5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

原始佛教 その14

1 :暇人:2005/07/29(金) 07:53:44 ID:soQcjyPT
前スレが容量超過のようですので新スレを立てます。

ここではアーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている教法や教理
を中心に、様々な議論を重ねていけたらと思います。佛教の原点を闡明できる良スレになる
こと期待して・・・。引き続きよろしくお引き立てのほどを。

 自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されるようお願い申し上げます。  
原始佛教関連以外の話題は当該スレッドか新たなスレッドを建ててお願いいたします。
スレ違いの妄想デムパ発言には終始默殺・完全無視が吉と思われます。
立論議論に際しては首尾一貫・理路整然を心がけて頂きたく存じます。

過去ログサイト
http://www.geocities.jp/jfcps873/index1.html


2 :名無しさん@3周年:2005/07/29(金) 08:31:03 ID:6J6ocPmM
ttp://218.225.113.149/orz/images/104557.wmv

3 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/29(金) 09:57:25 ID:JKF3EUea
過去ログ嫁
原典嫁
チベット語嫁w

まあ、文脈によってはもっともな主張なのだが、
そういうことを、
自分が、主張を要領よくまとめることのできない
言い訳にしているのは、問題である.

> 指摘されるのが怖いんだろ?最低条件だ。書物に頼らず、自分の言葉で説明してみろ。
文脈無視で、ある投稿から切り出したものであるが、
これの意味するところを理解し、実行して貰いたい。


4 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/29(金) 12:23:57 ID:JKF3EUea
前スレ

原始佛教 その13
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1120927505/l50

独り言さんの保存サイト
http://www.geocities.jp/jfcps873/index1.html

----------
関連スレ

原始佛教 その14
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1122597067/l50
----------

さて、どんな力学がどのように働くのか、非常に興味深い。

気に食わない意見を無視する。
気に食わない人間を誹謗中傷する。

という姿勢では、議論は成立しない。

ヤクザの親分が、黒いものを白といえば、それは、白になるのだろうが、
そんな理屈はここでは通用しない。

>  自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されるようお願い申し上げます。  


5 :暇人:2005/07/29(金) 15:08:27 ID:JTReIpWp
あっ わざと別スレッド立てたのね。あはは
まあキモチはわかるから それはそれでいいのでは(笑)

こっちは まったりと 行きましょう。


6 :名無しさん@3周年:2005/07/29(金) 16:35:49 ID:EqeAEqZ4
>>5
あっちの5以降にあんあたへのコメントがあるのを見逃した?

7 :名無しさん@3周年:2005/07/29(金) 16:46:56 ID:MPdSKtH1
それより「文献学における、法華経と原始佛教の関連性」という珍説を語ってやれば。バスタ電波!

8 :暇人:2005/07/30(土) 01:19:42 ID:IqeKpR/H
磯部隆説について
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1120927505/594

「スッタニパータ 第三章大いなる章 一出家」で、
ビンビサーラ王が 道行く釈尊を見て その美丈夫に惚れこみ、
部下に釈尊の跡をつけさせて 住処を探り 釈尊に会いにでかける

421 象の群を先頭とする精鋭な軍隊を整えて、わたしはあなたに財を与えよう。
それを享受なさい。わたしはあなたの生れを問う。これを告げなさい。」
この発言は、立派な王族に見える釈尊に、乞食(こつじき)生活など止して
王族にふさわしい象軍と財を与えるぞ 人生を楽しめという誘惑の言葉ですね
釈尊はこの誘いを「欲望を満たす生活には憂いがあるから出家した」と言下に断る。

中村元はスッタニパータ421の註p335で
ビンビサーラ王が釈迦族の王子に軍事援助と経済援助を申し出て、コーサラ国を
はさみうちにしようと提案したと解釈する。
これに対し、礒部さんは「ビンビサーラ王が仏陀に提示したものではない」と
批判しているのでは、と推測します。
逆に釈尊からビンビサーラに申し出たのだろうと推定されているのですね。

私は両説支持しなくて 単に「欲望を満たす生活には憂い」
と読みます


9 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 01:35:12 ID:zLddm7h9
原始仏教にも天耳通とか超越神力はあるの?

10 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 07:54:12 ID:pU43WGnZ
>>8
> 私は両説支持しなくて 単に「欲望を満たす生活には憂い」
> と読みます
暇人さん、おはようございます。
私は、「スッタニパータ 第三章大いなる章 一出家」は、
<--
1098 師(ブッダ)は答えた、
「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪りを制せよ。
──出離を安穏であると見て。
取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたに存在してはならない。
-->
をネタに何らかの意図であとから創作した経典であるという主張にかなり心動かされています。
<--
424 諸々の欲望に憂いがあることを見て、また出離こそ安穏であると見て、つとめはげむために進みましょう。
わたくしの心はこれを楽しんでいるのです。」
-->
ものすごく、能天気な台詞に思えてしまいます。当時はもっと切羽詰っていたのではなかろうか?
<--
935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。
わたくしがぞっとしてそれを厭い離れたその衝撃を宣べよう。
936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄えているのを見て、
また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。
937 世界はどこでも堅実ではない。どの方角でもすべて動揺している。
わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、
すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。
-->
反して、これには切実な実感がこもっているように感じられるのです。

このような、はなはだ、主観的理由によりますが、
『出家経は、四苦が出家の原因にオーソライズされる前に、何らかの意図で創作した経典である。』
という考えを支持します。

11 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 08:09:47 ID:pU43WGnZ
>>9
> 原始仏教にも天耳通とか超越神力はあるの?

天耳通はあるが、超越神力という単語は知らん。
超越神力は、どこにあるの?


12 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 08:55:25 ID:OxwuprYz
コピペしておこう。

>>878
暇人さんて具体論いってたっけ?
逃げてばかり。「法そのもの」という間違った読みの指摘にもヌルヌル逃げてるようだから
誰も信用していないよ。誰かの論文で「法そのもの」と書いてるとしても、それを援用する
のなら、論文読めじゃなくて、あんたに説明責任があるんだよ。その手の逃げが多いんだ
よね。論文引用とはね、自説をたててからするもんだ。引用だけで自説を組み立てるのは
砂上の楼閣。

それで、自性といったら有部の自性しかないの?sva√bhUで考えることは出来ないんだね。
アブティ、モニエル、エジャートン、で意味取れないの?馬鹿みたい。色々あるけど、馬鹿は
晒し続けられればいい。原始仏教にはabhisamayaはないという発言と共に。あ、あのいい訳は
絶対に通らないよ。

八千頌のことは何のことだか解らないけど、あんたには手におえないと思うから発言しない方が
いいと思う。論文孫引きしかできなんだから。

これで三個ほど。必死だね。

>PDFで写本を出版すべしとはしばらくお腹を抱えてしまいました。
>出版自体はいい事なのですが、
>その支離滅裂、非論理性があまりにもおかしくて。

で、責任持った説明ってなに?当事者じゃないが、あまりにも明らかなので説明してやろう。
出版自体は悪くない。でも東京大学から許可がでるのだろうかね。未着手マヌスクリプトの
戸田氏による部分復元やそのコメントについては定評がある。これは誰でも認めるところ。
しかし、これはあくまでも写本復元作業であり、校訂作業ではない。この復元作業と校訂作業
を混同して理不尽に渡辺本を捏造をこめて批判した上で、結論が写本の写真のPDF化だ。
筋もくそもあったもんじゃない。なにを主張しているのか明確ではない。それだけ。

13 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 08:56:54 ID:OxwuprYz
暇人のきちがい発言:

>>838
対論者の「ローマ字転写より、写真版PDF版がいい」発言に対して

>PDFで写本を出版すべしとはしばらくお腹を抱えてしまいました。
>出版自体はいい事なのですが、
>その支離滅裂、非論理性があまりにもおかしくて。

これも意味不明発言なのだが、オカシイのは838さんだろうな。
かれのことだからPDFはテキストだけと思ってのトンデモ発言が予想されるな。
いろいろマゾ的に我が身を晒しての漫才ネタを感謝します。

以上

>かれのことだからPDFはテキストだけと思ってのトンデモ発言が予想されるな。
これって、くるってないと出来ない発言だと思う。意味不明だと思うのは読解力が
ないから。いまごろ、マヌスクリプトのことで必死に知識を蓄えてるんじゃないのかな。

いずれにせよ、あのローマナイズ君はチベット君に変身した時にもう終わっている。


14 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 09:25:41 ID:pU43WGnZ
しかし、論理的な日本語を使えない人物が多いなあ。
こむづかしくして、素人にわからないように表現することが高尚だと勘違いしているとしか思えない。
やれやれ。

>>12
> これで三個ほど。必死だね。
は、
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1120927505/878
> >何一つ有効な反論が出来ていない
>
> あはは 三個ほど どう反論できてないか具体的
> 書いて味噌 キミらは具体論なき 中傷だけ
を受けての発言だと推測できるが、

『どう反論できてないか具体的書いて味噌』の意味を全く理解できていない。
具体的とある以上、
・どこでどのような主張(反論)がなされたか
・それはどのように解釈できるかが
が合わせて示されなければならない。

たとえば、

>電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ氏の水野弘元タターガタ衆生説は変

などと書いても、
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ氏のおかしさを
具体的に説明したとはいえない。

『どう反論できてないか具体的書く』というのは次のような記述を指す。


15 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 09:26:13 ID:pU43WGnZ
【事実の提示】
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ氏は、897を受けた上で、906の発言をしている。

http://www.geocities.jp/jfcps873/gb/gb11.html
897 :暇人:2005/05/26(木) 07:20:55 ID:vWKOvyTZ
■無記文脈で「如来の死後」がいまだに世間では有力
うむぅ。本当に列挙して欲しいの?汗 知らんの?
中村「佛教語大辞典」は挙げましたね。
あと例えば平川彰著作集T「法と縁起」とか三枝さんの「バウッダ」。
水野さんの「原始仏教」もしかり。

906 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/26(木) 11:04:21 ID:hwZNJvCP
それと、水野弘元は積極的な衆生説ですよ。なんか勘違いしてませんか?

【解釈の提示】
通常、無記文脈で「如来の死後」と書かれていれば、如来説支持と考えられる。
それに反する主張をしているにもかかわらず、論拠が全く示されていない。
故に、電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ氏は、まともな議論をする能力が欠けている

【だめおし】
さらに、森 章司 氏による論文を論拠とした「水野弘元は如来説支持」を示唆する発言もある。

http://www2.toyo.ac.jp/~morimori/cgi-bin/resbbs1/resbbs.cgi
[110]Re:無記と「タターガタ」
森 章司
9/12(Sun) 14:01


16 :暇人:2005/07/30(土) 10:52:14 ID:24O1RlC6
>>10
彼岸道品の1098句が古いでしょうし、出家経424句は、
1098句をネタに作ったというのは ありえると思います。

『出家経は、四苦が出家の原因にオーソライズされる前に、
何らかの意図で創作した経典である。』

なるほど。だとすると貴重ですね。
四門出遊は、後代に整理され わかりやすく仏教を説明するために
作られた話でしょうから 釈尊は本当は何で出家したのかと考える上で
935-937は、示唆に富んでいると私も思います。

戦争を忌避しての出家というのはありえるかもと私も思います。
ただ釈迦国はコーサラ国の属国状態で 次王の代に滅ぼされたとはいえ
釈尊の成道後の前半期には コーサラ国と釈尊は親密です。
灼熱の夏は遊行を止して 三ヶ月間みんなで集まって安居をしたそうなの
ですが、小さな村ですと大勢の出家を養えせんので 必然大都市や
豊かな仏教支持者がいるところでの安居になりますが コーサラ国の首都で
20数回にわたって安居されています。8割以上の比率で。
ところが次王は釈迦国を滅ぼし、仏教に否定的だったのか、コーサラでの
安居はビタッとなくなります。

一般的な意味で戦争を嫌って出家というのはありえても
コーサラ・マガダの二大国間に挟まれて 軍事同盟云々はどうかなと思います。
出家しようとたした時期から20年はコーサラ国とは属国とはいえ、
良好な関係があったのではと 私は想像しています。



17 :暇人:2005/07/30(土) 10:58:29 ID:24O1RlC6
>>12-13

まあまあまあ お茶( ^-^)_旦~~

まともな対論を出せないばかりか
同じスレッドが二つあれば 混乱するのに
大人げもなく
わざわざ別スレッドまで立てて
逃げた人たちに 追い討ちかけなくても いいのではと思います。

まったり いきましょう

18 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 11:16:49 ID:OxwuprYz
>>17
>まともな対論を出せないばかりか

はぁ?そうですか?あなたの「説明責任を果たせ」に答えたのですよ。
あなたには絶対に反論できないと思います。ローマナイズ君とお知り合い
なら、出てくるように言ってもらえませんか?

19 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 11:35:37 ID:pU43WGnZ
>>18
> はぁ?そうですか?あなたの「説明責任を果たせ」に答えたのですよ。
もしもし。
つまりあなたのいいたいこと(説明)は、

>PDFで写本を出版すべしとはしばらくお腹を抱えてしまいました。
の理由は、
『PDFで写本を出版すべし』との結論が議論の流れに無関係に唐突に出てきたから。
『PDFで写本を出版すべし』の主張自体にはおかしなところは無い
と理解してよろしいのですか?

ちなみに
> しかし、これはあくまでも写本復元作業であり、校訂作業ではない。この復元作業と校訂作業
> を混同して理不尽に渡辺本を捏造をこめて批判した上で、結論が写本の写真のPDF化だ。
に関しては、

・復元作業と校訂作業を混同していることの根拠
・理不尽に渡辺本を捏造をこめて批判したと主張する根拠
が示されていないことを指摘しておきます。


20 :暇人:2005/07/30(土) 11:38:18 ID:24O1RlC6
>>9

超越神力はしらんが(オカルトでは?)

天耳は、沙門果経など阿含やパーリにあるね。
在家を捨てて出家し 真面目に修行したら
段階をおって様々な修行の成果があり 最後は解脱できるんだよ。
という経典だけど その成果の一つに天耳など六通が書かれていますね。

まあこの経では、釈尊の教えに感激した阿闍世が自分の罪(父王殺し)を
認めて懺悔し、釈尊が心から「罪を罪として認め 法に従って懺悔し、
自己コントロールするということが仏教の戒律の繁栄だ」と締めくくられ
るのだけどね。

私なんかは天耳より 深く自分と向き合い、慄然とし 
心の底から罪を犯してましたと身体全体で懺悔するほうが深いと
思ってしまうけどね



21 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 11:49:00 ID:OxwuprYz
>>19
あなたは最初から眼中にないのですがお答えいたしましょう。

>『PDFで写本を出版すべし』との結論が議論の流れに無関係に唐突に出てきたから。
>『PDFで写本を出版すべし』の主張自体にはおかしなところは無い
>と理解してよろしいのですか?

そうです。その通りですよ。整理した上で写真出版することは大いに意義のあることです。研究者は
大喜びするでしょうね。


>・復元作業と校訂作業を混同していることの根拠
>・理不尽に渡辺本を捏造をこめて批判したと主張する根拠
>が示されていないことを指摘しておきます。

あなたの読解力のなさを押し付けられても疲れるだけなのですが。でも答えてあげましょう。
戸田先生は写本の整理復元作業として定評があり、校訂作業よりももっぱらそちらの方面で
力を入れておられました。これはスレッドを読みと解るように、皆さんの共通認識です。
一方、渡辺本は整理復元ではなく交点本です。ローマナイズ君は戸田本と渡辺本を併記して
論じたから混同していると言ったのです。二つ目は辻直四郎氏が渡辺本を批判したとローマナイズ
君が発言したので、それを追及したら彼はその非を認めました。しんどいですね。偉そうに
指摘などといわずによく読んでくださいね。

22 :暇人:2005/07/30(土) 11:53:34 ID:24O1RlC6
>>18 >>20
>あなたの「説明責任を果たせ」に答えたのですよ。

( ‥) ン?
私から一々について 反論されるのがウザイから
別スレッドを立てたり そこで負け犬の遠吠えされているのだって。

だいたい このスレッドを知りながら
わざわざ別スレッドに書き込きこまれているのよ
あなた 面白がって 煽ったら 彼らが かわいそうよ



23 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 11:59:28 ID:OxwuprYz
>>22
>私から一々について 反論されるのがウザイから
>別スレッドを立てたり そこで負け犬の遠吠えされているのだって。

面白いね。そこまで自意識過剰だと。別スレ立てるとき、このスレッド知らなかったんだろ?

ちゃんと反論してみろよ。責任責任といってんだから。

24 :暇人:2005/07/30(土) 12:07:52 ID:24O1RlC6
6 :名無しさん@3周年:2005/07/29(金) 09:51:44 ID:KCPuuvKS
暇人さんには人徳が無いので、あちらのスレッドは無視で行きましょう。
ところでローマナイズ君はどうしたのでしょうか。おもちゃがないと寂しいですね。
暇人さんは壊れたおもちゃだからもうイラネー。

「壊れたおもちゃだからもうイラネー。」といわれてますけどね(笑)

荒らさないで 冷静になられてくれ。
冷静になって 考えてみそ
私と遊びたいなら どうすればよいか。
 
 

25 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 12:09:25 ID:pU43WGnZ
>>23
> 別スレ立てるとき、このスレッド知らなかったんだろ?

そんな、重複スレッドの調査能力すらないことを、自慢する必要はないってw

あなた
>>14-15
を読んでないでしょう?
まさか、理解できないとかw

> しんどいですね。偉そうに
> 指摘などといわずによく読んでくださいね。
あなたが、スレとレス番号をちゃんと明示してくれたら、
お互いしんどい思いをしなくて済むんですけどね。


26 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 12:41:49 ID:OxwuprYz
>>25
>そんな、重複スレッドの調査能力すらないことを、自慢する必要はないってw

私に言っても仕方ありませんよ。なに言ってるんですか。

>あなた
>>14-15
>を読んでないでしょう?
>まさか、理解できないとかw

あなたの指摘(?)と質問に対して誠実に要点をまとめながらお答えしましたが、
それに対してこのご返事ですか?水野先生?そんなこと私は関知していません。

あなたは暇人さんですか?(プゲラ

27 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 15:02:10 ID:pU43WGnZ
>>26
やれやれ。あなたは、幼稚園でなにひとつ学ばなかったようですね。
次に書き込むときには、中学校卒業程度の常識と理解力を身につけてからにしていただけると、
こちらもしんどい思いをせずに済むので助かります。
頼みましたよ。

>>23
> 面白いね。そこまで自意識過剰だと。別スレ立てるとき、このスレッド知らなかったんだろ?
あのね、仮にあなたの言う通り、別スレ立てるとき、このスレッド知らなかったんだとしましょう。
そうだとしたら、重複スレッドを立てたことに気づいた時に、
何かアクションがあってしかるべきだとは思わないのですか?
何のアクションもないのだから、
>私から一々について 反論されるのがウザイから
>別スレッドを立てたり そこで負け犬の遠吠えされているのだって。
といわれても、仕方ないって。

> 私に言っても仕方ありませんよ。なに言ってるんですか。
私もそう思う。
だから、もともとの >>23 のあなたの発言が余計な発言だったことに気づいてください。

> あなたの指摘(?)と質問に対して誠実に要点をまとめながらお答えしましたが、
> それに対してこのご返事ですか?
わたしの常識だと、『「誠実に」お答えしました』 のなら、

>>21
> あなたは最初から眼中にないのですが

こんなこと、言わないってw。
一般常識を身につけてください。
これって誠実どころか、普通、喧嘩を売っていると受取られますyo


28 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 15:02:42 ID:pU43WGnZ
>>26
> 水野先生?そんなこと私は関知していません。
あらら。
一般常識がないばかりでなく、読解力もなかったのか。やれやれ。
>>25
> まさか、理解できないとかw
は、皮肉のつもりだったのだが、本当に理解できていなかったとは。
(困ったもんだ。苦笑)
あのね、
>>14-15
の要点はね、「水野先生?」ではなくて、

<--
『どう反論できてないか具体的書いて味噌』の意味を全く理解できていない。
具体的とある以上、
・どこでどのような主張(反論)がなされたか
・それはどのように解釈できるかが
が合わせて示されなければならない。
-->
ここなの。
これが理解できないのなら、もう書かなくていいよ。
お互い、疲れるだけだから。

> あなたは暇人さんですか?(プゲラ
違います。
それすら、わからないのですか?
おかわいそう。お大事に。
早く、一般常識と読解力を身につけて、社会復帰して下さいね。


29 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 15:17:27 ID:OxwuprYz
>>27
あーあ。だからあなたは馬鹿だと言われても仕方ないと思いますよ。
もういいです。最初からあなたなど眼中にはなかったのだからもういいです。
あんたは、なにも反論できていないよ。下らん。貴重な時間を無駄にした。

永遠にさようなら。愚鈍な人よ。

30 :暇人:2005/07/30(土) 15:31:03 ID:24O1RlC6
>>29

( ^-^)_旦~~
だからさ ここでは「池野めだか風」の芸はしなくていいよ

31 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 15:38:03 ID:pU43WGnZ
>>29 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 15:17:27 ID:OxwuprYz
> あーあ。だからあなたは馬鹿だと言われても仕方ないと思いますよ。
はいはい。そう思うのはあなたの自由。誰も止めやしませんって。

> もういいです。最初からあなたなど眼中にはなかったのだからもういいです。
> あんたは、なにも反論できていないよ。下らん。貴重な時間を無駄にした。
だって、あなたが根拠のある主張を何ひとつしていないのだから、
反論できるわけ無いジャン。
(反論を期待するのなら、>>14-15 に示したフォーマットに沿って何かを主張してね。)

> 永遠にさようなら。愚鈍な人よ。
はい、さようなら。


32 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 15:46:05 ID:OxwuprYz
>>30 法そのものさん。
なにを言ってるのか解らないのですけど?あなたには無宗だ氏の愚が解らないのですね。
それよりも>>12-13 に答える方が先だと思いますよ。解りにくければ、>>21も参照して下さい。


33 :暇人:2005/07/30(土) 16:03:54 ID:24O1RlC6
>>32

12-13さんは、
「暇人さんは壊れたおもちゃだからもうイラネー」と
言われていた方ですね。
こちらのスレッドには書けなかった
可愛そうな遠吠えにすぎませんから
その一々の愚かしさを手取り足取り教えてあげなくてもいいと思います。

何度も同じこと言わせないで下さいね^^
煽ってスレッドを荒らしちゃ だめよ^^


34 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 16:18:11 ID:OxwuprYz
>>33 法そのものさん

わかった。池野めだかの意味。あんたのこの発言だ。
あんたの発言

881 名前: 暇人 投稿日: 2005/07/29(金) 02:10:37 ID:wH/3rJWl
「ローマ字転写より、写真版PDF版がいい」のどこが

@支離滅裂か
A非論理性があるのか

きちんと説明してみなされ。
できずに また説明責任放擲して逃亡だな
トンデモ系だしね

以上

これに答えてあげているのに何もいえないんっしょ?あんたの屁理屈待てるんだから。
これまでの実績で予想はつくけどね。
あんたと違って、ローマナイズ君はのこのこ出てくるほど恥知らずじゃないと思う。
折角マヌスクリプトに関する指導と勉強方法教えてあげているのに、感謝しなさい。
sva√bhU のこともぜんぜん解ってない無い人には無理かもしれませんがね。

35 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 16:40:36 ID:pU43WGnZ
>>34
ねえ、ねえ。粘着せずに消えてくんない?

何か発言したいのだったら、
中学校卒業程度の一般常識と読解力を身につけてからにして。
いい子だから。ね。

【常識欠如の一点目】
相手に回答を求めるのだったら、あんた呼ばわりは止めなさいって。

【勘違いの一点目】
> これに答えてあげているのに何もいえないんっしょ?

答えてあげてないってw。

>>21 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 11:49:00 ID:OxwuprYz
> >『PDFで写本を出版すべし』との結論が議論の流れに無関係に唐突に出てきたから。
> >『PDFで写本を出版すべし』の主張自体にはおかしなところは無い
> >と理解してよろしいのですか?
> そうです。その通りですよ。整理した上で写真出版することは大いに意義のあることです。研究者は
> 大喜びするでしょうね。
これは、
> 「ローマ字転写より、写真版PDF版がいい」のどこが
> @支離滅裂か
> A非論理性があるのか
> きちんと説明してみなされ。
の説明ではなくて、
「ローマ字転写より、写真版PDF版がいい」は、支離滅裂でもないし、非論理性も無いことを認めているだけだって。
日本語をちゃんと勉強しようよ。ね。


36 :暇人:2005/07/30(土) 16:42:32 ID:24O1RlC6
>>34

私に遊んで貰いたいならば、先にすることあるな
>>24発言について きちんとした大人の説明してごらん。

こちらのスレッドをあるのを知った上で「暇人を無視しよう」と
提案をあちらでされた上で、レスを書かれていたが、
私が立てたスレッドの無視を提案し「暇人きもういらない」と
された上でのレスなのだから
それは私への答えでそもそも ありえんだろう。
私との対論を避けた上で、私をアリバイ的に中傷しているだけだって。

わざと平行スレッドを立てたのに
まだ私に遊んでくれってねぇ 困った人だね
そのへんを冷静に考えられよ
話はそれからだな。


37 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 16:59:38 ID:fMYpMdN0
>>36
それは筋が違うのではないでしょうか?あなたの要請にこたえて発言しているのだから、
最低は内容についてコメントするべきでしょう。無宗ださんの
>「ローマ字転写より、写真版PDF版がいい」は、支離滅裂でもないし、非論理性も無いことを認めているだけだって。
>日本語をちゃんと勉強しようよ。ね。
このようなすり替えはなしにしたほうが信用回復につながるかと思いますよ。老婆心です。

38 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 17:17:19 ID:pU43WGnZ
>>37
> このようなすり替えはなしにしたほうが信用回復につながるかと思いますよ。老婆心です。
これを、わかりやすい日本語に翻訳するとw

  お前は、現在信用が無いんだ。
  俺は慈悲深いから信用回復のチャンスを与えてやっているんだ。
  だから、とっと答えろ。
  ああ、なんて俺って親切なんだろう。。。。

となりますね。


39 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 17:25:23 ID:fMYpMdN0
>>38
>このようなすり替えはなしにしたほうが信用回復につながるかと思いますよ。
これがおきに召しませんでしたか。あなたのキャパが示されますよ。

40 :暇人:2005/07/30(土) 17:37:41 ID:24O1RlC6
>>38

まあ 落ち着け( ^-^)_旦~~
興奮せず どう筋が違うのか説明してみそ。

私の要請に応えてないじゃん。
別スレッドを立てそこで応えても、意味ないじゃん。
しかもわざわざ私を無視しようと提案され、
「暇人さんは壊れたおもちゃだからもうイラネー」
と言われているじゃん。対論放棄してるじゃん。
私から逃げてるじゃん。

んで舌の根乾かんうちに やっぱ遊んでくれ コメントしろって
我がままに育ちすぎだよ 恥ずかしくないん?


41 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 17:46:28 ID:pU43WGnZ
>>39
> >このようなすり替えはなしにしたほうが信用回復につながるかと思いますよ。
> これがおきに召しませんでしたか。
そうですね。
私の実感としては、
暇人さんと、
阿呆陀羅經さん、電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロさんの言っていることを
比較すると、どうしても
阿呆陀羅經さん、電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロさんの方が変なことを言っているように思えます。
にもかかわらず、暇人さんには信用が無いと決め付ける発言は非常におかしな物に見えます。

> あなたのキャパが示されますよ。
わかりやすくていいでしょうw
ごまかす気もありません。
こんなもんです。


42 :暇人:2005/07/30(土) 17:56:25 ID:24O1RlC6
>>41

横から失礼します
私も素人だし 私が間違っていること
不充分なことも実に多いですね。

スッタニパータ800偈には
「いかなる見解をも そのまま信ずることはない」とあります。
誰がどうのよりも むしろ誰の見解であれ
個々のテーマごとに自分の身が頷くまで思索を続ければ
実り多いのではと思います。

43 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 17:56:54 ID:fMYpMdN0
>>40
まあ、餅突けよ。どこにアンカー挿してるのだ?(爆

前から疑問に感じていことがあります。あなたは一体、誰とお話しているので
しょうか?私には見えないのです。まさか、あなたの対論者はすべて一人で
あると想定しているおられるわけじゃないですよね?

結局、このまま逃げてしまわれるのですね。人にドンデモとかあなたも口が
悪いのですよ。

私も研究している人の末席を汚しているものです。あなたの原典を読まずに
研究者を批判する態度(例えば中村元に対する)論文を読まずに批判する
態度(例えば印順氏に対する)には辟易としています。

人の評価をつなぎ合わせるだけでは意味がないことを早く気づいてください。

44 :暇人:2005/07/30(土) 18:09:02 ID:24O1RlC6
>>43

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1122597067/5-6

@誰と誰をどう混同しているのか 具体的に説明してみなさい。
A「どう筋が違うのか」を説明しなされ。

B漢訳原典を示して電波君が「自性」を「あるあるある」と検索しただけで
中身読めてないことを自性ネタで論証しましたよ。
あなた研究者ならば 素人の私が漢文阿含を指ししめて
専門家ぶる電波さんは中身を読めてないトンデモだと
明確にわかるはずですが、事実と逆のこと主張されるのはなぜか

原典を読んでないのは 果たして誰なんだね。

45 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 18:22:58 ID:fMYpMdN0
>>42
大きな顔して学者批判しておきながら

>私も素人だし 私が間違っていること
>不充分なことも実に多いですね。

このように逃げる態度が許せないのです。
サンスクリット購読などで学生が初級だから
許してくださいと言うようなときは許しません。

46 :暇人:2005/07/30(土) 18:24:38 ID:24O1RlC6
>>43
>私も研究している人の末席を汚しているものです

大学に正規に席があるのかね?
オーバードクターし、名前だけ籍がある
研究生(員)ではなく きちんと研究室にあなたの席があるん?


47 :暇人:2005/07/30(土) 18:27:00 ID:24O1RlC6
>>45

キミの指導教員の顔がみたいね。
>>42を逃げと読んでしまうところが 
キミにセンスを感じないところだね

キミはサンスクリット読めると自慢したいのかね

48 :暇人:2005/07/30(土) 18:35:21 ID:24O1RlC6
大昔だが 新聞配達のバイトしている時 新聞配達で飯食っている
おっちゃんの一人に オレはギリシア哲学の研究者と言う人いたね
教授と喧嘩したから今こうしているがとかなんとか。
社会的身分は ただの新聞配達のおっちゃんなのだが 
本人は自称専門家。
他のアルバイトでも今西錦司門下のおっちゃんがおったな。
その人も社会的にはただのフリーターなのだが、
研究者としての自分をすてられないみたいだったね。

まあ研究者といってもピンきりですね。

49 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/07/30(土) 18:37:57 ID:0Csjrs13
>>43
>私も研究している人の末席を汚しているものです。

どうも、久しぶりです。

私と被ったことがありますね(^。^)
突っ込みが軟弱でしたよ。
私の場合は、もっと突っ込みを入れてくれませんと、いいレスは書けません。

また、突っ込みの方を期待します。

今度は、もちっとアカデミックなレスをキボンヌします。


50 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 18:39:48 ID:pU43WGnZ
>>43
> 私も研究している人の末席を汚しているものです。あなたの原典を読まずに
> 研究者を批判する態度(例えば中村元に対する)論文を読まずに批判する
> 態度(例えば印順氏に対する)には辟易としています。
そうであるならば、心得違いを諭してあげればいいことでしょう。

>>45
> 大きな顔して学者批判しておきながら
「大きな顔」とか、素人が「学者批判」をすることはどうでもいいのでは?
肝心なのは、批判の内容でしょう?

私は、
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1120927505/302-308n
> 森氏は学会では全く誰も相手にしないのは確か。葉阿月さんなみ。阿月さんは可愛いから許す。
> 阿月虐めで有名な先生も他界されましたが、「darSnaについて」は抱腹絶頂でした。確か電波の
> 3人後。(W
>
> 三枝氏については翻訳など原典に係わるところはすべてゴーストライター。人類の知的遺産シ
> リーズの「世親」の翻訳部分は横山先生ご執筆。皆そんなことは知っていました。
といった発言が平然と行なわれ、誰もそれに異を唱えないのが不思議でなりませんでした。
こういったやり取りを、あなたはどのように感じていたのでしょうか?


51 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 18:41:07 ID:fMYpMdN0
>>44
>@誰と誰をどう混同しているのか 具体的に説明してみなさい。
>A「どう筋が違うのか」を説明しなされ。
スレ立てたのが私だと言わんばかりでしたね。それは私ではないからです。
筋が違うといったのは、かの氏にたいして説明責任を求めておいて無視したから
です。なにか問題がありますか?

>B漢訳原典を示して電波君が「自性」を「あるあるある」と検索しただけで
>中身読めてないことを自性ネタで論証しましたよ。

これは多くの人が指摘しているsva√bhUに関係します。

>B漢訳原典を示して電波君が「自性」を「あるあるある」と検索しただけで
>中身読めてないことを自性ネタで論証しましたよ。

これはあなたが自性を有部のタームか唯識の三性説であるという先入観ゆえの錯誤
です。自性の多義性というのはsva√bhUから派生する様々な意味であり、竜樹が否定、
あるいは空とみなすものなのです。それは有部の自性も含む広範囲にわたるものです。
竜樹が空であるとするのは実体、作用その他諸々であって、それらの本質、つまり自性
を否定するのです。電波男さんはその意味で西洋哲学の概念から本質を幾つかの観点
から説明したのだと思うのですが、その一々にトレースしろと仰いましたね。あなたは全く
かれの説示を読めていません。

52 :蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/30(土) 18:52:35 ID:tfd558cC
>私の場合は、もっと突っ込みを入れてくれませんと、いいレスは書けません。

>また、突っ込みの方を期待します。

『私の持てる最大限の力を込めて・・・』
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。

『な   ん   で   や   ね   ん』

今、私はすべての力を使い果たしました。

みなさん少しは和みましたか?

53 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 18:55:48 ID:fMYpMdN0
>>46
餅つきなされ。(爆

>大学に正規に席があるのかね?
>オーバードクターし、名前だけ籍がある
>研究生(員)ではなく きちんと研究室にあなたの席があるん?

その質問に何の意味があるのですか?

>キミの指導教員の顔がみたいね。
>>42を逃げと読んでしまうところが 
>キミにセンスを感じないところだね
>キミはサンスクリット読めると自慢したいのかね

私の指導教授の顔をみてどうするのですか?私のセンス?サンスクリットなんか
出来て当り前なのに、それを自慢とかとうあなたのセンスには負けますよ。

>机龍之介さん
私はあなたとお話したことはありません。

>無宗ださん
>そうであるならば、心得違いを諭してあげればいいことでしょう。
わたしがするまでも無く、彼に対して苦言を呈してる人はいるはずですよ。

>肝心なのは、批判の内容でしょう?
だから、原典を読まずにと言っております。

>こういったやり取りを、あなたはどのように感じていたのでしょうか?
あまり上品だとは思いません。私ならしませんが、事実だから仕方ない範囲でしょう。
でも、三枝氏については公然の事実ですよ。本人も否定されないはず。レグルス『中論』
は大声で親告されています。

54 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 18:57:48 ID:fMYpMdN0
>>52
はじめまして、蓮華さま。

久々に心が荒む発言をしていたところ、和むようなご発言がありました。
ありがとうございました。当初目的を達しましたので、わたしは別スレ
に移らせて頂きます。

55 :暇人:2005/07/30(土) 19:01:26 ID:24O1RlC6
>>51
>スレ立てたのが私だと言わんばかりでしたね
どのスレ番のどの発言をそう見なしたのだね。具体的に。
>それは私ではないからです
スレ立てが別でも 別スレ立てを支持し私を無視しようと提案した
段階で同罪ですね。
>かの氏
だれ?
>なにか問題がありますか?
あるよ。>>40などで具体的に説明しています
>多くの人
何人?誰と誰とだれ?列挙しなさい。

電波さんが
五個二例を 五例だと錯誤されて大騒ぎされてたこと。
(漢訳論書の中身が読めていない)
後序部分を本文視されてたことを申し上げています。
(漢訳論書の中身が読めていない)
あなたのカキコはこのことの弁護になっていず 的はずれです。
漢訳論書の話です。


56 :蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/30(土) 19:09:23 ID:tfd558cC
>>54
どうも、どうもw

それはよかったですし、私としても幸いです。

でもあなたに納得してない人は若干いますが・・・


57 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/07/30(土) 19:10:12 ID:0Csjrs13
>>53
>>机龍之介さん
>私はあなたとお話したことはありません。

そうでしたか。
では、アカポスの方は大勢いらっしゃるようですね。
失礼しました。

今の時世、アカポスになるには、実力よりも従順な心がないと駄目です。
あと、運ですね。




58 :暇人:2005/07/30(土) 19:10:15 ID:24O1RlC6
>>53
>その質問に何の意味があるのですか?

あるね。キミの資質に疑問を持っています。
専門的知識がありどーして電波さんの数々のトンデモ性にきづけんか謎。
それと電波さんのプロフに大差ないからね

>私の指導教授の顔をみてどうするのですか?
きちんとした指導をお願いします。



59 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 19:12:02 ID:pU43WGnZ
>>53 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 18:55:48 ID:fMYpMdN0
> >無宗ださん
> >そうであるならば、心得違いを諭してあげればいいことでしょう。
> わたしがするまでも無く、彼に対して苦言を呈してる人はいるはずですよ。
レスありがとうございます。
そうでしたか。わ
たしには、誹謗中傷ばかりが目に付き、苦言らしい苦言が目に入っておりません。

> >肝心なのは、批判の内容でしょう?
> だから、原典を読まずにと言っております。
これは、学者の自己満足だと私は思います。
私は次のように考えています
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1120927505/526
> 滑走路作りに参加するのであれば、サンスクリット語、パーリ語、仏教漢文の素養も必要だが、
> ちょっと観光飛行を楽しむ分には、すでに豊富な日本語資料が存在しているように思える。

> >こういったやり取りを、あなたはどのように感じていたのでしょうか?
> あまり上品だとは思いません。私ならしませんが、事実だから仕方ない範囲でしょう。
> でも、三枝氏については公然の事実ですよ。本人も否定されないはず。レグルス『中論』
> は大声で親告されています。

2chの暇人さんを批判するより、あなたの今いる学会の浄化を考える方が
重要で急務なのではありませんか?老婆心ながら。

(こんなことを書くと、また、話のすり替えとか、言われちゃいそうですけどねw)


60 :暇人:2005/07/30(土) 19:49:03 ID:VFc4CgOa
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1120927505/763

電波「暇人は法蘊足論に自性ないというが「法蘊足者。顯此論之勝名也。能持自性。」と
能持自性があるじゃん」
暇人 あまり馬鹿馬鹿しくて 絶句してしまったが、これは漢訳者玄奘の後書き部分
   ギルギット写本”法蘊足論についても出さないから確定できんが 電波さんのこと
   だから玄奘の後書き部分だと思もわれる。 だったらまた大笑いネタ増えます。

電波「2例ではなく、5例です。大蔵経の索引だけに頼っている訳でしょう?
精度が違います」
暇人「此法自性不可愛が4つ 求彼自性毘奈耶が1つじゃん 2例五個なのに汗
漢訳も読めないのか こいつ。。。」

さてこの漢訳「あるある隊」がどう梵語と関係するか説明できる?
ええかげん漫才は他でやってほしいね

B漢訳原典を示して電波君が「自性」を「あるあるある」と検索しただけで
中身読めてないことを自性ネタで論証しましたよ。
あなた研究者ならば 素人の私が漢文阿含を指ししめて
専門家ぶる電波さんは中身を読めてないトンデモだと
明確にわかるはずですが、事実と逆のこと主張されるのはなぜか


61 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:57:08 ID:fMYpMdN0
>>55 食事してきました。たくさんコメントがありますね。
遠吠えは本当にみっともないです。指摘していることに答えず、質問を繰り返すのは悪質ですよ。

>どのスレ番のどの発言をそう見なしたのだね。具体的に。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1122591224/40

>私の要請に応えてないじゃん。
>別スレッドを立てそこで応えても、意味ないじゃん。
>しかもわざわざ私を無視しようと提案され、
>「暇人さんは壊れたおもちゃだからもうイラネー」
>と言われているじゃん。対論放棄してるじゃん。
>私から逃げてるじゃん。
>んで舌の根乾かんうちに やっぱ遊んでくれ コメントしろって
>我がままに育ちすぎだよ 恥ずかしくないん?

これは私のことではありません。勘違いですか?ID:OxwuprYzさんは私ではありません。私はただ、あなたには答える責任があるといっているのです。

>スレ立てが別でも 別スレ立てを支持し私を無視しようと提案した段階で同罪ですね。
わたしがいつそんなこと発言したというのでしょうか?示してください。

62 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 20:04:46 ID:fMYpMdN0
>>なにか問題がありますか?
>あるよ。>>40などで具体的に説明しています
循環しています。落ち着いてください。
>何人?誰と誰とだれ?列挙しなさい。
その口調、やめていだかけませんか?
OxwuprYzさん、KCPuuvKSさんnlFcDHrEさんなどです。探せばもっとあるでしょうけど。

>五個二例を 五例だと錯誤されて大騒ぎされてたこと。 (漢訳論書の中身が読めていない)
大騒ぎ?そんな筈はありません。(笑)

>後序部分を本文視されてたことを申し上げています。
これは本当ですか?当該場所を示してください。お茶目とかではなく?

>あなたのカキコはこのことの弁護になっていず 的はずれです。 漢訳論書の話です。
的外れ?なにがですか?

>あるね。キミの資質に疑問を持っています。
>専門的知識がありどーして電波さんの数々のトンデモ性にきづけんか謎。
あなたに疑問をもたれてもね。どうしろというのですか?あなたは電波男さんを
見損なっています。彼の論文での根拠提示やその論法は2chでは出てきません。
所詮2chですからあなたの様に全開ではありませんよ。私は彼の業績を知って
います。自性関係の論文も読んでいますので、あなたの「法そのもの」にも笑って
しまうのです。どうしても彼を陥れたいのですね?あなたには無理です。

>きちんとした指導をお願いします。
はぁ。

63 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 20:15:10 ID:fMYpMdN0
>>59 無宗ださん
>たしには、誹謗中傷ばかりが目に付き、苦言らしい苦言が目に入っておりません。
どなたかがまとめられていましたね。電波男さんは2chでは毒舌人格モードに入る
らしいのですが、行き違いがあれば仕方ないですね。

>これは、学者の自己満足だと私は思います。
>私は次のように考えています

そうですね。立派な日本語訳があるのだから、あえてサンスクリット原典を読む必要
が無いのも確かです。しかし、問題が訳語の是非や原典に言及することがあれば、
訳だけでお話するわけにはいきません。例えば、今回の自性の件ですが、サンスクリット
を知っておれば、「法そのもの」なんてことには絶対になりません。暇人さんは日本語訳
を超えたところに言及し、研究者を批判しておられるのだから、原典の必要性を求めるのです。

>2chの暇人さんを批判するより、あなたの今いる学会の浄化を考える方が
>重要で急務なのではありませんか?老婆心ながら。
学界は別に総意というものがあるわけでもなく、個人が発表して論を戦わせれば好いわけです。
浄化するエネルギーがあるのなら、原典の一つも読んだほうがましですね。


64 :暇人:2005/07/30(土) 20:26:55 ID:VFc4CgOa
>>61
>摘していることに答えず、質問を繰り返すのは悪質ですよ
それはキミでしょう
>循環しています
落ち着くのはキミでしょう。何がどう循環しているのだね。
>OxwuprYzさん、KCPuuvKSさんnlFcDHrEさんなどです
スレ番号を示さないとどれか確認作業が大変ですし
OxwuprYzさん、KCPuuvKSさんnlFcDHrEさんがなぜ別人といいうるのですかね
その根拠を示せ。
>大騒ぎ?
過去ログをきちんと確認してから絡んでください 迷惑です。


65 :暇人:2005/07/30(土) 20:27:40 ID:wujvT4P9
186 名前: 電波男Ψ(´д`)Ψ 投稿日: 2001/06/18(月) 23:11

阿毘達磨集異門足論
1536.txt(589): 1536_,26,0373c06(05):答此法自性不可愛。不可樂不可喜。
1536.txt(604): 1536_,26,0373c21(01):答此法自性不可愛。乃至違正理。復次此法能得不可愛果。
1536.txt(613): 1536_,26,0374a01(06):問何故名具戒。答此法自性可愛。
1536.txt(627): 1536_,26,0374a15(07):答此法自性可愛。乃至隨順正理。
1536.txt(6419): 1536_,26,0440c17(07):四求彼自性毘&M014659;耶。五取多人語毘&M014659;耶。
2例ではなく、5例です。大蔵経の索引だけに頼っている訳でしょう?精度が違います。
毘奈耶としての性格の調査ではなく、seTu として止悪の性質が無表として備わっているかの諮問なのです。概説書でも専門書でもそれは常識だからわざわざ書かなかったのでしょう。
阿毘達磨法蘊足論
26,0514a05(02):法蘊足者。顯此論之勝名也。能持自性。
最後の句がアビダルマでは法の概念として即答する定型句です。
阿毘達磨識身足論
何等増上縁。謂除自性餘一切法。
是誰増上縁。謂除自性餘一切法。
1539_,26,0586a19(03):如是一切法皆爲増上縁。唯除自性。
1539_,26,0586a25(04):如是一切法皆爲増上縁。唯除自性。
1539_,26,0589c28(07):住自性位。如過去未來亦爾。
1539_,26,0590b04(00):謂未離欲界貪。住自性位。如過去未來亦爾。

66 :暇人:2005/07/30(土) 20:35:37 ID:wujvT4P9
>2例ではなく、5例です。大蔵経の索引だけに頼っている訳でしょう?精度が違います。

中身読まず単に検索して五個あったを「精度が違います」違いますと自慢しているでしょ。
この程度ですよ 彼の現実は。

法蘊足論の「自性」箇所としてあげているのが本文ではなく 後書きの
「法蘊足者。顯此論之勝名也。能持自性」
ギャグもここまでくるとね

>的外れ?なにがですか?
>>43で「あなたの原典を読まずに研究者を批判する態度」といわれてたから
現実には漢訳原典を読んでないのは電波くんだと説類しているのに
さんすくりっとがどうのと的外れな話をはじめている

>あなたは電波男さんを見損なっています

彼の論文なんて無関係なの。私が現実社会でなにをしているかも関係ない。
ここで電波さんが何を書き 私が何を書いたか
その事実を如実にみなさい

67 :暇人:2005/07/30(土) 20:39:22 ID:wujvT4P9
聴講生ではなく正規の学生なのかね 院生かね
ちゃんと大学に席があるのかね。
席のない自称研究者かね。

そこいらを明確にしてください。
電波さんのトンデモ度にきづけない専門家っているのかね

68 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 20:44:25 ID:fMYpMdN0
>>60
かなり悪質ですね。
そこに示しておられるURLは電波男さんの発言ではなくあなたのものではありませんか。
svabhAva の漢訳としては自性一語だけではなく、訳者、文脈の違いで「生、相、体、定相、
自体、本性、、、、、」とたくさんあります。詳しくは『翻訳名義大集』"MahAvyUtpatti"の日本で
出版されているものを参照して下さい。玄奘訳で比定するのなら、倶舎論索引が便利です。
電波男さんはその論文で自性について考察されており、暇人さんの言うことは完全にはずれて
いますよ。素人相手だから「自性」だけでお話されてのでしょう。ざっと3スレ読みましたが
彼は説明していますよ。

>>64
>それはキミでしょう
文章を読んでください。
>落ち着くのはキミでしょう。何がどう循環しているのだね。
同じ気ことを繰り返しています。文章を読んでください。

>スレ番号を示さないとどれか確認作業が大変ですし
>OxwuprYzさん、KCPuuvKSさんnlFcDHrEさんがなぜ別人といいうるのですかね
>その根拠を示せ。

偉そうなものいいですね。示せ?あんたどれだけ大したものなん?あんたもスレ番号
示して無いですよ。また、私には別人証明する義務ありません。変なこという人だな。

69 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 20:47:18 ID:fMYpMdN0
>>65
文献学の世界では2例5個などとは言いません。5例は5例です。その次に内容分析
です。それと今見て思ったのですが、電波男さんは珠玉の言葉を残しています。

>毘奈耶としての性格の調査ではなく、seTu として止悪の性質が無表として備わっているかの諮問なのです。概説書でも専門書でもそれは常識だからわざわざ書かなかったのでしょう。
これはあなたには絶対に理解できないはず。

>阿毘達磨法蘊足論
>26,0514a05(02):法蘊足者。顯此論之勝名也。能持自性。
>最後の句がアビダルマでは法の概念として即答する定型句です。
お笑いです。有部における法の概念としての定型句であって、それを玄奘が言っている。
そしてお話は阿毘達磨識身足論へと入る。なにか問題でもあるのでしょうか?本当に変な人だ。
それより、「法そのもの」を説明してよ。

70 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 20:51:47 ID:fMYpMdN0
>>66
>>2例ではなく、5例です。大蔵経の索引だけに頼っている訳でしょう?精度が違います。
>中身読まず単に検索して五個あったを「精度が違います」違いますと自慢しているでしょ。 この程度ですよ 彼の現実は。

あんた人をこの程度と言えるほとの人なのか?先ほどアップしたものを読んでください。確かに精度が
違うようです。あなたの場合は悪質です。ばかばかしいと思って放置していたら調子に乗って罵倒して
いるという構図じゃないですか。みっともない。

>>43で「あなたの原典を読まずに研究者を批判する態度」といわれてたから
>現実には漢訳原典を読んでないのは電波くんだと説類しているのに
>さんすくりっとがどうのと的外れな話をはじめている

電波男さんが漢訳を読んでいない?おおーい!!電波男さんのお知り合いの方!!
こいつを笑ってやってくださーーーい。電波男さんとは直接面識がありませんが、
そんな恐ろしいこと言う人はいませんよ。さんすくりっとが的外れ?根拠を示せ。

>ここで電波さんが何を書き 私が何を書いたか
>その事実を如実にみなさい
その事実を如実に見ました。abhisamayaをはじめ、すべてあなたの言っていることが正しくない。



71 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 20:58:37 ID:fMYpMdN0
>>67
>聴講生ではなく正規の学生なのかね 院生かね
>ちゃんと大学に席があるのかね。
>席のない自称研究者かね。
>そこいらを明確にしてください。
>電波さんのトンデモ度にきづけない専門家っているのかね

あなたの言葉遣いやこの発言ですべて理解できました。あなたは自己顕示欲
の塊で、学者を陥れたいだけのゴロツキです。なんか謝罪とかいって自己爆発
していましたね。所詮あんたはそれくらいの人間です。一時でもかかわって損した。
サービスしておいてあげるね。

私は学生ではありません。オーバードクターです。ゲッティンゲンから帰って来ました。
現在専任ではありませんが、非常勤講師として公立大学の片隅に机を頂いております。
某研究所にも非常勤としてプロジェクトに参加させていただいてます。年間6本ぐらいの
論文は書いております。とりあえず私の分野では新しいことをしています。

72 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 20:59:46 ID:pU43WGnZ
>>63
レスありがとうございます。
> どなたかがまとめられていましたね。
何をまとめていたのですか?どのあたりですか?

> 電波男さんは2chでは毒舌人格モードに入るらしいのですが、
ちゃんと議論ができるのであれば、毒舌自体は余り気にならないのですが…(cf. >>15)
> 行き違いがあれば仕方ないですね。
まあ、そういうことですね。

> >これは、学者の自己満足だと私は思います。
> >私は次のように考えています
>
> そうですね。立派な日本語訳があるのだから、あえてサンスクリット原典を読む必要
> が無いのも確かです。しかし、問題が訳語の是非や原典に言及することがあれば、
> 訳だけでお話するわけにはいきません。
なるほど。

> 例えば、今回の自性の件ですが、サンスクリット
> を知っておれば、「法そのもの」なんてことには絶対になりません。暇人さんは日本語訳
> を超えたところに言及し、研究者を批判しておられるのだから、原典の必要性を求めるのです。
このあたりで、まともな苦言があったとすれば、私には認識できていません。
ただ、自性の件でいえば、サンスクリットに踏み込む必要がどこにあったのか大変疑問です。

電波男さんが、とっとと答えていれば、ここまで混乱を引きずらずに済んでいたのでは無いかと思います。
佐倉氏のサイトを見る際に、「自性」の解釈は多義的であることを留意する必要はないと
私は思えるのですが、如何なものでしょうか?


73 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 21:00:11 ID:fMYpMdN0
暇人さん。
あなたには何を言っても日本語が通じないようだから、これにて失礼致します。
どれだけみっともないか、自覚されたし。最後の言葉です。

74 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/30(土) 21:00:18 ID:pU43WGnZ
「自性」ネタの発端は、次のやりとりだと理解しています。
自性の多義性に留意しないと、佐倉氏の縁起説・無我説を読む際に
どのような読み違いをすることになるのでしょうか?
-----------------
創価学会は大仏教学者梶山雄一に認められた
http://www.geocities.jp/jfcps873/kanren/kaji1.html

738 名前: 名誉片山 投稿日: 2001/05/30(水) 18:25

>>737
ほぼここだけですじゃ。
一つお尋ねしたいんじゃが、佐倉氏の縁起説・無我説の理解にも不充分な
点はあるんじゃろうかの?
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html

742 名前: 電波男Ψ(´д`)Ψ 投稿日: 2001/05/30(水) 18:36

斜め読みしましたが、要点はしっかり抑えられているようです。
最低必要条件は満たしておられます。あれ以上踏み込むとなれば、
専門的になります。

また、間違った解釈もしておられないようなので安心して読める
ものですね。

ただ、「自性」の解釈は多義的であることを留意されたほうがよ
いかとは思います。本来的には「本質」(偶有属性を取り払って
残され抽出される性質)を意味しますが個物ないし対象にその実体
と実体保持作用を含めて自性とする意味もあり、仏教では後者を
否定します。前者も論書の中に頻出するのですが、文脈を読む必要が
あります。


75 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 21:02:57 ID:pWowL5jg
ギャグ、自性説。間違いを認めず、分裂して擁護論を展開する虚しい男。

T26n1537_p0513c13(00) 法蘊足論後序
T26n1537_p0513c14(00)     沙門靖邁製
T26n1537_p0513c15(00) 法蘊足論者。蓋阿毘達磨之權輿。
T26n1537_p0513c16(04) 一切有部之洪源也。無上等覺入室之神足。
T26n1537_p0513c17(04) 摩訶目乾連之所製矣。鏡六通之妙慧。
T26n1537_p0513c18(05) 晢三達之智明。桴金鼓於大千。聲玉螺於百億。
T26n1537_p0513c19(03) 摘藏海之奇玩。鳩教山之勝珍。欲使天鏡常懸。
T26n1537_p0513c20(01) 法幢永樹。衆邪息蕃 之望。
T26n1537_p0513c21(06) 諸子騁遊戲之歡。而爲此論也。是以佛泥越後。百有餘年。
T26n1537_p0513c22(01) 疊啓五分之殊。解開二九之異。
T26n1537_p0513c23(06) 雖各擅連城之貴。倶稱照乗之珍。唯一切有部。卓乎迥秀。
T26n1537_p0513c24(00) 若妙高之處宏海。猶朗月之冠衆星者。
T26n1537_p0513c25(02) 豈不以本弘基永者歟。
T26n1537_p0513c26(10) 至如八種 度鶩徽於發智之場。五百應眞弛譽於廣説之苑。
T26n1537_p0513c27(03) 斯皆 此涓波。分斯片玉。遂得駕群部而高蹈。
T26n1537_p0513c28(01) 接天衢而布武。是知登崑 者。必培 於衆山。
T26n1537_p0513c29(00) 游溟渤者。亦[土*幻]塘於群 。諒其然矣。
T26n1537_p0514a01(02) 矧乎順正理以析疑。顯眞宗以副惑。
T26n1537_p0514a02(05) 莫不鏡此彝倫。鑒斯洪範。
T26n1537_p0514a03(12) 故使耆徳婆薮屈我衆賢上坐幽宗見負弘致者也。題稱阿毘達磨者。
T26n1537_p0514a04(02) 形二藏以簡殊也。一切有部者。對十七以標異也。
T26n1537_p0514a05(00) 法蘊足者。顯此論之勝名也。能持自性。 <<<<<<<<<<<ここ!
T26n1537_p0514a06(02) 軌範稱法。法有積集。崇聚爲蘊。此論攸宗。
T26n1537_p0514a07(02) 法聚三七。皆與對法爲依。故目之爲足。
T26n1537_p0514a08(04) 三藏玄奘法師。以 皇唐顯慶四年九月十四日。奉
T26n1537_p0514a09(00)  詔於大慈恩寺弘法苑譯訖。大慈恩寺沙門。
T26n1537_p0514a10(00) 釋光筆受靖邁飾文


76 :暇人:2005/07/30(土) 21:07:07 ID:wujvT4P9
>>69
>文献学の世界では2例5個などとは言いません。5例は5例です

騙るに落ちたね。

「此法自性不可愛」「求彼自性毘奈耶」の二例に対して
彼は

「2例ではなく、5例です。大蔵経の索引だけに頼っている訳でしょう?
精度が違います。」と言われています。

電波さんを支持する専門家は世界広しと言えど皆無ですね。
それがわからんのに よく研究者の端くれを名のれるね。

>それを玄奘が言っている。
アホだろ キミ。
古層の法蘊足論に 後代の玄奘が自分の思想性から付け足した「自性」を
もって「古層の法蘊足論」に付け足した部分をもって古層の法蘊足論に
「自性」があるといえば 大笑いされるのもわかんないのか




77 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 21:08:49 ID:fMYpMdN0
>>72 無宗さん、このスレッドでは最後の発言になることをお許し下さい。

>何をまとめていたのですか?どのあたりですか
ごめんなさい。失念してしまいましたが、どなたかがHPで過去ログ倉庫を作ってくださってるとのことで、
のぞいてみたのですが、URLを忘れてしまいました。

>ただ、自性の件でいえば、サンスクリットに踏み込む必要がどこにあったのか大変疑問です。
>電波男さんが、とっとと答えていれば、ここまで混乱を引きずらずに済んでいたのでは無いかと思います。
>佐倉氏のサイトを見る際に、「自性」の解釈は多義的であることを留意する必要はないと
>私は思えるのですが、如何なものでしょうか?

自性つまり、svabhAvaには多くの訳語があり、常に意識しないと漢訳が正確に読めません。
電波男さんはかなり初期から答えていたと思いますよ。それを暇人さんが理解できなかった
ことに端を発しているというのが感想ですね。「自性」について中観に関連するものを読み解く場合、
常にSvabhAvaのもつ多くの意味に留意しなければならないというのが彼の真意だと思います。
それ自体には違和感はありません。これは先ほど詳説しております。

78 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 21:12:27 ID:w0KigoeJ
帰還の道を探求するに、原始と現代の違いは何でしょう。
背景の物質文明でしょうか??  帰還を果たした人は時空を超越してい
るとも聞きますから、現代も原始も区別が無いように感じますが。

79 :暇人:2005/07/30(土) 21:12:39 ID:wujvT4P9
あら 恥ずかしくて消えるのね
おつかれさま

80 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 21:15:00 ID:fMYpMdN0
無宗ださんへ。
最後と申しましたが、忠告させてください。
>>76などの発言を読む限りもう尋常ではないことをあなたなら理解できるはず。
ぜんぜん読解できていないばかりか誤読を元に電波男さんや私に罵倒の限りを
尽くしています。私の質問や指摘には一切お答えいただいておりません。彼は
罵倒することで逃げるのでしょうね。「法そのもの」についてなど多くのお笑いと
ともに。

どうかもう少し緩やかにお話できる場所をお探し下さい。

81 :暇人:2005/07/30(土) 21:20:55 ID:wujvT4P9
>>77
非常勤講師さん

基本的に「自性ネタ」は電波さん側が 自分のマチガイを訂正できるか
どうかで 彼らの誠実度計るテストに過ぎませんでした。

今回あなたがみせたように、
@「文献学の世界では2例5個などとは言いません。5例は5例です 」という
ウソ(宮下論文は二例)
A法蘊足論の後書きの自性なかんする詭弁。

電波さんがきちんと読めてないことをみとめない非誠実度
とても残念なことです。
まあしかしながら ここは2ちゃんですからね
リアルで こういうことはないように されてください

82 :暇人:2005/07/30(土) 21:47:30 ID:wujvT4P9
だいたい私はかつて

>「集異門足論」には2例あるが、「此法自性不可愛」と「求彼自性毘奈耶」であるが、
後者は比丘の性格を調査するという意味だから一般用法で、
前者は「匱戒、匱見、具戒、具見」という<法の持つ可愛・不可愛の性質>を
意味にする例で使われているが、ここでは一例のみで中心的になっていない。

と書いているのだって
電波さん 理解できなかったのでしよう


83 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 23:11:01 ID:DcpnDN1c
コーサンビーか?w

84 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 23:13:20 ID:0AWvmyye
最近話題になった宗教の名前は?
監禁した


85 :蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/30(土) 23:21:13 ID:BVifw112
>>84
顕正会

86 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 23:32:51 ID:OxwuprYz
>>65
>毘奈耶としての性格の調査ではなく、seTu として止悪の性質が無表として備わっているかの諮問なのです。概説書でも専門書でもそれは常識だからわざわざ書かなかったのでしょう。
とまで言ってるのに読みきってないと?性格の調査だとあんたは言うのかい?
誰かがわかり易く説明するために「性格の調査」とかいったんだろうな。それを
正確に電波が言っているのに、聞く耳もたずか。
これで格が違うのが誰にでもわかる。やっぱりあんたは駄目だ。存在価値が無い。
おまえが責任だとか言うから人が折角答えてやってんのに無視しやがって。
答えられないんだろ。この傲慢かましがぁ。

皆さん、暇人はこのスレで隔離しましょう。そして気が向いたら手慰みにいたぶりましょう。
81,82で糞かましてますよ〜〜。

翻訳名義や倶舎論索引とか丁寧に教えてもらっておいて、礼も言わない失礼な奴。
彼の意図も読み取ってないだろうな。文献学や原典には縁の無い人だからね。

だれかコイツノ出入りしているBBS晒してくれや。とことんいたぶってやろう。
暇人の品の悪さを徹底的に真似してみました。


87 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 23:59:31 ID:pWowL5jg
fMYpMdN0、OxwuprYz、水野弘元タータガタ衆生説といった電波は間違っていたことは認めますか?



88 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 00:09:43 ID:5jNayGAu
>>87
はぁ?あんたに発言する資格は無いんだよ。このごろつき。
水野先生がタターガタ衆生説を批判したのかな?

つーか、お前の存在は文脈外なんだ。もう出てくるな。

89 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 00:14:45 ID:5jNayGAu
>>82
暇人さんよぉ。
あんたきちがいだから勝手に勝利宣言するのは別にいい。
きちがいには目をあわさなければすむのだから。でもな、
義理を通さないのなら、もう発言するなよ。ローマナイズ
野郎を擁護しきれないのなら謝れや。このくず男。

90 :蓮華 ◆l5AfpJx3FY :2005/07/31(日) 01:31:07 ID:OREKmr+/
しまった。

85のレス、顕正会ではなく、 顕○会に訂正です。






91 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 02:08:17 ID:NoolG0Nv
スレッドが根本分裂している。

92 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/31(日) 06:41:27 ID:lihWebc3
>>77
>>80
レスありがとうございました。
佐倉哲エッセイ集
空の思想--- ナーガールジュナの思想 ---
を読み返してみました。

佐倉氏は、「第一章 自性論」において
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku01.html
<--
(1)存在の構成要素であるすべてのダルマ(法)のひとつひとつに自性は必ず存在する。
(2)自性は作られたものではなく、原因も条件もなく、無条件に自立自存する。
(3)自性は変化せず、消滅することもなく、恒常で不滅である。
(4)自性は未来、現在、過去の三世を通じて存在し、存在しないということは、一時もない。
(5)自性を知ることが、それが所属するもの(ダルマ)をよく知ることである。
(6)アビダルマ論師の立場では、自性があるから、無常の現象もあり、無我も説明できる。
(7)ナーガールジュナの立場では、自性は無常の現象や無我の思想と矛盾する。
(8)もの(ダルマ)に自性がないことを、ナーガールジュナは空という語で表現した。
-->
とまとめています。

佐倉氏のサイトを見る際に、「自性」の解釈は多義的であることを留意する必要はない
という私の結論を修正する必要は感じませんでした。

> 自性つまり、svabhAvaには多くの訳語があり、常に意識しないと漢訳が正確に読めません。
> 「自性」について中観に関連するものを読み解く場合、
> 常にSvabhAvaのもつ多くの意味に留意しなければならないというのが彼の真意だと思います。
一般にそうかもしれませんが、佐倉氏のサイトを見る際の注意としては的外れの指摘に感じられます。
通訳付きのパックのアメリカ旅行に行く人に、日常英会話の重要性を説くようなもんです。


93 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/31(日) 06:42:03 ID:lihWebc3
>>69
> >毘奈耶としての性格の調査ではなく、seTu として止悪の性質が無表として備わっているかの諮問なのです。概説書でも専門書でもそれは常識だからわざわざ書かなかったのでしょう。
> これはあなたには絶対に理解できないはず。
私には、全く理解できません。

>>69
> 文献学の世界では2例5個などとは言いません。5例は5例です。その次に内容分析です。
そういうもんなのですか。素人の立場からすると2例5個の方がしっくりきます。

しかしね、専門的な常識を背景に
>>70
> 先ほどアップしたものを読んでください。確かに精度が違うようです。あなたの場合は悪質です。
という程のことなのですか?
「確かに精度が違うようです。」とはどういう意味なのでしょうか?
内容分析をすると、同一にみえる「答此法自性不可愛」も4つ別々の意味になるということですか?

素人の私にわかることは、

>>15 に示したように
電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ氏の水野弘元タターガタ衆生説は変
ということ。

「現觀」に関して、論拠を示していないのは、
阿呆陀羅經さん、電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロさんの方である
ということ。

です。

中華佛學研究所のHPの翻訳をあっさり示してくれたときには「すげー」と思いましたけどね。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1120927505/92


94 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/07/31(日) 07:42:47 ID:vT03BipG
>中華佛學研究所のHPの翻訳をあっさり示してくれたときには「すげー」と思いましたけどね。

いたいや、おそれいります。

翻訳は誰でもできます。
翻訳ソフトを使えばいいw

95 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 07:46:11 ID:hXMxS8+v
さっき禅定したんですが、外部世界も、自分の心も存在しない境地に達しました。滅尽定まで行ったと考えていいんですかね?


96 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/07/31(日) 07:52:02 ID:vT03BipG
>>95
それは、禅でも瞑想でも体験します。

禅定のほとんど初期の段階において、そういう体験はあります。
街中を歩いている時もありますし、
木の葉が舞い散る風景を見ても、その美しさに圧倒される場合もある。

禅は、そこからが行の始まりです。

彼岸に逝ってくださいまし。

97 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 08:20:54 ID:hXMxS8+v
真っ暗な宇宙空間に私が浮いていた。音も聞こえない。
やがて自我意識すら消えてなくなった。

98 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/31(日) 08:31:10 ID:lihWebc3
>>95 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 07:46:11 ID:hXMxS8+v
> さっき禅定したんですが、外部世界も、自分の心も存在しない境地に達しました。滅尽定まで行ったと考えていいんですかね?
私はまともな禅定の体験はありません。
しかし、
> 滅尽定まで行ったと考えていいんですかね?
こんなことが気になるのは煩悩だと思います。
滅尽定では、煩悩も滅するはず。

ご安心下さい。
まだ、滅尽定まで逝ってませんよ。


99 :暇人:2005/07/31(日) 08:34:01 ID:kBHgo8hY
暇人「前者は「匱戒、匱見、具戒、具見」という<法の持つ可愛・不可愛の性質>を
意味にする例で使われているが、ここでは一例のみで中心的になっていない。」

電波「@答此法自性不可愛。不可樂不可喜。
A答此法自性不可愛。乃至違正理。復次此法能得不可愛果。
B問何故名具戒。答此法自性可愛。
C答此法自性可愛。乃至隨順正理。
四求彼自性毘&M014659;耶。五取多人語毘&M014659;耶。
2例ではなく、5例です。大蔵経の索引だけに頼っている訳でしょう?精度が違います。
毘奈耶としての性格の調査ではなく、seTu として止悪の性質が無表として備わっているかの諮問なのです。概説書でも専門書でもそれは常識だからわざわざ書かなかったのでしょう。」

講師「文献学の世界では2例5個などとは言いません。5例は5例です。その次に内容分析 です。」「確かに精度が 違うようです。」

講師を名乗りつつ、素人以下なのを露呈してしまった。
電波さんが、私のカキコを理解でず 論書の前後の文脈も理解せず コンビニ引用した
だけなのは、 当該論書に目を通せば 素人目にも明白である。
それに気づけない専門家など 能力資質に疑問を持たれるであろう。


100 :暇人:2005/07/31(日) 08:34:50 ID:kBHgo8hY
@「答此法自性不可愛。不可樂不可喜」は、質問に応えているのだが、質問は
「問何故名匱戒」である。「なんで匱戒と名付けるん?」が質問です。
T26n1536_p0373c05(02)║諸所有障礙定戒。是謂匱戒。問何故名匱戒。
T26n1536_p0373c06(02)║答此法自性不可愛。不可樂不可喜。

A「答此法自性不可愛。乃至違正理。復次此法能得不可愛果。」
これの質問は「問何故名匱見。」
T26n1536_p0373c20(00)║是謂匱見。問何故名匱見。
T26n1536_p0373c21(07)║答此法自性不可愛。乃至違正理。復次此法能得不可愛果。

B問何故名具戒。答此法自性可愛。
これの質問は「問何故名具戒」
T26n1536_p0374a01(02)║問何故名具戒。答此法自性可愛。

C答此法自性可愛。乃至隨順正理。
これの質問は「問何故名具見」
T26n1536_p0374a14(06)║諸所有善非學非無學見。是謂具見。問何故名具見。
T26n1536_p0374a15(03)║答此法自性可愛。乃至隨順正理。


101 :暇人:2005/07/31(日) 08:36:07 ID:kBHgo8hY
@「問何故名匱戒」A「問何故名匱見。」は「答此法自性不可愛」
B「問何故名具戒」C「問何故名具見」は「答此法自性可愛」
という展開になっているので、
一例としつつも この展開に簡単に論及して、
「「匱戒、匱見、具戒、具見」という<法の持つ可愛・不可愛の性質>を
意味にする例で使われているが、ここでは一例のみで中心的になっていない。」
と書いてあるものに対して、
どういう文脈で遣われているか わかってないので
論書にあるとおりに引用しているだけでしたね。「質問−答え」をぶつ切りにして。
これを精度が確かに上と支持することは講師さんも 論書文脈をまったく
見ていない 読めていないことを自ら暴露している。


102 :暇人:2005/07/31(日) 08:39:43 ID:gxi8iAp/
研究者を自認するならば
どちらが 精度が上か ギャグを飛ばさず
論書を きちんと 読んでほしいものだ。
私の手を煩わせるな
この程度のことで

103 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/07/31(日) 08:45:00 ID:vT03BipG
>>97
恍惚と魔境というのは、紙一重です。
このままに留まりますと禅病になる。

白隠の弟子は、この禅病で二人が自殺している。
「軟蘇の法」というのは、この病を快復させるための術です。

つまり恍惚という自己催眠を、難蘇の法という自己催眠で元に戻すわけです。

これさえ乗り切れば後は楽です。

しかしながら、この乗り越えることはそう簡単ではない。



104 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 08:46:54 ID:a0HrHAfn
>>92
おはようございます。あなたは静かにお話しておられるので、あなたにだけコメントいたしましょう。
佐倉氏のHPを読んでみました。

かれは竜樹が否定、あるいは空だと論じる自性"svabhAva"は毘婆裟師(説一切有部)に多くの
説明を割いているみたいですね。電波男さんも指摘されてるように、竜樹の自性批判は毘婆裟師
のみではなく、バイシェーシカなどインド正統哲学の主張にまで言及していると考えるのが妥当
です。インド哲学全般は自性をその思想の前提としており、捉え方は様々です。

一例をあげますと、空は存在や認識だけではなく、具体的に論理構造においてニヤーヤ学派や
バイシェーシカ学派などを「有自性論者」のグループにわけ、これを批判していきます。
バーバビベーカなどでは、存在の自性から知識の根拠としての論理構造に自性用法が移行して
いきます。論敵のことばとしてですが。(江島『中観思想の展開』P42)竜樹の著作でのリクエストがあれば別途にお示ししましょう。

佐倉さんも勿論このような常識はお分かりのはずで、あえて毘婆裟師に限定されているので、
電波男さんは「自性は毘婆裟師のいう説だけではないよ」と説明されたと思うのです。

@毘奈耶としての性格の調査
AseTu として止悪の性質が無表として備わっているかの諮問
これは@の主張に対する反論としてのAがあったと考えるだけでいいのではないでしょうか。Aは
訳すと「戒律を受け、悪いことはしないぞという自己誓約のもとに修行し、実践して悪をとどめるような
心ないし体の中の実体(=seTu)が確実に備わってきてるかの調査」です。一見@と同じように聞こえ
ますが、仏教内外、部派間の教義の差異から見ると正確さを要求されるのでAになるのです。この
ことについての詳細が必要ですか?

1例2例については上記見解から見ると「あほらし」と思います。現観も同じですが、そんなに根拠が
知りたいですか?順観・逆観などで当り前のことですが、ちょうどそれ関係の論文をまとめているので
9月ごろその論文とアップしましょうか?そのときには訳もつけておきましょう。
彼の中国語はネイティブです。帰国子女らしいのですが、中国・台湾人と漢訳仏典文法や漢文で会話するので有名です。

105 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 08:55:42 ID:5jNayGAu
>>102
私にコメントできずに何をえらそうに言ってんだ?
逃げたままか?2例5例?きちがいかお前。
瑣末な揚げ足取りしながら責任から逃れて
いるだけ。これはごろつき論法。法そのもの
なんて幼稚園か。

その読みではないよう理解できて無いぞ。
ゴロツキにはごろつき風に対処する。早く答えろ。

106 :95:2005/07/31(日) 09:21:07 ID:hXMxS8+v
>>98
自分で訊いたのに言い直すのも失礼ですが、滅尽定です。禅定中以外も継続する涅槃を得ることと滅尽定に入ることは別のはずです。
確かに心相続が中断されました。


107 :暇人:2005/07/31(日) 09:25:42 ID:gxi8iAp/
>逃げたままか?2例5例?きちがいかお前。

まあまあまあ ( ^-^)_旦~~ 落ち着こうね

理解できんのか 可哀想に
反論は 読みたくないのだね。キモチはわかる。

ところでキミは誰で どれにコメントしてないん?

「法そのもの」がなんでおかしいか理由を述べよ。
まあ無理だが。
んとね そうだね この場合の「法」はどういう意味で使われており
具体的には何を指すか その辺を思索すれば、
キミが恥ずかしいのが キミにもわかるよ 
では 御機嫌よう。

108 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/07/31(日) 10:13:38 ID:vT03BipG
>>104
>@毘奈耶としての性格の調査
>AseTu として止悪の性質が無表として備わっているかの諮問

つまり文献学というのは、殆どのテーマは学者によって手垢がついてしまった。
今、学者にとって重要なのは、手垢のついてないテーマを探すことですね。

しかし、なんでこんな細かいとこまで研究せなならんのか?

学者の宿命ですね。

>1例2例については上記見解から見ると「あほらし」と思います。

あほらしくても、学者は飯を食うためなら何でもやらにゃ〜しょうがない。
あほらしいことに心酔してる人もいるわけですから。


109 :暇人:2005/07/31(日) 10:58:53 ID:gxi8iAp/
>竜樹の自性批判は毘婆裟師 のみではなく、
>バイシェーシカなどインド正統哲学の主張にまで言及していると
>考えるのが妥当です

江島惠さんは急逝が惜しまれるバーヴィヴェーカ研究の第一人者ですね。
ゲッチンゲン帰りの俊英でしたね。
さて、中村元「竜樹」講談社学術文庫p76以下は「論争の相手」がテーマです
@ピンガラ注釈、無畏論という古注には何々派という派名はほとんどでてこない
A後代のチャンドラキルティーの「プラサンナパダー」をみると
 ヴァイシェーシカ学派、ニヤーヤ学派、サンキーヤ学派、ジャイナ教、
 唯物論者、ミーマーンサー学派、時間論者 仏教内では有部、経部、(牛+賣)子部、
 正量部、唯識派などが出てくる
しかし竜樹がこれらの学派を知っていたかどうか不明。
確実に竜樹以後成立の学派もあるとのこと

中論本文448偈自体からは、仏教外の派に特有の術語はない。
特定派を攻撃しているところはしかしある。
一番明瞭なのは19章の時間の考察
@チャンドラキルティー注釈に拠れば相手は時間論者
Aバーヴィヴェーカの「般若灯論釈」に拠れば、ヴァイシェーシカ学派
更に「般若灯論釈」には、この句は仏教外何々派を論破しているとあるが、
中村元さんは竜樹が果たしてそれを目標にしていたかどうか研究を要すると
されている。
江島惠さんの名著「中観思想の展開」は、バーヴィヴェーカの主著『中観心論頌』
の一部を梵本本文とチベット語訳などからテキスト校訂・翻訳をされてたり
するほどバーヴィヴェーカを軸とする中観思想の展開をされていると
噂に聞きますね。
江島さんを客観的に言えばバーヴィヴェーカから竜樹を見られていく立場ですね。


110 :暇人:2005/07/31(日) 10:59:59 ID:gxi8iAp/
中村さんは「有自性論者」とは、「事物または概念の自性すなわち自体、
本質が実在すると主張する人々である」「中論を徹底的に研究するためには
有自性論者一般を広く考察せねばならない」としながらも
「ただしいま仏教外の諸派を論究する余裕もなく…将来の独立の研究問題
として保留しておきたい」と言われていますね。

江島さんの論稿は意義深いものですが、「ニヤーヤ学派やバイシェーシカ学派などを
「有自性論者」のグループにわけ、これを批判」という根拠は、
竜樹本文448偈から、直接いい得ることではなく
後代のバーヴィヴェーカ注釈を基にした推論で まだ広く学界に支持されている
わけではないですね


111 :暇人:2005/07/31(日) 11:02:34 ID:gxi8iAp/
>一見@と同じように聞こえ ますが、仏教内外、部派間の教義の差異から見ると
>正確さを要求されるのでAになるのです

一見同じと聞こえるが 違うと言いつつ
何がどう違うのか 誰にでもわかるように明示しないのは
電波さんの常套手段でしたね。ある意味なつかしい

112 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/07/31(日) 11:18:45 ID:vT03BipG
自性の多義性とは何たるや?


    【seTu として止悪の性質が無表として備わっているかの諮問】

書き込みキボンヌ。



113 :暇人:2005/07/31(日) 12:51:39 ID:gxi8iAp/
>>109
>江島惠 ×
>江島惠教 ○

失礼しました。 訂正いたします

114 :暇人:2005/07/31(日) 13:20:53 ID:gxi8iAp/
>電波男さんは「自性は毘婆裟師のいう説だけではないよ」と
>説明されたと思うのです

であるならば竜樹の言う「有自性論者」が
@この箇所は仏教内の「有部」
Aこの箇所は仏教外の「ヴァイシェーシカ学派」
Bこの箇所は仏教外の「ニヤーヤ学派」
各箇所の「自性の意味」に具体的に論究にここはこういう意味で
使われているので@ そこはAと
にそれぞれの箇所の自性の意味が差があることを竜樹は認識していたと
中論本文448偈から 具体的に説明しないと 話にならんですね。

115 :暇人:2005/07/31(日) 14:06:27 ID:gxi8iAp/
>>74
そもそも電波さんの主張は
@「本来的には「本質」(偶有属性を取り払って残され抽出される性質)を
意味します
A個物ないし対象にその実体と実体保持作用を含めて自性とする意味
の大きく二つの意味があり、Aを仏教は批判するが、
@の用法は論書に頻出するがこれを仏教は批判していない
という論旨である。
電波さんが元々仏教外他派云々を説明していたという
自称講師さんの見解は的外れである。
更に、細かい話をするならば 中村説の「有自性論者」は、
「事物または概念の自性すなわち自体、本質が実在すると主張する人々である」
ので、電波説ように「@本質A実体」の二つを分けていない。
「法<もの>のessentiaをexitentiaと見た場合、本性、本質といわれるので
あろう」とされている。ここの<本性>は=<自性>なので、
中村さんの<自性>定義は
<法それ自身の本質essentiaをexitentia実在とみること>ですね。
端的に「本性」とは、「それみずからの『であること』」とされています。



116 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 14:07:48 ID:Egt/mIan
空論しておもしろいの?

117 :暇人:2005/07/31(日) 14:20:04 ID:gxi8iAp/
>>116
いや たいして面白くないですね
ご迷惑をおかけしております。

まあ創価の人が聞きなられぬ仏教用語を多用して、一般人に向かって
キミたち仏教しらんからダメねの言われるので、
仏教を少し齧ると、創価の仏教誤用が明確になるのと同様
専門家ぶる電波一派のトンデモぶりは、具体的に仏教を調べると
ギャグとわかるということですね。
電波一派のトンデモぶりは無視するのが一番ですが、
2ちゃんですので 気が向けば暇つぶしに遊んでおります。

118 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 15:05:59 ID:kkqju/Co
>>109

10万頌あったという現存しない、あるいは実在しない『無畏論』でなくて、『無畏疏(註)』のことだと
おもうけれど、何々派とはないが、帰敬偈の註、つまり巻頭に、自在神、神我、両者、時……と
インドの諸学派の基本的な概念を列挙しているよ。

119 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 15:46:33 ID:tEUMSgPx
「方便心論」はどう扱う?

120 :名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 16:16:38 ID:kkqju/Co
如来の死後、現観、自性の3つをぐるぐる廻りしているように見える。。まとめサイトを少し見たが
それぞれのもとの投稿がよくわからない。無関係のあらしが多すぎるし。自性はなにが問題なの?
svabhāvaは基本はown natureだが、featureとか、意味いろいろ。自然、法性、実相などの訳もある。

http://vedabase.net/s/svabhava

龍樹が批判した自性(中之頌は直接には対有部だけれど、背景としてはおそらく対インド諸学派)
は原始仏教にはとりあえず無関係でないの?

121 :暇人:2005/07/31(日) 17:38:18 ID:gxi8iAp/
>>118
ご指摘ありがとうございます。
講談社学術文庫「竜樹」中村元 p79に「無畏論」とありましたので
そのまま引用しましたが、春秋社「仏教解題辞典」p127 他
武内紹晃、小川一乗などを確認しましたが、古註は「無畏疏(註)」と
ありますね。
中村さんは「古注には何々派という派名はほとんどでてこない」と
言われているだけですので「自在神、神我、両者、時……と
インドの諸学派基本的な概念」を列挙していても論点が違いますね。
しかしながらご紹介ありがとうございます

>>120
「如来の死後、現観、自性」ネタの発端はそれぞれくだらないことです
お目汚し申し訳ございません。
「自性」ネタは原始仏教には直接は無関係ですね。

122 :暇人:2005/07/31(日) 17:40:42 ID:gxi8iAp/
>自性はなにが問題なの?
>>74をご覧下さい。  2001/05/30の電波男という方の投稿に対し、
私が「佐倉論文を読むにあたって留意すべき自性の多義性とは何か」と
意地の悪い質問をしたのが発端です。
(過去ログサイト:関連スレッド「創価学会は大仏教学者梶山雄一に認められた 」836-841)
それに対する電波男さんの対応が>>65ですね。
当時私は知り合いに2ちゃんwで威張っている電波男なる人はまともなのか
どうかと尋ねられ レスを打ち探ってみたのですね。
その後の彼の反応を見るにつけトンデモだと自ら暴露してくれたわけですね

まあいずれにしましても「お笑い仏教漫談」に過ぎません。
至らないことです。

123 :■■■2ちゃんねる超秘密■■■:2005/07/31(日) 18:08:58 ID:1yHAEXAi
■■■2ちゃんねる超秘密■■■

動画(働かなくてもお金が増える)
http://www.bigproject.net/pageone/ceoweb20050530/
http://www.bigproject.net/pageone/preweb20050530/

※規制でクリックしても飛ばない場合は、URLをコピペし直接入力すれば見れます。
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=inter&tn=0341
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=inter&tn=0340
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=inter&tn=0324
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=inter&tn=0334
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=inter&tn=0330
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=inter&tn=0331


124 :暇人:2005/07/31(日) 19:21:02 ID:gxi8iAp/
>>119

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/indology/ASHIT.html
「方便心論」を竜樹作とされる石飛道子説のこと??
うむぅ。よくわかりませんが、まだ一般的に説ではありませんし
仮に石飛道子説が正しくても、当該議論にリンクしないと思いますが。

ご関心があれば
http://yasui-denki.com/4062583356
著作が出てますのでどうぞ

125 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/31(日) 19:32:46 ID:lihWebc3
>>104
レスありがとうございます。

> 佐倉さんも勿論このような常識はお分かりのはずで、あえて毘婆裟師に限定されているので、
> 電波男さんは「自性は毘婆裟師のいう説だけではないよ」と説明されたと思うのです。
あっ、なるほど。私の読解力では、読み取れなかったのですがこういうことですね。
<--
佐倉氏の空の思想において、取り扱われている自性は、
サヴァスティヴァーダ派(説一切有部)の論師との論戦において使用された意味に限定されています。
佐倉氏の空の思想において使用されている自性を理解し、「自性」がわかったと思うのは早計です。
「自性」の解釈は多義的であることを留意されたほうがよいかとは思います。
佐倉氏の空の思想において使用されている自性は、本来的な意味から派生したひとつの解釈に過ぎず、
今後、論書等を読む際には、文脈に留意し別の解釈をする必要があります。
-->

> @毘奈耶としての性格の調査
> AseTu として止悪の性質が無表として備わっているかの諮問
> (省略)
> このことについての詳細が必要ですか?
済みません。
今の私の知識レベルでは、あなたの説明にはついていけないようです。
またの機会がありましたら、その時に改めてお願いしたいと思います。

> 現観も同じですが、そんなに根拠が知りたいですか?
ええ、知りたいです。
根拠が不明確では議論が成立しないと信じています。


126 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/07/31(日) 19:33:16 ID:lihWebc3
>>104
> 順観・逆観などで当り前のことですが、ちょうどそれ関係の論文をまとめているので
> 9月ごろその論文とアップしましょうか?そのときには訳もつけておきましょう。
ええ、是非ともお願いいたします。

ただ、9月といわず、今の段階で、
> 「縁起の現觀」は四禪乃至滅盡定等九次第定を超出したもの
の根拠となる経典を挙げ貰うわけにはいきませんか?

たとえば、次のような引用の仕方で。
<--
縁起のあり方などの初歩的な証りについて語られる「縁起の現觀」であれば、
次の部分の、最後の「起無間等知」が、「現観が起こる」に対応。

0099_,02,0079c27(11):<com>(二八五)</com>如是我聞。
0099_,02,0079c28(06):一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊。告諸比丘。
0099_,02,0079c29(00):我憶宿命未成正覺時。獨一靜處。專精禪思。生如是念。
0099_,02,0080a01(02):世間難入。所謂若生若老若病若死。
0099_,02,0080a02(02):若遷若受生。然諸衆生。生老死上及所依。
0099_,02,0080a03(03):不如實知。我作是念。何法有故生有。
0099_,02,0080a04(04):何法縁故生有。即正思惟。起無間等知。
-->

よろしく、お願いいたします。


127 :暇人:2005/08/01(月) 07:42:42 ID:6J7ZMwek
森ゼミの「原始仏教ってなーに」
ttp://www2.toyo.ac.jp/~morimori/naani.html

第1期は〈根本仏教〉で、ゴータマ・シッダッタが35歳で仏陀となり
    80歳で般涅槃した、その間の釈尊金口の教えです。
第2期は〈原始仏教〉は 仏陀が般涅槃した直後に開かれた
    第1結集から上座部と大衆部とに仏教が分裂した根本分裂までの、
    釈尊の弟子たちが伝えた釈尊の教えを指します。
第3期が〈初期仏教〉で、根本分裂以後の部派が伝えた釈尊の教えです。

広義の<原始仏教>は、上記の〈根本仏教〉と〈原始仏教〉と〈初期仏教〉の3つが
含まれることになります。
狭義の〈根本仏教〉〈原始仏教〉を探るためのおおまかな基準は、
パーリ仏典と漢訳仏典を比較検討した場合に一致する部分です。
これらは部派による改変を蒙らない古い伝ではないかと考えられるからです。
それは、パラレルなテキスト間で一致する部分はもちろん、経典は一致して
いなくても内容が一致していればそれも含めてよいと考えています。

基本に戻って原始仏教を思索していけたらと思います



128 :名無しさん@3周年:2005/08/01(月) 09:20:42 ID:zKA7BbyY
>>126
>ただ、9月といわず、今の段階で、
>> 「縁起の現觀」は四禪乃至滅盡定等九次第定を超出したもの
>の根拠となる経典を挙げ貰うわけにはいきませんか?

経典の中で、「現観は四禅の後である(後に生起する)」とか「滅尽定を超出したものである」
と言う記述を私は見出しておりません。もしあれば教えてください。ただ、前後解釈として、
四禅を終えた後で縁起観に間を置かずにabhisamaya(現観、観、所証、証、現証、通達)が生起します。
四禅には部派仏教において様々な解釈があります。三界それぞれに四禅があり、無色界に
おける滅尽定ではなく、色界の四禅において縁起観をし、間髪を置かずに現観が生起すると
するのが通説です。

私の論文の試みは部派の援用なしにサンスカーラという観点から原典を分類吟味した上で
縁起を考察するところにあります。もうすでに同じ研究がありますが、視点を少し変えてみます。
ですからもう少しお待ち下さい。

ご提示の部分ですが、縁起(四諦との関係は割愛)し終わって間髪をおかず生起する現観
というように、縁起とは切り離せない関係を述べていますね。
それでは失礼致します。

129 :名無しさん@3周年:2005/08/01(月) 11:24:04 ID:MG14K5+q
Web上のパーリ三蔵

THE TIPITAKA
http://www.metta.lk/tipitaka/
英訳
http://www.accesstoinsight.org/
Buddhist Dictionary
http://www.lawofkarma.net/pali/dictionary.html

THE TIPITAKA が便利であるが、フォントがユニコード非対応。

NEW: PALI CANON NOW AVAILABLE IN UNICODE
http://jbe.gold.ac.uk/palicanon.html
からユニコード対応のパーリ三蔵がdownloadできる。

IEを使用している場合、Arial Unicode MSがインストールしてあっても
拡張ラテン文字の一部が表示されないことがある。メモ帳にコピーするか、
downloadしたファイルならばソースを書き換え、Arial Unicode MSなどを
フォントに指定すればよい。これはIEの問題であるようだ。

130 :暇人:2005/08/01(月) 23:13:23 ID:bfAhmddK
雑阿含285経
http://www.cbeta.org/result/normal/T02/0099_012.htm
白文を読めない素人であるが、素人なりに思索してみた。
有縁の方、訂正があればよろしくです。

この経は@老病死憂悲悩苦→A生→B有→C取(執着)→D(味著)→E愛(渇愛) という
所謂 六支縁起(D(味著)をE愛と一連と見ると五支縁起)で、「愛」で終る型の縁起を
説いている。
まだ釈尊が正覚を成じてない頃 一人静かに「生老病死」を瞑想していた時の話ですね。

我作是念「何法有故生有 何法緣故生有」/即正思惟 起無間等知 「有有故生有 有緣故生有」

私は『何法が有る故に生が有るのか 何法に緣ってが故に生が有るのか』を思索した。
正しく思惟したとき ただちに『有(う)が有る故に生が有る 有(う)に緣ってが故ら生が有る』
であることがわかった。<A生→B有>

この「私は<A>を思索した」
「正しく思惟したとき ただちに『B』であることがわかった」
が繰り返される。


131 :暇人:2005/08/01(月) 23:15:18 ID:bfAhmddK
復思惟「何法有故有有 何法緣故有有」/即正思惟 如實無間等起知「取有故有有 取緣故有有」

引き続き『何法が有る故に有(う)が有るのか 何法に緣ってが故に有(う)有るのか』と思索した。
正しく思惟したとき、ただちに『取が有る故に有(う)が有る 取に緣ってが故に有(う)有る』こ
とが如実に理解できた。<B有→C取(執着)>

又作是念「取復何緣.何法有故取有。何法緣故取有」
/即正思惟 如實無間等起知「取法味著 顧念 心縛 愛欲搨キ 彼愛有故取有 愛故緣取 取緣有 有緣生。生緣老.病.死.憂.悲.惱苦。如是如是純大苦聚集

また「取は復た何に緣るのか。何法が有る故に取は有るか。何法に緣るが故に取は有るのか」に
ついて考えた。
正しく思惟したとき ただちに『取の法は味著である 顧念 心縛 愛欲を搨キす 彼の愛が有るが故に取が有る 愛は取に縁るが故に 取は有に縁るが故に 有は生に縁るが故に 生は
老病死憂悲惱苦に縁るがゆえに かくのごとし かくのごとし 是純大苦聚集』であることがわかった
最後が@老病死憂悲悩苦←A生←B有←C取(執着)←E愛(渇愛)


132 :暇人:2005/08/01(月) 23:16:21 ID:bfAhmddK
@生起する現観できはなく、「ただちにわかること 知的に理解すること」がabhisamaya

「無間等」は、新訳では「現観」で訳されるのだが、ここでは
<縁起し終わって間髪をおかず生起する現観>ではない。
まず<縁起し終わって>とは何か謎であるが、
終ってからではなく、まさに各支を思索している時に繰り返し繰り返し
思索している最中にただなかで<わかる><理解する>のですね。

ここを<生起する現観>と訳せば意味がわからなくなります。

A即の意味
A ひとつになること 一体 二物が互いに裏表になって切り離せないこと
B ただちに 時間についていっている場合。

「即正思惟 起無間等知」の「即」は「ただちに」です。
『生があるのは、何があるからだろう』
『何によって生は成立しているのだろう』と思索していたわけです。
いろいろ 様々なこと あれこれ悩み思索し、
ふと「正思惟」が生じた。その時ただちに以下が「わかった」のです
『有があるから生があるのだ』
『有に縁って生は成立しているのだ』と。

縁起とは切り離せない関係をのべているのではなく、
正しく思惟したら <ただちに>にわかった ということが書かれています。


133 :暇人:2005/08/01(月) 23:18:29 ID:bfAhmddK
「何法有故生有 何法緣故生有」×

「何法有故生有 何法縁故生有」○

縁に旧字が全部「・」に文字化けしています


134 :暇人:2005/08/01(月) 23:25:47 ID:bfAhmddK
<四禅を終えた後で間を置かずに
abhisamaya(現観、観、所証、証、現証、通達)が生起します>

これが何経かを明示せよと尋ねられいたと思うが、
原始仏典から明証せずに
部派仏教の解釈 恐らく世親の倶舎論他の論書による通説を
書くことの意味が不明。
2ちゃんのある人たちに共通するこの辺の感覚がなぞ

135 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 00:27:33 ID:QTyfrkHi
実践して悪をとどめるような心ないし体の中の実体(=seTu)

この seTu って se.tu ってこと? 

サンスクリットもパーリも実体っていうような意味では辞書に載ってないんだけど。

136 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 02:33:18 ID:mVbWWzx+
その辺の幾つかの漢訳に相当する南伝
ttp://www.accesstoinsight.org/canon/sutta/samyutta/sn12-065.html

「無間等」の「無間」は無間断の意味があるが(無間地獄)、「即座に」とはちがう。もう一つの無間隙の意味だ
とおもう(親密無間)。つまりknow thoroughlyの意味で訳したのではないか。

seTu 無表色(avijñapti-rūpa)のことをいっているとおもうが、この語は不明。setuなら橋という意味があるが。

137 :暇人:2005/08/02(火) 07:12:40 ID:yxxIdY+P
「新国訳大蔵経 雑阿含T」大蔵出版p355の補注5「無間等」

パーリ・サンスクリットのabhisamayaなどからの直訳。法を目の当たりに
はっきり観察し、理解すること。後には「現観」や「通達」が定訳語と
なっている。「無間等」という漢字連続では意味不明であるが、こう訳す
のは、abhi-を「隔たりなく」「直接に」などの意味から「無間」と訳し、
samayaを機械的に「等」の字に置き換えたものである。これは、sam- sama-
samak-などを「等」や「正」と訳す翻訳作法から生じる訳語で、
samayaksambuddhaを「等正覚」と訳するのと同じ手法である。

138 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 07:22:42 ID:n/8UDUJJ
>>136
原始仏教の文脈で出てきたものではないだろうが、
>seTu 無表色(avijnapti-r?pa)のことをいっているとおもうが、この語は不明

これは懸案の戒体(無表色の内)以外はないと思う。
だから「実践して悪をとどめるような心ないし体の中の実体(=seTu)」
の説明で間違いないと思う。

戒体とは言うまでもなく、受戒の儀式作法によって引き起こされる律儀の無
表である。律儀の無表とは法処所攝の色つまり無表色であると説一切有部や毘
婆姿師たちは定義する。この主張に対し経量部の立場で真っ向から非難し、種
子の相続転変差別であると主張するのが『倶舎論』と『成業論』であり、更に
阿頼耶識へと発展させたのが『成業論』である。この両論書では律儀無表を含
む無表業の存在が不合理であることを追及するのである。




139 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 07:26:50 ID:n/8UDUJJ
 『成業論』における身表批判に限って言えば、『倶舎論』のそれとさほど異
なった点がみいだせない。(ABKh,p.192,10-)正量部が主張する「身業が行動(gati)である」と
する説を論難する点、そしてその論難を巡って間接的に毘婆裟師などを批判し
ている点などが同じである。しかし次に続く経量部の立場から毘婆裟師に対す
る無表業批判内容は『成業論』と『倶舎論』とではかなり違った様相を呈して
いる
『倶舎論』の中で毘婆裟師が八つの根拠拠によって無表業の実有を証明するの
であるが、経量部がそれらをすべて論難してしまうのである。毘婆裟師の論拠
を列挙すると

 1.経典に色に三種ありとし、無表業を示す無見無対があるとする
 2.経典の無漏が説かれている箇所を引用する
 3.経典の七福業がとかれている箇所を引用する
 4.人に不善業をなさしめたときの自身の無表業について
 5.経典の法処とは無見無対であるとする箇所を引用する
 6.禅定中に無表業が必要である
 7.別解脱律儀の持続の証明に無表業を用いる
8.経典の悪戒を遠ぎけ'るものとしてseTuがあるとする箇所を引用する

となる

140 :暇人:2005/08/02(火) 07:39:24 ID:yxxIdY+P
>>136
南伝パーリの英訳のご紹介有難うございます。
ご紹介の英訳サンユッタ・ニカーヤ12-65を英語の読めない私が
ざっと確認したところ、雑阿含285経とは別経典で対応はないですね。
よろしければ、対応経典の英訳をご紹介ください。

漢訳の「無間」は、ご指摘どおり「無間隙の意味」でしょう。
abhi-に「隔たりなく」「直接に」などの意味があるから「無間」と
訳しているわけですので。しかしこのabhisamayaの漢訳「無間等」は
誤訳と云って良く、漢訳語から元の意味を類推し意味を取れば原意を
離れます。むしろ「法を目の当たりに はっきり観察し、理解すること」
単に「わかる」「理解する」と訳した方が文脈の意味が通ると思います。

いづれにせよ ありがとうございます。

141 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 07:43:04 ID:QTyfrkHi
>>136 ありがとう。無表色ならよくわかります。ですが、seTu がわかならいんです。
アプテでは瓜の一種、西瓜みたいなこと書いてますが、そうではないでしょう。

>>137-138 何語で漢訳は何に相当するかが聞きたいんですけど。

142 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 07:46:17 ID:n/8UDUJJ
>ご提示の部分ですが、縁起(四諦との関係は割愛)し終わって間髪をおかず生起する現観
>というように、縁起とは切り離せない関係を述べていますね。
>それでは失礼致します。

この部分は漢訳だけから軽率にお答えしたもので、何の検証もしないで発言しました。
ご指摘はもっとなことで、この部分は保留し、取り下げます。


143 :暇人:2005/08/02(火) 07:47:56 ID:yxxIdY+P
>>138-139

キミたちが私からトンデモ系と見なされるのは、
有部の古層の論書を話をしている時に、数百年後の中期大乗の世親時代成立の
論書に定義された意味を無闇矢鱈に適用し持論を展開する「愚」ですね
しかも古層論書を直接読んで出てくる解釈を違うと非難する。
創価の子が池田大作の「法華の知恵」にこうあるから、この佛教語は
その意味ではなく この意味であるとするぐらい馬鹿馬鹿しい。

144 :暇人:2005/08/02(火) 07:51:21 ID:yxxIdY+P
>>142

ご丁寧なレス どうもです。
こちらも 数々の無礼を失礼しました

145 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 07:59:40 ID:n/8UDUJJ
seTu→setu
の間違いでした。当初の”seTu”も”setu”のケアレスミスだったのだと思います。
事実、彼の論文では”setu”になっています。

モニエルでは
setu
setu mfn. (fr. 1. %{si}) binding , who or what binds or fetters RV. ; m. a bond , fetter ib. ; a ridge of earth , mound ,
bank , causeway , dike , dam , bridge ,
any raised piece of ground separating fields (serving as a boundary or as a passage during inundations) RV.
&c. &c. ; Ra1ma's bridge (see %{setubandha}) BhP. ; a landmark , boundary , limit (also fig. = `" barrier , bounds "')
Mn. MBh. &c. ; a help to the understanding of a text , an explanatory commentary (also N. of various commentaries)
Cat. ; an established institution , fixed rule MW. ; the Pran2ava or sacred syllable Om (which is said to be
%{mantrANAM@setuH}) Ka1lP. ; Crataeva Roxburghii or Tapia Crataeva (= %{varaNa} , %{varuNa}) L. ; N. of a son of
Druhyu and brother of Babhru Hariv. ; of a son of Babhru Pur. ; of a place MW.

となっており、束縛とか足かせの意味で考えた方がよさそうですね。

146 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 08:19:56 ID:QTyfrkHi
seTuがsetu の誤りで束縛、足枷ならば、この文章は、
>毘奈耶としての性格の調査ではなく、seTu として止悪の性質が
>無表として備わっているかの諮問なのです。

「束縛、足枷 」として止悪の性質が無表として備わっているかの諮問なのです。

戒体が悪い行為に対する「束縛、足枷 」となって 止悪することという意味ね。

相手に理解させるための文章ではないな。しかも肝心な部分が誤字だし。
サンスクリットができるという人たちが、疑問に思わないのが不思議だなあ。

147 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 08:29:15 ID:n/8UDUJJ
>>143
>キミたちが私からトンデモ系と見なされるのは、
>有部の古層の論書を話をしている時に、数百年後の中期大乗の世親時代成立の
>論書に定義された意味を無闇矢鱈に適用し持論を展開する「愚」ですね

キミたちて誰たちなのかよくわからないのですが、ムヤミヤタラというのもよくわからないです。
対象書物を論じるとき、現在の研究もあり、世親がした研究もあります。私は同じ研究書として
世親や竜樹やその注釈やそのまた注釈を読みます。学問的厳密さでは現在のものに軍配
があがることが多いのですが、一つだけ越えることが出来ない壁があります。現存する経典
よりも古い形のもの、または散逸してしまった経典が引用されている点です。経典だけではなく
当時の言い回し、特有の単語が見出せるのなら面白い副産物だとも思います。

今回のsetu論議にはそれが説かれている教典があると世親が明言している点に興味があるのです。
内容的にはsetu=戒の作用側面なのですが、漢訳では堤塘(堤防)としているのが面白いです。
漢訳ではこの語の使用は一箇所しか見当たりません。意味は戒ではなくそのまま川のテイボウです。

あなたとはお話しませんといいました。これが最後です。

148 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 09:34:43 ID:n/8UDUJJ
>>145
>となっており、束縛とか足かせの意味で考えた方がよさそうですね。
これは撤回します。やはり漢訳にあるように、塘(堤防)が妥当だと思います。
悪いおこないをしないような堤防あるいは防波堤のような働きと理解する方が
解り易いですね。(上記モニエル causeway , dike , dam , bridge)

なお、経典を引用していることは倶舎論の

大正29,P.227a

何以故。從受戒後此戒即無。謂能成異縁心人。爲比丘比丘尼等。於經中説。遠離戒爲塘(setu)

であって、当然のことながら毘婆裟師の言葉であるから阿含経典だと推定できます。
漢訳有部系の書物ではsetuと断定は出来ませんがこの「塘」は煩悩流出を防ぐ防波堤の意味で
使用されています。

件の文脈では、先輩僧侶が後輩に対してどれくらい堅固にこの防波堤が建設でき
ているか検査するわけですね。 このsetuはあるいは漢訳阿含に違う語で訳されているのかも
しれませんが、それを見出せずにいます。現存の資料の中から引用経典が明らかになる可能性
も否定できませんが、新しい写本やテクストが待たれます。

149 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/02(火) 12:44:35 ID:vNCaCh+1
>>128
レスありがとうございます。

> 経典の中で、「現観は四禅の後である(後に生起する)」とか「滅尽定を超出したものである」
> と言う記述を私は見出しておりません。
つまり、直接的にそのような記述をしている経典を知らないわけですね。了解しました。

> ただ、前後解釈として、
> 四禅を終えた後で縁起観に間を置かずにabhisamaya(現観、観、所証、証、現証、通達)が生起します。
これは、
四禅 --> 縁起観(縁起の現観) --> 現観(仏教全体で最高なる証り)
という意味でしょうか?

> 四禅には部派仏教において様々な解釈があります。三界それぞれに四禅があり、無色界に
> おける滅尽定ではなく、色界の四禅において縁起観をし、間髪を置かずに現観が生起すると
> するのが通説です。
無余涅槃時の記述との関連が興味深いですね。

> 私の論文の試みは部派の援用なしにサンスカーラという観点から原典を分類吟味した上で
> 縁起を考察するところにあります。もうすでに同じ研究がありますが、視点を少し変えてみます。
> ですからもう少しお待ち下さい。
わかりました。楽しみにお待ちします。
果たして私に歯が立つかどうか不安ではありますけど(笑)

> ご提示の部分ですが、縁起(四諦との関係は割愛)し終わって間髪をおかず生起する現観
> というように、縁起とは切り離せない関係を述べていますね。
この「間髪をおかず生起する現観」は、
「初歩的な証り」に対応するのでしょうか? それとも
「仏教全体で最高なる証り」に対応するのでしょうか?


150 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 13:32:14 ID:mVbWWzx+
>>140

Nagarasuttaは「我得古仙人道」のくだりがある雑阿含12-287に対応しているようだけれど、他に適切なのが
ありますか?

雜阿含經卷第十二
ttp://www.cbeta.org/result/normal/T02/0099_012.htm
Samyutta Nikaya
ttp://www.accesstoinsight.org/canon/sutta/samyutta/index.html
Samyuttanikaya 4
ttp://www.sub.uni-goettingen.de/ebene_1/fiindolo/gretil/2_pali/1_tipit/2_sut/3_samyu/samyut4u.htm

「即正思惟 起無間等知」はTassa mayhaṃ bhikkhave, yoniso manasikārā ahu paññāya abhisamayoの定型。

151 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 14:48:53 ID:N6bpoF0C
罵る言葉遣いから明らかに電波男氏が名無しで書き込んでいるのがチラホラあるようだが・・・

152 :暇人:2005/08/02(火) 22:49:30 ID:8GYxI/Ed
阿毘達磨集異門足論卷第二
これは二法品の中の一説です。「復有二法」が定型句になります。
A「復有二法 謂匱戒匱見者」(また匱戒と匱見の二法あり)
B「復有二法 謂具戒具見者」(また具戒と具見の二法あり)
「匱」は、中が空っぽである箱 乏しい 衰えること 心がうつろになる
「具」は、具わっていること
白文は読めませんが訳してみます。有縁の方 訂正あればよろしく。

A問「何故、匱戒となづけるのか」
答「うつろな戒の性質は、不可愛だ。
<<(戒を実践しながらその実践を)楽しめず喜べていない。 
(嫌々する戒の実践だから)気持ちよくなく安らかでない。
(というのも自分の心に)正直でないし、心の底から喜んでいない。
(このように)心喜ばない(戒の実践は)、>>正しい道理に違う」
問「なぜ、匱見と名づけるのか」
答「うつろな見の性質は 不可愛だ。<<中略>>正しい道理に違う」

B問「何故、具戒となづけるのか」
答「よく身に備わった戒の性質は、可愛だ。
<<(戒を実践しその実践を)楽しめ喜んでいる。 
(喜んでする戒の実践だから)気持ちよ安らかである。
(というのも自分の心に)正直であるし、心の底から喜んでいる。
(このように)心喜ぶ(戒の実践は)、>>正しい道理に随順している」
問「なぜ、具見と名づけるのか」
答「よく身に備わった見の性質は可愛だ。<<中略>>正しい道理に随順している」

自性は「匱戒、匱見、具戒、具見」という<法の持つ可愛・不可愛の性質>を 意味にする例で使われている、と解釈すると以上に訳せます。


153 :暇人:2005/08/02(火) 22:50:18 ID:8GYxI/Ed
電波さんの過去の見解は
@毘奈耶としての性格の調査ではなく
Asetu として止悪の性質が無表として備わっているかの諮問なのです

@は、私の「匱戒、匱見、具戒、具見」を「毘奈耶」と見、
私の「法の持つ可愛・不可愛の性質」を「性格の調査」と見ているのだが、
A)「毘奈耶」だけでは「戒」だけで「見」に対応できていない
B)「毘奈耶としての性格」では意味不明である。
C)「性格の調査」など論書本文はしていない。
Aについても
D) setuなる語は論書本文にない。
E)「止悪の性質」がテーマではない。
「戒及び見」が身によく備わっているかいないかは、戒を自ら望む楽しみ喜んでいるか
どうかで分かれるのだというのがテーマ。
F)「無表として備わっているか」 単に「心の中に備わっているか」としたほうがわかり
 いいし、「戒・見を自ら望み楽しみ喜んでいるか」にした方が本文に即し具体的である。
G)諮問などしていない。「止悪の性質」が備わっているかなど問題になっていない。
 「戒・見を自ら望み楽しみ喜んでいるか」で「匱」「具」が分かれると説いている。


154 :暇人:2005/08/02(火) 22:53:54 ID:8GYxI/Ed
>setu論議にはそれが説かれている教典があると
>世親が明言している点に興味があるのです

それはそれで興味深いでしょうから 独自に考究されてください。
電波さんが集異門足論の「自性」解釈で持ち出したsetuに限定しますと
論書本文に無関係です。むしろ論書文脈を読めてない証拠の一つです

155 :暇人:2005/08/02(火) 23:09:09 ID:8GYxI/Ed
簡単に言えば
「戒」「見」を自ら心から望んでいる<可愛・不可愛>かどうかで、
「匱」と「具」。うつろなものにするか よく身に備わるか
分かれる
「匱戒、匱見」の「うつろ」という性質は よく望んでなく嫌々している性質を内包している
「具戒、具見」という「備わっている」性質は よく望んでいる性質を自然に持っている

156 :暇人:2005/08/03(水) 07:28:24 ID:mCs1rwU+
>>150

雑阿含の各経とSamyutta Nikayaの各経の対応関係がわかりません。
ご存知でしたら 教えてください。
なおパーリについては過去ログに
ttp://www.metta.lk/tipitaka/2Sutta-Pitaka/3Samyutta-Nikaya/
があります。これは各章が分類されていて しかも英訳もついています
のでわかりよいかもです。
12. Abhisamaya Saüyutta これが諦相応品ですね。

157 :太刀山型の土俵入り:2005/08/03(水) 07:29:43 ID:Y7VV+4dm
若い尼さんと梵我一如できる寺ない?

158 :暇人:2005/08/03(水) 08:11:37 ID:mCs1rwU+
それとわたしはパーリを読ません。
わたし意外にも読めない人は多いと思います。

1)パーリ語原文
2)ローマナイズ
3)各単語順に 単語の日本語訳
4)各文章単位の日本語訳
を出していただくと嬉しい

Tassa mayhaṃ bhikkhave, yoniso manasikārā ahu paññāya abhisamayo

taのdat.gen mayhaṃ←不明 乞食/根源より 思念・注意 慧か? わかる

 不明/根源より思念して 智慧によってわかった

パーリが読めない私はこのようにしか読めんし 意味が通じない
ta=それ


159 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/03(水) 08:16:28 ID:4tdvV4Og
>>157
若い尼さんでないと駄目ですか?

尼さんじゃなければ、若い子はいます。

私は中年だけど、若い子(女)が寄ってきますよ。
ネタではない。
今は夏休みだから、特に寄ってくる。
援助とか、そういう話ではないですよ。
健康的な話です。

貴殿は「仏教は害毒」。などと吹聴するから智慧というのが沸いてこないんですよ。
真面目な話ですよ。

160 :名無しさん@3周年:2005/08/03(水) 09:06:15 ID:bltVy2oE
> それとわたしはパーリを読ません。
とかう言い出す香具師が
> わたし的には なぜ電波さんをここまで指導しないと
> いけないのか 迷惑なのだが
とか言ってるのが笑える。


161 :太刀山型の土俵入り:2005/08/03(水) 09:26:19 ID:Y7VV+4dm
>>159
尼さんの方がひどい別れ方しても罪悪感もたなくてすむもんで。

162 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/03(水) 11:00:34 ID:j3zwxZHi
>>160 :名無しさん@3周年:2005/08/03(水) 09:06:15 ID:bltVy2oE
> > それとわたしはパーリを読ません。
> とかう言い出す香具師が
> > わたし的には なぜ電波さんをここまで指導しないと
> > いけないのか 迷惑なのだが
> とか言ってるのが笑える。

あなたの日本語のセンスは、少しおかしいですよ。

> > わたし的には なぜ電波さんをここまで指導しないと
ここに込められているいる意味は、
素人の暇人さんが、なぜに、専門家の電波さんに
ということなのだから、
> > それとわたしはパーリを読ません。
は、素人であることの傍証に過ぎず、
笑えるようなおかしな要素はありません。
矛盾はありません。

> > わたし的には なぜ電波さんをここまで指導しないと
> > いけないのか 迷惑なのだが
この内容を笑うためには、
「暇人さんの称する指導が、専門家から見ると如何に的外れであるか」を
素人のROMにも理解できる(もちろん暇人さんも自覚できる)ように
具体的に示す必要があります。

でも、それは、あなたの日本語能力、論理能力では無理かもしれませんね。


163 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/03(水) 12:49:31 ID:4tdvV4Og
>>161
>尼さんの方がひどい別れ方しても罪悪感もたなくてすむもんで。

面白いこといいますね。

尼さんだって中身は女に変わりはないし、罪悪感が何故関係するかわからん。


164 :太刀山型の土俵入り:2005/08/03(水) 19:04:33 ID:Y7VV+4dm
坊主は人間じゃないからいいのよ。

165 :名無しさん@3周年:2005/08/03(水) 19:13:29 ID:fJl9YQJk
>>164
こことかにも行って布教してきたらどうだい?
道を誤りかけてる者が一杯いるぞw
助けなくていいのか?
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1010937501/
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1074768171/
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1091785752/
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1114927956/

166 :太刀山型の土俵入り:2005/08/03(水) 19:20:05 ID:Y7VV+4dm
人大杉漣で見えん

167 :名無しさん@3周年:2005/08/03(水) 21:46:03 ID:p5P0gp1u
>>160
はげどう。
漢文の白文や英語でさえまともに読めない素人が、
浅はかな知識を振り回して電波に絡んでいるのはまさに漫談。
全く自分の力量を把握出来ていない証拠だな。

168 :暇人:2005/08/03(水) 21:54:54 ID:i9aM5HOH
>>167

まあまあ( ^-^)_旦~~

ど素人でも解るマチガイを電波さんはしてるのね。
専門知識ある方であれば もっと明快に指摘できると思う。

んでさ 私の「白文」「パーリ」読解は100%マチガイあるだろうね。
ほぼギャグに近いと思うよ。だって基礎も初歩もしらんから。
それでもね 具体的にね ココはこうだよと指摘されて ああそっちの方が
意味わかると誰の眼にもわからないとねぇー。
今のところはキミのら電波擁護側は負け惜しみにしかなってないね。

キモチはわかるのだが 荒らさず 遊びたいならば 土俵に乗ってくれ。
外野席から 野次飛ばさずにね


169 :名無しさん@3周年:2005/08/03(水) 22:11:47 ID:ePOSqeBn
>>168
恥ずかしいよ、あんた。土俵もなにもない。
自性にしても論破されているのがわからんか?竜樹が自性に関して有部以外にも
言及していることとを本当に知らんのか?ローマナイズ君も一生懸命にやったみたい
だけど、ジエンギワクとかあんたと同じぐらい恥じかいて反論できないじゃないか。sva√bhU
が一般的じゃないなんて言うのは自称研究者の化けの皮がはがれている。語根を示す
ことの意味すら理解できない写本屋?なんていたのかね。

あんた、自性が「法そのもの」って言ってたけど、まだ説明していないね。また「原始仏教にはabhisamayaはない」
式の詭弁かますの?

170 :暇人:2005/08/03(水) 22:34:21 ID:i9aM5HOH
>>169
>自性にしても論破されているのがわからんか?
「誰の何という意見」が、「誰のどの論」によって
「云何に論破」されているのかを具体的に述べよ。
>竜樹が自性に関して有部以外にも言及していることとを本当に知らんのか?

@佐倉さんの論は、そんなことは押さえているぞ。
A中村元さんも押さえていると私は書いたぞ。
だが主たる相手は有部。

>自性が「法そのもの」って言ってたけど
他人を批判とするならば 他人ログをきちんと理解してからにせよ。
せめて きちんとログあげよ。

>「原始仏教にはabhisamayaはない」
これも説明した。君の言う四禅を超えた現観は、原始仏教にはない。
キミの擁護者の128さんもしらんとのことで 決着は事実上ついた思うぞ。
酔っているか?

ところでキミは誰だね。ギャグで遊びたいならば
別スレッド立ててくれないかね ■お笑い仏教部屋■とかさ

171 :暇人:2005/08/03(水) 22:37:03 ID:i9aM5HOH
てか>>107で 
「法そのもの」について わかりやすくヒントかいてるじやん

まあ ごゆっくり思索されてくれ



172 :名無しさん@3周年:2005/08/03(水) 23:10:29 ID:ePOSqeBn
>>170
でましたね。三吉18番すり替え、虚偽、たぶらかし論法。
出てこない方がよかったと思うよ。お前は調子に乗りすぎた。

>@佐倉さんの論は、そんなことは押さえているぞ。
>A中村元さんも押さえていると私は書いたぞ。
>だが主たる相手は有部。
主張が変わってきている。道義則に反するぞ。電波はそれを前提に「自性の多義性」
を言ったのと違うのか?主たる相手が有部で有ることを証明しろ。できんだろ?
竜樹のその著作ではニヤーヤスートラまで引用してるんだぞ。竜樹の主たる相手は
有自性論者であって、それを仏教内外に共通通するものとそうでないものとに分けて緻密に
批判していく。現代の目から見れば詭弁になると梶山先生その他も指摘しているが、
とにかく、aNumAnaの根拠になるsvabhAbaに対しても多くの説明と批判を割いている。
だから主たる相手は有部であるとは断定できない。訳でもいいから全部読め。

>他人を批判とするならば 他人ログをきちんと理解してからにせよ。
>せめて きちんとログあげよ。
なに言ってるの?自明なことで人の手を煩わすなよ。それを卑怯というのだ。

>>「原始仏教にはabhisamayaはない」
>これも説明した。君の言う四禅を超えた現観は、原始仏教にはない。
>キミの擁護者の128さんもしらんとのことで 決着は事実上ついた思うぞ。
>酔っているか?
誰と話しているのだ?酔っ払っているのか?128さんが誰か知らないが、文脈前後解釈
では成立すると言ってるだろ?これは皆が言う恥をされされ続けてくれ。人には文理解釈
を強要して自分はあjfさjf;ぁs。(爆

>てか>>107で 
>「法そのもの」について わかりやすくヒントかいてるじやん
てか、なぜ自性が「法そのもの」と読めるのか説明しろ。そんな変な読みにはならんぞ。あんたの得意な
孫引きであっても、それはあんたの頭と発言で説明すべきだよ。それよりも三吉擁護の坊やを
叱ってやれよ。

173 :名無しさん@3周年:2005/08/03(水) 23:20:58 ID:RFvAjLjL
暇人さん、こんな電網統合失調症者は、相手にしなくていいですよ。
それらのギャグ・テーマは捨ててもっと別のことをやりませんか?

私は簡明かつ核心的に仏教を説き明かした石飛道子先生の『ブッダの論理』についてやりたいと思うのですが。
この本は本当に画期的で、西洋思想まで変えかねない力をもっていると思うのです。
たびたび話題になる龍樹と釈尊を扱ったものですし。
実にこのスレに合ってると思います。


174 :名無しさん@3周年:2005/08/03(水) 23:30:01 ID:ePOSqeBn
>>173
あんたが統合失調ですよ。原始仏教のスレッドで石飛道子の著作?

>この本は本当に画期的で、西洋思想まで変えかねない力をもっていると思うのです。

あんた本当に危ないよ。そんな本薦めるのは三吉さんに失礼だ。そこまで私は彼を見損なっていない。

175 :暇人:2005/08/03(水) 23:33:46 ID:i9aM5HOH
んでキミだれ? なにを書いているかよくわかんのだが
私に対して言っているのかね

>主張が変わってきている
どう変わったのだね ログ確認してごらん キミの読み間違えを
私のせいにされてもね
>電波はそれを前提に
どーしてそういうウソが吐けるのか その感覚がナゾなのだって
一々ウソ吐いて俺の手を煩わせず きちんとログを確認してから
しゃべれって それも「道義則」だぞ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ただ、「自性」の解釈は多義的であることを留意されたほうがよ
いかとは思います。本来的には「本質」(偶有属性を取り払って
残され抽出される性質)を意味しますが個物ないし対象にその実体
と実体保持作用を含めて自性とする意味もあり、仏教では後者を
否定します。前者も論書の中に頻出するのですが、文脈を読む必要が
あります。
・・・・・・・・・・・・
電波ログには「論書」とあるではないか どこに仏教外有自性論者を
前提していると読めるのだね
きちんと論ぜよ


176 :暇人:2005/08/03(水) 23:34:31 ID:i9aM5HOH
>自明なことで人の手を煩わすなよ
自明なのは「キミの脳内妄想」だけの話で
客観世界の話ではない。 きちんと手続きを踏めって
悪いことはいわんから すべてキミの水準以下の誤認識

>文脈前後解釈
文脈前後解釈ってなんだね? どう成立するか論じてないぞ。
勝手に成立するといつたらOKなのかね?
酔いを醒まそうね

>>107で指定した作業をしてからの話だ。逃げるなって


177 :暇人:2005/08/03(水) 23:40:52 ID:i9aM5HOH
>>173
>電網統合失調症者

私は医者ではありません。
医者であったら 逆に安易な診断をしないでしょうけどね。
そういうことは言われないほうがいいと思います。

>石飛道子先生の『ブッダの論理』
読んだことありません。
あなたにご紹介いただき 面白そうでしたら
拝読したいと思うかもですので、
あなたが感じたことをご紹介ください



178 :名無しさん@3周年:2005/08/03(水) 23:44:59 ID:ePOSqeBn
>>175
>どう変わったのだね ログ確認してごらん キミの読み間違えを私のせいにされてもね
>どーしてそういうウソが吐けるのか その感覚がナゾなのだって一々ウソ吐いて俺の手を煩わせず きちんとログを確認してからしゃべれって それも「道義則」だぞ。

だから詭弁使いだって言われるのとちゃうのか?

>電波ログには「論書」とあるではないか どこに仏教外有自性論者を前提していると読めるのだねきちんと論ぜよ
きちんと論ぜよというまえに、きちんと話を把握しろ。自性の多義性というのは論書の中で述べられている有部だけでは
なく、仏教外の有自性論者も含むと普通は読めるぞ。形式論理学的な説明はそれこそニヤーヤを前提としている
じゃないか。頭悪いぞ。

>きちんと手続きを踏めって悪いことはいわんから すべてキミの水準以下の誤認識
手続きを踏むのはあんたのほう。自性を「法それ自体」と読める根拠を説明できんのか?
それこそトンデモだ。


179 :暇人:2005/08/03(水) 23:51:18 ID:i9aM5HOH
>>174
>石飛道子さん
ttp://www.inbuds.net/search/namazu.cgi?key=%c0%d0%c8%f4+%c6%bb%bb%d2&max=20&result=short

私は読んだこと無いので なんとも判断できないが
ニヤーヤ学派と仏教についての論稿がある専門家だぞ。

「方便心論」の和訳も出してるよ
ttp://www.ehmtm.com/PukiWiki/pukiwiki.php?%CA%FD%CA%D8%BF%B4%CF%C0

何を根拠に石飛道子さんを薦めるのを危ないと?

180 :暇人:2005/08/03(水) 23:56:49 ID:i9aM5HOH
>>178
詭弁って 電波支持者がきちんと具体的な反論ができなくなった時の
「定型句」じゃん。

「仏教外の有自性論者も含む」と私には読めん。
キミの頭脳は私に理解できん。

きちんとした手続きを踏まない者に教える義理はない


181 :名無しさん@3周年:2005/08/03(水) 23:58:05 ID:ePOSqeBn
>>179
原始仏教ではないから。

>何を根拠に石飛道子さんを薦めるのを危ないと?
それは勧める人間がこんなこと言うから。書物そのものを危ないといっているわけではない。

>この本は本当に画期的で、西洋思想まで変えかねない力をもっていると思うのです。

あんた読解力落ちてる。よはらて無いか?


182 :暇人:2005/08/04(木) 00:04:39 ID:i6JNSiy1
>>181
>書物そのものを危ないといっているわけではない

紛らわしい。で読んだことあるのかね?

>よはらて無いか?

ん? 私は酒も煙草もせん。 「呑む打つ買う」なし

「西洋思想まで変えかねない力」を持っていると感動したのだろう
電波さんの論稿を読んで目から鱗で感動するものもいるのだから
いいじやん それはそれで 苛めるなって。
もっと広く 人を集めて 楽しく豊かに 原始仏教それぞれが
それぞれの関心で 学べばいいじゃん。



183 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 00:05:06 ID:UVGDdmVc
>>180
こら、いい加減に自分の読解力の無さを人に責任転嫁するな。

>「仏教外の有自性論者も含む」と私には読めん。

「自性の多義性に留意されたし」でそのまんまだと思う。
その多義性は?と聞かれたら「仏教外の有自性論者も含む」だと答えると思う。
少なくとも三性説など別筋のはなしを持ち出す愚はしないと思う。


184 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 00:10:10 ID:UVGDdmVc
>>182

>紛らわしい。で読んだことあるのかね?
ない。書店でパラパラ読みだ。無責任な感想としては「方便心論」の作者特定は山口益の「かもしれん」
の域を出ていない。あとはよくまとめてある程度。

>ん? 私は酒も煙草もせん。 「呑む打つ買う」なし
そうか。割と多いなそういうやつ。

>「西洋思想まで変えかねない力」を持っていると感動したのだろう
>電波さんの論稿を読んで目から鱗で感動するものもいるのだから
>いいじやん それはそれで 苛めるなって。
他者否定の上で言ったからむかついたまで。ま、これはあんたの言うことに従おう。

185 :暇人:2005/08/04(木) 00:11:41 ID:i6JNSiy1
>原始仏教でないから

「ブッダ論理学五つの難問」は書籍紹介に拠れば、
著者が阿含経典から発見した「ブッダの論理学」の証拠となる経典(パーリ増支部3.67.6)が示される。
そこには、「論理学を理解した者は解脱できる」と書いてあるのである。
そして、論理を超えた六神通がなぜ必要なのかも明らかにされる。
ttp://yasui-denki.com/4062583356

支持するかどうか別にして  原始仏教ではないは 言い過ぎかもだよ

186 :暇人:2005/08/04(木) 00:17:06 ID:i6JNSiy1
>>183
事実としてそう答えてないのて却下。

>>184
パラパラ読みしたのか ほう。

「方便心論」の作者特定って 山口益も竜樹説なん? ふむぅ。
ちなみに私は 山口益の影響下だな。

では おやすみ 身体はくれぐれも大事にされよ。 無理されるな。
またね



187 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 00:20:50 ID:UVGDdmVc
>>185
>著者が阿含経典から発見した「ブッダの論理学」の証拠となる経典(パーリ増支部3.67.6)が示される。
>そこには、「論理学を理解した者は解脱できる」と書いてあるのである。

検証する必要があるが、増示部ならかなり部派の洗礼を受けているから原始仏教であるとは言いがたい。(そうでないものも有る)
「物事を論理的(yukti合理的)に考え、法を一つ一つ弁別し、四句分別もとに所詮能詮などの筋道をたて」(概意)
とか論理学に関する言及が沢山有る。

そのへんをどう処理しているかによって真価がわかるのかもよ。

188 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 00:26:01 ID:UVGDdmVc
>>186
>事実としてそう答えてないのて却下。
だから馬鹿だと言うのだよ。それを認めたらあんたの負けになるから認めないのだろうけど。
多義性からは逸脱していない。自性の多義性は当り前なんだけどな。

>パラパラ読みしたのか ほう。
わるいか?

>「方便心論」の作者特定って 山口益も竜樹説なん? ふむぅ。
しらん。「かもしれない」といってただけ。だから〜説と断定は出来ないと思う。
どちらかというと否定していたと記憶するが、部分的に中論やその他に共通点
があるから完全否定は出来ないとかそんな感じ。(うろですまん)

>では おやすみ 身体はくれぐれも大事にされよ。 無理されるな。
>またね

ありがとうといいたいが、なぜ?めっちゃ健康だぞ。


189 :暇人:2005/08/04(木) 06:32:09 ID:FJ9crhPi
>>150

テーラワーダのダンマパダ輪読会のページ。
ここまでしていただくと 素人でもぱーり原文を味わえます
パーリできる方よろしく。

ttp://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp1-6.pdf

190 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/04(木) 06:49:56 ID:CRzvDHbx
>>187
> 検証する必要があるが、増示部ならかなり部派の洗礼を受けているから原始仏教であるとは言いがたい。(そうでないものも有る)
おや、まあ。
「原始仏教であるとは言いがたい」のであれば、なんて呼びたいわけ?

>>1
> ここではアーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている教法や教理
> を中心に、様々な議論を重ねていけたらと思います。佛教の原点を闡明できる良スレになる
> こと期待して・・・。引き続きよろしくお引き立てのほどを。
>
>  自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されるようお願い申し上げます。  
> 原始佛教関連以外の話題は当該スレッドか新たなスレッドを建ててお願いいたします。
は、当然、読んでますよね?
アーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている内容は原始佛教関連として当スレのテーマです。

>>127
> 広義の<原始仏教>は、上記の〈根本仏教〉と〈原始仏教〉と〈初期仏教〉の3つが
> 含まれることになります。
も、当然、読んでますよね?

>>185
> 支持するかどうか別にして  原始仏教ではないは 言い過ぎかもだよ
この原始仏教が、広義の<原始仏教>を指すことは明白だよね?

> 部派の洗礼を受けているから原始仏教であるとは言いがたい
ものすごーく、認識がすれ違っていませんか?


191 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 06:56:39 ID:UVGDdmVc
          _   
         < ・\ 
         <  匚  >>190
         <   |   おまえずれてないか??????????
         < つ|
         <   |
        /   /
   ___/ /| |~
   \___/  |_)




192 :暇人:2005/08/04(木) 07:11:55 ID:FJ9crhPi
ttp://gotami.txt-nifty.com/store/2005/07/post_4d05_1.html
の紹介に拠れば、石飛 道子さんは、
「インド論理学の研究者である著者はもともと仏教の専門家ではありません」
それはともかく 彼女訳の「方便心論」一・三・八・三・三【詰論による喩(帰謬法)】

【問い】私はもうすでに涅槃は恒常であると知っているが,もろもろの
出来事(諸行)と違うものであるのだろうか、どうなのだろうか。

【答え】あなたがすでに涅槃は恒常であると知っているのであれば、
どうして諸々の出来事と同じであるなどと言えようか。諸々の出来事は
本質上変化し消滅するものであり、涅槃の本質は恒常であり、楽である。
智者であれば、誰が諸々の出来事と同じだと言うであろうか。



193 :暇人:2005/08/04(木) 07:15:47 ID:FJ9crhPi
「涅槃の本質は恒常であり、楽である」というのは中期大乗の涅槃経なの
だが、竜樹は、中論で
「若離是空則無涅槃道」
涅槃の本質は竜樹にすれば「空」だから「恒常」「楽」とする立場の
方便心論は、竜樹作ではない気がするけどな。。

石飛さんの論稿読んでないから 判断するのは早いが。。

194 :暇人:2005/08/04(木) 07:46:09 ID:FJ9crhPi
>>172
>文脈前後解釈
これは意味不明だな。無茶苦茶な造語をしちゃいかん。
コンテキストの訳語として「文脈」「前後関係」などがあります。

>>128の「前後解釈」は意味不明なのだが、
@コンテキスト解釈という意味であれば、テキストを「原文・本文」の
意味ではなく「テーマ」と取り、「現観は四禅の後である(後に生起する)」は
テキストにはないが、解釈的にはありうる。
Aあるいは単に、テキスト(文証)はないが、私はあると思う。
と脳内妄想を語っているにすぎない。

大事なポイントは「テキストはない」
>>1
>自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示
をクリアできないことの表明であり、誰かが新たに文証を出さない限り
スレッド的には この話題は決着したのではとわたしは思う



195 :暇人:2005/08/04(木) 07:56:17 ID:FJ9crhPi
かつて家康が日蓮門下に「念仏無間」の経証を出せと言ったが、
結果的に出せなかった。
日蓮側からすれば、「経証はない」が、滔々と論理を展開すれば、
経典の解釈を縷々 説明すれば、「道理」により「念仏無間」は明白で
あるのだが、家康からすれば「おまえらの理屈はどーでもええねん」
「経証を出せ」なのだ。 日蓮門下は出せないので敗北。

「道理」はどこにでもくっつくので 『前後解釈』なる接着剤を
使えば 「現観は四禅の後」というは貴方たちには常識になるのかもだが
「解釈」を尋ねているのではなく 初期経典に「あるのかないのか」かが
テーマやってん。 あしからず

かつて それに似た現観は倶舎論にはあるね と指摘済みだつて



196 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 08:06:05 ID:uCWCRcdC
>>193

そこの偈は

大聖説空法 為離諸見故 大聖空法ヲ説クハ 諸ノ見ヲ離レシメン為ノ故ナリ
若復見有空 諸佛所不化 若シ復タ空有リトノ見アラン 諸佛ノ化セザル所ナリ

「若離是空則無涅槃道」は青目の釈で、かつ、「罪重ク貪著ノ心深ク智慧鈍」の
人に空を説くと、そうおもってしまう、といっているのです。

ttp://ccbs.ntu.edu.tw/cgi-bin/webgetfile_.exe?pid=16711&offset=5

197 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 08:59:32 ID:uCWCRcdC
顯揚聖教論には次のようにある。

復次以何現觀。頌曰

出世間勝智 能除見所斷 出世間ノ勝智ハ 能除見所斷ナリ
無分別證得 唯依止靜慮 無分別證得ハ 唯ダ靜慮ニ依止ス

論曰。出世間智能為現觀非世間智為斷見所。斷惑唯是見道非修道故。
問彼復何行。答無分別證得。謂現前證得無分別行非未現證。問彼何所依。
答唯依止靜慮不依無色。復次何處現觀。

要するに現觀は無色定では起こらない。

ttp://ccbs.ntu.edu.tw/cgi-bin/webgetfile_.exe?pid=17446&offset=8

198 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 09:38:49 ID:UVGDdmVc
現観が原始仏教を語るときの共通認識としてどのようであるかの一例。

『ゴータマ・ブッダ_釈尊の生涯』 <原始仏教1> 中村元選集・第11巻 春秋社 P.173 L6-
そこでわたしはこのように思った、
「何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか?」と。そのときわたしには正しい注意と智慧とから
現観(abhisamaya さとり)が起こった、「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と。

註:
SN.12,10(mahASakyanumi Gotamo),1-2(vol.2,pp10-11)『雑阿含経』第12巻(285)大正2、P.79c-(中村註による)
上記「〔正しい注意と〕智慧とから現観(abhisamaya さとり)が起こった」はさとりとして縁起を示す定型句。>>150さん参照

199 :太刀山型の土俵入り:2005/08/04(木) 10:14:58 ID:oKvZU4jQ
オナニーするのにいいお経教えてくれ。

200 :太刀山型の土俵入り:2005/08/04(木) 10:16:20 ID:oKvZU4jQ
>>199はこのスレ住人がやってる妄想だけのじゃなくてチンコこする方のオナニーね。

201 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 12:42:01 ID:uCWCRcdC
要するに、「現観は唯だ四禅に依る」。下記に詳しい。

印度佛教瑜伽学之綱要
ttp://www.buddhism.com.cn/dzqk/fayin/dharma/9806/g9806f07.htm

「止・観」という語を考えたら、およそは解るはず。

暇人さんは電波一派(電波男さん、阿呆陀羅經さん、以外は誰を指すかよく判らない)を電波と言っている
けれど、もとから電波と名乗っている。では暇人さんは暇なんだろうから、少し語学を勉強したら。そしたら
電波一派が思いつきのことを言って騙そうとしなくなるとおもうよ。

202 :暇人:2005/08/04(木) 13:11:26 ID:tU57u1dh
>電波一派が思いつきのことを言って騙そうとしなくなるとおもうよ

その彼らの愚にもつかん思いつきを暴いて遊ぶのも 面白いかもだよ。

>>198
>>130-131を呼んで味噌。
この定型句を中村元さんの訳は
「〔正しい注意と〕智慧とから現観(abhisamaya さとり)が起こった」
私の訳は
この「私は<A>を思索した」
「正しく思惟したとき ただちに『B』であることがわかった」
私の訳を適用すると、
<何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか>と思索した。
「正しく思惟したとき ただちに『生があるが故に老死が有る。生に縁って老死がある』で
あることがわかった

縁起の各支ごとき「さとり」と訳さず「わかった」「理解した」で充分だと
私は思うね。
各支ごとに悟ったんかい、と(笑)

203 :暇人:2005/08/04(木) 13:16:01 ID:tU57u1dh
>>196
そでしたか ご指摘ありがとう。
んで竜樹が涅槃を恒常・楽と云っていると読める箇所あるん?

>>197
顯揚聖教論って? 瑜伽部の?

204 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 13:50:46 ID:UVGDdmVc
>>202
>私の訳は
>この「私は<A>を思索した」
>「正しく思惟したとき ただちに『B』であることがわかった」
>私の訳を適用すると、
><何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか>と思索した。
>「正しく思惟したとき ただちに『生があるが故に老死が有る。生に縁って老死がある』で
>あることがわかった

中村先生の訳にイチャモンつけるのなら、その根拠と原典の読みを示すべき。
これで暇人の方がトンデモだと言うのがわかる。その部分の始めを読め。宿命通
との関係がある。これが四禅と関係するのだが、ワカランだろな。暇人には。
自性の多義性についても絶対にその非を認めていないんだからなにいっても無駄か。

205 :暇人:2005/08/04(木) 13:56:36 ID:tU57u1dh
>>193

>だが、竜樹は、中論で
>「若離是空則無涅槃道」
>涅槃の本質は竜樹にすれば「空」だから「恒常」「楽」とする立場の

これはご指摘があり、不適切でしたのをお詫びいたします。
むしろ竜樹「中論」の涅槃は25章が「涅槃の考察」なので ここを引用
すべきでした。
「無得亦無至 不断亦不常 不生亦不滅  是説名涅槃」
中村「竜樹」25-3 捨てられることなく(新たに)得ることもなく、
        不断 不常 不生 不滅である
        これがニルヴァーナであると説かれる
小川「五如理論」25-3 断ぜられるものではなく 得られるものでなく
       断滅でなく 常住でなく 滅するものでなく 生じるものでない
        それが涅槃と言われる。

以上から「涅槃の本質は恒常であり、楽である」と竜樹は主張しないのではと
思われます。


206 :暇人:2005/08/04(木) 13:57:53 ID:tU57u1dh
>>204

根拠も原典の読みも示している。
どこに目がついてるのだね

207 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 14:01:49 ID:UVGDdmVc
>>206
>どこに目がついてるのだね
あんた馬鹿か?漢訳の一部分を示してへたくそな訳つけているだけじゃないか。
それで中村元訳に対抗しているのか?文献学をなめるな。中村先生はそんな
安易に訳をつけているんじゃない。そんなこと(あんた程度の訳)したら学部の
レポートでさえ不合格だ。

208 :暇人:2005/08/04(木) 14:10:01 ID:tU57u1dh
思い浮かべてごらん 具体的に。
釈尊がまだ悟る前にひとり瞑想していたのだって
どうして「老死」があるのかと瞑想していたのね。
あれこれ思索しつづけていたのだろうね。
そしてある瞬間 はたっと氷解したのだって
嗚呼 なるほど「生」があるから「老死」があるのだって
そしてまたその思索は縁起の各支ごとだし、「理解する」のも
各支ごとだね。各支ごとに繰り替え繰り返しabhisamaya だね
それを「さとり」と訳してもいいが、
大げさな話ではなく 素朴な悟りだね。むしろ「わかった」
「気づいた」ぐらいの日常語でちょうどいい。
あるいは「ありありと実感した」とかね そんな感じだ

209 :暇人:2005/08/04(木) 14:13:32 ID:tU57u1dh
>>207
だったら負け犬の遠吠えはやめて
きちんと論を展開しみなされ。

「Aと訳している」いるが「Bと訳すべきだ」
「A」だとこういう意味になるが 正しくはBと読むべき
なぜならばCだから と展開しないと 話にならん。

210 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 14:18:52 ID:LfbH5QSi
>>209
オマエはホントに職なし暇人だな。軽蔑するよ。


211 :暇人:2005/08/04(木) 14:23:51 ID:tU57u1dh
>学部のレポートでさえ不合格

ところでキミは学部の先生なのかね(笑)

>>210

興奮するなって
( ^-^)_旦~~ おちつけ

212 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 14:24:56 ID:UVGDdmVc
>>208
そんな感想文はいらないんだ。縁起が素朴なさとり?なぜ?
いままでの通説をひっくり返すことになるよ。

前掲書 P.167-
   二  何を悟ったか?
      (1)十二因縁を悟ったという伝承

読み進めていくと、四禅のことにも言及している。四禅については古い成立ではないと言っているが、
原始仏教を理解するうえで貴重な記述が多い。もちろんアンタガ知らずに認めたがらないことが
書いてある。

>だったら負け犬の遠吠えはやめて
>きちんと論を展開しみなされ。

その感覚が理解できない。遠吠えをしているのはあんたの方。
自性にかんしては遁走してるしね。

>「Aと訳している」いるが「Bと訳すべきだ」
>「A」だとこういう意味になるが 正しくはBと読むべき
>なぜならばCだから と展開しないと 話にならん。

それは中村訳を批判したあんたがすることだ。難儀な人だね。

213 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 14:26:15 ID:LfbH5QSi
暇人よ、おまえ、無職から脱出したらどうだ?
それからモノを言え!!!
おまえの言動に説得力などない

214 :暇人:2005/08/04(木) 14:30:31 ID:tU57u1dh
>四禅のことにも言及している

するだろ、それは
で問題は 四禅を超えた次ぎの段階しての「現観」があるかどうか
中村さんは「ある」と書いてないだろう。

>>213

(笑)

215 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/04(木) 14:33:34 ID:d5NfsrXn
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku02.html

比丘たちよ、わたしはまだ正覚を成じなかった時、かように考えた。まことに、この世は苦の中にある。生まれ、老い、衰え、死し、また生まれ、しかも、この苦を出離することを知らず、この老死を出離することを知らない…。
比丘たちよ、その時、わたしは、かように考えた。何があるがゆえに、老死があるのであろうか、何に縁って老死があるのであろうか。比丘たちよ、その時、わたしは正しい思惟と知恵とをもって、かような悟りを得た。生があるが故に、老死がある。生に縁りて、老死がある。
比丘たちよ、その時、わたしはまた、かように考えた。何があるが故に、生があるのであろうか。何に縁って生があるのであろうか。比丘たちよ、その時わたしは、正しい思惟と知恵をもって、かような解釈をなした。有があるが故に、生がある。有に縁って、生がある。

(サンユッタ・ニカーヤ 12:10 増谷文雄訳)


216 :暇人:2005/08/04(木) 14:33:54 ID:tU57u1dh
>それは中村訳を批判したあんたがすることだ

オレは>>202でしてる

キミはブンブンと五月蝿いだけ

217 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 14:34:34 ID:HKUOno+A
暇人の戯論は、職なし人間にしかできない浅慮な考えだ。

218 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 14:34:51 ID:ToFDEOVw
>>213
この人はネットで知ったかぶりすることで、辛うじて自己確認できている哀れな人なんだよ。
だから少しでも批判されたら必死になる。自性でも現観でも四禅でも法そのものでも電波
の取り巻きにコテンパンだ。完敗しているのにまだ吼えている。>>208以降なんて泣きながら書いてる
んじゃないの?

>>208 暇人さん。
誰かが書いていたけど、そんな感想文はいらないんだ。

219 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 14:36:29 ID:HKUOno+A
>>218

オマエのことだろ。

220 :暇人:2005/08/04(木) 14:37:01 ID:tU57u1dh
「正しい思惟と知恵とをもって、かような悟りを得た」
「正しい思惟と知恵をもって、かような解釈をなした」

解釈と言い換えが利くような「素朴な悟り」だね
「わかった」で充分

221 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 14:39:09 ID:HKUOno+A
戯論の輩には付き合ってはおれん。死ぬまで実りのない議論をしてろ!

222 :暇人:2005/08/04(木) 14:45:23 ID:tU57u1dh
>>221

おつかれー

223 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 14:46:28 ID:UVGDdmVc
>>216
>>それは中村訳を批判したあんたがすることだ
>オレは>>202でしてる
>キミはブンブンと五月蝿いだけ

だから、それではした内に入らないって言ってるんだよ。

>「〔正しい注意と〕智慧とから現観(abhisamaya さとり)が起こった」
>私の訳は
>この「私は<A>を思索した」
>「正しく思惟したとき ただちに『B』であることがわかった」

だから中村訳を批判してあえて、こう訳せる根拠を述べよといっている。

>私の訳を適用すると、
これが砂上の楼閣。
そのあとでのトンデモ結論。

>縁起の各支ごとき「さとり」と訳さず「わかった」「理解した」で充分だと
>私は思うね。
>各支ごとに悟ったんかい、と(笑)

暇人終了。

224 :暇人:2005/08/04(木) 15:00:19 ID:tU57u1dh
中村訳の構造は、
Aそこでわたしはこのように思った、
B「何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか?」と。
Cそのときわたしには正しい注意と智慧とから 現観(abhisamaya さとり)が起こった、
D「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と。

Bを思索している時 Cの現観が生じたのだが、そのCの中味はDという
構造になっているのだが、(これは私も増谷も同じ)
Cの現観の内容はDなわけだから
Bを思索している時、Dと現観したになるわけですね。
つまり中村訳「現観」あるいは「悟り」の具体的中味がDと指し示されている
Bの思索したらDと気づいた わかったというコンテキストだね。
玄奘の新訳の「現観」は意味不明だから使うべきではないし、
「さとり」については、
サンユッタ・ニカーヤ 12:10で云えば最後の
「愁・悲・苦・憂・悩が滅するのである
これが、すべての苦しい人間存在の滅するゆえんである。
比丘たちよ、これが、滅することを得る、と未だ聞いたこともない真理に
おいて、わたしは、眼生じ、さとりを得ることができた。」
とこの経の最後で「さとり」を使えばよい。
それまでは「わかる」で充分。


225 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 15:31:16 ID:vN83uFqx
>>222
戯論に疲れという言葉はないの。無駄事だから。


226 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 15:32:40 ID:vN83uFqx
自己満足もいい加減にしろ!!!!人間の屑的存在のくせに

227 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 16:13:29 ID:UVGDdmVc
>>224
ぜんぜん説明になってないんだけど。

例えば、

目の前に有る植物は太い茎で背が高く、黄色の花弁を有している。
よく観察してみると、目の前に有るこの花は「ひまわり」であり、今が盛りだということが「わかった」

この「わかった」もabhisamayaでいいのか?もう一つ踏み込もう。

悪いおこないの故に現在のある特定のくるしみがある。
その過去の悪いおこないを一つ一つ追憶し検証すると現在のある特定のくるしみと関連していることが「わかった」

これもabhisamayaでいいのか?
あんあたは構文の論理構造だけみて現観の意味を限定している。それが間違っていることは
指摘しなくてもいいよね?さらに

>玄奘の新訳の「現観」は意味不明だから使うべきではないし、
と言い放っているだけで根拠を示していない。
abhi-sam-√i とは「近くに - 完全に - 行く(来る)」というのが原意。

228 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/04(木) 18:33:17 ID:d5NfsrXn
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1120927505/62
62 :名無しさん@3周年:2005/07/10(日) 11:30:14 ID:gU9XuULi
(15)其次,i「行」的語根而形成的abhisameti(abhi-sami)

「正確的到達」「十分理解」、abhisamaya「現觀」等語,在原始經典中亦常被使用。其中,abhisameti與
abhisambujjhati「現等覺」多被一同使用,本來可能是説佛教全體性的最高證悟。但是abhisamaya一語,
一般的用例只是講理論上理解四諦或縁起道理的初歩證悟。也就是,得法眼者為現觀。因此,現觀多
習慣被用來作為聖諦現觀。

原始佛教及部派佛教的般若
ttp://www.chibs.edu.tw/publication/LunCong/023/69-124.htm

-------------------

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1120927505/92
92 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/07/10(日) 13:59:25 ID:cDrWExRB
>>62

「確実な到達」「完全な理解」、abhisamaya「現觀」などのタームは原始経典の中に通常よく使われている。
そのなかで、abhisametiとabhisambujhati「現等覚」は同義として使われることが多い。本来、仏教全体で
最高なる証りとして用いられたが、一般的にabhisamaya一語で用いられる場合は、ただ四について理論
理解すること、あるいは縁起のあり方などの初歩的な証りについて語られる。

このように現觀は現觀は習慣的に聖諦現觀として使われることが多いのです。


229 :暇人:2005/08/04(木) 18:43:48 ID:oSLR+0Cs
>>227
>構文の論理構造だけみて現観の意味を限定している

また人のログを理解せず 事実に反することを云う。
きちんと水野パーリ語辞典/長崎雑阿含補注で辞書的意味も書いているよん
あせらず キチンと読み 理解してから 批判せよ。

>根拠を示していない

馬鹿かキミは。「意味不明」と論拠を示しているではないか。
意味が通じるのか?街中で道行く人に無作為に「現観」という訳語の
意味を尋ねて 何人が知っているのだね。
「さとる」「解釈」「理解」「わかる」なら意味は通じるでしょう。
中村さんは伝統的な漢訳における「定訳語」の「現観」を示した上で
一般には意味が通じないから「さとる」と付記しているのだって。
少しは相手が何をいわんとしているか 思索しなされ。

電波一派の特徴の一つに語義解釈に走りすぎ コンテキストの流れを無視し
暴走するパータンが多すぎ。
と指摘されも たぶん自覚できないだろうけどね

230 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 18:44:37 ID:UVGDdmVc
>>228
ああ。電波男さんともあろう人が、一つ訳が抜けてます。訳し忘れていますね。

|也就是,得法眼者為現觀。

231 :暇人:2005/08/04(木) 18:47:59 ID:oSLR+0Cs
>abhisameti與abhisambujjhati「現等覺」多被一同使用
>abhisametiとabhisambujhati「現等覚」は同義として使われることが多い

これは水野さんの著作からすると誤訳だね。
「一同使用」は「同義として使われている」ではなく、
       「いっしょに並んで使われている」だろうね。
電波さん 本当にネイティブなのか

232 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 18:57:43 ID:UVGDdmVc
ポカミス見つけました。

誤:  ただ四について理論理解すること、
正:  ただ四諦について理論理解すること、

いま読んで気づいたこと。

>本来、仏教全体で最高なる証りとして用いられたが、一般的にabhisamaya一語で用いられる場合は、
>ただ四諦について理論理解すること、あるいは縁起のあり方などの初歩的な証りについて語られる。

いわゆる大乗において顕著になってくる現観荘厳などの中国日本での一般解釈ではなく、原始仏教の
観点から見ると、「縁起」あるいは「四諦」のあり方を確実に正確に理解して目の当たりにする(現観)こと
であり、アノクタラサンミャクサンボダイなどの最高証ではなく、それに直結する初歩的なさとりであると
言ってるんだね。間違いは見当たらない。

233 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 19:13:02 ID:UVGDdmVc
>>229
もう駄目だねこのひと。

>馬鹿かキミは。「意味不明」と論拠を示しているではないか。
>意味が通じるのか?街中で道行く人に無作為に「現観」という訳語の
>意味を尋ねて 何人が知っているのだね。

完全なすり替えだ。いまは原始仏教を語っている。なぜ街中の話が
でてくるのだ?説明しろ。「わかった」という事が正解だと本当に思って
るのか?あんたに語源解釈して玄奘訳が意味不明ではないといってる
のにそれも読めないのか?

>「さとる」「解釈」「理解」「わかる」なら意味は通じるでしょう。
あんたは「さとる」の意味では言っていないよ。一貫して「わかる」だ。
ごまかすな。もっと筋道を建てて考えろ。

そんで、悔し紛れに誤訳の指摘か?

234 :暇人:2005/08/04(木) 19:21:44 ID:oSLR+0Cs
>>232

>四諦について理論上の理解(直訳)→四諦について知的にわかること
>縁起のあり方などの初歩的な証り→縁起の各支の初歩的理解
>也就是,得法眼者為現觀→とりわけ 真理を見る眼を開き悟る

後、苦の滅と共に語られるabhisamayaも「わかる」ではなく「悟り」だな

>正確に理解して目の当たりにする(現観)こと

逆だな。法を目の当たりにはっきり観察し、理解すること

235 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/04(木) 19:23:52 ID:d5NfsrXn
ふーむ。
素人の私には

・「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」とわかった。
でも
・「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と悟った。
でも
たいした差が有るようには思えないのだが、
文献学を修すると、
その辺に大きな違いを認識するようになり、訳語に対するこだわりとかが出てくるのでしょうか?


236 :暇人:2005/08/04(木) 19:27:22 ID:oSLR+0Cs
>>233

本気で思っているよ 現代語訳するのに 一般の現代人に通じない
ギョーカイ用語だけはダメだ。中村さんもそんなことはしない。
ギョーカイ用語を示しつつも
ちゃんと意味の通じる「さとり」を付記している。

>一貫して「わかる」だ。

事実無根の中傷をまたする キチンと対論を読み、事実に即して論じろ
次からは解説せんぞ。
>>224
>とこの経の最後で「さとり」を使えばよい。


237 :暇人:2005/08/04(木) 19:28:46 ID:oSLR+0Cs
>>235

大差ないですよ。


238 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/04(木) 19:39:10 ID:d5NfsrXn
>>237
> 大差ないですよ。
あっ、レスありがとうございます。

しかし、なんですね。

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku02.html
(サンユッタ・ニカーヤ 12:10 増谷文雄訳)

これを読むと、具体的な十二支の関係を明らかにして悟ったのではなく、

これが、縁ってなるところである、と未だ聞いたこともない真理
これが、滅することを得る、と未だ聞いたこともない真理
という、メタな真理によって、
眼生じ、さとりを得ることができた。

のですね。
まあ、
> ここに語られている縁起は通常「十二支の縁起」とよばれ、後代に成立した経典にあらわれるものであって、
> あきらかに形式化・ドグマ化したあとが見えます。
だそうですけど。


239 :暇人:2005/08/04(木) 19:55:07 ID:oSLR+0Cs
「メタな真理」ではなく、「聞いたこともない真理 」とは、
「無明に縁って行があり・・・愁・悲・苦・憂・悩が生ずるのである」
という「縁ってなるところの真理」を他人から聞いたのではなくて
自分みずから はじめて 知的に理解したというこですね
「滅することを得る真理」も同様です。

abhisamayaは、『論理を超えたものを悟る』ではなく、
       「知的に理解する、悟る、あぁなるほどこうであったか、と
        ありありと気づくこと」だと思います

240 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 20:26:27 ID:ngzrdJBq
するとなにかい?
Samyuttanikaya→相応部経典
1. AbhisamayasaMyuttaM→「わかった」相応
10. Abhisamayavaggo→「わかった」品
になるのかい?w


241 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 20:32:07 ID:ngzrdJBq
>ID:d5NfsrXn
もしあなたが学界関係者なら、ここでのやり取りをレジュメに綴じて仏教学会か何かの機会に配ってみたら
いいんじゃないですか?暇人説は大喜利とかアトラクションにうってつけのネタになりますよ。多分。

242 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 20:50:06 ID:ngzrdJBq
>>241の宛名間違いゴメソ。
>ID:d5NfsrXn×
>ID:UVGDdmVc○

243 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 21:51:31 ID:XXG4YUDL
名無しで書き込んでる時点でどうかと思うぞ。

244 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 22:06:34 ID:YUr//N0p
電波男以外の誰だっていうの? 見るがいいわ!>>230


245 :太刀山型の土俵入り:2005/08/04(木) 22:12:05 ID:oKvZU4jQ
オナニー用のお経まだーーーー?

246 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 00:04:30 ID:n6lK9K/O
>>239
もうあがくな。何を言ってもヌルヌルと街の中の人だとか言い訳し、「わかる」が
いつの間にか中村元の「さとる」に摩り替わり(これは暇人に対論した主張ね)己の主張さえもずらしていく。

挙句の果ては
>事実無根の中傷をまたする キチンと対論を読み、事実に即して論じろ
>次からは解説せんぞ。

と逃げている。自性の多義性はどうなった?

お前はもう終わっている。天然詭弁使いだ。

247 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 00:12:39 ID:mOxKolSa
n6lK9K/O とかもういいから消えてくれないかな。

248 :暇人:2005/08/05(金) 00:12:49 ID:uGQ5yBFE
あは まあまあ( ^-^)_旦~~>>246

夏休みだね 変な人が増える季節だね

摩り替わったのでなくて 最初から「わかる」一本ではないじゃん(笑)


249 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 00:19:55 ID:q1PNvWOW
仏教の教えは難しいな。
なんかうなぎみたいw

250 :暇人:2005/08/05(金) 00:25:10 ID:uGQ5yBFE
>>249

難しいのはたぶん 説明する人が(私もそう) よく解ってないから。
本当にわかっている人は とてもわかりやすく響く言葉で
語れるものかもよ
ダンマパダとか いいかもよー

251 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 00:30:41 ID:q1PNvWOW

これかに?
ttp://www.j-theravada.net/sakhi/dhammapada-jp.html

252 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 00:32:57 ID:n6lK9K/O
>>248
脱力するね、そこまで詭弁を弄するのは。

>摩り替わったのでなくて 最初から「わかる」一本ではないじゃん(笑)

少なくとも「さとる」という主張はなかったね。中村元を提示してから主張を変えるのなら
まず非を認めてからにしろ。自性の多義性も含めてな。

253 :暇人:2005/08/05(金) 00:43:48 ID:uGQ5yBFE
>>251

うんうん それそれ。 じっくり読んでみて^^





254 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 00:47:42 ID:q1PNvWOW
    ._,,,,,,,,,,,,,,,,,,,、     _      ___         ,,,,,,,、
    l___ l'     / / __,,   ヽ'~~}       _l ,l__
  __,¬ / >_    / ∠. ||  ll   l. l      .゙    ___}
  ー-l ,==| |==,゙〆  ノノ .==. ||  ||   l 「       ゙゙゙゙| ,i  _
    ,l l!==| |==,!\  ゙~! | ̄ ||  ||   l l     ,,,.   / l゙ ←丶
   ,,l゙, l.==| |==,,ヽ ゝ  / ヽ .||  ||   .l l,、 ,,,,,/゙ l  / l゙ 、
  :l-゙゙  ,,,, l゜l       / lヽノ ll, ,||   ゙l,, ゙゙゙゙゙゙  .l゙  ノ. ,l゜ ゙l――ヽ,
     .゙゙--゙      ~    ゙゙゙°     ゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙″  ゙゙゙゜   ゙゚゙゙゙゙゙゙゙゛


255 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 01:17:53 ID:/YRidTrJ
自性の多義性
文脈を外して頓珍漢な三性説で電波を非難して結局撃破された。
謝罪しないばかりか居直っているのは醜い。

256 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 01:20:52 ID:jfndEKoH
盆に仏教の本を読みたいなぁ

257 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/05(金) 04:59:36 ID:0yyfeY+U
>>239 :暇人:2005/08/04(木) 19:55:07 ID:oSLR+0Cs
> 「メタな真理」ではなく、「聞いたこともない真理 」とは、
> 「無明に縁って行があり・・・愁・悲・苦・憂・悩が生ずるのである」
> という「縁ってなるところの真理」を他人から聞いたのではなくて
> 自分みずから はじめて 知的に理解したというこですね
> 「滅することを得る真理」も同様です。
私としましては、「聞いたこともない真理 」とは、
具体的な「十二支の縁起」ではなく、
「もろもろの法は因によって生ずる。」という「メタな真理」だと思うのですが、
これを否定する根拠はお持ちでしょうか?


無我の思想 --- 第二章 ブッダの沈黙 ---
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html
<--
もろもろの法は因によって生ずる。
如来はその因を説きたもう。
もろもろの法の滅についても、
如来はそのように説きたもう。
(増谷文雄訳、『仏教の根本聖典』、57頁)

それだけ聞くだけで、サーリプッタは、アッサジの師(ブッダ)がいかなる思想の持ち主であるかを理解した、
と仏典は記しています。
ここでアッサジがサーリプッタに語ったのは無常と縁起の思想です。
つまり、私たちの経験するもの、観察できるもの、すべては
さまざまな原因や条件に依存して生まれかつ消滅する --- そういう思想です。
-->


258 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/05(金) 06:06:01 ID:0yyfeY+U
>>252 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 00:32:57 ID:n6lK9K/O
> >摩り替わったのでなくて 最初から「わかる」一本ではないじゃん(笑)
>
> 少なくとも「さとる」という主張はなかったね。中村元を提示してから主張を変えるのなら
> まず非を認めてからにしろ。
話がすれ違っていますよ。
私の理解では、あなたが中村元を提示した部分に関しては、
>>233
> あんたは「さとる」の意味では言っていないよ。一貫して「わかる」だ。
で問題ないと思います。

>>198 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 09:38:49 ID:UVGDdmVc
> 現観が原始仏教を語るときの共通認識としてどのようであるかの一例。
>
> 『ゴータマ・ブッダ_釈尊の生涯』 <原始仏教1> 中村元選集・第11巻 春秋社 P.173 L6-
> そこでわたしはこのように思った、
> 「何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか?」と。そのときわたしには正しい注意と智慧とから
> 現観(abhisamaya さとり)が起こった、「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と。

暇人さんの「一本ではない」という主張は、各支の関係を「わかる」ことで最後に「さとる」ということです。

○わかる:生があるが故に、老死がある。生に縁りて、老死がある。
○わかる:有があるが故に、生がある。有に縁って、生がある。
(省略)
●さとる:これが、縁ってなるところである、と未だ聞いたこともない真理において、

○わかる:生を滅することによって、老死を滅することを得る。
○わかる:有を滅することによって、生が滅する。
(省略)
●さとる:これが、滅することを得る、と未だ聞いたこともない真理において


259 :暇人:2005/08/05(金) 07:11:27 ID:0pUd5vaM
>>257

「わたしはまだ正覚を成じなかった時、かように考えた」のですね
「この世は苦の中にある」「この苦を出離することを知らず」ので
「かように考えた」ら、
「Aかようにして、無明に縁って行があり、行に縁って識があり、識に縁って名色があり、
名色に縁って六処があり、六処に縁って触があり、触に縁って受があり、
受に縁って愛があり、愛に縁って取があり、取に縁って有があり、有に縁って生があり、
生に縁って老死があり、愁・悲・苦・憂・悩が生ずるのである。」
ということに自らきづいた。
釈尊は誰から教わったわけでもなく 自分で思索し 自分できづいた
「この世は苦の中にある」「この苦を出離すにはどうしたらよいのか」と
思索し続けたら、「すべての苦しい人間存在の縁ってなるところである」が
Aの十二支縁起だとわかった。
Aの十二支縁起、「これが、縁ってなるところである」という
「未だ聞いたこともない真理」と私には読めます。
>>238「具体的な十二支の関係を明らかにして悟ったのではなく」と
ありましたが 私は「縁ってなるところ未だ聞いたこともない真理」は
増谷さんの文脈上は十二縁起だと思います。

260 :暇人:2005/08/05(金) 07:23:34 ID:0pUd5vaM
>「もろもろの法は因によって生ずる。」
はOKだと思います。
でもこれはブッダが「神秘主義的形而上学的問題に対して沈黙を守る」
合理的な真理を説いたらから懐疑論者グループの舎利弗は、釈尊門下
になったわけで とても論理的だと思います。
これが「メタな真理」 論理を超えたものだと私は思いません。

261 :暇人:2005/08/05(金) 07:28:23 ID:0pUd5vaM
前スレッド
282 名前:暇人 :2005/07/13(水) 22:26:17 ID:K692+cur
うむぅ 現観を整理します。
■理解を意味する現観−縁起經 雑阿含経285
1一番単純な用例
了解 理論的理解(パーリ語辞典)
「正確的到達」「十分理解」(中華)
時を経ず知が起こる(無間等起知)

■瞑想、特に四諦を観察する現観−相応部諦相応3,4,32,44,49,50 雑阿含109
http://www012.upp.so-net.ne.jp/asia21/hikari12.htm 諦相応重閣経
2単純な瞑想としての現観
まのあたりに明瞭に観ずること(法蔵館仏教学辞典)
現前に明瞭に真理を観察すること(佛教語大辞典)
3四諦を現観する
四諦を瞑想する観法(平川説)
理解四諦或縁起道理的初歩證悟(中華)
四聖諦を徹底的に知見すること(文責 Pannyadhika)

■高次の瞑想及び悟りとしての現観−原始経典に経証なしの妄想
4ヴィパサナー瞑想を前段階とした「概念を超えた縁起の現観」(電波男)
止観(四禅)の次の段階としての現観(電波男)
5ブッダの正覚体験としての「縁起の現觀」(阿呆陀羅經)
6四禪乃至滅盡定等九次第定を超出したもの(阿呆陀羅經)
7最高證悟(中華)


262 :太刀山型の土俵入り:2005/08/05(金) 07:31:03 ID:QuBWNDuO
シャカとヤショダラ?の性生活を暴露したお経ない?

263 :暇人:2005/08/05(金) 07:39:05 ID:0pUd5vaM
そもそも「わかる」一本ではないし、
理解四諦或縁起道理的初歩證悟(中華) の初歩的な悟りは
経証ありグールプに分類している。

「正覚体験」とか「最高證悟」という意味での悟りには経証がない。
「ヴィパサナー瞑想を前段階した現観」「止観(四禅)の次の段階の現観」
「四禪乃至滅盡定等九次第定を超出した現観」も経証はないと
前から云っていますね


まあこれも再整理すべきだが



264 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 07:43:07 ID:9Dt768cs
原始佛教14というスレが二つ立っていますが、
それほど、このスレ人気があるスレとは思いませんが。
何か世論と離れた閉鎖された空間で論じられているようで。

265 :暇人:2005/08/05(金) 07:45:31 ID:0pUd5vaM
>>262

シッダルタとヤショダラ?の夜の営みについて書いた経でも
仏教の経でもないが、ご希望に沿う「愛経」があるね。

「カーマ・スートラ」角川ソフィアから文庫で出てて お得。600円

「愛と性の深遠を丹念かつ実践的に探求した古代インドの愛の経典」
「すべての男女のエロスの神秘を伝え続ける不朽不滅の古典」

まあ夏休みの読書にどうぞ

266 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 07:47:52 ID:n6lK9K/O
>>263
逃げるな。あんたが「さとり」と捉えたことはない。
理解とかわかるのラインだ。

267 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 07:49:03 ID:aHA25ZTW
原始佛教スレッド根本分裂の考察

暇人部 07/29(金) 07:53:44−
阿呆陀羅經部 07/29(金) 09:31:07−

スレッド開始時刻からは暇人部が正統。教義の違いは。

如来死後 暇人部−如来はさとった人 阿呆陀羅經部−如来は衆生一般
現観 暇人部−四諦や縁起の理解 阿呆陀羅經部−九次第定を超えた究極のさとり
自性 暇人部−法そのもの 阿呆陀羅經部−本質、その他いろいろな意味

戒律については、暇人部は阿呆陀羅經部が不自作自演戒を破っていると主張、
阿呆陀羅經部はそれは暇人部の妄語であると弁明。

でよいのだろうか?

268 :暇人:2005/08/05(金) 07:49:43 ID:0pUd5vaM
>>264
ご迷惑おかけしております。
不人気なテーマですね。
本来ならば一つで充分ですので 調整し 片側を15にすべきですね。
残念なことに いろいろありまして現在の形になっております



269 :太刀山型の土俵入り:2005/08/05(金) 07:50:28 ID:QuBWNDuO
>>265
象女とかいう表現はひでえよな。
チンポがデカイ男はマンコのデカイ女とやれっていうけどそんなもん
やる前にわかってたら情緒もへったくれもねえとオレ派思う。

270 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 07:51:41 ID:n6lK9K/O
>>267
ちがうね。はいやり直し。

271 :暇人:2005/08/05(金) 08:01:07 ID:0pUd5vaM
>>267

あはは 面白い。

って 笑っている場合ではないが。
「自性」はちと違うね。最初の電波さんへの質問時
2001/06/16(土) 12:05に
元々この語が、仏教で思想的に語られる以前は「正体」「本性」という
意味の一般語であった。(Vinaya v.1,p.87)
「求彼自性毘奈耶」は、比丘の性格を調査するという意味だから一般用法
とかと書いているからね


272 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 09:21:09 ID:n6lK9K/O
>>271
>「自性」はちと違うね

その他も違っていると分からないのなら、あんたは問題把握できていないことになる。

273 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/05(金) 12:39:54 ID:xSkmmAzG
>>260
> >「もろもろの法は因によって生ずる。」
> はOKだと思います。
> でもこれはブッダが「神秘主義的形而上学的問題に対して沈黙を守る」
> 合理的な真理を説いたらから懐疑論者グループの舎利弗は、釈尊門下
> になったわけで とても論理的だと思います。

暇人さん、レスありがとうございます。
どうも、私のメタという言葉の使い方に問題があったようですね。
たとえば、
3辺の長さの比が3:4:5の三角形は直角三角形である
という真理Aに対して、
直角三角形の長辺Cの2乗は、他の短辺A,Bの2乗の和に等しい
という真理Bを持って、
真理Aに対して、真理Bはメタな真理だという使い方をしていました。

だから、そういう意味で、
× 老死という苦が無明に因を求めることができるという、縁起、縁滅を知ってさとりを得たのではなく、
○ 有因の法、諸縁の滅という一般的な法則を知ってさとりを得た
のではないでしょうか?

と、いいたかったわけです。


274 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/05(金) 12:42:46 ID:xSkmmAzG
>>270 :名無しさん@3周年:2005/08/05(金) 07:51:41 ID:n6lK9K/O
> >>267
> ちがうね。はいやり直し。

ずいぶんと、偉そうに感じます。
そういうのは、あなたが、あなたの生徒さんを相手にやるのならかまいませんが、
掲示板では、あまりやってほしくありませんね。


275 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/05(金) 17:53:21 ID:xSkmmAzG
>>263 :暇人:2005/08/05(金) 07:39:05 ID:0pUd5vaM
> 「正覚体験」とか「最高證悟」という意味での悟りには経証がない。

もしも、以下の「さとりを得る」の部分がabhisamayaであるならば、
これがその経証と言えるのではないでしょうか?

--------
(省略)
これが、すべての苦しい人間存在の縁ってなるところである。比丘たちよ、これが、縁ってなるところである、と未だ聞いたこともない真理において、わたしは、眼生じ、さとりを得ることができた。
(省略)
これが、すべての苦しい人間存在の滅するゆえんである。比丘たちよ、これが、滅することを得る、と未だ聞いたこともない真理において、わたしは、眼生じ、さとりを得ることができた。

(サンユッタ・ニカーヤ 12:10 増谷文雄訳)


276 :暇人:2005/08/06(土) 01:47:03 ID:hB+5zFKD
>これがその経証と言えるのではないでしょうか?

たぶん、議論の分かれる部分が
「眼生じ」部分ですね。これをどう評価するかですね。
一般的にこれは初果に結びついていきます。
他に無間等は端的に初果に結合している経もあります(十巻259経など※)

※ttp://www.cbeta.org/result/normal/T02/0099_010.htm
「若し比丘、未だ法を無間等するを得ずして、法を無間等するを求めんと欲せば、
精勤して「五受陰は病いなり、できものなり、とげなり.殺しやなり、
無常.苦.空.非我なり」と思惟すべし。ゆえはいかん。是れ應ずる所の処なるが故に。
若し比丘、此の五受陰に於いて精勤に思惟せば、須陀洹果の証を得ん。」

259経では、無間等は、須陀洹果=初果=預流果ですね。

<眼生じ。>はこの経ではまだ初果に結びついてないという立場に立てば
これは「正覚体験」の一つと見なすことは可能でしょう。
「最高證悟」には弱いと思いますが、最初期は、悟りに段階をつけてないので
これが最高だと強引に解釈する立場もありうるかもです。


277 :暇人:2005/08/06(土) 05:25:42 ID:hB+5zFKD
>>227>abhi-sam-√i とは「近くに - 完全に - 行く(来る)」というのが原意

だから何?と言いたいのだが(笑)まあよい。
abhi- (水野) 対して 向かって 勝れて 過ぎて
saM-(水野) 共に 正しく 集まる 同じ
sama(水野) 寂 静 平静 /疲労/ 同じ 同一の 平等の 正しい まさしく
samaya(水野)< saM-I 会 集会/時 時期 適時/宗 宗義/ <Sam-aya 断滅
abhisamaya(水野) @{ abhi-samaya} 現観 領解 理論的理解A{ abhi-Sam} 止滅 止息
abhisameta(水野){ abhi-sam-√i} 現観する 領解する

abhi-(中村 サンスクリット) 対して
√Sam-(中村 パーリ サンスクリット 静まるという動詞に由来する語)
√sam(中村 サンスクリット しずめるという語根に由来する語)
sam-(中村 サンスクリット まとめて)
samaya(中村 パ 梵) 漠然とした時(ある時)/宗 宗旨とするところ 根本の教え/集会/
現象の差別のなくなった境地/元の誓い
√i (中村 サンスクリット) 行くこと

abhi-(長崎) 隔たりなく 直接にという意味から「無間」と訳
samaya(長崎) 機械的に「等」と置き換える


278 :暇人:2005/08/06(土) 05:29:16 ID:hB+5zFKD
さて以下、早島鏡正著作集Tp149 (なつかしい(笑))、
「比丘ウダーインが表明した「法を現観し、道を獲得した」という言葉のうち、
五蘊の生滅観から進んで四諦に関する「諦現観」(saccAbhisamaya)をなした点を
指して「法現観」(dhammAbhisamaya)と解しており、最初に法現観を修めて得た
段階が、聖者の四道果の第一、預流道果だと言うのである。ちみに「現観」とは、
理論的に完全に理解する意で、その原語abhisamayaは、abhi-sam-√iよりなる。
他方、この語をabhi-√samより成ると解せば、苦などの止滅の意となる。「現観」が
苦滅の大利を得るものと説かれているのは、後者の語源を考慮したためであろうか。」

sacca(水野) 真実 諦 真理
saccAbhisamaya(水野) 諦現観 真実の証得

早島さんに拠ればabhi-sam-√iだったら「理論的に完全に理解する」を意味するから
「わかる」で問題ない。

ちなみにabhi-√samの苦の止滅は、
雑阿含23経「正しく無間等して、苦辺を究竟す」
雑阿含71経「無間等を修せば、苦辺を究竟す」
雑阿含105経「無間等し観ぜば、衆苦 生ぜず」
雑阿含123経「無間等して、苦辺を究竟す」


279 :暇人:2005/08/06(土) 05:34:46 ID:hB+5zFKD
偉そうに原意を云々するならば、せめて

元々のabhi-sam-√i系のほか
雑阿含にも特徴的に見られるabhi-√sam系の
二系統あることぐらい 情報収集して欲しいものだ

280 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 07:17:14 ID:um2DViui
>>277
おはようございます。
ちょっとお聞きしたいのですが、

>√Sam-(中村 パーリ サンスクリット 静まるという動詞に由来する語)
>√sam(中村 サンスクリット しずめるという語根に由来する語)

語根Samについて、
@パーリに"S"(’s)の形があるのをはじめて知りました。どこにその記述があるのでしょうか?
A語根が語幹へ変わり活用、あるいは形容詞化あるいは名詞化するとき、
  いかなる規則で"S"が"s"に変化するのでしょうか?私の持つ辞書、文法書ではその根拠を見出せません。
Bプラークリットだと仮定して、Aの変化などはエジャートンでは見出せません。いかなる音韻変化があるのでしょうか?

語根samについて
@私の所有する辞書にはプラークリット、パーリも含め、この形を見出せません。どんな辞書をお使いですか?
Aまさか中村元の仏教語大辞典に依拠しているとは知的良識から思いたくありませんが、もしそれを根拠とするのなら
  出典や用例、mAvyU、パーニニ、他の辞書などの根拠を一つでも尋ねられて居ると思うのですがいかなる手段を選んだのでしょうか?

>早島鏡正著作集Tp149 他方、この語をabhi-√samより成ると解せば、苦などの止滅の意となる。「現観」が
>苦滅の大利を得るものと説かれているのは、後者の語源を考慮したためであろうか。」

この記述だけでは”abhi-√sam”に関して上記疑問がclearされておらず、確定・断定判断に至っていないと
理解します。暇人さんが主張根拠としてお使いになるということは、早島先生のその注記部分やその他の
論文に私の上記疑問が解決されているものと信じます。よろしければその箇所をご紹介くださいませんでしょうか?


281 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 07:19:39 ID:4rnp6A+p
>abhi-sam-√i系のほか

一見、あたまの良さそうな振り。しかし、現実はこのような事を
する人ほど学力コンプレックス。

282 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 07:25:02 ID:ZapKxb97
>>281
折角>>280がねちねちと追い込もうとしているのに水をさすな。(w

283 :暇人:2005/08/06(土) 08:32:12 ID:65rUl9O1
>>280
中村は佛教語大辞典ですね。p617「寂志」の項に
「P」samaNaという語を「P」√Sam(しずまる)という語源に由来すると解した
通俗語源解釈である とありますね。
水野「パーリ語辞典」p41のabhisamayaの項のA{ abhi-Sam} も{'s}ですね

中村は、p872 「想」の項 「S」sam-(まとめて)という接頭語
水野「パーリ語辞典」には、p312に saM- これもpref前置詞ですね。

同p41のabhisametaには{ abhi-sam-√i} とありますね。

abhi-√sam系が「止滅」なのは水野p41で裏づけがありますね。
私の引用した早島さんの著作では「現観」が 苦滅の大利を得るものと
説かれている経証を揚げていないので、私が雑阿含を4つ 挙げております。

まあ( ^-^)_旦~~でも お飲みくだされ。

>>282
私はパーリもサンスクリットもまったく知らんから
なんか教えてくれたら 嬉しいので いくらでも追い込んで貰いたいものだ
わくわくですねぇ 彼に期待しましょう

284 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/06(土) 09:17:57 ID:yDWD/8Uu
>>276
暇人さん、レスありがとうございます。

> たぶん、議論の分かれる部分が
> 「眼生じ」部分ですね。これをどう評価するかですね。
> 一般的にこれは初果に結びついていきます。
なるほど。

> <眼生じ。>はこの経ではまだ初果に結びついてないという立場に立てば
> これは「正覚体験」の一つと見なすことは可能でしょう。
そうですね。私の日本語センスwでは、
<--
比丘たちよ、わたしはまだ正覚を成じなかった時、かように考えた。
(省略)
比丘たちよ、これが、縁ってなるところである、と未だ聞いたこともない真理において、わたしは、眼生じ、さとりを得ることができた。
比丘たちよ、その時、わたしは、またかように考えた。
(省略)
比丘たちよ、これが、滅することを得る、と未だ聞いたこともない真理において、わたしは、眼生じ、さとりを得ることができた。

(サンユッタ・ニカーヤ 12:10 増谷文雄訳)
-->
この経典は、「わたしはまだ正覚を成じなかった時、かように考え、さとりを得た。すなわち、正覚を成じた」と述べているように感じます。

-----------
1096 ジャトゥカンニンさんがたずねた、
「わたくしは、勇士であって、欲望をもとめない人がいると聞いて、激流を乗り越えた人(ブッダ)に<欲のないこと>をおたずねしようとして、ここに来ました。
安らぎの境地を説いてください。生まれつき眼のある方よ。先生! それを、あるがままに、わたくしに説いてしださい。
1116 モーガラージャさんがたずねた、
「わたくしはかってシャカ族の方に二度おたずねしましたが、眼ある方(釈尊)はわたくしに説明してくださいませんでした。
しかし『神仙(釈尊)は第三回目には説明してくださる』と、わたくしは聞いております。
(スッタニパータ より)


285 :暇人:2005/08/06(土) 10:19:23 ID:65rUl9O1
>眼ある方(釈尊)

うん雑阿含でも36経他多数の定型句として、比丘が釈尊に
「諸比丘白佛。世尊法根.法眼.法依」
(諸比丘 佛にもうさく「世尊は法の根、法の眼、法の依にまします」
あります。
「法眼」=預流だけではなく、釈尊への尊称として使われていますね。

「わたしはまだ正覚を成じなかった時、かように考え、さとりを得た」
これは「すなわち、正覚を成じた」と述べている」でもいいのでは
ないでしょうか。
この時に傍証として、雑阿含287経を使うといいでょうね
「謂八聖道。正見.正志.正語.正業.正命.正方便.正念.正定。
我從彼道見老病死.老病死集.老病死滅.老病死滅道跡。
見生.有.取.愛.受.觸.六入處.名色.識.行。
行集.行滅.行滅道跡。
我於此法自知自覺。成等正覺。」
八正道によって、縁起をまのあたりに見た。
釈尊はこの真理を独力できづき、自ら悟った。すなわち、正覚を成じた。

縁起で正覚を成じたと明瞭に書いている経典があるので、
ここの悟りも その意味だと。


286 :暇人:2005/08/06(土) 11:00:28 ID:65rUl9O1
私は素人だから、パーリ・梵語・白文を出されてもわからん。
だがわからんなりに、出されたものの裏を手元にある資料で確認する。
専門家を自認される方からすると「知的良識」を疑ってしまうそうだが、
夏休みなので専門家の豊富な情報で素人の痴を糾して頂くとありがたい。

ところで
「abhi-sam-√i とは「近くに - 完全に - 行く(来る)」というのが原意」の
「√i 行く」が水野パーリ語辞典では確認できなかったので、
中村元「佛教語大辞典」を確認し、サンスリットの 「√i 行く」を発見でき、
そういうものかと思ってたのだが、

「abhi」を「近く」。sam-を「完全に」。「√i 」を行くと訳している
パーリ語辞典とそのページ数を示してください。



287 :暇人:2005/08/06(土) 11:05:01 ID:65rUl9O1
それと 2ちゃんに愛好者が多いパーニニ。コンテキストより、
語義分析を示して 自分の知見の深さの自慢したがりを見かけるが
こういうのを貼って置く。ご参考に。

「パーニニ文法でさえ,現実の不安定な言葉から成る讃歌を,音素という永遠不滅の要素に還元して,
讃歌の正確な伝承を保証するために制作されたものである。
科学的真理の解明を目的とする近代文献学との違いがそこにあり,
たまたま文法の場合には両者の目標はほぼ重なったのであるが,近隣領域の語源論においては,
すでに記述は神学的思弁と渾然として,科学的記述とは乖離するところが多い。」
(中谷英明神戸学院大教授「古代インドにおける哲学と文献学」より)


288 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 11:12:38 ID:um2DViui
>>283
即レスに感謝いたします。

>私の引用した早島さんの著作では「現観」が 苦滅の大利を得るものと
>説かれている経証を揚げていないので、私が雑阿含を4つ 挙げております。
教証の提示ご苦労様です。私の疑問はある必要条件を満たす段階で教証提示以前の問題な
のです。

>中村は、p872 「想」の項 「S」sam-(まとめて)という接頭語
>水野「パーリ語辞典」には、p312に saM- これもpref前置詞ですね。
>>同p41のabhisametaには{ abhi-sam-√i} とありますね。
abhiも含めて問題はありません。いま問題視しているのはそれ以外の点です。

>中村は佛教語大辞典ですね。p617「寂志」の項に
これは今回の「静まる」関係だけの説明ですね。abhisamayaに直結するものではないと認
識しています。

>「P」samaNaという語を「P」√Sam(しずまる)という語源に由来すると解した
>通俗語源解釈である とありますね。
>水野「パーリ語辞典」p41のabhisamayaの項のA{ abhi-Sam} も{'s}ですね
>abhi-√sam系が「止滅」なのは水野p41で裏づけがありますね。

289 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 11:13:45 ID:um2DViui
abhisamayaは基本的にサンスクリットとパーリとで同じです。ここで問題の発端を整理す
るために簡単に箇条書きしますと、
     梵       パーリ
@abhisamaya  →  abhisamaya  (○)
A√Sam     →  √sam     (○)
B√Sam     ←  √sam     (×)


@とAとは何の問題も無いことが確認されますね。今回Bを考えたいのですが、もし語幹
が√Samであるのなら、サンスクリットは”abhiSamya”あるいは”abhiSmAya”あるいは
他の形でS('s)の形が残ります。残らずに”abhisamaya”になるというのなら、この語
はパーリ起源ということになり不都合が生じます。パーリはプラークリット(中期インド
アリアン語の総称水野『パーリ語文法』(以後水文)P.2)の一つです。パーリには”S”
('s)の音は存在しません。水野辞書での表記はサンスクリットに対応する形を示してい
るのです。凡例をご確認下さい。

290 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 11:18:09 ID:um2DViui
ここまで書いて、水野辞書を私は使っていないのでまだ探し出せていません。
初学のときには有益だったのですが、今は違う辞書を使っています。

続きは辞書を探し出してからにしますね。また、私自身あまり時間が割けないのと、
有益な議論を住人の皆さんにゆっくり読んで頂く為じっくりと勧めまたいものです。
でも、>>287をお出しになったのは私との会話拒否の印なのでしょうか?

291 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 11:20:05 ID:um2DViui
>>290
即レスだったので誤字がありました。

>じっくりと勧めまたいものです。
>じっくりと進めたいものです。

292 :暇人:2005/08/06(土) 12:55:45 ID:65rUl9O1
>>288

お尋ねに関して、私の側の典拠は書籍のページまで明らかにしました。
まずはそちらをご確認いただきご思索されてください。
何をどう問題に感じられているのか具体的ではありませんので察しかねます。
対話を所望されているならば、せめて
自分は「Aどの辞典何頁」の、「Bこの記述}により、「Cかく考える」と
具体化されてください。レスのしようがございません。

>>289
おっしゃられている意味が読み取れません。
梵語とパーリがイコールならば@ABともOKでしょう。
さてBは不都合ということですから梵語とパーリはイコールではないのでしょう。
梵例を確認せよとのこと ありがとうございます。
確認しましたところ[]内は、その語の@分解A由来B梵語系の三パターンが
あるらしいですね。Bの場合はSkという略号がつくそうですのが、
A{ abhi-Sam}には、Skが吐いていませんので、@分解かA由来ですね。


293 :暇人:2005/08/06(土) 12:56:16 ID:65rUl9O1
>>290
住人の皆様が、カキコされた内容を自分で再確認でき有益な者とする為、
ぜひどの辞書を使われているかは明示ください。
ページ数も示していただくと更に利便性は向上します。
お手数ですが よろしくです。

>>287を対話拒否と感じられるのは、パーニニのみからのご意見からでしょう
か?

もしかしてA√Sam →√sam(○) は、
パーリ解釈にするにあたり、パーリ辞典を使わずパーニニだけでいくことの
正当化ですか?
ど素人の感覚からしますと、どうかなと思いますが、もしそうであれば
そのへんの詳しい説明を願います。

お忙しい中の早速の書き込みありがとうございました。
当方 素人につき お相手するには役不足ではないかと危惧しておりますが
有意義な情報提示を期待しております。
くれぐれも忙しい中 無理されず マイペースでカキコされてください。

294 :暇人:2005/08/06(土) 12:58:54 ID:65rUl9O1
それと是非にお願いしたいのは、

「abhi」を「近く」。sam-を「完全に」。「√i 」を行くと訳している
パーリ語辞典とそのページ数です。

288さま 併せて よろしくお願いいたします。



295 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 15:16:22 ID:um2DViui
>>292
水野辞書は見当たらりません。他の辞書を提示してもよろしいでしょうか?
図書館では閲覧できると思いますが、その労力は燃費が悪いので水野辞書
をぼつぼつ探しているのです。(汗   見つかるまでは当該箇所に言及でき
ません。必要な場合はお尋ねする形でよろしいでしょうか?
web辞書なら使い勝手がいいです。どうしましょう?

>梵語とパーリがイコールならば@ABともOKでしょう。
いいえ、イコールになる場合もありますが、音韻変化を伴う場合、一方通行の
場合もあります。

>あるらしいですね。Bの場合はSkという略号がつくそうですのが、
>A{ abhi-Sam}には、Skが吐いていませんので、@分解かA由来ですね。
やはり、水野辞書がないと意思伝達できないようですね。√Samなる語根は
パーリには存在せず、S→sへの音韻変化であるなら、サンスクリットでは
abhisamayaにはならないと申し上げました。

296 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 15:16:57 ID:um2DViui
>もしかしてA√Sam →√sam(○) は、
>>287を対話拒否と感じられるのは、パーニニのみからのご意見からでしょうか?
違いますよ。あなたの紹介された内容はパーニニが絶対だと考える流れから
傍系にあるハイブリッドサンスクリットが必要である仏教学から見ると正論です。
しかし、部派中期以降、残念ながらカチコチのパーニニかぶれの傾向になります。
けれど、パーニニとパーリは実は縁が深く、ヴェーダ語との親近も指摘されています。
これは前掲書の水野文法の冒頭に非常に詳しく解説されており、是非根性入れて
熟読してください。このあたりの話や、マガダ語などのプラークリットについて概観
しています。また、根拠を提示してサンスクリットからパーリを推定する読み方を水野
先生は推奨されており、そのテクニックを示されています。だからといってAについて
パーニニを持ち出すわけではありません。

>「abhi」を「近く」。sam-を「完全に」。「√i 」を行くと訳している
>パーリ語辞典とそのページ数です。
水野辞書が見つかるまでお待ち下さい。ここも問題なのですが、まずパーリがあって、その次に
サンスクリットがあるわけではないのです。だからabhisamayaをパーリだけで考えるのには無理
があります。音韻的にサンスクリットに近いマガダ語方言やガンダリーも考慮する必要があります。
また、サンスクリット仏典において、わざわざパーリを取り入れたりする事例を私はしりません。
それ以上に、パーリ辞書の吟味が必要なのは水野先生がその文法書の冒頭で述べています。

297 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/06(土) 15:36:02 ID:yDWD/8Uu
http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/buuta.htm#5-15
<--
◆<15、学生ポーサーラの質問>◆
1112 ポーサーラさんがたずねた、
「過去のことがらを説示し、悩み動揺することなく、疑惑を断ち、一切の事物を究めつくした(師)におたずねするために、ここに来ました。
1113 「物質的なかたちの想いを離れ、身体をすっかり捨て去り、
内にも外にも『なにものにも存在しない』と観ずる人の智を、わたしはおたずねするのです。
シャカ族の方よ。そのような人はさらにどのように導かれねばなりませんか?」
1114 師(ブッダ)は答えた、
「ポーサーラよ。すべての<識別作用の住するありさま>を知りつくした全き人(如来)は、かれの存在するありさまを知っている。
すなわち、かれは解脱していて、そこをよりどころとしていると知る。
1115 無所有の成立するもとを知って、すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って、それをこのとうりであると知って、それから(出て)それについてしずかに観ずる。
安立したそのバラモンは、この<ありさまに知る智>が存する。」
-->
(スッタニパータ)

釈尊の歴史的実像  磯部隆(1997年 大学教育出版) pp156-157に次の記述がありました。

<--
「如来」(tathagato)という語を辞書で引くと、
「派生ははっきりしない。ブッダゴーサは、その点に関してしっかりとした伝承がないことを示しつつ、
八とおりの説明を与えているが、彼自身それに疑いをもっている。
文脈からすると、この言葉(如来)は、覚者の尊称であり、仏教徒以外の者もその意味を知っていたように思われる。
したがって、仏教聖典の編集者たちは、この表現を仏教以前からのものに違いないと考えた。
ところが、仏教以前の著作のいかなるものにも、今のところなおその表現は見い出されてはこなかった(3)」
と指摘されている。

注(3)The Pali Text Society's Pali-English Dictionary,1995,p.296.

(つづく)


298 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/06(土) 15:36:49 ID:yDWD/8Uu
(続き)

如来の原語は、tatha(thus)と、gata(gone)ないし、agata(come)とのいずれかとの合成語であるが、
漢訳は後者をとり、「かくのごとく来し者」という意味で如来と訳したのである。
可能性としては、「かくのごとく行きし者」と訳すこともできる。
しかし、いずれに訳そうとも、その具体的な含意は明確ではない。

如来という尊称が、仏教以前においては使われておらず、「ポーサーラ経」を作成した教団が始めてこれを
釈尊の呼称として用いたとすれば、その呼称の由来は、他の古文献や経典ではなく、
「ポーサーラ経」の内部に求めねばならぬであろう。
-->

との記述がありましたが、

(1)仏教以前の著作のいかなるものにも、今のところなお如来の表現は見い出されてはこなかった
(2)仏教経典の中で如来という尊称は、「ポーサーラ経」ではじめて使用された。

の2点は信用していいのでしょうか?


299 :暇人:2005/08/06(土) 16:15:34 ID:1rMTuAE1
>>295

労を厭わず水野辞書は直接確認されて下さい。話が面倒です。
この際 直接買われては如何でしょうか。
A{ abhi-Sam}には、Skがついてないのが事実です。
凡例からは梵語形ではなく@分解かA由来と想像できます。
あなたの理屈はどうあれ、パーリ辞書の記述を書いてあるとおり 
ご紹介しております。
あなたの理屈が正しく水野さんも正しいとすると@分解A由来は、
梵語に遡る分解や由来を記しておられるのかもですね。
その辺を私は存じません。水野先生に直接お確かめください。


300 :暇人:2005/08/06(土) 16:16:50 ID:1rMTuAE1
>>296
パーニニだけではないのですから、ネット辞書などではなく 現在あなたのお手許にある
水野さん以外のパーリ語辞典の名前を明示してください。
「出典や用例、mAvyU、パーニニ、他の辞書などの根拠を一つでも尋ねられて居ると
思うのですがいかなる手段を選んだのでしょうか?」と言われておられたほどです。
さぞかしご立派なパーリ語大辞典をお持ちのことと わくわくしております。
あなたのお使いのパーリ語辞典は何かと何度もお願いしています。
残念なことにご返事ございません。出し惜しみなされず宜しくご紹介下さい。
部派中期以後は当テーマには無関係ですね。パーリ辞典をよろしくです。

「水野文法」ですか。ど素人に薦められても そこまで必要かどうか疑問ですが、
100歳超える水野さんの文法より新しくてわかりやすく良いのはないのですか?
「根拠を提示してサンスクリットからパーリを推定する読み方」という
従来の方法論に疑問を持っています。


301 :暇人:2005/08/06(土) 16:18:22 ID:1rMTuAE1
>水野辞書が見つかるまでお待ち下さい
え?まさか水野パーリ辞典以外のパーリ辞典をお持ちでないのですか?
<「abhi」を「近く」。sam-を「完全に」。「√i 」を行く>は、水野パーリ語辞典からは
直接には確認できません。他のパーリ語辞典か もしかするとサンスクリット根拠かも
ですね。お手持ちの水野さん以外のいくつかのパーリ語辞典から、
<「abhi」を「A」。sam-を「B」。「√i 」は「C」>とお示しください。


>abhisamayaをパーリだけで考えるのには無理があります
梵語語源を参照にする程度ならよいのですが、
2ちゃんの梵語語源探求派さんの多くは、語源より確定した意味を
「正」としたがるパーニニ臭が立ち過ぎている様に感じます。
本来は経のコンテキストから意味を推定すべきです。
推定をより確かにするに当たってパーリ語の分解・由来を探り、
二次的作業として梵語の同型の語源の参照でいいのではと思います。
専門知識の詳細に入りすぎ、木を見て森を見ぬ本末転倒の愚は避けたいものです。
目的は、語学的正しさではなく、テキストが何を語っているかを読み解くところに
あります。


302 :暇人:2005/08/06(土) 16:33:32 ID:1rMTuAE1
>(2)仏教経典の中で如来という尊称は、「ポーサーラ経」ではじめて使用された。

『スッタニパータ』は5章から成る現存最古の仏典であるが,そのなかでも後半2章は,
言語,韻律,語形,語彙,内容などについて,前半3章と截然と区別され,格段に古い。
例えば「仏陀」,「比丘」という語は,後半では複数形で出ることがない。また韻律形式に
おいても,後半部は最新層ブラーフマナと前半部の中間に位置する。おそらくこの部分は,
仏教教団が大規模に組織化されるるアショーカ王治下(紀元前3世紀中葉)以前の伝承で
あると考えられる。(中谷英明神戸学院大教授「古代インドにおける哲学と文献学」より)

だそうです。ポーサーラ経はスッタニパータでも古いという学説のある五章彼岸道品に
ありますので、そこに「如来」の語があるならば、古層なのかもですね。

>(1)仏教以前の著作のいかなるものにも、今のところなお如来の表現は見い出されては
こなかった

中村元「佛教語大辞典」p1063「如来」の項には、
    当時のインドの一般諸宗教であまねく使われていた呼称である。
    ジャイナ教ではアルダマーガティー語で、修行完成者のことをtathAgayaという
とありますね。どうなんでしょうね。。。


303 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 17:27:02 ID:um2DViui
>>299
もう少し正確に私の発言を読んで欲しいのですが、あるいは私の言い方が間違っていたの
でしょうか?

>水野辞書は見当たりません。他の辞書を提示してもよろしいでしょうか?
>図書館では閲覧できると思いますが、その労力は燃費が悪いので水野辞書
>をぼつぼつ探しているのです。
わたしは労を惜しみませんが、水野辞書以外の辞書を提示した場合、あなたに図書館にい
くなりの燃費の悪い労力を強いることになるので言ったのです。現在、水野辞書を購入す
るなど無駄なことはしたくありません。使わなくなっただけで、どこかにあるのですから。

>パーニニだけではないのですから、ネット辞書などではなく、現在あなたのお手許にある
>水野さん以外のパーリ語辞典の名前を明示してください。
”PALI READER” by ANDERSEN(略称アンダーソン) の辞書部分と "DICTIONARY OF TH PALI LANGUAGE” by ROBERT CAESAR CHILDERS(略称チルダース) と"THE PALI TEXT SOCI
ETY'S PALI-ENGLISH DICTIONARY"です。
パーリ専門やパーリ言語学者から見るとお笑いだとは思いますが、これ以上のものになると、直接聞きます。

>「水野文法」ですか。ど素人に薦められても そこまで必要かどうか疑問ですが、
水野文法は第4版の時には1500円でした。決して高価ではありません。

>「根拠を提示してサンスクリットからパーリを推定する読み方」という従来の方法論に
疑問を持っています。
基本的には水野、Geigerの文法から外れたものは無いと認識しています。もし疑問をお持
ちなら、その根拠をお教え願いませんか?自称素人さんのほうがご存知の場合も往々にし
てあるのですから。

304 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 17:28:09 ID:um2DViui
><「abhi」を「近く」。sam-を「完全に」。「√i 」を行く>は、水野パーリ語辞典からは
>直接には確認できません。他のパーリ語辞典か もしかするとサンスクリット根拠かも
>ですね。お手持ちの水野さん以外のいくつかのパーリ語辞典から、
><「abhi」を「A」。sam-を「B」。「√i 」は「C」>とお示しください。

その必要性が理解できません。私は水野・Geigerの推定派ですからパーリ語辞典に最大の
根拠を見出せません。(「近く・完全」については関知しておりません)ただ、PTSの辞書に

P.71
Abhisamaya [abhi + samaya, from sam + i, cp. abhisameti & sameti; BSk.
abhisamaya, e. g. Divy 200, 654] "coming by completely", insight into,
comprehension, realization, clear understanding, grasp, penetration.(以下略)
という説明があります。

>2ちゃんの梵語語源探求派さんの多くは、語源より確定した意味を
>「正」としたがるパーニニ臭が立ち過ぎている様に感じます。
>本来は経のコンテキストから意味を推定すべきです。
>推定をより確かにするに当たってパーリ語の分解・由来を探り、
>二次的作業として梵語の同型の語源の参照でいいのではと思います。

これについてはもう少し後でお話しませんか?これで何か残してしまった説明回答がござ
いますでしょうか?(水野辞書を除く)今日はこれで失礼致します。

305 :暇人:2005/08/06(土) 18:56:54 ID:w67Wem9+
>>303
まずは、ご使用のパーリ語辞典の列挙有難うございます。

「もう少し正確に私の発言を読んで欲しいのですが」とのことですが、今回の行き違いの
原因は貴方様にあるのではないかと 失礼乍申し上げねばなりません。
「労を厭わず水野辞書は直接確認されて下さい」と私は申し上げております。
水野パーリ辞典を私は所持しています。貴方が「労を惜しまない」のであれば、
図書館に確認行かれるのは貴方様だと思われます。
現在、英語辞書だけをお使いとのことですが、仏教用語には定訳の漢訳語があり、
これは英語辞典ではわかりませんので、日本語辞書は必須だと言われている方もおられる
ようです
それと水野辞書以外の辞書を提示されても図書館に行くか行かないかはケースバイケース
ですね。ただ頁数を明示していただくとスレ住人の利便性は向上しますし、何かの折に
私も確認できますのでよろしくです。


306 :暇人:2005/08/06(土) 18:59:29 ID:w67Wem9+
”PALI READER” by ANDERSEN(略称アンダーソン)
アンダーソン???? これは、通称はアンデルセンと聞きますね。
デンマーク人だから実はアナセンとも聞きますね。
これの語彙集だけですと橋本哲夫さんのサイトからコンビニに落せますね。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~pali-bud/setumei.htm

"DICTIONARY OF TH PALI LANGUAGE” by ROBERT CAESAR CHILDERS
まじですか? 洒落でなく? これは世界初の巴英辞典と聞きますね。
お持ちなんですか。ぜひこれのabhisamaya関係の項の説明を聞きたいですね。
まあ古く役に立つかどうかは疑問とはいえ 歴史的な辞典ですからね。

"THE PALI TEXT SOCIETY'S  PALI-ENGLISH DICTIONARY"
PTS巴英辞典ですね これもネットのサイトにありますね。
ttp://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/
ここで検索できますね。

スタンダードな「T. W. Rhys Davids and William Stede, The Pali-English Dictionary」か
最新の「Margaret Cone, A Dictinary of Pali, part I」を期待しておりました。
少し残念ですね。


307 :暇人:2005/08/06(土) 19:00:59 ID:w67Wem9+
>>304
この頁をコンビニにコピペされて、お茶を濁されただけですね。
せめて日本語訳されてください。
専門なのでしょうから、初心の者への、その程度の労を厭わないで下さい。
よろしくお願いいたします。
ttp://dsal.uchicago.edu/cgi-bin/ddsa/getobject_?HTML.a.0:1914./projects/artfl0/databases/dicos/philologic/pali/IMAGE/


308 :ネットサーファー@神の国:2005/08/06(土) 19:02:10 ID:nr7tt6K7
日本語でさえ使いこなせない中で
マイナーで、多くの人にはわけわかめちゃんの外国語を無理して使い、
仏の意思に近づこうなどというのは
馬にナイフで鉛筆を削らせようとするようなものだ。


309 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 19:56:09 ID:um2DViui
>>305
>これは英語辞典ではわかりませんので、日本語辞書は必須だと言われている方もおられるようです
これは漢訳と校合しながら読む作業を進めると必要ないものになり、グロッサリーも出来上がってしまいます。
ま、今月中に水野事典は探しておきます。アンダーソンは略称ではなく通称でした。申し訳ありません。
通称といったのは、狭い世界での方言ほどのものです。(アンデルセン物語と分けるためにふざけてそうなったらしい)

アンデルセンが落とせるとは知りませんでした。入門以前の時期を過ぎた初級ではアンデルセン一冊で
パーリを叩き込んだので愛着もありました。でも電子テキストなら便利ですね。

チルダースは臨川書店から復刻版が出ています。私のは複製第2版で昭和62年、12,000円でした。
きつかったのを覚えています。
Abhisamayo,
Penetration, comprehension, clear understanding [ abhi + samaya ].
Dh.134 See Dhamma-abhisamayo

(Dh はダンマパダ) ついでに

Dhanmaabhisamayo.
Comprehension of the truth [ dharma + abhi + samaya ].
This term means the attainment by sa unconverted man of one of the four paths.
"CaturAsitiyA pANasahassAssAnaM chammAbhisamayo ahosi,"
the conversion of eighty-four thousand beings took place(Dh.130) ----------あと色々典拠

説明も親切で典拠が豊富で今でも十分使えます。古いゆえの弊害は目を瞑らなければなりませんが。

PTSを見ましたが、誤植も少なそうですし、これと水野辞書の2本立てで行きましょうか?
それでは失礼します。疲れの故の誤字脱字、誤読、誤転写があればお許し下さい。

310 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 21:06:10 ID:um2DViui
>>306
あの、、あなたの発言でこれを見落としていました。

>スタンダードな「T. W. Rhys Davids and William Stede, The Pali-English Dictionary」か
なんか勘違いされているようですが、これが私が提示したPTSの辞書ですよ。チルダース
とこの辞書が二大金字塔になるのかもしれません。web辞書といったのはこのことで、校正
作業もほぼ終了しているようで使い物になります。現在、私は書物よりもwebのこの辞書を
使います。

>最新の「Margaret Cone, A Dictinary of Pali, part I」を期待しておりました。少し残念ですね。
なにが残念なのか理解に苦しみます。この書は上記辞書を全面的に再編加筆、修正、最新
の研究結果を盛り込んだものです。part.1では a - kh までしか収録していません。いまは、
どのような辞書を使ってabhisamayaを見ていくか、そしてその後の展開をみなさまと一緒にみて
いこうかということところに意味があると認識しておりました。そしてその共同作業の中で、わたしが
どんな辞書を提示すればいいかというお話をしていましたところ、暇人さんはいつの間にかどんな
最新の辞書を知っているかに興味が移って行ってしまわれています。勿論、この辞書を根拠に
言及できる特殊性が見つかれば使うかも知れません。しかしあまり拡張しすぎるのは今の
お話の流れから外れると思いました。

>この頁をコンビニにコピペされて、お茶を濁されただけですね。
>せめて日本語訳されてください。
コンビニの言葉の意図が理解できないのですが、お茶を濁したというのはどういう意味でしょうか?
あなたの要請により、"abhi-sam-√i"を指示しているパーリ辞書を示しただけですよ。
そして、英語の件ですが、私は英語の専門家ではありません。英語については各自の自助努力で
越えるべきものだと考えていますが、暇人さんはどうお考えですか?

311 :名無しさん@3周年:2005/08/06(土) 21:17:10 ID:hTqikneZ
暇人さん、どうしたんですか? 落ち着いてください。
um2DViui さんは丁寧に誠実に対応されてると思いますよ。
この件に関しては、あなたが教わるというポジションにあると思います。
もっと誠実に応対してください。

um2DViuiさん、どうかお気を悪くしないよう。


312 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 00:07:14 ID:evu/bvfh
>>292
お騒がせ致しました。水野『パーリ語辞典』、家捜ししたところ、学会誌の間に挟まれていました。
ちなみに平楽寺書店『仏教思想史−3』と手塚治『火の鳥』と宗教学会とがごっちゃになっていました。(笑

>確認しましたところ[]内は、その語の@分解A由来B梵語系の三パターンが
>あるらしいですね。Bの場合はSkという略号がつくそうですのが、
>A{ abhi-Sam}には、Skが吐いていませんので、@分解かA由来ですね。
Skが吐いていないからそれ以外というのではありません。幾度も申し上げているように、
パーリにはS('s)なる語がありません。P.36では ”abhi√Sam”というのはサンスクリット
に語根を戻して意味を示していると考えるのが適切ですし。水野文法は(も)その姿勢を
貫いています。

部派中期のことは関係ないと仰ったとき、説明するのが面倒だったのですが、水野事典
に説明がありました。まさにその凡例の箇所です。

「ーーー梵語形にはvedic、古典梵語、後世梵語等の区別があり、パーリ語の発生関係からすれば、
これらを区別して示すべきである、、、」

この後世梵語というのが部派中期と被っているのです。勿論パーリに影響を及ぼしていて、
現存の聖典のある部分を構成していることは言うまでもありません。

abhisamayaの@にabhi-samayaがあり、samayaの項を確認すると(P.296-a 下)
abhi√i が付されてあります。

今気づきましたが、版が違うようです。私のは1981年4月30日の第4版発行<二訂反>です。
項目名で合わせればいいですね。


313 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/07(日) 00:08:17 ID:2yJGvkNa
>>302
暇人さん、レスありがとうございます。

<--
>(1)仏教以前の著作のいかなるものにも、今のところなお如来の表現は見い出されては
こなかった

中村元「佛教語大辞典」p1063「如来」の項には、
    当時のインドの一般諸宗教であまねく使われていた呼称である。
    ジャイナ教ではアルダマーガティー語で、修行完成者のことをtathAgayaという
とありますね。どうなんでしょうね。。。
-->

ジャイナ教の教祖マハーヴィーラは、六師外道のひとりで、同時代とみなされ、仏教以前ではないと判断されたのかも?
しかし、逆にジャイナ教における修行完成者(tathAgaya)の由来がはっきりしているのなら、
それはそれでいいのだが、どうなんでしょうね。。。


314 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 02:30:09 ID:b6u2DEqI
古典的論説 Tathagata by Robert Chalmers 1898

ttp://ccbs.ntu.edu.tw/FULLTEXT/JR-ENG/bert.htm

315 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/07(日) 08:30:42 ID:2yJGvkNa
>>314 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 02:30:09 ID:b6u2DEqI
> 古典的論説 Tathagata by Robert Chalmers 1898
>
> ttp://ccbs.ntu.edu.tw/FULLTEXT/JR-ENG/bert.htm
情報、ありがとうございます。web翻訳結果から、適当に抜粋してみます。
日本語にはなってませんが、それでも、私のつたない訳文よりはましかもしれない(?w)

ジャイナ教のtatthagayaとの関係に関しては

<--
(iii) Rhysデービッド(1)およびOldenberg
「ジャイナ教徒のほとんどの教義上の用語がBauddhasのものに立っている、接近している関係を考えれば、
tathagataとtatthagayaがもとは非常に同様の考えを伝えるべきでないと信じるのは難しい。
私たちは、オリジナルのMagadhiからパーリ語およびサンスクリットへ行く長い途中でそれを思う、
用語tathagataかtatthagata(tatraとagata)、「そこに到着した人、つまり で解放。」
非常に容易にtathagatta(それはそれを難解にしていただろう)へ変更を経験したかもしれない、
私たちだった、ジャイナ教徒によって保存されているようなその不変の形式を比較するのには有能でない」
(私たちが不足を無視しても、それは先のものに関する明白なコメントです、
終わりから3番目、1つの、ジャイナ教の用語に、後、不変のオリジナルの保存からここまで、だろう、
それ自体パーリ語tathagataの腐敗か、再び起源において全く別個かもしれない。
上記の解釈を採用することができる前に、証拠は解放された状態を意味するとしてパーリ語で
tatthaの使用を支援するのにまもなく出るために要求するでしょう。)
-->


316 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/07(日) 08:31:20 ID:2yJGvkNa
>>297
> ブッダゴーサは、その点に関してしっかりとした伝承がないことを示しつつ、
> 八とおりの説明を与えているが、彼自身それに疑いをもっている。
に関しては、

<--
(iv) Buddhaghosaは、tathagataの長い議論を行っています
Buddhaghosaによれば、タイトルtathagataは8 interpretations:の余地があります--
1. Tatha agato、そのような流行の中に着いた人、
2. Tatha gato、そのような流行の中で歩いた人、
3. Tathaおよびagato(tatha-lakkhanam agato)、知識のパスによって事態の実際の要点で来た人。
4. Tathaおよびagato(tathadhamme yathavato abhisambuddho)、真実を勝ち取った人。
5. Tathaおよびagato(ここで言い換えはtathadassitaya tathagatoです)、真実を識別した人。
6. Tathaおよびagato(ここでagato=agadoおよび言い換えはtathavaditaya tathagatoです)、真実を宣言する人。
7. Tatha gato(tathakaritaya tathagato)、彼、誰の言葉、また行為合意(ゲート=pavatto)。
8. Tathaおよびagata[どこで、agata=agada「医薬」]、その医薬が全く有力な偉大な内科医。
-->
<--
(i) 単語tathagataの後の部分については、Buddhaghosaの空想的なgada、agadaおよびagada提案が安全に捨てられるかもしれません。
-->

ちなみに、磯部隆氏は、
<--
1112 ポーサーラさんがたずねた、
「過去のことがらを説示し、悩み動揺することなく、疑惑を断ち、一切の事物を究めつくした(師)に
-->
の、「過去のことがらを説示し(過去を告げ)」に注目し、次のように述べている。
<--
すなわち、「過去を告げ」という言葉は、悟りにいたるまでの彼自身の歩みを語ったことを指すのではなかろうか。
それゆえに彼は、教団の人々に「かくのごとく来し者」と呼ばれたのではあるまいか
-->


317 :*:2005/08/07(日) 08:37:16 ID:u7rxD4Zc
>>177 それは精神的意味ではなく、ネットで人格の統合を失い複数の人格者として書き込む者という意味です。
理由は、このミラースレッド(笑)に書きましたので、
気になったら参照してください。見る程のものではありません。

石飛先生のご本は、文献学に現代論理学を持ち込んで大成功したものだと思います。
徹底的に文章形式にこだわって分析検討した結果、あのような大発見というか、
釈尊の説法形式、つまりブッダ論理学が抽出できたのだと思います。

まず現代論理学の不備、因果関係が説けないことを明かし、
翻って有名な「諸行無常」と「これあるときかれあり...」の此縁性から因果の論理を導き出し、
P*Q と記号化する。そしてこの 此縁性・因果の論理を仏教の根本原理とする。

そして西洋論理にこの因果の論理がないのは、存在論の問題であることを明かす。
有を前提に展開する西洋哲学には、有から無へ変化する、無常・空の存在論がないから、
因果を説くことができず、P*Q を述べることができなかった。

そこで>>257 >>259 >>260
 この縁起法頌がなぜ衝撃的な思想であるかは上と繋がるのです。
 すべてを無常・空と正しく捉えるから因果関係がつかめる。
 それ以前もそれ以後も仏教以外の思想は、常に何かを実体視して、
 それを基点にして説き起こされる存在論だから、因果関係がつかめないと。
 (『中論』の空だからこそ縁起するや、色即是空空即是色も同じことを言ってる)

 釈尊の沈黙も神秘でもなんでもなく、徹底的に論理的なものであることが
 明らかにされています。
 
どうも巧くまとめることが、できませんが、とりあえずこんなとこで
ただいくつか疑問点があります、上の無常を「有から無へ変化する」というのは間違いだと思います。
時間がないので、今回はこの辺で。

318 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 09:14:22 ID:b6u2DEqI
>>315

INBUDSのtathāgata検索結果
ttp://www.inbuds.net/search/namazu.cgi?key=tath%5c%3d%7ba%7dgata&max=20&result=short

「サンジャヤ説のtathāgata考」とかがあるからジャイナ教だけじゃなかったのかもですね。

如来死後はどうなんでしょうね。仏教の経論は膨大で三伝あって、いまはまだ比較研究段階みたいでもある。
南伝やチベット伝の僧侶たちには科学的研究者がまだ少ないし。100年前の古典的論説が古くならないです。

319 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 09:24:45 ID:b6u2DEqI
あるレビュー 『ブッダ論理学 五つの難問』
ttp://hblo.bblog.jp/entry/210004/

「マニカナ」、時々みています。著者は現代論理学は知らないみたい。古典論理学の知識も疑問。

320 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 09:48:49 ID:9zFownKf
>>319
私もそのような気がします。現代論理学といいながら、語っているのは真理表などに基づく欠点とか
形式論理の記号化と命題論理の入口のような気がします。沈黙という回答も立川武氏などが無記
を結論付けておられるし、空に関して、空集合に基づく現代論理学による記号だけの論争もwebに
存在します。

石飛氏は多値論理学を知らないのでは?別にその書を酷評するわけでもなく、入門者にとっては
良書なのかも知れないが、317の評価は笑ってしまうというか、危ない信者さんを想起してしまいます。
西洋論理学(正確ではないが)に因果関係を示すものが無いというのはあまりにも無知です。
時間論にしてもおそらく現代論理学の現場を知らないのでしょう。世間の評価は
http://hblo.bblog.jp/entry/210004/
が一般的でしょうね。

321 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 10:38:18 ID:b6u2DEqI
現代思想の中で仏教の「縁起」に似ているといわれる「ブーツストラップ仮説」
ttp://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/Booth.htm

あらゆる名前が与えられる現象が縁起しているのか、それらを整理した若干の現象が縁起しているのか。
有部は100個ほどに整理した。それらが恒常不変の実体ならば、変化ということが説明できない。龍樹の
批判は当時としては正しいけれども、その結果、あらゆる名前が与えられる現象を施設とし、いかなる現象
にも自性がないと云って、現象の整理という科学的思考を阻害したに過ぎないのではなかろうか。

ブーツストラップ仮説も若干の基本現象の間には縁起が成り立っているという意味である。わたしのおもう
には龍樹的に解釈された「縁起」は、A=非A、いかなる言辞にも真偽の差がないという、論理の否定に
過ぎない。彼の白馬非馬の詭弁は、釈尊の「縁起」観の正しい解釈や発展とはいえないのはでなかろうか。

322 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 11:05:04 ID:9zFownKf
>>321
>わたしのおもう
>には龍樹的に解釈された「縁起」は、A=非A、いかなる言辞にも真偽の差がないという、論理の否定に
>過ぎない。彼の白馬非馬の詭弁は、釈尊の「縁起」観の正しい解釈や発展とはいえないのはでなかろうか。

これは誤解だと思う。この記号化自体不適切であって、もう少し読み込むべきだと思う。
鈴木大拙などの「即非の論理」などは現代仏教学では相手にされていないらしい。
普遍論争をヒントに「A=非A」の間違い指摘している。

そのスレッドを探したけど見つからない。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1114473272/l50
が中心らしいけど、板のなかで散らばっている。

原始仏教 その11
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1112182864/l50
とかあるようです。


323 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 11:09:31 ID:3podVxaa
で、ここでのよくわけのわかんない議論は仏教本来のものとなんか関係在るの?

324 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 11:12:07 ID:TtookNlw
関係ないです。我々は人間界のことなど斟酌していません。

325 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 11:14:27 ID:TtookNlw
しいていえば、自己満足の世界ですよ。でも、それでストレス解消には
なるんです。

326 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/07(日) 11:19:22 ID:2yJGvkNa
>>323 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 11:09:31 ID:3podVxaa
> で、ここでのよくわけのわかんない議論は仏教本来のものとなんか関係在るの?

「仏教本来のものと凡てが関係在る」とは、ID:3podVxaaよ、これは一つの極端である。
「仏教本来のものと凡てが関係無い」というのも、これは第二の極端である。
ID:3podVxaaよ、如来はこれらの二つの極端に近づかずして、中によりて法を説くのである。

327 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 11:22:27 ID:3podVxaa
>>325
それだけわかってりゃたいしたもんだ。

328 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 11:23:20 ID:3podVxaa
>>326
凡てがとか云ってないし。
妄想系なのか。

329 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/07(日) 11:32:16 ID:2yJGvkNa
GIGO:Garbage In, Garbage Out.

330 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 12:27:33 ID:9zFownKf
暇人さんはどうしたのでしょうか?

いつもなら怒涛の書き込みがあるのですが今回は慎重ですね。
このパーリ語のやり取りは非常に興味深いものがあります。

水野弘元『パーリ語辞典』をめぐるやり取りのあたりからぐいっと
引き込まれました。みどころ、おさえどころなど評論してしまったら
議論に影響しますし、無粋ですから申しません。議論が終了した
時に解説いたしましょう。暇人さんのお相手の寛容さが続いたらの
話ですが。私なら切れています。


331 :暇人:2005/08/07(日) 12:48:44 ID:r5/cUpSo
>>303-304
>水野、Geigerの文法
「水野・Geigerの推定派」とのことですが、水野さん自身はそれでも、「辞典」のはしがき
で、今日現存するパーリ辞書の中で最も詳細かつ研究者必須の辞書として、PTS定番の
「T. W. Rhys Davids and William Stede, The Pali-English Dictionary」を挙げられてます。
更に徹底したものとして「「Margaret Cone, A Dictinary of Pali, part I」ですね。
Aの項はTにありますから当該話題に関しては充分ですね。
「A Dictinary of Pali」が完成したら、「The Pali-English Dictionary」は過去の遺物かも
ですからね。

現代に於いては、これら二つの辞書を無視して、abhisamayaの語義を精密に探れない
でしょう。参考になるにならないにせよ チェックすべきでしょうね。
"THE PALI TEXT SOCIETY'S  PALI-ENGLISH DICTIONARY"は、
PTSの初学者用の小事典だそうです。PTS定番には「The」があり著者も違います。
あなたの>>304のPTSは、初学者用の小事典をお持ちだとのことでしたので、
てっきりウェブPTSも小事典からかと思ってしまいました。
ウッブPTSに「T. W. Rhys Davids and William Stede, The Pali-English Dictionary」をデータ化との記述を見つけられませんでした。どなたか何かご存知でしょうか。


332 :暇人:2005/08/07(日) 12:49:18 ID:r5/cUpSo
アンデルセンも小事典ですね。歴史的価値はあるがCHILDERSは古い。
(水野さんは価値あると言われるが)
やはり「A Dictinary of Pali, part I」は必須かもですね。

ちなみに水野弘元著作集Up145 「証悟について 5現観」
「現観の原語はabhisamayaといい、それはabhisam-iから成り、動詞としてはabhisameti
であり名詞としてはabhisamayaとなる。PTSの『パーリ辞書』によれば、この語の意味
は「完全に理解すること」「洞見」「了解」「実解」「明らかな理解」「徹見」等となっており、
エジャートンの『仏教梵語辞典』でも大体同じい。」と書かれてますね。
と、まずパーリ辞典を抑え、仏教梵語辞典をちらりと参照ですね。

漢訳語の語源を探る時も漢和辞典で語義を探りますが、中英辞典だけ語義はOKとならん
でしょう。パーリもパーリ語辞典を調べる。サンスクリットは参照程度に留める。
勿論、梵本経典があるなら話は別です。水野さんは、ダンマパダにパーリ本、梵本、漢訳、
プラークリットがあるのに注目して偈文の一部を比較推定されています。
そして推論可能性として三説ありうるとして
@原型はプラークリット法句経が一番近い。一方でパーリ本、他方で梵語盆になった
Aパーリ形が原型に近く、プラークリット本を経て梵本になった。
B梵語系が原初的で、プラークリット、パーリ形へと変化した。
水野さんはBはあり得ぬとされ、@Aは決定できないが、
言語的にはパーリがプラークリットより古層であるのでAの立場に立つと言われています。
(水野弘元著作選集Tp61-65参照)

仏教梵語とパーリのどちらが古いかは決定しがたく パーリから仏教梵語そして梵語にな
ったことという説もありうるぐらいです。
ですのでパーリ語辞典は重要だと私は思います。


333 :暇人:2005/08/07(日) 12:50:08 ID:r5/cUpSo
>>310
>part.1では a - kh までしか収録していません
ならば、abhisamayaはあるので 充分役立ちますね。

>どのような辞書を使ってabhisamayaを見ていくか
ですからお手持ちの辞書を確認しております。「最新の辞書」云々ではなく、
初学者用や小事典あるいは信頼度の不明確なweb辞書より、
「信頼度の高い辞書」が嬉しいです。 なにか変でしょうか。
>>280で高らかに『知的良識』を謳われておられました。
「出典や用例、他の辞書などの根拠」は一つで多いほうがよいでしょう。
その中から根拠薄いやつは参照程度に留めたらよいのですからね。

>英語の件です
専ら英語の辞書だけをご使用のご様子。そして質問に対し英語辞書の引用を提示されてい
るのですから日本語訳は当然 お示しくださるのが筋ではないかと。
当方日本語しかわかりかねますので、英語だけ示されても正確に意味は取れない上に、
無駄な時間がかかりすぎます。時間かけた上に誤読して惑う。迷惑なだけです。
日本語訳をお示し頂けますと、それを元にみんなで、思索を深め、
こういう訳がよいのではという意見が出て、更に有意義なものとなるかもです。
どうぞよろしくお願い致します。


334 :暇人:2005/08/07(日) 12:51:09 ID:sve7N9lN
以下付録
>>311 
まあまあまあ ( ^-^)_旦~~
キミがおちつけ^^
勿論教わっている部分も多いのだが、新興宗教ではあるまいし、
一方的な 「教える→教わる」関係ではなく、私が素人とはいえ相互でしょう。
その程度は読み取って下され。それと。。以下略。
>>330
はじまったね(笑) 待たせて悪かったね(笑)

>>312
>P.36では ”abhi√Sam”というのはサンスクリット に語根を戻して意味を示している

版が違うので頁数はあわないみたいですね。”abhi√Sam”って???? √+大文字???
ちなみ私の版ではp41Aabhi-Sam(Sは、sの真上に{’}です) 早島表記はabhi+√sam
これは了解しました。>>299の私の推測「@分解A由来は、梵語に遡る分解や由来を
記しておられるのかもですね」ということですね。

>samayaの項
abhi√iって????
当方の版には、@[〃 saM-i] 会 集会 C[Sam-aya]断滅 とあります。

>>277
abhisamaya(水野) @{ abhi-samaya} 現観 領解 理論的理解A{ abhi-Sam} 止滅 止息
abhisameta(水野){ abhi-sam-√i} 現観する 領解する


335 :暇人:2005/08/07(日) 12:53:43 ID:sve7N9lN
>>330
>私なら切れています

カルシウムを摂ろうね。運動しようね。

んで なんで切れるん?
私が「へへぇぇ」と相手にひれ伏さないからかね?

336 :暇人:2005/08/07(日) 12:58:01 ID:sve7N9lN
>>332
>パーリから仏教梵語そして梵語になったことという説

この説が正しいかどうか疑問。むしろ私は支持しないが こういう立場も
あり水野さんはたたれている。
なお これは語源の話ではなく、経典の使用言語の話ではあるが

337 :暇人:2005/08/07(日) 13:03:18 ID:sve7N9lN
それと申し遅れましたが、
チルダースのAbhisamayo のご紹介ありがとうございました。

Penetration, comprehension, clear understanding [ abhi + samaya ].
からしますと、
PTSは、チルダーズ踏襲の域を出てませんね。
やはりPTS チルダーズを踏まえた水野パーリ辞書を超えてませんですね。



338 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 13:34:23 ID:9zFownKf
>>331
http://www015.upp.so-net.ne.jp/sanskrit/dic2.htm を読んだんだろ?

>"THE PALI TEXT SOCIETY'S  PALI-ENGLISH DICTIONARY"は、
>PTSの初学者用の小事典だそうです。PTS定番には「The」があり著者も違います。
>あなたの>>304のPTSは、初学者用の小事典をお持ちだとのことでしたので、
>てっきりウェブPTSも小事典からかと思ってしまいました。
"THE PALI TEXT SOCIETY'S  PALI-ENGLISH DICTIONARY"が小事典?知らんぞ。まじで、俺は無知だ。
ソースを示せ。T. W. Rhys Davids と William Stedeの辞書じゃないと意味無いじゃん。
これを買わせない大学は無いと思う。本人が言ってるのだから小事典のほうじゃないんだろ。
そういう下らん突っ込みするから「切れる」という言葉を使ったんだ。

>ウッブPTSに「T. W. Rhys Davids and William Stede, The Pali-English Dictionary」をデータ化との記述を見つけられませんでした。
http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/(これあんたが貼り付けてたよ)

339 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 13:35:01 ID:9zFownKf
コンビニ翻訳:
1 Pali Text Society, London. パーリ語テキスト社会、ロンドン。
2 The Pali Text Society's Pali-English dictionary. パーリ語テキスト協会のパーリ語 - 英語の辞書。
3 Chipstead, 1921-1925. Chipstead 、1921-1925。
4 The "Additions and Corrections" included with The Pali Text Society's Pali-English dictionary have been applied to the data when this text was converted into a database.
このテキストがデータベースに変換されたとき、パーリ語テキスト協会のパーリ語 - 英語の辞書で含まれている「付加と訂正」はデータに適用されました。
5 The Pali Text Society's Pali-English dictionary has many accented characters.
パーリ語テキスト協会のパーリ語 - 英語の辞書は多くのアクセントを置かれた文字を持っています。
6 In order to display these uncommon roman characters with diacritics a Unicode font must be installed. diacritics
でこれらの一般的でない roman 文字を示すために、ユニコードフォントが設置されなくてはなりません。
7 Information and instructions are available on the Font Display page.
インフォメーションとインストラクションは Font ディスプレイページに利用可能です。
8 This dictionary is funded in part by the U. S. Department of Education.
この辞書は一部U.S.教育省によって資金を供給されます。

340 :暇人:2005/08/07(日) 13:37:30 ID:sve7N9lN
>>320
>沈黙という回答も立川武氏などが無記を結論付けておられるし

立川武氏って誰? 国立民族学博物館の立川武蔵のマチガイ?
第三文明社刊の「空の構造」か何かのことか?
ってことは、創価か 元創価系なわけかな。



341 :暇人:2005/08/07(日) 13:49:38 ID:sve7N9lN
>>338
まあまあまあ ( ^-^)_旦~~ 落ち着け

そこに「T. W. Rhys Davids and William Stede」ってないじゃん
ちなみにPTSの「The Pali-English Dictionary」は、1921-35
ウッブは1921-1925
少しづけているのだって。
それと彼の紹介のには「The」ない上に、
「パーリ専門やパーリ言語学者から見るとお笑いだとは思います」と
されている。
「T. W. Rhys Davids and William Stede」の「The Pali-English Dictionary」を
笑う奴はおらん。
落ちついて眺めてなされ。

342 :暇人:2005/08/07(日) 13:56:04 ID:sve7N9lN
>>339
翻訳ありがとうね。

ちなみに
彼のはA.P.Buddhadatta Mahathera  だとおもうよ


343 :暇人:2005/08/07(日) 16:00:07 ID:sve7N9lN
>>319
>著者は現代論理学は知らないみたい。
>古典論理学の知識も疑問。

私は大昔に某先生から論理学を習ったが 
初歩だし、ヤクザな生徒だったから、
現代論理学も古代論理学もなんのことかさっぱりだが、
(説明されても たぶん頭痛がする)

>「マニカナ」、時々みています。
ttp://homepage1.nifty.com/manikana/love!ryuju/ryu3-1.html

論理云々はともかく、マニカナの個々の文章は楽しいね
ここの「龍樹!君は悪いヤツ」なんて とてもユーモアがあり愉快だ。

このスレッドも そんなユーモア溢れる楽しいページになるといいのだが。




344 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 16:40:48 ID:9zFownKf
>>340
>立川武氏って誰? 国立民族学博物館の立川武蔵のマチガイ?
>第三文明社刊の「空の構造」か何かのことか?
>ってことは、創価か 元創価系なわけかな。

武蔵のまちがいだ。で、あんたの理屈では三枝氏、横山氏、森三木三郎氏、平川彰、菅野 博史、上田義文その他
たくさんは創価学会になるのか?あんた、ひょっとして私のこと電波と勘違いしてる?面白いね。立川武蔵氏につい
てはweb検索で確認しただけだろ?本当の関心事や専門はタントラだって知ってる?立川流を復興させる人というニックネームもある。

>ちなみにPTSの「The Pali-English Dictionary」は、1921-35
>ウッブは1921-1925
http://www015.upp.so-net.ne.jp/sanskrit/dic2.htm
>2.T. W. Rhys Davids and William Stede, The Pali-English Dictionary, London, Pali Text Society, 1921-25
> 最もスタンダードかつ手頃な(本文733ページ)辞典。梵語におけるMonierと同じく,仏教学者でこれをもって
>ない人は少ない。だが下記5の辞典が完成したあかつきにはその歴史的使命を終えるであろう。
http://userwww.sfsu.edu/~rone/Buddhism/Buddhism/BuddhistDict/BD%20Ref%20Bibliog.htm
>Rhys Davids, T.W., and Stede, W., eds. Pali Text Society's Pali-English Dictionary. London, 1921-25.
ふうーん。じゃ、これは間違いなのか?それとも25と35は同じなのか?洋書タイトルの表示に慣れてないとか?
ちなみに上のは ”Pali Text Society's Pali-English Dictionary” by Rhys Davids, T.W., and Stede, W., eds. London, 1921-25.
というのが解りやすいだろ。止めがこれ http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/pts.pdf どだ?信用の無いweb辞書だろ?(w

>彼のはA.P.Buddhadatta Mahathera  だとおもうよ
オックスフォードのコンサイスか?直接話していてそれほどの読解力か?

345 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 16:41:21 ID:9zFownKf
>>スタンダードな「T. W. Rhys Davids and William Stede, The Pali-English Dictionary」か
>なんか勘違いされているようですが、これが私が提示したPTSの辞書ですよ。
て本人が言ってる。オックスフォードがPTSか?彼が言っている「お笑い」とは謙遜のことだと
思わないのか?あんたを基準にして考えるな。素人の粋がりに対して粘り強く辛抱強く怒り
を見せずに対応しているじゃないか。お前や私とちがって。ちなみに、あんたのは素人がみても
理屈が通らない「お笑い」になっている。一つの例として、文法と辞書とを完全に勘違いしている
ところ。で、あんたの彼に対するコメントには何の誠実さも感じない。第一何も読解していない
じゃないか。かれの示したチルダースのdamma-abhisamayaの項目を見るとかなり詳細だし、
abhisamayaの項目もダンマパダの番号があるじゃないか。これでガンダリーダルマパダに戻れる。
水野辞書を買えとかあんたかなり傲慢だよ。無宗ださんは当初あまり気に食わなかったけど、
あんたよりよほど誠実で自分を解っていて努力をし吸収しようとしている。あんたはもう終わってる。

346 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 19:58:35 ID:9zFownKf
暇人さんへ。
別スレで遊ばないでもどっといで。

>彼が言っている「お笑い」とは謙遜のこと
彼はパーリの読み手ではあっても、パーリやプラークリット印欧語の言語学者ではない
から謙遜してそう言ったのだと思う。例えばよく知られているところでは東北大の後藤敏文
先生とかを想定されたのだろう。

あんたの彼に対するコメントはお笑いの穴ぼこだらけだ。性格の優しい彼がどうあんたを
導くのか見ものだな。一つだけ言っとくけど、英語の件はどう考えても失礼。あんたみたいに
偉そうに言うのなら普通は英語ぐらいは標準にしておけ。コンビニ翻訳でもいい。

347 :暇人:2005/08/07(日) 20:36:43 ID:ecqBwod8
>>344
>武蔵のまちがいだ。
いやキミのカキコの私への絡みぶりが創価か元創価ぽい。

1921-1925 が正解なんだね。私の情報が間違ってたのか
色々調べてくれてありがとう。
で、なんであそこのページにT. W. Rhys Davids and William Stedeが
ないの? 不思議だね。

>>>なんか勘違いされているようですが、これが私が提示したPTSの辞書ですよ
と言われて、最初に言ってたweb辞書って これだよと言われてるでしょ。
んで書籍は使わず、もっぱらWEB辞書使っていると
じゃあ手元の三つとは別じゃん 普通に読んだらさ。
しかも「The」がない。
んで、更にチルダーズとこれを最高の二つって 書かれているでしょう。
これは途中見つけられた水野パーリ辞典の記述ですね。

まあまあ 落ちつけ ( ^-^)_旦~~

>偉そうに言うのなら普通は英語ぐらいは標準

意味不明だ(笑)
私の認識では最初に失礼な絡み「知的誠実」云々したのは彼。
それに対して 私なりに誠実に答えているつもりだが。
キミからすると私はもう終っているのか(爆)
では、しばらくキミが彼と対話して、『見本』を見せてくれ。
最後に私が解説するから(笑)


348 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 21:02:58 ID:U+lHIVHi
渦中の人間は数人だろ?
個人的にチャットかなんかでこじんまりとやってくれ。

いいかげんウザイ。
ここはゼミなのか?いや、閉鎖的な原始仏教サークルか?

349 :暇人:2005/08/07(日) 21:03:27 ID:ecqBwod8
>ひょっとして私のこと電波と勘違いしてる?

なんで電波の名前がそこで 出てくるんだ?
彼は現在 創価なのか? 違うと思うけどねー。

350 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 21:05:14 ID:IvK8sxT+
まず、http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/index.htmlをひらいてから、
About the Dictionaryをくりっくしてみましょうね。そしたらわかるかもしれないよ。
ここはふつうにじのよめるひとのためにつくってあるとおもうけどね。

351 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 21:07:28 ID:9zFownKf
>>347
また笑わせてくれるの?
>いやキミのカキコの私への絡みぶりが創価か元創価ぽい。
その根拠を示せ。

>で、なんであそこのページにT. W. Rhys Davids and William Stedeが
>ないの? 不思議だね。
http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/pts.pdf 
だと言ってるだろ?ぼけてるのか?
http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/
上のほうの〔About the Dictionary〕をクリックしろ。世話を焼かせるな。小学生並だぞ。
>と言われて、最初に言ってたweb辞書って これだよと言われてるでしょ。
>んで書籍は使わず、もっぱらWEB辞書使っていると
>じゃあ手元の三つとは別じゃん 普通に読んだらさ。
ぜんぜん話が通っていない。
>しかも「The」がない
あははははは。webで探してみろ。書物を紹介するときは抜けてしまうのは往々としてある。
>私の認識では最初に失礼な絡み「知的誠実」云々したのは彼。
>それに対して 私なりに誠実に答えているつもりだが。
そんな了見でいたのか?おまえ、思いっきり失礼だぞ。彼が誠実に懇切丁寧に説明している
とは思わないのか?
>キミからすると私はもう終っているのか(爆)
彼とのやり取りを見ていると完全に終わってるね。かれは菩薩心があるのだろうか、あんたに慈悲を垂れている。
>では、しばらくキミが彼と対話して、『見本』を見せてくれ。
彼と対話する必要は無い。研究する上での常識の話だからその辺では共通だから。
>最後に私が解説するから(笑)
パーリを読めないあんたには無理。

352 :暇人:2005/08/07(日) 21:09:15 ID:ecqBwod8
>>348

ごめん意味が取れないのですが、
abhisamayaネタがウザイ?
私と9zFownKfさんのやりとりがウザイ?←これは自粛します 申し訳ない

中々うまくいかないものですが、誰もに開かれた場所が理想ですね。
いづれにせよ 話題があるならば 自由に書かれてください。
よろしく お願いします

353 :暇人:2005/08/07(日) 21:11:23 ID:ecqBwod8
>>350

ありがとう。了解

354 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 21:52:10 ID:b6u2DEqI
最近こういう便利なサイトも出来た。

法華經數位資料庫
ttp://sdp.chibs.edu.tw/

瑜伽師地論資料庫
ttp://ybh.chibs.edu.tw/

日本が一番なんにもないね。

355 :名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 22:07:25 ID:U+lHIVHi
だから、地味だけど
片山さんの仕事はもっと評価されていいと思うのだが・・・。
存命中に三蔵全てを訳せるかどうか判らないけど、
ビルマ第六結集版が底本ではあるけれども、
けれども、その、仕事の意味合い・重要性に思いを馳せる時・・
完遂したら、南伝大蔵経を超える偉業になるだろう・・・


おいらは学部の授業だけで逃げ出しました・・・ orz

356 :名無しさん@3周年:2005/08/08(月) 08:16:57 ID:KprgJLBb
わかったぞ。暇人は

"THE PALI TEXT SOCIETY'S  PALI-ENGLISH DICTIONARY"


PALI TEXT SOCIETY'S "THE PALI-ENGLISH DICTIONARY"
となる中学生英語も知らないんだ。暇人にとっては
"THE PALI TEXT SOCIETY'S  THE PALI-ENGLISH DICTIONARY"
となる英語はOKなんだ。abhisamayaの議論なんてもともと無理だったんだ。

菩薩様もあきれて打つ手がないのかな。絡んできたとか言われた日にゃ
菩薩様でも見捨てるのかな。

357 :名無しさん@3周年:2005/08/08(月) 09:56:54 ID:KprgJLBb
>>347
なんか菩薩様がかわいそうになってきたので。

>私の認識では最初に失礼な絡み「知的誠実」云々したのは彼。
なんのことか理解できなかったが、これのことか?

>Aまさか中村元の仏教語大辞典に依拠しているとは知的良識から思いたくありませんが、もしそれを根拠とするのなら
>出典や用例、mAvyU、パーニニ、他の辞書などの根拠を一つでも尋ねられて居ると思うのですがいかなる手段を選んだのでしょうか?

これのどこが絡んでると読めるのだ?被害妄想か?語源を調べるのに中村仏教語大辞典を使うのは
トーシローでもしないことだ。先ず梵・パーリの辞書類だな。そして出典用例、ターム対応、文法と調べる
のが通例だ。素人なら仕方ないが、その後に以下の手続きを暇人なら踏んでいるでしょうねというのが
彼の言葉だ。優しい奴じゃないか。今回、どうみても蟻と象だ。

>それに対して 私なりに誠実に答えているつもりだが。
「水野パーリ語辞典を買え」とかPTS辞書やその増補大改訂を出してきて相手を残念とか
蔑むことか?結局は全部あんたの間違いだったんだが。彼は自称研究者とか一切言ってない
筈だ。それでも英訳を求めるのか?あんたにそんな労力を強いられるいわれは無いと思うよ。
彼の目的はabhisamayaの正しい意味を順序だてて説明してその正しい用法を導き出して
あんたに納得させることだったと思う。一方的にではなく共に一つずつクリアしながらね。
あんたのあの喧嘩のような絡み方では一歩も進まなかったと思うぞ。悪いが、早島先生の
解釈は蓋然判断であり断定ではない。今問題になっているabhisamaya文脈ではそんな読みは
不可能であり、仮に還滅門での解釈だったとしても文意が通らない。あれはただの戯言。

358 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/08(月) 12:52:53 ID:tauN82hQ
>>318
> INBUDSのtath?gata検索結果
> ttp://www.inbuds.net/search/namazu.cgi?key=tath%5c%3d%7ba%7dgata&max=20&result=short
>
> 「サンジャヤ説のtath?gata考」とかがあるからジャイナ教だけじゃなかったのかもですね。
仏教経典以外にもサンジャヤ説が、何かに残っていたのでしょうか?
まあ、そうだとしても、釈尊と同時代とみなせるので、

>(1)仏教以前の著作のいかなるものにも、今のところなお如来の表現は見い出されてはこなかった

を否定する材料ではないように思えます。

> 如来死後はどうなんでしょうね。
普通の人は、目をもっているわけですが、
普通の人を、指すのにわざわざ、「眼ある方」と呼ぶかどうか考えると、
そんなことはないように思います。
やはり、如来は、如来ではないでしょうか?


359 :暇人:2005/08/08(月) 20:41:31 ID:n0i/67Rx
彼は多忙と書かれていたではないか 焦るなって。
まあ人それぞれだから 色んな感想があっていいが(笑)
わたしの側からの見方も書いておこう。(彼には彼の意見があるだろうが)
abhisamayaに@abhi-sam-√i A abhi-√samの二系統があるという
私の情報に対して、sの語幹が√sに変化することはあり得ないという文法原則から、
Aabhi-√samの根拠を問われた。つまりこれは文法的な根拠がなく、あり得ないのでは、と。

ところが私の側は、既に、水野ぱーり語辞典を根拠に
samaya(水野)< saM-I 会 集会/時 時期 適時/宗 宗義/ <Sam-aya 断滅
abhisamaya(水野) @{ abhi-samaya} 現観 領解 理論的理解A{ abhi-Sam} 止滅 止息
及び、早島さんの「この語をabhi-√samより成ると解せば、苦などの止滅の意となる」を
引用提示していたわけですね。
早島さんだけの見解ではなく水野さんの見解でもあるのですね。
ここで問題になるのは、文法原則を無視したabhi-√samがなぜ成立しているか
ということですね。


360 :暇人:2005/08/08(月) 20:42:49 ID:n0i/67Rx
チルダーズ、webPTSという二大パーリ辞典には@abhi-sam-√iしかない。
梵語定番webモニエルにも@abhi-sam-√iしかない。たぶん仏梵辞典にもそうなのだろう。
だから私の側としては、現行PTSより詳細との評判の「A Critical Pali Dictionary」の
確認を促したのですね。そこにもないと仮定して、考えられるのは、
@早島・水野の abhi-√samは、マチガイ。 あるいは穏当に表現して「推論」
Aabhi-√samは文法的にマチガイだが漢訳者が、abhi-√samの意味に解釈し「止滅/断滅」
という訳した。早島・水野はその事実を踏まえ、abhi-√samを追加したが西洋学者はこの事実を知らない。
Bその他、他の事情がある。

恐らく早島・水野のマチガイという可能性はごく低いので、AかBでしょう。
ただ厳密に言えば、雑阿含 巻語105経に、水野さんがabhi-√sam系の根拠とされる
mAna-abhisamaya(慢の止滅)とおぼしき漢訳がある。「若於慢無間等觀。衆苦不生」
つまり漢訳者は、「若し慢において無間等し、觀ずれば。衆苦は生ぜず」と訳しており、
止滅でも意味は通るし、明瞭な理解でも意味が通らなくはない。
とするとBなのであろうか。しかし例えばこれのパーリ原文が、
「もしmAna-abhisamayaならば、苦しみは生まれない」ならば、
慢の止滅説にも理はあるかも。あるいは別の箇所なのだろうか。


361 :(*):2005/08/08(月) 20:56:42 ID:gkXbPPYr
参考にして。水野先生の説は、ニルクタでしょうね。民間語源学といわれる。
それも解釈の一つだから、尊重しなくてはいけないでしょうが、

A dictionary of the Pali language / by Robert Caesar Childers.London : Trubner, 1909.
624 p. ; (4vo)

ABHISAMAYO, Penetration, comprehension, clear understanding [abhi+samaya].
Dh. 134 See dhammAbhisamayo.

ABHISAMETI, To penetrate, comprehend, gain a full knowledge of [abhi+sam+A+i].
Ger. abhisamecca(Khud. 15). AbhisametAvI,
one whi has gained a full knowledge of the truth(PAt. 75).

DHAMMABHISAMAYO, Comprehension of the truth [dharma+abhi+samaya].
This term means the attainment by an unconverted man of one of the four paths.
caturAsItiyA pANasahassAnaM dhammAbhisamayo ahosi,
the conversion of eighty-four thousand beings took place(Dh.130).
B.Lot. 432; E. Mon. 292; Mah. 3, 73; Dh. 144, 350; Kamm. 28.


B.Lot.: ビュルヌフ、法華経仏訳、1852
Dh.: ファウスベル、ダンマパダ、1855
E. Mon.: ハーデイ、Eastern Monachism、1860
Kamm.: スピーゲル、カンマヴァーキャ、1841
Khud.[Kh.]: チルダース、クッダカパタ、1869
Mah.: ターナー、マハーヴァンサ、1837
PAt.: ミナエフ、別解脱戒経、1869

362 :  :2005/08/08(月) 21:32:58 ID:KprgJLBb
暇人さん。もう少し読み込んでみたら?

サンスクリット語根合成    サンスクリット       パーリ
abhi√Sam       abhisamaya         abhisamaya
abhi-saM√i       abhi(S)amaya        abhisamaya

つまり、2系統のいずれもパーリではabhisamayaになるが、サンスクリットでは2系統それぞれに
違う語になる。サンスクリットでは文法的に明らかに違うものを同一上で扱えない。サンスクリット
を無視してパーリだけの世界で見れば2つは同じ音だから混同することになる。

水野辞書ではその音から同じ項目で記述しているだけで、2つは違う概念。現観のabhisamaya
については@で記述してあるので(現観=abhi√Sam)は水野説であるとはいえない。
早島先生も「説」まで昇華しているわけではない。「だろう」だ。第2の系統は煩悩の滅状態であり、
明らかに別文脈。煩悩の滅はニローダ。

363 :名無しさん@3周年:2005/08/08(月) 22:24:37 ID:K5l6CQKR
こりゃ仏陀が見たら間違いなくお叱りになりそうなスレだな

364 :暇人:2005/08/08(月) 22:27:51 ID:n0i/67Rx
>>362

日本語を勉強されてください。
「現観」に二系統あると言っていると書いてません。
abhisamayaに二系統とあると書いているのですね。

(現観=abhi√Sam)は水野説←こんなことは書いていない。キミの脳内妄想
煩悩の滅はニローダ←これとabhi√Samとどういう関連があるのだね。

人のカキコミ(A)を、脳内妄想で(B)と把握し、(B)批判を展開されてもね。。
(以下略)

>>361
>水野先生の説は、ニルクタでしょうね。民間語源学といわれる

ニルクタである根拠は? 水野さんが著作で言及されたりされます?


365 :暇人:2005/08/08(月) 22:33:19 ID:n0i/67Rx
>>363

なるほど では ブッダがみられたら お褒めになられる
スレッドを キミが 作って 善き手本を見せてくだされ。

366 :太刀山型の土俵入り:2005/08/08(月) 22:35:28 ID:G52MRI9m
オナニーに励めるお経募集

367 :(*):2005/08/08(月) 23:06:11 ID:gkXbPPYr
>>358
水野 弘元「tathAgata(如来)の意義用法」『印度学仏教学研究』, 9(5-1) 1957
に明らかですよ。ジャイナだけでなく、マハーバーラタ等にも出てくることが書かれている。
無記説で用いられる tathAgata は「生死輪廻を脱した完全者」と論証されています。
先行研究を広く参照し、広汎な用例を精査した見事な論文です。さすが水野先生!

立川さんの主要な研究対象がタントラと言ってる方が、いるがまったく誤認でしょう。
タントラについてはまさに「タントラとは何か」という津田真一先生の論文で、
立川さんがいかにタントラについて理解してないか、周到に論証してますよ。
これについて立川さんも誤りを認めて修正論文を書いてます(岩波講座東洋思想チベット仏教)
立川さんの専門は中観ですよ。これは自分で書いてたし、ギーブルが英訳してますね。
しかしながら、中観もいただけない。あの何でもエリアーデの聖/俗で切る方法はもとより、
自分の神秘体験によるバイアスが、かなり歪んだものにしていると思う。
無記については、丹治先生を読むべきでしょう。しかしそれよりも石飛さんが優れている!
ほんとうに仏教研究が変わるのは当然として、西洋哲学をも揺るがすとおもう。
スピヴァックにつづいて、より本命は石飛さんだろう。英語の本が出るのが楽しみ。

立川さんの業績は、翻訳にあると思う。アマル、エリアーデ、トゥケン等、
読みやすく明解。それとカタログやマンダラ、写本の出版ね。
清弁の写本の出版が一番、学会に貢献されたのではないでしょうか?

確かに該博な方だとは思うけど。

同じインゴールズの弟子の原先生こそがタントラの専門家でしょう。
原先生の論文は言葉も美しく詩を感じさせるものがある、もちろん内容がいいのは言うまでもない。
仏教タントラは津田先生と古・羽田野先生で決まり。


368 :(*):2005/08/08(月) 23:15:37 ID:gkXbPPYr
>>364 根拠はヴィヤーカラナ(語源分析・文法学)つまりパーニニです。
それについては中谷先生も、現代言語学者も一致して認めますよ。
当然、水野先生もお認めになると思います。
これは多少、語学をやったものの常識ですよ。
今回は、残念ながら、電波氏が珍しく正論だと思います。

暇人さんは、原始仏典の中から根拠を示せというのでしょうが....
何故、今回暇人さんは、そんなに厳しいことをするのか、理解できません。


369 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/09(火) 06:46:24 ID:6wLGzNmQ
>>367 :(*):2005/08/08(月) 23:06:11 ID:gkXbPPYr
> 水野 弘元「tathAgata(如来)の意義用法」『印度学仏教学研究』, 9(5-1) 1957
> に明らかですよ。ジャイナだけでなく、マハーバーラタ等にも出てくることが書かれている。
レスありがとうございます。

http://forum.nifty.com/fworld/indonesia/candi/candi050.htm
> ◆マハーバーラタについて
> 古代インドの叙事詩(サンスクリット語)で成立時期は紀元前400年〜紀元後200年ころとされています。
>(長い間にわたって、次々とお話が追加されていったらしい)
とあります。
仏教において如来という言葉が使用された以降に成文化したものではないでしょうか?

> 水野 弘元「tathAgata(如来)の意義用法」『印度学仏教学研究』, 9(5-1) 1957
において、
tathAgata(如来)の由来に関しては
何か言及されていなかったでしょうか?


370 :暇人:2005/08/09(火) 07:18:51 ID:YwpdBx/P
>>368
>原始仏典の中から根拠を示せというのでしょうが....
>何故、そんなに厳しいことをするのか、理解できません

例えば>>309で「Dh.134 See Dhamma-abhisamayo (Dh はダンマパダ) 」
と紹介されてましたが、私がDh.134 を検索すると
ttp://www.j-theravada.net/5-howa55.html

Sace neresi atta^nam - kamso uphato ytha^,
Esa patto'si nibba^nam - sa^rambho te na vijjati.(Dh. 134)
こわれた鐘のように声を荒らげないならば、あなたは安らぎに達している。
あなたはもはや、怒りののしることがないからである。 (Dh. 134)

ttp://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/sinri-0.htm
134 こわれた鐘のように、声をあらげないならば、汝は安らぎに達している。
汝はもはや怒り罵ることがないからである。

ダンマパダ134句には、Dhamma-abhisamayo は見当たりません。
Dh.134 See Dhamma-abhisamayo ←これはどこのことかわかりません。



371 :(*):2005/08/09(火) 09:00:14 ID:Zdw/k4H2
>>369
> 仏教において如来という言葉が使用された以降に成文化したものではないでしょうか?
いわゆる苦行者文学と言われるもので、仏教以前にそういった苦行者の言葉が流行していて
それが初期仏教・ジャイナ古経、マハーバーラタ等に保存されたと考えるのが現在一般的
だと思います。それについては原始仏教研究を変えた
   荒牧典俊『仏教及びサーンキヤ・ヨーガに共通の源流に関する研究』1983-1984
を参照してください。

> tathAgata(如来)の由来に関しては
> 何か言及されていなかったでしょうか?

由来については先行研究を紹介されています。それよりも上で述べたことがその答えになると思います。
つまり tathAgata ということばは苦行者文学で流行した言葉であると。
で、意味としては「生死輪廻を脱した完全者」「解脱者」として使われたとなります。

そういえば水野先生の論文のなかでトレンクナーが無記説の tathAgata を「有情」と
解釈することについて「これは誤った転用であって、正しいとは言い難い」と
はっきり述べております。これで電波氏の説は完全に崩れましたね。

372 :(*):2005/08/09(火) 09:02:52 ID:Zdw/k4H2
>>370
手元の電子テキストとヒニュバー&ノーマン本でダンマパダを見てみましたが、
abhisamaya という言葉すらありません。
このマックス・ミュラーの該当箇所もないようです。
http://www.sacred-texts.com/bud/sbe10/sbe1012.htm
この東方聖書の訳は、1855年出版のファウスベル本に依っていると書かれているので、
チルダース辞典の誤りかもしれませんね。

caturAsItiyA pANasahassAnaM dhammAbhisamayo ahosi
は、ミリンダパンハーに確認できました。PTS 351, SL303

その他用例が確認できたのはマハーヴァンサですね。

辞書の出典が誤っているといのは問題ですが、
それは abhisamaya の語義とは関係ないことでしょう。

暇人さんは、原語解釈から早急に手を引かれるのが賢明だと思いますよ。

373 :名無しさん@3周年:2005/08/09(火) 09:24:53 ID:BMk6V1OD
>>364
>日本語を勉強されてください。
>「現観」に二系統あると言っていると書いてません。
>abhisamayaに二系統とあると書いているのですね。

それは禁反言に反してるよ。あんたの主張自体動いている。それならニ系統とはいえない。
語源も意味も違う別語だ。今、abhisamaya(現観)の話をしている。そのなかでニ系統を
言い出して>>279のように

>偉そうに原意を云々するならば、せめて
>元々のabhi-sam-√i系のほか
>雑阿含にも特徴的に見られるabhi-√sam系の
>二系統あることぐらい 情報収集して欲しいものだ
こんな発言は無関係(別語だから)になる。論点をずらして(同音異義、例えば性格と性格)
拡張(abhi√Samの話は当初から関連性は無い)している。

>偉そうに原意を云々するならば、せめて
このようなあんたの発言が自分の首を絞めているという自覚は無いのか?それを糊塗するために

>人のカキコミ(A)を、脳内妄想で(B)と把握し、(B)批判を展開されてもね。。
>(以下略)
と、またもやすり替えている。あんたは不誠実だよ。これはそのままあんたに返るんだ。その典型が「自性」

374 :名無しさん@3周年:2005/08/09(火) 09:37:58 ID:BMk6V1OD
>>372
>暇人さんは、原語解釈から早急に手を引かれるのが賢明だと思いますよ。

それは親切なようで、実は暇人さんにとっては為にならないのでは?
これを切っ掛けに原典を読むようになればこれ以上のことはありません。
ヴィヤーカラナがいかに大切かを実感できると思います。

暇人さん。もし原典を読みたいと思い立ったのなら、パーリからじゃなく、サンスクリット
から挑戦しましょう。暇人さんはお見かけしたところ、関西人ですか?それなら、教えて
くれるところが多いと思いますよ。○条センターだけはお勧めできませんが。webでも
サンスクリットヲタクが入門講座を開いています。独習するのならいいかもね。それと、
英語を厭わないで下さいね。

375 :名無しさん@3周年:2005/08/09(火) 09:47:45 ID:BMk6V1OD
>>367
>立川さんの主要な研究対象がタントラと言ってる方が、いるがまったく誤認でしょう。

タントラの研究者として評価しているのではなく、ご本人がタントラが一番の関心事で主要な研究
対象としているが、中観研究者というのが現実。だから変なニックネームがついたのだと思います。
タントラ研究についてはご自身の限界を認識されていると思うのです。

>しかしそれよりも石飛さんが優れている!
>ほんとうに仏教研究が変わるのは当然として、西洋哲学をも揺るがすとおもう。

そこまで言いますか?現代論理学の現場ではかなり酷評ですが、読まずに評価できないですね。
どこが優れいるか、よろしければ少しだけでも述べてください。

376 :名無しさん@3周年:2005/08/09(火) 10:07:49 ID:RPfDtu0b
Webにはいろいろ便利なサイトがあって、今はサンスクリットの勉強も楽です。

全語釈・梵文阿弥陀経
ttp://www.yamadera.info/sanskrit/sanskrit-index.htm

機能が豊富・The Sanskrit Heritage Dictionary
ttp://sanskrit.inria.fr/DICO/index.html

いろいろと参照している中に、英語と漢語の読解力も向上するとおもいます。

377 :名無しさん@3周年:2005/08/09(火) 10:51:34 ID:BMk6V1OD
暇人さんへ。
>>人のカキコミ(A)を、脳内妄想で(B)と把握し、(B)批判を展開されてもね。。
>>(以下略)
>と、またもやすり替えている。あんたは不誠実だよ。これはそのままあんたに返るんだ。その典型が「自性」
詳しい説明があんたには必要なようだ。自性について、電波とのやり取りから以下のように代入できる。

【人のカキコミ(A)を】
竜樹の著作を説明しているHPを読み解くことに関して
    電波: 「自性の多義性に注意」
【脳内妄想で(B)と把握し】
    暇人: 「自性の多義性を唯識の三性説だ」と脳内妄想して断定
【(B)批判を展開されてもね。。 】
    暇人: 「唯識で竜樹を見れない」

そして色々指摘があっても「多義性は無い、竜樹の自性批判は有部のみに向いている」
というのが段々変化して行き、誰かが「有自性論者」の概念を持ち出してくる」とまた主張
が変化する。主張が変わるときは間違いを認め、それを表明するだけの知的誠実(暇人のカチンと来る言葉)
さが必要だね。でも、「竜樹自身が有部以外のニヤーヤなどと明言していない」と迷言する。
さすがに、これは調べれば簡単に間違いに気づいたのか次は
「電波の自性の多義性を言うときに、ニヤーヤなどと説明しなかったじゃないか、言ったのは本質と偶有属性・・・」
と反論。しかし、暇人さんが「三性説だ」と言った過誤は取り消せない。でも、これは実はニヤーヤの自性としての
プラマーナの説明ね。

電波と暇人のやり取りを見物していると、面白いのだがいい加減にしろといいたい。
電波の水野発言に関しては完全な間違いだ。これは本人も自覚しているとおもう。末節ではなく
本論の無記説は水野先生が最終結論ではないと思う。暇人のような雑音を排除して無宗ださん
のような知的誠実さのある人とお話すればいい。

378 :名無しさん@3周年:2005/08/09(火) 12:34:45 ID:xGM2RHyQ
近親擁護派の巣窟です。馴れ合いも酷い。
近親反対派の人はここで思いっきり議論して下さい!!
http://ex11.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1123427022/

379 :名無しさん@3周年:2005/08/09(火) 16:13:41 ID:TDzwz9qh
原語やインド学、仏教学について、研究経験のあるものが暇人さんのような人と
同じ土俵で語ること自体が間違っている。追求していくと「素人だから」と逃げる
のではただの徒労に終わっている。

無駄なことは止めましょう。「水野辞書を買いなさい」と言う人とまともな議論が
成立するわけがありません。もっと自分を大切にしましょう。暇人さんをいじって
遊んでいるのですか?それは良くない。本人にしては必死なのですから。

380 :名無しさん@3周年:2005/08/09(火) 17:16:22 ID:GLdnLEzM
暇人さんと遊んであげていると言う人(人々?)がせめてコテハンを名乗っていただければと思う。
罵倒されようがコテハン続けるだけ暇人さんと無宗ださんはエライよ。
名無しで書き込むのは専門家を自称しながらボロを突っ込まれるとまずいからかと疑うが。

381 :名無しさん@3周年:2005/08/09(火) 17:32:11 ID:BMk6V1OD
>>380
>暇人さんと遊んであげていると言う人(人々?)がせめてコテハンを名乗っていただければと思う。
だれが?そんな失礼なこと一人称でいってるのでしょうか?コテで名乗らなくてもIDがあります。

>罵倒されようがコテハン続けるだけ暇人さんと無宗ださんはエライよ。
今、だれが無宗ださんを罵倒しているのでしょうか?私は評価していますよ。

>名無しで書き込むのは専門家を自称しながらボロを突っ込まれるとまずいからかと疑うが。
知識が深い人は確実にいますけど、ななしで専門家を自称している人がいますか?
もしボロがあるのなら、遠慮なしに突っ込んでくださいね。

382 :暇人:2005/08/09(火) 20:31:07 ID:6ewDuHHi
>>372
>辞書の出典が誤っている
チルダーズの記述が誤っているのか、Dhがダンパダという理解が間違っているか
他の事情があるのか。私たちの確認ミスか。今のところ不明。事実は
Abhisamayaを私はダンマパダ134句に、あなたダンパダ全体に見つけられなかった。

> abhisamaya の語義
語義の話は既に私が出した>>359-360で止まっていますよ。
これを深めるレスは今のところない。
「原語解釈から早急に手を引かれるのが賢明」とのことですが、意味不明ですね。

> dhammAbhisamayo
ミリンダパンハーの例示ありがとうございます。
語義とは無関係にdhammAbhisamayoがabhisamayaのニカーヤに出た最初の形態で
最初期の最高証悟(中華)の根拠テキストかもですので、abhisamaya探求には重要です。


383 :暇人:2005/08/09(火) 20:31:38 ID:6ewDuHHi
>>373-374 377
まあまあ 落ち着け( ^-^)_旦~~

それならニ系統といえない←君からすると言えないのだろう。だが私はそう思わない。
語源も意味も違う←だからabhisamayaは二系統なのね。
今、abhisamaya(現観)の話をしている←そうか私はabhisamaya二系統の話をしている。
キミと私は別話題だな。キミの脳内暇人と対話してくれ。この程度の絡みはウザイ。

>サンスクリットから挑戦しましょう
今のところ挑戦する気はないね。

「多義性は無い、竜樹の自性批判は有部のみに向いている」←キミの脳内妄想 
「竜樹自身が有部以外のニヤーヤなどと明言していない」←意味不明
「三性説だ」と言った過誤←なんで過誤だね。
これは実はニヤーヤの自性としての プラマーナの説明ね←意味不明
面白いのだがいい加減にしろといいたい←キミの脳内妄想は面白いが ウザイ。

■Abhisamayaネタは、元々は、「四禅を超えた現観」を電波さんが修習されていて
「現観」を「神秘体験」視された上で高次な瞑想と位置づけられていたが、
そういう「現観」は原始仏教にないという話。
最近の語根話題のテーマは、二系統の話。サンスクリットでは別の語だよ、だそうだが
パーリでは一緒の語。だから二系統。
■自性ネタをなんでキミが蒸し返したいのか意味不明。
もしかして、江島『中観思想の展開』を読んだから 遊びたいわけ?


384 :暇人:2005/08/09(火) 20:36:37 ID:6ewDuHHi
>>379
研究経験ねぇ あるなら、もちと 素人に
わかりやすく説明してもらいたいものだ。
ユーモアあれば なおよし。


385 :名無しさん@3周年:2005/08/09(火) 22:44:59 ID:BMk6V1OD
>>383
あんた、折角庇ってやろうと思ったけど、完全に終わってるよ。
どうして同音異義語がニ系統なんだ?それは別語というんだよ。
自性についても醜いよまったく。

ではごきげんよう。屁理屈遠吠え君。

386 :名無しさん@3周年:2005/08/10(水) 08:18:05 ID:OQXGZd3K
研究者は大学教員であれば学生に対しては指導する。
だか、素人相手とは言えないな。学生は努力しないと
単位がもらえない。

研究者は決して素人相手にしているわけではない。
どんな研究分野でもそんな説明義務はない。また
そんな心がけをしていたら自滅する。

素人にわかりやすく説明する人もいるが、教育や
啓蒙などの別分野を担う人だな。

素人だと逃げるのは頂けない。踏み込んでいる分野
には英語が必要なのに訳せと強要する。英語が使え
ないのなら努力して読み解くか、それが出来ないのな
ら議論するな。

>ユーモアあれば なおよし。

こんな傲慢な人間を見たことがない。

387 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/10(水) 09:02:31 ID:T0xAGQcs
 すべての人の意見はそれぞれの立場や経験に基づいて正しく、
 怒りは、自分の体の外には存在しない、つまり、自分の中にある。

 怒りを感じたら、口を開く前に1〜10まで数えよ。
 ひどく怒りを感じた時は、100までだ(トーマス ジェファーソン)。
----------

だそうです。

人は己の尺度でしか、物事を測ることができない。
ちなみに、私は、暇人さんから、特記するような不快感を受けた記憶は無い。
----------

掲示板には誰もがそれぞれの立場で投稿する権利を有すると考える。

誰も、投稿したり、レスを返す義務はない。
だからといって、
人を誹謗中傷する権利を持つ人もいない。

知識不足は、知識不足として素直に認める積もりでいるが、
それを理由に人間性を否定することは、私的には許しがたい。
知識不足を表明することと、知識不足を理由に逃げることは、異なる。
----------

戯言ですけどねw。


388 :名無しさん@3周年:2005/08/10(水) 09:16:46 ID:OQXGZd3K
【せいかく】
       @性格
       A正確

これは別語。ニ系統と言うのであれば、

【性格】
       @性格
       A正確

となる。これが間違いであるのは明白である。
「性格を論ずるのに正確も調べて情報収集しておくべきである」
というのが暇人さんの論法。

英語辞書の引き方もろくに出来なかったと憶測してしまう。

これ以上、暇人さんを教育してやるいわれはない。
あとは勝手にほざいてろ。

389 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/10(水) 12:52:42 ID:T0xAGQcs
>>371 :(*):2005/08/09(火) 09:00:14 ID:Zdw/k4H2

> > 仏教において如来という言葉が使用された以降に成文化したものではないでしょうか?
> いわゆる苦行者文学と言われるもので、仏教以前にそういった苦行者の言葉が流行していて
> それが初期仏教・ジャイナ古経、マハーバーラタ等に保存されたと考えるのが現在一般的
> だと思います。それについては原始仏教研究を変えた
>    荒牧典俊『仏教及びサーンキヤ・ヨーガに共通の源流に関する研究』1983-1984
> を参照してください。

レスありがとうございました。
つまり、tathAgata(如来)と呼ばれた最初の人物が釈尊である可能性は低い。
したがって、tathAgataの由来を調べても、釈尊の言動等をストレートに反映した結果とは考え難い。
ということですね。
情報ありがとうございました。

> 苦行者文学
> 荒牧典俊『仏教及びサーンキヤ・ヨーガに共通の源流に関する研究』1983-1984
に関しては、一応アンテナを伸ばしておきたいと思います。


390 :名無しさん@3周年:2005/08/10(水) 15:32:38 ID:OQXGZd3K
>>367
>これについて立川さんも誤りを認めて修正論文を書いてます(岩波講座東洋思想チベット仏教)
市販本にまで誤りを認め、修正論文を発表した研究者はそれほど多くないと思います。
ちょっと変な正確(笑)の中に潜む謙虚さ。尊敬してしまいます。研究者としては保留ですが。

391 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 10:46:11 ID:rmWYwiQI
このスレッドに対する感想の一例です。
>今のところ暇人さんの
>スレはabhisamayaの語源解釈についてかなり込み入った話になってますんで、
>あちらは専門家?が素人の暇人さんを教育するスレになってるようで、
@ abhisamayaの語源解釈についてかなり込み入った話
A 専門家?が素人の暇人さんを教育
というのは間違いないでしょう。暇人さんは悪あがきしていましたが、さすがに
無理筋との自覚があるようで書き込みが無い状態です。正等覚への直接導入
が縁起現観(四諦現観もある)であることに異議をとなえる人がいるのなら教えて
欲しいものです。「わかった相応」などの揶揄がありますが、縁起現観での文脈
では「わかった」も苦しいですが間違いではありません。それ以外で「わかった」を
使っている場面があれば指摘してください。
正等覚への直接導入過程にある現観が四禅や滅尽定を超えたものである、という
のはここから簡単に論理帰結されます。
>「多義性は無い、竜樹の自性批判は有部のみに向いている」←キミの脳内妄想 
>「竜樹自身が有部以外のニヤーヤなどと明言していない」←意味不明
>「三性説だ」と言った過誤←なんで過誤だね。
>これは実はニヤーヤの自性としての プラマーナの説明ね←意味不明
この遠吠えに釘をさすのには彼自身の以下の言葉があります。
>「仏教外の有自性論者も含む」と私には読めん。
>キミの頭脳は私に理解できん。
暇人の脳味噌は虚栄心しかないようです。自己正当化の権化です。
さぁ、次は暇人の番です。どうぞ、ご登場を。屁理屈はいらんぞ。


392 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 11:00:19 ID:XuJg+S2d
しかし、なぜ今ごろ原始仏教をやっているのだろうか?進化とご都合主義によってある現在の仏教にあきたのかな。仏教原理主義と呼べるのは彼のダイバダッタだと思うがな。

393 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 11:17:53 ID:rmWYwiQI
>>392
現在の仏教は原型を留めていないばかりか、魔の巣窟になっているからです。

394 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 11:22:12 ID:XuJg+S2d
仏教500年節って知ってる?今は仏教が起こってから2000年以上たっている。

395 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/11(木) 12:55:28 ID:RV0X0WDf
>>391
> 正等覚への直接導入
> が縁起現観(四諦現観もある)であることに異議をとなえる人がいるのなら教えて
> 欲しいものです。

ちょっとはっきりさせて欲しいのですが
(1)縁起現観(四諦現観もある)は、「正等覚」なのでしょうか?
それとも
(2)縁起現観(四諦現観もある)は、「正等覚への直接導入」なのでしょうか?

> 「わかった相応」などの揶揄がありますが、縁起現観での文脈
> では「わかった」も苦しいですが間違いではありません。それ以外で「わかった」を
> 使っている場面があれば指摘してください。
指摘ではなく、質問なのですが

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku02.html
に引用されている、
(サンユッタ・ニカーヤ 12:10 増谷文雄訳)
には、
>>258 に 書いたように、
○わかる/ ○わかる/ ●さとる
○わかる/ ○わかる/ ●さとる
と6箇所に、現観と記述されていると思うのですがそれはよろしいでしょうか?

その場合、6箇所すべてが、縁起現観なのでしょうか?
それとも、
「○わかる」に対応する4箇所が縁起現観、「●さとる」に対応する2箇所が正覚なのでしょうか?


396 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 14:43:28 ID:rmWYwiQI
>>395

>ちょっとはっきりさせて欲しいのですが
>(1)縁起現観(四諦現観もある)は、「正等覚」なのでしょうか?
>それとも
>(2)縁起現観(四諦現観もある)は、「正等覚への直接導入」なのでしょうか?
なにをはっきりさせるのかよく理解できません。思想遍歴も、苦行も、再度瞑想の復習も終わり、
菩提樹下で苦の来因を思索したときに現観が生じ、留めなくそのありさまを目の当たりにしました。
そして正等覚を得ました。

@正等覚の内容が現観だと言う人もいます。
A最終ステップとして現観が生じ、直後の結果として正等覚を得たという人もいます。

どちらの解釈であっても、本質的な差異を私は見出せません。

>指摘ではなく、質問なのですが
これについては申し訳ありません。

>(サンユッタ・ニカーヤ 12:10 増谷文雄訳)
パーリ原典を当たっているのですが、上記の出典箇所には見当たらず、探しています。
原典を調べて示さないと正確なお答えができませんしね。

397 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 15:18:20 ID:So8XKtd1









   働 け



398 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 15:22:18 ID:tAGtZEQE
>>397

禿同

399 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/11(木) 17:50:01 ID:RV0X0WDf
>>396 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 14:43:28 ID:rmWYwiQI
> @正等覚の内容が現観だと言う人もいます。
> A最終ステップとして現観が生じ、直後の結果として正等覚を得たという人もいます。
>
> どちらの解釈であっても、本質的な差異を私は見出せません。
レスありがとうございます。

前スレで、ベロさんが紹介してくれたURLをみると、
<--
10 名前:ベロ ◆eOod7XM/js :2005/07/10(日) 02:15:20 ID:1RoCXClR
一応簡単に「現観」をググッて見ましたが、
http://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/fl-rinbutu2/shoki-rin2/genkan-gensi.htm
上記のサイトに現観に関して平川先生の解説が紹介されいます。
もし「原始仏教では現観は説かない」などと主張すればまさにトンデモですね。
-->

>  平川彰氏が「法と縁起」で論じている「現観」は以上である。
> このように、「現観」は、現代、心の病気などで、苦悩する人々に実際実施されており、治癒効果をあげている。
>  これは一刹那に、4つの作用があるという。道元の「修証一等」に通じるものがある。
> 現代、我々が行う坐禅(苦悩する人たちに指導している臨床仏教カウンセリングの手法)にも通じるものがある。
> これと同様のことを、やさしい言葉で指導して、実行させている。見性体験前であるから、苦悩する人でもできるものである。

との記述があるのですが、ここの現観は「正等覚」にはほど遠いように思えます.
縁起現観(四諦現観もある)にも、「正等覚」に直接関係するものとしないものがあると考えて良いのでしょうか?

また、釈尊以外にも、現観が生じ、直後の結果として正等覚を得たという人はいるのでしょうか?
そのような人の現観に関して書かれた経典は存在するのでしょうか?


400 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 17:50:55 ID:rmWYwiQI
お待たせしました。二箇所の原典は以下のとおり。

”  pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuM udapAdi. NANaM
  udapAdi. PaNNA udapAdi. VijjA udapAdi. Aloko udapAdi.”

これに対する中村元訳と増谷訳は
中村訳: 「未だかつて聞かれたことのない法に関して、私に眼が生じ、知恵が生じ、明知がしょうじ、光が生じた」(『阿含経典 第一 P.103』)
増谷訳: 「いまだかつて聞いたことのない真理に、私は眼を開き、智を生じ、慧を生じ、悟りを生じ、光明を生ずることが出来た」(『ゴータマブッダP.174』)

とあります。0099_,02,0079b23(10)から始まる『雑阿含経』にも燈明得燒。數増油&M018965;。彼燈明得久住不。
とあり、”abhisamaya”や「正覚」と言う語もありませんが、正覚と解釈するのがよさそうです。その他の4つは
”abhisamaya”でした。

401 :暇人:2005/08/11(木) 17:50:59 ID:8t6yOJXw
>>(サンユッタ・ニカーヤ 12:10 増谷文雄訳)
>パーリ原典を当たっているのですが、上記の出典箇所には見当たらず、探しています。

佐倉さんとこが正確でないのか 増谷さんが悪いのかしらんが
たぶん、ここだね(パーリ このページ一番下の1 1 10Gotamasuttaü以下)
ttp://www.metta.lk/tipitaka/2Sutta-Pitaka/3Samyutta-Nikaya/Samyutta2/12-Abhisamaya-Samyutta/01-Buddhavaggo-p.html

ついでに(英訳12 1 10 (10) Maha Sakyamuni Gotama Ý Gotama the Great Sage of the Sakyas.以下)
ttp://www.metta.lk/tipitaka/2Sutta-Pitaka/3Samyutta-Nikaya/Samyutta2/12-Abhisamaya-Samyutta/01-Buddhavaggo-e.html





402 :暇人:2005/08/11(木) 17:57:43 ID:8t6yOJXw
15. Then I knew, this is the arising, and knowledge, wisdom and light arose to me never heard before

これが英訳の部分だが abhisamayaと無関係な箇所だして どーするのだろうか


403 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 18:08:54 ID:rmWYwiQI
>>399
http://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/fl-rinbutu2/shoki-rin2/genkan-gensi.htm
のページを読んでみました。

あのページは原始仏教をそのまま忠実に研究するという趣旨ではなく、倶舎論での記述や
日本での禅などを手がかりに、カウンセリングを行うというものであるので、別の役目を担って
いると考えるべきでしょう。よく似た例で、ホスピスでの活動を浄土教そのものとして捉える
病院もあると聞いたことがあります。

ですから
>との記述があるのですが、ここの現観は「正等覚」にはほど遠いように思えます.
これは全く関係のないことだと思います。

>また、釈尊以外にも、現観が生じ、直後の結果として正等覚を得たという人はいるのでしょうか?
>そのような人の現観に関して書かれた経典は存在するのでしょうか?

過去七仏などワンサカあります。有名なのがヴィパッシン仏ですね。中村前掲書P.75の註(2)に
『五分律』第15巻(大正蔵、22巻102ページ下ー103ページ上)でも、第四禅を得て、三明に達し
縁起の理を観じて悟ったということになっている。、、、、(あと典拠を4つほど提示する)



404 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 18:19:53 ID:rmWYwiQI
あ、皆様ごめんなさい。当り前のことだから言うのが馬鹿馬鹿しくて黙っておられたのでしょうけど、

>過去七仏などワンサカあります。有名なのがヴィパッシン仏ですね。中村前掲書P.75の註(2)に
>『五分律』第15巻(大正蔵、22巻102ページ下ー103ページ上)でも、第四禅を得て、三明に達し
>縁起の理を観じて悟ったということになっている。、、、、(あと典拠を4つほど提示する)

で言っちゃいました。今気づきました。じゃ最後まで典拠を転載しますね。

 SN,12,65,vol1. 2,p.104 f.
   『雑阿含経』第12巻 (大正蔵、2巻80ページ中ー81ページ上)
  『増一阿含経』第31巻(四)(大正蔵、2巻718ページ上ー下)
  『太子瑞応本起経』(大正蔵、3巻477ページ上))

405 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 18:43:57 ID:rmWYwiQI
蛇足ですが、中村元氏は『四衆経典』やチベット訳「律蔵」などをもとに、十二縁起を観じた
のは悟りを開いてからだということにも当該ページに書かれていますが、わけがわからんとです。

多分「そんなことが書かれている経典もあるじょー」という事なのでしょうが、松本史朗氏がこれにたいして
コテンパンでございます。

406 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 18:48:18 ID:ssxE6C2J
素朴に、十二支縁起がスタートだとは思えないのだが・・・

407 :暇人:2005/08/11(木) 22:24:19 ID:8t6yOJXw
>>395
>サンユッタ・ニカーヤ 12:10 増谷文雄訳

「abhisamaya」は、当該経典に4回ではなく、22回出ています。
増谷さんは、冗長な訳を避けるために省略されています。上半分の
「abhisamayo」がある 箇所、11箇所を直訳してみましょう。
中学英語も満足にわからず、ぱーり語の基本すらしらないので、
必ずどこかしら 間違っ ていることでしょう。
有縁の方、訂正をよろしくです。

Tassa mayhaü bhikkhave etadahosi: " kimhi nu kho sati jaràmaraõaü hoti? Kimpaccayà jaràmaraõa"
nti.4 Tassa mayhaü bhikkhave, yonisomanasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo:
" jàtiyà kho sati jaràmaraõaü hoti. Jàtipaccayà jaràmaraõa" nti.
比丘たちよ、その時、わたしは、かように考えた。「一体何があるから、老死があるのだろうか。
何に縁って老死はあるのだろうか?」と。比丘たちよ、その時、わたしは根源より思念し、
智慧によってかようにわかった。「実に生があるとき老死がある。生に縁って老死がある」と。
kimhi nu kho 一体どうして   〜sati 〜hoti (これ)あるとき(かれ)ある。
Jaràmaraõaü 老死(Jarà 老い mara 死) Kimpaccayà 何に縁って(Kim 何paccayà 縁)
yonisomanasikàrà 根源より思念(yoniso 母胎から 根源よりmanasikàrà 思念)
pa¤¤àya 慧によって jàti 生 nti 〜と。 Kho 実に


408 :暇人:2005/08/11(木) 22:25:39 ID:8t6yOJXw
Tassa mayhaü bhikkhave etadahosi: " kimhi nu kho sati jàti hoti? Kimpaccayà jàtã"
ti? Tassa mayhaü bhikkhave, yoniso manasikàrà ahu pa¤¤àyà abhisamayo:
" bhave kho sati jàti hoti, bhavapaccayà jàtã" ti.
比丘たちよ、その時、わたしは、かように考えた。「一体何があるから、生があるのだろうか。
何に縁って生はあるのだろうか?」と。比丘たちよ、その時、わたしは根源より思念し、
智慧によってかようにわかった。「有があるとき生がある。有に縁って生がある」と。
bhave 生。
以下 老死→生→有→取→渇愛→受→触→六処→名色→識→行→無明の順に展開される。


409 :暇人:2005/08/11(木) 22:28:43 ID:8t6yOJXw
Tassa mayhaü bhikkhave, etadahosi: " timhi nu kho sati bhavo hoti? Kimpaccayà bhavo" ti?
Tassa mayhaü bhikkhave, yoniso manasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo:
" upàdàne kho sati bhavo hoti, upàdànapaccayà bhavo" ti.
Upàdàne 取
Tassa mayhaü bhikkhave, etadahosi: `kimhi nu kho sati upàdànaü hoti? Kimpaccayà upàdàna"
nti. Tassa mayhaü bhikkhave, yoniso manasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo:
" taõhàya kho sati upàdànaü hoti. Taõhàpaccayà upàdàna" nti.
Taõhà 渇愛
Tassa mayhaü bhikkhave, etadahosi: " kimhi nu kho sati taõhà hoti? Kimpaccayà taõhà" ti.
Tassa mayhaü bhikkhave, yoniso manasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo:
" vedanàya kho sati taõhà hoti. Vedanàpaccayà taõhà" ti.
Vedanà 受
Tassa mayhaü bhikkhave, etadahosi: " kimhi nu kho sati vedanà hoti? Kimpaccayà vedanà" ti.
Tassa mayhaü bhikkhave, yoniso manasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo:
" phasse kho sati vedanà hoti. Phassapaccayà vedanà" ti.
Phassa 触


410 :暇人:2005/08/11(木) 22:31:38 ID:8t6yOJXw
Tassa mayhaü bhikkhave, etadahosi: " kimhi nu kho sati phasso hoti? Kimpaccayà phasso" ti.
Tassa mayhaü bhikkhave, yoniso manasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo:
" saëàyatane kho sati phasso hoti. Saëàyatanapaccayà phasso" ti.
Saëàyatana 六処
Tassa mayhaü bhikkhave, etadahosi: " kimhi nu kho sati saëàyatanaü hoti? Kimpaccayà saëàyatana" nti.
Tassa mayhaü bhikkhave, yoniso manasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo:
" nàmaråpe kho sati saëàyatanaü hoti. Nàmaråpapaccayà saëàyatana" nti.
Nàmaråpa 名色 (nAma 名 rUpa 色)
Tassa mayhaü bhikkhave etadahosi: " kimhi nu kho sati nàmaråpaü hoti? Kimpaccayà nàmaråpa" nti.
Tassa mayhaü bhikkhave, yoniso manasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo:
" vi¤¤àõe kho sati nàmaråpaü hoti. Vi¤¤àõapaccayà nàmaråpa" nti.
Vi¤¤àõa 識


411 :暇人:2005/08/11(木) 22:32:40 ID:5ePXlR+2
Tassa mayhaü bhikkhave etadahosi: " kimhi nu kho sati vi¤¤àõaü hoti? Kimpaccayà vi¤¤àõa" nti.
Tassa mayhaü bhikkhave, yoniso manasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo:
" saïkhàresu kho sati vi¤¤àõaü hoti. Saïkhàrapaccayà vi¤¤àõa" nti.
Saïkhàra  行
Tassa mayhaü bhikkhave etadahosi: " kimhi nu kho sati saïkhàrà honti. Kimpaccayà saïkhàràti?
Tassa mayhaü bhikkhave, yoniso manasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo:
" avijjàya kho sati saïkhàrà honti. Avijjàpaccayà saïkhàrà" ti.
Avijjà 無明


412 :暇人:2005/08/11(木) 22:33:38 ID:5ePXlR+2
ついでにpubbe以下も
" Samudayo samudayo" ti kho me bhikkhave pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuü udapàdi.
\àõaü udapàdi. Pa¤¤à udapàdi. Vijjà udapàdi. âloko udapàdi.
未だ聞いたことないこれらの諸々の真理(つまり縁起の各支)によって、眼が開き、
智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた

pubbe 〜前に ananussutesu 未聞の dhammesu 法の複数 cakkhuü 眼
udapàdi 生じるのアオリスト 三人称単数 主語は比丘たちではないか?
つまり、12支を聴き、「眼が開き、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた」たのは、
釈尊ではなく、聴聞していた比丘では?
\àõaü NANaM 智 Pa¤¤à 慧 
Vijjà 明 呪 ベェーダのことですね。「明知」「悟り」と訳されているが[sk vidyA]
智慧の一つですね。Âloko 光明

光明も明も智も慧も 智慧の別称を並べただけだと私は思いますけどねぇ。


413 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 23:16:16 ID:rmWYwiQI
暇人さん。努力は認めますがね。正確(笑)の悪さが出てますね。

>「abhisamaya」は、当該経典に4回ではなく、22回出ています。
>増谷さんは、冗長な訳を避けるために省略されています。

無宗ださんが出してきた6例に答えている話の流れが分からないわけじゃないでしょう。
初心者なのであまり言いませんが、あなたの提示している疑問についてお答えしましょう。

>主語は比丘たちではないか?
>つまり、12支を聴き、「眼が開き、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた」たのは、
>釈尊ではなく、聴聞していた比丘では?

”bhikkhave”は複数の呼格。それ以外のものには成らないし、主語にもなりえない。
聴聞していた比丘たちにそれらが生じるのは構文上も文脈上もありえない。比丘たちよ
と呼びかけた後には、呼びかけた人の言葉しか来ないから。またudapAdiは三人称単
数なので、これも理屈に合わない。

>Vijja 明 呪 ベェーダのことですね。「明知」「悟り」と訳されているが[sk vidyA]
これは仏教に対する知識云々ではなく、決定的にセンスが無い証明。十二縁起では
苦の来因を探って無明(a-vidyA)にたどり着いた。そしてその無明が払われてvidyA
が生じたわけ。わかる?

>光明も明も智も慧も 智慧の別称を並べただけだと私は思いますけどねぇ。
これもセンスが無い証拠。しばらくネットでの発言自粛してサンスクリットを習ったら?

414 :暇人:2005/08/12(金) 00:11:04 ID:/iQaskON
>udapAdiは三人称単数

あっ キミがエサを食ったか(笑)。
うん。その通り。比丘たちは複数なのでありえんね。
ではこの箇所の釈尊は、「彼」なのか?
大本経の場合は、平行箇所は「ヴィパッシン求道者」なので三人称単数で
よい。釈尊が過去仏の「ヴィパッシン求道者」を述べているのでいいのだが
釈尊が釈尊を述べているのに なぜ三人称単数なのかな。 
私はここが不思議だ。 わからん。
(参照 春秋社「原始仏典 長阿含2 p45)


415 :暇人:2005/08/12(金) 00:11:36 ID:/iQaskON
>そしてその無明が払われてvidyA

それ以前にpa¤¤àyà abhisamayo 「智慧によってわかった」が定型だね。
abhisamayは、知的にわかるものだと繰り返されていて、
最後に智慧が別語で四回繰り返される。
「言語を超えた体験」ではなく、知的に明瞭にまのあたりに理解した

それと無明で終る十二支縁起ではなく、渇愛で終る雑阿含285経もある。
だからキミの無明云々は説得力はない。

パーリ原文もまったくキミは読めてないのだが、(読めてたら・・・略)
一つサービスする。相変わらずテキストを読まず、コンビニ間抜け引用だね。
285経に「譬如油.炷然燈 若不摶治炷。非彼燈明未來不生.盡.磨滅耶」とある
キミの引用「燈明得燒。數増油&M018965;。彼燈明得久住不」も285経の一文だね。
キミは284経を示していたが、あいかわらず経典読まない人だな、と感心した。
それはともかくこの灯明は煩悩とか苦の事で 智慧とは逆だ。間抜けすぎ

「灯明は、油が増えると益々 燃える」と延べ、苦滅への各支を説き
「油がなくなれば 灯明は 燃えない」
灯明が燃える原因が油であり、油を除けば炎が消えるように、
苦の原因である「渇愛」を滅しようね、という話だよ。


416 :暇人:2005/08/12(金) 00:24:11 ID:/iQaskON
>しばらくネットでの発言自粛してサンスクリットを習ったら?

中学英語からだな 私の場合。 
手遅れだろう。(笑) サンスクリットする前に 棺桶だな。
ただ、現段階で幸か不幸か、
トモデモ系の人 キミとかが ウソ吐いても 
見抜けるようになっちゃったね
喜ぶべきか 悲しむべきか 

417 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 05:33:34 ID:YUsvYSzR
>>414
また屁理屈がはじまったね。比丘たちが主語で三人称単数の動詞がとか
オコチャマ発言していたと思うとまたオコチャマか。

>あっ キミがエサを食ったか(笑)。
>釈尊が釈尊を述べているのに なぜ三人称単数なのかな。 
主語は釈尊じゃないんだよ。よく読んでみたら?屁理屈じゃなくて間抜けだ。(笑)
動詞の特性を勉強したほうがいい。言語を超えた体験かなんかしらんが、

>それ以前にpa??aya abhisamayo 「智慧によってわかった」が定型だね。
>abhisamayは、知的にわかるものだと繰り返されていて、
だから、なぜ一般的にわかったと訳せるのだ?縁起現観の文脈のみ「わかる」
と訳せる。数学の問題が「わかる」というところにabhisamayaが使えるのか?
原始仏教スレッドでは一番馬鹿にされる「論点先取の虚偽」だよ、それ。
paNNA(prajNA)によってわかるのか?ふーん。この文章でabhisamayaは男性名詞
単数主格なんだけど、これを動詞、あるいは動詞相等と読むのならかなりの説明
がいるよ。あんたに出来るかな?増谷・中村・その他・英訳にも動詞として読んで
ないよな。なんでだろ。(w

>それと無明で終る十二支縁起ではなく、渇愛で終る雑阿含285経もある。
それがどうした?そのことで「だからキミの無明云々は説得力はない」とはならないぞ。
説明してみろ。これでもセンスが無いことが丸分かり。

>パーリ原文もまったくキミは読めてないのだが、(読めてたら・・・略)
上記のようなパーリ語の読みしている奴には言われたくないね。(パーリ以前、中学生文法の範囲・・・略)
一つだけ褒めてやろう。人の引用ミスを指摘してくれてありがとう。


418 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 05:43:12 ID:YUsvYSzR
>>416
暇人さんよ。
>トモデモ系の人 キミとかが ウソ吐いても 
>見抜けるようになっちゃったね
>喜ぶべきか 悲しむべきか 

どこがウソというんだ?漢訳の引用箇所だけの間違いだろ?
それをウソと決め付けるあんたはかなり悪質。謝罪しろ。(あんたのまね)
そんな知見じゃいつまでたっても進歩しないよ。

それよりも、abhisamayaについて一連ではメタ切りされているのに何の
コメントも言訳も反論もせずによく出てこれるね。恥を知らないのかな。
自性に続き、四禅についても完全に潰されてるんだよ。もぅ誰も相手に
しないと思うんだけどな。パーリ辞書についてあんなにゴタゴタ因縁つけ
たあんたは人間的にも見放されている。改心しても、まだ「わかった」とか
言ってるようじゃもう手遅れだけどね。

で、ニ系統の話はどうなった?性格(笑)に述べよ。

419 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 05:47:52 ID:Mi3emmAq
rmWYwiQI= YUsvYSzR=電波は、寝る間もなくモニタを見つめて必死だな

420 :暇人:2005/08/12(金) 07:54:11 ID:vNbSnGsL
>>417

yonisomanasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo

動詞は「ahu」だよ。hoti若しくはbhavatiのアオリストだろうね
「〜した」 「根源よりの思惟」した。「智慧による理解」(した)
こういう風に私は読んでいるのだけどね。
智慧によって理解した→智慧によってわかった。
先の引用では中村さんは
「根源的に思惟すると、智慧によって〔真如を〕まのあたりにすること(現観)
があった」
まあ玄奘の新訳に気を使って最初だけ(現観)を入れるが、
後の箇所ではさすがに外しているね。最後まで真如を入れるのだが。。

漢訳の伝統に従って原文にない「現観」とか「真如」とか、後代の仏教に
よって大きく意味を変える佛教語をここで入れるべきではないと私は思うけどね
原文はもっと平易だ。

自分で
「老死→生→有→取→渇愛→受→触→六処→名色→識→行→無明」と
書いたが、この部分も仏教ギョーカイ用語で 一般人には意味わからん
「老い、死ぬこと→生まれること→生命活動(存在)→執着→苦痛を感じる感覚→
接触→眼・耳・鼻・舌・皮膚(身)の感覚器官と心・・・」などと
もっと思索して 一般にわかりのよい訳をすべきだな。




421 :暇人:2005/08/12(金) 08:03:49 ID:vNbSnGsL
>どこがウソというんだ?

正覚と解釈するための根拠、傍証箇所の漢訳に、
正覚とは180度逆の煩悩の譬え部分を引証していることは、
私にとっては「ウソ」なのだが、
テキストを読むことなく、理解することなく、思索することない
キミからすると ちょっとした引用ミスなのだね なるほど了解した。

まあ立場により 解釈はわかれるし それはそれでよい。
キミは 専門家ぶらなければ マチガイをおかしまくる
ただのお茶目ちゃんなのだが、
その程度なのに 専門家ぶるので 私からしたら トンデモ系だね

まあ お茶のんでくれ ( ^-^)_旦~~

422 :暇人:2005/08/12(金) 08:14:08 ID:vNbSnGsL
>主語は釈尊じゃないんだよ。よく読んでみたら?

そうなのか ありがと。何が主語なのか 動詞とか名詞などの格変化で
わかるのか 便利だね。
動詞の特性どころか 格変化すらしらん というか
アルファベットの順番さえわかんのだが。。(笑)
困ったものだ

423 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 08:14:44 ID:K7WMa4YV
と、「中学英語からだな 私の場合。」と言ってる香具師が吠えてます。
この人、外国の辞書にもいちゃもんつけたりする大学者様みたいなん
ですけどね(激藁

424 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 08:22:21 ID:YMbuJyr4
電波よりはマトモだよ。

425 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 08:25:23 ID:K7WMa4YV
電波氏に恨み骨髓の怨霊どもが次から次へと発生してくることで(ry

426 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 08:43:31 ID:Mi3emmAq
まあ、電波が人気がないこともはっきりしたな。怨みじゃなくて、トンデモで見苦しいんだよ。

427 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/12(金) 08:45:24 ID:76subRS5
>>400
> お待たせしました。二箇所の原典は以下のとおり。
(省略)
> ”abhisamaya”や「正覚」と言う語もありませんが、正覚と解釈するのがよさそうです。
> その他の4つは ”abhisamaya”でした。
お手数、お掛けいたしました。ありがとうございます。

>>403
> >との記述があるのですが、ここの現観は「正等覚」にはほど遠いように思えます.
> これは全く関係のないことだと思います。
そうかもしれませんが、私は次のように思ったのです。

>>228 の中華佛學研究所のHPの内容は、「現觀」には、
(1)仏教全体で最高なる証りとして用いらるもの
(2)初歩的な証りについて語られるもの
の2つがある。
「臨床仏教カウンセリング」で使用されているのは(2)のケースの応用。

要するに「四諦観が確立した最下位の聖者」「見道の聖者」となるための
修行として四諦現観があったのではないかという印象を受けたのです。
それは間違いなのでしょうか?

> 過去七仏などワンサカあります。有名なのがヴィパッシン仏ですね。
過去七仏というのは、非常に神話的な響きを感じるのですが、本当に実在したのでしょうか?

> 中村前掲書P.75の註(2)に
> 『五分律』第15巻(大正蔵、22巻102ページ下ー103ページ上)でも、第四禅を得て、三明に達し
> 縁起の理を観じて悟ったということになっている。、、、、(あと典拠を4つほど提示する)
釈尊の弟子で、『第四禅を得て、三明に達し縁起の理を観じて悟った』人がいるのかどうかに興味があります。


428 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 09:10:40 ID:RUYENbKJ
暇人さん、あなたの発言の目的は、
お馬鹿をふりまわし、このスレ自体を低劣なものとし、
このレスへの參加者すべてがあなたと同程度の
お馬鹿であると、ROMの人たちに誤認させようとする
ことにあるのですか?

暇人=三吉なら、一連の発言を本気でしている可能性も
あろうけれど、余りに酷い。

429 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 09:48:20 ID:YUsvYSzR
>>420

えらい、叩かれているじゃないか。屁理屈反撃は予想したけど、ここまで猿回し
してくれるとはありがとうよ。

>>動詞は「ahu」だよ。hoti若しくはbhavatiのアオリストだろうね
>「〜した」 「根源よりの思惟」した。「智慧による理解」(した)
>こういう風に私は読んでいるのだけどね。
>智慧によって理解した→智慧によってわかった。

あのね、あんたの語学や考えることのセンスの無さを指摘してる人がいるから、
仕方ないから指導してあげる。「hotiもくしはbhavati」のアオリストとか言ってるけど
もう止めときなさい。アオリストの意味を理解していないと思うけど、これらは両者
ともあんたが大恥かいた√bhUなんだよ。そこから造られたものなんだ。

√bhUとはね、「〜した」したとは絶対にならない。「生まれ起こってくる」という意味なんだ。
インドでは「存在」を静的に捉えることは殆ど無く、”comminng”というニュアンスを持って、
この語で「存在する」という意味を持つ。また、「生まれ起こってくる」というところから「生起する」
(この概念はup√padとも隣接)とか「得る」という意味を持つ。命題的に用いられるときには
記述動詞の√asもよく混同されるけど、よく似た用法で存在記述動詞だと、とりあえずは思えばいい。

だから、「現観が生じた」、「現観を得た」と言うのが正解。あんたの言う(した)などは絶対にありえない。

430 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 09:55:02 ID:YUsvYSzR
>漢訳の伝統に従って原文にない「現観」とか「真如」とか、後代の仏教に
>よって大きく意味を変える佛教語をここで入れるべきではないと私は思うけどね
>原文はもっと平易だ。

完全に沈没しきっているのに、あんた醜いよ。原文?全く読めて無いのになに言ってるの?

>>421
しつこいね、あんたも。あんたのように絶対に非を認めないんじゃなく、錯誤を認め、その指摘に
謝意を表明したのに、まだ何が言いたいの?漢文部分はそのまま削除。






431 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 10:04:26 ID:YUsvYSzR
>>427
>>(2)初歩的な証りについて語られるもの
>の2つがある。
>「臨床仏教カウンセリング」で使用されているのは(2)のケースの応用。

>要するに「四諦観が確立した最下位の聖者」「見道の聖者」となるための
>修行として四諦現観があったのではないかという印象を受けたのです。
>それは間違いなのでしょうか?

これは釈尊自身の悟りについて語られたことなのか、あるいは釈尊の弟子についてなのかに
よって意味内容が変わると思います。縁起現観にいろんな遍歴、死ぬほどの苦行、自ら試行錯誤
して苦しみの原因を追究して得た現観と、その到達者が教えて実習する縁起観
とでは当然差異がでるでしょう。後者で考えた場合、(2)ケースの応用はあながち間違いでは
ないのかも知れませんね。

しかし、釈尊自身に置き換えたらHPに見られる現観とは意味合いが変わるのだと思います。
だから、
>釈尊の弟子で、『第四禅を得て、三明に達し縁起の理を観じて悟った』人がいるのかどうかに興味があります。
という所に興味をもたれたのですね。釈尊の弟子でそのように悟った人がいるのかもしれません。
舎利ほつや目連のように。(調べないと断定は出来ませんが)でも数息観だけで悟った人も居ます
から、釈尊以外では絶対必要条件では無いようですね。

432 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 10:08:43 ID:ex8ZwX8p
>>428
三吉は所詮この程度。中学生でもかける罠、これくらいの発言。
主語が分からないのは中学生以下か(W

これだけ叩かれているのに、リング外で椅子を振り回しているのはみっともないね。

433 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 10:46:27 ID:YUsvYSzR
>>424
電波さんよりマトモってどこが?全部つぶされて行ってるよ。
abhisamaya関係発言読んでないのかな?ドンデモを通り越して猿回しだ。
知らないのはいい。能力が足りないのはまだいい。それを棚上げにして
偉そうな態度を取って間違いを認めず本質ではない揚げ足を取ってくる
のが知的誠実さを持たない恥ずかしい行為だと言ってるのだ。
彼の正確(笑)は一生変わらないだろう。

@自性
  ・
  ・
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Aabhisamaya
  ・四禅のあと
  ・
  ・(ニ系列っぅ)・・・・・・・・・・・・・・・

全部、衆人環視のもと沈没確認。

434 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 10:55:54 ID:Mi3emmAq
電波の吐く言葉は、自分を映す鏡だな。

電 波 が マトモってどこが?全部つぶされて行ってるよ。
abhisamaya関係発言読んでないのかな?ドンデモを通り越して猿回しだ。
知らないのはいい。能力が足りないのはまだいい。それを棚上げにして
偉そうな態度を取って間違いを認めず本質ではない揚げ足を取ってくる
それだけじゃない。このように分裂して場外乱闘している
のが知的誠実さを持たない恥ずかしい行為だと言ってるのだ。
彼の正確(笑)は一生変わらないだろう。


435 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 11:12:04 ID:ex8ZwX8p
>>434
夏厨はウザイ。なにも論証できない。

436 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/12(金) 11:58:03 ID:WgIxJr0C
>>412
> pubbe 〜前に ananussutesu 未聞の dhammesu 法の複数 cakkhuu 眼

暇人さん、情報どうもありがとうございます。
>dhammesu 法の複数
うーん。すると、ここでいう法は、一般的な縁起の法というよりは、
「実に生があるとき老死がある。生に縁って老死がある」
「有があるとき生がある。有に縁って生がある」

という11個の真理を指すと考えた方がいいのかな。

「●さとる 」は正覚だと思い込んでいましたが、こうなると
最初の「●さとる 」は、集諦を悟る。
次の「●さとる 」は、滅諦を悟る。
という風な解釈が可能であり、その方が素直ですね。

正覚を2回得るというのは、変だから…


437 :暇人:2005/08/12(金) 23:05:52 ID:tyl4C0zm
>>429

あいかわらずギャグ好きだね。

鳩摩羅什がbhavatiを「有」と訳したのだが、インドの一般用法としての
bhavatiは「〜なる」だよ、というネタだな。そーいえばそういう話聞いたことあるな。
この平行箇所を平川彰著作集Tp420は、
「如理作意と般若により、次の領解が起こった。即ち「生があるとき、老死がある。
生の縁よりして老死がある」と。
「領解が起こった」と「生起する」という意味でアオリストに訳されているね。

だがね、それなら「理解が生じた」でいいのだ。
「理解が生じた」は、「わかった」と意訳しても原意をまったく損なわず、
わかりやすい。
さて今回のキミの問題点は、玄奘ギャグだね。
「現観」なんてパーリ原文のどこからも出てこないのだ。唐代の玄奘から出てくる。
「現観が生じた」では一般人にはわからない。何度も言わすなって。

以下付録
√bhUは、「なる」が第一義かもだが、「ある」、「いる」、「起こる」という意味もあるね。
だから水野パーリ辞典p243のbhavatiは、「ある、存在する」だね。
キミは一つの事実をもって すぐ「絶対」化しちゃうところがトンデモ系。
ネタとしてはわかりやすく面白いが 精度に欠ける。

んで いつものことながら もうひとつ添削。世話焼かせるなよ。
× up√pad← ○ ud√pad だな 「生じる」、「現れる」という意味ね。


438 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 23:54:06 ID:YUsvYSzR
>>437
どこまで馬鹿なんだろ、この男は。撃破されていることが全く分からんのか。

>だがね、それなら「理解が生じた」でいいのだ。
>「理解が生じた」は、「わかった」と意訳しても原意をまったく損なわず、
>わかりやすい。

「わかった」という動詞で読んでおいて、これは居直りだな。意訳?原意を完全に損ねてるよ。
「わかる」というのなら、こんな表現はしない。√jNAなどの動詞活用か、その他になるな。
なんでこんな教える価値の無い奴を指導せにゃならんのだ。

>「現観」なんてパーリ原文のどこからも出てこないのだ。唐代の玄奘から出てくる。
>「現観が生じた」では一般人にはわからない。何度も言わすなって。
ほんとーに醜いよあんた。一般人?一般人にはわからん要語はこの歴代スレッドに頻出している。
一般人を対象にしているという共通認識などない。何度も戯言言うな。現観(abhisamaya)という言葉は
普通に使っている。こっちの方が共通認識事項だ。前掲中村元の書物、氏の論文など大方が
現観だ。また、増谷氏の『現観相応』の現観は”abhisamaya”、水野弘元『パーリ仏教を中心とした心職論』P.268
など、原始仏教の文脈でも現観は共通語だ。前に出したように、四禅を終えて三明を得た後で縁起観
として生起するものとしてね。

439 :名無しさん@3周年:2005/08/12(金) 23:55:07 ID:YUsvYSzR
>√bhUは、「なる」が第一義かもだが、「ある」、「いる」、「起こる」という意味もあるね。
>だから水野パーリ辞典p243のbhavatiは、「ある、存在する」だね。
>キミは一つの事実をもって すぐ「絶対」化しちゃうところがトンデモ系。
>ネタとしてはわかりやすく面白いが 精度に欠ける。
ひとの発言読んでいるのか?読みもしないでなにが絶対化だ、何がドンデモ系だだ、なにが精度にかけるだ。
↓が理解できないのか?それとも読んでいなかったのか?辞書での記述は完全に読んでから議論するのが
当り前だ。命題的に用いられる場合については絶対に理解できていないと思うがね。吉害のあんたには。
>この語で「存在する」という意味を持つ。また、「生まれ起こってくる」というところから「生起する」
>(この概念はup√padとも隣接)とか「得る」という意味を持つ。命題的に用いられるときには
>記述動詞の√asもよく混同されるけど、よく似た用法で存在記述動詞だと、とりあえずは思えばいい。

440 :暇人:2005/08/13(土) 00:44:54 ID:zRaVeDb5
>一般人を対象にしているという共通認識などない

あは。
意訳という意味わかるか? 直訳を示して意訳を間違っていると
難癖つけているだけで 本筋からキミは脱線している。
まあ そこがキミ特有でトンデモ面目躍如だね。
お笑いふりまいてくれて。

>なにが精度にかけるだ

√bhUとはね、「〜した」したとは絶対にならない←これが精度に欠けている
ある例は例示した。



441 :素人:2005/08/13(土) 01:02:01 ID:D7fmhghT
自分が大学で学んだことの一つは、翻訳の難しさ。
専門用語を(なるべく)使わずに、どうやって普通の人に解る文章に訳せるか・・・
その時に必要なのは、専門知識は当然として、一般の日常の言葉・専門知識のない人の間の
語彙や文法、癖などがわかっていなければ駄目だということ・・・

今、話されている現観などという言葉は、普通の人には???です。
このスレの中では無問題でしょうが、一歩外へ向かった発言の際は
どのような言葉に替えるのでしょうか?  >>ALL

442 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 02:49:41 ID:Hw1Z//vb
>>441
>今、話されている現観などという言葉は、普通の人には???です。

言葉が情報を伝達するというのはあまり正確ではない。
伝達されるのはあくまでもイメージに対する指示でしかない。

言葉を交わすもの同士が、同じイメージを共有していれば、
言葉で指示するイメージも同じになり、
言葉で情報を伝達することができるかのように見える。
こういうのをヴィトゲンシュタインは言語ゲームと呼んだ。

しかし、一方がメクラで一方が目覚めた人で、
目覚めた一方は、その目覚めを言葉で説明して
メクラが理解できるか?という問題。
明らかに無理。

「現観」はそれを経験してみないと分からないもの。
経験無しで説明でき、それが言葉で伝わるなら、
その説明を聞いた人はみな悟れるということになる。

443 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 02:53:26 ID:QvqruAww
国語に対応する適切な語がない場合は

1 原語をそのままカタカナで使う 例 デフォルト(default、既定値)
2 漢語を作る 例 実装(mounting)

abhisamayaはもともと現観という訳語があるから使う。訓は、まのあたりにみることだろう。

444 :暇人:2005/08/13(土) 03:27:28 ID:zRaVeDb5
>>436
>dhammesu 法の複数

明瞭には私はわかってないですね。今のところ 縁起の各支「何々縁ってある」(ギョーカ
イ語=縁已生法)を上半分は指しているのではないかと。それと正覚。。。

サンユッタ・ニカーヤ12 2 10に、
Katamo ca bhikkhave, pañiccasamuppàdo? Jàtipaccayà bhikkhave jaràmaraõaü uppàdà
いづれか/〜と/比丘/縁起   生に縁って/比丘/老死/生起
và2 tathàgatànaü anuppàdà2 và tathàgatànaü ñhitàva sà dhàtu dhammaññhitatà dhammaniyàmatà idapaccayatà.
あるいは/如来/不生/あるいは/如来/ その道理は定まる/法住性/法決定性/縁とすること
<「比丘たちよ 縁起とは何か?」「比丘達よ 生れることに縁って 老いと死が生起する」
という法則だ。まだ生まれざる如来も世に出た如来にとっても、この縁起の道理は既に確
立し、法として普遍的で法として決定的で、縁ってある。>
Taü tathàgato abhisambujjhati, abhisameti.
それを/如来/よく悟り/了解する
Abhisambujjhitvà abhisametvà àcikkhati deseti pa¤¤apeti3 paññhapeti vivarati vibhajati uttànãkaroti.
よく悟り/了解し /説き/教示し/知らしめ/与え/開き/解釈し/明らかにする
<縁起を如来は、よく悟り、了解している。
(縁起を)よく悟り、了解し、(皆に縁起を)説き、教示し、知らしめ、与え、開き、解釈し、明らかにする。>


445 :暇人:2005/08/13(土) 03:29:42 ID:zRaVeDb5
abhisametiは、abhisamayaの動詞。
この「abhisambujjhati, abhisameti. 」というabhisambujjhatiという
「悟り」(漢訳=等正覚)と並記されるabhisamayaは、水野さんが言われる
とおり 限りなく悟りに近いですね。
縁起の各支をわかるという文脈の使用ではなく、法則性をよく悟り、了解している
という意味で使われていますからね。そして同時に「悟り、了解する」と、自分だけわかっているのではなく、他者にその悟りを、自分が理解したことを自然に開いていくことが
書かれていますね。

上記訳は 素人のため、格変化などの基本をまったくわかってませんので、
信用されないように。 有縁の方 訂正をどうぞ よろしくです。

446 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 07:42:03 ID:GyA988bc
>>440
あんた、もう駄目だよ。人を笑い殺すな。「存在する」や「ある」についての誤読は
あんたの考えている精度より高い記述がすでに発言していたことを指摘したのに、
これはなに?

>√bhUとはね、「〜した」したとは絶対にならない←これが精度に欠けている
>ある例は例示した。
例示していないよ。「〜した」と訳せることを文法、シンタックス、用例で示したら?

>命題的に用いられるときには
>記述動詞の√asもよく混同されるけど、よく似た用法で存在記述動詞だと、とりあえずは思えばいい。
これについて、折角教授してやっているのに理解できていないんだね。頭悪いよ。

さらに頭が悪く、すり替え、難癖の例がこれだ。おまえ、よそ様に非常に迷惑かけてるよ。
今は夏休みだ。中学生や高校生に害毒を流している。

>あは。
>意訳という意味わかるか? 直訳を示して意訳を間違っていると
>難癖つけているだけで 本筋からキミは脱線している。
>まあ そこがキミ特有でトンデモ面目躍如だね。
>お笑いふりまいてくれて

447 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 07:43:15 ID:GyA988bc
「あは」など危ないつぶやきは、ますます、、(以下ry
意訳?おまえ、読めていないのに意訳が出来るのか?その「わかった」というのが意訳であっても
それは間違いだと散々多くの人が言っているのにまだそんなこと言ってるの?また馬鹿度が上がったな。
難癖?なにが?本筋から離れている?どこが?本筋から離れているはあんたの方。
>>441の馬鹿は放置するとして、>>442さん>>443が現実的な知的水準でお話している。

また人の書いたことを読んで無いだろ。知的誠実さが無いぞ。:
>何度も戯言言うな。現観(abhisamaya)という言葉は
>普通に使っている。こっちの方が共通認識事項だ。前掲中村元の書物、氏の論文など大方が
>現観だ。また、増谷氏の『現観相応』の現観は”abhisamaya”、水野弘元『パーリ仏教を中心とした心職論』P.268
>など、原始仏教の文脈でも現観は共通語だ。前に出したように、四禅を終えて三明を得た後で縁起観
>として生起するものとしてね。
彼ら大家(笑)にも文句をつけるのか?

448 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 07:43:55 ID:QvqruAww
Tahoma式
Taṃ Tathāgato abhisambujjhati abhisameti.Abhisambujjhitvā abhisametvā
ācikkhati deseti paññapeti paṭṭhapeti vivarati vibhajati uttānī-karoti.
Unicode
Taṁ Tathāgato abhisambujjhati abhisameti.Abhisambujjhitvā abhisametvā
ācikkhati deseti paññapeti paṭṭhapeti vivarati vibhajati uttānī-karoti.

449 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 07:50:53 ID:GyA988bc
これから棚経だ。昨日から本番なのだが、しばらく書き込みできなくなる。
暇人よ、その間大いにギャラリーをわらかしてくれたまえ。

450 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 08:03:57 ID:QvqruAww
IEではUnicodeラテン拡張文字の一部が□になる。IEのせい。Netscapeでは見えるらしい。
Tahomaフォントなどの方式で書くと表示されるが点がずれる。掲示板がUnicode非対応のせい。
メモ帳などにコピーすれば両方ともちゃんと見えます。

451 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 09:24:10 ID:nX06+5/K
>>446 だめなのは、あんただと思うな。
その根拠は辻§111-4 に明解。それでも納得しないならPan V.4.50
その他辻§80、82、89、100、109-II-c

仏教では無常なので恒常に存在するということを避けて用いられる
√sthA √vRt あたりのことを耳にはさんで誤解したんでしょう。(辻§113-1)
だから √bhUは「成る、生成する、発生する」だけだといいたいんでしょうが、
abhUta は「なかった、ない」ですね。
bhUta は「あった、ある」ですね。

ところで「あんたの考えている精度より高い記述がすでに発言していたことを
指摘したのに」とは何が言いたいのか?

まあ「オレはアンタが想像できない程ハイレヴェルな指摘をしたんだ」ってこと
なんだろうが、高いのはプライドだけのようで。

452 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/13(土) 09:35:26 ID:tB1Srbs4
>>431
> これは釈尊自身の悟りについて語られたことなのか、あるいは釈尊の弟子についてなのかに
> よって意味内容が変わると思います。縁起現観にいろんな遍歴、死ぬほどの苦行、自ら試行錯誤
> して苦しみの原因を追究して得た現観と、その到達者が教えて実習する縁起観
> とでは当然差異がでるでしょう。
そうですね。
ですから、原始仏教における現観を論ずる際には、次のような2×2=4ケースの
区分を考える必要があるのではないでしょうか?

基準1
(1−1)仏陀(過去仏を含む)の現観
(1−2)釈尊の弟子の現観
基準2
(2−1)解脱・涅槃・菩提(悟り)と密接な関係を持つ現観
(2−2)初歩的な証り(見道、預流向)と密接な関係を持つ現観


そして、本スレで現観に関してテーマとして扱うべきは、次の2つではないでしょうか?

■■【テーマ1】(1−1)(2−1)
釈尊が、正覚を得た際の現観は、いかなるものであったのか?

■■【テーマ2】(1−2)(2−1)
http://www.geocities.jp/jfcps873/gb/gb02.html
> 545 名前: 電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss 投稿日: 02/10/08 22:31
> 内容的には「概念を超えた縁起の現観」です。
> 618 名前: 電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss 投稿日: 02/10/11 13:56
> 止観は四禅すべてにわたります。現観はその次の段階です。

と述べられている現観は、経典においてはどのように述べられているか?


453 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/13(土) 12:50:23 ID:tB1Srbs4
>>404 :名無しさん@3周年:2005/08/11(木) 18:19:53 ID:rmWYwiQI
> >過去七仏などワンサカあります。有名なのがヴィパッシン仏ですね。中村前掲書P.75の註(2)に
> >『五分律』第15巻(大正蔵、22巻102ページ下ー103ページ上)でも、第四禅を得て、三明に達し
> >縁起の理を観じて悟ったということになっている。、、、、(あと典拠を4つほど提示する)
>
> で言っちゃいました。今気づきました。じゃ最後まで典拠を転載しますね。
ありがとうございます。

>   『増一阿含経』第31巻(四)(大正蔵、2巻718ページ上ー下)
えーと、これは、

0125_,02,0717b14(00):増壹阿含經卷第三十一
0125_,02,0717b15(00):東晋&M028367;賓三藏瞿曇僧伽提婆譯
0125_,02,0717b16(00):力品第三十八之一
の中の

0125_,02,0718a13(12):<com>(四)</com>聞如是。
0125_,02,0718a14(07):一時佛在舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。
0125_,02,0718a15(02):我本爲菩薩時未成佛道中有此念。此世間極爲勤苦。
0125_,02,0718a16(09):有生有老有病有死。
………
0125_,02,0718c14(02):以知六入則知生老病死。六入滅則生老病死滅。是故比丘。
0125_,02,0718c15(01):當求方便。滅於六入。如是諸比丘當作是學。
0125_,02,0718c16(00):爾時諸比丘聞佛所説歡喜奉行。
の部分を指すのでしょうか?

単語検索しても「四禪」も、「無間等」も見つからないのですが、
この経典は何を目的として提示されているのでしょうか?
てっきり、第四禅の後に現観が生じることの根拠だと思ったのですが…


454 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 13:59:12 ID:8zMZW7PP
世は末法

455 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/13(土) 16:57:25 ID:V6+yyYJC
>>441
>どのような言葉に替えるのでしょうか?  >>ALL

言葉に替えたとしても、それは月を指し示す指にしかならない。

ある事象・心象を否定のカタチをとりまして、
そこでいったん”間”を置き、
自分に問う以外にはない訳です。

否定というのは、肯定の意も含んでますね。
ただ1辺に偏しているだけだですから。

現観というのは、この肯定・否定に依らない直覚のことです。


456 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 18:20:07 ID:OmNd9YdZ
「まのあたりにみる」っての抽象的な「知る」を視覚的に表現したメタファーには違いない。

457 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/13(土) 18:38:03 ID:V6+yyYJC
>>456
なかなか、いいこと言いますね。

458 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 22:59:07 ID:Hw1Z//vb
「現」という字からは「今・ここ」を連想するね。

「今・ここ」にいるということには、
観るものと観られるものとの分離がない。
その意味では無我である。

しかし「観ていること」というプロセスまで無いわけではない。
ここら辺が誤解されるところだろうな。

なんにしろ意識の問題を抜きにして
単に言葉の定義に終始するのはよくない風潮だね。

459 :暇人:2005/08/13(土) 23:26:02 ID:zRaVeDb5
>>458

パーリ・阿含のテキストや文脈を抜きにして、数百年後の後代の漢訳者
玄奘の漢訳語「現観」の漢字から意味を探ると どんどん原意から
離れるのじゃないかとわたしは思う。

原意的には、縁起の各支を「知的に理解すること」だったり、
悟りを意味する語と併記され、「深く理解している」ことだったりする。

「直覚」とか「分離がない」とかは、中期大乗時代の思索を経た
理解ではないだろうか。

「老死は、生まれたからある」というのは「苦の解決」。
人生において苦の根本原因はなにか 原因がわかれば その原因を
滅したらよい。とても実際的な関心からはじまってって 切実で
 私たちみたいに机の上の遊びではなかった気がするな

460 :名無しさん@3周年:2005/08/13(土) 23:42:41 ID:Hw1Z//vb
玄奘だってインドで経典だけではない実際の仏教を学んだんだろう?

サンガが伝えてきた、経典の意味をどう解釈するか、
というところに直に触れていたと思うね。

あと、話が飛ぶが、原始仏教というより古代仏教と言うべきだと思うけど、
仏教がインドではなく、もともと西アジア(古代メソポタミア)起源という説もある。
どうなんだろうね。

461 :暇人:2005/08/14(日) 00:20:46 ID:qhWV4Ggr
玄奘は実際のインドの仏教に肌で触れたですね。
玄奘以前と以後で佛教語が変化しただけのインパクトを
中国・日本仏教に与えたほど 仏教史上では 偉大ですね。

従来の解釈に飽き足らず、直接インドまで行き
自分の目で肌で本場の仏教を学び、感じ、理解し、
中国に持ち帰り、新解釈を展開し、その後の仏教に多大な影響を
与えたのですね。

偉大な大先輩の解釈は解釈として横にひとまず置き
でもココはせっかくの原始仏教スレ 古代仏教でも初期仏教でも
いいが 私たちもパーリ・阿含に直参しません?
自分の目で何かを感じませんか?

あっ臭くなってしまった 汗

462 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 04:08:45 ID:3nTP7STm
「原始佛教的證悟」(水野弘元著/釋惠敏譯/佛教教理研究)

ttp://www.chibs.edu.tw/publication/LunCong/023/125-146.htm

463 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/14(日) 05:06:30 ID:SEolUOGy
>>396
> 思想遍歴も、苦行も、再度瞑想の復習も終わり、
> 菩提樹下で苦の来因を思索したときに現観が生じ、留めなくそのありさまを目の当たりにしました。
> そして正等覚を得ました。

仏陀の正覚体験とは何だったのか?
やはり、キーは四諦ではなかろうか?

正覚を生じる前に仏陀は、既に苦諦は現証していたと考える。
苦の来因を思索したときに現観が生じ、集諦を現証する。
続いて、苦の滅を思索したときに現観が生じ、滅諦を現証する。
苦諦・集諦・滅諦を現証することにより、解脱し菩提を得た。

そして教えを説く際には、
最初に苦諦・集諦・滅諦を理証させ、
これらを現証するための手段として八正道を説き、
弟子たちは、八正道の実践により、
苦諦・集諦・滅諦を現証し、解脱したのではないだろうか?

--------------
http://page.freett.com/Libra0000/ronbun01.html
(9) 日蓮は「文証・理証・現証」の「三証」を言う。
「文証」とは「信頼すべき経典による文献的証明」
(伊藤瑞叡『日蓮精神の現代』、大蔵出版、1989年、p.122)であり、
「理証」とは「思惟や論理を媒介とする合理的証明」(p.123)であり、
現証とは「客観的事実における実践的追認による具体的経験」(p.123)のことである。


464 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/14(日) 06:50:25 ID:bQVevDpt
>>459
>「直覚」とか「分離がない」とかは、中期大乗時代の思索を経た
>理解ではないだろうか。

直覚というのは、思索もない理解もない、いわゆる直観のことですね。
いわゆる非常に原始的なことです。
はるか大昔、言語自体も発展してない時代にあっても、
言語に依る思索に全く関係なく、直覚というのはありますね。


465 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 08:41:23 ID:hfUp1fan
アホダラも仲間にいれてやれよ!
みんなでやれ!
乱立させんな!

466 :暇人:2005/08/14(日) 08:44:10 ID:jt05yVdL
>>465

仲間はずれにしてないよ。
別スレッド立て、こちらをソフトで見えなくして
自分から出て行かれたのよ。
しばらく そっとしてあげたほうがいいかも。

467 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 19:07:11 ID:TFJ1wU1+
>>451
はい、ご苦労さん。読解力も無く、文法知識も皆無。議論の仕方も知らない。論理構成力以前の
日本語の問題。あまり口を挟まない方がいいよ。この一つの発言だけで大恥かいてるんだから。
まず、これを読め。>>429
   >√bhUとはね、「〜した」したとは絶対にならない。「生まれ起こってくる」という意味なんだ。
   >インドでは「存在」を静的に捉えることは殆ど無く、”comminng”というニュアンスを持って、
   >この語で「存在する」という意味を持つ。また、「生まれ起こってくる」というところから「生起する」
   >(この概念はup√padとも隣接)とか「得る」という意味を持つ。命題的に用いられるときには
   >記述動詞の√asもよく混同されるけど、よく似た用法で存在記述動詞だと、とりあえずは思えばいい。
「ある」という意味はすでに指摘済み。これを読まなかった、あるいは読めなかった馬鹿暇人が狂った
指摘をしたので、人の発言を読めといった。さすがの馬鹿の暇人もそれはわかったらしく、それ以降は
反論していない。それを今、あんたは最低最悪の脳味噌を証明してくれたんだ。軽蔑笑いもできないよ。
  >その根拠は辻§111-4 に明解。それでも納得しないならPan V.4.50
福祉複合語がどんな関係があるというのだ?
辻文法P.246
  >4.Type bhasmi-kR- すべての名詞語幹に語根bhU,asまたはkRを沿え、〜となる、〜である、あるいは〜にするの意味を表す複合語を作る。
  >・・・・その他の語幹は変化せず・・・・-bhUとなる。
これがどう適用されるというのだ?説明してみろ。適用先が今回の話題には無いじゃないか。馬鹿め。さらに
  >その他辻§80、82、89、100、109-II-c
どこがどう関係するのだ?脳味噌あるのか?
   >ところで「あんたの考えている精度より高い記述がすでに発言していたことを
   >指摘したのに」とは何が言いたいのか?
上の文章を読め
   >命題的に用いられるときには
   >記述動詞の√asもよく混同されるけど、よく似た用法で存在記述動詞だと、とりあえずは思えばいい。
これだ。お前に理解できるか?下らん奴だ。


468 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 19:18:20 ID:TFJ1wU1+
>>452

>基準1
>(1−1)仏陀(過去仏を含む)の現観
>(1−2)釈尊の弟子の現観
>基準2
>(2−1)解脱・涅槃・菩提(悟り)と密接な関係を持つ現観
>(2−2)初歩的な証り(見道、預流向)と密接な関係を持つ現観

現観などを現代に適用させて、実践的に捉えようとする真摯な態度だと思います。とくに(2−2)
部分は預流向は横に置くとして、面白いかもしれませんね。その他も色々と探ることで議論の
価値が生まれると思います。中村先生の註記箇所をそのまま載せただけで細かい検証はしていません。
余力が生まれたら見てみましょう。

469 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 19:33:08 ID:TFJ1wU1+
>>459

>パーリ・阿含のテキストや文脈を抜きにして、数百年後の後代の漢訳者
>玄奘の漢訳語「現観」の漢字から意味を探ると どんどん原意から
>離れるのじゃないかとわたしは思う。
居直ってすり替えるのは止めろって。誰も玄奘訳の是非論はしていない。もしやりたかったら
締めなおせ。誰がパーリ・阿含のテキストを無視してるのだ?
文句言うのなら、まず、「現観」を共通する当り前としてのタームで使用している大家の見解を
完全に否定してからにしてくれ。例えば>>

>原意的には、縁起の各支を「知的に理解すること」だったり、
>悟りを意味する語と併記され、「深く理解している」ことだったりする。
それ、完全に潰されていてまだ遠吠えしてるの?本当に醜いよ。

>何度も戯言言うな。現観(abhisamaya)という言葉は
>普通に使っている。こっちの方が共通認識事項だ。前掲中村元の書物、氏の論文など大方が
>現観だ。また、増谷氏の『現観相応』の現観は”abhisamaya”、水野弘元『パーリ仏教を中心とした心職論』P.268
>など、原始仏教の文脈でも現観は共通語だ。前に出したように、四禅を終えて三明を得た後で縁起観
>として生起するものとしてね。
何回も何回も何回も言わすなぼけ!!

>偉大な大先輩の解釈は解釈として横にひとまず置き
>でもココはせっかくの原始仏教スレ 古代仏教でも初期仏教でも
>いいが 私たちもパーリ・阿含に直参しません?
>自分の目で何かを感じませんか?
あんたに直参できるとことは不可能だ。それは証明済み。

470 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 19:37:53 ID:TFJ1wU1+
>>463

>仏陀の正覚体験とは何だったのか?
>やはり、キーは四諦ではなかろうか?

「正覚に至る直前の体験内容」といえばいいのでしょうけど、これが縁起か四諦かはまだ完全な決着を
見ません。縁起=四諦、四諦=縁起と結論付ければ楽なのでしょうけど、仰るとおり、教えを説く場合


>これらを現証するための手段として八正道を説き、
>弟子たちは、八正道の実践により、
>苦諦・集諦・滅諦を現証し、解脱したのではないだろうか?

この方が実践的なのかもしれません。
唐突な日蓮の引用はなぜ?

471 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 19:40:50 ID:TFJ1wU1+
>>465
阿呆陀羅さんはあきれてこないのだと思う。
ここは暇人いぢりのスレッドだからね。今日は踊り足りないな。

一番踊ってくれたのは、>>451だ。呆れるほどの馬鹿だ。馬鹿をいぢると馬鹿が釣れるね。

472 :栗花 馨 @    9:2005/08/14(日) 20:02:40 ID:EAYlgqd9
阿呆陀羅は桐山氏のもと弟子らしいね。



473 :栗花 馨 @    9:2005/08/14(日) 20:03:29 ID:EAYlgqd9
阿呆陀羅は机に大敗してるね。

474 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 20:49:09 ID:TFJ1wU1+
>>453
abhisamayaは「觀察」と言う言葉を使っていると思います。
四禪との直接的な記述はこの経典にはまだ見出していません。

475 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 21:47:53 ID:TFJ1wU1+
>>451
もう一度あんたに言う。
暇人同様、なぜあんたみたいな馬鹿が世の中に存在するのか理解できない。
馬鹿の汚名を晴らしたいのなら、

>その根拠は辻§111-4 に明解。それでも納得しないならPan V.4.50
>その他辻§80、82、89、100、109-II-c

>仏教では無常なので恒常に存在するということを避けて用いられる
>√sthA √vRt あたりのことを耳にはさんで誤解したんでしょう。(辻§113-1)

これらを説明してみろ。お前に複合語や助動詞一般、構文論が理解できているとは全く思えない。
そういえば、馬鹿の典型ローマナイズ君も姿を消したな。

476 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 23:07:49 ID:IbLi33HS
>>467 >>471 や〜文章が晦渋で、bhU に「〜ある」の意味がないと
発言しているとしか思えなかったよ。文章ヘタだな。もっと分かるように書きな。
その典型的な例が以下だ、意味とりずらいのはわかるだろう。確実な誤記もあるし。
誤解されてもしかたないとは思わないのか?

「あんたの考えている精度より高い記述が
すでに発言していたことを指摘したのに」

これをどう読めと?

「あんたの考えている精度より高い記述が→を
すでに発言していたことを指摘したのに」

まず、こう誤っているんで意味を取りかねる。
それでも目的語が二重なので難解だ。これが悪文でなくてなんなのだろう。
相手を貶めるための修飾語を多用していることが、原因だ。こう書けばいい。

「より精密に指摘済み」




477 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 23:20:09 ID:TFJ1wU1+
>>476
おまえの読解力のなさをなに自慢してるの?
さすが、馬鹿だね。それよりも、はやく
>>475に答えろよ。お前はその内容を理解していないから絶対に無理だろうけどな。

ゴタゴタ言い訳せずに、早く出て行くか謝罪しろ。

478 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 23:42:52 ID:TFJ1wU1+
>>461
暇人へ。偉大な大先輩?おこがましいぞ、ただの馬鹿がそんなこと口にするな。

新解釈とはだれの新解釈だ?スレ文脈から見ると玄奘の訳語だけど、それが
どうして新解釈となるのかな?説明しろ。あんたに説明しろといって完全に遁走
しているのはもう幾つになってるかな?もうあんたに対する信頼など皆無だけど、
(あ、451の超馬鹿がいるか)まだまだ評価を下げたいか?

abhisamayaネタ、あんたはもう何も言う資格が無いことにまだ気づかないのか?

479 :暇人:2005/08/15(月) 04:44:37 ID:b5H9GoqQ
@>√bhUとはね、「〜した」したとは絶対にならない←これが精度に欠けている

この意味は、
A>インドでは「存在」を静的に捉えることは殆ど無く、
>”comminng”というニュアンスを持って、
>この語で「存在する」という意味を持つ。
と、展開されているわけだ。

「ある」系に訳しても(”comminng”というニュアンス)があるから云々と
強引に「〜した」を否定している。
ここがトンデモなのが自覚できないのいのか。
Aならば、@はありうる。


480 :暇人:2005/08/15(月) 04:45:44 ID:b5H9GoqQ
>>469
キミは水準以下だから 相手にされてないのだ
私はそれにもう答えている キミは理解できないらしい。
反論になってなく喚いているだけ。


481 :暇人:2005/08/15(月) 04:46:24 ID:b5H9GoqQ
>>474

四禅を超出した『現観』をパーリ・阿含のテキストからだしてみろと言われて
出せないのが現状。キミたちは無根拠な話しかできてない。
テキストを出せば、いつも違う箇所ぱかり 180度逆なテキストすら出す
迷妄ぶり、かつて電波は現状の序文を論書本文と誤解して出すし、
電波二世のキミは、正覚の傍証として「煩悩」を意味する「灯明」を出すし
そのお笑いぶりは。。以下略


482 :暇人:2005/08/15(月) 04:52:57 ID:hzGByJzt
現状の序文  ×
玄奘の序文 ○

>>478
本文読んでなぜかわからんのか。
矢鱈に絡まず 思索しろ

>>475
悪貨は良貨を駆逐する
トンデモぶりを発揮し、良質な客を散らし、
電波を褒め称えるトンデモばかり集めるなって。
キミは柄悪すぎ。

483 :暇人:2005/08/15(月) 05:02:40 ID:hzGByJzt
>>475

仏教のまともな知識があり なぜ電波を支持できるかがナゾ。
他者を批判するため、自分を誇示するために
あそこまで恥さらしなウソ マチガイ を振りまいているのにね。
で、その支持者は 無茶苦茶の論理展開。
正常な人が誤りを指摘すると、今度は噛み付く。
そして追い出そうと懸命になる。 なぜそこまでむきになるのかが不明。

聞くと電波は「自慢のニフ」を。。。昔はニフで色々発言しているのが彼の自慢だった
モノだ。なにかにつけニフに来い、とか言っていたが、可哀想に。。
そうだったのか。もう2ちゃんのココしか彼の安住の地 みんなが褒めてくれる
居場所がないのかもね それで。。
キモチはわからなくもないが、2ちゃんも電波の私物ではない。
よくよく思索されてくれ。



484 :暇人:2005/08/15(月) 05:16:30 ID:a8PXr3Lt
>>471
>ここは暇人いぢりのスレッドだからね。

なるほどォ 対話目的ではなく 荒らすのが目的なのだね
だから、180度逆の傍証しても平気なのだね。
論難のための論難。荒らしには「無記」が原則だね
以下このスレッドで キミには「無記」 沈黙が私の答え。



485 :名無しさん@3周年:2005/08/15(月) 07:32:30 ID:CeHzNoYV
反論不能の暇人はボロ雑巾のように成り果てて遁走宣言。
ハクチ暇人終了wwww

486 :暇人:2005/08/15(月) 07:54:34 ID:a8PXr3Lt
五分律の当該箇所に現観などないのであるが、「三明」について少しばかり。
ここでは「四禅と三明と縁起」の関係はどうなっているのだろうか。
この部分では釈尊がひとり瞑想している時、ビンバサーラ王にあれこれ問われ、
「欲度一切生死大苦」と出家した理由、出家という生き様を選択したわけを明らかにして
いる。「あらゆる苦しみから開放」それが目的なのだ、と。王が去った後、再び瞑想を始め、
@「除五蓋離欲惡不善法」乃至「得第四禪」と、煩悩のコントロール、悪い心から離れる
ところから始め、(初禅〜三禅などが省略され)、四禅に至ったとされる。
恐らくこの箇所は仏教以前の修行を象徴しているのであろう。


487 :暇人:2005/08/15(月) 07:55:39 ID:a8PXr3Lt
A次に「通三十七道品之行」「以此淨心三明洞照」だから、
三十七道品を修行し、三明つまり「宿命明」「他心明」「漏盡明」で思索を更に深めた、と。
「道品」は、bodhipAkSika 菩提分 覚支とも漢訳される実践的修行方法のこと。
仏教の修行、経典に説かれた修行を三十七種に整理する感覚は、部派仏教的であるので、
この箇所は部派分裂後、五分律諸持部派が追加した釈尊の成道イメージが反映されている
と予想できる。
四念処、四正勤、四如意足、五根、五力、七覚支、八正道を合計して37。この七系統
の一つ一つが、悟りを得る一体系になっている。
ここはだからあらゆる仏教の修行をした。更に三明洞照した、と。
この三明も悟りとイコールとして しはしば描かれている
(例: テーラガータ270「次いで、わたしの心が解脱した。見よ、教えがみごとに真理に
即応せることを。三つの明知を既に体得した。ブッダの教えはなしとげられた 岩波p76)
つまりここではあらゆる仏道修行が象徴されている。
Bそして「始得佛道坐林樹下」 瞑想によって「始得佛道」。
瞑想によって 始めて仏道を得た。その仏道とは、
「初夜逆順觀十二因緣」十二支縁起だし、つまり
「緣是故有是緣滅則是滅」だ、と。


488 :暇人:2005/08/15(月) 07:57:46 ID:a8PXr3Lt
「緣是故有是緣滅則是滅」×→「縁是故有是縁滅則是滅」○

つまり「第四禅を得て、三明に達し 縁起の理を観じて悟った」とも読めるかもだが、
本旨は「@仏教外修行(止悪、初禅、二禅、三禅、四禅など)を経て、
    A仏教修行(37道品-四念処、四正勤、四如意足、五根、五力、七覚支、八正道)を
修し、三明洞照し、
    B悟りの初夜に「十二因緣」の順観・逆観を為したという伝説を書いているので
すね
初期経典で悟りとイコールに書かれる「三明」をBではなく、Aの最後に出すのは、
この種の通力(過去世の生活を知る通力、透視力、他人の心を読み取る通力、死と生を知る
通力、聴力を浄める通力)を得るのが目的ではなかったと舎利弗に言わしめている
(996-997)からも興味深い。

489 :名無しさん@3周年:2005/08/15(月) 08:01:14 ID:7Ppkg2IS
>>479
もう終わっているのになに言ってるの?

>Aならば、@はありうる。
なぜでそうなるのか説明しろ。説明できないと思うよ。
それが出来ないのなら、辞書や文法書から「〜した」と言う用法を説明しろ。
abhisamayaについて、最初は「わかった」とトンデモ以前の間違いの上おして、指摘すると
「〜した」とつくろった。これ自体、滅茶苦茶で知的誠実さがまったくない。「理解をした」といいたいのか?
あんた、「ある」という意味を言っていないから精度に欠けるとか言ってなかった?また居直りすり替えかい?>>437

>>480
まったく答えてないね。あんたが答えられないから逃げいてるだけだよ。
あんたには絶対に答えられない。能力が無い。逃げるのならもう来るなよ。

490 :名無しさん@3周年:2005/08/15(月) 08:03:52 ID:7Ppkg2IS
>>481
そういう中傷しか出来ないの?哀れだね。四禅についてはもう中村前掲書で
指摘済み。それを認めないというのなら、中村先生を論破してみたら?根拠
を出しているのにあんたの論法はチンピラ論法だ。
>>482
あんたの本文は滅茶苦茶だからな。意味を成していない。そのことを中傷で逃げるなよ。
付加疑問も知らないとは知的にアウトだな。
>トンデモぶりを発揮し、良質な客を散らし、
>電波を褒め称えるトンデモばかり集めるなって。
>キミは柄悪すぎ。
あまり人の言葉を取らない方がいいよ。ニ系統分裂正確(笑)さんよ。

>>483
ニフのことは知らん。あんたな、自性もabhisamayaも完全に潰されているのがワカランの?
あんたが噛み付いているのは枝葉末節。それよりもニ系統などなどの吉害ぶりの釈明
していないよ。あんたにはマトモな仏教知識はない。abhisamayaを「わかる」と言う時点で
それが証明されている。

>論難のための論難。荒らしには「無記」が原則だね
>以下このスレッドで キミには「無記」 沈黙が私の答え。
敗北宣言?そうだろうな。何一つ答えることなく、沈黙を保った電波の正しさが次々に証明されて
いるんだからな。自性にしてもそうだ。自性の多義性の主張にたいして、「あんたのは三性説から」
といったのは笑い死にそうになった。仏教の通常の知識があるものにとっては笑い死にネタだ。
それからabhisamayaの笑い死にネタ、ニ系統ネタ、パーリ辞書ネタ、パーリ文法ネタ、動詞ネタ、
のお笑いネタ乱発。あんたがそういうのなら、揶揄だけに徹しようか。

491 :名無しさん@3周年:2005/08/15(月) 08:06:22 ID:7Ppkg2IS
>正常な人が誤りを指摘すると、今度は噛み付く。
>そして追い出そうと懸命になる。 なぜそこまでむきになるのかが不明。

正常な人って誰?ローマナイズ君はボロボロに論破されてたし、今回の辻文法君も
あんた以下だということを指摘しておいた。あんたはローマナイズ君は正しいと言って
おきながらフォローできずに逃げたじゃないか。間違いを振りまいて人を批判する人の
間違いを指摘するのが追い出しなのか?幼いね。

492 :暇人:2005/08/15(月) 08:07:58 ID:a8PXr3Lt
私だと
「四禅」に至る仏教外の修行や、仏教のあらゆる修行つまり「37道品」を
すべてやり終え、そして菩提樹下に瞑想し縁起を悟った、と読むな。
もつと簡単に言えば主旨は
あらゆる仏教内外の修行をやり終えたあと、釈尊は瞑想し縁起を悟った、だな。

ついで
『雑阿含経』第12巻 (大正蔵、2巻80ページ中ー81ページ上)は、
雑阿含287経だと思うが、相変わらず原文テキストを確かめることなく、証として
出すトンデモぶり。ここに四禅→三明は説かれていない。
「縁起の各支の無間等」と「八正道」が説かれている。


493 :名無しさん@3周年:2005/08/15(月) 08:45:56 ID:7Ppkg2IS
>>492
なに言ってんの?あんたの主張が崩されたわけだろ?それから先に行くにはあんたが崩されたことを
認める必要がある。「宿命通との関係など諸問題があるが」ってだれか言ってなかったっけ。
間違いを認めないで、各論に走り、その各論から論難するのは本当に

知 的 誠 実 さ が 無 い た だ の チ ン ピ ラ  !!

としかいい様が無い。

>『雑阿含経』第12巻 (大正蔵、2巻80ページ中ー81ページ上)は、
>雑阿含287経だと思うが、相変わらず原文テキストを確かめることなく、証として
>出すトンデモぶり。ここに四禅→三明は説かれていない。
>「縁起の各支の無間等」と「八正道」が説かれている。

これも同じ。あんたは前後を読んでいないし、四禅自体なにも解っていない。今回必死に
勉強したんだろ?電波に感謝しろよ。

494 :暇人:2005/08/15(月) 08:46:55 ID:a8PXr3Lt
つまり雑阿含287経は、
「縁起の各支の無間等」→「八正道」→「我於此法自知自覺。成等正覺」
ですね。
五分律では、Aの一つである「八正道」で悟るという経典なので、
またもや、逆の経証だな。




495 :名無しさん@3周年:2005/08/15(月) 08:55:54 ID:7Ppkg2IS
>>494
知的誠実さ皆無君よ。また居直りすり替え分裂症状ですかぁ?笑ってしまいますね。
小学生でもXを食らうその答えは。プゲラ

>つまり雑阿含287経は、
>「縁起の各支の無間等」→「八正道」→「我於此法自知自覺。成等正覺」
>ですね。
>五分律では、Aの一つである「八正道」で悟るという経典なので、
>またもや、逆の経証だな。

だれが正覚の話してるというのだ?abhisamayaと四禅との関連性じゃないか。
あほちゃうか。つーかチンピラの因縁付け?人間やり直せ。

496 :名無しさん@3周年:2005/08/15(月) 09:09:48 ID:7Ppkg2IS
何一つ反論できずに向こうでは吼えるだけ。
おまえ、涙でディスプレイ見えないだろ?プゲラ

じゃ、ばいばい。

497 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/15(月) 09:15:59 ID:t6bnLKga
>>474 :名無しさん@3周年:2005/08/14(日) 20:49:09 ID:TFJ1wU1+
> abhisamayaは「觀察」と言う言葉を使っていると思います。
レスありがとうございます。

> 四禪との直接的な記述はこの経典にはまだ見出していません。
そうですか。

私は、今回の現観の問題がこれだけ迷走しているのは、

>>452
> (1−2)釈尊の弟子の現観
> (2−1)解脱・涅槃・菩提(悟り)と密接な関係を持つ現観

> ■■【テーマ2】(1−2)(2−1)
> http://www.geocities.jp/jfcps873/gb/gb02.html
> > 545 名前: 電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss 投稿日: 02/10/08 22:31
> > 内容的には「概念を超えた縁起の現観」です。
> > 618 名前: 電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss 投稿日: 02/10/11 13:56
> > 止観は四禅すべてにわたります。現観はその次の段階です。

の根拠となる経典が提示されていないことに根本的な不具合があると認識しています。


498 :名無しさん@3周年:2005/08/15(月) 09:53:50 ID:U51pCEqa
abhūtavādī nirayaṃ upeti
yo vā pi katvā na karomi ti cāha

-DhP306

499 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/15(月) 11:50:07 ID:t6bnLKga
現在のテーマに直接は関係ありませんが、
十二支縁起に関して、

> 「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」から引用

があったのでご紹介。

http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1077878397&st=328&to=331&nofirst=true


500 :暇人:2005/08/15(月) 14:45:35 ID:a8PXr3Lt
四禅三明続き

>>486
ちなみに、平川彰さんは、この五分律の箇所を以下と読み下し、
「四禅三明」と「十二縁起」の併記に触れ、
この箇所では、「四禅三明」で悟ったとしていると解釈されている。
「十二縁起」部分は悟った後の観想の内容であると区別されている。

少草を乞い。持して樹下に至り、敷き已りて結跏趺坐し、直身正意、繫念在前し、
即ち五蓋を除き、欲と悪不善の法を離れ、乃至、第四禪を得て、其の中に遊戯し、
三十七道品の行に通じ、此の淨心をもって、三明洞照せり。
所謂、宿命明・他心明・漏盡明なり。瑞應本起中に説けるがごとし。
是において起ちて鬱鞞羅聚落に到る。始めて佛道を得て林樹下に座す。
初夜に逆順に十二因縁を観ず。


501 :暇人:2005/08/15(月) 14:46:43 ID:a8PXr3Lt
この解釈は四分律との比較から為される。四分律巻三十一の仏伝箇所では、
「有一人刈草。名曰吉安。菩薩前至此人所語言 我今須草見惠少多。吉安報曰。
「甚善不為愛惜。即授草與菩薩。菩薩持草。更詣一吉祥樹下。自敷而坐。」
草刈をしていた吉安に刈り草を乞い、吉祥樹の下に敷き、座禅したとあり、
これは五分律をより詳しく、しかも菩提樹の箇所が吉祥樹aSvatthaとなっており、
五分律の菩提樹より古い表記であることが予想される。
「直身正意繫念在前。時菩薩除欲愛惡不善法。有覺有觀喜樂一心 遊戲初禪
是謂菩薩最初得勝善法。何以故。由繫意專念不放逸故。時菩薩除有覺有觀。
得內信喜樂一心念無覺無觀。遊戲二禪。是謂菩薩得此二勝善法。何以故。
由繫意專念不放逸故。時菩薩除去喜身受快樂。得聖智所見護念樂。遊戲三禪。
是謂菩薩得三勝法。何以故。由繫意專念不放逸故。時菩薩已捨苦樂。先已去憂喜。
無苦無樂護念清淨。遊戲四禪。是謂菩薩得此四勝法。何以故。由繫意專念不放逸故。」
@愛(執着)を欲することと悪不善の法を除くと初禅
A初禅にはまだあった「有覺有觀」を除くと二禅
B二禅にまだ残存していた「喜身受快樂」を除き去ると三禅
C苦楽も憂喜も超え、「無苦無樂護念清淨」が四禅


502 :暇人:2005/08/15(月) 14:47:50 ID:a8PXr3Lt
「時菩薩得此定意。諸結使除盡。清淨無瑕穢。所行柔軟住堅固處。證宿命智。
自識宿命一生二生三生四生五生。十生二十生三十生四十生五十生。百生千生百千生。
無數百生無數千生。無數百千生劫成劫敗。無數劫成無數劫敗。無數劫成敗。我曾生某處。
字某姓某如是生。食如是食。壽命如是。壽命限齊如是。住世長短如是。受如是苦樂。
從彼終生彼。從彼終復生彼。從彼終生此。如是相貌。識無數宿命事。時菩薩。
於初夜得此初明。無明盡明生。闇盡光生。所謂宿命通證。何以故。由精進不放逸故。」
と、四禅の次に三明の一「宿命智」が説かれ、
「時菩薩。復以三昧定意清淨。無瑕無結使。眾垢已盡。所行柔軟。住堅固處。
知眾生生者死者。以清淨天眼觀見眾生。生者死者。善色惡色。善趣惡趣。若貴若賤。
隨眾生所造行。皆悉知之。即自察知。此眾生身行惡口行惡意行惡。邪見誹謗賢聖。
造邪見業報。身壞命終。墮地獄畜生餓鬼中。復觀眾生身行善口行善意行善。
正見不誹謗賢聖。造正見業報。身壞命終。生天上人中。如是天眼清淨。
觀見眾生生者死者隨所造行。是謂菩薩中夜得此第二明。無明盡明生。闇盡光生。
是謂見眾生天眼智。何以故。由精進不放逸故。」
更に三明の二、「天眼智」が説かれ
「時菩薩得如是清淨定意。諸結除盡。清淨無瑕。所行柔軟。所住堅固。得漏盡智。
而現在前。心緣漏盡智。如實諦知苦。知苦集。知苦盡。知苦盡向道。以得聖諦。如實知之。
如實知漏。知漏集。漏盡向道如實知之。彼作如是知如是觀。於欲漏意解脫。
有漏意解脫。無明漏意解脫。已解脫得解脫智。我生已盡。梵行已立。所作已辦。
更不復受生。是謂菩薩後夜獲此三明。無明盡明生。闇盡光生。是謂漏盡智。何以故。
由如來至真等正覺發起此智得無礙解脫故。」
と、三明の三「漏盡智」に到る。


503 :暇人:2005/08/15(月) 14:48:54 ID:tddaza3s
如来は至真の等正覺によって「漏盡智」を発起し、解脱すると説かれている。
そして
「爾時世尊。於彼處盡一切漏。除一切結使。即於菩提樹下。結加趺坐。七日不動。
受解脫樂。爾時世尊。過七日已。從定意起。」と
成道後の瞑想内容はここでは触れられていない。

つまり五分律では、
@「得第四禪」→A「通三十七道品之行」「以此淨心三明洞照」→初夜「十二因縁」が
四分律では、
@「初禅・二禅・三禅・四禅」(仏教内)→A「宿命智」→「天眼智」→「漏盡智」
A「漏盡智」は悟りとイコールになっている。
平川さんは、五分律もこの四分律と同じく「漏盡智」=悟りと読んでいるのだと思う。
私はこれに現時点では賛成しない(私の解釈は既出)


504 :暇人:2005/08/15(月) 14:56:10 ID:tddaza3s
五分律は、おそらく四分律の後の成立で、この仏伝を部派的解釈から
改変していると思われる。
特にこの箇所では、
「四禅」と「三明」の間に「三十七道品」を挿入し、
「四禅」を仏教以前の瞑想修行の意味を持たせ、
「三明」の最後の「漏盡明」=解脱を本文から消去し、
初夜に十二因縁の瞑想を入れることで、悟りの中味は「十二因縁」である
という立場を強調する立場ではないかと予想する。

505 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/16(火) 08:13:12 ID:vyyPnYrE
http://plaza.rakuten.co.jp/kokoro24/3010
サクルダーイ小経(チューラサクルダーイ・スッタ)

この経典が、禅と四諦観と解脱に関して説いているみたいですね。
この経典は原始仏典なのでしょうか?


506 :sage:2005/08/16(火) 08:36:58 ID:uPu0gIXL
たぶん原始仏典だろうけど、日本語訳がオウム製じゃないかい?((;゚Д゚)

507 :名無しさん@3周年:2005/08/16(火) 08:54:03 ID:6JhLKjz6
http://tetugaku.fc2web.com/butten/butten.htm
からたどると同じ文章に行き着くよ。たぶんオウムのダミーサイトだけどね。
>サクルダーイ小経

508 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/16(火) 08:59:56 ID:vyyPnYrE
>>506
一番下に

―HP「哲学之道」より―

とあるように、もともとは、別なサイトのコンテンツなんだろうけど、
本家が今は表向き「廃墟」になっちゃってますね。

> ここは、廃墟、形あるものは壊れる、求めよ、さらば、与えられん。


509 :暇人:2005/08/16(火) 17:16:31 ID:4sPvEKXL
サクルダーイ大経(中部経典第77経)(「ブッダのことばV 原始仏典五」小林 明美訳 講談社)
らしい。

佐倉さんとこの質問コーナーによると
ttp://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism30.html

うん そこはオウムぽいね。
オウム脱会者ののページの
『カナリヤの詩(うた)』47号に
「・元信者手記−マイナー経典『サクルダーイ大経』の悲劇?」とあるね。
オウムが悪用した経典ぽいね

ttp://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/1.html


510 :名無しさん@3周年:2005/08/16(火) 17:30:07 ID:FStjd6fB
てかサクルダーイ大経のほかにサクルダーイ小経も存在するみたいよ。オウムだったら
自分たちに都合よく改変して訳しそうだけどね。事実アサハラが手を加えてたって話しだし。

511 :暇人:2005/08/16(火) 17:33:22 ID:4sPvEKXL
あら 大と小。
失礼しまた。

私の見つけたのは「大」ですね


512 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/16(火) 17:35:34 ID:L4da6Fx5
>>507 :名無しさん@3周年:2005/08/16(火) 08:54:03 ID:6JhLKjz6
> http://tetugaku.fc2web.com/butten/butten.htm
ここから、どちらへもアクセスできるようです。

サクルダーイ大経(マハーサクルダーイ・スッタ)
サクルダーイ小経(チューラサクルダーイ・スッタ)


513 :名無しさん@3周年:2005/08/16(火) 18:27:38 ID:Zoq5mbPL
暇人パワー炸裂だな。所詮暇人は暇人さ。
超小物。
他のスレからロムされている事も知らないで

514 :暇人:2005/08/16(火) 19:18:54 ID:4sPvEKXL
>>512
そこに紹介されている原始経典は信頼度低いですね
改竄されている可能性があります。

梵網経の項をみましたが、二部構成のうち第一部の「戒」は省略
されてます。
第二部は、「常住論」にはじまり「現法涅槃論」に終わる仏教外の62種の
見解を紹介し、それぞれが知的な判断を根拠にしているのではなく、
渇愛に捕らわれた見解にすぎない。仏教はこれらの見解が根拠にする我執を
超えているのだと説いているのだが、
そのページでは、まず「常住論」を揚げ、
「瞑想によって何生も生まれ変わった自分を経験した場合」
「瞑想によって何劫も生まれ変わった自分を経験した場合」
「瞑想によって十劫・二十劫・三十劫・四十劫・・・」
「推論家・審察家である者」とありますが、
春秋社の原始経典の梵網経のその部分では
「常住論」ではなく「一部常住論者」になっていて
「一部常住 一部無常」を主張する人たちです。
一、「梵天は常住であり、梵天によって作られた有情は無常」
二、「キッダーパードシ天は常住だが 私たちは無常」
三、「マノーパドーシ天は常住だが 私たちは無常」
四、「理論家・推論家が言うには肉体は無常だが、心・意・識である
   我は常住」

まあ改竄というより、一つの立場から経の要点を纏めたものかもですが、
少し妖しいとの感想をもちます


515 :名無しさん@3周年:2005/08/16(火) 20:37:25 ID:hU0loS7w
読書量と基礎知識が少なすぎてお話について行くのは大変ですが、色々
なテーマに触発させられていることは確かです。暇人さん他、常連の皆
さん有難うございます◎

516 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/16(火) 20:45:22 ID:L4da6Fx5
>>514
> 春秋社の原始経典の梵網経のその部分では
> 「常住論」ではなく「一部常住論者」になっていて
> 「一部常住 一部無常」を主張する人たちです。
比較する部分が微妙にずれてませんか?

<--
一、「梵天は常住であり、梵天によって作られた有情は無常」
二、「キッダーパードシ天は常住だが 私たちは無常」
三、「マノーパドーシ天は常住だが 私たちは無常」
四、「理論家・推論家が言うには肉体は無常だが、心・意・識である
   我は常住」
-->
と比較するべきなのは、

<--
第二踊品
  一分常住一分無常論 … 「宇宙と我は不滅かつ無常」という世界観
   梵網経六 … 梵天の場合
   梵網経七 … 戯亡天の場合
   梵網経八 … 意憤天の場合
   梵網経九 … 思索によって推論する場合
-->
こちらなのでは?


517 :暇人:2005/08/16(火) 21:12:12 ID:0wAWP5Uy
>>517

あら 失礼。
「一部常住 一部無常」は、「一分常住一分無常論」と対応してますね。
(細かい訳の点に問題は感じるが)





518 :暇人:2005/08/16(火) 22:05:49 ID:0wAWP5Uy
常住論は原文にもありますね 失礼しました。
訳はほぼ対応してますね
ちなみに
第一踊品
     梵網経三 … 梵天や光天の寿命を有する場合
→当該箇所原文に「梵天や光天の名前」はない。
   
   梵網経五 … 常住論の限界
→「このようにとらわれ、このように執着している状態は、
これこれの趣に生まれ変わらせ、これこれの来世を作り上げるであろう」
この部分、春秋社訳は
「このように執着され固執された見解は、このような趣く先をもたらし、
このような未来をもたらすだろう」


「この初禅から第四禅の次に、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処と続く」と
最上現在涅槃論 梵網経三二 にあるが、
原文には「空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処」はない
など

519 :野次馬:2005/08/16(火) 22:31:26 ID:k+nlYnR0
>暇人
せっかくサクルダーイ小経が出されてんだから、そっちのまともな日本語訳を探して
あたったほうがいいんじゃない?

520 :名無しさん@3周年:2005/08/16(火) 22:48:37 ID:0wAWP5Uy
>>519

だね 見つけたら書くが 手元にない

521 :名無しさん@3周年:2005/08/16(火) 22:57:16 ID:uN/FS9Ys
Cūḷasakuludāyi suttaṃ (Majjhimanikaya 3-2.3.9)
ttp://www.sub.uni-goettingen.de/ebene_1/fiindolo/gretil/2_pali/1_tipit/2_sut/2_majjh/majjhi2u.htm

Cula-sakuludayi Sutta(英訳)
ttp://www.mahindarama.com/e-tipitaka/mn-79.htm

522 :野次馬:2005/08/16(火) 22:57:26 ID:k+nlYnR0
>>520
パーリやその英訳のサイトを検索すれば一発でわかるでしょ。探して読んでみたら
いい。

523 :野次馬:2005/08/16(火) 23:04:59 ID:k+nlYnR0
ついでに漢訳も探してみたら?電波を指導すると豪語する大先生ならお茶の子さいさいの
はずだろ?

524 :暇人:2005/08/17(水) 07:17:34 ID:cavvhbD9
>>521
確かに中部79経みたいね。

525 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/17(水) 09:03:58 ID:M+HIvmqa
>>198 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 09:38:49 ID:UVGDdmVc
> 「何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか?」と。そのときわたしには正しい注意と智慧とから
> 現観(abhisamaya さとり)が起こった、「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と。
-----------


> そのときわたしには正しい注意と智慧とから現観(abhisamaya さとり)が起こった、
> 「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と。
さて、ひとつの議論の焦点は、この文章を

【書き換え1】
> そのときわたしには正しい注意と智慧とから
> 「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と、わかった。
といいかえることが、

妥当か不適切か、

ということでいいのかな?
たとえば、不適切だと主張する人は、次の文章への書き換えは是なのかなあ,否なのかなあ?

【書き換え2】
> そのときわたしには正しい注意と智慧とから
> 「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と、
> 現観(abhisamaya さとり)が起こり、知った。


526 :名無しさん@3周年:2005/08/17(水) 10:05:57 ID:3OqjpKVN
>>525
無宗ださま、おはようございます。あと30分ほどで楽しい地蔵盆のお勤めに参ります。
可愛い幼子たちに囲まれて数珠繰りをし、一緒にお菓子を食べながらお話してきます。

さて、無宗ださまの疑問点は
>> 現観(abhisamaya さとり)が起こり、知った。
という書き換えが可能であるかということですね。【書き換え2】この「知った」という言葉の
付加が妥当であるのかということですね。

原文には「現観(abhisamayaさとり)が起こった」で完結しており、「知った」に相当する語
はありません。また、現観とは知ったという通常認識ではなく、非難覚悟で解りやすく説明
するならば、

「実はこれこれしかじかが真実であり、細部はこのような関連性になっており、
全体としてこのように体系化されているのか!!」

という「真実のひらめき」の大げさなものがふわっと湧き出てくるという感じに私は受け取っ
ています。ですから、その次に「知る」という動作は必要ないと考えます。もちろん、その
内容が真実であるためには、多くの思索や経験を通して悩み苦しんだ末に出てくるもの
だと認識しております。「現観(abhisamayaさとり)が起こった」を書き換える必要性を私は
感じません。

それでは失礼致します。

527 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/17(水) 10:38:03 ID:M+HIvmqa
>>526 :名無しさん@3周年:2005/08/17(水) 10:05:57 ID:3OqjpKVN
> 原文には「現観(abhisamayaさとり)が起こった」で完結しており、「知った」に相当する語
> はありません。
「知った」に関してですが、

>>150 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 13:32:14 ID:mVbWWzx+
> 「即正思惟 起無間等知」はTassa mayha? bhikkhave, yoniso manasik?r? ahu pann?ya abhisamayoの定型。

[起無間等知]
これを見て、

・無間等が起こり、知った。

と解釈したのですが、

無間等=現観ではなく、
無間等知=現観ということですか?

それとも

漢訳自体が不適切なのでしょうか?


528 :名無しさん@3周年:2005/08/17(水) 11:03:41 ID:aBxdO8f0
スレを同時に二つ立てるな!!!

529 :名無しさん@3周年:2005/08/17(水) 11:11:55 ID:UObo3YEl
まともに職をみつけて社会人として健全に
働いたらどうなんだ。

530 :名無しさん@3周年:2005/08/17(水) 11:18:46 ID:harqtqWv
特に元オウムの暇人、その他。
自惚れカキコは止めろ!!
公衆の迷惑だ!

531 :名無しさん@3周年:2005/08/17(水) 11:32:21 ID:3OqjpKVN
無宗ださま。一件終わりました。雨が降りそうですね。

> 「即正思惟 起無間等知」はTassa mayha? bhikkhave, yoniso manasik?r? ahu pann?ya abhisamayoの定型。

>[起無間等知]
>これを見て、
>・無間等が起こり、知った。
>と解釈したのですが、

パーリから推測するに、この「知」は”paNNA”「智慧」のことで、女性名詞・単数・
具格(〜によって)or於格(〜において、〜から)です。ですから「知った」という訳
にはなりません。中村先生はこの”paNNA”を

>正しい注意と【智慧(と)から】現観(abhisamaya さとり)が起こった

と訳されています。

>無間等=現観ではなく、
>無間等知=現観ということですか?

漢訳したときの原本が特定できないので、間違いかどうかを断定は出来ませんが、
「智慧」の文字があったか無かったで語の対照が変わりますね。この「知」の場所
が不自然にも思えます。また「無間等知=現観」であるという断定も私には出来ま
せん。漢文は語順によって格関係を決定する場合が多く、逆にまったくそのような
ことを無視する場合もあり、ネイティブに頼る局面も出てきます。どちらにしろ、
「知った」は考えられませんね。

532 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/17(水) 12:40:04 ID:M+HIvmqa
>>531
初心の者に対し、丁寧な解説ありがとうございました。
「知った」の追加は、忠実な翻訳をこころがけた場合、考えられないということがわかりました。
では、(増谷文雄訳)の妥当性に関しては、どのようにお考えでしょうか?

>>198
> そのときわたしには正しい注意と智慧とから現観(abhisamaya さとり)が起こった

>>215
> その時、わたしは正しい思惟と知恵とをもって、かような悟りを得た。
> その時わたしは、正しい思惟と知恵をもって、かような解釈をなした。
(増谷文雄訳)

また、これらの部分に関し、順序を変えることは可能でしょうか?
意味が変わってしまいますか?

【1】
そのときわたしには正しい注意と智慧とから
「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と(いう内容の)
現観(abhisamaya さとり)が起こった

【2】
その時、わたしは正しい思惟と知恵とをもって、
「生があるが故に、老死がある。生に縁りて、老死がある。 」という悟りを得た。

【3】
その時わたしは、正しい思惟と知恵をもって、
「有があるが故に、生がある。有に縁って、生がある。 」という解釈をなした。


533 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/17(水) 12:53:30 ID:M+HIvmqa
「悟り」といった場合には、ひらめきとか啓示とか、右脳思考を連想します。
「解釈」といった場合には、理詰めでこつこつと推論を重ねていく、左脳思考を連想します。

> という解釈をなした。
は、日本語として

> ということがわかった。
と置きかえれると思うのですが、どうでしょうか?


534 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/17(水) 12:55:21 ID:M+HIvmqa
>>228
> 本来、仏教全体で最高なる証りとして用いられたが、
は、右脳思考。

> 一般的にabhisamaya一語で用いられる場合は、ただ四諦について理論理解すること
は、左脳思考。

というイメージがあります。


535 :野次馬:2005/08/17(水) 19:11:51 ID:mlQdY2vZ
星占いだの血液型性格判断と同類の、右脳/左脳ナントカみたいなインチキ科学を仏教
解釈に持ち込まないほうがいいよ。それじゃオウムと同レベルになっちゃう。
http://www.geocities.jp/wakashimu/yota/nou.html

536 :暇人:2005/08/17(水) 20:42:30 ID:okos6HPZ
「Abhisamayo理解すること」と約せるならば、ahuが「起こる」「ある」でも問題なく
『理解すること』が起こった/理解した と訳せます。これを更に
『わかること』が生じた/わかった と意訳しているのですね。
「Abhisamaya=わかること」とは解釈できないと論じてこそ「わかった」と訳せないと
いい得ます。

■「現観が起こった」に反対の理由
「現観」という語は中期大乗時代の玄奘の訳語であり、一般にわかりにくい。
ギョーカイ用語なので、後代の語義理解が混入し誤読の危険が増す。
せいぜい使用しても、補助的に(現観)というような括弧内表記が妥当
■「悟りが起こった」に反対の理由
当該箇所では実に縁起各支の「集と滅」の併せて22箇所のabhisamayoがあり、
その一々に悟ったでは日本語感覚的に違和感があるから。
ここはもう少し一般的な言い換えとして「理解」「わかること」が最適だから。


537 :暇人:2005/08/17(水) 20:43:38 ID:okos6HPZ
「真実のひらめきがふわっと湧き出てくる」でも「理解」「わかること」と訳し得ます。
深い思索と悟りの智慧によって、こういう理解がふわっと湧き出た。
「生があるが故に老死が有る。生に縁って老死がある」と。
深い思索と悟りの智慧によって、真実のひらめきがふわっと湧き出た。
「生があるが故に老死が有る。生に縁って老死がある」と。
「理解」を「真実のひらめき」と言い換えても大差ありません。

さて「根源より思惟」した 深く深く思惟し続けた そして「pa¤¤àya」によって…です。
この智慧pa¤¤àyaは、般若と漢訳されたり、悟りと同義で使われる智慧です。
「まのあたりにする」とは自分の目の前ではっきりと見るように明瞭に、
「これこれしかじかであり、細部はこのような関連性になっており、
全体としてこのように体系化されているのか!!」と
ありありと理解した、こういうニュアンスだろうと私は思います。
「わかった」と訳すこととなんら矛盾しません。


538 :名無しさん@3周年:2005/08/17(水) 20:49:44 ID:abjEB6uF
>536
訳語をどうするか、という問題ではなく、元来どういう意味であるのか、という問題なのだが。

539 :暇人:2005/08/17(水) 21:27:08 ID:okos6HPZ
>元来どういう意味であるのか

それがあなたのテーマであれば、
それはそれで別個に展開されてください。


540 :名無しさん@3周年:2005/08/17(水) 21:34:39 ID:abjEB6uF
>539
そうやってオナニーしてろって。

541 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/18(木) 00:28:26 ID:pa+mi/OG
>>538 :名無しさん@3周年:2005/08/17(水) 20:49:44 ID:abjEB6uF
> >536
> 訳語をどうするか、という問題ではなく、元来どういう意味であるのか、という問題なのだが。
ふーむ。
人によって、問題意識はいろいろなんですね。
おかげさまで、肝心な質問をしていなかったことに気づきました。

>>531 さんへ

あなたは、>>198 における現観が、

> http://www.geocities.jp/jfcps873/gb/gb02.html
> > 545 名前: 電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss 投稿日: 02/10/08 22:31
> > 内容的には「概念を超えた縁起の現観」です。
> > 618 名前: 電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss 投稿日: 02/10/11 13:56
> > 止観は四禅すべてにわたります。現観はその次の段階です。

> http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1120927505/47
> 47 :阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/07/10(日) 08:35:11 ID:VrOFm7tl
> ブッダの正覚体験として經典の様々な箇所に記される「縁起の現觀」は四禪乃至滅盡定等九次第定を
> 超出したものであり、「見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の粋を超え、微妙であり、賢者
> のみよく知るところ」であるのはここで発言する方にはいわば常識でありしょう。

この現観と、同じ物だと思っているのですか?


542 :素人:2005/08/18(木) 00:32:38 ID:RKIjQGWF
現観(abhisamaya)が
ここまでこだわるほど大切な言葉には思えないのだが・・・w

543 :暇人:2005/08/18(木) 00:45:31 ID:zjO+uYo/
>>542
人それぞれだね。

■メモ■中村元訳と中村元監修本の訳の比較。
「何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか?」と。
そのときわたしには正しい注意と智慧とから 現観(abhisamaya さとり)が起こった、
「生があるが故に老死が有る。生に縁って老死がある」と。

これと同文の平行箇所が中部第14経にあり、春秋社から中村元監修で出ている。
当然、上記の中村元選集第11巻をより新しい訳になる。訳者は岡野潔。

「いったいなにがあるとき、老いること、死ぬことがあるのか。なにを成立条件(縁)として、
老いること、死ぬことがあるのか」その時比丘らよ、ヴィパッシン求道者が
根源的に思惟すると、智慧によって〔真如を〕まのあたりにすること(現観)があった。
「生まれること(生)があるとき、老いること、死ぬことがある。
生まれることを成立条件として、老いること、死ぬことがある」と。


544 :暇人:2005/08/18(木) 00:46:46 ID:zjO+uYo/
@「kimhi nu kho 一体どうして」が新訳のほうが原テキストに忠実
A「〜sati 〜hoti (これ)あるとき(かれ)ある。」も新訳が忠実
B「Jaràmaraõaü 老死」について新訳が噛み砕いた訳
C「Kimpaccayà 何に縁って」について新訳が「なにを成立条件(縁)」と噛み砕いてる
D「Tassa mayhaü bhikkhave」に相当する部分を訳すると助長になるので旧訳は省略
Eyonisomanasikàrà ahu pa¤¤àya abhisamayo に関して
(A)動詞はahuが一つだけだが
新訳は、yonisomanasikàràすると、pa¤¤àya abhisamayoあった
旧約は、yonisomanasikàràとpa¤¤àyaから abhisamayoが起こった
(B)yonisomanasikàrà (yoniso 母胎から 根源よりmanasikàrà 思念)は新訳が忠実
(C)pa¤¤àya慧によって
(D)abhisamayo (旧)現観(さとり) (新)真如をまのあたりにすること(現観)


545 :暇人:2005/08/18(木) 00:47:56 ID:zjO+uYo/
旧約の中村元訳は比較すると@テキストに忠実ではないし、A訳もこなれていない。
新訳は、比較すると@原テキストにより忠実になった上、B一般人にわかりやすくという
配慮がされている(成功しているかどうかは別)。
E(D)の現観を申し訳程度にカッコ内処理したのもその現われの一つ。
「abhisamayoが起こった」を「abhisamayoあった」に変えている。
ここから「起こった」でも「した」でもどちらでもよいことがわかる。
abhisamayoを<〔真如を〕まのあたりにすること>としているのは、
<さとり>と理解し、噛み砕いた表現なのだと予想される。だから原文にない
〔真如を〕を補われている。


546 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/18(木) 00:53:29 ID:pa+mi/OG
>>542 :素人:2005/08/18(木) 00:32:38 ID:RKIjQGWF
> 現観(abhisamaya)が
> ここまでこだわるほど大切な言葉には思えないのだが・・・w
そうですか。
わたしは縁起の現観は、結構面白いテーマだと思えるようになってきました。

<--
1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した
快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。

スッタニパータより
-->
涅槃が理論的にこれで達成できるのだとすれば、

無明−行−識における行(サンカーラ)の働きを「まのあたりにする」
渇愛や取(執着)の縁起・縁滅のメカニズムを悟る

を経験すれば、
快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、可能となり、
かつ、再び煩悩に悩まされることは無くなるでしょう。
「不滅のニルヴァーナの境地」というのに納得できます。

一度、自転車に乗れるようになれば、その技術は死ぬまで有効だというのと
似たようなものではないでしょうか?


547 :素人:2005/08/18(木) 01:24:05 ID:RKIjQGWF
annyAtaの方が面白いと思う。
五比丘(特にコンダンニャ)は何をわかったのか・・・w



おやすみ〜 (´ー`)ノシ

548 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/18(木) 05:54:39 ID:pa+mi/OG
>>526 さん、おはようございます。
<--
また、現観とは知ったという通常認識ではなく、非難覚悟で解りやすく説明
するならば、

「実はこれこれしかじかが真実であり、細部はこのような関連性になっており、
全体としてこのように体系化されているのか!!」

という「真実のひらめき」の大げさなものがふわっと湧き出てくるという感じに私は受け取っ
ています。
-->
このこと自体に異を唱えるつもりはないのですが、
> 全体としてこのように体系化されているのか!!
この場合の全体と言うのは、十二支縁起全体ではないと思うのです。

>>536 において、暇人さんが、
> ■「悟りが起こった」に反対の理由
> 当該箇所では実に縁起各支の「集と滅」の併せて22箇所のabhisamayoがあり、
> その一々に悟ったでは日本語感覚的に違和感があるから。
といっていますが、
ここにおける現観が、
> 仏教全体で最高なる証り
であったとするならば、「現観(abhisamayaさとり)が起こった」は一度で良く、
その一回の現観によって、縁起各支の「集と滅」の併せて22個の真実をまのあたりに
したという表現になるべきだと思うのです。


549 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/18(木) 06:06:54 ID:pa+mi/OG
>>470
> 唐突な日蓮の引用はなぜ?
理証・現証という単語を使ってみたかったのですが、
ネットの国語辞典にも載っていないような単語だったので、
その意味の解説のために引用しました。

専門家の皆さんにとっては、不要なことでしたね。


550 :野次馬:2005/08/18(木) 06:41:02 ID:RcUNr6Ct
>一般にわかりにくい。
わからんかったら調べりゃいいだけの話。下手にポピュリズムに妥協するとよけいに
誤解が増える。それなら注釈の語彙解説を充実させるほうがよほどマシだろ。

551 :暇人:2005/08/18(木) 08:03:28 ID:BJkAdWtM
>>547
展開されてください。

>>550
本当に理解したら わかりやい言葉に翻訳できるものらしいよ。
ちなみに釈尊は わかりやすい言葉で話したと伝承されていますね。
それとは別に「注釈や語彙解説」の充実しているかどうかというのは大事ね。


552 :暇人:2005/08/18(木) 08:04:06 ID:BJkAdWtM
>>548
「仏教の全体的な最高のさとり」は、水野弘元著作選集Up105によれば、
<原始経典ではこの語はabhisambujjhati「現等覚する」の語とともに並べて
用いられることが多いから、元来はabhisametiもabhisambujjhatiと同じく、
仏教の全体的な最高のさとりについていわれていたものであろう>
中華辞書は、水野さんの著作を下敷きにしている。若しくは翻訳している。
abhisametiもabhisambujjhatiの併記実例については>>444-445 を参照。

22箇所のabhisamayoは、水野同ページの
「理論的理解による最初のさとり」か、中華の「理解四諦或縁起道理的初歩證悟」に
該当すると思われます。水野さん語義解釈は、
<現観の語はabhi-sam-iから成り、動詞abhisametiは、「正しくよく至る」
「十分に理解する」ということ>


553 :暇人:2005/08/18(木) 08:04:53 ID:BJkAdWtM
■蛇足■ 語義解釈からは、
「何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか?」と。
そのときわたしには正しい注意と智慧とから、正しくよく至った。
「生があるが故に老死が有る。生に縁って老死がある」と。
あるいは、
「何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか?」と。
そのときわたしには正しい注意と智慧とから、十分に理解した。
「生があるが故に老死が有る。生に縁って老死がある」と。


554 :野次馬:2005/08/18(木) 18:29:02 ID:giDjVsSv
「街中で道行く人」の部類で仏教に特に関心のない、三界を三階とごっちゃにしてまったく悪びれない俺のオフクロさんに
553を読ませてみたが、何のことだかよく解らんのだそうな。「生きてたらそりゃ年食って死ぬわねえ」だってさ。「現観」
は「現に見えたんじゃない?」とかと言ってたけど。


555 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/18(木) 18:33:27 ID:Rt8rNAeP
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/book_review_miyamoto1.html
<--
私は著者のこの主張に同意します。法(ダルマ)とイデア的、哲学的な真理とを混同することによって、
涅槃や悟りを真理と見なす誤解が生じるのだと私は考えています。

これを私流の解釈で詳しく説明してみます。
(a) 涅槃は「境地、体験」です。
(b) 涅槃、悟りの境地において、法(ダルマ)と抽象的に表現されてきたような類の実感的了解が生じます。
ここでいう法とは玉城康四郎氏のダンマ、竹村牧男氏のいう覚体験を指します。
(c) 法(ダルマ)はその核・本質がダルマの体験それ自体です。
その一面が言語で表現されうるにしても、その本質は実感的了解、全人格的な納得という体験です。
(d)「真理」は言葉で表現された命題に関する成立・非成立の判断です。
(e) 体験は真理とは別のカテゴリーに属します。よって体験と真理を関係づけることは無意味です。

この(d)から言葉を超越した真理とか、言葉で表現されえない真理、というものは自己矛盾であり、
無意味なもの、あり得ないものであることがわかります。
-->
<--
仏教的な真理もそれが真理である限り、言葉で明確に表現されうるものです。
そしてそれが四諦、縁起に相当します。
禅や中観、華厳、密教などであたかも真理のようなニュアンスで語られるものは
普遍的真理とは無関係の、ある種の「意識体験」、境地です。
-->
言われてみればあたりまえのことなのですが、熱くなるとわけがわからなくなりますね(笑)


556 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/18(木) 18:34:59 ID:Rt8rNAeP
日本語としての「理解」「わかる」は、意味的に大きく3つに分類できるだろう。
「悟る」は、ある特殊なわかり方、理解の仕方を指すように私には思える。

(1)暗記的理解。知識としてわかる。
(2)論理的理解。頭でわかる。
(3)経験的理解。身体でわかる。腑に落ちる。悟る。


557 :名無しさん@3周年:2005/08/18(木) 20:34:48 ID:fgs1gi2I
(0)先見的理解。


558 :名無しさん@3周年:2005/08/18(木) 20:41:05 ID:fgs1gi2I
先験だった。
体系的に不十分だったため、落とし込めなかった。

559 :(*):2005/08/18(木) 22:57:35 ID:nqWcId88
複合完了(辻§84-III)では√bhUは「〜した」と訳される。

ramayAM babhUva 愛した。01,040.011c
AmantrayAM babhUvuz 招待した。02,030.042c
kathayAM babhUva 語った。03,225.005c

以上、すべて『マハーバーラタ』。訳は上村勝彦。

piTThito Thito hoti 後に立っていた。水野『パーリ語文法』§71-4

というようにパーリでも「〜した」と訳される場合がある。

そういえば私はローマナイズ君とか呼ばれてるみたいですが、
電波には当分、答えないとキッチリ宣言ずみなのですが。

560 :(*):2005/08/18(木) 22:58:55 ID:nqWcId88
>>545
yonisomanasikArA ahu paJJAya abhisamayo:
南伝:正思惟と慧とによりて解生ぜり。(第13巻、14)
増谷訳:正しい思惟と知恵とをもって、かような悟りを得た。(未確認)
中村訳:根源的に思惟すると、智慧によって〔真如を〕まのあたりにすること(現観) があった(未確認)
英訳:I reflected this thoroughly and wisdom and realization dawned on me,
雜阿含經:即正思惟。起無間等知。
国訳:即ち正思惟して、無間等の知を起しぬ。(国訳一切経、第1巻、282)

まず、増谷訳は、南伝を口語に直したようなもので、参照するに足りないと思います。
paJJAya は「知によって」「知から」「知に」「知の」「知において」のいずれにも取れるので、
南伝・増谷訳は「知から」と取って yonisomanasikArA と同格に考えています。
中村訳は「知によって」の具格と取っていますね。
英訳は、reflected thoroughlyが yonisomanasikArA 。wisdomがpaJJAya。
realizationだけがabhisamayoか、あるいはdawned onにまで含ませて意訳したのか、分かりません。
雜阿含は、全く同じ言葉でないでしょうが、正思惟がyonisomanasikArA。
無間等がabhisamayo、知がpaJJAya、起がahuと考えられます。

561 :(*):2005/08/18(木) 22:59:49 ID:nqWcId88
なぜなら同じ求那跋陀羅が『楞伽阿跋多羅寶經』で次のように訳しています。
1. 於三解脱一一不得無間等法。
2. 除此法已餘化神力現無間等。謂聲聞化神力。
3. 爲餘作無間罪者除疑悔過爲勸發故。神力變化現無間等。
4. 無有一向作無間事。不得無間等法。

その「無間等法」「現無間等」が次のようにmngon par rtogs paとチベット訳され、
1. gang byas pas rnam par grol ba gsum po las gang yang rung ba dang mngon par rtogs par mi 'gyur te /
2. sprul pa'i byin gyi rlabs kyis mngon par rtogs pa ni ma gtogs so / /
3. slar rab tu spro bar byed par 'gyur snyam nas sprul pa'i byin gyi rlabs kyis mngon par rtogs par rab tu ston to / /
4. mtshams med pa byed pa la ni mngon par rtogs pa gcig tu nges pa med de /

その原語は次のようにabhisametA、abhisamayaだからです。
1. tisRNAM vimuktInAm anyatara-anyatarasyAM na-abhisametA bhavanti
2. anyatra nirmita-adhiSThAna-abhisamayAt
4. na-asty ekAntena...abhisamayaH
   (常磐義伸『ランカーに入る』の註によったので全テキストは提示できませんでした)
つまりabhisamayaをa無-bhi間-samaya等と読んだと思われます。
パーリのような原文を想定するなら「即ち正思惟して、無間等の知が起きた」と読むべきでしょう。
つまり求那跋陀羅は、yonisomanasikAra から paJJAya abhisamayo が起きたと解釈していたのです。
とすれば構文としては次のように直訳すると分かり易いと思います。

直訳:如理作意から般若の現観が起きた。


562 :(*):2005/08/18(木) 23:03:15 ID:nqWcId88
ではそれぞれ術語の意味はどうでしょうか、幸い同じ文がこのように、
DN: yonisomanasik罫 ahu pa末軽a abhisamayo
南伝:方便によりて思惟し、慧によりて覚悟すらく、(第4巻、394)
岡野訳:根元的に思惟すると、智慧によって〔真如を〕まのあたりにすること(現観)があった。
           (中村元『原始仏典第2巻』2003春秋社41頁)〔真如を〕は訳者の補註
片山訳:正しく思惟し、慧によって〈生まれが...〉と了解しました。 
           (片山一良『パーリ仏典長部大篇 I』2004大蔵出版64頁)
長阿含經相当箇所:大本経:即以智慧觀察所由。
石川訳:即ち智慧を以って由る所を観察するに、(石川海淨『国訳一切経  阿含部七』45)
森訳:即ち智慧を以って所由を観察するに、(森章司『新国訳大蔵経  長阿含経I』98)

これについてヴァルトシュミットがサンスクリットを出版しているのですが、参照できませんでした。
チベット訳も平等通昭さんの和訳も見られませんでした。ですが、以下で十分だと思います。

563 :(*):2005/08/18(木) 23:04:39 ID:nqWcId88
片山さんは「慧(paJJA)によって了解した」と訳してますが複註は《この慧が生起し》としていますので、
我々の「般若の現観が起きた」の方が支持されると思います。よって我々は「慧によって」を
「慧の」と読み替えて解釈します。
「それがあれば老死が生じるというその老死の根拠との一致《充分な洞察による一致》が生じた」は、
abhisamayaの註釈に他なりません。つまり「慧の一致《充分な洞察による一致》が生じた」と
「般若の現観が起きた」を言い換えているわけです。「充分な洞察による」は「如理作意から」と考えます。
そして「般若の現観」の内容はもちろん「生まれがあれば老死が生じる」です。
ですから単なる「知」と考えていいでしょう。

一致(samAgama)がabhisamayaの言い換えです。すると「まのあたりにすること」という
「現観」に相当する意味より「無間等」の方が原義に近いでしょう。
とすると「符合」「合致」「当たる」「適合」になるのではないでしょうか。
samAgamaは「到来」という意味があるので「理解」「ひらめき」でもいいかもしれません。

以上によれば、yoniso-manasikAra:無常などに基づく生・滅の随観による正しい思索
paJJA:「生まれがあれば老死が生じる」という知
abhisamayo:符合、理解、ひらめき

よって意訳すればおよそ次のようになるでしょう。

無常などに基づく生・滅の随観による正しい思索から
「生まれがあれば老死が生じる」という知的符合(ひらめき)が起きた。

564 :(*):2005/08/18(木) 23:09:39 ID:nqWcId88
失礼、以下を>>563の前に読んでください。
片山訳の註です。〈〉内は上の註。MahAvaggaTThakathA, pp.1-207, 1957 ビルマ第六結集版
《》内はその複註であるMahAvaggaTIkA, pp.1-192, 1961 ビルマ第六結集版
これらも原文は参照できませんでした。

片山註26、355頁ー:yoniso-manasikAra. あるいは「正しく意を注ぎ」。
<「正しく思惟し」とは、方便の思惟(upAya-manasikAra)により、道の思惟(patha-manasikAra)により、
ということ。なぜならば、無常など《苦・無我・不浄》を無常などとしてのみ思惟する場合、
正しい思惟(yoniso-manasikAra)と呼ばれるものが生じるからである。
また、これは、「いったい何があれば生まれなどが生じるのか、何がなければ生じないのか」という
生・滅の随観(udayabbayAnupassanA)によって起こるから、
それら《無常などの思惟》のうちのいずれかである。それゆえ、かれは、この正しい思惟により、
この方便の思惟により、「慧(paJJA)によって了解した」のである。
菩薩には、慧によって、それがあれば老死が生じるというその老死の根拠(jarAmaraNakAraNa)との
一致(samAgama)《充分な洞察による一致》が生じた、が、それは何か。生まれ(jAti)である。
それゆえ、「生まれがあれば老死が生じる」と言った。菩薩には、老死の根拠を捉えるこの慧とともに
《この慧が生起し》、《それが生起して》一致が生じた、ということがこの場合の意味である。>


565 :(*):2005/08/18(木) 23:14:17 ID:nqWcId88
>>545 についてですが>>559 にしたがって

正しい思索から「生まれがあれば老死が生じる」とひらめいた。

としてもいいわけでけして誤訳ではないと思います。

566 :名無しさん@3周年:2005/08/18(木) 23:57:21 ID:9OMEgt3w
>559
複合完了については仰せの通りですが、
問題になっている箇所は、複合完了でもないし、
水野文法が示すような
ppt.+√bhU
という形でもないですね。>559の発言意図はなんですか?

567 :566:2005/08/19(金) 00:14:30 ID:tL4vmEnm
(*)さんが意図的に無視しているのか、注意をはらっていないだけなのかわかりませんが、
「〜した」と動作主を想定した訳と、「〜が生起した・〜があった」と主題についての状態
を記述する訳の違いはどうお考えなのでしょうか?
和訳上のテクニックで「〜した」と訳す、と確かに習いましたし、教えもしますが、abhisamaya
がどういう術語であるかによって「〜した」と訳すことがまずい場合もあるでしょう。
(*)さんの論考を読むと、むしろ「〜した」と訳すのはまずいのではないかと考えます。
ちょうど、「A(Genitive) B-tva」 を「AはBである」と訳すと習いますが、「AにBという性質がる」
と訳さなければ誤訳になる場合があるのと同様であろうと思います。

568 :暇人:2005/08/19(金) 01:25:01 ID:PNZP6RkG
>>559-565

色々と貴重な情報ありがとうございます。
特に>>562は参考になりました。
南伝の格調高き訳も味があってよいですし、
片山訳のすっきりした「了解しました」という訳部分は私の感覚に近いですね
長阿含・石川・森の「観察」も示唆的です。
それと>>560での南伝と増谷訳の対比により、増谷訳が南伝からの重訳との
論証も参考になりました。「正しい思惟」は、南伝の重訳。南伝は恐らく
雑阿含の「正思惟」からの訳語なのでしょうね。

「ひらめいた」もよいと思います。
あと後代の佛教語に拘るなら「現観」以外に「通達」とも漢訳されたと
聞きます。「通達」は語源的な「正しくよく至ること」 に近いですし、
意味的には「よく理解すること、さとり」というニュアンスもありますので
一つの候補になりえるかもですね。



569 :太刀山型の土俵入り:2005/08/19(金) 01:28:39 ID:lsiDxnIk
マンコをパーリ語で書くと

570 :暇人:2005/08/19(金) 01:30:54 ID:PNZP6RkG
古い著作の復刊情報。
ちくま学芸文庫から 渡辺照宏さんの「新釈尊伝」が出ました。
およそ40年前の著作ですが、熱烈なファンもいる渡辺さんの往年の釈尊伝です。
ご関心のある方は本屋さんで手にとられてみてください。

571 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 01:36:55 ID:tL4vmEnm
>563
読めば読むほどわからなくなる主張ですな。
>片山さんは「慧(paJJA)によって了解した」と訳してますが複註は《この慧が生起し》としていますので、
>我々の「般若の現観が起きた」の方が支持されると思います。よって我々は「慧によって」を
>「慧の」と読み替えて解釈します
「この慧」がいつのまに「慧の」にかわってしまったのでしょうか。
「慧」と「現観」の格関係はどうお考えなんでしょう?

ついでに我々って誰のこと?頭だいじょうぶかい?

572 :暇人:2005/08/19(金) 08:02:32 ID:91CW4Zan
>>554
野次馬さんの御袋さまは、健康な知性をもたれていますね。
>>555で無宗ださんの紹介のHPの次のページに
-『仏教誕生』(189ページ)宮元啓一著、ちくま新書の引用があります

<苦しみを発現せしめる心的機構を解体するものは、あくまでも知恵である。
知恵とは、洞察力という形態をとり、生のニヒリズムをもたらすと同時に生
のニヒリズムから発するともいえる、きわめて合理的な思考のことである。
ことばをかえていえば、当たり前の事実をまともに当たり前の事実として受
容する態度のことである。こうした知恵は、心が濁り、ふらついているかぎ
り、けっして不動のものとはならない。釈尊は、禅定を、知恵を得るための
条件として位置づけた。すなわち、心を澄まし、ふらつきのない安定した状
態にするための有効な手段と見なしたのである。>

生のニヒリズム云々はともかく、
「当たり前の事実をまともに当たり前の事実として受容する態度」が
大事ですね。

それと、あなたの設問の仕方に問題がありますが、略します。



573 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 08:27:17 ID:ZjQsXalR
また、馬鹿の戯言か

574 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 08:28:19 ID:ZjQsXalR
>>572
おまえは原始佛教の教師か?このプリテンダーめ

575 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/19(金) 08:58:22 ID:HIPNn+Kq
>>557-558
サンクス。たしかに
・先験的理解。
が抜けていましたね。
悟りは、先験的理解に分類した方がしっくりきます。

> 体系的に不十分だったため、落とし込めなかった。
おっしゃるとおりです。

ただ、先験的理解の場合にも、
真なる命題(真理)だけが、訪れるわけではなく、
それが真であるという実感もあるだろうし、
それが真であると判断できるだけの「正しい注意と智慧」といったたぐいのものが
あらかじめ必要なのではないかと思います。

「先験的理解」は、技能の習熟をイメージさせる「経験的理解」とは、
なんらかの区別が必要なのはたしかですね。
ちょっと考えてみます。


576 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 09:04:26 ID:IdGPmWwX
>>571
>読めば読むほどわからなくなる主張ですな。

そうですね。読めば読むほど一貫して支離滅裂であることがはっきりしますね。
(*)=ローマナイズ君=辻文法君の流れには大笑いさせていただきました。
大笑いはたくさんあるのですが、>>451をご覧下さい。>>559も素敵です。
>複合完了(辻§84-III)では√bhUは「〜した」と訳される。
複合完了は適用されないと誰かが名言すみなのに使ってるね。筋違い。

>piTThito Thito hoti 後に立っていた。水野『パーリ語文法』§71-4
これは日本語が理解できていないようで。かわいそうだから指摘しないでおいてあげる。
自力で理解できない場合は意味不明反撃するんだろうな。とほほ。ローマナイズ君ならでは
か。電波なんて最近発言して無いのに唐突に「宣言済みですがぁ」とか発作を起こす症例が
続いてますね。チベット訳を引用して自説を補強するのですが、これは自身の主張を曲げる
行為であって、なんの説得力もありません。(内容じゃなくて、行為のほうね。馬鹿だから念の為
これは本題ではない)

>>566 さんの正論に対して何の反論もできない貧弱文法君ですね。そのことは専門家以外の
方々にもすでに見抜かれています。煙に巻く文法羅列には穴ぼこだらけで、なおかつ嫌悪感を
覚えるだけです。法華経を読むのに漢訳もチベット訳も要らないと豪語する思考パターンから
何の成長もしていないじゃない。ついでに”sva√bhU”というような表記は専門家の間では用い
ないとか言ってなかった?

こんな馬鹿に>>568 暇人が賛同するという盆過魑魅魍魎の構図がここにはある。噴出したのがコレ。
>長阿含・石川・森の「観察」も示唆的です。

577 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 09:08:05 ID:B+Ti5cEC
覚えたてで生煮えの付け焼刃ボキャブラリーを集めて並べてみてもしようがない。

578 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 09:28:22 ID:IdGPmWwX
>>564 (*) よ。
菩薩様がちゃんと逃げ道作ってくれていたじゃないか。
のこのこと出て来れないんだよ、あんたは。あんた、先輩風吹かして文法にしても
なんにしても自己絶対化して後輩を押さえつけてただろ?そんな傲慢さがよく
出ているよ。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

高校生諸君、この(*)がインチキかどうかは以下の発言を注意深くよんで判断してくれ。
少しは勉強になるよ。

>piTThito Thito hoti 後に立っていた。水野『パーリ語文法』§71-4
>というようにパーリでも「〜した」と訳される場合がある。

パーリ部分は無視して、
>「後に立っていた」というように「〜した」と訳される場合がある。
というところでいいから。 ヒントは「時制」そして誰かが「記述関係」と言ったことを
まったく理解できていないところ。(w 
もう一つは文法説明するときに、自動詞と他動詞の区別を脳内で出来ていないところ。
これが致命的なんだけどね。こんな人が学者面できるんだから、ハッタリがいかに(以下ry

579 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 10:21:47 ID:IdGPmWwX
高校生諸君へ

>もう一つは文法説明するときに、自動詞と他動詞の区別を脳内で出来ていないところ。
>これが致命的なんだけどね。こんな人が学者面できるんだから、ハッタリがいかに(以下ry

この部分で「サンスクリットやパーリでは自動詞や他動詞が云々」と言い出したら思いっきり笑って
あげましょう。この人、多分高校英語が理解できていないから。

あの人はね、チベット表記やパーリ表記の特徴で個人特定されやすいという脇の甘さを見せています。
くれぐれもそのようなヘマをしないように心がけてくださいね。

もしあの人なら、なるほどと思っちゃいますね。学界では思いっきり馬鹿にされている自己満足屋ですから。
でも特定するところまでは至っておりません。


580 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 11:23:49 ID:0kkD+BJh
原始仏教スレって、2つの宗派に分かれてるの?

やっぱり宗教って分派するようにできてるのだねぇ。

581 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/19(金) 18:41:58 ID:HIPNn+Kq
結局、
・現観は「わかった」ではない。
と主張している人達のいいたいことは、次のようなことだろうか?

『現観には、既存の日本語では表現しきれない微妙なニュアンスが含まれる。
だから、理解等の単語を使用して翻訳するよりは、漢訳の現観をそのまま使用した方が良い』
---

たとえば、
「私は旅先の旅館で、踊り食いを経験した。その日、とれたての白子で。」
という文章が有ったとしよう。

この文章の
「踊り食いを経験した」を「食べた」に書き換えること

「現観がおこった」を「わかった」に書き換えること
とは似たような暴挙だということだろうか?


582 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 18:49:33 ID:vTEUtoNp
現観とは最福寺住職池口現観のことですか・・

583 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 19:57:41 ID:2bYqwBJ6
>「何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか?」

>現観(abhisamaya さとり)が起こった

>「生があるが故に老死が有る。生に縁って老死がある」と。

>「いったいなにがあるとき、老いること、死ぬことがあるのか。
>なにを成立条件(縁)として、 老いること、死ぬことがあるのか」

>根源的に思惟すると、智慧によって〔真如を〕まのあたりにすること(現観)があった。

>「生まれること(生)があるとき、老いること、死ぬことがある。
>生まれることを成立条件として、老いること、死ぬことがある」

生があるゆえに老死がある。ごく当たり前のことのようだけど、
これが大変難しいことなんだよね(きっと)。

じゃあ、生は何ゆえあるのか。それは、有があるから。
有は何ゆえ、、、、、取があるから。

このあたりから、現観?できない。(ちょっとふに落ちない)。




584 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 22:08:06 ID:IdGPmWwX
>>581
無宗ださん。

>・現観は「わかった」ではない。
>と主張している人達のいいたいことは、次のようなことだろうか?

それ以下のことでは適用されません。文法的にも、シンタックスとしても、意味的にも
「わかった」にはならないことを皆様はとうとうと説明しているのです。ただそれだけです。

585 :暇人:2005/08/19(金) 22:57:46 ID:89WHloUW
>>584

説明と言うか 揚げ足取りのレベルだと思うが、その一々に丁寧に
反論し尽くした、と私は思っているが、感じ方は人それぞれあろう。
文法的にも「なる」「ある」談議では「ある」の場合があると論証済み。
訳者にも「起こる」も「した」もあると論証済み。
少なくとも「意味的に」「現観はわかった」と訳せないという有効な
展開は皆無だと思います。

さて問題は、電波一派の直訳でないとマチガイという感覚であろうと思う。
@正解は一つという幼稚さと
A文法的に自分たちは正しいと言うプライド←最後の砦なのであろう。

http://fhonyaku.jp/members/mt/1.htm
翻訳とは何か、参考にされると良いと思う。

まあ中学英語もわからぬ私が言うても反発するだけで 逆効果だろうが。


586 :暇人:2005/08/19(金) 23:00:24 ID:89WHloUW
>>583

>「有」

うん 難しいですね 
みんなで 考えて見ますか。

587 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 02:56:36 ID:m6kR+xCY
>>585
あんたは頭がいかれている。「なる」「ある」論議など端からない。それは暇人の妄想で
あったことは何回も指摘済み。

>少なくとも「意味的に」「現観はわかった」と訳せないという有効な
>展開は皆無だと思います。

皆さん。よーくご覧下さい。「わかった」と訳せるという有効な展開が皆無なのに
こんなハッタリを言う人が「暇人」なのです。眼をあわさないようにしましょう。

588 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 03:21:49 ID:NRbtA/3T
誰も《感じ方》みたいないい加減で生半可なことを主張してなんかないだろう。おマヌケな感想文を偉そう
に書き込んで悦に入っている馬鹿もん一匹を除いては。

589 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 03:28:46 ID:NRbtA/3T
ついでに中学英語すら解らん、身の程知らずに《反発》している人もおらんよ。侮蔑と嘲弄の標的にしている
だけ。おまいの《感覚》なんか蟷螂の斧にもなってないぞ、暇人よ。

590 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 03:38:56 ID:NRbtA/3T
そんなに口惜しかったら、現観みたいな直訳は道行くオサーンには理解できない不適当な訳だと
かなんとか申し立てて学界相手にでも堂々と論陣でも張って見ろ。おまいの主張が認められれば
新しい定説サマの確立だし、視界の新しい大物《暇人大センセイサマ》の登場だ。

591 :暇人:2005/08/20(土) 06:25:51 ID:dj/y1ih/
>>587-590

( ^-^)_旦~~
土俵外からの中身のない罵倒をいい加減卒業したらどうかね

592 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 06:31:15 ID:S1deZOCP
そんな安物丸見えで不味そうな茶はイラネ
土俵すらもも作れず読むべき中身も全然ないサイテーな感想文へのまっとうで正確な論評なんだがな。

593 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 06:41:54 ID:S1deZOCP
ホレホレ、専門家も反論できない無敵の暇人論法を引っさげて彗星のように学界へ登場してみろ
よ。こんな僻地でくすぶってる場合じゃないぜ。大先生よぉ。

594 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 06:48:26 ID:S1deZOCP
電波を指導できる程の学力の持ち主なんだろ。その輝かしい実績でも引っさげて学界に
殴りこみ掛けてやれよ。おまいの凄さにみんな驚いて言葉も出ねえだろうさ。

595 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 06:56:15 ID:S1deZOCP
暇人=三吉でネット上あちこちにファンがいるんだろ?ファンサービスに暇人大先生の
大学者ぶりを華麗にプレゼンしてやりなよ。

596 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 07:00:28 ID:S1deZOCP
そうなりゃ
>中学英語もわからぬ私が
なんていうお言葉は大学者のゴケンソンであることがたちまち明らかになるよ。

597 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/20(土) 07:40:55 ID:5uo6p2FL
>>584 :名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 22:08:06 ID:IdGPmWwX
> 無宗ださん。
>
> >・現観は「わかった」ではない。
> >と主張している人達のいいたいことは、次のようなことだろうか?
>
> それ以下のことでは適用されません。

うーむ。はずしましたか。


598 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/20(土) 07:41:32 ID:5uo6p2FL
ところで、

> 150 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 13:32:14 ID:mVbWWzx+
> 「即正思惟 起無間等知」はTassa mayha? bhikkhave, yoniso manasik?r? ahu pann?ya abhisamayoの定型。

> 531 :名無しさん@3周年:2005/08/17(水) 11:32:21 ID:3OqjpKVN
> 漢訳したときの原本が特定できないので、間違いかどうかを断定は出来ませんが、
> 「智慧」の文字があったか無かったで語の対照が変わりますね。この「知」の場所
> が不自然にも思えます。また「無間等知=現観」であるという断定も私には出来ま
> せん。漢文は語順によって格関係を決定する場合が多く、逆にまったくそのような
> ことを無視する場合もあり、ネイティブに頼る局面も出てきます。どちらにしろ、
> 「知った」は考えられませんね。

とのことですが、
この部分の玄奘の訳はあるのでしょうか?
あるとすれば、どのように訳されているのでしょうか?


599 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 08:41:35 ID:m6kR+xCY
>>596
S1deZOCPさん。
暇人が別スレからあんたがここに出張して、暴れていると文句を垂れてるよ。
あいつきちがいだけだと思ってたけど、チンピラでもあったんだな。

何でもかんでも電波一派だって。相手にされていないのがわからないのかな。
ただ、ローマナイズ君みたいなエセ研究者と同調しながら邪義を撒き散らすの
で、叩き潰す必要があるのかもしれない。

賢い高校生諸君
>>585 の詭弁にもならない屁理屈構造をじっくり堪能してくれ。向学心ある諸君
はこんなあほなことは絶対に考えないだろうけど、この間違いに気づかないので
あれば、大学に受からないよ。国公立は絶対無理だ。

暇人はおそらく '85年にOTの哲学科を卒業し被害妄想・鼻つまみ者だろうというの
は特定出来ている。世界は狭いので注意されたし。創価学会を連呼していたら危
ないぞ。あいつらはきちがいだし。暇人よりはましか。>>585みたいなきちがい発言
できないだろう。

600 :城跡 ◆kWe8Iv03RI :2005/08/20(土) 08:43:15 ID:20XeQaVD
それはともかく600

601 :。。。:2005/08/20(土) 09:39:10 ID:NvhohbUb
>>586 暇人さん

求める心 ←無明
再度胎内に入ろうとする ←行
また身体を得て ←識、名色、六処
この世に再生する ←そして、触、受、愛、取 が生じる
取は確固たる存在であり ←有 ←それは、生〜老死 に至る。
そして無明(求める心)が残る。

これは他スレッドへの私のコメントなんですけど。
これで大筋合っているとして。(違っているかもしれないけど)。

生〜老死の問題を解決しようとすれば、有(存在?)とか、取、愛、
(執着、愛着)を何とかすればいいんだけど、それ自体はどうしようもない。

結局無明に帰着してしまう。ということなんでしょうか?


602 :。。。:2005/08/20(土) 09:44:48 ID:NvhohbUb
それと、

「無明 、行、識、名色、六処 、触、受、愛、取 」→有→生→老死

ということは、

「無明 、行、識、名色、六処 、触、受、愛、取 」この部分は、生命体
という観点から見れば、存在しない(無)ということなのでしょうか?
「有」ではない、すなわち「無」とはいえないから、「有」以外のもの
ということなんでしょうけど。

603 :城跡 ◆kWe8Iv03RI :2005/08/20(土) 09:45:43 ID:20XeQaVD
む、むずい…

604 :。。。:2005/08/20(土) 10:01:37 ID:NvhohbUb
執着を無くしよう、愛着を無くしよう、煩悩をコントロールしようと
悪戦苦闘しているわけだけど。(この連鎖を見ると)無明を断たない
限り無理なのかも。

そのためには無明の本体を知ることが必須ですよね。仏教の勉強は
「無明とは何か」に尽きる?のかも。

605 :無宗だ:2005/08/20(土) 10:50:11 ID:jokd8l3Z
求む、素人にも優しい投稿w
さて
【私の理解1】
パーリのabhisamayaに関しては、次の2つの解釈が可能ある。

サンスクリット語根合成    サンスクリット       パーリ
(1)abhi√Sam       abhisamaya         abhisamaya
(2)abhi-saM√i       abhi(S)amaya        abhisamaya
----------

(1)の場合、苦などの止滅の意となる。
(2)の場合、理論的に完全に理解する意で、こちらが「現観」である。

606 :。。。:2005/08/20(土) 11:00:30 ID:NvhohbUb
1) 生あるゆえに老死ありと 苦を死滅する
2)生あるゆえに老死ありと 理論的に完全に理解する。

2)に一票!

607 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 11:12:46 ID:zRCT/h/6
あのさ、くだらない質問かもしれないけど、釈迦の時代には、インド人は、白色人種と、肌の黒い人種が、
明確に識別できるほどに、混在していたのか?
 今のインド人は、ほとんどが黒い肌をしているが、これは、釈迦の時代から、混血が進んだ結果なのか?


608 :。。。:2005/08/20(土) 11:16:47 ID:NvhohbUb
お釈迦様は剃髪(髪の毛を剃る)はしていたみたい。
色は黒かったのか白かったのか。
モンゴロイド(アジア系)であったという説もある。

609 :名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 11:34:22 ID:zRCT/h/6
>>608
原始経典を読んでも、大乗経典を読んでも、確かに、色の黒い人種と、少なくとも真っ白と言わないまでも、
黒いと言えず、白蓮を例えにするほどの肌の人がいたことは認めなければならない。
 だとすると、やはり、混血が進んだ結果が現状であると言うべきだろうな。
 アリーア人の侵入前は、ドラビダ人がいたわけだろう。彼らが肌の色が黒かったのではないのか?
かのインダス文明の子孫達だ。彼らが、上下水道を整備した都市国家を形成していたと言うのは、
高い文明を築いていた証拠と言わなければならない。

610 :無宗だ:2005/08/20(土) 12:20:25 ID:jokd8l3Z
【私の理解1】(>>605)
【私の理解2】
>>228にあるように、

中華佛學研究所のサイトの記述によれば、
http://www.chibs.edu.tw/publication/LunCong/023/69-124.htm
(15)其次,i「行」的語根而形成的abhisameti(abhi-sami)
に関しては

・仏教全体で 最高なる証り
を意味する場合もあるし、abhisamaya一語で
・四諦の理論理解
・縁起のあり方などの初歩的な証り
を意味する場合もある。


611 :?無宗だ:2005/08/20(土) 12:52:48 ID:jokd8l3Z
【私の理解3】
yonisomanasika`ra` ahu pa??a`ya abhisamayo  の解釈に関して、

>>198
そのときわたしには正しい注意と智慧とから現観(abhisamaya さとり)が起こった、
『ゴータマ・ブッダ_釈尊の生涯』 <原始仏教1> 中村元選集・第11巻 春秋社 P.173 L6-

>>543
■メモ■中村元訳と中村元監修本の訳の比較。
「何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか?」と。
そのときわたしには正しい注意と智慧とから 現観(abhisamaya さとり)が起こった、
「生があるが故に老死が有る。生に縁って老死がある」と。

これと同文の平行箇所が中部第14経にあり、春秋社から中村元監修で出ている。
当然、上記の中村元選集第11巻をより新しい訳になる。訳者は岡野潔。

「いったいなにがあるとき、老いること、死ぬことがあるのか。なにを成立条件(縁)として、
老いること、死ぬことがあるのか」その時比丘らよ、ヴィパッシン求道者が
根源的に思惟すると、智慧によって〔真如を〕まのあたりにすること(現観)があった。
「生まれること(生)があるとき、老いること、死ぬことがある。
生まれることを成立条件として、老いること、死ぬことがある」と。

>>560
paJJAya は「知によって」「知から」「知に」「知の」「知において」のいずれにも取れる

つまり、「ahu + abhisamayo」に関しては、
現観が起こった/さとりが起こった/〔真如を〕まのあたりにすることがあった/現観があった
と翻訳可能である。

612 :無宗だ:2005/08/20(土) 13:08:59 ID:jokd8l3Z
【疑問】

〔真如を〕まのあたりにすることがあった
は、文脈から解釈して、

生まれること(生)があるとき、老いること、死ぬことがある。
生まれることを成立条件として、老いること、死ぬことがある」という
真理をまのあたりにすることがあった

ということだろう。(真如を真理と書き換えること自体、アウトとか?)
この日本語を次のように書き換えることにどんな不具合があるのか素人の私にわからない。

生まれること(生)があるとき、老いること、死ぬことがある。
生まれることを成立条件として、老いること、死ぬことがある」という
真理がわかった。
-------
真理をまのあたりにした。
もダメなのかな?


613 :571:2005/08/20(土) 21:29:32 ID:27GmVltv
>585
あのな、パーリ文であれ漢訳であれ、一つの文を読んでどう理解するのか?という議論だろ。
文法的に正しく読んで初めてその内容が議論できる。
おまえはその前提ができてないんだよ。
だから、内容理解もめちゃくちゃ支離滅裂。
きっとおまえの脳みそもくされはててんだろうな。

議論の前提が理解できないのは、>587の言うとおり。
>559-565 はどういうつもりで発言したのかしらんが、>559 の前提が成り立たない以上、無意味。
それも理解できんあんたが何をいっても説得力なし。

614 :暇人:2005/08/21(日) 00:11:19 ID:NbivhEGC
>>601-602
叩き台代わりにメモノートです。

■無明(avijjA)  
明(智慧)のないこと(水野「原始仏教」p152以下 平川「インド仏教史上」p72以下)
not secretly, openly/not knowing / ignorant(PTS)
unlearned/ unwise/ ignorance/ spiritual ignorance/ illusion (モニエル)
無知(ゴンダ「インド仏教史」p116以下) (松本史朗「仏教への道」p44以下)
(中村元「佛教語大辞典」十二因縁の項、平川)
迷い(渡辺照宏「新釈尊伝」p192以下、大辞典2−当該項目)
存在の根底にある根本的無知、苦をもたらす原因、最も根本的な煩悩、真実を見失っ
た無知。真理にくらいこと。迷いの根源。(大辞典2)
仏教真理に対する無自覚(法蔵館「仏教学辞典」p238以下十二縁起の項)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これらに対して挑戦的で言いたい放題なのが、解釈が宮元啓一「ブッダが考えたこと」
p152以下-尚引用は適時省略あるので、詳細は本をご確認されてください。
「根本的な生存欲。自覚することが不可能と言う意味で根本的な無知。
「無明」を明知(vijjA=智慧)のたんなる欠如を示す「論理的な概念」だとする和辻哲郎
博士をはじめとする人々の見解はゴータマ・ブッダの実存主義的な経験論をまったく
踏まえてないので、誤った訳である。」



615 :暇人:2005/08/21(日) 00:14:47 ID:NbivhEGC
■行(saNkhAra)
行為及び行為の集積(水野)
語原的には「共に作ること」「共に作るもの」(水野)
身語意の一切の行為及び経験の集積(水野)
one of the most difficult terms in Buddhist metaphysics(PTS)
(仏教の形而上学において最も難解な用語の一つ)
我々の過去の行動が持つ機能的要因。(ゴンダ)
潜在的構成力(ゴンダ)
潜在的形成力(大辞典)
現象(渡辺)
行為及び意志(松本)
形成力。(大辞典2、平川)
saNkhAraは「これによってつくられる」「これがつくられる」という意味。
ここから(1)形成力(2)形成されたものという二義が成立。更にa潜在的形成力。われわ
れの存在を成り立たせること。または成り立っている状態。業を形成する潜勢力。b
意志による形成力。意思作用。意思的形成力。意志(大辞典2)
生活経験(法蔵館)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
記憶、それをもとにした意志とか意向。根本的な生存欲があれば、生きるための認識
とか行為に踏み出さなければならない。そうして踏み出す盲目的な心の作用。
原義は「刻み込まれたり蓄えられたりして潜在的にあるものが持つ、将来にものごと
を作っていく力」ということであることを配慮して「潜在余力」とか「(潜在的)形成力」
という訳語を用いる学者もいるが、それでは具体的にそれが何のことがわかりにくい
のがそうした訳語の決定的な欠陥である。(宮元)


616 :暇人:2005/08/21(日) 00:15:36 ID:NbivhEGC
■識(viNNANa)
認識判断の意識作用か、認識判断の識の主体のとしてのもの(水野)
過去の全経験を裏付けとして、現在の認識判断(水野)
意識。意識に基づく生の原理(ゴンダ)
思いめぐらすこと(渡辺)
認識(松本)
識別作用(大辞典、平川)
認識作用。はたらく心。識別のはたらきをなすもの。認識する心。viNNANaは、
vi(分析・分割)+√jNA(知)の合成語であり、対象を分析し分類して認識する作用。
後世には心(citta)・意(mano)・識(viNNANa)を区別するが初期には区別なく用いら
れていた。(大辞典2)
生命体としての心身の統一。認識において世界が成立(平川)
精神の主体(法蔵館)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  「〜は〜である、ない」という形をとる判断作用。この語を識別作用と訳す学者が
  いるが、「識別作用」は、五蘊の中の「想」の訳語にこそふさわしいのであって、
  識の現代訳語としては理解に混乱をもたらすので不適切である(宮元)


617 :暇人:2005/08/21(日) 00:16:40 ID:m8RRkvYJ
■名色(nAma-rUpa)
認識される精神(名)と物質(色)(水野)  名は精神以外に概念・名目を含む(水野)
名称と形態。(ゴンダ、松本、大辞典、宮元)
経験上の個人存在の精神的構成要因と物質的構成要因(ゴンダ)
姿と物(渡辺)
精神と物質、心身(大辞典)
@古ウパニシャッドでは名称と形態。仏教最古の詩句ではこの意味。
A個人存在の精神面と物質方面。心と肉体。概念と存在。認識の対象、客観。
B心的な名と物質的な色の複合体。個体的存在としての五蘊の全体(大辞典2)
身体と心。物質、外界までを色に含め得る(平川)
認識の対象であるすべての心や物(法蔵館)
対象は形態を持ちかつ名称づけられるからこそ認識・判断が可能になる(宮元)
■六処(saLAyatana)
認識する為の感覚器官(眼耳鼻舌身の五官及び五官機能)と思惟器官と能力(水野)
六つの入り口。六つの心的作用の領域。六つの感覚器官。(ゴンダ)
六種の感覚(渡辺)
六つの感覚機能(松本)
心作用の成立する六つの場、眼耳鼻舌身意(大辞典)
精神活動がそれを通じて起こる六つの領域。対象をとらえる六つの場。(大辞典2)
眼耳鼻舌身意の六つの認識の領域(平川)
眼耳鼻舌身意の六根(法蔵館)
認識を構成する要素の筆頭に置かれる六つの感官(宮元)


618 :暇人:2005/08/21(日) 00:17:18 ID:m8RRkvYJ
■触(phassa)
感覚知覚器官または能力(六処)と対象(名色)と識体の接触(水野)
対象と感覚器官との接触(ゴンダ)
接触(渡辺、法蔵館)
対象との接触(松本)
感官と対象との接触(大辞典、宮元)
肌触り、手触りなどの感触(大辞典2)
認識における主観と客観の接触。識(主観)と境(客観)と根(感官)の三者の和合(平川)
■受(vedanA)
苦楽などの感受作用(水野)
感覚。感覚作用、触覚(ゴンダ)
感受(渡辺、松本、法蔵館)
感受作用(大辞典、宮元)
意識のうちになんらかの印象を受け入れること。(大辞典2)
対象を受け入れること。苦受・楽受・不苦不楽受(平川)
知覚(宮元)


619 :暇人:2005/08/21(日) 00:18:17 ID:m8RRkvYJ
■愛(taNhA)
渇愛(水野、ゴンダ、渡辺、平川、宮元)。
盲目的な欲求。苦悩の根本原因は無明だが、直接原因は渇愛(水野)
感性的欲求(ゴンダ)
欲望(松本)
盲目的衝動、妄執、渇きにたとえられるもの(大辞典)
広くは煩悩を意味し、狭くは貪欲と同じ。渇きに似た激しい欲望。満足するまでやまな
い激しい欲望(大辞典2)
あらゆる煩悩の根底にある欲求性・不満属性。迷いの生存の根底にあるもの
渇愛縁起の系列の始源(平川)
求めて飽くない我欲(法蔵館)
ほとんど抑制不可能な盲目的衝動。対象を認識したことから生じる衝動的な欲望(宮元)

■取(upAdAna)
取著。愛憎という盲目的な激情の念から起こる強い取捨選択の行動(水野)
取著。行為を企て、欲望に合った対象へと向かう働き。執着(ゴンダ)
執らわれ(渡辺)
執着(松本、大辞典、宮元)
煩悩の異名の一つ(大辞典2)
生存に執着(平川)
すべてをわがものとして取り込もうとする執着(法蔵館)


620 :暇人:2005/08/21(日) 00:20:28 ID:y1Asm0cD
■有(bhava)
存在。我々の過去の行為経験の集積された我々の現存在。(水野)
生存(ゴンダ、渡辺、松本、大辞典)。
語義的には「生成」(ゴンダ)
輪廻の生存(平川)
自覚的な人間の生存(法蔵館)
輪廻的な生存(宮元)

■生(jAti)
死の後に来る来世の生あるいは時々刻々に現れるその人の存在の発生(水野)
生まれること(渡辺、大辞典、平川)
出生(松本、大辞典2)
誕生、生まれ変わること。再生すること。輪廻とは再生・再死を延々と繰り返すこと(宮元)

■老死(jarA-maraNA)
老や死それ自体というより、老や死から起こる苦(水野)
老いと死(松本)
無常な姿(大辞典)
人間苦・無常苦(法蔵館)
老いと死。輪廻的生存の内にある限り逃れられない代表的な苦。


621 :名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 00:25:17 ID:e3Hu14BG
遺伝子も二千年では変わるらしいね
環境に適応して行くのは自然の道理
赤道直下に肌の白い人が住んでて、
北欧などに肌の黒い人が住んでたら、
却ってグロテスク




622 :暇人:2005/08/21(日) 00:34:42 ID:y1Asm0cD
後、平川彰著作集第一巻p458に「十二縁起り各支の意味」の項があり、
パーリ相応部12の第二経「分別」の各支の説明を紹介されている。
Vibhaïgasuttaü

http://www.metta.lk/tipitaka/2Sutta-Pitaka/3Samyutta-Nikaya/Samyutta2/12-Abhisamaya-Samyutta/01-Buddhavaggo-p.html
だと思う。



623 :暇人:2005/08/21(日) 01:09:37 ID:y1Asm0cD
>生〜老死の問題
元々、老死は『苦』の現実として最初に置かれたのだと思います。
この老死という『苦』をどう解決したらよいのか。
私たちは机上で老死を考えてしまいがちですが、これは具体的な自分の現実だったのだ
と思います。切実な現実の私の生き様の中にある『苦』。この『苦』の自覚からすべてが
はじまるのだと思います。
『苦』が自分の中で問題にならないならば、以下の縁起各支の展開は単なる教養です。

生は、「人生」ではなく「生まれること」というのが一つのポイントですね。
更に輪廻をどう考えるのかという問題があります。非科学的な「再生・再死」概念を
無視し、自分の現実を足元にして思想的に読む立場もありえるでしょうし、
釈尊の時代はどうであったのか、史実に近づこうとする立場もあるでしょう。

A老いや死は、生まれることがあるからある。
B再生生死を繰り返す輪廻的生存があるから老死はある
ここまではわかりやすいのですが次の「有」が難しくなります。
Bですと、現在の生存のあり方が次の生存のあり方の根拠になるということになるのかな。
Aだと、生命活動一般とかを「有」にしたくなりますが、そういう意味ではないのでしょう。


624 :暇人:2005/08/21(日) 01:10:54 ID:y1Asm0cD
>取、愛、(執着、愛着)を何とかすればいいんだけど、それ自体はどうしようもない

すべてをわがものとして取り込もうとする執着(取)の背後にある「愛」は、
ほとんど抑制不可能な盲目的衝動として想定されていますから、これを制御するのは
難しいのでしょう。
満足をしらぬ飽くなき我欲が私たちの存在の根底にあり、私たちの生存を突き動かしてや
まない。この愛に至り終わる縁起が渇愛縁起ですね。十二縁起より古いかもしれません。
この我欲が制御でき、無常だからなにものも「我がもの」とできないとわかり、そういう
ありざまから開放されたら、『苦』からも自由になるということなのでしょうね。


625 : 無宗だ:2005/08/21(日) 10:03:47 ID:fea4NF+4
>>620
>■生(jAti)
>死の後に来る来世の生あるいは時々刻々に現れるその人の存在の発生(水野)
非常にそつのない答えですよねw。

ただ、生と死は常に対応すべき概念だと考えます。
「時々刻々に現れるその人の存在の発生」を生と呼ぶのであれば、
「時々刻々に消えるその人の前の存在の消滅」を死と呼ばなければバランスがとれません。
しかし、この場合の死は苦とはなりません。

>>623
> A老いや死は、生まれることがあるからある。
こちらに一票。

>>622 :暇人:2005/08/21(日) 00:34:42 ID:y1Asm0cD
> 後、平川彰著作集第一巻p458に「十二縁起り各支の意味」の項があり、
> パーリ相応部12の第二経「分別」の各支の説明を紹介されている。
たぶんこれが、「仏教の根本聖典」増谷文雄 p77-80
南伝 相応部経典 12,2 分別
漢訳 雑阿含経 12、16
に対応すると思うのですが、有は三界を意味し、
この世という生命が存在できる場があるから、誕生がある
と解します


626 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/21(日) 17:15:16 ID:fea4NF+4
原始仏教でも重視されていた布施は、
大乗仏教では、菩薩が涅槃に至るために実践するべき行である六波羅蜜の筆頭に挙げられています。
布施波羅蜜の
<--
波羅蜜とはサンスクリット語の「パーラミター」の音写で、「波羅蜜多」ともいいます。「完全な」とか「完成する」という意味があり、
「度」「到彼岸(彼岸に到達する)」と意訳されます。
つまり「布施波羅蜜」とは「完全な布施」とか「布施の完成」という意味になるわけです。
-->
http://www21.big.or.jp/~tetsuki/kokoro/shinjin/fuse_04_2.html

<--
それでは、「完全な布施」「布施の完成」とはいったいどういうものでしょうか。
これについては「三輪清浄」の布施ということがいわれます。
布施を与える人(能施)と受け取る人(所施)、与えるもの(施物)の三つが清らかで、
滞りがあってはいけないということです。

簡単に言えば、「自分があの人にこういうことをしてやったのだ」などというのでは、
布施波羅蜜にはならないということです。当然、現世の御利益であれ、来世の安楽であれ、
見返りを求めるような布施ではありません。
それどころか「涅槃を求める」ことすら執着とされたりします。

与える側も受ける側も、その時その場において布施が必要だから行うのであって、
形の上でも心の中でもごく当たり前に行われるということでしょう。
そこには、一切の「はからい」がないわけです。
-->
(同URL)

知識を教える、教わるというのも、一種の布施だと思いますが、「完全な布施」というのは難しいですね。
布施をして、逆に悪業を積むなどという馬鹿な事態はお互い避けたいものです。


627 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/21(日) 18:39:06 ID:fea4NF+4
http://tetugaku.fc2web.com/butten/samon3.htm
十八 このように、大徳よ、実にプラーナ・カッサパは、
現世における沙門の果報を問われて、非業を説いたのであります。
たとえるならば、大徳よ、マンゴーの果実について質問されたら、
パンの樹の果実について説明し、パンの樹の果実について質問されたら、
マンゴーの果実について説明するようなもので、
このように、大徳よ、実にプラーナ・カッサパは、
現世における沙門の果報を問われて、非業を説いたのであります。
しかし、大徳よ、私には次のような思いが生じてきたのです。
「実に私のような者は、どうして、私の領内に暮らしている沙門や婆羅門に、
不快感を与えて良いのだと思うことができようか」と。
したがって、大徳よ、私は彼の言説に対して、称賛もしないし、また非難もしないで、
私は内心不満を抱きながら、なんの不満の言葉も漏らさず、
平静に彼が説いた教えを聞いて、しかもこれを尊重しないで、座を立って退出したのであります。
-----

質問をして、延々、見当はずれのテーマに関して説いてもらった場合、どうすれば良いのか?
なかなか、悩ましい問題です。

それで終わらず、説いてもらったことに感謝するように要求されたらどうするべきか?
労力と時間を費やして貰ったことに感謝するのが、一番無難な対応ですね。おそらく。


628 :名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 19:58:20 ID:cBoPvR74
>627
無臭さんも、暇人も、スレッド間弾道弾はやめてちょ。わかりにくくてしょうがない。
文法無視の読みと珍無類の仏教理解の双運はこっちのスレからはじまったんで、
こっちでおながい。

>質問をして、延々、見当はずれのテーマに関して説いてもらった場合、どうすれば良いのか?
>なかなか、悩ましい問題です。
無臭ださんには、申し訳ありませんが、この発言は、ことの本質が理解できていない、ということの
告白以外の何者でもありませんよ。
むしろ暇人の害毒に毒されたということなのでしょうが。

629 :暇人:2005/08/21(日) 21:41:42 ID:ZZriRl4z
>>627
感謝は大切ですね。
結果はともあれ、無宗ださんを彼の考える正しい所へ導こうと、
彼なりに尽くされたわけですので、その気持ちは尊重してもよいと思います。
「ご説明有難うございます」とだけ述べ、賛意は示さず、批判もしないのが、
いらぬ摩擦で紛糾せずよいのかもしれませんです。

と、率先して紛糾さしている私が言っては興ざめですが汗。

引用先−沙門果経(十六〜十八)の気になった訳語について すこし瑣末訳語を
(春秋社「原始仏典 長部経典T」p65以下と比較します パーリ原文ノーチェック)

奴隷出身者→奴隷出身兵士 軍事探偵→突撃兵 
かつらを編む者→花輪職人 大きな龍のような勇士→大きな象のような勇士

説いて貰ったことに感謝というより、私の感想では
@電車に乗ったら席を気軽に譲ってくれた無邪気な少年いた。
Aその少年が周りの迷惑を顧みず吊革で体操しはじめた
B少年を注意した
Cすると少年は@に触れ忘恩と逆切れした


630 :名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 22:00:42 ID:I8/9vzya
496 名前: 暇人 投稿日: 2005/08/21(日) 21:40:52 ID:ZZriRl4z
628 :名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 19:58:20 ID:cBoPvR74
>627
無臭さんも、暇人も、スレッド間弾道弾はやめてちょ。わかりにくくてしょうがない。
文法無視の読みと珍無類の仏教理解の双運はこっちのスレからはじまったんで、
こっちでおながい。

>質問をして、延々、見当はずれのテーマに関して説いてもらった場合、どうすれば良いのか?
>なかなか、悩ましい問題です。
無臭ださんには、申し訳ありませんが、この発言は、ことの本質が理解できていない、ということの
告白以外の何者でもありませんよ。
むしろ暇人の害毒に毒されたということなのでしょうが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まあ ( ^-^)_旦~~
何度繰り返されても 
くだらんイチャモンはこちらに貼る 理解しましょうね
向こうは 具体的な話をする場所です よろしく
497 名前: 暇人 投稿日: 2005/08/21(日) 21:42:21 ID:ZZriRl4z
向こうで私と遊びたいなら 中味のあるレスしてくらはい。



631 :名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 22:02:22 ID:I8/9vzya
このような発言を確信的な荒し行為として2chでは嫌われている。
実社会でも同じだろう。個人情報保護法の理念も知らない馬鹿だから。

632 :名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 22:03:47 ID:f8VZ0F7F
>>627
おいおい。よりによってオウムバージョンを引っ張り出すなよ。きしょいよ。

633 :名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 23:33:32 ID:QYE2O4t3
仏教のスレッドは怨念がこもってるな。
神さんの明るさがないからだな。

634 :暇人:2005/08/21(日) 23:35:50 ID:ZZriRl4z
■各支「老」 パーリ本文/漢訳/パーリ語辞典/平川訳
Katama¤ca bhikkhave, jaràmaraõaü? Yà2 tesaü tesaü sattànaü tamhi tamhi sattanikàye jarà jãraõatà
khaõóiccaü pàliccaü valittacatà àyuno saühàni indriyànaü paripàko, ayaü vuccati jarà.
云何為老。若髮白露頂。皮緩根熟。支弱背僂。垂頭呻吟 短氣前輸。柱杖而行。身體黧K。
四體班駮。闇鈍垂熟。造行艱難羸劣。是名為老。

Katama¤ca(katama いづれか どちらか ca〜と) bhikkhave, 比丘たちよ
Jaràmaraõaü(jarà 老い maraõaü 死) sattànaü 衆生の tamhi(それにおいては)
tesaü(taそれの複数datそれぞれにそれぞの為に,genそれぞれの)  Yà(ところのもの)
sattanikàye(satta 衆生のnikàye ニカーヤ 部類 集まり) jarà(老衰) jãraõatà(老耄-平川)
khaõóiccaü(毀壊)pàliccaü(白髪)valittacatà(皺よっていること) àyuno saühàni(寿命の/減退)
indriyànaü paripàko(知覚能力の/円熟・毀熟) ayaü (これ この)vuccati(言われる) jarà.(老)

平川訳:比丘たちよ。老死とは何ぞや。それぞれの衆生の部類における、それぞれの衆生の
老衰、老耄、敗朽、白髪、皺皮、寿命の減退、初根の老熟、これを老という。


635 :暇人:2005/08/21(日) 23:37:02 ID:ZZriRl4z
■各支「死」 パーリ本文/漢訳/パーリ語辞典/平川訳
Katama¤ca bhikkhave, maraõaü? tesaü tesaü sattànaü tamhà tamhà sattanikàyà cuti
avanatà bhedo antaradhànaü maccumaraõaü kàlakiriyà khandhànaü bhedo kalebarassa3
nikkhepo jãvitindriyassa upacchedo4. Idaü vuccati maraõaü. Iti aya¤ca jarà ida¤ca
maraõaü, idaü vuccati bhikkhave, jaràmaraõaü.
云何為死。彼彼眾生。彼彼種類沒.遷移.身壞.壽盡.火離.命滅。捨陰時到。是名為死。
Cuti(死没) avanatà(?ava-下方にnamati曲げる・屈する>nam) bhedo(破壊)
Antaradhànaü(滅没、隠没、消えること) maccumaraõaü(死) kàlakiriyà(命終、臨終)
khandhànaü bhedo(蘊の、あつまりの/破壊) kalebarassa3 nikkhepo(死体の/投棄)
jãvitindriyassa upacchedo(?の/断壊、断絶)Idaü(ayaMのnこれ) Iti(かくして)
aya¤ca A ida¤ca B(このAとこのBと)

平川訳:(略)死没、破壊、滅没、死、命終、諸根の破壊、遺骸の遺棄、これが死と言われる。


636 :暇人:2005/08/21(日) 23:41:06 ID:ZZriRl4z
■各支「生」 パーリ本文/漢訳/パーリ語辞典/平川訳
Katamà ca bhikkhave, jàti? Yà tesaü tesaü sattànaü tamhi tamhi sattanikàye jàti sa¤jàti
okkanti nibbatti abhinibbatti, khandhànaü pàtubhàvo àyatanànaü pañilàbho, ayaü
vuccati bhikkhave, jàti.
云何為生。 若彼彼眾生 彼彼身種類一生。超越和合出生。得陰.得界.得入處.得命根。是名為生
sa¤jàti (出生)okkanti(入胎、出現)nibbatti(発生、生起) abhinibbatti(再生),
khandhànaü pàtubhàvo(諸蘊の/出現) 人間存在を構成する要素=心身の出現
àyatanànaü pañilàbho(諸処、諸入処/獲得), 心作用が起こるための認識の場の獲得

平川訳(略)出生、出産、入胎、再生、諸蘊の顕現、諸処の獲得、これを生という。


637 :暇人:2005/08/21(日) 23:54:26 ID:ZZriRl4z
■各支「有」 パーリ本文/漢訳/パーリ語辞典/平川訳
Katamo ca bhikkhave, bhavo? Tayome bhikkhave, bhavà: kàmabhavo, råpabhavo,
aråpabhavo. Ayaü vuccati bhikkhave, bhavo.
云何為有。 三有。欲有.色有.無色有。
Tayome(数詞 三)
kAmabhavo(欲有→欲、愛欲、欲念、欲情、欲楽/生存) 自分勝手な生存。本能的な生存
rUpabhavo(色有→色、物質、肉体、形相、容姿、像、相、画、人形)肉体的な生存。即物的な生存
arUpabhavo.(無色有)精神的な生存。 精神的な生存
平川訳(略):これら三有あり。欲有、色有、無色有。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後代の発展した「三界」という視点から「欲有、色有、無色有」を考えますと、
欲有、色有、無色有は、神話的あるいはシステマッテックに分類された机上の概念へと変化し
てしまうのではと危惧します。
私はもっと身近かつ現実的な我々の生き様に引き戻して考え、この箇所は
生存には「本能的な生命活動」「肉体的な生命活動」「精神的な生命活動」があると言っているの
では、ととりあえず考えて見ます。


638 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/22(月) 06:35:45 ID:Qlt2HwG+
ある人が
ある分野には詳しいが、別な分野には疎いということ
あることは簡単に理解できるのに、別なことはなかなか理解できないこと
対応する相手を差別し、冷酷無比に振舞ったり、慈悲深く振舞ったりすること、
あることにはこだわりがあるが、別なことには無頓着なこと
ある権威は認めるが、別な権威は認めないこと
これは良くあること。

あるテーマに関し、非論理的な思考しかできない人が、
別なテーマに関し、論理的な思考展開をするということ
よく考えるとこれはありえないかもしれませんね。

そうすると、
あるテーマに関し論理の通じなかった人に対して、
それを一般化して
あなたは論理の通じない人だと評することは
ものすごく正しいことだったのかもしれないw


639 :602:2005/08/22(月) 09:38:34 ID:wmMnNoBc
暇人さん凄い。ちょっと読んでみます。

640 :城跡 ◆kWe8Iv03RI :2005/08/22(月) 10:01:42 ID:9GT7xCDy
>>638
適材適所ってことですか?

641 :602:2005/08/22(月) 10:03:06 ID:wmMnNoBc
>>614
■無明(avijjA)  
明(智慧)のないこと(水野「原始仏教」
not secretly, openly/not knowing / ignorant(PTS)
unlearned/ unwise/ ignorance/ spiritual ignorance/ illusion (モニエル)

存在の根底にある根本的無知、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「根本的な生存欲。自覚することが不可能と言う意味で根本的な無知。
............
............
私の理論は(私のものをここで開陳しても仕方が無いんだけど)

無明=この世に〜を求める心;〜=五蘊とその対象物

現代人にはとても分かりやすくて、五蘊とその対象は、素粒子とエネルギー
にしか過ぎない。決して、甘美な華やかなものではない。そこに何物かを
求めたところで、悲しくて苦しいだけ。
「五蘊皆空」と知れ。
その時、心は「心無けいげ」となる。(般若心経、けいげの漢字が?)
五蘊は色、受、想、行、識だけど、「心」は受、想、行、識とは別もの
みたいですね。




642 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/22(月) 10:13:20 ID:ByXnQ78p
ROM記念
>>637
>欲有、色有、無色有は、神話的あるいはシステマッテックに分類された机上の概念へと変化し
>てしまうのではと危惧します。

同意です。
(ここのとこは非常に大事)
>生存には「本能的な生命活動」「肉体的な生命活動」「精神的な生命活動」があると言っているの
>では、ととりあえず考えて見ます。

まぁ、分類すればそういうことなんでしょうけど。
私は、あまり分類し過ぎるかとおもいます。
生命活動に、本能も肉体も精神も全て意が含まれる。






643 :城跡 ◆kWe8Iv03RI :2005/08/22(月) 10:17:21 ID:9GT7xCDy
正直な話、難かしくてわからない。

644 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/22(月) 10:22:17 ID:ByXnQ78p
>>643
>正直な話、難かしくてわからない。

いやいや、なかなかいいことが書いてありますよ。

無宗ださんも、最近急にいい書き込みをするようになった。
以前の書き込みからすると段違い。

645 :城跡 ◆kWe8Iv03RI :2005/08/22(月) 10:26:19 ID:9GT7xCDy
>>644
ど、努力します

646 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/22(月) 10:39:35 ID:ByXnQ78p
>>645
そうですか?

電波氏一族は、暇人氏が指摘したとおり【机上の概念へと変化】しちゃってるとこが問題なのです。
よくぞ暇人氏は見抜きなさった。

なかなか、こういうとこは凡人には見抜けないのです。


647 :602:2005/08/22(月) 10:48:16 ID:wmMnNoBc
城跡さん、

ど、どれが難しいんでしょうか? >>641 ですか? もしそうなら、

もう一度書き直しますけど。

648 :城跡 ◆kWe8Iv03RI :2005/08/22(月) 10:50:27 ID:9GT7xCDy
>>647
俺がバカなだけなんでお気にせずに…

649 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 10:55:36 ID:FkiaGqHw
>>637
>後代の発展した「三界」という視点から「欲有、色有、無色有」を考えますと、

これって何を示す?「三界」の概念自体は阿含経に頻出している。
この主張を言うのであれば、

・古くから有る「三界」についての説明
・後代の発展した「三界」の説明
・上記両者の違い

を述べる必要が有るのではないか。通常、「三有」とは「三界」におけるそれぞれの存在の
あり方(中村『仏教語大辞典』P.455)と解される。上記事典P.457の解説で三界の概念は後
代の発展したものと誤認してしまう人がいるのかもしれない。

原始仏典とされる中に古層を求めるのなら、三界の成立は後代ともいえる。しかし、三有は
三界を前提としている限り(三有は三界より先に成立した概念ではない)、あんたの論点は
定まらない。三有が三界よりも先に成立していることを論証する必要が有る。


650 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/22(月) 11:00:33 ID:ByXnQ78p
なかなか、いい流れになってきましたね。
論客も揃ってるようだし。

  
   良スレの悪寒

651 :602:2005/08/22(月) 12:19:35 ID:wmMnNoBc
なるほど、生の要因として、三つの有を考えると良く分かりますよね。

欲貪(本能的な欲望)、
色貪(物質への欲望)、
無色貪(精神世界への欲望)、

三有、三界の話が出ていたけど、(別物ではなく)有の集合体が界なのでは?

(お相撲さんと土俵ではなく、お相撲さんの集合がお相撲さん界)


652 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/22(月) 12:47:22 ID:ykTDf/Lg
>>641 :602:2005/08/22(月) 10:03:06 ID:wmMnNoBc
> 五蘊は色、受、想、行、識だけど、「心」は受、想、行、識とは別ものみたいですね。

関係あるかどうか、わかりませんが、
インド哲学における、心身と自己との関係に関しては、

http://homepage1.nifty.com/manikana/m.p/articles/attan.html
自己と世界----インド哲学の視点より

が面白いです。


653 :602:2005/08/22(月) 13:27:50 ID:wmMnNoBc
>>652 サイトから引用します。

>ヤージュニャヴァルキヤからほぼ一世紀ほど後に現れた仏教の
>開祖ゴータマ・ブッダは、五蘊非我説(無我説ではない)を主張した。
>これは、平易にいえば、「心身のいずれも自己ではない」として、
>自己と心身とを峻別しなければならないという主張である。

(般若心経から)
五蘊は皆空なりと知って、苦しみや恐れから逃れ、安堵し、
(以無所得故)空の中には得る所無しと、般若ハラミタの智慧を得て、
心は無けいげ、無けいげなるが故に、無有恐怖、遠離一切顚倒夢想、究竟涅槃する。

そういう「心」は空でもなく、五蘊自体でもない、のかな。ということですね。

654 :602:2005/08/22(月) 13:31:26 ID:wmMnNoBc
「心身のいずれも自己ではない」として、

↑この表現は誤解を生じやすいけど

↓こう直して

「脳(神経系統も)も身体もいずれも自己でない」として、

「心身は不二なるか」の命題の場合は、脳(神経系)は身に含まれていますものね。

655 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 18:00:22 ID:S8HiY3FA
阿含経は、生まれ変わらない為の技術書です。

656 :暇人:2005/08/22(月) 23:05:57 ID:g+4iAIT7
>>649
頓珍漢な難癖は止めて欲しいものだが。。。
@ 他人の書き込み(A)を自分の読み(B)と誤読し、(B)の理由を説明しろと言われても汗
A 自分の情報を絶対化する癖をやめろ。見苦しい。

これって何を示す?←これは何を意味するのでしょうか?とキチンと尋ねさい。
「三界」の概念自体は阿含経に頻出している。←倶舎論と比較するとわずかだぞ。
(しかも雑阿含をあげれば、「欲界と色界と無色界。」の三界とは限らん)
雑阿含461経「三界あり。謂ゆる欲界と色界と無色界。」
雑阿含462経「三界あり。色界と無色界と滅界。」
雑阿含463経「云何三。謂從欲界出至色界 色界出至無色界。一切諸行。一切思想滅界」
雑阿含613経「三界は欲界と恚界と害界」
雑阿含715経「三界あり。謂斷界・無欲界・滅界。」


657 :暇人:2005/08/22(月) 23:06:31 ID:g+4iAIT7
>三有は 三界を前提としている
それはどの<パーリ・阿含経典>のテキストを根拠にした見解だね。
当該テーマの<縁起「有」支の「三有」>が三界を前提していると具体的に明瞭な
<パーリ・阿含経典のテキスト>を出してくだされ。
簡単に言うと「三有とは三界に生存することだ。」とする原テキストね。

>三有が三界よりも先に成立していることを論証する必要が有る
キミがこう考えたのは<後代の発展した「三界」という視点>という発言を
<三界は三有より後代に成立した>と読み間違ったからできる発言だな。
1古くから有る「三界」−阿含のまだ発展してない三界
2三有
3後代の発展した「三界」の説明−倶舎論や大乗の発展した「三界」

つまり、古い三界。新しい三界を想定しいても「後代の発展した「三界」という視点」
から「三有」をみるのは止めようと書けるのだ


658 :暇人:2005/08/22(月) 23:11:15 ID:g+4iAIT7
古い三界は、上記の雑阿含の他に、水野「原始仏教」p77あたりの記述も参考に。
私は現テキストからは以下の根拠を未確認かつ水野さんの記述を支持しないが、
アホダラ君などは、この辺を独自解釈の上拡大解釈した見解に立たれている。
・ウパニシャドの三道−第三道(地獄、畜生の世界)・祖道(人界)・天道(天界)
・一応、釈尊も三界を語る。精神上の世界 
欲界(感官の要求の多い場合)
色界(初禅から四禅の状態)
無色界(静寂な精神統一の状態)
・部派時代の生物の生存する具体的世界としての三界
ちなみに大乗の三界説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%95%8C

さて私の論点は「神話的あるいはシステマッテックに分類された机上の概念」
六欲天とか浄居天などの神話的記述を組織だって説明する「三界」を
後代の発展した「三界」という視点と書いているのですね。
「三有」にはこういう発展はない。


659 :暇人:2005/08/22(月) 23:24:56 ID:g+4iAIT7
>>646
>こういうとこは凡人には見抜けないのです

いや私は凡人です。頭のてっぺんからつま先まで。
焼き鳥屋で うだうだ言っているそこいろのエロ親父のひとりです。
それと私には禅はわかりません。

電波男さんもですね、「キミはそう考えるんだ。」
「私はここをこのように読むけどね」と書くなら さほどおかしくないの
ですが、「こう読まん奴は馬鹿だぁー」みたいに一つの解釈を絶対化
しすぎ。それと学問の現場を離れて久しいのでしょう、
その絶対化の依拠論文は20年前のが多いし、記憶違いもしばしば。

まあご怪我とのこと ゆっくりと療養されて英気を養われてほしいですね

660 :暇人:2005/08/22(月) 23:45:40 ID:g+4iAIT7
■スレッド14の分立に関して■

私は本家争いをする気ありません。
このスレッドを消費した後は、
原始仏教スレッドはアホダラ君らが本家を自認されてますのでお任せし、
こちらは、こちらでせっかくの流れがでてきましたので、
素人同士で、まったりと原始仏教を考える新スレッドを立ち上げては
どうだろうかと思います。
色々ご意見あるかもですが、同じスレッドが分立しているのは
初心の人やかつて遊んだ人たちに不親切ではないかと。

私の不徳ゆえ、新スレッドにも 私を目的とした荒らし諸氏が
来られるかもですが、そのへんはお許し頂き、
楽しく じっくり まったり 原始仏教をそれぞれが それぞれの立場で
研鑽できるスレッドにできたらと思います。
有縁の方々 どうぞ よろしくです。

案@■初心者のための原始仏教■
案A■原始仏教談話室■
案B■原始仏教を語ろう■
教える人-教わる人の固定関係ではなく、知識の多寡を問わず、
同じ立場で、ある時は教わり、ある時は自分の知識が他人を触発し、
それぞれがそれぞれの意見・感想を述べ合う
というのはいかがでしょうか。
など。よろしくー

661 :暇人:2005/08/23(火) 00:31:45 ID:0w5V56P+
私訳:比丘たちよ。老死とはどんな状態だろうか。
一人一人の人生において、一人一人が、老い衰え、耄碌し、身体のあちこちにガタが来て、
髪は白くなり、皺がより、寿命は残り僅か、視力は衰え、耳は遠くなり、嗅覚も味覚も、肌感覚さえも鈍くなり、心の敏感すら失う、こういう状態が『老』といわれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
悟っても『老いること』自体を克服できるわけではありません。
釈尊も老い衰え、亡くなられたわけです。
『老い』は即物的には克服できないのに、還滅門が語られるのは、
『老い』そのものではなく、『老いることを苦と感じること』が克服されるのかもですね。
髪が白くなれば、見た目の若さを取り戻すべくヘアカラーで黒く染め、
皺やシミができれば美肌に日々勤しみ、などなど涙ぐましいアンチエイジングが
行われています。それ自体に害はありませんし 悪いことではないですが、
『老いること』を嫌い、避け、逃げても『老い』はゆっくり着実に私たちを
包み込みます。そのあるがままの『老い』と向き合い、『老いの事実』をあるがままに
生きる。そういうのが悟りなのかもですね。


662 :素人:2005/08/23(火) 00:58:22 ID:jmIdjnQg
「原典への信仰と批判のバランスを保ちつつの吟味」なき翻訳は危険すぎる!
100歩譲って、先達の訳出をベースにするとしても、(私訳と断ってはいるものの)、
貴方の望む「素人・一般人・初学者(≒現代人?)の為の訳文を・・」と言うなら
「当時の風土・文化的背景・社会通念etc.への謙虚な眼差し」と、
「現代社会との類似・相違」「現在流通している言葉」への配慮なくしてはありえないでしょう。
また同時に、現在はこの訳(考え方)が主流であるとの併記が必要かと思う。
私的なサークル(例えば、小説家の作品に対してあれこれ感想を言い合うような)、
或いは一寺院の住職が檀家さんのために行うもの等小さなものとしてなら良いでしょうが・・・。
( それでもトンデモは困りますがね・・・(^^;)   けど、やはり主流の提示は必要か・・・w)

別に電波氏始めスレに参加している専門家を意識しての発言ではなく、
学部生ながら仏典に触れたものとして一言レスしておきます。

663 :暇人:2005/08/23(火) 01:39:43 ID:0w5V56P+
>>662

うむぅ。キミがそう感じたならば キミがまず範を示し、
当該部分の主流の訳を 提示してくれたまえ。

言っている内容は立派だと思う。
ただ 文句だけで 中味がない あなたの訳見本がない。

それと主流の訳かどうかはしらんが 平川訳は出した上での私訳だな。

「当時の風土・文化的背景・社会通念etc.への謙虚な眼差し」←これの見本みたいですね

あなたがこれを踏まえた訳の見本を具体的に見せて 範を示し下さい。


664 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/23(火) 08:58:49 ID:ynIzIMav
>>660 :暇人:2005/08/22(月) 23:45:40 ID:g+4iAIT7
> 私の不徳ゆえ、新スレッドにも 私を目的とした荒らし諸氏が
> 来られるかもですが、

自分が理解力に優れていること誇示したくて
■(1)私が説明しても、あんたには理解できないと思う。
などという、お馬鹿な表現をする輩にはご遠慮願いたいですね.

■(2)あんたに理解できるように、私は説明できないと思う。
という己の無能力の告白でしかないのだから。

こういう場合は、やはりストレートに
■(3)俺の貴重な労力と時間を費やしてまで教えてやる価値はお前にはない!!
という主観バリバリの素直な表現をしてもらいたいものです。

そうすれば、人に嫌がられることに自分の時間を費やすこともなくなり、
自分にとって価値のあることに自分の時間を費やされるようになることでしょう。


665 :。。。:2005/08/23(火) 09:45:51 ID:QwwlgATl
>>661 老死を超えるとは、老死の反復を乗り越える、もはや老死を繰り返さない、
という意味ではないですか。

666 :。。。:2005/08/23(火) 09:47:42 ID:QwwlgATl
>>661 それと現世や来世や己の(己のとも思わないわけだけど)肉体に
対する執着を断つこと。手や足や顔や髪の毛がどうして「己」であろうか。

667 :。。。:2005/08/23(火) 09:50:29 ID:QwwlgATl
そういえば、原始仏教スレッドって二つありますね。
私など、多種スレッドのほうが嬉しいですけど。

668 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/23(火) 12:35:52 ID:ynIzIMav
>>665 :。。。:2005/08/23(火) 09:45:51 ID:QwwlgATl
> >>661 老死を超えるとは、老死の反復を乗り越える、もはや老死を繰り返さない、
> という意味ではないですか。

もし、「かさぶた」が自意識を持っていたとすれば、
まだ、傷口が完全に治っていない時に剥がされ、ふたたび「かさぶた」ができるのを
輪廻転生と考えるのだろうか?

傷口が完全になおり、「かさぶた」が自然にはがれることが、解脱だろうか?


669 :。。。:2005/08/23(火) 13:02:40 ID:QwwlgATl
カサブタは自意識を持っていないと思う。

輪廻するのは「自意識」。

その「自意識」が「もう二度と肉体を持たない」と決めれば、その「自意識」
は老死を乗り越えたことになる。

正確には、肉体を持たずに、天に生まれたとしても、その天人の自意識は
衰微し死に至る。天の死は人の死より何十倍も苦しいという。
肉体を持たず、天に生まれることをも望まず(涅槃を得れば)、
老死を免れたと言うことができる。

もはや生を望まなければ死もそれほどのことでもなく、
最後の生死も乗り越えたといっても良いほどなのかもしれない。

670 :名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 13:32:06 ID:CBFzFqsG
>>669
それはカルト思想そのもの。
自意識は肉体が無いと生じないのでまったくのナンセンス。


671 :(*):2005/08/23(火) 17:07:17 ID:W3jMSNK+
討論を通じて、比丘たちよ、その人が、
ともに語るにふさわしいのかそうでないのかが知らるべきことである。

比丘たちよ、もしある人が質問されて、矛盾して答え、他の方に話題をそらし、
不機嫌になって敵意を示し不信をあらわにするならば、このようである人は、
比丘たちよ、ともに語るにふさわしい人ではない。

比丘たちよ、もしある人が質問されて、矛盾して答えることなく、他の方に話題をそらすこともせず、
不機嫌になったり敵意を示したり不信をあらわにすることもないならば、このようである人は、
比丘たちよ、ともに語るにふさわしい人である。
『アングッタラ・ニカーヤ』3.67.4 石飛道子訳

だから私は、暇人さんや無宗ださんと語りたいと思う。
暇人さんや無宗ださんも以上の釈尊の言葉に従った方がいいと思う。


672 :(*):2005/08/23(火) 17:07:53 ID:W3jMSNK+
>>355
片山先生の訳は優れているという印象を持ちました。
優れたテキストビルマ第六結集版に基づき、丁寧に註、複註を参照した固い仕事ですね。

逆に岡野訳は、疑問が残りました。〔真如を〕は訳者の補註なのですが、
何を根拠に真如と補ったのか、それが明示されていません。
ここで真如と補うと意味がまったく違ってしまうので、その根拠がはっきりしない内は私は採りません。

>>390 立川さん、そういうところ偉いと思います。見習って欲しいものですね。

ちなみに我々の語法は、エルドスの定義:
2ALused by a writer or speaker to include themselves and their readers or listeners:
As we saw in Chapter 4, slavery was not the only cause of the Civil War.

こんなこと論文を読む人はだれでも知ってることです。いや、驚きました(笑い)

673 :(*):2005/08/23(火) 17:08:49 ID:W3jMSNK+
>>568 >>610-612
暇人さんや無宗ださん、yonisomanasikArA ahu paJJAya abhisamayo についてまとめに入りたいと思います。
abhisamayoは、片山先生も「了解しました」と訳しているように「わかった」でまったく問題ないでしょう。

ビクらよ! それ(苦と老死の出離についての思索)ゆえ私はこう考えた。
「何があるから、老死があるのか?何に縁って老死があるのか?」と。
ビクらよ! それ(老死の縁についての思索)ゆえ私に正しい思索から知の符合(ひらめき)が起きた。
「生があれば老死がある、生に縁って老死がある」と。

上を石飛さんの論理式に書き換えると A * B, B*C となるでしょう。
A: 苦と老死の出離についての思索
B: 老死の縁についての思索
C: 老死の縁は死だという直感

苦と老死の出離についての思索中に「老死の縁が生である」という直感がひらめいたということでしょう。

我々はpaJJAya を属格と考えます。ですから「知の符合」となるわけです。
そして属格は「 A に属する B」を意味し「B∈A BはA の要素である」となるわけです。
複註であるMahAvaggaTIkAが《この慧が生起し》と解釈するのは、この属格と取っていると
考える以外ないからです。他の訳では方法や理由、起源を示す具格や奪格と読んでいます。
ですが、それではこの註とは矛盾するはずです。つまり具格や奪格では《この慧が生起し》とはならず、
「慧から符合」あるいは「慧によって符合」が生起しとならなければならないからです。
つまり《この慧が生起し》とは解釈できない。ところが属格なら可能です。
「慧の符合が生起し」なら《この慧が生起し》と解釈できることは分かるでしょう。
雜阿含經の「起無間等知」もまったく以上を支持しているでしょう。
無間等は、abhisamaya を「すきまなく一致すること」と考えているようです。
これは「腑に落ちる」「はまる」とかに近い語感ではないでしょうか。

674 :(*):2005/08/23(火) 17:15:09 ID:W3jMSNK+
paJJAya が後代の「般若」の意味でなく「直感」や「分かること」「知ること」を意味しているように、
abhisamaya も後代の現観や mngon par rtogs pa(はっきり分かること)より、
「符合」「腑に落ちること」という語感で使われていたようです。
まあ、どちらにしてもあんまり変わらないと思いますが。

『瑜伽論索引』によりますと mngon par rtogs paのに対応する漢訳は、
現観、通達、以外にも覺、極思察などもあるようです。

また、この部分についても石飛先生が論じているんですよ。そちらを話題にした方が実りが多いと思います。

参考までに:
現観というのも慧である。それはその行相を現観する。
しかし無明が生じるとそれを現観させないから、「無現観」である。(浪速宣明『分別論註』268)


675 :(*):2005/08/23(火) 17:17:30 ID:W3jMSNK+
>>389 tathAgataについては、完全に釈尊以前に解脱者の意味で用いられていたことが、
水野先生以前に論証されています。なぜtathAgataの意味が如来か衆生かが問題になるかといえば、
衆生であれば一般的な死後の問題について釈尊は答えられなかったとして輪廻・来世否定の論拠になるからです。

それよりもですね、例えば『岩波仏教辞典』1989で、

   14の形而上学的質問を受け, 論争を挑まれたが、沈黙を守って答えなかったことをいう。

と言われるように釈尊が形而上学については黙して語らなかったと言われますが、
石飛先生によると無記とは「それは私が語らなかったこと」と釈尊が明言することだと指摘されるのです。
これはどういうことかというと「一切智者である私はそう言わない」ということだと思います。

つまり「私の教えではない」=道ではないと言っている訳です。これは沈黙とは違うでしょう。
しかも、相手の主張内容・思想体系を理解した上での発言であることに注意してください。
それ以上は、私がヘタに解説するより石飛先生の本を読んでみてください。

676 :(*):2005/08/23(火) 17:18:36 ID:W3jMSNK+
>>614
その和辻無明説は、彼の輪廻説と並んで無理な珍説であることはほとんど周知なんです。
ただ、東大系ではそれを公にいうことができなかった。なぜなら師説を否定することになるから。

それを初めて否定したのが有名な梅原猛です。学術的に否定したのは津田真一先生の『反密教学』
いまだに山口瑞鳳、松本史朗、袴谷憲昭などは和辻無明説・輪廻説を支持する珍しい存在です。

以下がまっとうな学者の常識的見解でしょう。
http://www21.ocn.ne.jp/~kobataka/literature/shimoda/sairoku.html

また、宮元啓一氏は、現代の和辻的存在だと思います。明敏だが根本的に外すことがあると。
だから、私はあんまり信用していない。


677 :(*):2005/08/23(火) 17:27:34 ID:W3jMSNK+
>>660 私は石飛道子、ブッダ論理学を中心にすることを強く希望します。
もう、この本を問題としない原始仏教思想研究は愚かとしか思えません。

678 :ガイシュツだが:2005/08/23(火) 18:40:53 ID:5iynwz2Y
http://hblo.bblog.jp/entry/210004/

679 :名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 18:53:39 ID:goU1VDpk
>672
「我々」のそんな用法は論文書きならだれでも知っているけれど、最近使う人は少ないね。
だから「我々」をよく使う増谷文雄の論文を読むと逆に違和感を感じる。

誰の主張かを曖昧にする利用法もあるわけで、それを自覚していないとは哀れなこってすな。

680 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/23(火) 19:03:15 ID:Sz9/imCX
>>662までロムしました。
貴殿は学部生ですか。なるほど。
では、私が一歩突っ込んだ書き込みをします。
>「原典への信仰と批判のバランスを保ちつつの吟味」なき翻訳は危険すぎる!

翻訳を忠実にしましてもですね、原典というのはそもそもが「言語」ですから、
言語そのもの意を追求しましても、仏教の本髄には到らんのです。
そのことも一応は頭の中に入れておかねばならんです。

例えば
「無」という表記ひとつでも、いろいろな解釈ができる。
ようは、言語そのものの意味よりは、どう自分において解釈するか。
ってことが大事かとおもいます。

貴殿は承知かとおもいますが、無というのは一般社会が共通としている認識概念とは意味が違います。
つまり無とは、仏教全てを語るくらいな意味を有している。
言語ひとつにおいて、こと足りるわけです。
また、
無を説明するには、莫大な言語を必要とする。
これも事実です。

@、その他の貴殿の書き込みは、まあそういうことなんでしょうけどね・・・。

681 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/23(火) 19:52:06 ID:ynIzIMav
>>673
最初、持ち上げといて、
あとから、手のひらを返したように罵られるのは嫌なので、
最初から、気に触ることを書くねw

>>673
> 我々はpaJJAya を属格と考えます。

この「我々」の使い方は変。
連名の論文であれば、こういう表現でいいと思いますけど。


「我々」を使うとすれば、たとえば、こんな感じになるのではないでしょうか?

以上の考察より、paJJAya を属格以外と考えるのは無理があることがわかります。
したがって、我々はpaJJAya を属格と考えざるを得ません。

とか、

私は石飛道子、ブッダ論理学を中心にすることを強く希望します。
そうすれば、
もう、この本を問題としない原始仏教思想研究は愚かとしか思えないように
我々はなるでしょう。

とか。


682 :名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 20:03:18 ID:heMky7Hz
また馬鹿がくだらんことをやっとる 大藁

683 :名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 20:37:03 ID:CBFzFqsG
「石飛道子、ブッダ論理学」読んだけど、あれは外してるね。

684 :名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 21:37:08 ID:yNnzxYNw
>>670
それは世俗の常識では?
「識あるが故に、名色あり」
世俗の常識とは逆に、意識があるが故に心身があると縁起の法では説かれる。

685 :(*):2005/08/23(火) 21:46:44 ID:W3jMSNK+
>>681 たしかに私自身も最初は抵抗ありましたから、一般的語法ではないでしょう。
連名の論文等で著者が複数なのではなく、著者と読者を含めた人称なんです。
私は客観的なことを書く場合にいいたくなるクセがあります。
では、今回から私と書くようにしましょう。

>>684 私もそう思います。ここで流行ってる断見仏教者は、そうとる人が多いんで困ってます。


686 :名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 22:07:39 ID:goU1VDpk
>685
>ここで流行ってる断見仏教者は、そうとる人が多いんで困ってます。
具体的に誰のどの考えに「断見仏教者」というレッテルをつけておられのでしょうか?
別スレも含め原始仏教スレで輪廻の否定を主張するのは電波氏が中心となると思いますが、
彼の考えと彼の阿含経典理解が断見であるとは思えませんが。

併せてあなたの見解もお教えください。

なお、私は輪廻説に関しては彼とほぼ同意見なので、役不足かもしれませんが場合によってはお相手いたしましょう。


687 :(*):2005/08/23(火) 22:31:17 ID:W3jMSNK+
いえ、お相手してくれなくていいですよ。
同じことやっても面白くないし、話す気のない人と話してもしょうがないですし。
来世を認めない見解は断見でしょう。いいかげん和辻みたいな珍説に従うのはやめたほうがいいですよ。

本体もオカ板に出現してるようですし。

>「我々」のそんな用法は論文書きならだれでも知っているけれど

>ついでに我々って誰のこと?頭だいじょうぶかい?

という知らない人がいるから書いたのです。いずれにしろ分裂者も含む電波にはコメントしませんよ。
釈尊に従いますので。ということでさようなら

688 :名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 22:40:14 ID:goU1VDpk
>687
来世を認めないのを断見者と断定するあなたの理解がおかしいのですよ。
来世を認めてしまえば常見に墮します。

それと、宮元はおそらく自分が取り扱ったテキストを読めていないとおもいますので、
彼に対する評価は私も×です。
しかし、和辻の見解のどこがおかしいのでしょうか?もちろん、70年も前の人ですから、
取り扱う資料など、制約があるという欠点は否定できません。
しかし、論理的にテキストが読みこめている(自分の情念で読みを濁さない)という
点では、おそらく彼以降の仏教学者で匹敵する人はだれもいないでしょう。
また、文献学という方法の限界を理解した上でその方法を取っている仏教学者は
現代では殆どいません。その点でも学的に信頼しうる業績であると考えています。

689 :名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 23:17:40 ID:CBFzFqsG
>>684
>それは世俗の常識では?
>「識あるが故に、名色あり」
>世俗の常識とは逆に、意識があるが故に心身があると縁起の法では説かれる。

そこで言われている識は自意識とは違う。
識に対する無明が自意識ともいえる。

>「無明」を明知(vijjA=智慧)のたんなる欠如を示す「論理的な概念」だとする和辻哲郎
>博士をはじめとする人々の見解

これはこれで↑トンデモだと思うけどね。


690 :(*):2005/08/23(火) 23:46:35 ID:W3jMSNK+
>688 電波はいつもそういうんだが、一体、そんな説、経典のどこに書いてあるんだね。
その説は、和辻起源の詭弁だろう。我がなければ輪廻しないから来世は無我説と矛盾するといった。
それだったら現在、我々も我がなければ存在しないから、我々は生存してないとなってしまうだろう。
あるいは、我々はこうしてはっきりと存在しているから無我説は誤謬ということになるかのどちらかだろう。
逆に無我・空だからこそ輪廻すると、さらに一切法が成立すると龍樹はいうのだか、なんで分からないかな。

和辻無明説は木村先生に対する「情念」、
彼の輪廻説も仏教から輪廻を排除したいという「情念」にしか読めないけどね。
>689 氏もトンデモって言ってるよ。

宮元氏は、サンスクリットの読みに関しては正に一流で、私なぞ窺い知れないと思うが、
ましてや cikIrSayeH の文法解説といった初等文法もできない人が、何をいってるんだか?
そういう自分の実力を知らないで自分を過大評価するところが電波の電波たるゆえん。

もう勘弁してよ。あなたはアホダラさんと話してればいいじゃない。

691 :名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 23:56:25 ID:goU1VDpk
>690
cikIrSayeH の文法解説?いきなり説明せよとわめき散らしたのはあんたか。
はたで見てて非常に不快だったのだが、それで辻文法君とバカにされてたのか。
あれはあんた以外の誰も説明する必要はないぞ。

692 :素人 1/4:2005/08/24(水) 00:13:26 ID:WyJFgczq
書き方がまずかったですね。16・7年前の学部生ですよw
今は、葬式仏教(バラモン教)業界禅宗の副住(^^;)
ちなみに>>355も私です。
さて・・
軽率な書き込みをしたなぁと、今日一日反省していた。
おとなしくROMしとけばいいものをと。


>>662は、当時感じていた(そして今も思っている)理想論です。
お釈迦さんの行履を辿りたかったですが、調べものの膨大な量と範囲に圧倒され、
在学後半週の3/4はバイトに費やし往復4時間かけての通学にも疲れ、
卒後の進路(掛搭)のこととか種々あってあっけなく挫折 orz
ですから、私に訳出は不可能です。少なくとも前記の理想に近い形での訳は無理でしょう。

ただ、この世界に触れたものとして、時折いっちょかみしたくなってしまうこともあり、
気分を害された方には御詫び申し上げます。
一行目の言い方は失礼でしたね、文句ととられてもしかたがない。ごめんなさい。

以下、662の言い訳等を少し記して、去りたいと思います。
>「素人・一般人・初学者(≒現代人?)の為の訳文を・・」 は、
  解り易いということ(≒現代口語であるということ)
  どうしても外せない言い回しの術語でなければなるべく置き換える(ただし、註をしっかりしたものとする)
 ということをしても構わないだろうと思っている。
 この点に関しては暇人さんのスタンスや視点には共感する部分が多い。
 ただしそれは、以下三点をかなりの程度で抑えなければならないだろうと・・。
 特に、当時のインドにしかないであろう通俗概念・生活用語等をどう訳すか?と言った場合に。
>「当時の風土・文化的背景・社会通念etc.への謙虚な眼差し」
>「現代社会との類似・相違」
>「現在流通している言葉」

693 :素人 2/4:2005/08/24(水) 00:14:41 ID:WyJFgczq
>また同時に、現在はこの訳(考え方)が主流であるとの併記が必要かと思う。
 これは、註がしっかりしていれば、まえがき・あとがきや解題の形で弁明する形でも構わないかも。

順序が逆になったが最後に、
>「原典への信仰と批判のバランスを保ちつつの吟味」
ここが最も重要で、最も複雑で、最も気付き難く、最も見失いがちな点であろうと思う。
 採りうるスタンスが幾つもあるということをまず理解しなければならない。
   対象が仏教全般である場合
   対象が総じての仏菩薩である場合
   対象が釈尊である場合
   対象が聖典である場合
   対象がある集団である場合
   対象が一僧侶である場合
    (下二つは洒落ですがw)

 そしてそれぞれで、(直線で表すことが適切か判らないが)

(一言一句を絶対視)
   絶対至上                完全中立              完全批判・非難
     @      A       B     C     D       E      F
     ┣━━━━╋━━━━━╋━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━┫
   盲信                                          不遜
                    信仰の度合い

 のどこに自分が(相手が)腰を据えているのか?(≒どの集団に属しているのか?)
 という見究めが必要であろう。
 属する集団・立場・人間関係によっては発言に制限が加わることもあるだろう。
 そしてさらにそこに、自分の現代的価値観(例えば死後について)との整合性をどうするか?
 という問題も生じてくる。

694 :素人 3/4:2005/08/24(水) 00:15:14 ID:WyJFgczq
純粋に学問的に聖典に触れるならばCでもDでも構わないし、
現代的価値観によって切り捨てる(或いは換骨奪胎する)部分が多くてもいいでしょう。
仏教を批判するならFでも構わない。
(電波さんはまだ僧籍をお持ちだそうですがw)一匹狼の電波さん阿呆陀羅さんは
BとCの間くらいでしょうか?或いはD?  暇人さんは完璧Cですねw
現代上座部はおそらく@〜Aでしょう。というか伝統仏教を自認するならばそうでなければならない。
そうでなければ黄衣を着る資格はない。(律の問題や学問研究としてはまた別であろうが・・)

あ〜、打っててめんどくさくなってきた。

番号がずれていればずれているほど、議論が成立しにくい。
少なくとも互いの番号を認め合えなければ・・・。


電波さんが修羅なのは解る。が、他の人も含め、なぜこんなにも喧嘩腰なのか?
暇人さんもレスの仕方に傲慢さが垣間見える。
過去スレに目を通したが、読み易かった。半分以上煽り合いだったので、意外に早く追いついた。

自分は、電波氏へ敬意を表しても表しきれない。自分があきらめた世界をしっかりやれているから・・。
その他の書き込んでる幾人かの方達にも頭が上がらない。
でも、それぞれに頷けない点・意見の相違があることもまた事実ではある。
(自分にも多少の自負はある。電波マンセーでは決してない。)
しかしながら、議論をするにはあまりにも自分の技術と知識は拙すぎる。せいぜい質問止まりだろう。
もしかしたら、保管庫の関連スレも覗き終ったのち、まとめて質問をぶつけることもあるかもしれない・・・・。
或いはその頃にはもう2chやめてるかもしれない。
極限られたお気に入りスレのみにしかアクセスしなくなってるかもしれない・・・。
或いは、心を入れ替えて猛勉強して・・・
 んなこたぁ無いなw

695 :素人 4/4:2005/08/24(水) 00:19:30 ID:WyJFgczq
>>662では「原典への信仰と批判のバランスを保ちつつの吟味」と
一行にまとめてしまったが、こうした
自身の信仰の対象・信仰の程度・自身の属する世界・自身の拠って立つスタンス・自身の信念・
2500年というスパンの重さ(→どこまで回帰するのか・現代との相違をどう受け止め処理するか)・
どのように聖典を(訳を)利用するのか・現代社会現代通念との差異・現代社会との類似・
現代語(現代口語)への冷静な眼差し・・・・
等等等等等等等等等等等等等等等等の諸問題への謙虚な自覚
を抜きにして訳出はあり得ないと考えるので、662のレスとなったわけです。
(勿論、文献学的技術に於ては言うに及ばずですが。)


まだまだまだまだ思うところはあるのですが、
暇人さんに、「できもしねぇこと書き込んでんじゃねぇ! o(・_・)○☆ごるぁ 」
と怒られたので、また暫くROM専に戻ります。

スレ汚し失礼いたしました。 m(_ _)m
重要と思われる質問レスがあったら、返答するかもしれません。

ノシ


お釈迦さんの『負債なき生活』という言葉は涙ながらに噛みしめてしまうな・・・w

696 :(*):2005/08/24(水) 00:27:12 ID:SkiiSr2a
>> 683 どう外しているのか、説明してくださいませんか?

697 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/24(水) 01:09:42 ID:u9H7V09e
>>688 :名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 22:40:14 ID:goU1VDpk
> 来世を認めないのを断見者と断定するあなたの理解がおかしいのですよ。
死によって断絶する、死ねば因果応報は無いと考えるのが断見だと理解しています。
したがって、断見者は、来世を認めない。
断見に対するあなたの見解を教えてください。
「来世を認めない」かつ「断見者ではない」人物というのはどのような人なのでしょうか?

> 来世を認めてしまえば常見に墮します。
私は原始仏典は一貫して、
『執着があれば、人は死んでもまた生まれ変わる。
執着がなければ、生まれ変わらず解脱する。 』
と説いていると考えます。
この考えは、来世を認めていますが、常見ではありません。


698 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/08/24(水) 02:00:22 ID:IbHt4CCv
(*)=辻文法=ローマナイズ君よ。

ゴチャゴチャへ理屈垂れていないで、宿題をしたらどうなんだ?
私が断見論者?どんな読解力してるんだ。アホ丸出しだ。
オカ板を持ち出したとき、あんたの品性が決定したね。

親切な方々が暇人やあんたを相手にしているようだが、馬鹿は放置すべし。

699 :暇人:2005/08/24(水) 02:13:37 ID:s0sh2pM2
>>692-695

少し感動してしまったかもです。 よいお話をありがとうございます。
それぞれ違う個性ですので いろいろとありますし
ある部分は共感し 他の部分では差異を味わい
という感じでよいのではないでしょうか。
あなたの視点から意見も是非いろいろとお聞かせ願いたいと思います。

私などは小生意気かつ愚劣ですので 不快なところは多々ありましょうが
ご寛恕いただくと 助かります。

700 :暇人:2005/08/24(水) 02:30:16 ID:s0sh2pM2
>>677
>石飛道子、ブッダ論理学
機会があれば読んで見ます。いまのところ詳細はわかりませんので、
その著作自体についての賛否については差し控えます。
ただ仮に素晴らしい著作だとしても それ一本に絞ることには
反対です。それぞれの方々が、色んな視点で語ることが 豊かに学べれる
のではないかと愚考しているところです。

>>676
和辻説を引用しているページのアドレスです
http://page.freett.com/Libra0000/070.htm
>>673-674
じっくり読ませて頂きます。
>片山先生の訳
機会があれば、眺めてみたいと思います。ご紹介有難うございます。
(*)さんのおかげで強い関心を持ちました。
>>671
私は例えば、ベロさんから「雑阿含1」、あほだら経さんが
「水野著作選集1-3」のご紹介されていたのも 
樹意さんの引用や無宗ださんの引用も 凄く役立っております。
広く色んな方の意見をお聞きできれば、楽しいです。


701 :暇人:2005/08/24(水) 02:41:17 ID:s0sh2pM2
>>665
。。。さん ご指摘ありがとうございます。

>老死を超えるとは、老死の反復を乗り越える、
>もはや老死を繰り返さない、という意味ではないですか。

ですね。テキストを忠実によめば そう読めると思います。

>手や足や顔や髪の毛がどうして「己」であろうか

私はそこらへんを、
「手や足や顔や髪の毛」は、「己」ではあるが、
「己のもの」ではない と仏教は語っているのではないかと
おぼろげですが、今のところ考えています。

「手や足や顔や髪の毛」も己の思いのままにならない。
己の思いのままになれないものを「わがもの」と誤解に立ち、
モノゴトを判断している生き様に「苦の根本原因」があると
言っているのではと 想像しています



702 :暇人:2005/08/24(水) 02:47:39 ID:s0sh2pM2
(*)さん それと下田正弘先生の作品紹介のページの紹介
有難うございます。

書評で名著「涅槃経の研究--大乗経典の研究方法試論」を読み、
是非拝読したいと年来思っていましたが 果たせぬままに、
今に至っております。
このページを週末などにじっくり読ませていただきたいと思います
ありがとうございました。

703 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/24(水) 08:48:23 ID:6bu/BWag
素人どの

禅宗において「信仰の度合い」という書き方はどうかとおもうが・・・
やはり説明せようとせば、そういう書き方にならざるをえない。

学校で教えるのは、そういう矛盾性も孕んだ教学ですね。
それが悪いわけでなくて、説明せようとせば、そこには何らかの矛盾性はでてくる。

でも、説明とすれば上手な説明です。

一休の遺偈とか、慧能の無学とか、乞食信心とか、いろいろな捉えかたがあるけど、
信仰?が篤くても全てを美化してるわけではないです。


704 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/24(水) 10:47:34 ID:0B4RxwJ+
輪廻問題(釈尊は輪廻を説いたか?)の本質は

(1)釈尊は形而上の問題に関し沈黙した。
(2)釈尊は業報思想を肯定した。

の2つの真理が矛盾しているために発生しているということだ。


705 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/24(水) 12:34:26 ID:0B4RxwJ+
>>704
さて、この矛盾は、現代的な感覚で
輪廻を「形而上の問題」と位置付けることにある。

解脱は、三明を得ることで達成される。
三明の1つの能力が宿命通、すなわち、過去世を知ることである。

おそらく、禅定中に己の過去世がイメージされたのであろう。
その過去世が、妄想なのか、客観的事実なのかは、この際問題にはならない。
それが、禅定中に体験できることであるのであれば、その体験をした当人にとって
過去世は「形而上の問題」ではなくなっているわけである。

したがって、
(1)釈尊は形而上の問題に関し沈黙した。
(2)釈尊は三世にわらる業報思想を肯定した。
(3)釈尊は輪廻を説いた。
は、矛盾無く成立する命題である。


706 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/24(水) 12:42:05 ID:0B4RxwJ+
>>686 :名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 22:07:39 ID:goU1VDpk
> なお、私は輪廻説に関しては彼とほぼ同意見なので、役不足かもしれませんが場合によってはお相手いたしましょう。
さて、私は「釈尊は輪廻を説いた」と考えます.
役不足を自認する方の、レスを希望します。


-------
やくぶそく 3 【役不足】
(1)俳優などが与えられた役に満足しないこと。


(2)能力に対して、役目が軽すぎること。
「―で物足りない」

(Web辞書より)


707 :。。。:2005/08/24(水) 13:05:46 ID:OSvlMrMs
>>670 さん。

>自意識は肉体が無いと生じないのでまったくのナンセンス。

ブッダには有余涅槃と無余涅槃があり(余は正字で)、無余涅槃は
肉体を持たないブッダ=如来の「自意識」だと理解しているのですが。

全国の神社仏閣でお祀りされている、神々、諸仏はすべて「肉体を持たない
自意識」なのではないですか?

708 :。。。:2005/08/24(水) 13:07:53 ID:OSvlMrMs
>>676 先日、梅原先生のご著書を立ち読みしたけど、五蘊の定義が間違ってた。。

709 :。。。:2005/08/24(水) 13:09:54 ID:OSvlMrMs
五蘊=すべての事象 と書いてらっしゃったと思う。

五蘊=色、受、想、行、識、=人の肉体と精神(&神経系)(活動)ですよね?

710 :。。。:2005/08/24(水) 13:14:56 ID:OSvlMrMs
>>684
>「識あるが故に、名色あり」
>世俗の常識とは逆に、意識があるが故に心身があると縁起の法では説かれる。

無明あるが故に行あり
行あるが故に識あり
識あるが故に名色あり

無明なければ名色なし。如来は名色を持たない。

と私も思います。




711 :。。。:2005/08/24(水) 13:18:44 ID:OSvlMrMs
>>688
>来世を認めないのを断見者と断定するあなたの理解がおかしいのですよ。
>来世を認めてしまえば常見に墮します。

来世がない=断見
永遠に続く来世がある=常見

因と縁により来世は変わる=六道の輪廻あるいは涅槃=仏陀の教え


712 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/24(水) 13:20:39 ID:6bu/BWag
>五蘊=すべての事象 と書いてらっしゃったと思う。

これは勝義諦の説明ですし、

>五蘊=すべての事象 と書いてらっしゃったと思う。

これは世俗諦の説明で、ようは意味は同じ。

「すべての事象」→色
「五蘊皆空」→空

ようは、色即是空。
同じです。

713 :。。。:2005/08/24(水) 13:29:52 ID:OSvlMrMs
>>701 暇人さん 
>「手や足や顔や髪の毛」は、「己」ではあるが、
>「己のもの」ではない と仏教は語っているのではないかと
>おぼろげですが、今のところ考えています。

色;あなたの肉体は「己」ではないですよ。
受、想、行、識;精神活動、感受、想い、考えも「己」ではないですよ。
無常なるも=苦なるものはすべて「己」ではない。

それでは「己」=「自意識」は無常、苦、空ではないのか?
「己」が苦であれば、もう救いはどこにもないわけですが。
仏陀は、苦集滅道と語った。すなわち救いは有る。したがって
「己」は無常=苦ではない。

無始の昔より無限の未来まで、六道を輪廻しついには涅槃に入る「自意識」
は無常ではないし苦でもないのです。

(無始の昔、無限の未来;ヒトの時間への理解の錯誤から来た表現。
時間なんて本当はないんですよ。)

以上、稚拙ですが、昨夜の私の思索結果です。

714 :。。。:2005/08/24(水) 13:39:42 ID:OSvlMrMs
>>704 無宗ださん

(1)釈尊は形而上の問題に関し沈黙した。
(2)釈尊は業報思想を肯定した。

形而上のいくつかの命題に対して沈黙した。ではないですか?
無記はすごく限定的ですよね。
確か一つには時空の問題がありましたよね。時空の問題は現代人
でも分かりませんものね。(物理好きの方はお分かりなのかも?)
そのほか心と身の問題とか、如来の死後の問題とか。

>2つの真理が矛盾しているために発生しているということだ。
仏説に矛盾なし?だと思いますけど。


715 :。。。:2005/08/24(水) 13:42:56 ID:OSvlMrMs
>>705 がありましたね。 ↑これは訂正の要ありですね。

でも、無記は(たしか10個の)限定的な命題のみです。
来世に関しては、如来の死後は問題になっているけど、人の
死後は無記に含まれなかったはずです。人の死後は仏陀はよく
語っていますものね。

716 :。。。:2005/08/24(水) 13:45:58 ID:OSvlMrMs
>>706 役不足って役者に対するほめ言葉なんですよね。
「あんな役なんて、〜さんにはホント役不足!」とか。
でもこの語の思い違いを利用して相手のご贔屓をいぢめる
というテクニックもよく使う。

717 :。。。:2005/08/24(水) 13:48:42 ID:OSvlMrMs
>>712 机様、なるほどそういう定義もあるんですね。
それじゃあ、梅原さんの著書も読んでみないと。まだ読んだことがないので。

ありがとうございました。

718 :名無しさん@3周年:2005/08/24(水) 13:49:46 ID:tC6U1JPV
神道的ですが、分り易かったよ。
http://www.eonet.ne.jp/~musubi-81

719 :名無しさん@3周年:2005/08/24(水) 16:44:47 ID:vF8fQ2ij
>>716
へえー

720 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/08/24(水) 20:31:28 ID:IbHt4CCv
>>690
あんた、誰と話してるんだ?いい加減妄想やめにしたら?
読み返すと、あんたが文法音痴なのはよくわかる。abhisamaya文脈と関係の無い複合語
示してどうするの?abhisamayaを動詞で読んでどうするの?

いつ、私が和辻哲郎を持ち出した?頭の悪い発言してんじゃねーぞ。気持ち悪い奴だな。

721 :。。。:2005/08/24(水) 20:50:13 ID:OSvlMrMs
>>720 さん、梵語のご専門家ですか?
所詮は表音文字言語、漢語ほどは語彙力はないのでは?
漢文訳で意味はカバーできてないのですか? とか思っています。

言語ばかりやっていて、仏道修行はおろそかにならないのですか?
文面から察するに、かなり「瞋恚」の領域が肥大化しているようにもお見受けしますが。

五蓋;
疑いの心、瞋恚の心、貪欲なる心、
落ち込み物憂くなる心、浮き足立ちいらいらする心、

このあたりをコントロールするのが、仏道入門だと思うのですが。

瞋恚の心、荒々しい言葉を収められますように。驕慢なる心も打ち崩されます
ように。合掌。

722 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/08/24(水) 21:05:09 ID:IbHt4CCv
とりあえず、(*)は格関係もきちんと押さ切れない屁たれ文法なんだけど、
例の属格に読むと言ってた唯一の根拠、その註をもう一度読むべしだね。

これで、馬鹿との接触は終わり。別所にて論理学講義を始める。

@基礎固め
形式論理学からはじめ、命題論理学と記述論理学の一応の習得を目指す。
A応用準備
上記基礎範囲での虚偽論の習得を目指す。
B発展1
様相論理(http://akademeia.info/main/math_lecturez2/math_yousouronri.htm 参照)や多値論などの
現代論理学を概観
Bその発展形態、例えば時空様相論理など、石飛さんが不可能だと断定される錯誤を指摘

方向性としては分析哲学と考えていただいて差し支えありません。哲学板でこちらのロマー
も多いので、参加されたい方は「14」スレッドで挙手お願いいたします。解りやすく解説したいと
思います。

723 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/08/24(水) 21:07:44 ID:IbHt4CCv
>>721
私は心をコントロールしてワザと装っています。
そのことは少しお話したことのある人は知っています。
ネットキャラです。

724 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/24(水) 23:50:53 ID:u9H7V09e
>>714-715
> 形而上のいくつかの命題に対して沈黙した。ではないですか?
> 無記はすごく限定的ですよね。
そうですね。十無記または十四無記と呼ばれているようですね。
なぜ、それを形而上の問題というふうに一般化したかというと、
それは私が佐倉哲氏の影響を強く受けているからですw

佐倉氏がよく引用する経典に、「一切」とはなにかを説いたものがあります。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html
<--
みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞いて下さい。
「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。
それは、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、
舌と舌に味わわれるもの、身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。
これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。
さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。
何故でしょうか。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。
(サンユッタニカーヤ 33.1.3)
-->
これをみると、釈尊は経験・観察できる世界(形而下)を「一切」と呼び、
これに関してのみ語ったと推測できます。


725 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/24(水) 23:51:59 ID:u9H7V09e
そして
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism20.html
<--
ヴァッチャよ、そのような種類の問いに対する見解は、独断に陥っているものであり、
見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。
それは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、
厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。
(マッジマニカーヤ72、アングッターラニカーヤ34)
-->
このように、「そのような種類の問い」という言い方をしている経典もあるようなので、
「そのような種類の問い」=「形而上の問題」と言っても不都合はないかと考えます。

ちなみに佐倉氏は輪廻に関しては、
方便として説いただけで、基本的には形而上の問題として無記を通したと考えているようです。


ところで、
霊魂と肉体とは 同一である/別異のものである。
といった場合の霊魂とは、何を意味していたんでしょうね?


726 :暇人:2005/08/25(木) 00:48:01 ID:HLnyE5sY
http://page.freett.com/Libra0000/070.htmに、
和辻さんの引用のこの部分///////
「かく色受想行識が無我であると言わるるならば、無我のなせる業はいかなる我に触れらるるか(16)」という問いに答える仕方が、まさにこのことを示している/////////

と、「色受想行識が無我」という教説がありますが この続きのパーリ文は
"Taü kiüma¤¤atha bhikkhave, råpaü niccaü và aniccaü và"ti? Aniccaü bhante. です
それは/何、いかなる 考えた 他の方法で 比丘らよ 色 常住の va〜va か・・・か 無常 尊者よ
比丘らよそれを いかに考えたか 「色は常住か無常か」 と。 「尊者よ 無常です」
ここでいう「色」は、我々個人の身体のことでしょう。
身体が無我というのは、「身体が己か、己でないか」とではなく、「身体が、常住か無常」と反問されています。
つまり色「無我」は、身体が私ではない のではなく、 身体は仮に和合して現象している一時状態である
という意味だと私は 今のところ解釈してます


727 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/25(木) 07:18:22 ID:7UD5iam6
>>717
>五蘊=すべての事象

というのは、つまりは「五蘊は色」というていますね。
「五蘊は色」という捉えかたをする人は、なかなかいないですよ。
(梅原氏は達観した捉えかたです、学者には珍しいですね)
「五蘊は心作用だから色じゃない」。とかね・・・
心作用も色作用も、これは色になります。→色心不二
ここにいう色心は、いわゆる世俗諦で、
これを勝義諦にしますと色心の分別がなくなります。
これを般若心経いおいては「五蘊皆空」と記してあるわけです。

いうに、
三有も三界も、これは世俗の話ですね。
勝義になりますと、三有も三界もないわけです。
この理こそが空なるわけです。




728 :暇人:2005/08/25(木) 07:29:05 ID:qyhK8eij
>五蘊=すべての事象
私は梅原さんのその発言を読んでないが、
「五蘊=色」と捉えているわけではないと思います。
「五蘊」を「即物的な事象すべて(色)と精神的事象のすべて(受想行識)」と
把握されての「五蘊」=「すべての事象 」ではないかと


729 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/25(木) 08:13:53 ID:7UD5iam6
>>728
>「五蘊」を「即物的な事象すべて(色)と精神的事象のすべて(受想行識)」と
>把握されての「五蘊」=「すべての事象 」ではないかと

即物的な事象(色作用)も、精神的事象(心作用)も、いわば事象として同じなわけですから、
私が逝ってることと何ら変わらないですね。

事象というのは、それで「色」になるわけです。→色心不二
ですから、五蘊は事象ならば即色になるわけです。
いうに梅原氏は、勝義諦にての言い回し。
勝義だろうが、世俗だろうが、意味は同じですが、
達観しないと、勝義諦の言いまわしはなかなか出来ないもんです。




730 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2005/08/25(木) 08:24:01 ID:7UD5iam6
  (つづき)
事象というのは、つまりは縁起ですから、縁起なるものは全てが色です。

事象⇔縁起⇔色。となります。
この理を空といいます。

731 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/08/25(木) 09:55:03 ID:mWJ7KAta
>>726
>身体が無我というのは、「身体が己か、己でないか」とではなく、「身体が、常住か無常」と反問されています。
>つまり色「無我」は、身体が私ではない のではなく、 身体は仮に和合して現象している一時状態である
>という意味だと私は 今のところ解釈してます

【身体について】

主張   : 無我 → 常住or無常
排除要素: 色「無我」は、「身体が私ではない」
結論   : 身体は仮に和合して現象している一時状態

上記排除要素の説明は不親切ではあるが、言いたいことはわかる。しかし、「己」「身体」の
説明が必要だな。で、原始仏教での”rUpa”は外界のことには着目せず、人間の身体だと
言うのは外してないと思うけど、外界も含むという反論からはどう答えるの?「仮に和合」って
仏教用語だね。使う文脈を外しているのはいいとして、あんたの翻訳論からも外しているよ。

それで?そこからどう展開するの?そのままじゃ尻切れだよ。

732 :。。。:2005/08/25(木) 10:13:37 ID:qzn+CDEN
みなさん、コメントありがとうございました。

ちょっと難しくて分からない。しばし呆然。

ゆっくり考えて見ます。

733 :。。。:2005/08/25(木) 11:50:16 ID:qzn+CDEN
>>724 仏陀は見たこと=真理だけを語るんですよね。

でも、その「見たこと」の範囲がかなり一般人とは違うと思う。
例えばテーラガータでは、必ず皆さん、涅槃を得る際には、三明を得ているのです。
三明具足、三明六通を得た人の認識範囲だと思うんですよね。

そして「後有を受けざることを知る」。一般人は「後有」を受けそうですよね。

【調べました】仏の十号から、ウキペディア
明行足(みょうぎょうそく、vidyaacaraNa-saMpanna (sanskrit))
宿命・天眼・漏尽の三明の行の具足者。


734 :。。。:2005/08/25(木) 11:58:17 ID:qzn+CDEN
>>725 テーラガータ(岩波文庫)から

17 大食いをして、眠りをこのみ、ころげまわって寝て、まどろんでいる
愚鈍な人は、糧を食べて肥る大きな豚のようである。くりかえし母胎に入っ
て迷いの生存をつづける。 ダーサカ長老


「くりかえし母胎に入って迷いの生存を続ける」んですよね。
私もそう思う。迷いを断たない限り、迷いの生存は続く。

735 :。。。:2005/08/25(木) 12:01:34 ID:qzn+CDEN
>>725

>ところで、
>霊魂と肉体とは 同一である/別異のものである。
>といった場合の霊魂とは、何を意味していたんでしょうね?

「わたし」「己」「自意識」だと思っています。

頭脳、思考、記憶などはむしろ肉体に属すると思っています。




736 :。。。:2005/08/25(木) 12:41:23 ID:qzn+CDEN
>>726 暇人さん

色受想行識=五蘊 は 非我ですよね。 「我」の所有物です。

「我」は「わたし」「己」「自意識」=「霊魂」=「こころ」「ハート」です。
 
五蘊は空であり、老死あり、死後には壊れます。

「わたしのこころ」は輪廻し、迷いのハートは繰り返し母胎に入ります。
天に昇る心もあれば、地獄に落ちる心もあるでしょう。
因&縁に応じ流転し、ついにはニルバーナを得て如来になることもあるの
です。

因と縁に応じ流転するが故に無我(恒常で確固たるアートマンではない)
なのでは。

以上、わたしの見解でした。

737 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/25(木) 12:55:10 ID:EIofqd95
>>733 :。。。:2005/08/25(木) 11:50:16 ID:qzn+CDEN
> >>724 仏陀は見たこと=真理だけを語るんですよね。
>
> でも、その「見たこと」の範囲がかなり一般人とは違うと思う。

そうですね。
涅槃寂静なんていわれても、解脱しなければ理解は不能。

対機説法で、相手が理解できる範囲のことを
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html
<--
ブッダの教えは、「現に証せられるもの」、つまり、現実の世界で実証できるものであり、
「時を隔てずして果報あるもの」、つまり、未来の果報を約束するものではなく、
今ここでその結果が現れるものであり、また、上記と同じように、「来り見よというべきもの」、
つまり、ここに来て自分の目で確かめよ、と眼前で示すがごとく、
はっきりと知ることのできるものであった、と言うのです。
それが、ブッダの教えに感動した人々の印象でした。
このようなブッダの教えに感動した人々の印象は、
神秘的形而上学的な問題に対するブッダの沈黙という態度とまったく一致するものです。
-->
といった態度で説いたのでしょう。
自称専門化が、内輪でしか理解不能なギャグをいって喜んでいるのとは、一線を画しています。

http://tetugaku.fc2web.com/butten/butten.htm
このページからたどれる

サクルダーイ大経(マハーサクルダーイ・スッタ)
 サクルダーイ大経五  … 経験実証
http://tetugaku.fc2web.com/butten/saku-b5.htm
この内容もそれを裏付けています。


738 :。。。:2005/08/25(木) 13:35:04 ID:qzn+CDEN
テーラガータ

240 この世で信仰心の無い親族たちのあいだで、一人でも信仰あり、
聡明な知慧あり、つとめをまもり、戒めを実行しているならば、親族たちの
ためになる。
241
242 かれらは、過ぎ去り、死んでしまいました。かれらは三の天界で
安楽を得ています。わたしの兄弟たちや母は、欲するがままに望みをかな
えて楽しんでいます。 パッシカ長老

..........
欲するがままの天界とは、いわゆる欲天なのだろうか。それが三の天?
親族たちが欲天に生まれて、ちょっとはほっとするけど(地獄よりは)、
また輪廻して堕ちて行くんでしょうに。
........................................


246 以前にはそなたには信仰があった。しかしいまはそなたに信仰が
無い。そなたのものは、そなたのものにほかならない。わたしには悪行は
存在しない。
247 信仰ははかないもので、移ろいやすいものである。
   〜   聖者はどうしてそんなことに、心を浪費するであろうか。
サーティマッティヤ長老。

.............

前段の信仰と、後段の信仰は別なものなんですね。前者は肯定され、後者は
否定されている。前者は三宝への信仰であり、後者は神への信仰。
...


739 :名無しさん@3周年:2005/08/25(木) 16:31:26 ID:Al/rqX19
何で電波はああも品がないんだろう?
そこいらの浮浪者のおっさんみたいだ。。。

740 :名無しさん@3周年:2005/08/25(木) 17:07:09 ID:bxjy7d22
電波など、まともな研究者なら相手にしないよ。

741 :名無しさん@3周年:2005/08/25(木) 17:36:30 ID:BV79DoGl
生まれ変わらない技術が阿含経に書かれている。

私は、体得した。

742 :名無しさん@3周年:2005/08/25(木) 19:09:29 ID:gAQYeQAW
↑実行委員長?

743 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/08/26(金) 00:27:14 ID:g6WFgubI
で、以下のように(*)の妄想が炸裂していくのだ。

============================================================
上を石飛さんの論理式に書き換えると A * B, B*C となるでしょう。
A: 苦と老死の出離についての思索
B: 老死の縁についての思索
C: 老死の縁は死だという直感

苦と老死の出離についての思索中に「老死の縁が生である」という直感がひらめいたということでしょう。

我々はpaJJAya を属格と考えます。ですから「知の符合」となるわけです。
そして属格は「 A に属する B」を意味し「B∈A BはA の要素である」となるわけです。
複註であるMahAvaggaTIkAが《この慧が生起し》と解釈するのは、この属格と取っていると
考える以外ないからです。他の訳では方法や理由、起源を示す具格や奪格と読んでいます。
ですが、それではこの註とは矛盾するはずです。つまり具格や奪格では《この慧が生起し》とはならず、
「慧から符合」あるいは「慧によって符合」が生起しとならなければならないからです。
つまり《この慧が生起し》とは解釈できない。ところが属格なら可能です。
「慧の符合が生起し」なら《この慧が生起し》と解釈できることは分かるでしょう。
雜阿含經の「起無間等知」もまったく以上を支持しているでしょう。


744 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/26(金) 12:58:47 ID:rTimnp0V
>>150 :名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 13:32:14 ID:mVbWWzx+
> 「即正思惟 起無間等知」はTassa mayha? bhikkhave, yoniso manasik?r? ahu pann?ya abhisamayoの定型。

>>198 :名無しさん@3周年:2005/08/04(木) 09:38:49 ID:UVGDdmVc
> 現観が原始仏教を語るときの共通認識としてどのようであるかの一例。
>
> 『ゴータマ・ブッダ_釈尊の生涯』 <原始仏教1> 中村元選集・第11巻 春秋社 P.173 L6-
> そこでわたしはこのように思った、
> 「何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか?」と。そのときわたしには正しい注意と智慧とから
> 現観(abhisamaya さとり)が起こった、「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と。
>
> 註:
> SN.12,10(mahASakyanumi Gotamo),1-2(vol.2,pp10-11)『雑阿含経』第12巻(285)大正2、P.79c-(中村註による)
> 上記「〔正しい注意と〕智慧とから現観(abhisamaya さとり)が起こった」はさとりとして縁起を示す定型句。>>150さん参照

さて、現観に関する論点は、いったい何なのか?
現在、論点は次の2点だと私は考えます。

前提:中村元訳の、
>正しい注意と智慧とから現観(abhisamaya さとり)が起こった、
>「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と。
をリファレンスとします。


745 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/26(金) 12:59:42 ID:rTimnp0V
【論点1】リファレンスの部分を、

正しい注意と智慧とから
「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と
わかった。

いうふうに「ahu + abhisamayo」に関して、
・現観(abhisamaya さとり)が起こった、
ではなく
・わかった。
と意訳することに、どんな問題があるのか?

【論点2】リファレンスの部分を、

正しい注意から知の符合(ひらめき)が起きた。
「生があるが故に投資が有る。生に縁って老死がある」と。

いうふうに「pann?ya」を属格と考えることは可能か?


746 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/26(金) 16:00:23 ID:rTimnp0V
>>735 :。。。:2005/08/25(木) 12:01:34 ID:qzn+CDEN
> >霊魂と肉体とは 同一である/別異のものである。
> >といった場合の霊魂とは、何を意味していたんでしょうね?
>
> 「わたし」「己」「自意識」だと思っています。
>
> 頭脳、思考、記憶などはむしろ肉体に属すると思っています。

ちらっと、ひらめきました。
ひょっとしたら、これは形而上の問いだから無記だったのではなく、
問いが不適切だったから無記だったのかもしれません。

アンドロイドにおいて
ソフトウエアとハードウエアとは 同一である/別異のものである。

という問いに答えることは可能だろうか?
無理なのではないかな。

確かに現状、コンピュータの
ハードとソフトは店頭では別々に販売されているわけだが、
動作状態において、これを区別できるのか? それに意味はあるのか?
ということです。


747 :。。。:2005/08/26(金) 18:44:12 ID:VW/HONp4
>>746 無宗ださんこんばんは。

色;はハードウエアだと思うんですよ。
受、想、行、識;はソフトウェアとその機能。

そして、ソフトウェアのファンクションは「自意識」と密接につながっていて、
両者は別物なのか、一体なのか、無記としか言いようのない状態。すなわち、
ヒトの理解を超えた状態なのではないかと思います。

ブッダのQ&Aは、Q自体が仏陀により設定された重要な命題なので、設問
不良のため答えなしということは無いと思います。

無記=ヒト(人類)の理解の範囲を超えるテーマ、では無いですか?

748 :。。。:2005/08/27(土) 10:00:08 ID:vo23Zun5
五蘊と自己(アートマン)について

テーラガータ
1160
五種の構成要素(五蘊)を、(アートマンとは異なった)他のものであると
見て、アートマンであるとは見ない人々は、微妙なる真理に通達する。
− 毛の尖端を矢で射るように。

................................................

やはり、自己は五蘊、とくに受、想、行、識ではなかったのですね。

749 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/27(土) 10:01:46 ID:yyfbWjjE
>>745
【論点1】に対する回答として、素人でも比較的わかりやすいのは、
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1122597067/612
くらいか?
何故に「プラークリット」なる語句がパーリ語と並列で出てくるのかはよくわからんが。
この主張を読んでみると、「理論理解」のみを「わかる」と解釈し、
「先験的理解」を「わかる」とはいわないと考えているようだ。
私は「現觀」は「先験的理解」のひとつで、「わかる」でもいいと考える。

「先験的理解」を「わかる」とはいわないとすれば、
・現観(abhisamaya さとり)が起こった」を「わかった。」と意訳することは誤り
であるが、
「現觀」も一種の「わかる」だとすれば、
・現観(abhisamaya さとり)が起こった」を「わかった。」と意訳することによって
 情報の欠落が発生する
ということに過ぎない。つまりわかったはわかったでも、
【ふっと、そのからくりのすべてを目の当たりに生じる】ようにわかった
という詳細が欠落する。

たとえば、
「彼は、√2が無理数であることを、数式をまじえ、背理法で示した」

「彼は、√2が無理数であることのを証明した」
と書き換えると、背理法を使用したという情報が欠落するのと似たようなものである
私は考える。


750 :無宗だ ◆4eP.G3wMrs :2005/08/27(土) 10:02:27 ID:yyfbWjjE
>>745
【論点2】に関しては、

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1122597067/629
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1122597067/644

にて、「属格とは理解のしようがありません」と書かれているが、
この根拠が、
・文法的な根拠
・文脈的な根拠
・その他の根拠
のどれなのか私に理解不能。

暇人さんの
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1122597067/683
を読むと、
<--
>具格、与格、奪格、属格のどれであっても いいわけね。
んだ いいのだ 訳者の自由だな。 一つの正解があるわけではない。
これだけの可能性があるのだ。
-->
文法的に間違いではなく、文章として意味が通じれば良いという主張ですね。

格変化表は、ttp://www.manduuka.net/pali/ このサイトの

ttp://www.manduuka.net/pali/p/pdisp.cgi?tb=na&bm=aaf
この表でいいのかな? だとすれば、処格も候補のひとつか?


501 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50


read.cgi ver 05.05 2022/08/31 Walang Kapalit ★
FOX ★