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親鸞会よ どこへゆく

1 :名無しさん@3周年:2005/10/05(水) 15:58:21 ID:Pfnuouf1
このスレは、だいたい親鸞会の反社会的行為・内部問題について語りあうスレです。
会員の人もそうじゃない人も、 良識あるレスを心がけましょう!

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      / ../ ../.|
     | ̄ ̄ ̄ ̄|.. |   けんかしないでね、厨房のみなさま。
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■ルール
・荒らしは原則「禁止」&「放置」です。                
・一般会員の個人名を出さないようにね。伏せ字でも。
・人を罵ったりする人は来ないで下さい。
・AAはひかえめに。

最近とても思考停止としか思えない荒らし行為をする人がいます。
一般常識を守って、みんなが見て気持ちの良いレスを心がけましょう(^^)/

■親鸞会スレッド暫定まとめページ
http://light.kakiko.com/skaimatome/




56 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2005/10/08(土) 13:30:31 ID:wmgedsrK
 宙ぶらりんで放り出しておくのは気になるので、地獄論の続きを早めに論議したいと思い
ます。

 それ諸大乗に拠るに、難化の機を説けり。
 大乗仏教の諸経典をよむと、ある大事な問題が説かれている。そこでは、真実がなかな
か見えてこないそういう器の人のことを議論している。

 大経には唯除五逆誹謗正法と言い、あるいは唯除造無間悪業誹謗正法及誹謗聖人と言え
り。観経には五逆の往生を明かして謗法を説かず。涅槃経には、難治の機と病とを説けり。
これらの真教、いかんが思量せんや。
 大無量寿経には「唯除五逆誹謗正法」という。五逆の者、正法を誹謗する者は往生させ
ないと。異訳本の如来会は、同じ場所で、無間地獄に堕ちていくような悪業をした者、正
法を誹謗する者、聖者を誹謗する者は、極楽浄土に生まれることはないと説く。涅槃経は、
どうにも手の付けられない器の者と、どうにも手の付けられない心の病に堕ちた者は救い
ようがないと説く。これらの真の教えをどう考えればよいのだろうか。親鸞は曇鸞と善導
にこの問いをぶつける。

57 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2005/10/08(土) 13:33:22 ID:wmgedsrK
 報えて道わく、論の註に曰わく、問うて曰わく、無量寿経に言わく、往生を願ぜん者み
な往生を得しむ。唯五逆と誹謗正法とを除くと。観無量寿経に、五逆・十悪もろもろの不
善を具せるもの、また往生を得と言えり。この二経云何が会せんや。
 この問題は、曇鸞大師の論註でも議論されている。論註では、次のような問いを立てて
いる。大無量寿経を見てみよう。大無量寿経では、往生したいと思う者は、すべて往生す
ることができると言っている。ただ、五逆の者、正法を誹謗する者を除くと言っている。
観無量寿経はこれと矛盾する記述をしている。五逆罪を冒した者、十悪やその他のもろも
ろの不善をしたもの、全て往生できると言っている。これはどうしたことだろうか、と。
 大無量寿経は、将来の教育者を目指し、大乗の学習を積む若者に向けた、曇鸞は学校経
営のあり方を教える。学校の経営に当たっては、入学を希望する人は全員入学を許すのが
原則である。しかし、大無量寿経では、五種の大罪を犯したものと、真理を否定する者は、
学校への入学を許さないと教える。観無量寿経は、様々な人々それぞれそれぞれの個性に
応じた学習方法のあり方を教える。五種の大罪を犯し、さらに十悪やその他のもろもろの
悪行をした者、そのような人間として最低下の人であっても、念仏すれば真理を学ぶこと
ができると説く。この矛盾はどう考えればいいのか。

 答えて曰わく、一経には二種の重罪を具するをもってなり。一つには五逆、二つには誹
謗正法なり。この二種の罪をもってのゆえに、このゆえに往生を得ず。一経はただ、十悪
・五逆等の罪を作ると言うて、「正法を誹謗す」と言わず。正法を謗せざるをもってのゆ
えに、このゆえに生を得しむ、と。
 曇鸞大師はこれに対し、次のように答える。大無量寿経では、二つの大きな障碍のある
例を挙げている。それは、五種の大罪と真理の否定という二つの障害である。二つも大き
な障害のある者は入学を許さないと説く。観無量寿経は、十悪という悪行と五種の大罪を
冒した言っても、なお真理を否定するということがない。真理を否定してない以上、真理
を教える学校には入学を許すべきである。

58 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2005/10/08(土) 13:35:23 ID:wmgedsrK
 問うて曰わく、たとい一人は五逆罪を具して正法を誹謗せざれば、経に得生を許す。ま
た一人ありて、ただ正法を誹謗して五逆もろもろの罪なきもの、往生を願ぜば、生を得る
やいなや。
 曇鸞先生に伺います。五種の大罪を犯しても、真理を否定しない者は入学を許すべきで
あることはわかりました。では、五種の大罪を犯してなく、真理は否定する者は、入学を
許して良いのでしょうか。

 答えて曰わく、ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといえども、必ず生を得じ。
何をもってこれを言わば、経に言わく、五逆の罪人、阿鼻大地獄の中に堕して、具に一劫
の重罪を受く。
 曇鸞先生は答える。真理は否定する者は、他に罪がなくても真理を教える学校に入学を
許すべきではない。理由は、五種の大罪と、真理は否定する行為の罪の軽重による。大品
般若経信毀品を紹介しよう。五種の大罪を犯す者は、阿鼻大地獄の苦しみの中に堕し、つ
ぶさに一劫という非常に長い期間そこにとどまる。五種の大罪はそのような苦しみを受け
る罪である書いてある。

 誹謗正法の人は、阿鼻大地獄の中に堕して、この劫もし尽くれば、また転じて他方の阿
鼻大地獄の中に至る。かくのごとく展転して、百千の阿鼻大地獄を径。
 真理は否定する人はどうか。これは、阿鼻大地獄の中に堕し、そこで時期が過ぎればま
た別の阿鼻大地獄の中に赴く。このように次から次に様々な地獄を巡り、百千の阿鼻大地
獄を経過していく。

 仏出ずることを得る時節を記したまわず、誹謗正法の罪極重なるをもってのゆえなり。
 真理は否定する人は、いつまで阿鼻大地獄にいればいいのか。経典にはその期限が書い
てない。真理は否定する人は、永遠に阿鼻大地獄から免れることはない。真理は否定する
ということは、それだけ重大な罪なのだ。そのような人は、入学を許すべきではない。


59 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2005/10/08(土) 13:36:21 ID:wmgedsrK
 また正法はすなわちこれ仏法なり。この愚痴の人、すでに誹謗を生ず。いずくんぞ仏土
に願生するの理あらんや。
 正法とは仏法のことである。愚かな人は自ずから正しい法、真理を否定する。そんな人
がどうして、学校で勉強したいと言うことがあるだろうか。真理を否定するひとが、学校
で勉強したいと思うなどということはあり得ない。

 たといただかの安楽に生まるることを貪して生を願ぜんは、また水にあらざるの氷、煙
なきの火を求めんがごとし、あに得る理あらんや。
 ただ、貪欲に駆られて学校入学を希望することはあるかも知れない。それは、水以外の
氷、煙のない火を求めるような者である。そのような者に入学を許す必要はない。

 問うて曰わく、何等の相かこれ誹謗正法なるや。
 曇鸞先生に伺います。真理の否定とはどういうことでしょうか。

 答えて曰わく、もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法と言わん、かくのごときらの見を
もって、もしは心に自ら解り、もしは他に従いて、その心を受けて決定するを、みな誹謗
正法と名づく、と。
 曇鸞先生は答える。正しくものごとの分かった人はいない。それを教えられる人もいな
い。教わるべき真理もない。学んでいる人もいない。学ぶような教えもない。このような
間違った見解をもって自分はもう分かったと思う。あるいは他人の意見によってそのよう
に思う。これは全て真理の否定である。

60 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2005/10/08(土) 13:39:38 ID:wmgedsrK
問うて曰わく、かくのごときらの計は、ただこれ己が事なり、衆生において何の苦悩あ
ればか、五逆の重罪に踰えんや。
 曇鸞先生にお聞きします。真理の否定は、あくまで個人的な問題に過ぎないのではない
でしょうか?。真理を否定しても、それが五種の大罪に優るどのような害悪を社会にもた
らすのでしょうか。

 答えて曰わく、もし諸仏菩薩、世間・出世間の善道を説きて、衆生を教化する者ましま
さずは、あに仁・義・礼・智・信あることを知らんや。かくのごとき世間の一切善法みな
断じ、出世間の一切賢聖みな滅しなん。汝ただ五逆罪の重たることを知りて、五逆罪の正
法なきより生ずることを知らず。このゆえに謗正法の人はその罪もっとも重なり、と。
 仮に、正しくものごとの分かった人はいない。それを教えられる人もいない。このよう
に信じてしまったら、誰が、世間・出世間の善導を説いて人々を教え導くのでしょうか。
もし教える人がいなければ、仁・義・礼・智・信という道徳を、人々はどのように学べる
のでしょうか。社会から、もしそうなれば、社会から悉く善法が無くなるでしょう。五種
の大罪は確かに重罪です。しかしそういうことを知っただけでは足りません。人々が五種
の大罪を犯すのは、人々が真理を知らないのが原因です。だからこそ真理の否定はもっと
も重いと言うのです。

 このあと宗祖は、論註に続けて善導の見解を引用します。善導の見解は、曇鸞の見解に
対する追加的な議論なのか、あるいは曇鸞を批判する議論なのか、中国仏教史的には解釈
が分かれると思います。しかし、親鸞は、まずここまでの議論で、真理を否定することの
恐ろしさ、重大性、こういうものを曇鸞に聞いています。
 曇鸞に続いて親鸞は善導の主張を聞いていきます。

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