5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

原始佛教その17

1 :独り言 ◆ZZW30U26jo :2005/11/20(日) 19:36:20 ID:jyUo3jRW
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|   原始佛教の時間です。
\__  ___________________
━━━∨━━━━━━━━━━━━

  ,__  縁起・空・中道
 B■∧  /
━ (,,゚Д゚) / ━━━━━ ∧∧━━    ∧∧
   |   つ ∇      (゚Д゚,,)      (Д゚ ;)
   |  |┌─┐   /⊂   ヽ    /⊂  ヽ
 〜|  ||□|  √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜
   ∪∪ |   |  ||   ━┳┛  ||   ━┳┛
 ̄ ̄ ̄ ̄|   | ====∧==========
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |   荒らしがこなきゃいいんですけどね?
    \______________∧______
         /
         |    荒らしもここの立派な風物詩だよ・・・。
         \_________________

393 :1/4 素人:2005/11/28(月) 21:14:57 ID:5EXZmNdT
電波さんの方が少し大人なんですね(^^;)

さて、>>360で仰ることはよく解ります。
その上で敢えてレスを返させて貰いたい。
ちょうどいい機会なのでスレ違いも先刻承知w どれだけ罵倒されようとも
より多くの目に触れるであろう此処で、少しばかりチラシの裏をさせて貰う。

論点がずらされてはぐらかされている印象を受けます。
私が、
なぜ   >どう考えているのか?(≒スタンスの表明)くらいは   で『=』でなく『≒』を使ったのか。
なぜ   どこがふさわしくないのか? と問うたのか。
を汲み取って欲しかった。
それらは、>>360で述べられているスタンスに縛られるものではなかろう。

いや寧ろ、 『 既成教団や組織化された教団のすべてを否定します。 』と言う貴方方だからこそ、
 仏法の存続、サンガの発生理由、サンガの存在意義、サンガ・精舎の功罪、
 ひいては比丘(出家者の)存在意義、律の存在意義、律ではない戒の存在意義、
 経と論のみで仏教たりえるか、新たな律・戒の制定は不遜な行為か、
 釈尊が細かな決まりは廃して良いと言ったのに長老達がそれをしなかったのはなぜか?、
 法はどのようにして伝えられていくべきか、どのような伝え方(存続のさせ方)が現代社会では可能なのか、
 釈尊の教えの原型を捕まえることができたとして、それを後代にどう伝えるか、
 いや、個人の信条であるなら菩提樹下に坐したまま生涯を終えても構わないのではないか、
 (付随して、なぜ釈尊は、自己の思想を外へ向かって発信せねばならなかったのか、)
 なぜ釈尊が出家を推奨し「負債の無い生活」と称えたのか・・・etc.
について、自分の気付かない視点・卓見があるのではないか―――と期待せずにはいられない。
  (複問虚偽の見本みたいなレスだなw
   けど、ひとつひとつ区切っているし、ひとつの問としているわけではないし
   羅列にしかすぎないのだけどやっぱり複問虚偽なのかな (´・ω・`)?)

394 :1/4 素人:2005/11/28(月) 21:15:36 ID:5EXZmNdT
これらは、電波さんのやってこられた分野とは殆ど被らないものではあるだろう。
また、それ(仏法の存続・体現)を追求するには
釈尊在世当時の文化的背景、釈尊がどれだけ当時の思想を取り込んでいたのか、
律蔵の(パーティモッカの)成立史、部派分裂の詳細、各結集の詳細、
そして、現代日本の実情――についてのしっかりした学究と理解が不可欠であろうと思う。
けれども、それらを抜きにして実存的仏教はありえないと思う。
 (僕は研究者ではない。むしろ求道者であらねばならないわけだが、
  調べ物の量にorzとなり、究明をあきらめた身としては説得力の欠片も無いがね・・・w)

座右の銘として仏典を手許に置くことは容易い。(だから、電波さんは枠から飛び出したのでしょう?)

大学時代に、教授が言った台詞にこういうものがある。
『「経典にはこう書かれています。論文にはこう書かれています。これこれが伝統的解釈です。」と解説することは容易い。
が、誰かと相対して話をする時に、「経典にはこう書かれています。そして《私は》このように考えています(受け止めています)。」』
と語るべきなのではないか・・・」と。

経典に述べられている五蘊は、遠いどこかの他人の五蘊じゃない。今まさに生きている自分自身の五蘊なのだ。
一切が無常であるというのは、地球の反対側が無常なのじゃない。自分自身が無常なのだ。
この自分自身が、苦であり無我であり無常であるのだ。
「来て、見よ」と言われる涅槃も、他の誰かが見るんじゃない。自分自身が見るべきもの(自分自身しか見れないもの)なのだろう。

また、こんなエピソードも聞いた。
ある学生が雑談中、双頭宗の現状を憂い、「今、沢木行動がいたなら・・・」と言ったらしい。
そのとき上記教授は、「じゃあ君が茶話木興道になればいいじゃないかw」と返したらしい。
その後彼がどう答えたかまでは聞かなかったが、忘れられない話のひとつだ・・・。
現代の仏教を憂えるなら、自分が釈尊になればいいw   ・・・・・orz

395 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/11/28(月) 21:16:49 ID:q84K4pEG
【警報】
↓はパーリ佛典等を、オウムが凶祖にお伺いを立てながら“超訳”したトンデモです。危険ですので近づかないで下さい。
http://tetugaku.fc2web.com/butten/butten.htm

396 :3/4 素人:2005/11/28(月) 21:16:48 ID:5EXZmNdT
参:
ある時アッサジは、朝早くに内衣を着け、衣鉢を具して(→威儀を整え)王舎城に托鉢に入り、
往くにも帰るにも、前を見るも後ろを見るも、屈するも伸ばすも(→かがむも立ち上がるも)、
端正で、眼を地につけ、全て如法にあった。行者サーリプッタは、見てこう思った。
『実にこの世に、阿羅漢、または阿羅漢の行を実践習得している者がいるならば、
この人はそうした行者の一人であろう。私は、彼に近付いて尋ねてみよう。
「友よ。貴方の諸々の器官は清く澄み、肌は清らかで清潔である。いったい貴方は、誰を仰いで出家したのですか。
貴方の師は誰ですか。誰の教えを奉じているのですか。」』と。
しかしまた、「今は訊くべき時ではない。彼は托鉢を行っているのだから。
では、私は彼の後をついていこう。これが求道者のやり方であるから。」と思い直した。
アッサジは托鉢を行い、食物を持ち帰った(→食事を終えた)。
そこでサーリプッタは近付いて、挨拶を交わし、親しみあり礼儀にかなった言葉を述べ、一方に立った。
一方に立って次のように言った。「友よ。 〜略〜 奉じているのですか」と。
「友よ、釈迦族の家から出家した偉大な沙門がいます。私はかの尊師を仰いで出家したのです。
私の師はかの尊師です。私は、かの尊師の教えを奉じているのです。」と。
「では貴方の師は、何を、どのように説かれるのですか。」
「友よ。私はまだ未熟で出家して日も浅く(この教え(と戒律)を奉じたばかりで)、
私は貴方に教えを説き示すことができませんが、要点をお話しましょう。」
「友よ。多少なりとも話してください。要点のみを語ってください。多くを語ることが何になりましょう。」
そこでアッサジは次の偈を唱えた。
「諸々の事柄は原因(条件)によって生じる。
如来はそれらの原因を説く。 また、それらの死滅を説く。
偉大なる沙門はこのように説くのです。」と。
その時尊者サーリプッタは・・・・・以下略w

サーリプッタは、尊者モッガラーナの許を訪れる。
目蓮は言う、「汝の諸根は清澄なり、汝の膚色は清浄皎潔なり。汝は不死を逮得せるや。」
舎利弗は答える、「然り。不死を逮得せり。」と。

律蔵大品 1−23 より 要約

397 :4/4 素人:2005/11/28(月) 21:17:22 ID:5EXZmNdT
(昔の、内々の者用に考えていた「仏伝のまとめ」の途中メモからコピペ。
細かい表現があるところを見ると、要所要所は自分で訳してたのかな?
原典のコピーも見当たらず、南伝の訳では堅くて古すぎるのでメモそのままにしたw
以前の暇人さんへのレスを、自分で否定してるなw ・・・・・ orz)




それから、
>葬式佛教など攻撃の対象でしかありません。
については、>>330のリンク先の104と『在家宗学の提唱』山内舜雄/大蔵出版
を提示しておきます。(葬式仏教礼賛というわけではないですよ。念のため(^^;))

224 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.02 2018/11/22 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)