いてしまいましたが、カルマの法則はある意味、
実に簡潔明瞭で適用が容易な法則でもあるんです。なぜなら、

  人には絶えず内なる神の力が流れ込んでいるからです。

460 :451:2006/12/23(土) 23:13:51 ID:CJGc6U3A
日頃から内なる神とやりとりをしていればしているほど、
カルマの法則は容易で簡単な法則になります。

カルマについて書くかどうかは、もう少し考えさせてください。
すみませんです。


今日はもう落ちます。

461 :名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 23:54:41 ID:mHDOZEbv
カルマについてはこう考えてます
先ずは一体観と個別観で考えられますね
一体観とは、「我々は本来は一つである」というもの
ゆえに「与えた事のは即時的にカルマが実行されている」
もしくは死後に一生での出来事を自分と相手を一体として振り返るときに
相手の受けた感覚を直に受けカルマが清算されるというものです
この「死後の一体化レビュー」には議論の余地がありますが

個別観は「我々は個別に学び神へと向かう」というもの
ゆえに「自分が行ったことはいつか自分へその体験が向かってくる」
殺したら、今度は殺される
与えたら、今度は与えられる
いつかは分からないが、法なのでそれは絶対に実行されるというものです
ただ、殺したら命を助ける、奪ったら与えるというようにバランスをとればOK
というような、カルマは「心のバランスの法」としているものもあります

ただ、最初は善と悪どちらから始まったのか、
そもそも善悪の絶対的な判断などあるのか、
相手と自分の認識のギャップがあった場合はどうなのか、
世界は単純にそういう風には見えないのはなぜか等、
色々不思議な点はありますね

462 :名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 00:15:36 ID:eBPJAFpQ
>>445-446

>しかし、その奥には「神が在るから可能なのだ」ということを忘れてはいけないと思います。
神が在るから、ねぇ。

「神」の一点を除いてあなたのおっしゃってることはごく当たり前のことです。
当たり前のことを繰り返し言って自分に刷り込んでいるに過ぎません。なぜ当たり前の
ことを繰り返し言うのでしょう。何か素晴らしい内的活動でもなさっているおつもりですか?

そして、神の話につなげている以上それは立派な宗教となります。脱宗教という
新興宗教というのは数多くあります。

あなたは神を「忘れてはいけないと思」っていることからも明らかなように宗教に
束縛されているのですね。

>あらゆるものは人の手により作られます。しかし、その奥には「神が在るから可能なのだ」ということを忘れてはいけないと思います。
わかりましたか?
あらゆるものは人の手により作られます。神も人の手により作られ継承されてきました。

わかりましたか?

463 :名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 01:48:41 ID:nYUrwn3n


人間は実に複雑怪奇な生き物、顕在意識、潜在意識、深層心理
善にも悪にも中庸にもなれる。

其の究極的な「善」なる意識が「神」で在り、究極的な「悪」なる意識が
「悪魔」であるのかもね。


464 :慈風:2006/12/24(日) 04:52:53 ID:zdcdacGF
説明するきにもならん。


465 :名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 07:58:25 ID:IBXTggQc
>>462
>あらゆるものは人の手により作られます。神も人の手により作られ継承されてきました。
わかりましたか?

人の手によって作られるものなど何一つありません。

多くのものは自然より模倣したものであり、
その元にしたものは、いかなる原理であろうとも、人間によって創り出されたものは何一つありません。

病気にならない肉体、年をとらない肉体さえも創り出せていません。

地球を人間はどのようにして創造しましたか?
この宇宙をどのようにして創造しましたか?

「生」、「老」、「病」、「死」があることが、「人間は何も創り出せていない」ということを示しています。

生命を預けられているだけで、自分で創り出すことが出来ていません。

人間が創りだせているのでしたら、そのものを壊し、復元し、そのものを殺し、生かすことが出来るでしょう。


466 :無所属な旅人 ◆TripFe2LDA :2006/12/24(日) 09:31:57 ID:Bk6A9BhH
説明でも解呪でも(←言葉の上だけじゃないよ)自分から出来なくなった事はシコリ(←なんと呼んでもよいけど)だよ。

あえてしない(/する)は、自分がそこで支える(←これもあやのある行動表現だけど)としていることと同義。

わかっているなら、そのように表現(=体現)してといわれているだけ。

467 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 07:38:56 ID:aOh4C0G9
>>463

究極的な「悪」というものは存在しない。

「究極」に向けて行く間に映し出される歪みが「悪」というもの。

やがては「悪」と見えたものは消え失せていく。

「本来、悪なし」

468 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 15:24:43 ID:YtYqme3V
>>464
しょうがないな、書くか。
率直に言うと、あなたは人と意見を交換するのが下手なんです。なぜなら、

  人と意見を交換させる努力をしてこなかったからです。

あなたは「私は自分のことしかはなさない」「判断するな」と主張してきました。
この考えに、相手との意志の疎通はありません。
相手を理解しようとする努力もありません。ですから、

  皆があなたの考えを誤解しても仕方なかったのです。

なぜならもう一度繰り返しますが、

  あなたは人の考えを理解し自分の考えを理解してもらえる努力を
  してこなかったからです。

469 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 15:37:44 ID:YtYqme3V
ここにAさんがいます。

Aさんはあるとき決心しました。「一方的な決めつけをしない人間になろう」と。
ですからAさんは、人を理解する訓練をしました。
どのようにしたら相手を理解できるかと、いろいろ試してみました。
どのような会話を心がければ相手と意志の疎通がしやすくなるかを
学び続けました。
どのような心構えで生き、どのような心構えで人と接すれば、
偏見や先入観のない人間になれるかを根気強く探し続けました。

その甲斐あって、Aさんは人の考えを理解することが上手になりました。
と同時に、自分の考えを表現する方法も上手になりました。
Aさんは自分だけの一方的な価値観で人の意見を判断するのではなく、
もっと広い視野で総合的に判断できるようになりました。

Aさんは、一方的な決めつけをしない人になれたのです。

470 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 15:50:08 ID:YtYqme3V
一方的な決めつけは、正しい行為ではありません。
ですから、それをしない人間になろうと決心することは
正しいことだと思います。

しかし、です。
一方的な決めつけをしない人になるためには、何をすべきなのでしょうか?
「決めつけをするな」「私は自分のことしか話さない」と人へ言い続けるだけで、
果たしてその人は決めつけない人になれるのでしょうか?

一万人のうち9999人は、失敗するでしょう。なぜなら、

  こうありたいと思う自分になるためには、
  人は相応の努力をせねばならないからです。

決めつけをしたくないならば、相手を理解する努力をせねばなりません。
その先にのみ、「決めつけをしない自分」はいるのです。

と、こういうワケですよ、慈風さん。

471 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 20:45:40 ID:tX3gU+sW
原初の世界は絶対性であったので何の感慨も無く、また体験が不可能であった
原初の本質の素晴らしさを体験するため本質から離れる事を創造することとなった
それが相対性の世界であり、本質に近いほうを心地よく感じ、離れるほど心地悪く感じる
相対性の世界を展開した目的にあるように、我々は心地よい方向(本質)を目的地としている
しかし、本質に近いところにずっといると心地よさが無くなってしまう為、本質から離れなければならない
と私は言ってきたが、「必ずしも我々自身がまた本質から離れなければならない」
という訳ではないという事を言うのを忘れてました、、、
では現状の素晴らしさを味わうにはどうすればいいのか
2つの方法があります
「本質から離れていた過去の記憶を味わう」
「本質から離れている他の存在を観察する」
高度に精神性を高めた存在はこの方法をやっているみたいです
なので上がりっぱなしでも大ジョブだからどんどん上がっちゃいましょうという事です
「あの時に比べりゃ・・まぁ良い方だな・・」
「ぁぁ・・アイツよりかはマシかぁ・・・・」
我々も何気にやっていますねw

472 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 22:08:53 ID:s/S2L4mp

絶対性をつかめてないレスだなw

473 :163:2006/12/25(月) 23:12:12 ID:RMA9gLlH
>>471
ユニークな表現ですね。
結局、高度に進化して「悟りを得たり」、「昇華」、「アセンション」、
「エンティティ」等になれば、もう好きな次元に降り立って、
思うような光のボディをまとい1から経験しなくてもすべての
経験をシェアできるのでワンネスでの個別性を楽しめるという
ことか。


474 :名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 08:13:28 ID:5lKvBibs
>>473

あらゆる段階における「グループセルフ」を通じて、全ての経験を体験できるのです。

「同じ自分」の別の「時代」、「個性」などの別の側面を通じて。

「全能」なので、「自らを忘却すること」も「自らの力を制限すること」も可能なのです。

無限の側面に意識を投射しているがゆえに、いかなる次元にも存在し得るのです。

475 :名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 10:00:37 ID:pEXYzzjU
>>472
正真正銘の絶対性をつかむためには絶対性との完全一体化が必要だから、
そこまで至れないうちは絶対性をつかめてなくて普通だよ。

それに471さんは、面白い所を突いていると思う。
私なりの表現を使うなら、

>「本質から離れていた過去の記憶を味わう」
>「本質から離れている他の存在を観察する」(>>471

を真に可能にするのは、「絶対存在に直結している意識」ということになる。
そして、絶対存在に直結した意識に近づいた意識であればあるほど、
絶対存在に【似た観察】ができるようになるということ。
知識や常識に囚われない客観的な観察を、自分なりの視点からできるようになる
とも言えるかな。

163さんや474さんの話も、絶対存在に直結した意識にとっては
至極普通の事柄といえるでしょう。

476 :163:2006/12/26(火) 11:56:20 ID:p5MVHZRg
人間でも多次元に同時存在するといわれる。
しかし、経験を積むためにはこの人生によくフォーカス
する必要がある。地球次元の意識は真実にフィルターをかけたり、
ほこりがついたりしやすい。
まあ、人間にはこの人生しかない、死後の人生はない
というほどの覚悟も必要かと言われる。
人間でさえ幻想だと冷めた感覚ではそれが真実であっても
進化と喜びはない。
進化、カルマさえ高い視点からみればないと言うが
そこまでの高くて大きな視点に在るという状態が必要かと。
言葉で目標としてとらえて日々進化と成長、それに喜び
によって体験、卒業、そして在るという状態となる。
高次の存在になっても一体性という
真実の中でも個別的存在という現象を楽しむという。


477 :名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 12:01:32 ID:pEXYzzjU
>>476
>人間でも多次元に同時存在するといわれる

これは本当にそう。
でも私が書くと、またまた本には載ってないことだらけだから
433に似た対応なんだろな。
そうじゃなければとても嬉しいんだけど。

用事があるので今日はもう落ち。

478 :名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 12:04:12 ID:pEXYzzjU
>高次の存在になっても一体性という
>真実の中でも個別的存在という現象を楽しむという

書き忘れたけどこれも本当。

479 :163:2006/12/26(火) 18:17:09 ID:p5MVHZRg
>>477
えーと。自分の知識と感性で書くということは霊感を磨く
上で大切なことと思います。
ただ、レスをみる相手は真意を汲みきれないまま推測で
判断することもあるのであしからず。
(時間的制約もあるしですね)


480 :163:2006/12/26(火) 21:42:09 ID:p5MVHZRg
この多次元性というのは高次の光の無限の側面のこと。
よくステンドグラスのたとえで表現される。
「行き着く先は同じ」とはそれぞれの道は違えど皆と源とは
一体性の希求を有する。
それはある意味で始まりの聖なる瞬間でもある。
すべては一瞬で生まれた。源が自らを知るために。
人生の目的、宇宙の目的、魂の目的。すべての問題の解決。
もしいろんな変動が起きたとき一番大事なこと
はこのことだろうと思いますね。

>を真に可能にするのは、「絶対存在に直結している意識」ということになる。

我々は無意識に絶対存在と直結しているが、
関係度は絶対存在への意識的な度合いによる。


481 :名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 22:33:38 ID:pEXYzzjU
>>480
ちょっとだけ

>我々は無意識に絶対存在と直結しているが、
>関係度は絶対存在への意識的な度合いによる。

うん、全ての人は無意識に絶対存在と直結している。
そして中には、完全自覚のもとに絶対存在と常時直結している人もいる。
もちろん私はまだまだだけど。

482 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 07:34:27 ID:GtmdEXGB
>>481
>そして中には、完全自覚のもとに絶対存在と常時直結している人もいる。

残念ながら現在の地球の霊的発達の段階では、そのような人はごく少数です。

「絶対存在と常時直結」まではいきません。

だいたい、ガイドやガーディアン、マスターを通じて、それ以上でも、ハイヤーセルフ、ゴッドセルフを介して通じているので、
「直結」はしていないのが、現状です。

それどころか、エゴ(ネガティブ)や幻想、媒体の未浄化のために、ガイドやガーディアンとの連結さえ遮断されている状態にある人がいます。

絶対存在と直結しているのは霊界における本源のセルフであって、地上の「私」が直結していることは極めて稀なことです。









483 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 08:25:50 ID:L2TNNgsD
>>476
>まあ、人間にはこの人生しかない、死後の人生はない
というほどの覚悟も必要かと言われる。

「人間にはこの人生しかない」、「死後の人生はない」と考えることは、実際には何の役にも立たないことが多いです。

多くは、自分中心の生き方にもなり、また、無自覚のうちに他の人の想念の集積や未浄化の霊的存在の操り人形となってしまうことにもなります。
迷いの中で、幻想の中を歩んでいるのにも等しくなってしまうのです。

大多数の人にとっては、「死後の世界はない」と考えるよりも、「死後の世界はある」と考えて生きた方がより良い人生を選択できるでしょう。
同様に、「カルマはある」と考えるほうが、「カルマはない」と考えるほうが、多くの人にとってはより良い人生を選択できるでしょう。
「自分がよい種を蒔けば、よい果実を実らせ、よい果実を味わう」
「自分が悪い種を蒔けば、悪い果実を実らせ、悪い果実を味わう」
そのように考えて生きた方が、「よい種を蒔いても、悪い種を蒔いても、何の果実も実らない」とか「よい種を蒔いても、悪い種を蒔いても同じ果実を食べるだけで、果実に何の変化もない」と考えるよりも、よりよい人生を選択することになるでしょう。



484 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 08:28:11 ID:L2TNNgsD
しかし、さらに向上した人は、「ただひたすらによい種を蒔く。自分がそれを味わうことがなくても、ただひたすらによく育てよう、実らせようとする」のです。

「人間にはこの人生しかない」とか「死後の人生はない」と考えることも迷妄にとらわれることになります。

「人間にはこの人生しかないとしても、死後の人生があったとしても、それには関わりなく、ただひたすらに人生を生き抜く」ということです。

「この世しかない」ととらわれることも、「死後の人生」があるととらわれることも、誤りとなる。
「どちらであろうと関わりなく、努力して、そして、やがてにはありのままに生きること」、
「よい種の結果も悪い種の結果もありのままに受けとめ、悪い種は蒔かずに、よい種をまこうとする生き方」をすることで、死後の世界があろうと、あるまいとどちらでも問題がないように生きることになるのです。


485 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 08:29:35 ID:L2TNNgsD
自己が確立した者が「自己犠牲」を学び、「悪カルマに束縛されることがなくなった者」が「カルマにとらわれない生き方」を学ぶのです。

「自己が確立しない者」が「自己犠牲」を学んでも、「主体性のない生き方」、「奴隷としての生き方」をすることになります。
「悪カルマに束縛されている者」が「カルマにとらわれない生き方」を学んでも、「「カルマはない」と言いながら、悪カルマを無自覚のままに積み重ねていく生き方」になります。

「カルマを知るかどうか」ということは、「自分がどのように借金をし、どのように返済するか、財産を得るか」を知るか、
無自覚のままに借金を積み重ねていくかということです。

「カルマにとらわれない」ということは、「世のためにと努力して、それで失敗したら、その借金は甘んじて受けるが、そのようなことにこだわらずに自分の出来る限りの努力をする」ということです。
「それで財産を得たとしても、それは結果に過ぎず、財産を得るために努力するのではない」という生き方です。

「死後の世界」があるということにこだわって、「死後によい世界に帰るために努力する」という人には、
「死後によい世界に帰れなかったとしても、死後の世界がなかったとしても関係なく、後悔することがないように、自分に出来る限りの人生を生き抜くこと」が薦められるのです。
それもとらわれとなって、ある段階から先に進めなくなるからです。

486 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 13:21:09 ID:NCucxIyp
>>482
>残念ながら現在の地球の霊的発達の段階では、そのような人はごく少数です

たしかに少数だけど、ちゃんといるよ。
絶対存在と常時直結してる人もいるし。

ただ、イエスが「この世で小さい者ほど天国では大きい」と言ったよに、
いわゆる霊の世界での有名人にはいない。

それと、470で「一万人のうち9999人は、失敗するでしょう」(>>470
としたのは、数万人に一人の割合でかなりの段階まで成長した人がいるから。
だけどその人達も、一般的に認知されている霊的な行為とは別なことを
していることが多い。
一般的な霊と真の霊には、大きな隔たりがあるからね。

だからこそ、常時直結している人達はいないと世間では
思われているワケでした。

487 :名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 13:43:49 ID:nbF8+gfV
死後の世界やカルマについては、「そんなものがあってもらっては困る」
という人が多いんだ。

あってもらっては困ると思っている人達は、何が何でも否定しようとする。
話せば話すほど、否定しようとする。
実例を挙げれば挙げるほど、否定しようとする。
だからそういう人達用のアプローチが現代では幾つもされているので、
そこら辺を調べてみることを勧めるよ。

私の経験では、別のアプローチをしてみたら、死後の世界やカルマを
信じていない人もとても素直に受け入れてくれたな。これは412さんの

>本当に必要としている人ほど拒否する(オカルト宗教と勘違いする)傾向はあります。
>それはメンタル掲示板(心の病の人が集まる掲示板)へ行けばわかります。

に通じる。正直言うと上記の傾向は、体の話より心の話の方が強く、
そして心の話より霊の話の方がより強い。

486が、その理由です。

262 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.02 2018/11/22 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)