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スッタニパータを読む+ヴィパッサナーを実践する

1 :1 ◆tKBOj.Jcyo :03/12/18 06:59

みんなでスッタニパータを読ませんか?
共通テキストとして中村元訳(ブッダのことば)を推薦します。
みんなが住む街の規模に関わらず比較的購入し易いと思われるからです。

・スッタニパータ
 数多い仏教書のうちで最も古い聖典で、
 後世の仏典に見られる煩瑣(はんさ)な教理は少しもなく、
 人間として正しく生きる道が対話の中で具体的に語られています。

・ヴィパッサナー
 http://www.satisati.jp/index.htm(参考サイト)
 例えば、
 一日中、頭の中で悶々と堂々巡りの思考を繰り返し、それだけで疲労困憊してしまう
 人たちにはまさにうってつけで、この種のストレス打開には極めて有効と思われます。

ルールと注意
・中村元/岩波文庫シリーズの
 「真理のことば(法句経)/感興のことば(ウダーナヴァルカ)」も付け足します。
 中村元/岩波文庫シリーズのその他の書籍に関しては、今回は見送ろうと思います。
・北方仏教、南方仏教、各宗派間での争いは厳禁です。
・どの瞑想法が一番だとかの争いは厳禁です。
・諸処の組織についてのクレームは、甚だスレ違いですので、他のスレへどうぞ。
・荒らしに対しては、諸行無常、一切皆苦の境地でただ観察するのみ。
・このスレにおいて、口だけ大将の説教先生は「空っぽなポッテイラ長老」となります。




2 :1 ◆I8kRFqbI1c :03/12/18 07:00
スッタニパータ/874

「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、
 想いを消滅した者でもない。・・・このように理解した者の形態は消滅する。
 けだしひろがりの意識は、想いにもとずいて起こるからである。」

3 :求道者 ◆IHSXPiND6Q :03/12/18 11:29
ニダー

4 :名無しさん@3周年:03/12/18 14:21
スッタニパータをヴィパッサナー瞑想に活かすってこと?
どんな風に活用してるか、説明キボンヌ。

5 :1 ◆I8kRFqbI1c :03/12/18 17:54
>>4

スッタニパータをヴィパッサナーに活かすというよりは、
生き方の両輪になればなぁと。
でも、行動に移すというのはメチャクチャ大変だなぁと...。
「犀の角」あたりを読むと特にですね...

6 :名無しさん@3周年:03/12/18 21:04
>>5
> 「犀の角」あたりを読むと特にですね...

そうかい? たとえばどんなこと?


7 :名無しさん@3周年:03/12/18 21:27
1さん<絡まれる予感

8 :名無しさん@3周年:03/12/18 22:30
コンビニでバイトしてたとき妙に絡んでくる客がいた ストレスはさ〜んデツネ

9 :千里 万里:03/12/19 00:46
1さん<とにかく1/3か、いや半分でも、いい。スッタ引用作戦でGO! GO! GO! 

10 :名無しさん@3周年:03/12/19 11:10
他人に教えるとおりに、自分でも行え---。
自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであろう。
自己は実に制し難い。

             真理のことば/ダンマパダ159

11 :カラミ:03/12/19 11:34
おい。ちょっと絡まれたくらいで、ぶつぶつゆうとったら、あかん。
そんな上品なことで、実践なんてできん。まあ内輪でコソコソやる
分にはそれでいいだろうが。コソコソ仏教なんて、何にもならん。
いろんな人間のいろんな考えと意見を交えてこそ、実践というもんだ。
 わかったか?


12 :名無しさん@3周年:03/12/19 11:39
この関連スレでさんざん書き込んでる者ですが、中村先生の訳書で仏教教理はいいとして、ヴィパッサナー実践のほうはどうします?
地橋さんのページだけ参考にされてもちょっと・・・。

俺としては春秋社の「呼吸による癒し」を加えたほうが(・∀・)イイ!!とおもいます。

13 :カラミ:03/12/19 11:46
そう中村先生だめ。あれはご立派な学者。権威だし、立派な飾り物だし、尊敬したり
尊重する分にはいいが、実践とはだいぶ違うな。


14 :名無しさん@3周年:03/12/19 13:14
>>カラミ

>>10

15 :カラミ:03/12/19 18:34
>「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、
> 想いを消滅した者でもない。・・・このように理解した者の形態は消滅する。
> けだしひろがりの意識は、想いにもとずいて起こるからである。」

意味はなんとなくわかるが、「形態」がピンとこないな。ここがおかしい。
> けだしひろがりの意識は、想いにもとずいて起こるからである。
この訳もちょっとおかしいな。
前後関係がわからんからなんともいえんが。


16 :名無しさん@3周年:03/12/19 19:22
前後関係うんぬんよりも、パーリ文誰か解説してくれや。
漏れはパーリ文わからんから。

17 :名無しさん@3周年:03/12/19 20:04
  _, ,_
( ´_ゝ`)

18 :名無しさん@3周年:03/12/19 20:22
争論を楽しみ、迷妄の性質におおわれている修行僧は、
目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。
 
                        スッタニパータ276

19 :名無しさん@3周年:03/12/19 20:39
この句は前句「どのように修行した者にとって、形態が消滅するのですか?」
という問いを受けてのものなので、その答えはとうぜん修行法についてですね。

そして「形態」はrupa(漢訳では「色」)、意味は「物質、肉体」だそうです。
ですから問いは、「どのように瞑想修行したら物質や肉体を感じなくなるのですか?」
ということですね。

20 :名無しさん@3周年:03/12/19 20:47
>>18
理解しないとダメ?
イスラム教の人は皆だめ?

21 :名無しさん@3周年:03/12/19 21:55
みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。
浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない。

                          (真理のことば/ダンマパダ165)

22 :名無しさん@3周年:03/12/20 11:33
スッタニパータの中に読みとれるヴィパッサナー関連文?

師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、
気をつけることである。(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもるものである、
とわたしは説く。その流れは智慧によって塞がれるであろう。」

                            スッタニパータ1035

23 :名無しさん@3周年:03/12/20 11:35
スッタニパータの中に読みとれるヴィパッサナー関連文?

「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。
識別作用が死滅することによって、名称と形態とが残りなく滅びた場合に、
この名称と形態とが滅びる。」
                         
                         スッタニパータ1037

24 :名無しさん@3周年:03/12/20 11:36
スッタニパータの中に読みとれるヴィパッサナー関連文?

「修行者は諸々の欲望に耽ってはならない。こころが混濁していてはならない。
一切の事物の真相に熟達し、よく気をつけて遍歴せよ。」

                          スッタニパータ1039

25 :名無しさん@3周年:03/12/20 11:44

>「形態」はrupa(漢訳では「色」)、意味は「物質、肉体」

ふむふむ。となると、残りは「名称」が何を表しているのか?だな。

「識別作用」は思考とか解釈とか分析あたりだろうな。

26 :名無しさん@3周年:03/12/20 13:01
・名称 = 名 = 心、精神

・形態 = 色 = 身体、物質

27 :名無しさん@3周年:03/12/20 15:00
欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、
もしも欲望をはたすことができなくなるならば、
かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。

            スッタニパータ-767-

28 :名無しさん@3周年:03/12/20 16:18
他人を苦しめることによって自分の快楽を求める人は、
怨みの絆にまつわられて、怨みから免れることができない。

            真理のことば(ダンマパダ)291

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、
ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。
これは永遠の真理である。
              真理のことば(ダンマパダ)5

29 :名無しさん@3周年:03/12/20 21:31
>>22
>煩悩の流れを防ぎまもるもの
これはね、saMvara といってね、禅定法というよりは戒律関係なのよ!

30 :太郎:03/12/21 05:15
関連スレ
テーラワーダ仏教とヴィパッサナー瞑想
1 :Tears :03/09/07 13:02

〜 テーラワーダ仏教 〜
 仏教は、今からおよそ二千五百年前、お釈迦様(釈迦牟尼仏陀)によって始められ、
時代の流れとともに、さまざまな流派に分かれて全世界へと広がってゆきました。
中国・チベット・朝鮮半島や日本には、お釈迦様の死後数百年経って成立した北伝の仏教
(いわゆる大乗仏教)が伝えられました。
一方、スリランカ・タイ・ミャンマーなどの出家教団によって継承されている南伝の仏教を
テーラワーダ仏教と呼びます。
(他に初期仏教・上座仏教・上座部仏教、根本仏教・原始仏教などとも云われます)

テーラワーダ仏教とヴィパッサナー瞑想について
2ちゃんねるらしく忌憚のないコメントお待ちしております。



忌避の意味がわかってないやついたなwwwwwwwwwwwwwwwww

31 :<<太郎:03/12/21 08:35
ほんとだwwwwwwwwwwwwwwwwww

32 :名無しさん@3周年:03/12/21 09:25
泣き悲しんでは、心の安らぎは得られない。
ただかれにはますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。

スッタニパータ584

33 :名無しさん@3周年:03/12/21 09:39
「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と
明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。

ダンマパダ277

34 :名無しさん@3周年:03/12/21 09:49
ことばを慎み、心を落ち着けて慎み、身に悪を為してはならない。
これらの三つの行いの路を浄くたもつならば、
仙人(仏)の説きたもうた道を克ち得るであろう。

ダンマパダ281

35 :名無しさん@3周年:03/12/21 10:19



・ヴィパッサナー
 あらゆるものをありのままに観るという意味。
 すべてにおいて無常、苦、無我という三相がはっきり分かるように観察すること。

一、敵に追われ 逃げ道があり 逃げん 道の咎めとならん
二、便に汚れ 池があり 洗わん 池の咎めとならん
三、病に患われ 師があり 治を受けん 師の咎めとならん

苦悩より解脱のため 観法があり 実行せん
観法の咎めとならん 貴の咎なり
                       (仏史より)

比丘たちよ、この観法(四念住)は有情(生き物の心身)を清めるため、
心配や悲泣お乗り越えるため、悲しみや憂いを滅ぼすため、
聖なる道を得るため、涅槃を実現させるためのただ唯一の道である。

                            (釈尊)




36 :名無しさん@3周年:03/12/21 12:02
スッタニパータ53

肩がしっかり発育し蓮華のようなみごとな巨大な象は、
その群を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。
そのように、犀の角のようにただ独り歩め。


37 :名無しさん@3周年:03/12/21 19:10
ただのスッタニパータとダンマパダ掲載スレになってきているw・・・

38 :名無しさん@3周年:03/12/21 19:57
「等しい」とか「すぐれている」とか、あるいは「劣っている」とか考える人、
---かれはその思いによって論争するであろう。
しかしそれらの三種に関して動揺しない人、---かれには「等しい」とか、
「すぐれている」とか、(あるいは「劣っている」とか)いう思いは存在しない。

                           スッタニパータ842

39 :名無しさん@3周年:03/12/22 01:13
優れてないと思い知らされた人、が書き込んでいるなら説得力0。
負け犬の遠吠えに近い。
思考が、「優れている>劣っている」 から 「優れている=劣っている」
と変わったとしても
本人が 「後者」の考え方をしない人たちより優れていると勘違いしたなら・・・・。
     

40 :名無しさん@3周年:03/12/22 09:53
貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好き嫌いと身の毛のよだつこととは、
自身から生ずる。諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ、
---あたかもこどもらが鳥を投げ捨てるように。

スッタニパータ<271>

41 :名無しさん@3周年:03/12/22 11:08

遠ざかり離れる味と平安となる味とを味わって、
法の喜びの味を味わっている人は、苦悩を離れ、悪を離れている。

                    スッタニパータ@257

42 :名無しさん@3周年:03/12/22 11:37


「これは執着である。ここには楽しみは少なく、快い味わいも少なくて、苦しみが多い。
 これは魚を釣る釣り針である」と知って、賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。

                                スッタニパータ61


以前に経験した楽しみと苦しみとを擲ち、また快さと憂いとを擲って、
清らかな平成と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。

                       スッタニパータ67



43 :名無しさん@3周年:03/12/22 15:00
pu

44 :名無しさん@3周年:03/12/22 15:58
スッタニ   プ

45 :名無しさん@3周年:03/12/22 17:30
読んでどうするんだか。自分の歩む道は正しいと思い込みたいのだろうか。

46 :あいこ:03/12/22 19:15
>>45
> 読んでどうするんだか。自分の歩む道は正しいと思い込みたいのだろうか。
 
 おまえはなんーーーーんもかんじないか?


47 :名無しさん@3周年:03/12/22 19:20
読みたければ本を買って読めばいい。
スレ立てて、ひたすら本の引用して・・・何が望みなんだ?
聖典を引用して口移しに唱えていれば聖者になったような
気分になれるんだろうが・・・そこには何の実体験もない。

48 :あいこ:03/12/22 19:39
>>47
> 気分になれるんだろうが・・・そこには何の実体験もない。

 おまえの実体験を聞かせろ。



49 :45:03/12/23 02:52
>>46
つまらない。
感じ入るものではない。

50 :名無しさん@3周年:03/12/23 06:50
悪いことをするよりは、何もしないほうがよい。
悪いことをすれば、後で悔いる。
単に何かの行為をするよりは、善いことをするようがよい。
なしおわって、後で悔いがない。

                    ダンマパダ314

51 :名無しさん@3周年:03/12/23 06:57
なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、
遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚れが増す。

                     ダンマパダ292

52 :名無しさん@3周年:03/12/23 07:08
妄執から憂いが生じ、妄執から恐れが生じる。
妄執を離れたならば、憂いは存しない。
どうして恐れることがあろうか。

              ダンマパダ216

53 :実行委員長:03/12/23 07:12
聖者になる方法。上顎に舌をつける。食事の摂生、
これは、止息法の入り口なのか?

54 :名無しさん@3周年:03/12/23 07:23
>>53
舌舐上顎・・・止息法とは聞きなれないが、周天法の事じゃろか。

55 :名無しさん@3周年:03/12/23 07:24
>>53

止息法の話は止息法スレへ
「止息法について 」
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1068911073/l50

56 :名無しさん@3周年:03/12/23 07:33
わがものとして執着したものを貪り求める人々は、
憂いと悲しみとものおしみとを捨てることがない。
それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行なって安穏を見たのである。

                      スッタニパータ809

57 :名無しさん@3周年:03/12/23 07:42
「世人は歓喜に束縛されている。
 思わくが世人をあれこれ行動させるものである。
 妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

                 スッタニパータ1109

58 :名無しさん@3周年:03/12/23 07:49
他人からことばで警告されたときには、心を落ち着けて感謝せよ。
ともに修行する人々に対する荒んだ心を絶て。善いことばを発せよ。
その時にふさわしくないことばを発してはならない。
人々をそしることを思ってはならぬ。

                      スッタニパータ973

59 :名無しさん@3周年:03/12/23 08:01
金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、
一つの腕にはめれば、ふつかり合う。
それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

                 スッタニパータ84

60 :名無しさん@3周年:03/12/23 10:06
或るものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、
そのものはそれとは異なったものとなる。
何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。
過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。

                   スッタニパータ757

61 :名無しさん@3周年:03/12/23 10:37

ヴィパッサナーは“今という瞬間に完全に注意を集中する”実践です。
何をしていても、“今・ここの自分に気づいていく”こと。
それが、ヴィパサナーです。自分を客観的に“よく観る”のです。

今ここの一つ一つの瞬間に意識を向ける。心地よいことでも不快なことでも、
ありのままの体験を価値判断しないで、そのまま観るのです。
葛藤をシャットアウトしたり、コントロールしようとして新たな問題を作るのではなく、
ただ気づくだけ。それが観るということです。それが苦悩を超える道です。
安らぎが訪れ、心と体を癒すことになるのです。
波立っている水面が穏やかになってすべてを映し出すように、
深い智慧と洞察力が生まれてくるのです。

私たちの日常生活のあり方は、すぐ評価を下したり、防御や攻撃をしたり、
落ち込んだり舞い上がったり、無意識のうちに自動的に反応しています。
私たちは、その自動反応に莫大なエネルギーを使い、
心はあちこちさ迷って思考や幻想の中を漂っています。

ヴィパッサナーはいつでもどこでも実践できます。
今ここの動作、行動、感情に気づいているかどうか、それだけのことです。
私たちは、ちょっとしたことで感動したり、悲しくなったり、
暗くなったりしてしまいますが、
このまだ育っていない子供のような心は成長できるはずです。

ヴィパッサナーをしていると、人からなんと言われようと、
誉められようとけなされようと、心の中に感情の波は起こらない。
そういう落ち着いた心が出てきます。


62 :あいこ:03/12/23 12:13
>>49
> つまらない。
> 感じ入るものではない。

 脳みその勃起不全、そのた不感症あり。
ふふ。



63 :45:03/12/23 13:23
>>62
決めつけんな 変態

64 :あいこ:03/12/23 13:32
>>63
> >>62
> 決めつけんな 変態

 「犀の角のイメージ」 これが大事。
Kはトラを描写していてこれも、すごく良かった。


65 :名無しさん@3周年:03/12/23 14:40
「犀の角」っていう言い方がもうそそり勃つアレを連想させる隠語だよね。
こんな具合に仏典にはさまざまな性的メタファーが隠されている。

66 :45:03/12/23 15:38
>>65
そんなこと普通連想しない

67 :名無しさん@3周年:03/12/23 18:22
>>66
そう思うなら犀(あるいはそそり勃つアレ)を見たことない人か、
あるいは単に偽善者ぶってるだけだよ。
仏典には他にも「蛇の章」とかあるんだけど、この「脱皮する蛇」も
明らかに「包被りからズル剥けへと脱皮する陰茎」を連想させる
性的メタファーなんだけどね。

68 :名無しさん@3周年:03/12/23 19:30

道に違うたことになじみ、道に順ったことにいそしまず、
目的を捨てて快いことだけを取る人は、
みずからの道に沿って進む者を羨むに至るであろう。

                  ダンマパタ@209

69 :名無しさん@3周年:03/12/23 19:46
★9
★★★クリスマス★★★
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1050500725&st=110&to=115&nofirst=true
★h

70 :名無しさん@3周年:03/12/23 19:53
或る人が、たとい博学であっても、徳行に専念していないならば、
世の人々はかれを徳行の点で非難する。
その人の学問は完全に身に具わっているのではない。

                     ウダーナヴァルガ/7


或る人が、たとい学問は僅かであっても、徳行によく専念しているならば、
世の人々は、徳行についてかれを称賛する。
その人の学問は完全に身に具わっているのである。

                        ウダーナヴァルガ/8

71 :45:03/12/24 00:28
>>67
全部妄想だな。変態が。

72 :ヴィパッサナーの進行度チェック「七覚子シチカクシ」:03/12/24 13:53

1.念の覚子
・気づいて観察できるか?

2.択法チャクホウの覚子
・より明確に観察すること。
・無常である、苦である、無我であるを実感。

〜〜〜〜〜〜〜 一般的なドロップアウトゾーン 〜〜〜〜〜〜〜〜
2が踏ん張り所なのだが、踏ん張れずに終了する。
自分で自分に対し、自分の未熟さを誤魔化す為に否定派に変身する。

3.精進の覚子
・いろいろな尺度から、いろいろな角度から、きめ細かく、
 無常であること、苦であることをとことん観察する段階。
 欲を絶って、こんなイヤな命はもう要らない!となるまで精進する。

4.喜の覚子
・非常に落ち着いた喜びが芽生えてくる。世俗的喜びとは質が異なる。
 脱世間が出来ている。「巨乳のオネエサン..はぁはぁ」も消えている。

5.軽安キョウアンの覚子
・この段階に至ると、もう楽に修行ができるのうになっている。

6.安の覚子
・言語での表現を越えてきている。
 意識が決して、あっちこっちに逃げたりせず、一つの対象に止まる。

7.捨の覚子
・何ものにも感情がない。感情というものを涌かさない。
 何事にも動じない。揺れない。左右されない。
 自分はよく修行しているぞ!という感情もない。ただ、冷静に観察できる。

73 :あいこ:03/12/24 16:29
>>72
なんだ、だんだん馬鹿になっていくのか?
どっかまちがってるよ。それは。
それにまず気付きましょ。



74 :名無しさん@3周年:03/12/24 16:40
>>73
ケチだけ付けるならウンコチビリ小僧でも出来るよね。
民主党だって代替案と提示するよ。

75 :あいこ:03/12/24 17:15
>74
 
1.第一段階
・気づいて観察できるか?

2.第二段階
・より明確に観察すること。
・「無常である、苦である、無我である」などの通説の偏見にとらわれない。

3.第三段階
・いろいろな尺度から、いろいろな角度から、きめ細かく、
 通説の矛盾をとことん観察する段階。
 
4.第四段階
・ 仏教やキリスト教の歴史的操作、歪曲が理解できるようになり、
 仏陀やキリストなどの教えの意味が正確に理解できるようになる。
  非常に落ち着いた喜びが芽生えてくる。喜びの質がかわる。
 世間の面白さが本当の意味で理解できる。

5.第五段階
・これ以上の修行は各個人の方法と実践にゆだねられる。
 グループを離れる。グルを離れる。
 
6.補足
 成人がこの修行を行う場合、3ヶ月から6ヶ月を目処とする。
 それ以上はいかなるグループにも依存してはならない。
 自立すること。なぜなら馬鹿になるから。
  



76 :名無しさん@3周年:03/12/24 17:27
その1や2や3の段階を踏まなくても4ヘ逝ってしまっていたのだが(5は最初から入ってないので)

そういう方はかなりの数でいらっしゃると思う

77 :あいこ:03/12/24 17:49
もっといい案だしてくんろ。


78 :72:03/12/24 18:00
>>あいこ

ちゃんと、自分の案を出したとは...内容はどうあれ意外に真人間だったんだな。

なにはともあれ、他に工程例はないのかな?


79 :名無しさん@3周年:03/12/25 12:26
心をまもり、ことばをまもり、身体の動作につねに気をつけている人は、
悩みに出会っても苦しまないであろう。
----真理に安住し、真理を知り、いとも聡明なる人は----。

                       ウダーナヴァルガ@52

80 :名無しさん@3周年:03/12/25 12:31
心をまもらず、邪まな見解に害われ、ものうさと睡眠に打ち克たれた人は、
死神に征服されるに至る。

                       ウダーナヴァルガ@心53

81 :名無しさん@3周年:03/12/25 21:45
諸々の友人に対して、実行がともなわないのに、
ことばだけ気に入ることを言う人は、
「言うだけで実行しない人」であると、
賢者たちは知りぬいている。
             スッタニパータ254

82 :名無しさん@3周年:03/12/25 21:49
通路(六つの機官)をまもり、機官にうち勝って行動せよ。
理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ、
執著を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は、見聞きしたことに汚されない。

                          スッタニパータ250

83 :名無しさん@3周年:03/12/25 23:23
まあ別に無常を観察せずに、永遠なる真我を見出しちゃってもいいんだけど・・・

その場合はブッダダンマを行じているとは言えんわな。

ブッダの教えたヴィパッサナーじゃないよそれは。

84 :名無しさん@3周年:03/12/25 23:41
諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、
尊敬すべき人々を尊敬すること、
---これがこよなき幸せである。

               スッタニパータ259

85 :名無しさん@3周年:03/12/26 04:59

賢者を自ら名乗るところ。アホくさい
そんな格言をセレクションしてる愚者どももダメだ。


86 :名無しさん@3周年:03/12/26 06:56
それにもまして、おまいは。


87 :名無しさん@3周年:03/12/26 08:30
そしておまいも。

88 :名無しさん@3周年:03/12/26 13:27

怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、
極端な高慢、不良と交わること、----これがなまぐさである。
肉食することが(なまぐさい)のではない。

                   スッタニパータ245

89 :名無しさん@3周年:03/12/27 22:06
実に或る人々は(誹謗の)ことばに反撥する。
かれら浅はかな小賢しい人々をわれらは称賛しない。
(論争の)執着があちこちから生じて、かれらを束縛し、
かれらはそこでおのが心を遠くへ放ってしまう。

               スッタニパータ@390

90 :名無しさん@3周年:03/12/28 19:14

魚肉、獣肉(を喰わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、
塵垢にまみれることも、荒い鹿の皮(を着ること)も、
火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、
不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、
季節の荒行も、それらは、疑惑を越えていなければ、
その人を清めることができない。

                         スッタニパータ249

91 :名無しさん@3周年:03/12/29 07:41
「通説の矛盾を観察する」なんて面倒なことをわざわざやるためには、
「矛盾である」と図れる基準が必要。それは「見」による。
あらゆる「見・ディッティ」は真理を見ることを邪魔するからのちに悪心所と
名づけられた。見には邪も正もない。見はどこまでも見。
たとえば「疑」が本来「何々に対して(たとえばブッダを)疑う」ことを
言うのではなく「疑」という心理そのものを指す。
(実際はブッダを、と考えても同じことですが)これと同じ。
少なくともスッタニパータの中ではブッダはそういう風に言っている。


実際、真理を見るのは「これは矛盾である」とか思考することとは別に
何の関係もない。まったくそうする必要もない。
そうでなければ仏教は正しく伝わりようがない事柄になってしまう。


ちなみに「正見」は正見なんだからすでに何かと比べる必要もない。
疑惑もない。比較(慢)もない。だから見は見解のこと。正見はいわゆる
見解とは違う。



92 :名無しさん@3周年:03/12/29 07:42
真理を見るのには、邪魔になるものと当面役に立つものの二つある。
我々人間には「身体」があってそこに六個の入り口があって、そこに
接触する事柄とそれによって起こるさまざまな「心」のみしか存在して
いない。この心と身体(名色)を一切という。
(そうは思えない、何だそれ?という人がいたら、いったい何がそうでない
のかと今ここで見ることができたら、それは今智慧が生まれた、ちょっとだけ
無明が破られた、という可能性がある。ただし普通はすぐ元に戻る。)

真理を見るのは、この一切の内の思考という働きによって新しく何かを
組み立てることでなく、それらの見をすべて捨てさること。何でかと言うと
何かを計る基準となる「見解」はどこまでも自我です。
しかしそれは錯覚であって、単に自己の見解への執着があるという状態なだけ。
それはそういうシステムであって、ただのシステムなんだから無我でしょ。
それを捨てても何の損害もないというのに、捨てられないのが無明。

さて、ブッダが「目の当たりに体現される」と言うのは、たぶんこういうこと
でしょう。

93 :名無しさん@3周年:03/12/29 15:53

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

              平家物語


ゆく川の流れは絶えずして、然も元の水にあらず
               
                   方丈記





94 :名無しさん@3周年:03/12/29 16:50
ヽ('ー`;)ノ

95 :あいこ:03/12/29 22:31
>91
へ理屈にしてはよく言えた。ぱちぱち。
面倒なことをわざわざやるとみるのは、見。
面倒なことを平然とするのが仏陀。
真理の前には「面倒」だとか「正見」だとかのゴタクもない。
「ゴタクもない」がゴタクを言う。
これを色即是空、空即是色という。
「わけわからん」ともいう。
 真理が思考と何の関係もないものなら、それを見るには、
「役に立つもの 邪魔になるものがある」などということはない。
「一切が役に立つか立たないか」でさえもない。
これを「ありえない」という。


96 :名無しさん@3周年:03/12/30 16:28
ヴィパッサナー
あらゆるものをありのままに観るという意味。
すべてにおいて無常、苦、無我という三相がはっきり分かるように観察すること。

結局、生滅し続ける精神と物質の集まりに過ぎない。
どこに確固とした実体があろうか。確固とした自我とは何処にあるのか?
皮膚は新陳代謝をし、骨は年々密度が減り細くなる。
DNAには自己崩壊情報が組み込まれている。100%のDNAコピーも無い。
昨日は笑っていたが、今日は泣いている。
生身である脳の状態が変われば、感情も考えも気持ちも変わる。

時間は一方向にだけへ絶えず流れていき、人が若返ることはない。
老化の先には100%の死が待ち受けている。
この今にも一秒一秒死が近づいている。生まれ落ちた瞬間から苦が始まっている。

自殺を求め、入水しても助けの手をさしのべられると必ず手を握り返すという。
確かに意識は死を求めていたが、自分の全てが死を求めていた訳ではない。
つまり人間は生きていたいという作りになっている。
しかし、刻々と死への時間が近づいている。決して時間は逆行しない。苦なのである。

昼には笑っていたが、夜、就寝中に火事に巻き込まれ死ぬかもしれない。
明日の朝には、通勤中、交通事故に巻き込まれ死ぬかもしれない。
いったい、どれほどの残り時間が残されているのであろうか。

人は必ず死ぬ。生を持った限り必ず死ぬ。一期一会は素晴らしい。



97 :名無しさん@3周年:03/12/30 16:46

あれ程、好きだった人なのに、今はどうだ...。
隣で同じ空気を吸っているだけでイライラしてくる。
目障りで疎ましい。
快感には耐性が生まれる。苦には耐性が生まれないが、快感には耐性が生まれる。
この味には飽きが来る。あの味を求めたくなる。あの味にも飽きが来る。
際限の無い繰り返しである。まして、その都度、欲求が叶う約束も無い。


本当の幸せとは何なのだろうか...。平静さではないだろうか...。寂静ではないか...。

98 :名無しさん@3周年:03/12/30 16:59


 ・諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静。
 ・人は皆、自分が可愛い。



99 :名無しさん@3周年:03/12/30 17:21

自我が強ければ強いほど、自分が可愛いとなる。
自分が過度に可愛いとなれば、自己中心となる。
自己中心は諸悪の根源となる。自我は諸悪の根源ともなる。
自我が希薄になれば、欲求も希薄になる。
無常であること、無我であることを身体全体で知るしかない。
ヴィパッサナーで知るしかない。
釈尊や阿羅漢たちが、実践したヴィパッサナーで体得するしかない。
行学不兼備に行き詰まりが訪れるのは、当然である。
仏教において、「空っぽなポッテイラ長老」ではしょうがない。
浜サーファーには、サーフィンの全てを語ることは出来ないのである。


100 :名無しさん@3周年:03/12/30 17:37


林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、
聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

                        スッタニパータ39

肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、
その群を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。
そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

                スッタニパータ53

音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、
水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。

                    スッタニパータ71




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