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■原始仏教談話室 その2■

1 :名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 06:39:20 ID:1jvcO2gz
漢訳阿含経やパーリ仏典に説かれている教えについての談話室です。
参学の途上にある者同士の談話室です。まったり ゆったり学んでいきましょう。
ご関心・興味ある方が気軽にカキコできるように
初心者の方に優しくで お願いします。

以下ご参考に
原始仏教の定義 森ゼミの「原始仏教ってなーに」
www2.toyo.ac.jp/〜morimori/naani.html
原始仏教関連過去ログ倉庫
www.geocities.jp/jfcps873/index1.html 
パーリ仏典
www.metta.lk/tipitaka/
www.tipitaka.org/index.html
大正大蔵経-中華電子佛典協会
cbeta.twbbs.org/index.htm

難しい話や議論、論争は「原始仏教その16」へ
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1126607382/l50

前スレッド  ■原始仏教談話室■
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1125118802/l50

あと ココのサイトに
http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/index.htm
中村元訳のスッタニパータ ダンマパダあり

2 :名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 07:02:37 ID:5OIuYrhf
君は今も僕を見守ってくれているのかな?
君は、僕の生まれて初めて出来た彼女だった。
すごく嬉しくて、幸せだったなあ。
突然、白血病だって医者に宣告されてから、君は病室で日に日に弱っていった。
「病院ってひまねえ」って笑う君を見て、僕はいつも泣いていたんだ。
君の為に、僕の小汚いノートパソコンをあげたら、君はすごく喜んでくれたよね。
ネットをするようになった君がいつも見ていたサイト、それが「2チャンネル」だった。
ある日君はいつものように、笑いながら言った。
「ほら、見て今日も2ゲット出来たよ。」
「あまりパソコンばっかいじってると身体に障るよ」
なんて僕が注意すると、
「ごめんねえ。 でもね、これ見てよ。
ほら、この3のひと、2げっとぉ!なんて言っちゃってさぁ、ふふ」
僕は黙っていた。君がすごく楽しそうで、僕は何も言えなかった。
「ほらみて、この3のひと、変な絵文字使ってくやしぃ〜!だって。
かわいいねえ。 ふふ。」
僕はまだ黙っていた。笑う君を見て、どうしようもなく悲しくなった。
「憶えててくれるかなあ」 君がふと言った。
「…この3のひと、私がいなくなっても、あの時変な奴に2をとられたんだよなー
なんて、憶えててくれないかなあ……無理かな……憶えてて、ほしいなぁ……」

それから数ヶ月後、君は家族と僕に見守れながら息を引き取った。

君はもうこの世に居ない、なのに僕は今F5を連続でクリックしている。
君の事を、3のひとが忘れないように、いつまでも、いつまでも忘れないように。

天国にいる君と一緒に、今ここに刻み込む

        2 ゲ ッ ト

3 :名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 07:22:59 ID:MfkBSkGD
>>1
小津

4 :暇人:2005/11/03(木) 09:45:16 ID:Q3731/yq
1さん ありがとうございますm(_)m

5 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/03(木) 10:06:25 ID:vNstpy02
前スレにも書いたのですが、改めてこちらにも書いておきます。
職人の世界で名人と言われる人がいます。普段人が気がつかない
コツとかツボとか言う技術を獲得した結果だと思います。私は「
悟り」が伝わりにくいのは、思考方法による職人芸的な要素があ
るのではないかと思っています。

 ニュートンが万有引力の法則を発見するより前に、ガリレオは
ピサの斜塔から重い玉と軽い玉を落として同時に地面に着く実験
をしています。リンゴが落ちるのを見てニュートンはガリレオが
見逃していた何かを感じ取ったのです。

 禅では「悟り」の内容は明らかにしませんが、悟りに入るきっ
かけは、夜空を見たら月があったとか、箒にはじかれた小石が竹
に当たって音を立てたとか、普段私たちが当たり前としている事
柄から何かをつかんでいます。

 以前ゴルフのことを書きましたが、いくら本を読んで理論や理
屈を学んでもうまくならないのは、実際に球を打って見ないと飛
ばすコツやタイミングなどを体得できないからだと思います。

 出家しろとは言いませんが自分というものに向かい合って、自分
の心と世の中の関係についてよく観察してみることが必要ではない
でしょうか。お釈迦様の説いた縁起の法は「生まれた人は必ず死ぬ」
と言うように、ごく当たり前のことを当たり前に説いているのです。

 自分というものが解れば、当たり前のことを当たり前にしていない
のが何か、それに気がつくと思います。

6 :名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 10:07:22 ID:6LZdrPY9
>>1
Z

7 :名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 10:30:07 ID:RLq6VlNS
>>5 あなた自身も、何か座禅や瞑想等の実践をされているのですか?

8 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/04(金) 12:57:06 ID:jAe8LVrq
>>5 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/03(木) 10:06:25 ID:vNstpy02
> ごく当たり前のことを当たり前に説いているのです。

<--
http://www.j-world.com/usr/sakura/words/w025.html

子ある者は子について喜び、また牛のある者は牛についてよろこぶ。
人間の喜びは、執着する依りどころによって起こる。
執着する依りどころのない人は、実に、喜ぶことがない。
-->

あなたは、悪魔の唱えたこの詩句を

・ごく当たり前のこと
と考えますか? 

・当たり前のことを当たり前にしていないこと
と考えますか? 


9 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/04(金) 15:25:05 ID:ZAgftf/4
 お釈迦様はこの反対のことも言ってます。

 子ある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。
人間の憂いは、執着する依りどころによって起こる。
執着する依りどころのない人は、憂うることがない。

 嬉しいときは喜べはよいし、悲しいときは泣けばよいだけのこと。
それよりなぜ「当たり前」と「当たり前じゃない」との2つに分けるの。
どちらか一方をとると、片方の考えに執着することになるよ。

 私はすべて当たり前。


10 :名無しさん@3周年:2005/11/04(金) 15:42:04 ID:ZY1akK4n
>禅では「悟り」の内容は明らかにしませんが、悟りに入るきっ
>かけは、夜空を見たら月があったとか、箒にはじかれた小石が竹
>に当たって音を立てたとか、普段私たちが当たり前としている事
>柄から何かをつかんでいます。

禅では古典的に言い古された事柄ですね。
して、あなたはそれらの事柄をどのようにして知りましたか
禅の師によってですか?
禅の書物によってですか?
それとも、直感的悟りの叡智によって、それらが閃いたのですか?


11 :名無しさん@3周年:2005/11/04(金) 15:52:54 ID:ZY1akK4n
>それよりなぜ「当たり前」と「当たり前じゃない」との2つに分けるの。
>どちらか一方をとると、片方の考えに執着することになるよ。

 >私はすべて当たり前。

すべて当たり前は、どちらか一方への執着ではないのですか?

12 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/04(金) 16:33:14 ID:jAe8LVrq
>>9 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/04(金) 15:25:05 ID:ZAgftf/4
>  嬉しいときは喜べはよいし、悲しいときは泣けばよいだけのこと。
これは、あなたの主張ですよね?

私の理解するところでは、ブッダはそのような主張はしていません。

私の理解するところでは、ブッダは
喜んだり、悲しんだりするのは執着があるからだ。執着を捨てなさい。
と主張しています。


13 :名無しさん@3周年:2005/11/04(金) 21:05:38 ID:9E/Gqsft
>>5
学んだことを実践することは大切だと思います。学び足りない人は(有学)といわれ
ます。

>お釈迦様の説いた縁起の法は「生まれた人は必ず死ぬ」
と言うように、ごく当たり前のことを当たり前に説いているのです。

 縁起の法とは、それは主体なる自分との関係で考えなければならないものと思います。
全ては縁起しているもんだから、全ては実体は無い。この実体はないと言うことを欠いた
教えは全く無意味だと思いませんか?
 昨日あの人は私を侮辱した、と思っている人は、うえの教えに従って、昨日あの人は私を侮辱していない、と考え無ければならないのではないでしょうか?
同様に、私はあの人を侮辱したと言うのも、そのような思いを否定して、侮辱していないと考えるべきだと思いませんか?

14 :名無しさん@3周年:2005/11/05(土) 02:07:43 ID:e8ta/gQH
【狂牛情報】アルツハイマーによる死者が50倍以上に アメリカ

159 - 衆 - 農林水産委員会 - 13号 平成16年04月27日 ○山田委員

エール大学神経病理学科外科部門の研究チームの検討を含め複数の研究で、剖検によりアルツハイマー病
あるいは痴呆症と診断されていた患者の三―一三%が実際はクロイツフェルト・ヤコブ病に罹患していた
ことが判明したとしている。米国では毎年アルツハイマー病と診断される患者が四百万人、痴呆症患者は
数十万人が発生していることから、最も少なく見積もって一万二千人以上のクロイツフェルト・ヤコブ病患者
が検出されず、公式統計に含まれない可能性がある。 注:12万人以上と思われる
                           
実際、アルツハイマー病と診断された死亡患者数は一九七九年には八百五十七例であったものが、
二〇〇〇年には五十倍以上の五万例近くとなった。

159 - 衆 - 農林水産委員会 - 7号 平成16年03月18日 ○松木委員 

記事の中に、アメリカでは、アルツハイマー病あるいは痴呆症と診断される人が年間四百万人いるそう
なんです。複数の研究機関の合同研究によると、このうち三から一三%が実際はヤコブ病であったことが
判明しております。少なく見積もっても十二万人はヤコブ病の公式統計に含まれていない可能性がある。

「アルツハイマーや若年性痴呆の中に変異型ヤコブ病患者が」・・米国牛輸入再開に京大医学部教授衝撃的指摘
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1120196765/
【vCJD】牛海綿状脳症(BSE)と同じ病気“日本人発症しやすい”…厚労省研究班
http://news16.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1088575874/l50

15 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/05(土) 09:08:47 ID:alUnik1q
>>10さんへ
曹洞宗の寺院が運営する幼稚園に通っていたし、そこの住職が小学の時に
入ったボーイスカウトの団長だったし、中学の時の漢文の先生だったせい
で、禅というものに身近に接していたせいでしょうね。

16 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/05(土) 09:49:16 ID:alUnik1q
>>11さんへ
 あちこちで引き合いに出されるけど スッタニパータの

 或る人々が「最高の教えだ」と称するものを、他の人々は「下劣なものであ
る」と称する。これらのうちで、どれが真実の説であるのか? かれらはすべ
て自分らこそ真理に達した者であると称しているのであるが。(903)

 かれらは自分の教えを「完全である」と称し、他人の教えを「下劣である」と
いう。かれらはこのように互いに異なった執見をいだいて論争し、めいめい自分
の仮説を「真理である」と説く。(904)

の文章で人はなぜ争うのだろうか。それは「自分の教えこそが真実である 」と
執着していることが原因であることは解ると思う。

 もしこの人が「私の言っていることは正しいけれど、あなたの言っていること
も正しい」としたらどうだろう。論争になるだろうか。

 「子供を持つことは喜びである」ばかり考えていると、キサー・ゴータミみたい
に精神に破綻を起こしてしまう。だから釈尊は「子供を持つことは喜び」でもある
けど時には悩み・苦しみ・憂いることもあることを示している。この両方を知って
いれば、いざというとき苦しむことが少ないのではないかな。

 この2つの理由から私は「すべて当たり前」という立場をとっている。

17 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/05(土) 09:58:19 ID:alUnik1q
>>12 >>13さんの質問については、今日時間があったら書くけど、
日曜日は用事があるので、もしかしたら月曜以降になってしまうかも
しれません。ごめんなさい。

18 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/05(土) 11:40:38 ID:w0C97ZSv
アタラクシア 4 [(ギリシヤ) ataraxia]
〔哲〕 他のものに乱されない、平静な心の状態。
エピクロス学派が幸福の必須条件として主張したもので、幸福は快楽にあるが、
外的なものにとらわれず欲望を否定した内的な平静こそが
最大の快楽であるという。静安。

19 :名無しさん@3周年:2005/11/05(土) 14:39:18 ID:daq8XPSx
>>18
仏教と同じではないですか?ただし理論的根拠はどうなんでしょうか?
ギリシャ哲学において、縁起と空の思想は、名前としては聞いたことがありませんが、
それに相当する思想があって良いはずと推測すべきではないでしょうか?
 パルメイニデス。w

20 :暇人:2005/11/05(土) 17:35:42 ID:4dOujNrl
縁起と空はないが  ギリシアには
諸行無常と似た「万物は流転する」とかはあったね

21 :名無しさん@3周年:2005/11/05(土) 18:25:17 ID:XvzvIyd0
>>15
そのような理由であるなら、別に特別に禅でなくてもかまわないということになりますね。
でも、禅宗系の学校に通われて、その影響のある教師から教えを受けたというのも縁
でしょう。

「あたりまえ」という佛教概念には、「真如」が相当すると思われます。
道元禅師の「眼横鼻直」は、応にこの心境を表しているのでしょうか。
しかし、私の考えとしましては、我々は常に外界(所識)とそれを見る自分自身(能識)を
切り離し分別して見る(差別相で捉える)、つまりは、染汚識から抜け出ていない訳です
から、安直に「あたりまえ」という言葉に依存することは避けたいと思っております。
「あたりまえ」に執しているうちは、「あたりまえ」は程遠いのではないでしょうか。
いつかこの「あたりまえ」という思考の産物を、木っ端微塵に打ち砕いたとき、そ
のときこそ「あたりまえ」の何たるかが判るのかもしれない。
妄分別で捉えたあたりまえがあたりまえなら、坐禅もなにも要らないね。


22 :名無しさん@3周年:2005/11/05(土) 18:44:50 ID:daq8XPSx
>>20
「必然」とも彼らは言います。また人が年を取ると言うことは、若返ると言うこと
無くしては無いとも言い、それ故に、年を取ることも無く、若返ると言うことも無い
、といい、ものには変化と言うもんが無いとも言っています。
 実は、世親の唯識論の中に、パルメニデスの言葉とほとんど同一の叙述があるのです。
                  「プラトンのパルメニデス」

23 :名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 20:29:10 ID:C2tHBZGp
上は無視して結構。原始スレにに戻りましょう、。

24 :暇人:2005/11/09(水) 08:04:43 ID:424r8Hr+
>>16
総てを知ったところで 悟りを得たから苦がなくなるわけではないのでは?

下痢すれば 釈尊でも おなかは痛いだろうしね

25 :津多姫:2005/11/09(水) 08:19:46 ID:HbdNtYSI
でも、すべてを知って、悟りを得て心が明るくなれば、苦は近寄りにくくなるってことは考えられませんでしょうか?
いわゆる人生円滑化現象って言うのかしら?
そうすれば運良く変なものを口にしなくってすんだので、下痢をしなかった。下痢をしなかったので、おなかが幸せだったとか?
いかがかしら?
=^_^=ニャオ♪

26 :名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 08:41:20 ID:VR+AbegI
下痢をしておなかが痛くとも、それを苦としない。

27 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/09(水) 09:26:48 ID:vNCdqLC6
まず>>13さんから

>私の理解するところでは、ブッダは
>喜んだり、悲しんだりするのは執着があるからだ。執着を捨てなさい。
>と主張しています。

お釈迦様が五人の仲間に初めて法を説いたときこう言いました。
「修行僧らよ、出家した者が近づいてはならない二つの極端がある。二つと
は何か。一つは、欲望の中にあって、欲楽にふけることで、劣っていて、い
やしく、凡愚のすることで、聖なるものでなく、目的にかなうものではない。
もう一つは、自分を苦しめることにふけることで、苦しく、聖なるものでな
く、目的にかなうものではない。如来は、両極端に近づくことなく、中道を
悟った。これは、(真理に対する)眼を生じ、知を生ずるもので、心の平静・
神通力・悟り・涅槃へ導く。」(Mahavagga 1-6-17)

 欲望を一途に禁圧するをもってよしとするのは、いわゆる禁欲主義である。それも
一つの極端である。それに反して、欲望はすべてこれをよしとするのは、いわゆる快
楽主義である。それもまた一つの極端である。お釈迦様はすべての欲望・執着を禁じ
たのではなく・<渇愛>本来の意味はのどの渇きと言うこと。のどが渇ききった人が
水をむさぼり飲むような欲望・や・<貪>なぜ貪という字を当てたのかは解りません
が貪欲の貪です。本来の意味は赤や炎と言うことです。熱烈な欲望とでもしましょう
か・とか呼ばれる激しい欲望です。

 反対に涅槃を求める欲望は、認めています。
 すべての執着を捨てなさいと言うのは、極端な考えではないでしょうか。

28 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/09(水) 09:39:04 ID:vNCdqLC6
ごめんなさい。前の文は>>12さん宛でした。改めて>>13さんへ

>縁起の法とは、それは主体なる自分との関係で考えなければならないものと思います。

 あなたは主体と客体、自分と他人、自分と世間、と言うように分けて考えていませんか。
あなたが今住んでいるこの世界を離れても、存在できる何かを持っていますか。

29 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/09(水) 09:59:36 ID:vNCdqLC6
 >>21さんの文も絡めて、もう少し私の考えを言わせて貰うと「染汚(大気汚染の汚染と同
じ)」という言葉が出てくると六祖恵能(慧能)と神秀の話を思い出します。

 五祖弘忍がある日
「各自、悟り得た心境を差し出せ。私の心にかなうものがいたら、そのものに法を継がせる」
と言ったんですね。

  そこで、弘忍門下の古参の高弟、神秀が、
  身是菩提樹     身は是れ菩提樹
  心如明鏡台     心は明鏡の台の如し。
  時時勤払拭     時時に勤めて払拭して、
  勿使惹塵埃     塵埃を惹かしむること勿れ。
(わたしの身体は悟りの樹、心はちょうどきれいな鏡のかかっている台である。つねに努力
して磨きをかけ、塵やほこりをよせつけるまい。)

と作ったのに師は不満足で、まだ新参者で薪わりや米つきをしていた恵能が、神秀に詩に対
して、
  菩提本無樹     菩提は本より樹なし、
  明鏡亦非台     明鏡も亦た台に非ず。
  本来無一物     本来無一物、
  何処惹塵埃     何れの処にか塵埃を惹かん。
(悟りは、もともと樹などでない、きれいな鏡も、台の上にはない。元来、何ひとつないの
である。どこに塵やほこりがよりつこうか。)

と作ったのを認めて、禅宗の六祖にしました。
「染汚」とは何が汚れているのだろうといつも思います。


30 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/09(水) 10:06:51 ID:vNCdqLC6
>>24 暇人さんへ
 何に書いてあったか忘れましたが、お釈迦様も病気になれば苦しいし、体を切られれば痛い。
と言っていました。ただ修行すれば、その痛み、苦しみに囚われなくなるとのことです。

31 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/09(水) 12:38:47 ID:uJL8Cv9U
>>27 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/09(水) 09:26:48 ID:vNCdqLC6

---------
じょうらく-がじょう じやう―じやう 5 【常楽我浄】
〔仏〕
(1)涅槃(ねはん)の世界の四つの徳。常は恒常的であること、楽は静かな楽しみ、我は自在無碍、浄は浄(きよ)らか。涅槃の四徳。
(2)四つのまちがった考え。四顛倒(してんどう)。無常・苦・無我・不浄であるこの世界を、誤まって常・楽・我・浄と思うこと。
---------

大乗仏教では彼岸から、常楽我浄を説き、
原始仏教では此岸に於いて、無常・苦・無我・不浄を説く
というのが私の理解です。

>  欲望を一途に禁圧するをもってよしとするのは、いわゆる禁欲主義である。それも
> 一つの極端である。それに反して、欲望はすべてこれをよしとするのは、いわゆる快
> 楽主義である。それもまた一つの極端である。
論点がずれていませんか?

【質問1】
>  嬉しいときは喜べはよいし、悲しいときは泣けばよいだけのこと。
これは、(ブッダの教えではなく)あなたの主張ですよね?

【質問2】
>  反対に涅槃を求める欲望は、認めています。
これはどこに書かれているのでしょうか?
これの根拠となる経典を、お示しください。

「涅槃を求めること」は、必ずしも「欲望」にカテゴライズされないと考えます。
「涅槃を求めること」が「欲望」にカテゴライズされた場合には、欲望として否定されていませんでしたっけ?


32 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/09(水) 12:39:25 ID:uJL8Cv9U
>>27 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/09(水) 09:26:48 ID:vNCdqLC6
>  すべての執着を捨てなさいと言うのは、極端な考えではないでしょうか。

あなたが個人的にそう判断されるのはあなたの自由です.

ただ原始仏教においては「極端な考え」ではありません。
「諸行無常」が「極端な考え」ではないのと同じことです。
釈尊は
>  すべての執着を捨てなさい
と言ったと私は考えます。
----
1068 師は答えた、
「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、
──それは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。

1085 聖者さま。あなたは、妄執を減しつくす法をわたくしにお説きください。
それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えましょう。」
1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。
この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、
不滅のニルヴァーナの境地である。

1099 過去にあったもの(煩悩)を涸渇せしめよ。未来にはそなたに何ものもないようにせよ。
中間においても、そなたが何ものにも執著しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。
1100 バラモンよ。名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。
だから、かれは死に支配されるおそれがない。」

1104 それ故に、修行者は明らかに知って、よく気をつけ、全世界においてなにものおも執してはならない。
──死の領域に愛著を感じているこの人々を<取る執著ある人々>であると観て。」


33 :名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 13:00:21 ID:aVlSQxey
>>29「今・ここ」以外は汚れでは?

34 :暇人:2005/11/09(水) 22:28:31 ID:Nyv1Cxfj
>>25
釈尊の死因 下痢です

>>30
>ただ修行すれば、その痛み、苦しみに囚われなくなるとのことです
痛みはサインだと思いますけどね。
不調にきづく重要なサイン。

痛みは普通にあるのだけども それに囚われないって
痛みから逃げずに 痛みを受け止め味わい尽くすことかもね
ちがうか・・

35 :鳩摩羅什:2005/11/09(水) 22:29:32 ID:Mr38YFUr

仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一
切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是
諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽
無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙
故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅
三貌三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切
苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩
婆訶般若心経


36 :名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 22:35:55 ID:etKnu/wm
こいつは宗教系全スレに貼ってるのかクマー AA(ry

37 :太刀山型の土俵入り:2005/11/10(木) 11:49:56 ID:IcE4JPUz
<建造物侵入>女子シャワー室に僧侶隠れ、逮捕 埼玉・越谷
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051110-00000035-mai-soci


38 :名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 21:57:29 ID:NgNqVPyv
>>36
>クマー AA(ry

上はどう言う意味なんだ、おすえてくれ。


39 :名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 22:56:17 ID:Ymm2xrGh
>>29
>(悟りは、もともと樹などでない、きれいな鏡も、台の上にはない。元来、何ひとつないの
>である。どこに塵やほこりがよりつこうか。)

>と作ったのを認めて、禅宗の六祖にしました。
>「染汚」とは何が汚れているのだろうといつも思います。

「壇経」の冒頭に、

原夫、真如仏性、本在人心、心正則諸境難侵、心邪則衆塵易染

原(たず)ぬるにそれ、真如・仏性は本(も)と人心に在り、心正しければ則ち
諸境侵し難く、心邪なれば則ち衆塵染め易し


本覚(真如・仏性は本と人心に在り)は悟りの可能性を示唆しているだけです。
「どこに塵やほこりがよりつこうか。」と慧能が言っても、塵やほこりは魔法
のように消えちゃ〜くれない。心が邪なれば則ち衆塵染め易く、心正しければ
則ち諸境侵し難しです。

40 :太刀山型の土俵入り:2005/11/11(金) 00:17:11 ID:vD4C7HsP
>>37みたいな坊主は原始仏教だとどういう懲罰を受けるの?

41 :名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 00:21:01 ID:8XxVQviI
>>40
この中のどれに当てはまるか?だなw

つttp://www2.big.or.jp/~yba/asia/kairitu.html

42 :名無しさん@3周年:2005/11/12(土) 01:06:30 ID:0PAAV0tg
宮元啓一の「仏陀の考えたこと」って本を読んだ。この本って一般には
どう評価されてるんだ?洩れは普通に斬新だと思ったんだが。

43 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/12(土) 10:23:08 ID:YDNNB28N
>>42さんの
>宮元啓一の「仏陀の考えたこと」
と言う本は私にとって、すべては賛成できないけどかなり影響を受けた本です。
あと、田上太秀さんの「仏陀のいいたかったこと」、中村元先生の数々の著作、テー
ラー仏教協会での瞑想体験から今現在の私の仏教観を書いてみます。眉にたっぷり唾を
つけてから読んでみてください。

 まず最初に、仏陀は出家する前に答えは何であるか、知っていた。四門出遊で見聞した
病・老・死の苦しみからの脱出する方法、これが仏陀の求めていた答えなのです。どこ
かの宗教団体みたいに無病息災・不老不死を求めていたわけではないのです。

 そこで最初に瞑想の道に入った。そこで苦しみの元になる欲望、欲望の元になる執着、
執着の元になる思考、この思考を停止することによって、苦しみから逃れることに成功
した。しかし瞑想をとくと、現実には老死が存在している。これでは解決にならない。

 老死の問題が起こるのは、肉体に対する執着があるからなので、この執着をとるために
苦行に入った。並はずれた苦行によって、肉体への執着を絶ちいつ死んでもかまわない状
態になったけれど、ここに大きな問題が生じた。

 確かに死ぬことによって、すべての苦しみから逃れることができるが、当時のインドでは
死んでもまた生まれ変わるのです。そして、また新たに、病・老・死の苦しみを受けること
になる。いくら肉体への執着を絶っても、これでは元の木阿弥になってしまう。そしてその
答えは、苦行では得られないと知って、仏陀は苦行をやめた。


44 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/12(土) 10:24:27 ID:YDNNB28N
当時インドでは輪廻転生は当たり前のこととされていて、それを止める答えを誰も持って
いなかった。その生まれ変わる答えを見つけたことで、仏教が生まれた 。それが「無明」と
言われるものです。(無明とか輪廻転生についての私の見方は、時間がないので今回はパスさせ
て下さい。)

 だから初転法輪で仏陀は最初にこう言ったのです。

 「友よ私は不死を得られた。その方法を教えよう」

ここでいう不死とは、今生における不死ではなく生まれ変わらないことによって、二度と死
ぬことはないと言う意味です。

 ですから仏教の目指すものは何かというと
 
 「私はなすべきことは、なし終えた。もう二度とこの世に生を受けることがない」

このことを確信できるようになることです。


45 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/12(土) 10:28:12 ID:YDNNB28N
>>32さんの

>  すべての執着を捨てなさい
と言ったと私は考えます。

というのは正解。ただわたしはそれだけじゃないよ、と言います。

46 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/12(土) 10:36:23 ID:YDNNB28N
>>39さんへ
「仏性」というのは、本覚思想の産物だと思います。原始仏教では「無我」に
よって、そのようなモノは無いとしていると考えます。

47 :暇人:2005/11/12(土) 11:12:40 ID:F2Mv/agE
>それが「無明」と言われるものです

無明は最初じゃないよーなきがするな
それとバラモン教も当時の他の自由思想家たちも
解脱を目指したのだと思うよ 釈尊の専売特許ではないような

48 :名無しさん@3周年:2005/11/12(土) 22:40:14 ID:71ixDxdD
大乗の涅槃経は、空の思想は、誤ると人を地獄に落とすといっていた。
心の平安をも無いものとしたら、地獄じゃないかな?心の平安の度合いを
十界に便宜上分けたものじゃないか?仏界の平安は不壊のもの、地獄には平安は無く、
不安のみがある。天界の平安は、相対的なもの。
 
 所で、釈迦当時の思想家の中で、縁起と空と言うと言う思想を発表したのは、
釈迦だけですか?仏教と兄弟関係ほどに近いジャイナ教は縁起と空と言う思想に近似していないのでしょうか?
何を以って仏教と近いのでしょうか?

49 :名無しさん@3周年:2005/11/12(土) 22:42:31 ID:+fRkWVJA
仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一
切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是
諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽
無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙
故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅
三貌三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切
苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩
婆訶般若心経


50 :名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 00:19:17 ID:R5bMx7md
>>46
>「仏性」というのは、本覚思想の産物だと思います。原始仏教では「無我」に
>よって、そのようなモノは無いとしていると考えます

あなたが原始仏教スレに六祖壇経を持ち出してきて、何が染汚なのかと言って
きたから、同じように、六祖壇経の冒頭で以てそれに答えたわけでして。
それでは、六祖壇経は間違っているということでしょうか?

51 :名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 00:27:22 ID:R5bMx7md


「増支部」
比丘たちよ、この心は光浄である(pabhassara)。そして実にそれは客なる諸随煩悩に
よって染汚されている。無聞の異生はそれを如実には知らない。したがって、無聞の異
生には心の修習がない、と私は言う。
比丘たちよ、この心は光浄である。そして実にそれは客なる諸随煩悩から解脱している。
有聞の聖弟子はそれを如実に知っている。したがって、有聞の聖弟子には心の修習があ
る、と私は言う。

>「壇経」の冒頭に、

>原夫、真如仏性、本在人心、心正則諸境難侵、心邪則衆塵易染

>原(たず)ぬるにそれ、真如・仏性は本(も)と人心に在り、心正しければ則ち
>諸境侵し難く、心邪なれば則ち衆塵染め易し

両者ともに修行によって如実に知られるという文脈ですね。
無聞の異生や心の邪まな者には、確かに無きに等しいが、心正しき有聞の聖弟子、よく
修習する者には、如実に証知=直接知覚される、確かに有るものでしょうね。そしてこ
のことは、些かも無我の教理に反するものではないと。
たとえそこに仏性というタームを見出せずとも、柔軟に思惟を廻らし経典を読んでいけ
ば、そこに仏性を見出すことは可能でしょう。名色に対するこだわりを捨てれば、仏性
もニルヴァーナも、はたまた真如・法性・法界・空性等、これらは何れも同義語である
ということも。

52 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/13(日) 08:32:54 ID:fJIcdrAX

>>45 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/12(土) 10:28:12 ID:YDNNB28N
> ただわたしはそれだけじゃないよ、と言います。

レス、ありがとうございます。
私は、原始仏教には興味がありますが、
あなたが個人的にどう考えているかに関してはどうでもいいので、
あしからず。
ご自由にどうぞ。

ただ、今後の発言に関しては、
原始仏教に対する発言と、
あなたの個人的な考えの発言を、区別のつくようにしていただけると助かります。

原始仏教に対する(あんたの個人的な見解の)発言である場合には、
その解釈の対象(経典等)と根拠が明確になっているとありがたいです。


53 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/13(日) 09:55:04 ID:lS7PvCCs
>>52さんへ
>原始仏教に対する発言と、
>あなたの個人的な考えの発言を、区別のつくようにしていただけると助かります。

 無茶なことを言わないでください。「 原始仏教に対する発言」を私がした場合は
すべて私の個人的な考えの発言になっていまいます。
 あなたは一体どのような答えをお望みなのでしょうか?。あなたの望む答えも
あなた自身の解釈を元にして作られたのではないですか。

 もしよろしかったらあなたが考えている「個人的な考えの全く入らない
原始仏教に対する発言」を書いていただけないでしょうか。




54 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/13(日) 10:03:17 ID:lS7PvCCs
>>50さんへ
では慧能の言ったことは何だったのだろう思いますけど。
まあ、こう思うのが迷いの元ですかね。仏性を磨いて心を清め
それでよいのではないでしょうか。他にも「客塵」という言葉
もありますし。

55 :名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 10:28:12 ID:33RL/MSZ
>>49
49サン、解らない漢文の般若経を書くな、和訳したものをだしてくれ。

56 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/13(日) 10:50:10 ID:fJIcdrAX
>>53 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/13(日) 09:55:04 ID:lS7PvCCs
>  無茶なことを言わないでください。「 原始仏教に対する発言」を私がした場合は
> すべて私の個人的な考えの発言になっていまいます。
>  あなたは一体どのような答えをお望みなのでしょうか?。あなたの望む答えも
> あなた自身の解釈を元にして作られたのではないですか。

えーと、
>>52
> 原始仏教に対する(あんたの個人的な見解の)発言である場合には、
> その解釈の対象(経典等)と根拠が明確になっているとありがたいです。
この文章の意味は理解できますか?

>>12 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/04(金) 16:33:14 ID:jAe8LVrq
> >  嬉しいときは喜べはよいし、悲しいときは泣けばよいだけのこと。
> これは、あなたの主張ですよね?

>>31
> 【質問1】
> >  嬉しいときは喜べはよいし、悲しいときは泣けばよいだけのこと。
> これは、(ブッダの教えではなく)あなたの主張ですよね?

これには回答頂けないのでしょうか?


57 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/13(日) 10:59:52 ID:fJIcdrAX
>>27 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/09(水) 09:26:48 ID:vNCdqLC6
>  すべての執着を捨てなさいと言うのは、極端な考えではないでしょうか。

>>45 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/12(土) 10:28:12 ID:YDNNB28N
> >  すべての執着を捨てなさい
> と言ったと私は考えます。
>
> というのは正解。ただわたしはそれだけじゃないよ、と言います。

これらのあなたの発言は、全く根拠が不明確です。

>>32 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/09(水) 12:39:25 ID:uJL8Cv9U
の主張およびその根拠は明確だと私は考えます。

根拠が明確な発言と、不明確な発言の差があなたに理解できないと言うのであれば
それはそれで仕方ありません。
無理にそれを理解してほしいとも思いません。あしからず


58 :暇人:2005/11/14(月) 07:50:04 ID:qGvcVWon
宮元 田上 中村さんを根拠というか 参考にして
自分の考えを拡げられたのでしょうから
誰某のこの著作の「○○」という発言から 私はこう考えましたと
説明すれば 「それだけではない」の根拠が伝わるかもですね。

  


59 :名無しさん@3周年:2005/11/14(月) 23:14:56 ID:8NuecVRn
>>57
論理の勉強の成果を試している様ですね。

60 :太刀山型の土俵入り:2005/11/15(火) 08:45:08 ID:gCX4zG+j
佛教に興味持つ奴にはとりあえず独角仙人のお話をしてあげるのが適切である。

61 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/15(火) 12:57:36 ID:LOE6DQ08
>>53 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/13(日) 09:55:04 ID:lS7PvCCs
>  もしよろしかったらあなたが考えている「個人的な考えの全く入らない
> 原始仏教に対する発言」を書いていただけないでしょうか。

>>56-57 に補足しておきます。

私は、「個人的な考えの全く入らない発言」を求めているのではありません。
たとえば、あなたの、

>>9 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/04(金) 15:25:05 ID:ZAgftf/4
>  嬉しいときは喜べはよいし、悲しいときは泣けばよいだけのこと。

この主張は、

・原始仏教において、このような主張がなされていると、あなたが考えているのか、
・原始仏教とは関係なく、あなたの個人的信念に基づく主張なのか、

それが私には判別できないと言っているのです。

判別できるような書き方をして欲しいと思っています。

原始仏教において、このような主張がなされていると、あなたが考えているのであれば、
その根拠を示して欲しいと言っているのです。


62 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 18:33:13 ID:M9M29d/n
>>61
スッタニパータ
213 独り歩み、怠ることのない聖者は、非難と賞賛とに心を動かさず、音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、他人を導く人、──諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。
214 他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

 目標は聖者なのだから、凡夫の様に感情が不安定であることは、仏陀の説くところではないと言うべきだろう。
聖者の不動の心は、一切が空であると言う真理に基づいて生じる以外無いものと思いますが?


63 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/17(木) 00:05:14 ID:87Ot3WXQ
>>62 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 18:33:13 ID:M9M29d/n
>  目標は聖者なのだから、凡夫の様に感情が不安定であることは、仏陀の説くところではないと言うべきだろう。
同意します。

> 聖者の不動の心は、一切が空であると言う真理に基づいて生じる以外無いものと思いますが?
私は、無所有の達成の結果としての無執着の境地に基づいて生じるものだと考えます。
だから、在家で解脱は無理だろうと。


64 :名無しさん@3周年:2005/11/17(木) 00:39:38 ID:rBvMqUgi
>>63 スッタニパータでは、在家にもニルヴァーナを説いていますが。


65 :暇人:2005/11/17(木) 06:37:36 ID:JkY54afi
>>64

ほう。何番で?

66 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/17(木) 06:39:27 ID:87Ot3WXQ
>>64 :名無しさん@3周年:2005/11/17(木) 00:39:38 ID:rBvMqUgi
> >>63 スッタニパータでは、在家にもニルヴァーナを説いていますが。

それは、スッタニパータのどこですか?
「在家のままでも、ニルヴァーナを得られる」と解釈できるのでしょうか?


67 :名無しさん@3周年:2005/11/17(木) 20:09:48 ID:YBsIUKRu
>>66
これは大変関心ある問題であると思う、今の我々にとっても、当時のインド人にとっても。
そこで、経典もこのことに付いて触れていないはずはないのだと思うが、私の記憶では、
難しいとは言ってたと記憶するが、不可能であるとは言ってないように思うのだ。
 ここのところから、大乗仏教が起こった可能性が有ると思うね。菩薩にも在家の菩薩と出家の菩薩がいる。
共に在家の者と交わる。あのユイマなどは、在家の菩薩だろう?

68 :名無しさん@3周年:2005/11/17(木) 23:02:31 ID:rBvMqUgi
>>66 『ブッダのことば』〈第二 小なる章〉 の〈四、こよなき幸せ〉
これは在家むけの教えのようです。その中に
「267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、―これがこよなき幸せである。」
とある。それに対して中村さんの註
「世俗の生活をしている人が、そのままでニルヴァーナを体得できるかどうかということは、
原始仏教においての大きな問題であったが、『スッタニパータ』のこの一連の詩句からみると、
世俗の人が出家してニルヴァーナを証するのではなくて、
世俗の生活のままでニルヴァーナに達しうると考えていたことがわかる
(しかし、のちに教団が発達すると、このような見解は教団一般には採用されなかった)。」


69 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/17(木) 23:54:42 ID:WJ5Zf5Kh
無宗ださん久しぶりです。なるほど、あなたの望んでいる答えはわかりました。
 
1 >>  嬉しいときは喜べはよいし、悲しいときは泣けばよいだけのこと。
 これは私の経験に基づく私の意見です。「仏弟子の告白」を読んでいると、涅槃に達した
と喜んでますけどね。

2 >> すべての執着を捨てなさい 。
 以前どこかで書いたと思いますが、仏教の目的は、二度とこの世に生まれてこないことを確
認して死ぬことです。生きている限り、生命を維持しようとする執着はあるはずです。
 


70 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/18(金) 01:02:00 ID:EvPU5Yx+
 >>64さんへ
赤信号で止まることが大切で、それが道路交通法の第何条の第何項に書かれているか
を知ることは大切なことではないはずです。仏教で大切なのは、自分の心を知り行いを
正すことで、文章の暗記ではないはずです。

 こう書いているのは、今私は日本テーラワーダ仏教協会に通って、ヴィパッサナー瞑想
と言う瞑想をやっていますが、この瞑想についてはスッタニパータには書かれていません。
従ってテーラワーダ仏教は仏教ではないとなります。どこか変ですね。スッタニパータは
日本語とパーリ語で読まされていますけどね。

71 :名無しさん@3周年:2005/11/18(金) 01:14:46 ID:cRI+gOg9
>>70 スマ長老が、質問コーナーで、女性が出家できないことについて質問され、応えてました。
釈尊の時代からの戒律で、女性を出家させるには女性出家者(比丘尼)の立ち会いが必要。男だけで女を出家させられない。
でも現在上座部では比丘尼は途絶えているから、女性を出家させる権限をもった僧がいないんですね。
(テーラワーダは大乗の坊さんを坊さんと認めていないから、大乗の尼さんをスカウトしてくるのもダメ。)
そこでスマ長老の意見は、女性信者が修行に励み阿羅漢になれば、釈尊と同等の地位なので、他の女性を出家させられるということでした。
と、いうことは、スマ長老は、在家のままでも修行により阿羅漢になる可能性があると考えているんですね。

72 :名無しさん@3周年:2005/11/18(金) 01:19:36 ID:cRI+gOg9
>>70 テーラワーダのヴィパッサナーがブッダの時代と変わらないのかは、半信半疑です。


73 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/18(金) 01:20:20 ID:EvPU5Yx+
「仏教とは、約2500年前の文明社会に実際にお現れになり、最下層の人々から国王に至
るまで、人々の一切の苦しみを解かんとされた釈迦牟尼仏の教えであり、心の教えであり
ます。2500年前も現在も、人々の心そのものは何も変わることはありません。お釈迦
様以外の教えを、仏教とは言いません。論理的・客観的に宗教判断の基準を知って、宗教
の正邪をしっかり見分ける事だと思います。」

 この文章は某日蓮系の宗派から持ってきました。仏教を知ることは、何が正しい仏教であ
るかを探ることではなく、自分の心を知り、行いを正すことで世の中の見方が変わることを
体験することではないでしょうか。

74 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/18(金) 01:35:43 ID:EvPU5Yx+
>>66無宗ださんへ
 スッタニパータではないですけど、初期仏典で在俗信者も涅槃に達したという文書があります。

アーナンダよ。カクダという在俗信者は、ひとを下界(欲界)に結びつける五つの束縛を
滅ぼしつくしたのでひとりでに生まれて、そこでニルヴァーナに入り、その世界からもは
や(この世に)還って来ることが無い。アーナンダよ。カーリンガという在俗信者は……、
ニカタという在俗信者は……、カティッサバという在俗信者は……、トゥッタという在俗
信者は……、サントゥッタという在俗信者は……、バッダという在俗信者は……、スバッ
ダという在俗信者は……、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたのでひと
りでに生まれて、そこでニルヴァーナに入り、その世界からもはや(この世に)還って来
ることが無い。

さらに、アーナンダよ。ナーディカで死んだ五十人以上の在俗信者たちは、ひとを下界に
結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたのでひとりでに生まれて、そこでニルヴァーナに
入り、その世界からもはや(この世に)還って来ることが無い。

アーナンダよ。ナーディカで死んだ九十人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼしつ
くしたから、欲情と怒りと迷いが漸次に薄弱となるが故に、<一度だけ帰る人>であり、
一度だけこの世に還って来て、苦しみを滅ぼしつくすであろう。

アーナンダよ。ナーディカで死んだ五百人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼしつ
くしたから、<聖者の流れに踏み入った人>であり、悪いところに堕することの無いきま
りであって、必ずさとりを達成するはずである。

75 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/18(金) 01:40:15 ID:EvPU5Yx+
>>71さんへ
 日本テーラワーダ仏教協会には、日本人の尼僧が一人います。

76 :暇人:2005/11/18(金) 03:32:20 ID:wW10TJzl
“Tapo ca brahmacariyaNca, ariyasaccAna dassanaM;
Tapo熱・苦行・鍛錬 ca〜と brahmacariyaNca梵行・仏道修行・清浄行・不淫・独身生活
Ariya聖なる・神聖な・尊気の聖者のsaccAna真実・諦・真理/聖諦 dassanaM見・見ること

nibbAnasacchikiriyA ca, etaM maNgalamuttama½.
nibbAna涅槃・寂滅sacchikiriyA作証・現証・能証 ca,
eta½これが maAgala吉祥の・吉瑞の・瑞祥の・祝祭・祝典・吉凶判断muttamaM脱した・解脱した・放出の

苦行と不淫の仏道修行と、聖なる真実を見ること
−つまり涅槃の現証とが、これが真の吉祥である。

以上は、この質問の答えの一つですね
“BahU devA manussA ca, maNgalAni acintayuM;
AkaANkhamAnA sotthAna½, brUhi maNgalamuttama½”.


77 :暇人:2005/11/18(金) 03:33:00 ID:wW10TJzl
多くの神神と人間たちとが吉祥を思っています
−幸福を願望しているのです、真の吉祥を説け。

中村元さんはcaの「〜と」という意味を重視し、
「修養(tapo)」と「清らかな行い(brahmacariyaNca)」と
「聖なる真理を見ること(ariyasaccAna dassanaM)」と
及び「安らぎを体得すること(nibbAnasacchikiriyA)」と、併記されて訳されていますが、
構文にはariyasaccAna dassana½;と、「;」があります。
この「;」は、質問258にも回答259〜269にあり定型になっています。
私は「つまり」というニュアンスがあると思います。

例えば259ですと「愚者に親しまないこと」と「賢者に親しむこと」と併記され、
つまり「尊敬すべき人々を尊敬すること」という流れです。
逆に言うと「尊敬すべき人々を尊敬すること」は総括であり、
「愚者に親しまないこと」と「賢者に親しむこと」とが具体項目です。


78 :暇人:2005/11/18(金) 03:39:41 ID:wW10TJzl
「−幸福を願望しているのです、真の吉祥を説け」に対して
259尊敬すべき人々を尊敬すること−これが真の吉祥だよ
260みずからは正しい誓願を起こしていること−これが真の吉祥だよ
261ことばがみごとであると−これが真の吉祥だよ
262仕事に秩序があり混乱せぬこと−これが真の吉祥だよ
263非難を受けない行為−これが真の吉祥だよ
264徳行をゆるがせにしないこと−これが真の吉祥だよ
265適当な時に教えを聞くこと−これが真の吉祥だよ
266適当な時に理法についての教えをきくこと−これが真の吉祥だよ
267安らぎを体得すること−これが真の吉祥だよ
268憂いなく、汚れを離れ、安穏であること−これが真の吉祥だよ
ですね。267と268は明らかに出家の徳目ですね。
このスッタニパータでは、後代の教団のように徳目を序列化せずに、
併記して列挙しているという特徴があると思います。
在家にも出家にも「最高の幸せ」に至る道は色々あると、
「ニルヴァーナを体得」することだけが「最高の幸せ」ではないと。



79 :暇人:2005/11/18(金) 04:04:44 ID:wW10TJzl
>>74

それは「長部経典」の有名な大般涅槃経の一説だが、
その箇所はアナンダの質問からはじまるのだが、その質問は
「修行僧サールハ、尼僧ナンダー、在俗信者スダッタ、スジャーター
カクダ、カーリンガ、ニカタ。。。などが死んだが 死後どこに
趣くのか」という質問に答えたものの一部ですね。

修行僧サールハは心解脱・慧解脱を生きたまま体得してた。
尼僧スジャーターは、現世で五つの束縛を滅ぼしたので、この世にもう
還ってこず(不還)、死後に涅槃を得る。
在俗信者のスダッタは、現世で三つの束縛を滅ぼしたので、一度だけ
この世に戻ってきて苦しみを滅ぼし尽くす。(一来)
在俗信者カクダも現世で五つの束縛を滅ぼしたので不還。

この箇所で生きたまま悟りを得ているのは出家のサールハだけですね

80 :暇人:2005/11/18(金) 04:18:21 ID:wW10TJzl
スッタニパータ267に戻りますと

安らぎを体得することが→これがこよなき幸せです。

安らぎを体得することの具体項目が@修養A清らかな行いB聖なる真理をみることです
「修養(tapo)」は、普通「苦行」と訳されます。これは出家の徳目です
「清らかな行い(brahmacariyaNca)」は、不淫・独身生活を意味する出家修行のこと
です。
「聖なる真理を見ること(ariyasaccAna dassanaM)」は、出家修行の途上にあります。

中村さんは、ここを自分の都合で在家を読み込むために、
「苦行」を「修養」と言い換え、
梵行を「清らかな行い」とぼやかした表現を選ばれていますが
無理があります。

註に依ればブッダゴーサは「tapo」を「煩悩を焼き尽くすこと」と
解釈しているようですが、これはやりすぎでしょうが、
「tapo」を在家と解釈し「修養」と訳すのもどうかと思います。

81 :名無しさん@3周年:2005/11/18(金) 07:23:09 ID:cRI+gOg9
>>75 正式な尼僧なのでしょうか?尼僧の姿をしているだけでは?
律の問題は解決されているのでしょうか…

82 :暇人:2005/11/18(金) 08:11:47 ID:wW10TJzl
>>81

律の問題って ここのスマさんの与太話のこと?
http://www.j-theravada.net/qa/gimon30-33.html#30

教法を盾に あくまで女性の出家は認めないが
差別との批判には聞く耳を持たないトンデモぶり。

>尼僧の姿をしているだけでは?

実質、比丘尼だが、
南伝仏教は遅れた差別を正当化することに誇りを持っているので、
比丘尼と認めないということでしょ。

83 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/18(金) 10:32:31 ID:sNQgELMC
2004年10月10日の行事報告によると

ダンミニー清道尼の受戒式祝福法要
本日午前10時より、ゴータミー精舎の本堂にて、女性としては初めての受戒式法要
が開催されました。清道尼( brahmacariyani )として受戒されたのは因泥喜代子さ
ん。スマナサーラ長老、ダンミッサラ・ナヤカ長老をはじめ、スリランカとミャンマ
ーのお坊様方五名、そして五月に出家した日本人比丘二名を併せて計七名の比丘サン
ガをお招きし、関西から駆けつけてくださった方も含め多数の在家者の参加を得て、
厳かな法要となりました。午前中の受戒儀式ののち、お坊様方へのお食事のお布施、
在家者一同の食事と続きました。午後には、新たにダンミニー(dhammini)という新
しい法名が披露され、スマナサーラ長老による記念法話会では、カッサパ仏陀(過去
佛)の時代のガティーカーラ居士のエピソードから、近代の仏教復興活動家アナガー
リカ・ダルマパーラに至るまで、日本ではあまり知られていない初期仏教のブラフマ
チャーリー、ブラフマチャーリーニーの人物群像について興味深いお話がありました
。午後三時過ぎの散会後も、晴れて出家されたダンミニー尼を囲んで和やかな歓談の
輪がいくつも出来ました。

とのことです。

84 :名無しさん@3周年:2005/11/18(金) 12:22:12 ID:cRI+gOg9
>>83 在家信者でも授戒はしますし法名も授かりますもんね。
五戒だけじゃなく、比丘尼の戒律を授かったのかなぁ?
>>82 かばうつもりもないですが、戒律を変えないという立場からは、認めるわけにいかないのでしょうね。


85 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/18(金) 12:51:00 ID:bToqMyao
>>69 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/17(木) 23:54:42 ID:WJ5Zf5Kh
> 無宗ださん久しぶりです。なるほど、あなたの望んでいる答えはわかりました。
ご理解いただき、ありがとうございます。
 
> 1 >>  嬉しいときは喜べはよいし、悲しいときは泣けばよいだけのこと。
>  これは私の経験に基づく私の意見です。「仏弟子の告白」を読んでいると、涅槃に達した
> と喜んでますけどね。
たしかに、喜んでましたね。
初転法輪でも、コーダニャン(?)が最初に悟ったときに、喜んだのでしたっけ?

こういう解釈はいかがでしょうか?
喜ぶこと自体に問題はない。
喜んだり悲しんだり、感情が不安定であることを問題としたのだ。

涅槃に達した喜びは、そのまま継続するから感情が揺れ動くことにはならない。
人が学習すると知識が増えていくように、
喜びの感情が単に付け加わっただけで、感情が揺れ動いたわけではない。

> 2 >> すべての執着を捨てなさい 。
>  以前どこかで書いたと思いますが、仏教の目的は、二度とこの世に生まれてこないことを確
> 認して死ぬことです。生きている限り、生命を維持しようとする執着はあるはずです。

確か、ジャータカに自分の肉を旅人に食わせるために、
自ら火に飛び込むウサギの話がありませんでしたっけ?
解脱した人には、生命を維持しようとする執着はないと考えます。
「死にたい」という願いもない、無願な状態です。

別スレで自殺に関する議論がありましたが、仏教においては自ら命を絶つ行為は
必ずしも非難の対象ではない。場合によっては賞賛される行為であると考えます。
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/suicide_buddhism.html

86 :名無しさん@3周年:2005/11/18(金) 17:34:49 ID:XL862fSx
>>85
>教においては自ら命を絶つ行為は
必ずしも非難の対象ではない。場合によっては賞賛される行為であると考えます。

イエスキリストは、「誰かが命を奪うのではない、自分で捨てるのだ。」といってるし、
ソクラテスは、くりトンの助けで逃げることができたし、共和制末期のカト―・ウテケーンシスは、
カエサルに助けられるくらいならと腹を欠き切って自害した。ゼノンは暴君の顔に自分の舌を噛み切ってはきつけて
吐きつけ自害した、と言う。それから、キリスト教のペテロ、パウロなどは、十字架に付けられて殺されている。
かららとても信仰を捨てれば殺されることはなかったろう。とすれば自殺といえる。

87 :暇人:2005/11/18(金) 23:01:58 ID:53vfsxpv
>>84
>戒律を変えないという立場

南伝仏教の主張は、信仰者の主観的なものです。
鵜呑みにされてどうされます。
例えば 佐々木閑「インド仏教変移論」大蔵出版 あたりを読まれて
下さい。パーリ律が改変されているのが わかります

88 :名無しさん@3周年:2005/11/18(金) 23:35:02 ID:p54s0cAd
>>87
>信仰者の主観的なものです。

当然のスタンスでは? てか、重要な問題だと思うぞw

四波羅夷以外改変・削除しても良いと釈尊は言った。(→少々乱暴な断定口調だがお許しをw)
しかし、(摩訶迦葉を始め)長老達はそうしなかった。
勿論、結果としては2500年の流れの中で、結局細部の変更は行われるわけだがw(しかも現在日本では波羅夷さえ・・・(^^;))
が、少なくとも滅後においては保存された。
なぜか?!

『法句譬喩経 護戒品』についての感想も聞いてみたいな

89 :暇人:2005/11/19(土) 09:34:41 ID:fPwk4Ayw
>>88

普通、信仰者の主体性は大事ですね。 おっしゃるとおり。

ただですね、戒律を自分達南伝だけが釈尊以来遵守している。
自分達は何一つ変えていないというのはウソですし、
自分達は守っているが大乗は守っていないという主張には独善があるわけです。
(大乗を出汁にしてまで自分達を自慢するのは信仰とはいえやりすぎです)

@自分達南伝が守っているという嘘
-スマさんの出身地のスリランカの僧には、他経を銃で武装して殺害する
武装僧がいる。これは四波羅夷の絶人命戒違反ですね。
A四波羅夷の「淫戒」は「いずれの比丘といえども、諸比丘の学と戒とを
具足しつつ、学を棄てずして、(また)力弱きことを明言せずして、
淫法を実行するならば、乃至、畜生とするに至るまで、波羅夷にして、
共に住すべからざるなり」だけども、そもそも大乗僧は具足戒を受けて
ないので、「淫戒」違反ではないし、「力弱きことを明言せずして、
淫法を実行するならば」、つまり自分は具足戒を守れると公言しつつ
違反する者が問題となるわけですね。
具足戒を受けてない大乗僧は南伝の信仰からすると『在家』扱いですね
とすると淫戒は『在家戒』が適用されるわけです。『在家戒』の淫戒は
「除夫婦」ですね
大乗仏教国でも四波羅夷の「絶人命戒」は重罪で国法により罰せられます。
「盗戒」違反も国法で処罰されます。
「大妄語戒」は、悟ってないのに悟ったと公言することですが、カルト視され
心ある人々からは無視されます。

抵触するのは「淫戒」だけですね。「だけ」と言ったら問題か(笑)

90 :暇人:2005/11/19(土) 09:41:49 ID:fPwk4Ayw
釈尊の考える「出家」は、家族を棄て、家を棄て、総てを棄て、
自分さえも自分のものではないと気づくためにするものですから、
出家を名乗りつつ家族・妻を持つのは あり得ないでしょうね。

ただ注目点は一つ。釈尊は、家族をもってから出家したことですね。
家庭で学ぶ時期があり 家を持ち、妻を持ち、子を作り 家業励む時期が
あり そして出家された。

91 :暇人:2005/11/19(土) 10:00:37 ID:fPwk4Ayw
>『法句譬喩経 護戒品』

「飲虫水戒」違反の喩え話ですね。
「飲虫水戒」は、虫がいる水たまりの水を飲んじゃいけないよという戒律
ですね。九十二波逸提の第62。これの違反って、他の比丘ひとりに
懺悔・告白して終わりですね。

二人の比丘がいて飢え乾いて死に掛けたところ 水たまりをみつけた。
ところが水に虫が蠢いていた。飲まないと死ぬ。
一人は戒律を遵守し死を選び 一人は飲むことを選んだ。
戒律を守った比丘は死後ただちにトウリ天に生まれ、仏に見えることが
できた。
飲んだ比丘は、飲み一時的に元気を回復したが道行の半ばで疲れて斃れ
仏に会うという目的は果たせなかった
だから戒律遵守は大事だよという喩え話ですね。

くだらんことを言えば波逸提(軽い違反)なんだから、
飲んで互いに懺悔しあったらOKじゃん。
でもまあ経の趣旨は、小さな戒律すら遵守するキモチが大切と
薦めているわけですね

92 :暇人:2005/11/19(土) 10:02:24 ID:fPwk4Ayw
参考HP

具足戒
http://www2.big.or.jp/~yba/asia/kairitu.html

法句譬喩経 護戒品
http://w3.cbeta.org/result/normal/T04/0211_001.htm


93 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/19(土) 10:21:37 ID:fHbpwDbr
>>70 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/18(金) 01:02:00 ID:EvPU5Yx+
> 赤信号で止まることが大切で、それが道路交通法の第何条の第何項に書かれているか
> を知ることは大切なことではないはずです。

さて、この伝で、在家とは何かを考えて見ましょう。
在家とは、

家族と喜び悲しみを共にし、
日々の生活のために額に汗し、
土地家財産を守る人

だと私は考えます。
経典に述べられた、悟りを開いた在家の人たちというのは、
どんな人たちだったのでしょうか?

出家は解脱を目指し、在家は生天を願う。

というのが基本であり、在家で解脱を目指すのは邪道なように感じます。


94 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 10:47:46 ID:JP3pSDd9
>>93 しかし在家でも、座禅や瞑想をしますよね。
生天だけが目的なら、ストゥーパを拝むだけでも生天できるんじゃなかったっけ?

95 :暇人:2005/11/19(土) 16:39:54 ID:0Uw6Kt5W
「六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。
六処の対象を執着として見ず、煩悩を制御するところにあるんだ。」
というのは、原文テキストを読んだこと無い人たちの妄言ですね。

増谷さん阿含経典第三巻p68説法者
あるいはhttp://www.tipitaka.org/tipitaka/s0304m/s0304m-frm.html
セクション155の10. DhammakathikapucchasuttaMに

“Cakkhussa ce, bhikkhu nibbidAya virAgAya nirodhAya dhammaM deseti,
‘dhammakathiko bhikkhU’ti alaMvacanAya.
もし目において、比丘が厭い離れため 貪欲を離れるため 滅尽のために
教法を教示するならば、『法を説く比丘』と当然言うべきである。

Cakkhussa ce, bhikkhu, nibbidAya virAgAya nirodhAya paTipanno hoti, ‘dhammAnudhammappaTipanno bhikkhU’ti alaMvacanAya.
もし目において、比丘が厭い離れため 貪欲を離れるため 滅尽のために
実践するならば、『教法に随い教法を実践する比丘』と当然言うべきである。

Cakkhussa ce, bhikkhu, nibbidA virAgA nirodhA anupAdAvimutto hoti, ‘diTThadhammanibbAnappatto bhikkhU’ti alaMvacanAya…
もし目において、比丘が厭離、離貪欲、滅尽して、無執着で解脱するならば、
『現生において涅槃に到達した比丘』と当然言うべきである。


96 :暇人:2005/11/19(土) 16:40:31 ID:0Uw6Kt5W
Cakkhussa目ceもし, bhikkhu比丘 nibbidAya厭離virAgAya離欲
nirodhAya滅尽 dhammaM法 deseti教示する,
dhammakathiko bhikkhU法を説く比丘tiと alaMvacanAya当然の言
paTipanno実践 hotiあった dhammAnudhamma法随法 (後代、四預流向の一)
anupAdAvimutto 無執着で解脱した
diTThadhammanibbAnappatto現世で涅槃に達した

我々の感覚からすれば、あるいは論理的思考からすれば、
「執着」を吹き消す、あるいは「執着のnirodhAya」が自然で、
「目においてnirodhAya」は変な表現ではあるが パーリテキストには
そういう文もあります。


97 :暇人:2005/11/19(土) 16:43:30 ID:0Uw6Kt5W
>>95

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1126607382/762
これについて でした

98 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 17:34:08 ID:er1pz9Ss
168 雪山に住む者という神霊がいった、「何があるとき世界は生起するのですか? 何に対して親しみ愛するのですか? 世間の人々は何ものに執著しており、世間の人々は何ものに悩まされているのですか?」

169 師は答えた、「雪山に住むものよ。六つのものがあるとき世界が生起し、六つのものに対して親しみ愛し、世界は六つのものに執著しており、世界は六つのものに悩まされている。」

170 「それによって世間が悩まされる執著とは何であるか? お尋ねしますが、それからの出離の道を説いてください。どうしたら苦しみから解き放たれるのでしょうか。」

171 「世間には五種の欲望の対象があり、意(の対象)が第六であると説き示されている。それらに対する貪欲を離れたならば、すなわち苦しみから解き放たれる。

172 世間の出離であるこの道が汝らに如実に説き示された。このことを、われは汝らに説き示す、──このようにするならば、苦しみから解き放たれるのである。」

電波サンは恐らく上の条項を参考にされていたのではないでしょうか?
>「六処を滅するところにニルヴァーナ」ではなくて、
 六処「が」滅するところといえば、問題ないんじゃないかな?

99 :暇人:2005/11/19(土) 17:52:05 ID:3alKRRTd
>>98
元のカラスさんのカキコは
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1126607382/382

>目、耳、鼻、舌、触、意、の止滅させた先にニルヴァーナがあるんだろうが、
>どうしても肉の思いに負けてしまう

彼の原文は「が」でも「を」でもなく、「の」ですね。

そしてそれは彼の主体性の中で懺悔として表現されています。
とても宗教的で素晴らしい。

>俺はまだまだだ。
>五感から受ける刺激に私の心は絶えず波打ち、時に激しく荒ぶる。
>私に、まことの安息日はやってこない



100 :暇人:2005/11/19(土) 17:59:23 ID:3alKRRTd
>>98

「nibbidAya厭離」「virAgAya離欲」「nirodhAya滅尽 」の
@説法→A実践→Bクリア(涅槃nibbAna)が説かれいるわけですね。

カラスさんは、@を聞き、自分の現状を慙愧されているのですから、
立派な仏教のこころを実践されていますね。
教法が彼に響いている。

そこにきづけず固定観念で論難するのは どうでしょうかね、と
私の感想です。

101 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 18:13:38 ID:er1pz9Ss
>>100
171 「世間には五種の欲望の対象があり、意(の対象)が第六であると説き示されている。それらに対する貪欲を離れたならば、すなわち苦しみから解き放たれる。

上の欲望の対象とは、五感六感ではなく、声、色、臭、触、味、意の対象を言うのであると思います。

102 :暇人:2005/11/19(土) 18:19:36 ID:3alKRRTd
>>101

感官(目)と感官対象(色)とその接触とを整理・細分化して考えるのは
原始仏教経典にもみられますが、時代が進んだからだと思います。

初期はそんなことを きちんと区別せず 大雑把に
「六処の滅」と言ったのではないかと


103 :暇人:2005/11/19(土) 18:21:08 ID:3alKRRTd
「六処の滅」×
「六処において 厭離・離欲・滅」 ○

104 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 18:31:06 ID:er1pz9Ss
2 十二処

六根(眼処・耳処・鼻処・舌処・身処・意処=六内処)と六境(色処・声処・香処・味処・触処・法処=六外処)



105 :暇人:2005/11/19(土) 18:34:39 ID:3alKRRTd
>>104

95で例示した雑阿含の一経では 区別されてませんね。

106 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/19(土) 19:07:38 ID:fHbpwDbr
『ブッダが縁起の現観によって悟りを得た』と主張するのであれば、
悟りを得たその時に、十二支縁起は確立していたことになります。

十二支縁起は、老死に代表される四苦八苦が縁起するメカニズムを示しており、
途中のどの支を滅しても、苦は縁起しないことになります。
そして苦の滅イコール涅槃と考えることができます。

十二支縁起のそのひとつに支が、六処です。

十二支縁起の各支の滅を考えるときには、存在論的アプローチではなく、
認識論的アプローチが必要なのでしょう。

存在論的に六処の滅を考えると、
人が死んで荼毘にふされれば、
その人の六処は滅したと考えられますが、
その人が解脱したわけでないのは明らかです。


107 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/19(土) 19:34:30 ID:fHbpwDbr
>>94 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 10:47:46 ID:JP3pSDd9
> >>93 しかし在家でも、座禅や瞑想をしますよね。
ただ、座禅や瞑想をしても、家族の絆、生活のしがらみを捨てることは無理でしょう。
それらを捨ててしまったなら、その人はもはや在家ではないと私は思います。

>>18 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/05(土) 11:40:38 ID:w0C97ZSv
> アタラクシア 4 [(ギリシヤ) ataraxia]
> 〔哲〕 他のものに乱されない、平静な心の状態。

この境地は、涅槃に非常に近いものを感じますが、
涅槃は常住であることを考えれば、
アタラクシアはまだその途中の段階という気がします。
在家でもアタラクシアは体験できるのではないでしょうか。

> 生天だけが目的なら、ストゥーパを拝むだけでも生天できるんじゃなかったっけ?
ブッダがそれを説いたわけではないですよね?


108 :暇人:2005/11/19(土) 21:25:47 ID:3alKRRTd
余談ですが
171 「世間には五種の欲望の対象があり、意(の対象)が第六であると説き示されている。それらに対する貪欲を離れたならば、すなわち苦しみから解き放たれる。
“PaNca kAmaguNA loke, manochaµµhA paveditA;
ettha chandaM virAjetvA, evaM dukkhA pamuccati.

中村元さんは註で「PaNca kAmaguNA五種欲」の「guNA」は本来「徳」という意味だが、
原始仏教では感官の対象(目の対象ならば色)という意味で用いられているとされ、
「五種の欲望の対象」と訳されています。
テキスト原文を直訳しますと
「世間には五つの種類の欲あり、欲の第六が意であると教えられている。」ですね。
このテキスト原文にも「対象」という語はありません。
水野さんに拠れば、guNaには、「徳」という意味も「種類」という意味もあります。
「PaNca kAmaguNA」を水野さんは「五種の欲望の対象」と解さず「五種欲・五妙欲」と訳され
ています。


109 :暇人:2005/11/19(土) 21:26:09 ID:3alKRRTd
前半部を「五種の欲望の対象」と訳されるのは「guNA」解釈から根拠はありますが、
後半部の「manochaµµhA」は、「mano」(意・心)「chaµµhA」(第六の)のであり、「対象」と解釈
できうる語句はない上に、第六は「法」ではなく「意」です。
「PaNca kAmaguNA」が「五種の欲望の対象」(声、色、臭、触、味)を意味するならば
第六は六入の「意」ではなく六境の「法」がくるべきです。
逆にいいますと第六が「意」であることから、「PaNca kAmaguNA」は、
「対象」((声、色、臭、触、味)ではなく、169の「六つのもの」を受けて
「眼処・耳処・鼻処・舌処・身処」と見るのが論理的です。

169の註で中村さんは、ブッダゴーサ説を紹介しています。
ブッダゴーサは「六つのもの」を「十二処」と解釈し、中村さんはそれを
批判します。
後代になると教法は整理され緻密整理になりますが、
初期は素朴でファジーな言葉遣いであったのだろうと私は推測します。


110 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 21:30:08 ID:l60s4sGd
762 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/11/18(金) 21:49:08 ID:ivx03z86
>>761
よぉ死にぞこない。
あんた随分俺の陰口叩いてるようじゃねぇか。
前にも言ったが、俺はおまえなんかに教えを請おうと思ってないんだよ。
俺の言う事が違う、違うというならなにが違うのか、おまえはどう考えるのか、
祖紺と頃をまず言えと言ってるんだよ。
あんたどっかの ”高僧” だってな。誰が ”位” をつけた?たわけが。
おまえ、まえから自分の意見の違う者には口汚く罵っていたそうじゃないか。
で、脳溢血で倒れた。ククク。ギャグか?
おまえは身をもって法を示したわけだ。こいつはお笑いだ。たく、大した ”高僧” だぜ。
どうだ。倒れた時は楽しかったか?苦はなかったかい(苦笑)
生死をさまよった時はどうだ?楽しかったかい?苦はなかったかい?
おっと、意識がなかったから、そのときの事は覚えてないか?ククク。
で、今は後遺症があるのか?かたわになって楽しいか?苦はなくなったか?
なに?訴訟の準備を整えてるところだって?トラブル幾つも抱えて随分楽しそうじゃないか。
おまえ仏教何年やってる?何か意味あったか?
意味など、無いでもなし、あるでもなし。とかいって、空理空論で逃げるかい?
お前たちの仏教論など、便所紙ほどの値打ちの無いものだ。
なにが、六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。


111 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 21:31:48 ID:l60s4sGd
 続き

六処の対象を執着として見ず、煩悩を制御するところにあるんだ。だよ。
そんなことですむなら、なにも、修行などする必要も無く、小難しい能書きも必要ないんだよ。
ビジネス書でも読み、成功者の哲学でも聞いてるほうがはるかに為になる。
ただ、無きゃ無いで済む精神力と、やがて来る死の覚悟だけできてればいい。
おまえの言うとおりなら、釈迦も、その弟子も、とんでもないアホなんだよ。
で、つまらない能書きばかり垂れて、思考ゲームだけ楽しむおまえは、なにを得たんだよ(爆笑)
何年仏教やってるんだい。半身不になって楽しいかい?苦はなくなったかい?
どうせあんた、もうながくないだろう。楽しい人生だったかい?
おまえは、俺に死ねだの、キチガイだのと、汚い言葉で罵倒した。
それを俺は受け取ってやった。そしておまえに汚い言葉を投げかける。ありがたく思え、死にぞこない。


112 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 21:33:41 ID:l60s4sGd
>>100
>カラスさんは、@を聞き、自分の現状を慙愧されているのですから、
>立派な仏教のこころを実践されていますね。
>教法が彼に響いている。

掲載したカラスさんのこの種のレスは他のスレでも散見できます。
爆笑とか苦笑とかクククといった言葉には、カラスさんの心情がよく現れています。
臨場感を以って、それが読む者にも伝わってくるのは、嘘偽りのない本心から出て
しまう言葉なんだと思う。

元のカラスさんのカキコは
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1126607382/382
>俺はまだまだだ。
>五感から受ける刺激に私の心は絶えず波打ち、時に激しく荒ぶる。
>私に、まことの安息日はやってこない

その割には、2005/11/15(火)以前も以後もレスの傾向は変わらないようです。
自分の意見を否定されて直ぐに吼えたり動揺したりする人に飴を与えるのは、
「立派な仏教の心の実践」とは言えないと思います。
早い話が、カラスさんの相手が他の人物だった場合、無頓着でいられたのでは
ないかなんて思ったりもします。


113 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 21:45:51 ID:I01+eZYc
>>91
飲んだ比丘は仏陀に会えてますよw
その上で、お釈迦さんに相方を紹介され orz となるお話。


 ほれ、戒を守ったお前の友人は
 天界へ生まれて、ここにいるYO
     _ _    _ _
    ( ゚∀゚ ) (*゚∀゚*)
    し   つ し   J
    |   |   |   |
    し ⌒J.  し ⌒J


      _, ,_
   ( ; ゚д゚)     直接教えが聞きたかっただけなのに・・・
  c(,_U_U ガク


               _, ,_
            ( ; ゚Д゚)   生きのびてはいけなかったのかー!
           c(,_U_U
 _,,..-―'"⌒"~⌒"~ ゙゙̄"'''ョ
゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ
T  |   l,_,,/\ ,,/l  |
,.-r '"l\,,j  /  |/  L,,,/
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ /
_V\ ,,/\,|  ,,∧,,|_/

114 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 21:47:43 ID:I01+eZYc
>>112
>相手が他の人物だった場合、無頓着でいられたのでは

手厳しいね・・・(^^;)

115 :暇人:2005/11/19(土) 21:51:17 ID:3alKRRTd
>112

すべてにおいて 立派なわけではないですね。
それは誰でもいっしょかもですね。
ご指摘のような問題を持たれている部分はあるのでしょう。
だが光る部分もある。
全否定するのではなく、光る部分に注目したいですね

>俺はまだまだだ。
>五感から受ける刺激に私の心は絶えず波打ち、時に激しく荒ぶる。

私はこの慙愧が大切だと思います

116 :暇人:2005/11/19(土) 21:53:03 ID:3alKRRTd
>>113

そうなんですか ご解説ありがと
白文読めないのに チャレンジしましたので
粗筋追えなかったのですね 失礼しました

117 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 21:54:28 ID:I01+eZYc
>>116
つ国訳一切経

118 :名無しさん@3周年:2005/11/19(土) 23:53:38 ID:R4XGV3Aj
936 名前:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/11/19(土) 23:13:57 ID:83SUuXg0
>>933
おまえらにかかれば、無自性なものも、自性にされそうだよな。

いや、もうしているか。プププ。なんてったって、多義性だもんな(苦笑)

もう寝るが、ちゃんと次スレ立てとけよ、あほんだら。

************************************************************

>>115
>俺はまだまだだ。
>五感から受ける刺激に私の心は絶えず波打ち、時に激しく荒ぶる。

私はこの慙愧が大切だと思います



追伸:同じ罵倒でも、中味が伴なわないとね。

119 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 00:08:53 ID:DC1HTRVB
>>118
>私はこの慙愧が大切だと思います

この人慙愧してる?

120 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/20(日) 02:07:06 ID:n7pH5Y2Q
>>95
こんなところでこそこそと。

> 「六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。
> 六処の対象を執着として見ず、煩悩を制御するところにあるんだ。」
> というのは、原文テキストを読んだこと無い人たちの妄言ですね。

以下、まったく説明になっていないんだけど?

121 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/20(日) 02:10:05 ID:n7pH5Y2Q
あ、またしても”rirodha”の意味を解さない愚かさから出てきている戯言なんだけど。。。
またお笑い劇を始めますか?いまは、ちょっと忙しいんだけどね。

あんたのとんちんかんは放置してきたけど、こっちに言及するのならまたつぶすよ。
現觀や自性の多義性の時のようにね。

122 :暇人:2005/11/20(日) 02:22:46 ID:fTFXWO1j
>>120-121

また漫才をご披露くださるのか 身を挺してのご苦労感謝ですが
ただ お身体くれぐれも ご自愛されたし。
無理は召されるな。

rirodhaって「nirodha滅尽 」のこと?
最初の文字は「r」ではなく「n」ですな。。。
あなたが今はもうパーリ文を目を通さず
漫才かましているだけなのはバレバレだって
無理されるな。
電波さんを囲むファンスレッドで「先生ごっこ」
されてたら平和なのに わざわざご足労下さり
笑いの提供 痛み入ります

123 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/20(日) 02:23:10 ID:n7pH5Y2Q
暇人は滅を現代語の滅尽に読んでいるのだな。自家撞着もいいとこだ。
漢訳批判をあれほどしておいて、今度はこれか。。。。また屁理屈返ししてくるんだろうな。
とほほほほ。

rirodhaの意味は自分で調べろよな。馬鹿は馬鹿でいろ。人に言及するな。

124 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/20(日) 02:28:20 ID:n7pH5Y2Q
>>115
あんたは人のことは言えないんだよ。
分からないのかい?知的誠実さが無いのだから。

125 :暇人:2005/11/20(日) 02:28:51 ID:fTFXWO1j
現観ネタも自性ネタも まだイケノめだか芸で
「つぶした」ですか。。。

素人ならいざ知らず 
誰がどうみても電波さん撃沈してましたやん

体調回復されたら また漫才しに来られてください。
くれぐれも無理されないでね

126 :暇人:2005/11/20(日) 02:33:51 ID:fTFXWO1j
>rirodhaの意味は自分で調べろよな

深夜に興奮召されるな。
人の忠告を たまには聞き為され。
rirodhaではなく「nirodha」
『r』でせはなく『n』。
辞書を引けと言う前に、綴りをきちんと書き為され。
注意されているのに 気づかないなんて・・・
恥ずかしすぎ・・・

まあ漫才サンクス

127 :暇人:2005/11/20(日) 02:38:58 ID:fTFXWO1j
知的誠実さってのは
水野さんは「衆生説」とウソを主張しても
訂正することも 詫びることもなく
開き直ることですか?

あなたの「誠実」と私の「誠実」は別概念かもですねぇー


冗談はともかく 
あなたがやりすぎたら いつでも指摘しますよ
ほどほどにね

128 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/20(日) 02:56:00 ID:n7pH5Y2Q
ん、、、。まだそのキャラで行くわけ?綴りぐらいでしか反論出来ないんだろ?
分かった相応も、自性の多義性も撃沈したままじゃん。自性の多義性については
説明してやっただろ?元に返ってね。竜樹はニヤーヤなどには言及していないって
自爆してたじゃん。もう佛教やめたら?あんたには無理無理無理。

で、nirodhaはちゃんと調べたわけ?

あんたは何一つパーリ読めてないじゃん。あれだけ指摘されてたのにね。
ヴィアーカラナは大切だよ。仏教学の基礎だ。それを批判するのなら、
それなりの立論が必要。偉そうに中村批判してるんだが、原典読めてないから
説得力がない。

で、彼どうした?マヌスクリプト君じゃなかったなんとかくん。

あんたには原始佛教は語れないよ。出来てテーラワーダ佛教協会の批判だけ。
誰かがやってた業感縁起についての説明も出来てないしね。身の程を知るべきだ。

129 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/20(日) 03:01:18 ID:n7pH5Y2Q
あ、現觀について、あんたがきちんと反論したいのであれば、最初の手続として、
四禅を修せず現觀を得たという典拠の提示が必要になる。ま、無理だろうけどね。

それと、自性の多義性は無いというのであれば、竜樹はその著書の中で、ニヤーヤ
等の自性を紹介し批判していないという証明が必要になる。

これらの作業はあんたには絶対に出来ないと思う。

130 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 07:27:50 ID:I+xhoniu
>>120 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/20(日) 02:07:06 ID:n7pH5Y2Q
> > 「六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。

十二支縁起の一支である六処を滅すれば、
最終的に苦の滅に至るわけであるから、
そこにニルヴァーナがある。

> 六処の対象を執着として見ず、煩悩を制御するところにあるんだ。

煩悩を制御して、煩悩を滅したところにニルヴァーナがある。

これが真であることは、
> > 「六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。
の根拠にはならない。


131 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 07:55:39 ID:I+xhoniu
さて、「議論にはならないだろうな」と思いつつ、ひとつの疑問を書いておこう。

原始仏典を読むと、
『六処の対象を執着の対象として見ず、煩悩を滅するところに涅槃ある。』
と主張しているように思われる。

しかし、五蘊は無常である。
涅槃は常住である。

無常なものが如何に縁起しようと常住なものにはならない。
無常なものが常住なものを所有するというのも理屈に合わない。
原始仏典の主張は論理的におかしい。


132 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 07:58:46 ID:TWFdJw2K
>>131
だめですね〜w

133 :暇人:2005/11/20(日) 09:31:33 ID:KLgS/uSw
>>128

あのさ「わかった相応」とギャグをかましている時点で
キミの理解力が 議論についてこれていないのだよ。
何度も説明したが 相変わらずパーリを理解できず恥ずかしい人だな。
「わかった」と訳したのは「ahu abhisamayo」と「ahu」という
動詞があるのだよ。
キミの言う「わかった相応」は、相応部経典の第十二章のタイトル
(あるいは第二章「NidAnavaggo」(因縁章・因縁編)の第二のタイトル)
「AbhisamayasaMyuttaM」のことでしょう。ここには動詞はない。
だから私の訳を無理矢理ここに適用して揶揄したいならば、
「理解相応」とか「わかること相応」としなくては、話にならないよ。

余談だが「saMyutta」を「相応」と訳するのも日本仏教の悪習だな。
意味不明だね。意味は「Abhisamayaについての集成」
増谷さんは「saMyutta」を各経を含んでいることに注目して
「〜に関する経典群」と訳されている。それも悪くない。

134 :暇人:2005/11/20(日) 09:43:44 ID:KLgS/uSw
自性の多義性についてのキミのギャグは秀逸だったね(笑)
キミが漢訳読めず 簡易に検索して あるあると騒いでただけの
トンデモ君を発揮したやつね。

竜樹は、ニヤーヤ学派を名指しして批判してないじゃん。
ある竜樹の批判をニヤーヤ批判だと主張する学者が居るが、
一般説にはなってないのが現状ね(笑)
ゲッチンゲン帰りギャグは楽しかったが(笑)

ついでに懐かしの現観ギャグ
・・・・・・・・・・・
545 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss :02/10/08 22:31
>>544
ヴィパサナー瞑想は釈尊が示す要ではありません。まだまだ前段階的なものです。
内容的には「概念を超えた縁起の現観」です。ヴィパサナーでよく似たことをいう場合
もありますが、全く異なるものです。
618 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss :02/10/11 13:56
止観は四禅すべてにわたります。現観はその次の段階です。

135 :暇人:2005/11/20(日) 10:01:31 ID:KLgS/uSw
>四禅を修せず現觀を得たという典拠の提示

相変わらずのトンデモぶりだな。
「止観は四禅すべてにわたります。現観はその次の段階です」と
言ったのはキミだから キミがその論拠(四禅→abhisamaya)の経証責任が
あるのだが、キミはパーリや漢訳阿含から離れて久しいか
読んだこと無いのだから キミに注文しても無理だな。

「AbhisamayasaMyuttaM」の諸経を読んでないでしょ。
ここでは、四禅と無関係にabhisamayaしているよん。
読んでいると今更 そういうギャグはいえない


136 :暇人:2005/11/20(日) 10:12:09 ID:KLgS/uSw
>>129
江島惠さんは急逝が惜しまれるバーヴィヴェーカ研究の第一人者ですね。
ゲッチンゲン帰りの俊英でしたね。
さて、中村元「竜樹」講談社学術文庫p76以下は「論争の相手」がテーマです
@ピンガラ注釈、無畏論という古注には何々派という派名はほとんどでてこない
A後代のチャンドラキルティーの「プラサンナパダー」をみると
 ヴァイシェーシカ学派、ニヤーヤ学派、サンキーヤ学派、ジャイナ教、
 唯物論者、ミーマーンサー学派、時間論者 仏教内では有部、経部、(牛+賣)子部、
 正量部、唯識派などが出てくる
しかし竜樹がこれらの学派を知っていたかどうか不明。
確実に竜樹以後成立の学派もあるとのこと

中論本文448偈自体からは、仏教外の派に特有の術語はない。
特定派を攻撃しているところはしかしある。
一番明瞭なのは19章の時間の考察
@チャンドラキルティー注釈に拠れば相手は時間論者
Aバーヴィヴェーカの「般若灯論釈」に拠れば、ヴァイシェーシカ学派
更に「般若灯論釈」には、この句は仏教外何々派を論破しているとあるが、
中村元さんは竜樹が果たしてそれを目標にしていたかどうか研究を要すると
されている。
江島惠さんの名著「中観思想の展開」は、バーヴィヴェーカの主著『中観心論頌』
の一部を梵本本文とチベット語訳などからテキスト校訂・翻訳をされてたり
するほどバーヴィヴェーカを軸とする中観思想の展開をされていると
噂に聞きますね。
江島さんを客観的に言えばバーヴィヴェーカから竜樹を見られていく立場ですね。

137 :暇人:2005/11/20(日) 10:13:53 ID:KLgS/uSw
中村さんは「有自性論者」とは、「事物または概念の自性すなわち自体、
本質が実在すると主張する人々である」「中論を徹底的に研究するためには
有自性論者一般を広く考察せねばならない」としながらも
「ただしいま仏教外の諸派を論究する余裕もなく…将来の独立の研究問題
として保留しておきたい」と言われていますね。

江島さんの論稿は意義深いものですが、「ニヤーヤ学派やバイシェーシカ学派などを
「有自性論者」のグループにわけ、これを批判」という根拠は、
竜樹本文448偈から、直接いい得ることではなく
後代のバーヴィヴェーカ注釈を基にした推論で まだ広く学界に支持されている
わけではないですね

109 名前:暇人 :2005/07/31(日) 10:58:53 ID:gxi8iAp/
110 名前:暇人 :2005/07/31(日) 10:59:59 ID:gxi8iAp/
あたりでしているよ まあ過去ログたまには読んでくれ

138 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 10:44:42 ID:I+xhoniu
過去のいきさつが、いろいろあるのはわかりますが、
ここは、ひとつ、

> http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1126607382/392
>>392 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/15(火) 14:50:18 ID:angDkpsL
> 六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。

この根拠が示されていないということに、論点を絞って貰いたいですね。

>>123-124
>>128-129
といった、論点ずらしは、いい加減、見飽きた。


139 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 10:46:34 ID:DC1HTRVB
>>130
>十二支縁起の一支である六処を滅すれば、
最終的に苦の滅に至るわけであるから、
そこにニルヴァーナがある。

無明を滅すれば、・・・六処が滅す、だろう?
そこで、無明とは、空であることを知らないことだろう?この真理を知らないで、
実体あると妄想して、六処の対象に執着するのだ。六処の対象が実体のないものとわかれば、
それに執着しないことになるから、次に六処そのものが滅することになるんじゃない?

>> 六処の対象を執着として見ず、煩悩を制御するところにあるんだ。

>煩悩を制御して、煩悩を滅したところにニルヴァーナがある。

>これが真であることは、
>> > 「六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。
>の根拠にはならない。

煩悩とは、無明の故に生じる欲心のことと言うべきじゃない?欲心を滅ぼすことが
必要なのだから、之を欠いて、六処を滅ぼすことは、欲心を滅ぼすことに何ら寄与しない。

140 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 10:59:13 ID:I+xhoniu
>>139 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 10:46:34 ID:DC1HTRVB
> 煩悩とは、無明の故に生じる欲心のことと言うべきじゃない?欲心を滅ぼすことが
> 必要なのだから、之を欠いて、六処を滅ぼすことは、欲心を滅ぼすことに何ら寄与しない。

つまり、あなたは、

『煩悩とは、無明の故に生じる欲心のことと言うべきである。
(涅槃を得るためには)欲心を滅ぼすことが必要。
しかし、欲心を滅ぼすことなしに、六処を滅ぼすことも可能。』

と主張しているとの理解でよろしいですか?

また、私は、
・苦の滅

・煩悩の滅
をあえて区別する必要は無く、どちらでも涅槃を得られると考えていますが
それに関してはどのようにお考えでしょうか?


141 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 11:18:09 ID:I+xhoniu
>>134 :暇人:2005/11/20(日) 09:43:44 ID:KLgS/uSw
> 竜樹は、ニヤーヤ学派を名指しして批判してないじゃん。
> ある竜樹の批判をニヤーヤ批判だと主張する学者が居るが、
> 一般説にはなってないのが現状ね(笑)

『自性の多義性』との関連に関しては全くわかりませんが、

中村元「竜樹」講談社学術文庫p315
「ヴァイダリヤ・スートラ」の「論争の相手」は、ニヤーヤです。


142 :暇人:2005/11/20(日) 11:56:42 ID:KLgS/uSw
>>141

失礼しました。(中論で)が抜けていました。

「ヴァイダリヤ」の翻訳は梶山雄一「大乗仏典14 竜樹論集」中公文庫に
収録されています。
「竜樹」p315の初期ニヤーヤ学派の16項目を批判は、
「ニヤーヤスートラ」(NS1.1.1)に列挙される16項目と一致するそうです。
16項目は具体的には
「認識方法・認識対象・疑惑・動機・喩例・定説・要素・帰謬的思考・
決定・論争・論駁・無意味な反論・誤った理由・詭弁・誤難・敗北の状態」
ですね。
竜樹はこれに対して
「空性を語る者は、モノに執着しないという理由で認識方法をはじめとする
項目をそもそも認めない」
「認識方法と認識対象との二つは混じり合って区別できない」
と展開していきます。

自性の多義性とは無関係ですね。
論理の知識に自惚れて論争したがる者の慢心を断つ為に書いたとのことです

143 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 12:27:42 ID:DC1HTRVB
>>140
>> 煩悩とは、無明の故に生じる欲心のことと言うべきじゃない?欲心を滅ぼすことが
>> 必要なのだから、之を欠いて、六処を滅ぼすことは、欲心を滅ぼすことに何ら寄与しない。

>つまり、あなたは、
>『煩悩とは、無明の故に生じる欲心のことと言うべきである。
(涅槃を得るためには)欲心を滅ぼすことが必要。
しかし、欲心を滅ぼすことなしに、六処を滅ぼすことも可能。』
と主張しているとの理解でよろしいですか?

涅槃を得ていないものが六処を滅ぼす場合、それは涅槃を得ていないもんが自殺する場合のことと思われます。
それは現実に有ると思っていいのじゃないでしょうか?可能です。

また、私は、
・苦の滅

・煩悩の滅
をあえて区別する必要は無く、どちらでも涅槃を得られると考えていますが
それに関してはどのようにお考えでしょうか?

 「苦の滅」とは、執着から来る苦を滅することでしょう?執着を煩悩と言うのでしょう?
そして、執着とは欲心であると。だから、苦=執着=煩悩=欲心と言って良いのではないでしょうか?


144 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 12:34:27 ID:I+xhoniu
>>143 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 12:27:42 ID:DC1HTRVB
> 涅槃を得ていないものが六処を滅ぼす場合、それは涅槃を得ていないもんが自殺する場合のことと思われます。

レスありがとうございます。
つまり、

自殺せずに、六処を滅ぼす場合、それは涅槃を得ることである。

ということでよろしいですか?


145 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 12:44:04 ID:fY+tgtK8
>論理の知識に自惚れて論争したがる者の慢心を断つ為に書いたとのことです

であるなら、自性論議もここいらで打ち止めにされたら?
されど中論は論破の書だから、ときには詭弁とも思えるような論理を呈して
でも、論争の相手を遣り込めたらしいですよ。
なにしろ有無の二辺を封鎖してしまうのだから、最初から無敵。
論難の為には、凄まじい執念を燃やしたのではないですか。
執念を燃やしたにしても主義主張が固定しない=空だから、そこのところ
が凡夫の執着とは違うといってしまえばそれまでなのですが…。^_^;



146 :暇人:2005/11/20(日) 12:45:05 ID:KLgS/uSw
>>139
>無明を滅すれば、・・・六処が滅す、だろう?

多種の縁起「支」説がある。
一番古いのは五支縁起。通称「渇愛縁起」。これに六処はない。
四食ではじまる縁起支説があり(相応部12 12-増谷「阿含経典第一巻p107)、
ここの滅観は、『六処』からはじまる。
「バッグナよ、六処をあますところなく滅することによって触は滅する」
まあこれは滅観は「六処→触→受→定型五支」の八支縁起だが、順観の
四食は、識を代表するので「識→六処→触→受→定型五支」の九支縁起だけどね。


147 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 12:46:29 ID:DC1HTRVB
>>144
>自殺せずに、六処を滅ぼす場合、それは涅槃を得ることである。

ということでよろしいですか?

無明(煩悩、欲心、苦)を滅ぼせば、六処を滅ぼすことになると言うのが、
逆観でしょう。論理の飛躍が有ると思いますが。

148 :暇人:2005/11/20(日) 12:50:24 ID:KLgS/uSw
>>145

意味不明なのですが
「論理の知識に自惚れて論争したがる者の慢心を断つ為に書いた」のは
私ではなく、竜樹が「ヴァイダリヤ」の冒頭で書いてられるのですね

「自性ネタ」は「自性論議」ではなく 単なる漫才ですね
見苦しい点 失礼しました。

149 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 12:53:13 ID:I+xhoniu
>>147 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 12:46:29 ID:DC1HTRVB
> 無明(煩悩、欲心、苦)を滅ぼせば、六処を滅ぼすことになると言うのが、
> 逆観でしょう。論理の飛躍が有ると思いますが。

いいえ、飛躍はありません。
六処を滅ぼせば、老死(に代表される苦)を滅ぼすことになると言うのが、
十二支縁起です。

苦を滅ぼすこところにも、
煩悩を滅ぼすところにも
涅槃があります。


>>143 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 12:27:42 ID:DC1HTRVB
>  「苦の滅」とは、執着から来る苦を滅することでしょう?執着を煩悩と言うのでしょう?
> そして、執着とは欲心であると。だから、苦=執着=煩悩=欲心と言って良いのではないでしょうか?


150 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 13:11:33 ID:I+xhoniu
>>142 :暇人:2005/11/20(日) 11:56:42 ID:KLgS/uSw
レスありがとうございました。

まあ、この問題に関しては、
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ 氏が
佐倉氏のサイトを参照する上で、注意すべき「自性の多義性」は何か
という論点を明確にしていないのが諸悪の根源ですね。

佐倉氏のサイトを参照する上で、注意すべき「自性の多義性」など
佐倉氏のサイトにはないというのが私の結論です。


151 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 13:34:43 ID:DC1HTRVB
>>149
1. 教理(1)ーー縁起(十二支縁起)

 仏教の根本教義は、縁起説である。原始仏典の古い層には、一定の形式をもった縁起説は現れない。苦しみを生み出す因果の系列について、さまざまな項目を立てた説が現れる。
しかし、漠然とした縁起説はじょじょに整備されていき、形式化された。
そして、完成されたのが十二の項目からなる十二支縁起(十二因縁)の説で、古来仏教の根本教義として尊重されてきたものである。

 十二の項目とは、@根源的な無知(無明)、A生活行為(行)、B認識作用(識)、 C心と物(名色)、D六つの感覚機能(六処)、E対象との接触(触)、F感受(受)
、G本能的な欲望(渇愛)、H執着(取)、I生存(有)、J誕生(生)、 K老いと死(老死)である。 十二番目の項目「老いと死」には「愁い(愁)、悲しみ(悲)、苦しみ(苦)、憂い(憂)
、悩み(悩)」が加えられることがある。「老いと死」が苦しみの代表とされているのである。

 これによって、「老いと死」に象徴されるこの世の苦しみがいかにして生ずるかが明らかにされる。
それと同時に、その根源を「根源的な無知」からはじめて順に滅すれば、苦しみが消滅できることを説き示している。 ところで、十二縁起を説く、初めの部分に「これあればかれあり。
これ生ずればかれ生ず。これなければかれなし。これ滅すればかれ滅す。」という定型表現が加えられることがある。

 これは、遅れて成立したものであることが定説となっているが、ここには明らかに縁起が一般化され、
現象世界の法則性と見なされる傾向が認められる。
現象するものは、すべてもろもろの原因・条件が集まって現れてくるという見方である。現象するものが他のものへの依存関係において成立するという見方は無我説に影響を及ぼし、
さらに後の空の思想の論理的な根拠となった。

152 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 14:04:05 ID:DC1HTRVB
>>146
支数に付いては各種の縁起説があるとしても、無明を滅すればと言う前提があるのは、
どの縁起説に付いても、同様ではないのですか?

153 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 14:22:57 ID:I+xhoniu
>>151 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 13:34:43 ID:DC1HTRVB

結局、何をいいたいのですか?

スッタニパータの◆<12、二種の観察>◆は、ご存知でしょうか?
別に、いつでも無明の滅からという手順は踏む必要は無く、
たとえば、いきなり、受を滅するという道もあるようですよ。

738 楽であろうと、苦であろうと、悲苦悲楽であろうとも、内的にも外的にも、およそ感受されたものはすべて、

739 「これは苦しみである」と知って、滅び去るものである虚妄の事物に触れるたびごとに、衰滅することを認め、このようにしてそれらの本性を識知する。諸々の感受が消滅するが故に、修行僧は快を感ずることなく、安らぎに帰している。


154 :暇人:2005/11/20(日) 15:44:52 ID:KLgS/uSw
>>152

そういうのを『固定観念』と言うのだと思います。
大事なのは自分の目で確認することです。
五支縁起や九支・十支縁起などのテキストを
具体的に確認下さい。
「無明」はありませんから。

155 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 15:46:29 ID:DC1HTRVB
>>153
「滅び去るものである虚妄の事物に触れるたびごとに、衰滅することを認め、このようにしてそれらの本性を識知する。」

 上の智慧は、無明を知ってそれに対するものでしょう?凡人は、この智慧、即ち、縁起と空の智慧を知らないので、
感受されたものに執着して苦しむのではないの?
 だから、無明を滅ぼす智慧が前提になっていなければ、涅槃はないのですよ。
 一切皆苦と言う真理もありますが、その意味は、一切の形成されたものは苦であると言う意味で、
形成とは、十二支の「行」に当たるもので、決して、涅槃を「苦」と言う意味ではないと思うのです。

156 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 16:04:54 ID:DC1HTRVB
続き
無明が滅ぶならば六処が滅ぶ。その逆はない、死んでも。無明が六処を生じさせる、死んだら。

157 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 16:21:30 ID:I+xhoniu
>>155-156
> 無明が滅ぶならば六処が滅ぶ。その逆はない、死んでも。無明が六処を生じさせる、死んだら。

根本的なところで勘違いをされていませんか?
無明を滅ぼすことは、目的ではなく手段です。

ブッダは苦の滅を考えたのです。
そして、無明の滅に行き当たり、
その方法論として八正道を再発見したわけです。

(自殺せずに、)六処が滅べば、老死も滅ぶわけですから、不死になります。
つまり、解脱し、涅槃を得ます。


158 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 16:35:09 ID:I+xhoniu
>>155-156

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku02.html
<--
比丘たちよ、かようにして、無明の滅によって行の滅があり、行滅によって識の滅があり、
識の滅によって名色の滅があり、名色の滅によって六処の滅があり、六処の滅によって触の滅があり、
触の滅によって受の滅があり、受の滅によって愛の滅があり、愛の滅によって取の滅があり、
取の滅によって有の滅があり、有の滅によって生の滅があり、生の滅によって
老死が滅し、愁・悲・苦・憂・悩が滅するのである。
(サンユッタ・ニカーヤ
-->

これをどのようにして得たかはご存知ですよね?


159 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 16:45:30 ID:DC1HTRVB
>>158
>これをどのようにして得たかはご存知ですよね?

質問の趣旨が良くわかりませんが、私は、「無明の滅によって行の滅があり、
また更に、無明の滅によって、識の滅があり」を、以下に於いても、それぞれ含意していなければ
ならないと思います。


160 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 16:57:37 ID:I+xhoniu
>>159 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 16:45:30 ID:DC1HTRVB
> 質問の趣旨が良くわかりませんが、私は、「無明の滅によって行の滅があり、
> また更に、無明の滅によって、識の滅があり」を、以下に於いても、それぞれ含意していなければ
> ならないと思います。

どうしても、無明に執着したいようですね。

> 何がなければ、老死がないであろうか、
これがスタート、これから順に、

> 生がなければ、老死はない。
という具合に、各支を得ていったのです。
----

私の主張の大前提は
・老死を滅すれば、解脱し、涅槃を得る
ということなのですが、

これには同意いただけるのでしょうか?
同意いただけないのでしょうか?


161 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 17:11:30 ID:DC1HTRVB
>>160
ひょっとしてあなたは、十二支縁起の「順観」「逆観」の意味を間違っていませんか?
それとも私のほうでしょうか?
 順観とは、無明があるから、行があり、行があるから識がありと言う順序です。
逆観とは、、無明が滅するから行が滅し、行が滅するから識が滅する、と言う順序です。
 あなたは、
> 何がなければ、老死がないであろうか、
これがスタート、これから順に、
  
 のように、十二番目の老死から生に戻ることを「逆観」と思っておられませんか?

162 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 17:21:34 ID:I+xhoniu
>>161 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 17:11:30 ID:DC1HTRVB
> ひょっとしてあなたは、十二支縁起の「順観」「逆観」の意味を間違っていませんか?
> それとも私のほうでしょうか?

まさに、『「逆観」の意味』が問題なのです。

私は、
『老死』を滅するためには、
生を滅してもいいし、
有を滅してもいい。
無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取のどれかひとつを滅すれば、
『老死』を滅することができると主張しています。

そして、『老死』を滅することができれば、涅槃を得る。
ゆえに、「六処を滅するところにニルヴァーナがある。

したがって、
>>120 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/20(日) 02:07:06 ID:n7pH5Y2Q
> > 「六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。

この主張は間違いであると言っています。


163 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 17:37:16 ID:DC1HTRVB
ちょっと飛ぶかも知れませんが、それじゃ、どうしたら、「老死」を滅することができるのだと?

164 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 17:44:36 ID:I+xhoniu
>>163 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 17:37:16 ID:DC1HTRVB
> ちょっと飛ぶかも知れませんが、それじゃ、どうしたら、「老死」を滅することができるのだと?

だーかーらー

六処を滅すれば、「老死」を滅することができるのです。

この際に、六処を滅するために必要な条件の有無は、
命題:六処を滅すれば、「老死」を滅することができるのです。
の真偽には、影響しません。


165 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 17:45:24 ID:DC1HTRVB
>>162
>私は、
『老死』を滅するためには、
生を滅してもいいし、
有を滅してもいい。
無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取のどれかひとつを滅すれば、
『老死』を滅することができると主張しています。

どうしたら、「無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取のどれかひとつを」を滅することができると思いますか?

166 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 17:53:52 ID:DC1HTRVB
>>164
この際に、六処を滅するために必要な条件の有無は、
命題:六処を滅すれば、「老死」を滅することができるのです。
の真偽には、影響しません。

六処を滅するならば、と言うのは六処を滅する様に努力するまたは念ずる意味だと思います。
しかし、六処が滅するならば、と言うのは、そこに誰の意志も入っていません。あなたは後者のほうの意味を言いたいのじゃないのか?

167 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 17:56:51 ID:I+xhoniu
老死を滅するところにニルヴァーナがある。
六処を滅すれば、「老死」を滅することができる
ゆえに、六処を滅するところにニルヴァーナがある。

証明終了
====

したがって、真なる命題、
「六処を滅するところにニルヴァーナがある。 」
と矛盾する、

>>120 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/20(日) 02:07:06 ID:n7pH5Y2Q
> > 「六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。

この主張は間違いであると言っています。

>>165
> どうしたら、「無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取のどれかひとつを」を滅することができると思いますか?
こんなのは、
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ 氏の主張が間違いであること
を主張するためには関係の無い話です。

>>166 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 17:53:52 ID:DC1HTRVB
> 六処を滅するならば、と言うのは六処を滅する様に努力するまたは念ずる意味だと思います。
> しかし、六処が滅するならば、と言うのは、そこに誰の意志も入っていません。あなたは後者のほうの意味を言いたいのじゃないのか?

質問の趣旨が良くわかりません。


168 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 18:02:29 ID:DC1HTRVB
>>167
>老死を滅するところにニルヴァーナがある。
六処を滅すれば、「老死」を滅することができる
ゆえに、六処を滅するところにニルヴァーナがある。

煩悩は滅する必要がないと?

169 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 18:09:47 ID:I+xhoniu
>>168

あとは、質問ではなく反論して。
よろしく。


170 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 18:12:48 ID:E7WoSspP
実践方法を知らないのに議論してるわけ?

171 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 18:14:51 ID:E7WoSspP
結局、どうやったら(何を実践すれば)、覚れるのですか?

172 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/20(日) 18:16:58 ID:I+xhoniu
>>171 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 18:14:51 ID:E7WoSspP
> 結局、どうやったら(何を実践すれば)、覚れるのですか?

八正道の実践です。


173 :名無しさん@3周年:2005/11/21(月) 02:34:21 ID:hJ+KgIfn
>>172 経典を読めば、独学でも八正道は理解・実践可能でしょうか?

174 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/21(月) 06:17:01 ID:tMzjBNa5
>>173 :名無しさん@3周年:2005/11/21(月) 02:34:21 ID:hJ+KgIfn
> >>172 経典を読めば、独学でも八正道は理解・実践可能でしょうか?

わかりません。
八正道に関する解説は、

http://www.j-theravada.net/pali/key-ariya-attangika-magga.html
HOME →初期仏教の世界 →心を育てるキーワード集 →ARIYA ATTANGIKA MAGGA:八正道

このページがわかりやすいと思います。

1.正見(正しい見解)、
2.正思惟(正しい考え方)、
3.正語(正しい言葉)、
4.正業(正しい行動)、
5.正命(正しい仕事)、
6.正精進(正しい努力)、

までなら、独学でも理解・実践可能であると思います。
岩波文庫で入手可能な原始仏典を読んだ程度では、

7.正念(正しい気づき)、
8.正定(正しい精神統一)

は、独学では難しいと思います。(少なくとも私には無理です)


175 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/21(月) 09:42:54 ID:oDbcZqj/
暇人はリフレインしているだけ。abhisamayaについてもまだいってやがる。(笑)構文的にも説明したろ?
有効な反論は一切なしだ。「わかった相応」と揶揄っているのにトンチンカンなコメントしかできない。
コメントする価値はないね。暇人は終了だ。進歩は望まれない。

無宗ださんへ
カラスとの話の文脈で読んでほしいんだけど、彼は存在論的に無明からすべてが生じると言っている。
そこを私は指摘したんだね。で、ここではnirodhaを現代語の滅(滅尽)と勘違いしてはいけないと指摘しているだけ。
ま、nirodhaに関する間違いは前近代まであったんだけどね。

176 :173:2005/11/21(月) 12:14:20 ID:hJ+KgIfn
>>174 ありがとうございます。
ホームページをみてみます

177 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/21(月) 12:43:12 ID:SHNvm4si
>>175 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/21(月) 09:42:54 ID:oDbcZqj/
> カラスとの話の文脈で読んでほしいんだけど、彼は存在論的に無明からすべてが生じると言っている。
> そこを私は指摘したんだね。
レスありがとうございます。

ただ、原始仏教スレという文脈において
>>99
>目、耳、鼻、舌、触、意、の止滅させた先にニルヴァーナがあるんだろうが、
>どうしても肉の思いに負けてしまう
に対する反論として、
>>95
> 「六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。
> 六処の対象を執着として見ず、煩悩を制御するところにあるんだ。」
が紹介されています。99は、認識論的に六処の滅をいっています。
したがって、
> 「六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。
は、間違いといわざるを得ません。

また、もともとの話の文脈ということでいえば、カラスの唄さんのいうニルヴァーナは
私にはどうも、キリスト教の永遠の命のことを意味しているように思われ、
同じニルヴァーナという言葉を使用していても、仏教の涅槃とは対象が異なっており、
最初から議論がすれ違っているのではないかと感じていました。


178 :名無しさん@3周年:2005/11/21(月) 12:55:13 ID:u5tVx37z
無宗ださんは謙虚な方ですね。
煩悩即菩提とか生死即涅槃徒などと言って満足しているような、
ムード的な通俗禅の悪弊に染まらないところが立派だと思います。

179 :名無しさん@3周年:2005/11/21(月) 12:58:10 ID:u5tVx37z
×生死即涅槃徒
○生死即涅槃

失礼しました。^ ^

180 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/21(月) 13:29:59 ID:oDbcZqj/
>>177
コメントありがとうございます。

> に対する反論として、
> >>95
> > 「六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。
> > 六処の対象を執着として見ず、煩悩を制御するところにあるんだ。」
> が紹介されています。99は、認識論的に六処の滅をいっています。
> したがって、
> > 「六処を滅するところにニルヴァーナなぞ無い。
> は、間違いといわざるを得ません。

この「六処うんぬん」はカラス氏との話の流れです。無明を滅すれば存在が無くなる
と言う文脈の中、眼等六処を滅すれば(無くなれば)ニルヴァーナがあるとするカラス氏
の意見に対する反論です。ですから別筋ですね。そこで出てきたのが、nirodhaに関する
語義定義をつかみ直せと言うことです。現代語の滅や滅尽と勘違いしないように。

また、認識論的に六処をとらえるのにも限界があり、「六処を滅する」と言ったときに何が
問題になるのかを見極めないとその先が分からなくなります。それは「一切」と言う言葉
との関わりもありますが、すべてスッタニパータの中で見いだせるものです。

残念ですが、この件については結論が出きっていることもあるし、現在の興味の外に
ありますから議論は控えたいと思います。内容的には面白く、初学者は避けて通れない
話題ではありますが、突っ込むとこれまた深く難解な題材が関連してきます。中程度の
理解であれば、書物の索引などを駆使すれば輪郭が見えてくるでしょう。

181 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/21(月) 13:37:09 ID:oDbcZqj/
>>177
無宗ださんへ。

> また、もともとの話の文脈ということでいえば、カラスの唄さんのいうニルヴァーナは
> 私にはどうも、キリスト教の永遠の命のことを意味しているように思われ、
> 同じニルヴァーナという言葉を使用していても、仏教の涅槃とは対象が異なっており、
> 最初から議論がすれ違っているのではないかと感じていました。

以前から感じていましたが、あなたにはバランス感覚のある面があります。
徒党を組むのではなく、主張とその根拠を読み取ろうとする姿勢があるのも読み取れます。
そうでなくなって暴走するのも見かけますが。(笑)ま、これは人間だから仕方ない。
これからも精進されることを願ってやみません。気が向きましたら別スレにも来てくださいね。

182 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/11/21(月) 14:28:03 ID:RI9erV2H
>>180
>眼等六処を滅すれば(無くなれば)ニルヴァーナがあるとするカラス氏
>の意見に対する反論です。

勝手に人の意見を捏造すんじゃねぇよ。怖い人だね、あんた。
おまえのような文意を汲み取れないようなアホが、原始仏教のスレで、
六処を滅することは可能だ、死ねばすむこと。などとほざいた者に
それでは元の木阿弥だと、俺はいったんだよ。そして卵が先か、鶏が先かともね。
つまりこうだ。六処を滅したところで、無明を滅しない限り、元の木阿弥だと言っている。
無明はなにに縁あって起こり、なにが無ければ、起こり得ないのか。
そこのところを言っているんだよ。
そもそも無明とはなんだ?あんたの意見を言ってみろ。
と、言っても、あんたは、おまえは違うと言うだけで、決して答えないんだよな、卑怯者。


183 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/11/21(月) 15:01:58 ID:RI9erV2H
>イエスは言われた。この世を知った者は、身体を見出した。
>しかし、身体を見出した者に、この世はふさわしくない〜トマスの福音。

無宗ださん。
あんたの思ってるとおりだよ。他人がどう言おうと俺はそう思っている。
そういったアプローチで、キリスト教、仏教をみると、いろいろなものがみえてくる。
残念ながら、多くのキリスト教徒は、永遠の命とはなんなのか、理解する者は皆無に等しい。

184 :暇人:2005/11/22(火) 05:35:29 ID:PpVGn+MI
まあまあまあ 電波どんは、なんていうか粗忽モノで頑固ですから。。。
実は電波どんが勝手にあなたの「滅」を「存在論的『滅』」と誤読した
だけなのですが、一度彼がそうみなすと、彼の脳にとっては それは修正の
効かない真実になっちゃうのですね。
ヤクザの言いがかりと似たようなもので迷惑な話ですが
お年寄りなので 許してあげてください


185 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/22(火) 06:36:26 ID:Dur6+N02
>>180-181
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ さん、レスありがとうございます。

いろいろ、ご示唆いただきましたが、
私自身、この件は、167の結論で満足していますし、
レスを読ませて頂いた限りでは、(掘り下げればいろいろ問題も出てくるのでしょうが)
この結論に対する明確な不具合もないようなので、掘り下げるのはまたの機会にします。

現在の私の興味は竜樹に絡んで、>>131の方に向いています。
しかし、存在論と認識論の頭の切り替えは厄介です。

どうもありがとうございました。


186 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/22(火) 06:54:20 ID:Dur6+N02
>>183
カラスの唄さん、レスありがとうございます。

> あんたの思ってるとおりだよ。他人がどう言おうと俺はそう思っている。
> そういったアプローチで、キリスト教、仏教をみると、いろいろなものがみえてくる。

たしかに、他のものと比べるといろいろな発見がありますよね。
原始仏教の知識をいろいろ仕入れた後で、
プラトンの「パイドン」を読み返したのですが、とても新鮮でした。
ソクラテスは、この中で魂の不死不滅を証明しています。


187 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/22(火) 13:02:16 ID:A69mNIlj
諸行無常
「不変なものは存在しない」という不変の真理




自己矛盾をどうするか。
クレタ人のうそつきパラドックスとして放り投げるか?
自説の主張はせず、プラサンガ論法で、ひたすら他説を否定するか?


188 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/11/22(火) 14:37:12 ID:I/4QHP3k
光と暗黒、生命と死、右のものと左のものは互いに兄弟である。
それらが相互に引き離されることは不可能である。
だから善きものも善いわけではなく、悪しきものも悪いわけではなく、
生命も生命ではなく、死も死ではない。このゆえに、各々はそれぞれの始源より根源へと
解消していくだろう。けれども世界を超えた者たちは解消することがない者たちであり、
永遠まで存続する者である。〜フィリポによる福音。

189 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/11/22(火) 16:21:32 ID:I/4QHP3k
彼らがあなたがたに[あなたがたの中にあるあなたがたの父の徴は何か]と尋ねるならば、
[それは運動と休息である]と彼らに言いなさい”。〜トマスの福音。


190 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/11/22(火) 16:23:02 ID:I/4QHP3k
第一の権威が尋ねた。彼は形あるものである。
心魂よ、形あればこそ、おまえの身体があり、身体あればこそ、さまざまな喜びがあるのだ。
みよ、あの乙女達の麗しい姿を、あの美しい情景を、おまえの逞しい身体を。

心魂は答えた。
形あるものは滅びる。形あるものが美しく麗しいのは、一刹那のなかにあり、
またその一刹那、一刹那につき劣化してゆき、やがて朽ち果てる。
形あるものよ、このようにおまえの輝きは瞬間、瞬間に過ぎず、やがて朽ち果て、滅びる幻なのだ。

第二の権威が尋ねた。彼は欲望であり、執着、愛執である。
心魂よ、欲が叶えられれば幸せがあり、肉親への愛情、愛する者への愛のなかに喜びがあるのだ。

心魂は答えた。
執着する者は、欲が叶えられないと苦しみがあり、愛する者からの愛が得られないと、
そこに苦しみがある。
例えそれらのものが叶えられたとしても、喜びは一刹那、一刹那の中にあり、やがて消え去る幻なのだ。
例え私が王となり、世界を手中に収めようとも、やがて来る死の前には屈す。
私が死んでしまえば、いったい世界は誰のものになるというのか。私の財産などは誰のものになるというのか。

191 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/11/22(火) 16:23:17 ID:I/4QHP3k
第三の権威が尋ねた。彼は識別するものであり、それはエゴとも呼ばれ、サタンと呼ばれる者である。
彼は、妬み、彼は憎しみ、怒りである。

人殺しよ、何を今更、慈悲、慈愛の心だというのだ。人は誰もが自分愛おしい。
自分自身以外、誰が一番大事だというのか。

心魂は答えた。
識別する者よ。私は一つのものを二つの別けるという罪を犯した。そして私は人殺しとなった。
私は本来の自分を知った。もはや識別することはない。
識別の無いところに、どこに憎しみがあるのか。どこに妬みがあるのか。どこに怒りがあるのか。
どこにエゴなど存在しえようか。
識別作用がなければ、自他の別はない。私が他者で、他者が私なら愛し合うのが当然ではないか。
慈悲、慈愛の心は、私自身を愛していることにほかならない。
私が、この身体を捨て去り、一つに戻るとき、もはや私は人殺しではなくなるだろう。

第四の権威が尋ねた。彼は無知と呼ばれるものである。
人殺しよ、おまえは私の呪縛から逃れたというのか、おまえはどこから来たのか、それとも世に打ち勝った者よ、
おまえが行こうとしているのはどこなのか。

心魂は答えた。
私を支配する者は殺された。私を取り囲む者は打ち負かされた。
そして私の欲望は終わりを遂げた。また無知は死んだ。世にあって、私が解き放たれたのは世からであり、
一時的な忘却の束縛からである。もはや私の存在する素因はなくなり私は解消に向かう。(魂の解消)
今から私が沈黙の中に獲ようとしているのは、時間の、時機の、そして永遠の安息である。

192 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/11/22(火) 16:30:22 ID:I/4QHP3k
少しグノーシス風に語ってみた。
グノーシスの教えは、仏教に、非常に近いものがあると俺は思っている。

グノーシスは霊肉二元論だから、仏教とは相容れないものだ。なんて、
知った風な口を利く人がいるようだけどね(苦笑)

193 :名無しさん@3周年:2005/11/22(火) 16:43:38 ID:XOPfucEt
うまいなw
>>190-191

194 :名無しさん@3周年:2005/11/22(火) 16:59:24 ID:VC4TaVQ7
長行レスはサーヴァー負担

195 :名無しさん@3周年:2005/11/22(火) 17:03:32 ID:XOPfucEt
>>194
長文や引用や(論理的)解説が嫌いなら僧堂逝って参禅しろw

それとも机に参禅するか?w

196 :名無しさん@3周年:2005/11/22(火) 17:22:44 ID:1vVkRfUz
何年か前に、イエス仏教徒説の本が出てましたが、今は見かけませんね

197 :名無しさん@3周年:2005/11/22(火) 18:24:50 ID:taHqVH4A
>>169
>>>168

>あとは、質問ではなく反論して。
よろしく。

>172 :無宗だ
>>171 :名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 18:14:51 ID:E7WoSspP
> 結局、どうやったら(何を実践すれば)、覚れるのですか?

>八正道の実践です。

〇八正道の実践と答えておられるので、反論することはありません。

198 :名無しさん@3周年:2005/11/22(火) 20:40:44 ID:Uda5kuMA
>>195
>長文や引用や(論理的)解説が嫌いなら僧堂逝って参禅しろw

己の意にそわぬレスに対面したとき、
自分がどのように心を乱されているかを、
じっと観察してみてください。

わたしがカラス殿やあなたに、賛同のレスをしたか、
しなかったかというだけで、180度もガラリと一変
してしまうような揺れ動く心なら、人様に僧堂逝きを
命じても滑稽なだけです。^_^;
心にもないことをわたしは言わなかっただけなのですから。


199 :名無しさん@3周年:2005/11/22(火) 20:44:10 ID:6AvJ4wnY
>>198
ID表示されてる?

200 :名無しさん@3周年:2005/11/22(火) 20:46:24 ID:Uda5kuMA
どうでもいいことです。

201 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/23(水) 09:53:01 ID:3x+zeZoO
仏教に興味を持ち、学習するからといって、
自分が仏教徒であるとは思わないし、仏教徒になりたいとも思わない。

それでもなお、仏教の教えは自分の生活に取り入れたいと考える知恵に満ちている。
<--
1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。
──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

121 「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、悪を軽んずるな。
水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。
愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる。

123 生きたいとねがう人が毒を避けるように、ひとはもろもろの悪を避けよ。
-->
ダンマパダ
http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/sinri.htm

この意味を考えれば、罵倒の言葉を軽々しく書き込むことはできなくなる。
いろいろな理由を付けて、人を罵倒する人は憐れな人である。

プラトンは、「クリトン」の中でソクラテスに、こう語らせている。
『たとい不正な目にあったとしても、不正の仕返しをするということは、
世の多数の者が考えるようには、許されないことになる。』
『大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、
よく生きるということなのだというのだ』


202 :暇人:2005/11/23(水) 13:32:57 ID:LRdoCr38
>形あるものが美しく麗しいのは、一刹那のなかにあり

原始仏教典は もっとひでぇー表現してますな
美女もその身体の中はウンコや汚物が詰まっていて汚いのだ
そんなものを美しいと思うようではダメだ。みたいな。。

納得できない(笑)

203 :けちゃっぷ:2005/11/24(木) 12:28:58 ID:iqXpmamZ
>202 餓鬼は水が火に見えたりするんじゃなかったっけ?
そんなかんじで、人道に墜ちたら汚い肉体が綺麗に見えてしまうのでは?

204 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/24(木) 12:41:19 ID:g26BHsUI
>>185 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/22(火) 06:36:26 ID:Dur6+N02
> しかし、存在論と認識論の頭の切り替えは厄介です。

たとえば、「殺人は悪だ」といった場合に、
殺人(殺人事件、殺人行為)といったものは、実在する。
しかし、悪は殺人の属性であって、悪は単独では存在しない。
善悪の認識があって、善に対する悪として悪の認識が存在しえるのであろう。

牛は、他の動物、人や馬とは違う牛性とでもいうべき性質を持つ。
その牛性の概念により、我々は牛を認識する。
牛は実在するが、牛性は認識されるのみで、実在するわけではない。

種と実は実在する。
種を原因、実を結果と呼ぶことはできる。
しかし、原因と結果は実在しない。

多分、こういうことなのだろう。


205 :名無しさん@3周年:2005/11/24(木) 12:43:33 ID:mh7RWEdK
毎日オナニーしてるくせに偉そうに語るな

206 :名無しさん@3周年:2005/11/25(金) 18:07:18 ID:h4fYX1zE
>>205
汚いな。

207 :名無しさん@3周年:2005/11/26(土) 02:19:48 ID:TFimj3xh
>>205
そうだな。

208 :名無しさん@3周年:2005/11/27(日) 11:48:16 ID:yt4J7341
相だよ。
しかし層化系の女ってふしだらだな。
俺が知ってる層化の女は、公衆の面前でオナニーをしてたぞ。
別に精神病院に入ってる女じゃないのだがね。
 何しろ南妙法蓮華経が男女の交合の喜悦だと言うことだから。
他にもいる、それも延々とあえぎ声を出していたのを警察に通報されて
捕まっていたよ。

209 :暇人:2005/11/27(日) 12:27:05 ID:Pz14Yc0q
うむぅ。。

210 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/29(火) 07:57:59 ID:tlRcjnUY
久しぶりです。しばらくROMしてましたが、どうしても気になるのが
   >>  すべての執着を捨てなさい
との言葉です。無宗ださんの使い方を見ると、「執着」された欲望だけでなく、
あらゆる欲望を捨てる様にとれますがどうなのでしょうか。
私としては欲望を欲望と知って、制御できる分にはかまわないと思いますが。



211 :暇人:2005/11/29(火) 08:01:02 ID:AYDbZfcb
>>210

又聞きですが
北伝大乗は欲望を完全に捨てることを「悟り」とするが
南伝はコントロールを言う とのこと。

212 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/29(火) 08:41:22 ID:6Ek2dlWe
そうですね。北伝仏教の中での考えは、何でも極端に行っているように思えます。
「無我」というと、自分自身の存在までも否定するところがあります。初期仏教の
本を読んでいると、「これこそが真の私である」「私の実体はこれこれである」と
言われる物は無いと言う考え方なのです。

 このような考え方が「悟り」や「涅槃」を我々の手の届かない別の世界に持って
行ったのではないでしょうか。


213 :太刀山型の土俵入り:2005/11/29(火) 09:05:26 ID:we7fLBYZ
「悪魔」ちゃんの親と釈迦は50歩、100歩。
どっちも離婚してるし。

214 :独り言 ◆ZZW30U26jo :2005/11/29(火) 09:18:28 ID:H5alJ+za
お邪魔様。
>あらゆる欲望を捨てる様にとれますがどうなのでしょうか。
生きる為には最低限の執着・欲望は必要じゃないかな?と思います。
例えば睡眠欲、例えば食欲。これらの生理的欲求まで捨ててしまえば、
これは緩慢な自殺でしかないように考えます。

でもってどんなものに対しても、「捨てなければならない」という風に
思ってしまえば、これは“無執着”という新しいものに執着してるだけ
の結果になりはしないか?と。
いや、素人考えですが。


215 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/29(火) 12:40:06 ID:wL526l4e

七十にして己の欲する所に従い、則を越えず -孔子

>>211 :暇人:2005/11/29(火) 08:01:02 ID:AYDbZfcb
> 北伝大乗は欲望を完全に捨てることを「悟り」とするが
> 南伝はコントロールを言う とのこと。

私見ですが、コントロールが必要な内は、まだ悟っていないのではないかと思います。
たとえば、森に一人でいて恐怖心を制御しているうちはまだまだで、
悟れば、恐怖心は感じなくなるのではないでしょうか?


> 生きる為には最低限の執着・欲望は必要じゃないかな?と思います。
> 例えば睡眠欲、例えば食欲。これらの生理的欲求まで捨ててしまえば、
> これは緩慢な自殺でしかないように考えます。

生きる為の最低限の欲求をみたすことは、執着・欲望に含まれないのではないかと考えます。
所持品は、数枚の衣服と乞食するための椀だけで満足する境地に、当時の悟りはあったのではないかと。


そういえば、苦痛は感じるが制御するんでしたっけ?
しかし、苦痛は欲望ではありません。


216 :名無しさん@3周年:2005/11/29(火) 18:55:34 ID:pIuNO3aW
>>215
>そういえば、苦痛は感じるが制御するんでしたっけ?
しかし、苦痛は欲望ではありません。

色心の苦痛は全て、欲望から生じていると言うのが、集諦では無かったか?
修行者ができるだけの簡素な生活を求めているのは、その法が安楽だからであると無かったかな?

217 :暇人:2005/11/29(火) 21:14:09 ID:e0AC638a
>私見ですが、コントロールが必要な内は…

自然にふるまい 
意識せずして執着から開放されている というのが理想かもですね

218 :名無しさん@3周年:2005/11/30(水) 00:56:19 ID:oriP/mFz
>>217
>>私見ですが、コントロールが必要な内は…

>自然にふるまい 
>意識せずして執着から開放されている というのが理想かもですね

↑のような状態をこそ、感官が良く制御(コントロール)されていると言うのかも
ですね。^^
中道と感官の制御は不可分なものです。感官の制御(コントロール)を欠いた中道も、
ましてやニルヴァーナもあり得ないでしょうから。感官が良く制御(コントロール)されて
いるというのは、そこに苦を感じないから良く制御されていると言うのでしょう。逆に苦を
感じるようなら、それは制御ではなく、悪戦苦闘とでも申しましょうか。

>>214
>でもってどんなものに対しても、「捨てなければならない」という風に
>思ってしまえば、これは“無執着”という新しいものに執着してるだけ
>の結果になりはしないか?と。
>いや、素人考えですが。

無執着も執着の内だとは、よく聞かれる言葉です。
生憎とわたしは煩悩具足な輩ですので、未だに無執着という状態に至っておりません。
しかし推量で言わせてもらうなら、無執着とは文字どおり無執着なんでしょうから、その
ような疑念が湧いてくるのは無執着ではないからなんだと思ったりもします。
「捨てる」と「取る(執する)」とは相反する関係になっています。無執着とは、この相反する
二項を自在に行き来することなのかなと考えたりもします。
いや、素人考えですが。^^



219 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/11/30(水) 04:21:21 ID:yPLGOlAQ
ヴィパッサナー瞑想をやってみて気づいたことは、これは物事に対して
常に客観的に見る訓練をしているのではないかと言うことです。

 歩く場合は歩いていますではなく、右足があがる、前に移動する、右足降りる、
左足あがる、前に移動する、左足降りるとだけ確認します。瞑想中に話し声や、パ
トカーのサイレンが聞こえた場合でもただ音とだけ確認します。何かを見た場合で
も、それが花であるとか、人であるとか考えずに、ただあるだけ、ただ見えているだ
けと確認します。

 欲望が起こっても、これは欲望である。何かに執着しても、これは執着である。
苦しみが起こっても、これは苦しみである。このように捕らえることができれば
適切な対応ができるのではないかと思います。制御とはこのようなことを指して
いるのではないかと感じてます。
 

220 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/11/30(水) 06:52:13 ID:9xvXAeVy
>>210

お邪魔します さん、こんにちは。
> 久しぶりです。しばらくROMしてましたが、どうしても気になるのが
>    >>  すべての執着を捨てなさい
> との言葉です。無宗ださんの使い方を見ると、「執着」された欲望だけでなく、
> あらゆる欲望を捨てる様にとれますがどうなのでしょうか。

『「執着」された欲望』ではない、欲望とは、どのようなものを想定されているのでしょうか?

食欲に執着すれば、もちろんペケですが、
飢餓感を我慢するというのも、ペケではないでしょうか?


221 :独り言 ◆ZZW30U26jo :2005/11/30(水) 10:54:14 ID:GuMQHf6n
レス下さった方、感謝。
うーん、突き詰めて考えると難しくなりますね。
とりあえずは三吉さんの
>意識せずして執着から開放されている というのが理想かもですね
これに賛成。
この状態に至る為には、日々の生活の中において、自己への習慣付け
を弛まずにやっていくしかないでしょうね。


222 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/01(木) 03:22:11 ID:eyxnA6OI
欲をかく度にいちいちそれに執着していたら、体は持たないし、金も続か
ないと思うよ。出来るだけ「小欲知足」を心がければよいのでないかな。



223 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/01(木) 06:27:05 ID:XUZPVr66
>>222 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/01(木) 03:22:11 ID:eyxnA6OI
> 欲をかく度にいちいちそれに執着していたら、体は持たないし、金も続か
> ないと思うよ。出来るだけ「小欲知足」を心がければよいのでないかな。

一般人はそれでいいと思います。
しかし、原始仏教における聖者は
> 欲をかく度に
これ自体を否定したというか、
『欲をかくことのない体質』を獲得したのではないでしょうか?
煩悩を滅尽すれば、欲をかくことはなくなると考えます。


224 :太刀山型の土俵入り:2005/12/01(木) 06:44:39 ID:BomGos6i
マンコ

225 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/01(木) 10:42:37 ID:qTFOGSPh
>>> 欲をかく度に
>>これ自体を否定したというか、
否定はしていないと思うよ。ただ食欲も信者からの布施で
最低限命をつなげる量で満足し、衣類も死者からはぎ取った
り道ばたに落ちているボロ切れを繋ぎあわせた物を着ていた。

 反対に指導者は仏教の教えを広めようとする欲は、かなりあ
ったのじゃないかな。

 仏陀自身も
  「私の悟った法は、微妙で難解であり、欲に囚われ執着して
 いる人々には理解できないであろう。そのような人にいくら法
 を説いてもただ疲労困憊するばかりだ」
と言っておきながら、中には理解してくれる人がいると信じて、無駄
と知りながら法を説いて歩いた。だからコンダンニャが悟りを得たとき
自分の教えが伝わったとして、すごく喜んだ。

226 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/01(木) 19:02:40 ID:0JiZADQA
>>225 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/01(木) 10:42:37 ID:qTFOGSPh
> >>> 欲をかく度に
> >>これ自体を否定したというか、
> 否定はしていないと思うよ。ただ食欲も信者からの布施で
> 最低限命をつなげる量で満足し、

つまり、食事をすることは、
食欲という「欲望を満たす行為」であり、
> 最低限命をつなげる量で満足し、
は、「小欲知足」にあたる。
とあなたは考えるわけですね?

ここが、私とあなたとでは、根本的に違っているようです。

呼吸や心拍と同様に、
食事や排泄といった生きる為に必要な行為は、
善悪のない単なる行為であり、
『欲望を満たす行為』という「悪に分類される行為」ではない
と私は考えます。


227 :名無しさん@3周年:2005/12/01(木) 21:14:21 ID:xSQiMA0K
本スレあいかわらずだね・・・

228 :名無しさん@3周年:2005/12/02(金) 01:55:11 ID:uodBw98G
2chだから仕方ないか・・・


自分の、生(なま)の、『生』に対する姿勢を大切にするなら、
他人の「生」(=スタンス)も尊重せねばなるまい・・・(それが誠実であるという前提の上だが・・・)。

以前からずっと感じている本スレに対する違和感は、
たぶん、この辺にあるのだろうと思う・・・。

229 :名無しさん@3周年:2005/12/02(金) 03:12:59 ID:p1v4W2gN
違和感があるなら聞いてみればよろし。

過去スレを丁寧に読込めば突っ込み所の10や20すぐに集まる。

経験も知識もないなら手間を惜しんじゃダメ。


そんなことより今は臘八接心の期間だ。

若いネーちゃんでも8時間くらい坐る子がいるし、徹夜で坐る奴もいる。

お釈迦様を尊敬する気持ちがあるなら30分でもいいから坐ってみろ。

230 :暇人:2005/12/02(金) 07:42:50 ID:8dQFIgTY
>臘八接心

それって禅宗でしょ

231 :名無しさん@3周年:2005/12/02(金) 14:23:30 ID:gbToN+O9
前から疑問だったんですが、
「諸行無常」と「諸法無我」の違いって何ですか?

どなたかご教授お願いします。

232 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/02(金) 16:35:18 ID:Dr1PUaGw
 乞食とか托鉢に対する私の考えを書いておきますね。
悟ると生死の境を超えると言われているが、なにも生に対する執着ばかりでなく、死に対する
執着も無いと思われる。生きていてもよい、死んでもよい状態ですね。この状態を維持する一
つの方法が、自分の生死を他人に任せる、つまり命をつなぐのに必要な食事を、第三者の布施に
任せると言うことです。布施がえらられば生きるし、貰えない日々が続けは死んでしまう。

 
 スッタニパータの田を耕す人でバラモンが釈尊の教えを聞いて食事を捧げようとしたが
 「詩を唱えて(報酬として)得たものを、私は食うてはならない。バラモンよ、このこと
 は正しく見る人々(目ざめた人々)の習わしではない。」
と言って、せっかくの食事を捨ててしまうんです。

 なぜ捨ててしまうのか、長い間解らなかった。そこで先の考えにたどり着いたのです。
 

233 :名無しさん@3周年:2005/12/02(金) 18:01:26 ID:RG3rYZdF
>>231
諸行無常とは、時間の流れから、諸法を見た場合で、過去の原因で、現在未来の
結果が生じている現象を言う。現在は過去と言う因縁による生起に他ならず、未来は、
現在と言う因縁による生起に他ならない。そして、過去現在未来は、この様に縁起しているものゆえ
実体は無く、空である、と言う思想である。
 諸法無我とは、空間として見た場合の諸法である。いろいろなものがあるが、それらは全て、
縁起しているものに過ぎないので、ここのものに自性と言うものは無い、と言うのである。
この自性は、このものだけで存在し得る個性であるが、我々人間に付いてみると、人間には命が有ると、
一般的に認められているが、そのようなものは無いと言うのであり、人間以外の全てのものに付いても
同様に、命の様に、それ自体で、存在し得る個性は無いと言う思想を言う。

 しかし、仏は、自存者と言い、自ら存在しているとされる。

234 :名無しさん@3周年:2005/12/02(金) 18:38:51 ID:RG3rYZdF
>>232
正覚者)仏陀は、我々を必要とされないが、我々が正覚者を必要とするんですよね。
我々が仏陀に供養を捧げるならば、ブッダの慈悲心が発露して、我々に必要な良きものが与えられる事になるんではないでしょうか?

235 :名無しさん@3周年:2005/12/02(金) 19:25:32 ID:RG3rYZdF
>>233
つづき 
 時間とは距離を言い、距離は空間を言う。従って、時間とは、空間上の縁起現象を言い、
空間とは、持間上の縁起現象を言う。これらは相互に、置換され、且つ同一なんだ。

236 :暇人:2005/12/03(土) 04:42:29 ID:qTB4UxUU
ダンマパダに

277 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と
明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。

278 「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と
明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。

279 「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と
明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。

とありますね


237 :暇人:2005/12/03(土) 05:30:17 ID:qTB4UxUU
277 Sabbe saNkhArA aniccA

278 Sabbe saNkhArA dukkhA

279 Sabbe dhammA anattA

Sabbeは、「あらゆる、あらゆるもの」
saNkhArAは、「行」だが「作られたもの」「つくりあげるもの」
dhammAは「法」だが 原意の「たもつもの」から派生して「構成要素」
仏教では「事物」「存在しているもの」。
元々は五蘊無我説が言われていたのだが、五蘊のそれぞれ「色」「受」
「想」「行」「識」=「諸法」とし、諸法無我。
aniccAは「無常」 dukkhAは「苦」 anattAは「非我、無我」

「諸行無常」と「諸法無我」は表裏ですね。
「諸行無常」は、存在は常に変化しているので存在の常でないことを表現する
ために「存在」の流動性に着眼して「存在」をsaNkhArAで言い、
「存在」の個別性に即して言う場合はdhammAは「法」を。

238 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/03(土) 07:52:19 ID:jCnak7Sb
>>231
web辞書だと以下のようになっていますね。

<--
しょぎょう-むじょう ―ぎやう―じやう 0 1 【諸行無常】
〔仏〕 仏教の基本的教義である三法印の一。
この世の中のあらゆるものは変化・生滅してとどまらないこと。この世のすべてがはかないこと。

しょほう-むが ―ほふ― 1-1 【諸法無我】
〔仏〕 三法印の一。あらゆる事物には、永遠・不変な本性である我(が)がないということ。
-->

>>237 :暇人:2005/12/03(土) 05:30:17 ID:qTB4UxUU
> 「諸行無常」と「諸法無我」は表裏ですね。
ですね。

【諸行無常】であるから、【諸法無我】であり、
【あらゆるものは変化・生滅してとどまらない】から【永遠・不変な本性である我(が)がない】

【諸法無我】であるから、 【諸行無常】である
【永遠・不変な本性である我(が)がない】から【あらゆるものは変化・生滅してとどまらない】


239 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/03(土) 07:52:49 ID:jCnak7Sb
>お邪魔します さんへ

ダンマパダに

1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。
──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。
──影がそのからだから離れないように。

とありますが、この心に対応するものを、全て『欲』と考えているわけですか?

十善、十悪、その他の身口意の行を行うのも、全て『欲』にもとづく。
とお考えなのでしょうか?


>>225 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/01(木) 10:42:37 ID:qTFOGSPh
>  反対に指導者は仏教の教えを広めようとする欲は、かなりあったのじゃないかな。


240 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/03(土) 07:53:18 ID:jCnak7Sb
>>232 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/02(金) 16:35:18 ID:Dr1PUaGw
>  なぜ捨ててしまうのか、長い間解らなかった。そこで先の考えにたどり着いたのです。

もう少し詳しく、その関連を説明していただけないでしょうか?

>  スッタニパータの田を耕す人でバラモンが釈尊の教えを聞いて食事を捧げようとしたが
>  「詩を唱えて(報酬として)得たものを、私は食うてはならない。

これは、単純に「出家僧は、報酬を得てはいけない」、
商売や、報酬を得ることを目的とした行為をしてはいけない
と、言っているだけではないでしょうか?


241 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/03(土) 10:48:00 ID:0WpMZv9F
たしか「悪魔との対話」にブッダが托鉢に行ったが村人が祭りに夢中で
なにも貰えないで、帰ってきた話がある。悪魔がもう一度行けば、今
度は貰えるように計らってあげようと言ったが、ブッダは行かなかった。
これも同じように、命に必要な食物に執着しないことではないか。どうし
ても食物が必要なら、托鉢に行っている時間に自炊した方がよいと思われ
る(中国や日本の禅寺では、自分のところで食事を作っている)。

 もう一つ、托鉢で得た食物はその日のうちに食べて、翌日に持ち越さない
と言う決まりもあった。何ものも所有しない意味もあるが。

 なぜこのような不安定な食事方法をとったのだろう。これが「行」の一つな
らどのような意味があるのだろうと、疑問に思って考えついたのが>>232の文で
す。あくまでもこれは私の勝手な考えですけど。食物に執着することは、命に執
着することであり、貰えれば生きられるし、貰えなかったら死ぬ。ただそれだけ
のことではないか。

242 :名無しさん@3周年:2005/12/03(土) 11:32:52 ID:+3Io5Jte
 「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、
もしもだけかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 
『およそ苦しみが生ずるのは、すべて食料に縁って起るのである。』というのが、一つの観察[法]である。
『しかしながら諸々の食料が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。
このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、
二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。──すなわち現世における<さとり>か、
或いは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」──
 師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。

747 およそ苦しみが起るのは、すべて食料を縁として起る。諸々の食料が消滅するならば、
もはや苦しみの生ずることもない。

748 「苦しみは食料の縁から起る」と、この禍いを知って、一切の食料を熟知して、
一切の食料にたよらない、

749 諸々の煩悩の汚れの消滅の故に無病の起ることを正しく知って、省察して(食料を)受用し、
理法に住するヴェーダの達人は、もはや(迷いの生存者のうちに)数えられることがない。



243 :名無しさん@3周年:2005/12/03(土) 14:34:44 ID:aDwhXTRz
前から疑問に思ってたんですが

自己は無我であり死後存続もないとすると、悪いことをするなとか良いことをしろ
とかいう戒律はなんの意味があるの?

単に社会的に厄介なことになるから、釈迦の出家集団に属するのなら戒律を守れってこと?

244 :名無しさん@3周年:2005/12/03(土) 15:13:13 ID:+3Io5Jte
>>243
真理とか理法とか聴いたことある?

245 :名無しさん@3周年:2005/12/03(土) 15:23:26 ID:uF1XdX81
>>243
「前の晩飲み過ぎたら翌朝辛いだろ?
そうならないよう気をつけましょう。」
というのと構造は同じだよ。

もうひとつ、
「レストランで働く人間が、
汚い格好だったり・材料を粗雑に扱ってたり・態度が不遜だったりしたら
不快に思うし信用もし難いだろ?」
同じことだよ。

246 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/03(土) 15:40:36 ID:QeilMwhN
>>243 :名無しさん@3周年:2005/12/03(土) 14:34:44 ID:aDwhXTRz

> 自己は無我であり
これは、自己は常住不変ではないということ。
日々、変化しつづける自己は存在する。

> 死後存続もないとすると、

変化しつづける自己は、
もし業があれば、死後も存続し、
自業自得を成就するために輪廻する。


247 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/03(土) 16:12:44 ID:OiLROBS7
>>242さんへ
ありがとう。参考になります。

248 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/03(土) 16:21:44 ID:OiLROBS7
>>しょほう-むが ―ほふ― 1-1 【諸法無我】
>>〔仏〕 三法印の一。あらゆる事物には、永遠・不変な本性である我(が)がないということ。

これと
 
>>変化しつづける自己は、
>>もし業があれば、死後も存続し、
>>自業自得を成就するために輪廻する。

では、なんか食い違ってないかい?


249 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/03(土) 16:54:31 ID:QeilMwhN
>>248 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/03(土) 16:21:44 ID:OiLROBS7

Aがないこと

Bが存続すること
は、
A≠Bであれば、矛盾しません。

A:永遠・不変な本性である我
B:変化しつづける自己

A≠Bですから、矛盾はありません。


> なんか食い違ってないかい?

どこが食い違っているのでしょうか?


250 :暇人:2005/12/03(土) 17:36:06 ID:4CIWcmVj
>>243

無我って「私なんて いないんだ」という意味ではなく、
「我がもの」と思っているモノは「わがものではない」という意味ですね。
例えば身体。私たちは自分の『体』と思って生きるが 病や老いや死を
なんともすることができない。例えば愛。愛するものもいつか失う。
「我がもの」という執着が「苦しみ」を産んでいるんだとのことみたいね。

>悪いことをするなとか良いことをしろ
>とかいう戒律はなんの意味があるの?

自因自果、つまり良いことをすれば、楽なことがあり
悪いことをすれば、苦に結果するという初等倫理を認めない人には
これを飲み込めるまで、仏教サンガに入れず、準備教育期間を
設けてたみたいですよ。

251 :名無しさん@3周年:2005/12/03(土) 18:57:29 ID:+3Io5Jte
>>243
仏教の真理として、縁起と空と言うことがある。この真理に照らして善悪を判断する事になる。
十悪と言う戒律がある。これらの悪はみんな、縁起と空の真理に反するから悪になるのだと思う。
例えば、殺生は、生き物が無いのに(12支縁起)、生き物が居ると妄想し、更にそれを破壊する行為である。
これは空の真理に反して居る。盗みは、盗むべき対象など無いのに、有ると妄想し、それを騙して採る行為である。
これらの行為は実に十二支縁起の世界を構成するものである。
 そこで、世に悪い行為と言われているどんな行為もしないようにして、その自制により、無明を消す
方向に至ることが求められるのであろう。

252 :名無しさん@3周年:2005/12/03(土) 20:48:56 ID:jr21c4/B
>251
そのへの理屈で言うと、善いこともするなとなる。

これは釈迦の教えに反する。

空教は、禅宗の者にでも語られよ。

253 :フレッド:2005/12/03(土) 21:52:08 ID:gBeJFuYn
>>243
>自己は無我であり、死後存続もないとすると

死後存続の問題は、ゴータマ・ブッダは有であるとも無で
あるとも返答しなかったらしいですね。

さて、しかしながら仏陀は解脱して再生しない。
このような説を聞きますが、仏教では如来の死後存続の
問題でさえ、無記になっているのですよね。
このニ説は矛盾していませんか?

254 :名無しさん@3周年:2005/12/03(土) 21:58:09 ID:+3Io5Jte
>>253
>仏教では如来の死後存続の
問題でさえ、無記になっているのですよね。

ここのところを詳しく説明してくれませんか?

255 :暇人:2005/12/03(土) 22:49:15 ID:4CIWcmVj
>>254

いわゆる十四無記(十無記)に「如来は死後に存在するのか しないのか」
というのがあり 釈尊は沈黙で応えます。


256 :暇人:2005/12/03(土) 22:53:49 ID:4CIWcmVj
>>253
再生しないの文脈は、「一旦 死んで また生まれかわらない」
「輪廻から解脱した」
「如来の死後」の文脈は、「再生」がテーマではなく、
「死後どうなっているのか」という問い。

257 :名無しさん@3周年:2005/12/03(土) 23:23:37 ID:+3Io5Jte
>>255
サンクス
 詳しく勉強してみないと。

258 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/04(日) 03:41:04 ID:DY1K4m3N
>>変化しつづける自己
とは何か、解らない。生きている間なら年とともに自分が変化しているのは解るが、
ま、たとえ死んだとしても火葬にされ骨となる変化までは理解できる。
で、その骨が
>>>>自業自得を成就するために輪廻する。
のが理解できない。

259 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/04(日) 07:21:14 ID:+Bj+9CgM
>>258 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/04(日) 03:41:04 ID:DY1K4m3N
> その骨が
> >>>>自業自得を成就するために輪廻する。
> のが理解できない。

何がどういうメカニズムで、輪廻するのかは、私にはまだわりません。
しかし、次のことはいえます。

ブッダは、自業自得、因果応報を説いている
ブッダは、死ねば終わりという考えを断見としてしりぞけている。


260 :暇人:2005/12/04(日) 08:20:08 ID:7khyL05d
死後どうなるか わからないので 考えても仕方ないじゃん 
と私は思っています。
重要なのは 「今 ここ」で生きている事実ですね。
善因楽果 悪因苦果は、死後どうなるかを言っているというより
「今 ここ」をどう生きるかの指針ではないでしょうか

261 :名無しさん@3周年:2005/12/04(日) 09:19:54 ID:mcRDBu2m
やっぱり2ch内の宗教への視線は教学的側面だけか・・・
>>245の視点を持つ人って居ないんだね・・・ orz

262 :名無しさん@3周年:2005/12/04(日) 10:18:54 ID:5/vJtaoD
>>243 無我を悟れば、
我執にともなう苦悩の原因が消えて、
苦悩が消えます。
だから無我を説くのです。
殺さなければ、
殺される人の「殺されたくないのに殺される」という苦悩の原因が消えて、
殺される人の苦悩が消えます。
だから殺さないようにするのです。
自分と他人の苦悩の原因をできるだけ消すことによって、
自分と他人の苦悩をできるだけ消し、
世間の苦悩が消えていく。
それが仏教です。

263 :暇人:2005/12/04(日) 12:10:47 ID:jkAdPn1W
>>261

ん? 245さんがいるじゃん?

それと「教学的」というほどのレベルのレスはないよ。
2ちゃんだからね 基本は自分で裏を取る。


264 :名無しさん@3周年:2005/12/04(日) 23:29:14 ID:W/Pt2FC9
>それと「教学的」というほどのレベルのレスはないよ。

業感縁起についての教学的レベルの説明が未だに為されていないからね。


265 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/05(月) 03:45:14 ID:TyFP7PH2
スッタニパータより

840 マーガンディヤがいった。「もしも『教義によっても、学問によっても、知識によっても、
   戒律や道徳によっても清らかになることが出来ない』と説き、また『教義がなくても、学
   問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることが出来
   ない』と説くのであれば、それはばかばかしい教えである、とわたくしは考えます。教義
   によって清らかになることができる、と或る人々は考えます。」

 841 師は答えた「マーガンディヤよ。あなたは(自分の)教義にもとづいて尋ね求めるものだから、
   執着したことがらについて迷妄に陥ったのです。あなたはこの(内心の平安)について微かな
   思いをさえもいだいていない。だから、あなたは(わたくしの説を)『ばかばかしい』と見な
   すのです。」

 どうしても仏教の話になると、教義・教学的な話になるよな〜。それよりも内心の平安を求めるこ
との方が大事なんだけど。   

266 :暇人:2005/12/05(月) 07:18:27 ID:3gk41bjZ
業感縁起?
部派仏教のアビダルマは ここでは必要ないでしょ。

教義・教学的な話というより 
単純に 仏典のことばを聴き 感想を述べ合い
理解をそれぞれが それぞれに深めるでよいのでは?

2500年の歴史の中で 180度逆の解釈がアタリマエに為されてきていて
いるので 自分の目で仏典の言葉に触れるのが まず大切だと思うな


267 :名無しさん@3周年:2005/12/05(月) 08:44:24 ID:kGTIZINI
>>266
いってることコロコロかわってるよ。
原始佛教に業感縁起を見いだせるという発言したのはあんたじゃんか。

474 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 2005/10/08(土) 21:57:30 ID:EWo5kVJD
>>473
だからそれは業感縁起といって、原始仏教ではなく部派仏教の変化した教義だと言っているのですよ。
それを読んであんたの無能さを指摘しているのです。あんたが発言していることが無駄なのですよ。

475 名前: 暇人 投稿日: 2005/10/08(土) 22:05:12 ID:nKz/8cVz
>>474

キミさ 仏教史の本 読んだことある?
業感縁起について まずきちんと調べてご覧。


これはどういう意味かな?三吉だからまた屁理屈こねるんだろけどね。



「原始仏典のすべては部派の洗礼を受けている」という常識がないのかな?どうでもいいけど。


268 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/05(月) 09:47:56 ID:doOc9lFd
>>267 :名無しさん@3周年:2005/12/05(月) 08:44:24 ID:kGTIZINI
> 原始佛教に業感縁起を見いだせるという発言したのはあんたじゃんか。

あなたの引用した部分を読んでも、
暇人さんが「原始佛教に業感縁起を見いだせるという発言した」ということの
根拠には全くなっていないんですけど?

まずは、どこで、どのスレのどのレスで
暇人さんが「原始佛教に業感縁起を見いだせるという発言した」のか
教えて頂けませんか?

ちゅうか、その前に474さんが、
業感縁起と原始仏教の内容の違いをきちんと説明し、
どのように「それは業感縁起」と主張できるのか
きちんと示すべきだと思っていましたけどね。

業感縁起に関してまず説明する責任があるのは、
暇人さんではなく474さんです。


269 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/05(月) 12:42:21 ID:doOc9lFd
>>267 :名無しさん@3周年:2005/12/05(月) 08:44:24 ID:kGTIZINI
> 「原始仏典のすべては部派の洗礼を受けている」という常識がないのかな?どうでもいいけど。
つまり、あなたは原始仏典のすべてに部派による勝手な捏造があるという立場でしょうか?
あなたの常識を非常識と考える人もいるようですよ。
参考まで。


『仏教かく始まりき----パーリ仏典『大品』を読む』のご紹介
http://homepage1.nifty.com/manikana/m.p/hon/daihon.html
<--
仏教文献学者は、何か自分の頭で不明なところに遭遇すると、
すぐにこの個所は後世の増広に成るものだと、むやみやたらに言いたがります。
しかし、ゴータマ・ブッダの弟子、孫弟子、ひ孫弟子たちが、
バガヴァットのことばを忘れたり、勝手に捏造したりすると考えるのは、
ことインドという場にあっては非常識なのです。
-->


おまけ:
ttp://blog.mag2.com/m/log/0000051492/106706417?page=1#106706417
あらゆる一般論は間違いだ。
この一般論も含めて。


270 :ガキだのぅ:2005/12/05(月) 16:33:23 ID:5I4LnPae
いつまでたっても 駄々っ子みたいにごねて・・・
大人になれって

「まずきちんと調べてご覧。」←しらべたのか?

無宗ださんの463は、
>十二支縁起の、「取-有-生」の部分がまさに、
>業の報いにより生まれ変わることを説いています。
だ。

部派の業感縁起は
「無明」「行」が過去の二因
「識」「名色」「六処」「触」「受」が現在の五果(過去の果)
「愛」「取」「有」が現在の三因(未来の因となる)
「生」「老死」が未来の二果
だな。

いっしょなのか?
無宗ださんのは三世にわたってないぞ。

271 :フレッド:2005/12/06(火) 20:45:50 ID:rGM7iQAJ
>>256
そうなんですか???

しかし「一旦死んで再び生まれ変わらない」と、言うのは
「死後どうなっているのか?」
という広義の問題に含まれてしまうような気がします…。

272 :暇人:2005/12/06(火) 22:02:37 ID:ndhMpcGz
( ‥) ン?
すると「再び生まれ変わらない」の死後は どうなっていると言われるの?

273 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/06(火) 23:20:21 ID:EX90QDOI
>>253 :フレッド:2005/12/03(土) 21:52:08 ID:gBeJFuYn
> >自己は無我であり、死後存続もないとすると
>
> 死後存続の問題は、ゴータマ・ブッダは有であるとも無で
> あるとも返答しなかったらしいですね。
>
> さて、しかしながら仏陀は解脱して再生しない。

さて、まず
> >自己は無我であり、死後存続もないとすると
これだけど、もっとくわしくいうと、
自己は無我であり、死後も存続する永遠不変のアートマンはない
というだけで、自業自得の自に対応するものは、連続すると考えます。

そして、解脱せずにお亡くなりになった場合には、その業にしたがって、
> 現世ではこの報いがあり、死後には悪いところに堕ちる
> 現世ではこの報いがあり、死後には善いところに生まれる
http://www21.big.or.jp/~tetsuki/kokoro/shinjin/fuse_04_1.html
というふうに生まれ変わるわけです。

解脱してお亡くなりになった場合には、どうかというと、次のように語られてます。
私は矛盾は感じません。

1076 師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。
かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

スッタニパータ


274 :フレッド:2005/12/07(水) 07:55:52 ID:lEC3dmnj
>>272
はい。死後消滅したということで。

私の思考回路ではそうなるです。。。

>>273
解脱についても…
だけど、それなら解脱者の死後は消滅であって、無記ではあ
りませんよね。これは、如来の死後は消滅である。
という言説が成立するのではないでしょうか?
それとも「如来」と「解脱者」は別の概念なのですか?



275 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/07(水) 08:59:55 ID:daFScaOw
>>274 :フレッド:2005/12/07(水) 07:55:52 ID:lEC3dmnj
> 解脱についても…
> だけど、それなら解脱者の死後は消滅であって、無記ではあ
> りませんよね。これは、如来の死後は消滅である。
> という言説が成立するのではないでしょうか?

最近は、原始仏教にはとてつもない嘘(方便)が隠されているのではないかと
疑うようになってきましたが、昔、自分なりに納得した回答は以下のとおり。

この世は諸行無常であり、涅槃は常住である。
したがって、悟るまでは世間の中で輪廻し、
輪廻を脱すると出世間に場所を移す。
だけど、出世間のことはわかりません。
『解脱者の死後は消滅』というのは、世間からの消滅と考えていました。

> それとも「如来」と「解脱者」は別の概念なのですか?
私は、同じと考えています。悟ればみんな一緒。


276 :名無しさん@3周年:2005/12/07(水) 09:14:41 ID:bDqm2gbm
死ねば涅槃なら(そういう説は当時にあった)、何も修道して阿羅漢(非再生者)になる必要は
ない。釈尊は五道(六道)輪廻を与えられた事実として捉えた。死後に無か有かというのは
如来のこと。衆生のことではない。当時の異端思想の中で仏教の他にジャイナ教が現存して
いる。基本的な教義は変わっていない。部派の解釈を経ても、基本的な教義までは変わらない
だろう。まあ、死ねば涅槃なら、何も仏教の必要がないということから考えるまでもないけどね。

もちろん、死ねば涅槃が事実だが。六道輪廻という迷信を除いたら仏教の必要がないだろう。
いわゆる如来死後の牽強付会は無意味。仏教(だけでなくインド思想全般)が唯心論なのも
六道輪廻を所与として思索を出発するから。現実の因果関係を考えたら、六道輪廻成り立た
ない。インド思想の絶対的限界。最初にいった順世派(ローカーヤタ)以外は。仏教は反因果
の思想だよ。

277 :暇人:2005/12/07(水) 23:43:33 ID:Uxu53a0Z
>>274

消滅ね うむぅ。。。
「滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない」から
あれこれ考えるのは無駄なのかもね



278 :暇人:2005/12/08(木) 00:06:54 ID:xLx/48f9
>>276

思うのだが 修道とか 歩みってさぁ
ゴールに何か景品(阿羅漢・さとり・涅槃・生天・幸福)があるから
それを獲るためにないのじゃないかな。
最初は そういう関心があったとしても
歩み続けられるのは 何かに突き動かされて歩まざるえない。
とかね。

279 :フレッド:2005/12/08(木) 07:50:13 ID:t1mhO1ep
>>275
やっぱり、如来でも衆生でも死後のことは一切無記にしておく
のが、私は最適かなあと思っています。
自然世界を見ても、人間の知性や認識が到底及ばない領域もあ
るし、生物が生きていることでさえ不思議そものもです。

原始仏教は、周辺のインド思想とも切り離せない関係になって
いるのでしょうが、その辺は私はまだまだです。

今回はご返答ありがとうございました。

>>277
やっぱり消滅を「状態」と呼ぶのはキツイかなぁ。。
>計る基準が存在しない

やっぱそうなんですね。納得です。
暇人さんもありがとうございました。

280 :名無しさん@3周年:2005/12/08(木) 10:02:53 ID:2jF3vjIj
>>278

当時のインドの良家の子弟(善男子)でも、21世紀の平均的日本人より人生に苦の方面が
多かったかも知れない。しかし解脱への欲求は再生への恐怖に由来する。天界以外の
衆生の中ではインドの良家の子弟は最上に属する。より苦の多い環境に転生するという
怖れが解脱を希求させた。そのような迷妄に由来した修道であっても、仏教のような上等
の宗教には道徳的向上という副作用は伴ったであろう。しかし迷妄にもとづかない修道の
ほうがより良いに決まっている。

ローカーヤタの思想
http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/ajita.htm

不可知論に陥ったのがダメだったのかな。中観派も不可知論だが。ヴァイシェーシカも
衰えたあとはインドに科学を発達させるような思想は結局、皆無になってしまった。

281 :暇人:2005/12/11(日) 04:21:47 ID:TGJzQn8n
なんで 再生が恐怖だったのか いまいち肌感覚でわかんないよな
再生したらラッキーだと思っちゃうが・・・汗

282 :Used Image ◆zpe.19X8.. :2005/12/11(日) 04:50:31 ID:v2/PWok7
>>281
暇人さん、初めまして。
こちらや「原始佛教」、キリスト教スレをROMさせていただいてます。

私は「良家の子弟」(>>280)という環境とは遠かったので「転生するという怖れ」
の動機は違うのですが、長い間、転生という考えは恐怖で苦痛そのものでした。
再生したらラッキーと思われる暇人さん、天国への片道キップ(?)のサロメさん、
いろいろな考え(思想、宗教的立場)には生育の影響などもあるのかなと自身
のことを振り返るとふと感じたりします。
スレ違いでしたら、失礼。

283 :暇人:2005/12/11(日) 05:49:41 ID:TGJzQn8n
はじめまして よろしく。
方々で恥を晒しております

善男子は「良家の子弟」という意味が本来なのですが
「仏弟子」という意味での慣用表現でもあります。
「生育環境」で転生の恐怖云々は影響しているのかどうか不明です。
一般的には仏教も含めて 在家人は「現生で楽しく 死後も良いところにも
生まれたい」が主流ではなかったのではと。
「転生に対する怖れ」は なにかしらの生育環境もあるのかもですが
宗教的感覚の鋭敏さを思わせます。
若かりし釈尊の夢想の説話も 輪廻それ自体への嫌悪があるようです
普通の人は ここまで宗教的なセンスはないかもと。

よければ なぜあなたには「転生が恐怖だった」のか
解説いただくと 嬉しいです

284 :Used Image ◆zpe.19X8.. :2005/12/12(月) 03:58:20 ID:9fjmjKfx
暇人さん。
>>283
> 一般的には仏教も含めて 在家人は「現生で楽しく 死後も良いところにも
> 生まれたい」が主流ではなかったのではと。

> よければ なぜあなたには「転生が恐怖だった」のか
> 解説いただくと 嬉しいです
ようやく以前よりこの怖れの思いも薄まってきましたので、今あらためて振り返
れば何故あんなに苦痛に感じていたのか冷静に把握できるのかもしれません。
ただ、
>>281 名前:暇人 投稿日:2005/12/11(日) 04:21:47 ID:TGJzQn8n
> なんで 再生が恐怖だったのか いまいち肌感覚でわかんないよな
> 再生したらラッキーだと思っちゃうが・・・汗
この暇人さんの文章に反射的に思い浮んだことを書いてしまいましたのでまだ
「なぜか」が定かではありません。確かな思いが出てきましたら、その時にまた。

ROM していて、暇人さんとは一度お話しできたらと思っていたのですが、仏教
に興味はあっても詳しい知識はありませんので躊躇していました。今回はよい
機会を与えていただきました。ご丁寧なお返事、ありがとうございました。


285 :Used Image ◆zpe.19X8.. :2005/12/12(月) 04:09:43 ID:9fjmjKfx
>>283
> 若かりし釈尊の夢想の説話も 輪廻それ自体への嫌悪があるようです

ネットで探してみたのですが、どのような説話を指すのかわかりませんでした。
参考になるURL等教えていただけないでしょうか。よろしくおねがいいたします。


286 :暇人:2005/12/12(月) 05:18:53 ID:2wz02hGo
>>285

私がそう感じているだけかもですが
こういう説話を聞いた覚えがあります。

釈尊がまだ若い頃 王に連れられ狩猟にでかけたのですが、
樹の下で眠り 夢を見ます。前世の夢です。
食物連鎖・弱肉強食の世の理を体験し、シッダルタは、
この世をナバースになります。
後の時代 これを瞑想の諸段階 初禅とみなすようになりました
という感じの話です


287 :名無しさん@3周年:2005/12/12(月) 12:47:51 ID:H7jSgvvo
>>270 :ガキだのぅ :2005/12/05(月) 16:33:23 ID:5I4LnPae

>いっしょなのか?
>無宗ださんのは三世にわたってないぞ。

>>273 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/06(火) 23:20:21 ID:EX90QDOI

>さて、まず
>> >自己は無我であり、死後存続もないとすると
>これだけど、もっとくわしくいうと、
>自己は無我であり、死後も存続する永遠不変のアートマンはない
>というだけで、自業自得の自に対応するものは、連続すると考えます。

無宗ださんが言う、連続すると考えられる自業自得の自に対応するものが、
三世にわたっていないとすると、現世だけの連続する自業自得の自に対応
するものという意味になりますが、それでは断見になってしまうので、この
連続とは、やはり三世を前提とした連続と考えられます。
>>270さんはどのように考えられますか。


288 :名無しさん@3周年:2005/12/12(月) 13:21:34 ID:E5nfvPbL
>>287
「ガキだのぅ」とか「無宗だ」とか「暇人」とかの馬鹿をはんなりと晒してるんだと思います。
本人たちにはそのことが分からずに悦に入っているようで隔離病棟としては見せ物的
効果を含めてよく仕上がっています。

だから、指を指して子供たちに教えるのは「 き ん し 」します。w

289 :暇人:2005/12/12(月) 19:52:51 ID:j9SYZ/y7
>>28
「連続すると考えられる自業自得の自に対応するもの」←この前提がマチガイ


その自に対応するものが「三世にわたっていないとすると」なぜ
「現世だけの連続するもの」となるのか論理的根拠が不明。
無宗ださんの説明は、「業の報いによる生まれかわり」について
言及しているが、それが「三世にわたる」とか
「三世にわたる自に対応する何か」までを言及していない。

>>288

負け犬の遠吠えは別スレッドでどうぞ


290 :暇人:2005/12/12(月) 19:53:39 ID:j9SYZ/y7
>>28 ×

>>287

291 :288:2005/12/12(月) 21:32:16 ID:E5nfvPbL
>>289
負け犬?それは誰が見てもあなた、三吉さんのほうでは無いのですか?
自覚が無いのはいつもの事で相変わらずだと苦笑いたしますが、醜さ
にも輪が掛かってきているようで悪臭が立籠めております。

292 :暇人:2005/12/12(月) 21:35:37 ID:j9SYZ/y7
>>291

スレッド間違えてますよ。


293 :名無しさん@3周年:2005/12/12(月) 21:48:00 ID:n8opYYmh
さびしいんじゃない?

294 :名無しさん@3周年:2005/12/12(月) 23:48:00 ID:n8opYYmh
本スレ止まってるね・・・w
削除依頼すればいいのに・・・(´ー`)y━~~

295 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/13(火) 06:16:51 ID:8pVw8rPR
>>287 :名無しさん@3周年:2005/12/12(月) 12:47:51 ID:H7jSgvvo
> 無宗ださんが言う、連続すると考えられる自業自得の自に対応するものが、
> 三世にわたっていないとすると、現世だけの連続する自業自得の自に対応
> するものという意味になりますが、それでは断見になってしまうので、この
> 連続とは、やはり三世を前提とした連続と考えられます。

そうですね。(あくまでも連続であって、同一とは異なります。)


それに対して、ガキだのぅさんの
>無宗ださんのは三世にわたってないぞ。
この主張は、十二支縁起が、三世にわたっているかいないかを問題にしています。
各支を、三世に配分しなければ、業感縁起とはいえないという主張かと考えられます。

私は、十二支縁起は、二世にわたっていると考えています。
>>287 さんは、十二支縁起をどのようにとらえていますか?


296 :Used Image ◆zpe.19X8.. :2005/12/13(火) 23:32:31 ID:oskvN0yE
>>286
> という感じの話です
ありがとうございました。

> 食物連鎖・弱肉強食の世の理を体験し、シッダルタは、
> この世をナバースになります。
> 後の時代 これを瞑想の諸段階 初禅とみなすようになりました
世の理を身に沁みて感じられるという事も(が)禅に通ずる、もしくは
その一歩である、というふうに理解してもよいのでしょうか。



297 :Used Image ◆zpe.19X8.. :2005/12/13(火) 23:43:21 ID:oskvN0yE
>>283
> よければ なぜあなたには「転生が恐怖だった」のか
若い頃、経緯は省きますが、この世界からどうしても逃れられない
「自分」というものを徹底的に思い知らされたできごとがありました。
この体と自分(意識)は自分自身で処分するしかないし、あらゆる
物が形を変えても滅しられないように死んでも逃れられないところ
に自分は既に巻き込まれてしまっているのだと実感せざるを得な
いようなことです。
それと何時の頃からか戦争の記録や刑罰といった方面に関心が
向きがちだったのも相俟って、生まれ変わり繰り返し戦争に行き、
苦痛の中に死んでいく、といったイメージしかもてなくなってしまい、
「転生」の想起は苦痛そのものでした。(その当時は「解脱」といっ
た言葉は知りませんでしたので、いつかはその繰り返しを止めら
れるかもしれないといった慰め(事実?)も知らず、思い出すたび
気が遠くなるようでした。)
ただ、「生まれ変り」を信じていたかといえば、終始中立でしたし、
(死ぬまでわからないと思いますので)、精神的にはどっちにしろ
支離滅裂でしたね。混乱は今もさして変わっていませんがw。

298 :暇人:2005/12/14(水) 19:05:19 ID:+uQ8KZBU
>>297
うむぅ なんだか 大変そうですね^^;

299 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/16(金) 04:46:14 ID:sqq8ecea
>>285さんへ
「樹下観耕」で検索すると出てきますよ。

 ある時王子は木の下で瞑想にふけっていました。目の前で農夫が田圃を耕し、
その鍬に驚いた虫が地面の外に出てきました。するとそれを見つけた鳥が虫を捕
って食ってしまいました。ところがその鳥が虫を捕って空に上ると、鷲がやって
きて、その鳥を捕らえ、食ってしまいました。若き王子は死というものがあまり
にもあっけなく訪れるものであることを思い知り愕然とします。

 師走になって仕事が忙しくなかなか出てこられません。今日は久しぶりの休みなので
後でまた何か書きます。

300 :Used Image ◆zpe.19X8.. :2005/12/16(金) 12:28:06 ID:AczBjqUc
>>299 お邪魔しますさん
「樹下観耕」のご紹介、ありがとうございました。
こういうお話だったんですね。
四門出遊のエピソードは聞いた事がありましたが、
こちらは初めてでした。

話が飛躍しますが、悟られた後同じ場所で釈尊が
瞑想し同じ光景を目にされたらどのように思惟され
るのだろうか、そんな思いが浮かんで来ました。

301 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/16(金) 19:34:16 ID:TzEY8eHh
>話が飛躍しますが、悟られた後同じ場所で釈尊が
>瞑想し同じ光景を目にされたらどのように思惟され
>るのだろうか、そんな思いが浮かんで来ました。

たぶんなにも考えていないと思います。>>219にも書いたと思いますが、
物事を自分の思いなしにとらえる訓練をしています。

 たとえば、極端な話、目の前に花があっても、目に刺激を受けて何か感
じている、と捉えます。それが「花」であると認知した時点で自分の識別
作用が働いているわけだし、花が「ある」としても「ある」「なし」の判
断をしているわけです。これだけでも物事に対して、自分の思いを断ち切
って受け取るのは難しいな、と思ってます。

 このようにいい気になって書いていると、「大パリニッバーナ経」に

    「アーナンダよ、ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい。 
     ゴータマカ霊樹は楽しい。サッタンバカ霊樹は楽しい。バフプッタ
     霊樹は楽しい。サーランダダ霊樹は楽しい。チャーパーラ霊樹は楽
     しい」
 
    「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」

等と書かれていて、困ってしまいますが。悟ればこういうことにも拘らなくなる
と言うことでご勘弁を。
 

302 :名無しさん@3周年:2005/12/16(金) 19:51:04 ID:sUmcN9Bz
禅的なものを
「仏教ではない」と切り捨てにくい一端がそこにある。 >>301

303 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/17(土) 10:31:33 ID:oXpRFEmz
テーラワーダ仏教で習ったことで驚いたのが、あらゆるものは消滅を繰り
返しますがそのスピードがものすごく速いことです。

あなたが今使っているコンピューターの速さはどのくらいでしょう。1ギ
ガですか、2ギガ、3ギガですか。そのコンピューターが1クロック刻んだ
ら外見は同じでも違う動作をしているから違うコンピューターになっている
のです。1ギガで10億分の1秒ですか。

 川の水が1ミクロン右から左に動いたら、それは一瞬前と違う川になって
いるのです。

 「諸行無常」をふつうは「造られたものは無常である」と解していますが
この「行」は現在形の「サンカーラ」であって過去形の「サンカタ」ではな
いのです。ですから本当は「造られつつあるものは無常である」と解すべき
なのです。

 コンピューターがプログラムを動かしているとき、何10億分の1秒単位で計
算をし続けているわけです。私たちが生きているのは、常に呼吸し、心臓が鼓動
し、古い細胞が死に新しい細胞が生まれ、変化しつつ生きているのです。

 このことが実感できれば、執着のしようがなくなるでしょう。何か一つのこと
に執着しようとしても、その相手自体が変化してしまうのですから。

304 :Used Image ◆zpe.19X8.. :2005/12/17(土) 18:11:22 ID:Aad7dmNW
お邪魔しますさん、
.>>301
> 等と書かれていて、困ってしまいますが。悟ればこういうことにも拘らなくなる
> と言うことでご勘弁を。
いろいろなお考えとお経からのご紹介、ありがとうございました。

>   「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」

ここには↑『神』が出てこなくて、すっきりしていて、いいですね。
(神にまつわる考察もきらいではありませんが、ふとそう思いました。)



305 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/19(月) 15:35:58 ID:EjCohLYJ
>>301の補足説明をさせて下さい。

>物事を自分の思いなしにとらえる訓練をしています。

>たとえば、極端な話、目の前に花があっても、目に刺激を受けて何か感
>じている、と捉えます。それが「花」であると認知した時点で自分の識別
>作用が働いているわけだし、花が「ある」としても「ある」「なし」の判
>断をしているわけです。これだけでも物事に対して、自分の思いを断ち切
>って受け取るのは難しいな、と思ってます。

日本テーラワーダ仏教協会では瞑想の目的について、次のように説明しています。

冥想の目的のことを考えてみましょう。触(phassa)というのは、眼、耳、鼻、舌、
身、意という6つの認識器官に、色、声、香、味、触、法という情報が触れることで
す。触れたならば、受(vedana^感覚)が生まれます。私がいるのだという実感も、
魂や霊魂があるのだという概念も、好き嫌いの問題も、他のありとあらゆる人間の苦
しみも、「受」から生まれるのです。この働きを理解した人が、いかなる受(vedana
^感覚)にもとらわれないようになります。その状態が悟りだの、解脱だの、涅槃だの
といろいろな言葉で言っているものです。ヴィパッサナー冥想で目的としている解脱
は、こういうものです。

306 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/19(月) 15:36:50 ID:EjCohLYJ
次に方法のことを考えてみましょう。サティの実践というものは、その瞬間その瞬間
で、現れては消えてゆく感覚を確認することです。ラベリングというのは、眼耳鼻舌
身意に触れる色声香味触法をラベリングする、それから、触れることによって生まれ
る受(vedana^感覚)もラベリングするということです。この仕事を続けていれば、認
識過程が明確に見えるようになります。たとえば、耳があって、音がある。この二つ
が触れたら、聴覚が生まれる。音は瞬間的に流れていくものだから、聴覚も瞬間的に
流れている。固定概念によって、音を好き嫌いに勝手に区別するだけであって音その
ものは、好きでも嫌いでもない単なる物質的なエネルギーの流れです。音が流れであ
るならば、私が聞いた、という感覚も瞬間的に流れて消えていくものです。が、人は
変化しない自分がいると、智慧がない故に錯覚します。

 論理的にヴィパッサナーの構造は、このようなものですが、そのとおりの冥想実践は
むずかしいかもしれません。ですから、膨らむ、縮む、歩く、食べる、などの働きを確
認することで、冥想修行は始まります。何を確認していっても、答えとしては、すべて
は無常である、何も変化しない実体はないということに目覚めるはずです。

 それぐらいのことは、頭でも理解できますが、それは悟りではありません。たとえば、
怒るのはよくないのだと皆知っているのですが、だからといって怒らないわけではありま
せん。理解と経験は違うものです。


307 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/19(月) 16:12:27 ID:EjCohLYJ
 ここから先は私見ですが、一切の思いなしに対象を捉えることはそんなに難しいこと
ではないと思います。日本人ならそういう感性を持っているのではないでしょうか。い
くつか例を挙げてみます。

 古池や蛙とびこむ水の音
         芭蕉

 てふてふひらひらいらかをこえた
  (蝶々ひらひら甍を超えた)
         山頭火
 
ただ蛙が池に飛び込んだだけ、蝶々が屋根を越えて飛んでいっただけ、事実を淡々と述べ
ている中に作者の暖かいまなざしが感じられるし、カエルやチョウの向こうにより広い世
界が見える。

 自分の捕らわれや思いを捨てて世の中を見れば、もっと大きな世界が見えてくる。釈尊は
そう言いたかったのではないか。

308 :名無しさん@3周年:2005/12/24(土) 10:10:46 ID:cvtQcjPm
お邪魔しますさん、あなたが教わっている事、そして体験されている事を聞きたいです。
私は実に人は阿含経典に帰るべきではないかと思うようになりました。大乗経典は阿含経典の域を出ず、
現実実際の修行の心構えのようなものを説かず、その点に付いて阿含経典を当然の教えとして拝借していると思います。
だから、阿含経典を学ぶ必要があるのです。しかし阿含経と言うのは非常に分かりにくい。いろんななじみの無い名前がたくさん出てきます。
それらみんなを合わせて阿含経典としているようですね。

309 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/25(日) 04:27:24 ID:sJ6xZwLZ
>>308さんへ

 まず最初の質問
>あなたが教わっている事、そして体験されている事

私の場合はこれ逆なんですよね。禅系の寺院が経営する幼稚園に通っていたから、小さい
時から座禅させられていたし、中学の時に自己催眠、ヨーガ、ユング心理学に興味を持って
自分で自分の頭の中を見ることになれていた。ですから感覚と思考を分離でき、外界(これに
は物質としての自分の体も含まれる)と、自分が意識している世界は違うと言うことに気がつ
いていた。これに対する答えを求めているうちに、日本テーラーワーダ仏教協会に行き当たっ
ただけです。自分の体験が先にあって、テーラーワーダの教えがその説明をしてくれる、とい
う関係です。

 もう一つの質問。反対に私から聞きますが、阿含経典を含め初期仏教の経典を学んでどう
するのですか。仏陀が悟りに対して、どのように説いていたか知りたいのですか。それより
実際に少しでも悟りに近づいた方がよいのではないですか。

 怒ることが良くないのは知っていますね。怒った本人も後味が悪いし、怒られた方はもっ
と気分が悪く人間関係が崩れます。年寄りだったら血圧が上がって、心筋梗塞や脳梗塞を起
こしポックリ逝くかもしれません。ですから怒ったらどうなるかを色々調べるより、怒らな
い工夫をした方がよいと思います。

最後に日本テーラーワーダ仏教協会のアドレスを載せておきます。瞑想の具体的な方法や
初期仏教の考え方が載っています。結構ありますよ。  

 http://www.j-theravada.net/index.html

 初期仏教経典の現代語訳は僅かですがこちらに載っています。

 http://www.j-theravada.net/sakhi/sakhi-index.html


310 :暇人:2005/12/25(日) 10:10:49 ID:mOSruo7o
>>309

横から失礼。
原点の釈尊を満点だと信仰されている方たちもおられるわけだが、
原点が100点で その後150点 500点 一万点と発展してきたと考えることも
可能ですね。
だが100点にせよ 満点にせよ 原点を知るのは悪いことではないのでは、と。

311 :太刀山型の土俵入り:2005/12/25(日) 10:31:24 ID:GrzWVyVB
おお、行者よ私は気持ちイイ!

312 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/25(日) 10:33:10 ID:NL8y6u+r
 教義・理論については発展・深化したけれども、自ら修行をして
悟り(人格的完成)を開くことを目指さなくなってしまったのではな
いか。
 元々仏教はどのようにしたら悟りを開くかを教えるものであって、
崇拝することにより救われたり、望みを叶えるものではなかったはず
です。
 また悟りは私たちが手の届かない遙か彼方にあるものではなく、そ
の気になり正しい修行をすれば得られるものと考えます。

313 :暇人:2005/12/25(日) 10:36:13 ID:mOSruo7o
>>312
>元々仏教はどのようにしたら悟りを開くかを教えるもの

最初から「悟り」を目指す「出家」さんたちと
現実社会での生活を大事にする「在家」さんたちがいましたね。
ですので元々仏教は「悟り」一本ではないと私は思います


314 :太刀山型の土俵入り:2005/12/25(日) 10:38:42 ID:GrzWVyVB
熊に齧られて内臓が丸見えの傷口に薬を塗ったチンポを入れて治療したい。

315 :暇人:2005/12/25(日) 10:42:36 ID:mOSruo7o
>また悟りは

悟りの中味が 何であれ 悟ったとされる釈尊の成道後の「生き様」は、
45年の『遊行生活』です。雨季の三ヶ月の夏安居以外は漂泊しながら
民衆や弟子たちに法を説いたわけです。
「悟り」とは もしかすると「皆を仏道に入れしめるハタラキ」になること
ハタラキを生きることかもですね

316 :太刀山型の土俵入り:2005/12/25(日) 10:43:49 ID:GrzWVyVB
乳粥もらうお礼にスジャータにオレの乳粥注ぎ込みたい。

317 :暇人:2005/12/25(日) 10:45:09 ID:mOSruo7o
土俵入りさん 普通のデートしなよ
妄想突っ走ると こっちに戻って来れなくなるかもよ

318 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/25(日) 10:45:40 ID:NL8y6u+r
 もうすぐお正月です。多くの人が初詣に行きますが、なにを拝んでいるの
でしょう。家内安全・商売繁盛・無病息災・・・ほとんど自分の欲望をかな
えてくれるように神様に頼んでいるのです。宗教が発展し多くの人の支持を
受けるためには、たとえ嘘でもこれに答える必要があり、教義もこの線に沿
って変化したと見ています。

 これらの欲望をすべて捨てれば楽に生きられる、と言う仏陀の教えはこの
世界では受け入れられにくいと思います。それより仏様にお願いすると、来
世は良いところに生まれますよとか、病気にかからないですよとか、欲しい
ものが手に入りますよ、等という教えの方が受け入れやすいのではないでし
ょうか。

319 :太刀山型の土俵入り:2005/12/25(日) 10:47:20 ID:GrzWVyVB
>>317
ココ、阿片窟でしょ?

320 :暇人:2005/12/25(日) 10:49:40 ID:mOSruo7o
>>318
いいえ 釈尊は 民衆の「現生安穏 後生善処」という願望に
目を逸らさず 応えて言います。
「正しい努力をしなさい」「自分の仕事に力を尽くしなさい」と。
出家の仕事は修行です。在家はそれぞれ自分の仕事があります。

皆が仕事を捨てたら、社会は崩壊します。
あなたは基本的なことを勘違いされてないでしょうか。

321 :暇人:2005/12/25(日) 10:55:12 ID:mOSruo7o
土俵入りさん 駅前の眼科には日曜診療されているところがありますので
早速の受診をお勧めます。


322 :太刀山型の土俵入り:2005/12/25(日) 10:55:39 ID:GrzWVyVB
汚い物には蓋。

性を穢れとした仏教がある限り人類はAIDSを克服できぬじゃろう。

323 :暇人:2005/12/25(日) 10:58:26 ID:mOSruo7o
>穢れ
「けがれ」概念は神道。 仏教にはないですね。


324 :太刀山型の土俵入り:2005/12/25(日) 11:02:47 ID:GrzWVyVB
独角仙人はオマンコしただけなのになんで神通力を失ったの?

325 :太刀山型の土俵入り:2005/12/25(日) 11:13:29 ID:GrzWVyVB
出家などと言う非人道的な行為から女性を守れなかった釈迦は糞。

326 :名無しさん@3周年:2005/12/25(日) 11:17:40 ID:CLft5S2w
>>323
嘘付け。仏教の基本をわかっていないね。

327 :太刀山型の土俵入り:2005/12/25(日) 11:18:54 ID:GrzWVyVB
暇人を困らせてしまったか。
暇人が暇人ではなくなってしまった。
我ながら大人気ない。

しかし仏教徒は、この辺(>>322>>324)つつくと途端に黙るからかわいらしいといえばかわいらしい。

328 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/25(日) 13:02:09 ID:OajsZQJU
>>324
> 独角仙人はオマンコしただけなのになんで神通力を失ったの?

独角仙人の話を私は知りませんが、性の否定と言うことでは、キリスト教のカソリックも聖職者の妻帯を禁止していますよね。

聖心会シスターの鈴木秀子さんの著書 「神は人を何処へ導くのか」の中に次の記述がありました。
<--
 たとえば、真夜中に自殺しようとしている人がいるから、助けに来てくださいと言われたとし
ます。けれども自分が家庭を持っていて、子どもが病気だったとしたら、その子どもを置いて、
他人のもとへ駆けつけることはできないでしょう。私たち修道者は、すぐにその人のもとに駆け
つけることができる状況に置かれているのです。
<省略>
 今日アフリカに行きなさいと言われたら、一時間後には旅立てるように――。それは修道会に
入ったときから、徹底的に教えられていたことです。実際、私たちは住んでいる持ち家もなけれ
ば、財産も私物もありませんから、三○分後にはどこの国へでも出発できました。
-->
(「第3章 宗教とはなにか」 神とはなにか より)

執着、煩悩から厭い離れるために、不邪淫(ふじやいん)戒を設けているのに通じるものがありそうですね。
また、無所有も同じですね。


329 :太刀山型の土俵入り:2005/12/25(日) 23:42:01 ID:GrzWVyVB
>>328
独角仙人のお話は釈迦の前生である独角仙人が悟りを得ることによって
自分の権力の失墜を怖れた帝釈天がどっかのお姫様とオマンコさせることによって
独角仙人を汚し、悟らせないっていうお話だよ。

330 :暇人:2005/12/26(月) 00:04:04 ID:6UySasOZ
>>329

それは中国のマンガの話では?

331 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 00:37:57 ID:ZiTTIcZ+
>>330
仏教には「穢れ」概念がないのは嘘という批判にはこたえないの?
それともそんな当たり前も知らなかった?

332 :暇人:2005/12/26(月) 00:54:00 ID:6UySasOZ
>>331

あれ批判だったのか?(笑)
じゃあ ちゃんと批判しなされ。

この経典のこの箇所は「穢れ概念」ではないのか?とかさ
でないと話は進まんじゃん(笑)

遊んで欲しいと言わなきゃね(笑)

333 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 01:30:59 ID:ZiTTIcZ+
>>332
踊ってないでさ。「仏教には穢れ概念がない」と言い切った根拠を説明しなさいよ。
話が進まないとか詭弁はもうお腹が一杯なんだからさ。
わからないのかな。こんな当たり前の話の進め方が。

暇人: これにはAが無い
反論: Aがあるのは当たり前なんだけど、じゃAが無いことを説明してみな
暇人: じゃ、Aが無いことはないの根拠を示しな。でないと話は進まないじゃん

最初に説明するのはてめーなんだよ。W 何かを主張すればその根拠を説明
するのは当然だろ?それが常識から外れすぎているアホ主張なら誰でも聞きたく
なる罠。

334 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 01:42:23 ID:ZiTTIcZ+
じゃ、質問の仕方を変えてやろう。馬鹿にはこのように言わないと解らないから。

323 名前: 暇人 投稿日: 2005/12/25(日) 10:58:26 ID:mOSruo7o
>穢れ
「けがれ」概念は神道。 仏教にはないですね。

こう仰った根拠をお示しください。ただの言い放しではまったく理解できないどころか、
常識はずれな主張であるなら、是非のその根拠を示していただいて、常識の修正を
心みたい次第でございまする。「死の穢れ」と言った場合はまだ神道というより、日本的
観念に近づくとは思いまするが、古今を通してインドの価値観である浄穢(浄不浄)観念
を前提にしている諸思想が仏教には無いと言い切る御説を是非とも聞いてみたい。

仏教の穢れ概念(または観念)が日本的観念に受け入れられ、神道の中で熟成して
行ったということはどこかで見聞きしましたが、暇人様の仰るようなことを私は全く
聞いたことがありません。現観が「わかった」と言い切られる時以上に大きな衝撃を
受けております。是非ご教示賜りたく思います。

これでいいか?

335 :太刀山型の土俵入り:2005/12/26(月) 03:01:39 ID:37n6X67x
>>330
今昔物語以前にも中国に漫画があったとは初耳だ。
あと独角仙人じゃなくて一角仙人て表記みたいね。

>>334
仏教は「うなぎの如くとらえどころのない弁論」を得意としたサンジャヤ門下の
弟子である舎利拂が「智恵第一」とされてたからまともな回答を期待するのは野暮ってもんさ。

336 :暇人:2005/12/26(月) 07:16:18 ID:2nU6DrX6
>>333-334
あはは 力みすぎ。
333ではキミの主張根拠が奈辺にあるか わからん。
334で出した「浄穢(浄不浄)観念 」で 
やっと朧げにキミの誤解がわかった。

キミの言う「浄不浄観念 」と神道あるいは日本古来の「けがれ観念」とは
まったく別物なんだよ。これはジョーシキだよ。




337 :暇人:2005/12/26(月) 07:27:20 ID:N2FbgzvV
一角仙人。
これはマハーバーラタというインド古典に出てくる神話ね。
修行者が川で射精した。それを鹿が飲み 頭に一本角のある仙人が生まれた。
この神話を仏教が利用して釈尊の前世譚にしたわけね。
土俵入りさんは気に入ったわけね。

舎利弗は智慧第一というより 本当は実質ナンバーワンでしょ

338 :暇人:2005/12/26(月) 07:31:36 ID:N2FbgzvV
>現観が「わかった」

電波一派なんだ(笑)
ねえねえ 電波一派って なんで理解力ないの?
そんなことは一言も言ってないよ。
「わかった」は、「動詞+理解」だよ。
つまり「わかった」=「理解した」。

電波君は、ここが理解できないようだが、キミもいっしょだね

339 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 08:57:42 ID:ZiTTIcZ+
>>336
本当にちんけだね。だれも力んでいませんよ。あんたの馬鹿を指摘しているだけ。
まずあんたの主張の根拠をきいてるのです。
だれも日本古来の「けがれ観念」なんかいってません。あんたが勝手に言い出したのです。
じゃ、訂正してください。「日本古来の穢れ観念は仏教にはない」と。これが正しい言い方です。

323 名前: 暇人 投稿日: 2005/12/25(日) 10:58:26 ID:mOSruo7o
>穢れ
「けがれ」概念は神道。 仏教にはないですね。

このままじゃあんたが変なのですよ。理解できませんか?

電波一派も糞もないですが、現観ネタではあなたが完全に論破されているのが解っていな
かった。「動詞+理解」で解るとはならないとパーニニの規定でも議論があったのを咀嚼で
きていなかったようで。ヴィアーカラナが第一であることについても異論を示していましたね。
「理解が生じる」というのは、自分で「理解する」という文法構造ではなく、「理解がそれ自体で
生じてくる」という意味です。行為者が違うんですね。あんたに言っても理解できないか。
証拠として(卑怯ですが)訳を調べてご覧なさい。もし「わかった」があったとしても圧倒的
少数です。

340 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 08:59:40 ID:n5j3VxP/
うそつき電波教授か・・・

341 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 09:36:22 ID:fRsASTf3
穢れ/ウィキペディア

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C

342 :太刀山型の土俵入り:2005/12/26(月) 10:55:38 ID:37n6X67x
この子(>>339)はニヤニヤしながら見てればいいのか、
ちゃんと更生させた方がいいのか。


343 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/26(月) 11:15:51 ID:f8YY5Esw

 ここに来たのも何かのご縁ですからどうなるかしばらく見てみますか。
これを機会にお釈迦様の教えはどういうものか、考えて貰えばありがた
いです。

344 :名無しさん精進途中:2005/12/26(月) 13:16:49 ID:5SW1zeJG
私は、最も古いブッタの言葉一つで「よく気をつけて諸々の『欲望』を回避せよ」
という詩句を大切にしています。
この言葉のおかげで、結果として大事に至らずに済んだ事が幾つか有ます。
しかし、またこれを実行するのはとても難しいです。

345 :暇人:2005/12/26(月) 19:23:09 ID:CihO5qGq
>>339
いや益々バカを曝されているが。。。

>性を穢れとした仏教
というレスに対して「「けがれ」概念は神道。 仏教にはないですね」
と書いたのね。

どこに「性を穢れとした仏教」があるのかね?

>パーニニの規定
パーリと無関係な サンスクリットの「パーニニ」を出して
漫才をするのが電波一派の特徴。
「理解した」と訳している方に 増谷さんもいたのでは?


346 :暇人:2005/12/26(月) 19:24:41 ID:CihO5qGq
「如来説」の水野さんを「衆生説」と強弁して
愧じない電波一派は、創価よろしく「勝った 勝った」としか
言えないのだけどね

347 :太刀山型の土俵入り:2005/12/26(月) 19:31:33 ID:37n6X67x
ところで一角仙人のお話はスッタニパータだよん。

マハーバーラタの成立が4世紀〜6世紀頃だとすると、仏教からパクった可能性も出てくるよね。

348 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 19:43:56 ID:/u/snfCf
>>347
スッタニパータには一角仙人の話はありませんよ。

349 :太刀山型の土俵入り:2005/12/26(月) 19:51:49 ID:37n6X67x
>>348
間違えたジャータカだ。39

朝青龍、総見でけいこ相手が失神
http://www.asahi.com/sports/update/1226/116.html


350 :ハルカ ◆0tZOcyVq86 :2005/12/26(月) 20:35:47 ID:3UwbQW5w
>>339
仕方がないって。
禿(暇人)は『文献厨』の上に『体験』なんて何も持ってないんだから…

> 「理解が生じる」というのは、自分で「理解する」という文法構造ではなく、「理解がそれ自体で
> 生じてくる」という意味です。行為者が違うんですね。
これ言ったって到底理解出来ないよ…
どうせ『理解するのが【自分】じゃなきゃ、誰が理解する当事者なんだ?』とか言い出すからwww

351 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 20:38:47 ID:ZiTTIcZ+
>>345
>性を穢れとした仏教
というレスに対して「「けがれ」概念は神道。 仏教にはないですね」
と書いたのね。

神道で、性が穢れとしてるのかな?初耳ですよ。仏教では間違いなく性行は穢れです。
屁理屈もいい加減にしたら?

>パーニニの規定
パーリと無関係な サンスクリットの「パーニニ」を出して
漫才をするのが電波一派の特徴。
「理解した」と訳している方に 増谷さんもいたのでは?

どっちかというと、パーリの方がパーニニを意識しているのだと思う。それにパーリがより釈尊
の原語に近いと近現代的なこと本気で考えてるの?増谷さんの訳をちゃんと見直してから言えよ。
誰かがせっかく教えてくれたんだから、入門者用のパーリ語文法の序文読んでみたら?
パーリにヴィアーカラナを認めないというのなら、パーリに言及しても意味がないよ。
常識で通説だから調べてみれば?

「如来説」の水野さんを「衆生説」と強弁して

一寸口を滑らした事で電波を避難し続けているようだけど、醜いね。あんたの口の滑らしはもっと
たくさんあるよ。

352 :ハルカ ◆0tZOcyVq86 :2005/12/26(月) 20:41:49 ID:3UwbQW5w
>>351
神道では『性=聖』だよ…

353 :太刀山型の土俵入り:2005/12/26(月) 20:59:18 ID:37n6X67x
気持ちいいオマンコのありがたさは釈迦の与太話の比ではない。

354 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 21:17:17 ID:/u/snfCf
>>353
性の快楽は衆縁和合したものであろう。縁起(衆縁和合)したものは実体が無い。虚妄である。
虚妄を貪っていればいるほど、深い穴に落込む因縁を作っているものではないだろうか?

355 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 21:27:39 ID:6oiXN2yb
>>「動詞+理解」で解るとはならないとパーニニの規定

パーニニのスートラのどこ?

>>「理解がそれ自体で 生じてくる」

この「理解が生じ」は分かるが「それ自体で」と「生じてくる」は何でそう読めるわけ?

356 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 22:05:08 ID:ZiTTIcZ+
>>355
過去ログ参照。(*)氏が自爆引用しています。
「理解がそれ自体で生じてくる」というのは意味に関する説明文であって、
訳ではありません。これも過去ログ参照。つまり主語についての詮議だね。
「それ自体=主語」と言うわからんひとに対する丁寧な説明。

”Aにおいて、理解が生じる”

これのAが主語だと言い切るのが暇人なんだね。だから「Aが解った」と
おこちゃま置き換えしちゃうんだ。√bhUが”〜した”と言う意味になるのは
特殊な場合でこの場合には該当しないという主張で(*)氏はコテンパンに
されたんだよ。パーニニはそこらへんから出てくる。

357 :暇人:2005/12/26(月) 22:22:14 ID:CihO5qGq
>>350

アホだ(笑) てか何の話かもわかってないでしょ(笑)

>>351
>仏教では間違いなく性行は穢れ
は?(笑)
在家用五戒では「性交」は認められていますよ
「性交」が穢れだったら あらゆるセックスが否定されるよ(笑)

>パーリの方がパーニニを意識
証拠は?
>パーリがより釈尊の原語に近い
電波説に毒されてすぎだし しかもきちんと理解されてない模様
「梵語」→「パーリ」との伝承はないな。
基本は、「パーリ」と「漢訳」の一致する部分がより釈尊に近い。
何故なら複数部派に共通に伝持されている部分は、
部派分裂前の伝承に遡れる可能性が高いからね。
この話のポイントは電波一派がパーリを確かめずに、サンクリットで
モノを考えていたのが判明したこと。
もっと言えば中期大乗に足場を持ちながら原始仏教を判断されているのだね

>一寸口を滑らした
違うよ。私が水野さんは如来説と出したの否定して「衆生説」だと積極的に
強弁されてたよ。更にいい加減なことに確かめもせず、複数の学者を列挙し
全員「衆生説」だとウソを吐かれていたね。


358 :暇人:2005/12/26(月) 22:25:43 ID:CihO5qGq
>>356

その件は こちらは
「理解+生じた」でも「理解した」「わかった」と訳しても意味内容が
かわらんと論証済みだね。
それにきちんと反論できないので 「自体」というのを出してきたのだが
無理があるね

359 :暇人:2005/12/26(月) 22:32:07 ID:CihO5qGq
”Aにおいて、理解が生じる”

これのAが主語だと言い切るのが暇人なんだね。だから「Aが解った」と

それはキミらが あくまで「現観」にこだわるからそうなるだけ。
私の訳は「Aが解った」つまり「現観が解った」でも「理解が解った」でも
なく「わかった」 
わかったの中身は縁起支の一々だね。
縁起支の一々を理論理解したという意味の「わかった」であり、
テキストの文脈からは 電波さんの「現観体験」 「言葉にならん体験」は
abhisamayaは別物だと 知れるというのが
現観ネタのポイントだね

360 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 23:17:38 ID:5s+NPdg3
仏教では「煩悩」という概念について非常に詳細な検討を加えますね。
そもそも、さとりとは、煩悩の断ですからね。
この煩悩は通常はkleZaの訳語ですが、もともと 「穢れ」という意味です。
暇人君、どうするね。

361 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 23:21:09 ID:5s+NPdg3
>359
えっとね、インド系言語(サンスクリットもパーリもなんだけどね)、
√gam には gamyate という 3.sg.pass という形もあるわけね。
日本語にする時には、「行く」としか訳しようがないんだけれど、
それだと gacchati と同じ訳になってしまう。
しかし、文法的な主語は異なるのよね。
そういうことわからないでしょ、暇人は。

362 :太刀山型の土俵入り:2005/12/26(月) 23:30:21 ID:37n6X67x
>>354
したくなければしなければいいだけのことだよ。

363 :太刀山型の土俵入り:2005/12/26(月) 23:36:53 ID:37n6X67x
頭の弱い子をみんなでイヂメル。
先生そういうの嫌いだなあ。


364 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/26(月) 23:44:27 ID:/WYMzfRS
土俵入りさん、テーラガーターにこんなのがありますよ。

315 修行者であるわたしは、死体の捨て場に行って、婦人(の死体)が投げ捨てられ、
   放棄され、葬場の中で虫どもにみちみちて食われているのを見た。
316 実に或る人々は、屍体がおぞましいものであると見て、嫌悪する。(しかし、わ
   たしの場合には、)欲情が起こった。盲人が流れるもの(身体)に対するかのごとく
  であった。

   ラージャダッタ長老

 これが縁で悟ったのだから、なにが起こるのか解らない>


365 :名無しさん@3周年:2005/12/26(月) 23:50:07 ID:/u/snfCf
>>364
解説が必要です、

366 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 00:02:07 ID:ZiTTIcZ+
>>357
あほはあんたの方。
性行は間違いなく穢れですよ。汚れでない証拠に在家戒を持ち出すところが
非論理的。在家戒で煩悩からすべて離れることが出来る考えるところがあほ。
そもそも仏教自体、すべての汚れを完全否定しているわけではなく、出家と
在家で大きく分けられる。更に個別に様々な説法がある。
パーリの方がパーニニを意識していることは水野「パーリ語文法」を参照しろ
と皆がいっている。ベーダとの親近性も研究されている。
「梵語」→「パーリ」なんて誰が言ってるの?馬鹿みたい。

「基本は、「パーリ」と「漢訳」の一致する部分がより釈尊に近い。」

これね、本当にきちがいざただよ。パーリを言うのはいいけど、限定作業が
ないと滅茶苦茶なことになる。学部三回生でパーリと漢訳諸本、仏教梵語
プラークリット断簡などとの切貼りをする。一度でもその経験があれば、こんな
馬鹿なことは言わないな。

電波一派って何なんだ?過去ログでは一番パーリ読んでるよ。(*)氏はアッタカター
を読まずに片山訳で墓穴掘っているし、電波はパーリやアッタカターは新聞読み
だし、P氏は更にその上を行く。あんたに教えていたじゃないか。名詞には性・数・格
があって、動詞はそれに対応することもあんたは知らなかったんだろ?笑わせるなよ。
中期大乗云々と言ってるけど、もう発言しない方がいいと思うな。恥しか晒していないよ。

この話のポイントは電波一派がパーリを確かめずに、サンクリットで
モノを考えていたのが判明したこと。
もっと言えば中期大乗に足場を持ちながら原始仏教を判断されているのだね

これははっきりと説明する義務があると思うな。無理だとおもうけど。

367 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 00:07:57 ID:4NQu7ITA
>>358
全然論証出来ていない。文法説明を1%も理解できていないことは
>>359で証明された。w 中学一年生の英文法も理解できていない。

>>360さん
そんなに早くトドメを刺したら面白くないよ〜〜〜。
暇人の中には、多分刺されていると言う自覚が生じていないんだろうけど。

368 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 00:12:06 ID:4NQu7ITA
>>363
頭の悪い子が自分の愚かさに気づいていない。
だから弄って遊んでいるのです。
本人は大まじめですが、毎度論理破綻していますから
それが面白いのです。

神道では性が穢れだと言ったり、仏教では性行は汚れではないと
吠えるところは鎖につながれた吠え犬を棒で弄るような面白さが
あります。

369 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 00:15:26 ID:mRMHwEzI
無宗ださんも三吉の馬鹿さ加減には気づいていると思う。
カラスの唄事件あたりから。

ぼくは三吉弄りは面白くない。ネットから消えて欲しいだけ。

370 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/27(火) 00:49:31 ID:nZhRET5p
>>365さんへ >>364の続きね。

317 飯を炊くよりも速やかに、私はその場から立ち去った。よく気をつけて、はっき
   りと自覚して、私はいっぽうの隅におもむいて座した。
318 そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起こった。患いであると思う念い
   が起こった。
319 次いで、私の心が解脱した。見よ。ー教えが見事に心理に即応せることを! 三つの
   明知をすでに体得した。ブッダの教えはなしとげられた。

 これに対して解説してくれとのことですが、出来るわけが無いじゃないですか。2000年
以上も前のインド人の考えたことをどう書けと言うのですか。たとえ書いたとしても、すべて
私の憶測で、ラージャダッタ長老の悟りの内容と一致しているという保証はないですし。

 と言うことで、ブッダの弟子の中には変わったことがきっかけで悟った人もいるのだなぁ、
と解ればよいのじゃないですか。          

371 :暇人:2005/12/27(火) 07:40:57 ID:OW1lFjtd
>>360

うん。検討を詳細に加えるが煩悩を「穢れ」とは仏教は捉えないですね。
kleZaは、「痛み」、「苦悩」「病気からの苦悩」「痛みに苦悶すること」
というニュアンスが一般的ですね。
あなたは語義解釈に走りすぎ、仏教文脈を離れているのでは?

んで笑ってしまうのは、サンスクリット教養では煩悩というとkleZaだけども
パーリで煩悩というとむしろ「染」(saMkilesa)では?
「染」(saMkilesa)でもキミの主張「煩悩の語源=穢れ」は成立すると思うが
こういう端々にキミ等がサンスクリットに依拠しすぎ、仏教文脈を外してしまう
点が透けて見えてますね。361がその典型だね

372 :暇人:2005/12/27(火) 07:51:18 ID:OW1lFjtd
>>366
>在家戒で煩悩からすべて離れることが出来る考えるところがあほ
落ち着けって。
これはキミの誤解だね。私はそんな主張はしてないね。
仏教、特に初期仏教に関心がある方方に私が強調する主張は、
仏教は出家用だけではないという事実。
在家用の仏教も説かれていて二重構造になっているという事実。
性についての「戒」はだぶるスタンダードだね。
少なくとも「性交」自体が「穢れ」とは説いてないね。

>>366
>これね、本当にきちがいざただよ。
以下、意味不明だよ。キミは妄念の住人かね

>、P氏は更にその上を行く
誰だっけ?
>これははっきりと説明する義務があると思うな
過去ログ読めって

373 :暇人:2005/12/27(火) 08:07:42 ID:OW1lFjtd
>>368

イジメになっていず いつも自爆漫才を披露してくれてありがとうね。
自虐ネタ。サービス精神満点ですね 電波一派さま

374 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 08:09:53 ID:4NQu7ITA
>>371
俺は360ではないが、想像以上の馬鹿なので指摘しておいてあげよう。

まったく反論になっていない。「サンスクリットに依拠しすぎ」と言うことをまず立証しなければならない。
kuleSaの語源をたどるのはサンスクリットもパーリもまったく同じ事。それはガイガーを読むべし。
そして尚異論を唱えるのなら、ガイガーの偉大な実績をすべて敵に回すことになる。

|kleZaは、「痛み」、「苦悩」「病気からの苦悩」「痛みに苦悶すること」
|というニュアンスが一般的ですね。

どうれがどう一般的なんだ?これはあんたの珍説だろ?説明してみろよ。
まさか「梵和辞典」系のもので話してるんじゃないだろうな。それがどんなに愚かなことかは
説明する必要はない。少し言うと「汚れによる結果としての苦しみ、痛み」。ヴィアーカラナ
の姿勢があって初めて正確に使えるんだよ。

|んで笑ってしまうのは、サンスクリット教養では煩悩というとkleZaだけども
|パーリで煩悩というとむしろ「染」(saMkilesa)では?

引きつり笑いは毎度の事だけど、サンスクリットでもパーリでも同じだ。原典に無頓着な
お前が陥るミスをしている。saMkleSa(saMklesa)はkleZaが集まったものということ。
pptでsaMkliZtaなどともいう。この”sam”とは「集まる」の意味であることぐらいは学習しろ。

またボロボロにされて潰されたね。知ったかするからこうなるんだ。仏教文脈だって、、w


375 :暇人:2005/12/27(火) 08:16:15 ID:uSZHXTdD
水野さんのバーリ文法もよいが、ぱーり語辞典も読めって。
abhisamayaは、「理論的理解」だよ
電波っちの言う「言葉を超えた瞑想」などという曖昧なものではない。
つまり電波っちの瞑想は原始仏教文脈ではない。
これがabhisamayaネタのポイントだね。


376 :暇人:2005/12/27(火) 08:18:30 ID:uSZHXTdD
>>374

湧いてきたね(笑)
>サンスクリットでもパーリでも同じだ
アホだな いっしょならばパーリテキストからkleZaだしてみよ。
パーリに日頃から依拠せず、サンクリットでものを考えているから
kleZaが出てくるのだって いい加減に開き直るのはやめろ(笑)

377 :暇人:2005/12/27(火) 08:20:38 ID:uSZHXTdD
>サンスクリットでもパーリでも同じだ。

それと
<「染」(saMkilesa)でもキミの主張「煩悩の語源=穢れ」は成立すると思う>
と指摘済みだな(笑)
そんなことはわかった上で、なぜサンスクリットをキミを出すのかを
指摘している(笑)


378 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 08:36:30 ID:4NQu7ITA
>>372
これだから暇人には知ったかにしても、原始仏教は無理だと言われるのですね。
ダブルスタンダードと捉えるのなら本質を見失う。在家用の仏教?部派仏教じゃ
あるまいし。解脱する方法ラインは同じであって、在家での限界ラインが出家
より手前にあるだけ。しかし方法ラインに差があっても解脱に差があるとは言っていない

性行だが、穢れであるから出家には止悪してるんだな。在家には煩悩の増大
をせめて防ごうとして戒に盛り込んで説明している。解らないかな。

>>373
もうぼこぼこなんだけど?
>>375
|水野さんのバーリ文法もよいが、ぱーり語辞典も読めって。
|abhisamayaは、「理論的理解」だよ
折角研究者用の辞書がweb上にあるからそれ使えよ。そんな入門以前の辞書で話するな
それでパーリ文法は読んだのかな?読んでからものを言え

|電波っちの言う「言葉を超えた瞑想」などという曖昧なものではない。
|つまり電波っちの瞑想は原始仏教文脈ではない。
|これがabhisamayaネタのポイントだね。

釈尊の悟った内容は論理的理解ではなく生起したもの。だからsbhisamaya+√bhUになる。
それを「わかった」と文法的にも間違いを犯す。これがポイントだな。常識なんだけど。

379 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 08:42:38 ID:esHmhbvH
ブッダってブッダになった後もセックスしてたの?

380 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 08:50:46 ID:4NQu7ITA
>>376
本当に馬鹿らしいの一語に尽きる。人の話を全く聞いていない。
また水野辞典には無いからというのが根拠か?原語からみてその変形にkilesaもある。調べてみろ。
また、『煩悩の研究』も読んでみるんだな。どれだけ無知だったかわかるから。

でもな、暇人のこんな突っ込みはまったく本質から離れたことだ。電波もよくつきあってると思うよ。

色々指摘されていることへの回答はどうなった?「仏教には穢れ概念がない」というバカバカは
訂正しないのか?性が神道における穢れだという嘘はどうなった?


381 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 08:51:24 ID:t29QGI7g
>376
ばかばかしくってキーボード叩くのもつかれるが、
テーラガーターに
7. ekadhammasavanIyattheragAthA
67 . "kilesA jhApitA mayhaM, bhavA sabbe samUhatA;
vikkhINo jAtisaMsAro, natthi dAni punabbhavo"ti.
というのがありますよ。


382 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 08:52:28 ID:t29QGI7g
まさか kilesa だ、kleZa じゃないなんていいだすんじゃなかろうね。
暇人は言い出しかねないからなw

383 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 08:57:28 ID:4NQu7ITA
>>381
暇人には妄想があります。電波一派という。2ch空間で学術的に秀でている人を批判することで
「ええかっこ」したいのでしょう。

部派が専門ということはパーリも新聞読み出来ているということが理解できていないらしい。
素人でも最近はそれぐらいの事は知っていると言うのにね。性数格を電波に教えてもらって
おいて、パーリもサンスクリットもないのに、馬鹿ですね。

384 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 08:59:12 ID:4NQu7ITA
>>382
電波があきれて「ガイガー読め」と言ったのを使わせてもらいましたが、ガイガー
を調べられないのでしょうか。水野文法読めばその愚かさに気づくと思うけど、
多分あかんやろね。

385 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 09:03:41 ID:4NQu7ITA
>>382
それ冗談と思ってましたが、暇人ならやるかもしれない。
中学英語文法も解ってないのだから、音韻変化を理解しているはずはない。w

386 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 09:11:11 ID:mRMHwEzI
知ったかを弄るのは面白いですね。三吉は色んな批判から逃げまくっていて、

> アホだな いっしょならばパーリテキストからkleZaだしてみよ。
> パーリに日頃から依拠せず、サンクリットでものを考えているから
> kleZaが出てくるのだって いい加減に開き直るのはやめろ(笑)

こんな大笑いなジョブを出している。これは繰り返されてきたことで皆さんは
流してきた。なんて優しいんだろう。もう流さないでいいよ。やっちまいな。(W
真に受ける初心者もいるから害毒でしかない。

387 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 09:14:21 ID:mRMHwEzI
|電波っちの言う「言葉を超えた瞑想」などという曖昧なものではない。
|つまり電波っちの瞑想は原始仏教文脈ではない。
|これがabhisamayaネタのポイントだね。

釈尊の悟った内容は論理的理解ではなく生起したもの。だからsbhisamaya+√bhUになる。
それを「わかった」と文法的にも間違いを犯す。これがポイントだな。常識なんだけど。

これって、ものすごく丁寧で解りやすい説明。使わせてもらおう。「わかった訳」をまだ出せてないね。
出たとしても極少数のはず。

388 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 09:23:06 ID:mRMHwEzI
えっと、神道に「性の穢れ概念」は無いですね。巫女さんに適用するぐらいですか。
仏教の影響だと私は考えるんですがね。
古事記などを見ると性は産國とか肯定的に捉えられています。
白と朱(紅?赤?)は精子と生理の血の色と言われているようです。


389 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 09:47:04 ID:RApFNNJf
仏典にもよく出てくる「梵行」。ブラフマチャリヤ。清浄行。これがインドでは第一の徳目です。
具体的には性行為をしない、肉食をしないこと。ブラフミン(バラモン)は出家者ではありませんが
子孫を作る目的以外の、つまり快楽としての性行為は不浄行なのです。仏教は出家主義だから
さらに厳格です。在家信者は不淫戒ではなく不邪淫戒でよいが、それはインドの家族制度の範囲
の生活をすることで、つまり子孫を作る目的以外の性行為をしないということです。


390 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 09:59:07 ID:+gDaIRr+
>>388
巫女さんが若者に手ほどきする風習とか
神官が巫女さんをはべらしたこととかあったらしい

豊穣を祈願して田圃で性行為をする風習とか有名だね

391 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 10:04:30 ID:t29QGI7g
暇人がアホをさらした発端は一角仙人の話だったんで、まとめておきますね。

この話、仏教ネタに特化できる話ではないです。
インド神話一般に、インドラなどの神々が苦行者がその苦行によってパワーを持ちすぎてしまうこととを
恐れて天女を遣わしてエッチさせ、パワーを失わせようとする話ははいて捨てるほどあります。
一角仙人の話はその一つで、マハーバーラタ、ラーマーヤナなどに見られます。

ジャータカに見られるのはその一種で、jAtaka No.523, 526がそれです。
お気をつけ頂きたいのは誘惑を受けたのは釈尊の本生の菩薩ではない、ということです。

釈尊の本生の菩薩が射精して、その精液を飲んだ鹿が子供を生みました。
その子が一角仙人(isi-siGga)と呼ばれ強烈な苦行に励みました。帝釈天は自分の地位が
脅かされるの恐れて天女を遣わして誘惑させハメハメしちゃうことになります。
結局一角仙人は誘惑から覚めてことの顛末を天女から聞きだします。
一角仙人誘惑に成功したご褒美は何がいいか?と聞かれた天女さんは、
「仙人を誘惑するお仕事はもうイヤよ。ウフン」とい言っておしまいです。

このお話、バールフットにもありますし、B.C.2世紀ごろには成立していたみたいです。
律蔵なんやに漢訳されて、回りまわって日本まで伝えられ、今昔物語にまで記載されております。

以上。


392 :太刀山型の土俵入り:2005/12/27(火) 11:23:27 ID:W2ix0xLw
>>391
元々の発端は性差別の激しい仏教は今後の社会構築において害毒以外何物でもないってことよ。
臭いものに蓋してるだけじゃ、溢れた時に何も出来ない。

393 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 13:25:16 ID:mRMHwEzI
論理的理解とは対象が限定された空間にあって、そこから真偽や多値を見いだすことである。
abhisamayaに対する論理的理解とは、所与の空間がすでにあって、限定されたものだから
出来る訳で、釈尊のabhisamayaには適用できない。

これも暇人には理解できない話である。

サンスクリットがパーリとかけ離れていると思いたいのであろうが、水野文法を読めば腑に落ちる
であろう。また自爆ネタで突っ込みを入れてくれ。

394 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 13:38:31 ID:Iic0t4ip
>>「動詞+理解」で解るとはならないとパーニニの規定

というなら、スートラを引用して訳と理由を述べるべき。
それができないなら、パーニニとかいわないように。
三行で、済むんだから、中傷と自慢だけの長文書かないで、

引用・訳・理由を述べましょう!

395 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 13:51:03 ID:mRMHwEzI
>>394
過去ログぐらいは読んだら?繰り返すのは浪費ですよ。
つーか今の話はパーニニスートラを持ち出すまでもないのです。
相手が暇人なのですから。

文法的に素直に「abhisamayaが生じた」と意味や訳を取ってるんだから、
「わかった」というけったいな訳を主張する方にパーニニの規定を提示
する責任があるんですよ。それを(*)が提示したんだけど、すべて潰された
のです。

> 引用・訳・理由を述べましょう!
じゃ、あんたがまず「わかる」とする根拠を示してくれ。最初は何が主語になる
かが問題だがね。

396 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 13:52:54 ID:mRMHwEzI
悪い。「わかる」じゃなく「わかった」だな。暇人みたいにアオリストの意味も知らないで
ご託述べるのはやめておけよ。

さあどうぞ。

397 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 20:03:26 ID:UtKhureD
お〜〜〜い、暇人、なんかいえよ。

398 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 20:39:16 ID:Jx7IOgC2
専門的な事は全く分からないけど、間違いがあるのなら優しく教えたやるべきじゃない??

399 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 20:49:05 ID:Jx7IOgC2
>> 無宗ださん、論理的にコメントしてください。
縁起しているものは虚妄である、そして、虚妄は真実【実体:自性】ではないのだから、
虚妄が無いと同時に縁起と言う関係性は無い事になるから、空と縁起とは全く別物である。
 何故空=縁起といわれているのだろうか?


400 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 21:29:09 ID:Iic0t4ip
随分、詭弁家ね。ソースを求めただけだよん。その返事が脅し口調とはね。(笑)
「パーニニスートラを持ち出すまでもない」って何いっての? 言い出したの貴方でしょ! ずっこい〜
私は何も主張してません。一体なぜ、説明しなければならないの? そんなこと言ってないし。
主張者の貴方が、パーニニを根拠にした貴方が、答えなければならない。それが議論のルール

過去ログ見た。誰もパーニニのスートラについて反証してないみたい。
見落としかもしれないが、該当箇所があるなら貴方が示さなければならない。
なぜなら、私は時間を割いて見る努力した。時間かかった。今度は貴方が努力すべき。
しかも、私の膨大な努力に比して、貴方は極僅かな三行、スートラについて述べるだけですむ。
理解があるなら、5分とかからないよね。これは道義的責任ってトコか。

>>339「動詞+理解」で解るとはならないとパーニニの規定でも議論があった

>>395「わかった」というけったいな訳を主張する方にパーニニの規定を提示する責任がある

上の二つの発言も、意味にずれがあるようで。いただけないな〜 誰か虚偽論と言って吼えてたな〜
>>339ではパーニニの規定を理解している上での発言としか思えない。>>>だから質問した。
>>395ではパーニニの規定を説明する責任は相手側にあると。    >>>そりゃないぜ!答えよ! 

知ってるなら、こんな惨い言い逃れしなくても、たった三行かけば済むよん。
さあパーニニのスートラについて書いてくだせい。過去ログの反証該当箇所のコピペでもいいよ〜


401 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 21:34:11 ID:NjHg32nV
>392
意味不明wy
性差別の激しいって、何を基準に激しいっていうわけ?そういうのを批判のための批判というの。
わかってる?
臭いものに蓋も意味不明だな。分かるように説明しろよ。

あんたの発言が発端ではないよ。もともと暇人、アフォだからwy

402 :暇人:2005/12/27(火) 22:00:17 ID:wWp94FFA
>>378
キミは進歩がないね。同じところをぐるぐる回って楽しいかね?
「解脱する方法ライン」というのが今回の君の誤解のポイントだね。
在家はそもそも今生での解脱を目指していない。
釈尊は「解脱したいならば出家せよ」だよ
(これが史的釈尊の本意かどうかはわからんが、テキストに伝承されている限りでの
釈尊の殆どはこうだ。稀な例外のニ、三を除けばね)
在家と出家は目的が違うのだ。在家のまずの関心は「現生安穏 来世善処」だよ。
釈尊はその志向性を否定せず、志向に添って教法を説いているのだね。

「解脱に差がある」と私はここでは語ってないのだよ。
(ところで初期仏典は解脱に色々と差を設けている 余談だかね)

キミが私から電波一派と揶揄されるのは、
abhisamayaは、そのパーリテキストでは「知的に理解すること」であって
電波っちの言う曖昧模糊とした「言葉を超えた体感」ではないし、
まして「四禅を超えた瞑想」がabhisamayaであると書かれた経典は
絶無ということがわからない点だな。
大笑いだよ。


403 :暇人:2005/12/27(火) 22:00:55 ID:wWp94FFA
>>381
キミの引用のテーラガータはパーリテキストじゃん(笑)
パーリ語のkilesa 出しているだけじゃん。
サンスクリットのkleZaで能書き垂れたのだから
サンスクリットのkleZaを出されたらどうだね。(笑)
パーリ出してお茶を濁さずにね(笑)
私のsaMkilesaという指摘を見て 慌ててkilesaを検索して提出しただけじゃん。
なんて可愛いのだろうか。

まあテキストを出されると話は具体的にできるね。
kilesA jhApitA mayhaMこれを中村さんは「私の煩悩は焼き尽くされた」と訳さ
れている。なんでkilesaは焼きつくされると表現されるのか?
kilesaが「穢れ」であれば、「焼かれる」というのは直接つながらない。
水野さんに拠ればkilesAの動詞形kilissatiには、「染まる」「汚れる」「ぬれる」
という意味がある。「濡れる」という「湿気」的な語義があるから、その克服は
「焼かれる」という「火」を意味する動詞がくるのであろう。
このテキストの「焼かれる」からもkilesaは、「汚れ」ではなく
「ぬれる」「染まる」のニュアンスであることが知れる。
少なくともこのkilesa「煩悩」を「穢れ」と訳し、
仏教は「性行を穢れと見なしている」と主張する仏教学者はいない。


404 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:12:05 ID:NjHg32nV
>403
いっかい豆腐の角に頭をぶつけてたらどうだ?
そしたらましになるかもしれないぞ。そのバカアホ加減が。

お前が saMkleZaではなく、kleZa の用例を出せといったから、
出してやっただけだろ。
俺は反証をだしたんだから、お前は「ない」証明をしろよ。
悪魔の論証をおまえ自身がもとめているんだろ?

で、あんたの発言は無意味だよ。
原義に「穢れ」があったって煩悩と訳して可なんだからね。

405 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:14:58 ID:NjHg32nV
>402
>在家はそもそも今生での解脱を目指していない。
そんなことどうしていえるんだ?

406 :暇人:2005/12/27(火) 22:17:02 ID:wWp94FFA
>お前が saMkleZaではなく

言ってない。ほれ 興奮するとすぐサンスクリットになる(笑)
可愛い奴だ(笑)。

>出してやっただけだろ
出させてない(笑)
私は「サンスクリットのkleZa の用例」を出してみろと言ったのだよ
キミが出したのは「パーリのkilesa」だよ。
と言っても 開き直って暴れるだけなんだろうな(笑)


407 :暇人:2005/12/27(火) 22:18:20 ID:wWp94FFA
376 :暇人:2005/12/27(火) 08:18:30 ID:uSZHXTdD
>>374

湧いてきたね(笑)
>サンスクリットでもパーリでも同じだ
アホだな いっしょならばパーリテキストからkleZaだしてみよ。
パーリに日頃から依拠せず、サンクリットでものを考えているから
kleZaが出てくるのだって いい加減に開き直るのはやめろ(笑)

落ち着いて読んでみろって(笑)

408 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:18:23 ID:NjHg32nV
一度病院へ行け。自分の発言も忘れたのかよ。

409 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:19:25 ID:NjHg32nV
そもそもたかだかスリランカ上座部の言語に過ぎないパーリで原始仏教を語ろうという姿勢がバカなんだよ。お前は。

410 :暇人:2005/12/27(火) 22:19:50 ID:wWp94FFA
>>408

よく覚えているぞ(笑)

>>405
パーリや阿含読んでたら ふんだんにでてくるじゃん

411 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:21:01 ID:NjHg32nV
>私は「サンスクリットのkleZa の用例」を出してみろと言ったのだよ
どこでそんなこといってんだ?


412 :暇人:2005/12/27(火) 22:21:21 ID:wWp94FFA
>>409

だからサンスクリットテキストから原始仏教語れるなら
やってみろって(笑)

私はパーリと漢訳から 原始仏教を探求するけどね(爆)

413 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:21:54 ID:NjHg32nV
>410
日本語がよめないのかよwy


414 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:22:29 ID:NjHg32nV
>412
だからお前は何にもわかってないっていってんだよ。
パーリ読んでないだろ

415 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:23:43 ID:NjHg32nV
>412
長阿含の全文のサンスクリット写本が入手できるの知ってるの?


416 :暇人:2005/12/27(火) 22:25:26 ID:wWp94FFA
>>411
374で「パーリテキストからkleZaだしてみよ」と書いてるだろ(笑)
これはキミが「サンスクリットでもパーリでも同じだ 」と書いたのに
応えたものだ。

つまり「サンスクリットでもパーリでも同じだ 」と主張するならば、
「パーリテキストから(サンスクリットの)kleZaだしてみよ」という趣旨だ。

キミは私から(サンスクリットの)と補ってもらわないと
kleZaがパーリかサンスクリットかも区別つかないのかね?
電波くん




417 :暇人:2005/12/27(火) 22:27:16 ID:wWp94FFA
>>415
じゃあ そこから長阿含のサンスクリットテキストからkleZaをだして
テキストの文脈から「kleZa」が「穢れ」と論証すればよいじゃん

418 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:27:36 ID:NjHg32nV
>416
やっぱり度し難いバカだったな。
根拠は>416参照のこと。

419 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:29:03 ID:NjHg32nV
>417
はいはい。サンスクリットを持ち出したら原始仏教は語れないんでしょ、あんたの言い分は。
パーリのテキストがブッダゴーサ編の新しいテキストだって言うこともむししちゃってさ。


420 :暇人:2005/12/27(火) 22:29:19 ID:wWp94FFA
>>418

あはは ここまでだな
んじゃ おやすみ
寒くなったので 風邪引かれないように
暖かくされてください くれぐれも健康に留意されたし
では また

421 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:32:55 ID:NjHg32nV
418
>382 だね。暇人は音韻変化も知らずにわめいているバカなんだ。

422 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:35:41 ID:NjHg32nV
暇人よ、よっぽど電波が嫌いみたいだな。
昨日からのあんたに対する批判はおそらく三人だけれど、誰一人として電波ではないよ。
その程度もよめないんだな。可愛そうに。

423 :暇人:2005/12/27(火) 22:44:35 ID:wWp94FFA
>>422
>誰一人として電波ではないよ

仮に三人だったとして その一人がキミであったならば
他の二人が電波と違うと なぜ君にわかるのだね。
そういう発言から透けて見えるところがあるかもだが
まあどーでもいいことだね。名無し掲示板だからね

電波一派の定義は>>422で解説しているね。

私が電波さんを嫌っているのではなくて
私に叩かれて キミらから恨みを買っているみたいだね。
揚げ足とろうと必死のようだが ご苦労なことだな

まあ適当に楽しんでくれたまえ

424 :暇人:2005/12/27(火) 22:46:12 ID:wWp94FFA
× 電波一派の定義は>>422で解説しているね。
○ 電波一派の定義は>>402で解説しているね。



425 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:46:55 ID:NjHg32nV
>423
論理解釈って知らないのかな。

426 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 22:49:19 ID:NjHg32nV
>423
誤読や無知を指摘されたのに対して駄々をこねるのが「叩いた」なのね。
あんた、日本語勉強しなおした方がいいよ。

427 :暇人:2005/12/27(火) 22:52:21 ID:wWp94FFA
>>426

学生さんなの?
夏休み 冬休みとかに元気になるみたいね。


428 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 23:39:59 ID:mRMHwEzI
暇人よ。
お前を批判しているのがすべて電波だと妄想しているようだな。
誰かが言ってるように、今回の批判者には電波はいないと思う。
電波がいたなら、多分ヴィアーカラナだけでお前を斬っているだろう。

たとえば、kleSaとklesaについて、みんなあきれかえっているが、
その点について彼なら容赦ないだろうな。パーリでもサンスクリット
でも語幹と形容詞化(ppt化なども含む)や名詞化する仕方が同じ
であれば、”kleSa=klesa”と断言出来るのが学問的決まりなんだ。

暇人はパーリではsaMklesa(samkleSa)であって、klesa(kleSa)ではない
と主張したことになる。これは確信犯的に誤魔化しているとしか言えない。
暇人の間違いはテーラガータを示すことで十分だ。

429 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 23:55:43 ID:4NQu7ITA
また馬鹿やってるのか。その辺にしておけよ。三吉さんよ。
NjHg32nVさんたちの指摘があるのに、まだ反論するのはガキの駄々っ子と同じだ。

> abhisamayaは、そのパーリテキストでは「知的に理解すること」であって
> 電波っちの言う曖昧模糊とした「言葉を超えた体感」ではないし、
> まして「四禅を超えた瞑想」がabhisamayaであると書かれた経典は
> 絶無ということがわからない点だな。

これは論破し証明されてるだろ?知的に理解すること出はないことは今回も説明している。文盲かあんたは。

> れている。なんでkilesaは焼きつくされると表現されるのか?
> kilesaが「穢れ」であれば、「焼かれる」というのは直接つながらない。
それは煩悩を「火」に譬えるからだ。原始仏教の常識だよ。また無知がさらけ出された。

> このテキストの「焼かれる」からもkilesaは、「汚れ」ではなく
> 「ぬれる」「染まる」のニュアンスであることが知れる。
汚れと染まるが違うニュアンスだと言うのか?笑い死ぬぞ。汚れではないとするのなら、すべての仏教学者を
敵に回すことになる。三吉には理解できないか。

> 少なくともこのkilesa「煩悩」を「穢れ」と訳し、
> 仏教は「性行を穢れと見なしている」と主張する仏教学者はいない。

ぷぷぷ。あんたは電波にすべて論破され、基地外になったんだな。

430 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 00:09:12 ID:oyTkGjHE
NjHg32nV、mRMHwEzI、4NQu7ITA、暇人は、最初から梵パ漢、知らないと言ってるじゃない。
知らないって言ってる人に「知らないのか、バカだな〜」って言う方がヴァッカじゃない?
さらに「長阿含の全文のサンスクリット写本が入手できるの知ってるの?」なんて知識自慢は、
子供のミニカーやカード自慢みたいでほんとかっこわる〜 仏教の覚りや慈悲とは逆方向だよ。
子供っぽいよ。「ボくちゃんこんなに知ってて、おりこうちゃんでちょう」って言ってるみたい〜。

さて、サンスクリットよくご存じのようだから、
>>339「動詞+理解」で解るとはならないとパーニニの規定でも議論があった
というパーニニのスートラについて教えてくれませんか?

それとも>>339のmRMHwEzI発言がはったりかまして知ったかしただけなのか?


431 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 01:40:35 ID:dj2RmCER
>>430
> NjHg32nV、mRMHwEzI、4NQu7ITA、暇人は、最初から梵パ漢、知らないと言ってるじゃない。
> 知らないって言ってる人に「知らないのか、バカだな〜」って言う方がヴァッカじゃない?

なら、パーリやサンスクリットに言及しない方がいい。知ったかするから攻撃される。
で、パーニニだけど、過去ログ当たればすぐにあったよ。自分で探せ。

432 :太刀山型の土俵入り:2005/12/28(水) 01:57:24 ID:3Cy1RR/C
しかし仏教は学べば学ぶほど慈悲というものがなくなるのだなあ。

433 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 02:04:39 ID:dj2RmCER
>>432
当たり前だ。慈悲があるのなら仏教学なんか学ばない。

434 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 02:39:40 ID:lfsl6/hi
慈悲とは同情や手加減とは異なるものですって。

仏教学=仏教を(正しく)学ぶこと。






435 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/28(水) 03:58:37 ID:93vz4cvR
>>仏教学=仏教を(正しく)学ぶこと。
なにが正しいんだ。それがすべての争いの基に気がつかないのか。


436 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 04:27:52 ID:xPl+bV/a
>>435
よく言うよ。
層化板出身のアホが。

437 :暇人:2005/12/28(水) 06:21:57 ID:eegm0NM2
>>428

妄想はキミらだな。私から特定されたとャッキになって否定。
特定してないのだけどね。でもキミらはそう感じてしまう
後ろめたさがあるのかね? (にやり)

電波っち いつも私から滅多斬りにされているじゃん。

お前ドシロウトだな。
”kleSa=klesa”などと言っている奴には、パーリとサンスクリットの差が
わかってないし キミらはサンスクリットの男性名詞の語尾変化もしらぬ
おバカさんだから、そんな戯言を恥ずかしくもなく書ける。
パーリとサンスクリットを混同するのも電波一派の共通の特徴なんだが、
いいかげんサンスクリット教養しかないことを 正直に告白したらどうだね。
恥ずかしすぎだぞ。


438 :暇人:2005/12/28(水) 06:22:54 ID:eegm0NM2
さて梵パ漢知らぬ暇人が、知っていると自称する方たちに教えてあげよう。
パーリ語の「kilesa」 は、
サンスクリットでは「kleZa」だな。これは男性名詞だ。
共に「√kliS」(苦しめる・悩ます)が語根だね
ちなみに私が最初出した「saMkilesa」は「saM+kilesa」だな。
サンスクリット「kleZa」の語幹は「kleS」だ「a」以下は変化するが
「kleS」部分は変化しない。
だから「kleSa」は「kilesa」とは変化しない。
大体「A」で終るサンスクリットa男性名詞の語尾変化はない。
パーリのa男性名詞の語尾変化では「A」は、sg:ablとpl:nom,vocがある。
中村さんはpl:nomで訳しているね。
ちなみにサンスクリットa男性名詞pl:nomの語尾変化は「As」だ。
つまり「kleSAs」であって「kilesA」ではない。
このことを知っていれば、テーラガータの「kilesA」がサンスクリットの
「kleSa」といっしょというギャグを披露できない。


439 :太刀山型の土俵入り:2005/12/28(水) 06:43:19 ID:3Cy1RR/C
戯論パ

440 :暇人:2005/12/28(水) 06:47:50 ID:eegm0NM2
>>429

論破されていると 思い込めるのは電波一派の脳内妄想。

>それは煩悩を「火」に譬えるからだ

バカだな。「煩悩=火」と違う系譜なのだ。
「煩悩=火」だと焼き尽くされるのは「私たち自身」
このテーラガータでは「煩悩」が焼き尽くされるのだよ
「煩悩が(我が身を)焼き尽くす」のと180度逆。

「煩悩が焼き尽くされる」=「迷いの生存が根こそぎにされる」だよ

キミは 議題について来れないようだから
そこで笑い転げておけ 笑うかどには福来る だしな(笑)



441 :暇人:2005/12/28(水) 06:51:38 ID:jQvcuztg
>>430

430さん NjHg32nV、mRMHwEzI、4NQu7ITAさんたちはネタでしょ。
学生さんたちが冬休みに入って 暇みたいですね

年末の「年忘れ仏教漫才」ということで ご寛恕ください




442 :太刀山型の土俵入り:2005/12/28(水) 07:01:58 ID:3Cy1RR/C
仏教は女性を蔑視し、物事をうやむやにして他人に尻を拭かせる邪教。
ある意味相撲に通じてるw

443 :暇人:2005/12/28(水) 07:04:05 ID:jQvcuztg
>>442
ところで このスレッド楽しいん? 土俵入りくん

444 :太刀山型の土俵入り:2005/12/28(水) 07:08:49 ID:3Cy1RR/C
暇人は吉田ゲイサク入ってておもろいYO。

この板は↓と違って天然ものが多いからね
http://bbs.2ch2.net/geisaku/#6

445 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/28(水) 07:25:59 ID:tKkPqvrk
>>層化板出身のアホが。
 唯一正しい仏教を求めるのなら、創価学会に行ってみれば。
 それが正しいかどうかは別にして、手取り足取り正しい仏教について教
えてくれますよ。

 学会では正しい釈迦仏法は自分だけ、他の宗派はすべて誤った教えを信じ
ている邪教としているから問題が生じている。

 教典でなにが正しい教えかを調べるからそうなるのです。正しい、正しく
ないは各個人の見解の相違にすぎず、それに拘るのは我執のあらわれです。

446 :太刀山型の土俵入り:2005/12/28(水) 07:31:57 ID:3Cy1RR/C
>>445でいいのなら仏教語る必要性すら感じないがな。


447 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/28(水) 07:42:31 ID:tKkPqvrk
>仏教語る必要性すら感じないがな。
語らないで、教えを実践すればいいんです。

448 :太刀山型の土俵入り:2005/12/28(水) 07:48:01 ID:3Cy1RR/C
会社にて

仏教徒「この企画いいと思うんですけど」
上司「その企画のどこがどう会社の方針と合致して正しいんだい?」
仏教徒「正しいとか正しくないとか関係ないっす。いいと思うんで」
上司「頭冷やして出直せ」
仏教徒「下らないことに囚われやがってチクショウ!」

449 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/28(水) 07:55:05 ID:tKkPqvrk
テーラワーダでは次のようなことを言っています。

人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文(じゅもん)、神の啓示などに頼ってはいけない、
世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない、
古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない、
自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない、
経験によらず頭のなかの理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない、
理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない、
人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない、
自分の見方に(見(けん))に合っているからというようなことだけで納得してはいけない、
説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない、
説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない、

 たとえ釈尊が説いたとしても、無条件で信じるな、自分でよく確かめなさいということです。

450 :暇人:2005/12/28(水) 07:57:26 ID:jQvcuztg
>>449

それは大事なことだね なかなかできないのだが。。。
「ちゃんと自分で確かめる癖」 これが基本だね。

451 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/28(水) 07:59:26 ID:tKkPqvrk
>正しいとか正しくないとか関係ないっす。いいと思うんで

自分がいいと思うこと自体がとらわれなんですけど。

452 :太刀山型の土俵入り:2005/12/28(水) 08:02:37 ID:3Cy1RR/C
>>449
『おれに責任おしつけるんじゃねえよ。』

ってこってすな。総研のおっちゃんみたいね。

453 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 08:05:46 ID:SkCEi1vV
>438
どうしようもないバカだな。
梵語あるいはパーリのそれぞれの言語内での変化と、
梵語とパーリの間での音韻変化の区別もつかないわけね。

454 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/28(水) 08:09:58 ID:tKkPqvrk
テーラワーダ仏教協会の見方はどうかというと

  仏教には信仰はありません。信仰ではなく、聞いたこと、見たこと、学んだこと 
 は自らが自分でそれを実践し、それによって自分の心からの欲望のむさぼりや、怒
 りの心が消えてなくなっていくことを体験し、それを実証していくことこそが必要
 なのです。仏教には欲望を満足させるものは一切ありません。自分ですべてのこと
 を実践することによってそのことを確かめてください。その結果、必ず信仰のよう
 な曖昧模糊(あいまいもこ)としたものではなく智慧による確信に変えていくのです。


455 :太刀山型の土俵入り:2005/12/28(水) 08:11:49 ID:3Cy1RR/C
会社にて

仏教徒「この企画でどうですかね」
上司「この企画どこがいいの?」
仏教徒「いいってわけじゃないんですけど」
上司「いいと思えないものを出すなんて私をバカにしてるのかね?」
仏教徒「バカにしてるとかじゃないんですが」
上司「ならちゃんと自分でも納得できる企画を出しなさい。」
仏教徒「そういうのに囚われるのはよくないんですよね。」
上司「囚われなければいいのかね?」
仏教徒「それをいいともいえないんですけど…」
上司「お前有給使っていいからしばらく休め」





456 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/28(水) 08:17:21 ID:tKkPqvrk
>『おれに責任おしつけるんじゃねえよ。』
自分の行ったことの結果はすべて自分に返ってくる。
その結果が気に入らなくて、あの人が悪い、社会が悪い、とい
っても始まらないでしょう。
そうならないようにはじめから気をつけるべきです。

457 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/28(水) 08:24:12 ID:tKkPqvrk
>>455のつづき
仏教徒「とにかく一度やってみてください。その結果でよい
   か悪いか判断してください。」

458 :太刀山型の土俵入り:2005/12/28(水) 08:25:23 ID:3Cy1RR/C
工場にて

先輩「いいかオレはこうやってるけど、正しいわけじゃないから真似すんな。
   やり方は自分で考えろ」
後輩「すいません。自分こういうの初めてなんでわかんないんですけど
   先輩の真似しちゃダメっすか?」
先輩「うるせえ、テメエが、オレの真似して失敗したらオレのせいみたいに思われるじゃねえか!
   オレはテメエができようができまいが一切関係ねえんだよ!」
後輩「どうしろっていうんだよ…」


459 :太刀山型の土俵入り:2005/12/28(水) 08:29:20 ID:3Cy1RR/C
>>457続き
上司「だから何でやってみなければいけないのか根拠をいいなさい。」
仏教徒「とりあえずやってみてくださいよ。」
上司「損害出たらどうするの?」
仏教徒「それはその時じゃないスか?」
上司「……………」
   
   


460 :太刀山型の土俵入り:2005/12/28(水) 08:33:30 ID:3Cy1RR/C
>>458補足
先輩は仏教徒、後輩は孔墨の徒。

461 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 08:40:29 ID:dj2RmCER
>>453
暇人の>>438を天然記念物として保存しましょう。w
少しでもパーリとサンスクリットをかじった者なら抱腹絶頂ものですから。
すべてがこれほどすかたんな主張は初めて見ました。

三吉のだめなところはこんないい加減な根拠による間違いでもって、
メッタ斬りにしてるとか、ドシロウトだとか恥ずかしいとか議題についてこれない
とか平気な顔をしていえるところ。
私は密かに三吉=精神障害者+人格障害者だと考えている。

462 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 08:45:21 ID:dj2RmCER
>>382
> まさか kilesa だ、kleZa じゃないなんていいだすんじゃなかろうね。
> 暇人は言い出しかねないからなw

本当に言い出しましたね。

463 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/28(水) 08:49:01 ID:tKkPqvrk
工場にて

先輩「いいかオレは自分がうまくいってこうやってるけど、正しいわけじゃないから真似すんな。
   やり方は自分で考えろ」
後輩「すいません。自分こういうの初めてなんでわかんないんですけど
   先輩の真似しちゃダメっすか?」
先輩「テメエが、オレの真似してうまいったらやればいいし、失敗したら他の方法を試すなり、
  探すなり、考えるなりしな。テメエができようができまいが、あとはテメエ次第だ。」
後輩「とりあえず真似してやってみるか…」

464 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/28(水) 08:53:28 ID:tKkPqvrk
>>459つづき
仏教徒「ハイ、自分で実際に試してうまくいったもので、採用してい
   ただければそれなりの結果は期待できると思います。」

465 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/28(水) 12:42:31 ID:uN4orw3M
>>399 :名無しさん@3周年:2005/12/27(火) 20:49:05 ID:Jx7IOgC2
> >> 無宗ださん、論理的にコメントしてください。
> 縁起しているものは虚妄である、そして、虚妄は真実【実体:自性】ではないのだから、
意味不明。
私は、
『縁起しているものは空である』
と理解しています。

> 空と縁起とは全く別物である。
空と縁起とは密接に関係していますが、私は同じとは考えていません。

>  何故空=縁起といわれているのだろうか?
私は「空=縁起」とは、思いません。
ただ、『無自性』ということを中心に考えれば、

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku02.html
<--
空と縁起

これらの例では、縁起が自性の対立概念であることが語られていますが、すでに前章で見たように、空とは自性の否定でしたから、結局、空とは実は縁起のことである、ということになります。つまり、「空=無自性=縁起」という等式が成立します。
-->
という解釈になるようです。


466 :初歩的理解者さん:2005/12/28(水) 13:22:12 ID:U7c8HtVr
私の初歩的理解です。
縁起:あらゆるものは、他のあらゆるものに縁って成り立っているということ。
空 :@心から煩悩が消え去り、雑念を生み出す考えが心から無くなった状態。
   Aすべての存在は縁起によって成立する。
従って⇒すべてのことにあまり執着しない方が良い。

467 :  :2005/12/28(水) 13:40:17 ID:dj2RmCER
>>438
> パーリ語の「kilesa」 は、
> サンスクリットでは「kleZa」だな。これは男性名詞だ。
それで?なにか不都合があるのかな?

> 共に「√kliS」(苦しめる・悩ます)が語根だね
> ちなみに私が最初出した「saMkilesa」は「saM+kilesa」だな。
そんなの、当たり前じゃん、何言ってるのかな?”S” と ”Z” の区別はきちんと出来てるかな?

> サンスクリット「kleZa」の語幹は「kleS」だ「a」以下は変化するが
> 「kleS」部分は変化しない。
なに言ってるの?語幹の意味解ってるの?動詞は語根→語幹→活用となるから語幹が決まった後には
サンディーをのぞいて変化しない。しかし、広い意味での形容詞化の場合、すべてが動詞からの語幹に制限
されるわけではない。こんな基本的な文法事項も知らずに偉そうなことを言うな。パーリでの音韻変化も考慮
必要がある。だから

> だから「kleSa」は「kilesa」とは変化しない。
これは大間違い。

> 大体「A」で終るサンスクリットa男性名詞の語尾変化はない。
お前は馬鹿じゃ。変化表には無いが、文章化された場合、連声で”A”になる事があるのは梵語入門の第一日目
だぞ。で、これがどうしたん?下に続くんだろうけど、

> パーリのa男性名詞の語尾変化では「A」は、sg:ablとpl:nom,vocがある。
> 中村さんはpl:nomで訳しているね。
> ちなみにサンスクリットa男性名詞pl:nomの語尾変化は「As」だ。
> つまり「kleSAs」であって「kilesA」ではない。
> このことを知っていれば、テーラガータの「kilesA」がサンスクリットの
> 「kleSa」といっしょというギャグを披露できない。

まったく「論」になってないんですが? そもそも、サンスクリットってなんだか知ってるのかな?


468 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 13:47:53 ID:eZCYVdi+
縁起と空性

中之頌によれば竜樹は縁起と空性は同じことと考えていたようです(八不偈その他)。
縁起=空性の説は466さんがおっしゃるように
「あらゆるものは、他のあらゆるものに縁って成り立っている」
つまりどこにも基礎的な要素とか中心的な要素とかはない、宇宙は不可知であると
いうことです(参考-T.R.V.Murti "The Central Philosophy of Buddhism")。
この解釈では十二支縁起は本質的な教義ではないことになるでしょうが、ブッダの教説が
もともと不可知論であったかは疑問があります。サンジャヤ説を否定していますから。

469 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 15:09:50 ID:oyTkGjHE
dj2RmCER=mRMHwEzIの言葉は、そのまま自分の頭に降りかかる。
>>431なら、パーリやサンスクリットに言及しない方がいい。知ったかするから攻撃される。
そう貴方がまさにパーニニに言及しない方がいい。「過去ログ当た」らこれしかなかった。
以下のどこが   >>339「動詞+理解」で解るとはならないとパーニニの規定でも議論があった
のだろうか? 首を傾げるばかりである。

>446 名前:名無しさん@3周年 メール: 投稿日:2005/08/13(土) 07:42:03 ID:GyA988bc
> >√bhUとはね、「〜した」したとは絶対にならない←これが精度に欠けている
> >ある例は例示した。
> 例示していないよ。「〜した」と訳せることを文法、シンタックス、用例で示したら?
>451 名前:名無しさん@3周年 メール: 投稿日:2005/08/13(土) 09:24:10 ID:nX06+5/K
> >>446 だめなのは、あんただと思うな。
> その根拠は辻§111-4 に明解。それでも納得しないならPan V.4.50
>467 名前:名無しさん@3周年 メール: 投稿日:2005/08/14(日) 19:07:11 ID:TFJ1wU1+
>   >その根拠は辻§111-4 に明解。それでも納得しないならPan V.4.50
> 福祉複合語がどんな関係があるというのだ?
>559 名前:(*) メール: 投稿日:2005/08/18(木) 22:57:35 ID:nqWcId88
> 複合完了(辻§84-III)では√bhUは「〜した」と訳される。
> ramayAM babhUva 愛した。01,040.011c
> AmantrayAM babhUvuz 招待した。02,030.042c
> kathayAM babhUva 語った。03,225.005c
> 以上、すべて『マハーバーラタ』。訳は上村勝彦。
> piTThito Thito hoti 後に立っていた。水野『パーリ語文法』§71-4
> というようにパーリでも「〜した」と訳される場合がある。

470 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 15:13:10 ID:oyTkGjHE
要するに <√bhUとはね、「〜した」したとは絶対にならない> 
という主張に対する完全な反証である。

GyA988bcは間違いを認めなければならない。
このGyA988bcがdj2RmCER=mRMHwEzIなんだろうね。

Pan V.4.50 は<「動詞+理解」で解るとはならないとパーニニの規定>ではありえないでしょう。
Pan V.4.50の内容についてGyA988bcは何も述べてないし、√bhUが「〜した」となったのに
何もなかったかのようだ。まるで今の貴方にそっくり。電波の衆生説の態度と同じだね。
過去ログを見て分かったけど、衆生説は彼にとって重要な根拠だった。
彼はそれを根拠に輪廻転生を否定してきたわけだからね。
それを重要ではないかのように、ケアレス・ミスのように扱うのは全く不当ですな〜

いやまったく「知ったかするから攻撃される」んですけどね。

471 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 15:25:41 ID:dj2RmCER
>>470
ぜんぜん読めてないね。√bhUが「〜した」となる用例を沢山あげていたが、それを
すべて適用できないとして論破されていた。その論理解釈として、abhisamaya+√bhUが
パーニニでは「〜した」とはならないと言う主張だよ。おかしな事言うね。全部読めてないと
思うけど。あのとき、反論されて逃走したみたいだけど、それはあんたか?

論理解釈出来ないのは頭が悪い証拠だと言われるんだが、あんた周り見えてないでしょ?

472 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 16:43:58 ID:oyTkGjHE
vipassissa bodhisattassa yonisomanasikArA ahu paJJAya abhisamayo
の ahu が「〜した」したとは絶対にならないと書いたなら、そうゆう意見も可能でしょう。
だがわざわざ <語根bhUとはね、「〜した」したとは絶対にならない> と書いているから、
どういようが、語根bhUは、「〜した」と絶対に訳せないという意味になるだろう。
√bhUと表記してるからね。つまり一般的に語根bhUから派生した言葉は
「〜した」という意味を持たないといちゃってるわけなんだな。 ahu と書けばよかったんだ。

それはまだいいとして、
>  その論理解釈として、abhisamaya+√bhUが
> パーニニでは「〜した」とはならないと言う主張だよ。

すると何? パーリの用例から<abhisamaya+√bhUがパーニニでは「〜した」とはならない>
と導き出されちゃうって言ってるわけ! そりゃ倒錯だろ。パーニニは規範文法だよ。
しかもサンスクリットの。言い逃れもここまでくるとね。
しかも貴方、一応、学者なんでしょ? 

もうなんでもありだ。まったく。わかった、わかった。もうあんたの勝ち。


じゃ、さよなら。

473 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 17:30:30 ID:dj2RmCER
>>472
> vipassissa bodhisattassa yonisomanasikArA ahu paJJAya abhisamayo
> の ahu が「〜した」したとは絶対にならないと書いたなら、そうゆう意見も可能でしょう。

こら、やっと過去ログをちゃんと読んだな。過去ログを読まなくても、このスレッドで
それぐらいの推測は付いたはずだ。その話限定だ。語根から色々議論していたから、
abhisamaya+√bhUで話はとおっている。

逃げるな。w

> すると何? パーリの用例から<abhisamaya+√bhUがパーニニでは「〜した」とはならない>
> と導き出されちゃうって言ってるわけ! そりゃ倒錯だろ。パーニニは規範文法だよ。
それは消去法だよ。そんな事も解らないのか?論理解釈をすれば倒錯なのか?

> しかもサンスクリットの。言い逃れもここまでくるとね。
> しかも貴方、一応、学者なんでしょ? 
パーニニの規範をパーリに置き換えることがだめだというのなら、あんたもガイガーを読め。
私は学者じゃないよ。電波でもない。
で、なにがどう言い逃れなのかはっきりしてくれ。この話にあんたが絡むのなら、上記
引用文で「わかった」と言う意味が正解であることを論証しなくてはならない。

474 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 17:38:07 ID:dj2RmCER
ガイガーは不適切だったな。
「パーリにサンスクリットの統語論を適用させることが不適切だということを証明しなければならない」
とすべきだったな。パーリとサンスクリットは違うなどという三吉流の屁理屈は言わないだろうね?
そして、偉そうに言うのなら、暇人の>>438の間違いだらけを指摘してやってくれ。

> > vipassissa bodhisattassa yonisomanasikArA ahu paJJAya abhisamayo
> > の ahu が「〜した」したとは絶対にならないと書いたなら、そうゆう意見も可能でしょう。
また、「理解が生じたは理解したと言うことである」と言い続ける暇人になんか言ってやってくれ。
主語が何かを理解していない。

馬鹿踊りさせたままなのか?バランス感覚がないぞ。


475 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 17:43:36 ID:dj2RmCER
>>472
つまりだ。あんたは話の流れを読まずにいきなり乱入してかき混ぜた訳だ。
そして私を電波だとか訳のわからないことをいって結局は逃走する。

立つ鳥跡を濁さずだ。質問には答えてから帰れ。

476 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 19:57:59 ID:kZFExjyk
>>475

アホだな 472さんの完全勝利じゃん
キミらを相手にしても無駄とわかられたのだよ

477 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 20:01:07 ID:dj2RmCER
>>476
はあ?その根拠は?
説明できないでしょうね。

478 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 20:15:33 ID:kZFExjyk
>>477
本当にわからんの?
既に説明されているが、君は理解できてないね

479 :名無しさん@3周年:2005/12/28(水) 23:53:53 ID:UCAO7usz
>>465->>466->>468
 縁起と言うのは、変化を見ることだろう?変化を見ないところには縁起と言う認識は生じないからね。
そこで縁起している双方のものを見て、双方に自性は無いと判断するのだ。この判断は知性による。
そうすれば知性の目を持ってみれば、何らの変化も生じてはいないと言う事になるのだ。ここで、縁起その物も
消滅したと判断しなければならないだろう?
 何も変化していないと言うことが無自性=空と言う事だろう。縁起は消滅しなければならない運命だった。
残った無自性=空があるのだ。どうして空=縁起と言うことになるんだろう?

A空であって何も起こり得ないのが真実であるとわかったら、どうするべきなのか?
この真理に反しないような態度を取る必要がある。空に反するものとは、ものに自性があるとする思いである。
変化があるとする思いである。ある無しの思いである。損得の思いである。
 これらの間違った思いを廃する思いとはどんなものだろうか?
逸れは相手の心の平安を求める、その心であると思う。その心だけが必要にならないだろうか?
自分の心の平安は達成されてしまっているから。いかなる変化も無く、いかなる有無も無く、ある無しと言う事は無い、と言う事を
知ったからである。
 実のこの心の平安こそ、釈迦(佛教)の求めるものなのだ。
 

480 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/29(木) 06:01:56 ID:24dBljj5
>>479
>  縁起と言うのは、変化を見ることだろう?変化を見ないところには縁起と言う認識は生じないからね。
> そこで縁起している双方のものを見て、双方に自性は無いと判断するのだ。この判断は知性による。
> そうすれば知性の目を持ってみれば、何らの変化も生じてはいないと言う事になるのだ。

種をまけば、芽が出、やがて実がなります。
人は、年を経れば、老死します。
変化があることは、明らかです。

どのような、「知性の目を持ってみれば、何らの変化も生じてはいない」ということになるのでしょうか?


481 :名無しさん@3周年:2005/12/29(木) 13:03:19 ID:fdFYMoJN
暇人屁理屈期待age

482 :名無しさん@3周年:2005/12/29(木) 15:25:49 ID:fdFYMoJN
>>419
暇人はね、漢訳とパーリを比べてみて、共通要素が釈尊により近いんだって言ってるんだよ。
いつの時代の戯言かと言いたいんだけど、マジ面だから弄れるんだね。w
漢訳の原本は三吉にとってはパーリなのかもしれないね。原始仏典は色んなプラークリットで
残されていて、そのプラークリットの一つでまとまっていたのがたまたまパーリだった。だだそれだけ。

仏教の原典研究をするものにとって、必要なものに”Buddhist Hybrid Sanskrit”がある。仏教学では
定番であって、エジャートンの文法書と辞書を使わないものはいない。”Buddhist Hybrid Sanskrit”
がどういうものであるかはそれぞれ調べて勉強して欲しい。長阿含や雑阿含のサンスクリットのことを
言うのが自慢だと思う感覚が理解できない。

暇人が言っている>>437の間違いなんかは、その辞書を見れば一目瞭然。

エジャートン P.184
kilesa, see kleSa
とあり、その先を見ると
   kleSa(also semi-MIndic kileSa),m(Pali kilesa),impurity, depravity; on relation to anuSaya,
と明言している。

暇人の勘違いは、サンスクリットは中期以降に初めて仏教で用いられたのであり、パーリの方が古いと
するところにあるようだ。今まで人に散々教育されてきて、また教育されたな。w

483 :暇人:2005/12/29(木) 15:41:12 ID:YpedRaPp
>>482

バカだな。
完本として残されているのはパーリのみ。
漢訳は伝持部派は違うが併せると完本になる。
サンスクリット本は阿含全体の完本はない。
テキストを保持した所属部派の違うテキストの共通項を取り出せば、
部派分裂以前のテキストの可能性が高いということ。
漢訳の原本がパーリならば共通項という話にならずパーリ重視、漢訳参照に
なる。
色んな「方言」が現存してないのね。

エジャートンって大笑いだね(笑)
あのね
 劇にしてあげるね
電波一派「煩悩kleSaは穢れるというのが原意だぞ 仏教に穢れるがある」
暇人「なぜわざわざサンスクリットのkleSaだすねん(笑) パーリの
   kilesaでも『煩悩kilesaは汚れる』だと言う主張できるのにね。
   キミは元々パーリに触れとらんのだろ?」
電波「パーリもサンスクリットも同じだ」
暇人「だったらパーリテキストから、サンスクリットのkleSa出してみよ」
   と揶揄。これはできないことをしろという揶揄なのだが…

電波「テーラガータのパーリkilesa出して 出した出した」と騒ぐ(笑)
暇人「それ、サンスクリットじゃないじゃん」

484 :名無しさん@3周年:2005/12/29(木) 15:46:58 ID:fdFYMoJN
>>483
反論にも言い訳にもなっていない。
トートロジーは要らない。
はい。やり直し。

一つ教えてあげよう。訳出年代についての考察が抜けてるよ。

485 :暇人:2005/12/29(木) 15:50:20 ID:YpedRaPp
>>371

「染」(saMkilesa)でもキミの主張「煩悩の語源=穢れ」は成立すると思うが
こういう端々にキミ等がサンスクリットに依拠しすぎ、仏教文脈を外してしまう
点が透けて見えてますね
・・・・・・・・
とあるでしょ。 
エジャートン出して 同じと今更 説明しても明後日なのね。
私はパーリにも同じ意味の単語があるのに なぜサンスクリットを
出すのだと笑っているのね。

>サンスクリットは中期以降に初めて仏教で用いられたのであり、
>パーリの方が古いとするところにあるようだ

仏教がサンスクリット用いたのは パーリを用いたより早いとするならば
新説だよ(笑) どの学者さんが支持しているのだね
学者名 著作 出版社 ページを紹介して。

普通は マガダ語→それぞれの方言語(一つしてパーリ)→梵語・漢訳・中央アジア
諸国語

486 :暇人:2005/12/29(木) 15:52:19 ID:YpedRaPp
>>484

キミだよ 反論できてないのは。
まあ ここまででしょ
負け犬の遠吠えは あっちでされたどう?

487 :名無しさん@3周年:2005/12/29(木) 15:54:41 ID:fdFYMoJN
>>486
本気で言ってるのか?
頭大丈夫か?

488 :暇人:2005/12/29(木) 15:59:03 ID:YpedRaPp
>>487

キミが理解力ないだけよ
いつものことだけどね

所詮 水野さんが衆生説とか 無根拠なウソを振りまき
2ちゃんで自分がさも専門家だと印象づけて
「仏教には輪廻はない」という妄想家なだけだし
それについてくる人たちがいるから世の中すごいね
変な宗教のたねは尽きまじだね

489 :暇人:2005/12/29(木) 16:02:32 ID:YpedRaPp
「テーラガータのパーリkilesa」を出した時点で キミはトンデモだよ

たぶん どう指摘されても 理解できないようだが

まあ お疲れ様でした 風邪ひかれないようにね

490 :名無しさん@3周年:2005/12/29(木) 16:05:33 ID:fdFYMoJN
>>488
ふうーん。電波妄想が強いね。
私は電波でもなく、テーラガータを出した人でもない。

さ、早くまじめに答えろ。

491 :暇人:2005/12/29(木) 16:09:42 ID:YpedRaPp
>>490

既に応えてる。ボールはキミところだな
キミからの返球がないのに キャッチボールはできないね

そこもわからないから 電波といっしょだよ


492 :名無しさん@3周年:2005/12/29(木) 16:11:51 ID:fdFYMoJN
>>491
トートロジーには答える必要はない。

493 :暇人:2005/12/29(木) 16:47:12 ID:YpedRaPp
>>492

だからキミはそこで終わりだよ
お疲れさま

「マック」と言っている人に なぜ「マクド」と言わないのねだね
ここは関西よ。キミ関西人じゃないね 
「マクド」って普段使わないのだろうねと指摘したら

「マック」でも「マクド」でもいっじゃんとムキになるので

じゃあ関西人コテコテの奴で「マック」言う奴連れてきてみと言ったら
ある関西人に「マクド」と言わせて
「ほらマックとマクドといっしょじやん」

「関西人にマックと言わせてないじゃん」と優しく指摘すると
「辞書にはマックとマクドど同一と書いてある」と。。

無敵・なんでもありの電波一派さん漫才でした(笑)

494 :名無しさん@3周年:2005/12/29(木) 17:49:15 ID:fdFYMoJN
>>493
暇人流屁理屈は健在だね。もう見ていて可愛そう。

495 :ベロ ◆eOod7XM/js :2005/12/29(木) 19:25:57 ID:8lrMvG61
で結局、原始仏教には性を穢れとみないという暇人さんの説はどうなん?
在家に不邪淫戒があるからといって原始仏教が性を穢れとはみないと言う
根拠にはならんと思いますけど。


496 :名無しさん@3周年:2005/12/29(木) 19:59:25 ID:w7xuqYWg
>>480
>種をまけば、芽が出、やがて実がなります。
人は、年を経れば、老死します。
変化があることは、明らかです。
どのような、「知性の目を持ってみれば、何らの変化も生じてはいない」ということになるのでしょうか?

 種が芽に変化してるが、種が温湿度の条件を得て芽に変化してるわけだが、種が無ければ芽が無いのだから
種と芽は相依関係にあるし、温湿度があったから芽が生じているわけだから、温湿度と芽もまた相依関係にあると言う、
このことは縁起の説明に出てくる原理だよ。この様な相違関係を認めるのは知性だろう。
そこで、相依関係にあるどちらかがかけるなら、もう片方は無いのだから、どちらも自体として存在するもの出ない、
と言うのが今までの空=無自性の説明じゃない?そして、空=無自性と言う事は、真実には
種もその芽も更に、温湿度も、本体:自体:自性として存在していないと言うことになるから、
真実として何も生じていないつまり何の変化も無いと言うことになるのだ。この様に判断するのは、
我々の知性でなくてなんだろう?知性の目を持って、何も生じなかった、何の変化も無かったといわねばならないのだ。

497 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/29(木) 20:38:01 ID:24dBljj5
>>496 :名無しさん@3周年:2005/12/29(木) 19:59:25 ID:w7xuqYWg
> そこで、相依関係にあるどちらかがかけるなら、もう片方は無いのだから、どちらも自体として存在するもの出ない、
> と言うのが今までの空=無自性の説明じゃない?

ただ、それは認識論の話であって、存在論の話ではありませんよね?
人間は五感を通じて、外界を認識します。
認識主体である人間と、認識対象である外界は、相依関係にあり、
死んでしまえば、もはや認識作用はなくなるので、認識論的には外界は滅します。
しかし、自分が死んだ後も、地球が何事もなく太陽の周りを回っていることを
私の知性は認めています。

縁起するものに対する執着をなくすことによって、自分の心の平安は達成されます。
縁起するものは存在します。


498 :名無しさん@3周年:2005/12/29(木) 21:02:17 ID:w7xuqYWg
>>497
知性といっても五蘊の中の識でしょう。識はそのような理法を知識として蓄えているもの、それを識といっているのでしょう?
その識は、やはり縁起しているもので、縁起している以上、自性は無い、即ち空であると言うのでしょう?
人が死ななくても、生きているその人の識は既に、空なんですよ。
 縁起するものは存在しますといわれますが、その存在は、束縛する存在ですか?束縛しない存在なら
その個々のものは全体としても個々のものとしても存在しているでしょうか?人が気にかける必要の無いものは
存在しているといえるでしょうか?

499 :太刀山型の土俵入り:2005/12/29(木) 21:27:26 ID:VXaCvZwK
害毒に 群がる蟲は 糞蟲か 仏教徒だけは 救い難しや

500 :暇人:2005/12/30(金) 02:52:04 ID:rOhp+nNH
>>495

ベロくん 本願寺派の隅っこにへばりついているならば
「教学シリーズNo8 日本人の習俗と信仰」程度は読んでから
「穢れ」について語ったほうがいいかもだよ。

キミは一応 本職の坊さんで 仏教で飯を食べているのだからね
電波一派に踊らされる愚にきづき そろそろ地に足つけなさい

501 :暇人:2005/12/30(金) 04:58:21 ID:3ql4vIE9
内容:
>温湿度があったから芽が生じているわけだから、温湿度と芽もまた相依関係

種→芽に温度・湿度などが影響を与えているのはわかるが
温度・湿度に種→芽が与える影響は微々たるものでしょうし、
温度の元になる太陽に芽が与える影響は皆無だから
そもそも そこに相依性はないのでは?

縁起の相依性って そーいうことではないのでは?
12支縁起の縁起支の相互影響のこととかでは?


502 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/30(金) 07:18:01 ID:5coRNhS4
>>498 :名無しさん@3周年:2005/12/29(木) 21:02:17 ID:w7xuqYWg

> 知性といっても五蘊の中の識でしょう。識はそのような理法を知識として蓄えているもの、それを識といっているのでしょう?
> その識は、やはり縁起しているもので、縁起している以上、自性は無い、即ち空であると言うのでしょう?
> 人が死ななくても、生きているその人の識は既に、空なんですよ。
そうですね?

>  縁起するものは存在しますといわれますが、その存在は、束縛する存在ですか?束縛しない存在なら
> その個々のものは全体としても個々のものとしても存在しているでしょうか?人が気にかける必要の無いものは
> 存在しているといえるでしょうか?

「束縛する存在」と「束縛しない存在」の違いは何ですか?
束縛をどういう意味で使用されているのでしょうか?

無人島で、木が倒れたとき、木が倒れた音はしたか?
生命が誕生するする以前の地球において、夕日の色は何色だったか?

という問いと似たような問いでしょうか?


503 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/30(金) 07:27:02 ID:5coRNhS4
>>495 :ベロ ◆eOod7XM/js :2005/12/29(木) 19:25:57 ID:8lrMvG61
> で結局、原始仏教には性を穢れとみないという暇人さんの説はどうなん?
> 在家に不邪淫戒があるからといって原始仏教が性を穢れとはみないと言う
> 根拠にはならんと思いますけど。

全否定の証明はむずかしいですよね。
言えることは、せいぜい原始仏典において、性を穢れとみている記述をみたことがない。
に留まります。
これに異論を唱えるのであれば、
原始仏典において、性を穢れとみている記述を挙げればいいだけです。

私は、原始仏典において、性は滅するべき執着・煩悩として扱われているが、
性を穢れとはみていないと考えます。

性を滅するべき執着・煩悩として扱っている部分としては、
ttp://www.geocities.jp/jfcps873/gb/gb12.html#R506
こんな部分でアーナンダさんが、好い味を出しています(笑)。


504 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/30(金) 07:32:40 ID:5coRNhS4
>>501 名前:暇人 :2005/12/30(金) 04:58:21 ID:3ql4vIE9
> 温度の元になる太陽に芽が与える影響は皆無だから
> そもそも そこに相依性はないのでは?

相依性は、認識論の領域の問題で、実際の影響を考慮することはあまりないのではないでしょうか?
因果関係で言えば、親がいるから子がいる。
となりますが、
相依性では、子がいるから親は親として認識される
もまた真となる。という風に私は理解しています。

> 12支縁起の縁起支の相互影響のこととかでは?
原始仏教の文脈では、12支縁起等に、対象を限定したほうが、
話が発散しないかも(?)ですね。


505 :名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 08:56:25 ID:yndjMf4c

> 私は、原始仏典において、性は滅するべき執着・煩悩として扱われているが、
> 性を穢れとはみていないと考えます。

煩悩 = 穢れ
性  = 煩悩
性  = 穢れ

506 :太刀山型の土俵入り:2005/12/30(金) 09:54:14 ID:U+R6r0Qv
事無かれ主義と臭いものには蓋は仏教の美徳。

507 :暇人:2005/12/30(金) 11:29:57 ID:MfoZTNTW
>>504

レスどうもです。
親子は認識領域だけではなく 実際にも
子ができることで だんだん親として成長するということもありますし
そもそも子が生まれてはじめて親になるわけですので
これは完全な相依関係だと思います。

508 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/30(金) 11:30:39 ID:FJJIuUap
>>505 :名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 08:56:25 ID:yndjMf4c

>煩悩 = 穢れ
なるほど。

では、次のような解釈はどうなんでしょうか?

原始仏教には、善悪、浄不浄というふたつのレベルの判断基準がある。
善悪は、在家に対する規範であり、
浄不浄は、善悪のレベルよりもきつく、出家のためのものである。

商売したり、子孫繁栄にいそしむことは、悪ではない。
しかし、それは不浄であり、「穢れ」とみなされる。

性も同様である。
したがって、原始仏教においては、
性は悪ではないが、
性は「穢れ」とみなされる。


509 :名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 13:48:11 ID:yndjMf4c
>>508
> 原始仏教には、善悪、浄不浄というふたつのレベルの判断基準がある。
> 善悪は、在家に対する規範であり、
> 浄不浄は、善悪のレベルよりもきつく、出家のためのものである。

それは違うと思う。同じ対象のダブルスタンダードではないはず。
浄不浄は状態であり、善悪はおこないなのだから。そして、規範の使い方も
理解しにくい。

510 :名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 13:58:14 ID:7grL/Zse
佛大の人たち、つっまんない! もう退場!
パーニニとか、ガイゲルとか、エジャートンとか、ダブルスタンダードとか
衒学的な名詞だけのハッタリもういい! しかも突っ込まれると説明できないし。

なんのためにここにかいてんの? 自慢にもならないよ。それじゃ。


511 :名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 18:33:18 ID:x6h0ArPF
>>510
言われちゃったね。

512 :名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 20:18:27 ID:x6h0ArPF
>>502
「束縛する存在」と「束縛しない存在」の違いは何ですか?
束縛をどういう意味で使用されているのでしょうか?

生きてる親は性老病死の縁起に支配されているので常に気にかけなければならないので束縛する存在、死んでしまっているなら、
束縛しない存在、こんな具合ですが。換言すると、自分が執着している存在、之が束縛する存在。自分が執着していない存在、これが
束縛しない存在。
>>501
>縁起の相依性って そーいうことではないのでは?
12支縁起の縁起支の相互影響のこととかでは?

 十二支縁起と言うのは五蘊の縁起関係を明らかにしたものだと思います。
識によりて名色が生じとありますが、之の具体的事象が種とその発芽に当たるといわなければならないと思います。
十二支縁起は極度に抽象化したものと言うべきじゃないでしょうか?
 以下に参考に

しかし、初期のころから後代のものと言われるものまでを通じて共通していることは、縁起説法というものは、
「これがあれば、これがある。これが生ずれば、これが生ずる。これがなければ、これがない。これが滅すれば、
これが滅する」という基本形式をもっていること、そして、それらが順観と逆観のペアで語られていることです。
最古層に属する仏典にも、沢山その例を見ることができます。
たとえば、次のようなものをあげることができるでしょう。

快と不快とは何にもとづいて起こるのですか? また何がないときこれらのものが現れないのですか?
 また生起と消滅ということの意義と、それの起こるもととなっているものを、われに語ってください。
快と不快とは、感官による接触にもとづいて起こる。感官による接触が存在しないときには、
これらのものもおこらない。生起と消滅ということの意義と、それの起こるもととなっているものを、
われは汝に告げる。

(スッタニパータ、中村元訳、869〜870)
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku03.html


513 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/30(金) 20:21:54 ID:5coRNhS4
>>505 :名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 08:56:25 ID:yndjMf4c
>
> 煩悩 = 穢れ

えーと、すいません。
この、煩悩を穢れとみなすという考えの根拠はどこにあるのでしょうか?

「仏教要語の基礎知識」の8章 煩悩論をちらっと読んだ限りでは、「穢れ」という概念は無いようです。


514 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/30(金) 20:35:08 ID:5coRNhS4
>>512
レスありがとうございます。

> 生きてる親は性老病死の縁起に支配されているので常に気にかけなければならないので束縛する存在、死んでしまっているなら、 束縛しない存在、こんな具合ですが。

えーと、つまり、次の問いには
>>498
>  縁起するものは存在しますといわれますが、その存在は、束縛する存在ですか?

うちの親は存命です。うちの親は常住不変ではありません。
したがって、
『その存在は、束縛する存在です。』

で、答えになるのでしょうか?


515 :名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 20:55:53 ID:x6h0ArPF
>>514
>うちの親は存命です。うちの親は常住不変ではありません。

存命=命あるものと考え、さらに常住不変であると考え、つまり、無常な存在に限られる哀れな存在と思っているなら。


516 :名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 20:59:11 ID:x6h0ArPF
訂正
>さらに常住不変であると考え→常住不変ではないと考え

517 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/30(金) 22:12:37 ID:gwWT/eyE
>> 煩悩 = 穢れ

>えーと、すいません。
>この、煩悩を穢れとみなすという考えの根拠はどこにあるのでしょうか?
 
 ダンマパダの第18章 汚れ(岩波文庫 真理のことば、感興のことば43ページ)
あたりと、あと

スッタニパータ
212 智慧の力あり、戒めと誓いをよく守り、心かよく統一し、瞑想(禅定)を楽しみ、
  落ち着いて気をつけていて、執着から脱して、荒れたところなく、煩悩の汚れの
  ない人、−諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

ダンマパダ
 39 心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨
   てて、目覚めている人には、何も恐れることが無い。
 
 仏教では煩悩などで心が汚されていて(染汚 客塵など)、この汚れを取るのが仏教の
修行だと思っています。

  諸悪莫作 修善奉行 自浄其意 是諸仏教 
 すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること−これが
諸々の仏の教えである。
      −ダンマパダ 183−  

518 :名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 22:54:45 ID:x6h0ArPF
情欲=汚れ
ウダーナばるが「観興の言葉」第16章
 16、田畑の汚れは雑草であり、この人々の汚れは情欲である。知れゆえに、情欲を離れた人々に供養して
与えたものは、大きな果報をもたらす。

 同22、第六の機能(五感に続く心)が、支配者である王である。それが欲情に染まっているときは
浴場のままになり、染まっていないときには(汚れを離れたもの)となっているが、染まっている時には(凡夫)と言われる。

519 :名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 23:14:19 ID:x6h0ArPF
>>518
岩波文庫の中村元氏の訳

520 :名無しさん@3周年:2005/12/31(土) 00:41:21 ID:Gbf+Hn22
仏弟子を、声聞・縁覚・菩薩の三乗に分ける思想は、
いつ頃からできたのでしょうか?

521 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/12/31(土) 04:59:47 ID:8PCTzg7e
すいません。流れをあまり読まずに口を挟んでしまいました。
さて、流れをちょっと振り返ってみましょうか?発端は、ここですよね?
<--
322 :太刀山型の土俵入り :2005/12/25(日) 10:55:39 ID:GrzWVyVB
汚い物には蓋。

性を穢れとした仏教がある限り人類はAIDSを克服できぬじゃろう。

323 :暇人:2005/12/25(日) 10:58:26 ID:mOSruo7o
>穢れ
「けがれ」概念は神道。 仏教にはないですね。

326 :名無しさん@3周年:2005/12/25(日) 11:17:40 ID:CLft5S2w
>>323
嘘付け。仏教の基本をわかっていないね。
-->

(1)性は煩悩か? −−− この答えはYESでしょう。
(2)性は浄不浄のどちらか? −−− この答えは「不浄」でしょう。

(3)「不浄」=「穢れ(けがれ)」といって良いか悪いか?

論点は(3)に有ると考えてよろしいでしょうか?

NETの辞書では、次の説明が、私のイメージにもっとも近い意味ですね。
<--
けがれ 3 0 【汚れ/▼穢れ】
(3)死・疫病・出産・月経などによって生じると信じられている不浄。
-->


522 :ベロ ◆eOod7XM/js :2005/12/31(土) 05:12:25 ID:a+vygO6X
>>500
こーゆー言い方見ると暇人も成長しないね。ま、参考文献はさんくす。
私が電波一派に踊らされてる?全く意味不明(笑)
踊っているのはあんたかもです。私は地に足ついてますよ。

523 :暇人:2005/12/31(土) 07:03:22 ID:PBvJ0U61
スッタニパータ
214. PaNNAbalaM sIlavatUpapannaM, samAhitaM jhAnarataM satImaM;
慧力/ sIlavat愚戒者UpapannaM具足した,往生した/入定した/禅を楽しめる/念、正念、記憶
saNgA pamuttaM akhilaM anAsavaM,
着,執着,染着/脱した,自由になった/固陋ならず,強情でない/漏なき, 無漏の
taM vApi dhIrA muni vedayanti.
それ/池・沼/賢者/牟尼/知る、と。

中村さんが「煩悩の汚れのない人」と訳した箇所は
anAsavaMだが、これは「無漏」という意味ですね。
否定のanを取ってAsavaも引いても「漏 流漏 煩悩 酒」ですね。
中村さんは「無漏」を「煩悩の汚れのない人」と解釈しただけですね。
「汚れ」というより むしろ「酒に酔った状態からの開放」というのが、
原意に近いかもですね。


524 :暇人:2005/12/31(土) 07:03:58 ID:PBvJ0U61
ダンマパダも「無漏」ですね
39. Anavassutacittassa, ananvAhatacetaso;
中村さんが「心が煩悩に汚されることなく」と訳した箇所は
「Anavassutacittassa無漏の心」です。
これは「Anavassuta無流漏の,煩悩の漏泄なき」+「cittassa心」ですね
 更に「Anavassuta」を「An無」+「avassuta漏泄した」を分解して、ネットパ英辞典を参照しますと
「avassuta漏泄した」は
@flowing out or down流れ出すor流れ落ちる, oozing浸出, leaking漏れる
Afilled with desire欲望で充満した, lustful貪欲
「Anavassuta」は、
@not leaking漏れない, without a leak漏出なしで
Afree from leakage漏出から自由
Bfree from lust or moral intoxication欲あるいか道徳麻痺からの自由

原意は「流れ出さない」「漏れない」という「無漏」ですね。


525 :暇人:2005/12/31(土) 07:04:39 ID:PBvJ0U61
中村さんが、「無漏」を「汚れない」と訳されることに根拠がないかといえば、
スッタニパータ213に「sabbesu dhammesu anUpalittaM」とあり、
211「あらゆる事物に汚されることなく」と訳されています。
直訳では「sabbesu dhammesuすべてのもの」に、「anUpalittaM執着なく」です。
私は「あらゆる事物に執着することなく」の方が誤解を生まなくて良いと思いますが、
「anUpalittaM無執着,不染着、取著なく」を「汚されることなく」と訳される根拠は、
(an無-upalitta汚染した)と分解でき、
「upalitta汚染した」は動詞「upalimpati汚染する」の過去分詞形だからですね。
サンスクリットに遡る原意は「√upa-lip汚れ しみ 塗布」です。
(日本で一般に言う「穢れ」には伝染するので排除・忌避するニュアンスを含みますが
この「汚れ」には「穢れ」の意味はありません)

「観興の言葉」はサンスクリット本からの訳ですね。パーリダンマパダの増広本です。
第16章16には、ダンマパダに平行箇所があり注によると
356「田畑は雑草によって害われ、この世の人々は愛欲によって損なわれる。
それゆえに、愛欲を離れた人々に供養して与えるならば、大いなる果報を受ける」


526 :暇人:2005/12/31(土) 07:06:48 ID:1I9mZ0Bu
「観興の言葉」にあった「情欲が汚れ」などダンマパダにはありません。
元々仏教は供養する相手の如何で果報に差があるなど説かず、むしろ身近な人、貧しい人、
困っている人、修行者という順であったのが、このダンマパダの箇所を含めて
教団が発展すると清浄な僧に供養することのほうが効果が大と説き、
それを説くために戒律を守っていることの意義を必要以上に宣揚するようになって
いったのかもですね。
南伝分別説部は持戒を誇りますので この類の聖句を信者さんに悪用して
信者さんから 必要以上の供養を得ようとしないように注意して頂きたいと思います。



527 :暇人:2005/12/31(土) 07:17:17 ID:1I9mZ0Bu
無宗ださん ぺろさん おはよ

私もポイントはその三点だと思います。

(1)性は煩悩か? −−− 仏教は「性」そのものを煩悩だと言ってないのではと思います
(2)性は浄不浄のどちらか? ・・・浄不浄とは 何かのほうが面白いかもです
(3)死・疫病・出産・月経などの「黒・白・赤」穢概念と 仏教の不浄概念が同じかどうかとか



528 :暇人:2005/12/31(土) 08:39:44 ID:1I9mZ0Bu
朝風呂気持ちよい。

仏教の場合の「あらゆる事物に汚されることなく」は、
世間には誘惑が多く、欲望が刺激され、快楽に必要以上に耽溺してまう。
溺れてしまうので、「欲望が漏れ出る」ようなこだわりから開放されようと
いう趣旨ですね。
ここでいう「汚れ」とは「欲望の虜になること」ですね。
「世間」自体が「穢れ」ではありません。
あるいは敢えて言えば「三毒=貪り、怒り、おろかさ」の
「貪り」が「汚れ」ですね。

日本の「穢」概念のうち「産穢」と「赤穢」(月経)は「性それ自体」を穢れと
してますね。

529 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2005/12/31(土) 09:09:49 ID:cSATE9xB
テーラワーダでは人間の心は暴れる象のようにどうしようもなく、
そのままだと何もかも破戒してしまう、と考えています。ですから
こころの制御を説いているのです。
 
 性の問題をはじめ煩悩を抑えないとどうなるか考えてみれば、解
ると思います。問題は、自分の欲望を自覚していないか、または正
しいと思って平気で行っている場合ですね。

 ただ無宗ださんと違って、すべての欲望を禁じているのではなく
仏教で言う人格完成に向かう欲望は認めています。


530 :名無しさん@3周年:2005/12/31(土) 15:04:38 ID:k0GCa5dn
佛教における汚れとか罪とか汚染とかいろいろ避けるべきものとしての言葉の表現があるが、
それは空と言う真理に反する心を言っていると思う。
 情欲が生じたものであれば、それは実体の無いものである。実体の無いものを追求してはならないのである。
これは空の真理に反する行為であるから、汚染、罪、汚れと言うのであり、それは真実の心に生じた汚染、垢、ほこり
などと言われるのであるとおもう。

531 :名無しさん@3周年:2006/01/01(日) 00:36:23 ID:/guhFmj3
みんなさんZZZZZOOOOO?

532 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/01/01(日) 08:46:35 ID:QIGEFXxu
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくです。

仏教って、結局はこころをどう育てるかの問題だと思ってます。
「無我」にしてもある程度自分のこころが解ると、世の中は「法(ダンマ)」
で動いており、そのなかに「私」が入る隙がないと実感できます。

暇があったら瞑想をして自分のこころの中をのぞいてみてください。

533 :名無しさん@3周年:2006/01/01(日) 23:16:29 ID:/guhFmj3
>>520
>名無しさん@3周年:2005/12/31(土) 00:41:21 ID:Gbf+Hn22
仏弟子を、声聞・縁覚・菩薩の三乗に分ける思想は、
いつ頃からできたのでしょうか

最も走りの大乗経典は般若経であると言われていないか?その般若経で菩薩と言う名称が出てくるのだ。
それまでは、菩薩声門縁覚の区別は初期経典ににはほとんど出てこない。ただし大パリにバーナ経だったと思うが
はっきりと声門縁覚と言う言葉が出てきている。なんかこの部分は後世の長老の挿入のような感じがする。何故ならそこ以外で声門縁覚という言葉が見られないからだ。
そして初期経典では修行僧と言う言葉で概ね統一されている。個の修行僧と言うものを考えてみると、大乗の言う菩薩であると思われる。その菩薩の心構えが教条的に教えとして述べられていると思われるのだ。そこで大乗の論者が
 大乗側から見た声門縁覚菩薩の区別に付いては、岩波文庫の梵文和訳の法華経薬草喩品に詳しい。

534 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/01/02(月) 09:19:44 ID:K8yfrxyV
>>527

暇人さん、あけましておめでとうございます。
今年も、よろしくです。

> 私もポイントはその三点だと思います。
>
> (1)性は煩悩か? −−− 仏教は「性」そのものを煩悩だと言ってないのではと思います
> (2)性は浄不浄のどちらか? ・・・浄不浄とは 何かのほうが面白いかもです
> (3)死・疫病・出産・月経などの「黒・白・赤」穢概念と 仏教の不浄概念が同じかどうかとか

おっと。(1)(2)は自明で、論点は(3)のみかと思っていましたが、(1)(2)に関してもいろいろありますか。
その辺をまったり論じるのもいいかもですね。

とりあえずこれらに関連して、ネタ振りように、スッタニパーダからコピペ。

284 昔の仙人たちは自己をつつしむ苦行者であった。かれは五種の欲望の対象をすてて、自己の(真実の)理想を行った。
284- 過去の聖賢たちは、自己を自制した{真の}苦行者として、{世に}存した。
五つの欲望の対象(五妙欲:色・声・香・味・触)を捨てて、自己の義(目的)を行じおこなった。

289 かれら昔のバラモンたちは四十八年間、童貞の清浄行を行った。知と行とを求めていたのであった。

291 (同棲して楽しんだのではあるけども)、バラモンたちは、(妻に近づき得る)時を除いて月経のために遠ざかったときは、その間は決して婬欲の交わりを行わなかった。

292 かれらは、不婬の行と戒律と正直と温順と苦行と柔和と不傷害と耐え忍びとをほめたたえた。

293 かれらのうちで勇猛堅固であった最上のバラモンは、実に婬欲の交わりを夢に見ることさえもなかった。


535 :太刀山型の土俵入り:2006/01/02(月) 13:04:53 ID:Vr7rPTRz
門松は 死出の旅路の 一里塚

             相撲サイキョ




536 :暇人:2006/01/03(火) 10:56:28 ID:XAcoyktR
無宗ださん お邪魔しますさん 他皆様

あけまして おめでとうございます

今年もよろしく

537 :暇人:2006/01/03(火) 11:08:50 ID:XAcoyktR
ちなみに その箇所の290に
「ただ相愛して同棲し、相和合して楽しんでいたのであった」とあり
昔のバラモンの美風によっても
完全否定ではないように思います。

538 :太刀山型の土俵入り:2006/01/03(火) 16:45:16 ID:Weh0tfjb
みなさん姫始めは済ませましてか?
私は年々遅漏気味で相方が辛そうです。

539 :名無しさん@脱無明さん:2006/01/07(土) 12:27:37 ID:8+4VlIG1
「四諦」と「八正道」を、もう一度学び直してみます。
今年は、その内のひとつでも実行し続けたいと思います。

540 :太刀山型の土俵入り:2006/01/07(土) 12:28:16 ID:Ucf5aVlk
そんなことより、きちんと人にあいさつできるようになりなさい。

541 :暇人:2006/01/07(土) 13:13:11 ID:m3eNdRX2
>>539

「八正道」 いいですね
学びなおされたものを また お教え下さい

542 :名無しさん@3周年:2006/01/08(日) 18:34:14 ID:wYEB2aIC
>>541
暇人さん、八正道を講義してくださいませんか?出来なければ、経典を教えてくださいませんか?出来るだけまとまって教えているものを。

543 :暇人:2006/01/09(月) 03:16:07 ID:WV/TeBX1
>>542
講義できませんので ネット検索したのを貼りますね

@フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93

A南伝テラワーダ
A・スマナサーラ長老の講義
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi3.html
パーリ用語説明のコーナー
http://www.j-theravada.net/pali/key-ariya-attangika-magga.html

B大谷中学の八正道の現代解釈のページ
http://61.126.46.250/junior/hassyoudou.html

纏まった経典というと長部の大念処経かな
春秋社「原始仏典第二巻 長部経典U」p413以下に
八正道についての現代語訳ありますね

544 :太刀山型の土俵入り:2006/01/09(月) 15:23:01 ID:BI1zh3w4
お釈迦さんのチンポはどれぐらい立派だったのだろうか?

545 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/01/09(月) 17:02:34 ID:LrVcDaOU
陰蔵相(おんぞうそう)
  陰部が平常は体内に隠されている。

546 :名無しさん@3周年:2006/01/09(月) 17:20:47 ID:AZ69omDM
>>543
サンクス

547 :名無しさん@3周年:2006/01/09(月) 17:38:17 ID:RvJ6b6I1
お邪魔しますsan すいませんが、あらしはスルーでお願いします。

548 :太刀山型の土俵入り:2006/01/10(火) 09:57:49 ID:b4LoZvnM
お経に書いてあることなのに隠そうとするとは、仏教徒は後ろ暗いとこでもあんのかにゃ?

549 :名無しさん@3周年:2006/01/10(火) 10:10:15 ID:jFq7WTB1
hhhhj

550 :Mr.名無しさん:2006/01/11(水) 09:54:46 ID:q8hcccjL
>>540
ご挨拶が大変遅くなりました。
投稿ネームを「脱無明」と申します。
しかし自分にはちょっと「高度」過ぎるので、これからは「Mr.名無しさん」
に致します。
投稿することは少ないと思いますが、これからも宜しくお願い致します。
私の文体は若いのですが、これでも50歳台になりました。
>>541
この世の中に一般的に生活していて「八正道」を実行するのは、ほとんど困
難だというのが私の経験です。
従って「大乗仏教」があるのですが、しかし私は「上座部」の教えも大切に
した上での、大乗仏教の実践があるのだと存じます。
(例:欲望、所有が個人にもたらす苦悩等)          以上です

551 :暇人:2006/01/11(水) 21:08:23 ID:4bCanILl
ご丁寧な挨拶 恐れ入ります。

大乗仏教は「八正道」などの初期仏教を基礎にして
発展したわけですから 学ぶことは大切かもですね

色々とご意見をお聞かせ下さい

552 :Mr,名無しさん:2006/01/12(木) 15:47:57 ID:gV3OQlDt
このサイトに投稿できる力量は、私にはございません。
従って、しばらくは市民講座等で「易しい仏教の基本中
の基本」を勉強致します。
また長期にわたって投稿は控えさせて戴きます。
いろいろ教えて頂き本当に有り難うございました。

553 :暇人:2006/01/12(木) 22:33:37 ID:EPCZWxMD
あらら 残念です

554 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/01/13(金) 12:59:31 ID:YuHsal1Y
心の貧しい人は幸いである
http://home.att.ne.jp/wood/aztak/untiku/spiritually_poor.html

日本語として、「心の貧しい人」との表現には違和感を覚えますが、
涅槃が、無願、すなわち、何の夢も希望もない状態と考えれば、
無願は、「心が豊かな状態」の対極と考えることができ、納得がいきます。

心の貧しい人は幸いである

涅槃を得た人(無願な人)は幸いである


555 :名無しさん@3周年:2006/01/13(金) 13:12:55 ID:VLR9O1Yj
>>554
「息の破れた者」というのが原意、
と言った先生がいたような・・・

もうはるか昔の話だが・・
そういえば、キ質問箱でも答え貰えてなかったような気がする

556 :暇人:2006/01/15(日) 23:36:47 ID:ueRYWWC6
うむぅ

557 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/01/17(火) 12:03:42 ID:P2QpxjJL
久しぶりです。年始の忙しさも過ぎホッと一息です。
ブッダは「こころ」を整えることで苦しみを乗り越えようとした。

 では、「こころ」とは何だろう。

 私と死人を比べてみて何が違うか。死人にいくら悪口を言っても、怒り出さない。
ぶん殴っても、殴り返さない。どんなにうまいものを見せても、食べない。あたりま
えですよね。どんな刺激を与えても、反応しないと言うことです。

 わたくしはどうですかね。悪口を言われたら腹が立つし、殴られたら殴り返したく
なるし、うまいものが出されたら食べちゃいます。

 この「刺激に対して反応する」のが「こころ」の働きや、作用といわれるものです。
だから「こころ」というのは、働きや作用はあるけど、その実体はない、というのが
私の考えです。

 「こころ」が存在するためには、刺激が必要なのです。なぜなら刺激がなければ、
反応のしようがないし、反応する働きがなければ「こころ」は存在しないのです。

 ここが第一のポイントです。

 「こころ」は常に刺激を必要とする。そして、それに反応する。


558 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/01/17(火) 13:24:02 ID:P2QpxjJL
 次は「こころ」は常に刺激を欲しがっている。それは「自分は生きていたい」とい
うすごい自己愛を持っているからです。刺激が無くなれば、「こころ」は存在できな
くなるからです。五感からの刺激がないときはどうするかというと、「こころ」は勝
手に自分で刺激を作り出しちゃうんです。考えるとか、妄想とか言われるものがそう
です。

 「こころ」は刺激があれば満足するのです。どんな刺激でもかまわないのです。ただ

刺激があればいいのです。善悪は問いません。

 「こころ」が強い自己愛を持っていますから、「こころ」の反応によって行動する
私の動きも、すべて自己中心的になります。 すべて自分が気持ちよくなり、満足す
るために行動するのであって、他人のために何かしてあげても、それはすべて自分が
気持ちよくなり、満足するためなのです。

 たとえば博打や酒でも、それによって刺激を受け快感を覚えれば、「こころ」は満
足するのです。反対によいことをして「ああ善いことをした、気持ちが良かった」と
思えば、「こころ」は善いことをした刺激があったのだ、と満足するのです。

 このような「こころ」をどう育てたらよいか、ブッダはこう言ってます。

 「こころ」に悪い刺激を与えないで、善い刺激を与えなさい。「こころ」は
身体の支配者ですから、善い人間になれます。

 諸悪幕作(諸々の悪しきことをなさず)
 衆善奉行(あらゆる善行を行ない)
 自浄其意(自己の心を浄らかにしていく)
 是諸仏教(これがブッダ達の教えである) (ダンマパダ・183)


559 :只の名無しの権兵衛:2006/01/17(火) 13:30:31 ID:jb9Zrgpv
原始仏教そのものではないかも知れませんが、私の場合は、友松圓諦さん著の
「法句経」(ほっくきょう)や「法句経講義」を、時折り読ませて戴いておりま
す。


560 :名無しさん@3周年:2006/01/17(火) 14:51:35 ID:L6LAthWB
555
キリスト教では、息=呼吸は既に或る物=天恵=神の賜=プラウネだが、
仏教においては、
息は不可侵の賜物ではない。


断じて言おう。
転法輪を無視する僑慢な宗教者逝ってよし。勉強しない宗教者は居るだけで害悪かもしれん。
とくに若いやつ。

561 :名無しさん@3周年:2006/01/17(火) 15:07:44 ID:L6LAthWB
若い人には勉強してほしいなぁ

昔と違ってその気になれば桁違いの質量の情報が手に入り、
潰すべき課題だってよりどりみどりだ。

切り込みできる隙はある。
覚悟がないんだろうなぁ。
覚悟がないからやるべきことが見えないんだろうなぁ。

562 :名無しさん@3周年:2006/01/17(火) 15:16:53 ID:L6LAthWB
今になって思えば、
自分の師匠もそんな風に俺達の世代を見ていたかもしれん。

12因縁によるまでもなく、
人は生まれて、老いて、死ぬ。
いくらかでも先人の恩に報いたいものだ

563 :暇人:2006/01/17(火) 22:57:05 ID:V+YKk3fO
今から 思えば 大学は 宝の山だったですねぇ。
宝の山で昼寝してました 慙愧

564 :名無し原始仏教一年生さん:2006/01/19(木) 10:32:30 ID:a6CTAQat
わたくしは、瀬戸内寂聴さんの「生きる智慧・法句経を読む」を
読ませていただいております。原始仏教よりは少しのちのことば
なのでしょうか。古いお弟子さんのかたがたが、お聴き取りにな
られたなかでは、最古の部類とおうかがいいたしました。


565 :名無しさん@3周年:2006/01/19(木) 15:27:50 ID:zxzb9lwl
最近、スレに来る客層が変わったが、
どこでこのスレの事を聞いてくるのだろう。


御行儀よく書き込みをするなら傍流のこのスレでなく、
いきなり、本スレに書き込めば歓迎してくれるだろうに。

きなくさいなぁ

いっそ次スレで合流しますか

566 :名無しさん@3周年:2006/01/19(木) 20:55:09 ID:GBEKCtwv
おいおい本スレって断見仏教を説く佛大系の人たちのこと?

そりゃないだろ、こっちが正解。人格も見解も穏健だよ。

合流しないに一票!

567 :名無しさん@3周年:2006/01/19(木) 22:35:53 ID:xBfXZEzV
瀬戸内寂聴さんの「生きる智慧・法句経を読む」を拝読したことはございませ
んので、あれですけどれども
「法句経」は原始仏教の経典の中でも最古に属します

568 :名無しさん@3周年:2006/01/19(木) 22:37:43 ID:xBfXZEzV
向こうは罵倒スレッド

こっちは まったりスレッドということで

569 :名無しさん@3周年:2006/01/20(金) 14:27:15 ID:u+kfgvWI
そうそう邪見の上に一知半解で慢心して見解の異なるものを罵倒する、
いったい何のために仏教を学んでいるのか?

それに較べこちらはまったりしていて謙虚でいいです。

これからもまたーりとやってください。

きなくさいのは>>565 何政治してんの?

570 :名無しさん@3周年:2006/01/20(金) 19:06:51 ID:qzKki3ZC
質問!
龍樹は、「腐敗した小乗を批判して、釈尊の本来の思想に戻った」、と宗教入門に書いてありましたが、
文献学的にもそう言えるのでしょうか?

571 :名無しさん@3周年:2006/01/20(金) 19:19:41 ID:Q4GLBPTe
>>568 569
なるほどね、少し状況が分かってきた。

ここのromは輪廻転生について、
素人相手ならどちらの立場でも説くことができると思う。
相手に必要なら転生を説き、また必要なら転生を含まない輪廻を説く事ができる。
千日手になる分岐点を知っているし、何よりこの手は仏教が得意とする分野だから。

そこまではわかっていた。

ただそうなると単純な話題に絡みにくくなる。
深読みしすぎて軽い同意ができなくなる。

俺もそうだけど、568も569も新人固定にレスつけないでしょ。
「「こころ」といえばいくらでも引用きくけど、、、」
「「法句経」うちにもあるけど、、、だから何?」

痛いほど分かるけど、この状態をマタ〜りと言うのは無理があるんでないかい。

荒し系の名無しのカキコに2レスもついてるのに
まともな新人さんにはレスつけない。

チョット息苦しい

572 :名無しさん@3周年:2006/01/20(金) 19:46:22 ID:Q4GLBPTe
>570
手元に資料がないので具体名は出せないが
龍樹菩薩作の経典中に法有の立場をとる仏教徒を批判する箇所はあった。
暇人さんが来ればもっと詳しい情報がいただけると思う。

573 :名無しさん@3周年:2006/01/20(金) 20:20:22 ID:Q4GLBPTe
質問箱は荒れてるなぁ。
一ついえることは、自分が文献学に触れた時そこに一つの価値体系があるし、
修行すればしたでそこにも上下がある事。

まるっきり歴史を知らなくとも凄い人はいるし、
知らないことがないような人でも人格的に駄目な人がいる。

ただその人が目の前にいれば、
その人と比べて自分が知っているか、知っていないかがわかる。

574 :暇人:2006/01/21(土) 02:51:58 ID:/Z57Pel0
>>570
※『小乗』という語は世界仏教者会議で南伝から指摘があり 
 大乗側からの一方的なもので 不適切ものと聴いております。

部派が腐敗したので 本来の佛教に戻そうと竜樹が思ったのはそうかも
ですね。ただ客観的に釈尊=竜樹かといえば それはそれで難しい問題ですね


575 :暇人:2006/01/21(土) 02:54:37 ID:/Z57Pel0
その宗教入門書は かなり大乗側の視点から書かれていると
その記述からは予想されます。
※但し、日本仏教は竜樹は八宗の祖と言われ すべての宗派で大事にします



576 :名無しさん@3周年:2006/01/21(土) 12:03:46 ID:0oRDDWKM
龍樹は空を再解釈しましたが、初期のものとはちがうと考えた方がよいのでしょうか?
悟り観みたいなものも変質してしまったのでしょうか。
龍樹は転生を認めなかったという記述もどこかでみたことがありますが、これはほんとう?

577 :名無しさん@3周年:2006/01/21(土) 13:08:29 ID:DRFFAauJ
空は初期仏教から説かれてますが 空にとりわけ意味を見出し
教理的に強調したのは大乗の般若経典で 竜樹はこの立場です。

竜樹が「釈尊の本来の思想に戻った」と言える部分は 例えば
「中道」について原始教典は「一切が有る」「一切が無い」の
両者とも二つの極論と否定しますが
説一切有部などは「一切が有る」と主張しましたので それを竜樹は批判し
初期経典に忠実な姿勢に戻したとは言いうるかもです

578 :名無しさん@3周年:2006/01/21(土) 13:15:34 ID:0oRDDWKM
では、現在に伝わるりょうざ部にかんしては、批判しているといえないのですか?

579 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/01/21(土) 20:14:38 ID:1dKWyI7u
>>576
原始仏教スレで、龍樹の話はスレ違いのような気もしますが、とりあえず私にわかっている範囲で。

> 龍樹は空を再解釈しましたが、初期のものとはちがうと考えた方がよいのでしょうか?

佐倉哲エッセイ集
空の思想
--- ナーガールジュナの思想 ---
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku00.html
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku01.html
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku02.html
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku03.html

このコンテンツを見る限りでは、同じものと考えられます。


> 悟り観みたいなものも変質してしまったのでしょうか。
残念ながら、原始仏教の涅槃自体、私にはよくわかっていないので比べようがありません。

> 龍樹は転生を認めなかったという記述もどこかでみたことがありますが、これはほんとう?

大乗仏典 14 竜樹論集 (中公文庫)
六十頌如理論 瓜生津 隆真訳

の中に(p28)、

生存(輪廻)と涅槃とのこの両者は存在しない(から)。 [6ab]

との記述があります。
解釈によっては、「転生を認めなかった」とも取れますね。


580 :暇人:2006/01/22(日) 05:22:32 ID:023E8xrU
>>578
現代に残る上座部はスリランカ地方に伝承された『分別説』部ですので
直接は竜樹の批判対象ではないですね。
ただ「佛教は分別説だ」という彼らの主張を竜樹が聞いていたら、
批判していたかもと思いますね。

581 :太刀山型の土俵入り:2006/01/22(日) 05:51:50 ID:vKjuQPFA
お釈迦さんのように立派なチンポを持ちたい。
竜樹のように乱交したい。


582 :名無しさん@3周年:2006/01/22(日) 18:53:42 ID:vOksZYXd
>>580
>批判していたかもと思いますね。

龍樹の築いた初期大乗仏教は、上座部よりも原始仏教に忠実だということでしょうか?

583 :暇人:2006/01/22(日) 18:58:08 ID:023E8xrU
>>582
現存する南伝上座部は 古代仏教ではなく 現代仏教ですしね。
竜樹が近い部分もあれば 南伝が近い部分もあるのでは?
どこに着目するかで 色んな意見があるのかな、と。

584 :名無しさん@3周年:2006/01/22(日) 22:53:37 ID:vOksZYXd
>>579
読みました。
原始仏典でも空を縁起と捉えてよいというような結論だと思いますが、この方ご自身は専門の学者さんではないようです。
現在では専門の研究者でも同様な見解に落ち着いていると考えてもいいのでしょうか?

585 :暇人:2006/01/22(日) 23:01:34 ID:023E8xrU
>>584
この方は素人さんで 仏教学者ではありませんが
引用などで使用の訳や学者の書籍は きちんとしたものです。
かなりの高レベルの論稿だと思いますが
ところどころの解釈と結論部分に特殊な視点があると私は思います。

586 :名無しさん@3周年:2006/01/22(日) 23:03:28 ID:bztF+NP1
日本の仏教学者はほぼ宗派の僧侶だから、空=縁起の解釈、つまり大乗仏教の護教を行う。
竜樹は不可知論者だが、釈尊はそうじゃないんじゃないか。十二因縁だったとおもう。

587 :名無しさん@3周年:2006/01/22(日) 23:14:00 ID:vOksZYXd
>>585
要するに、初期仏教で「空=縁起」というのは早計かも知れない、ということでしょうか。

588 :暇人:2006/01/22(日) 23:16:31 ID:023E8xrU
初期仏教に空は説かれてますけども
「空=縁起」はOKかもだが
竜樹のように「空=縁起」を全面展開はしてない みたいな

589 :名無しさん@3周年:2006/01/22(日) 23:29:43 ID:bztF+NP1
要するに
釈尊説 宇宙には十二の基礎的な要素がある
竜樹説 縁起とは「彼あれば此れあり、彼なければ此れなし」*
あらゆることがあらゆることと関係があって、宇宙に基礎的な要素(有)はない
*この表現は初期仏教にありはする。それで大昔に日本で論争された。

590 :名無しさん@3周年:2006/01/22(日) 23:53:27 ID:vOksZYXd
>>588
縁起観を無尽縁起にまで拡大解釈させた礎に龍樹はなっているようですが、龍樹の時点の縁起は精神的なものに限定されていますか?


591 :暇人:2006/01/23(月) 00:08:24 ID:oPapIgiH
>>590
法界無尽縁起は、華厳教学の概念ではないでしょうか?
竜樹の縁起は 「八不」ではないでしょうか。

縁起は元々「現象には固定的な実体はなく 無数の原因や条件が関係しあって
成立している」という説ですので 精神的なものに限定されません

592 :名無しさん@3周年:2006/01/23(月) 00:59:02 ID:sgesohrQ
原始仏教に説かれる縁起にあっても、精神的なものに限定されていないということですね。
よくわかりました。
ありがとうございました。

593 :名無しさん@3周年:2006/01/23(月) 02:32:25 ID:CYxbSXey
竜樹説だと原子や素粒子なんてものはない。宇宙に基礎的な要素(有)はないんだから。
それは厳然としてある。お釈迦さんの十二要素説は竜樹よりはましということ。

594 :名無しさん@3周年:2006/01/23(月) 02:39:01 ID:CYxbSXey
「あらゆることがあらゆることと関係がある」
そんなわけないじゃん。ある事柄はある事柄と関係があるだけ。
竜樹はただの詭弁家。お釈迦さんのほうがまし。

595 :名無しさん@3周年:2006/01/23(月) 03:54:22 ID:sgesohrQ
涅槃を得ることが目的なら、素粒子なんて関係なくない?

596 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/01/23(月) 06:50:19 ID:BB4XZnT+
>>593 :名無しさん@3周年:2006/01/23(月) 02:32:25 ID:CYxbSXey
> 竜樹説だと原子や素粒子なんてものはない。宇宙に基礎的な要素(有)はないんだから。
> それは厳然としてある。

現代物理学において、原子は常住不変ではない。
E=mc2は、常住不変な有の否定といえないだろうか?


> お釈迦さんの十二要素説は竜樹よりはましということ。

十二要素説って、十二支縁起のことですか?


597 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/01/23(月) 12:10:47 ID:fBSwih41
>>593 :名無しさん@3周年:2006/01/23(月) 02:32:25 ID:CYxbSXey
> 竜樹説だと原子や素粒子なんてものはない。宇宙に基礎的な要素(有)はないんだから。
> それは厳然としてある。

仏陀自身、宇宙に基礎的な要素(有)を認めていないと思いますけど。
諸行無常なわけですから。

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_3.html
> 定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しない
> (相応部経典22:97、増谷文雄訳「爪にのせたる土」『仏教の根本聖典』、大蔵出版、84頁)


598 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/01/23(月) 16:44:39 ID:sqJeSN31
「空」に対してそんなに難しく考えてなくてもよいんじゃないですか。
たとえばタクシーの「空車」。タクシーはお客を乗せて、初めて機能す
るものです。タクシーの車体はあるけど、機能させるものがない、とい
うことで「空車」。あとは「空席」。座席がなくなるわけではなく、本
来の目的である座る人がいない、だから「空席」。

他には読み方が違うけど「空き家」、「空き箱」もそうだよね。

 これを理論的に解るようにきちんと説明は出来ないけど、感覚的に捉えるこ
とは出来ると思う。私はそれでかまわないと思っているけどね。

599 :名無しさん@3周年:2006/01/23(月) 18:24:10 ID:QZaDaZkH
邪推すると、
龍樹菩薩を踏台にして上座部叩きをしたいのかな?

それは五逆に引っかかりますねーぇ。
僧団の和合を乱すのイクナイ。
それって地獄行きよ。もし地獄があればの話。
それに法有の是非が問題になるのは人無我の後の段階。
人無我の定義すら出さずに法有について話てもむなしくなくない?

600 :名無しさん@3周年:2006/01/23(月) 18:38:03 ID:c+yDjslD
なぜ、こういう話になると
縁生偈・初転法輪、そして、「この私が縁起しているのだ」
という足許が忘れられちゃうんだろう・・w

601 :暇人:2006/01/24(火) 07:39:27 ID:NSoh0LHt
>>599
最初は無我だけだったのね。
「法有」と言い出した人らが 無我説と矛盾するじゃと言われて
「人無我」だから大丈夫と弁解したのね
竜樹はだから「法無我」だよと批判したのだよ。

人無我の定義などしている時点で 相手の土俵に乗っちゃうじゃん。
乗らなくていいのだよ

602 :名無しさん@3周年:2006/01/24(火) 12:26:40 ID:9aufimZH
600
ありがとう
初めは何をいまさらと思ったが、
その通り!!人生は永遠でない。
少しやる気がでたよ。

603 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/01/28(土) 22:09:13 ID:asC1mkWU
変な話だけど「新幹線」で何を思い浮かべる?
ひかり・こだま・九州新幹線のつばめ・中には富士山をバックに海沿いの線
路を走っている新幹線、長い鉄橋を渡っている新幹線、新幹線のホームの様
子を思い浮かべた人もいるかもしれない。

 なぜこんなことを言い出したかというと、「新幹線」に対する人の思いは
いろいろだ、ということ。それぞれの思いは違っていても、それはすべて正
しい。

 龍樹の空に対する考え方は、人それぞれ違うんだよ。そしてそれぞれが、
すべて正しい。私みたいに龍樹の空に対して新幹線を持ち出したら間違いだ
けどね。

604 :太刀山型の土俵入り:2006/01/29(日) 07:57:41 ID:eh3+sYp4
熊の噛み後には、薬を塗った陽物で治療するのが仏教式治療法。

605 :名無しさん@3周年:2006/02/01(水) 02:33:53 ID:KODdeGsZ
書籍:『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』を無料で差上げます。読むだけで確実に運勢は変わります。宗教の勧誘ではありません。ご希望の方はメール下さい。

606 :名無しさん@3周年:2006/02/01(水) 03:03:06 ID:OjaKkjoP
いらない。

607 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/02/01(水) 09:46:04 ID:shXKx0kE
>>日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ

これって、「日蓮が生まれる前に日本はすでに滅んでいる」ってことですね。
日蓮が生まれる前は、日蓮の言うことを聞く人は誰もいなかったのですから。



608 :名無しさん@3周年:2006/02/01(水) 20:18:24 ID:rr209Co9
日蓮は悪魔。日蓮が出てきたので、蒙古が攻めてきたのだ。日蓮が出てきたんで
地震が多発したんだ。

609 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/02/02(木) 04:04:19 ID:u1mAOH1u
創価学会と対立している顕正会会長の淺井昭衛氏が書いた本だろう。
人に恐怖心を起こさせて思い通りにしようと考えること自体が悪徳商法と同じだよな。

 原始仏教では、誰も自分を救ってくれないのさ。たとえ日蓮デモね。
わたくしを助けることが出来るのは、わたくしだけ。お釈迦様はその方法を教えてくれた。


610 :名無しさん@3周年:2006/02/02(木) 16:05:40 ID:xKk/3qkD
教えてくれた方法で悟りを得ましたか?

611 :名無しさん@3周年:2006/02/03(金) 01:47:10 ID:cXoxQcZK
527 名前:お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 投稿日:04/04/19 16:54 ID:2zior3Ek
>>524
「空」を完全に理解しているわけではないよ。ただ言葉に頼らない思考方法が出来るようになっただけだよ。

612 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/02/03(金) 04:34:18 ID:8sqbsROJ
>>610さんへ
 悟りを開いたかどうかは解らないけど、自分というフィルターを通して
ものを見ていたことには気がついたね。時々フィルターをはずすけど、この
状態で日常生活は無理だね。

613 :名無しさん@3周年:2006/02/03(金) 16:59:49 ID:e0/cAcA5
610は、 問う者 としての投稿者です。あしからず


言葉に頼らない思考方法が出来るようになったのなら、

思考を伴わない理解に至ったらどうでしょうか? 



614 :名無しさん@3周年:2006/02/04(土) 02:42:32 ID:/Okat8C2
14 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 2006/01/30(月) 13:58:25 ID:RrJzzyRv
おいおいw
原始仏教はセックス絶対禁止、全員が出家したらその国は滅ぶという恐ろしい宗教だぞw

こんなこと言われたけど、反論できんかったorz
だれか助けてくり。

615 :暇人:2006/02/04(土) 04:10:34 ID:fjo9WE70
>>614

釈尊のように 子供を作ってから 出家したら 滅びないけどね

616 :名無しさん@3周年:2006/02/04(土) 09:19:45 ID:W4wsOshe
出家するのは家族の余剰人員。むしろ仏教やカトリック教などで出家するのは有産階級の
次男、三男の生計の手段だった。

617 :名無しさん@3周年:2006/02/04(土) 15:14:57 ID:UJjoctm/
熟年出家、定年出家なんかも、いいですね

618 :1/2:2006/02/04(土) 15:52:50 ID:Sygx4n9S
>>614
Date :2005/10/24 16:56:43
Subject:現代の阿含経は私達にとって必須なのであろうか?
URL :http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1125221436/

>>103
教義的にも文化的にも結構面白い問題のひとつなんだけどねw

ただ、釈尊の許出家したいと願ったバラモンに対し
「あなたには養うべき家族があり、また、為さねばならない仕事があるのだから(今は)よしなさい」と押し止め、
彼はその後(おそらく何年もあとだろうが)、身辺整理をして家督を後進に譲り、出家した。
というエピソードがあったように思う。

    ───────────────

全員が出家する必要はないw
一つには、イヤラシイ言い方だが施す者(あるいはパトロン)がいなくなる。
社会は、たったひとつの職種で成り立っているわけではない。

一つには、その苦悩が、当人にとってどれほどの深刻さであるか?
 →と゚のレベルまでの救い(解放)を求めているのか?
 →出家する必要性がどれくらいあるか? は、人それぞれ。

619 :2/2:2006/02/04(土) 15:53:57 ID:Sygx4n9S
参:
|†| キリスト教@質問箱141 |†|
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1132116793/
 →888辺りから。特に895

|†| キリスト教@質問箱142 |†|
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1133763611/
 →特に16、特に380、406、413、特に421、433、特に466

キリスト教徒が追い詰められるための「質問箱」
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1133522966/ →
 →Aさんのレスを中心に。特に260、254と261、314、493と508

620 :+1 w:2006/02/04(土) 15:55:03 ID:Sygx4n9S
スレ142の895だけコピペしとくw
895 (−−) sage 2005/12/02(金) 20:08:43 ID:oRvUlfs4
私が書き込んだ答では、満足できないでしょうか。
>>873です。
この中で、あなたが求めておられるのは、3)の、普遍救済説です。
しかし、これは聖書的ではないと判断されますので、異端扱いされてしまうのです。

そこで、その上にある1)と2)なのですが、どちらもキリストを信じる信仰を要求しています。

それで、私はあなたに聞いたのですよ。
あなたは、主イエスに救われることを求めておられるのですか、と。
求めているのなら、主イエスを信じてください。
求めていないのなら、信じる必要はない、と思います。

つまりですね、主イエスを信じようとしない人には、
主イエスが差し出される救いは、何の意味もなく、必要もない、と言うことなのです。

そこで、主イエスが差し出される救いとは何か、と言う問いになるわけですが、
それは一言で言うと、「罪からの救い」です。

これは、ただ単に、「悪いことをした事から救われる」と言うことではありません。
原罪というものを知る必要があるのです。

ここまでのところは、理解できましたか?

621 :暇人:2006/02/04(土) 17:04:56 ID:vrzeSAWX
>>618-620

618はともかく 後は意味不明だよ

622 :名無しさん@3周年:2006/02/04(土) 18:35:32 ID:Sygx4n9S
>>621
あなたがそう言うとは思いませんでしたよw
本気で意味不明だと思ってんの?

623 :暇人:2006/02/04(土) 20:55:59 ID:vrzeSAWX
原始仏教のスレッドなのだが。。。
キリスト教は スレ違いでは?

624 :名無しさん@3周年:2006/02/04(土) 21:36:50 ID:Sygx4n9S
>>623

>あなたは、主イエスに救われることを求めておられるのですか、と。
>求めているのなら、主イエスを信じてください。
>求めていないのなら、信じる必要はない、と思います。
>
>つまりですね、主イエスを信じようとしない人には、
>主イエスが差し出される救いは、何の意味もなく、必要もない、と言うことなのです。

これを少し改変してみましょうか?

全ての人々は、(原始)仏教に救われることを求めているのだろうか・・。
(≒釈尊と同じ涅槃を求めているのだろうか・・)
求めているのなら、全ての人々が(原始)仏教に染まるべきだろう。
(≒全ての人々が出家すべきだろう)
求めていないのなら、出家する必要はない、と思います。

つまりですね、(出家して負債のない生活を切望するならともかく)
それほどでもない人、あるいは(原始)仏教以外に安心の支えがある人には、
釈尊の涅槃は、[何の意味もなく、→×w]必要もない、と言うことなのです。

あなたもあの場に居たのでは?
私はあの流れで、すぐに上の変換をしてしまいました(^^;
梵天勧請にも絡む、仏教の布教について・・・。

ただこれだけは言える。釈尊は決して、人類全ての出家を推奨してはいない、と。 >>614

625 :名無しさん@3周年:2006/02/05(日) 01:40:09 ID:4LyepEjh
>>623
>>624では不満ですか?w

おやすみ〜 ノシ

626 :名無しさん@3周年:2006/02/06(月) 01:51:21 ID:8wMm8NC4
>>624
>ただこれだけは言える。釈尊は決して、人類全ての出家を推奨してはいない、と。

なぜ?

627 :( ´,_ゝ`):2006/02/06(月) 01:53:56 ID:ZSE9RA7P
経済生活営めない。

628 :ベロ ◆eOod7XM/js :2006/02/06(月) 02:14:22 ID:kwKxBA+u
そもそも釈尊は人類全員の出家や救済など考えてもいない。
聞く耳のある者に教えを説けば、その者が邪法に惑わず涅槃を得る
可能性もあると思って説いたに過ぎません。
聞く耳を持たない者に説法したり出家を勧めたりしてませんよ。

629 :624:2006/02/06(月) 03:10:28 ID:MTQGmxlC
>>628

簡汲ネフォロー d w

630 :名無しさん@3周年:2006/02/06(月) 03:24:19 ID:94h78w28
出家は今の公務員のようなもの。社会福祉。決して民間の倍の待遇とかではなかったし、
福祉を与える側が政府であった。今は福祉を受ける側が政府。仏教の害毒か。別の原因か?

631 :暇人:2006/02/08(水) 06:53:16 ID:azkmJsYH
西方のなんたら国は他宗が強力で 仏教徒が入ると危険なので
行くなよ、と釈尊が現役の頃 立ち入り禁止を述べていたが
釈尊の死後、その西方に伝道され教線は伸び、仏教は根付いたりしたな

632 :太刀山型の土俵入り:2006/02/08(水) 08:27:19 ID:gZ7uMqa+
ああ女が入団してしまうと!これで私の法も500年後には存在すまい!


633 :アポリア:2006/02/09(木) 12:58:44 ID:cKxtN94u
皆さんにお聞きしたいことがあります。
釈尊の思考の柱には、輪廻及び生老病死があると思いますが、
@釈迦は輪廻を自明・アプリオリなものと受け止めていたのか、
それとも徹底的な思索の上に輪廻の実在を確信したのか
A不幸な幼年期を送った方々以外は、幼少時、生を楽しんでいることや、
死を目前にした高齢者は死を恐れない。ということから考えますと、
生を苦と見るか楽と見るかはその人の年齢によるのでは?
また、瞬間・瞬間の生新鮮なものとしてを喜びと感じる人もいますよね。
さらに、老いた自分を楽しむ人もいるし(老いた自分が楽しみだと語った
Dボウイのような人もいます)、死を目前にした高齢者は死を恐れない。
こういったことは同解釈すればいいのでしょうか?
蛇足:クリシュナムルティについて、皆さんのような仏教者は、
どうお考えになっているのでしょうか?

634 :名無しさん@3周年:2006/02/09(木) 14:03:54 ID:vOmv3gSy
@輪廻転生は自明なこととして今日のインドでも考えられています。
ただし六師(釈尊当時の新思想)の一人アジタ・ケーサカンバリンは無輪廻を唱え、
仏教の経典の中でその説を紹介するとともに批判していますから、原始仏教では
ある程度の考察を経て輪廻転生を肯定したのでしょう。
A輪廻転生を認めると、来世に現在の身分から転落する怖れが生じ、最終的には
解脱を求めるようです。インド思想の歴史がぜんぶそうですから。

635 :暇人:2006/02/10(金) 00:55:06 ID:yOPzttc5
>>633
アポリアさん はじまして よろしく
@釈尊の時代 輪廻は時代常識でしたので 釈尊はそれを前提して
説法してたのではと思います。
少なくとも現存する経典からすると そうなります。
ただ本音部分(さとり)で 輪廻を肯定していたかというと疑問です。

A釈尊の実母は釈尊出産後すぐ亡くなりました。
釈尊の生は、母の死とイコールだったのですね
継母になった母の妹は 釈尊を存分に可愛がったみたいですが、
釈尊は内向的な思索好きな幼少・青年期をすごしたのではと
推測されています。

636 :アポリア:2006/02/10(金) 07:31:44 ID:+UKf39j+
>>634,>>635
ご回答ありがとうございます。
私は、どうすれば現代社会に非アーリア系の出自の釈尊の悟りを
活かすことが出来るかと思い、ROMしておりました。
現在、原始仏教、クリシュナムルティ、原始神道、また、丸山真男
などの哲学方面も時間があるときに少しづつ勉強している身です。
中学生のリスカ、デートDVなど
今の日本には暴力の嵐が吹き荒れています。
さらに大きな暴力の前兆かもしれません。
人生の本質は苦なのかなあ。
輪廻は納得出来ない。(身【現在の私】に覚えのないものに左右される
なんて)などと考えています。
これからも、門外漢としてカキコさせていただきますので、よろしくです。

637 :暇人:2006/02/11(土) 00:58:26 ID:4qMGVRqx
>>636

釈尊が非アーリア系って 誰の説?

638 :名無しさん@3周年:2006/02/11(土) 01:49:25 ID:68NTYimd
アポリアさん、徹底的な思索の上に輪廻の実在ではなく、輪廻の縁起を確信し、
宿命通といわれる過去世を直接知覚する神通により体感されたと思われます。

その根拠についてはこちら:
http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation.html
http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation2.html
http://hpmboard1.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=UII24880

丸山真男と輪廻解釈についてはこちら:
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2577/1049007036/70-74

暴力が苦をもたらすのが、順観の縁起。その苦を鎮めるために殺さない、非暴力を行うのが逆観の縁起だと思います。

論理的には石飛道子さんの『ブッダ論理学』、実践的には『ブッダのことば』『真理のことば』
金倉円照『悟りへの道』中村元『論書・他』の菩提行経 ダライラマ『愛と非暴力』『来日講演集』
の中から適当に興味のあるものを読まれてはいかがでしょうか?

慈悲の実践や、修習・誓願は暴力を鎮める逆観の縁起になる思います。

639 :アポリア:2006/02/11(土) 11:26:27 ID:FvWZ2FzQ
>>638
リンクありがとうございます。大変参考になりました。『ブッダ論理学』
探してみます。
>>637
説は2分されていると思いますが、希望を込めて、非アーリア系です。

640 :名無しさん@3周年:2006/02/11(土) 18:53:06 ID:lKM7TuXo

http://www.hannya.net/index.htm

↑アートマンを本当に確認できます。(般若宗)

641 :名無しさん@3周年:2006/02/11(土) 18:53:30 ID:fU41NM2U
死を目前にした高齢者は死を恐れない・・・
これって臨終間際ってことでしょうか?
実は、2例ほど経験があるんですが、わりと親しくしていたお年寄りの方が
『昔あなたに○○をあげたから、今度はわたしに何かおくれ』
とうようなことをいうわけです。ミョーだと思いながら贈り物をして喜んで
いただいたのですが、1年もしないうちに2人とも亡くなられました。
死が近いということがなんとなくわかるんじゃないかな。
そして、死は避けられない という現実を悟って受け入れるんじゃないかな。

642 :624=素人 w:2006/02/11(土) 19:40:01 ID:qoPY7yhT
>>624-625はスルーですか・・w  >>暇人さん

こちらは、本スレのような制限はないと思ってたんですがね・・(^^;
ネタフリのつもりもあったし・・・

極端な言い方にしましょう。
「出家(者)のない布教は有り得るのか?」(今の日本仏教は在家仏教そのものではありますが・・・w)
「仏教の布教は、出家のみを薦めるものなのか?
そうでないならば、仏教の存続は如何なる形でなされるべきものなのか?」
「今後将来、仏教の存続は如何なる形でなされてゆくのだろうか?
  →国会図書館等のデータベースに残っていればそれで良し?」

教義一辺倒の本スレでは見向きもされない内容ですけどね・・・w

643 :名無しさん@3周年:2006/02/11(土) 20:12:54 ID:Xi3CzuCw
極端な言い方すると残す価値はない。

644 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/02/12(日) 03:38:43 ID:hc28uIL5
>>642 :624=素人 w:2006/02/11(土) 19:40:01 ID:qoPY7yhT
> 「出家(者)のない布教は有り得るのか?」(今の日本仏教は在家仏教そのものではありますが・・・w)
原始仏教の想定外w

「仏教の布教は、出家のみを薦めるものなのか?
そうでないならば、仏教の存続は如何なる形でなされるべきものなのか?」
原始仏教では、両方あったのではないでしょうか?
スッタニパータ ダンミカでは、出家の道を説くと同時に在家者の道も説いています。

「今後将来、仏教の存続は如何なる形でなされてゆくのだろうか?
  →国会図書館等のデータベースに残っていればそれで良し?」
原始仏教の想定外

原始仏教の想定内の話をすれば、ブッダ最後の旅の冒頭で、7つの「衰亡の来たさざる法」が説かれています。


645 :暇人:2006/02/12(日) 12:18:11 ID:EWKjyUTE
>>642

いや談話室だから 世間話でいいのだと思いますよ ここは
ネタフリとのことですが、うむぅ。。。

原始仏教を生きる人の背中が そのまま「布教」になっているというのが
理想ですね


646 :624=素人 w:2006/02/12(日) 15:10:50 ID:afyqbW3C
>>645
さらっと言ってのけるねぇ・・・w
ま、その通りなんだけど・・(^^;

>>644
あなたは本スレ向きの人だね・・w

647 :名無しさん@3周年:2006/02/19(日) 18:08:54 ID:O6jWjQ29
>>644
出家してないと維持できない涅槃なら現代では価値ないでしょ。

釈迦が悟りを得た後、仮に王宮の生活に戻ったら
涅槃は消えてしまっただろうか?

648 :Used ◆zpe.19X8.. :2006/02/20(月) 03:06:11 ID:EP11o8nB
暇人さん
こちらのスレに相応しい質問かどうかわかりませんが、『キリスト教@談話室』で
暇人さんがお書きになった、「最初の四十年には仮の教え」、「最後八年で真実
の教え」という表現について、「仮」と「真実」とは具体的にはどのような意味合い、
内容として述べられているのかが理解できないのです。仏法の内容として、「仮」、
という事ではないような気がするのですが、残念ながらそれ以上想像できません。
よろしくお願いいたします。

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1140354977/257
>257 名前:暇人 投稿日:2006/02/20(月) 02:19:43 ID:mYzKp9j6
>B大乗には仮の大乗とホンモノの大乗がある。ホンモノは法華だよ
>釈尊は最初の四十年には仮の教えを、最後八年で真実の教えを説いたからさ

649 :暇人:2006/02/20(月) 08:02:29 ID:6B6s77Iw
>>648
この箇所は「権実相対」と言います
(五重の相対は後代の日蓮さん門下が日蓮教学を纏めたもの)
「仮」と「真実」は、この「権大乗」と「実大乗」を
私なりに翻訳したものです

日蓮さんは天台教学をベースにして
殊に「無量義経」の「四十年未顕真実」に依拠します。
天台の教相判釈は、諸経ょ五時に配置し
法華・涅槃時は、釈尊の晩年の八年と説明します。
法華・涅槃時以前がいまだ真実(=法華・涅槃)を説かず
真実を聞かせて驚かないように基礎的な教えを説いた40年間と
されます。
真実の法華が説かれた以上 権大乗諸経典の役目は終っておるという意味で
「仮の教え」という意味です


650 :Used ◆zpe.19X8.. :2006/02/20(月) 14:46:55 ID:EP11o8nB
>>649 暇人さん
早速ご回答いただき、ありがとうございました。
教えていただいた「天台教学」「権実相対」「五重の相対」等の言葉で探して、
いくつかのサイトを読んでみましたが、お蔭様で「仮」「真実」の意味が見えて
きました。また『阿含経典』が当初から注目されていた教典ではなかったとい
うどこかで読んだことのある記憶とも結びつきました。
お経という素材に多くの人が取り組んで、結果として幾つもの宗派が生まれ、
総体としての仏教が形作られてきた連綿とした手探りの歴史も感じます。

651 :名無しさん@3周年:2006/02/20(月) 15:14:57 ID:qvDb5vh4
115 名前:暇人 投稿日:2006/02/20(月) 00:04 ID:vsy3kcAl
>第一大乗非仏説は今や常識

んなことないよ 
大乗が非仏と同じ論理で原始仏典も非仏って論証できるよ
んなことは既に 世親が釈規論でしているのだが
現代の非仏論にも応用可


652 :名無しさん@3周年:2006/02/20(月) 18:10:57 ID:VgskVeq0
>法華・涅槃時は、釈尊の晩年の八年と説明します。
法華・涅槃時以前がいまだ真実(=法華・涅槃)を説かず
真実を聞かせて驚かないように基礎的な教えを説いた40年間と
されます。

 釈尊が40年間真実を説かず40年たって始めて真実を説いたなんて、ばかげた人間理解だと思う。
普通の人には1日ででも真実を説けたと考えるのが常識又は普通。
 いきなり真実である空諦を説いてもそれは理解を得る事は無理、その理解を得る為に、
道理「縁起:中諦、因果)等を説いた又はその必要があったと考えるのが常識:普通。

653 :624=素人 w:2006/02/20(月) 18:23:12 ID:4nLqxFIe
>>652
頭の堅いヤシだなwww
当時の日蓮さんの教相判釈がそうだったってだけだろw
むやみやたらと噛み付いてんじゃねーよwwwww
なぜ日蓮さんがそう判断したか? に想いを馳せるのもまた一興では?

654 :名無しさん@3周年:2006/02/20(月) 18:24:27 ID:4nLqxFIe
ぐはっ!
名前欄・・・ orz

655 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/02/20(月) 18:44:56 ID:m8mkuzFR
>>647 :名無しさん@3周年:2006/02/19(日) 18:08:54 ID:O6jWjQ29
> >>644
> 出家してないと維持できない涅槃なら現代では価値ないでしょ。

まあ、無所有->無執着->煩悩・苦の滅->涅槃 というのは、現代人の価値観とは相容れませんね。


> 釈迦が悟りを得た後、仮に王宮の生活に戻ったら
> 涅槃は消えてしまっただろうか?

というより、涅槃を得た人間が、還俗するのは不可能だと思われます。
世俗的な価値に、何の価値も見出せなくなっているのだから。


だから私も、別に仏教徒と言うわけではなく、
原始仏教の教えのいいとこ取りと、
知的興味を満たすためにこのスレにいるわけです。


656 :Used ◆zpe.19X8.. :2006/02/20(月) 18:50:34 ID:EP11o8nB
>>652
>  釈尊が40年間真実を説かず40年たって始めて真実を説いたなんて、ばかげた人間理解だと思う。
> 普通の人には1日ででも真実を説けたと考えるのが常識又は普通。
ある意味、その通りなのではないでしょうか。
ただ、>>649で暇人さんに教えていただいて、私がネットで調べてみた限りの理解では、
『40年たって始めて真実を説いた』というのは、次のような歴史的な背景や事情を言い
表わしたものなのではないでしょうか。
http://www.geocities.jp/zen9you/pada/roots6.htm
> 「五時八教」と言われるこの教判は、お釈迦様の説法した時期を五つに分け、それぞれの時期で内容に変化があったとして翻訳された経典を分別し、最後の時期に説いた教えである法華経と涅槃経こそがお釈迦様の本当に述べたかった教えであると位置づけました。

> そして、法華経こそがすべてのものが成仏するという悉皆成仏の理想の教えを説いているとして、それまでの他の経典は仮の教えに過ぎないと規定してしまいました。

> これまでに述べてきたようなインドからの仏教史を理解している人にはその誤りがすぐに気づかれるものですが、このことは当時経典が五月雨的に入ってきたがために、それぞれの経典がいつ頃つくられたものかまったく知られていなかった事実をあらわしています。
> そうした当時の事情から生じた誤りとはいえ、この五時八教の教判はその後の中国仏教、また日本仏教の行方に多大な影響を与えるものとなりました。

657 :名無しさん@3周年:2006/02/20(月) 19:50:40 ID:VgskVeq0
涅槃経は阿含経に逆戻りしています。涅槃経で中道八正道が説かれ、
その根拠として空諦が説かれているのです。

658 :Used ◆zpe.19X8.. :2006/02/20(月) 20:04:45 ID:EP11o8nB
>>657
もし私へのレスでしたら、今のところ>>656に書いた
程度のことしかわかりません。失礼しました。


659 :名無しさん@3周年:2006/02/20(月) 20:09:05 ID:TxhrDM6v
>>655 涅槃を得た人間が、還俗するのは不可能だと思われます。

ゾクチェンパとか在家密教徒とかはナンセンス?

660 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/02/20(月) 20:35:14 ID:m8mkuzFR
>>659 :名無しさん@3周年:2006/02/20(月) 20:09:05 ID:TxhrDM6v

> ゾクチェンパとか在家密教徒とかはナンセンス?

すみません。
不勉強なため、「ゾクチェンパとか在家密教徒とか」が何を意味するのかわかりません。

私が思っていることは、
(1)「衣食住への執着」なくして「在家の生活」はありえない。
(2)「衣食住への執着」と「涅槃の境地」は、相容れない。
(3)「涅槃の境地」を得たものが、「涅槃の境地」を捨て去る動機が私には思いつけない。
ということです。

仮に「涅槃の境地」を捨て去る動機が存在すれば、
> 釈迦が悟りを得た後、仮に王宮の生活に戻ったら
> 涅槃は消えてしまっただろうか?
yes。涅槃は消えるでしょう。


661 :名無しさん@3周年:2006/02/21(火) 02:00:00 ID:a4yRZgK/
釋軌論ね

662 :暇人:2006/02/24(金) 07:27:56 ID:q4Eint40
誤字訂正さんくす

663 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/01(水) 01:56:59 ID:uD2JsDdM
これはかの有名な白隠和尚のことばです。
このように悟りというのは、「得た」と思うとすぐ消えるのです。
あとに残るのは、そのときの強烈な感覚が思い出として残るだけです。
なぜ、無宗ださんは諸行無常と説かれているのに涅槃の境地だけは、常
住不変だと考えてしまったのだろう。

664 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/01(水) 02:00:35 ID:uD2JsDdM
白隠和尚のことばが抜けていた。ごめん。
>>663の文の最初に次のことばを入れておいてください。

「大悟十八度、小悟数を知らず」

665 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/02(木) 00:13:50 ID:hkxvdOVu
>>663
佛教の基本。

一切行無常。

一切法無我。

一切皆苦。

そして、涅槃静寂。

つまり、

一切のものは、永遠普遍のものは何もなく、無常である。

一切のものは、、アートマンのような実体はない。また、我が物はなし。それは自我とて同じ。

一切は、皆苦である。

涅槃、ニルヴァーナとは、一切の苦から解放された境地である。

さて、釈迦は、一切とはどこの事を言っているのか、わかるかい?なんてな。

666 :名無しさん@3周年:2006/03/02(木) 00:31:37 ID:FBPvpc/g
282 名前: 蘇った、お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 投稿日: 05/02/03 00:00:44 ID:u5oRuXD2
>>281さんへ
仏陀の教えは、1つのことに執着することが迷いの基だ、と言うことです。
ですからあらゆる立場について執着しないと言うことは、全ての立場ついて否定するという意味になります。自分の気に入らないから否定しているわけではありません。

667 :名無しさん@3周年:2006/03/02(木) 00:46:43 ID:MyK0RRtA
今日、うちに「野の花会」って所で働いてる人が来ました。
なんか恵まれない人への募金とか言ってました。
 最初に「こんにちは、野の花会の田中って言います。僕は
岡山の大学に通いながらボランティア活動をしているのです。
施設で子ども達が一生懸命、袋に詰めたこのフキンを募金料
込みで2000円でお願いします」と言って、クリーンネス
なる物を勧めて来ました。クリーンネスとはなんかテカテカ
した雑巾みたいな物で、三枚入りでした。原価は100円以下っ
て所ですかね。職業柄、そんな事を考えながらも「震災も多
いし、余裕が無い訳じゃないからいいかな?」と思い、2000
円寄付させて頂きました。買う時の会話⇒「コレ何ですか?」
って聞いたら、「レンジの間とかを拭くと綺麗になるフキンで
す。洗うと何度でも使えます」って言って、そのあと、三本指
を出して「3枚入って2000円です(^^)v」って感じで凄くニ
コニコしまくっていました。寒かったので、その子は鼻水を垂ら
しながら説明していました。変な会報を貰ったのですが、なんか
誰でも作れそうな偽善者っぽい活動ばかりが載った冊子になって
いました。田中君のあまりにもワザとらしい笑顔が気になり、
YAHOOで検索したら「野の花会」=「統一教会」てのが分かり
ました。
見たい人はhttp://を付けなされ。
www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/index.htm
www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/houmon.htm
www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/houmon/tolkmanu.htm
www.asahi-net.or.jp/~AM6K-KZHR/form4001-.htm
that3.2ch.net/test/read.cgi/bouhan/1090294753/l50



668 :名無しさん@3周年:2006/03/02(木) 12:19:28 ID:B9tCXUbH
ヤフオクで、こんなの見つけたど
http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b65328672

669 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/03(金) 16:13:47 ID:Damau+m4
>>664
> 「大悟十八度、小悟数を知らず」

↑これって、↓これと似てませんか?

禁煙なんて簡単だ。
私は今までに百回以上も禁煙をしている。

…マーク・トゥウェイン

670 :名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 00:16:43 ID:qpaRB5mL
仏教では、「欲望」は肯定されているのでしょうか?
どういう扱いになっているのでしょう。

671 :名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 00:47:58 ID:Dd09ng0W
>>669
似てない

>>670
苦の源。滅却の対象。

672 :暇人:2006/03/04(土) 01:38:03 ID:g5uUDGLX
似ているほうに一票

673 :名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 01:54:41 ID:rag4okhM
欲望(煩悩)が滅却する対象であるのはいわゆる小乗の仏教。大乗では変性するという考え
(転)か、そのままに菩提であるという考え(即)のどちらか。根本仏教ではやはり、滅却する
対象といちおうはいえるが、いわゆる小乗とまったく同じかといえば、異論があり得るだろう。

674 :暇人:2006/03/04(土) 02:09:27 ID:g5uUDGLX
滅却は大乗からかも

部派は、コントロールでは?

675 :名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 02:24:10 ID:rag4okhM
苦・集・滅・道。滅と同じくいうが、断、転、即の違いがある。大乗で断というのはどういう思想?

676 :名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 02:28:29 ID:UmbJDPhD
>>640
アートマンを否定するのがそもそもの般若経典じゃ・・・

677 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/04(土) 12:14:04 ID:YY5b1YYd
>>663 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/01(水) 01:56:59 ID:uD2JsDdM
> このように悟りというのは、「得た」と思うとすぐ消えるのです。
解脱とは、三明を得て煩悩を滅尽し、自分は悟ったという智恵を得ること。
だと私は理解しています。
(解脱=涅槃の境地を得ること)

煩悩を一旦滅尽しても、再び煩悩を持つようになると主張されるのですか?


678 :670:2006/03/04(土) 17:59:36 ID:gSkFgaad
>>671
ありがとうございました。

>>673
ありがとうございました。
変性とはどういう意味でしょうか?

679 :名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 19:17:06 ID:T1RqBgwa
>>678
縄を蛇と見誤れば、恐怖によりさまざまに錯乱が起こるが、麻に過ぎないと知れば、
妄想は静まる。そのように、認識作用それ自体は無記(中立)であるから、煩悩を
菩提に転換可能である、とする唯識の思想です。転依(てんね 梵語 パリナーマ)
といいます。

680 :名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 20:53:05 ID:jCzCXrce
原始仏教から密教まで・・・

http://miyashita1.hp.infoseek.co.jp/qqq/hakusan.htmより一部引用

「事事無碍円満」とは「華厳経」に説かれ、あらゆる存在は相互に一身でありな
がら同時に宇宙全体(海印三昧)であるということを悟ることを示しています。
特に「入法界観」と呼ぶこともあり、すなわち釈迦は瞑想によって自分が「在り
とし在らゆるもの」(絶待妙法身)であることを悟ったのです。すなわち一切衆
生は悉く釈迦如来の普遍的な意識に包含されていると言う事です。

681 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/08(水) 10:49:32 ID:S5f1DewF
>>677

>煩悩を一旦滅尽しても、再び煩悩を持つようになると主張されるのですか?

煩悩とはどのようなものか体得できた、と言うことではないかな。
病気になったとき、原因や治療法が解らないと苦しむばかりだけど、それが解っ
ていれば治療できる。

初期仏教だと預流果、一来果、不還果、阿羅漢果と悟る度に1つづ進み4段階に
分けています。阿羅漢果まで行くと、俗世間の暮らしが煩わしくなるので出家
生活しかない状態になるらしいです。←そこまで悟っていないのでここは想像です。



682 :名無しさん@3周年:2006/03/08(水) 11:41:45 ID:cLTSZAH9
原始仏教を本当に実践しようとしたら俗世間じゃ暮らしていけないわな。

683 :名無しさん@3周年:2006/03/08(水) 12:38:22 ID:/nS4daf6
>>←そこまで悟っていないのでここは想像です。

そんじゃ、どこまで悟ってるの?

684 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/08(水) 23:28:31 ID:egCOJJhg
>>681 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/08(水) 10:49:32 ID:S5f1DewF

あのー、結局、>>663-664 では、何をいいたかったの?
あなたは、悟りと涅槃の境地の関係をどのようにイメージしているのでしょうか?


685 :名無しさん@3周年:2006/03/08(水) 23:37:13 ID:yTzlCf6W
>>684
ファイルで言えば、(変更があってもなくても)更新し続ける。
てことでそ(´∀`)b

686 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/09(木) 03:38:16 ID:Ik1sru65
>>684 無宗ださんへ
>悟りと涅槃の境地の関係をどのようにイメージしているのでしょうか?

 イメージも自己の脳内で発生する煩悩の一種だと捉えています。
悟りとは一種の感覚であると言えるのではないでしょうか。自転車を考えてみてください。
理屈で考えると、あれはどう見ても倒れますよね。でもうまくバランスをとれる感覚を身に
つけると、倒れないで乗り回せるようになります。このうまくバランスをとる感覚を、説明
しようとしても難しいと思います。

 色々教典を読んだり、解説書を読んだり、座禅や瞑想などをして実際に悟りの境地を体験
し、そのときの感覚を積み重ねれば、涅槃の境地に達するのではないでしょうか。

 身・口・意ではないですが、自分の考えや言葉、行動で世の中がどう変わるか注意深く観
察すれば解るようになると思います。

 私事になりますが、世の中はあたりまえのことが、あたりまえに起こっていると感じてます。

687 :名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 03:46:01 ID:5TzudmQI
お邪魔しますは、創価板で創価とアンチを問わずコテや名無しに完膚無きまでに叩きのめされて
こっちに移ってきたわけで、むこうでも「バカ」だの「アホ」だの「レベルが低い」だの、
さんざんに言われてたな。
たいしたことないのに教えてやってるみたいな態度はなんとかならんのか?

688 :名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 07:47:05 ID:JCibM1Hs
>>674
> 部派は、コントロールでは?
言うこと一貫性がないのでは?

689 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/09(木) 12:09:14 ID:L4yhEcr1
>>686 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/09(木) 03:38:16 ID:Ik1sru65
> 悟りとは一種の感覚であると言えるのではないでしょうか。自転車を考えてみてください。

自転車って、ちゃんと乗れるようになれば、一生もんですよね?
自分はもう安定して自転車に乗ることができるというその確信が、悟ったと言う智恵だと私は考えます。

最初は、安定せずにすぐころぶ。
その内、数十メートルなら、なんとかころばずに乗れるようになる。
たとえば、グランドの端から端まで18回乗れたとしよう。

それをもって、
「僕は自転車に18回乗れた。すぐころんだけど、1メーターくらい進むだけなら数知れず乗れたよ。」
などと自慢したら、
「馬鹿か?貴様は?」
と私ならいいたくなります。


690 :名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 16:51:48 ID:p349pn6D
仏教の三学には戒→定→慧の次第がある。つまり目的は智慧であり、戒・定は手段である。
根本仏教の目的は四諦・十二因縁の教理を十全に認識することで、その認識が生ずれば
生存の原因は消滅すると考えた。しかし大乗では仏陀を一切智者とし、その仏陀の智慧を
獲得することが目的である。一切智なるものは分別智ではあり得ない。そこから瑜伽行が
重視された。無分別智なるものは心理上の体験でしかあり得ない。心理と認識の混同である。
それがいちだん進んだのが頓悟禅であろう。心理体験はそのとき限りのもので、その状態が
持続することはない。

691 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 03:24:23 ID:BJZg3lUU
>>689
無宗ださんは自転車でスタンディング出来ますか?足を着かずに止まったま
までいることです。悟りの体験を繰り返すとだんだん深い境地に達します。
学習によって理解するのでなく、体験して欲しいのです。


692 :名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 05:23:33 ID:i8iMFSqB
定=禅定・止・三昧・サマタ
慧=智慧・観察・毘婆舎那・ヴィパッサナー

693 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 08:27:38 ID:2B19LlRU
 自転車に乗れる感覚を身につけている人にとっては、自転車に乗ることは簡単であたりまえ
のことがらです。でもまだ自転車に乗れない人には、とても難しいことです。

 中には運動の法則、ジャイロの理論で、自転車が倒れないで走れる理屈を追い求めて、その
答えが解ったから自転車にいつでも乗れる気になっている人がいます。

 >自分はもう安定して自転車に乗ることができるというその確信が、悟ったと言う智恵だと 私は考えます。

>>690さんが書いているとおり、悟りの状態は、ほんの一瞬の出来事なのです。でもそのと
きの感覚は強烈に残り、いつでも呼び出せます。このいつでも呼び出せるという確信が得ら
れれば心の流れはがらっと変わり、涅槃の状態に向かっていきます。一回でも自転車に乗れ
るようになると、何年もの間乗っていなくても、すぐ乗れるようになるのと同じです。自転
車が倒れないで走れる理屈は、何年もの間忘れないで維持することが出来ますか。中学の時
に習った二次方程式の根の公式、まだ使えますか。三角関数の四則計算の方法まだ覚えてい
ますか。頭でいくら理解してもしばらく使わないでいると、忘れてしまうものなのです。


694 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/10(金) 11:32:04 ID:LGzjKQkR
>>691 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 03:24:23 ID:BJZg3lUU
> 無宗ださんは自転車でスタンディング出来ますか?足を着かずに止まったま
> までいることです。悟りの体験を繰り返すとだんだん深い境地に達します。
> 学習によって理解するのでなく、体験して欲しいのです。

スタンディング出来ません。

えーと、原始仏教の文脈で議論をしませんか?
あなたのいう「悟りの体験」は、原始仏教でいうところの悟りと同じでしょうか?
なぜ、仏陀が出家後、苦行の道を選んだのかを考えてみて欲しいのです。


695 :名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 13:48:28 ID:NI3S6dC1
>倒れないで乗り回せるようになります。

>無宗ださんは自転車でスタンディング出来ますか?

たとえ話のすり替えはよくないな。

696 :名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 15:15:51 ID:H24a6yV/
苦は、総て欲から来るものだと解りました!

697 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 16:12:00 ID:MdkEDqTI
>あなたのいう「悟りの体験」は、原始仏教でいうところの悟りと同じでしょうか?

当然違っています。あくまでも個人的な体験で、各個人独特なものだと思います。
反対にこれが悟りだと固定してしまえば、それに固執することになり、悟りではな
くなるのではないでしょうか。>>666で以前私が書いた文章が載っていますが、一つ
の立場をとった場合それは中道の教えからはずれることになります。>>666の文のよ
うにすべての立場を否定し、あらゆることに拘らないようにすべきです。

 ですから私はまだまだ中途半端な状態です。

698 :名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 17:50:48 ID:b2qsm2W0
神社仏閣板の真の見性体験した人ってここに来てます?

699 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/10(金) 19:44:46 ID:LGzjKQkR
>>697 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 16:12:00 ID:MdkEDqTI
> >あなたのいう「悟りの体験」は、原始仏教でいうところの悟りと同じでしょうか?
>
> 当然違っています。

了解。まじめに相手をした私がバカでした。
自分の悟りを大切にして下さい。それでは。


700 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 19:48:31 ID:sWF6WIGy
>>699
 世の中に変化しないものがあると思っているの?


701 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 20:26:05 ID:sWF6WIGy
山田耕雲禅師が悟ったときの様子を自身が書いている文章(手紙)があるので、それを
引用してみる。見性とは以下のような劇的神秘体験を伴うもののようである。



今日、小生自身の体験を御報告することになろうとは思いませんでした。 貴山へ伺った
翌二十四日、ちょうど所用で東京へ出て来た家内と帰りが一緒になりましたので、夕方五
時頃二人で横須賀行の電車に乗りました。小生は読みかけの『損翁禅話』という書物を開
きました。御承知かも知れませんが、損翁というお方は元禄時代、仙台に居られた曹洞宗
の尊宿なる由。

  丁度大船より少し手前のあたりで書中「あきらかに知りぬ、心とは山河大地なり、日
月星辰なり」(付記『正法眼蔵即心是仏』の巻にありと)の句に逢着致しました。この文
字は決して初めてお目にかかった訳ではないのですが、何かしらハッと固唾を呑む思いで
した。謂えらく「自分も禅に参じて七、八年。ようやくこの一句がわかるようになったか」
と。そう思うと急に涙のこみ上げてくるのをおさえることが出来ません。人中なのできま
りがわるく、ソッとハンカチで眼を拭って居りました。鎌倉へ着き、裏道を帰る途々、何
となくすっきりした気分です。

702 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 20:27:07 ID:sWF6WIGy
今日はなんだか大変すがすがしいよ。」
「それはようございましたね。」
「何となく、僕はえらくなれそうな気がする。」と二度ほど同じようなことを申しますと、
「困りますわね、お父様ばかりえらくおなりになって、距離が出来すぎて。」
「いや、大丈夫だ、どんなにえらくなっても心はいつもすぐ側に居るんだから」と、
子供みたいなことを言い合いながら家へ着いたのですが、その間幾度となく、  
「あきらかに知りぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。」と、
繰り返し繰り返し心でとなえていたことを覚えています。

 丁度その日は、弟夫婦が泊まって居りましたので、一緒にお茶などを飲みながら、龍沢
寺へお詣りした話、そこから黒衣姿のアメリカの青年が居て、只見性のみを求めて両度渡
日したその物語を、貴兄から伺ったまま話してきかせました。お風呂へ入って寝に就いた
のは十二時近かったと思います。


703 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 20:28:41 ID:sWF6WIGy
  夜中にフッと眼がさめました。初めは何か意識がはっきりしないようでしたが、フト、 「あきらかに知りぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。」 の句が浮かんできました。
それをもう一度繰り返したとたん、一瞬電撃を受けたようなピリッとしたものを全身に感
じたと思うが否や、天地崩壊す。間髪を入れず怒涛の如くワッと湧き上がって来た大歓喜、
大津波のように次から次と湧きあがり押し寄せる歓喜の嵐。あとは只口いっぱい、声いっ
ぱいに哄笑する。哄笑の連続。  

 ワッハッハッ ワッハッハッ  
 ワッハッハッハッハッハッハッ

なあんにも理屈はないんだ。なあんにも理屈はないんだ。とこれも二度ほど叫びました。

 ワッハッハッ ワッハッハッ   
 ワッハッハッハッハッハッハッ

虚空が真二つに割れて大口を開き、ワッハッハッハッハッ ワッハッハッハッハッ ワッ
ハッハッハッハッと、腹一っぱいに笑ってるいるのです。家の者の話では人間の笑い声で
はなかった由。

704 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 20:31:49 ID:sWF6WIGy
  連続投稿で規制されちゃった。続きです。

  最初は寝ていたのですが、途中から起き上がるなり、両腕の折れるほど力いっぱい布
団をたたきつけ、たたきつけ、両膝で床を破れるばかりに踏みならしながら、  

 ワッハッハッハッ ワッハッハッハッ   
 ワッハッハッハッハッハッハッハッ

果ては立ち上がって天にのけぞり、地に伏し、   

 ワッハッハッハッ ワッハッハッハッ   
 ワッハッハッハッハッハッハッハッ です。

  側には妻と末の男の子が寝て居りましたが、この青天の霹靂にビックリギョウ天し、
妻は私の口を両手で押えつけながら、「どうなさいました。どうなさいました。」と連呼
したそうです。子供は気違いになったと思ってゾッーとしたそうです。妻の呼ぶ声はたし
かに聞いたように思いますが、口を押さえられたことは全く記憶なし。

   「見性したんだ。見性したんだ。ああ、仏祖我をあざむかず。」

と叫んだのはしばらくたってからでしょう。その間どの位の時間だったでしょうか。自分
では二十分位の感じがしているのですが、妻の話では、二、三分位だろうと申します。 や
や落ち着きました。何事かと驚いて下りてきた二階の人達に、どうもお騒がせしてと言う
位のゆとりも出て来ました。

705 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 20:37:26 ID:sWF6WIGy
同じ悟りでもお釈迦様が菩提樹の下で悟った悟りと、山田耕雲禅師が
悟ったときの悟りと同じですか。無宗ださん。

706 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/10(金) 20:45:41 ID:sWF6WIGy
 ついでに

人間の一切の不安、苦悩は、人間が本質において完全円満、無限絶対の実在(これを仏
と言い、本来成仏と言う)でありながら、現象としては不完全きわまる、有限相対の、
はかなき、いと罪深き存在(これを凡夫といい、衆生という)として現れており、しか
も人間は、生まれながらにしては、自分の円満完全、無限絶対の本性(仏性)を知るこ
とができない、という事実から発生するのである。

 そこで、自分を不完全な、有限相対の存在と思っている人間が、円満完全、無限絶対
の自己の本質に目覚め(これを見性といい、悟りという)、この事実を自ら納得する(
これを証という)とき、人間の一切の不安、苦悩はいっぺんに雲散霧消するのである。
この時の歓喜は全く筆舌につくしがたい。人によって深浅、強弱の差はあるが、一度こ
の歓喜を体験した人でなければ、本当の禅の話は通じない。どんなに仏教に関する学識
が豊かであろうと、どれほど禅録、祖録を読破し、そらんじていようと、この体験がな
い限り、禅にとっては全くの門外漢である。

山田耕雲『新版 禅の正門』(春秋社)より

707 :名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 20:49:04 ID:q1F9Ne7H
 
 どこがちがうんですか?

 こ の 罰 当 り め !!!
思い上がるのもいいかげんにしろ。

708 :素人:2006/03/10(金) 21:00:53 ID:JkLJ+kfL
>>433
禅と、(少なくとも2ch内の)原始仏教の間には、対立しか生まれないだろう。
あまりにも異質すぎる。
理解し合おうというのが無理な話。

709 :暇人:2006/03/10(金) 21:02:15 ID:lJY5htc9
まあまあまあ ( ^-^)_旦~~

710 :名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 21:05:13 ID:q1F9Ne7H
いや、晩酌しながらみてたもんで思わず。雰囲気悪くなっちゃたね。
お邪魔という屑はどうせしろうとなんだし。
ゆるす。どうせ2chだし。

某ハルカ先生の霊でも乗り移ったのかな。くわばらくわばら

711 :名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 00:05:09 ID:TxJEiReg
どちらにしろ仏教にふさわしいカキコだ、お邪魔しますさんのは。

712 :名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 01:34:41 ID:5NHwZZft
原始仏教を学んでいる方々は、日常どんな修行をされているものなんでしょうか?

713 :名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 02:47:59 ID:P933iV8n
http://miyashita1.hp.infoseek.co.jp/qqq/shugyou%20.htmより以下の引用

「潜在意識の浄化法」・・・人間は自分ではほとんど気がついてないけれども「
思いのクセ」のようなものがあります。たとえば心配性の人、取り越し苦労の人、
悲観的な人、楽観的な人、情に脆い人、理性的な人・・・ それが実は「潜在意
識」の働きなのです。そしてそれが本当に合理的な感情かどうかは考えたことが
ないと思います。場合によっては非常に非合理的な感情を爆発的に発散していた
りすることもあります。そこで仏教には「呼吸(アナパーナ)の観察(サティ)」
を通じて心の観察をしてゆく修行方法が伝わっています。

何故、「呼吸の観察」をするのかというと、本当は「心の観察」をしたいのです
が、日常生活の中で自分の心に意識を向けて生活することは極めて難しいのです。
呼吸というのは心と深い関連があります。リラックスしている時は深い呼吸にな
っていますし、激怒したり緊張したりしている時は浅い呼吸になっています。そ
こで瞑想時に呼吸を観察する習慣を身につけておくと、日常生活においても色ん
な場面において精神をコントロールしやすくなるのです。

714 :暇人:2006/03/11(土) 07:36:13 ID:YaUikrLq
>>712

経典を読んでてわかることは
出家修行者は 瞑想などの修行をすればよいし
在家信徒は なによりもまず 自分の仕事を全つとうすることが大事ですね
そして家族や友人 余裕があれば身近な他人の幸せにも気を配る

715 :名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 15:59:32 ID:+c9ytmj8
>>708はアンカーなしねw
何で入っちゃったんだろ? σ(?_?)

716 :名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 17:35:17 ID:7/goJhLs
>>705へ  問う者 としての投稿者より

答え − 違います。 





717 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/12(日) 01:03:04 ID:VcC9CPST
>>712さんへ
 私の場合は朝起きたとき、12〜3分慈悲の瞑想をやります。

私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私が幸せでありますように(3回唱えて軽い瞑想をする)

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように(3回唱えて軽い瞑想をする)

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回唱えて軽い瞑想をする)

718 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/12(日) 01:04:56 ID:VcC9CPST
そして次に試しの瞑想に入ります。この部分はどうしても嫌なら
やらなくてもかまいません。

私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように
私の嫌いな人々も幸せでありますように(3回唱えて軽い瞑想をする)

私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように(3回唱えて軽い瞑想をする)

そして最後にまた

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回唱えて軽い瞑想をする)

一日一回でいいですから、しばらく続けると世の中が変わってくるのが解ると思います。

慈悲の瞑想について詳しい説明はこちら

http://www.j-theravada.net/3-jihi.html
(日本テーラワーダ仏教協会 慈悲の瞑想)

719 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/12(日) 09:49:05 ID:JcdXey0A
>>708 :素人:2006/03/10(金) 21:00:53 ID:JkLJ+kfL
> 禅と、(少なくとも2ch内の)原始仏教の間には、対立しか生まれないだろう。
> あまりにも異質すぎる。
> 理解し合おうというのが無理な話。

いや、問題の設定の仕方が違うのではないだろうか?

阪神ファンの人間と、巨人ファンの人間が仲良くできるかどうか? と、
阪神の応援席において、巨人の応援を行う人間がどういう経験をするのか?
は、分けて考える必要があると思うぞ。

私は今のところ禅には興味がないだけで、対立する気は無い。
むしろ手ぶらで帰ってきて、「眼横鼻直」とのたまうのはスゲーと思います。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~yi9h-uryu/tera/word/98-6-dougen.htm


720 :名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 11:04:41 ID:qOHCor68
>>719
なるほどw

> 阪神の応援席において、巨人の応援を行う人間がどういう経験をするのか?

場(スレッド)をわきまえるのは大事かもね。
たとえば、机は前に出すぎだったと・・・w


ま、特に2chでは、「本質は同じなんだ。」「同じことを言ってるんだ。」
という安直な直結が多いわけだが、「ちょっと待てよw」と。
共通する部分・関連する部分は多々あるかもしれないが、
「違うものは違う。」「違う部分は違う。」という素直な視点を喚起したかっただけ。

721 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/12(日) 16:17:14 ID:a3bmR3FB
 仏教は宗派同士でけんかするための教えか。

722 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/12(日) 16:35:17 ID:a3bmR3FB
 
 なぜ宗派間で論争が起こるかを考えて、その基を絶つようにした方がよいのではないか。

723 :名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 17:05:27 ID:IPhHieJk
日蓮だけだよ、論争を企むのは。日蓮は仏教を誤解している、これが論争の原因。
しかし外道との論争はあり得る。詰まり日本では神道、キリスト教、道教、などとは。

724 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/12(日) 17:51:51 ID:JcdXey0A
>>721 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/12(日) 16:17:14 ID:a3bmR3FB
>  仏教は宗派同士でけんかするための教えか。

そんなわけはない。わかりきったこと。


>>722 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/12(日) 16:35:17 ID:a3bmR3FB
>
>  なぜ宗派間で論争が起こるかを考えて、その基を絶つようにした方がよいのではないか。

しかし、自分の考えを相手に押し付けようとすれば、争いはおこるわな。わかりきったこと。


725 :名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 18:34:37 ID:92WwWnLB
>>724
そのような物言いが争いを喚起していることを自覚すべき。

726 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/12(日) 19:13:00 ID:JcdXey0A
丸い卵も切りようで四角
円満におさまるはずのことも、扱い方によっては角が立つことのたとえ。
「―、ものも言いようで角(かど)が立つ」

丸くとも一角(ひとかど)あれ
人間は円満だけでは十分とはいえず、しっかりした一面も必要である。


727 :名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 19:23:22 ID:92WwWnLB
丸い卵こそが「剛」であり円熟を目指すもの。
一角あれば、そこはすべての脆弱の源。

728 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/12(日) 20:25:27 ID:sBTo4Wdt
>>724無宗ださんへ

>自分の考えを相手に押し付けようとすれば、争いはおこるわな。わかりきったこと。

わかっているのなら、直してみれば。


729 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/12(日) 20:46:27 ID:JcdXey0A
>>728
困ったなあ。あなたが何を言いたいのか理解できません。

私がきちんと理解できるように
私が、いつどのレスで、どんな考えを、誰に対して、押し付けたのか、ご教授ください。
よろしく。


730 :名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 23:19:08 ID:YnpAuOMY
>>728
> わかっているのなら、直してみれば。

なんか、いやな感じ。
この人のレスにはトゲがあるというか、気分が悪くなる。

731 :名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 23:47:35 ID:IPhHieJk
う〜む

732 :名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 00:38:40 ID:J8aesvA/
まあまあみなさん、和言愛語でいきましょうよう。

733 :名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 18:06:39 ID:6L0PmN9h
最悪な残虐極まりない事件が多い昨今、仏教徒の皆様は、どのようにすれば良い社会、平穏な生活ができ、また犯罪がなくなると思われますか?

734 :名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 20:03:39 ID:zp5mGNY8
緊急行動:チベット人僧侶テンジン・デレク・リンポチェの釈放を求める緊急行動にご協力ください

2005/1/26に中国の四川省高等人民法廷が爆破テロ事件に関与した罪で
テンジン・デレク・リンポチェが受けた2年の執行猶予付きの死刑判決を減刑した、
と中国国営新華社通信は伝え、死刑執行の恐れはなくなりました。TSNJは、このニュースに安堵し歓迎します。
しかし、逮捕・裁判そのものが国際基準を満たしてものではなく、裁判の公正なやり直しが必要なことに変わりはありません。
濡れ衣である元々の判決の誤りを正し、テンジン・デレク・リンポチェが釈放されるよう、中国政府に対し要求します。

この事件では他に、ロプサン・ドンドゥプ(トントゥプ)が、2003年1月26日に、同じ爆破事件の関与で非公開裁判後に即処刑となりました。
さらに、この爆破事件に関して、少なくとも4名が投獄または拘留、あるいは現状が公表されないままになっています。

詳しくは
http://www.geocities.jp/t_s_n_j/savetenzin/

735 :太刀山型の土俵入り:2006/03/14(火) 08:15:50 ID:1jEAiZgb
オマンコやり逃げ教祖の教団スレはココですか?

736 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/14(火) 13:54:48 ID:TLfBoTM9
>>729 >>730
言い方が悪かったかな。

自分の言い分を無理に押しつけようとするから、争いが起きる。
これが分かっているのなら、考え方を改めたらいかがでしょう。

これでよろしいでしょうか。

737 :名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 14:03:52 ID:kaxPhV6d
>>736
> 言い方が悪かったかな。

言い方じゃなくて、あんたの人間性の問題。

738 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/14(火) 14:55:29 ID:TLfBoTM9
これから書く文章は無宗ださんおよび>>730のレスを書いた人は、読まない方がよいと思
われます。もし頭に血が登って憤死した場合、当方は一生後悔のしなくてはならなくなり
ますので。

 >>557 >>558で心について書きましたけど、ここでもう少し付け加えます。 

 生きているものにとって一番の恐怖は死なのです。ですから生きていることは、死なな
いために色々活動することです。また自分の生命が危険にさらされると、反射的にその危
険を排除しようとします。

 これは心でも同じことです。まず心は>>558で書いたとおり
>それは「自分は生きていたい」というすごい自己愛を持っている。
ですから心も自分の存在、思考、意志などを否定されるとそれに反応して自分を守るため
に反応を起こします。

それと同時に、「盗人にも三分の理」ではないですが、自分のやっていることは常に正し
い、間違っていない、悪くない等と自分を正当化する性質を持っています。

 >>  仏教は宗派同士でけんかするための教えか。
>そんなわけはない。わかりきったこと。
 ここまでは私と無宗ださんも意見が一致していましたが

>>  なぜ宗派間で論争が起こるかを考えて、その基を絶つようにした方がよいのではないか。
>しかし、自分の考えを相手に押し付けようとすれば、争いはおこるわな。わかりきったこと。
 宗派間の論争の基も、何が原因か分かっています。

 ところが
>>725
>そのような物言いが争いを喚起していることを自覚すべき。
と注意されると、自己防衛反応が起こり、自己の正当性を主張し始めました。
それが>>726の文章です。せっかく宗派間の論争がなぜ起こるのか、その原因を突き止めたのに
もかかわらずです。もったいないことです。

739 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/14(火) 15:00:55 ID:TLfBoTM9
>730および>>737さんへ

 私も創価学会相手に色々やってきましたけど、結局

>>687 :名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 03:46:01 ID:5TzudmQI
お邪魔しますは、創価板で創価とアンチを問わずコテや名無しに完膚無きまでに叩きのめされて
こっちに移ってきたわけで、むこうでも「バカ」だの「アホ」だの「レベルが低い」だの、
さんざんに言われてたな。

最後は人格攻撃に終わって、まともな反論は聞けずじまいでした。
もっとも反論が出来ないから、人を見下して満足するだけなのかもしれませんが。

740 :名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 15:14:22 ID:kaxPhV6d
あんたの言うとおり、すべての立場を否定するのが中道なら、あんたの層化への立場も否定したら?

741 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/14(火) 15:34:43 ID:WQf0AaII
>>740
学会版ではないので簡単に書きますが、創価学会の教義すべてを否定
しているわけではないです。同じ仏教ですから。特に一念三千などは心
の動きをよく表していると思います。

しかし自派の宗派のみ正しく、他の宗派はすべて邪宗であるとの考え方
にはついて行けないです。やっぱここに私の我がででいますね。
ありがとうございます。

 無宗ださんには悪いことを書きましたが、決して嫌いではないですよ。
あのように徹底的に噛みついてこられると、自分でも気がつかない間違い
や、考え違いを指摘されこちらも勉強になりますから。 

742 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/14(火) 15:35:13 ID:aY8ohTxF
困ったなあ。

>>729
> 私がきちんと理解できるように
> 私が、いつどのレスで、どんな考えを、誰に対して、押し付けたのか、ご教授ください。
> よろしく。

むずかしい言葉は、何ひとつ使っていないのに、どうして、こんな簡単な質問ひとつにも、満足に回答できないんだろう。
困ったなあ。

>>728 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/12(日) 20:25:27 ID:sBTo4Wdt
> わかっているのなら、直してみれば。

何をどう「直してみれば。」と、言っているのだろう?


743 :名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 15:44:31 ID:kaxPhV6d
>>741
> しかし自派の宗派のみ正しく、他の宗派はすべて邪宗であるとの考え方
> にはついて行けないです。やっぱここに私の我がででいますね。

自分の言い分を無理に押しつけようとするから、争いが起きる。
これが分かっているのなら、考え方を改めたらいかがでしょう。

744 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/14(火) 15:45:26 ID:aY8ohTxF
>>738 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/14(火) 14:55:29 ID:TLfBoTM9
>  ところが
> >>725
> >そのような物言いが争いを喚起していることを自覚すべき。
> と注意されると、自己防衛反応が起こり、自己の正当性を主張し始めました。
> それが>>726の文章です。

あと、余力があれば、726で私が何を主張したことになっているのか、具体的に教えて下さい。
えーと、「具体的」という言葉の意味はわかりますよね?


745 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/14(火) 17:45:58 ID:aaa7Gdl2
反対にこちらから聞くけど、宗派間で自己の正しさを徹底的に主張して
互いに争うのがよいか(学会と大石寺みたいに)、自己の主張を大切にしな
がらも、どこか協調できる道がないか探し求める方がよいか、どちらが大
切だろう。

746 :名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 17:53:50 ID:kaxPhV6d
>>745
あんたは、すべての立場を否定するのが中道だと主張してるよね?
それをもとに考えれば?
そして自分自身でどういう答えをだしたか聞かせてください。

747 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/14(火) 17:56:46 ID:aY8ohTxF
>>741 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/14(火) 15:34:43 ID:WQf0AaII
>  無宗ださんには悪いことを書きましたが、決して嫌いではないですよ。
> あのように徹底的に噛みついてこられると、自分でも気がつかない間違い
> や、考え違いを指摘されこちらも勉強になりますから。 

そうですか。
私は、スレ違いの話題をいつまでも得々と書き込む馬鹿は大嫌いです。


748 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/14(火) 18:04:29 ID:aY8ohTxF
>>745 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/14(火) 17:45:58 ID:aaa7Gdl2

そういうむずかしい質問は、たとえば、以下のスレでしてみたらどうだろうか?

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1141137619/l50
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート14


749 :太刀山型の土俵入り:2006/03/14(火) 19:02:42 ID:1jEAiZgb
オマンコして子供ができたらやり逃げする教祖の教団スレはココですか?


750 :名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 21:27:32 ID:Wq/uo1k5
友達いない
恋人もいない
母親とは対立
仕事もしてない
仕事に就いても、人間に適応できずにすぐ辞める

振り返ってみても苦しみばかり
生まれてこなければ良かった
もし生まれなければならなかったとしても人間には生まれたくなかった
木にでも生まれたかった

自殺は怖いからできない
寝ている間に心臓が止まって、苦しみもなく消えればいいと思う
生まれてきたくなかった
http://plaza.rakuten.co.jp/sijimanoreimei


751 :名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 23:05:20 ID:sr1Qipzq
大人が子供の喧嘩みたいな事をしていない?
いやこれも修行か?
 一切は空であるヨー!

752 :名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 23:42:37 ID:rDfuZUHN

まあ、悩んでないで「一切は空」と見極め、
悟りの境地「一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」と
毎日唱えていれば元気がでるかもしれん。

自分のことに悩んでいる間は地獄の境地。自分を捨てて一切の生きとし生けるものの
幸せを願う間は極楽の境地。お荷物である自分を捨てると極楽に行く。

自殺は地獄に行くしかなくなるよ。自己の断滅により地獄だ。

仏教は喧嘩しない。一切の事物は我ならざるものだ。一切は空だ。誰の意見も軽んじたりしない。
誰の意見もその人の意見と尊重する。真実は空の他にはないからな。自分がこれだという押し付
けをしない人は、安穏に生きる。誰かが正しくあれという愚かな押し付けはしない。賢者は自分
が正しい道を歩む。争論は愚かなことだ。

753 :太刀山型の土俵入り:2006/03/15(水) 09:03:11 ID:neVwK+v9
立派なお釈迦さんのオチンチンのお情けを頂戴できた幸せな比丘尼は誰?

754 :名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 20:05:58 ID:b6iRRRqJ
>>753
宗教の開祖である釈迦は彼岸を説いているのだから、釈迦自身を非難したとしても、
それはその人の意見とする。
しかし、一切が存在しない世界は「一切が空」であり、苦しみというものは存在せ
ず、一切が安穏で安楽である事実には変わりない。

釈迦を非難しても、「その人はそんなことが楽しみなんだ、もっと別のことを考え
て生きたほうが幸せになれるのではないか。」と思ってみたりもするが、それはそ
の人の人生であり、そのことを一生続けられるほどの価値を見出して続ければいい。
そうすることでも、ただ信じる偽りの信仰ではなく、真理に価値を見出している人
は動揺せず敵対心も持たない。







755 :太刀山型の土俵入り:2006/03/15(水) 21:39:37 ID:neVwK+v9
>>754
質問にこたえられないならレスすんなよ。
無学蒙昧くんだなあ。
オレが必要としてるのはもっと博識の人なんだからさあ。
ガキがでしゃばんなって。

というわけで博識のどなたか教えてくださいませ。

「立派なお釈迦さんのオチンチンのお情けを頂戴できた幸せな比丘尼は誰? 」


756 :名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 22:03:13 ID:FVezppAr
>>755 :太刀山型の土俵入り

お前は時たま見たくない文字を書きこむやつだな。お前は三年間ここに来るのを禁止する。
今まで書けた事だけで満足しろ!

757 :名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 22:39:38 ID:vUw5M15L
>>755
自分のホームグラウンドでは、他人の質問やカキコをスルーしてるくせに・・ (・∀・)ニヤニヤ

758 :太刀山型の土俵入り:2006/03/16(木) 00:21:08 ID:bqzz3ROY
釈迦は大相撲に入ってたらせいぜい本中だな。

759 :太刀山型の土俵入り:2006/03/17(金) 02:43:49 ID:1X7qrzmp
売春婦にメシはたかるが、彼女の職業を否定するのが釈迦

760 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/17(金) 09:52:56 ID:vV4F+R/e
>>759
しかし、自分を蔑む相手に、メシを食わせてやろうとは普通思わんだろう。
蔑みの波動を、相手に対して向けることは無かったと思われる。
実際、釈尊は人類最古の職業に対して、どんな見解を持っていたのだろうか?

釈尊を卑しい人と呼んだ相手に、卑しい人とはいかなるものか教えて聞かせたという話があった。
キリストはパリサイ人に対して、きびしくあたったと聞く。

釈尊は、どのような人を軽蔑したのだろうか?
自分が軽蔑した相手に対して、どのような対応をしたのだろうか?


761 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/17(金) 15:34:34 ID:Dyf66iVR
 まず 無宗ださんに謝っておきます。結局無宗ださんの文章から受けた感じを
大事にして批判したことに対し、あまりにも自分勝手であったと反省しております。

 746 :名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 17:53:50 ID:kaxPhV6d
>>745
あんたは、すべての立場を否定するのが中道だと主張してるよね?
それをもとに考えれば?
そして自分自身でどういう答えをだしたか聞かせてください。

 ここ2日ほど時間の許す限り、自分の思考をストップし、感覚のみで眺めるように
してみました。
 
 結局、無明の恐ろしさを身をもって体験しました。そして、その無明を消し去った
お釈迦様は人として成しがたいことを成し遂げた方であることを、改めて分かりました。

>すべての立場を否定する

反対に言えば、守らなくてはならないものは何もない。たとえそれが無明であっても。

「あらゆるものは滅びゆく。怠ることなく精進努力して、修行を完成せよ」

お釈迦様の最後の言葉です。正直言って悟るのは簡単です。でもそのあとが大変です。
一生かかっても出来るかどうか。 

762 :名無しさん@3周年:2006/03/17(金) 16:25:13 ID:7KFA5KCe
>>760
釈尊は誰も軽蔑していない。
人それぞれだと言っている。

その中にあって、解脱のへ道を歩み、示しただけだ。
罪人をせめることもなく、罪人を攻めることも無い。
罪に苦しむことを当然とするのでもなく、結果苦を
自業自得として断罪しない。そこから開放される道をとく。

これくらいの基本は理解すべきだね。

763 :名無しさん@3周年:2006/03/17(金) 16:26:48 ID:O4ecnF39
太刀山型サンは仏教系新興宗教でひどい目に会い
キリスト教に乗り換えて救われたいと願っている方です
暖かく見守りましょう。
あなたにデーヴァとアスラの祝福がありますように

764 :名無しさん@3周年:2006/03/17(金) 17:16:28 ID:gkuzP6pO
救いがあるのは、釈尊の解脱のみ。

765 :名無しさん@3周年:2006/03/17(金) 17:21:39 ID:mc6Axgmz
>>745,>>761
なんか全然的外れなレスだね。
お邪魔しますが本当に>>736のとおり考えているのなら、率先して層化攻撃をやめるべきだと言ってるんだよ。
これからも層化攻撃を続けますか、それともやめますか?
答え、よろしくね。

766 :髪ダイリ:2006/03/17(金) 17:34:53 ID:WC7kuL45
ソカは攻撃してないよ?てか無視でしょ?そもそも…

767 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/17(金) 17:41:50 ID:vV4F+R/e
>>762 :名無しさん@3周年:2006/03/17(金) 16:25:13 ID:7KFA5KCe
> 釈尊は誰も軽蔑していない。
> これくらいの基本は理解すべきだね。

サンクス。


768 :名無しさん@3周年:2006/03/17(金) 17:46:06 ID:mc6Axgmz
>>766
お邪魔しますは層化を攻撃している。
層化がお邪魔しますを攻撃してるかどうかは知らん。

769 :名無しさん@3周年:2006/03/17(金) 18:02:37 ID:7KFA5KCe
>>762
まちがえた。

罪人をせめることもなく、罪人を攻めることも無い。
              ↓
罪人をせめることもなく、罪人をせめる人をせめることもない。

770 :髪ダイリ:2006/03/17(金) 18:17:19 ID:WC7kuL45
おじゃまださんは般若宗?

771 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/18(土) 04:21:00 ID:U95KQrj8
釈尊は80歳の時、拘尸那(くしな)城外の沙羅林(しゃらりん)で入滅した。釈尊の入滅
は古来、中国・日本では周書異記(しゅうしょいき)を根拠に紀元前949年とされる。し
かし、諸説があり、紀元前5世紀とする説もある。
-創価学会公式ホームページより−

法華経(ほけきょう)
釈尊が説いた最高の経典。漢訳されて、中国に伝えられた経巻に6種。そのうち3種が現存
する。(1)西晋(せいしん)代の竺法護(じくほうご)訳「正法華経」10巻27品(2)姚秦
(とうしん)代の鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の「妙法蓮華経」8巻28品(3)隋(ずい)代
の闍那崛多(じゃなくった)・達摩笈多(だつまぎゅうた)共訳の「添品(てんぽん)妙法
蓮華経」7巻27品。このうち、鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」が最も広く流布する。
-同じく創価学会公式ホームページより−

法華経は一世紀か二世紀頃に、インドで編纂されました。
−教学の基礎 創価学会教学部編 聖教新聞社75ページ 第3章法華経のあらましより−

創価学会の教えに何か矛盾感じませんか。
これ以上はスレ違いになるので、創価版のスレを教えていただければそちらに移動します。 
 

772 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/18(土) 05:42:57 ID:FDHlwJsQ
http://life7.2ch.net/psy/
心と宗教@2ch掲示板
創価学会については、創価板もあります。 創価スレ@心と宗教板と適宜使いわけてね。
-----------
創価板
http://society3.2ch.net/koumei/
-----------
創価スレ@心と宗教板
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1138029977/l30

【誘導スレ】 創価学会@心と宗教板「その4」
1 :名無しさん@3周年:2006/01/24(火) 00:26:17 ID:DEWBKvux
創価の話題や議論などは、創価公明板へどうぞ。

創価・公明板
http://society3.2ch.net/koumei/

※創価学会について質問があれば、以下のスレがお勧めです。

★創価学会・初心者質問スレ Part13★
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1132212476/l50


※創価学会を脱会したい方は、以下のスレが最適です。
※ 脱会用紙を作成し、それを『内容証明郵便』+『配達証明』で送るだけで
 簡単に脱会できます。

●○私、創価学会 脱会しました。○●「Part12」
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1125053917/l50


773 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/18(土) 05:50:59 ID:FDHlwJsQ
>>771 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/18(土) 04:21:00 ID:U95KQrj8
> これ以上はスレ違いになるので、創価版のスレを教えていただければそちらに移動します。 
 
それでは、ごきげんよう。

またくる時があれば、その時には、原始仏教の話をしましょうね。
スレ違いの話は、別な場所でお願いいたします。


774 :名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 11:28:58 ID:DtJIVEK1
>>771
>創価学会の教えに何か矛盾感じませんか。

あなたこそ、自分自身の発言に何か矛盾感じませんか?

>>743,>>745でもそうだけど、なんで人の質問に質問で返すの?
質問に答えられない訳でもあるの?
>>743はあなたのレスの>>736をそのままコピペして返しただけなのに…。
層化がどうか俺の知ったことじゃない。
もう一度、同じ質問をします。
これからも層化攻撃を続けますか、それともやめますか?
答え、よろしくね。

人には偉そうに>>736を言うくせに、自分は平気で他を攻撃するのかな?
ダブルスタンダードだよ。

>>16,>>73の発言も、やってることとは大違いですね。
「仏教を知ることは、何が正しい仏教であるかを探ることではなく、自分の心を知り、行いを正すことで世の中の見方が変わることを体験することではないでしょうか」だって…w。
あなた自身の発言ですよ〜。
自分自身の発言に何か矛盾感じませんか?
他の宗教団体の粗を探す暇があったら、自分の醜い心を知り、行いを正せや!!

775 :名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 13:42:54 ID:c4Tbpbcs
俺は一念三千と言うのは偽りの教えであると思うから日蓮も層化も大嫌いなんだ。
お邪魔しますさんは一念三千の教えで心がわかると言われるが、それは嘘をついているとしか思えない。

776 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/18(土) 17:23:22 ID:NU+GfmzE
 創価学会がお釈迦様が本当に説きたかったのは法華経であり、学会の教える
仏法がお釈迦様の心を引き継いでいる唯一正しい教えであり、他はすべて邪宗
であるとの考えを改めない間はそれは違うと言い続けますよ。

777 :名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 19:01:58 ID:c4Tbpbcs
お釈迦様が説きたかった教えが法華経であるとしても、その法華経がどう言う教えであるかの解釈が
日蓮が間違っているのだ、それを気づかずに間違った教えを護持しているところに日蓮教徒が邪宗と
言われなければならない由縁なのだ。
 所が法華経の教えと他の大乗経典とは同じ教えなのだ。原始経典とも同じだ、決して
経典に優劣はない。
 層化は具体的に法華経以外の教えの何処が法華経に劣る若しくは真実を説いていないというのか?
聞いた事が無い。そのような事実は無いのだ。

778 :名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 20:35:43 ID:xReWEaYx
心と宗教板の特に仏教関係はなんでこんなにスレ違い荒しが多いんだろうね。

779 :髪ダイリ:2006/03/18(土) 20:44:25 ID:F4fg4IDv
そもそも、ソカを仏教レベルで話すこと自体が変だと思うのは私だけ?

780 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/18(土) 20:45:56 ID:FDHlwJsQ
>>778
以下のような、仏教の基礎知識を義務教育で教えないためですかね。
私もつい最近まで、小乗と大乗の違いは、
カソリックとプロテスタントの違いと似たものだろうと思っていました。
むしろ、ユダヤ教とキリスト教の違いに近いですよね。
経典が違うのだから。

<−−
ttp://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud120.html

つまり、法華経とは、ブッダの死後およそ四、五百年後、
大乗仏教運動の宗教改革者たちによって、自分たちの思想を主張するのに、
あたかもそれがブッダ自身の教えであるかのごとく、
まったく新しく創作された経典(大乗経典)の一つです。
言ってみれば、「偽の経典」とも言えるわけで、
それゆえ、「大乗非仏説」(大乗仏教はブッダの教えではない)と
主張する人もいます。
−−>

781 :髪ダイリ:2006/03/18(土) 20:49:54 ID:F4fg4IDv
経典以前のレベルだとおもうは私だけだろうか…

782 :髪ダイリ:2006/03/18(土) 20:53:29 ID:F4fg4IDv
ソカ批判はスレッド違いだと思うのは私だけだろうか…

783 :暇人:2006/03/18(土) 21:07:16 ID:paDMnAQK
そろそろ創価は 別スレッドで

原始経典も釈尊と無関係にどしどし作られたのだけどね

784 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/19(日) 00:28:14 ID:mKYfr30u
何事も変化する、これが釈尊の教えですからね。
今の日本テーラワーダ仏教協会を、釈尊当時のテーラーワーダの人たちが知ったら
びっくりするだろうな。

785 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 05:26:03 ID:LzZMAVjF
>>778,>>782,>>783
ごめん。
俺はこのスレで層化を批判したり論じるつもりはまったくない。
ただ、原始仏教を学ぶ者が、他の宗教団体を攻撃する態度をとってよいかということを問うている。
スッタニパータでは「八つの詩句の章」にこのことに関連していると思われる箇所が沢山あるよね?
その箇所の趣旨を考えると、なぜお邪魔しますが層化攻撃に執着しているのか不思議に思うのです。

>>776
つまりこういうことだよな?
> お邪魔しますが何か或るものに依拠して「層化の教えはつまらぬものである」と見なすならば、
> それは実にこだわりである、と真理に達した人々は語る。それ故に修行者は、見たこと・学んだ
> こと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。(七九八改 - お邪魔用)

> 層化の人々が「最高の教えだ」と称するものを、お邪魔しますは「下劣なものであ
> る」と称する。これらのうちで、どれが真実の説であるのか? かれらはすべ
> て自分らこそ真理に達した者であると称しているのであるが。(九○三改 - お邪魔用)

それから、すべての立場を否定するのが中道だと主張するなら、なぜ層化を攻撃をする自分の立場を否定しないの?
>>741で、「やっぱここに私の我がででいますね」とわかっているのなら、改めたら?

786 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 06:36:47 ID:EFMnhA2f
>>785
曲解だと思う。お前の言うのでは、釈尊は教えを広める要が無かった事になる。

787 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 06:53:33 ID:ex/Cbpss
問う者 としての投稿者
>>785
釈尊は不滅の真理を悟り得た者として、何事も変化すると教えられたのですよ。
>>785
肯定すべきは肯定し否定すべきは否定するのが、中道ですよ。


788 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/19(日) 09:00:31 ID:6kvqltKp
>>786 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 06:36:47 ID:EFMnhA2f
> >>785
> 曲解だと思う。お前の言うのでは、釈尊は教えを広める要が無かった事になる。

なんで?
785の改は、なかなかうまくできているように思います。

ようは、最高の教えは、最高の教えとして尊べばいいだけであって、
そのために、他の教えと比較したり、他の教えをいやしめたり、攻撃したりする必要はない
といっているだけでしょう?

教えを広めることには意味がある。
しかし、論争は無意味。


789 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/19(日) 10:15:47 ID:6kvqltKp
>>783 :暇人:2006/03/18(土) 21:07:16 ID:paDMnAQK
> 原始経典も釈尊と無関係にどしどし作られたのだけどね

そのあたりの話には興味があるのですが、参考になる書籍とかURLとか
紹介していただけないでしょうか?


790 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 10:28:46 ID:WRWuj/sB
無関係は言いすぎだろw
また、どこまでを原始経典とするか?にもよるだろうし・・・

791 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/19(日) 10:31:47 ID:RCxrrZKO
> オウムの人々が「最高の教えだ」と称するものを、お邪魔しますは「下劣なものであ
> る」と称する。これらのうちで、どれが真実の説であるのか? かれらはすべ
> て自分らこそ真理に達した者であると称しているのであるが。(九○三改 - お邪魔用)



792 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/19(日) 10:36:09 ID:RCxrrZKO
偏らないためにも
> テーラワーダの人々が「最高の教えだ」と称するものを、お邪魔しますは「下劣なものであ
> る」と称する。これらのうちで、どれが真実の説であるのか? かれらはすべ
> て自分らこそ真理に達した者であると称しているのであるが。(九○三改 - お邪魔用)

 ただ教えを信じることで救われるわけではない。自分を救えるのは自分だけ。

793 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/19(日) 11:02:03 ID:6kvqltKp
>>791 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/19(日) 10:31:47 ID:RCxrrZKO
> > オウムの人々が「最高の教えだ」と称するものを、お邪魔しますは「下劣なものであ る」と称する。

オウムの人々が何を「最高の教えだ」と称したか、具体的にご存知なのですか?


794 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/19(日) 11:16:33 ID:6kvqltKp
>>792 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/19(日) 10:36:09 ID:RCxrrZKO
> 偏らないためにも
> > テーラワーダの人々が「最高の教えだ」と称するものを、お邪魔しますは「下劣なものであ
> > る」と称する。これらのうちで、どれが真実の説であるのか? かれらはすべ
> > て自分らこそ真理に達した者であると称しているのであるが。(九○三改 - お邪魔用)
>
>  ただ教えを信じることで救われるわけではない。自分を救えるのは自分だけ。

原始仏教の話をしましょう。
ここはあなたの日記帳ではありません。

原始仏教ではたしか、

如来は涅槃に至る道を示すのみ。
涅槃に至るためには、八正道の歩みがあるのみ

と主張しており、そこはテーラワーダの人々の主張と一致していると私は考えております。


795 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 11:57:38 ID:EFMnhA2f
>>785-788
釈尊は存在は相対的に存在するものであるから、実体として存在しておらず、真実は空性である
という事を教えそれに基づく生活を広め様とインド各地を旅されたものでしょう。
 そしてこの存在とは全てのもの(五蘊)をいい、思想信仰も入るのです。
 STP798に「人がなにかあるものに依拠して、その他のものは詰まらぬものである、と見なすならば、
それは、実にこだわりである、と真理に達した人々は語る。それ故に修行者は見た事学んだ事、思索した事
又は戒律道徳にこだわってはならない。」と有ります。
 ここの「人がなにかあるものに依拠して」という所が要点です。依拠するものに基づいて生じた論は
釈尊の否定されるところなのです。しかし、依拠しないで論ずる論は肯定されているのではないでしょうか?
この場合空性を論ずる又は実行する事になると言う訳でしょう。
STP801「彼はここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世に付いても、来世に付いても、
願う事が無い。種々の事物に関して断定を下して得た固執の住まいは、彼にはなにも存在しない。」
とこの様なバラモンになるのではないでしょうか。
 この様な生活を釈尊は教えておられるのだと思います。


796 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 12:46:36 ID:EFMnhA2f
>>795つづき
 論争を止めよと言う教えは、創価の要に自分を立て他を貶すような相対的な教え、
この様な教えに基づく論争は止めよと言う意味に解すべきだと思います。実にそれは
実体の無いもんに固執しているのですから。
 
 そこで今の問題に移りたいんですが、どうも問題の本質は、釈迦の教えが何であるかに帰結するとおもいます。
空性であるから、有るものに依拠した論争は止める、しかしあるものに依拠しない論争は止める必要が無い。
しかし、後者の論争はあり得ない。何故なら、お互いに空性を理解している者同士が論争する事は生じ得ないからだ。
しかし、空性を理解しているものが、理解していないものに空性を説明する事は必要であり、その為に釈尊は伝道のたびをされたのです。
こだわりから開放し空性がなんであるか決定する論争は浄土の菩薩の特質といわれています。
 我々も浄土の菩薩に倣ってこだわりとそれからの開放を論じる様にしましょう。
 「・・・五百年の間、仏に見える事からも、法を聞く事からも、求道者に見える事からも、法を議論したり決定する事からも
一切の良い事柄を実行する事からも遠く隔たっているのだ。」
 上は大無量寿経における、仏のとらわれる事の無い智慧を疑ったもの達が浄土の辺境の地に住まいさせられて居る様を言ったものです。


797 :髪ダイリ:2006/03/19(日) 13:12:50 ID:tmB9L1f7
密教のいう空と顕教のいう空がそもそも同じだろうか。

798 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 13:22:20 ID:EFMnhA2f
>>797
同一でなければならないと思います。密教が顕教と違う空性を言うなら、
その密教は絶対的に間違っています。

799 :髪ダイリ:2006/03/19(日) 13:24:04 ID:tmB9L1f7
密教が間違ってていいです。顕教ただしいです。顕教頑張ってください。

800 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 13:46:09 ID:EFMnhA2f
密教の言う空性は顕教と違うという事ですか?どう違うんですか?

801 :髪ダイリ:2006/03/19(日) 13:48:11 ID:tmB9L1f7
その前に顕教の空ってなに?

802 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 13:53:46 ID:EFMnhA2f
>>801
相対的に存在するものは実体が無い事を空性と言う。

803 :南無大師遍照金剛:2006/03/19(日) 13:55:35 ID:tmB9L1f7
ほうほう。それは空=無てこと?

804 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 14:06:59 ID:EFMnhA2f
>>803
STP801「彼はここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世に付いても、来世に付いても、
願う事が無い。種々の事物に関して断定を下して得た固執の住まいは、彼にはなにも存在しない。」

上のようなバラモンには、空=無ですね。

805 :髪ダイリ:2006/03/19(日) 14:13:43 ID:tmB9L1f7
顕教全てにおいて空=無ですか…。密教は空=無とは見てないんで。敢えて言うなら空は無ではない別のもの。これが答えです。

806 :髪ダイリ:2006/03/19(日) 14:17:56 ID:tmB9L1f7
バラモンて、ヒンズー教じゃね?仏教もバラモンていうんだ…(^_^;)知らんかった。

807 :髪ダイリ:2006/03/19(日) 14:32:20 ID:tmB9L1f7
(*´∇`*)ごめん空性の話なんだぁ…空だと思ってたよ。ごめんね。勘違い勘違い

808 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 15:00:36 ID:EFMnhA2f
>>805
>敢えて言うなら空は無ではない別のもの

相対的に存在するものは自性が無い、あらゆるものはそう体的にのみ存在し得る、又、して居る。
だから一切は自性が無い詰まり空である。
 今説明上ただ二つのもののみがあると仮定しょう。二つのもんがあるとはあるもんから別なものに変化しているのだ。
しかし相対的に存在しているから、両者に自性は無いのだ。自性が無いなら、そこに変化はないものと見なければならない。
そうすれば一相とか無相とか言わなければならない。これを又空と言うのである。
 二つのものがあるとすれば、805が言う様に無と別なものが微かにでもあるとすれば、そこに二つのものがあることになる。
無と微かにでも無と違うものがあれば、そしてその両者が縁起して存在しているものならば、両者に自性が無い、故に無である又は、空であると
言わなければならない。所が二つのものが縁起「相対的に」してあるのではないとするなら、
詰まり実体として存在していると言うなら、問題が生じて居るのだ。
 二つのものをAとBとしょう。Aの存在はBの存在により自己の存在を妨げられている。その部分において確かにA存在しないからだ。
そうすると、AはBによって限定された存在である。詰まりAはBと言う存在無くしてはあり得ない存在、即ち相対的に存在しているに過ぎない。
Bに付いても同様に言われなければならない。
 存在とは絶対的に他の存在を交え無いで単一なものとしてあるものだけに言われなければならないのだ。
単一なものはその中に何物も交えないのだから、何もないものである、故に空・無そう・無がと言うにふさわしいのだ。
故に存在は空なのだよ。


809 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 15:06:15 ID:EFMnhA2f
>>807
空性といっていたけど、やはり空が正しい。空=無だ。

810 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 15:13:44 ID:WRWuj/sB
>>809
シューニヤターという言葉が残されていることは、どう説明するのですか?

811 :髪ダイリ:2006/03/19(日) 15:14:27 ID:tmB9L1f7
(*´∇`*)ごめんね…僕あんまり仏教詳しくないから、空=無で良いよ。噛みついてごめんなさい

812 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 15:17:23 ID:EFMnhA2f
>>810
>シューニヤターという言葉

上を説明してください。それから質問の意味がわからない。

813 :髪ダイリ:2006/03/19(日) 15:29:19 ID:tmB9L1f7
>812さん般若心経はみたことありますか?

814 :足野香:2006/03/19(日) 15:38:10 ID:q0W9Duls
コーヒーにスジャータ、仏教にシューニヤター、私ったらつまらない事言ってヤダー

シューニヤターは空という意味でしょ。でもサンスクリット語だと何も無い「無」
という意味もあるけど。禅とかの後期大乗仏教になると、虚無主義だという
批判を反省してか思想的探求の成果か、シューニヤターは何もないという
意味でなく限定されないから無限のものがあるという風に解釈が変わっていたのよね。

815 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 15:41:04 ID:WRWuj/sB

おまいら・・・(^^;

釣りなら他所でやれw

816 :足野香:2006/03/19(日) 15:44:30 ID:q0W9Duls
一緒に釣りなさいよ、弱虫ね。

817 :南無大師遍照金剛:2006/03/19(日) 15:45:46 ID:tmB9L1f7
ヽ(´∇`)ノ釣られてみた

818 :足野香:2006/03/19(日) 15:48:28 ID:q0W9Duls
いいわよ、その調子でみんな釣り大会に参加するのよ。所詮2ちゃんは釣堀よ。

819 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 15:50:50 ID:WRWuj/sB
>>816
|_, ,_
|∀;)
|とノ

820 :南無大師遍照金剛:2006/03/19(日) 15:53:29 ID:tmB9L1f7
(ΦωΦ)あなたはもしや…クリスチーネ滑川様。通称〇×(放送禁止用語)ちゃんでは…

821 :暇人:2006/03/19(日) 15:55:15 ID:3f9rccfs
釣堀専用スレッドあるよー

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1141886647/l50

こっちだと大漁豊漁よん^^

822 :南無大師遍照金剛:2006/03/19(日) 15:56:03 ID:tmB9L1f7
(´・ω・`)イヤだ…誰もきーへんやん

823 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 16:36:38 ID:EFMnhA2f
>>813
知ってるよ、はんにゃしんきょうすれをつくったよUを。

824 :南無大師遍照金剛:2006/03/19(日) 16:44:24 ID:tmB9L1f7
(´・ω・`)>821 から違うスレッドいきましょ。オイラあんまりフザケテルと暇人さんにボコボコにされちゃ…あぁ、怖くてこれ以上言えない。て、ことで、ヨロシコ

825 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 23:31:01 ID:WRWuj/sB
ルーパン シューニヤター シューニヤタイヴァ ルーパン
ルーパーン ナ プリタック シューニヤター シューニヤターヤー ナ プリタッグ ルーパン
ヤドゥ ルーパン サー シューニヤター ヤー シューニヤター タドゥ ルーパン
エーヴァンメーヴァ ヴェーダナー サンジュニャー サンスカーラー ヴジュナーナニ。

from 岩波文庫

826 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 23:40:06 ID:WRWuj/sB
ーが抜けたw

827 :名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 23:41:11 ID:WRWuj/sB
ィも抜けとる・・・ orz

828 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/20(月) 14:45:27 ID:RrBHcK7V
>如来は涅槃に至る道を示すのみ。
>涅槃に至るためには、八正道の歩みがあるのみ

>と主張しており、そこはテーラワーダの人々の主張と一致していると私は考えております。
悟った人の話をいくら読んでも、実際に悟らなければ意味がないと思うが。
地図と旅行記で行った気になるより、実際に行ってみれば文字で書かれた世界以外のものも
見えるはずです。

829 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/20(月) 15:10:53 ID:RrBHcK7V
>涅槃に至るためには、八正道の歩みがあるのみ

六師外道の内の一人ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ)は徹底した苦行で悟りを開き
ジャイナ教を開きました。

悟りに至る方法を八正道のみに限定するのは、どうかな。新たな執着を生み出さないか。

830 :髪ダイリ:2006/03/20(月) 15:17:15 ID:rn3989IF
ヽ(´∇`)ノキリストだって、イスラムだって、カントやニーチェその他大勢悟ってると思うよ?仏教だけが悟りのメソッドじゃないと思うし、仏教だけが悟れるなんて考えたら…某ナンタラ会と同じじゃん?

831 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/20(月) 15:35:14 ID:RrBHcK7V
 ついでに言うと、スマナサーラ長老は死随念、無常随念などの方法も
示しています。

832 :名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 16:02:00 ID:/1fMsZuk
>>831
そいつに、

「大きな声でしゃべるな」
「ぼけ!!などというな」
「ニヤニヤきもい笑い方をするな」
「こっそり風俗に行くな」

とお伝え下さい。

833 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/20(月) 16:23:32 ID:RrBHcK7V
 風俗は知らないけど、色々言われていることは本人も知っています。時々講演
会などでボヤいています。

834 :名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 16:37:42 ID:XRJ3pJg3
ほう、スリランカの僧侶もそういう俗な面があるんだ。タバコを吸う僧がいるのは
聞いていたが。まるで日本の坊さんみたいだな。いや実は前から思っていたのだよ、
上座部仏教国が先進国並に豊かだったら、聖職者たちもどれくらい高潔でいられるかとね。

835 :名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 17:02:19 ID:/1fMsZuk
>>833
ボヤくのなら、最初からするなと伝えてください。
ボヤくのも戒律に反しますよ。ボヤく心ではシャマタさえできません。馬鹿じゃないですかそいつ。
あと、お金に汚くなるなと伝えておいてくださいな。

836 :名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 21:30:49 ID:9dyVZAOI
>>809
単に空・無ではなく、空があるのだ、無があるのだ。

837 :名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 01:51:47 ID:8gU0Rdsf
>>787
> 肯定すべきは肯定し否定すべきは否定するのが、中道ですよ。

俺は「すべての立場を否定するのが中道である」とは、まったく考えていません。
むしろ「なんじゃ、こりゃ?」と思います。
しかし、不思議なことに、お邪魔しますは「すべての立場を否定するのが中道である」と主張しているんですよ。
>>666,>>697でご確認願います。
もし「すべての立場を否定するのが中道である」ならば、層化を攻撃する立場も否定しなければならないはずです。
なぜか自分自身の矛盾は感じないで、層化の矛盾だけを感じるようです。

>>792
なにを言いたいのかよくわかん。
墓穴を掘ってない?
それから、次の質問を見落としてますよ。
> それから、すべての立場を否定するのが中道だと主張するなら、なぜ層化を攻撃をする自分の立場を否定しないの?
> >>741で、「やっぱここに私の我がででいますね」とわかっているのなら、改めたら?
他にも>>613,>>683,>>793等を見落としているようですよ。
あと>>16>>73の自分のレスに矛盾は感じないのですか?

838 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/21(火) 04:11:49 ID:dpHXuIFi
確かに矛盾してますな。ハイ

839 :名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 05:59:13 ID:8ihJ3yMx
問う者 としての投稿者
>>837さんへ
失礼いたしました、お詫びします。

840 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2006/03/21(火) 08:48:32 ID:39yhQxZo
>>829 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/20(月) 15:10:53 ID:RrBHcK7V
> >涅槃に至るためには、八正道の歩みがあるのみ
>
> 悟りに至る方法を八正道のみに限定するのは、どうかな。新たな執着を生み出さないか。

その心配は無用です。八正道を実際に歩めば、執着はなくなりますから。


841 :名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 08:59:07 ID:iAsZlnG7
>>840
コイツ。カルトだ。

842 :名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 10:24:51 ID:39lpSozt
空と空性は違うからね
一切の色は空性を持っている・・・・

843 :名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 20:03:44 ID:EkKvis1y
いかなるものであれ、違いが認められるところには必ず双方は縁起関係即ち
相対的にのみ存在していると言う関係が見出されるのだ。
 今の空と空性が異なると言う場合でも同じ。この関係を究極に至るまで
追求して、最終において存在する変化というものはありえないといわなければならない。
いかなる変化も無い事が解ると、そこにあるものは空若しくは、無、若しくは一相若しくは
無我無願、無相と言わなければならないものがある事になる。
 空性と言うと、表面とその中味の関係を言ってる様だ。表面も無いのだ、表面もまた空性なのだ。
だから一切は空であると言うのが正しいと思うのだが。無のほうがもっと良いかな?

 

844 :名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 22:27:33 ID:Z6Ry9cW0
>>841
最近、カルトの語義が分かった。「非常識」だ。
超俗を目指すものは、すべてカルトね。

845 :名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 20:38:43 ID:sUFnfMUa
>>796
「 修行し、仏のさとりを求める。その眼は五眼の徳をそなえており、
清く澄みとおって、明らかでないものは何もなく、すべての世界を
自由に見とおし、さまざまな道を見きわめ、平等の真理に到達し、
すべてのものの本性をさとり尽している。こうして、何ものにもさ
またげられない智慧によって、人々のために法を説く、迷いの世界
はみな空であり、とらわれるようなものはないと見きわめて、仏の
さとりを求め、巧みな弁舌の智慧によって人々の煩悩のわずらいを
除くのである。真如の世界から現れ出た菩薩であるから、すべての
もののまことのすがたをさとっており、人々に善を積ませ悪を除か
せる手だてを心得ていて、世俗の理屈を好まず、まことの道理だけ
を楽しむのである。

 これらの菩薩たちは、さまざまな功徳を積んで仏のさとりを敬い
求め、すべては本来空であるとさとり、肉体も煩悩も、迷いの因果

http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub24.htm



846 :名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 21:10:16 ID:NCLiYeXV
>>お邪魔します
>>838
>確かに矛盾してますな。ハイ

あなたは、自分の発言と層化への攻撃が矛盾していることを認めたわけですが、この矛盾を正しませんか?
また、あなたは層化への攻撃に関して>>741で「やっぱここに私の我がででいますね」とも認めたわけですが、これも正しませんか?
つまり、そこまで自分でわかってるのなら、層化への攻撃をやめるのがよろしいかと思われますが、いかがでしょうか?

それから、また>>613,>>683,>>793の質問を見落としていますよ。

847 :名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 21:25:33 ID:sUFnfMUa
>>845つづき
89
--------------------------------------------------------------------------------

はともに尽き、奥深い教えを聞いて疑いためらうことなく、常によ
く修行する。その大いなる慈悲は実に深くすぐれており、すべてを
わけへだてることがない。大乗の教えをきわめて、人々をさとりの
世界に至らせ、疑いの網をすべて断ち切り、智慧はその心からわき
出て、仏の教えをすべて残すことなく知り尽している。その智慧は
大海のように深く広く、その禅定は須弥山のように揺らぐことがな
い。智慧の光が清く明らかなことは太陽や月に越えすぐれており、
清らかな功徳はすべて欠けることなくそなわっている。

 http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub24.htm
 
 空を修行しようとするものは上の浄土の菩薩達を見習うのではないだろうか?

848 :名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 21:44:02 ID:sUFnfMUa
 層化は非難すべきである。彼らは正法を誹謗しそれを世に広めているからだ。
層化は、大乗経典が末法においてこの正法を誹謗しそれは
仏の教えでないという者が現れてくるだろう、
と予言しているその悪魔である、といわねばならない。

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」P63
「釈迦の法はもう過去のもので何の利益もない」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P65
「われわれは釈迦仏教に縁のない民衆であることを知
 らねばならない」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P67、P316
「日蓮聖人が末法の御本仏であらせれる」
「釈迦等のとうていおよぶ 分際ではない」



849 :名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 21:44:55 ID:sUFnfMUa
>>848つづき

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P93
「釈尊出世の本懐である法華経でさえも末法の今日に
 は まったく力はない」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P70
「(創価学会の)この大御本尊を拝む以外に末法の
 衆生は基本的に幸福になれないのである。」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P303
「釈迦仏法など立てるのは去年の暦と同様で役に立た
 ないしろものである。これを使用するから生活に破錠
 をきたすのは とうぜんである。」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P321
「俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に不具者が
 できたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては
 発狂する者ができたりして〜」



850 :髪ダイリ:2006/03/22(水) 21:48:28 ID:Jl/mN4t8
ヽ(´∇`)ノココには基本的にソカいないからソカ批判はソカでやってね。根性あればの話しだけど。てか、ここでソカの話するってことはスレッド違い。ソカは仏教じゃないから

851 :名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 22:11:27 ID:sUFnfMUa
賛成できない。
 ものは一辺だけを見ては行けないと言うのが仏教だ。全く関係のないものと思われるものが
もう片方の辺であるのだ、一辺に執着している場合には。仏教の話をするのなら悲仏教の話を
見る事を忘れてはならないと思う。かくして仏教である空を体得する事になるのじゃないか?
 もちろん主体は原始仏教であるが、それに固執するのは一辺にしゅうちゃくするものであると思う。

852 :髪ダイリ:2006/03/22(水) 22:33:47 ID:Jl/mN4t8
ヽ(´∇`)ノあんたさ、仏教はさ、他のやり方干渉しない、押し付けないだよ?あんたそもそも何宗?今をトキメク般若宗?

853 :中観派:2006/03/22(水) 22:39:58 ID:OTTQHAwb
般若宗って無我とかは教えてくれるけれど中道はあまり教えてくれ
ないんだよな。誰か真剣に中道を考えている人いるのかな。


854 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/22(水) 22:44:47 ID:VGiX6sLS
>>846
相手と時によって変化する。こんなところです。

855 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/22(水) 22:56:51 ID:VGiX6sLS
スッタニパータやダンマパダではあまり「空」という言葉を
使っていない。

(ブッダが答えた)
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界
を空なりと観ぜよ。そうなれば死を乗り越えることが出来るであ
ろう。・・」
スッタニパータ 1119

ここは珍しく「空」が使われて覚えているのだけど、他にどこか
あったかな〜。

856 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/22(水) 23:07:26 ID:VGiX6sLS
財を蓄えることなく、食べ物についてその本性を知り、その人々の
解脱の境地は空にして無相であるならば、かれらの行く路(足跡)
は知り難い。___空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。

ダンマパダ 92

その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は
空にして無相であるならば、かれの足跡は知り難い。___空飛ぶ鳥
の迹の知りがたいように。

ダンマパダ 93

ダンマパダではここの2章だけだと思う。

857 :名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 23:57:13 ID:NCLiYeXV
>>854
>相手と時によって変化する。こんなところです。

「すべての立場を否定するのが中道である」と>>666,>>697で主張しているけど、
その主張に従うと「相手と時によって変化する立場」をも否定してしまうことになるよね。
本当にこれでいいの?
また矛盾してない?

それから、また>>613,>>683,>>793の質問を見落としていますよ

858 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/22(水) 23:58:09 ID:VGiX6sLS
大聖人は12歳の時から清澄寺の本尊である虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)に対し
「日本第一の智者となし給へ」との願いを立てられました。このような願いを立てられ
たのは、当時、大聖人が次のような疑問を抱かれていたからであると諸御書から推定で
きます。
 「承久の乱」(1221年)で、朝廷側が天台真言の秘法によって勝利を祈ったにも
かかわらず、惨敗したのはなぜか」「仏教は釈尊一仏が説いた教えであるのに、なぜ各
宗派に分かれて争うのか」「自分の父母等も信ずる念仏の行者が臨終(りんじゅう)の
時に狂乱、悪相の姿を現ずるのはなぜか」

これは創価学会の公式ホームページから持ってきたのだけれど、日蓮の場合は出発点から
お釈迦様が目指したものと、違っている気がする。

また五重の相対のなかで初期仏教に対して以下のように批判されています。

内道たる仏教にも、小乗教と大乗教とがあります。小乗教とは、釈尊が華厳教の後に続い
て説いた阿含部12年間の経、大乗教とは小乗以外の経々で、この両者を比較相対するの
が大小相対であります。

まず、小乗教は、ごく初歩的な真理の一分と、種々の戒律を説いた教で、自己の救済のみ
を願う二乗(声聞・縁覚)を仏教に誘引し、やがて大乗教へと導くための一時的な教えで
す。

大乗教とは、法の内容が高度で、自他共の救済を願う民衆(菩薩)のために説かれ、つい
に成仏に至らしむる教えです。

大乗に対して小乗の教えは浅薄を免れず、大小相対して、大乗教が勝れるのであります。

また創価学会に対して書いてしまいましたが、学会が会員に対して初期仏教をどのように教
えているか、仏教に何を求めているか、知って貰いたくて書きました。


859 :名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 00:05:05 ID:64eikfng
>>853
空を修行すると言うことは中道を修行するという事だよ
>>>847
「すべては本来空であるとさとり、肉体も煩悩も、迷いの因果
はともに尽き、奥深い教えを聞いて疑いためらうことなく、常によ
く修行する。」

 二辺を見(両極端にとらわれず中間にもとらわれず)ということ。両極端に
囚われないとは、どちらにも執着しないということだ。どちらにも執着しないとは
どちらも実体のないものである即ち空で無であると知っている事である。

860 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/23(木) 00:05:57 ID:zo1tjhyY
>>613
思考しないで理解することは私には出来ません。
>>683
どこまで行っているか分かりません。ただおしゃかさまとは雲泥の差が
あることは、自覚しています。
>>793
オウムの人々が最高の教えに従って、多くの人を殺したと思っています。
そのような教えを学ぶ気はありません。 

861 :名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 00:51:45 ID:TS75bwRO
パーリ仏典「長部経典」と漢訳仏典「長阿含経」との比較

> 原始仏典に含まれる各経典における共通の説法は何か? 
> 漢訳シナ仏教(北伝)や日本仏教でカットされた説法とプラスされた説法はどこか? 
> こういった調査研究の動きが仏教界での「元還り」かも知れません。

パーリ仏典「長部経典(34経)」のうちの23経を読みましたので、最近は
漢訳仏典「長阿含経」を読み始めております。

「種徳経」、「三明経」にはさっと目を通しましたが、パーリ仏典と共通箇所(説法)
が多いように感じました。
しかし「沙門果経」を読みますと、前半は類似として、特に後半の修行成果としての
神通力や、再生に関する説法が大幅にカットされていることを確認しました。

このカットが原因で、漢訳仏典から成長した日本の仏教界にて神通力や再生の認知度
が低くなったのかも知れませんね。


862 :一在家:2006/03/23(木) 00:53:07 ID:TS75bwRO
パーリ語仏典と漢訳仏典との比較「三明経」

パーリ語仏典「長部経典」と漢訳仏典「長阿含経」とを順に読んで比較して
おります。

「沙門果経」同士の『神通力』の比較では、前者から後者が大幅にカット
されていることを確認しました。
「三明経」での、青年バラモン(Q)と釈尊(A)との『梵天』に関する
対話(Q&A)では、文言は違っても意味的には共通であることを確認しました。

■パーリ語仏典「長部経典」
Q.私は「修行者ゴータマは、梵天との共生の道を知っている」と聞いている。
A.私は梵天も、梵天の世界も、梵天の世界へいたる道も知っている。

■漢訳仏典「長阿含経」
Q.梵天への道を説き、示し述べて下さい。
A.私はいつもしばしば、その梵天への道を説いているからである。


863 :一在家:2006/03/23(木) 00:56:48 ID:TS75bwRO
「梵天の神の声に立つ釈尊」
現代の仏教では梵天が釈尊に説法を頼んだので、釈尊の方が梵天よりも
偉いと、一般的には解釈されております。

原始仏典の一つの長部経典の中の大アパダーナ経(大本経)での、
最初の仏(如来)ヴィパッシンと大梵天との対話を皆様もご存じ
でしょう。

如来「私が到達できたこの真理は、深遠で、見がたく、理解しがたいもの
であり、智者のみが知り得るものである。もし私が真理を説き示しても、
他の人達は理解してくれないだろう。それは私にとって疲労となろう。
それは私にとって煩いとなろう。」と思い、詩句が浮かびました。
「辛苦をもって私が到達したものを説き明かすのはもうやめよう。
貪欲と瞋恚にとらわれた者たちにこの真理はよく悟りうるものではない。
世俗の流れに逆らうものであり、微妙であり、深遠で見がたく、微細である
真理を、情欲に染まった無知の闇に厚く覆われた者たちが見ることは
ありえない。」と。



864 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/23(木) 00:56:54 ID:5O8HWms3
>>857
 いままでその1、その2にわたって、創価学会に対する批判はして
いないはずです。そちらかから水を向けられるまではね。

>相手と時によって変化する。こんなところです。

というのはこういうことです。

>>613について付け加えれば
 
「花は花であって花ではない」
これを言葉で理解しようとするのは難しいと思います。
また自転車に戻りますが、自転車に乗っているときのバランスの取り方を
言葉だけで完全に理解させ、練習もなしに乗れるようにすることが出来ま
すか?



865 :一在家:2006/03/23(木) 00:57:32 ID:TS75bwRO
梵天(神)上の大梵天の中の一方が如来の心を読んで姿を表しました。
「生き物の中には塵埃の少ない性質の者もいます。彼らは教えを理解
するでありましょう。」と三回も如来に懇願しました。

そこで如来は神通力の眼でもって世界中の生き物をスキャンされ、大梵天が
指摘されたような「塵埃の少ない性質の者、才知の鋭い者、よい性質の者」
をわずかに見つけ、大梵天に詩節で答えて、説法を開始されました。
「彼らに不死の諸門が開かれている。
聴く耳をもつ者であれば、私に信を発こせ。
梵天神よ、徒労になるのではないかと想って、私は正しい卓越した教えを
人間達に説かなかったのだ。」

そして如来の想いの転換を確認して、大梵天はその場から去りました。
如来に三度も懇願して下さった大梵天に人類愛、大いなる慈悲を私は感じる
次第です。

如来はゴータマとして生まれてきた際も、悟りを開かれた(思い出された)
後にまた説法を躊躇されましたが、梵天の励ましで説法を開始されます。

悟った人(仏陀)でさへ、心変わりしているいうことから、大梵天との関係も
推測できます。


866 :一在家:2006/03/23(木) 00:59:59 ID:TS75bwRO
原始仏典と法華経との共通真理

法華経(菩薩乗)での、二つの重大真理を一度並べてみましょう。

真理1:「人は仏子であり、やがて仏にもなり得る」
真理2:「実は世界も仏も実相は常住不滅である」

AならばB、かつBならばC →  AならばCという論理式だと、
「人(仏子)も実相は常住不滅である」となりますね。

原始仏典(長部経典)の中の「自歓喜経」は釈尊とサーリプッタ(舎利弗)
との対話ですが、興味深い一節(常住論)があります。
「アートマン(個我)と世界は常住であり、なにものも生み出さず、不動
であり、石柱のように固定していて、かの生けるものたちは生死流転し、
輪廻しているけれども、まさに常住不変に存在している。」

尊者サーリプッタ(舎利弗)は釈尊の面前で信仰の喜びを表明したので
歓喜経と命名されたそうです。


867 :一在家:2006/03/23(木) 01:03:26 ID:TS75bwRO
>861〜>866は他の宗教板からのコピぺです。

原始仏教スレの住人の皆様の所感は如何でしょうか?


868 :一在家:2006/03/23(木) 01:22:34 ID:TS75bwRO
長部経典で複数の梵天と大梵天とが登場

長部経典の中で複数の梵天と大梵天とが登場します。明らかに区別されています。

長部経典T(中村元監修)P508「堅固経」
「われらより優れた、まさったブラフマー(梵天)、マハー・ブラフマー(大梵天)、」

長部経典U(中村元監修)P47「大本経」
「すると、比丘らよ、大ブラフマー神(大梵天)のなかの一人が、」

以上、大梵天の下に梵天達がいて、かつ大梵天も複数存在したことが
明記されております。
その中のお一人が仏陀の心を読んで説得した訳ですが、釈尊を超人化する過程で
梵天達を相対的に低くしたのが後世の仏教徒ではないでしょうか。


869 :一在家:2006/03/23(木) 01:24:32 ID:TS75bwRO
日蓮大聖人御書全集、341編を調べましたところ、
「神国」に関する日蓮の説法が登場する箇所が8編ございました
ので、一部を紹介します。

【念仏宗追放せしむる】正元元年(38歳)
「右我が朝は本是れ神国なり。百王彼の苗裔を承けて、
四海其の加護を仰ぐ。 」

【聖愚問答抄】文永二年(44歳)
「然るを日本は神国として伊奘諾・伊奘冊の尊此の国を作り、
天照大神垂迹御坐して、御裳濯河の流れ久しくして今にたえず。」

【北条時宗への御状】文永五年(47歳)
「夫れ此の国は神国なり。神は非礼を稟けたまはず。
天神七代・地神五代の神神、其の外諸天善神等は一乗擁護の神明なり。」


870 :一在家:2006/03/23(木) 01:26:45 ID:TS75bwRO
>868〜>869
長部経典の中で釈尊と対話した大梵天と、日蓮大聖人が敬った神々と
似ているように思います。


871 :一在家:2006/03/23(木) 01:32:05 ID:TS75bwRO
「日蓮大聖人御書全集」、341編を調べましたところ、
「天照大神」に関する日蓮の説法が登場する箇所が5編ございました
ので、一部を紹介します。

【神国王御書】文永十二年(54歳)
「国主をたづぬれば神世十二代は天神七代・地神五代なり。
天神七代の第一は国常立尊、乃至第七は伊奘諾尊男なり。
伊奘册尊妻なり。
地神五代の第一は天照太神、伊勢太神宮日の神是なり。
いざなぎいざなみの御女なり。」
(※国常立尊神の御名が登場します。天神と地神とを立て分けもされてます。)

【日女御前ご返事】建治三年(56歳)
「日本国の守護神たる天照大神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神、
総じて大小の神祇等体の神つらなる、其の余の用の神豈もるべきや。」


872 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/23(木) 02:40:03 ID:5O8HWms3
>>866について
>「人(仏子)も実相は常住不滅である」となりますね。

人々は「これはわがものである」と考える物、ーーそれはその人の死によって
失われれる。(自己の)所有しているものは、常住でないからである。この世のも
のはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまってはならない。
 スッタニパータ 805

虚空には足跡がなく、外面的なことを気にかけるならば、(道の人)ではない。作り出
された現象が常住であることは有り得ない。真理を悟った人々(ブッダ)は、動揺する
ことがない。
 ダンマパタ゜255

「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知恵をもって観るとき
に、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道であるる
 ダンマパダ 278


873 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/23(木) 02:41:09 ID:5O8HWms3
いかなる常住なる生存も存在しない。また諸々の形成されたものも、常住ではない。個
人存在を形成する五つの要素は、次から次へと、生じては滅びる。
 テーラガーター 121

師はわれに、この世界を、無常で、堅固ならず、実質のないものであると示したもうた。
 テーラガーター 1131

わたしは、安らぎの境地を楽しみます。生存のうちにあるものは、たとえ天界のものであっ
ても(神の身でさえも)、常住ではありません。
 テーリーガーター 450

ついでに、三法印(さんぼういん)では、仏教の教えを特徴づける三つの考えとして。

仏教自身と他の教えとの区別を明らかにすると同時に、自身の特徴を示そうとして「諸行
無常印」「諸法無我印」「涅槃寂静印」の三法印を説いている。

 遅くなったので寝ます。

874 :名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 05:01:07 ID:U8FfI0n7
クォーク quark はインド人のいう常住の存在者に近いです。竜樹は詭弁家です。
唯心論は誤謬です。インド思想家中、最も発想がすぐれていたのはアジタです。
現代人は常住の存在者をほぼ発見しました。変化とは常住者が結合を変えるから
生じます。竜樹の詭弁だと、あらゆることはあらゆることと関係がある。縁起です。
宝くじに当った人とその日常の行いが無関係ではないことになります。カルマです。
利益です。馬鹿げています。ブッダも「中道」という無責任の立場をとった。竜樹の
先生です。

875 :名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 09:18:42 ID:EZ15qDu0
なんで馬鹿げてんの?

876 :太刀山型の土俵入り:2006/03/23(木) 10:18:48 ID:hdh6DGPG
中村元は仏教学者としては並だが、インド思想を扱う学者としては大家である。

877 :名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 11:54:24 ID:idJhe6ba
>>864
>  いままでその1、その2にわたって、創価学会に対する批判はして
> いないはずです。そちらかから水を向けられるまではね。

なにが言いたいの?
このスレで層化を批判してなければ、他で散々攻撃していても攻撃したこと
にはならないと言いたいの?
それとも、あなたがこのスレで層化批判をしたのは、俺のせいだとでも言うの?


> >相手と時によって変化する。こんなところです。
> というのはこういうことです。

そんな質問はしてないから、わざわざご説明いただかなくても結構ですよ。
しかし、どうしていつも質問を無視したり、質問してないことを答えたりするのかね?
もう一度、同じ質問をします。

「すべての立場を否定するのが中道である」と>>666,>>697で主張しているけど、
その主張に従うと「相手と時によって変化する立場」をも否定してしまうことになるよね。
本当にこれでいいの?
また矛盾してない?

878 :髪ダイリ:2006/03/23(木) 13:57:04 ID:38yYb1to
ヽ(´∇`)ノお邪魔さん、他でいくら喧嘩売っても良いけどここではソカに釣られちゃ駄目だょ…アハハハ

879 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/23(木) 15:40:48 ID:QHXoSTud
>>878
アホらしくなったのでそうします。

880 :髪ダイリ:2006/03/23(木) 16:11:30 ID:38yYb1to
<m(__)m>是非そうしてください。お願いしちゃいます。

881 :名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 00:57:00 ID:AGRN1dLt
>>878
言っとくけど、俺は層化ではない。
こういうやり方だと、そう思われてもしょうがないけど…。

>>879
ギャハハハ……。
やっぱり答えられないんだね。
いいですよ、あなたの遁走でひとまず終了としましょう。
なんか文句がある場合は、>>877の質問にちゃんと答えてからにしてね。

882 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/24(金) 03:39:09 ID:juAQWOMo
>>881
>「人(仏子)も実相は常住不滅である」となりますね。
に対する私の批判には一言もありませんね。
それに反してこの板で創価を批判していないにもかかわらず、過去に創価版で
批判したと行って絡んできたので、てっきり創価だと思いました。
創価学会の体質として、アンチに対して徹底的に嫌がらせをするものですから。

 
以上を持ちまして、あなたとの対話は終わりといたします。


883 :名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 05:55:42 ID:AGRN1dLt
>>882
時系列を見てみなよ。
俺の質問が>>857
>「人(仏子)も実相は常住不滅である」となりますね。
というのは>>872
俺の質問が先ですよー。
それに、いったい誰に対してレスしてるの?
>>872のアンカーは>>866の一在家に貼られてるじゃんよ。
俺の質問に答えられないから、アンカーを俺に貼らないで
こっそり俺を批判してたんだw。
>>872での、あなたの俺への批判というのは、実は俺への批判
ではなくて、あなたの「すべての立場を否定するのが中道である」
という主張>>666,>>697への批判ということにまだ気づかないんだね。
要するに、あなたは矛盾しているということですよ。


>以上を持ちまして、あなたとの対話は終わりといたします。

俺は終わらなくていいよ。
>>857,>>877の質問にあなたが答えられるならね。
ほら、答えてみたら?
矛盾してると認めたら?

884 :暇人:2006/03/24(金) 08:01:15 ID:0jwavJwp
>長部経典T(中村元監修)P508「堅固経」
ここの文脈を読んでいただければ、p509に
<ケーヴァッタよ 再び、マハーブラフマーは次ぎのように言った
「比丘よ、わたしは、ブラフマー、マハー・ブラフマー、勝利者、征服されないもの、
すべてをみるもの、支配者、自在者、制作者、創造主、優越者、創造者、主宰者、
過去と未来にあるもろもろのものの父である」と>
とあるようにブラフマー、マハー・ブラフマーは併記された尊称ですので 一人を
さしています。

>長部経典U(中村元監修)P47「大本経」
>「すると、比丘らよ、大ブラフマー神(大梵天)のなかの一人が、」
ここの原文はaNNaratassa mahAbrahmunoですが、
このaNNaratassaをaNNaの比較級ととり「随一/二者の一/ある」という意味で
「複数の中のひとり」と訳されているようですが、
続く文章に「ブラフマンがブラフマン界から姿を現し」に対応しており
aNNatra「他所で」と訳したほうが文脈は通ります。
「すると、比丘らよ、他所にいた大ブラフマー神(大梵天)が、」

この二箇所ともパーリテキスト事態からはブラフマンが複数いるとは言えません。
但し、注記では五世紀の倶舎論に依拠し複数のブラフマンがいることを紹介されて
います。大本経の訳者岡野潔はその世界観から
「大ブラフマー神(大梵天)のなかの一人」と訳したのでしょう。


885 :名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 14:33:18 ID:JqVNryVT
ブッダとソクラテスはほぼ同時代の人である。そしてギリシャではその孫弟子アリストテレスが
たいへん完成した論理学を建設した。ソフィストと六師は似ている。ブッダとソクラテスも似て
いる。かれらは正しい考え方の技術、つまり論理に関心が強かった。正しい考え方を対話に
よって発見しようとした。しかしインドにはアリストテレスが現れなかった。ナーガールジュナは
論理にさらに専中したが、まだ論理学は建設されなかった。ディンナーガがアリストテレスと
ほぼ同じ内容の論理学を発明するが、それは紀元後6世紀のことである。
それでナーガールジュナが深刻な問題に取り組んだことは確かだが、結局、白馬非馬の詭弁
を出なかった。中観派はいかなる主張も成立しない、という主張は成立するという自立論証派
と単にいかなる主張も成立しない、という帰謬論証派に分かれた。いかなる主張も成立しない
という考えは結局、サンジャヤの懐疑論と同じ結果になる。それならばいかなる主張をしても
現実には等価である。菩薩は菩薩でないがゆえに菩薩である。菩薩は菩薩であるがゆえに
菩薩でない。こうして中観派は深刻な問題に取り組んだのではあるが、そのもたらした結果は
なんでもありのアノミーであった。

886 :名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 14:45:22 ID:Wv2Zq3Z1
インドの論理学は、宗教的な精神世界と関連してるせいか独特だよね。少なくとも
世界中の人に受け入れられるような普遍性は乏しい。

887 :お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :2006/03/24(金) 16:38:09 ID:xbM/BYG4
 初期仏教では、梵天をはじめ色々な神や悪魔が出てきて仏陀と問答して
いるけど、これをどう扱ったらよいのだろう。
 
 テーラーワーダでは、人間界よりも高い次元において存在する、としてま
すけれど。

888 :名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 16:53:49 ID:JqVNryVT
経典はずっとあとで作られたものだから。「原始経典」とかいって古い部分が多そうな経典を
翻訳出版しているが、初心者を混乱させる。「原始仏教」は釈尊と直弟子の時代をいう。
したがって「原始経典」は観念上のテキストで、現存経典から最古の部分を想像したものを
いう。キリスト教の文献学を応用したのだが、「原始聖書」という言葉はない。近い概念は
あっても。だから神や悪魔が出てきたら、その部分は後で作られたと考える。予言があれば
その事件が起こった後で作られたと考える。そうやってブッダと直弟子の時代の教えを想像、
復元するわけです。

889 :名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 17:03:21 ID:PLavcvf8
>>888
>だから神や悪魔が出てきたら、その部分は後で作られたと考える

その類の「非神話化」は、釈尊は宗教/信仰ではなく 思想/哲学だという
中村元さん風の現代的な解釈流儀ですが、
おそらく時代遅れになるのでは、と思われます。
古層と言われる雑阿含の中の古い部分である最初部分は
「神々/悪魔」との対話が普通に為されています。
釈尊その人がどうであったかまでの断定はできませんが
仏典が伝承された初期の段階では既に「神/悪魔」が出てきたのだと
思います
なにせ「古代」ですから。。
無闇に現代を古代に読み込むの避け 如実にテキストを見るべきかもですね

890 :名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 17:31:06 ID:hy1LM94v
中村元さんはじめ近代仏教学は、経典の中の虚構、神話を廃し
歴史上の、人間釈迦を浮き彫りにしようとしたが
結果、そんな「歴史上の人物としての釈迦像」といったもの自体が
虚構であった。
たしかにそんな手法はいまさら時代遅れであろう

891 :中観派:2006/03/24(金) 17:40:29 ID:eQ6InJUi
>>890
釈迦が実在しなくても、仏教の教義は変わらない。
しかし、イエスが実在しなかったら、キリスト教の教義は破滅する。
結構、キリスト教は仏教を恐れているらしいよ。

892 :名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 17:48:27 ID:JqVNryVT
>>889
神や悪魔が出てきたからといって、その部分がずっと後世に作られたとは限りません。
それにインドは今日でさえそんな話は翌日にもできる風土です。また、神や悪魔などは
初期仏教でそれらの存在をどうとらえていたか、という問題も考える必要があります。

893 :中観派:2006/03/24(金) 18:04:02 ID:eQ6InJUi
>>892
釈迦が初めに説かれたのは中道の考え方です。
仏教の神や悪魔については中道とは何かを究めてから考えれば、おのずと
解決するんじゃないですかね。きっと、中道を意識したら、頭がさめて
ブッダは無我とかも悟りだしたんじゃないかと思う。
中道やれば正しいものが出てくるんですよ。

894 :中村派:2006/03/24(金) 18:24:26 ID:Wv2Zq3Z1
少なくとも中村は、「神や悪魔が出てきたらその部分は後で作られたと考える」とは
考えていなかったのでは?現に中村自身が最古とみなす教典に神や悪魔が出ているし、
むしろ彼は仏典の言語に古い訛りや方言が含まれているときや、体系化されて
いない教義があるときは、釈迦直伝に近いとみなしていたと俺は記憶してるけど。

ただこうは言っても、>>890さんも述べているように、釈迦自身は聖典を作ってない
以上、どこまで本当に本人の教えかははっきりとはわからないと思う。


895 :中観派:2006/03/24(金) 18:39:20 ID:eQ6InJUi
>>894
イスラムやキリスト教のように聖典だけにこだわるようにならなくていいんですよ。
あくまで仏教聖典は正しいものを見つけるための参考ぐらいにしたほうがいいですよ。

896 :中道派:2006/03/24(金) 18:48:55 ID:Wv2Zq3Z1
>>895
いや全く同感です。ここにいる人には当たり前のことかもしれないけど、私は
仏典だからといって全てを鵜呑みにはしませんし、また仏典以外の聖典や人々の
教えの中にも役に立つものはあると考えています。

897 :中観派:2006/03/24(金) 18:51:36 ID:eQ6InJUi
>>8996
あなたは中道派ですか。今度は中庸派が出てきそうだな。
まあ、みんな同じ意味だと思うんだけどね。
いっぱい、中道のことを教えてください。まだ、悟りだしたばかりなんです。

898 :中観派:2006/03/24(金) 18:53:59 ID:eQ6InJUi
>897
番号を間違えました。
>>8996ではなく>>896です。

899 :名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 19:38:24 ID:sQdat2sU
執着するな...か。


900 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 00:05:41 ID:QjsSLMcm
>>893 正見なしに中道がわかるハズないだろう。
他スレでも言ったが中道とホドホドは違うんだよ。
「悟りだしたばかり。。。」じゃなくて真逆に走ってる。

901 :中心派:2006/03/25(土) 00:06:50 ID:jbtJgtCv
(*´∇`*)アゲ

902 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 00:49:53 ID:7Ze7FqCu
非有非無

903 :一在家:2006/03/25(土) 07:20:15 ID:azOIpdJo
>>882
原始仏典:自歓喜経と法華経:如来寿量品第十六との共通真理

原始仏典(長部経典)の中の「自歓喜経」は釈尊とサーリプッタ(舎利弗)
との対話ですが、興味深い一節(常住論)があります。
「アートマン(個我)と世界は常住であり、なにものも生み出さず、不動
であり、石柱のように固定していて、かの生けるものたちは生死流転し、
輪廻しているけれども、まさに常住不変に存在している。」

尊者サーリプッタ(舎利弗)は釈尊の面前で信仰の喜びを表明したので
歓喜経と命名されたそうです。

法華経でも、これまで「常住不変のものは無い」と説いてこられた
釈尊が一転して、「実は世界も仏(神)も実相は常住不滅である」と
説き、弥勒菩薩ら高弟でも愕然とした次第です。(如来寿量品第十六)
四諦などの真理も実は方便(真の如き)だったことがはっきりします。

長部経典と菩薩乗(法華経)の共通の究極真理のようです。

因みに私は仏教徒ではございません。聖書、コーランも読んでおります。

904 :一在家:2006/03/25(土) 07:38:30 ID:azOIpdJo
最古層の仏典と言われるスッタニパータにも、神、悪魔、地獄、再生、神通力は
登場します。

一例、
(蛇の章)
「神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
「バラモンよ。実に神々・悪魔・梵天とともなる世界において、」
「決して再び母胎に宿ることがない。」
「これら千の神霊どもは神通力があり、」

(彼岸に至る道の章)
「ただ心の中で(口にださずに)かれに問え。」←長部経典で度々登場の読心通。
「アジタは心の中でブッダに質問した。」

ここの住人であれば皆ご存じでしょうが。


905 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 11:55:18 ID:eMQU60Xm
>885さん
浅薄な理解ですね。
般若経典と中観思想の二つとも理解してませんね。
論理学が好きならニヤーヤビンドゥを読んでミソ
ダルモーッタラの釈があるから。仏教論理学の入門書だよん。

906 :中観派:2006/03/25(土) 12:05:04 ID:3Sck5gLd
中観派ってなんでもありのアノミーだとは思いませんね。
中観思想を持っていない方が予言みたいな不確かなものを信じ、
オウムのようなカルトを生んだりして混乱に陥ったんじゃないかと思いますね。
不確かなものを完璧には信じないのが中観派のよいところだと思いますね。
とても、科学的です。

907 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 12:11:32 ID:m+KdznhR
ブッタとシッタカブッタ
書いてあることがさっぱり分からん
人生楽になんねぇ

908 :中観派:2006/03/25(土) 12:20:40 ID:3Sck5gLd
>>907
人生楽になるのが中道だよ。
君の今の苦によって将来人生が楽になるかもしれない。
人生が一生苦だとは限らない。世にいうプラス思考っていうのは中道の考えにぴったし
当てはまる。

909 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 14:14:58 ID:QjsSLMcm
>>908
いい加減な事書いて初心者を惑わせるな。

910 :中観派:2006/03/25(土) 14:19:30 ID:3Sck5gLd
>>908
でもこれは確かでしょ。誰にも未来が楽だとか苦だとかは分からないじゃないですか。


911 :南無大師遍照金剛:2006/03/25(土) 14:22:01 ID:jbtJgtCv
将来が楽とか苦が分からない?だったら死ぬ程努力して幸せゲット汁。楽しようとか思うことが惰性の始まり。

912 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 14:26:20 ID:QjsSLMcm
>>910 なんでプラス思考が中道なの?
「一切皆苦」と「一切皆空」の違いわかる?わかってて中観を名乗ってるの?
ナーガルジュナを読んで発言してるの?

913 :中観派:2006/03/25(土) 14:26:46 ID:3Sck5gLd
>>911
世間でいう堕落っていうのは将来不安があるのにその不安に対処しようとしない
ことだろ。
苦楽中道は苦痛をできるだけ伴わないで将来の不安に対処しようとすることだと
思うね。これは堕落とは言わないね。また、死ぬほど努力もしていないね。

914 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 14:34:06 ID:bEtErryC
中道はいいが、中道に捉われるのは、中道の道に反するし...難しいな。


915 :中観派:2006/03/25(土) 14:38:30 ID:3Sck5gLd
>>914
既存の中道にとらわれず、さらに中道に近いもの得ようとすることが
中道にとらわれるなということだと思うね。
中道は理論的に最高なものを得られる手法だけど、実践となると、はたしてあっている
のかどうかは分からないものだよ。

916 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 15:12:53 ID:QjsSLMcm
>>915 質問には答えられないようだな。
土俵にも乗れないらしい。可哀想だからこのくらいにしておくか。ww バーイ。

917 :暇人:2006/03/25(土) 15:27:34 ID:LiXdVdvw
長阿含の自歓喜経と大乗の法華経の共通点は、
釈尊は素晴らしいのだと褒め称えているところだと思うが。。。

自歓喜経は、舎利弗が数いる「梵天や尊者」の中でも釈尊が最高なんだと
褒め称えている経典ですね。
長部経典の制作は原始経典としては新しい部類に属しますね。
さて
>>903
「アートマン(個我)と世界は常住であり、なにものも生み出さず、不動
であり、石柱のように固定していて、かの生けるものたちは生死流転し、
輪廻しているけれども、まさに常住不変に存在している。」
・・・・・
とのことですが、これはどなたのどの著作での訳でしょうか。
ちらっとみたところ 漢文/パーリで当該箇所がわからないのですが。。。
よろしく ご教示ください

918 :中観派:2006/03/25(土) 15:29:08 ID:3Sck5gLd
>>916
俺はアリストテレスの中庸と孔子の論語を読んだが、ナーガルジュナの中論は
読んでいないね。
中庸も中道も中観も寛容もすべて同じ意味で目指すべきものは同じだと思うの
だけどね。


919 :中観派:2006/03/25(土) 15:36:47 ID:3Sck5gLd
>>917
>903のことは世界を見れば当然のことなんだから、著作なんか気にする必要
ないでしょ。

920 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 15:42:56 ID:98rJnGC4

カルト ・宗教システムの解析のための お役立ちサイト? です。
ttp://www.geocities.jp/sonomama_da/index.html

霊感商法対策に どうぞ。



921 :暇人:2006/03/25(土) 15:43:23 ID:LiXdVdvw
>>919
は? 著作というか 経典にこう書いてあるよとの発言があったので
探したけど なかった。
それはどこのこと?と確認するのは ふつーじゃん

君の感覚が私にはわからんね


922 :中観派:2006/03/25(土) 15:51:38 ID:3Sck5gLd
>>921
そうでございましたか。すみません。

923 :一在家:2006/03/25(土) 16:02:36 ID:/XnZJRjT
>>917
>とのことですが、これはどなたのどの著作での訳でしょうか。
>ちらっとみたところ 漢文/パーリで当該箇所がわからないのですが。。。

2004年2月20日発行の「長部経典V」(春秋社)P153,P154で、パーリ語の
訳者は岡田行弘氏(ボン大学Dr.Phil、瀬戸短期大学学長)、監修は中村元氏
です。

本章の内容は「世尊の説かれた常住論」となっております。


924 :一在家:2006/03/25(土) 16:09:48 ID:/XnZJRjT
法華経における究極真理の一つが、実は長部経典に既に記載済みで
あったのでご参考までにアップしました。
四諦で言ってきたことが実は衆生救済の方便だったことになります。

もし漢文の長阿含経の方にこの箇所が無ければ、誰かがカットした
のかも知れませんし、パーリ語の方こそ誰かが追記したのかも
知れませんが。


925 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 16:37:55 ID:41z9bq79
今、ざっと南伝大蔵経のコピーをめくってみたが、なるほどねw
たしかに、そういう文はある。
が、それは、宿命通に関する流れの中、
ある尊敬すべき沙門バラモンは、(宿命通により)常住論を主張する。(←この部分ね)
しかし、世尊の宿命通による視点の部分には、常住という記述は無い。
単に、自分の各生を見る、他者の各生を見る。ただそれだけ。
常住であるという説ではない。

もう少ししっかり読もうよ・・・(^^;

また、この経のポイントは別の所にありそう。
少なくとも、おいらの興味は別にある。片山訳読みたいなぁ・・・。

926 :暇人:2006/03/25(土) 16:53:25 ID:LiXdVdvw
>>923
取り急ぎ
ご紹介ありがとうございました。
確認してみます

927 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 17:33:02 ID:ACw6cupV
>>925 どこにあるの? 片山訳いいよん。

928 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 18:41:41 ID:hV/yOIOf
自歓喜経(南伝からの現代漢訳)
ttp://www.jcedu.org/fxzd/ah/cb/31.htm

十五に903の引用部分がある。常住論者の説としてだけどね。

但我与世界是常住、无所生、如山頂常住立不動之石柱。而且彼等有情、出生死去、
流転輪廻、但(我与世界)是常住存在。

929 :一在家:2006/03/25(土) 18:54:56 ID:/XnZJRjT
>>925
サーリプッタが仏陀の教えがいかなる点において最高であるかを
順に語っていく自歓喜経です。

常住論も次のように始まります。
「また尊い方よ、世尊が常住論について教えを説かれたやり方は
最高のものです。」
そしてこのように締めくくられております。
「アートマンと世界は、常住であり、なにものも生み出さず、」と。

本経では次に釈尊が説かれた神通力の内容が紹介されます。
こちらは法華経の如来神通力とは全く異なるようです。

なにぶん仏教徒でない私は深堀りは止めて、あとは暇人様におまかせ
致すこととします。


930 :一在家:2006/03/25(土) 18:58:31 ID:/XnZJRjT
なお底本はイギリスのパーリ文献教会版とのことです。

南伝の底本も多いのでしょうか。


931 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 19:31:06 ID:7w0F/Jg0
変化して居るもので常住なものはないといっているのであり、真実は変化するものでなく常住である
と始めから言っているので、教えに重大な変化は、始めからも終わりまでない。
四諦の法門に付いても、空諦が土台になってあるもので、方便とは嘘と言う意味ではない、方便とは
方法の事であるのだ。涅槃に至るための筏であるのだ。
 小乗と言われたのはある修行者が方便を駆使して教えを説くことが疎かになっている点を非難したもんで
法華経において、彼らも菩薩であると修正しているのだが。
 大乗と称する人々は、小乗と非難したことの責任を取る必要があったところ、それを法華経において果たし者と
解するべきであると思う。

932 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 19:43:39 ID:qYrdguXc
質問があります。
作家サリンジャーの「ズーイー」という小説には
主人公が三度のめしごとに四弘誓願を唱えると言ってる
箇所があるにのですが、これは信仰の態度としては正しい
のでしょうか?ちなみに主人公のズーイーは平気で他人
を罵倒したりします。

933 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 19:56:44 ID:7w0F/Jg0
ニルバーナとは不生不滅のところであり、それは常住である。

934 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 20:29:17 ID:41z9bq79
この経は、大雑把に言って以下のようになるだろう。
    ────────────────────

舎「世尊に勝るほどの沙門は、過去に居ず、未来にも居ず。そして今現在にも居ない
仏「過去・未来の諸仏の思考を同様になぞることができたから
                     →ポイント1・・・神通の存在が前提。

  過去・未来の諸仏の《戒は―、智恵は―、解脱はこのようである・・・A》、と言えるのですね
舎「違います。
仏「現在の仏(私)の思考を同様になぞることができたから
  現在の仏(私)の戒は―、智恵は―、解脱はこのようである、と言えるのですね
舎「違います。
仏「では、汝は他者の心を知り得てはいないことになるが、なぜ、先の様な宣言をしたのか?
舎「私は、教えを全て知ったので、そのように言うのです。」(このあとの比喩表現の仕方が興味深いものの一つ)
  以下、各種の教え(神通力も含)が列挙され、舎利弗がそれを最上のものとして賞賛してゆく。
                     →ポイント2・・・正しい知識と正しい行為があれば仏に並ぶ。
                              心を知らずともAのように言える。

そしてそれは、精進努力によって誰でもが得られるものであり、世尊はそれを得ている。
                     →ポイント3・・・(原文見ないとw

舎『もし、誰かが過去・未来・現在において釈尊に勝る沙門はいるか?と問えば、
  私は「居ない」と言うでしょう。
  もし、誰かが過去・未来において釈尊に等しい沙門はいるか?と問えば、
  私は「居る」と言うでしょう。
  もし、誰かが現在、釈尊に等しい沙門はいるか?と問えば、
  私は「居ない」と言うでしょう。』
                     →ポイント4・・・過去には、お釈迦さんほどの人物は居たかもしれない。
                              未来にもまた、生まれ得るであろう。けれども、
                              今現在、私(舎利弗)は、世尊ほどの人物を知りません!

935 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 20:31:36 ID:41z9bq79
舎『また、誰かがこのように問うでしょう。
  「一方(過去・未来)では並ぶものが居ると言い、一方(現在)では居ないと言う。なぜか?」と。
  それは、世尊がそのように言ったからです。(→世尊を信じるからです。)
  一時代に二人も如来が世に出ることは難いと言ったからです。
                     →ポイント4・・・個人的には、違う理由が欲しいw
舎「私は、間違っていますか?世尊を誹謗することになりませんか?法に適った発言となりますか?
仏「間違っていない。私を謗るものでもない。法にも適っている。

仏「他の行者は、もし、それらの徳を持つならば自らそれを宣揚するだろう。
  如来は、このように徳があり神通力があっても、自らそれを宣揚しない。
                     →ポイント5・・・だから如来は、信じるに値する。
                              →舎利弗に賛嘆させているw

仏「舎利弗よ。この教えの概要(上記の分類分別)を以って法を説きなさい。
  さすれば、如来に対し疑念を抱く者も、その疑念が晴れるだろう。

舎利弗は、自らの、世尊への(信頼を伴う)喜び・満足からこのような言葉を述べたので、
これを自歓喜経と呼ぶのである。

    ────────────────────

さすが南伝大蔵経w 文体が古すぎて読みづらいw
PTSのコピーもとってたと思ったけど見つからないwww
本スレだったらボロクソ言われるだろうな・・・(^^;

全部まとまったことだし、片山訳買うか・・・(;-_-)y━~~

936 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 21:20:36 ID:3IMlv7kS
832 名前: 名無しさん@3周年 [sage] 投稿日: 2006/03/20(月) 16:02:00 ID:/1fMsZuk
>>831
そいつに、

「大きな声でしゃべるな」
「ぼけ!!などというな」
「ニヤニヤきもい笑い方をするな」
「こっそり風俗に行くな」

とお伝え下さい。
835名前: 名無しさん@3周年投稿日: 2006/03/20(月) 17:02:19 ID:/1fMsZuk
>>833
ボヤくのなら、最初からするなと伝えてください。
ボヤくのも戒律に反しますよ。ボヤく心ではシャマタさえできません。馬鹿じゃないですかそいつ。
あと、お金に汚くなるなと伝えておいてくださいな。

>>832
>>835
風俗はほんとの話ですか?
金に汚いとはどういうこと?
実例がないとわからん。

937 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 23:02:13 ID:QjsSLMcm
>>918 わかった。君とは議論にならないということが。
中観派というコテハンはずしなさい。君は人生ホドホドに生きなさい。
そして何も得る事なしに輪廻しなさい。

938 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 23:09:52 ID:7w0F/Jg0
>>932
質問難しい。

939 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 23:16:19 ID:Rx96fbey
>>809 無というのもどうかなぁ?
空=“妄想にすぎない”では?
色即是空=物質は妄想にすぎない

940 :名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 23:23:04 ID:Rx96fbey
認識した時点で、妄想。
法(意の認識対象)は、空(妄想)。
頭に浮かぶことはすべて、空(妄想)。
妄想は、客観的ではない。真如ではない。
判断した時点で、妄想。分別した時点で、妄想。

941 :一在家:2006/03/26(日) 01:38:33 ID:LN8+iutC
Q.日蓮大聖人の説かれた守護霊は原始仏典でも説かれてますか?

出典:「日蓮大聖人御書全集」より、
【同名同生御書】(文永九年、51歳)
「人の身には同生同名と申す二のつかひ(使)を、天生るる時
よりつけさせ給て、影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、
大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさず、かはるかはる天に
のぼて申し候、と仏説き給ふ。」と釈尊も説かれたとあります。

【四条金吾殿女房御返事】(文永十二年、54歳)
「人の身には左右のかた(肩)あり。このかたに二つの神をはします。
一をば同名二をば同生と申す。
此の二つの神は梵天・帝釈・日月の人をまほらせんがために、
母の腹の内に入りしよりこのかた一生をわるまで、影のごとく
眼のごとくつき随て候が、人の悪をつくり善をなしなむどし
候をば、つゆちりばかりものこさず、天にうたヘまいらせ候なるぞ。」


942 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 01:43:17 ID:1kIIKb7v
ソーカは仏教ではない。よって原始仏教とは全く無関係。
大聖人と書くということは、正宗系だろう?ソーカじゃなく、犬笑か?

943 :一在家:2006/03/26(日) 01:53:37 ID:LN8+iutC
>大聖人と書くということは、正宗系だろう?ソーカじゃなく、犬笑か?

いえいえ、創価学会の文献から引用したので、敬意を表した次第です。
日蓮さんと呼んでは失礼だと思ったからです。

「申し候、と仏説き給ふ。」と真筆?であったので、原始仏典に記載が
あるかも知れないと思った次第です。

「梵天・帝釈・日月の人をまほらせん」という辺りも、スパニターヤや
ディーガニカーヤに登場する梵天(神道の神?)、神(自然霊?)と
似ているようにもインプレしました。


944 :一在家:2006/03/26(日) 07:43:24 ID:SlVxgO4D
>>928

常住論者の説ではなく、世尊の説と記載されています。

文献を調査中の暇人さんの見解を待ちましょう。


945 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/26(日) 10:18:53 ID:u42vYKH6
だからさ、釈迦は、一切法無我と説いたけど、真我まで否定してないんだよ。
もちろん常駐普遍のそれは、一切にあるものではない。
なんでも釈迦は、悟りを開きたいため、必死で修行してたんだってね。
スジャータにミルクを与えられた後の座は、決死の覚悟だったんだって?
いずれにせよ、必死だったのは間違いないだろう。

ところで約一名ここにはアホがいるようだが、釈迦はあの時代、神を信じ、
神に祈ったはずだよ。それは間違いない。それも必死にね。そして彼は、神をみつけたんだよ。
それは、外にではなく、自分の内にね。

今の仏教徒は神を否定し、神に祈らないよね。
今の仏教徒で、釈迦と同じ悟りを得た人がいるのか、はなはだ疑問だ。

仏教のベースは、あくまでバラモン教。そこをお忘れなく。




946 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 10:47:07 ID:5PghmqEi
ここに一人。

947 :論者:2006/03/26(日) 10:53:27 ID:zd0o4roP
>>944
日本にこれだけ仏教関係者がいるのに、未だに大蔵経の多くが日本語訳されて
ないのはおかしなもんですね。関係者の怠慢か、それとも翻訳されて一般に
知られると都合の悪いものでもあるのかと勘ぐってしまう。

948 :セクシー伊藤:2006/03/26(日) 10:59:20 ID:TIruPwDm
原始仏教から密教まで・・・

http://miyashita1.hp.infoseek.co.jp/qqq/hakusan.htmより一部引用

「事事無碍円満」とは「華厳経」に説かれ、あらゆる存在は相互に一身でありな
がら同時に宇宙全体(海印三昧)であるということを悟ることを示しています。
特に「入法界観」と呼ぶこともあり、すなわち釈迦は瞑想によって自分が「在り
とし在らゆるもの」(絶待妙法身)であることを悟ったのです。すなわち一切衆
生は悉く釈迦如来の普遍的な意識に包含されていると言う事です。

949 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/26(日) 11:10:34 ID:u42vYKH6
神はどこにいるのか?あそこにいるのか?それとも向こうにいるのか?
それはその実、あなた方の内にいる。そして外に広がっている。
あなたがたの内にあるものが、外側を造っているのだ。

自分を知るものは知られる。
自分を知れば、自分自身しかいないということを知り、神とは、ほかならぬ自分自身だということを知るだろう。
そして迷いから覚め、目覚めた者は、本来の自分に立ち戻るだろう。

この世も、かの世も、主人公は自分自身だ。自分自身しかいない。天上天我唯我独尊。

なんてな。

ま、案外、今までの常識、または仏教会の教えとは別の視点で、原始仏典を見れば、
釈迦の教えとはなんだったのか、気づくかもよ。

950 :天蓋真鏡:2006/03/26(日) 11:31:46 ID:N+/CsgiG
型分けするなら、   バラモン教≒精霊崇拝、 創価学会≒一仏乗思想

951 :中観派:2006/03/26(日) 12:17:20 ID:bhALy5Kw
なんで仏教の戒律は〜してはいけないと書いてあるんですか?
別に、〜しようでもいいような気がするんですが。
ブッダはなにかしらの意図があって行動を否定するような言葉で戒律を
言ったと思うんですがね。

952 :リベラル派:2006/03/26(日) 12:54:03 ID:zd0o4roP
>なんで仏教の戒律は〜してはいけないと書いてあるんですか?

なんでだろうな。日本の坊さんも内心そう思ってるのかも。彼らの多くが
基本的な五戒すら守ってないしw

953 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 13:45:25 ID:u9g65QHR
>>951
仏教では執着しない事が説かれる。今殺生に付いてみてみると、
殺生とは他人の身体に執着する事に他ならないだろう。でも仏教は一切は縁起して居るものであり、
自性は無いといっている。この真理に基づけば、殺生してはならないと言う表現が当たっている事にならないだろうか?
 又仏教では誰でも自分の命が大切なのだから、自分に引き比べて他人の身体を殺生してはならないとも言う。
ここでキリスト教の様に、自分を愛する様に他人を愛せよ、と言う表現は見当たらないようなのだ。
しかし表現こそ無いものの、自分の命が大事であると同様に、他人も自分の命を大事に思っているのだから、他人の命を
損ずるようなことをしてはならないと言うのも、同じ意味と解して良いのではないだろうか?
 ここに問題が生じているね。それは自分の命を大事に思うという事の是非である。
 

954 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 13:51:55 ID:u9g65QHR
自分の命を大事に思うという意味が、自分の身体心に執着する事であり、
それを容認していると解するのなら、それは仏教に反する。そして、自分の命に執着する事が容認
されるものなら、他人の身体に執着する事、即ち他人の身体を殺生することも許される事になる。
そうすると、自分の命を大事にするとは、執着する事ではなく、反対に執着しない事を意味するものと
解すべきであろう。

955 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 13:58:06 ID:RKCHraRG
>>951
随犯随制

956 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 14:03:40 ID:NmaSivBS
カラスくんはヒンドゥー系の新興宗教ですか?
なんてな・・たしかになんてなですね。
ちなみに仏教は無神論でもないし一神教でもないですよ


957 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 14:23:03 ID:RKCHraRG
>>947
国訳一切経。
南伝大蔵経。

958 :中観派:2006/03/26(日) 14:54:32 ID:bhALy5Kw
>>954
ようは正当防衛して長生きしようとし、最後は無自性を悟って死のうってことでしょ。


959 :947:2006/03/26(日) 14:55:56 ID:zd0o4roP
>>957
両方とも訳が古すぎてとても一般人向けとは思えないよ。それとも仏教とは
あの程度の訳がわかる者のみに許されるんだろか。

960 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/26(日) 15:01:04 ID:u42vYKH6
>>954
>「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、
>更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
>自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
〜ルカ14:26〜14:27

>自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。
〜ルカ17:33

>わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
>友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
>わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
〜ヨハネ15:12〜15:14

君達はキリスト教を知らないで、仏教とキリスト教は違うと言っている。
ま、君らが、キリスト教を知らないと言うのはあたりまえのはなしだが。
俺が言いたかったことは、釈迦も神に祈ったのは間違いないと言うことを言いたかったわけ。
あの時代に生きた釈迦が神を信じていなかったとは考えにくい。
彼は修行の傍ら、何度も何度も、神に祈ったと思うよ。
「神よ、我に悟りを」てな具合にね。これって、案外とても重要なことだったりしてな。

あ、そうそう。確かダンマパタだかに、
人を、自分自身のように思いなさい。という意味の句があるはずだ。


961 :中観派:2006/03/26(日) 15:12:31 ID:bhALy5Kw
>>960
神はやれるべきことをすべてやってから、祈ればいいよ。
神に祈るだけで何も対策を考えようとしないやつはばかだろ。

962 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 15:51:04 ID:RKCHraRG
また次に世尊、仏世尊が《【諸々の】常住論について》説かれた教えは無上なるものです。
それは、三種類の常住論です。
【ある沙門・バラモンは】─A:熱心により、精勤により、修定により、不放逸により、正作意により、
その心が三昧に入っているとき、種々の宿命を想起する。すなわち、:A─ 『一生〜多百千生』 を想起する。想起して、
─B:-b:彼の処に於いて、私はこれこれの名であり、これこれの種族に属し、これこれの姓であり、このように飲食し、
このように苦楽を経験し、このような寿命であり、:b- 彼の処より没して其の処に生じ、其の処に於いて、─ b::b ─、
そうして其の処より没してここに生じている。:B─
このように種々の宿命を想起して、彼は言う。
─C:私は、過去において、世界が破壊し或いは生成したかどうか知らないけれども、
未来において、世界が破壊するかどうか或いは生成するかどうか知らないけれども、
〔我〕と世界とは常住であり、(新たに)生じせしめることなく、山頂のごとく常住にして、
石柱の立つがごとく不動である。そうして人々は、輪廻し、死去し、誕生するけれども、〔我〕と世界とは常住である:C─
これが、第一の常住論です。
【ある沙門・バラモンは】─A::A─ 『一成壊〜二十成壊の生』を想起する。想起して、─B::B─
このように種々の宿命を想起して、彼は言う。─C::C─
これが、第二の常住論です。
【ある沙門・バラモンは】─A::A─ 『十成壊〜四十成壊の生』を想起する。想起して、─B::B─
このように種々の宿命を想起して、彼は言う。─C::C─
これが、第三の常住論です。そしてこれが【諸々の常住論のうちで】もっとも最上のものです。

963 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 15:52:04 ID:RKCHraRG

また次に世尊、仏世尊が【《宿住随念智》に関して説かれた教えは】無上なるものです。
【ある沙門・バラモンは】─A::A─ 『一生〜多百千生』『幾壊劫〜幾成壊劫の生』を想起する。想起して、─B::B─
このように種々の宿命を想起する。また、諸々の天人が居て、彼らがその寿命を(長すぎて)数えられず、
思量できなくとも、彼らの前世がいかに特別なものであったとしても、有色であっても無色であっても、
有想〜非想非非想処にあったとしても、その全ての種々の宿命を想起するものがあれば、それが、
宿住随念智の無上なるものなのです。


上記の骨格は、[(他の宿命通)常住論1・常住論2・常住論3、(世尊の)宿命通]が、
併記されているだけではなかろうか。

964 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 15:58:17 ID:RKCHraRG
>>959
あれが、何人がかりで何年掛かっている仕事かわかって言ってるのか?
漢訳は知らんが、南伝は片山訳を追え。

965 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/26(日) 16:07:04 ID:u42vYKH6
>また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、
>次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。
>旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』
>すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、
>子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
>しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、
>しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
>そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、
>見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
>だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
>あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
>このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。
>まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」 〜ルカ11:06〜11:13

最初は駄目でも、何度も何度も頼めば与えられる。
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。
そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

966 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/26(日) 16:14:48 ID:u42vYKH6
自分はイエスの弟子でいたいと思う傍ら、釈迦の悟りに大変興味がありましてね。
ま、ちょこちょこいろいろと顔出しましたよ。でもね上座部にしろ、禅にしろ、ヴィパッサナーの指導者にしろ、
話を聞いても、どうも釈迦の悟りとは違うんじゃないかと。某長老の話、彼の人柄などみても、とても
悟りを開いたものとは思えない。また、今の仏教界で、ニルヴァーナを知る人もいないんじゃないかと、
思いにいたりましてね。釈迦の時代には、多くの阿羅漢がでたというのに、これはどういうことかと。
なにかがたりないんじゃないかと。そこでふと、思ったわけですよ。言わんとすることを、お分かりいただけたら幸いです。
今のキリスト教の迷いは深い。それは今の仏教界にも言えるような気がするのは僕だけでしょうか。

スレ違い失礼しましたん。



967 :959:2006/03/26(日) 16:21:00 ID:zd0o4roP
>>964
そんだけ日本の仏教関係者は仕事が遅いって事だな。南伝に関して言えば、
パソコンで資料整理なんて便利なことができなかった一世紀も前に、たった数人の
ヨーロッパ人がかなり翻訳したのはご存知でしょ。現代ならそれこそ先代の
研究も参考に効率よくできそうなもんだが、片山でさえ律蔵や論蔵の全てに
手を伸ばせるかわからないね。

968 :暇人:2006/03/26(日) 16:46:15 ID:3887dLki
>>944
>>923>>929の引用でパーリ文は特定できました。有難うございます。
http://www.tipitaka.org/tipitaka/s0103m/s0103m-frm.html
このページのchapter5「SampasAdanIyasuttaM」のsection12「SassatavAdadesanA」156です。
冒頭のAparaM pana, bhante, etadAnuttariyaM, yathA bhagavA dhammaM deseti sassatavAdesu.を
「また尊い方よ、世尊が常住論について教えを説かれたやり方は 最高のものです。」(岡田訳)
のことですが、
AparaM次の panaしかし, bhante尊師よ, etadそれAnuttariyaM無上の・最高の,
yathA〜のごとく bhagavA尊師 dhammaM教法 deseti教示する sassatavAdesu常住論
ですので違和感のない訳です。


969 :暇人:2006/03/26(日) 16:47:12 ID:3887dLki
最後部分の訳については「長部経典V」(春秋社)P153,P154を
あたってみないと なんとも評価できません。
つい最近まで置いていた最寄の本屋に当該巻がありませんでしたので
確認にしばし時間がかかります。
現在のところでは
Sassato attA ca loko ca vaNjho kUTaTTho esikaTThAyiTThito.
Te ca sattA sandhAvanti saMsaranti cavanti upapajjanti, atthitveva sassatisaman’ti.
AyaM tatiyo sassatavAdo, etadAnuttariyaM, bhante, sassatavAdesu.

Sassato常住の attAアートマン caと loko世界 caとは vaNjho不毛・空しい kUTaTtho不動の
Esika石柱TthAyi状態にあるTthito立った.
Teその caと sattA衆生 sandhAvanti 走り回る・流転するsaMsaranti動き回り・輪廻する cavanti死す upapajjanti再生する,
Atthiある・存在するtvevaしかしながら sassati常住saman同じ’ti.
AyaMこれ tatiyo第三の sassatavAdo常住論, etadそれAnuttariyaM無上・最高, bhante尊師よ, sassatavAdesu常住論において.

「アートマン(個我)と世界は常住であり、なにものも生み出さず、不動であり、石柱のように固定していて、
かの生けるものたちは生死流転し、輪廻しているけれども、まさに常住不変に存在している。」(岡田訳)

「常住のアートマンと世界とは、不毛で不動であり、石柱のように(変化しないで)存在している。
その有情らは、流転し、輪廻し、死し、再生しているが、しかしながら常住不変に存在する。
これが第三の常住論であり、常住論において最高の常住論です、尊師よ」(私訳)

いづれにせよ ご紹介ありがとうございました

970 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 16:51:46 ID:OEJFcEwS
下らん。

971 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 17:09:58 ID:RKCHraRG
>>967
時代が違うと思う。当時は、各研究者の為、とりあえずの訳文が必要だった。
これから必要なのは、精度の高い訳文ではないのか?
精度や訳語の妥当性、拠って立つスタンスをどこまでの範囲にするか、
自説の織り込みをどの程度に抑えるか、訳出したものへの責任、
各種研究成果・各種解釈の反映(それらの、経典の性質に合わせた取捨選択)
などを考えれば、ほいほいとできる作業じゃないだろw

972 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 17:15:48 ID:OEJFcEwS
>>971
そんなこと、ここの連中に言っても理解できないとおも。

973 :967:2006/03/26(日) 17:24:18 ID:zd0o4roP
>>971
そんなこと言ったらいつまでたってもできないだろうなw 批判的研究はつねに
されるから、最新の成果がいつ覆されるかもわからん。それにそんな精度より、
とりあえず一般人にはとにかく読めることの方が先決だ。

974 :暇人:2006/03/26(日) 17:30:17 ID:rw9njnsy
>>970-973
偉そうーな 能書き垂れているだけかね キミらは。
バーリ文法のイロハも中学英語さえしらん劣等性の私でさえ
自分なりにチャレンジしているのに。。。

http://www.tipitaka.org/tipitaka/s0103m/s0103m-frm.html
能書き垂れるほど偉いならば
ここの全文をキミらで訳してくれたまえ。

話はそれからだ

975 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 17:35:15 ID:RKCHraRG
>>974
俺もかよwww
喧嘩売ってんのか?

976 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 17:36:38 ID:ioctb2wV
劣等性
 ↓
劣等生

やっぱり

977 :973:2006/03/26(日) 17:36:45 ID:zd0o4roP
こんなことを偉そうと言うのがいかにも足を引っ張るのが上手い日本人気質だな。
そうやって研究者を甘やかすから仕事が遅いんだ。そんなことするなら専門家の
翻訳なんていらんわ。

978 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 17:40:51 ID:RKCHraRG
>>973
だから、有名どころは色んな人によって沢山出版されてるじゃんw
また、批判を恐れるという意味の精度ではない。
経典に対して誠実である、という意味での精度だ。
解らなければいい。

・・・・これ以上はスレ汚しになるな・・・。
おいらの負けだ。この話題からは撤退する。

979 :暇人:2006/03/26(日) 17:41:17 ID:rw9njnsy
ご報告

その3を立てました
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1143362427/l50

980 :暇人:2006/03/26(日) 17:44:10 ID:rw9njnsy
>>975
喧嘩売る気はないが 喧嘩してもよいね 楽しければね。
自然と勉強になる喧嘩だとサイコーですね。

>>976
添削サンクス。 誤字脱字だらけの粗忽モノです。

981 :973:2006/03/26(日) 17:48:14 ID:zd0o4roP
>>978
俺は有名な経典の話なんてしてないぞ。大蔵経全体と言ったまでだ。経典に対して
誠実であろうとするのはどの翻訳者も昔からそうだろうがw こういう読解力に
欠ける無意味なレスこそ2ちゃんの特徴だなw

>>979
乙。ああ、あんたは自分が賢明に翻訳したのに誰もレスしなかったらムキになったのか。
お疲れさん。


982 :981:2006/03/26(日) 17:48:59 ID:zd0o4roP
賢明>>懸命

983 :暇人:2006/03/26(日) 17:49:30 ID:rw9njnsy
>>977
入手しやすい現代語訳はいっぱい出てるじゃん。
中阿含・長阿含は、春秋社モノで完訳しているし、
雑阿含について抄訳だが増谷さんのがある
雑阿含の古層と言われる部分は岩波文庫版で中村御大のやつが
小部の代表的経典 ダンマパダ スッタニパータ 長老偈 長老尼偈も
岩波文庫から中村御大のがある。
手に入りにくいのは増壱阿含だけでは?
これも南伝大蔵経か国訳があるわけだし。。

984 :981:2006/03/26(日) 17:52:16 ID:zd0o4roP
>>983
既に申したように、俺は大蔵経全体と言ったのだが。

985 :暇人:2006/03/26(日) 17:53:41 ID:rw9njnsy
>>981
大蔵経全体はスレッド違いだよ
どんなけ膨大かわかって言っている?
訳したって全部読む一般人はたぶんいないが 限りなく少数だよ。

せめて原始経典に(笑)

>誰もレスしなかったら
ちゃうな 経典を読みたかったら人任せにせず 
自分で訳す努力したらどうだねと キミの視点変更を刺激したのだが
そういう発想はキミに生じないみたいね

986 :981:2006/03/26(日) 18:03:14 ID:zd0o4roP
>>985
大蔵経全体はこのスレにあってるよ。南伝大蔵経のことだからね。全訳しても
どれだけの人が読むかどうかは、各読み手の判断だ。少なくとも用意されてない
ことには、どうしようもないわけだから。

>自分で訳す努力したらどうだねと キミの視点変更を刺激したのだが
そういう発想はキミに生じないみたいね

それはお宅には関係ないことだな。

987 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 18:37:08 ID:u9g65QHR
海外ニュース - 3月16日(木)15時20分 ニュース記事写真動画トピックス 条件検索


紀元前約450年の要塞都市、バングラデシュで発掘



拡大写真

 3月15日、バングラデシュのワリで紀元前450年ごろの要塞が出土。写真は14日、現場で陶器を掘り出す考古学者(2006年 ロイター/Rafiqur Rahman)
 
 

988 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 18:38:45 ID:u9g65QHR
 
 [ワリ(バングラデシュ) 15日 ロイター] バングラデシュの首都ダッカから約85キロ北東にあるワリで、
紀元前450年ごろの要塞(ようさい)が発見された。
古代の交易ルート上の関所だった可能性があるという。
 考古学者らはこれまでに、堀と古い道の一部を発掘した。
 ジャハンギールナガル大学考古学部の責任者、スフィ・モスタフィズール・ラフマン氏は
「この要塞と多数の人工物が、インドの歴史を再定義するのに役立つかもしれない」と指摘。
「マンホールも備え、巧みに計画された道は、要塞が非常に有能な統治体制の下で運営されていたことを立証している」と語った。
 オランダの大学の調査によれば、出土品は紀元前450年ごろのものと判明した。
 600メートル四方の発掘現場から見つかったのは、硬貨や金属製ののみ、陶器、石鎚、腕輪など。装飾品は、
町の中心部で仏教が圧倒的な信仰を集めていたことを示唆しているという。
 モスタフィズール氏は、この要塞はハッラパー文明(インダス文明)の一部とみられ、
この地に重要な交易上の中心地が栄えていたかもしれないと指摘。

同時期に存在した南アジア文明とローマ文明の中継地だった可能性もあるとの見方を示した。
 ハラッパー文明は紀元前2700年から同700年ごろにかけて栄えたといわれている。
(ロイター) - 3月16日15時20分更新



989 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 18:40:14 ID:u9g65QHR
>>988
BC450念と言うのが本当なら、釈迦の生まれた年代はそれよりも前で無ければならない。


990 :南無大師遍照金剛:2006/03/26(日) 18:46:32 ID:0Cws0ogh
>986中観ぽいねヽ(´∇`)ノ考えてかた

991 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 18:53:56 ID:pgMW2B5d
a

992 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 19:11:34 ID:u9g65QHR
>>988
>同時期に存在した南アジア文明とローマ文明の中継地だった可能性もあるとの見方を示した。

だとすると、仏教思想はギリシャ思想やヘブライ思想にに影響を与えてた可能性もある。

993 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 19:12:57 ID:u9g65QHR
速く暇人さん次のスレッドを立ててください。

994 :暇人:2006/03/26(日) 19:42:24 ID:rw9njnsy
>>993
既に建てたよ >>979参照。

995 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 20:59:44 ID:+K4AZVQy
>>989
年代は、誤らないでしょう。問題は、

>>町の中心部で仏教が圧倒的な信仰を集めていたことを示唆しているという。
  
  この根拠。

996 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 21:43:20 ID:u9g65QHR
言ってる趣旨がわからない。
 この時に既に仏教が定着していた事実を認められるとすれば、
少なくともこれ以前にこの都に仏教が伝えられていたわけだが、
伝えられるまでの時間、定着するまでの時間、これらを合わせると、
50年と見積もるのは大杉だろうか?仮に50年とすると釈尊が悟りを開いたとき
から50年とするなら、釈尊は37歳で成道されたのだから、釈尊の生誕は
BC487年となる。釈尊の生誕時期に付いて二通りの説がある。

997 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 22:09:45 ID:+K4AZVQy
出土品が仏教の定着を示す根拠が不明だということです。
記者もそこを疑って伝聞で「という」と書いているでしょう。


998 :名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 22:50:01 ID:RKCHraRG
>>986
このスレも終わりだし、負け惜しみのように一言。
おいらだって、たとえ読む人が一万人に一人だろうとも、全訳があるべきだとは思っている。
実際、「もう何十年と経つのに、この文体は無いよな・・・w」と思っていた。
けれども、いろんな人の授業を受け(勿論片山さんの授業も受けてたし(^^;))、
南伝や国訳の担当者の解説(≒言い訳)、本文の訳出の仕方のバラつき・誤訳・漢訳語のそのままの使用等を見たり、
註釈経典のチェックが必須であること、教相判釈ではないが分類や系統によっての訳出態度、
底本をどれにするか、どの程度底本に校正を加えるか
(→むしろ、一切校正せずに、底本は底本としてそのまま訳すべきではないのか)とか、etc.etc.・・・
経・律・論は言うに及ばず民話・文化等への知識(或いは見識)もそれなりのものが必要だし、
翻訳作業の困難・重要性・翻訳前に必要な作業に思いを寄せたとき、
軽々しく「遅ぇーよwww」なんて言えないと思った。
片山さんも、解り易い現代語訳の必要性・重要性は、ことある毎に口にしていた。が、同時にこうも言っていた。
「こういう風にも考えられますよね。こういう風にも読めますよね。」という話になったりした時、
それらを頭ごなしに否定することはなかったが、「(底本の系統の上で)、まずとりあえず伝統解釈を抑えることが大事だ」と。
授業内容からして、もう既に翻訳作業には入っていたと思う。慎重に過ぎるという批判もあるかもしれない。
けど、おいらは、そんな片山さんの丁寧さが好きだし、だからこそ、彼の翻訳は信頼できると思う。
決して上座部マンセーでないところも良い。三蔵全ての無事訳出を心より希う・・・。

ドロップアウトした自分がこんな文章おこがましいが、少しチラシの裏してみた・・・w

ノシ

彡 サッ

999 :南無大師遍照金剛:2006/03/26(日) 23:33:54 ID:0Cws0ogh
ヽ(´∇`)ノありがとう

1000 :センダミツオ:2006/03/26(日) 23:35:27 ID:0Cws0ogh
ナハ…ナハ…ナハナハナハ   ヽ(´∇`)ノ byアートマン

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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